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弥縫策としての心理学(その15) [哲学・心理学]


精神療法
精神療法

せいしんりょうほう
psychotherapy

  

心理療法ともいう。心理的,ことに情緒的混乱に対する治療法をいうが,情緒的混乱に関する理論はいくつかあり,それらに基づいて精神療法の技法もいくつかに分れている。井村恒郎によれば次の4つに分類される。 (1) 支持法 相手を安心させるために説得したり,保証を与えたり,励ましたり,助言を与えたりする。環境を変えることで成果をあげようとする間接法もこのなかに含まれる。 (2) 表現法 抑圧されている不満や敵意を十分に聞き,汲取ることで発散をはかる。 (3) 洞察法 本人が自分の病理性をみずから洞察するように取計らう。 (4) 訓練法 現実の体験をやり直させることで心理的構えを修正する。なお精神療法は,個別に面接を行う場合と,集団活動で行う場合とがあり,後者を集団精神療法と呼ぶ。





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[ブリタニカ国際大百科事典 小項目版 2008]


精神療法
せいしんりょうほう psychotherapy

疾病の治療法には,身体そのものに働きかける治療法(外科手術,薬物療法等)と心に働きかける治療法とがあり,後者を一般に精神療法(心理療法)という。対象となるのは,危機または損藤状態にある心であり,不安やそれに伴う怒りや苦悩等の感情,不適切な行動および心身の異常ということになる。したがって,神経症や心身症がおもな対象疾患であるが,不安がその経過を左右しているものも対象となる。すなわち,精神病から非行や登校拒否等の半健康状態はいうまでもなく,危機の大きな疾病(癌等)や闘病が強いられる慢性の疾病(糖尿病等)にも必要とされる。精神療法の手技は,不安成立の解釈の仕方に応じてさまざまであるが,そのメカニズムの基本的なものは次のようなものである。
 第1は治療者による受容,尊重,傾聴がもたらす不安・緊張の緩和。さらに,言語および感情表現を自由にさせること(カタルシス,解除反応)。第2には,知的および体験的に自己の誤りや不安のメカニズムに気づくこと(洞察,悟り)。第3には,それによって新しい適応した行動を身につけること(自己実現,行動変容)である。一般に,危機や新しい不安に対しては,受容的態度で患者の自己表現をはかり,洞察をまつが,慢性化した行動や態度の異常に対しては学習や訓練の側面が中心となる(行動療法,森田療法)。治療者との人間関係に重点をおくもの(精神分析,カウンセリング)から特殊な状況のなかでの変容を期待するもの(森田療法,内観療法)等,また,理論や利用する手段に従ってさまざまな分類がある。不安および不適応行動の成立についての科学的理論とそれに基づく技法がないと精神療法とはいえないが,宗教による〈癒し〉のみならず,日常生活の中の人間関係の支援にも共通するメカニズムを見いだすことはできる。                   増野 肇

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精神療法
I プロローグ

精神療法 せいしんりょうほう Psychotherapy 日本では、サイコセラピー(psychotherapy)という語は精神医学の立場では「精神療法」、また心理学の立場では「心理療法」と2通りに翻訳されてもちいられているが、もともとは同じ意味である。しかし、治療者が医師免許をもつかもたないかは、クライアント(患者)にとっても治療者(セラピスト)自身にとっても無視できない問題であり、クライアント(患者)との出会いの場面における治療の実際の内容は同じであっても、その周辺のすそ野まで考えにいれて同じであるといいきれるかどうかはむずかしい問題である。

ただし、ここでは治療者(セラピスト)と患者(クライアント)の出会いの場面における療法そのものに話を限定し、精神療法が心理療法と同義語であるという立場から解説する。

II 定義とその周辺

精神療法とは、治療者とクライアントの間に生まれる人間関係によって、クライアントの心身の問題にこのましい変化がもたらされるような心理的治療一般をさす。精神療法の対象者としては、なんらかの心理的な問題をかかえ、仕事や生活上の不適応にくるしんだり、なやんだりしていて、ほかの人に精神的援助をもとめている人のすべてが該当する。

クライアントの立場からみれば、治療者の精神的援助によって、自分が今おかれている現状になんらかの納得の様式をもつことができ、それによって自分の無力感にうちかち、自分が自分自身の人生の真の主人公になれるように心理的に成長できることが治療である。

これを治療者の側からみれば、クライアントの問題に真摯(しんし)に忍耐強く耳をかたむけ、クライアントとの対話的場面でおこっている言語的、非言語的なさまざまな表現に細心の注意をはらい、クライアントのかかえている問題を洞察する。そのようにしてえられた理解をクライアントに適時につたえていくことによって、クライアントが主体的に自分の問題を把握できるようにもっていくのが心理的治療の内容になる。

III 精神療法の留意点

精神医学者の笠原嘉が日常の精神療法における留意点としてあげたいくつかの点は、どのような療法をとるにせよ、治療者が常に留意しなければならないことである。それを参照することが、外来における精神療法のおおよその輪郭を知ることにもなる。

(1)クライアントが言語的、非言語的にみずからを表現できるように種々の配慮をする。(2)治療者は基本的に非指示的な態度をとり、クライアントの心境や苦悩をそのまま受容し、了解することに努力をおしまない。(3)クライアントと協力してくりかえし問題点を整理し、クライアントの内的世界の再構成をうながす。(4)治療者の人生観や価値観をおしつけない範囲で、必要に応じて日常生活上の事柄に関する指示、激励、啓蒙をおこなう。(5)治療者へのクライアントの転移現象(→ 精神分析)に常に目をむける。(6)短期の奏功を期待せず、変化に必要な時間をじゅうぶんにとる。

IV 精神療法の適用対象

精神療法は、統合失調症や躁うつ病(→ うつ病)などの精神病に対しても、薬物療法や作業療法とくみあわせてもちいられることがあるが、一般に精神療法が主たる効果をもつのは、強迫神経症、不安神経症、恐怖症、ヒステリーなど、心因性の心の病である神経症圏の種々の問題に対してである。さらに境界例、心身症、非行、自閉症などにも精神療法がもちいられることがある。

V 精神療法の種類

精神療法には、個別療法と集団療法の区別、あるいは幼児、児童、青年、成人さらには老年期の人といった生涯発達段階を考慮した療法など、それを適用する対象や症状に即した区別の観点がある。しかし、ここでは多様な療法を、(1)クライアントの内的世界の洞察に主眼をおいた療法、(2)クライアントに、通常の対話以外の手段をもちいてなんらかの表現をさせることに主眼をおいた療法、(3)クライアントに対して、なんらかの訓練をほどこしたり実習を課したりすることに主眼をおいた療法、の3つに大きく分類し、それぞれにどのような療法があるかをみていく。なお、各療法の内容についてはそれぞれの項目を参照。

(1)精神分析療法(フロイト派、ラカン派)、ユング派心理分析療法、ロジャーズ派クライアント中心療法、エンカウンター・グループ、フォーカシング(焦点づけ)、ゲシュタルト療法、ロゴセラピー、交流分析、家族療法、など。

(2)箱庭療法、遊戯療法、音楽療法、芸術療法、心理劇、動的家族画療法、など。

(3)森田療法、自律訓練法、行動療法、動作法、リラクゼーション・トレーニング、トレーニング・グループ、言語療法、など。


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パーソナリティ
パーソナリティ

パーソナリティ
personality

  

人格ともいう。当該個体をほかの個体から区別し,かつ当該個体の特徴的な行動様式を規定するような統一的,持続的な特性の総体を示す用語。一般的には,情感・意欲的側面に加えて知的特性の個体差 (知能 ) をも含めて用いられる。





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パーソナリティ
personality

人格,性格,人物(とくに有名人)などを意味する英語。〈人格〉〈性格〉の項目を参照されたい。

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知能
知能

ちのう
intelligence

  

生物学的立場からは新しい環境に対する先天的および後天的な適応可能性と定義され,また心理的機能の面から知覚,弁別,記憶,思考などの知的な諸機能の複合としても定義される。 H.ベルグソンはかつてホモ・サピエンス (理性人) の論理的知性とホモ・ファーベル (工作人) の職人的知性とを分けたが,前者は言語を習得した人間の合理的,論理的知能であり,後者は言語以前の幼児や動物の感覚運動的または実用的知能に対応するとされた。しかし現在では高等な類人猿は手話や図形の配置で意志伝達できることが明らかになっている。知能はある程度までは年齢とともに発達するものと考えられ,知能検査のどの問題にパスしたかによって知能の程度を年齢尺度 (精神年齢 ) で表現し,知能指数IQや知能偏差値によって個人間の比較を行うことが可能になった。しかしこの場合,知能は知能検査によって測定されたものという前提があり (→操作主義 ) ,したがって測定技法の進歩によって知能の概念も変化し,このような検査成績の因子分析的研究によって言語因子,数因子,記憶因子,空間因子,推理因子などが見出され,知能の心理学的構造が解明されつつある。





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知能
ちのう intelligence

知能には,いろいろな定義があるが,3種類に大別できる。第1は,適応力とみる定義で,新しい場面や困難な問題に直面したとき,本能的な方法によらずに,適切かつ有効なしかたで,順応したり解決したりする能力を知能とみなす。第2は,抽象的思考力,推理力,洞察力などの高等な知的能力とみる定義で,言語や記号などを用いて,概念のレベルで思考を進める能力を知能とみなす。第3は,学習能力とみる定義で,知識や技能を経験によって獲得することを可能にする能力を知能とみなす。しかし,これらの定義は決して矛盾し合うものではない。新しい場面に適応するためには,学習能力なしにすまされないし,抽象的思考力は,不必要な試行錯誤を少なくすることによって問題解決を促進させ,同時に具体的な,直接的な場面をこえ順応の場を広げていくという点で,新しい場面に対する適応力の前提である。だから,ほぼ同一の知的能力を,異なる観点から定義しているにすぎないともいえる。そこで一般には,知能とは知能テストで測定される能力であるという操作的定義(測定操作による定義)が,採用されている。
 知能テストによって測定された結果は,精神年齢 mental age(MA),知能指数 intelligencequotient(IQ),知能偏差値 T‐score などによって表示される。たとえばビネ式知能テストでは,年齢別にテスト問題が配当されており,子どもがどの年齢相当の問題まで合格したかに応じて,その子どもの精神年齢が決定される。そして,その子どもの実際の年齢,すなわち暦年齢 chronologicalage(CA)に対する精神年齢の比率を示すのが知能指数で,

で算出される。また知能偏差値は,その子どもと同年齢の標準知能からの脱逸の度合を示すものであって,次の公式により算出される。

知能指数は100を,知能偏差値は50を平均値として,上下に左右対称の正規分布をなしている。
[素質と環境]  知能指数は,一般に恒常でありつづけると考えられている。このことは,知能が遺伝的要因により規定されていることの根拠となっている。また,知能の遺伝規定性は,家系調査や双生児研究によっても裏づけられている。しかし実際には,子どもの知能テストへの慣れ,検査者や検査方式の相違などによる測定誤差が,テストにはつねにつきまとうため,ある程度,知能指数の変動はまぬがれない。その上,知能が素質的なものであるにしても,環境や教育によってかなりの影響を受けることとなる。事実,知的刺激に乏しい環境で長く生活した子どもは,それだけ知能の発達が遅れる。たとえば文化的恩恵を受けることの少ない農山村の子どもや,活動や自己表現に対して応答や奨励を受ける機会を持たない児童養護施設の子どもは,知能の発現が抑制・阻止されるということが明らかにされている。とりわけ,発達初期においては,子どもの知能がその生活環境に大きく規定されるといわれている。そのため最近は,知能 A と知能 B に分け,知能に対して二つの意味を持たせる説明が一般的となってきた。知能 A とは生得的な素質的能力であって,まったく仮定の知能にすぎず測定することはできない。一方,知能 B は,知能 A を核としながらも生活環境とのかかわりで発達していく知能であり,普通われわれはこれを知能と呼んでいる。現在のところ知能テストでは知能 B しか測定できない。そのため,知能 A が同じと仮定される場合でも,生活環境が異なると,知能テストの得点が異なってしまうことが当然ありうるわけである。
[年齢的変化]  このことは,知能が素質と経験との総合的結果として発達していくということであるが,その発達過程についてみると,一つの知能発達曲線を描くことができる。一般に,年齢とともに知能は規則的に進歩するが,13,14歳ごろから発達がやや緩慢となり,16~18歳ごろに頂点に達した後,その知能は徐々に退行していく。ただしこの発達曲線には,かなりの個人差がみられ,知能のすぐれている子どもは,劣っている子どもよりも発達の速度は大きく,しかも比較的高年齢までその進歩を続ける。その結果,年齢の増加とともに知能の個人差はいっそう広がっていく。成人期における知能の退行現象については,知能の領域に応じて,それが現れやすい分野と現れにくい分野がある。一般に,空間関係把握力や推理力は,20歳ごろから急速に衰えるが,言語的能力や計数能力は比較的高年齢になっても維持される。知識や語彙の量は年齢を重ねるとともに増加するので,低下していく全般的知能が,これによって補われながら働き続けることとなるのである。
[知能因子]  知能を構成している因子については,知能テストの結果の統計的処理にもとづいて分析されるが,これをめぐってさまざまな解釈がおこなわれてきた。これを大別すると,〈二因子説〉と〈多因子説〉とに分けられる。二因子説をとるのが,スピアマン C. E. Spearman であって,彼によれば,知能は,共通な基本的知能である一般因子と,それぞれの知的活動に特有な特殊因子とから成る。一般因子は,いわば一般的な精神エネルギーであって遺伝的に決定されるのに反し,特殊因子は,いわばエンジンの働きをするものであり,特殊な経験と学習により決定されるという。一方,多因子説の代表者は,サーストン L. L.Thurstone で,数,語の流暢さ,言語理解,記憶,推理,空間,知覚的速さの七つの特殊因子を,知能の基本的能力とみなし,一般因子は特殊因子から抽出された二次的因子にすぎないと主張している。なお,操作,所産,内容の三つの次元を持つ理論模型から,120個の知能因子を仮定したギルフォード J. P. Guilford の知性構造論も,多因子説の中に含めることができる。この説は,従来の知能理論で見落とされていた領域の知能を取り上げているだけでなく,未発見の知能因子も予言しているという点で,注目されている。 滝沢 武久

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知能
I プロローグ

知能 ちのう Intelligence 一般に「頭のよい人」「頭が切れる人」などとよくいわれ、思考力や記憶力を中心にして知的能力に個人差があることはだれしもみとめるところである。しかし、いざ知能とは何かと問われると、今のところこれという明確な定義はみあたらない。実際、数学的直感にすぐれた人が、人前で説得力ある議論を展開するのは苦手だったり、その逆があったり、また記憶力は抜群でも、合理的思考は苦手などの場合があり、知能は特殊能力なのか、一般的能力なのかについても過去に数々の論争があった。

しかし、知的達成にかかわると思われる種々の要因を列挙し、それを因子分析によってふるいわけることによって、今日では少なくとも次の因子が知能にかかわっていると考えられている。抽象的思考力、合理的思考力、記憶力、言語能力、空間認知能力、新しい環境への適応力、などである。ただし学者によって、これらの因子をどのように階層づけるか、どの程度の重みの違いをもたせるかに相違がある。

II 最初の知能検査と就学判別

知能をめぐるこのような議論は、知能検査の発展と密接にむすびついていた。本来、知能検査は知能を測定する目的をもち、そのためには知能とは何かについてある程度答える必要があるからである。最初の知能検査は、A.ビネがT.シモンの協力をえて1905年に作成した「知能測定尺度」である。これは、パリ市の教育委員会から、就学前に学校教育についていくのが困難な知的障害児を判別するためのテストを作成するよう依頼をうけてつくられた。

ビネは、各年齢(生活年齢)ごとにその年齢の平均的な子供が解決できる問題群(6問)によって各精神年齢を定義した。これは年齢とともにむずかしい課題が解けるようになるという発達の一般原理にしたがったものである。そして、検査をうける子供がどの精神年齢の問題まで解けるかによって、その子供の精神年齢を判定した。ちなみにビネの就学判別基準は、就学時において精神年齢が生活年齢より2歳以上おくれている子供は、通常の就学はむずかしく、特別な教育をあたえるのがよいというものであった。わが国で現在もちいられている就学指導の基準も、ほぼこの内容をうけついでいる。

III 知能指数の登場

この検査は世界各国に広まり、ビネ式検査と総称されて現在も使用されている。米国ではL.M.ターマンが中心になってスタンフォード・ビネ改訂版を作成。適用年齢範囲を広げて健常児の知能の測定をはじめ、W.シュテルンの知能指数(Intelligence Quotient=IQ)という考えを導入して、検査結果をIQであらわすようになった。

ここにいう知能指数(IQ)とは、生活年齢に対する精神年齢の比を整数であらわしたものである。IQ=精神年齢÷生活年齢×100によってあらわされ、平均的な子供はIQが100となる。ビネの就学判別基準を知能指数であらわせば、67以下となる。

IV 集団式知能検査の登場

第1次世界大戦が勃発(ぼっぱつ)すると、大量の兵員を確保する必要が生じ、徴兵検査向きの知能検査がもとめられた。ビネ式検査は個別検査であり、しかも言語に比重のかかった検査であったため、徴兵検査向きではなかった。そこで、R.M.ヤーキスを中心に、集団に実施できて簡便、なおかつ言語性検査(A式検査)のほかに非言語性検査(B式検査)もふくまれて、それだけでも判定が可能な知能検査が開発された。これはアーミー検査とよばれ、現在の集団式知能検査の土台となった。

V 因子構成を意識した知能検査

このように、知能検査はもともとはきわめて実際的な目的のために作成されたものであったが、その後、知能への興味が心理学者をひきつけ、ビネの検査は本当に知能を測定しているのか、そもそも知能とは何かなど、さまざまな問題が提起された。それにより、冒頭にみたように、知能を構成している因子の研究がL.L.サーストンやJ.P.ギルフォードらによってすすめられることになる。そして、幼児から児童までの知能しか測定できなかったビネ式検査の欠点をおぎない、さらに知能の因子構成を意識した知能検査も作成されるようになった。その代表的なものがD.ウェクスラーによって開発されたウェクスラー式知能検査(成人用、児童用、乳幼児用)である。

これは、言語性検査と動作性(非言語性)検査にわかれ、それぞれは知能構成因子を反映した6種類の下位検査からなる。このため、障害などにより言語性検査がとりくみにくかったり、動作性検査がとりくみにくい場合には、片方の検査でも知能の測定ができるように配慮されている。

この検査ではあらかじめ各年齢ごとに多数の標本について事前調査を実施し、その標本群の得点の平均と得点の分布の仕方(標準偏差)をしらべておく。これによって、各被験者の検査結果は当該年齢を母集団とする中での相対的な位置として評価される(偏差値IQ)。たとえば、70歳の人は20歳の人と比較すれば明らかに成績の絶対得点は低い。しかし、70歳のある人が、70歳の平均得点よりもうわまわった成績をとれば、その人は70歳にしては相対的にすぐれた知能だと判定できるのである。

VI 使用をめぐる問題点

知能検査の使用に関しては今日さまざまな議論があり、もっとも大きな疑問は次のようなものである。すなわち、ターマンの知能指数(IQ)の導入以来、人の相対的な知能の優劣が関心をよび、身長計測と同じような意味で知能を測定しようとする試みがふえた。しかし、障害判別の目的以外に、人の相対的な知能を測定することがどのような意味をもつのか、またそれが測定された人の幸福につながるのかという疑問である。知能検査がすべて害毒であるとまではいえなくても、知的障害の程度やその障害の特性を診断して、それを教育や療育の手がかりにするなど、検査をうける人のなんらかの利益につながることが、検査実施の基本条件であるべきだろう。


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人格
人格
じんかく personality

道徳的にすぐれている人を〈人格者〉というように,日本の慣用法においては人格という語は,カント以後のドイツ哲学思想の影響のもとに,理性的存在者として自律的に行為する主体を意味し,その尊厳性を強調する道徳的意味あいを含む語として用いられてきている。しかし,心理学においてパーソナリティ personality の訳語として人格という語を用いる場合,それは道徳的な意味あいや価値的な評価は含まない。それは〈人がら〉あるいは〈性格〉の意味にちかく,たとえば〈パーソナリティとは,個人のなかにあって,その人の特徴的な行動と考えとを決定するところの,精神身体的体系の動的組織である〉(G. W. オールポート)という代表的な定義にみられるように,各人を特徴づけ,その人独自の行動様式をもたらす精神と身体の内的・統一的システムを意味している。
 パーソナリティという語はラテン語のペルソナpersona に由来するといわれ,それは元来,劇中でかぶる〈仮面〉を意味していたが,その後そこで演じられる役割を意味したり,役者自身や人間のもつ性質の総体を意味するものとしても用いられるようになった。一方,日本語で性格と訳されるキャラクター character という語は,もともと〈刻みこまれたもの〉を意味するギリシア語 charakt^r に由来し,やがて事物の標識,特性を意味するようになったといわれている。語源的なニュアンスからすれば,パーソナリティが社会的関係のなかでの役割や社会的効果の意味あいが強いのに対して,キャラクターは深く刻みこまれた内的特質の意味あいが強いという微妙なちがいがある。心理学において両者を同義に用いる場合もあるが,区別して用いる場合には,人格(パーソナリティ)が知・情・意の全体的な統一性をあらわすのに対して,性格(キャラクター)は,そのうちの情意的な側面をさすのが普通である。
 また,性格に似た語として気質 temperament があるが,それは一般に性格の下部構造をなし,個人の情動的反応の特質を規定する遺伝的・生物学的な特性(神経系のタイプなど)をさしている。古代ギリシア以来,有名な〈多血質〉〈胆汁質〉〈黒胆汁質〉〈粘液質〉という気質の4類型があるが,そこには体液の混合の割合がその人の気質を決定するというヒッポクラテスに始まる古代ギリシア医学の考え方があった。ちなみに,temperament という語は,〈(液汁の)適正な混合〉を意味するラテン語の temperamentum に由来している。人格はこうした気質を基底として,社会的諸条件のなかで形成されるのであるが,それはたんに社会が期待する役割に適応できる能力や特性を身につけてゆく過程であるだけではない。種々の要素的な能力や特性を全体として統一し,自己を自己たらしめる個性的なあり方を実現してゆく過程でもある。⇒気質∥性格              高垣 忠一郎

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性格
性格

せいかく
character

  

日常的には生れつきの品性という意味に使われている。 characterはギリシア語の彫刻を意味する語に由来する,きわめて多義的な概念であるが,心理学では一般に人間の行動の背景にあって,個人に特徴的な行動様式や考え方などを規定している持続的な態度の系をいう。パーソナリティや気質という言葉もほとんど同じ意味で用いられるが,パーソナリティと違って性格は知的側面を含まず,動機づけや方向づけに関連する意欲的側面をさす。また気質と違って必ずしも体質的な関連や生得的な傾向を強調せず,文化的,社会的条件への適応とも関連して,学習によって多少とも後天的な変化があるものとされる。





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性格
せいかく character

人間の特徴的な行動の仕方や考え方を生み出す元になるもので,行動にみられる多様な個体差を説明するために設定された概念。他人と違った自分だけの行動の仕方をもっているという,生まれつきの〈たち〉,品性,人柄のことであるが,現在では通常英語の character の訳語として用いられている。この言葉はギリシア語の charakt^r に由来し,〈刻印〉または〈刻み込まれたもの〉という意味をもっていたが,転じて標識とか特性を意味するようになった。心理学ではキャラクターをパーソナリティ personality と同義に用いることもある。パーソナリティという語の起源はラテン語のペルソナに由来し,もともとは劇などで使用された仮面を意味していたのが,しだいに変化して俳優の演じる役割を意味するようになり,ついにははっきりした個人的特質,およびそれをもった人の意になった。キャラクターがどちらかというと情緒的,意志的な面での個人差を強調しているのに対してパーソナリティでは行動の統一性という面が重視され,道徳的な価値判断を含んで人格と訳されることが多い。ただしアメリカでは性格という用語はほとんど使用されておらず,ドイツでも人格という用語が一般化している。
[性格学]  性格ないし人格を研究する学問を性格学 characterology という。その始まりはひじょうに古く,古代ギリシアにさかのぼり,伝統の一方は16世紀のフランスのモラリストたちに継承され,モンテーニュ,パスカル,ラ・ブリュイエールなどの随想録,箴言集などには深い理解と洞察が見られ,文学作品の中にも興味深く描かれている。他方,科学的にはやはりギリシアで2世紀にガレノスが体液を4種類(血液,胆汁,黒胆汁,粘液)に分け,それに従って4気質(多血質,胆汁質,憂鬱(ゆううつ)質,粘液質)の分類を行っている。その後生理学の進歩とともに体液と気質との関連づけは否定されるようになったが,気質の4類型は長く用いられた。
 〈性格学〉という名称を最初に用いたのはドイツの哲学者バーンゼン J. Bahnsen であり,1867年のことである。これは主としてドイツ語圏で発展し,哲学的傾向がみられるのが特徴的である。個々の人間の性格の個人差や性格特性の差異を研究する性格学を差異心理学ともいう(ハイマンス)。性格学が学問として確立したのは類型学からである。その代表的なものとしては,ユング(内向型と外向型),イェンシュ E. R. Jaensch(統合型と非統合型),ファーラー G. Pfahler(固執型と流動型),シュプランガー(理論的人間,経済的人間,審美的人間,社会的人間,政治的人間,宗教的人間の6種型),エーワルト G. Ewald(反応類型),クレッチマー(体質学的類型)などがあげられる。また精神病質人格に関しては,クレペリンが主として心理学的特性と社会学的関係から神経質,興奮者,軽佻者,ひねくれ者,虚言欺瞞者,反社会者,好争者,衝動者に分けており,K. シュナイダーは主として臨床経験にもとづいて性格異常(精神病質)を〈自分自身が悩むもの〉と〈社会が悩まされるもの〉に分け10類型(発揚者,抑鬱者,自信欠乏者,熱狂者,顕示者,気分変動者,爆発者,情性欠如者,意志欠如者,無力者)を列挙している。レルシュ P. Lersch は層理論を応用して性格を内部感情的基底と精神生活の上層構造とに二分し,それぞれについて詳細な分析を試みている。哲学的な立場からはクラーゲスが性格を素材,性向,気性,構築,挙措の属性の5側面に分けユニークな理論を展開している。
 哲学的色彩の強いドイツ性格学に比べ,アメリカの人格学は社会学,社会心理学,文化人類学などの影響下で発展している。人格についての定義はきわめて多いが,アメリカの心理学者オールポート G. W. Allport の〈人格とは心理・生理的体系としての個人内にある力動的体制であり,その個人の環境に対する独自な適応を規定するものである〉という定義はとくに有名である。これに対しキャッテル R. B. Cattel の定義は〈人格とは人がある状況に置かれたとき,その人がどうするかを予測させるものである〉とする操作的なものである。アイゼンクは因子分析的・統計的方法を用いた人格研究を行っている。
 発達段階による性格研究は精神分析に関連するもので,S. フロイトがその基礎を確立している。彼は人格における自我の機能に注目し,自我と衝動体イドと行動の規準の内面化による超自我との損藤や妥協を力動的にとらえて,人格をその相互関係の過程の上で扱っている。これに続く者として,フロイトの精神分析から現代精神分析への転向を方向づけたライヒ,超自我の早期形成の影響を解明した M. クラインなどがあげられる。またE. H. エリクソンは人格の形成に関する精神分析理論に比較文化論的・対人関係論的見地を導入した。彼は人格の漸成的発達の理論として八つの年代の発達図式を提示した。新フロイト派に属するアメリカの精神医学者 H. S. サリバンの発達理論は認知3段階とそれに対応する言語発達段階から構成される。人格の形成を対人関係の場における経験が決定してゆく過程としてとらえ,人格そのものが人間相互関係の状況の比較的持続するパターンであり一種の仮説的存在にすぎないとみている。彼の人格説は,人格を固定化せず臨床的な改変も可能であることを示唆していることでは評価されているが,自我や人格の形成における文化の意義までは言及されていない。
 この問題をとりあげ,社会がいかに人格形成に大きな影響を与えているかを強調したのがフロムである。彼の性格形成論の根底には社会的性格なる概念があり,それはあるひとつの社会集団の成員のほとんどがもっている性格構造の本質的な中核をなすもので,その集団特有の基本的経験と生活様式とから発達したものであるという。〈社会的性格は外的な必要を内面化し,ひいては人間のエネルギーをある一定の経済的社会組織の課題に準備させる〉。さらに社会的性格を(1)市場的性格,(2)搾取的性格,(3)受容的性格,(4)貯蓄的性格に分けている。また,ゴットシャルト K.Gottschalt らの,遺伝と環境の性格への影響を考慮して双生児法を採用する研究もある。そのほか筆跡による研究,精神障害者の臨床的研究から出発したものなどその方法は多岐にわたっている。⇒気質∥人格              飯田 真

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認知心理学
認知心理学

にんちしんりがく
cognitive psychology

  

1960年代以降に台頭した心理学の一分野。知覚,記憶,理解など対象を認識する作用,および学習によって得られた知識に基づく行動のコントロールを含めた認知の過程,すなわち生体の情報処理過程を明らかにしようとする学問。それまで心理学の主流を占めていた客観的な観察に基づく行動主義的な心理学に対する反動から生れたもので,主観的な人間の意識を重視する立場をとる。情報科学の発展,コンピュータの進歩に伴って急速に発達し,今日では哲学,言語学,神経科学,工学などの分野との交流により認知科学という新たな学際的分野を形成している。





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[ブリタニカ国際大百科事典 小項目版 2008]


認知心理学
I プロローグ

認知心理学 にんちしんりがく Cognitive Psychology 知覚、記憶、学習、思考などを研究対象とする心理学の一分野。認知科学は近年めざましい発展をとげつつある。そこには心理学をはじめ、コンピューター科学、脳神経科学、言語学、哲学などの多様な領域がふくまれ、大きな分野を形成しているが、認知心理学はその1分野である。つまり認知心理学とは、情報処理を基礎とした認知主義的なアプローチをとる心理学のことで、ひろい意味ではたんに認知の領域ばかりでなく、社会心理学や発達心理学など、心理学の他の分野をもこの「認知主義」という大きな枠組みの中にとりこんであつかっていこうとする心理学のひとつの立場をあらわすものだといえる。

またせまい意味では、それは多様な心理学の領域の中でも、とくに認知の領域をあつかう心理学、つまり人間の認知の働きを研究対象としてとりあげ、それを上記のコンピューター科学をはじめとする認知科学の枠組みのもとで解明していこうという心理学の一領域をさす。ここでは後者をとりあげる。

II 認知革命

後者のせまい意味においてさえ、現代の認知心理学は、旧来の認知研究の直接の延長線にあるとはいいがたい。現代の認知心理学は、その新しいパラダイム(取り組み方の基本的な枠組み)において、かつての行動主義心理学(→ 行動主義)と明確に区別され、さまざまな新機軸をふくむ新しい心理学をつくりあげ、しかもその枠組みのもとに、心理学全体をつつみこもうという意気込みをもった心理学だ、という認識があるからである。ガードナーはこれを、端的に「認知革命」とよんだ。

その「認知革命」は、第1に、従来の厳格な行動主義が、外的刺激環境とそれに対する生活体の反応だけに関心をかぎったのに対し、今日の認知心理学は、その行動主義心理学が否定し、とりあつかうのをさけた「心」や「意識」あるいは「心的表象」といった、脳の中で生起していると考えられる過程に、積極的にとりくもうとしていることである。

第2に、それにとりくむときの基本的な枠組みは、「情報処理」というコンピューター科学の基本概念にそったものであり、人間の認知の働きをコンピューターの機能と重ねあわせながら理解しようとする姿勢をもっていることである。

そして第3に、従来の心理学が個々の事実を集積して、そこからボトムアップ的に理論や仮説を構築していく姿勢が強かったのにくらべ、今日の認知心理学は、これまでの姿勢にくわえて、多数の「認知モデル」をまず構築し、そのモデルの妥当性をトップダウン的に検討するという方法でも、研究を展開するようになったことである。

このような「認知革命」をもたらした要因を考えてみよう。

1 行動主義の行き詰まり

第1は、端的にいって従来の行動主義の行き詰まりである。

ワトソンの先鋭な行動主義宣言にはじまり、スキナーのオペラント条件付け理論によって発展をみた行動主義心理学は、およそ半世紀の間、心理学の世界に君臨したが、1950年代末になって言語学者のチョムスキーから批判をあび、それへのスキナーの反論が、どうみても有効な反論ではなかったところから、多くの心理学者が明らかな行き詰まりを感じはじめ、心理学の内部で「行動主義の限界」が指摘されるようになった。先のガードナーの「革命」という言葉にかけていえば、チョムスキーの行動主義批判は、いわば人心の動揺という「革命前夜」のエピソードだったといえる。

2 認知過程への関心

第2に、行動主義が支配的だったとはいえ、知覚や思考の領域は行動主義と対立していたゲシュタルト心理学の影響が強く、その伝統の中で、すでに刺激と反応を媒介する過程への関心がひそんでいた。

知覚は、刺激に対するたんなる反応ではない。バッターの打ったファウル・ボールがこちらにむかってとんでくるとき、とっさにそれをさけようとする。外部からの観察だけなら、ボールの進行方向と人間のさける反応との関係しか問題にならないようにみえる。しかし、さけようとする当事者にとっては、ボールがこちらへとむかってくるようにみえる、その「見え」と、ボールがあたりそうだという一瞬の判断が、さけるという最終反応の手前ではたらいている。知覚とは、まさにその「見え」や判断など、さけるという最終反応にいたる、認知の過程を問題にすることのはずである。

あるいは、ヌホ、キハ、チトのような1系列になった十数個の無意味つづりを1つずつ何回もくりかえし提示されるのを記憶し、その提示順に1つ手前を予言するという典型的な記憶実験を考えてみよう。

そのような刺激リストを何回もみせられた被験者は、いずれは十数個からなるその系列全体を記憶し、正しく1つ手前を予言することができるようになる。このときの被験者の行動を、外部からだけしか見なければ、刺激の特徴(無意味つづりの有意味度、刺激の系列位置、刺激の個数、刺激の提示回数など)と、個々の提示位置における反応の正誤、およびその頻度との関係しか問題にならない。

しかし実際に被験者になってみると、最初のうちは頭の中が混乱して、系列の最初と最後しかおぼえられないが、何度もくりかえして無意味つづりをみている間に、語呂合わせなど、なんとか前後の無意味つづりどうしの間に関連をつける試みが思いうかび、そのような努力をしているうちに、急にその1系列が頭の中にしっかりやきついた感じがしてくる、といった経験がえられる。この被験者の内観にみられるような過程こそ、人の認知の働きにほかならない。

厳格な行動主義はこのような刺激とそれへの反応を媒介する過程を、原理的には問題にしなかった(新行動主義はこの媒介過程を問題にしようとした)。しかし、実際に実験にとりくむ心理学者は、そのデータを解釈する際に、自分が被験者になったときの経験や被験者の頭の中に生じているであろう認知のさまざまな働きを推測して、「そのような認知の過程を無視することはできない」、「その過程の働きこそが当該の現象を理解する鍵になるのだ」と感じはじめていた。

つまり、ミラーのチャンク(情報のまとまり)という考え方やブルーナーの情報処理的な概念学習の考え方、さらに知覚学習の問題などに代表されるように、1950年代の心理学自身のうちに人間の内部で進行中の過程を問題にする土壌があり、これが認知革命にいたる準備段階となっていた。これはいわば、革命前夜における旧体制の内部崩壊の兆しということができる。

3 コンピューター・アナロジー

第3は、コンピューターの登場である。かつてフロイトは、人間の心的活動のイメージを、当時の代表的な機械であった蒸気機関車にもとめたといわれるが、今日の認知心理学は人間をコンピューターになぞらえることによってなりたつといっても過言ではない。その理由は、まずコンピューターは入力情報を処理する情報処理機械であり、しかもその出力情報の精度や価値が、その処理手続き(過程)に依存するような処理機械だという点で、処理過程と人間の知の働きの過程との間に、密接なアナロジー(類比)がなりたつことである。

1956年にニューウェルとサイモンが発表した人工知能プログラムは、人間の認知とコンピューターの働きとの関係を考えるうえで、ガードナーのいう「認知革命」の始まりをつげる意味をもっていた。もちろん、人間の認知の働きとコンピューターの働きは完全に、一致するわけではない。しかし、認知心理学は、ある点で「人間をコンピューターのようにみなす心理学」なのである。

このアナロジーによって、「心的表象」という、行動主義においてタブー視された、人間の内部過程にアプローチすることが可能になった。

コンピューターの場合、入力された情報はその処理過程においてなんらかの記号(たとえば2進法の数字の組み合わせ)で表現されていなければならない。人間を情報処理システムとみなすとき、処理過程におけるその内部情報の表現は、心的表象mental representationとよばれる。それが「心」や「意識」とぴったり対応するかどうかはともかく、まず人間の内部過程に入力情報が、なんらかの変形をうけた「頭の中の記号」があるという考えがみちびかれ、それへのアプローチがはかられるようになった。

他方、コンピューターは記憶されたプログラムにそって入力情報を処理する機械であると同時に、その途中の処理過程つまり情報処理の手続きが、多数の記憶回路を利用して記憶を変換する複雑な記憶装置でもある。コンピューターと人間とのアナロジーはここにもおよんでくる。つまり、人間の知覚や思考などの認知の働きにおいても、記憶の働きが重要な意味をもち、したがって認知心理学は、ある意味で記憶を重視する心理学だという点を示唆することである。認知革命は、皮肉なことに、行動主義が主力をそそいだ学習の、裏側にある記憶の問題にその革命の突破口をみいだしたのである。

4 脳神経科学の影響

第4は、脳神経科学など隣接領域の新しい知見が、情報処理過程の考えを助長したことである。人間の認知が脳の神経細胞間の複雑なネットワークの活動によるということは、今やだれもうたがわない。もちろん、神経細胞の働きが解明されれば心理学の問題は解決するわけではなく、そこには明らかに領界の次元の違いがある。しかし、認知の働きは、脳内過程に依存するのであるから、そのメカニズムがわかることによって、人間の認知の働きの理解がすすむことは大いに考えられる。

さまざまな認知モデルの妥当性は、脳の働きとの関連において考えられることがしばしばある。また知覚情報処理モデル自体に、認知革命の前後にヒューベルとウィーゼルが、ネコの脳の視覚受容野の研究から明らかにした、個々の神経細胞がもつ特定の形態分析機構の考え方が、とりこまれていたりするのである。

5 認知心理学の確立

そして最後に、認知心理学の名称の出所となったナイサーの「認知心理学」(1967)の出版である。この記念碑的な本の出版は、認知革命がいつおきても不思議ではない当時の状況下において、その革命を現にひきおこし、いまだあいまいなその動きにはっきりとした方向性をあたえ、それを具体的にリードする指導的意味をもつものであった。ニューウェルとサイモンの人工知能プログラム「ロジック・セオリスト」が認知科学の幕開けをつげるものだったとすれば、上述のミラーやブルーナーの研究や、ナイサーの本の基になったスパーリングの研究などがその先駆けになったとはいえ、幕を切っておとしたのはやはりナイサーのこの著書にあったといってよい。

心理学の歴史をふりかえれば、19世紀末から20世紀にかけて活躍したブントの内観中心の心理学から、20世紀にはいると、一方には行動主義による「学習」の領域が、もう一方にはゲシュタルト心理学による「知覚」の領域が、そしてもう一方には無意味つづりをもちいたエビングハウスの「記憶」の領域が枝わかれし、それぞれ相対的に独立して研究されてきたことがわかる。ところが今やこれらの領域は、それぞれの歴史の独自性をのこしながらも、より大きな「認知」という枠組みの中で、情報処理、内的表象、コンピューター、モデルというような合言葉によってかたられる、大きな分野の一領域として位置づけられるようになった。そして、ある意味ではブントの内観的心理学が、装いを新たに復権したとさえいえる。

こうして、従来の狭義の認知研究(知覚、記憶、言語、思考など)は、隣接するコンピューター科学、人工知能研究、神経科学などとの対話を強めながら、しだいにその影響を心理学全体へとおよぼすようになり、今や心理学全体に認知主義的アプローチを根づかせつつあるようにもみえる。それにともなって、それぞれの領域においては、過去につみあげられてきた知見を情報処理的観点からとらえなおしたり、新たに構築されたモデルにしたがってこれまでのデータを解釈したりする動きもあらわれてきた。

III 感覚・知覚の過程

今、音楽会で、オーケストラの演奏をきいている場面を考えてみよう。大勢の楽団員や多種多様な楽器がみえ、また彼らがその楽器を演奏している様子がみえる。楽団員は、左右と奥行き方向にひろがって配置され、その手前の中央には後ろ向きの指揮者がタクトをふりながら指揮をしている。奥にいる楽団員の中には前の人にかくれて見えにくい人もいる。つややかな茶色にぬられた弦楽器は、床の木部とはその質感が明らかにちがい、また金管楽器も形状や色の違いばかりでなく、つやの違いがあるのに気づく。ききなれた旋律の中に、むかって右側のチェロやコントラバスからは腹をゆさぶるような低音が、また第1バイオリンのパートからはなめらかな弦の高音が、そして中央後部のトロンボーンからはつんざくような金属音がきこえてくる。

コフカは名著「ゲシュタルト心理学の諸原理」の中で、「なぜ物は現に見えるとおりに見えるのか」と問いをたて、これにこたえるのがゲシュタルト心理学の課題だとのべた。認知心理学もまさにそのように問いをたて、それにこたえようとする。つまり認知心理学は、現に目の前にくりひろげられる知覚風景を、現象学的に記述するよりは、むしろ現に知覚されていることが、なぜそのように知覚されるのかを知る(説明する)試みなのである。

そこで先の音楽会の知覚風景を念頭におきながら、認知心理学では、これをどのように理解しようとし、その際、何が問題になるのかを考えてみることにしよう。認知心理学のモデルでは、まず外界の多様な情報が人間の感覚器官に入力情報として摂取されるところから出発する。ここでは視覚と聴覚に話を限定しよう。

1 感覚過程

視覚の水準では、たとえばある弦楽器から反射された光(視覚情報)が網膜の明暗をとらえる視細胞や、それぞれ赤色、緑色、青色をとらえる視細胞によって並列的にとりこまれ、その後、3次元的なその楽器の面を構成するように、とりこまれた視覚情報の輝度とスペクトルがその目的に応じて並列に分散処理される。聴覚の水準では、さまざまな楽器から発せられた音波が鼓膜につたえられ、そこで鼓膜の機械的振動に変換され、次にそれが耳小骨を経由して蝸牛(かぎゅう)管につたえられ、その基底膜を振動させる。そして、この基底膜にある内有毛細胞や外有毛細胞の働きによってその音波の周波数分析がおこなわれる。→ 眼球運動:耳

2 感覚器における情報処理

感覚器における細胞レベルの処理や分析は、感覚器に固有の制約をもち、視覚の場合は、光エネルギー(電磁波)だけが処理され、聴覚の場合には、音波だけが処理される(これを感覚器に対する適刺激という)。また古典的研究が明らかにしてきたように、適刺激であっても、それが処理可能となるためには、一定の範囲内の強度であることが必要である。処理されて知覚をもたらすのに必要な下限の強度の刺激を刺激閾(しげきいき)または絶対閾、上限の強度の刺激を刺激頂といい、また知覚可能な最小の刺激間強度を弁別閾という。刺激閾と刺激頂については、人間の耳に聞こえる音波は16~20000Hz(ヘルツ)の間であって、それを下まわるかあるいは上まわる振動数の音はきこえないという例がわかりやすい。また、弁別閾はそれぞれの感覚の様相によってことなるが、一般に基準となる刺激をS、弁別閾をΔSとするとき、ΔS/Sの比は一定であることが知られており、これはウェーバー比とよばれている。

3 感覚記憶

さて、このように末梢器官で処理され、心的表象(頭の中の記号)に書きかえられた多様な情報は、感覚記憶とよばれる機構に短時間保持され、そこでどの情報をより高次の処理にかけるか選択される。選択され処理された情報は、次の短期記憶に貯蔵され、それ以外の情報はそこで消失する。このことは、情報はたんに感覚過程から知覚過程へと、一方通行にながれるものではなく、すでに稼働している知覚過程から感覚過程の情報が、逆向きの影響をうけることがあること、したがって両過程は、相互作用することが示唆される。

視覚の場合の感覚記憶をアイコニック・メモリーiconic memoryとよび、そこに保存される情報をアイコンiconとよぶ。この記憶容量はきわめて大きく、またその保持時間はスパーリングの実験から、およそ0.2秒前後といわれている。また、聴覚の場合の感覚記憶をエコイック・メモリーechoic memoryとよび、そこに保存される情報をエコーechoとよぶ。エコーはアイコンよりもかなり保持時間が長いことが知られている。

4 知覚過程

先の音楽会風景で、今、指揮者の向かい側にいるビオラ奏者のビオラに注意をむけるとしよう。視覚の場合、まず網膜において処理された輝度とスペクトルから、どのようにしてビオラという物体の認識が、可能になるかが問題になる。ビオラは奏者の動きによって、あるいは聴衆である自分のちょっとした姿勢の変化によって、その形態のさまざまな側面をみせる。それは奥行きのある特有の形をもった3次元の物体としてみえ、こい茶色のつやのある肌理(きめ:テクスチャー)をもつものとみえる。

今日の認知心理学では、まずこれを「面」の再構成の問題と考える。3次元の面は形、両眼視差、陰影、肌理、色、明るさ、動きなどの次元をもっているが、網膜で処理された段階の情報では、これらの次元に関する情報が一体になっており、次の処理段階でこれらの次元(視覚モジュールという)がある程度独立して並列処理され、それらが最終的に統合されて、ビオラの知覚をもたらすと考えられている。

5 視覚的パターン認知

第1に、古くはゲシュタルト心理学が明らかにした図と地の分化である。選択的注意がビオラにむけられるとき、それが図になって前景にでて、その周辺の人や楽器は背景となって後景にしりぞく。最近の研究によれば、図の処理には解像度の高い低速処理がおこなわれる視覚チャンネルがつかわれ、地の処理には解像度の低い、しかし高速処理が可能な視覚チャンネルがつかわれるという。もちろん図と地の処理は、図の領域を図として明確に分化させるばかりでなく、輪郭や奥行き(→ 奥行き知覚)の情報処理など、ほかの処理過程と密接にむすびついている。

第2は欠落情報の補完の問題である。網膜の乳頭(いわゆる盲点)には光に反応する視細胞がないので、外界刺激がそこを横切って像をむすぶ場合には、われわれは途中でとぎれた形を知覚するはずであるが、実際にはそうはならない。そこから、視覚には欠如した情報を視野のほかの情報から補完するような働きがあることが予想される。

補完には断続した線分を1本の連続した線分にする完結化、欠落した色の部分をうめあわせる充填(じゅうてん)化があることが知られている。今、円形の一部に正方形をのせるとき、そこにできる図形は、正方形全体と円の一部が切れた図形とが、ぴったり隣接してできた図形とはみえない。むしろ正方形の背後に円図形があるとみるほうが自然である。欠落した部分を補完してその「固有輪郭」を構成することは、パターン認知には欠かせない働きである。

ある刺激パターンがあるとき、そのパターンが外的対象の何に対応するか、いいかえれば、そのパターンの意味は何かを知る働きをパターン認知という。これは、脳内あるいはコンピューターの場合は、システム内に書きこまれている概念(ある対象についての内的表象、コンピューターの場合はその対象についての知識表現)と、入力情報とをマッチングさせる過程でもある。

5A 鋳型照合モデル

その中でも、もっとも単純で以前から考えられてきたのは、頭の中にいくつもの鋳型があらかじめあって、それと入力情報とが照合されるという鋳型照合template matchingの考えである。実際、カエルの網膜には、虫の像(あるいはそれに似た形)がうつったときに応答する細胞があることが知られている。また、初期のコンピューターの図形認識は、この鋳型照合のモデルにもとづいておこなわれるものが多かった。

このモデルは、刺激パターンの大きさや傾きなどが鋳型とずれた場合にどうするかに問題をのこしている。すなわち、ことなる条件それぞれに対応する鋳型を考えるのは、鋳型の数が膨大にならざるをえない点で問題であり、また刺激パターンのほうをあらかじめ正規化するように前処理がほどこされるのだと考えるのも、その正規化の複雑な処理を考えなければならない点が問題である。

こうして、鋳型照合モデルはさまざまな難点をもつと当初から考えられてきたが、最近では鋳型を実空間の中で考えない、新しい鋳型照合モデルも提出されている。

5B 特徴抽出

次に考えられるのは、ある図形を他から区別してとらえるうえに有効な複数の示差的特徴(distinctive features=水平・垂直・斜めの線分、閉曲線、交点など)を抽出してリストをつくり、個々の示差的特徴の有無によって、その形を代表させる(内的表現とする)というモデルである。このような特徴分析的な認知モデルとしては、セルフリッジのアルファベット文字を識別するためのパンデモニアム・モデルが有名である。

たとえば文字Rの識別は、その刺激パターンがまず「イメージ・デーモン」の層において内的表象(内部表現)に変換され、次にその変換されたデータが「特徴検出デーモン」の層(これは28個の特徴のリストからなる)において、それぞれの特徴の有無に関する並列処理をうけ、その出力が「認知デーモン」の層にいれられる。この「認知デーモン」は特定のアルファベット文字をみはっていて、特徴検出デーモンからの出力に該当するものがあれば活性化する。これによっていくつか活性化する文字があるなかで、特徴検出デーモンからの入力を多数ふくむものが「決定デーモン」の層で判別されて、「R」という文字の最終認知に到達する。

この特徴検出に関しては、神経生理学的水準でもそれに類するものがあることが知られている。たとえば前出のヒューベルとウィーゼルは、ネコの視覚受容野の神経細胞には、単純細胞、複雑細胞、超複雑細胞の3種があって、それらは線分、傾き、角、境界などの刺激特性に選択的に反応することをみいだし、これらを特性検出器とよんでいる。また、視覚神経系の中には、両眼視差や刺激の動きとその方向などの特性を抽出する神経回路があることも発見されており、それらは奥行き知覚や運動知覚に関連があるといわれている。

5C 3次元知覚モデル

これまでみてきたのは2次元のパターン認知であったが、実際の物体の知覚は、ほとんどが3次元的である。ここで、網膜の2次元的なデータからどのようにして3次元的な特徴を再構成するのか(認知するのか)という問題が生じる。しかもその物体の同定は、観察者の移動や対象物の動きによって観察点が変化すれば、3次元の物体の2次元的像の形状がいちじるしく変化するという制約のもとでおこなわれなければならない。

とくに工学的な画像処理などでの対象の同定過程では、観察点に左右されない形状の特性抽出が必要になってくる。マーによれば、どのような物体も、長さと太さがことなる何個かの円筒形によって、内的表象(内部表現)をえがけるという。ちなみに人間は、頭部、胴体、両手、両足の合計6個の円筒形で表示される。同じくビーダーマンは、弧や線分から構成されるジオンgeonという名の36種の立体(のちには24個に縮減)を考え、これによって物体の内部表現を考えようとしている。

5D 総合による分析モデル

以上のモデルは対象の特徴を分析し、いわばボトムアップ型に情報処理を考えるものであった。そこでは背景や文脈効果、知覚主体の動機付けなど、周辺情報や主体的要因が顧慮されていない。これに対してナイサーは「総合による分析モデル」を提唱する。それによれば、刺激の予備的分析、背景情報や文脈情報との対照、既存の知識などにもとづいて、まず対象についての仮説が構成される(この刺激パターンはAである、という仮説的同定判断がなされる)。次に、その仮説的対象から予想される特徴が、あたえられた刺激にふくまれているかどうかの分析がおこなわれる(これが対象Aであるなら、それはその示差的特徴fをもっているはずだ)。それが検出されれば同定は確定し、仮説とことなる特徴がみいだされれば仮説が修正されて同じ処理がくりかえされる。

総合と分析が循環する情報処理がおこなわれ、最終的な認知に到達する。このモデルは、刺激の情報処理が仮説からトップダウン型に展開されるという点で、これまでのモデルとはことなり、選択的注意や刺激の特徴探索が、その暫定的仮説に規定されることを示唆している。

5E ナイサーからの発展

ナイサーのこのモデルは、パターン認知における文脈効果や選択的注意の問題を喚起して、多数の研究を生みだした。一般に対象の認知は、それが文脈に適合している場合には、促進され、適合していない場合には、妨害される。また、対象があいまいであるときほど文脈効果はいちじるしいことも知られている。ここに文脈とは、ある事物がどのようなものと同時にあらわれることが多いか、という空間的文脈、ある事象は、どのような継起においてほかの事象とつながっているか、という時間的文脈にわかれ、それぞれは、後出の経験的知識(スキーマやスクリプトあるいはヒューリスティクス)に依存している(→ シェム)。

6 選択的注意

感覚器で処理された情報がアイコニック・メモリーにはいっているときは、まだ前注意の状態にある。そこには外界の多様な情報がはいっているはずであるが、われわれの認知はそのごく一部分にかぎられるところをみると、そこに情報の取捨選択がはたらき、それを支配しているのが選択的注意の過程であると考えられる。この選択的注意は、視覚的にはたらくばかりでなく、聴覚的にもはたらく。大勢の人の声の中から特定の人の声をききわけることができるのは、選択的聴取の働きによる。

選択的注意の働きはさまざまなメタファー(比喩)によって考えられてきた。そのひとつはスポットライト・メタファーである。これは一定の注意領域内にある情報の処理が促進され、しかもその注意領域が移動するという考えにもとづくもので、このスポットライトの大きさや移動の速さなどがしらべられている。

もうひとつはズームレンズ・メタファーである。これは注意領域の大きさは知覚事態によってかわるのではないか、との考えにたち、カメラのズームレンズは、ひろい視野をカバーするときは、その空間解像度は低下し、視野がせまく限定されるときには、その空間解像度はあがるところから、注意にもこのズームレンズの働きに相応する働きがあるのではないか、というものである。このメタファーは、いろいろな点でスポットライト・メタファーと対立するので、種々の実験によってどのような事態にどちらのメタファーがより適切かの条件がしらべられている。

6A 眼球運動との連関

選択的注意と眼球運動との関係は、注視点のサッケード(飛躍運動)によってしらべられてきた。たとえば、周辺視野にある目標物がとらえられるとき、そこに注視点がさっと移動し、中心視によってそれをとらえなおすような変化がおこる。このときの注視点の移動をサッケードとよぶ。

一般に1点に凝視点が停留している時間は、およそ0.2秒、そして停留点から次の停留点までのサッケードに要する時間は、およそ0.05秒、さらにサッケードの間は、網膜情報処理が抑制されることが知られている。このようなサッケードが、選択的注意と関係があることはいうまでもない。

6B さまざまな課題

これまで、認知心理学の問題の立て方や議論の仕方を駆け足で概観してきた。音楽会のシーン全体を視野にとらえた状態から、ビオラ奏者に注意をむけ、さらに楽器のビオラに注意をむけ、その3次元的な物体をビオラと同定する過程が、さまざまなモデルでどのように説明されるかをみてきた。しかし、古典的な知覚研究との関連からすれば、なお形や大きさの恒常性(→ 知覚の恒常性)という問題や、奥行き知覚の問題、奏者の運動と知覚との関係などが明らかにされなければならず、ひとつの知覚的風景の視覚面にかぎってさえ、それを今の認知心理学の枠組みのもとに完璧に理解することがいかにむずかしいかがわかるだろう。

さらに聴覚的側面についていえば、オーケストラの演奏をとおして耳にはいってくるさまざまな楽器の音が末梢感覚器において周波数分析にかけられることは、すでにみたとおりである。しかし少なくとも、わたしの耳は、楽器全体がかなでる音のハーモニーをききながら、他方でそれぞれの楽器の音をその位置に定位することができ、また注意をビオラにむけるときには、その音のハーモニーの中に、バイオリンやチェロの音とは区別してそのビオラの音をききわけることさえできる。

このような音源定位の問題や音脈分凝の問題もわれわれの聴覚的認知の基本的な問題であろう。つまり、聴覚の末梢部位でえられた情報がどのように分解されて、音源定位と音脈分凝をもたらすかという問題である。

さらに、今きこえてくる旋律は、ある作曲家のある作品のある楽章であることをわたしは知っており、次にどのような旋律がくるかを予期し、しかも、すでに何度もききなれた著名な指揮者による名盤の演奏と比較して、今耳にするその演奏がうまいのかへたなのかの審美的な判断もおこなっている。音楽会である演奏をきくということは、このように現在の聴取経験と過去の経験とが混交するなかで、審美的判断をもふくむさまざまな認知が同時進行するということなのである。このような視覚的、聴覚的な知覚過程に記憶過程がからんでくることはいうまでもない。

IV 記憶過程

一般に記憶とは、過去におこった出来事がなんらかの形で頭の中に保持され、ある時間を経過したのちに、それが必要に応じて想起され、なんらかの形で再生される過程と定義することができる。

(1)友人とであい、1週間後に再会を約束してわかれた人が、1週間後にその約束を思いだして約束された場所にでかけるというのは、記憶の働きによる。(2)授業で学習した外国語の単語を試験にそなえておぼえ、試験の問いにこたえるというのも記憶の働きによる。(3)ある犯行を目撃した人が、かなり時間が経過したのちに、その時の出来事を証言台で証言するというのも、記憶の働きによっている。

これらの例をふりかえりながら先の記憶の定義にもどってみると、出来事がおこった過去を起点にすれば、記憶の問題は、その過去の出来事から現在の行動へ、という時間の流れに順向した過程と考えることができる。しかし、現在を起点としてこれを考えれば、記憶の問題は、今ここから時間をさかのぼり、過去の出来事にたどりつく、という想起の問題だということになる。

3つ目の証言の例などでは、過去の出来事が、客観的にどうであったかは不明であることが多いから、想起された過去の出来事にもとづく証言は、証言する主体にどれほど過去の出来事そのものの再現だと思われようとも、その主体によって「構成された」という一面をもたざるをえない。

しかしながら、エビングハウスにはじまる記憶研究の歴史は、記憶を基本的には過去の出来事を起点にした、時間に順向する過程として、研究してきたといえる。すなわち、過去の出来事(刺激)→記銘(頭にやきつける)→保持(頭の中に保持する)→想起(思いだす)→行動(反応)という時間の流れにそった過程としてである。今日の認知心理学でも、記憶の問題は、情報処理の観点から、入力(刺激)→コード化→貯蔵→検索→出力(反応)という流れで考えられている。

1 コード化

外界の膨大な情報は、感覚器での処理を経由して、感覚記憶に一時的に保存される。その膨大な情報のうち、重要な情報だけがとりだされ、優先的に処理システムにとりこまれる。そのとりこまれた情報を、後処理が可能な表現形式に変換する過程を一般にコード化という。

1A コード化の種類

今「コンピューター」という印刷された言葉をおぼえるようにいわれた人は、この刺激のどのような属性に注目して、記憶しようとするだろうか。まず第1に考えられるのは、これをよんだときの音韻の属性をそのまま頭にやきつけようとするやり方で、これは「音韻的コード化」といわれる。

次に、これを文字のかたまりとして視覚的にとらえ、それを頭にやきつけようというやり方があり、これを「視覚的コード化」という。さらにこの刺激の意味を考え、その意味として頭にやきつけるやり方があり、これを「意味的コード化」という。これらのコード化は、記憶すべき材料によって、あるいはもとめられている記憶課題によってことなることはもちろんであるが、記憶する主体のコード化の方略(ほうりゃく)や利用する文脈などによってことなってくることが知られている。

1B 処理水準

クレイクとロックハートは、コード化の種類は、情報の処理の水準、ないしその深さという点で同じではなく、そのことが記憶の保持の違いになってあらわれてくると考えた。

たとえば、音韻的コード化や視覚的コード化は、刺激の属性をそのままやきつける方略であるから、「浅い」処理の水準に属し、これに対して意味的コード化は、刺激の属性ばかりでなく、その意味や文脈情報をふまえてなされるものであるから、より「深い」水準の処理に属すると考えられる。そこから彼らは、コード化における処理水準説を提唱したわけである。この仮説を支持する研究者は多く、またその裏づけとなるかにみえるデータも多数ある。しかしながら、その処理の水準ないしは「深さ」の違いを、記憶の保持の違い(テストの成績)から切りはなしてとらえることがむずかしいために、完全に確証された考えにはなっていない。

処理の「深さ」ばかりでなく、「精緻化」や「差異化」など、横の広がりにおける処理との関連も考えあわせる必要がある。さらに、コード化は、単一の次元のコード化ばかりでなく、言語的コード化とイメージ的コード化が、同時におこなわれるという二重コード化説も提唱されている。

V 短期記憶(作業記憶)

コード化された情報が、現在進行中の認知活動に利用されるために、短時間の間だけ記憶に貯蔵される事実は、比較的はやくから知られ、短期記憶とよばれてきた。手帳に書いてある電話番号をみて、そのとおりにプッシュボタンをおして電話をかけることができたのちに、たちまちその番号をわすれてしまうというようなことが、われわれの周囲には無数にあるからである。もちろんこの短期記憶という用語は、時間的に持続した認知活動に、いつでも利用できる可能性をもった、長期記憶と対比されるものである。

クラツキーは、この短期記憶の機能は、たんに情報を短時間保持するだけではなく、コード化された情報に、種々の心的操作をくわえることを可能にするところにもあるとみて、これを「作業記憶」とよんだ。いわば大工の作業台のように、あるスペースのもとでさまざまな加工が可能になるという意味である。

たとえば、音韻的にコード化された情報をリハーサルするとか、視覚的にコード化されたイメージ情報を、頭の中で空間的に回転させるとか、あるいはコード化された情報を再コード化するなどの心的作業である。これまでの研究によれば、記憶保持の容量と作業スペースという作業記憶のもつ二重の機能は、一方がふえれば、他方がへるというトレードオフの関係にあることが知られている。

1 記憶容量

短期記憶の記憶容量は、記憶すべき項目を提示順に、どれだけただしく記憶できるかをしらべる、「直接記憶範囲課題」によって研究されてきた。音声的に提示される数字列を復唱するような課題である。ミラーはひとまとまりになった記憶の単位を「チャンク」とよび、直接記憶範囲、つまり短期記憶の容量は7 ± 2チャンクであると主張した。11桁(けた)の数字列をそのまま記憶するのはむずかしいが、電話番号のように、地域番号、局番、戸別番号にわければ、それはチャンクにして3であり、じゅうぶんに短期記憶容量内にあるから容易におぼえられるというわけである。初期には、この短期記憶に7個の収納庫があるという考えもなされたが、今日では、記憶容量は情報処理能力とむすびつけて考えられている。

2 短期記憶の時間

短期記憶の存在は、前にのべた手帳をみて電話する例のように、記憶にもとづいてある行為がなされたのちに、その記憶が、短時間後にうしなわれる事実によって、確認されてきた。そしてその忘却をふせぐうえで、リハーサル(頭の中での復唱)が利用されることも、われわれの日常生活から明らかである。

短期記憶の保持時間を知るためには、このリハーサルをおこなわせないようにする必要がでてくる。この妨害手続きとして、ブラウンとピーターソン夫妻はほぼ同じころに、独立して次のような手続きを考えた。すなわち、アルファベット3文字つづりを提示して記憶させ、その直後から、被験者にはメトロノームにあわせて3桁の数字(たとえば785)から3ずつ減じた数字を順々にいわせ、ある時間経過したのちに合図をあたえて刺激の文字つづりをいわせる。これは、短期記憶の保持時間を推定する典型的な実験手続きとして、ブラウン-ピーターソン法とよばれている。

その結果、文字つづりの短期記憶は、時間経過とともにうすれ、リハーサルを妨害されれば、およそ18秒後には再生できなくなることがわかった。この実験結果から、短期記憶は、一時的な記憶の貯蔵庫であり、その保持時間は、最大18秒で、そこでリハーサルなどの処理がくわえられなければ、その情報はうしなわれると考えられた。しかしその後の研究から、保持時間そのものは、提示される刺激の情報量や、利用できる処理容量と関連していることも、明らかにされている。

3 作業記憶モデル

上記の短期記憶研究は、リハーサルやイメージの空間的回転などの心的操作が、そこに関与してくることを示唆し、それがクレイクらの作業記憶の考えをもたらすことになった。これをうけてバッドリーは、作業記憶の機能をより明確にしめした作業記憶モデルを提唱している。これは、中央制御部に、音声ループ(聴覚バッファー)部と視・空間スクラッチ・パッド部とよばれる構成要素をくわえた、3つの部門からなりたっている。中央制御部は、限度のある情報処理容量を2つの下位部門にそれぞれに配分し、その働きを制御する注意システムである。音声ループ部は、聴覚的情報の保持のための聴覚的バッファー(漏出防止装置)で、そこでリハーサルがおこなわれる。他方の視・空間スクラッチ・パッド部は、視覚的、空間的情報を短期的に保持する視覚的バッファーで、そこでイメージを形成したり、それを回転したり、走査したり、さまざまな心的操作が可能になる。このモデルは、中央制御部の機能など、まだ解明されていない点もあるが、作業記憶の機能を考えるうえに有効なモデルとして引用されることが多い。

4 作業記憶における心的操作

この作業記憶にも検索過程があることが知られている。たとえば、3、8、5、7のような4つの数字を提示して、これを記憶させ(直接記憶範囲内なので容易である)、その1~2秒後に8や9のような数字1字を提示して、それが先の数字列にあったかどうかをできるだけはやくイエスかノーで判断させる。この場合、作業記憶の中に保持されている数字列を走査し、それと目標刺激が合致するかどうかによって、判断がなされると考えられる。数字列をすべて走査する場合を「悉皆(しっかい)型走査」、走査の途中で正解にであって判断がなされてしまう場合を「自動打ち切り型走査」とよぶ。この種の実験によって、被験者が、作業記憶(短期記憶)に走査をくわえていることが明らかになる。

作業記憶における重要な心的操作のひとつは、これまでにも見てきたリハーサルである。リハーサルは、作業記憶の処理容量をかなり消費するらしい。今、リハーサルの容易な記憶課題とリハーサルの困難な記憶課題をあたえる2群を用意し、一定時間持続するリハーサル中に、ブザー音をならして、できるだけはやく、キー押し反応させるという第2課題をあたえる。この2群の結果をブザー音をきいてすぐキー押し反応するだけの、対照群と比較すると、反応時間は、困難なリハーサル群ほど長く、対照群がもっとも短いことから、リハーサルが処理容量を消費していることがたしかめられる。これらのリハーサルの研究から、リハーサルには、短期記憶に情報を保持し、あとの再認課題の成績を向上させるように機能する「維持リハーサル」と、長期記憶に転送するために、さらに処理をくわえる「精緻化リハーサル」の2種類があることが知られている。

ほかにも、作業記憶においては、一度コード化されたものをふたたびコード化するような心的操作がくわえられることがある。この再コード化には、チャンクによるまとまりをさらに高次のチャンキングによって、まとめるというもの、定位法やペグワード法のようにイメージを利用するものなどがある。再コード化にイメージの利用が有効であることは、たとえば鍵と馬など2つの名詞を対連合させて学習する課題をあたえられたとき、「馬が鍵をくわえている」というように2つをむすびあわせたイメージを形づくることによって、その学習課題の成績が、飛躍的に向上する事実にみることができる。また定位法とは、既知の場所に項目のイメージをはりつけていく方法で、のちに検索するときに、既知の場所を手がかりにすることによって想起が容易になるというものである。

VI 長期記憶

長期記憶とは、旋律の一部をきいただけで曲名や作曲者が思いだされたり、場合によっては、その曲を初めてきいた場所や状況さえも思いだされたりするような、今現在の認知活動につかわれてはいないが、必要になればいつでも検索してつかうことのできる、永続的に貯蔵された情報のことである。それは、図書館に収納された本のように、ただ検索されるのを受動的にまつような性質のものではなく、種々の形でコード化されて保存され、現在の認知活動に応じて、検索の可能性が変化していくような、力動的なシステムをなしているものと考えられている。

1 長期記憶の種類

長期記憶には、言語や概念や規則など、言語をとおしてその意味が一般的な知識としてたくわえられている「意味記憶」(それが記憶された場所や日時を超越した記憶)と、何月何日にある場所でかつてのクラスメートとであったというように、ある個人的な出来事が長期間にわたってたくわえられている「エピソード記憶」(場所や日時が特定される記憶)がまず区別される。

さらに、習得した技能のように、場所や日時が特定されないという点では、エピソード記憶ではなく、言語的な意味にいちいちまとめられないという点では、意味記憶でもない、むしろ体がおぼえているという比喩があてはまるような記憶がある。エンジンを始動して、ギアをローにいれ、アクセルをふむというように、一連の運転動作の手続きをいわば手や体がおぼえているような場合がそれで、これを「手続き的知識」という。前二者の記憶内容は、言語的に「これこれは何々である」と記述できるのに対して、3番目の手続き的知識は言語的に叙述することがむずかしい。そこで前二者を一括して宣言的知識とよび、後者の手続き的知識と対比することがある。

2 貯蔵容量と保持時間

感覚記憶や短期記憶(作業記憶)とくらべると、長期記憶における情報貯蔵量は膨大で、保持時間も感覚記憶や短期記憶が秒単位から数分の単位だったのにくらべると、数分から数時間、ときには数十年間にもおよぶ。子供のころに見たうつくしい風景がはっきり脳裏にやきついていて、30年ぶりにその風景に接したときにも、以前見たのとまったくちがっていないという印象をうけることがある。

とくに、視覚イメージの長期記憶はかなり良好であることが知られており、犯人の顔写真照合によるヒット率の高さにその一端がうかがわれる。バーリックとウィットリンガーの調査結果によれば、高校時代のクラスメートの顔写真と名前のマッチング課題では、卒業後14年までは90%前後の正答率であり、卒業後30年を経過してもなお、60%以上の正答率であったという。

3 目撃証言

視覚イメージの長期記憶がかなり良好だという議論に矛盾するようだが、目撃証言における記憶は、あいまいになる可能性が高く、したがって目撃証言の確度については疑問視されている。

とくに問題なのは、顔の再認は、比較的良好であるにもかかわらず、そのエピソードの場面や状況の記憶があいまいなことが多いことである。ロフタスとパーマーによれば、ある自動車事故の映像を被験者にみせたあとで、「車はどれぐらいのスピードでぶつかったか」と質問したときと、「車がぺしゃんこにつぶれたときのスピードはどれぐらいだったか」と質問したときとでは、後者のスピード見積もりが明らかにはやかった。

ロフタスはこのような研究から、出来事の細部の記憶は、あたえられる質問によって誘導されやすいことを指摘している。ここには長期記憶に保持されている情報が、検索過程と相互作用して、言語的再生に転化する事情の一端がしめされている。さらに、記憶されたイメージを言語化するときの言語による2次的加工の問題もあり、目撃証言と「客観的事実」との対応のむずかしさがいわれている。

4 長期記憶へのコード化

短期記憶の情報を長期記憶へ転送するうえで、精緻化リハーサルが有効である。精緻化とは、概念的に関連のあるものをまとめたり、相互の間に意味連関をうちたてたり、できあいの知識にくみこんだりする、体制化の操作のことである。たとえば、何種類かのカテゴリーからそれぞれ複数の要素をとりあげて、それをランダムに配列したリストを記憶させ、それを自由再生によって再生させると、被験者の中には提示した順にこたえる者もいるが、なかには、カテゴリーごとにクラスターにわけて、再生する者もでてくる。これは、短期記憶から長期記憶に転送される段階で、カテゴリー群化の精緻化がおこなわれたことの結果である可能性が高い。

4A 主体的体制化

タルビングは、被験者は受動的に刺激をうけとるだけの存在なのではなく、情報に積極的にはたらきかけ、自分なりのなんらかの基準をつくりあげてそれを体制化していると考え、これを主体的体制化とよんだ。日本の県庁所在地にあたる都市名を20個とりだしてランダム順に1回提示し、その自由再生をもとめると、被験者の中には、頭の中で日本地図を北から南へと走査しながら、答えを再生する者がでてくる。このような再生方略も、精緻化における主体的体制化のあらわれと考えることができる。

4B 分散か集中か

学習の反復もリハーサルの一種と考えられる。反復学習が長期記憶を安定させ、試験などにおいてすばやく解答するうえに有効なことは、日常的にもよく知られていることである。この反復学習を集中的におこなうのが有効か分散的におこなうのが有効かについては古くから検討され、一般に分散学習のほうがより効果的であることが知られている。このような分散効果が生じるのは、集中学習ではまず最初の学習時に1回目の処理がおこなわれ、まだその処理効果が存続しているところに次の学習がくるので、この回は処理の必要がなかったり、あっても浅い処理ですむのに対し、分散学習ではインターバルがあるためにそのつど深い処理がなされなければならず、それによって記憶が確固としたものになるのだという説明がある。これを分散効果を説明するための注意仮説という。

もうひとつの説明は次のようなものである。連続して学習する場合には文脈が同じである可能性が高いのに対し、分散学習の場合には長いインターバルの間に文脈も変化する可能性があり、文脈がことなればコード化も多様になる可能性がある。コード化が多様であれば、それだけ検索の手がかりがまし、結局は検索が容易になって成績が向上する。このような説明はコード化多様性仮説とよばれる。

5 忘却

一般に、長期記憶の取り出し方には、再生、再認、再構成、再学習という手続きがあり、そのどれをえらぶかによって成績はことなってくる。実際、試験を例に考えれば、再生は、穴埋め問題、再認は選択問題、再構成はあたえられたいくつかの用語から意味ある文章を作成する問題である。

5A 忘却曲線

ふつうはもちいられないが、もっとも敏感な記憶のテストは、再学習法である。これはエビングハウスの古典的研究にもみられる。彼は、最初の学習(原学習)に要する試行数と再学習の差の割合を「節約率」と名づけた。この節約率は、時間の経過とともに減少する。これをグラフにあらわしたものがいわゆる「忘却曲線」である。

このグラフは一見、時間とともに記憶がうすれることをしめしているようにみえるが、節約率がゼロにならないということは、いったん記憶されたものは、なかなか忘却されないことをしめしてもいる。たしかに再生や再認というとり出し方では、記憶はゼロにひとしいという結果になる場合もでてくるが、再学習をさせてみると、なんらかの「節約」がみられ、むしろ記憶をゼロにすることはむずかしいことがわかる。

5B 忘却の仮説

しかし、一般に時間経過によって記憶がうすれることは常識に合致しており、これを説明するための仮説がいくつか提出されてきた。そのひとつは、記憶痕跡減衰説で、これはエビングハウスの忘却曲線を説明する理論でもあった。

これに強く反対するのが干渉説で、それによれば忘却の原因は時間ではなく、時間経過中に生じた出来事についての精神活動が記憶過程に干渉をひきおこしたというものである。

このような古典的な学説に対して、記憶過程そのものを考える立場からは、検索失敗説がある。タルビングらは、先に紹介したカテゴリー群化が、可能な刺激リストの自由再生で、カテゴリーに群化して再生するように、手がかりをあたえると(手がかり再生)、自由再生よりも全体として成績があがることから、自由再生に失敗するのは、記憶がうしなわれたからではなく、検索に失敗したからだと考えた。この考えは、記憶情報の利用可能性と記憶情報へのアクセス可能性を、区別する必要があることを示唆している。

6 検索過程

記憶テストにもちいられる再生と再認は、検索過程と密接につながっている。再認の場合、思いだすべき項目はそこに提示されている。それゆえ、貯蔵されている記憶表象とのマッチングを直接におこなうことができ、消去法が採用できる。再生はこれができないために、成績は一般に再認よりもわるい。

こうした検索過程に関するモデルのひとつに、生成・再認説がある。これは、再生課題の場合、まず質問を手がかりにして、2次的な検索手がかりをつくりだし(生成)、それにもとづいて記憶表象をしらべ、可能な候補を選出し、それと記憶された項目とのマッチングによる、再認段階(再認)に移行するという2段階説である。再生課題は、この2段階を経由するのに対し、再認課題はこの2段階の後段だけですむ。そこに成績の差がでる理由があるという。

この説を支持する研究者や実験結果は多いが、このほかにも、タルビングのコード化多様性説やジョーンズの二重経路説など、これとことなる理論も提出されており、検索過程については、多方面から検討がくわえられている。

VII 知識の体制化

本来これは意味記憶や記憶表象、コンピューター科学の文脈では知識表現knowledge representationなど、長期記憶の枠組みに位置づけられるものであるが、ここでは長期記憶が、知識としてどのように体制化されているか、また知識は、現在の認知活動にどのように稼働されるかに関する研究の一端として簡単に紹介する。

1 カテゴリーの体制化

われわれはさまざまな事物について概念を形成し、それによって事物の本質的な特徴を理解している。本質的な特徴とは、その事物を定義するものといいかえてもよい。たとえば三角形とは「内角の和が2直角となる図形」、円とは「中心からの距離が一定である点の集合」であり、逆にこの定義をみたすものはそれぞれ三角形や円という概念にふくまれるものである。

しかしながら、われわれが日常経験する自然概念(カテゴリー)は、みなこのように明確に定義されているかといえば、かならずしもそうではない。ロッシュは、自然物のカテゴリーは、それぞれ辞書的定義によって、たがいの境界を明確にする形で、体制化されているわけではないことを明らかにした。

ロッシュはまず「基礎カテゴリー」という概念を提示する。これは、三毛猫、シャム猫、ペルシャ猫、シマ猫など多様な猫が一般には「ネコ」という同一名でよばれるように、個々具体の個物が自然界でとる自然なまとまりのことをさす。鳥、魚、リンゴなども同様に基礎カテゴリーである。ロッシュによれば、それぞれの基礎カテゴリーは、複数の上位カテゴリーや下位カテゴリーをもつ。ネコの場合であれば、動物や哺乳類がその上位カテゴリーであり、上にしめした三毛猫、シャム猫、等々がその下位カテゴリーである。

1A 属性

下位カテゴリーに属する個々の事物は、それぞれいくつかの属性をもっている。これらはその個物にだけある特徴もあれば、ほかの下位カテゴリーに共通するものもある。その点からすれば、基礎カテゴリーは下位カテゴリーの個物に共通する属性をもつと同時に、その属性がほかの基礎カテゴリーの属性との示差性を明らかにしているということになる。

基礎カテゴリーである「ネコ」は、特有の形、大きさ、泣き声をもち、俊敏さ、体や毛並みの柔らかさ、肉食などの特徴や属性をもち、それらの一部は基礎カテゴリーの「イヌ」と重なるにしても、ほかの多くの属性は「イヌ」のそれとことなることによって、われわれは「ネコ」を「イヌ」と見まちがえることはまずないのである。

ロッシュの考え方の特徴は、知覚世界の中の事物は属性の束によって特徴づけられ、属性の束の相違がカテゴリー間の差異を説明するとみるという点にある。

1B 族類似性

ロッシュはさらに同一カテゴリー内の成員間の関係を考え、個々の成員は「族類似性」(family resemblance)によってむすばれているとみる。この考えの背後には、あるカテゴリー内の成員は、その典型性の程度において順位づけられる、という考えがある。たとえば、「鳥」というカテゴリーにおいて、スズメやウグイスは、その形状や飛翔(ひしょう)の形態などの点からして、だれもが「鳥」カテゴリーの典型的成員だと考えるが、定義の上ではたしかに鳥カテゴリーにふくまれるものであっても、フクロウやニワトリ、さらにはダチョウになると、典型性の点では、順位は明らかに低くなると考えるだろう。

典型性の高い成員どうしは、共通属性を多くもち、したがって族的類似性が高い。この原理にもとづけば、同一カテゴリー内の成員を2次元空間に配置することが可能になる。実際、ある個物があるカテゴリーの成員であるかどうかをできるだけはやく判断させるとき、その反応時間は、典型性が高いほどはやいことが知られている(典型性効果)。

2 意味(命題)ネットワーク理論

概念や名詞の意味を考えるときに、意味特徴semantic featureの集合によってそれを表現することが、これまで幾度となくこころみられてきた。たとえばスミス、およびショーベンとリップスは、コマドリとニワトリと鳥の意味を意味特徴によって表現することをこころみた。それによれば、そのいずれも「うごく」「翼をもつ」「羽毛がある」という共通する意味特徴をもついっぽう、「飛翔する」は、コマドリと鳥に共通するが、ニワトリは、この意味特徴をもたないこと、また「さえずる(→ 囀り)」や「小さい」という特徴もニワトリはもたないことなど、先のロッシュの属性の集合という考えに近い整理が可能になる。

彼らはさらに、それぞれの特徴に0から1の間の数値による重みづけを考えた。つまり数値の1.0は、その事物を特徴づけるうえで、その意味特徴が、本質的に重要であることを意味する。たとえばニワトリの意味の理解にとっては、それが「飛翔する」という特徴の重みづけが低いというばかりでなく、むしろ「あるく」とか「トサカをもつ」などの特徴の重みづけが高い、ということが重要だということになる。この確率論的意味特徴説は、われわれの言葉の意味理解の一端を比較的よく説明するものとうけとめられている。

意味(命題)ネットワーク・モデルを、コンピューターによる言語理解モデルとして、最初に提唱したのはキリアンで、このモデルはのちの研究に大きな影響をおよぼした。この意味(命題)ネットワーク・モデルには、いくつかの特徴がある。まず意味ネットワークの要素は、ノードとよばれる「点」でしめされ、それは上位カテゴリーや基礎カテゴリー、あるいは下位カテゴリーなど、記憶における個々の概念をあらわす。そのようなノードとノードが、矢印(方向性)をもった線でつながれて、ネットワークが構成される。まず個々の概念(ノード)は「もつ」「できる」「である」の3種類によって表示される。つまり、ある概念はいくつかの属性を「もつ」。またその概念は、いくつかの機能や働きをすることが「できる」。また、ある概念と他の概念との関係は、一方が他方の事例「である」という関係や、一方が他方の部分集合「である」という関係によってしめすことができる。

2A 階層構造

こうして階層構造をなすネットワークが構成される。一例としてカナリアとダチョウ、鳥、動物の意味的ネットワークを考えてみよう。まず動物は、生物の部分集合であり、頭や足をもち、食物を食べることができ、代謝や生殖の機能をもつ。鳥は、動物の部分集合であり、羽や翼をもつが、とぶことができるものもあれば、できないものもある。カナリアは、その鳥の部分集合であり、黄色い色をもち、とぶことができ、目の前のカナリアはその事例である。他方、ダチョウは同じく鳥の部分集合であり、羽と翼をもつが、とぶことができない。

このネットワークの特徴のひとつは、カナリアの場合、食べ物を食べることが「できる」という特徴が、そのノードに直接記入されていないにもかわわらず、間接的に規定できることである。つまり、動物は、食べ物を食べる。鳥は、動物の部分集合であり、カナリアは、鳥の部分集合である。それゆえ、カナリアは、物を食べるという関係が規定されてくる。このように、部分集合の考えによって、意味が階層化されていると考えれば、コンピューターに言葉や知識を記憶させるときに好都合であることは明らかである。

2B 活性化拡散モデル

コリンズとロフタスは、キリアンのネットワーク・モデルにもとづいて、活性化拡散モデルを提唱した。このモデルでは意味的に類似したものが、接近して、配置され、共通特徴をより多くもつ概念ほど、多数の項目とむすびあわされている。この理論では、このようなネットワークにおいて、ある概念が活性化されれば、それがネットワークにそって拡散していくと考える。したがって、ひとつのノードが活性化されれば、その近隣にあるノードも活性化されることになる。

この理論モデルによって、「カナリアは鳥だ」と「ダチョウは鳥だ」の文章の真偽判断の速度が、前者のほうが後者よりもはやいという典型性効果など、種々の実験結果が、よりよく説明できることがしめされてきた。

この活性化拡散モデルは、文章理解にも有効である。たとえば「カナリアは鳥である」という文章を理解するときに、まず主語の「カナリア」によってカナリアの意味(ノード)が活性化し、それが鳥概念ノードに拡散する。したがって、読みが鳥のところにきたときのその処理速度は、すでに鳥の意味が活性化しはじめているので、鳥という刺激を単独であたえられたときよりもはやいと考えられる。つまり、先のカナリアが後の鳥の意味処理にある種のプライミング効果をもつわけである。

カナリアとダチョウが鳥であるかどうかの真偽判断速度の違いも、活性化拡散の度合いがカナリアとダチョウとでことなると考えれば、うまく説明がつく。同じことは、言語刺激についてもいえる。2つの言語刺激を少しの時間間隔をおいて提示し、それぞれの言語刺激が有意味であるか無意味であるかの判断をもとめる実験で、2つの言語刺激が意味的に連関していれば、2番目の刺激への反応が有意にはやくなる。このような意味的プライミング効果を説明するうえに、この活性化拡散モデルが有効であることは明らかである。

3 スキーマとスクリプト

長期記憶にたくわえられた知識や意味の情報処理を考えていくうえで、ラメルハートのスキーマ理論やシャンクのスクリプト理論はきわめて重要な意味をもち、またこれらの概念はほかの研究分野にも大きな影響をあたえてきた。とくに認知心理学においてこれらの概念が重視されるようになったのは、それがコンピューター言語で表現できる知識表現システムにおきかえられるからである。

3A ラメルハートのスキーマの定義

スキーマという概念そのものは、バートレットの古典的な研究にすでにみられる。人はある事柄を記憶するときに、それを何かに関連づけて記憶しようとするが、その関係づけをもとめるときの既得の知識構造のことを、バートレットはスキーマとよんだ。それを認知心理学の枠組みの中でつかえる概念に練成したのがラメルハートやシャンクである。たとえば、「買い物をする」というのは、店にでかける、品物をさがす、どれを買うかきめる、お金をはらうという一般的な構造をもつから、ひとつのスキーマである。

一般的に何かを買うということはなく、買い物はどこかで何かを買うという行為のはずである。店はいくつもあり、買うべき品物も無数にあるから、具体的な購買行動は、この一般的スキーマの各項を変数とみて、それを一定の値(デフォルト値)でおきかえていく行為だと考えられる。

さらに、スキーマは、埋め込み構造ないし包含関係によって、いくつかのスキーマが相互に関連する形にでき、その意味で、スキーマは知識のかたまりである。これがラメルハートのスキーマの定義である。

3B シャンクのスクリプトの定義

他方、シャンクは、レストランで食事をするという行為は、店にでかける、いすにすわる、メニューをみる、ウエイターにオーダーするなど、一連の連鎖した行為、つまりスキーマからなりたっており、したがって、通常のわれわれのレストランでの行為は、このレストラン・スキーマのプログラムにしたがってなされていると考え、このようなスキーマを俳優が台本にあわせて演技するときの台本になぞらえて「スクリプト」とよんだ。

われわれは世界でのさまざまな経験をスキーマやスクリプトの形に統合して長期記憶にたくわえ、また、今現在の認知や行動を、既得のそのようなスキーマやスクリプトをガイドに実行している可能性がひじょうに高い。つまり、過去の経験を知識として統合してたくわえつつ、現行の認知をそれによって枠づけるというように、スキーマやスクリプトは二重の機能をもっている。

こうして、スキーマやスクリプトに関する認知研究が多数生みだされることになった。また、文章読解など、心理学的に重要な認知研究のテーマでありながら、古典的な研究の枠組みのもとではじゅうぶんにとりくめなかった問題が、これらの概念をもちいることによって徐々に解明されつつある。

4 認知心理学の拡張

これまで、知覚過程や記憶過程など、今日の認知心理学研究の中でももっとも基礎的な部分について解説をこころみてきた。この領域にかぎっても、最近の新しい研究動向を詳細に紹介することはむずかしい。知覚や記憶の領域以外でも、言語心理学の領域や思考心理学の領域で数多くの認知研究がなされており、とくに近年はコンピューター・シミュレーションをもちいた研究が盛んになってきている。そのような認知心理学をその全体にわたって知ろうと思えば、いくつか出版されている認知心理学シリーズを通読する必要がある。またさらに、ここに紹介したモデルもふくめて、今日の最先端研究における認知モデルをじゅうぶんに理解するためには、狭義の認知心理学だけでなく、よりひろい認知科学の基礎知識、つまり情報処理理論(→ 情報理論)や人工知能など、コンピューター科学の基礎知識が必要になり、さらに神経生理学などの基礎知識も必要になってくるだろう。


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認知
認知

にんち
cognition

  

心理学用語。広義には,知覚,学習,記憶,想像,思考,判断,推理作用など,生体が知識を得る働きに含まれるあらゆる過程ないし機能の総称。感情および意志の働きと対比された認識作用一般をさす。狭義に感覚,知覚と対比させた形で用いる場合には,外界の対象,事象を,それからくる感覚刺激のみならず,過去の経験ないし学習によってたくわえられた概念,図式,象徴機能などと関連づけて受取り,それら対象,事象の意味的側面をとらえ,かつ当該生体に対して適切な行動を解発させるための準備状態をつくり上げる,より高次の過程をさす。厳密には知覚と区別することはむずかしいが,生体の情報処理過程を当該個体の全体的機能との関連において扱おうとするとき好んで用いられる用語。





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認知
にんち cognition

生理学・心理学用語。生体のもつ情報収集,情報処理活動の総称。cognition は一般には認識と訳され,知識の獲得過程や知識それ自体を意味するが,心理学や生理学では,上記のような意味で,認知と訳されることが多い。認知は感覚,知覚,記憶など,生体が生得的または経験的に獲得した既存の情報にもとづいて,外界からの情報を選択的にとり入れ,それを処理して新しい情報を生体内に蓄積し,さらにはこれを利用して外界に適切な働きかけを行うための情報処理の過程をいう。
 認知の生理学的側面,すなわち脳の情報処理の問題については,主として大脳生理学,神経生理学の領域で扱われている。19世紀末から20世紀にかけて,P. ブローカによる運動性言語野の発見(1861)以来,C. T. フリッチらによる運動野の発見,O. フェルスターや W. ペンフィールドによる体部位局在地図の作成(1936)など,脳機能についての研究が行われてきた。さらに1950年代になって,微小電極法が開発され,脳の神経細胞の反応が記録されるようになって,脳の情報処理についての報告が数多く蓄積された。とくに,D. H. ヒューベルと T. N. ウィーゼルが63年にネコの視覚野に,細長いスリットなどに特異的に反応する細胞を発見して以来,急速に進んだ。現在では,感覚,知覚の情報処理ばかりでなく,記憶,学習といった高次の情報処理についての研究も進められている。
 一方,認知の心理学的側面については,認知心理学の分野で主として扱われている。認知心理学はゲシュタルト学派の影響のもとに,アメリカで主流であった行動主義に重点をおく連合説,要素説を批判する立場から,1950年ころに確立された。初めに認知心理学的立場をとり入れたのは学習研究の分野であったが,後に,社会心理学,性格心理学,臨床心理学にも影響を与えた。60年代の J. ギブソンらによる,実験心理学内での理論構成の試みや,W. ケーラーの〈横の機能〉概念の提唱など,種々の研究が行われている。認知心理学では生体の諸活動の説明にあたって,極端な行動主義的立場をとらず,生体の生得的構造特性による諸制約を重視して,内的な情報処理活動を強調する立場をとっている。しかし,現在では行動主義そのものの多様化と,認知心理学でも外部環境との相互作用の重要性が認識されてきたことから,必ずしも認知心理学が反行動主義的とはいえなくなってきている。
 認知の概念はきわめて多様な精神活動を含んだものであるため,認知研究は上記の生理学や心理学のみならず,多くの分野で進められつつある。情報科学の分野では,パターン認識,課題解決にあたっての情報処理過程のシミュレーション,記憶,学習システムのモデル化,人工知能の研究などが進められている。また,言語学では言語獲得の生得的側面,言語理解,言語使用の認知システムなどが研究されている。近年,これら関連領域の学際的協力も進められており,認知科学 cognitive science の名で総称されることも多くなってきた。⇒学習∥記憶∥知覚   酒井 英明

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弥縫策としての心理学(その14) [哲学・心理学]

P.フェダーン
フェダーン 1871‐1950
Paul Federn

オーストリアの精神分析学者。ユダヤ人。1895年ウィーン大学医学部卒。S. フロイトのもっとも古い直弟子の一人。1908年ウィーン精神分析学会の設立に加わり,23年から副会長。フェニヘルOtto Fenichel(1898‐1946),ライヒをはじめ多くの精神分析者の教育分析を行った。精神病の精神療法に関心をもち,精神病は,神経症のように抑圧された性衝動や攻撃衝動だけの問題でなく,むしろそれらの衝動に対処できない自我の弱さの問題であると説き,現代の精神分析の主流である自我心理学の先駆者となった。ナチスのウィーン侵入までフロイトのもとにいたが,38年アメリカに渡り,さらに自我理論を発展させたが,膀胱癌にかかり自殺した。                岸田 秀

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E.ヒッチマン
S.フィレンツィ
V.タウスク
タウスク 1877‐1919
Victor Tausk

オーストリアの精神分析医。S. フロイト初期の弟子の一人で,精神分析と精神病理学の統合,精神病の精神分析的研究に貢献した。また,同一性や自我境界の概念を,はじめて精神分析の領域に導入した。主著は《精神分裂病における影響機械》(1919)。後になって,彼の知的野心や独創性の主張に不快を感じていたフロイトと感情的なもつれを引き起こし,特異な女流作家ザロメ(アンドレアス・ザロメ)との交際を経て,婚約者との結婚8日前に自殺した。             馬場 謙一

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H.ザックス
ザックス 1877‐1945
Hans Sachs

ドイツの医学者。カトビツェに生まれ,フライブルク,ブロッワフ,ベルリンの各大学で医学を修め,1900年ライプチヒ大学を卒業。20‐36年ハイデルベルク大学教授。血清学の発展に貢献し,とくに梅毒の血清学的診断法のうち沈降反応を利用したザックス=ゲオルギ反応 Sachs‐GeorgiReaktion(略称 SGR)を創始した。この反応は,補体結合反応を利用したワッセルマン反応と併用されて梅毒の診断を確実にした。     本田 一二

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C.G.ユング
ユング

ユング
Jung,Carl Gustav

[生] 1875.7.26. ケスウィル
[没] 1961.6.6. チューリヒ


スイスの心理学者,精神分析学者。バーゼル大学で医学を修めたのちパリのピエール・M. F.ジャネのもとに留学。チューリヒ大学を経て 1943年バーゼル大学教授。 1948年チューリヒにユング研究所を設立。初め心霊現象などのオカルト研究に興味をもつ一方,ジグムント・フロイト学説の熱心な支持者であったが,その後,A.メーダーと協同して,リビドーおよび無意識の概念について新しい展開を試み,分析的心理学を創始した。また,精神障害者の無意識を発見するために言語連想テストをつくり,コンプレックスの概念を考案した。主著『変容の象徴』 Wandlungen und Symbole der Libido (1912,改訂版 Symbole der Wandlung1952) ,『タイプ論』 Psychologische Typen (1921) ,『分析心理学への貢献』 Contributions to Analytical Psychology (1928) ,『パーソナリティの統合』 The Integration of the Personality (1940) ,『心理学と錬金術』 Psychologie und Alchemie (1944) ,『空飛ぶ円盤』 Ein Moderner Mythus (1958) ,『無意識の心理』 ber die Psychologie des Unbewussten (1960) 。





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[ブリタニカ国際大百科事典 小項目版 2008]



ユング 1875‐1961
Carl Gustav Jung

スイスの精神医学者。分析心理学の創始者。ケスウィルに牧師の子として生まれ,バーゼル大学医学部卒業後,チューリヒ大学の精神科でブロイラーの助手となる。フランスに留学,ジャネの下で研究し,帰国後,言語連想法の実験による研究で有名となる。S. フロイトの《夢判断》を読み感激したユングは,1907年にフロイトを訪ね,両者は協調して精神分析学の建設と発展に寄与する。09年にはフロイトとともにアメリカに講演旅行に行き,10年,国際精神分析学会の会長になるが,12年に発表した《リビドーの変遷と象徴》によってフロイトとの考えの相違が明らかとなり,論争を重ねた末に訣別する。その後,13‐16年にわたって,強い方向喪失感に襲われ,後年エレンベルガーH. Ellenberger が〈創造の病〉と名づけたような内的危機に直面する。この時期に彼自身が体験した〈無意識の対決〉を基礎として,それに学問的検討を加えることによって,彼独自の分析心理学の体系が確立される。
 ユングは精神病者の幻覚や妄想が古来からある神話,伝説,昔話などと共通の基本的なパターンの上に成り立っていることを認め,〈元型〉という考えを19年に提唱した。彼は人間の無意識は個人的無意識と普遍的無意識の2層が存在し,後者はひろく人類に共通であり,そこに元型が存在すると仮定した。元型それ自体は人間にとって知ることができないが,元型的なイメージは意識によって把握され,それが宗教的なシンボルなどになると考えられる。したがって,世界の神話や宗教のシンボルについて研究すると,そこに共通する元型の存在を明らかにできるのである。ユングはこのように西洋のみならずひろく全世界の宗教に目を向けていたので,早くも1920年代より,ヨーロッパ中心主義に反対し,そのころは絶対的な強さをもって欧米文化を支えていたキリスト教と自然科学を相対化する努力を続けた。彼はキリスト教や自然科学に反対するのではなく,あくまでそれを絶対化することに反対したのである。彼のそのような努力は《心理学と錬金術》(1944),《アイオーン》(1951),《結合の神秘》(1955‐56)などの一連の労作に示されている。彼はこれらの著作のなかで,ヨーロッパ精神史において正統派のキリスト教を補完し,より全体的なものを求める流れが存在してきたことを明らかにし,その意義を強調したのである。彼はまた東洋にも深い関心を示し,中国の《易経》,日本の禅などの紹介にも努めた。彼が人間存在の全体性の元型として重視する〈自己〉の概念は中国の〈道〉の考えに影響されたものといわれている。自己のシンボルとしての〈マンダラ〉を重視した点にも東洋の強い影響が認められる。彼の考えは最初あまり理解されなかったが,70年ころより世界の人々の関心をあつめるようになっている。                河合 隼雄
§コラム【ユングとエラノス会議】


ユング,C.G.
ユング Carl Gustav Jung 1875~1961 分析心理学の創始者。スイスに生まれ、チューリヒ大学で精神医学をおさめ、のちに統合失調症(精神分裂病)研究で著名になるブロイラーのスタッフになってその指導をうけた。このことは、ユングがフロイトとことなって統合失調症をベースに理論をくみたてていった理由のひとつになっている。その後、ヒステリーの意識下固定観念の研究で有名なフランスのジャネのもとでまなび、またフロイトの著作に感銘をうけて、1907年のウィーン精神分析協会に参加してフロイトとであい、国際精神分析学会の創設にアドラーとともに貢献して、その初代会長となった。

当時ユングはすでに自らが考案した言語連想テストによって無意識の存在を認識し、コンプレックス(心的複合)という考えをもっていた。だからこそフロイトに接近したのであり、またフロイトもユングのそれらの業績を高く評価したのであったが、まもなく両者の考えが基本的なところで相違することが判明し、出会いからわずか6年後の1913年にユングはフロイトと訣別する。

その理由のひとつは、フロイトがリビドーを性的なもの(反理性的なもの)とみなしたのに対し、ユングはもっと一般的な心的エネルギーとみなした点である。さらに無意識に対しても、フロイトのように快感原則に支配された反理性的なものとは考えず、むしろ意識を補償する積極的、肯定的な機能をもったものとみなす一方、個人的無意識とならんで人類に普遍的な集合的無意識を仮定したことである。

とくに後者は神話、昔話(→ 民話)、夢にあらわれてくると考え、それらの研究から後に元型(アーキタイプ)という考えがみちびかれた。たとえば、グレートマザー、影、アニマ、アニムス、ペルソナなどである。ユングは自らの立場を分析心理学とよび、夢分析や転移の解釈などについても、フロイトのように分析者が合理的、理性的な態度によって一方的にあたえるものとは考えず、むしろ患者への共感的な態度のもとで、その解釈の内容を患者とともに吟味する姿勢が重要であることを指摘している。ユングは「補償」の考えを背景に東洋思想や神秘主義にも興味と理解をしめし、そのこともあって、その学説は文学をはじめ多方面の人文科学に影響をおよぼしている。

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ユングの名とともに,最もよく知られているエラノス会議は,スイスとイタリアにまたがるマジョーレ湖畔のアスコナ Ascona で毎年8月に開催される小さな,しかしひじょうにユニークな知識人の集りである。エラノス eranos という言葉は,同じような精神的興味をもつ人々の自発的な集りを意味する古代ギリシア語であり,参加者は古代の伝統に従って食料を持参し,プラトンの描写するソクラテスを中心とした痢宴(シュンポシオン)におけるように,円卓を囲み,まったく自由で親密な雰囲気の中で対話をかわす集りとして創始された。
 主催者は,フレーベ・カプテイン Olga FrÅbe‐Kapteyn(1882-1962)という未亡人である。1928年に現在カーサ・エラノスとよばれている家屋が完成し,彼女はそこで東洋や西洋における精神性を探求する夏季講習会を開こうとしたが,計画は成功しなかった。しかし,32年には神秘思想に造詣の深い神学者 R. オットーや,ユングとも折衝し,33年についに最初の小さい集りが〈東洋と西洋におけるヨーガと瞑想〉を主題として開かれた。エラノス会議は,最初はヨーロッパの富裕で知的な女性を中心とするサロン的なものであったということもできるであろう。しかし,他のサロン的な集りと少々違っていた点は,そこに集まった人々の多くが,当時のヨーロッパの思想界を代表する知識人であり,特に東洋学,宗教史学,心理学などの権威であったことである。さらに毎年新しい主題をめぐって発表され,討議された成果が,《エラノス年報》として出版され,少なからぬ影響をヨーロッパの思想界にもたらしたことも注目される。
 エラノス会議はその後ますます盛大となり,今日,われわれが《エラノス年報》を開くときに,不思議な戦慄を覚えるほど,当時のヨーロッパの知性を代表するユニークな学者が多数この集りに参加した。たとえばその中には,イギリスの作家で美術評論家としても知られる H. リード,あるいは敦煌の発掘者として知られ,コレージュ・ド・フランスの言語・歴史・考古学の教授であった P. ペリオをはじめとし,人類学の J. レヤード,P. ラディン,古典文献学の W. F. オットー,K. ケレーニイ,宗教史学の G. ファン・デル・レーウ,R. ペッタツォーニ,M. エリアーデ,オリエント学の L. マシニョン,イスラム神秘主義の権威 H. コルバン,ユダヤ神秘主義の碵学 G. ショーレム,教会史学の H.ラーナー,J. ダニエル,E. ベンツ,あるいは P. ティリヒ,グノーシス主義の研究家として知られるH. C. ピュエシュ,G. クイスペル,仏教学の G. トゥッツィ,数学の A. シュパイザー,心理学の E. ノイマン,生物学の A. ポルトマンなど,多くの著名な学者の名前がみられる。日本からは53年,54年に禅学の鈴木大拙が,さらにその後,イスラム学の井筒俊彦もここで論文を発表し,また最近では宗教哲学の上田閑照,心理学の河合隼雄の研究発表が続いている。
 エラノス会議のもう一つの大きな特徴は,それがヨーロッパ全土のみならず,世界をも巻きこんだ第2次世界大戦中も続行されたことである。最後まで中立を守り通したスイスという国でエラノス会議が開かれていたことは,ヨーロッパの学問に幸いしたともいえる。そして,荒廃した戦後のヨーロッパの知識人の間に,急速に浸透していったのが,《エラノス年報》によるこの集りの学問的成果であり,ユングの普遍的無意識論と元型論であった。エラノス会議は初期から,論文を発表する学者たちと一群の聴衆たちによって構成されていたが,初期にはまだ若い学生で一聴衆にすぎなかった人たちの間からも,この集りによって啓発され,一流の学者として頭角をあらわしてきた人も現れた。前述した学者の名前を一見しただけでも,そこに参加した人々の多くは,宗教史学,神学,美学,数学,その他の広範な学問の領域に所属する学者であって,ユングの専門とする精神医学や心理学の領域の人々がひじょうに少ないことに気づかれるであろう。ユングはたしかに精神科医として,また心理療法家としてすぐれた業績を残しているが,彼の真価はむしろ,これらの多くの学問の領域における指導的な存在であったことにあり,多様な学問の交流の中でユングの心理学は発展したのである。その点からいって,ユングの思想とユング心理学はエラノス会議とともに一時代を画したものといえるであろう。
 《エラノス年報》は第2次世界大戦中に1年休刊したが,それ以外は33年以降毎年公刊され,〈ユング75歳記念特集〉も含んで今日では膨大な叢書となっている。われわれが《エラノス年報》をひもとくとき,そこにはギリシア神話を中心とする古典古代,グノーシスをはじめとする数々の新しい思想や宗教を生んだヘレニズムの時代,そしてそこから中世・近代へと受け継がれるさまざまな秘教的伝統についての多くの研究論文が見いだされ,ある意味で歴史の表面には現れなかったヨーロッパの底流をなす思想の潮流を知ることができる。普通は学問の極度の専門分化に妨げられて,専門家以外にはほとんど読まれることもなく,また理解もされない主題が,ユングの思想を軸として,多くの学者によって自由に展開されているのをみるのは楽しいことである。これらの論文は,学問の進歩と人間の精神的な解放にとって,今後も大きな意味をもつものといえよう。      秋山 さと子

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リビドー
リビドー

リビドー
libido

  

精神分析の用語。 S.フロイトによれば,性本能を発現させる力またはエネルギーで,快感追求的な性質をもつ。いわゆる性欲よりは広い概念で,小児期から存在して人間行動を強く支配し,口愛期,肛門愛期,男根期,潜在期,性器愛期と発達して次第に性愛の対象へ注がれるようになる。これが抑圧されると神経症的症状となって現れるし,対象へ向わず自己へ向けられるとナルチシズムに陥るとした。のちにフロイトは死の本能に対する生の本能の原動力にまで広げて用いた。 C.G.ユングはあらゆる衝動の源泉となる心的エネルギーをさすのに用いた。





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リビドー
libido

本来ラテン語で強い〈欲望〉を意味する語。性科学者モル A. Moll は,これを〈性衝動〉の意味,つまりリビドー・セクスアリス libido sexualis の意味に限定して用い(1898),さらに S. フロイトによって精神分析理論の一核心をなすリビドー理論に導入されることになる。フロイトはこの用語をモルから借用したと述べている。フロイトのリビドー概念は彼の生涯の間で変遷した。初期の理論では,リビドーとは性的なエネルギー(その表現は多様な心的・身体的表現をとりうる)であり,〈自己保存本能〉(自我本能)とは対立するものとされていた。しかしのちには,自己保存本能もリビドーとともに作動するものと考えられた。そしてリビドーが自己に向いた状態を〈自我リビドー ego libido〉〈自己愛(ナルシシズム)〉,それが自己以外の対象に向いた状態を〈対象リビドー object libido〉〈対象愛object love〉と呼んだ。フロイトは晩年には,〈エロス〉(しだいに増大する統一体を作り出しこれを維持することがエロスの目的。生の本能)と〈破壊本能〉(死の本能)との二大本能の対立を認め,エロスのエネルギーをリビドーと呼ぶと再定義した。このリビドーに対立するものとして考えられた〈破壊本能〉を指すラテン語はデストルドー destrudo である。
 フロイトのリビドー概念は,たとえば自我リビドーが増せば対象リビドーが減るなどと考えるようにつねに量的な概念であり,同時に水力学的,流体力学的なニュアンスを帯びた概念でもある。フロイトの初期の神経症論,性欲論,自己愛論は,ことごとくこのリビドーという中心概念に基づいて構成されてきたといえる。C. G. ユングもリビドーなる概念を用いるが,ユングにとっては,リビドーとは精神的エネルギー一般を意味する。つまりフロイトは本能二元論を堅持したわけだが,ユングの見方は一元論に傾いたといえる。⇒欲動
                        下坂 幸三

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リビドー
I プロローグ

リビドー Libido リビドーは、ラテン語で欲望、羨望をあらわす。A.モルが自著の中で性的な欲望をさしてもちいたものを、精神分析学を創始したフロイトが転用し、性の欲動の精神エネルギーをさすための用語としてとらえなおしたものである。精神分析学では、性の欲動をせまい意味の性欲(身体の性的興奮)に限定せず、むしろより広く愛の満足をもとめる欲望ととらえる。それゆえ、リビドーもまたたんなる性欲のエネルギーではなく、むしろ性愛の満足をめざすという精神的側面をさすエネルギー概念である。

II リビドーの備給(カセクシス)

リビドーは量的に増大したり減少したりするエネルギー概念であり、それが何にむけられるか(備給されるか)、どのように蓄積、放出されるか、何におきかえられ加工されるかという観点から、精神分析理論の構成において重要な位置を占める。まず、リビドーが何にむけられるかの方向によって、自我リビドー(自己愛リビドー)と対象リビドーに二分される。

精神分析理論によれば、リビドーは発達初期には自他未分化で、全能感に支配された原初的自我に備給されており、これを1次的自己愛リビドーとよぶ。それが、発達がすすむにつれて外的対象(たとえば母親)に備給されるようになる。これを対象リビドーとよぶ。たとえば、相手に恋愛感情をいだくということは、対象リビドーがその相手に備給されたということを意味する。ところが、自我は外的対象との間で摩擦や葛藤(かっとう)を経験すると、対象リビドーを自我の内にひきもどす。このように自我に撤収されたリビドーを2次的自己愛リビドーという。

精神分析学においては、精神病者の場合はこの2次的自己愛リビドーがふたたび対象にもどれなくなって自我の内部に鬱積(うっせき)し、その内部で過剰となるために自己誇大妄想や心気妄想が生まれると考える。また対象への備給がおこなわれないために、現実への無関心や内閉的態度が生まれるとされる。

III リビドーの発達段階

フロイトはまた、このリビドーが発達の各時期に特定の身体部位(性感帯)に備給されるという考えにたち、口唇期、肛門期、男根期、性器期の4段階が区分されるとしている(→ 精神分析)。精神分析学は、各発達段階を支配するリビドー体制があること、そして人はその発達過程で早期のリビドー段階に固着することがあると仮定し、神経症の各症状をその固着点への退行であると説明する。たとえば、強迫神経症は精神分析学では肛門期への固着として、ヒステリー神経症は男根期への固着として説明される。

IV リビドー概念に対する批判

フロイトのリビドー概念は、当初より、すべてを性欲で説明しようとしているといった批判を内外からうけた。なかでもユングはリビドーを性的エネルギーよりももっと広い意味をもつ心的エネルギーとしてとらえるべきだとして、師のフロイトに対立し、決裂することになった。また、精神分析が米国に広がる中で生まれたネオ・フロイト学派からも、リビドー理論は生物学主義だとして批判された。

しかし、早期の性感帯やリビドー体制、あるいはリビドー発達段階に関する理論はともかく、人が人を愛したり、きらいになったり、あるいは人に自分を閉ざしたりすることを理論化しようとすれば、おそらくこのリビドー概念に類する概念装置が必要になってくる。その意味では、内外の批判にもかかわらず、この概念のもつ意味は大きいといわねばならない。

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分析的心理学
分析的心理学

ぶんせきてきしんりがく
analytical psychology

  

一般的には心理現象をその構成要素に還元しようとする組織的試みをさす。構造心理学とほぼ同義。特殊的には S.フロイトの精神分析学と区別するために,C.G.ユングがみずからの論理体系をさしてこう呼んだ。





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ユング心理学
I プロローグ

ユング心理学 ユングしんりがく ユング心理学は分析心理学ともよばれ、ユングの長年にわたる臨床活動の中から生まれた一連の概念群と、それを駆使した分析、解釈の治療論からなる。壮大な心理治療理論であると同時に文化論でもあり、文学や芸術にも大きな影響力をもっている。

わが国では河合隼雄がはじめてユング研究所で資格を取得し、留学の成果を「ユング心理学入門」(1967)にまとめて以来、多くのユング派の臨床家がそだち、心理療法(精神療法)理論の中でもっとも有力なもののひとつとして、わが国の心理臨床をリードしている。あまりに膨大なその理論の全体を紹介することはできないので、ここでは、骨子をのべるにとどめる。

II タイプ論

ユングが人の性格を大きく内向と外向に2分したことはよく知られているが、実際のユングのタイプ論はもう少し複雑である。まずユングは、人の精神機能を思考と感情、感覚と直感という2組のたがいに対立する4機能に分割し、この2組の対立軸を直交させ、これに内向と外向をくみあわせることによって、内向的思考型、外向的思考型など合計8つの性格タイプを区別する。そして、同じ軸内では思考機能の発達している人は感情機能が弱く、感情機能の発達している人は思考機能が弱いというように、対立する機能間には優劣関係があると考える。

さらに、このタイプ論には無意識論がからんでくる(→ 意識)。ユングはある人の意識の態度と無意識の態度を区別し、意識の態度が一面的になると、無意識がそれを補償するように作用するとみる。たとえば、ヒステリー神経症の人は外向型の人に多く、彼らは他人の注意を自分にひきつけ、自己顕示性をしめすが、それが一面的になると、無意識の補償作用がはたらき、外向きの過剰なエネルギーを内にむけなおすようになり、その結果、身体症状があらわれてくるのだという。

このようにタイプ論と無意識の補償作用をくみあわせることによって、人の複雑で多様な対人関係のあり方がすくいとられていく。

III 集合的無意識

ユング心理学のもうひとつの特徴は、集合的無意識論にある。ユングは無意識を個人的無意識とその下層にある集合的無意識の2層にわけ、とくに後者の集合的無意識(普遍的無意識ともよばれる)は、個人に生来的にそなわった、人類に普遍的なものであると考えた。この集合的無意識の働きは外界に投影され、さまざまなかたちをとる。これが世界に共通してみられる種々の象徴やイメージであり、神話や民話である。つまり、集合的無意識は、けっしてそのままでは目にみえないし意識されないが、象徴やイメージをとおして間接的に意識化される。

たとえば、ある不登校の子供が、大きな肉の渦にまきこまれそうな夢をみて、おそろしくなって目がさめる。この子供はこの夢に何も思いつかないが、肉の渦というイメージは世界に普遍的にみとめられる地母神(グレートマザー=太母)の象徴であり、すべてのものを生みだす母体と、すべてをのみつくす死の国の入り口のイメージである。つまり、この子供の夢は、グレートマザーの象徴である渦に足をとられ、ぬけられなくなっている状態をあらわしているとみることができる。

この例からわかるように、集合的無意識は神話的なモチーフや形象からなりたっている。渦のイメージがグレートマザーの象徴と考えられたように、ユングは集合的無意識が投影されたものの中に、世界に共通した基本的な型をみいだすことができると考え、これを元型(アーキタイプ)とよんだ。元型は心の奥深くにかくれているものについての仮説的な概念であり、元型そのものはけっして意識化されない。

しかし、おそらく元型があることによって、世界各国にひじょうに似かよった神話や民話がある事実が説明でき、またクライアント(心の問題で相談にくる人)のみる夢にある基本的な類型をみいだすことができるとユングは考える。ユング心理学の中でとりあげられる元型は、グレートマザー、ペルソナ(仮面)、セルフ、アニマ、アニムス、影、老賢者、などである。

IV コンプレックス論

日本では、コンプレックスというと一般に劣等感と同義に理解される。しかし、ユングのいうコンプレックスはそれにつきるものではない。ユングは意識の中心に自我をおき、その自我の統合化の働きをみだすものとしてコンプレックスを考える。ユングは言語連想テストにおいて、クライアントがある特定の言葉に連想がつづかず中断するなどの事実をとりあげ、そのような連想の障害がおきるのは、無意識の中にその連想を妨害するものがあるからだと考えた。これがコンプレックスであり、多くの心的内容が同じ感情によってひとつにまとめあげられたものである。

たとえば、父親による性的虐待といういまわしい出来事の記憶が、そのときの恐怖や嫌悪感や胸の動悸などとともに抑圧されると、その後、恐怖や嫌悪や胸の動悸をもたらすような経験をすると、たとえそれが性的虐待と無関係に生じたものであっても、すべてその抑圧された出来事の中に吸収されるようになる。こうしてできあがるのがコンプレックスである。このコンプレックスがあるために、この女性は他の異性が接近してきただけで、自分でも理解できない恐怖感や嫌悪感を感じることになる。

このようにコンプレックスは、人がどうしてもこだわらざるをえない無意識の中の出来事を中核にして、それに少しでも類似性のあるものをすべてひきよせて巨大になり、自我の統制をこえる強大な力をもつようになっていく。

しかし、ユングによれば、コンプレックスは、自我にうけいれがたいために個人的無意識の中に抑圧された経験のみでなりたつものではなく、集合的無意識の中にあって個人に意識化されないもの(元型的なもの)にも通じている。

フロイトの精神分析では、権威的なものへの強い反発というのは、もっぱらその個人の無意識に抑圧されたエディプス・コンプレックスの問題である。これに対してユングは、権威的なものへの反発は、当人の個人史における父親への反発に通じているばかりでなく、たとえば、年老いた暴君とたたかうわかき英雄という神話(→ 英雄神話)のイメージのように、人間にとって永遠のテーマの再現でもあると考える。ユングは、個人的無意識は集合的無意識と重なりあう部分をもつという。

そのように考えることによって、コンプレックスはかならずしも否定的な面ばかりでなく、肯定的な面ももっているという見方が生まれる。ユングがフロイトと訣別した理由は、このようなコンプレックス理解の違いだったといわれている。

V ユング心理学の治療論

これまでみてきた集合的無意識やコンプレックス理解のあり方が、ユングの心理治療論につながっていく。ユングによれば心理療法は次の4つの段階をへてすすむ。

(1)患者が抑圧していたものを治療者の前にはきだして重荷から解放される「告白」の段階。

(2)告白によって症状がきえても、患者が治療者からはなれられないといった困難な問題が生じるとき(転移現象)、それは患者の無意識の中にあるもっと困難な問題から生じていると考え、その問題をさらに明らかにしようとする「解明」の段階。

(3)さらにそれを一歩すすめて、患者を社会の中に適応させ、社会的人間にするための「教育」の段階。

(4)治療過程全体をとおして、患者と治療者がともにあゆみ、ともに変容してきたことをたがいにたしかめあう「変容」の段階。

この最後の点に、現実に適応できるようになれば治療を終結してよいとするロジャーズ派の立場と、「死と再生」のモチーフをくぐりぬけて人格の再体制化を経験できるようになるまで治療を継続しようとするユング派の立場の違いをみることができる。

このような治療の過程でもっとも力を発揮するのは夢分析であり、またその解釈において力を発揮するのは先にみた元型論である。とりわけ、患者だけでなく治療者も集合的無意識の中に元型のもろもろのイメージをかかえているから、夢であれ、箱庭(→ 箱庭療法)であれ、患者の表現したものが元型にふれると、それは治療者の無意識の元型にも共鳴し、これによって治療者はある解釈をもたらすことができる。

こうして、治療者の一方的解釈というより、両者に共有される元型的布置の響き合いの中にある解釈がおのずと生まれ、それが両者に深くあじわわれることによって真の理解=解釈がなりたつ。このような解釈の成り立ちについての考え方にも、フロイトの精神分析との違いをみることができる。

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分析心理学
ぶんせきしんりがく analytical psychology

スイスの精神医学者ユングの創始した心理学。彼は S. フロイトとともに精神分析学の発展に尽くしたが,1913年には完全に離別,彼独自の心理学を確立した。自我によって抑圧されたり忘却されたりした個人的無意識のみではなく,人類に共通の普遍的無意識の存在を考えるところが特徴的。心理療法の領域だけでなく,普遍的無意識内に存在する元型がイメージとして顕現した神話や昔話をも研究することから,芸術,宗教,民俗学などとも関連する。                河合 隼雄

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構造心理学
構造心理学

こうぞうしんりがく
Strukturpsychologie

  

精神現象は個々の心的要素の結合ではなく,一つの統一的な意味構造をもつものであるから,それ自体として了解すべき性質のものであるとする心理学。 W.ディルタイが提唱し,E.シュプランガーらが発展させた。広義には精神の全体的構造連関を対象とする心理学,たとえば現象学的心理学やゲシュタルト心理学をも含むことがある。





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W.ディルタイ
ディルタイ

ディルタイ
Dilthey,Wilhelm

[生] 1833.11.19. ビープリヒアムライン
[没] 1911.10.1. ザイスアムシュレルン




ドイツの哲学者。生の哲学の創始者。 1866年バーゼル,68年キール,71年ブレスラウ,82年ベルリンの各大学教授。最初,自然科学に対して精神科学の領域を記述的分析的心理学の方法によって基礎づけた。次いでカントの批判精神の影響を受け,ヘーゲルの理性主義,主知主義に反対して,歴史的理性の批判を提唱,歴史的生の構造を内在的に,すなわち体験,表現,理解 (了解) の連関から把握することを主張した。晩年には世界観の研究に到達し,哲学的世界観の類型を析出したが,相対主義的傾向を強めた。また解釈学の領域では青年時代のシュライエルマッハーの解釈学の研究を経て,歴史的生の理解,歴史的意味の理解を中心とする解釈学の方法論を確立した。彼の解釈学,歴史哲学は実存哲学,文芸学,様式学,類型論に大きな影響を与えている。主著『シュライエルマッハー伝』 Leben Schleiermachers (1870) ,『精神諸科学における歴史的世界の構成』 Der Aufbau der geschichtlichen Welt in den Geisteswissenschaften (1910) ,『世界観の研究』 Die Typen der Weltanschauung (11) など。





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生の哲学
生の哲学

せいのてつがく
philosophy of life

  

人生哲学,処世哲学,実践哲学,生命哲学などを含み,その内容は多義的であるが,哲学史的には,19世紀後半から 20世紀初めにかけて主としてヨーロッパで展開された一連の哲学の総称。その方法論的特徴は主知主義,理性主義,実証主義,科学哲学などの合理的,科学的思考に反対して,体験,直観を重視し,生を生そのものにおいてとらえること,すなわち,生を固定化したもの,硬化したものとしてとらえるのではなく,流動的なもの,非合理的なものとして把握したところにある。それぞれの思想家によって歴史的,文化的,人間学的,生物学的,社会学的傾向の違いがみられるが,通常,ショーペンハウアー,ニーチェを先駆者とする。ショーペンハウアーは生への盲目的意志,ニーチェは権力への意志,W.ディルタイは精神的歴史的生,G.ジンメルは超越の内在,ベルグソンは生命の飛躍 (→エラン・ビタール ) をそれぞれ生の本質とした。ディルタイの歴史的,解釈学的方法はのちにフッサールの現象学,ヤスパース,ハイデガーの実存哲学に影響を与えた。またアメリカでは,W.ジェームズやプラグマティズムの思想家に,またスペインでは,オルテガ・イ・ガセット,M.ウナムーノらに生の哲学の影響がみられる。





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生の哲学
せいのてつがく Lebensphilosophie[ドイツ]

20世紀前半を代表する哲学の一分野で,実存の哲学の前段階を成す。理性を強調する合理主義の哲学に対し,知性のみならず情意的なものをも含む人間の本質,すなわち精神的な生に基づく哲学が〈生の哲学〉であり,ベルグソン,R. オイケン,ディルタイ,ジンメル,オルテガ・イ・ガセットなどを代表とする。その先駆は,18世紀の啓蒙主義に対してルソー,ハーマン,F. H. ヤコビ,ヘルダー,さらには F. シュレーゲル,ノバーリスなどが感情,信仰,心情,人間性の尊重を,またメーヌ・ド・ビランやショーペンハウアー,ニーチェなどが意志の尊重を説いたことにさかのぼる。原語は1770年代からドイツで用いられ,最初は実践生活の指針,生活知,人生知としての哲学を意味したが,通俗哲学や生物学主義としてではなく真に哲学の一派を成したのは20世紀初頭以来である。日本にも明治40年代以来ベルグソンとオイケン,大正期以降ディルタイ,ジンメル,オルテガ・イ・ガセットなどが紹介された。訳語には1911年(明治44)以来〈生命哲学〉,大正期以降〈生命の哲学〉〈生活の哲学〉〈人生哲学〉があるが,〈生の哲学〉は少なくとも1914年(大正3)以来の訳語である。
 ベルグソンは分析的・概念的把握ではなく直観によってのみ把握される生の真相を純粋な〈持続〉と呼び,生の持続の緊張の弛緩した状態が物質であり,内的な〈生の飛躍(エラン・ビタール)〉により進化が生じるとして世界の創造的進化を説くが,この生の概念には歴史性,社会性が希薄である。オイケンは自然的生活に対して全体的で独立した精神生活を闘い取るべきであると説き,文化の全体は個人を包括する精神の労働の所産として人類に共通の生活空間であるとするが,精神生活の個体化,個別化の問題は明白ではない。ベルグソンとオイケンは20世紀初頭,全世界的に〈生の哲学〉の主唱者と認められた。他方ディルタイは,因果関係を認識する知性,価値を評定する感情,目的を定立する意志の統一的な構造連関を生と呼び,生は人間個体に個別化すると同時にみずからを客体化し表出して精神的・歴史的世界を生むとした。そして生の表現,表出の全体すなわち歴史的・社会的現実を対象とする精神諸科学の認識論的基礎づけを〈歴史的理性批判〉と呼び,初めは生の構造連関を忠実に分析し記述する心理学,のち,生の体験の表現を了解により追体験する解釈学にその方法を求めた。ディルタイは生の表現を広義の歴史と呼び,生は歴史的な生であるとして生の歴史性を説いたが,生の創造性との連関の解明は徹底を欠く。ジンメルは既存の客体的な文化諸形態と,それらに盛りこまれることを拒否する創造的で主体的な生との間の損藤を〈文化の悲劇〉と呼び,その真の原動力を人間の精神的な生に内在する二重の超越性格に認めた。すなわち生には,たえず新たに先へと進んで〈より以上の生 Mehr Leben〉を生み出す水平的な超越作用(〈生の原級はつねに比較級である〉)と,客体的な意味的形象(〈生より以上のもの Mehr‐als‐Leben〉)を生み出す垂直的な超越作用(〈理念への転換〉)とが内在すると説き,〈生の哲学〉に定式を与えた。しかし精神的な生はまだ個体化されていない。それゆえヤスパースは精神的な生を〈実存〉へと個体化し,ハイデッガーもディルタイの影響下で人間存在を生から〈現存在〉へと個別化したのである。
 〈生の哲学〉は実存の哲学へと個体化の道をたどるが,その開拓した人間の生すなわち他に依存せず自立的に飛躍,表出,超越を遂行する自発性は,実存の哲学においても完全に受け継がれたとは言えない。〈生の哲学〉は,自然的・一般的な生命の哲学,風土的・歴史的・社会的な生活の哲学,個体的・一回的な生存・生涯(実存)の哲学に分化しうるが,その諸相にわたって,〈生からの哲学〉としては,現象学の精神との共通性を有し,〈生のための哲学〉としては,プラグマティズムの精神と接触するに至るのである。哲学的な思索は,人間の生から発現し,人間の生へと立ち帰るのでなければならない。⇒実存主義∥ロマン主義
                        茅野 良男

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生の哲学
I プロローグ

生の哲学 せいのてつがく Lebensphilosophie 生を重んじる哲学を一般にさすこともあるが、哲学史のうえでは、ふつう19世紀後半から20世紀前半にかけてヨーロッパで生じた一連の哲学の流れを総称する言葉としてつかわれる。ショーペンハウアー、ニーチェ、ベルグソン、ジンメル、ディルタイらがこの流れにふくまれる。彼らの哲学の内容は、たがいにかなりことなっているが、理性中心の抽象的な哲学体系や、たんなる実証主義によって排除されてしまう生(生命)の活動に光をあてて、そこから新しい哲学をつくりあげようとする点で、軌を一にしている。

II 「生への意志」と「力への意志」

ヘーゲルの理性哲学に反対したショーペンハウアーは、人間の生をふくめた宇宙のあらゆる現象の背後には非合理的な「生への意志」があると考えた。ショーペンハウアーは、この合理化不可能で盲目的な暗い「生への意志」に注目してペシミスティックな形而上学を構築した。

ニーチェはこの「生への意志」の思想に影響されながらも、最終的には生の否定にいたるショーペンハウアーの哲学に満足せず、むしろ、ソクラテス以前の哲学者たちの「ピュシス」(自然)の世界観に依拠して、生を全面的に肯定する独自の哲学をつくりあげた。それが、「力への意志」を中心とするニーチェ最晩年の思想である。プラトニズム(→ プラトン)、キリスト教道徳、近代の理性哲学は、すべて超自然的な価値を世界のかなたに設定して、そこから生を断罪するニヒリズムである。「力への意志」「永遠回帰」「超人」などのニーチェ哲学の基本概念は、このようなニヒリズムに対する闘いの中から考えだされたユニークな思想である。

III ベルグソンとジンメル

真に実在するのは宇宙全体をつらぬいている根源的な生命であると考える点で、20世紀フランスの哲学者ベルグソンは、19世紀のこれら2人の思想家と共通する。ベルグソンによると、その生命は進化の流れであり、たえず新たなものを創造しながら発展していく。ところがわれわれの科学的な思考(知性)は、この不断の連続的進化(生の飛躍)を、映画のフィルムのコマのように、細切れにし固定化してとらえる。知性の合理化によってではなく、意識に直接あたえられる所与を直観的にとらえることによって、われわれは純粋持続としての生命をみずからのうちで体験できる、とベルグソンは考えた。彼の立場が直観主義とよばれるゆえんである。

ベルグソンをドイツ語圏に最初に紹介したのが、ジンメルである。ジンメルによると、生はたえず自分の限界をこえて流動する連続体であるが、ただ漠然とながれさっていくものではなくて、そのつど形式づけられ限界をもった形成体でもある。形式(限界)をあたえようとする動きと形式を否定して超えでようとする動きの緊張関係を通じて生は発展する、と考えるジンメルの「生の哲学」には、ニーチェの影響が顕著にみられる。

IV ディルタイの歴史的理性批判

同じドイツの「生の哲学」の思想家でも、ディルタイはジンメルのような形而上学的傾向をもたない。生は歴史において表現されるのだから、生の客観化としての歴史的な現実や文化を学問的にとらえなければならないとディルタイは考えた。そのために彼がおこなったのが、精神諸科学の基礎付け、彼のいわゆる「歴史的理性批判」である。具体的には、生の体験の表現を了解によって追体験する解釈学にその方法をもとめた。

「生の哲学」の基本思想は、今日なお、解釈学、現象学、記号論など新しい哲学方法論とむすびついて、現代哲学の中で息づいている。

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E.シュプランガー
シュプランガー

シュプランガー
Spranger,Eduard

[生] 1882.6.27. ベルリン近郊グロースリヒターフェルデ
[没] 1963.9.17. テュービンゲン

  

ドイツの哲学者,心理学者,教育学者。ベルリン大学で W.ディルタイ,F.パウルゼンの指導を受け,1911年ライプチヒ,20年ベルリン,46年テュービンゲンの各大学教授。 36年には来日し,各地で講演を行なった。ディルタイの方法論の影響を受けたが,みずからの立場としては「精神科学的心理学」を提唱。また,文化を一文化ではなく,諸文化としてとらえる文化哲学の立場に立ち,主著『生の諸形式』 Lebensformen (1914) では文化に対する人間のかかわり方を考察し,人間の基本的な類型として,理論的人間,経済的人間,美的人間,社会的人間,権力的人間,宗教的人間の6つに区分した。ほかに,ヨーロッパ精神史,教育学ことに大学教育,宗教哲学の分野にも貢献。その他の著書『フンボルトと人間性の理念』 W. v. Humboldt und die Humanittsidee (09) ,『了解の心理学』 Zur Psychologie des Verstehens (18) ,『青年心理学』 Psychologie des Jugendalters (24) ,『現代ドイツの教育理想』 Das deutsche Bildungsideal der Gegenwart (28) ,『たましいの魔術』 Die Magie der Seele (47) ,『文化病理学』 Kulturpathologie (47) 。





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シュプランガー 1882‐1963
Eduard Spranger

ドイツの文化哲学者,教育学者。ライプチヒ,ベルリン大学の教授を経て,第2次大戦後はチュービンゲン大学教授。師ディルタイにならって〈生の形式〉の分類を試み,理論的,経済的,審美的,社会的,宗教的,権力志向的という人間の類型化を行い,それらに応じた文化領域を定義した。ドイツの歴史主義と〈生の哲学〉の最後の担い手の一人として,人格主義的に理解したヨーロッパの伝統を現代に生かそうとした。戦前ナチスの不興を買ったとき,冷却期間を置くため日本に滞在したこともある。その穏健な伝統主義はドイツの教養主義的な講壇リベラリズムの典型である。主著は《生の諸形式》(1914)ほか。         三島 憲一

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シュプランガー,E.
I プロローグ

シュプランガー Eduard Spranger 1882~1963 ドイツの哲学者、教育学者。ベルリン大学で、ディルタイから生の哲学を、F.パウルゼンから文化哲学をまなんだ。

II 心理学と文化哲学

1906~11年にベルリンで女学校の教師をつとめた後、ライプツィヒ、ベルリン、第2次世界大戦後にチュービンゲン各大学の教授を歴任。ナチス(→ ナチズム)との関係が一時的に悪化した36年(昭和11)には、交換教授として来日し、各地で講演している。

教育とは人間の心に存在する文化価値の受容能力と創造能力を愛によって内側から発展させることだとし、主観的な心を研究する精神科学的心理学と客観的な文化を研究する文化哲学にもとづく教育学を構想した。

III 生の形式を分類

主著「生の諸形式」(1914)では、人間の精神作用を認識作用、審美的作用、経済的作用、宗教的作用、支配作用、共感作用の6つで説明。それぞれの精神作用は精神全体の作用のもとにはたらくのであるが、その全体的連関の中でどの精神作用が支配的にはたらくかによって、それぞれ独自に価値の追求がなされ、人間の個性が形成されていくとした。そして、そうした個性の理想的類型の基本的なものとして、理論的人間、審美的人間、経済的人間、宗教的人間、権力的人間、社会的人間の6つがあると説いた(→ 性格類型)。

「青年期の心理学」(1924)では、価値の方向が形成されてくる青年期の発達心理学的特徴をえがきだし、青年期研究の領域で大きな反響をよんだ。このほか、学校教育論、教員養成論、ドイツ教育史研究などでもすぐれた業績をのこしている。ナチスの教育統制には批判的であったとされるが、一民族の文化的協同体の中心は国家であるとして、政治が他の領域に優越するという考えは、全体国家の概念に近かったといえよう。

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コンプレックス
コンプレックス

コンプレックス
complex

  

精神分析で使われる概念。無意識のなかに抑圧され,凝固し,そのために意識された精神生活に影響を与え,ときに強い感動を誘発する観念の複合体をいう。さまざまな解釈があり,性的抑圧を重視する古典派のほかに,優越感や劣等感を重視する学派などがある。エディプス・コンプレックスやエレクトラ・コンプレックスは性心理の発達にかかわるひずみであるから,単に両親との関係にとどまらず,多くの場合,対人関係の障害を伴う。コンプレックスは日常生活のなかにも現れるが,また神経症の症状を形成する。





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[ブリタニカ国際大百科事典 小項目版 2008]


コンプレックス
I プロローグ

コンプレックス Complex ユングは刺激語に対する連想検査をとおして、ある人は特定の語への反応がおくれたり、反応語を思いつくことができなかったり、明らかに奇妙な反応をするなど、さまざまな障害が生じることに気づいた。

たとえば、ある患者は白という刺激語に対して長い時間をおいてから黒と答えたが、このように反応時間がおくれたのは、この患者にはある人の死に内心こだわるところがあって、白→白布→死人の顔→喪→黒というような連想がそこで生まれたためであった。

II コンプレックスとは

ユングによれば、そのようなことがおこるのは、心に深くのこるある体験(たとえばある人の死)をきっかけに、一連の心的表象(その人の死に関連した白や黒の事物や、そのときにおきたさまざまな出来事)がある感情(たとえば、悲しみと奇妙な解放感など)によって色づけられ、ひとつの心的複合(コンプレックス)をなし、それが無意識(→ 意識)に沈潜しているためだという。個人の無意識の中にコンプレックスがあると、ある外的な刺激があたえられたときにそのコンプレックスが刺激され、そのコンプレックスにむすびついた一連の心的表象群が意識の統制をこえて活性化されてくる。

こう考えたユングは、無意識のうちに存在し、ある体験を核にしてなんらかの感情によってむすびあわされている一群の心的表象の集まりを、コンプレックスとよぶようになった。

III コンプレックスの成立過程

コンプレックスの個人史的な成立過程は、次のような例を考えてみればわかりやすい。

たとえば、両親の性交場面を目撃したある幼児は、それをなにかおそろしいこととうけとめ、そのおそろしいことが意識にのぼるのをまぬがれるために、そこでの出来事やそのとき感じた恐怖感情などを無意識の中に抑圧する。精神分析ではこれを原光景コンプレックスとよぶが、その後、その子が成長する中で、暴力的な場面はもちろん、馬が荷をひいてはげしい息遣いをする場面をみただけで、自分でも訳のわからない恐怖心がつのってしまうようになった。

こうしたことがおきるのは、幼児期に経験した原光景の恐怖体験を核にして、イメージ的、感情的につながりのあるさまざまな出来事がそこに吸収され、ひとつの複合した心的表象群(コンプレックス)を形づくるようになったからである。

ところが、その子はなぜ自分はそのような場面がそれほどこわいのか自分でもわからず、それ以来、すっかり馬恐怖症になってしまった。

こうした例からわかるように、コンプレックスとは、個人の無意識の中に抑圧されるなんらかの心的外傷体験を核として、発達の過程でその体験の周りにイメージ的、感情的に関連深いさまざまな出来事を吸収して巨大になった、無意識内の心的複合体である。それは、ときに意識の統制をこえて(無意識のうちに)その個人の行動や感情の持ち方までも支配し、それによって自由な考え方や行動パターンをさまたげるほど、その人をしばることさえある、陰の支配者、司令塔のようなものなのである。

IV エディプス・コンプレックス

フロイトはユングのコンプレックス論を当初は高く評価し、上にみたような恐怖症をはじめ、言いまちがいや失策行為、あるいは個人的なこだわりといった日常的な出来事も、コンプレックスによるものとして説明できると考えた。なかでも、両親との近親相姦(そうかん:→ インセスト・タブー)願望やそれをめぐる葛藤(かっとう)が無意識の中に抑圧されて生じるといわれたエディプス・コンプレックスは、神経症患者の症状形成の中心に位置するものとして重要視されることになった。

フロイトの理解するコンプレックスは、どれも心的外傷経験に根ざし、個人の無意識の中にうめこまれた否定的な意味をもつ。それゆえフロイトは、人はコンプレックスを意識化することによってそれをのりこえ、それから解放されねばならないという。

エディプス・コンプレックスとは、フロイトがソフォクレスの有名な戯曲「オイディプス王」にちなんで名づけたものである。これは、デルフォイの神の「将来、その子は父を殺して母をめとるであろう」という不吉な予言のもとに生まれたオイディプス王子が、結局はその予言どおりに父を殺し、母と結婚することになって破局をむかえるという伝説にもとづく、典型的なギリシャ悲劇のひとつである。

フロイトは幼児が異性の親の愛情を独占しようとして同性の親に敵意や反感をいだくようになる事実と、この戯曲の内容が重なることに注目し、神経症患者の思考や行動の独特のゆがみ(症状)が、患者の幼児期における両親との早熟な三角関係に根をもつことを洞察した。それ以来、両親との早熟な三角関係に根ざすコンプレックスをエディプス・コンプレックスとよぶようになった。

三角関係の中にまきこまれた幼児は、異性の親の愛情を独占することができない現実の前に、一般的にはその三角関係に敗北することになる。そしてそのとき、幼児はいったんは敵意と反感をむけた同性の親に同一化しようとし、同性の親を自身のうちにとりこむことによって、同性の親と同じ性アイデンティティを形成し、同性の親が体現していた善悪の分別の体系をとりこんで超自我(→ 自我)を形成するのである。しかし、エディプス関係の乗り越えの過程には、さまざまな葛藤が生じる可能性があり、また、その葛藤体験が無意識のうちに抑圧される可能性がある。

不幸にしてその可能性が現実になったとき、その葛藤体験は一種のブラックホールのような核となり、幼児がそれ以後にはりめぐらす防衛機制も、性役割取得や超自我形成も、すべてそこに吸収し、ふくれあがっていくようになる。他面からみれば、そのコンプレックスが幼児のその後のさまざまな行動を直接、間接に支配するコントロール・タワーの役割をはたすようになるのである。

V フロイトとユングのコンプレックス理解の違い

フロイトは、ユングのうちだした集合的無意識という考えが、自分のリビドー論的な無意識の考えとあいいれないことがわかるにつれ、ユングと対立するようになった。そして、その無意識の考え方の違いがコンプレックスの考え方の違いにもつながることが明らかになったとき、両者の対立は決定的になった。フロイトにとって、コンプレックスとは個人の無意識の内部にある否定的なものであり、それを意識化してのりこえることが精神分析の目的であった。

これに対してユング派の分析心理学(→ ユング心理学)では、個人的無意識への抑圧というかたちで説明されていたそれまでのコンプレックスを、集合的無意識にもつながりをもつものとして大きく修正した。それによってコンプレックスはそれまでの否定的な意味合いから、場合によっては積極的かつ建設的な意味合いをもつものへとうけとめなおされるようになった。

こうした理論上の対立から、フロイトはついにユングと決別することになり、以後、フロイトはエディプス・コンプレックス以外にはコンプレックスという用語をもちいなくなった。

VI ユングのコンプレックス理解

ユングは精神分裂病(統合失調症)圏の患者の治療をとおして、しだいに無意識を個人的無意識とその下層にあって人類に普遍的なイメージや象徴のかたちをとってあらわれる集合的無意識にわけて考えるようになった。さらに、この集合的無意識はフロイトのリビドーのような性愛的エネルギーではなく、むしろ生命的エネルギーであると考えた。それゆえ無意識内に抑圧されているとされたコンプレックスも、たんに個人の心的外傷経験が個人的無意識の中に抑圧されただけのものではなく、個人的無意識の下層にある集合的無意識ともつながりをもつと考えたのである。

たとえば、ある人に両親との対立や葛藤に根ざすコンプレックスがあるというとき、そのコンプレックスはたんにその人の生活史における否定的な体験からのみくみたてられているのではなく、人類がこれまでつみ重ねてきた普遍的イメージ、つまり年老いた暴君と若者がたたかい、若者が暴君をのりこえていくという人類の永遠のテーマに通じていると考えることができる。

実際、エディプス・コンプレックスの名前のもとになったオイディプス王の悲劇の伝説とよく似た伝説や物語は、世界じゅうにあることが知られている。だからユングによれば、その人が自分のコンプレックスに気づくということは、たんに抑圧されていた心的外傷経験を思いだすだけではなく、それとむすびついた集合的無意識に気づき、それがもっている普遍的な生命的イメージをわが物にすることでもある。

コンプレックスは、意識の統制をこえてその人の行動や感情を支配するほど膨大なエネルギーをもつ。それゆえ、ひとたび否定的な方向にむかえばその人を翻弄(ほんろう)し、神経症につきおとすことさえある。

しかし、もしもその人が自分のコンプレックスに気づき、それと対決して自己に統合することができれば、コンプレックスのもつその膨大なエネルギーは建設的な方向に転換される可能性をもつ。ユングはそのように考え、コンプレックスをただ否定するのではなく、それを自己に統合することによって、人はかえって柔軟な人格の持ち主に成長していくことができると主張した。

このように、フロイトとユングではコンプレックスの理解の仕方に、かなり大きな違いのあることがわかるだろう。

→ 古沢平作

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エディプス・コンプレックス
エディプス・コンプレックス

エディプス・コンプレックス
Oedipus complex

  

精神分析の用語。男子が母親に性愛感情をいだき,父親に嫉妬する無意識の葛藤感情。広義にはエレクトラ・コンプレックスも含む。人間は乳幼児期から性愛衝動をもち,無意識に異性の親の愛情を得ようとし,同性の親に対しては嫉妬するが,この衝動は抑圧されている。このことを十分理解してなんらかの方法で解放しないと,一種のしこりないし屈折となり,のちに神経症を発症することがあるという考え方。父親を殺し母親と結婚したギリシア神話のエディプス (オイディプス) 王にちなんで名づけられた。





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エディプス・コンプレクス
Oedipus complex

精神分析の用語。ひとが両親の双方に対して抱く主として無意識的な愛および憎悪の欲望のすべてをいう。ギリシア伝説のオイディプス王のように,同性の親を憎み,異性の親を愛する形を〈陽性エディプス・コンプレクス〉とよび,逆に,同性の親を愛し,異性の親を憎む形を〈陰性エディプス・コンプレクス〉とよぶ。現実の様態は,この陰陽のエディプス・コンプレクスがさまざまな割合で混合している。したがって,人間生活において純粋の陽性または陰性のエディプス・コンプレクスが存在すると考えるのは間違いである。S. フロイトによれば,エディプス願望は,3歳から5歳にかけての男根期に激しくなり,男児は去勢不安(去勢コンプレクス)を経ることによって,女児は男根の獲得(ペニス羨望)をあきらめ,それが子どもを得たいとする望みに移行することによって,エディプス願望は消滅し,無意識化され,同性の親への同一化が促進されることになる。児童を直接治療した M. クラインによれば,すでに3歳以前,生後1年の間においてすらエディプス的な幻想がみられるという。神経症者は,フロイトによれば,エディプス・コンプレクスの克服に失敗した者であり,成人してからもそれを強くもち続けている者である。両親の不安定な養育や偏頗(へんぱ)な愛情が,子どものエディプス・コンプレクスを不当に強化することは自明のことであろう。なお,女性のエディプス・コンプレクスをとくにエレクトラ・コンプレクス Electracomplex(ユングの造語)ともいう。   下坂 幸三

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オイディプス
オイディプス Oidipous ギリシャ神話のテーベの王で、テーベ王ライオスと妃イオカステの子。もし男の子をもうけたならばその子に殺されるだろうというアポロンの神託をうけたライオスは、生まれてきた男の子の足をしばり、さびしい山中に置き去りにして死なせようとした。しかし、男の子は羊飼いにたすけられ、コリントスの王ポリュブスにもらわれてオイディプス(ふくれた足)と名づけられ、王の息子としてそだてられた。成人したのち、オイディプスは自分が父親を殺すことになるという神託をうけたため、コリントスをはなれた。さまよううちに、ライオス一行にであい、盗賊の一団とまちがえて殺してしまう。こうして神託は、オイディプスの知らないうちに実現されたのだった。

オイディプスがテーベにたどりつくと、そこにはスフィンクスとよばれるおそろしい怪物がいた。町へむかう道にあらわれ、自分のだした謎(なぞ)をとくことができない旅人をすべて殺してむさぼり食ってしまうのだった。しかしオイディプスがこの怪物の謎を首尾よくといたため、スフィンクスは自殺した。ライオス王が行きずりの盗賊に殺害されたと信じていたテーベの人々は、スフィンクスから自分たちを解放してくれたオイディプスに感謝し、彼を王とし、妃イオカステを妻としてあたえることになった。実母と息子という関係を知らない夫婦は、2男2女をもうけて何年もの間幸福にくらした。

その後、おそろしい伝染病がこの国をおそい、ライオスを殺した者を罰せねばならないとの神託がくだされた。オイディプスはこのとき、自分が父殺しであり、母を妻としていた罪を知った。悲しみと絶望からイオカステは自殺し、オイディプスは彼女が死んで子供たちものろわれていることをさとったとき、自らの手で両目をえぐりだしたうえ、王位を放棄した。彼はその後も数年間テーベでくらすが、ついには追放される。

オイディプスは娘のアンティゴネに手をひかれて放浪をつづけ、最後はアテネ近郊の、女神エウメニデスをまつった神殿コロノスにたどりついてそこで死んだ。放浪者のための隠れ場ともなっていたこの地こそは、以前にアポロンが、オイディプスの死場所はいつまでも神聖で、アテネに大きな利益をもたらすであろうと予言した所だった。

運命に翻弄(ほんろう)されたオイディプスの話は、ソフォクレスの悲劇「オイディプス王」としてよく知られている。

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エレクトラ・コンプレックス
エレクトラ・コンプレックス

エレクトラ・コンプレックス
Electra complex

  

精神分析の用語。女子が父親に性愛衝動をもつと同時に母親に嫉妬と憎しみをいだきながら,これを無意識のうちに抑圧し,屈折した異性願望を形成する心的状況をいう。広義にはエディプス・コンプレックスに含まれるが,特に女子の場合に限って,男子の母親に対する愛着と対比させて用いる。





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エディプス・コンプレクス
Oedipus complex

精神分析の用語。ひとが両親の双方に対して抱く主として無意識的な愛および憎悪の欲望のすべてをいう。ギリシア伝説のオイディプス王のように,同性の親を憎み,異性の親を愛する形を〈陽性エディプス・コンプレクス〉とよび,逆に,同性の親を愛し,異性の親を憎む形を〈陰性エディプス・コンプレクス〉とよぶ。現実の様態は,この陰陽のエディプス・コンプレクスがさまざまな割合で混合している。したがって,人間生活において純粋の陽性または陰性のエディプス・コンプレクスが存在すると考えるのは間違いである。S. フロイトによれば,エディプス願望は,3歳から5歳にかけての男根期に激しくなり,男児は去勢不安(去勢コンプレクス)を経ることによって,女児は男根の獲得(ペニス羨望)をあきらめ,それが子どもを得たいとする望みに移行することによって,エディプス願望は消滅し,無意識化され,同性の親への同一化が促進されることになる。児童を直接治療した M. クラインによれば,すでに3歳以前,生後1年の間においてすらエディプス的な幻想がみられるという。神経症者は,フロイトによれば,エディプス・コンプレクスの克服に失敗した者であり,成人してからもそれを強くもち続けている者である。両親の不安定な養育や偏頗(へんぱ)な愛情が,子どものエディプス・コンプレクスを不当に強化することは自明のことであろう。なお,女性のエディプス・コンプレクスをとくにエレクトラ・コンプレクス Electracomplex(ユングの造語)ともいう。   下坂 幸三

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エレクトラ
エレクトラ Elektra ギリシャ神話で、ミュケナイの王アガメムノンと王妃クリュタイムネストラの娘。クリュタイムネストラとその愛人アイギストスがアガメムノンを殺害した際、エレクトラは身の危険にさらされた弟のオレステスを親戚にあたるポーキスの領主のもとに脱出させた。ミュケナイをクリュタイムネストラとアイギストスが支配している間、彼女はいつも監視下にあってまずしい暮らしをおくった。

7年後、成人したオレステスは、いとこのピュラデスをともなって帰国し、父の墓にもうでた。そこで彼らは、墓にぶどう酒をそそぎ復讐(ふくしゅう)のための祈りをささげにきていたエレクトラと再会する。彼女は弟たちと力をあわせ、アイギストスとクリュタイムネストラを殺して父のかたきをうった。エレクトラはのちに、ピュラデスと結婚したという。

悲劇詩人ソフォクレスとエウリピデスの「エレクトラ」はこの伝説をえがいた悲劇で、アイスキュロスも「オレステイア」3部作の中でとりあげている。

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L.ビンスワンガー
ビンスワンガー

ビンスワンガー
Binswanger,Ludwig

[生] 1881.4.13. クロイツリンゲン
[没] 1966.2.5. クロイツリンゲン

  

スイスの精神病理学者。フッサールの現象学,ハイデガーの現存在分析の影響を受け,精神病理学における現存在分析の方法を確立した。主著『夢』 Wandlungen in der Auffassung u. Deutung des Traumes. Von den Griechen bis zur Gegenwart (1928) ,『論文集 (邦訳:現象学的人間学) 』 Ausgewhlte Vortrge u. Aufstze (1巻 47,2巻 55) ,"Erinnerung an Sigmund Freud" (56) ,『精神分裂病』 Schizophrenie (57) ,"Grundformen und Erkenntnis menschlichen Daseins" (62) 。





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ビンスワンガー 1881‐1966
Ludwig Binswanger

スイスの精神医学者で,現存在分析の創始者。祖父がボーデン湖畔のクロイツリンゲンに建てた精神病院の院長を1911年から56年までつとめ,それ以後も同地を離れなかった。チューリヒ大学精神科の E. ブロイラーのもとで精神医学を専攻したが,そこで医長をしていた C. G. ユングと親交を結び,その紹介で S. フロイトとも知り合って,二人の友情は長く続いた。そのようなわけで,最初は精神分析に打ち込んだが,1910年に父が死んでからは病院にもどり,そこで観察した症例を検討しながら,彼自身の構想を発展させていった。20年代にはフッサールの哲学に近づき,病者を歴史的に展開する主体として現象学的にとらえようと努めた。さらにハイデッガーの影響下でその現存在分析論 Daseinsanalytik に立脚した人間存在の解明を試み,《夢と実存》(1930)を発表して,〈上昇と落下〉の人間学的本質特徴を描き出す。これ以後30年代の努力を経て現存在分析の方法をしだいに確立し,40年代に入ると《精神分裂病》(1944‐53)や《失敗した現存在の三形式》(1949‐56)を相次いで発表して,ドイツ語圏を中心とした精神医学に広範な影響をあたえた。晩年にはふたたびフッサールの後期の著述に関心を強め,それをもとに《メランコリーと躁病》(1960),《妄想》(1965)を発表するなど,最後まで研究者の姿勢を崩さなかった。               宮本 忠雄

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K.アブラハム
アブラハム 1877‐1925
Karl Abraham

ドイツの精神分析医。はじめスイスのブロイラーに師事し,ユングらと一緒に学んだ後,S. フロイトと親交を結び,1907年ベルリンで開業してドイツで最初の精神分析医となった。10年には,やがて国際精神分析運動の中心となったベルリン精神分析学会を設立,ホーナイ,グローバー E.Glover,M. クラインらの教育分析を行った。主な業績は,リビドー発達,性格形成,分裂病,躁鬱(そううつ)病,薬物嗜癖などの研究にあり,人類学や神話学や芸術の分野にも及んでいる。彼は精神分析運動の分派抗争の中で,その優れた判断力と中庸を守る性格によって,フロイトの良き片腕として精神分析の発展に貢献したが,活動の半ばで惜しくも他界した。           馬場 謙一

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A.A.ブリル
E.ジョーンズ
ジョーンズ 1879‐1958
Ernest Jones

イギリスの精神分析学者。ウェールズに生まれ,1900年ロンドン大学医学部卒。はじめ神経病医として開業したが成功せず,09年から12年までカナダのトロント大学精神科に奉職。その後フェレンツィに教育分析を受け,ロンドンで精神分析者として開業。フロイト理論の解説と普及以外にさしたる理論的業績はないが,イギリス精神分析学会,国際精神分析学会の会長を長くつとめ,《国際精神分析誌》(英語版)を編集し,M. クラインをロンドンに招いて〈イギリス学派〉の創立を助け,多くのユダヤ人精神分析学者,とりわけフロイトのロンドンへの亡命に尽力するなど,社会的には大いに活躍した。フロイトの伝記作者としても有名。
                         岸田 秀

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弥縫策としての心理学(その13) [哲学・心理学]

ソシオメトリー
ソシオメトリー

ソシオメトリー
sociometry

  

社会測定法,計量社会学とも訳される。集団のなかの不適応現象や病態行動の診断と治療を目的として,集団の構造,成員の地位を測定,分析する理論。 J.L.モレノに始る。成員間に牽引や反発の力学的緊張関係を仮定し,知己テスト,ソシオメトリック・テスト,自発性テスト,状況テスト,役割演技法によって測定する。成員の地位を示す指標としては選択地位指数や拒否地位指数,集団の構造を示す指標としては凝集性指数や緊密性指数などがある。





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ソシオメトリー
sociometry

モレノによって考案された,小集団の人間関係を測定する科学であり,その方法と測定された結果とを示す言葉。日本では,教育現場等において,学級集団の人間関係を理解する目的で使用されることが多い。主として質問紙を用い,各メンバーが何らかの具体的な状況において,仲間として選択するものと拒否するものを記入させ,それをもとにして,ソシオマトリックス sociomatrix やソシオグラム sociogram を作成する。これにより各人が集団の中で占めるステータスや相互関係がわかり,ある集団の中にどのようなサブ・グループがあるかを見いだせる。最も多くの人に選択される“人気スター”,選択も拒否もされない“孤立者”,拒否されることの多いもの,相互選択のみられる“ペア”や“トリオ”,選択が一方通行の関係などが見いだせる。この結果を分析して,相互関係が成長に役立つような積極的な集団形成をはかることが可能となる。                  増野 肇

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ソシオメトリー
I プロローグ

ソシオメトリー Sociometry 集団内の対人関係における選択・排斥・無関心というような心理的関係や、集団構造に関して、精神科医モレノ, J.L.が創始した理論。文字どおりには社会的測定という意味であり、のちにのべるソシオメトリック・テストと同義にもちいられることもしばしばあるが、モレノ自身の考えはもう少し幅ひろい。

要約すると次のようにまとめられる。(1)個人間の心理的関係の分析とその再組織化によって人間の解放と社会変革をめざす。(2)世界は創造の場であり、創造は自発性から生まれる。人はあたえられた役割にしばられることから解放されて自発的になったときに、創造性を発揮することができる。(3)現実社会は外部から観察可能な外部社会(集団)と、外部から観察されずソシオメトリックな心理的分析をとおしてのみ把握される内部社会との力動的関係ないし弁証法的葛藤(かっとう)からなりたっている。(4)集団成員間には感情の流れがあり、その基本形はけん引(ひきつけあうこと)・反発・無関心である。ある個人を中心にあつまるこの感情の流れは集団関係を構成する単位であり、これを社会的原子という。(5)文化にはその文化をささえる役割や役割関係があり、個人は、その個人の役割と関連する多数の役割関係との焦点として、文化を構成する単位であり、これを文化的原子とよぶ。

これらの基本的な考えにもとづいて、集団内の人間関係とその構造を分析するためのさまざまなテストが考案された。それらは(1)知人テスト、(2)ソシオメトリック・テスト、(3)自発性テスト、(4)状況(事態)テスト、(5)役割演技テスト、である。これらはその順番にしたがって、しだいに集団の深層に接近する意味をもつとされている。(1)は個人の社会的広がりの範囲を測定するものである。(2)は集団の成員間の心理的な選択・排斥関係を明らかにし、集団の構造を把握するものである。(3)は成員相互の感情的関係がどれほど自発的であるかに関して、その強さと範囲を測定するものである。(4)はある事態における成員間の同情や怒りなどの感情を観察するものである。(5)はある社会的役割をできるだけその役になりきって演技させようとするテストである。これを心理治療の目的でおこなうのが心理劇(サイコドラマ)であり、集団ないし社会の葛藤を解決するためにおこなわれるのが社会劇である。

II ソシオメトリック・テスト

この中でもっともよくもちいられているのはソシオメトリック・テストである。これは、集団の各成員に対してその成員が選択ないし排斥の感情をいだく他の成員を指名させ、それによって、だれがだれをえらび、だれを排斥しているかを明らかにするとともに、その関係(相互的な選択や相互的な排斥、あるいは一方通行的な選択など)や構造(集団全員からの選択をうけるスター的存在がいる・いない、だれかがスケープゴートになっているなど)をしらべ、それを改善することをめざしている。

その際、指名は選択だけにするか排斥をもふくめるか、その人数は何人までか、その範囲は集団内にかぎるかどうか、どのような場面を想定するか(バス旅行をするときにだれと隣り合わせになりたいか、など)などの条件を規定しておこなわれる。ただし、今日では排斥に関しては研究者倫理の観点からして、しらべるべきではないといわれている。

このようなソシオメトリック・テストの結果の整理方法としては、(1)ソシオマトリックス、(2)ソシオグラム、(3)統計的数量化の3種類が考えられている。(1)は集団成員を行と列に配し、行のn番目の成員が列のm番目の成員を選択するかどうかをその行列に記号で記入することによって作成される。このマトリックス(行)から、各成員についての被選択数(被排斥数)がえられ、その集団における社会的地位が測定されるとともに、先にのべた相互選択・相互排斥・一方通行選択などの事実がえられる。(2)は成員相互の選択・排斥を、被選択数の多い者を中心に、相互選択の者同士を近くに、という原則にのっとって円形グラフにしめすことが多い。これによって、集団のまとまり、人気者や被排斥者の存在などが視覚的にとらえやすくなる。

モレノ自身はこうしたソシオメトリック・テストを非行少年収容施設で実施し、その結果にもとづいて集団の再構成をこころみ、大きな効果をあげたといわれている。実際、今日話題になることの多い「いじめ」などは、学級内の選択・排斥の集団構造が明らかになれば、ある程度は対応が可能になる面もあるだろう。

しかし、このテストの実施そのものが、潜在していたにすぎないネガティブな人間関係をかえって顕在化したり、負の関係(たとえば排斥の関係)を強化したりする可能性もある。それゆえ、すでにのべたように、最近ではこの種のテストの実施には細心の注意がもとめられる。実際、「いじめ」や「不登校」などの学校教育の問題は、心理劇を導入することによってかなりの成果がえられているようである。いずれにしろ、モレノがおよそ60年前に問題にした事柄が、今日の日本社会においてむしろ現実味をおびてきている感がある。

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J.L.モレノ
モレノ

モレノ
Moreno,Jacob Levy

[生] 1892.5.20. ブカレスト
[没] 1974.5.14. ニューヨーク

  

ルーマニア生れのアメリカの精神病理学者,社会心理学者。数理社会学派ないしソシオメトリー一派の中心者。ウィーン大学卒業後,精神病診療活動から心理劇を利用する集団療法を創始した。 1935年アメリカに帰化後は,アメリカ社会学,ことに行為理論の影響を受け,集団の心理的構造の理論化を行なった。この理論化に際して用いられた技法が有名なソシオメトリーの手法や指標分析法である。これらの手法を行為理論と結びつけて,集団論,集団の動的メカニズム論を体系づけた。雑誌『ソシオメトリー』 Sociometry (1937~56) ,『グループ・サイコセラピ』 Group Psychotherapy (47~74) などの発刊や,ソシオメトリー研究所 (42) ,アメリカ・ソシオメトリー学会 (45) の創立などに中心的活躍を示している。主著『誰が残るか』 Who Shall Survive? (34,改訂版,53) ,『ソシオメトリー』 Sociometry,Experimental Method and the Science of Society (51) 。





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モレノ 1892‐1974
Jacob Levy Moreno

ルーマニアのブカレスト生れの精神科医。サイコドラマ(心理劇)とソシオメトリーの創始者。ウィーンで医学を修め,演劇活動に熱中,即興劇の劇団を組織し,その活動の中から治療としてのサイコドラマを創始した。1928年アメリカへ移住,36年ニューヨークのビーコンにサイコドラマのための劇場を設け,多くの療法家を育てた。集団精神療法の会も組織し,測定方法としてのソシオメトリーを考案。妻ザーカ Zerka も療法家として知られる。
                         増野 肇

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状況テスト
状況テスト

じょうきょうテスト
situational testing

  

ソシオメトリーのためのテストの一種。場面検査ともいう。ペアを組んだ両者に,設定された状況 (たとえば,怒り) で心理劇を行わせて行動観察をする。





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心理劇
心理劇

しんりげき
psychodrama

  

サイコドラマ。 J.L.モレノが考案した一種の集団心理療法。対人関係から生じる情動的な問題を解決する目的で,患者が参加した劇が行われる。まず問題場面が設定され,患者が主役となり,それに相手役と観察者が加わって自由に即興的演技が行われる。それに続いて全員による批判がなされ,再び演技が行われる。これにより患者は問題場面に適応する反応の仕方を学習する。





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心理劇
しんりげき psychodrama

即興劇の形式を用いた集団精神療法の一つ。精神科医モレノが創始したもので,サイコドラマともいう。モレノはウィーンで医学を修めたのち,新しい演劇形式に関心をもち,新聞のニュースをその場で即興的に演じる劇団をもった。その劇団の一女優の家庭内での攻撃的問題行動の相談を受けた彼は,清純な乙女役の彼女にそれまでと異なった悪女役を演じ続けさせることで家庭内の攻撃性を解消させ,これが心理劇の治療的側面の発見となった。第2次世界大戦を前にアメリカに移住した彼は,ニューヨークのビーコンに心理劇の舞台を作り,多くの心理劇療法家を育てた。
 監督と呼ばれる治療者の指導のもとで,主役は,舞台という安全で自由な仮の世界の中で自分の課題を表現し,危機を克服する。それを通して,気づかなかった自分の一面を発見し,新しい役割や生き方を身につけるようになる。他の患者や他の治療者がこの仮の世界でさまざまな相手役を演じながら主役を助ける。彼らは主役の自我の一部を補うという意味で補助自我と呼ばれる。ドラマを見る観客は受容や共感を表明しこれを助ける。心理劇の効果は,自己の課題を表現することによるカタルシス,新しい自分の発見,危機を克服する力としての創造的な自発性を育てること,〈テレtele〉と呼ばれる深い人間交流を体験することである。モレノは,人生における最初の補助自我は母親だと述べている。この療法のおもな対象は神経症や心身症であるが,日本では精神病院で分裂病を対象とすることが多い。教育関係では早くから紹介され,役割訓練としての〈ロールプレーイング role playing〉が普及している。ほかに,社会的テーマを扱う〈ソシオドラマ sociodrama〉,パントマイムによる〈サイコマイム psychomime〉などの技法がある。⇒精神療法        増野 肇

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ロールプレイング
ロールプレイング
I プロローグ

ロールプレイング Role Playing 通常は1人ないし数人の援助をえて、ある人がふだんは演じることのない人物の役割や立場を、筋書きのないドラマ(寸劇)の中で即興的、自発的に演じ、それによってその人物が「今、ここ」で感じる感情や思考をみずからのうちで実際に経験すること。日本語訳のまま、役割演技ということもある。

II 心理劇に起源

ロールプレイングはJ.L.モレノが創案した心理劇に起源をもつ。モレノは、家庭で夫との衝突がたえなかったある女優に、ふだんのしとやかな娘役とはことなる売春婦の役割を即興的に演じさせてみたところ、迫真の演技で観客から喝采(かっさい)をあびたことにヒントをえて、心理劇をはじめたといわれる。モレノの心理劇は、監督、演技者、観客、補助自我、舞台という5つの要素からなり、監督が設定するある場面を演技者が自分の欲求と自発性にもとづいて即興的に演じ、それによって劇を進行させるものである。

III 経験にもとづく問題解決

この寸劇の中で、ある人物の役割を実際に即興的に演技してみると、自分でも予想しなかったようなせりふや態度が自発的にあらわれることが多い。それは、(1)みずからが自発的におこなったということの経験、(2)その役割人物への共感の経験、(3)演技者自身に潜在していた可能性にみずから気づく経験にもとづく。これら3つの経験が、自分のそれまでの感情の動きや行動、態度を変容させるきっかけになる。

ロールプレイングは、心理劇における演技者のこれら3つの経験、すなわち自発性の原理、共感の原理、自己変容の原理に注目することによって、心理劇という枠組みをこえ、さまざまな領域で活用されるようになったものである。

IV ロールプレイングの実際

一般的には、2人または3人で簡単なテーマと自分のとる役割をきめ、そのうちのだれかの一言をきっかけに寸劇がはじまるというかたちで進行する。ここまでやれば終わりという決まりはなく、それぞれがその役割を演じ、また相手の出方を経験することをとおして、自分の内部に生じるさまざまな感情の動きを経験できれば、ロールプレイングの目的は達せられる。

たとえば、夫の不倫になやむ女性がいるとして、その三角関係にかかわる3者が偶然でくわし、今後について話しあうというテーマを設定したとしよう。そこで夫の不倫になやむ当の妻が夫の不倫相手の女性役を演じ、ロールプレイングに参加するほかのメンバーが夫役、さらにもう1人が妻役を演じることにして、寸劇をおこなってみる。そうすると、その女性はこれまでの妻としての立場からばかりでなく、相手の女性の立場からの見方、あるいは夫の立場からの見方を感情をともなって経験することができる。その経験が現実の不倫問題の解決になるとはかぎらないが、そこにあらわれるロールプレイングの3原理をとおして、「今、ここ」での乗り越えのきっかけがえられる場合がある。

V さまざまな利用

以上の3原理を生かすことによって、ロールプレイングは多様な場面で利用されている。

例をあげれば、(1)カウンセラー(→ カウンセリング)の養成において、面接演習の一環として、セラピストとクライアント(心の問題を相談にくる人)の役割を養成参加者がたがいに演じ、スーパーバイザー(監督する人)の指導をうけるという文脈でおこなう。(2)教師、看護師、保育士など、人を相手にする職業の人々が、みずからの自発性を高め、その共感能力をみがこうとする文脈でおこなう。(3)学校教育の場で、いじめやエイズ差別などのテーマをとりあげ、生徒間でたがいに相手の立場を共感的に理解できるようになることを目的としておこなう。(4)家族療法などにおいて、家族メンバーがそれぞれ他のメンバーの立場に気づき、とどこおっている家族関係を改善するきっかけとすることを目的としておこなう、などである。

たいていの場合、最初の数回のセッションでは気恥ずかしさがともない、なかなか役割になりきれない。しかし、セッションを重ねるにつれて、気恥ずかしさや照れがとれ、役割にとけこむことができ、その役割人物の感情の動きを体験できるようになる。

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役割演技法
役割演技法

やくわりえんぎほう
role-playing method

  

仮想的にある状況を設定し,即興劇のようにしてそのなかで特定の役割を演じさせる心理療法的技法の一つ。その即興的演技は参加者相互や観察者の批判によって,よりふさわしい演技へと改善される。心理療法以外に,社会関係の診断および改善,社会行動の教育訓練などに用いられる。 (→心理劇 )





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群衆
群衆

ぐんしゅう
crowd

  

共通の対象に関心をもつ一群の人々が一時的にある場所に集っていて,これらの人々に互いに類似の仕方で反応が喚起され,一時的な漠然とした一体感がもたれる場合がある。このような状態の一群の人々を群衆と呼ぶ。これらの人々は,偶発的,一時的,情動的な結びつきをもつにすぎず,永続的な組織をもたない。群衆のもつ特殊な心理的状態として,(1) 被暗示性,(2) 残忍さ,熱狂などの情緒性,(3) 無名性,(4) 無責任性などがあげられる。群衆はその行動特徴に従って乱衆 mob,会衆 audienceなどに分けられる。乱衆にはリンチ,暴動などを引起す攻撃的なもの,劇場や列車の火事,船の沈没などに際してパニックに陥る逃避的なものがあるが,いずれもその特徴は行動的,情緒的である。これに対して会衆は,偶然的,意図的なもので,受身的な特徴をもつ。





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群集
ぐんしゅう crowd∥foule[フランス]

非日常的な状況のもと,多少とも共通の関心,志向,目標を抱いて集まっている人間集合。すなわち群集は,非日常性と志向の共通性を特徴とする。たとえば,あるデパートにある時刻に何百人,何千人の客がいても,それは群集ではない(サルトルは《弁証法的理性批判》の中で,集合態または集列体と呼んでいる)。ところが,ある売場でのバーゲン・セールが多くの客のお目当てになると,彼らは群集に近づく。混雑がひどくなり,熱気が増し,店員の整理や制止が利かなくなり,購買行動の場としての日常性が破れると,そのとき群集が出現する。店内で火事が発生し,すべての客が出入口に殺到すると,彼らはまぎれもなく群集である。劇場やイベントの観客,音楽会の聴衆などは,その鑑賞行動それ自体が非日常的だし,鑑賞対象にみんなの関心が集中してもいるから,だれかがつまずいたり,前に出ようとして押合いが起こるなど,些細なトラブルがきっかけで群集になりやすい(見物群集)。
 古代にも,祭礼や災害,戦争などをきっかけに,さまざまな形態の群集が発生していた。しかし群集のもつ政治的・社会的な力が注目され,群集そのものが注目されたのは,フランス大革命その他の近代市民革命以後である。ただし,群集についての理論を最初に展開したとされる19世紀フランスの心理学者ル・ボン Gustave Le Bon は,しばしば指摘されるように貴族主義の立場から群集,とりわけ革命群集を断罪した。ル・ボンに異を唱えた同時代のフランスの社会心理学者タルドGabriel Tarde の群集観も,この点では同じで,情緒的,非合理的,残虐,付和雷同的など,群集の劣性を両者とも強調している。たしかに群集は非日常状況のもとにいるから,日常の規範,行動パターンから逸脱しやすい。役割分担やコミュニケーション・ネットワークなどの組織性も欠けている。しかも志向性は共通だから,同調行動にはしりやすい。そのとき目標やチャンスが希少だ(と認識される)と,早い者勝ちの競争が激化する。いわゆる群集の劣性は,こういう要因の組合せから発現する。ただし群集のアノミー(規範喪失,無秩序)といっても,既存の秩序の側の一方的な裁断かもしれないし,非日常状況(ハレの日)のもとで日常(ケの日)のとは違う別種の規範が働いているかもしれない。リュデ George Rudレ が《フランス革命と群集》(1951)で明らかにしたように,きわめて戦闘的な革命群集が思慮と規律をもち,組織化していく例もみられる。
 なお群集の類語に,乱衆 mob,公衆 public,大衆 mass などがあり,それぞれの区別はあいまいである。ただコミュニケーションのメディアを規準にするなら,群集は声や身ぶりで情報を交換・伝達し,メディアを必要としない(ときには旗や楽器,携帯マイクの類を用いるが)。公衆は小規模のメディアで結ばれ,空間的に〈散らばった群集〉(タルド)と考えられる。大衆はマス・メディアの末端にいる。乱衆は,規範から逸脱し,暴力化した群集である。                稲葉 三千男

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公衆
公衆

こうしゅう
public

  

共通の関心で結ばれているが,拡散して組織化されていない集団。ただし,同じく未組織集団であるが,集合密度の高い群衆とは対照的に区別される。 G.タルドによれば,群衆の場合,その成員が空間的にまた物理的に近接していなければ存在できないのに対し,公衆は分散して存在することができ,コミュニケーション手段の進歩により間接的接触で集団を形成する。また群衆が成員間の一つの共通関心にのみ自己全体を没入するのに対し,公衆は成員間に共通な関心の対象をもちながら,一つのもののみにとらわれることなく,同時にいくつかの公衆に自己を分割できるとしている。





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公衆
こうしゅう public

メディアを用いたコミュニケーションで結ばれている人間集団。ル・ボンが〈現代は群集の時代だ〉と否定的に規定したのに対し,タルドが〈現代は公衆の時代だ〉と反論し,公衆を社会学,社会心理学の用語にした。タルドにおける公衆のイメージは〈拡散した群集〉であり,したがってタルドは公衆にも,群集についてと同様,情緒的・非合理的・付和雷同的などのレッテルをはっている。ただし公衆は群集と違って烏合の衆ではない。散らばっていて,同一のメディア(タルドが実際に念頭に置いていたのは数千部,せいぜい数万部の――どちらかというと党派性の強い――政治新聞)で結ばれているだけだから,ときには党派的意見,偏見,センセーショナリズムの扇動で暴発することもあろうが(そのときには群集として行動するだろう),もっと冷静に判断し,行動する余地もある。この可能性に期待するなら,そして多種多様なコミュニケーションの自由が保障されていて,多種多様で豊富な意見や情報をもとにして公衆の間で自由活発な討議が行われるなら,公衆は理性的に判断し,真理や真実を発見するはずである。近代民主主義政治の担い手として想定される公衆は,まさにこういう理想の集団である。しかし,現実にはこういう公衆は存在しない。W. リップマンが《幻の公衆》を刊行(1925)したのは,公衆のこの幻想性に気づいたからである。なおフランス語の日常の用例では,public は演劇,音楽,演説などのauditoire(聴衆)と同義のことが多い。public をfoule(群集)と同義に用いた例も少なくない。⇒群集                     稲葉 三千男

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G.ル.ボン
ル・ボン

ル・ボン
Le Bon,Gustave

[生] 1841.5.7. ノジャンルルトルー
[没] 1931.12.15. パリ

  

フランスの思想家,社会心理学者。医学を修めたが,のち外交官に転じ,民族の文化,精神的特性に関心をもち,さらに群集心理の研究に従事。群集心理の非合理性およびその個人に及ぼす強圧性を認め,さらに国民,議会制度,革命などにまで考察を広げた。主著『民族発展の心理学的法則』 Les Lois psychologiques de l'volution des peuples (1894) ,『群集心理』 Psychologie des foules (95) ,『フランス革命と革命の心理』 La Rvolution franaise et la psychologie des rvolutions (1912) 。


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[ブリタニカ国際大百科事典 小項目版 2008]

ル・ボン 1841‐1931
Gustave Le Bon

フランスの社会心理学者。群集心理学を論じて,現代における社会心理学の源流の一つを担っている。もともと医者として出発したのであるが,その広範な関心に導かれて考古学や人類学を遍歴し,しだいに社会心理学へとかたむいていった。彼の名を不朽ならしめたのは,なんといっても1895年の《群集心理 La psychologie des foules》である。群集とは,そのなかですべての個人が意識的な人格を完全に喪失し,操縦者の暗示のままに行動するような人間集合体である。しかるに,産業革命以後のいちじるしい社会現象の特徴は,人々をますますこのような群集状況下に追いやっていることである。〈いまわれわれが歩み入ろうとしている時代は,群集の時代である〉。このような認識は,19世紀末から20世紀初めにかけてあらわれた多くの社会学的・社会心理学的思想家のそれと共通するものをもっている。ル・ボンが注目されたのはこのゆえである。ただ,今日の群集心理論は,〈大衆行動〉〈大衆運動〉をテーマとして,群集の非合理性を組織化へ向けるような過程を問題にしており,ル・ボンにみられる群集心理のマイナス面のみの評価からはぬけだしていることに注意すべきである。著作としてはこのほかに,《民族進化の心理法則》(1894),《フランス革命と革命の心理》(1912),《現代の箴言》(1913)などがある。                    富永 健一

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ル・ボン,G.
ル・ボン Gustave Le Bon 1841~1931 フランスの社会心理学者・社会思想家。在野の研究者として、医学・人類学・考古学などにとりくんだが、とくに「群集の心理」(1895)によって、タルド、スキピオ・シゲーレらとならんで社会心理学の創始者とされるようになった。

群集にみられる非合理的で情緒的な側面を極端に強調する彼の理論は、レーニン、ヒトラーなどの20世紀の大衆的な指導者に大きな影響をあたえる一方で、学問的な領域においても、心理学のフロイトや政治学のロベルト・ミヘルスなどに、重要なインスピレーションをもたらした。

ただし、群集現象の中に個人主義の低下や責任観念の減退といった現代社会の否定的な傾向をみるル・ボンの考え方は、革命的群集の組織性や目的性を指摘したジョルジョ・ルフェーブルらによって批判されている。

→ 群集行動

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社会心理学
社会心理学

しゃかいしんりがく
social psychology

  

社会的行動についての諸現象を研究する社会科学の一分野。社会的環境のなかで,個人や集団がどのような条件のもとでどのような行動を示すかについて科学的方法によって研究を行う。そこではおもに,(1) 社会的要因の個人への影響,たとえば,社会的知覚,社会的学習,社会化の過程など,(2) 集団内の個人と個人,個人と集団との相互関係,たとえば,相互交渉過程,指導性,集団の形成,分化,社会規範など,(3) 集団行動,たとえば流行,世論,宣伝に対して集団が全体として反応する行動など,が扱われている。 (→集団心理学 )





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社会心理学
しゃかいしんりがく social psychology

社会的諸条件の下におかれた人間の心理や行動を,それらの条件に根ざす諸要因と関連づけて理解し,説明しようとする社会科学の一部門。ただし,ここでいう社会的諸条件とは,他の人間,集団,集合(群集,聴衆など),社会過程,制度,社会構造,文化等を含むものである。社会心理学は,実際には心理学と社会諸科学の境界科学という性格が強く,その立場によって関心の焦点やアプローチの方法にもかなりの差がある。大別すると,社会的因子を重視しつつ個人の心理や行動の理解をめざす心理学的な社会心理学の立場,および社会構造やその変動の心理的諸帰結,もしくは集合行動や集合的心理現象それ自体に関心を示す社会学的な社会心理学の立場が区別されよう。社会的知覚,態度,パーソナリティ(性格)などが前者の代表的な研究対象であるとすれば後者のそれは社会意識,集合行動,社会運動などであろう。なお両者の接点に位置する対象として相互作用やリーダーシップの現象があり,双方からのアプローチがなされている。
[歴史的展開]  人間の社会性についての議論は哲学の歴史とともに古く,プラトンやアリストテレスにまでさかのぼることができる。しかし社会心理学の成立に直接にかかわりをもつのは,近代以降の諸思想である。イギリスでは J. ベンサムやH. スペンサーらの功利主義説が,快楽の追求と苦痛の回避をもって人間のいっさいの動機の源とする見方を打ち出し,フランスでは19世紀末 G.ル・ボンや J. G. タルドが暗示や模倣をもって社会現象を説明する見地を展開する。他方 E. デュルケームは,社会学的立場から,個人意識とは区別された平面で集合表象を重視し,それをもって宗教,道徳などの研究に進んでいる。ドイツでは,W. M. ブントらがさまざまな社会,国家の特有の精神的特徴に注目し,民族心理学を提唱した。なお,これとは流れを異にするが,E. トレルチや M.ウェーバーによる宗教や実践倫理(エートス)の考察も,後世の社会意識の研究に大きな影響を与えるものとなった。
 20世紀のアメリカでは,経験的方法の土台の上で心理学的傾向の強い研究が隆盛をみる。その先駆としては,コミュニケーションや相互作用を重視して自我の形成を論じた C. H. クーリーや G.H. ミード,ポーランドからの移民の実証研究にもとづいて価値,態度(ことに状況規定)と社会行動とのかかわりに照明をあてたトマス W. I. Thomasと F. ズナニエツキらがあげられる。また本能論衰退後に盛んになる行動主義の説は,実験的研究を促進するほか,行動に及ぼされる後天的な習慣や環境要因の重要性に注意を喚起した。1930年代以降は,実験的手法を用いての社会行動や集団内行動の心理的諸過程の研究がすすめられ,シェリフ M. Scherif の社会的知覚,J. L. モレノのソシオメトリー,のちのグループ・ダイナミクスにつながる K. レウィンの集団行動の研究などが新生面をひらく。また,S. フロイトおよび新フロイト派の深層心理学が導入され,偏見,権威主義的性格,社会運動などの研究に適用されて成果をあげたことも特筆される。
[研究の動向]  第2次大戦後から今日にかけては社会心理学の研究はいちじるしく拡大され,豊富化し,方法的にも厳密化と多様化が進んでいる。これを主題ごとに概観する。
(1)パーソナリティと社会的性格の研究 〈文化とパーソナリティ〉という視野の下での国民的性格,基本的パーソナリティなどの研究,また E. フロム,T. W. アドルノらによって推進された権威主義的性格の研究などがあげられる。〈他人志向型〉性格の提唱で知られる D. リースマンの大衆社会のパーソナリティの考察や,アイデンティティの危機を発達過程や社会的・歴史的経験と関連づけて追究している E. H. エリクソンの業績なども重要である。
(2)個人の行動や集団内行動の研究 実験的方法とデータの数量的処理によってとくに多くの研究が蓄積されている分野であり,認知やモティベーション(動機づけ)の研究,態度論,集団規範などの研究がそれである。なかでも,認知要素間の不協和から認知構造の変容を説明しようとした L. フェスティンガー,認知の不均衡から対人関係の変化を説明したハイダー F. Heider などの試みが注目され,またニューカム T. M. Newcomb,カートライト D. P. Cartwright,ザンダー F. Sander らによる集団規範の機能や形成についての研究も,その後の研究の発展の基礎をなした。
(3)コミュニケーションと態度変容の研究 この方面の古典としてはラザースフェルド P. F.Lazarsfeld らのコミュニケーション過程の研究があるが,戦後は,ホブランド C. I. Hovland らによってコミュニケーションの内容,様式,信憑性とこれに接する個人の態度との関係が精力的に追究されてきた。これは受け手の態度の研究と結びついたものであり,態度変容の研究にも種々の刺激を与えた。また別の系統の研究動向としては,象徴を用いての相互作用の固有の意義をあらためて問い直すブルーマー H. G. Blumer らの試みがあり,自我論や相互作用論への新たな視角として注目されている。
(4)集合行動や社会意識の研究 社会構造とその矛盾,変動などに関心をもつ社会学と,社会心理学とのいわば接点で展開されてきた諸研究である。たとえば社会構造と逸脱行動の関連を明らかにした R. K. マートンのアノミー論,集合行動を一連の価値付加過程として定式化したスメルサーN. J. Smelser の理論などがあげられる。また,一般に社会意識の名称でよばれる階級・階層意識,政治意識,労働意識などの実証研究もここに加えることができる。
 以上の多様な研究を通してうかがえるのは,一個のディシプリン(個別科学)としての社会心理学の存在よりは,むしろ扱われるべき社会心理学的問題群の豊富さと重要性であろう。これらに対し種々多様なアプローチがとられているのが実情であるが,方法的につきつめると分析の単位を個人に置くか,関係や集団のレベルに置くかといった点の立場の相違がある。また,実験的に要因を統制した心理学的なアプローチと,歴史的・社会的諸条件のなかで問題を扱う社会学的なアプローチの相違も大きく,それらの間に架橋することは必ずしも容易ではない。⇒社会学∥心理学
                         宮島 喬

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社会心理学
I プロローグ

社会心理学 しゃかいしんりがく Social Psychology 社会心理学は、いろいろな場面における個人のふるまい方や、個人のいだくさまざまな観念、価値観、思考様式などが、その個人の参加している多様な集団や、その個人の生きる社会・文化によってどのように規定されているか、その逆に、個人の行動や思考のあり方が、集団や社会・文化の動向にどのような影響をおよぼしているかを解明する学問である。つまり、個人、集団、社会・文化のそれぞれが極となる3極構造の相互関係を、主として個人の行動や認知、思考様式、価値観などを中心に解明しようとする学問である。→ 心理学

II 実生活とのかかわり

たとえば、集団は個人によって構成されるものでありながら、個人の寄せ集め以上の力や機能をもち、それらがその集団のメンバーである個人にさまざまな影響をおよぼしている。大きな会社組織を考えてみれば、その集団の一員である個人は、その組織の規則や役割分担をまもってふるまわねばならず、そこにはたらいている集団規範は、個人の力ではうごかすことのできない大きな力としてその個人の行動を律している。個人の側からみるかぎり、個人の力は集団の大きな力の前ではたんなる歯車のひとつにすぎないのである。

しかし、現実の会社組織に属する個人は、集団規範にしばられてあくせくしているばかりではない。そこには上司と部下、同僚というような複雑な人間関係があり、評価する・評価されるというその対人関係力学の中で、個人は同僚とともに「わが社意識」をはぐくんだり、会社の発展をのぞんだり、同僚との競争をバネに立身出世を夢みたりする。基本的にはその会社の生産性向上に寄与する働きがもとめられながらも、個人の意識の中では、ほかの成員との関係において心理的な満足をえられるかどうかが、その集団に所属しつづけるかどうかをかなりの程度規定している。これを会社という集団の側からながめれば、各個人の働きの合力としてその会社の業績がきまるのであるから、その限りでは個人の動向はけっして無視できない。個人の能力を最大限にひきだすことが、会社という集団の発展に不可欠なのであってみれば、各個人がその集団に所属することを喜びとするような方向に集団をもっていくことも、会社経営の重要な課題になる。

このような集団力学についての考察が社会心理学のひとつの領域をなしている。これについては、のちに「集団と個人」というテーマでくわしくみることにしよう。

1 車がほしいという心理

次に、「車がほしい」という個人の欲求を社会心理学的に考えてみよう。今日の日本では、車を所有したりそれをのりまわしたりすることは、だれしも当然のことと考えている。若者たちは、「車がほしい」という考えはだれからそそのかされたものでもなく、それはまさに自分がほしいと思ったのだというだろう。若者であれば皆そのように考えるし、「それは常識だ」と若者はいうかもしれない。しかし同じ日本でも、今から40年前を考えてみれば、当時の若者の大半は車にあこがれはもっていても、自分がそれを所有するなどとは思ってもみなかったし、したがって「ほしい」という欲求もまず生じなかった。そうしてみると、「ほしい」という個人の欲求は、この40年間の日本の社会的、文化的な変動の中で、しだいに社会や文化によって形づくられてきたものだということになる。

自動車産業の業績をみると、この40年間、ずっと右肩あがりの発展をとげてきたことがわかる。しかしそれは、個人の購買力や購買意欲の向上と密接につながっている。そしてこの購買意欲の向上は、生活水準全体の向上の結果ばかりでなく、個人の購買意欲を刺激する巧みな宣伝によって、知人や同僚がもてば自分ももたずにはおれないような、横並び志向がはたらいた結果でもある。女性の社会的自立欲求、最近のシングル志向、高学歴志向など、最近の社会的動向と個人の欲求との関係も同様で、個人のいだくこうしたいという欲求は、「だれでもないこの私がそう欲するのだ」と個人に意識されておりながら、実際には近年の大きな社会・文化的変動の中で、あるときにはオピニオン・リーダーたちの言説が社会的な影響力をもつことによって、あるときには毛細管現象のような微小な動きが蓄積されることによって、個人の意識がそのように方向づけられ、規定されるようになったという面を無視できない。

ここには、社会・文化的に形づくられた共同主観(常識)が個人の主観(意識や欲求の持ち方)を規定していくという、社会心理の重要なテーマの一端をみとめることができる。これについては以下に「社会的認知」や「社会的影響」という項目のもとにくわしくみてみよう。

2 社会的態度

多様な価値観が存在する日本では、ある社会的事象に対して個人のとる態度もまた多様である。しかしここでも、各個人が思い思いにある態度をとっているようにみえながら、実際にはそれは社会的に規定されている場合が多い。社会心理学ではこれを「社会的態度」とよんでいる。たとえばある人は、結婚するからには豪華な披露宴をと考え、そのような態度のもとに、招待する大勢の人をきめ、豪華な披露宴の手はずをととのえるだろう。ところが、人によってはそのような華美な披露宴は無意味と考え、ほんの内輪の人だけを招待し、会費制のつつましい披露宴にとどめるかもしれない。まあ親のすることだからという人もいれば、これは自分のことだから親には口出しさせないという人もいるだろう。結婚の披露という社会的な儀式にかかわる点では共通しても、そこで個人がどのような態度をとるかは、たしかに人によってことなり、その違いはつまるところ個人の選択の違いであるかのようにみえる。

しかしながら、どのような結婚披露宴を考えるかの態度の違いは、その個人が社会的な事象に対して進歩的な態度をとるか保守的な態度をとるかという、より一般的な社会的態度に左右されることがしばしばである。つまり、伝統的な価値観遵守の社会的態度を保有する人は、結婚披露宴にかぎらず、家問題や近所付き合いはもちろん、投票行動などの社会的事象に対しても、たいていは保守的な価値観にそった選択をおこなうことが予想される。逆に進歩的な価値観をよしとする社会的態度の人は、ほかのもろもろの社会的事象に対しても、進歩的な選択をおこなう傾向にある。このように、ある人の社会的態度は、多様な社会的事象の認知の仕方、そこにおける行動の仕方を枠づけるものなのである。

個人の社会的態度は、社会的事象の判断や認知の仕方にどのような影響をおよぼすのか、どのようにして社会的態度は形成され変容するのか、このような問題をあつかうのが社会心理学における「社会的態度」の領域である。

最後に、先の阪神・淡路大震災のような大災害時には、不安や恐怖を背景に、「強い余震がくる」とか「水道に赤痢菌がまじっていてのむと危険だ」というような流言が生じやすい。流言は個人の口から口へと、いわゆる口コミをとおして伝播(でんぱ)するものでありながら、つまり流言の発生とその膨張に各個人がひと役買っていながら、個人はそのマス(集合体)の中に埋没し、マスの動きに翻弄(ほんろう)される。デマや扇動におどらされる事態、流行にふりまわされる事態、地滑り的に生じる選挙動向なども、それにまきこまれた個人には、自分の意志でそのような行動をとったかのように思われながら、実際にはマスとして生じた行動や動向にただまきこまれ、ながされたにすぎない場合がしばしばある。マスコミはこのマスの動向を促進するようにはたらく場合もあれば、沈静化するようにはたらく場合もあるだろう。このような事態は「集合行動」とよばれ、これも社会心理学の重要な領域のひとつとなっている。

3 合意形成

社会の中に一員として生きるわれわれは、このように社会や集団の側から圧倒的な影響をうけながら、物事を認知し、判断し、対人関係を調整し、行動している。そのことはふだんの生活の中では気づかれにくいが、非日常的な事態においてはっきりとうかびあがってくることがある。一例として、阪神・淡路大地震の後に生じたマンションの建て替えに関する合意形成の問題を考えてみよう。それまではたんなる近所付き合いをするだけにすぎなかったあるマンションの住民たちが、建て替え賛成派と修繕派にまっぷたつにわかれるという事態に直面する。この場合、その合意形成はどのようにしてなされるのだろうか。大局的にみれば、個々の住民の価値観と互いの利害がぶつかり摩擦をおこしながらも、いずれかの合意点にむかって最終的には収斂(しゅうれん)していくとみることができる。

しかしその実際の過程には、リーダー的な存在の出現、両派による説得的コミュニケーション、両派の反発、和解、等々の具体的な対人関係力学がはたらき、その中で各個人の認知の変化、態度の変化が生じ、ようやく最終合意にたどりつくのである。この場合、個人は個人でありながら、自分勝手にふるまえないという点ではたんなる個人ではない。マスコミ(→ マス・コミュニケーション)をはじめ、周囲からの影響、自身の価値観や社会的態度、それらが赤裸々な人間関係にむすびついて個人を翻弄(ほんろう)する。ここに社会心理学の問題が端的にあらわれているといっていいだろう。要するに、冒頭にしめした個人、集団、社会・文化の3極の相互的な関係を解明することが社会心理学の課題なのである。以下、社会心理学の各領域ごとに簡単な概観をこころみよう。

III 集団と個人

われわれはすでに幼児のころから保育所や幼稚園などの集団に参加し、以後、学校、部活動、会社、近所の寄合など、さまざまな集団に属してくらすことになる。同好の士がよりあつまって同好会のようなサークル(集団)をつくる場合もあるが、たいていはすでにある集団に個人が参加するという形をとるから、まずもって集団参加が問題になる。

1 集団参加

人が集団に参加するのは、軍隊のようなものを別にすれば、それによってなんらかの利益が個人にえられるからである。これを個人の側からみれば、その集団が自らの価値実現に関して魅力があるからだということになる。人が有名大企業に就職することをめざすのは、そこに所属することによって経済的な豊かさ、生活の安定、社会的名声をえることができると思うからである。しかし、少し視点をかえれば、それと引き替えに判でおしたようなサラリーマンの生活を強いられるという短所もみとめざるをえない。それを不満に思う人は、もっと自分の活躍の場をもとめてベンチャー企業を志向するだろう。あるいは、趣味のサークルに参加するのと、留学をめざしてセカンド・スクールに参加するのとでは、めざしているものが明らかに相違する。してみると、個人がどのような集団に参加するかは、その個人が当面どのような価値実現をはかろうとしているかに規定されるとみることができる。

2 集団規範と集団圧力

ほとんどの集団には、こうすべき、こうしてはならないといった集団の成員に対する規律や規範がそなわっており、集団に参加した個人はこの規範を遵守(じゅんしゅ)することがもとめられる。規範は明文化されている場合もあれば、されていない場合もあり、参加の時点でそれへの誓約をもとめられる場合もある。規範の遵守は規範逸脱者への制裁や排除・除名と対になっているから、当然ながらその集団参加の動機付けが強い者ほどそれを遵守する傾向が強く、その逆もいえる。集団の規範は集団を存続させ、成員を凝集させる力となるものであるが、ときとして個人の利益とぶつかることもある。そのようなとき、個人にとって集団規範はよそよそしく自分を疎外する力にみえてくることだろう。

一般に、集団はその成員に対して同質性をもとめるような斉一化の力をおよぼしてくる。企業や学校における制服の制定などがそのよい例である。この斉一化の力は規範的な力をおびているから、個人にはそれがひとつの集団圧力として経験され、それに対抗するのには困難をともなうことが多い。とくに全体が斉一的な判断をしめす場合に、個人がひとりだけほかとことなる判断や意見をもったり行動したりすることは困難である。このことは、のちにしめすアッシュの集団圧力に関する実験結果にみることができる。

3 地位と役割

一般に集団は、地位と役割に関して構造化されているのがふつうである。会社組織でいえば社長を筆頭に、部長、課長、係長、主任、平社員の地位にわかれ、それぞれの地位にはそれにふさわしい役割期待がそなわり、その地位にある者はその役割期待にそった行動をとることがもとめられる。しかし、地位や役割は固定的ではなく年月とともに変動する可能性がある。それゆえ個人も、ただあたえられた役割をこなしているだけにあまんじるわけにはいかない。「でる杭(くい)はうたれる」という集団力学がある一方で、ほかの成員との比較過程がはたらき、その結果、昇進をめぐる競争が生じ、業績次第では「抜擢(ばってき)人事」もおこりえる。しかも、このような地位と役割をめぐる集団力学には、重層的なリーダー・フォロワー(上司・部下)の関係がともない、リーダーがどのようなリーダーシップを発揮するかによって、集団成員のまとまり(凝集性)や生産性が大きくことなってくる。

4 集団の生産性と凝集性

集団は、その成員の地位と役割に応じた活動をとおして、一般になんらかの目標達成(生産性の向上)をめざす。病院組織であれば患者の治療や救命を、会社組織であれば利潤追求を、プロ野球のチームであれば優勝をめざすわけである。集団はこうした集団目標の達成にむけてその生産性を高めようとする働きをもつが、それと同時にその集団の各成員が集団としてまとまり(凝集性)をたもち、高い士気を互いに共有する方向にもおのずと機能する。この目標達成(生産性向上)と凝集性という集団のもつ2大機能は、ときには「チーム一丸となって」という高い凝集性がそのまま高い生産性にむすびつくというように、よい循環においてむすびつく場合もあるが、生産性と凝集性が拮抗(きっこう)する場合も少なくない。生産性一辺倒で馬車馬のような働きがもとめられ、上から命令・監督されるだけでは、そのうちに成員はしだいにやる気をうしなってまとまりをかくようになり、そうなると生産性も当然低下するだろう。ここに集団におけるリーダーの役割が生じる。

5 リーダーシップ

集団の2大機能に応じて、リーダーにもその機能実現にむけてのリーダーシップがもとめられる。つまり目標達成(生産性)に関しては、高い計画性、実行力、判断力、知識、技能などであり、凝集性に関しては、高い統率力、豊かな人間性(人間的魅力)、部下を思いやる共感性や包容力などである。ひとりのリーダーがこの両面をあわせもつことが理想であることはいうまでもない。しかし集団としてみれば、集団自体がこの2つのリーダーシップをもっていさえすればよいことになる。ここに、複数のリーダーによって2つのリーダーシップを分担掌握するという現代的傾向が生まれてくる。従来は、目標達成機能を重視したリーダーがイメージされやすかったが、今日ではそれにくわえて、集団維持機能(凝集性)重視のリーダーの重要性も認識されるようになってきた。実際、集団はさまざまな個性と人格をもった個人の集まりであるから、その成員間の人間関係のよしあし、ひいてはまとまりのよしあしは、集団の生産性に大きく影響する。それゆえ後者の集団維持機能リーダーは、成員間の協同と競争の原理にうったえながらも、それぞれの個性や適性をみきわめた人事配置やコミュニケーションのネットワークづくりをおこない、集団内の凝集性を高める方向にその指導性を発揮することがもとめられる。

このように、人はさまざまな集団に所属しながら、そこでの複雑な集団力学(グループ・ダイナミックス)にまきこまれて生きているのである。

IV 社会的認知

われわれは、尊敬の念など好意的感情をいだいている人の振る舞いは、たとえそれがふつうの人の振る舞いよりもゆっくりしたテンポであっても、かえって威厳のある気品にみちた振る舞いとうけとめやすい。逆に否定的感情をいだいている人の振る舞いの場合には、それが同じようなゆっくりしたテンポであっても、のろくさく、いらいらさせるものとうけとめやすい。つまり、われわれは行為そのものを認知するというよりも、ある社会的な枠組みないし「色眼鏡」をとおしてそれを認知する傾向にあるということである。社会心理学では、これらの問題領域はかつては「社会的知覚・判断」という文脈で理解されることが多かったが、近年の認知科学の発展とともに、今日では「社会的認知」という文脈で理解されるようになってきた。以下にこの領域を概観してみよう。

1 対人認知

アッシュによれば、被験者に「知的で勤勉で決断力のあるあたたかい人」と「知的で勤勉で決断力のあるつめたい人」をそれぞれイメージしてもらうとき、2人の人物の違いは「あたたかい・つめたい」の違いでしかないのに、実際には前者は「かしこい人」、後者は「抜け目のない人」と、被験者にはかなりちがったイメージでうけとめられるという。この種の研究は印象形成とよばれ、対人認知研究の先駆けをなすものであった。近年では、その人をどのような人物であると認知するかという対人認知の問題は、スキーマ(知識の枠組み)やヒューリスティクスという認知心理学の基本概念にてらしてふたたびとりあげられるようになってきている。

ある人が「あたたかい人」だといわれるとき、われわれは「あたたかい人」といわれる人物についての既得のスキーマをよびおこし(これは知識や体験にもとづいて形づくられたものである)、それを枠組みにしてその人を認知したり判断したりしやすい。同様のスキーマとしては、「スポーツマン・タイプ」「学者タイプ」「芸術家タイプ」などがある。これらのスキーマが各人に共有されていることによって、このスキーマを喚起するような人物評があたえられれば、われわれは比較的似かよった対人印象を形成できるということになる。こうしたスキーマは、人物評に関するものにとどまらない。自己概念を構成している「依存的・独立的」「社交的・内閉的」といった次元に関する知識(自己スキーマ)も、それを所有していれば、なんらかの対象があたえられたときにそれに関連した情報がすばやく有効に処理できることになる。

これに近いのは教師、医者、看護師、警察官、バスの運転手など種々の職業や社会的役割に関するスキーマで、役割スキーマまたは役割ステレオタイプとよばれる。これも獲得された知識にもとづくもので、これをもつことによって対象となる人物の職業が特定されれば、このスキーマが作動し、それが枠組みになって対人認知がなされやすくなる。

さらに、結婚披露宴や葬式、あるいはレストランでの食事場面など、社交の場にはさまざまなひとつながりの型にはまった行動連鎖があり、これについての知識を事象スキーマないしスクリプトとよぶ。たとえば結婚披露宴では、式場に到着してから、あいさつ→お祝い渡し→記帳→着席→仲人あいさつ→来賓祝辞、等々の定型的連鎖があり、レストランでは、テーブルへの案内→メニューの受け取り→食事内容の決定→オーダー→ナプキン→前菜、等々の定型的な連鎖がある。こうした事象スキーマ(スクリプト)をもっていることによって、われわれは人がその場でどのようにふるまうのかほぼ予測することができ、当該人物に関する認知をすばやくおこなうことができる。

このように、社会的に獲得された知識としてのスキーマが枠組みないしフィルターとしてはたらき、さらにこれら抽象度のことなるスキーマをどのように重みづけて作動させるかによって、その個人をどのような人物と認知するかが方向づけられる。

2 社会的判断と原因帰属

S.ティボーとH.リーケンによれば、ある人が献血をうったえ、ひとりの紳士とわかいひとりの学生がそれに応じてくれたとき、献血をうったえた人は、結果がそのようになった理由を、紳士の場合には自分の説得力よりもその紳士の人柄のよさに帰属させ、わかい学生の場合には自分の説得力に帰属させる傾向にあったという。この簡単な実験には、相手の社会的地位に関する社会的判断(認知)と原因帰属という2つの問題がふくまれている。前者については、「紳士とはこういうもの」「学生とはこういうもの」というもっともに思える認知の枠組み(先のスキーマと同様の枠組み)がはたらいていたと考えられる。これは具体的個人のもつ多様な情報をすべて考慮にいれずに、簡略な手掛かり情報にもとづいて判断をくだす方略である。これはいつも成功するとはかぎらないが、経験則としては成功する確率の高い方略だといえる。認知心理学ではこうした方略を「ヒューリスティクス」とよんでいるが、社会心理学においても、社会的判断や認知はこのヒューリスティクスにもとづいてなされていると考えられるようになった。

後者の原因帰属とは、ある結果がえられたときに、個人がそのような結果がえられた理由を自分なりに説明しようとこころみることをいうもので、ハイダーが最初に提唱した。文字どおりには、ある結果になったその原因をなにかに帰属させるということであるが、帰属する本人に即して考えれば、自分なりの「納得の様式」をつくる試みであるといってもよい。先の例では、説得の成功を、紳士の場合には紳士の人柄という説得者の自己の外部に帰属させ、学生の場合には自分の説得力という説得者自身の内部に帰属させているのに注意しよう。

ハイダーによれば、成功と失敗に関する原因帰属は、行為主体の能力、課題の難易度、努力、運の4つがおもな要因になるという。ワイナーはハイダーのこの考えを基礎に、原因の所在の次元として内的・外的を考え、また原因の安定性の次元として安定・不安定を考えて、これらの次元をくみあわせた。つまり、能力は内的で安定した原因、課題の難易度は外的で安定した原因、努力は内的で不安定な原因、運は外的で不安定な原因である。ワイナーによれば、人は成功や失敗の原因をどの次元に帰属させるかによって、その時にどのような感情を経験するか、将来において同じような事態にでくわしたときにどのような予測や期待をもつかがことなってくるという。

たとえば、成功を内的要因に帰属できれば喜びは大きいだろうし、外的要因に帰属せざるをえないとすれば、喜びはたいしたものではなくなるだろう。失敗を運がわるかったとか、課題がむずかしすぎてだれにもできなかったなどと、外的要因に帰属できればその深刻さはへるが、もしもそれを自分の能力など内的要因に帰属せざるをえないとすれば、その失敗は深刻なものとなるだろうし、同じような事態に直面すれば、また失敗すると予想せざるをえなくなる。それゆえにまた、成功や失敗の原因が明確でない場合には、成功は内的要因に、失敗は外的要因に帰属されやすいということにもなる。

こうしてみると、社会的事象の判断や認知は、スキーマやヒューリスティクスなど既得の社会的=認知的な枠組みやフィルターを介し、原因帰属など、判断主体の内部で認知的な斉合性がえられるようなかたちでおこなわれるものだということがわかる。

→ 帰属過程:帰属理論

3 対人関係の認知

R.タジウリによれば、対人関係の理解には、人がだれから選択され、だれから排斥されているかの事実に関する知識ばかりでなく、むしろその人がそれをどのように認知しているかについての知識が重要であるという。またT.ニューカムによれば、AとBという2者関係において、AのBに対する魅力の認知は、事象Xについての認知や態度が両者において一致するか不一致になるかによって、魅力がます方向に変化したり、魅力がへる方向に変化したりするという。事象Xについての認知や態度が不一致であるときは、A?B?Xの系が緊張をはらんで不安定だということである。もちろん、その程度は、AにとってBや事象Xがどの程度の重要度をもっているかに依存するが、ともかくその系全体としては緊張を解消する方向に変化することが予想され、そこにAのBに対する魅力の認知の変化もふくまれてくるだろう。

これに類似した考えは、ハイダーのP?O?Xモデルによってもしめされる。ハイダーによれば、人Pが他人Oとある事象Xについて関係をもつとき、P?O、P?X、O?Xのそれぞれの関係の符号(たとえば、PとOが恋人同士であれば、その関係はプラス、Xがクラシック音楽でPの趣味がそれだとすればP?Xはプラス、Oはジャズが趣味でクラシックは趣味でないとすれば、O?Xはマイナス)の積がプラスになるように、P?O?Xの関係が変化する傾向にあるという。今の例でいえば、3つの関係の符号の積はマイナスであるから、たとえばOがXをすきになることによって、あるいはPがOをきらいになることによって、全体の積がプラスになるように、3項の関係に変化が生じやすいことが予想される。

以上のべてきたように、社会的認知は、対人認知、社会的事象についての認知や判断、対人関係の認知など、われわれの日常生活におけるほとんどすべての物事や事象の認知にかかわる幅ひろい領域を構成し、社会心理学の重要な研究テーマになっている。

V 社会的態度

社会的態度とは、ある対象や事象に対して、個人がもつ認知(知識、信念、価値観をふくむ)、感情、行動傾向の3要素からなるものである。たとえば原子力発電所について、「原発は安全性に関して疑問がある」という信念や知識をもつ人は、原発建設は「このましくない」という感情をいだき、反対運動に参加するなどの行動傾向をもつだろう。この3要素からなる全体がその人の原発に対する社会的態度を構成している。このような態度がいったん形成されると、以後その態度は新たにはいっていくる情報に対してフィルターとして機能して、その態度の持続をはかろうとする。先の例でいえば、原発は危険だということに関連した情報は容易にうけいれ、原発がなければ夏の電力ピーク時にクーラーがとまることもやむをえないといった情報は無視する方向にはたらく。

こうした態度がどのようにして形成されるかについては、いろいろな考え方があるが、たとえば次のような例を考えてみよう。ある日本人が米国に滞在中にある家庭で世話になった。夫婦ともたいへんな親日家にみえ、気持ちよく滞在できたが、帰りがけに道でその家の6歳になる子供とであったのでさよならをいうと、その子は顔をしかめて「イエロー」といったという。黄色人種に対する偏見や差別が大人ではカムフラージュされていても、大人のそのかくされた社会的態度に子供はいつのまにか同化し、そのような人種差別的な態度を醸成したものと考えられる。このような例に態度形成の一端をうかがうことができそうである。

1 説得的コミュニケーションと態度変化

先にもみたように、態度はそれを存続させる方向にむかって情報を取捨選択するように機能するものであるから、いったん形成された態度を変化させることは一般にはむずかしい。これは、ある思想・信条の持ち主や宗教帰依者の洗脳がむずかしいことにも対応する。しかし、それまで一貫して保守党に投票していた人が、ある政治演説をきいたりテレビの報道をみたりするうちに、次の選挙では革新党に投票するようなことも実際にはおこる。このような態度変化がどのようにして生じるかは、社会心理学者の研究意欲をかきたてるテーマのひとつであった。

人の態度変化をうながす試みのひとつは説得であり、その目的でおこなわれるコミュニケーションを説得的コミュニケーションという。政治演説も、車のテレビ・コマーシャルも、前者は政治的態度を変化させるための、後者は購買行動を変化させるための説得的コミュニケーションと考えることができる。この場合、まずコミュニケーションの送り手とその説得効果に関する要因がいくつか考えられる。たとえば、送り手の信憑(しんぴょう)性(専門性と信頼性)、魅力、説得意図などである。受け手が当該問題にそれほど関心が高くない場合(それに対する態度が明確でない場合)、説得的コミュニケーションの内容が同一でも、一般に信憑性の高い人からのコミュニケーションのほうが説得効果は大きいといわれている。しかし、受け手が当該問題に関心が高い場合には、送り手の信憑性の効果はそれほど大きくないことも知られている。

送り手の魅力の効果については、著名人をコマーシャルに登場させて製品の宣伝をさせる場合がわかりやすい。また、説得意図については、あからさまな説得意図がある場合には説得効果がへることが知られている。

次にコミュニケーションの内容である。たとえば、説得する方向を支持するだけの一面的コミュニケーションと、支持・反対の両方を提示して説得をこころみる両面的コミュニケーションのいずれが説得効果が高いかに関する研究がある。日本のテレビ・コマーシャルは自社製品の長所だけを宣伝する一面的コミュニケーションが多いが、外国では、両面的コミュニケーションがかなりみられるという(スウェーデンのVOLVO社のコマーシャルは、自社の自動車が高価であることのデメリットをみとめつつ、その安全性と堅牢(けんろう)性のメリットを主張する内容になっていたが、これなどは後者の例である)。またこれは、受け手の知性度と関連していて、他の条件が同一ならば、受け手の知性が低い場合には一面的コミュニケーションが、受け手の知性が高い場合には両面的コミュニケーションが効果をもちやすいという。さらに、コミュニケーションの内容が受け手の恐怖を強くひきおこし、説得に応じたときにその恐怖を低減できる可能性がある場合には(自動車の事故の危険をうったえて、自動車保険に勧誘するような場合など)、高い説得効果がえられるという。これらは現に訪問セールスなどにその具体例をみることができるだろう。

2 態度変化と認知の斉合性

態度の構成要素には行動傾向がふくまれている。それゆえ、態度変化がおこれば一般的には行動傾向も変化すると予想される。しかし、説得的コミュニケーションによって、特定事象に対する認知ないし意見は一時的に変化しても、感情や行動傾向までは変化しない場合も少なくない。それほどいったん形成された態度は頑強だということであり、時間が経過するうちに、先には確かに変化したはずの認知が以前に逆戻りすることさえある。そこで、逆に対象への感情や行動傾向が変化した場合に、態度(認知)がどのように変化するかという逆向きの研究が必要になってくるが、これにとりくんだのが認知の斉合性を問題にする一連の研究者たちである。

そのひとりは「対人関係の認知」の項でとりあげたハイダーであり、彼の主張しているP?O?Xモデル(バランス理論ともいわれる)が現在の文脈にそのまま該当する。PとOの人間関係が強まる方向にあるならば、P?Xの関係の認知、あるいはO?Xの関係の認知が、P?O?Xの関係の全体的なバランスがとれる方向に変化すると予想されるだろう。C.E.オズグッドとP.H.タネンバウムもハイダーの考えによく似た適合性理論を提唱する。これはハイダーのモデルにおけるP?X、O?Xの認知や評価にその強度(たとえば対象の好き嫌いや重要性の程度)を導入して、どのように3項関係の認知の斉合性がはかられるかをより正確に予測することを意図したものである。

フェスティンガーの提唱した認知的不協和理論も、態度変化における認知の斉合性に関係している。彼は2つの認知の間の関係を、協和的、不協和的、無関連の3種類にわける。そして人が不協和な関係にある認知を同時に2つもつと認知的不協和が生じて心理的緊張がおこり、それを解消する方向に圧力がかかると考えた。不協和を解消ないし低減するには、不協和な関係にある認知をかえる、協和的関係の認知を新たにふやす、協和的関係にある認知の重みづけをます、などが考えられ、フェスティンガーのおこなった実験によれば、実際に被験者は予想された方向に認知、つまり態度をかえたという。興味深いのは、この認知的不協和理論にしたがえば、自分の態度に反した行動をとった場合には、かえってその行動に合致した方向に態度が変化するという予測がなりたつこと、さらに、複数の選択可能性の中から1つをえらんだ場合、えらんだものの魅力は以前よりも高くなり、えらばれなかったものの魅力はかえって減じるという予測がなりたつことである。そして調査結果はフェスティンガーの予測をほぼ裏づけるものであった。

3 説得に対する受け手の抵抗

説得的コミュニケーションのところでも若干ふれたが、説得の試みはしばしば失敗する。それはコミュニケーションの受け手が態度変化へのさまざまな「防衛」をはりめぐらすからである。たとえば、恐怖が喚起されても、それをまぬがれる具体的方策がみいだせないときにはかえって態度は変化しないとか、あるいは、ある話題に関して説得的コミュニケーションがあたえられることをあらかじめ予告しておくと、態度変化がはばまれるなどにそれがあらわれている。これらの諸事実も、総体としてみれば、個人の認知・感情・行動傾向を整合的にたもとうとする態度本来の機能によると考えることができるだろう。

VI 集合行動

集合行動とは、第三者的にみれば、不特定多数の人たちの集合(マス)においてなりたつ社会的現象であるが、そこにまきこまれた個人の側からみれば、その集合(マス)に規定され、みずからマス(集合)の匿名的な一員としてとる種々の行動をさしている。これは、ある人が所属集団内でとる規範的行動や役割期待にのっとった一連の行動とは明らかにことなるものである。このような集合行動には、流言、デマ、流行などのほか、暴動時や災害時にみられるモッブ的な群集行動や、試合見物の観衆のとる行動、あるいは世論や投票行動などがふくまれる。ここでは流言と流行をとりあげてみよう。

1 流言

流言は、事実ではないある話題が人づてに急速な広がりをみせ、それにまきこまれた不特定多数の人たちの感情を一定の方向にかたどって、ある型の行動にかりたてる自然発生的な社会的現象である。その伝播(でんぱ)経路や範囲を予測したり追跡したりすることはむずかしく、流言にまきこまれている個人についても、自分がその過程に関与していると自覚することはほとんどないといってよい。昭和50年代前半の一時期に急速に全国にひろまった「口裂け女」の流言などは、たしかに「根も葉もない事実無根の風説」としての流言といえるかもしれないが、たいていは戦争や震災などの現実的な恐怖や、地震予知や経済恐慌などに関連したなんらかの社会的不安を背景にして生じるものである。実際、第1次オイル・ショックのころに某町で発生した信用金庫が倒産するとの流言は、トイレット・ペーパーの買い占め騒動など、オイル・ショックのもたらした不安定な社会・経済的状況を背景に生じたものであった。

流言がひろがるときの個人に注目してみると、ある個人は他者からつたえられるその話題にとびつくだけの感度(興味、関心)を有し、しかも場合によってはつたわってきた内容を増幅して(尾ひれをつけて)他者につたえるような機能をもち、さらに、それがすばやくほかの人に伝播するような外的条件(人が密集しているなどの)を保持している必要がある。流言の発端はなにげない話であることが多く、それが人づてにつたえられる過程で脚色され、尾ひれがついたり物語性をおびたりしていくようである。ほかの人からつたえられた内容を各自が正確に別の人につたえるかぎり、流言はひろがらないといってよい。

流言形成の個人的条件を整理してみると、(1)あらかじめ共通の関心をもっている潜在的流言集団の一員であること。これはその個人が流言の話題にとびつくための必要条件である。(2)取得した情報を能動的に、尾ひれをつけてほかの人につたえてしまう動機があること。これには戦争や災害時の恐怖、個人の深層における願望、不安、憎悪、人をおどろかせたりすることで満足をえたいという欲望、見栄や自己顕示欲などが考えられる。

なお、デマは人々をまどわせたり一群の人たちを中傷したりするために、ある特定の人または集団がありもしない情報を意図的にながす政治的な操作のことであり、自然発生的に生じる流言とは区別される必要がある。

2 流行

流行は、ある社会において従来とはことなる行動様式が特定の人たちにあらわれ、それが一般化されて普及していくさまざまな過程のうちにふくまれるものであり、その特殊な形態といってよい。その目新しい行動様式が短期間に急速にひろまり、また急速にあきられて、すたれてしまうというような特有の性格をもっているのである。

流行は昭和40年代半ばに大流行したミニ・スカートのようなファッションをはじめ、髪型、髪の色(最近の茶髪などに典型的)、靴の形、バッグ、玩具、飲料、自動車など多岐にわたる。あるときに流行して定着していったもの(たとえば女性のショートカットなど)をのぞけば、一般に流行には、ひろまってあきられ、すたれてしまう減衰型と、周期的にくりかえされる循環型がある。

ファッションを例にとって流行の過程を考えてみると、一般にはまず潜在期がある。つまりごく少数の人たちが新しいファッションをためしている時期で、これがのちに流行になるかどうかはこの時点ではまだわからない。

次に初発期がある。これは新しいファッションの存在がかなりの程度知られ、しだいに同調者があらわれる時期であるが、まだ高級品売場にしかおかれていない時期に対応する。

次は急騰(きゅうとう)期である。これは新しいファッションへの抵抗や警戒が弱まり、このファッションの採用者が激増する時期にあたる。ここまでくると個人間相互の影響力も強まり、同調傾向によって流行がひろがる方向に自動作用がはたらく。ファッションの場合には、質や値をおとしても大量販売がめざされるのがこの時期にあたる。

次は停滞期である。すでに流行は頭打ちになってそれ以上の広がりをみせなくなる時期がこれで、ファッションの場合には、この時期にすでに次の初発期がはじまっているとみてよい。

最後は衰退期である。これはこの流行が明らかにピークをすぎ、これを採用する者よりも、これを廃棄してほかのファッションにうつる者のほうが多くなる時期にあたる。

以上の流行の過程のどの時期に各個人は参加するのかという観点から、流行参加者を類型化してみると、(1)先駆者、(2)初期同調者、(3)初期追随者、(4)後期追随者、(5)落後者に区別することができる。また、このような参加の時期の違いは、参加の動機の違い(めだちたい人とめだちたくない人)や、社会的圧力への同調傾向の違い(自分がそうしたいという人と、皆がそうしているから自分もするという人)にもとめることができるようである。

VII 社会的影響

社会心理学の領域としての「社会的影響」は、個人のもつ信念や態度あるいは行動が他者の存在や他者とのコミュニケーションによって影響をうける過程のことをいう。「集団と個人」の項で簡単にふれた集団圧力や集団規範、「社会的態度」の項においてみた態度変化もそこにふくまれるが、ここでは同調行動、権威の服従を中心に概観してみよう。

1 同調行動

社会問題化している「いじめ」において、クラスメートからの「しかと(無視)」がそれを身にこうむる生徒にとってじゅうぶん「いじめ」になることからもわかるように、ある集団に所属する個人にとって、ほかの成員のしめす態度や言動の影響はきわめて大きい。集団規範からの逸脱が排除や「村八分」をまねくことはいうにおよばず、集団の中でめだちすぎることも、「でる杭(くい)」とみられて、ほかの成員からなんらかの制裁をまねきやすい。視点をかえれば、これは個人の信念や態度や行動を集団の基準に合致させる方向に圧力がくわわっているということである。同調とは、そのような圧力のもとで個人がその信念や態度や行動を集団基準の方向に変化させることにほかならない。要するに、集団内では「右へならえ」の行動が生じやすいということである。

アッシュは集団圧力下における同調行動を、次のような実験をとおして明らかにした。つまり彼は、線分の長さの異同の判断をもとめるというふれこみで被験者をつのり、標準刺激と同じ長さの線分と、それより長い、あるいは短い線分を次々に提示し、被験者に標準刺激との異同をこたえさせた。被験者は8人いたが、そのうち7人はさくらで真の被験者は1人だけであった。さくらは実験者のだすサインにしたがって、全員そろって実際とはちがう長さの判断をくだすことを事前にきめてあった。このような状況下で次々に長さの判断をさせていくと、真の被験者はほかの成員の一致した判断(真実とはちがう判断)の圧力に屈してしまい、最終的には自分の判断をほかの被験者のそれに同調させてしまった。この簡単な実験は、集団圧力がいかに容易に個人の同調行動をみちびくかをしめしている。

同調にはいくつか種類がある。今の例のように、自分のくだす判断を「ただしい」とは思わないままに周囲に同調する場合を「追従」という。これはほかから罰や制裁をうけることを回避する目的で表面的に同調している場合であり、同調する個人の私的な信念や態度は変化しないことが多い。この場合の社会的影響は、個人に対して集団基準や集団規範に合致した行動をとるようにはたらいているところから、規範的影響ともよばれる。

次に、ある人を尊敬したり高く評価したりしているときに、その人物のようでありたいという他者への同一化から、おのずと自分の信念、態度、行動が変化していく場合の同調がある。さらに影響をあたえる人の主義・主張に心酔したり共鳴したりして、自分の信念、態度、行動をかえる場合の同調もある。宗教的回心などはその典型である。あとの2つは他者の意見、主張、判断、行動を参照して、自らの信念システムを変化させ、自らがより適切な判断や行動をするように変化することである。そこから、これらは情報的影響ともよばれる。

2 権威への服従

集団圧力のもとで同調を余儀なくされる場合でも、個人はその集団にはたらいている目にみえない規範的な力を感じておのずから同調するのであって、命令されてしたがっているわけではない。これに対して、軍事下における上官からの命令のように、強大な権威や権力を背景に有無をいわさず服従を強いられる場合もある。ナチスのユダヤ人強制収容所において大量虐殺の命令にしたがった部下の例がその典型である。この場合のように、個人の信念とは矛盾する命令を上官からうけ、しかもその命令の拒否が自らの存在をあやうくするというようなとき、個人はどのように考え、行動するのだろうか。

これに関してS.ミルグラムは次のような実験をおこなっている。すなわち、「学習におよぼす罰の効果」をしらべるという名目で被験者があつめられ、学習者になる人と、教師役になる人にふりわけられるが、学習者は実はさくらである。教師役の真の被験者は、学習者がまちがえるたびに、罰として15~450Vまで30段階あるスイッチを1段階ずつあげて電気ショックをあたえるようにいわれる。実験者は教師役の被験者の背後にすわって実験経過をみまもっている。被験者がスイッチを操作しても実際に電気がおくられるわけではないが、さくらの学習者は、あたかも電気ショックが実際にあたえられたかのようにうめいたり、身をよじったり、抗議したり、さけんだりする。教師役の被験者が電圧をあげるのをためらったり実験をやめたいといいだしたときには、実験者は頑として実験をつづけるように説得し、それでも被験者が実験の継続を強く拒否した場合に、ようやく実験がうちきられることになっている。

実験の結果はおどろくべきもので、200Vまでは被験者全員がスイッチをあげ、そして3人に2人の被験者は、強い心理的葛藤(かっとう)にさいなまれながらも、結局は最高の450Vの電気ショックをあたえた。この実験結果は学習者の声がすぐ隣からきこえ、しかしそのようすはみえないという条件下でえられたものである。学習者がそばにいてみえる条件や、教師役が学習者の腕をおさえながら電圧をあげる条件についていえば、最大目盛りまであげる被験者の比率はかなりさがったとはいえ、やはりかなりの被験者が(腕をおさえる条件では30%)450Vまで電気ショックをあたえつづけた。

この実験は、いったん命令システムにくみこまれてしまうと、人は心理的葛藤があっても命令された役割行動を実行してしまう傾向にあることをおしえている。その場合、人は最終責任を命令をくだす人に帰属し、自分は命令されたものを実行したにすぎないと考えて責任を回避したり、自分は命令者の代理人になったにすぎないと思いこんだりする。そして命令者の言動にだけ注意をこらし、犠牲者には注意をむけなくなっていくのである。

3 返報性

これも規範的な社会的影響力のひとつと考えられる。われわれは他者からなにかよいものをもらったり、価値あるものをうけとったりした場合、応分の「お返し」をしなければならないと考えるし、逆に他者になにかをあたえたり価値あることをほどこした場合には、相手からなんらかの「お返し」がきて当然という期待をもつ。このように、対人関係の中でギブ・アンド・テイクの収支をたもつように動機づけられることを返報性の規範とよぶ。この規範は人に強い心理的圧力と感じられ、その結果、人の行動に強い影響力をおよぼす。そこから逆に、この心理的圧力を利用して他者の行動を自分の意図した方向にみちびくようなこともおこってくる。恩恵をあたえたり恩義を売ったりして、その「お返し」として相手から期待していた行動をひきだすという場合である。

あからさまな恩恵や恩義でなくとも、自己開示のような一方からの働きかけでさえ、対人関係の中では開示をうけた相手の「返報性の規範」を刺激し、相手からの開示がおこなわれやすくなる。そうしてみると、この返報性は個人の行動におよぼす影響としてはかなり強力なものであり、日常の対人関係をかなりの程度支配しているものだといってよいだろう。

VIII その他

ここではとりあげなかったが、社会心理学においてとりあげられる今日的な論題としては、ほかに社会的自己を中心にした自己の問題、帰属理論との関連で話題になる社会的援助行動の問題、コミュニケーションと対人魅力の問題、競争と協同の問題(→ 社会的動機付け)などがある。これらについては、それぞれの項目を参照。

IX 社会心理学の方法

社会心理学の研究方法は調査法、観察法、実験法に大別され、さらに質問紙作成、インタビュー(聞き取り調査)、面接、データ分析、統計処理などの具体的な方法に細分化されるが、ここでは研究対象と方法の結びつきを念頭においた大まかな整理をしてみよう。

第1に「現地調査」研究がある。たとえば、阪神・淡路大地震時にボランティアとして被災者とともに生活しながら、そこにおける人々の動態を観察したり聞き取り調査をしたりするというように、特定の現地におもむき、そこに生きる住民に密着してその意識や態度や行動を調査・研究する場合である。「村おこし町おこし」運動や過疎地、農山村、漁村などの地域における住民の社会心理学的研究などもこれに属する。

さらにこの現地調査研究は、研究目的をしぼりこんで現地にでかけ、短期間に資料収集する場合と、研究者が現地にすみこんで、むしろ問題発見的に研究を展開する場合とにわけることができる。とくに後者は、地道ではあるが、心理学的リアリティをふまえた研究という観点からはもっとも社会心理学らしい研究といえる。これまで、変数の厳密な統制という見地から、社会心理学では抽象化されモデル化された実験室事態がとりあげられる傾向にあったが、近年、社会的要請ともあいまって、この現地調査研究がふえつつあるのはこのましい傾向である。

第2は意識調査研究で、投票行動の予測にもちいられる政治意識調査や、生活意識調査など、ひろい地域の住民(国民全体や県民全体など)の意識動向を調査する目的でおこなわれる。これには対象となる母集団全体を調査する悉皆(しっかい)調査と、母集団の動向を標本から推計する標本抽出調査の区別があり、後者の場合にはランダム・サンプリングと統計的推計にうったえる方法がとられるが、抽出された標本が母集団をどれぐらいよく代表しているかが問題になる(→ 統計学の「統計の方法」)。また、調査用紙を郵送し記入してもらって回収する方法や、個別に聞き取り訪問調査をおこなう場合など、資料収集にもいろいろなやり方があり、対象の範囲と関連する資料収集のコストおよび回答の性質と確度の観点から、その方法がつかいわけられる。

第3は現場研究で、企業や学校など特定の社会的単位を対象とし、そこにおもむいて面接や質問紙調査をおこなう場合がこれにあたる。この場合も調査対象となる企業や学校など、その現場に固有の問題を調査する目的でのぞむ場合と、その単位をより一般的な母集団の標本としてあつかう場合とにわかれる。

第4は実験研究で、その多くは先のミルグラムの実験のように、実験室実験である。ここでは研究者があらかじめ人為的に設定した状況下で、研究者=実験者が意図的に実験変数を操作することによって、その影響がしらべられる。この場合、研究者の設定した状況が、その研究者が問題にしたい現実の社会心理的問題をどの程度よく反映しているか、その心理学的妥当性がじゅうぶんに吟味されなければならない。

そのほか、臨床社会心理学、発達社会心理学、教育社会心理学、応用社会心理学、あるいは社会心理学の比較文化的アプローチなど、近年、学際領域の研究や実践的な研究が盛んになるにしたがって、それぞれの領域の研究に固有の方法が考案され、洗練されるようになってきている。

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弥縫策としての心理学(その12) [哲学・心理学]

動機づけ
動機づけ

どうきづけ
motivation

  

人間やその他の動物に,目的志向的行動を喚起させ,それを維持し,さらにその活動のパターンを統制していく過程。したがってこれには,(1) 活動を喚起させる機能,(2) 喚起された活動をある目標に方向づける志向機能,(3) 種々な活動を新しい一つの総合的な行動に体制化する機能などが指摘される。
動機づけの過程には,動因または動機,道具的反応または手段,さらに誘因または目標の要因が含まれ,これらの機能的関連が行動傾向を決定する。
欲求と願望は人間のパーソナリティの主要な構成要素であると認められてきたが,C.ダーウィンの理論が環境への心理的適応に適用されはじめると,動機づけの問題が注目され,ダーウィンの理論と動機づけの間に,次のような2つの重要な関連が認められた。まず,動物界の一員として,人間は少くとも食物,水,セックスなどに対する本能に支配されている。次に,動機づけの能力のような行動的特徴は,肉体的特徴と同様に進化の目的に適している。
心理学界では 19世紀末から 20世紀初めまで,あらゆる行動は本能的なものであるとされていたが,その主張を証明する方法がないうえに,先天的と考えられていた行動の大半が,学習や経験で変えうることが実験で証明された。 20世紀初頭,イギリス系アメリカ人の心理学者 W.マクドゥーガルは,人間の行動を動機づけるのは基本的に本能であるとして,知覚や感情に対する動機づけの支配力を強調した。 S.フロイトも,人間の行動は不合理な本能的高まりに基づくものとし,人間を基本的に動機づけるのはエロス (生や性の本能) とタナトス (死の本能) であるとした。アメリカの心理学者 R.ウッドワースは,本能という議論の多い言葉に代え,人間やその他の動物に行動を喚起させる作用として,動因という用語を提起した。アメリカの神経学者 W.キャノンは,動機づけの主要機能を身体の調整と考え,ホメオスタシスという言葉を用いた。非生物学的動因は学習された動因と呼ばれ,生物学的動因とともに動機づけの力をもつと考えられた。その後,動因自体も恒常的,非目的的なエネルギー状態であるとの主張がなされた。緊張を軽減しようとするこうしたエネルギーの傾向は,過去の経験の強化を通じて学習された習慣に基づいている。 1920年代から 50年代までは動因理論が支配的であったが,やがて神経学の実験によって,緊張の軽減は本質的に学習による強化であるとの理論に反する覚醒状態が発見された。そのうえ,脳にはいわゆる快中枢があり,そこを人工的に刺激するとネズミは疲労で倒れるまで動き回る。また,新しい環境を探ったり,別の動物を見たりするような単純な刺激にすぎない報酬の場合でさえ,人間を含めて動物は学習することが証明された。
人間に力を与える仕組みの代りに,人間の欲求を研究した心理学者もいた。 H.マレーは一次的 (先天的) と二次的 (後天的) とに分けた欲求のリストを発表し,こうした欲求が人間の行動を目的志向的にする,とした。 A.マズローは,最下位に生理的欲求があり,安全の欲求,社会的欲求,自我欲求,そして最上位に自己実現や種々の認知や美的な目標を求める欲求があるとする,欲求段階説を説き,下位の欲求を満たされてから,上位の欲求が高まると考えた。行動の面からみると,動機づけには必ず目標を伴う。一般的に,人は目標を強く求めたり望んだりすればするほど,個人の気質や教育や自己イメージなどに邪魔されるものの,目標を達成しやすい。行動療法においては目標に対する態度の重要性を強調し,求める目標に対して人間が感じる両面価値感情,目標を明確に心に描く能力,目標をより小さな達成可能な課題に分ける能力という動機づけに影響する3要素が考えられた。認知心理学では,動機はそれに関連した認識領域において人を敏感にすることがわかった。成績に対して高い欲求をもつ人は,画面上に短時間映し出された成績に関連する言葉をすばやく認識できる傾向がある。苦手な科目は得意な科目より大きく見え,なんとかしたいと思っている科目に対して,より大きな刺激を受ける。心理学ではまた,動機づけは人の職業選択に大きく影響すると考えられた。たとえば,成績に対する高い欲求は,結果が明確に出て個人的な責任感を伴い適度な危険に挑戦できる企業家的な職業によって,最も満たされやすい。





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動機づけ
どうきづけ motivation

生物を行動に駆りたて目標に向かわせる内的な過程。モティベーションともいう。すなわち,(1)生物になんらかの不均衡状態が生じると,(2)これを解消しようとする内的状態(動機 motive または動因 drive)が起こり,(3)目標に向かって行動がひき起こされる,という過程をさす。さらにこの用語は,そのような過程を効果的にひき起こすための操作の意味でも使われる。従来動機づけは,生物の不均衡状態にもとづき,外にある目標によってひき起こされると考えられてきたが,近年,行動自体に内在する推進力によるものもあることが指摘されるようになった。前者を外発的動機づけ,後者を内発的動機づけという。学習指導にかかわる動機づけの操作を例にとると,外発的動機づけの代表的な方法は賞罰(蒜とむち),競争,協同などである。これに対して内発的動機づけの例としては,既有の知識と矛盾するような知識を与えると学習者の内部に概念的損藤が生じ,これを解消しようとする知的好奇心が発生して学習行動が活発化するという事実を利用するものが代表的である。この場合,学習を動機づける要因は学習自体とは本来無関係な賞や罰ではなく,学習活動そのものに含まれている。なお動機づけは教育においてばかりでなく,勤労者の勤労意欲や消費者の購買意欲の喚起のためにも広く用いられる概念であり,操作である。              茂木 俊彦
[経営学における動機づけ]  経営学において問題となる主要な動機づけ(モティベーション)は,個人が組織に参加し,かつ働こうとするそれである。経営学はおよそ20世紀初頭に成立したが,動機づけ論は,アメリカを中心にその成立以来論じられてきた。1950年代に入るとアメリカで行動科学が誕生し,隆盛する。これによって経営学における動機づけ論の展開はかつてなく活発化し,現在に至っている。現代経営学の動機づけ論は,基礎論的理論と実践論的理論に分けられる。前者については,おもな理論として組織均衡論,欲求理論,期待理論を挙げることができ,後者は,おもに動機づけ管理の伝統的アプローチ,人間関係アプローチ,人間資源アプローチから成ると考えられる。
 組織均衡論は,C. I. バーナード,H. A. サイモンなどの理論で,個人がどんな場合に組織に参加するか,またそれに従って組織はどのようにして存続できるかを論ずる。この理論によれば個人はより大きい満足を求めて組織に参加するとされるが,この満足の内容の手がかりを提供するのが,欲求理論である。欲求理論は人間の基本的欲求を論ずる理論で,動機づけの内容論ともいわれるが,A. H. マズローの欲求階層説がもっとも著名である。しかし,動機づけの喚起に欲求は必要と考えられるが,十分ではない。そこで動機づけの過程論は,それがいかにして生ずるかを明らかにする。〈動機づけ=期待×誘意性〉とする期待理論は人間にもっとも適した動機づけの過程論とされ,主唱者として V. H. ブルーム,E. E. ローラーらがよく知られる。
 動機づけ管理の伝統的アプローチは,20世紀初めの F. W. テーラーの課業管理論に代表される。金銭その他の物的報酬に刺激される人間に動機づけ管理の力点が置かれ,管理が論じられる。人間関係アプローチは,1920年代に始まったホーソーン実験に端を発する人間関係論である。組織メンバーが人間関係を不可欠とする社会的動物としてとらえられ,その管理が論じられる。人間資源アプローチは,C. アージリスの未成熟‐成熟理論,D. マグレガーの X 理論‐Y 理論,F. ハーズバーグの動機づけ‐衛生理論に代表される現代の理論である。組織メンバーが自律や達成を求める人間として,また個性や潜在能力の実現を求める人間として認識され,そのための管理として目標による管理,職務拡大,職務充実などが主張されている。⇒経営・経営管理      二村 敏子

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動機づけ
I プロローグ

動機づけ どうきづけ Motivation 生活体の行動を活性化し、その行動をある方向に方向づけ、それによって生活体の状態を変化させる過程全般を動機づけという。ここでは動因・覚醒動機づけ、誘因動機づけ、認知的動機づけ、人間的動機づけの4つを区別して紹介する。

II 動因・覚醒動機づけ

キャノンは、生活体の最適な内的均衡状態をホメオスタシスとよんだ。生活体はなんらかの欠乏や過剰によって、その均衡状態から逸脱すると、それを回復する方向への動因が生まれ、これが生活体をある行動へとかりたてると考えられる。ネズミに迷路学習をおこなわせるときに、もしネズミが飢えや渇きなどの生理的要求をまったくもっていなければ、ネズミは迷路の中でねむりこけてしまう。逆にかなり強い生理的要求をもっていると、ネズミは活発に迷路をかけまわり学習するだろう。確かにわれわれの行動は、欲求や要求を充足させてその動因を低減させるという動機づけをもっていることが少なくない。

このような動因低減説に対して、D.O.ヘッブは、生活体は、低すぎる覚醒状態も高すぎる覚醒状態も、その活動性を低くする事実に注目し、生活体は適度な覚醒状態をもとめる傾向にあるのではないかと考え、ホメオスタシスの回復と動因低減だけが生活体を行動にむかわせているわけではないとした。感覚遮断実験に明らかなように、なにもしなくてもよい、ねているだけでよいといわれた被験者は、数日ともたなかったのである。それどころか、われわれ人間は、ときに自らすすんでストレスフル(→ ストレス)な状況をもとめることがあることも、動因低減説だけでは説明できない事実である。しかし、動因低減説も覚醒水準維持説も、ある最適水準への回帰をめざす点では一致している。そこでこの両説は、一括して動因・覚醒動機づけとよばれる。

III 誘因動機づけ

動因を低減させるには、食物や水など、なんらかの対象が必要であり、これを誘因(incentive)という。誘因は本来は動因とむすびついてはじめて誘因としての価値をもつが、行動が高等になるにつれて誘因が動因低減にともなわれた快とむすびつき、それ自体として行動を喚起する力をもつようになる。つまり、手掛かりとしてあった誘因が快または不快の情緒状態の一部を復元し、その全体の再現をもとめる動機づけとなるということである。

チンパンジーの学習において、ポーカーチップを投入すれば干しブドウが得られるようになっている場合、ポーカーチップは強化子として機能するようになる。つまりそれは誘因価をもつようになり、それを得ようとする動機づけが学習を促進する。とくに人間の行動の場合、直接の動因低減ではなく、間接的にそれにむすびついた誘因が実際の行動を支配していることが少なくないだろう。

IV 認知的動機づけ

一般に、Aという認知とBという認知が自分の内部で矛盾するとき、人はそれを放置することがむずかしく、なんとかその矛盾を解消する方向に認知や行動をかえようとする。これはハイダーのバランス理論やフェスティンガーの認知的不協和理論などに共通してみられる考え方である。これは、斉合性ないし均衡をもとめるという点で動因・覚醒動機づけのホメオスタシスの考え方に近いが、しかしここでもとめられているのは認知の斉合性であり、それが動機づけとなるということである。

認知が動機づけになるという点では、自分の行為がもたらすであろう結果の予測と、その結果が個人にとってもつ主観的な誘因性によって、人は特定の行為にむかうことがしばしばあるという事実も看過できない。誘因性という点では誘因動機づけに近いが、それが即物的でなく、あくまでも認知上の誘因性だという点がここでの動機づけの特徴である。

V 人間的動機づけ

A.H.マズローは、人間は、生理的要求がみたされれば安全をもとめる要求が生じ、それがみたされれば所属や愛の要求が生じるというように、その要求が階層性をもっていると考えた。そして、これらの要求は外部的にみたされれば鎮静化するところから、欠乏動機づけとよんだ。それらがある程度みたされれば、今度は自己実現要求が生じてくる。これはそれがみたされれば鎮静化するといった性質のものではなく、不断に拡大する要求であるところから、マズローはこれを成長する動機づけとよんだ。またR.W.ホワイトは、人が環境を効果的に処理する力をコンピテンス(有能性)とよび、人は自分が有能であるという感じを得ようとして活動するのだと考えて、人には有能感確認への動機づけがあるとのべている。

VI 動機づけ研究の課題

前述の動因・覚醒動機づけや誘因動機づけにみられるような動機づけ理論は、動物の学習行動とむすびつけて議論されてきた。そこでは、動物の行動と人間の行動をパラレルにみていくことができるという楽観論があったと思われる。行動主義が退潮し、新しい認知心理学の時代になった今、人間は何のためにそれをするのかという、真に人間的な動機づけ理論があらためて求められている。いうまでもなくそれは、人間はどのような存在かという、より本質的な問題との関連で考えなおされなければならないだろう。

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動因・モティーフ
動因

どういん
drive

  

行動を解発させる内的原因の総称。これが身体内の生理的状態の不均衡に由来する場合には生理的動因といい,なんらかの形で経験的要素が参与してくる場合には派生的または2次的動因と名づけられる。特に後者は社会生活において獲得,形成されることが多いが,この場合は社会発生的動因 (→獲得的動因 ) といわれ,前者を生物発生的動因という。また,行動は一般に目標の達成によって終結するが,たとえば遊戯のようにその行動をすることそれ自体が目標となるような場合は活動動因と呼ばれる。なお狭義には,動因の機能は外的刺激に対して個体の特定反応の閾を低下させる鋭敏化作用に限定する。





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モティーフ
motif

動機,動因と訳される。〈動きを与えるもの〉を意味する中世ラテン語 motivum に由来する語で,まずは物体の運動に,ついで人間行動の動機(動機づけ)に,ひいては芸術用語として比喩的に用いられる。語音をそのまま移した邦語は芸術用語とみなしてよい。芸術作品は意味ある統一体として形成され,しかも作品成立には具体的な素材が不可欠である。それゆえ作品の核心に向けては精神から物質にわたる多様なものが参画することになり,モティーフも多種多様に理解される。建築ではその装飾面における全体効果,編物までもふくめて工芸では文様の単位,彫刻では対象の姿態とか一群の配置関係,絵画では題材にうかがえる中心的主題などが,それぞれモティーフと呼ばれるが,ことに複雑な扱いをうけるのは文芸の場合である。
[文芸におけるモティーフ]  例えば小説や戯曲において〈父殺し〉(《カラマーゾフの兄弟》《オイディプス王》など),〈箱選び〉(《ベニスの商人》など。メルヘンのいくつかにもみられ,通例,三つのなかから宝を選び出す)のモティーフなどという。これは,題材の部分的要素が作品表現の動機となり,人物と状況を組み合わせた類型的な物語を展開させるとき,出発点ですでに準備されて予感できる筋の構造的統一を指している。また必ずしも題材にとらわれぬ抒情詩ではモティーフも内面化し,〈夜〉〈愛〉〈孤独〉など詩人の主観的な感情体験の契機がこれに数えられる。ところで作品成立をうながす素材は一般にできごととして一回的なものだが,他方モティーフは類型的・普遍的な性格を帯びやすく,ここにモティーフの反復性が生じる。すなわち同一のモティーフが多くの相異なる素材にみいだされたり,同一の作家,民族,文化,時代によって繰り返し用いられることにもなるのである。長大な作品ではいくつものモティーフの複合もみられるが,その際には〈中心モティーフ〉(しばしば作品の理念と目される)と〈副次モティーフ〉を区別する。また同一作品で表現上の目的から一定モティーフが反復して用いられるとき,音楽の用例にならって,これを〈ライトモティーフLeitmotiv〉(ドイツ語。示導動機)という。
                        細井 雄介
[音楽におけるモティーフ]  モティーフの音楽上の訳語は動機で,それ自体で音楽的意味をもちうる最小単位。その大きさと形態はさまざまであるが,概して主題やフレーズの構成部分として断片的・要素的性格をもつ。音楽の各要素(旋律,リズム,和声,音色,ディナーミク(強弱)など)それぞれに成立しうるが(音型動機,リズム動機など),それらの複合体としてあるのが一般的である(ただしすべての要素が等価とは限らない)。音楽用語としては既に18世紀初頭の文献(S. de ブロサールの《音楽辞典》1703)などにみられ,その後,音楽上の韻律論や拍節論,楽節論,旋律論,楽式論などにおいて理論化されてきた。今日の楽式論,拍節論におけるモティーフ概念を基礎づけたのは H. リーマンで,彼は音楽の生成・継起の根源としてアウフタクト(上拍)性を強調したうえで,上拍→下拍の組合せを単位として旋律をいささか規則的にモティーフへ分節し,これをフレージング論に応用した。しかし今日では,モティーフは音楽の様式や旋律の前後の脈絡に応じて,より柔軟に解釈されている。            土田 英三郎

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獲得的動因
獲得的動因

かくとくてきどういん
acquired drive

  

心理学用語。生体の行動を起させる内部的原因で,生得的でなく,経験によりつくられるもの。たとえば,ある場面でたびたび生得的に苦痛を生じさせる刺激を受けると,そこにおかれただけで恐怖が起り,その恐怖が内部的原因となって行動が起されるようになるが,この際の,場面ないしその一部分をきっかけとして生じる恐怖のこと。また,コインを使って食物を得て飢餓を満たすという経験をたび重ねるうちに,直接食物へではなく,手段であるコインへの期待がつくられ,その期待が内部的原因となって行動が起されるようになるが,この際の,以前は手段的対象であったものへの期待のこと。2次的動因ともいう。





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動機
動機

どうき
motive

  

心理学用語。行動生起の内的な直接因の総称。要求,欲求,願望,意図などと同義に用いられることが多い。特に動因と混用されるが,内的な有機的不均衡に起因する場合には生理的動因といい,生理的動機とはいわない。





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パーソナリティ
ホメオスタシス
ホメオスタシス

ホメオスタシス
homeostasis

  

生体恒常性と訳される。アメリカの生理学者 W.キャノンが,主著『人体の知恵』 (1932) のなかで提唱した生物学上の重要概念。生体内の諸器官は,気温や湿度など外部環境の変化や,体位,運動などの身体的変化に応じて統一的かつ合目的性をもって働き,体温,血液量や血液成分などの内部環境を,生存に適した一定範囲内に保持しようとする性質があり,内分泌系と神経系による調節がそれを可能にしている。この性質をホメオスタシスと名づけた。体温や血糖値の正常範囲外への逸脱は,生体恒常性の異常すなわち病気を意味する。また自然治癒力は生体恒常性の表われと解される。





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ホメオスタシス
homeostasis

生物の生理系(たとえば血液)が正常な状態を維持する現象を意味する言葉で,〈等しい〉とか〈同一〉という意味の homeo と,〈平衡状態〉〈定常状態〉の意味の stasis を結びつけて,アメリカの生理学者キャノン W. B. Cannon が1932年に提唱したもの。恒常性とも訳される。
 直接外環境の変動にさらされているバクテリアや単細胞の動植物とちがって,多細胞生物は体表に外被(皮膚,樹皮など)があり,体内に体液,樹液があるので,細胞にたいする外界の影響は多少とも間接的なものになる。多細胞生物の細胞にとっては,生体内の液体が直接の環境であり,その恒常性を維持することは,細胞が正常にはたらくために有利な条件である。動物の体液について,このような恒常性の重要性を指摘した最初の人は,フランスの生理学者 C. ベルナールであり,体液を内部環境と呼んで,その固定性を生物の独立生活の条件とみなした。彼の概念をキャノンがホメオスタシスという語で生体の一般的原理として発展させたのである。
 多くの多細胞動物は,内部環境である血液の性状,すなわち酸素,二酸化炭素,塩類,ブドウ糖,各種タンパク質などの濃度やpH,粘度,浸透圧,血圧などを,一定の範囲に保つ調節能力を備えている。また定温動物では,体温を調節する機構が発達している。このような調節は,一般に神経とホルモンによって行われ(神経性調節と液性調節),中枢神経系の中に特別の調節中枢が存在する場合が多い。特定の受容器で血液の物理的・化学的性状の変化を検知し,自律神経系や神経‐内分泌系によって,定常状態に戻す方向の指令を発する。その結果,血液に生じた効果は再び中枢にフィードバックされて,指令が修正される。神経性調節でも液性調節でも,特定の調節機構には,通常拮抗的にはたらく複数の神経やホルモンが関与しており,あるものは促進的,あるものは抑制的に作用する。たとえば,われわれの血液中のブドウ糖の濃度(血糖濃度)はふつう80~100mg/100ml であるが,食後にこれが増加する。この増加が膵臓(すいぞう)からのインシュリンの分泌を刺激する。インシュリンは筋肉や肝細胞の糖吸収を促し,血糖濃度が低下する。血糖濃度の低下はインシュリンの分泌を抑制する。膵臓から分泌されるもう一つのホルモンであるグルカゴンと副腎髄質から分泌されるエピネフリン(アドレナリン)は,インシュリンとは拮抗的に血糖濃度を上昇させるはたらきがある。定温動物の体温調節では,血液の温度や皮膚温の変化に応じて間脳にある体温調節中枢が自律神経系を通じて,皮膚毛細血管の拡張・収縮,皮膚の緊張・弛緩,立毛の程度などを変化させて,体表からの放熱量を調節し,チロキシンやエピネフリンなどの分泌を増減することによって,産熱量を調節する。
 ホメオスタシスは元来上記のような個体の生理系の維持を表す語であったが,その適用の範囲は生理学の分野以外にも広げられ,生物系の種々の階層における安定した動的平衡状態を表すのに使われるようになった。たとえば,生物群集における種の構成の安定性を生態的ホメオスタシスとよび,また,同種の個体群における遺伝子分布の安定した平衡状態を遺伝子ホメオスタシス,発生過程で一定した表現型を発現する現象を発生的ホメオスタシスという。       佃 弘子

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ホメオスタシス
ホメオスタシス Homeostasis 生物システムが平衡状態を維持する現象全体をさす生物学の用語。恒常性ともいう。ホメオスタシスは、生物個体内の平衡状態を維持するシステムをはじめ、捕食者(→ 捕食)と被食者の間にみられるような、生物群集における生態的な平衡状態にまであらわれている。この概念は、19世紀にフランスの生理学者ベルナールによって、はじめて提示された。この概念に、ホメオスタシスの名をつけたのは、アメリカの生理学者キャノンだった。

ホメオスタシスの例は、ホルモンの分泌や酸塩基平衡にかかわる生体の自己調節機構、体液の組成、細胞の成長、体温の調節などにみられる。もっと視野をひろげれば、生物群集も、大きな障害がないかぎりは、ある程度のバランスを維持していく傾向をしめす。

1980年代に、地球を生きた有機的組織としてとらえた、いわゆるガイア仮説が流行した。この仮説は、ある点で、ホメオスタシスの概念を単純に拡張したものとみなすことができるだろう。

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欲求段階説
欲求段階説

よっきゅうだんかいせつ

  

人間の発達と可能性の探究を目標として A.H.マズローが提唱した欲求,動機づけ理論。彼は人間の欲求構造を基礎的段階から順に次の5段階をなすと説明した。 (1) 生活維持の欲求 (生理的欲求) ,(2) 安定と安全の欲求,(3) 社会的欲求 (集団的欲求,所属欲求,親和欲求) ,(4) 自我の欲求 (人格的欲求,自主性の欲求,尊敬の欲求) ,(5) 自己実現の欲求。 (1) ~ (4) の欲求については,下位の欲求が充足されると次の欲求が高まるが,最高位の (5) の自己実現の欲求は完全に充足されることがなく,引続いて欲求が喚起され,行動の動機づけとなり,高い勤労意欲が誘発されるとする。





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A.H.マズロー
マズロー

マズロー
Maslow,Abraham Harold

[生] 1908.4.1. ブルックリン
[没] 1970.6.8. カリフォルニア,メンロパーク

  

アメリカの産業心理学者。 1934年ウィスコンシン大学で博士号取得,ブルックリン・カレッジを経て,51年ブランディス大学教授となる。またマサチューセッツ工科大学のビジネス・スクールでも設立から参加した。彼は人間の欲求は,(1) 生理的欲求,(2) 安全の欲求,(3) 社会的欲求,(4) 自我欲求,(5) 自己実現欲求の5段階から成り,下位欲求から順に上位欲求の充足にニーズが進むとする欲求段階説を唱えた。主著『人間性の心理学』 Motivation and Personality (1954) ,『創造的人間-宗教,価値,至高経験』 Religions,Values and Personality (64) ,『人間性の最高価値』 Farther Research of Human Nature (72) など。





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マズロー 1908‐70
Abraham Harold Maslow

アメリカの心理学者。1951年以降ブランダイス大学教授。アメリカ心理学会会長も務めた。精神分析と行動主義に対する〈心理学における第三勢力〉である実存的・人間学的心理学の旗頭の一人であり,《人間性心理学雑誌》の創刊に関与した。動物の行動や病的な人格よりも,成熟した健康な人間について研究すべきことを主張し,自己実現,創造性,至高体験などについて研究した。主著は《可能性の心理学》(1966)など。  児玉 憲典

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対人関係
対人関係

たいじんかんけい
interpersonal relations

  

集団生活が続けられるうちに,メンバー相互の間に形成されるある特徴的な心理的関係や相互作用のパターンをさす。これにはたとえば協力,競争,支配,服従などがあるが,これらはメンバーの適応や動機づけなどに影響を及ぼすとともに集団全体の特性にも影響する。





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[ブリタニカ国際大百科事典 小項目版 2008]
リーダーシップ
リーダーシップ

リーダーシップ
leadership

  

集団の目標や内部の構造の維持のため,成員が自発的に集団活動に参与し,これらを達成するように導いていくための機能。この機能は,一方で成員の集団への同一視を高め,集団の凝集性を強める集団維持の機能を強化させるとともに,他方で集団目標の達成に向って成員を活動せしめる集団活動の機能の展開を促すということにある。そのことからリーダーシップ機能は,表出的・統合的リーダーシップと,適応的・手段的リーダーシップに分化していく。また,リーダーシップ類型からみると,放任主義型,民主主義型,権威主義型がある。また三隈二不二らはPM理論と呼ばれるリーダーシップ論を展開している。





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[ブリタニカ国際大百科事典 小項目版 2008]

リーダーシップ
I プロローグ

リーダーシップ Leadership 集団がその目標を追求し達成しようとする過程で、ある個人または複数の個人が、その集団成員や集団の活動に肯定的な影響をあたえる過程をリーダーシップという。たとえば、計画を立案し、各成員の役割分担をきめ、目標達成のための効果的な活動を指導し、成員間の人間関係を調整し、成員の満足感や士気を高めるなどの活動がそこにふくまれる。そのような個人をリーダーとよび、それ以外の一般成員をフォロワーとよぶ。

リーダーは集団の型によってその役割内容がことなってくるが、形式的には集団(組織)の中で特定の名称(社長、部長、室長、監督など)の下に地位と権限をあたえられている人のことであり、機能的には集団の中心的人物で集団の業績と他の成員におよぼす影響が大きく、また他の成員から選択され、人気の高い人のことである。

II リーダーの資質

初期の研究では、リーダーになんらかのすぐれた特性があるはずだとの考えから検討がおこなわれ、知識、能力、業績、責任感、社会的参加度、社会経済的地位が高いこと、さらには社交性、率先性、持続性など多方面の肯定的特性が指摘されている。しかし、集団の特性や、集団がおかれている事態・状況によってリーダーにもとめられるものがことなるために一貫した結論は得られていない。また、初期にはリーダーシップの型の検討もおこなわれ、専制型、民主型、放任型のリーダーシップが集団成員の行動や態度におよぼす影響がしらべられている。

それによれば、民主型においては成員間が友好的で、作業への動機づけも高く、創造性にもすぐれていたが、専制型では、作業成績は高かったものの、成員間に不満が強く攻撃的になりやすかった。そして放任型では、作業の量や質が低く、集団間の雰囲気もよくなかった。しかし、この種の研究も、集団目標や集団がおかれている事態によってもとめられるリーダーシップがことなるところから、そのいずれの型がすぐれているかを明らかにすることはできていない。

III 集団の機能とのつながり

リーダーシップは集団の機能と密接なつながりをもっている。集団にはその目標を達成しようとする機能があるが、これとの関連では、リーダーは目標にむかって成員をひっぱり、問題を明確にし、手段を具体化し、仕事の質をただしく評価しなければならない。集団にはもうひとつ、その維持・強化に関する機能があるが、これとの関連では、リーダーは成員間の人間関係を円滑にし、士気を高め、まとまりを強め、成員のやる気をひきださねばならない。

社会心理学者の三隅二不二(みすみじゅうじ)はこの2つの集団機能をリーダーシップ機能とむすびつけて、それぞれP機能(目標遂行機能)、M機能(集団維持機能)とよび、その程度を測定する5段階評定尺度を構成して、平均より上をそれぞれP、M、平均より下をp、mとしてそれぞれをくみあわせ、リーダーシップの基本類型をPM、Pm、pM、pmの4つに分類した。

これら4つのリーダーの型が集団機能に関してそれぞれどのような効果をもたらすかをしらべた結果、リーダーがPM型のとき、集団の生産性はもっとも高く、部下の満足度ももっとも高いこと、またpm型において、生産性も満足度ももっとも低いことがしめされた。またPm型では、生産性優先になりやすいために部下に不満がたまりやすい。しかし、成員の達成欲求が低かったり、集団が生産性重視の目標を強くもっている場合には、PM型よりもこの型のリーダーのほうが指導性を発揮しやすく、生産性が高くなることも知られている。

IV リーダーの分化

近年、仕事の細分化、高度化などによって、実際に1人のリーダーがP機能、M機能の両方にわたってリーダーシップを発揮するのはきわめて困難になってきた。実際、リーダーのパーソナリティを考えあわせると、P機能にすぐれた人、M機能にすぐれた人がいて不思議ではない。そこからP機能リーダー、M機能リーダーという概念が生まれ、集団に必要なP機能、M機能に関するリーダーシップは、1人の人物が両方をになわなくとも、それぞれの機能に関するリーダーがになえば、集団は円滑に機能するという考えもなりたつ。現に集団成員は、その年齢や経験によってリーダーにどちらの機能をもとめるかがことなるという事情もある。

日本では経験が浅い若年者はリーダーにM機能(母親的存在)を強くもとめ、中堅になるとむしろP機能(話のわかる父親存在)を強くもとめる傾向にあるといわれている。しかしながら、ハーシーとブランチャードの状況・リーダーシップ理論によれば、課題志向型と関係志向型のリーダーシップにおいて、部下の成熟度が低い場合には課題志向的なリーダーシップが有効で、部下の成熟度が高ければ、逆に課題志向的行動をおさえて関係行動を重視したリーダーシップが有効であるという結果も得られている。リーダーシップの効果を何によってはかるかでこのような違いが生まれていると思われるが、ともあれ病院組織や会社組織などでは、リーダーシップの役割分担という考えを積極的にとりいれて人事配置を考えるようになってきている。

→ 社会的役割:社会心理学

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PM理論
PM理論

ピーエムりろん
PM theory

  

三隅二不二によって提唱されたリーダーシップ理論。彼はリーダーシップの果す機能を,(1) 組織目的を達成させるような「職務遂行機能」 Performanceと,(2) メンバー間のコンフリクト解消などの「集団維持機能」 Maintenanceの2つの次元からとらえ,リーダーシップを PM型,P型,M型,pm型 (ともにその機能が弱いもの) の4つに類型化した。それらのリーダーシップ型と組織の生産性やモラールとの関係について調査したところ,状況のいかんを問わず,PM型リーダーシップにおいて生産性,モラールともに最高となることがわかった。





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集団規範
集団規範

しゅうだんきはん
group norm

  

集団の成員に共有されている価値判断や行動様式の規準をいう。人間は意識すると否とにかかわらず特定の規準に従って知覚や思考をするが,その規準が合理的,公式的な場合を規則,その他の場合を慣例という。後者の場合その成立過程は個人的心理的次元,所属集団的次元,準拠集団的次元に区分できる。集団の継続過程で,各成員は他の成員のもつ規範との関係で思考するようになるため所属集団的次元の規範形成力が強まるが,これは同時に集団の凝集性の高度化を意味し,ここから成員の連帯が生じる。集団規範は一方で逸脱者に対する制裁,同調者に対する報酬の規準として機能するが,他方で成員の意識を画一化する面もある。





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[ブリタニカ国際大百科事典 小項目版 2008]
知覚
思考
思考

しこう
thinking

  

思惟ともいう。はっきりした定義はないが,一般的には,ある対象,事態ないしはそれらの特定の側面を,知覚の働きに直接依存せず,しかもそれと相補的な働き合いのもとで,理解し把握する活動または過程をさす。その活動には,判断作用,抽象作用,概念作用,推理作用,さらに広義には想像,記憶,予想などの働きを含む。また連想心理学では,観念の連鎖をさす。思考は古くから心理学の研究対象として取上げられ,問題解決場面における意識過程の分析や行動の解析が行われてきたが,最近ではコンピュータを用い,シミュレーションなどによる研究もなされている。





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思考
しこう thinking

思考とは,実際に行動として現すことを抑制して,内面的に情報の収集と処理を行う過程である。この場合,機能的に見て思考を二つの型に分けることができる。一つは〈合理的思考〉であって,問題に直面したときにそれにふさわしい解決をめざすという意味で,〈方向づけられた思考〉とも呼ばれる。もう一つは〈自閉的思考〉であって,空想のようにとりとめのない気まぐれな連想によって生じる非現実的思考である。前者は,問題解決のための論理的推論を導く過程であり,概念,判断,推理から成る。しかし,発明・発見の過程や芸術的創作の過程などにおいては,問題解決をめざしながらも合理的思考だけではその目的に十分に達することができない。論理の枠にしばられずに自由奔放な連想の後,直観的に認識を生み出す過程もここには含まれているからである。したがって思考のこの二つの型を厳密に区別することはむずかしい。
 そのうえ,意識的過程だけでなく,無意識の中で展開される思考も少なくない。たとえばすぐれた発明・発見が,夢の中での思考を契機として結実することがありうる。にもかかわらず,伝統的には思考は意識(論理的思考)とほぼ同義に用いられており,初期の思考心理学は意識の過程を自分の意識によって観察する方法(内観法)で,その研究を進めてきた。とりわけ連合主義心理学は,過去の感覚的経験のなごりである心像の組合せによって,思考を説明した。しかし心像を含まない思考もありうることが,その後,ビュルツブルク学派の心理学者たちによって指摘されて以来,思考研究は二つの方向に発展していくこととなった。第1は,思考を意識としてでなく行動としてとらえようとする行動主義心理学の立場からの研究である。J. B. ワトソンは思考を,音声の抑制された自問自答の言語行動とみなし,のどの微小反応の測定により思考過程を明らかにすることができると主張した。また新行動主義では,思考を反応そのものというよりも,刺激に対して外部的反応をひきおこす前に生じる内部的反応とみなし,これを媒介反応と呼んでいる。いずれにせよ,ここでは思考は刺激と反応との連鎖によりいわば試行錯誤的に解決に迫る過程とみなされる。第2は,思考を場の再構造化の過程としてとらえるゲシュタルト心理学の立場である。ここでは思考が,〈洞察(見通し)〉または観点変更という知覚の法則で支配される過程とみなされる。その結果,ものごとを一挙に洞察する直観が,論理以上に重視されることとなる。このようにして思考研究は,思考のよりどころを論理に求めなくなっていった。にもかかわらず論理が思考の到達すべき理想的状況を示していることは明らかである。そこでピアジェは,現代の論理数学にもとづいて思考の論理模型を作り,これを用いて子どもの思考の発達を分析した。こうして,乳児の感覚運動的知能から青年の操作的思考(論理的思考)に至るまでの機能的なつながりが解明されたのである。         滝沢 武久
[思考障害]  思考障害(異常)disturbance ofthought は一般に,(1)思考過程(観念連合,思考の流れ)の障害と,(2)思考内容の障害に分けられる。思考過程とは,一定の目的に適合した観念を順次思い浮かべながら判断,推理などによって課題を分析,解決する過程であり,その障害には思考制止,思考途絶,観念奔逸,思考滅裂,思考散乱,保続などがある。思考制止inhibition of ideas とは思考の流れに抑制がかかってスムーズにいかないこと,思考途絶blocking of thought とは思考の流れが突然中断してしまうこと,観念奔逸 flight of ideas とは考えが次から次へと飛んでなかなか目的に到達しないこと,思考滅裂 incoherence of thought とは意識が清明であって思考過程にまとまりが欠け,話の筋が支離滅裂であること,思考散乱incoherent thinking とは意識障害時の話の支離滅裂状態,保続 perseveration とは質問が変わっても前の返事が繰り返されることをいう。
 思考内容の障害には,優格観念,強迫観念,妄想がある。優格観念 overdetermined idea とは支配観念ともいい,感情に強く裏づけられた観念で,その人の思考や行動を持続的に支配するもの,強迫観念 obsessional idea とはその不合理性を自覚しながらも特定の観念にとらわれて離れることができぬもの,妄想とはありうべからざることを病的に確信し,周囲からの説得によっても訂正不能なものをいう。強迫観念は強迫神経症,鬱(うつ)病,精神分裂病に,妄想は精神分裂病,妄想病,薬物依存などに認められる。なお,思考障害の特別なものとして,思考への影響性といって,主として精神分裂病者の訴える,自分の考えが他人によって操作されるという体験(させられ体験,作為体験の一種で〈させられ思考〉という)がある。この際には他人によって自分の考えが奪われたり(思考奪取 Gedankenentzug),他人から考えを入れられる(思考吹入 Gedankeneingebung)という体験として訴えられる。       保崎 秀夫
【認知科学における思考】
[思考と問題解決]  人間はさまざまな場面で思考を行う。近年の思考研究において中心的に研究されてきたのは,その中でも問題解決と呼ばれる種類の思考である。問題解決とは読んで字のごとく〈問題を解決する〉ことである。ここで問題とは,目標と現状が一致していない事態を指す。たとえば,いま横浜にいる(現状)が京都に行きたい(目標),三角形の2辺が等しいことがわかっているとき(現状)に2角が等しいことを確かめたい(目標),などの事態である。解決は,目標と現状を一致させることとされる。こうしたことから,現状と目標の間の差を〈何を〉用いて〈どのように〉埋めていくかが問題解決研究の課題となる。
[思考研究の方法]  われわれは,自分の考えていることについては完全に把握できると思っている。〈どうしてそう考えたのですか〉と問われれば,われわれはふつうなんらかの形で答えることができる。もしこうした報告が信用できるものであるならば,思考の研究はきわめて簡単である。しかしながら,人は自分の考えていることを正しく表現できないケースの方がずっと多いことが数多くの研究で確かめられてきた。
 こうしたことから,思考研究では心理学実験やコンピューターシミュレーションなどのより客観的な方法を用いて研究を行うことが必須である。心理学実験では,思考に影響すると考えられる情報を変化させ,その結果,人の反応(問題に対する正答率,誤答のパターン,解決時間,眼球運動,発話プロトコル)がそれに応じて変化するパターンを検討し,思考において用いられる情報の種類,およびその利用方法を明らかにする。コンピューターシミュレーションを用いた研究では,既知の要因をできるだけ取り込んだモデルをプログラムとして表現し,それを動かしてみて人間の反応パターンがどの程度再現できるかを検討する。したがって,現代の思考研究では心理学とコンピューターサイエンス(特に人工知能)の両面からのアプローチが必要となっている。さらに近年では神経科学の知見を加え,より統合され,かつ洗練された理論の探求が行われている。
[思考のプロセス]  思考のプロセスは一般に,問題理解のプロセスと実行のプロセスからなると考えられている。問題理解のプロセスでは,問題を理解すること,つまり目標,現状はいかなるものであるか,どのような情報を用いるべきかが明らかにされる。その結果,問題表象と呼ばれるものが心的に構成される。問題表象とは,問題解決者の問題に対する主観的な意味づけ総体ということができる。実行のプロセスでは,生成された問題表象をもとにして,目標と現状との間の差を埋めるためのプランを生成し,目標状態に近づくための心的操作を行う。
 現代の思考研究の重要な発見の一つは,問題解決における問題理解の決定的な重要性を明らかにしたことである。たとえば,組合せの計算公式を知らない人が,〈10人の人がいて,そこから9人を選抜する仕方は何通りありますか〉という問題を与えられたとしよう。この人が問題を字義通りに理解して,9人の構成を考えるとすれば,これを解くことは著しく困難である。しかし,この問題を〈この中から選抜されない人を1人選び出す〉と理解すれば簡単に解決することができる。こうしたことはより複雑な問題においても同様に当てはまる。受験などの教育問題の解決を考える場合,この問題をエリート選抜の方法という形で理解するのと,人が文化的遺産を平等に授与する権利を保証する方法と理解するのでは,まったく異なった解決方法が採られるであろうことは想像に難くない。
[思考の資源]  目標と現状の間の差は自然と埋まってくれるわけではない。人間はこの差を埋めるために,さまざまな資源を能動的に活用する。
(1)イメージ・モデル 人間はさまざまな対象や出来事に対してかなり鮮明で,絵のようなイメージをもっている。こうしたイメージを用いて問題を解決できることがある。たとえば,ワトソンとクリックがDNA の二重螺旋構造を発見したときには,心の中の具体的なイメージが大きな役割を果たしていた。また,人間は,図のようなイメージではないが,より抽象化されたモデルをももっており,それを問題解決に活用することもある。これらはメンタルモデル,モデルに基づく推論と呼ばれている。ここでは人間の作り出すモデルの特質やその生成の方法についての研究が行われている。
(2)記憶と類似 人間の長期記憶には膨大な数の経験が貯蔵されている。人間は,これらの経験の中で現在の問題状況にもっとも類似しているものを引き出し,それを用いて問題解決を行う場合もある。このような問題解決は類推(アナロジー),〈事例に基づく推論〉と呼ばれている。たとえば,電気回路の問題を考えるときに,水の流れについての経験を用いる,あるいはあるレストランの料金を考えるときに,それとよく似たレストランの料金を思い出す,などは類推による問題解決といえる。この領域の研究では,現在の問題とどのような意味において類似している経験が重要なのか,また人間はどのような類似をもとにして類推を行うのかが研究されている。
(3)言語とカテゴリー カテゴリーや言語は思考に対してきわめて大きな役割を果たす。たとえば,よくわからない水中の物体 x が〈魚〉であることがわかったとすると,x は鰓呼吸をするだろう,卵生だろう,口のような栄養摂取をする部分があるだろう,などのさまざまな結論を導くことができる。これは演繹(カテゴリー的三段論法),あるいはカテゴリーを用いた推論である。カテゴリー(上の場合でいえば〈魚〉)は意味の貯蔵庫であり,カテゴリーのメンバー(物体 x)はカテゴリーのもつ意味をすべてもつ。こうしたカテゴリーの階層関係を用いることにより,人間はさまざまな物体,事象に対して,いちいち調査することなく,多くを知ることができる。この領域の研究では,人間はどのようにしてカテゴリーを作り出すのか,カテゴリーは心的にどのような形で存在しているのか,文化や言語の違いによってカテゴリー推論がどのように変化するのかが研究されている。
(4)外的資源 いままで述べてきた思考の資源は,人間の頭の中に存在しているという意味で内的資源と呼ぶことができる。しかし,人間は多くの場合,図,道具,他者などの外的資源を積極的に活用しながら思考を行っている。たとえば幾何の証明問題を解くときには作図を行うし,計算を行うときにはそろばんや電卓を使うかもしれないし,実社会ではチームで仕事に当たる場合も多い。このような外的資源の利用についての研究の歴史は浅いが,その重要性が認識されるにつれ,多くの研究者がその特質の解明に向けて探求を行っている。
⇒アナロジー∥意思決定∥記憶    鈴木 宏昭

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凝集性
凝集性

ぎょうしゅうせい
cohesiveness

  

社会学的には集合体の統合性の強さをさす概念として .デュルケム以来,統合という概念と並んで用いられてきたが,その厳密な定義はなされていない。これに対して社会心理学のグループ・ダイナミックスの分野では定義も厳密で操作化も進んでいる。 L.フェスティンガーらは「成員に対して集団内にとどまるように働く力の全体的な場」と定義し,D.P.カートライトらは「集団へのひきつけ」と定義している。集団のモラール,集団規範による成員の動機づけ,リーダーシップなどと関連する重要な概念である。





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E.デュルケム
デュルケム

デュルケム
Durkheim,mile

[生] 1858.4.15. アルザス,エピナル
[没] 1917.11.15. パリ

  

フランス社会学の創設者。エコール・ノルマル・シュペリュール (高等師範学校) 卒業後,中等学校で教えたのちドイツに留学,1887年ボルドー大学を経て,1902年ソルボンヌ大学で教育学と社会学を講じた。この間,1897年には『社会学年報』L'Anne sociologiqueを創刊し,いわゆるデュルケム学派を形成した。彼の学説は,対象を社会的事実に求める立場に立つもので,心理学的社会学の克服を目指し,社会学に固有の対象と領域を与えた点で,学史上重要な意味をもつ。方法は実証的,客観主義的であり,社会的分業や自殺などの社会事象にこの方法を適用してすぐれた分析を行なった。また近代社会の社会分化が,社会的分裂や対立を生み出し,ついにはアノミー現象にいたることを指摘し,これらの解決に社会学がどのように貢献するかを問題としている。さらに宗教社会学および教育社会学に及ぼした影響も大きい。主著『社会的分業論』 De la division du travail social (1893) ,『社会学的方法の基準』 Les rgles de la mthode sociologique (95) ,『自殺論』 Le suicide (97) ,『宗教生活の原初形態』 Les formes lmentaires de la vie religieuse (1912) ,『教育と社会学』 ducation et sociologie (22) 。





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デュルケーム,E.
デュルケーム Emile Durkheim 1858~1917 フランスの社会理論家で、現代社会学の発展に寄与したパイオニアのひとり。

フランス、エピナルの、ユダヤ教律法学の名門の家に生まれた。1882年にパリのエコール・ノルマル・シュペリウール(高等師範学校)を卒業、以後、法律と哲学の教鞭をとる。87年に社会学をおしえはじめ、最初はボルドー大学で、のちにパリ大学でおしえた。1902年パリ大学教授となった。

デュルケームは、科学的方法を社会の研究に適用すべきであると考えた。また、集団は個人の性格や行動の総和以上のなにものかであり、独特の性質をしめすとして、社会の安定性の基盤、すなわち道徳や宗教といった社会に共有された共通の価値について考察した。

彼によれば、これらの価値ないし集合意識は、社会秩序を維持する凝集的な紐帯(ちゅうたい)であり、これらの価値の衰退は、社会的安定性の喪失、不安や不満足といった個人的感情をひきおこすとして、社会規範の崩壊による混乱した状態をアノミーとよんだ。

デュルケームは、自殺は個人の社会への統合の欠落の結果であると考え、「自殺論?社会学研究」(1897)において自殺と統合の欠落の相関関係を研究した。研究や著作に人類学的な資料を多用したが、とくにアボリジニ社会の関連資料は、彼の理論を支持するものとして援用された。他の著作には、「社会分業論」(1893)、「社会学的方法の基準」(1895)、「宗教生活の原初形態」(1912)などがある。

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弥縫策としての心理学(その11) [哲学・心理学]


S.フロイト
フロイト

フロイト
Freud,Sigmund

[生] 1856.5.6. モラビア,フライベルク
[没] 1939.9.23. ロンドン



オーストリアの神経学者であったが,精神分析の創始者となる。チェコ生れのユダヤ人。ウィーン大学医学部で生理学,進化論,神経病理学を学んだのち,パリの J.M.シャルコーのもとに留学し,神経症の治療に関心をいだく。 1896年の開業後,精神分析理論を展開する。フロイトは,神経症理解の糸口をつくり,精神療法の確立に貢献し,精神力動論を展開することによって,精神医学にはかりしれない寄与をした。同時に,精神医学の領域をこえて,社会科学,さらに現代思想にまで影響を及ぼした。すぐれた芸術論も少くない。 1938年,ナチスのウィーン占領の際,ロンドンに亡命し,翌年亡命地で死去した。





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[ブリタニカ国際大百科事典 小項目版 2008]


フロイト 1856‐1939
Sigmund Freud

オーストリアの神経病学者,精神分析の創始者。オーストリア・ハンガリー二重帝国に属していたモラビア地方の小都市フライベルク(現,チェコのプシーボル)にユダヤ商人の息子として生まれる。4歳のとき一家をあげてウィーンに移住。1881年ウィーン大学医学部を卒業。
[神経病学者フロイト]  はじめ,すでに学生時代から出入りしていたブリュッケ E. W. vonBr‰cke の生理学研究室で神経細胞の組織学についての研究に従事,ついで臨床に転じウィーン大学付属病院 Das Wiener AllgemeineKrankenhaus(日本の翻訳書はすべて〈一般病院〉または〈総合病院〉と直訳しているが適切ではない)でさまざまな科の臨床実習に従事した。精神科教授マイネルト T. Meynert のもとでは5ヵ月間臨床に従事したが,むしろ基礎研究が主で,延髄の伝導路に関する組織学的研究を行う。したがってフロイトの精神科医としての基礎修練は無に等しいといってよい。
 大学付属病院で,フロイトが最も興味を抱いたのは神経疾患である。彼はそこで局所診断の的確な神経病学者として知られるようになる。85年,神経病理学の講師の資格を取得。85‐86年,約5ヵ月間,パリの高名な神経病学者 J. M. シャルコーのもとに留学。そこではヒステリーの問題に関心を寄せる。帰路,ベルリンのバギンスキーA. D. Baginsky の病院で小児神経疾患を見学し,帰国後,30歳にして神経病医として開業。同時にカソウィッツ公立小児病研究所の小児神経科科長を兼ねる。この時期の《失語症の理解のために》(1891)は,当時支配的であった言語中枢を万能視する局在論を批判したきわめて先駆的な業績であり,また脳性小児麻痺に関する三つの論文(1891,1893,1897)は,今日の神経学の水準からみても完璧な症状論を提出している。つまり精神分析学者フロイトの前身は,第一級の神経病学者であった。
[精神分析療法の誕生]  ヒステリー患者の根本的治療を模索する開業生活の中で,催眠術とは決別した自由連想法と称する精神分析療法が誕生する。これは精神病理学者・精神療法家フロイトの誕生をも意味する。J. ブロイアーと共著の《ヒステリー研究》(1895)では,おもにブロイアーの催眠浄化法がとり上げられているが,症例エリーザベト嬢(エリーザベト・フォン・R)に対しては,未熟な形ながら自由連想法が採用されている。この書の中では〈抑圧〉〈無意識〉〈転換〉の機制がとり上げられ,ヒステリーは抑圧された性的契機が大きな意味をもつ性的神経症であると主張されている。この書があたかも一編の小説のように読めることについて,フロイトみずからそれは対象の性質によるものだと弁解しており,従来の神経病学研究とは異質な心の深層すなわち無意識の探求という領域に踏みこんだある種のとまどいをみせている。
 フロイトの症例報告は,このヒステリーの症例研究以後も,患者の示す現象の忠実・精緻な観察に終始しているが,同時にこうして把握した心理現象は,可能なかぎり自然科学的・生物学的・精神物理学的なモデルに整理した。これは,反生気論的・物理化学的生命論の推進者の一人であったブリュッケのかつての忠実な弟子であり,脳の器質病変の精密な研究者でもあったフロイトにとっては必然の思考形式でもあった。フロイトがメタ心理学と名付けた力動的・局所論的・経済論的な無意識に関する心理学と,フロイトの直接経験との間のへだたりや飛躍が繰り返し指摘されることがあるのは,上記のフロイトの思想形成の特徴に基づいている。《ヒステリー研究》の発刊年に書かれたノート《科学的心理学草稿》は,フロイト自身は発表する意図を放棄した論考だが,〈心的諸過程を明示しうる物質的要素によって量的に規定される諸状態として記述する〉と冒頭で明言している。この草稿はフロイトの思想の機械論的な一面をはっきり示している点でも,後年のメタ心理学の基本構想が展開されている点でも貴重である。
 しかし精神分析療法という新しい治療的人間関係から得られる知見は,このような生理学的心理学樹立の意図とはつねに背馳(はいち)するものとなる。例えば,患者の幼少時期の対人態度の様相が治療状況の中でいきいきと再演される〈感情転移〉の発見はその最たるものである。フロイトが治療上は〈転移〉〈逆転移〉を最も重視したのは,彼が治療の局面においては対人関係論者,対象関係論者であったことを示している。
[フリースとの出会い]  フロイトはやがてブロイアーと理論的・感情的齟齬(そご)を来したのち,フリース W. Fliess(ベルリンの耳鼻科医。有能だが偏執的な理論を唱えた人物)にはなはだしい傾倒を示し,1887‐1901年にかけて両者の間に頻繁な文通が行われる。フリースあてのフロイトの手紙の中には,あまたの自己分析が含まれており,失錯行為と夢の意味,エディプス・コンプレクス,攻撃性の問題,空想や創作の心理的意味といった彼のその後の主要な思想の萌芽がすべて見いだされる。これをみれば,フロイトの心理的発見は,自己分析と患者の精神分析との照合に由来する産物であることがわかる。フロイトはフリースをはじめ過大評価し,やがて彼の実像がみえてきて幻滅する(これはフロイトの同性の友に対する反復される基本的対人態度でもある)。
 この間,フロイトはいわば患者の側に自分を置き,フリースをいわば主治医とみなしてさまざまな感情転移をフリースにさし向けていたということができる。フロイトは手紙の中に事実,当時多彩な神経症様あるいは心身症様の訴えを書きつけてもいる。この〈フリース期〉において,フロイトは自己の理論の展開に対する体験的基盤を獲得したといえる。
[理論と技法の深化]  フリースへの傾倒の終焉(しゆうえん)のさなかに書かれた大著《夢判断》(1900)には,自己分析に終始したこのフリース体験が生かされている。フロイト自身,夢は一種の可逆的な精神病であると述べているが,夢の象徴や夢の形成理論は,当時のチューリヒ学派(E. ブロイラーと C. G. ユング)によって,精神分裂病の理解のための有力な武器とされた。夢解釈に続いて失錯行為や機知に関する考察もなされるが,いずれも健康者がいかに自己の無意識的欲求に支配されているかを豊富な実例を挙げながら解明したものである。神経症者にも健康者にも共通の心理機制を見いだすというのはフロイトの一貫した姿勢である。
 1902年ウィーン大学員外教授となる。05年には《性欲論三篇》を発刊する。その中で展開される幼児性欲とその段階的発達理論は,神経症者の幼児期体験,性倒錯の存在ならびに自己分析を資料とし,進化論的発想を下敷きとした人格発達論でもある。フロイトの一貫した乳幼児期の重視は,彼がかつて小児神経病学の第一人者であったこととも無関係ではあるまい。性とならんで,フロイトは人間の抑圧された攻撃性にも深く注目した。性的発達の中に含まれるサディズム的要素,治療者によせる患者の敵対感情,強迫神経症,鬱(うつ)病ならびにパラノイアにおける病因としての攻撃性の意義,エディプス・コンプレクスにつきものの愛と憎しみ――いずれも攻撃性への着目である。もっとも,フロイトが独立した攻撃欲動(〈死の本能〉)の存在を認めたのは晩年である。
 1904‐20年にかけては13の精神分析技法論を発表し,精神分析療法の基本理念を確立する。エス(イド),自我,超自我という三分割の心的装置論は,《集団心理学と自我の分析》(1921),《自我とエス》(1923)において展開され,自我の分析に比重が移っていく。《悲哀とメランコリー》(1917)と《制止・症状・不安》(1926)とは後期の臨床論文として重要である。前者は鬱病の精神力動論の礎石をなすものだし,後者は,不安を中心に論じて彼の神経症論のひとつの到達点を示したものといえよう。
 フロイトは《ヒステリー研究》のほかに五つの詳細な症例研究を発表している。《症例ドラ》(1905。ドラ)では夢分析と感情転移の問題が論じられ,《症例ハンス》(1909。少年ハンス)は児童精神分析のさきがけであり,《強迫神経症の一症例に関する考察》(1909。ねずみ男)と《ある幼児期神経症の病歴より》(1918。狼男)とはともに強迫状態に関する考察,《症例シュレーバー》(1911。シュレーバー)は精神分裂病者の手記に対する精神分析的解釈の試みである。
[芸術論,宗教論,社会論]  フロイトは芸術愛好者だが,創作活動を快楽を生み出す白昼夢と等価なものとみなし,《ハムレット》や《カラマーゾフの兄弟》の中にみられるエディプス・コンプレクスを指摘し,他方,レオナルド・ダ・ビンチの創作の秘密やミケランジェロのモーセ像の意味について論じている。《ある幻想の未来》(1927)では,宗教は人間の未熟な心理の外界への投影,つまり幻想にすぎず,一種の集団的な強迫神経症(その根底にあるのは父なる神に対するエディプス・コンプレクスである)とみる宗教論を展開しており,《トーテムとタブー》(1912‐13)では,原始群族の間でオイディプスの惨劇が現実に行われたと推測している。《文化への不満》(1930)においては,人類の幸福追求にはおのずから限度があること,ならびに有史以来不変の攻撃本能の根強さを指摘し,私有財産制の否定が人性の向上にもつながるとする共産主義の心理的前提は幻想にすぎないと述べている。ここに一端を紹介した芸術論,宗教論,文化論は,いずれも臨床知見から得られた人間の深層心理の壮大な拡延の試みであり,根拠の乏しい思弁の産物ではない。例えばマルクス主義の実践に対する予見は,今日の世界情勢をみれば的中したといえる。
[啓蒙・対外活動とフロイトの評価]  フロイトの手になる精神分析の総合的解説書としては,《精神分析入門》(1917),《続精神分析入門》(1933),絶筆となった未完の《精神分析概説》(執筆1938,刊行1940)がある。前2著は啓蒙書でもあるが,後者は簡潔ながら専門家向きで,しかも〈作業同盟〉〈自我分裂〉といった臨床的に重要な新概念が取り上げられており,フロイトの思考力の衰えはみじんも感じられない。
 フロイトははじめ独力で精神分析研究を推進したのだが,1902年からは自宅での研究会を開始,08年にはウィーン精神分析学会を設立するとともに,第1回国際精神分析学会をザルツブルクで開催した。09年にはアメリカのクラーク大学に招かれて講演。一方,精神分析学は,ドイツ,膝下のオーストリアの大学精神医学からはまったく受けいれられなかった。〈心的流行病〉(A. E. ホッヘ),〈今後10年を経ずして滅びる〉(O. ブムケ)などとおとしめられ,K. ヤスパースは第2次世界大戦後もフロイトを〈悪しき天才〉とよんでいた。
 フロイトの弟子には,K. アブラハム,S. フェレンツィ,ユング(のち離反),A. アードラー(のち離反),O. ランク(のち離反),L. ビンスワンガー,H.ザックス,P. フェダーンらがいる。
 研究誌としてフロイトは,《精神分析学・精神病理学研究年報》(1909‐13。チューリヒ学派と協同),《精神分析学中央雑誌》(1910‐12),《国際医家精神分析学雑誌》(1913‐38),《イマーゴ》(1911‐38)を企画・発行した(この後の2雑誌は合併されて31‐41年ロンドンで発行)。23年上顎癌に罹患,以後,癌に対する33回の手術を受ける。30年ゲーテ賞受賞。38年ナチスの迫害を逃れてロンドンに亡命,39年同地で客死。死の直前まで患者に対する診療(2ヵ月前まで)と執筆活動をやめなかった。
 中井久夫は《西欧精神医学背景史》(1979)において,フロイトはまだ歴史に属していない,彼の影響はなお今日も測深しがたい,巧みに無限の思索に誘い込む強力なパン種を20世紀の中に仕込んでおいた一人だといった趣旨を述べている。至言である。フロイトには《自伝》(1925),《精神分析運動の歴史》(1914)があり,〈正史〉としては E. ジョーンズ《フロイトの生涯》(1957)がある。⇒精神分析                     下坂 幸三

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形相と質料
I プロローグ

形相と質料 けいそうとしつりょう Eidos and Hyle 古代ギリシャの哲学者アリストテレスの用語。形相eidos(エイドス)とは、もとの言葉の意味では目でみることのできる形のことであり、質料hyle(ヒュレ)の原義は材料のことである。

II 「椅子」と木材

一般に、物が「何からできているか」にこたえるのが質料、その物が「なんであるか」にこたえるのが形相と考えてよい。たとえば木の椅子(いす)については、その質料は木材で、形相が「椅子」である。石の椅子の場合は、質料は石だが、形相は同じく「椅子」である。材料はことなるが形が同じだからである。また、質料が同じでも形相がことなる場合もある。たとえば同じく石でできていても、椅子と石像と墓では形相がことなる。

このように形相と質料の結びつきは多種多様で偶然的であるが、アリストテレスによると、存在するすべての物にはかならず形相と質料がそなわっていなければならない。この考えには、プラトンのイデア説に対する批判がふくまれている。

III プラトンのイデア説

プラトンは、われわれが感覚する個々の事物には永遠不滅の原型(イデア)が存在すると考えた。たとえば50個の馬のクッキーの形がみな同じなのは同じ1つの型でぬいてつくられているからであるが、ちょうどそれと同じように、すべての自然の馬も「馬」という1つのイデアにあわせてつくられている。したがって、個物の種類があるだけイデアの種類もあり、それらのイデアが感覚世界のかなたにあつまってイデア界を形成しているとプラトンは考えた。

こうしてプラトンは、われわれがみたり聞いたりする自然の世界のかなたに、超自然的なイデアの世界、形而上学的な世界を想定した。

IV イデア界の否定

けれどもアリストテレスによれば、このイデア説は、本来切りはなすことができない形相と質料を切りはなして考えた結果でてきたものである。つまり形相が質料とむすびつかなくても存在できるとするところに、プラトンの間違いがある。

アリストテレスによれば、椅子の形相とはあくまでも個々の椅子の中にあって、その椅子を椅子たらしめているものである。つまり個物としてのこの椅子は、椅子であるという本性を(イデア界にではなく)自分自身の中にもっているのである。

こうしてアリストテレスは、プラトンのイデア説の趣旨を生かしながら、同時に、現実の世界の外にあるイデア界のようなものを否定しようとした。

けれどもここにやっかいな問題がでてくる。たとえばこの椅子ができあがるまでの間、「椅子」という形相はどこにあったのか。さしあたりは大工の頭の中にあったのだが、彼がはじめてそんなアイデアを考えついたわけではない。すると大工が考える前は「椅子」はどこにあったのか。純粋な姿でイデア界にあったといったのでは、またプラトンに逆戻りする。

V 可能態と現実態

そこでアリストテレスは、形相が質料の中にあらかじめ可能性というかたちで存在していたと考えた。つまりアリストテレスは運動変化を説明するために、形相と質料という対概念にくわえて、可能態(デュナミス)と現実態(エネルゲイア)または完成態(エンテレケイア)という対概念を導入した。

こうした発想方法のモデルは、生命体の成長だった。たとえばカシ(樫)の種子は、まだカシの木ではないがやがてカシの木になるのだから、カシの木の可能態だとみなすことができる。つまり生命体は自分がこれからなるであろう形相の可能性を自分(質料)の中にすでに宿していると考えられる。芽がでてそだってカシの大木になったとき、この種子は現実にカシの木になった、つまりカシの木の現実態になったといえるのである。

これと同じ発想でアリストテレスは、いわゆる物理的運動や人為的制作をも説明しようとした。椅子をつくる場合でも、材木という質料はやがて外からなんらかの力をうけとって、現実の椅子を実現する可能性をすでにもっていると彼は考える。椅子という形相は、もともと(完成態にいたる以前は)質料としての材木の中に可能性としてあった。材木は自分自身のうちに素質としてあるこの形相を目的にして(むろん大工の手をかりて)成長変化するのだとアリストテレスは考えた。

この場合、材木は椅子の可能態である(もちろん材木は船や机にも変身できるので、船や机の可能態でもある)。そして大工によってつくられた現実の椅子が、この材木の現実態だということになる。このように考えれば、個物の世界のほかに純粋な形相からなるイデア界を想定しなくてもよくなるのである。

VI 目的論的世界観

こうしてアリストテレスの形相と質料という対概念は、イデア説の不自然さを克服することに成功したのだが、そのかわりに、あらゆるものを目的論的に考える世界観を準備することになった。アリストテレスの目的論的な世界観は中世を通じて支配的であったが、やがて近代科学の機械論的な世界観と対立することになる。

→ 西洋哲学

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フロイト学派
フロイト学派

フロイトがくは
Freudian school

  

一般には S.フロイトの臨床的な経験と方法を継承する人々をいう。しかし厳密には,1902年から 08年まで,フロイトが自宅で毎週水曜日に開いた研究会 (水曜会) のメンバーをさす。 W.シュテーケル,A.アドラー,P.フェダーン,E.ヒッチマン,S.フィレンツィ,V.タウスク,H.ザックスらに,ゲストとして C.G.ユング,L.ビンスワンガー,K.アブラハム,A.A.ブリル,E.ジョーンズらが加わっていた。のちにユング,アドラー,シュテーケルらは分派を起して,フロイトのもとから去った。





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[ブリタニカ国際大百科事典 小項目版 2008]
W.シュテーケル
精神分析
せいしんぶんせき psychoanalysis∥Psychoanalyse[ドイツ]

精神分析とは,創始者である S. フロイト自身の定義に従うと,(1)これまでの他の方法ではほとんど接近不可能な心的過程を探究するための一つの方法,(2)この方法に基づいた神経症の治療方法,(3)このような方法によって得られ,しだいに積み重ねられて一つの新しい学問的方向にまで成長してゆく一連の心理学的知見,である。ここでフロイトの述べている方法とは,主として自由連想法である。この自由連想法は,定義の(1)(2)にみられるように治療法であると同時に人間心理の一探究法でもある。今日においても上記のフロイトの定義をほとんど変更する必要はないが,(1)については,自由連想のみならず自由連想の基本原理を生かした心理的接近方法をも加え,(2)については,神経症のみならず性格障害ならびに精神病を加えることができる。以下,フロイトの定義を尊重しながら治療としての精神分析,理論としての精神分析,応用としての精神分析に3大別して解説し,最後にフロイト以後の精神分析の動向を概観することにしたい。
【治療としての精神分析】
 フロイトと一時親交のあった内科医ブロイアーJ. Breuer(1842‐1925)は,神経症の一類型であるヒステリー患者に対して催眠を施したのち,目下の神経症症状にまつわるさまざまな追想を感動を伴って患者に物語らせることによって症状を消失させる精神療法をくふうした。フロイトはこのブロイアー法を追試しているうちにやがて催眠を放棄し,ブロイアーのように特定の主題について追想を促すこともやめ,自由連想法を創始した。これは神経症患者を寝椅子に横臥させて,そのさい脳裡に浮かぶいっさいを自由に語らせる一方,治療者はこれに対していっさいの先入見を排して,患者の物語る連想にまんべんなく聴き入ることを基本とする治療法である。フロイトは,幼児期に源泉をもつ,抑圧されて無意識となった損藤を神経症の病因と仮定したから,この自由連想法が患者の無意識的損藤の存在を探り出すのに最良の方法と考えたのである。
 さて,治療の実際は,たとい順調にはじめられたようにみえても,早晩,患者の連想はとどこおるようになる。これは患者の自我のなかに意識的・無意識的な抵抗が生じることに基づく。この抵抗は,患者自身が認めたくない衝動を無意識へと押し戻した自我の働きと同一のものである。また空想をも含む自由な連想が奨励されること,治療者の受容的態度,安楽な寝椅子の使用などの条件によって,患者は心理的に退行し,彼の幼年時代の重要な人物(主として両親)に向けた感情や欲求が再現し,これを治療者にさし向けてくる。この現象は転移(感情転移)とよばれるが,しばしば言語的表出よりも挙動によって表現される。たとえばかつて父親に強いおびえを抱いていた患者は温和な治療者に対してもおびえた振舞を示す。治療は,抵抗ならびに感情転移を治療者が見いだし,これを時機をみて適切に解釈することによって自由連想を軌道にのせていくことが可能となる。とりわけ感情転移状況においては,神経症発生の源泉とみなすことのできる幼児期の固定した,現在の状況にはそぐわない片寄った対人態度が,現実のいまここの治療状況において再現される。これは治療の影響のもとに生じた転移神経症 transferenceneurosis であり,幼児神経症の新版である。いわば本来の神経症と比べれば人工的な神経症であり,治療者が初めて容易に操作できるものとなる。したがって妥当な解釈を通して,この幼児期に由来する片寄った対人態度を体験的に修正し,患者の対人態度をより現実適応的なものとすることが可能となる。抵抗も感情転移も実際には容易に解消するものではないので,くりかえし採り上げて言語的に操作されなければならない(徹底操作)。また治療者は,自由連想(夢分析を含む)の全材料,抵抗,感情転移の様相を検討し,患者自身にとっては無意識の心的状況を再構成し,これを時機を選んで患者に伝えることによって患者の自己洞察をいっそう深めることが可能となる。
 精神分析療法においては治療者は一貫して中立的態度を保ち,自己の人生観や世界観を押しつけないことが要請されている。さらに感情転移状況においては,治療者にも意識的・無意識的な逆転移 counter‐transference とよばれる感情反応がひき起こされるので,治療者は自己の感情反応に対する自覚とその統制とが必要となる。したがって治療者には絶えざる自己洞察が要請される。治療者に対する教育分析 didactic analysis(職業的精神分析家をめざす人自身が受ける精神分析)ならびにスーパービジョン supervision(精神分析療法の臨床教育の基本となるもので,監督教育者 supervisor と被教育者 supervisee の間で行われる種々の訓練をいう)の必要性が昔も今も強調されるゆえんである。寝椅子を用いる自由連想,週に4~6回,50~60分の治療が標準型の精神分析療法であるが,今日では標準型の精神分析はしだいに用いられなくなってきている。これにかわって,週1~2回,50~60分の寝椅子を使わぬ対面による治療が普及してきている。これは精神分析療法とは区別して精神分析的精神療法とよばれる。このような手技においても,抵抗と感情転移とを重視し,患者の無意識的部分を意識化することによって患者の自我の強化をはかることに力点をおくことには変りはない。また治療の適症は拡大し,冒頭に述べたように神経症に限定されなくなったし,児童の遊戯療法や成人の集団療法のなかにも精神分析的な考え方がひろく浸透してきている。
【理論としての精神分析】
 フロイトの定義(1)(2)から明らかなように,精神分析は一つの経験の学である。フロイト自身,臨床経験の深まりとともに,その理論を補足・訂正し発展させつづけた。フロイト以後今日にいたるまで,治療対象の拡大,対象者の病態の変化,社会情勢の変動に伴い,臨床知見の集積とともに新たな理論が提出され,フロイトに始まるこれまでの理論が批判的に検討されてきたことは当然である。しかし心的現実性 psychic reality を重視し心的決定論 psychic determinism の立場をとるということは,フロイトの提唱以来現在にいたっても変わらない。心的現実性とは,他者からみれば幻想ないし空想とみられる心的現象も,当の個人にとっては物的現実に少しも劣らぬ現実であり,個人はこの現実にとらわれ悩むということである。たとえば母に対して角の生えた鬼のイメージを抱いた児童に出会ったとする。この子どもに対して精神分析家は,このイメージをどこまでも心的な現実として受けとめ,このイメージの性状,変遷ならびに由来を考えていく。そうでなければ,この児童の母に対する恐怖は解消しない。現実の母が鬼のようであるかないかはさしあたり二の次の問題である。みたところはやさしそうな母だから安心するようにと説得するのは心的現実の重みを知らぬ素人の言であり,これでは子どもの恐れは変わらないわけである。自由連想法は,とりもなおさず個人の心的現実性を一貫して尊重してこれをみつめていく方法である。一方,精神現象には必ず意味があり,たとい一見無意味とみえてもそれは先行する無意識的な精神過程によって決定されているとみなすのが心的決定論であり,たとえばフロイトの夢解釈の中にその好例を見いだすことができる。
 つまり精神分析は,人間の諸行動を規定する真の動機は無意識である場合が多いと考える。〈臭い物身知らず〉ということわざは,いかにわれわれ人間が,おのれの行動の動因に無自覚な場合が多いかを端的に示してくれている。とくに神経症者は,健常者に比べて性欲や攻撃性に対する過度の抑圧がみられるために,心の中の無意識的部分が健常者におけるよりも拡大していると考えられる。フロイトは,〈意識〉〈前意識〉〈無意識〉の三つを区別した。無意識はもっとも広大であり,このうちには前意識が無意識へと抑圧されたもの(神経症的抑圧の大部分がこれである)も含まれるが,狭義の無意識は,精神と身体の限界概念ともいえ,多くは混沌とした一次過程の表象である。無意識の存在は,ただ推論されるか相当の抵抗を克服してはじめて意識化されるものであり,日常では失錯行為と夢とにその片鱗をのぞかせる。〈夢は無意識にいたる王道である〉とフロイトは考えていた。彼の著作《夢判断》(1900)は,彼の最大の自信作であるが,その中で彼が説いた夢成立のさまざまなメカニズムは,E. ブロイラーと C. G.ユングとによって精神分裂病を心理学的に理解する理論的武器とされた。覚醒生活において無意識が露呈しないことはむしろ健康の印だが,精神分裂病においては,自我が著しく脆弱(ぜいじやく)化して抑圧がゆるむためにこの無意識が露出してくる。
 フロイトは後年,意識の三層説をさらに発展させ,〈エス(イド)〉〈自我〉〈超自我〉という局所論的・構造論的な心的装置論を提出した。エスは生まれたばかりの新生児の未組織の心の状態であり,時空間を知らぬ本能のるつぼであり,快楽原則によって支配されている。このエスが外界と接触する部分が特別な発達を示し,エスと外界とを媒介する部分となる。これは自我と名づけられるが,母体であるエスとは正反対の性質をそなえるにいたる。すなわち,合理的,組織的で時空間を認識し,現実原則に従う。超自我は,エディプス期の損藤を経過したのち,両親像が摂取され内在化して自我の一部となったものである。エスは無意識に,自我は意識の概念に一応照応するといえるが,この双方の概念は同義ではない。自我も超自我も無意識のままにとどまることが実は多い。先にも述べたように自由連想を妨げるのは,しばしば自我の無意識的な抵抗である。精神分析療法が成功すれば,この心的装置 psychic aparatusの力動的布置も変わる。つまり無意識をできるだけ意識化することによって,自我と超自我との過度の結びつきがゆるむ一方,エスの部分が縮小して自我によって置きかえられてゆく。つまり治療の目標は,自我の拡大強化である。上のようなフロイトの心的装置論は,今日の精神分析においてもおおむね継承されているが,新生児が混沌たるエスの塊であるという見方は疑問視されており,自我はきわめて早期に形成されてくるという見方が有力となった。
 〈口唇期〉にはじまり〈肛門期〉〈男根期〉〈潜伏期〉を経てついに〈性器期〉に統合されるというフロイトの唱えた精神性的発達理論は,性愛の発達を核心に据えた一つの発達心理学である。フロイトは,口唇や肛門が対象――精神分析用語で人間対象を意味し,一個の人間全体は全体対象であり,乳房やペニスは部分対象である――との接触(たとえば授乳時の口唇)において,ないしはそれ自体の機能(たとえば便をためこんで排出するさいの快感)として,エロティックな機能を本来そなえていると同時に,これらの器官の機能を通して養育者に対する陰陽種々の感情がはぐくまれることに着目した。体質的要因(フロイトは,先天的に口唇愛,肛門愛の強い者の存在を考えていた)を別とすれば,これらの各期を過度の欲求不満も過度の欲求満足も経験することなく通過することが人格の健康な発達の条件とみられる。
 ところで男根期 phallic stage(phase)は,フロイトが強調したエディプス・コンプレクスを形成する時期(3~6歳)だが,親子の三者関係の中に愛憎を伴う心的抗争が恒常的にみられるというエディプス・コンプレクスの提唱は,超自我形成論と並んで,今日隆盛な対人関係論,対象関係論 objectrelations theory の萌芽を示したものといえる。5歳以降に生じる潜伏期 latency period によって幼児性欲の発現と性器性欲の発現との間に休止期が置かれる(性愛発達の二相性)。性器期は,いわゆる思春期に照応するが,成人になっても,口唇期,肛門期といった前性器的な段階の痕跡が皆無になるわけではない。とりわけ神経症や精神病は,発達段階をその固着点にまで後戻り(退行)した状態である。そして精神病のように障害が重ければ重いほど,早期の発達段階にまで退行すると考えられる。
 フロイトの精神性的発達理論は,一部の精神分析学者,たとえばイギリスの対象関係論者の一人であるフェアベアン W. R. D. Fairbairn(1889‐1964)を除けば,さまざまな修飾をうけながらも継承されている。たとえば M. クラインの独創的なポジション position の概念は,口唇期における対象関係を細分することから出発している。現存在分析の創唱者 L. ビンスワンガーもこの身体形態論的な精神発達理論を承認し,高く評価している。しかしエディプス・コンプレクスをフロイトのように神経症の原因とみなす考えは薄れてきている。これは要するに人生早期の損藤という立場から検討を要する心的構造の一つということになる。ちなみにクラインは,このエディプス損藤はすでに生後1年のうちに始まるとみている。
 フロイトは,精神生活の中には一種のエネルギーが活動していると仮定する。生体の成長,維持,発展,すなわち結合を目的とするエロスのエネルギーをフロイトはリビドーとよぶ。精神性的発達はリビドーの発達史でもある。このリビドーは,対象と自我との間をも往来する。リビドーが愛する対象に向かえば,それは対象を充当して対象リビドー object libido となり,対象リビドーが撤収されれば,それは自我リビドー ego libido(〈ナルシシズム的リビドー〉)となる。ここでは一定量のエネルギーの移動と増減が前提とされており,自我はエネルギーの過度の蓄積に耐えられずに対象へと向かう。しかし原因不明の過程によって対象リビドーが無理に自我の中へと撤収され,リビドーの可動性が失われてしまうと自己愛神経症narcissistic neurosis(心気症や精神分裂病)に陥る。このように精神現象の説明に量的観点をもちこむことはフロイト理論の一特徴である。しかしこのようなリビドー経済論的な見方は,現代の精神分析学においてはそれほど重視されてはいない。とはいえ対象喪失によって自我に戻ったリビドーが,捨てられた対象と自我との同一化をつくり出すために用いられるとした彼の鬱(うつ)病論は,今日広範な意義を獲得するにいたった対象喪失の精神力動学の基礎をなす考えである。
 エロスに対立する一方の本能は,破壊本能すなわち〈死の本能〉である。この本能の目標は究極には生物を無機状態に還元することだが,〈死の本能〉説はフロイト晩年の着想である。フロイトの精神分析療法は,エロスの機能が抑圧をこうむっているヒステリーの治療から出発したのだから,リビドー説が先行したことは当然のなりゆきであった。だがついで強迫神経症ならびに鬱病の研究をすすめるにいたって,フロイトは抑圧された攻撃性の重大さに気づく。さらには自己破壊を事とする病者の一群や治療に抵抗してどこまでも病的状態に戻ろうとする患者が存在すること,ならびに第1次世界大戦の悲惨な見聞などが,フロイトに〈死の本能〉の存在を仮定させることになったのであろう。しかしこの仮説はその後の多くの精神分析学者が支持していない。例外はクラインで,彼女は個人の内的な自己破壊衝動の外界への投影をもっぱら考える〈死の本能〉肯定論者である。
 不安神経症という神経症類型を抽出したのはフロイトだが,彼は一貫して不安の問題に取り組んだ。彼は初期には,蓄積された身体的・性的興奮がなんら心的な加工を経ることなく直接に不安に変換されるという病因論を唱えている。その好例は,中絶性交を常習とする者に起こる不安反応である。フロイトは後期には初期の考えを根本的に改めた。不安は,外的内的に危険が迫ったことに対する自我の示す危険信号であるとみなされるようになった。外的な危険に対して自我が示す不安は現実不安 realistic anxiety であり,内的な危険,すなわち自我の処理できない内的な衝動(性的衝動+攻撃欲)に対する自我の孤立無援の状態が神経症的不安を生む。しかし単に内的な衝動のたかまりが危険なのではなく,それが現実に去勢の恐怖ないし対象の喪失を招くおそれがあるからこそ危険となるのである。したがって匙じつめれば神経症的不安といえども現実不安である。自我は内外の危険を回避するためにさまざまな防衛機制(抑圧,否認,隔離,反動形成,打消し,象徴化,同一化,投影,自我の分裂)を働かせる。現代の一般心理学の中に防衛機制論はあまねく採用されているが,その発見者はフロイトである。
 フロイトが自由連想法によって得た心理的知見は,この新しい心理的接近法によってのみ得られた独自なものであったが,これを理論化するに当たって,フロイトは当時支配的であった唯物論的な物理学,生理学の考えをモデルとした。〈エネルギー保存の法則〉を定式化した H. L. F. von ヘルムホルツの影響は,フロイトの徹底した決定論とエネルギー経済論に反映しているし,階層的・局所論的な心的構造論は,彼自身がかつて J. H.ジャクソンの思想的影響を受けた神経学者であったことと関係していよう。さらにその人格発達論と退行理論には C. ダーウィンの進化論の裏打ちがある。また J. F. ヘルバルトの自然科学的・機械論的見地に立つ心理学とフロイト心理学の類似性もしばしば説かれている。
【応用としての精神分析】
 これはフロイトの定義の(3)に属するであろう。フロイトは,臨床的経験から導き出された自己の理論を基礎として芸術,文化,宗教を論じたが,このうち《トーテムとタブー》(1913)の中で展開した文化論は,彼自身認めるように大胆な仮説であった。すなわちそれは,原父による独裁と女たちの独占→追放されていた兄弟群による原父殺しと女たちの獲得競争→種族保存のために不可避的に成立する近親相姦の禁止→贖罪と原父の神格化=宗教の起源といった一連のエディプス状況が人類の歴史上現実に起こったとする仮定である。それは文化人類学者たちによって否定されたにもかかわらず,むしろその間の過程の中で,精神分析と文化人類学との活発な学問的交流を可能にしたという大きな意味をもっている。これ以外にも精神分析の諸理論,諸概念は,後述のようにさまざまな変容を加えられながらも他方面に広範な影響を与えている。
【フロイト以後の精神分析】
 フロイトは自我を,エスの欲動を制御し,超自我の圧力に対しながら外界との適応を図るものとしていわば受身的にとらえたが,自我機能そのものについての検討は徹底しないままに終わった。このフロイトの自我研究を継承発展させ自我の積極的機能を明らかにした代表者は,フロイトの娘である A. フロイト,ならびに H. ハルトマンらであり,彼らにはじまる自我心理学 ego psychologyは,以後アメリカにおける精神分析学の主流となった。この系譜に属する E. H. エリクソンの自我の心理的‐社会的発達理論,すなわちアイデンティティ形成理論は,臨床的にも社会学的にもきわめて有用な概念である。いわゆる新フロイト派は,アメリカにおける正統精神分析学派に対する批判者の一群であるが,フロイトの生物学主義的な本能論と決別し,パーソナリティの形成や神経症の発生に関し,文化的・社会的要因を強調する点で共通する。この派に入れられる最大の人物は H. S.サリバンであった。彼は精神分析とはいわず精神医学それ自体が〈対人関係の学〉にほかならぬことを強調し,フロイトの精神性的発達は,子どもと親との対人関係の様態の焦点を示すものであると考えた。彼は精神分裂病の優れた精神療法家でもあった。E. フロムは精神分析と社会心理学を結合した人として評価されよう。
 一方イギリスでは,いわゆる対象関係論が台頭した。その濫觴(らんしよう)となったのは女流分析家クラインの立場である。彼女は,主として児童を対象として,外的対象の意味を獲得するにいたった対象の内的な表象,すなわち内的対象internal object を徹底的に追求した。内的対象は,いわば一種の幻想であり,心的現実性の中に位置づけられる。たとえば〈母は鬼〉というのは,内的対象に焦点を結んだ心的現実である。クラインは外的対象の意義をはなはだしく軽視したが,その後のたとえばフェアベアンは,外的対象external object と内的対象との間に密接な照応関係を見いだしている。要するに今日有力となった対象関係論は,内的対象と個人のもつ現実の対人関係との相互作用を扱うものである。新フロイト派の対人関係論にせよ,イギリスで起こった対象関係論にせよ,フロイト理論の中に含まれる機械論的生物学主義と決別したところには共通点がある。しかし一方,フロイト理論の根幹ともいえる生物学主義の廃棄に対しては,危惧の声があがっていることもまた確かである。
 最後に日本における精神分析の状況についてふれる。アカデミズムの世界に精神分析学をはじめて導入したのは東北帝大教授であった丸井清泰(1886‐1953)であった。正統的精神分析療法を習得し,これを広めたのは,丸井の門下で,1年間ウィーン精神分析研究所に留学した古沢平作である。今日,精神分析学界における指導的立場にある多くの学者は,戦後ひとしく古沢の教育分析を受けた人々であり,近年独自の〈甘え〉理論を提唱した土居健郎もその一人である。  下坂 幸三
【精神分析と現代思想】
 フロイトによる無意識の領野の発見は,単に心的機制の理論や神経症の治療の問題にとどまらぬ広範な影響をもたらした。それは現代思想の最大の源泉の一つに数えられる。
[フロイトとその時代]  フロイトは神経症を心因性のものと考えたが,それは心の働きを形而上学的に解釈するのではなく,どこまでも科学的に探求しようとするものであった。フロイトが研究をはじめた19世紀末は,自然科学のめざましい発展とともに,実証主義的・唯物主義的思潮が支配的となり,これに対して,新カント学派をはじめとする観念論的な近代理性主義擁護の試みも盛んとなっていた。フロイトが生きたウィーンもまた同様で,フロイトも病理解剖学など実証主義的医学を学び,神経症治療の必要からはじまった精神分析的探求も,リビドーというような基本概念にみられるように,当時の自然科学的実証主義を基盤としていた。
 しかし,精神分析的治療は,医師と患者の共感的交流のなかで,患者が自己浄化的に無意識的領野を探るものであったから,正気(理性)を狂気に対立させ,理性によって狂気を克服しようとするそれまでの近代理性の考え方とは異なった視野を生み出した。そこに拓(ひら)かれた無意識の領域は,自然科学的な〈事実〉の世界とも,観念論的な〈意識〉の世界とも異なる第3の〈現実〉の世界を指し示した。こうして,フロイトの精神分析は,19世紀のヨーロッパ思想を支配した近代理性主義への根底的批判として,同時代の H. ベルグソンの〈持続〉の哲学や E. フッサールの〈現象学的還元〉の哲学などとも相通ずる思想的革新を促し,現代思想の源泉となったのである。
[精神分析運動]  フロイトの精神分析は,性的要因の強調やフロイトがユダヤ人であったことなどから,憤激と嫌悪の的となったが,それでも1908年にはザルツブルクで最初の国際精神分析学会が開かれ,機関誌も刊行されはじめた。そして,10年には K. アブラハムによってベルリン精神分析学会(研究所)が開設され,さらにロンドン,ウィーン,ブダペストにも学会ができた。またドイツ語圏だけでなくアメリカにも急速に受け入れられ,31年にはニューヨーク,シカゴにも学会が開かれた。しかし,そのころまでには,はじめフロイトの弟子ないし賛同者であった者のなかから,A. アードラーやユングがフロイトと見解を異にして離れ去り,それぞれ独自の無意識探求の道に進み,また20年代はじめにはランク O. Rank(1844‐1939),シュテーケル W. Stekel(1868‐1940),S. フェレンツィ,W. ライヒらも,しだいにそれぞれの見解を発展させた。この間,創始者のフロイト自身も,精神分析を自我分析や文化・社会理論に拡大する一方,無意識の第一義性や幼児性欲(およびエディプス・コンプレクス)の承認を正統派の要件としたから,精神分析運動には正統派と修正派の争いが生まれた。
 1920年代は精神分析への関心がひろがり,さまざまな国や分野に影響をひろげた時代であった。オーストリアやハンガリーに代わってワイマール共和国のドイツがその中心となり,のちにアメリカで有名になる多くの精神分析学者が育った。彼らのなかには,フロイトが未来の文化や革命に対して悲観的であったのに対して,社会主義的革命思想に共感し,フロイト主義とマルクス主義の総合を試みる者もあった。なかでも,ライヒは,もっとも急進的な例であるが,その結果,精神分析学派からも共産党からも排除された。トロツキーは精神分析に共感を示していたが,正統派マルクス主義は,精神分析を排拒したのである。フランスでは,精神分析そのものはあまり受け入れられなかったが,前衛的芸術,とくにシュルレアリスムの運動に大きな影響を与えた。シュルレアリストは,〈理性〉が把握する現実とは別の偶然,幻覚,夢,狂気などのうちに超現実の領域を探求しようと,フロイトの学説を援用しつつ,自動記述やコラージュ,フロッタージュ,デカルコマニーなどの手法を駆使して,詩的想像力と無意識の激烈な解放を実践し,さらにはブルジョア文化の転覆と社会主義革命をめざした。しかし,やがて30年代に入り,ナチズムが台頭すると,精神分析は禁圧され,ユダヤ系の多かった精神分析学者は亡命を余儀なくされ,その多くがアメリカに渡った。フロイトもオーストリア併合とともに,38年イギリスに亡命する。こうして,精神分析は舞台をアメリカに移して多様な展開をはじめた。
[フロイト主義の展開]  アメリカではすでに早く精神分析が移入され,20年代には通俗化されて大衆的に受容されていたが,亡命学者の移住とともに新しい展開がはじまった。この新しい精神分析の修正的発展は,大きく三つの方向に分けうる。第1は,ウィーンからの亡命精神分析学者であったハルトマンや,やはりウィーンで精神分析を学んだデンマーク生れのエリクソンらの自我心理学の展開であり,それは,イギリスにとどまったフロイトの娘アンナの自我研究とも対応して,正統派に属する。しかし,アメリカでは文化人類学や社会学との深い交流によって,個人の自我・パーソナリティ形成と文化・環境との関係の探求が深められるとともに,幼児期における両親の役割など,育児,教育,社会的非行その他の広い分野の研究に拡散しつつ深く大きな影響をひろげた。
 第2は,K. ホーナイ,フロム,サリバン,フロム・ライヒマン F. Fromm‐Reichman(1890‐1957)ら,フロイトの性欲あるいは本能の第一義性を強調する生物学主義を批判し,社会的・文化的条件と諸個人の社会的性格の形成を重視して探求する方向である。彼らは,新フロイト派あるいはフロイト左派とよばれる。ホーナイもフロムも20年代のベルリンで研究し,マルクス主義の影響を受けたが,そこから社会学や人類学,社会心理学など社会諸科学とフロイト主義を結合する試みを行い,大きな影響をひろげた。それは,社会・文化事象の理解に心理学的視点を導入するさまざまな試みを促進し,大衆社会論,大衆文化批判などを生みつつ,社会科学を革新するうえで大きな役割を果たした。
 第3は,M. ホルクハイマー,T. アドルノ,H. マルクーゼら,のちにフランクフルト学派とよばれる人々によるフロイト主義の批判的摂取である。彼らは20年代のワイマール・ドイツで,フランクフルトの社会研究所に拠って,マルクス主義に基づく独自な批判的理論を形成したが,精神分析に深い関心を抱いていた。社会研究所には,フロムも参加しており,29年には,研究所と密接に結びついたフランクフルト精神分析研究所もつくられた。やがて彼らはアメリカに亡命する。アメリカで,フロムは新フロイト派として新しい方向に進み,社会研究所を離れた。ホルクハイマーとアドルノは,フロムらの修正派はフロイトの〈性の本能〉と〈死の本能〉の概念を退けて,現代社会では決して実現されるはずのないパーソナリティの調和的統一を求めようとするもので,かえって社会的矛盾をおおいかくすものだと批判した。しかし,その批判をもっとも徹底させたのはマルクーゼである。彼はフロイトの原理を積極的に擁護しつつ,それを産業文明の疎外と物象化を超える原理に再解釈して,エロスの革命的な力を再発見した。彼の文明批判は60年代のさまざまな〈青年の反乱〉を鼓舞した。こうして,フランクフルト学派はマルクスとフロイトの結合という課題を残した。
[現代思想と精神分析]  なんらかの形でフロイト主義と結びついたアメリカの社会諸科学は,第2次世界大戦後50年代を通じて世界的に普及した。ヨーロッパでは,多くの亡命学者が流出して思想的に沈滞したドイツに代わって,フランスで近代理性主義を根底的に批判する新しい思想的動向が生まれた。それが,60年代に入って構造主義として顕在化したとき,精神分析はその不可欠の要素となっていた。そのなかでも J. ラカンは,30年代半ばから精神分析を学んだが,大戦後,無意識を体系的な言語の構造をもつものと考え,言語学と結びつけつつ独自なフロイト理解を進めて,とくに60年代半ば以降構造主義の一翼をにない広い思想的影響を与えるにいたった。彼の主導するフランスの精神分析は,ときにパリ・フロイト学派とよばれる。
 一方,J. P. サルトルや M. メルロー・ポンティをはじめ現象学とマルクス主義を結合する実存主義の展開に続いて,人間の社会的活動を深層の意味構造から理解しようとする探求が生まれると,精神分析とフロイト主義は,言語学や人類学などと連動しつつ,無意識的な文化の構造を探り,人間認識の基本視座を革新する試みの思想的源泉の一つとなった。C. レビ・ストロース,M. フーコーらがそのような試みの代表者であるが,その後も思想のあらゆる分野でフロイトの新しい理解が新しい探求を触発しており,精神分析学者 F. ガタリと共同する哲学者 G. ドゥルーズの社会哲学的探求から J. クリステバの記号論的探求や R. ジラールの象徴論的探求などにいたるまで,フロイトと精神分析の影響はいっそう深くひろがっている。⇒心理学∥精神医学           荒川 幾男

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A.アドラー
アドラー

アドラー
Adler,Alfred

[生] 1870.2.7. ウィーン近郊ペンツィング
[没] 1937.5.28. スコットランド,アバディーン

  

オーストリアの精神病学者,心理学者。初めウィーンで S.フロイトに学んだが,その汎性欲説にあきたらず,フロイトと別れて,個人心理学の学派を打立てた。人間を駆りたてる最も優勢な原動力は,生命の本質的完成への努力であるとし,これはしばしば劣等感への補償としての優越への要求となると説いた。ナポレオンは小柄であったから偉大となり,色弱はしばしば大画家をつくるというのである。また個人は社会から離れては考えられず,すべての重要問題は社会的である,というのが彼の主張であった。主著『器官劣等性の研究』 Studie ber Minderwertigkeit von Organen (1907) ,『人間知の心理学』 Menschenkenntnis (27) ,『人生の意味の心理学』 What Life Should Mean to You (31) ,"ber den nervsen Charakter" (12) など。





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[ブリタニカ国際大百科事典 小項目版 2008]


アードラー 1870‐1937
Alfred Adler

ウィーン生れの精神科医。1902年に S. フロイトの《夢判断》の書評をしたのが機縁で,フロイトの最初期の弟子の一人となり,高く評価されていた。幼時からくる病や事故に遭ったりして身体障害を経験し,そのため発奮して医師になった。身体器官の劣等性に興味をもち,人間には必ず形態的ないし機能的に劣った部分があることを見いだし,すべての人間に普遍的に劣等感が存在すると考えるようになった。そして,《器官劣等性の研究》(1907)の中で,過去の性的外傷体験を重視するフロイトの説に反対して,目的論的な立場から,自己の器官の劣等性に由来する劣等感と,それを補償しようとする〈権力への意志〉を重視した。そしてフロイトのリビドー概念を否定して,エディプス・コンプレクスをも劣等性を克服しようとする意志のあらわれとみなした。そのため数回にわたる深刻な討論の後,11年ついにフロイトと決別して,新たに自由精神分析協会を設立するに至った。12年《神経質性格について》を発表してその中で自分の学説を〈個人心理学Individualpsychologie〉と名づけ,14年には《国際個人心理学雑誌》を創刊した。その後,児童相談所の開設,各国での講演など活発な活動を続けたが,29年コロンビア大学客員教授となり,以後アメリカに定住して,ホーナイらに深い影響を与えた。彼は,フロイトが神経症の原因として性衝動を重視したのに対して,性的でない要素,つまり自我の欲求や性格傾向が神経症を生むと主張した最初の人であった。また,フロイトが過去に原因を求めたのに対し,人間行動の目的性を重視し,人はほとんど実現不能な目標を追求して神経症的になると考えた。これらはフロイトがやがて着手するはずの自我の無意識的働きの研究に,早くも着目していた点で注目される。また,神経症の原因としての文化的要因に最初に言及し,女性の劣等感がその社会的地位から生じていることを指摘した点も忘れがたい。            馬場 謙一

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アドラー,A.
アドラー Alfred Adler 1870~1937 オーストリアのウィーン生まれの精神科医。最初医学をまなんだが、フロイトの「夢判断」を読んで精神分析にひかれ、当時フロイトのもとにあつまった人たちとともに国際精神分析学会の創設に力をつくし、初期の精神分析運動の中心的メンバーのひとりとなった。しかし、しだいにフロイトの性欲説(リビドー説)に不満をいだくようになり、人を行動にかりたてる動機はリビドーではなく、他者への優越の欲求(権力への意志)であると考えるようになった。この優越欲求は主体の劣等感を補償しようとして生まれ、その過補償ないしは補償不足が神経症をもたらすのだという。

アドラーのこの考えは、フロイトがエディプス・コンプレックス(→ コンプレックス)を重視するようになるにつれて、ますますフロイトとの対立を強め、出会いから10年後の1911年に両者は訣別した。その後、アドラーは自らの理論を「個人心理学」とよぶようになり、育児と教育によって個人を変革するという理念のもと、第1次世界大戦後の荒廃したウィーンにおける青少年問題にとりくみ、児童相談所を各地につくって、子供の指導や両親の指導など、今日の教育相談の母型となる実践をおこなった。ナチズムの台頭後、ユダヤ人迫害をのがれるためにアメリカに亡命した。

→ 深層心理学

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個人心理学
個人心理学

こじんしんりがく
individual psychology

  

個体心理学ともいう。一般的には,個体差を体系的に研究する心理学のこと。この意味では,差異心理学にほぼ同じ。ただし後者は個体差,性差,民族差など種々の形の差異を広く取上げる。また社会,集団を扱う社会心理学,集団心理学に対比させて,個人を対象とする心理学をいう。さらにより特殊には,A.アドラーにより唱えられた心理学をいう。彼は個人の独自的な全体性を強調し,優越への欲求を人間を動かす最大の動機とみなした。





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グループ・ダイナミックス
グループ・ダイナミックス

グループ・ダイナミックス
group dynamics

  

集団生活や集団活動において,その集団ならびに集団内メンバーの行動特性を規定している諸法則や諸要因を科学的に分析,研究する分野。特に社会心理学上で問題となっている概念で,場理論を基礎としつつ,産業や教育分野で広く実践的に応用されている。具体的には,集団内でのメンバーの動機づけ,コミュニケーション,対人関係,集団構造,リーダーシップ,集団規範,集団の雰囲気などや,これら相互間の関係の解明が目指されている。





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場理論
場理論

ばりろん
field theory

  

心理的諸事象を物理学における場の概念との類推によって体系化しようとする心理学の理論。この一般的特徴は,心理的諸事象を場の全体的構造連関としてとらえようとするところにある。 W.ケーラーは,同型説の立場から現象的事象の対応として大脳における事象を想定し,現象的場とその根底にある心理=物理的場は,ともにゲシュタルト原理に基づいて成立すると仮定した。 K.レビンは,場の概念を十分に取入れながら,心理学的場を物理学的ではなく心理学的な力学によって理解しようと試み,その数学的表現として位相数学が適用されるとした (→トポロジー心理学 ) 。





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場の理論
I プロローグ

場の理論 ばのりろん Field Theory ある物理量が空間座標の関数として一義的に決定されるとき、その物理量を場という。空間的にはなれた粒子間に瞬間的に遠隔作用によって力がはたらくのではなく、まず粒子は個々の位置で場と相互作用し、その変動が有限の速度で徐々に伝播(でんぱ)し、別の粒子に達して相互作用するという近接作用の立場で構成された理論を場の理論という。ただし、自然界を物質粒子と場の二元論でとらえるのは場の古典論的立場であり、場の量子論では物質粒子もまた場とみなし、自然界を場の一元論でとらえることも可能になる。

II 場の古典論

ニュートン力学(→ 力学)においては、物体に加速度をあたえる原因としての力は物体から物体に直接はたらくものとされ、はなれた物体間にも重力が直接はたらく遠隔作用がみとめられていた。当時からこの遠隔作用に対しては、その場しのぎに任意の力をもちだすことになるという批判があったが、ニュートンは、重力は宇宙に遍在する神の作用の一部として遠隔的に作用していると考えていた。その後、ニュートン力学は解析力学として高度に数学化、抽象化され、空虚な時空枠内の粒子の振舞いの記述、という基本前提のもとに考えられてきた。

1 光とエーテル

機械論的力学の世界観からぬけおちていた光、電気、磁気といった現象を考える上で場の概念は登場してきたといえる。光については、19世紀の初め、イギリスの物理学者で医師のトマス・ヤングが光の干渉性を利用して、ニュートン・リングや薄膜の色にみられる現象を解釈し、光の波動説を復活させた。ヤングはあらゆる空間と物質をみたしている物質としてエーテルを設定し、光とはエーテルの波動であると定義した。フランスの物理学者オーギュスタン・J.フレネルは光の回折を波動説の観点から理論的に説明した。当時は光の粒子説が有力で、波動説はおおいに反発をうけたが、研究が重ねられるにつれてしだいに受容されるようになった。こうして光学では、空間をしめるエーテルが物理的役割をになっているという考えが生まれた。

2 電磁場概念の形成

古典的な場の概念は電磁気学において成立した。光学で空間媒質のもつ物理的性質が着目されていたころ、王立研究所の実験助手をしていたマイケル・ファラデーは、電流の磁気作用や電磁誘導現象を媒質の緊張状態の伝播として説明した。このようなファラデーの着想に、エーテル理論を援用した流体力学的モデルをあてはめ、偏微分方程式(→ 偏微分:微分方程式)によって数学的に表現しようとしたのがジェームズ・C.マクスウェルである。マクスウェルは、1860年代にはじめて場の概念を明らかにした。また、彼は電磁場の方程式をエーテルに適用することで光の速度を演繹できることをしめし、光は電磁現象と同じ媒質の横振動であるとした。ここに光をふくめた電磁波と電磁場の方程式が確立されたのである。ただしこの時点では、場はエーテルという特別な媒質の状態のひとつであると考えられていたのだが、内容的にはほとんど、物質ではなく空間が能力をもつという場の概念に近い発想がなされているといってよい。

マクスウェル方程式は光速に依存し、相対性原理とは不整合だった。1905年のアルバート・アインシュタインの特殊相対性理論は、この電磁気学と力学の間の運動の相対性に関する不整合をとりのぞこうとする努力の産物だった。彼は力学と電磁気学の統一をもとめて時空概念を変革する相対性理論に到達したのだが、そこでは絶対基準としてのエーテルは破棄され、電磁気現象はエーテルという媒質を必要としなかった。かくして電磁場の存在や運動は、空間それ自体の属性の一部として解釈されるにいたった。さらに、一般相対性理論では、重力場は曲率という時空の幾何学的性質の表れとして理解されることとなった。

III 場の量子論

1927年、量子力学が成立するとともに、イギリスの物理学者ポール・A.M.ディラックは量子力学と相対性理論の融合をもとめた。その題材となるのは電子と光子の相互作用であり、これを考えるために彼は電磁場を振動子の集まりととらえ、量子力学を適用して光子の吸収、放出をあつかった。電磁場の量子としての光子の発生と消滅を記述してみせたのである。これが最初の場の量子論であり、量子力学と電磁気学をむすびつけるものであることから量子電磁力学と名づけられた。28~29年、ウェルナー・K.ハイゼンベルクとウォルフガング・パウリはこの理論を一般化して、電子をも場としてあつかい、現在の場の理論の基本的な形式を完成した。量子力学における粒子の量子化を第一量子化、場の量子論における場の波動の量子化を第二量子化という。

1 粒子と場の統一

場の量子論は、場を連続無限個の質点系とみなして量子力学を適用する。このため、電子には適用できるが光には適用できなかった量子力学の難点を解決し、光が粒子の集団であること、粒子の集団である光がなぜ物体から放出、吸収されるのかが理論的に解明された。場の量子論によって物質と電磁場である光が統一的な見地からみられるようになったのである。場の量子論では、粒子と場は常に対応しあう。たとえば、光子には電磁場、陽子には陽子場、パイ中間子にはパイ中間子場、というようにである。これらの場は真空中で生起し、物質的媒体を必要としない。場の量子論の成功の一例として湯川秀樹の中間子論があげられる。湯川は1935年の論文で、核力場を量子化することによって、核力をになう粒子である中間子の存在を予言したのである。

2 くりこみ理論

場の量子論は、当初から、計算の際にでてくる無限大の値が問題になっていた。たとえば、1個の電子はそれ自身がつくりだす場と相互作用し、そのエネルギーを計算すると無限大にまで発散してしまうのである。この問題は、1940年代に朝永振一郎と、ジュリアン・S.シュウィンガー、リチャード・P.ファインマンらがそれぞれ相対論的な場の量子論をつくり、くりこみ理論に発展させ、発散の困難をさけることに成功した。あらゆる計算にでてくる無限大は、電子の裸の質量と裸の電荷に無限大の補正を考慮したものが実際にわれわれが観測する電子の質量および電荷である、と考えることにより解消されることがわかった。これがくりこみ理論である。

くりこみ理論は、水素原子のラムシフトの測定値や電子の異常磁気モーメントの測定値をよく説明し、成功をおさめた。現在の素粒子の理論は、素粒子の生成、消滅をあつかっており、場の量子論は不可欠である。電磁相互作用に対する場の量子論である量子電磁力学以外には、強い相互作用に対する量子色力学、電磁および弱い相互作用に対するワインバーグ=サラム理論(→ 統一場理論)などがある。場の量子論の枠組みそのものはうたがわれていないが、しかし重力に対する場の量子論ではいまだくりこみ可能な理論がつくれず、超弦理論にも期待がよせられている。

→ ヒッグス粒子

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field

  

ある空間領域で1つの量 Aが位置座標の関数として一義的に決定されているとき,その領域を Aの場という。 Aがスカラー,ベクトル,テンソルであるとき,それぞれスカラー場,ベクトル場,テンソル場という。空間的に離れた粒子が直接作用を及ぼさず,まず粒子はその位置で場と相互作用して場の変動を引起し,その変動が伝搬して離れた粒子の位置に達してから相互作用を及ぼすと考える立場で構成された理論を,場の理論という。相対論によれば,場の変動が伝わる速度は,光速度またはそれ以下である。非局所場理論との対比から,場を局所場ということがある。





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ば field

一般には,空間そのものが何らかの作用(物理的,心理的)をもち,そこに現象を生じさせると考えられるとき,その空間を〈場〉と呼ぶ。場の概念は,必ずしも〈場〉と呼ばれない場合も含めて,今日,科学の諸領域で重要な役割を果たしつつある。それは,一つにはニュートン力学的な遠隔作用を前提とする力の概念に対抗して,またもう一つには原子論的発想に対抗して,とりあえずは19世紀に生まれた。したがって,出発点は物理学にあるといってよい。
[デカルト=ニュートン的発想とその限界]  ニュートン力学と呼ばれるものの本態は,実はデカルトの基本プログラムである。デカルトは世界を材料としての〈もの〉と,その材料のふるまい(運動)を定める運動法則とに還元するプログラムを立てた。デカルトにあってその両者は,創造主たる神によって原初的なものとしてつくられ与えられたが,それゆえに〈もの〉と〈運動〉とは,世の終りまで半永久的に保存されると考えられた。そこで世界は,〈もの〉と,それに外から与えられる〈運動〉とによって記述されることになった。皮肉なことにデカルトは真空を認めなかったために原子論者にはなれなかったが,原子論における原子をデカルトの材料としての〈もの〉の具体像となし,一方,〈運動〉の法則にはニュートンの運動法則を採用することによって,このプログラムは理念上は完成したかに見えた。ある時点において作用している力や力学的状態を完全に把握・解析する能力をもち,宇宙の全運動を確定的に知ることのできる超人間的知性で,ラプラスによって想定されたことから,のちに〈ラプラスの魔〉と呼ばれたものはそうした状況の象徴ともいえる。
 しかし,ここに解決されないで残された問題がいくつかある。第1に,ニュートンの運動法則における〈力〉は,いったいどのような機序で〈もの〉に働くと考えるべきか。例えば重力がその好例である。二つの〈もの〉の間に〈遠隔的〉に働く重力は,どのような作用機序によるのか。第2に,18世紀末からしだいに人々の関心をひき始めた電気や磁気において,その作用機序は重力のような〈遠隔作用〉として理解するだけでよいのだろうか。つまり,物体に対する力の遠隔的作用という形でそれ以上の説明を拒否する(それが《プリンキピア》におけるニュートンの〈我は仮説をつくらず〉という言明の真意であった)ことに満足できないような状況が,19世紀に入ると生まれてきたのである。
[場の概念の登場と展開]  1820年 H. C. エルステッドが電流の磁石に対する影響を明証する事実を発見した。電流を流した電線の傍らに磁石を置くと,電流の方向に対して直角に(もしくは円環をなすように)磁石が動く,という事実である。この事実は,それが電流であること(つまり静電気では起こらない),また従来の引力(静電気や磁力の場合には斥力も加わるが)のように,点と点との間に,直線的に働くのではないことなど,遠隔作用力で説明するには困難な性格をもっていた。そこからファラデーの磁場(電場)という着想が現れる。この着想の物理学的意味は重要であり,その説明とその後の展開については次項に譲るとして,より広範囲な文脈での意味もまた見逃し得ない。つまり,物質が存在する空間は,完全に中性的で等方・等質な性格をもつものではない,という認識をそれが生み出したからである。物体は等方・等質・中性の空間内にあって,ただ物体どうしの相互作用のみに注目すればよい,という原子論的な発想と,物質(もの)とそれに与えられる運動の2本立てで原理的にはすべての現象は記述される,というデカルトに淵源するプログラムとは,ともに修正を迫られることになった。
 物体が存在したり,運動したりすること自体,空間を歪ませ,等方・等質・中性の空間を変形しているという認識からは,当然,物体もしくは物質ではなく,それまで単に物質にとってのいれものにすぎないとされてきた空間そのものに対する関心が引き出される。この新しい関心はひとり物理学にとどまらず,生物学,心理学,哲学などにも広がった。20世紀初頭,胚の発生,器官形成などの場面で,さまざまな異なった条件下にも等結果性equifinality を実現するような〈場〉が生物体として考えられるというグルビッチ A. G. Gurvich やワイス P. A. Weiss 以来の生物学上への〈場〉の応用が見られ,こうした考え方はベルタランフィなど現代のシステム論の原型をなすものとなった。さらにユクスキュルの〈環境世界 Umwelt〉のように,生物にとっての環境空間は,決して客観的に等方・等質的なものではない,という考え方にも場の概念は取り込まれている。この路線上には,現代の動物行動学におけるプロクセミクス,生活圏,なわばり,すみわけなど,個体,群れ,種などさまざまなレベルでの生物の存在と環境空間とのかかわりに着目する概念系が見据えられる。
 また心理学では K. レウィンの〈生活空間〉が重要である。もともと心理的行動 B を個人 P と環境 E の関数(B=f(P,E))としてとらえるという物理学的アナロジーを心理学に導入したレウィンは,環境すなわち心理的な作用をもった〈生活空間〉を心理現象の根本に据えようとした。現代では,このような考え方は社会や国家にも拡張され,グループ・ダイナミクス,ゲーム理論などに暗々裏にあるいははっきりした形で取り入れられている。さらにこうした発想は文化人類学においても顕著である。E. T. ホールの個人のもつ個体空間〈バブル bubble〉のような着想から,一つの文化圏それ自体が一つの場として,人間行動を支配する“歪んだ”空間であると考えるエスノメソドロジーに至るまで,場の概念は広範に広がっている。
 哲学においては,サルトルの〈状況〉や,実存主義における〈世界〉は,自己実現を可能にするものであると同時に,自己実現を限定する役割も担うと考えられる。こうした概念も特異な場所,意味空間としてのトポスというような考え方と並んで,諸科学における〈場〉の哲学的な定式化の試みと見ることができよう。もっとも,諸科学においては物理学からのアナロジーとしての場は発見誘導的な意味で,重要な役割を果たしたが,物理学における場自体の厳密な数学的定式化とは違って,精密化されるに従ってその領域特有の概念に転化される傾向があることは指摘しておくべきかもしれない。                   村上 陽一郎
【物理学における場】
 空間的に分布する量で,とくに力や作用の伝達に関与するものを場,あるいは力の場と呼ぶ。古典物理学でもっともよく知られているのは,電場や磁場であり,またこれらが物理学における場の概念の出発点である。特殊相対性理論および一般相対性理論において場という考え方はさらに本質的なものとなり,一方,量子力学では,粒子と場の二重性が明らかにされた。現在の素粒子論は,量子力学と特殊相対性理論とを結合させた場の量子論によって記述される。以下,まず静電場の説明から始めよう。
[遠隔作用と近接作用]  原点 O にある点状の電荷 Q が,距離 r だけ離れた点 P(x,y,z)に作る電場 E(P)は,大きさが kQ/r2(k は比例定数)で,Q>0ならば O から P を向き,Q<0ならば Pから O を向くベクトルである。点 P に,もう一つの電荷 Qア をおくと,F=QアE という力を受ける。これに,上で考察した E を代入すると,この力は結局,Q と Qア の間に働くクーロンの力を与えることがわかる。すなわち,電荷を結ぶ方向の,kQQア/r2の力である。もちろん,QQア>0ならば斥力,QQア<0ならば引力である。
 しかしクーロンの法則では,離れた2点の間に直接力が働くと考えるのに対し,上述の考え方では,力は電場を介して伝えられると解釈する。すなわち,電荷 Q は,まわりの空間に電場 E を作り,もう一つの電荷 Qア は,その場所における電場から力を受けとるのである。第1の離れた2点間に直接力が働くとする考え方を遠隔作用と呼び,場を経由する第2の考え方を近接作用と称する。
 ただ静電気力に限っていえば,二つの考え方は,同じ結果を得るための記述法の差にすぎない。しかし磁気に関する法則は,もっぱら近接作用論的に表現される。2本の平行直線電流 I1,I2の間に働く力を考えてみよう。まず電流 I1はアンペールの法則によって,そのまわりに同心円状の磁場 H を作る。この磁場のあるところに第2の電流 I2があると,電流には,電流と磁場の双方に垂直な方向に力が働く。こうして,結局2本の電流の間に力が働く。この結果を,磁場を介さず,電流間の直接の力として導くことも不可能ではないが,きわめて複雑である。さらに M. ファラデーによる電磁誘導の法則では磁束の考え方が本質的であり,場の概念なしにこれを理解することは事実上できない。
[場の概念の確立]  電気,磁気の諸法則をまとめたマクスウェルの方程式は,完全に場の理論の形をとっている。しかし物理的な実体としての場の概念の確立にとって決定的であったのは,マクスウェルによる電磁波の理論である。マクスウェル方程式の解の一つとして,彼は真空中を c≒3×108m/sで伝わる波,電磁波が存在することを見いだし,これが光の本性であることを示した。電荷が振動するとそのまわりに振動する電場や磁場が生じ,それが離れた場所にある別の電荷に達すると,それを振動させる。すなわち,電荷から電荷へ,作用が電磁波を通じて伝達されるのである。ここまでは,静電気力の場合と同じであるが,注意すべきことは,作用の伝わり方に時間がかかることである。なぜなら光速 c は有限の値をもっているからである。
 これは,離れた電荷の間の空間に何物かが存在することを示唆する。ちょうど水面に石を落とすと,波が水面を伝わり,離れた点に浮かぶ落葉を動かすのに似ている。これこそ近接作用の考え方にほかならない。これに反し,遠隔作用論では,途中には何もないと考える。したがって,作用が伝わるとすれば,それは瞬間的に伝わらなければならない。アインシュタインの特殊相対性理論のもとでは,空間的に離れた2点における同時性は絶対的な意味をもたず,座標系の選び方によって変わるものであることが明らかにされた。遠隔作用論に特有の瞬間的な作用の伝達という考えは,この同時性の概念に基づいているので,相対論とは相入れない。こうして,相対論においては近接作用論的な場による記述が不可欠となる。
[量子力学と場]  特殊相対性理論以後,物理学における流れの一つは,微視的物理学の追究から量子力学へとつながる。ここでは,電磁場も光子という粒子像をももつこと,また逆に古典的には粒子と考えられる電子なども波動の性質を示すことが発見される。すなわち,ド・ブロイ,E. シュレーディンガーの物質波の考え方である。このようにして場の概念は飛躍的に拡張され,粒子像との相補性という新しい面も出現したのである。
 量子力学の完成後,多くの素粒子が発見されることになるのであるが,これらを記述する方法は,現在ではすべて場の形式を用いて行われる。これは前に述べたように,特殊相対性理論の要求に一致するようにするためである。作用の伝達は,1点における場の重なりおよび真空中の波動の伝播(でんぱ)の組合せによって表される。前者は場の相互作用と呼ばれる。量子力学によれば,これは,その場所におけるそれぞれの量子,すなわちその場に相当する粒子の生成,消滅を表す。このような事柄を整合的に記述する理論形式が相対論的な場の量子論であり,現在の素粒子論の基礎となっている。
 ディラックの陽電子論は,このような理論形式の最初の物理的成果といってよい。これは,電子の物質波に相当する,フェルミオン場に関する理論であるが,電磁場と同じ範疇(はんちゆう)に属するボソン場に関する最初の成果は,湯川秀樹による中間子論であった。中間子は,粒子像でみれば質量をもつ粒子であり,その反映として,対応する中間子場は有限の到達距離をもつ。これに対して電磁場は,無限の到達距離をもつといわれているが,これは静電場が~1/r2のようにふるまうことに対応している。一方,中間子場は~e-μ/λ/r2のように,r>λ に対して急速に小さくなってしまう。ここで到達距離 λ は,中間子の質量 μ と λ=げ/μc という関係にある(げ は,プランク定数 h を2π で割ったもの)。
[重力場の理論]  特殊相対性理論以後のもう一つの発展は,アインシュタイン自身による一般相対性理論およびそれに基づく重力の理論である。ニュートンの重力は,静電気力と同じく遠隔作用的な力と考えられていたが,一般相対性理論では,完全に近接作用論的な場の理論として定式化される。この理論における重力の場,すなわち重力場は,曲がった時空の計量テンソルである。そして,マクスウェルの電磁波に対応して,真空中を光速 c で伝播する波動の存在が導かれる。これが重力波である。重力の作用もこの重力場を通じて有限の時間をかけて伝達されるのである。この重力波を実験的に検知するための努力が現在精力的に進められている。
 こうして電磁場と重力場は多くの共通点をもつ場の理論として定式化されることとなり,これらをさらに高い立場から統一的にとらえようとする統一場の理論が種々試みられた。なかでも,H. ワイルの理論が有名であるが,ここで提出されたゲージ理論およびゲージ場の概念は,その後素粒子の基本理論として受け継がれている。⇒相対性理論∥場の量子論               藤井 保憲

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場(物理)
I プロローグ

場 ば Field 物体をとりまく空間で、重力や電磁力が他の物体におよんでいる領域のことである。場の概念は最初、イギリスの物理学者ニュートンが重力を説明するために、また、その後ファラデーが電磁力を説明するためにもちいた。

重力や電磁力ははなれた場所で作用するかのようにみえ、質量をもつ物体どうしや電子・陽子のような荷電粒子は他の荷電粒子に直接接触していないのに力をおよぼす。したがって荷電粒子や質量体は、電磁場や重力場の源である。2つの荷電粒子や質量体の間にはたらく力は、実際には一方がつくる場と他方の電荷や質量との間にはたらく局所的な相互作用である。

II 場がおよぼす力

場がおよぼす力の強さと方向は力線によってあらわされる。力線は、力が強くはたらく場の源の近くでは密に、力が弱い遠方ではまばらにえがかれる。点電荷(他の物体からの距離に比較してひじょうに小さい電荷)の電磁場の強さは電荷の値に比例し、電荷からの距離の2乗に反比例する。

同じように、重力場は物体の質量の大きさに比例し、物体からの距離の2乗に反比例する。2つの電荷の間にはたらく力を記述するクーロンの法則や、2つの質量の間の万有引力をあらわすニュートンの法則は、実際には電磁場と電荷の間の直接の相互作用、重力場と質量の間の直接の相互作用をあらわしたものである。

19世紀のイギリスの物理学者マクスウェルは、電磁理論の中で場の概念をさらに発展させた。マクスウェルの方程式は、任意の電荷の集団によってつくられる電磁場を記述する。アインシュタインは、任意の質量分布からえられる重力場に対して同様な方程式を開発した。

いずれの方程式も光の速度をもつ波動状の解をもつ。可視光やラジオ波のような電磁波はマクスウェルの方程式の解である(→ 電磁放射)。場の概念をもちいることで、電磁波の波動の性質やふるまいがわかった。重力波は直接の証拠がえられていないが、存在することは2連パルサーに関する天体現象によって間接的に確認されている。

III 素粒子のふるまい

電磁場や重力場という考え方がもたらしたもうひとつの重要なことは、量子論で波動と粒子の二重性の概念をもちいて、原子より小さな世界における波動や粒子のふるまいを記述できたことである。

ある波長の波は、ある運動量の粒子に対応し、波長と運動量の積は一定のプランク定数となる。電磁場や重力場に付随する波動は、粒子状の励起、つまり量子とよばれるとびとびのエネルギーをもっている。電磁エネルギーの量子はフォトン(光子)とよばれ、重力エネルギーの量子はグラビトン(重力子)とよばれる。電磁波も重力波も高速でつたわるので、付随する粒子つまり量子は質量をもたない。

波動と粒子の二重性から、電子や陽子のような素粒子も、対応する波長や量子場をもつことが予測できる。電磁場と電子の電荷との相互作用は、実はこの場と電子の量子場との相互作用の結果なのである。電子や陽子の量子場理論は量子電気力学といい、原子のエネルギー水準はとびとびに変化するものでなければならないと仮定して実験的に確かめる研究がおこなわれてきた。クォークがグルーオンによって結合されて陽子や中性子を形成する力といった、自然界の基本過程を記述するために、同様な量子場理論が展開されてきた。

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非局所場理論
非局所場理論

ひきょくしょばりろん
theory of nonlocal fields

  

素粒子に固有の属性として広がりを付与できるように拡張された場の量子論。従来の場の量子論では,場は時空世界の各点で定義され,場の相互作用は同一点でのそれぞれの場の量の積で決る。湯川秀樹らは,このような場の局所性を緩和することにより発散の困難が除去されると考え,非局所場理論を提唱した。しかし因果律やローレンツ共変性と矛盾することなく発散を除去できる理論はいまだにつくられていない。この理論のもう1つの特徴は,素粒子に内部構造を導入することによって,素粒子のスペクトル系列が導出可能なことである。クォーク模型のような複合粒子理論を非局所場で定式化しようとする試みもある。





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非局所場理論
ひきょくしょばりろん theory of non‐local fields

広がりをもつ素粒子像に基づく場の理論で,ソ連の M. A. マルコフ(1940),湯川秀樹(1948)らによって提唱された。物質の究極的要素としての素粒子はそれ以上分割できない有限の構造をもつか,それとも純粋に幾何学的な点状粒子であるか,それは古くからの関心事であったが,飛躍的に進歩した今日の物理学においても依然として興味ある問いである。素粒子の世界を記述するうえで,現在もっとも確からしいと信じられているゲージ理論は局所場の理論に属し,そこでは素粒子は本来構造をもたない点状粒子であると考えられている。局所場は電場や磁場のように空間点を指定すればそこでの値が定まる局所的量である。局所場の理論は相対性理論や量子論の枠組みの中でよく整合的に定式化され,少なくとも電磁現象についてはきわめて高い精度で実験と一致することが知られている。しかし,それは素粒子の点模型に由来すると思われる理論的欠陥をもっている。その一つは〈発散の困難〉と呼ばれるもので,この理論でまともに物理量を計算しようとすると,例えば素粒子の電荷や質量(自己エネルギー)が無限大になってしまう。それら無限大の量を観測値でおきかえる,いわゆる〈くりこみの手続〉をほどこしてはじめて他の諸量も有限に計算される。他方,高エネルギー物理学の進展に伴って,自然界には〈どのような種類の素粒子が存在し,どのような型の相互作用が支配しているか〉などについての認識が急速に深まりつつある。しかし,上述の局所場理論ないしゲージ理論自体は,〈なぜに自然はそのように存在しているか〉を説明できない。
 以上に述べた二つの事柄は,いずれもわれわれが究極理論にいたるにはまだ何かの原理を欠いていることを暗示している。実際,湯川が1948年局所場の理論を超えて,時空間の2点に依存する双局所場の理論を提唱した背景には,発散の困難の除去のほかに,中間子論(1935)の展開の中で発見された,電子の単なる繰返しとも見える奇妙なミュー(μ)中間子(当時は中間子と考えられていたのでこの名がある。現在はミューオン,あるいはミュー粒子と呼ばれている)の〈存在理由〉を説明できるような質的に新しい理論を建設しようとするねらいがあった。物質の究極的要素は単なる幾何学的点であろうはずがなく,それ以上分割できない有限の構造をもち,その構造の違いが素粒子の存在の多様性を引き起こすと考える。しかし,この考えを相対性理論と量子論の枠内で定式化しようとすると,因果律の破れなど深刻な困難に灯着(ほうちやく)する。湯川が上述の双局所場から多局所場の理論へ,さらに時空間の原子論ともいうべき素領域理論(1965)へと進んでいった背景にはこのような問題があり,現在も完結した理論には到達していない。しかし最近,重力をも含む素粒子の〈大統一理論〉の建設が日程にのぼる中で,プランクの長さ(~10-33cm)がわれわれの四次元時空間の基本的長さであるとする考えが浮上してきたことは,素粒子の究極的構造を考えるうえで興味深い。⇒素粒子         田中 正

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場の量子論
場の量子論

ばのりょうしろん
quantum theory of fields

  

無限の自由度をもつ場を量子力学的に記述する理論で,粒子数の変化する現象を扱うのに適している。この理論では,粒子に場が対応させられ,場を量子化 (→第二量子化 ) した結果出現する場の量子が粒子と同一視される。場の量子の特徴はその数が変化することであり,特に相互作用によって生成されたり消滅されたりする素粒子は対応する場の量子として記述するのが適切である。スピン 0,1/2,1 の素粒子はそれぞれ量子化されたスカラー場,スピノル場,ベクトル場で表現される。たとえば,π中間子はクライン=ゴルドン方程式に従う擬スカラー場の量子,電子はディラック方程式に従うスピノル場の量子である。場の量子論は素粒子を統一的に記述しうるほとんど唯一の理論であるが,発散の困難をかかえている。一般相対性理論と量子論の融合はまだ完成していない。場の量子論の方法は物性論の多体問題でも不可欠の手段となっている。





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場の量子論
ばのりょうしろん quantum theory of fields

自然界の状態を数式で書き表すのに大別して二つの方法がある。質点系として表すのと,場として表すのとである。投げられたボール,惑星などは質点,あるいは質点系の運動,すなわち xi(t)の形で書き表される。一方,空間の電磁場は,ある時刻 t,ある点 x における電場の強さ E(x,t),磁場の強さ H(x,t)と記述される。流体は分子の集りであるから,分子に番号をつけて質点系 xi(t)として書くこともできるが,連続物質としてとらえ,ある時刻,ある点における密度,速度などを ρ(x,t),v(x,t)として,場として表すこともできる。自由度のきわめて大きい系,すなわち連続体の運動や,真空中に起こる現象は場として記述するのがよい。これが古典的場の理論であり,電磁気学,重力論などはその典型である。これらは四次元時間空間内の場であり,相対性原理に従う。一方,弦の振動,水面の波動,物質中の音波などは非相対論的な場の例である。
 量子論によればすべての現象は量子化されている。古典場も量子化という手続が必要であり,これが場の量子論である。場を,自由度が大きい質点系とみなして量子力学を適用し,自由度無限大の極限を考えるのである。量子化された場は,量子と呼ばれる粒子の集団と同等であることが示される。例えば電磁場を量子化すればフォトン(光子)という量子の集団となる。一方,質点の量子力学(例えば電子の理論)では,状態はシュレーディンガーの波動 カ(x,t)で表され,これも場である。この粒子が多数個存在する系(多電子系)は,波動場 カ(x,t)を量子化した系と同等である。こうして量子論では質点系,波動の違いはなく,いずれも量子化された場で記述される。光子,電子,陽子その他すべての粒子が量子化された場で表されるのである。これらは波であるが,確定したエネルギーと運動量をもった粒子として1個,2個と数えることができる。場の量子は生成されたり消滅したりすることが特徴である。光子は発光体から放出され,物質に吸収される。電子も陽電子と衝突して消滅し,硬い γ 線が生成される。陽子なども同様である。
 シュレーディンガーの波動 カ(x,t)を量子化することを,量子力学の カ をさらに量子化するという意味で第二量子化という。ひいては一般に場の量子化のことを第二量子化法ということがある。相対論的な場の量子論は素粒子物理に応用される。光子,電子はもちろん,π 中間子,μ 粒子,核子,その他すべての粒子が量子化された場で表される。一方,非相対論的な場の量子論は多体問題,物性論に応用される。例えばフォノンは固体の振動の量子である。
[場の量子論の歴史]  量子力学が誕生してまもなく,同種粒子の多体問題の記述はシュレーディンガーの場の第二量子化によってなされることがわかり,M. ボルン,E. P. ヨルダン,E. P. ウィグナーらがこれを定式化した。P. A. M. ディラックはマクスウェルの電磁場の量子論,すなわち光子の理論を展開した。これにより光の放出,吸収が量子論的に扱えるようになる。1929年 W. K. ハイゼンベルクと W. パウリは場の量子化に正面から取り組んだ。彼らは空間を格子状とし,自由度が有限の質点系でおきかえ,その量子力学の連続極限を考えた。これが相対論的場の量子論の始まりということができる。しかしすぐにこの理論が不完全であることが指摘された。場が相互作用をしているとき,高次の補正を計算しようとすると答えが無限大になってしまう(発散の困難)のである。この問題は現在でも未解決である。ディラックはぎっしりつまった真空中の空孔として反粒子の存在を予言(空孔理論)したが,パウリらはこの問題は場の量子論で扱うべきであると主張し,相対論的粒子の理論を展開した。しかし彼らはスピンを考慮しなかったので電子には適用できず,後にπ 中間子の理論に用いられることになった。
 34年 E. フェルミは β 崩壊の理論で,電子,中性微子(ニュートリノ)の場を導入し,それらが生成,放出される機構を明らかにした。ここに用いられた相互作用はフェルミ型相互作用と呼ばれるもので,場の相互作用を初めて実際問題に適用したものである。続いて35年湯川秀樹の中間子論が登場する。彼は核子間の力を媒介する力の場を導入し,それの量子としての粒子が存在することを予言した。この粒子が π 中間子であり,場の量子論を用いた素粒子論の誕生である。41年パウリは場の量子論を整理し,スピンと統計の関係を明らかにした。相互作用をしない自由な場の量子論はこれで完成したといえる。
 このころの場の理論は時間を特別扱いにし,相対論的不変性が明らかでなかった。第2次世界大戦中朝永振一郎は超多時間理論により相対論的不変性が明りょうな場の理論を建設した。これを用いて戦後まもなく彼のグループは電子と光子の相互作用を扱う量子電磁力学を展開した。彼らはくりこみ理論により発散の困難を避け,有限の答えを得ることができた。同じころアメリカのシュウィンガー Julian Seymour Schwinger(1918‐94)も同様な理論を建設し,またアメリカのファインマンRichard Phillips Feynman(1918‐88)はグラフによる計算方法を発明し,これにより電磁現象をきわめて精確に計算できるようになった。
 中間子に対しては有効な計算法がなかったが,55年アメリカのゴールドバーガー MarvinLeonard Goldberger(1922‐ )らは,相互作用が局所的に起こるという因果律から導かれる分散公式が実験とよく合うことを示し,中間子を局所的な場で記述することの正しさを確かめた。分散公式理論はその後解析関数,複素変数を用いる場の理論へと進展する。60年南部陽一郎(1921‐ )は真空が非対称になることがあることを見つけ,もともとの世界が対称であっても実際の世界が非対称になりうるという,対称性の自発的破れの理論を提唱した。この考えは電磁弱相互作用の理論で成功をおさめ,さらに大統一理論へと進む。70年代はクォーク理論に伴いゲージ場の理論(ゲージ理論)が展開される。80年代に入ると,大型計算機の発達により数値計算が行われるようになった。すなわち空間を格子状にして自由度を有限にし,計算機に計算させる方法で,かなりの成果が得られた。しかし場の量子論の根本的整備に関しては進歩が少なく,相互作用を含む場の理論はまだ完成していない。
[場の量子論の形式]  場 カ(x,t)は空間の点x の関数で,時間 t をパラメーターとして含む。カはスカラーのこともあり,電磁場のようにベクトル,あるいは電子のときのようにスピノルなどの場合がある。量子論では カ は非可換な q 数であり,次の形の交換関係を満たす。
 [カα(x,t),πβ(xア,t)]±=iδ(x-xア)δαβ
ただし,π は カ に正準共役な場であり,[ ]±は反交換子あるいは交換子,δαβ はクロネッカーの δ記号(δαβ=0|α≠β,δαβ=1|α=β)である。交換子のときは場はボース統計に従う量子を与え,反交換子のときは量子はフェルミ統計に従う。場 カ(x,t)を正規直交完全系咨n(x)で展開するとき,

となり,展開係数 an は[an,am†]±=δnm の形の交換関係に従う(am†は am のエルミート共役)。Nn=an†an とおくと,Nn は0または正の整数を固有値としてもち,n という状態を占める粒子数を表す。反交換関係,すなわちフェルミ統計のときは Nn は0,1のみを固有値とし,2個以上が同じ状態にはいれない。an は n 状態の粒子数を1だけ減らす作用をもち,消滅演算子と呼ばれる。逆に an のエルミート共役 an†は粒子を1個増す生成演算子である。このように場 カ は粒子を1個つくったり,消したりする作用をもつ。相対論的場の理論では,an(t)のうち,正の振動数をもつものは粒子の消滅演算子,負の振動数のものは反粒子の生成演算子であり,時間反転のためには反粒子が存在しなければならない。またエネルギーが正であるなどの一般原理から,スピンが整数の粒子はボース統計に,スピンが半奇数のものはフェルミ統計に従うべきことが結論される。
 いくつかの場を掛け合わせた カ†(x)カ(x)咨(x)……の形の項は,カ の量子が消滅し,咨の量子と カ の量子がつくられるという粒子間の転換,すなわち相互作用を与える。例えば カn†カp咨π は陽子が中性子に変化し,π 中間子が放出されるという湯川相互作用を表す。相対論的に不変な形にするためには同じ点 x での相互作用 カ†(x)カ(x)……を考えなければならないが,空間的に同じ点の現象は不確定性関係から無限に大きい運動量を意味し,発散の困難を伴う。くりこみ理論は発散が現れない形に書き表すものであるが,摂動論的べき展開の場合以外は定式化できない。相互作用を含む相対論的場の理論を数学的に矛盾のない形に書くことはできないが,非相対論的に広がりをもつ相互作用のときは矛盾のない場の量子論がつくれる。                宮沢 弘成

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発散の困難

W.ケラー
ケーラー

ケーラー
Khler,Wolfgang

[生] 1887.1.21. タリン
[没] 1967.6.11. ニューハンプシャー,エンフィールド

  

ドイツの心理学者。ゲッティンゲン大学教授を経てベルリン大学教授,ナチス政権に反対し渡米 (1935) 後はスワースモア大学教授。ゲシュタルト心理学の創始者の一人。第1次世界大戦中,カナリア諸島で類人猿の課題解決に関する独創的な実験を行い,見通し学習を提唱,さらに時間錯誤,図形残効などの実験から,現象と脳過程との同型説を主張するとともに,ゲシュタルト心理学の理論的発展のための重要な著作を発表した。主著『類人猿の知恵試験』 Intelligenzprfungen an Menschenaffen (1917) ,『ゲシュタルト心理学』 Gestalt Psychology (29) ,『事実の世界における価値の位置』 The Place of Value in a World of Facts (38) 。





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ケーラー,W.
ケーラー Wolfgang Kohler 1887~1967 ドイツの心理学者。ベルリン大学でシュトゥンプの門下にあった彼は、1910年、コフカとともにフランクフルトのウェルトハイマーをたずね、彼の記念碑的な実験に協力するいっぽう、彼からゲシュタルト心理学の構想をきいたといわれる。12年フランクフルト大学講師。13~20年にかけては、有名な「類人猿の知恵試験」の資料をえることになったテネリフェ島の類人猿研究所所長。21年にウェルトハイマーらとともに「心理学研究」誌を発刊。

1922年にはシュトゥンプの後任としてベルリン大学の正教授となり、ウェルトハイマー、コフカ、レウィンらとともにいわゆるベルリン・ゲシュタルト学派を形成し、内外に多大の影響をおよぼすようになる。わけても彼は、ゲシュタルト心理学の体系的理論化をめざし、心理・物理同型説をとなえて大脳過程の解明を展望するいっぽう、チンパンジーの課題解決が試行錯誤的におこなわれるのではなく洞察によっておこなわれることを明らかにし、さらには記憶痕跡(こんせき)仮説、場理論の導入をこころみるなど、学派第一の理論家として縦横の活躍をしめした。しかし、ナチスの迫害によって35年にアメリカに移住せざるをえなくなり、移住してからのちは、ドイツにいたころのようなめだった活躍をしないまま生涯をおえている。

→ 図形残効

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心理=物理的場
心理=物理的場

しんり=ぶつりてきば
psychophysical field

  

ゲシュタルト心理学派,特に W.ケーラーによって導入された構想。現象的場に同型的に対応する脳神経系の生理的場を意味するが,これらの場はともにゲシュタルト原理のもとに成立し,両者の間に同型的な構造的類似性の存在が仮定されている。このような場は知覚現象のみならず,記憶事象においても想定された。単なる心身並行論とは異なるが,物理主義という批判をこうむっている。





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トポロジー心理学
トポロジー心理学

トポロジーしんりがく
topological psychology

  

トポロジーの概念および法則を適用して心理的現象を説明した K.レビンによる心理学。ベクトル心理学とともに,レビンの心理学的体系の一部を構成する。彼はまず人間と心理学的環境を合せたものを生活空間と呼び,さらに人間も環境も種々の下位領域に分化しているとし,行動はこの生活空間の関数であるという基本法則を立てた。したがって,人間がある瞬間にどのような行動をとるかを明らかにするためには生活空間の構造あるいは諸領域間の関係を明確に表現する必要があるが,その目的のためにトポロジー的表現が用いられている。





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トポロジー
トポロジー

トポロジー
topology

  

(1) 位相数学,位相幾何学ともいう。位相数学は初め,幾何学的図形の連結性の研究を目的として生れたが,20世紀に入り,近さ,極限の考えを一般化した位相の概念が確立された。それにより幾何学的図形以外の対象にも適用されるようになり,数学の諸分科ばかりでなく,数理科学の諸分野から,心理学や社会科学の分野にも寄与している。 (2) 近さの考えを一般化した概念で位相と訳す。ある集合に位相を定義するには,その集合に,適当な構造を与えて,連続性あるいは極限の概念が定義できるようにすればよい。集合 S に対し位相を導入する具体的な方法としては,S の各部分集合 M に対しその極限点の全体を指定すれば十分である。古典的な型の幾何学における空間には,すべて極限点が定義できるから,これらはすべて位相空間となる。しかし,一般の空間に位相を導入するのによく行われるのは,開集合を指定する方法である。集合 E ( ≠φ ) の部分集合の集合 T が次の3条件を満足するとき,T は E の位相構造 (位相) を定めるという。 (a) E 自身および空集合は,T に属する。 (b) A および B が T に属すれば,A と B の共通部分も T に属する。 (c) T に属する任意個 (有限または無限個) の集合の合併集合もまた T に属する。このようにして位相の定められた集合 E を位相空間,E の元を点,T に属する個々の集合 ( E の部分集合) を E の開集合という。 (3) 現在の位相数学は,一般に,位相空間における集合論的,代数学的,解析学的な研究に関する数学の一分野である。ただし,慣習的に位相幾何学というときには,幾何学的ないし代数学的色彩を伴った対象,特に多様体に関する研究をそう呼ぶことが多い。





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トポロジー
topology

集合上に〈近さ〉とか〈近づく〉といった概念で表される構造が与えられると,その集合上で極限や連続について論ずることができるが,このような構造をトポロジー(訳して位相)と呼ぶ。また,この構造が内容や方法上で問題となる数学のことを広くトポロジー(訳して位相数学)と呼ぶこともあるが,ふつうはもっと狭く,図形の位置や形状に関する性質で,図形を構成する点の連続性にのみ依存するものを研究の対象とする数学のことをトポロジー(訳して位相幾何学)と呼ぶ。リスティング J.B. Listing は1847年に著書《Vorstudien zurTopologie》を出版し,トポロジーということばを使っているが,この数学の実質的創始者である H.ポアンカレは,この数学を analysis situs(位置解析学)と呼び,長らくこのことばが使われていた。トポロジーということばが普及したのは S. レフシェッツの著書《Topology》(1930)の影響が大きい。⇒位相幾何学                 中岡 稔

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トポロジー
I プロローグ

トポロジー Topology 位相幾何学ともいう。幾何図形のある種の性質を研究する幾何学の一分野。英語では、ゴムの帯の幾何(rubber-band geometry)ともいう。

空間内の幾何図形の性質のうち、まげても、ねじっても、ひきのばしても、そのほかどのように変形しても不変にたもたれるのはどのようなものであるかを研究する。ただし、ちぎったり、ちがう点をいっしょにする、などのことはしないことが前提である。

幾何学というのは、絶対的な位置関係や、距離、平行などということを問題にするが、これに対して、トポロジーでは、相対的な位置関係やおおまかな形というものをあつかう。

たとえば、円は平面をその内部と外部という2つの領域にわける。円の外の点は、内側の点と、連続した線で、円周に交わることなしに結ぶことはできない。この平面をまげたりねじったりすれば、平面は平らでなくなるし、なめらかでもなくなるかもしれない。そして円はまがりくねった曲線になることであろう。しかしながら円の、この円がのっている面をその内側と外側にわけているという性質にかわりはない。平面上の直線や、線分の長さ、角度などは、平面をねじまげてしまえば、明らかに保存されない性質である。

II 初期のトポロジー

もっとも初期のいわゆるトポロジーの問題は、「ケーニヒスベルクの橋渡し」の問題である。図1にあるように、プレーゲル川に7つの橋がかかっていて、2つの島を両岸と結んでいる。同じ橋は2度渡らずにこの7つの橋を全部渡ることができるか。これが「ケーニヒスベルクの橋渡し」の問題である。



スイスの数学者オイラーは、これは次の問題と同じことになることをしめした。ペンを紙から離さず、どの線も2本かさなることなく、図2の線図を書くことができるか。



彼は、このことは不可能であることをしめした。

オイラーはさらに、図3のような連結した、つまり離れた部分のない線図を、一筆で、同じ辺を2度とおることなく書くためには、頂点、すなわち黒丸の点のどれもが偶点であるか、奇点があるとしても2個だけであることをしめした。ここで、1つの頂点が偶点であるというのは、そこからでている線分の個数が偶数個であること、奇点であるというのは、それが奇数個であることをいう。



図2の場合は4個の頂点が奇点であるから、これは一筆では書けない。図3の場合は頂点のうちAとB以外に奇点はないから、AとBを始点か終点とすれば、同じ辺を2度とおることなく、一筆で書ける。

1847年に、ドイツの数学者リスティングは、彼の著書の中ではじめてトポロジーという言葉をつかい、その研究で、奇点の頂点が2n個である線グラフは、ちょうどn回の操作で書くことができることをしめした。各回はいずれも奇点からはじめる。

III 今日のトポロジー

トポロジーは、現代数学の中で活発に研究がすすめられている分野である。最近解決されためざましい問題は、ふつうの地図を、国境を接する国はかならずちがう色でぬることにした場合、何色が必要かというものである。

1976年に、アペルとハーケンは、コンピューターをつかって、どんな地図であっても、また国の大小や数がどうであっても、4色あればじゅうぶんぬりわけることが可能なことを証明した。これを「4色問題」とよぶ。

組み紐の理論は、未解決の問題の多いトポロジーの分野である。組み紐というのは、3次元空間内におかれた、図4a、4b、4cのように、1本のゴム紐のようなものでつくった、2重点のない、つまり結び目のない曲線のことである。これらは、ねじったり、ひきのばしたり、そのほか空間内で変形することは自由であるが、ひきさいてはいけない。

このような条件のもとで、1つの組み紐から他の組み紐に変形できるとき、その2つの組み紐は同等であるという。図では、4b、4cは同等であるが、4a、4bは同等でない。しかし、今のところ、同等でない組み紐をすべて区別できる識別の基準は、みいだされていない。



幾何図形や点集合は、一方から他方へ、どちら向きにも連続な変換でうつることができるとき、同相であるという。同相か同相でないかを区別できる基準をもとめることも、特別な場合をのぞいて、未解決の問題である。

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K.レビン
レビン

レビン
Lewin,Kurt

[生] 1890.9.9. モギルノ
[没] 1947.2.12. マサチューセッツ,ニュートンビル

  

ドイツ,アメリカの心理学者。ベルリン大学教授となったが,ナチスの迫害を逃れて 1932年渡米,コーネル大学,スタンフォード大学,アイオワ大学,マサチューセッツ工科大学教授を歴任。初期の業績としては,ウュルツブルク学派の意志説に対する批判,科学基礎論,さらに情意の分野での斬新な実験的研究などが著名であり,ゲシュタルト心理学の確立に大きく貢献した。渡米後は社会心理学に場理論と力学説を導入し,この分野に画期的な影響を与えた。主著『物理学,生物学の発達史における発生の概念』 Der Begriff der Genese in Physik,Biologie und Entwicklungsgeschichte (1922) ,『意図,意志および要求』 Vorsatz,Wille und Bedrfnis (26) ,『心理学における法則と実験』 Gesetz und Experiment in der Psychologie (29) ,『パーソナリティの力学説』A Dynamic Theory of Personality (36) ,『トポロジー心理学の原理』 Principles of Topological Psychology (36) ,『社会科学における場理論』 Field Theory in Social Science (51) 。





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[ブリタニカ国際大百科事典 小項目版 2008]
ベクトル心理学
ベクトル心理学

ベクトルしんりがく
vector psychology

  

心理的現象に,力学のベクトルの概念および法則を適用しようと試みた K.レビンによる心理学。現実にいかなる方向へ,どのような強さの行動が起るかを明らかにしようとするもので,トポロジー心理学とともに,レビンの心理学体系を構成する。





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生活空間
生活空間

せいかつくうかん
life space

  

K.レビンがその心理学の理論のなかで提出した概念。ある時点において生体の行動を規定する事実の総体およびそれに対応して生体の内部に成立した世界をいう。これは大きく人と環境の領域に分れ,さらにそれらが個々の細かい領域に分化する。生体の行動は,その間の力学的な関係によって形づくられた心理学的場によって規定されるとする。





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弥縫策としての心理学(その10) [哲学・心理学]

無意識
無意識

むいしき
unconscious

  

記述的,局所的,力動的の3つの使い方がある。記述的には,ある時点で意識されない事象ないし行動をさす。局所的には,意志によって意識化できる局所を前意識と呼び,これに対して,抑圧を解く操作 (催眠など) によって初めて意識化可能になる局所を無意識という。また力動的には,無意識の内容を取上げる。 17世紀から「意識されない自己心」が論議されていたが,19世紀末に哲学的には F.W.ニーチェが,心理学的には S.フロイトがこの概念を明確にした。心理学では,意識されることなく精神内界で進行する心理過程を無意識という。フロイトは,自分では認識できなくてもこのような無意識過程は個人の行動を大いに左右すると主張して,現代心理学に強い影響を与えた。





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無意識
むいしき unconscious

一般的には現在の意識野に現れてこないすべての心的内容をいうが,特に S. フロイトの精神分析理論において重要な地位を占める概念。K. ヤスパースによれば,無意識には,根本的に意識化することの不可能な意識外の機構(すなわち精神的なものの下部構造)と目下は無意識だが〈気づかれるようになりうるもの〉との二つがある。これに従えばフロイトの唱える無意識は,あくまで後者の,さしあたり現在の心の中には認められぬものに属する。
 フロイトの無意識の概念は,主として神経症の臨床経験に基づいており,すぐれて力動的な概念である。神経症者がみずから意識できる損藤に治療者がいかにとり組んでも神経症は治癒せず,患者が意識できぬ損藤を精神分析療法によって推察しうるものとし,適切な解釈を通して患者に意識化させることによってはじめて治癒への道が開かれることをフロイトは経験した。この場合の無意識損藤は,ヤスパースのいう〈気づかれるようになりうるもの〉であって,フロイトによって前意識と呼ばれる。精神分析療法に対する抵抗が取り除かれると患者の脳裡に浮かび上がってくるのがこの前意識的な表象である。
 しかし前意識の深部にはさらに本来の無意識がある。このもっぱら欲動によって構成されている無意識それ自体は,心的領域と身体領域の境界概念――これはヤスパースのいう意識外の機構に近い――であって,決して意識化されることはないが,この活動の代理表象は願望とか幻想という形をとって意識化されうる。この無意識はエネルギーと浮上力とをもち,たえず前意識のなかに侵入しようとし,一方無意識の側からも同時に抑止的な影響を受ける。健康人の覚醒時の精神生活に無意識がその片鱗をのぞかせることははなはだまれだが,いいちがい,やりそこないといった失錯行為と夢とにそれは現れる。ことに夢はフロイトが〈無意識にいたる王道〉であるといったように,無意識の形成と内容とを推測させる好材料である。無意識の内容は混沌とした〈一次過程〉であり,欲動のエネルギーによって強力に備給されており,無時間的であり,快楽原則に支配されている。神経症の示すさまざまな症状は,いわば形成された夢と等価であり,無意識の欲動表象とこれを抑圧せんとする自我との損藤の妥協的形成物とみなされる。精神分裂病においては,自我の崩壊によって,むしろ無意識が露出してくるとみられる。このようにフロイトは初期の理論形成においては,〈第一の局所論〉と呼ばれる意識,前意識,無意識の系列を考え,無意識の占める領域が最も広いと考えた。後期の〈第二の局所論〉においては,エス(イド),自我,超自我の人格構造論が提示され,エスと第一の局所論における本来の無意識とはほぼ照応する。しかし同時に自我ならびに超自我の機能も無意識にとどまることが多いことが強調された。すなわち無意識の浮上を制御する自我の防衛機制も自我にとっては無意識的に自動的に発動されるものであり,超自我に迎合する自我の罪悪感や処罰されたい要求は,それが超自我の脅威に基づくものとは,当の個人にとって意識化されていないからである。
 なお,フロイトは個人的無意識を考えたわけだが,ユングはさらに普遍的無意識の存在を考えた。これは経験によって生じたものではなく超個人的な心的内容で,われわれの祖先の経験が遺伝したものと考えられている。⇒意識∥精神分析
                        下坂 幸三

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F.W.ニーチェ
ニーチェ

ニーチェ
Nietzsche,Friedrich (Wilhelm)

[生] 1844.10.15. ザクセン,レッケン
[没] 1900.8.25. ワイマール

  

ドイツの哲学者。 1869年バーゼル大学古典文献学教授となり,1870年普仏戦争に志願従軍,1879年健康すぐれず同大学の教授を辞任し,以後著述に専念したが,1889年精神病が昂じ,1900年に没した。アルツール・ショーペンハウアー,リヒアルト・ワーグナーの影響を受け,芸術の哲学的考察から出発し,ディオニュソス的精神からの文化の創造を主張したが,しだいに時代批判,ヨーロッパ文明批判に向かい,特に最高価値を保証する権威とされてきたキリスト教や近代の所産としての民主主義を,弱者の道徳として批判し,強者の道徳として生の立場からの新しい価値創造の哲学を,超人,永遠回帰,権力への意志,運命の愛 (→アモール・ファティ ) などの独特の概念を用いて主張した。ニーチェの哲学はナチスに利用されたこともあったが,今日ではセーレン・A.キルケゴールと並んで,実存哲学の先駆者,新しい価値論の提示者として新たに照明があてられている。日本では高山樗牛以来多くの人々により紹介,翻訳されている。主著『ツァラトゥストラはかく語りき』 Also sprach Zarathustra (1883~85) ,『権力への意志』 Der Wille zur Macht (1901) ,『善悪の彼岸』 Jenseits von Gut und Bse (1886) ,『道徳の系譜』 Zur Genealogie der Moral (87) など。





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ニーチェ 1844‐1900
Friedrich Wilhelm Nietzsche

ドイツの思想家。ザクセン州リュッツェン近郊のレッケンで,プロテスタントの牧師の家に長男として生まれた。父母ともに代々牧師の家庭である。こうした伝統のもついわゆるドイツ的内面性,内面性に必ずつきまとうある種のラディカリズム,さらに小市民性,そして小市民性に必ずつきまとうこの小市民性自身への批判は,ニーチェの思想的体質とでもいうものの重要な要素である。早く父を失ったが奨学金を得て名門ギムナジウムのシュールプフォルタ(プフォルタ学院)に入る。クロプシュトックやフィヒテも学んだこの寄宿制のギムナジウムは,ドイツ人文主義の精神に依拠してギリシア語,ラテン語の厳しい教育を行っていた。ここでの古代との出会いは彼の生涯を決定するものとなる。
 こうした古典古代を範としたゲーテ時代以来の新人文主義,しだいに危機に采しつつあるプロテスタント神学,そしておりから個別科学のうちにまで台頭しつつあった19世紀の代表的思想傾向としての歴史主義――これがニーチェの出発点となった時代の知的状況である。その背景には,ヘーゲルに代表される壮大な政治・社会思想としてのドイツ観念論の体系が,台頭しつつある新しい産業社会を前にして崩壊し,さらには1848年の革命に挫折し啓蒙の思想を実現しえなかった市民層が,新たな世界観的拠りどころを求めていたという事態がある。政治的幻滅の中で,政治的にはきわめて保守的なショーペンハウアーのペシミズムが流行のきざしを見せ,やはり革命失敗の苦い経験から政治と芸術の架橋を放棄し,〈総合芸術〉に19世紀の克服を求めた W. R. ワーグナーが知識人層および支配層の注目を引きはじめていたころである。ニーチェの思想形成は,こうした19世紀ドイツ市民社会の知的状況に深く根ざしている。
[ショーペンハウアー,ワーグナー,ブルクハルトとの出会い]  1864年ニーチェはボン大学に入り当初は母の希望もあって神学を学ぶが,すぐに古典文献学専攻に変わり,やがて師のリッチュル Friedrich Ritschl(1806‐76)の転任にともないライプチヒ大学に移る。ライプチヒで彼はショーペンハウアーの哲学を知り,ワーグナーの謦咳(けいがい)に接する。ショーペンハウアーの《意志と表象としての世界》をニーチェは偶然に古本屋で見かけ,表題への直感的な関心から購入し,魅入られるように一晩で読んだという。彼をひきつけたのは,われわれの生が〈生きんとする意志〉のエゴイズムであるというペシミスティックな世界観と,救済としての芸術というショーペンハウアーの思想である。またあるサロンでたまたまライプチヒ訪問中のワーグナーと知り合い,同じくショーペンハウアーに共鳴する彼の芸術思想やバイロイト祝祭劇場の計画に心酔する。こうしてショーペンハウアーのペシミズム,ワーグナーの音楽,そしてしだいに形成されつつある非人文主義的な独自のギリシア観,この3者の統合が若きニーチェの目ざすところとなる。
 69年ニーチェはその俊秀ぶりを認められて,学位取得以前であるにもかかわらずスイスのバーゼル大学の古典文献学教授に招聘される。弱冠24歳,異例の抜禽(ばつてき)である。バーゼルでは,ルネサンスを描いて有名な,またギリシア文化に単なる理性の明るさではなく,情念の深淵を見る老碩学ブルクハルトと知り合う。ブルクハルトに対する畏敬の念は波乱含みの彼の人間関係にあって最後まで変わらなかった。70年普仏戦争が勃発するとニーチェも志願して看護兵として従軍するが病を得て除隊する。
[《悲劇の誕生》]  この時期に書かれたのが処女作《悲劇の誕生》(1872)である。有名な〈アポロン的〉と〈ディオニュソス的〉の二つの概念を軸にして古代ギリシアにおける悲劇の成立,隆盛,そして没落が描かれている。アポロンは夢の神であると同時に,夢で見る光り輝く形象の神であり,その形象の規矩正しさという点で知性の鋭敏さに通じる神である。それに対してディオニュソスは,別名バッコスが示すように,陶酔と狂宴の神,生の底知れぬ情念とわき上がる歓喜の神である。また生存の苦悩がそのまま歓喜へと昇華する美の象徴ともなる。ニーチェはギリシア悲劇におけるコロスがディオニュソスの陶酔の歌であるとし,歴史的にもそこに悲劇の起源を見る。それに対して舞台上の俳優の所作はそのディオニュソスが見る美しい仮象としての夢の形象であるとされる。ディオニュソスはともすると単なる獣性に陥りやすく,アポロンはひからびた知性の不毛に退化しやすいが,その両者のせめぎ合いからアッティカ悲劇におけるたぐいまれな調和が達成され,ギリシア人の本来的ペシミズムが美によって救済されたとニーチェは論じる。そしてその世界を極端なアポロン性としてのソクラテスが不毛な知性主義によって解体したのだとされる。それ以後は現在に至るまでヨーロッパでは,アレクサンドリア的科学主義による人間の卑小化が続いているというのである。
 したがって《悲劇の誕生》は普通に言われているようにアポロンとディオニュソスの対立を描いたものではなく,両者のあるべき関係とあるべきでない関係との対立を描いたものである。本書の最後でニーチェは,ソクラテスによって崩壊せしめられたギリシア悲劇の世界がワーグナーの楽劇において再来することを願っている。過去の再解釈によって現代文化の創造を目ざしたきわめて実践的な書物であるといえる。だがこのようなもくろみは当然のことながら既成の学界の厳しい反発を招き,ニーチェは事実上アカデミズムから追放されてしまった。
[《反時代的考察》とワーグナーとの訣別]  この世間の無理解という経験を受けて,ニーチェは1873年から76年にかけて四つの《反時代的考察》と題した論文を出版する。第1論文《ダーフィト・シュトラウス,告白者にして著述家》(1873)では,普仏戦争の勝利がそのままドイツ文化の勝利であると思い込んだ市民層の代弁者 D. シュトラウスのうちに〈教養俗物〉の典型を見た鋭い批判がなされており,《生に対する歴史の利害》と題した第2論文(1874)では,事実を椿索するだけで思想を欠いた歴史主義が病気として診断されている。第3論文《教育者としてのショーペンハウアー》(1874)および第4論文《バイロイトにおけるリヒャルト・ワーグナー》(1876)では師と仰ぐショーペンハウアーとワーグナーがこうした時代においてもつ意義が説かれている。当時ワーグナーはスイスの〈四つの州の湖〉のほとりに家族と居を構え,《ニーベルングの指環》の完成に没頭しており,足繁く来訪するニーチェとのいわゆる〈星の友情〉が深まっていった。
 76年ついにバイロイトの祝祭劇場が完成し,そのこけら落しとして《ニーベルングの指環》の上演が皇帝の臨席のもとに行われた。ニーチェも当然招待されたが,そこで彼が見たのは,〈文化国民〉と称する思い上がりにとっぷり浸った醜悪なドイツ市民層と仲直りし,さらには彼らに追従するワーグナーの姿であり,ニーチェの嫌うキリスト教的中世的なものをドイツ的とみなし,それに帰ろうとする――やがてそれは《パルジファル》となって結実するが――ワーグナーの姿であった。ニーチェはいたたまれなくなり,田舎の保養地に逃げ出してしまう。ワーグナーとの友情の決裂であり,ここまでが通常ニーチェの思想的発展の初期とされている。
[アフォリズム群]  この1876年の冬ニーチェは病気のゆえに大学を休み,友人や,以前から知り合いの女性解放論者マイゼンブークとともにイタリアに行き,後に彼の思索に重要な役を占める地中海世界とラテン的な文化風土を知る。やがて彼の哲学のスタイルとなるアフォリズム(断想)を書きため出したのもこのころである。このアフォリズムをまとめて《人間的な,あまりに人間的な》(1878‐80)と題して世に出したが,これによっていわゆる中期の批判的思想が始まる。そこでは今まで偉大とされていた芸術家や宗教家の人間的な側面を剔抉(てつけつ)して,既成の偶像の暴露心理学的解体が試みられている。こうしたアフォリズムはドイツ語としても“からし”のきいたすぐれた文章で書かれており,後に彼がルター以来のドイツ語の最大の書き手と自慢するのも無理からぬほどのものである。
 だがワーグナーとの決裂の痛手もあって,年来の偏頭痛その他の病気はしだいに悪化し,79年には大学の職を辞し,その後の10年間は夏は主としてアルプスのエンガディーン地方,冬は地中海のほとりの保養地というように一所不住の漂泊の哲学者の生活を送りながら,哲学的散文を書き続ける。81年には《曙光》,82年には《華やぐ知慧》が次々と出る。いずれもアフォリズム集である。《曙光》では特に権力感情の分析が展開され,ヨーロッパ的価値観の底に潜むニヒリズムと〈力への意志〉という後期の問題関連の萌芽が認められる。《華やぐ知慧》には批判的解体に伴うペシミズムから新たな晴朗さへの回復がはっきりと認められる。この時期の81年,ニーチェはスイス・アルプスのシルバプラナ湖畔で永劫回帰の覚知に達し,いっさいが〈力への意志〉である以上,宇宙と歴史の変動は永遠に自己回帰を続ける瞬間からなっているとの思想を得ている。
[《ツァラトゥストラ》とそれ以後]  翌1882年にはザロメとの不幸な恋愛があったが,翌年初頭,ジェノバ郊外のポルトフィノで《ツァラトゥストラ》の着想を抱き,彼の言によれば,“嵐のような”筆の運びでまたたくまに第1部が完成した。この作品は第4部(1885)まで書かれるが,第4部になると出版者がつかず私家版で出さざるをえないほどに世間からは無視されていた。古代ペルシアのゾロアスター教の創始者ゾロアスター(ドイツ語でツァラトゥストラ)を主人公にしたこの哲学的物語は,山を出た主人公がさまざまな経験をしながら,永劫回帰の思想に到達し,その恐ろしさに耐えつつもこの思想を告知できるようになる〈大いなる正午〉が到来するまでの過程を描いたものである。ニーチェの書いたものの中で必ずしも最重要とは言えないが,その詩的表現,豊かな比喩のゆえに,《悲劇の誕生》と並んで最も有名になった作品である。そしてこの《ツァラトゥストラ》で後期の思想が始まったと普通に言われている。
 後期には〈力への意志〉,ニヒリズム,超人,永劫回帰,〈価値の転換〉といった中心的思想の多少なりとも連関した叙述をめざして,さまざまな変奏を加えたアフォリズムが書きつがれていく。《善悪の彼岸》(1886),《道徳の系譜学》(1887),《偶像の黄昏》(1889),《ニーチェ対ワーグナー》(1888脱稿),《ワーグナーの場合》(1888),《アンチキリスト》(1888脱稿),そして自伝的著作《この人を見よ》(1888脱稿)などがそうした作品群である。それらの中でニーチェはヨーロッパの形而上学,つまりキリスト教的プラトン的理念と価値観を,無の上に立てられた楼閣であり,基本的にはニヒリズムの現れであると論破し,このような旧来の価値の転換を〈力への意志〉と永劫回帰によって果たそうと試みている。《悲劇の誕生》の形姿で言えば,ソクラテスに代わるディオニュソスの美と力を価値の源泉にしようとする試みである。
 だがこうした哲学的な面と並んでニーチェのアフォリズムの中には,ドイツ文化についての深い洞察,モンテーニュ,モーツァルト,ハイネなど,敬愛してやまなかった人々への美しいオマージュがあることも忘れてはならない。さらに彼がワーグナーの対極に位置する南国的音楽として愛したビゼー,鋭い臭覚で見いだしたモーパッサン,バルザックなどフランスの作家たち,そして最晩年に強く関心を抱いたドストエフスキー,キルケゴールについてのアフォリズムや書簡を見ると,ニーチェがまさに19世紀の思想的危機を全身で生きていたことがわかる。
 だがそういうニーチェも特に《ツァラトゥストラ》以後は思想界から完全に忘れられた存在であった。たまに訪れる人があっても,結果として孤独感を深めることの方が多かった。ところが87‐88年ころになるとフランスのテーヌが好意的な評価を示し,デンマークの G. M. ブランデスが講義に取り上げ,再び顧みられる兆候が現れはじめた。しかしその直後89年1月ニーチェはトリノの街頭で発狂する。発狂後は妹と母親に引き取られ,影のような生活を送ったのち,1900年ワイマールで死去した。
[ニーチェ受容史]  1892‐93年ころからニーチェの名はしだいに広まり,90年代の終りには,ブランデスやザロメの評伝も手伝ってヨーロッパ中にニーチェ・ブームともいえるほどの熱狂が生じはじめた。ジッド(特に《地の糧》)や G. B. ショー(特に《人と超人》)の仕事にもニーチェの著作は大きな影響を与えたし,またドイツでもホフマンスタール,ムージル,T. マン,そして表現主義を含むモデルネの文学に深く多層的な影響を与えている。哲学的に本当にニーチェが消化されはじめたのは,第1次世界大戦によってニーチェの予言したヨーロッパのニヒリズムが顕在化した1920年代以降といえるが,やがてハイデッガー,ヤスパース,レーウィットなどのすぐれた解釈が陸続と現れはじめる。ナチスがニーチェを政治的に悪用したこともあって,第2次大戦後は一時期タブー視されていたが,ようやくフランスでのニーチェ受容をきっかけにして,今日ポスト構造主義的な読まれ方がドイツでも行われはじめている。
 日本ではすでに1901年に高山樗牛が,《太陽》掲載論文《美的生活を論ず》の中でニーチェを持ち上げて以来,特に《ツァラトゥストラ》が,やがては《人間的な,あまりに人間的な》などのアフォリズム群が広く読まれはじめた。13年に出た和嶋哲郎の《ニイチェ研究》は当時としては世界的に見てもきわめてすぐれた解釈である。しかし全体的には大正教養主義以降の知識人たちの中では,ニーチェはヨーロッパの思想史的コンテクストを離れて人生論的に語られることが多く,ようやく第2次大戦後になって氷上英広や,ハイデッガーを介した渡辺二郎らによって本格的研究が進み,ヨーロッパ思想の枠組みに置き入れ直されたニーチェとの思想的対決が行われはじめたといえる。⇒ニヒリズム                   三島 憲一

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ニーチェ,F.W.
I プロローグ

ニーチェ Friedrich Wilhelm Nietzsche 1844~1900 ドイツの哲学者・詩人・古典文献学者。19世紀末から20世紀にかけてきわめて刺激的な影響力をもった思想家である。

II 生涯と著作

プロイセンのレッケン生まれ。ルター派の牧師であった父が5歳のときに死に、母親にそだてられた。ボン大学とライプツィヒ大学で古典文献学をまなんだのち、24歳でバーゼル大学の古典文献学教授としてまねかれた。彼は病気がちで、終生弱視と偏頭痛になやまされていた。79年に病気が悪化したため、大学をやめ、その10年後に発狂。回復することなく、ワイマールで死亡した。

ニーチェに影響をあたえたのは、古典文献学研究でまなんだ初期ギリシャ哲学、意志の哲学をといたショーペンハウアー、進化論、そして音楽家のワーグナーである。

じつに多作であったニーチェの著作のうち重要なのは、「悲劇の誕生」(1872)、「ツァラトゥストラはこう語った」(1883~85)、「善悪の彼岸」(1886)、「道徳の系譜学」(1887)、「アンチキリスト」(1888)、「この人を見よ」(1889)、そして遺稿「力への意志」(1901)である。

III 思想

ニーチェの基本的発想のひとつは、キリスト教によって代表されるような伝統的価値が当時の人々の生活において効力をうしなったという洞察である。この洞察を彼は「神は死んだ」という言葉で要約した。彼によれば、伝統的価値は「奴隷道徳」を体現している。この道徳は、強者に怨念(おんねん)や恨み(ルサンチマン)をいだいた弱者がつくりあげたもので、やさしさとか温情といった言葉で形容される行動をほめあげるが、しかし、こうした行動は弱者の利益にかなうものでしかない。彼はこうした伝統的価値にかわる新しい価値の創造を提唱し、そうした価値の体現者として「超人」をえがいてみせた。

ニーチェにいわせれば、むれて徒党をくむ大衆が伝統的価値に迎合するのに対して、超人は不撓(ふとう)不屈の孤高の人間である。彼の感情は人間存在の深淵(しんえん)にとどきながらも、自制心をうしなわない。超人は、宗教が約束する来世の因果応報をきっぱりと拒否して、人生においてさけがたい受難や苦痛もふくめた現世を肯定する。彼が創造する「君主道徳」とは、既成のすべての価値から自由な人間の強さと自立のあかしである。こうした超人の創造力としてニーチェが想定したのが、「力への意志」である。ショーペンハウアーの「生への意志」が誤謬(ごびゅう)を生む消極的な概念であったのに対して、「力への意志」には、創造性にとって不可欠な「自分自身をのりこえる」という意味がこめられている。

こうした主張の背後には、ニーチェの辛辣(しんらつ)な西洋哲学批判があった。彼は、西洋思想の歴史は、プラトンのイデアやキリスト教道徳といった本当はありもしない超越的な価値を信じてきたニヒリズムの歴史であるとし、このニヒリズムが表面にあらわれてくるわれわれの20世紀を予言した。そして、ニヒリズムの極限形態としての「永遠回帰」を肯定し、「力への意志」をもつことで、このニヒリズムを克服しなければならないと考えた。

IV 影響

ニーチェの超人思想は、奴隷制社会を肯定し、全体主義を正当化するものとして解釈されたこともある。実際、ナチズムがこうした曲解によってニーチェを利用した。しかし、こうした誤解にもかかわらず、彼の思想はドイツ文学や現代哲学に大きな影響をあたえた。文学への影響はムージルやトーマス・マンあるいは表現主義にその足跡をたどることができるし、哲学ではヤスパース、ハイデッガー、カミュ、サルトルといった実存主義の哲学者にニーチェの影響がみとめられる。日本では1901年(明治34)に高山樗牛がニーチェを紹介してから、大正教養世代の人生論の必読書になった。


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超人
超人

ちょうじん
bermensch

  

中間者としての人間が克服された結果,存在することになった絶対者のこと。この超人の概念はすでにルキアノスの hyperanthrposというギリシア語に始まり,アダム・H.ミュラー,ヨハン・G.ヘルダー,ヨハン・ウォルフガング・フォン・ゲーテ,テオドール・ゴットリープ・フォン・ヒッペル,ジャン・パウルらにおいて見出されるが,思想として哲学的に深められたのはフリードリヒ・W.ニーチェにおいてである。ニーチェは著書『ツァラトゥストラはかく語りき』で,超人の具体像こそはツァラトゥストラであり,キリスト教の神に代わる人類の支配者で,民衆はその服従者でしかないと唱えた。また超人の正反対の存在として末人 der letzte Menschがあるとも記した。ニーチェの超人思想はのちの時代,たとえばナチスにより曲解されたこともあったが,現代では実存主義哲学の立場などから新たな光があてられている。





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超人
ちょうじん ンbermensch[ドイツ]

ドイツの哲学者ニーチェの著作《ツァラトゥストラ》(1883‐85)の中で,人間にとっての新たな指針(和嶋哲郎の用語では〈方向価値〉)として情熱的に説かれた言葉。その熱っぽさが,19世紀末の微温的市民社会と精神的閉塞状況からの脱出を願う青年知識層に広く迎えられた。超人は民衆を離れ,孤高の中で人間の卑小さの絶えざる克服をめざす。超人は人間という〈暗雲〉からひらめく〈稲妻〉〈狂気〉である。〈人間は動物と超人とのあいだに張りわたされた一本の綱なのだ〉。人間の新たな可能性を求めるこの超人を導く原理は,生と芸術の根源に潜む〈力への意志〉である。既成のキリスト教道徳を否定した,新たな美的で情熱的な生への志向がここにある。後に G. B. ショーはこのテーマを男女関係の次元で戯曲化し《人と超人》を書いた。しかし超人概念は,〈金髪の野獣〉といったニーチェの言葉とともに,やがてナチスのイデオロギーの中で悪用されることにもなる。
                        三島 憲一

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永遠回帰
永遠回帰

えいえんかいき
ewige Wiederkunft

  

古来,ピタゴラス学派,ヘラクレイトス,ストア派などによって説かれた,世界の出来事は円環運動を行なって永遠に繰返すという思想に,ニーチェは道徳的な意味を付与した。すなわち,生の各瞬間はもはや単に過ぎ行く現象ではなく,無限回も生起し回帰するがゆえに永遠の価値をもつものとされる。彼岸の生活などに希望を託さず,その一切の喜びや苦悩とともに現実の生を英雄的に肯定するという立場から説かれる。





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ピタゴラス
ピタゴラス学派

ピタゴラスがくは
Pythagoreans

  

前6世紀前半クロトンでピタゴラスにより創設された宗教的学問的教団。清浄な生活と学問の研鑽を目的とし,きびしい戒律と固い団結を有していたといわれる。アリストテレスは世界解釈の原理としての教論をピタゴラス派の人々に帰しているが,初期の学徒も書物を残さなかったので確かなことはわからない。ピタゴラスはみずからの正統的後継者を Pythagoreioiと呼び,それに従う者を Pythagoristaiと呼んだ。しかし彼の死後学統はアルキタスやアリストクセノスら特に数学や音楽など学問に志す学問生 mathmatikoiと,教団の倫理的宗教的伝統を継承する人々akousmatikoiに分れた。





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ピタゴラス
Pythagoras

前6世紀に活躍したギリシアの哲学者。ギリシア語で正しくはピュタゴラス。生没年不詳。サモスの商人ムネサルコスが,妻を伴ってデルフォイのアポロン神殿(ピュティア)に参詣したとき授かった子なので,〈アポロンの代弁者〉という意味でピタゴラスと名づけられたという。若いころサモスでイオニア哲学を修め,親友のポリュクラテスとともに政治改革に乗り出した。この試みは成功を収めるが,ポリュクラテスがしだいに独裁者となっていくのを批判し,故国を出奔した。30歳前後のころと思われる。その後30年間,世界各地に密儀伝授を求めて遍歴し,エジプト,ペルシア,中央アジア,ガリア,インドと足跡の及ばぬ所はなく,当時のありとあらゆる学問を身につけたと伝えられ,その博学多識は多くの古代作家に驚嘆されている。60歳前後,南イタリアのクロトンに居を定め,そこに密儀の学校としてピタゴラス教団を創立した。この教団はたちまち隆盛を極め,その影響下でクロトンは南イタリアの覇権を握った。90歳のころ,教団と世俗権力の確執が激しくなり,過酷な弾圧を蒙るようになった。彼はメタポンティオンに追放され,そこで没した。死後も弾圧は続けられ,教団は各地に散らばり,やがて秘密結社化した。
 ピタゴラス教団ではいっさいの教説がピタゴラスのものとされた。彼は絶対的権威をもった教祖であった。ここでは男女は平等に扱われ,〈ピタゴラス的生活〉を送るように指導された。清浄を保ち,肉食を断ち,沈黙の中で自己の魂を見つめる修行が課された。ピタゴラスによれば,魂は元来,不死すなわち神的な存在であるが,無知ゆえにみずからを汚し,その罪をつぐなうために肉体という墓に埋葬されている。われわれが生と呼んでいる地上の生活は,実は魂の死にほかならず,その死から復活し,再び神的本性を回復することが人生の目的である。それに失敗して無知な人生を繰り返すと,輪廻転生の輪から永久に脱け出せない。この苦しみから解放されるには魂は知恵(ソフィア)を求め,それによって本来の純粋存在に立ち帰らなければならない。〈知恵の探求(フィロソフィア)〉こそ,解脱(げだつ)のための最も有力な方法なのである。
 この教団には宗教的解脱を求める聴聞生と学問的研究に打ち込む学問生の2派があったといわれているが,ここでは学問は宗教的解脱と不即不離の関係にあるので,この2派は顕教と密教,または新参者と熟達者の区別と考えた方がよいだろう。知恵に達するための準備的課程として,四つの学問(マテマタ)があった。第1に〈数の学〉,第2に〈形の学〉,第3に〈星の学〉,第4に〈調和の学〉である。この四学は後に,中世からルネサンスに至るまでヨーロッパの学問の中枢をなしていたが,近代的意味での数学,幾何学,天文学,和声学とは現象的にはともかく,本質的には異なることに注意しなければならない。それは古代的な〈数〉の観念に基づいた一種の瞑想体系であった。
 1は最初の自然数あるいは単位数であるだけではなく,始原,全体,究極,完全を意味した。同様に2は2個の単位数ではなく,対立,分裂,闘争,無限を,3は調和,美,秩序,神性を,4は事物,現実,配分,正義などを意味する。数は量ではなく,存在の元型的形相だったのである。〈万物の原理は数である〉と彼がいうとき,世界は量的関数関係から成り立つ数学的秩序をもっているといったのではなく,万物は数の存在分節機能によって秩序立てられ,存在の各層には同一の数の類比関係が働いているということを意味した。このことを象徴的に表しているのが図に示すような〈四元数(テトラクテュス)〉である。この1,2,3,4から成る10個の点は,大宇宙と小宇宙に共通する世界秩序(コスモス)を表す曼荼羅(まんだら)となっており,ピタゴラス教団ではこの図形の前で誓いを立てたと伝えられている。
 このような〈数〉の重視は,数学史上において,ピタゴラスあるいはピタゴラス学派に帰せられる多くの業績を生むことになる。三平方の定理(ピタゴラスの定理),ピタゴラス数,無理数の発見などのほか,数論と結びついた音階理論が特に有名であるが,近年は古代メソポタミアの数学の影響も注目されており,その独創性についての評価は定めがたい。
 数を万物の原理とみなすピタゴラス主義は,以降のヨーロッパ思想史,科学史に決定的な影響を与えた。エンペドクレスの四大論,デモクリトスの原子論,ソクラテス,プラトンの哲学もその圏内にある。地動説の最初の提唱者とされるフィロラオス,立方体の倍積問題の解決で有名なアルキュタスらはピタゴラスの学徒であった。前1世紀にはローマとアレクサンドリアで新ピタゴラス主義が興り,宗教的伝統に数学的な光を当てた。テュアナのアポロニオスはこの代表であり,イアンブリコスにも新ピタゴラス学派との結びつきが認められる。さらに近代を開く象徴的事件であったコペルニクスの宇宙論やケプラーの宇宙モデルも,ピタゴラス学派の思想がヒントになっている。自然を数学的に記述しようとする近代自然科学の方法論は,少なくともその重要な一部分を16~17世紀のピタゴラス復興運動によって支えられている。ルネサンスとはある意味で,プラトンと並んでピタゴラスの再生運動であったともいえ,当時の音楽,絵画,建築,文芸などにもピタゴラス的宇宙論の反映を指摘することができる。     大沼 忠弘

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ピタゴラス
I プロローグ

ピタゴラス Pythagoras 前582?~前500? 古代ギリシャの哲学者・数学者。最近は、数学者や哲学者ではなく、教団をひきいた宗教的な存在という評価がかたまりつつある。その思想はプラトンに大きな影響をあたえた。

エーゲ海のサモス島に生まれ、タレス、アナクシマンドロス、アナクシメネスらイオニア学派の思想をまなんだ。つたえられるところでは、ポリュクラテスの専制政治に嫌気がさしてサモス島をはなれ、前530年ごろ南イタリアのギリシャ植民都市クロトンに移住した。ここで彼は、宗教・政治・哲学にまたがる独自の教えを説いて、みずからの教団をつくりあげた。

II 基本思想

ピタゴラス教団が信奉した神秘思想は、オルフェウス教にかなり似ている。その中核にあったのは魂の不死と輪廻への信仰である。小犬がぶたれているところに通りかかったピタゴラスが、「やめろ、それはわたしの友人の魂だ」とさけんだという話がのこっている。彼は肉体を魂の墓とみなし、魂を解放する手段としてさまざまな儀式を実践した。教団では恭順と沈黙が重んじられ、断食や瞑想が励行された。また、衣服も質素で、財産は共有であった。

III 数の理論

ピタゴラス教団は数学を幅ひろく研究したが、なかでも奇数と偶数、素数と平方数の研究が知られている。この算術的な視点から独特の数の考えが生まれた。それによると、数は宇宙におけるあらゆる比率、秩序、調和を生みだす原理になる。こうした研究によって、学問としての数学の基礎がきずかれることになった。幾何学の領域では、「直角三角形の斜辺の長さの2乗は他の2辺の長さの2乗の和に等しい」というピタゴラスの定理を発見した(→ 数学的証明)。

IV 天文学

ピタゴラス教団の天文学は、古代科学の中でとくにすぐれている。というのも、地球はほかの天体とともに中心火のまわりを回転する球体であるという考えがはじめてとなえられ、これがのちにコペルニクスの地動説にヒントをあたえたからである。こうした考えの背景にあったのは、すべてをふくむたった一つの宇宙の中で物体が数学的法則にしたがって運動し、この運動が調和を生むという原理である。だからそれぞれの天体も、和音を生みだす弦の長さに対応する間隔でならんでおり、この天体の運行から音楽が、つまり「天体の調和」が生まれると彼らは考えた。

→ 西洋哲学

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ヘラクレイトス
ヘラクレイトス

ヘラクレイトス
Hrakleitos

[生] 前540頃
[没] 前480頃

  

古代ギリシアの哲学者。エフェソス出身。孤高の生涯をおくり「泣く哲学者」「暗い人」と称される。万物流転 (パンタ・レイ) 説や火を原理としたことで知られるが,生成消滅を繰返す世界の理法として相対立する諸傾向のうちに逆向きの調和を認めた。著作としては『自然について』 Peri physesの名が伝えられるが現存しない。「知とは,みずからにではなくてロゴスに聞いて万物の一なることを認めることである」との言葉には彼の哲学が集約されている。 (→戦いは万物の父であり,万物の王である )  





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ヘラクレイトス
H^rakleitos

ギリシアの哲学者。生没年不詳だが,前500年ころがその活動の盛期とされる。エフェソスの王家の出身。火を万物のもとのものとし,その万物は変化してやまぬと説いた哲学者とされてきたが,いわゆる〈すべては流れる(パンタ・レイ pantarhei)〉という有名な言葉もプラトンやアリストテレスの批判的解釈を継承したシンプリキオスの言葉であって,彼自身の直接の発言ではない。火や流動についてもたしかに述べてはいるが,それは彼の哲学の一面であって,もっとも重要なのは〈ロゴス〉についての考えである。〈事実,すべてはこのロゴスにしたがいて生ずるにもかかわらず,人々はなお,そを経験せざる者のごとし〉(断片1)。〈われに聴かずにロゴスに聴きて,ロゴスに従いつつ,すべては一なりと述べるこそ賢かりけれ〉(断片50)。
 例えば彼は,弓や琴のような日常的な小道具を手がかりにしてそのロゴス支配の事態を説明しようとする。弓の弦や琴の弦は二つの逆方向に働く力の結合によって成立するが,このような対立的なものの統一的結合という理法こそが彼の強調するロゴスである。その対立的な面に注目して,彼はまたロゴスを比喩的に〈戦い〉と呼ぶ。〈戦いは万物の父,万物の王なり〉(断片53)。こうしたロゴスの支配は人事の場面のみならず,ひろく全宇宙に及んでいる。昼と夜とは明暗の形で対立し,人々はその区別にこだわるが,実は昼は夜に,夜は昼になるのであって,その過程を通じて両者は結合して一体をなしているのである。また,火と水,水と土とはそれぞれ対立して異なるが,実は火は水に,水は火に転化し,水は土に,土は水に転化する。この宇宙論的転化の過程に注目すれば,やはり火も水も土も〈一なり〉という道理が理解されるはずなのである。だが彼のいうその道理,すなわちロゴスは人々に理解されなかった。そこに彼のいらだちと孤独があった。〈大多数の輩(やから)はさながら家畜のごとく飽食するなり〉(断片29)。                 斎藤 忍随

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ヘラクレイトス
ヘラクレイトス Herakleitos 前540?~前475? 古代ギリシャの哲学者。小アジアにあった古代ギリシャの都市エフェソスに生まれた。万物のアルケー(もとのもの)は火であり、世界全体はたえざる変化のうちにあると考えた。生涯孤独を愛し、その哲学には難解さと人間嫌いな面がみられることから、「闇の哲学者」「泣く哲学者」ともよばれる。

ヘラクレイトスの思想は、ギリシャ哲学のイオニア学派の流れをくむものではあるが、ある意味では彼はギリシャ形而上学の創始者ともいえる。彼は火が第1の実体ないし原理であり、これが凝縮と希薄化をとおして感覚世界の現象を生みだすと考えた。それ以前の哲学者たちの「存在」の概念にくわえ、「生成」あるいは「流転」ということを重視し、これこそが、どれほど恒常的にみえようともあらゆる事物の基礎にある根本であるとする。倫理に関しては、新たに社会的な観点をとりいれ、徳は宇宙の合理的な調和の法則に個人が服するところになりたつと考えた。彼の思考はそのころの信仰に強く影響をうけたところがあるが、自らは当時の民間信仰の思想や儀礼をはげしく批判していた。

今日ヘラクレイトスのものとみなされている著作は「自然について」ひとつだけで、その断片の多くがのちの著述家たちによって保存され、編集されている。

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泣く哲学者
泣く哲学者

なくてつがくしゃ

  

前 500年頃の古代ギリシアの哲学者ヘラクレイトスのこと。彼の孤独な境涯とその暗い人生観によるあだ名。「暗い人 (闇の人) 」ともいわれる。これに対してデモクリトスは「笑う哲学者」と呼ばれた。





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戦いは万物の父であり、万物の王である
戦いは万物の父であり,万物の王である

たたかいはばんぶつのちちでありばんぶつのおうである
Polemos pantn men patr esti,pantn de basileus

  

ギリシアの哲学者ヘラクレイトスの言葉。万物のうちに存する相反する傾向 (冷と熱,乾と湿など) 相互の戦いないしは対立抗争は生成の世界を貫徹する普遍的,恒常的法則であり,「万物は対立抗争と負い目とに従って生じる」との意。ヘラクレイトスはこの恒常的な戦いのうちに「逆向きの調和」すなわち「秘められた調和」を見出し,これを「あらわなる調和」にまさるものとした。 (→多と一 )





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多と一
多と一

たといつ
polla (panta) kai hen; plurality and unity

  

アリストテレスは反対概念のすべては存在と非存在とに,あるいは一と多 (たとえば静→一,動→多) とに還元されるとした。エレア学派は一と多の対立のうちに純粋な唯一の存在と生成消滅する仮象的世界の対立をみた。一方ヘラクレイトスは対立と調和の原理によって万物の流転を説明する立場から「すべて (多) から一が生じ,一からすべて (多) が生じる」という有名な命題を導出している。プラトンはイデアと感覚的個物の対立を一と多の対立としてディアレクティケを多を一へ総括する能力としてとらえた。またプロチノスは多の絶対的始源として存在の全体を統一するものを一者 (ト・ヘン) あるいは第一者 (ト・プロトン) とし,多様な世界を本源的一者からの流出とみなしている。 (→同一と他 )





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同一と他
同一と他

どういつとた
tauton kai to heteron; the same and the other

  

アリストテレスによると物事が同一であるというとき,(1) 付帯性において同一である場合と,(2) それ自体として同一である場合に区別され,さらに (2) は質料が種あるいは類において一つである場合と本質が一つである場合 (たとえば等しい等角の四辺形) に分たれる (『形而上学』5,10巻) 。あらゆる存在はあらゆる存在に対して同一であるか他であるかのいずれかの関係に立ち,この意味で同一と他とは対立的であるが,他方,他 (他者) は一者との対立関係に立つ。プラトンは形相ないしイデアとしての一者に対し感覚的個物を,あるいは一に対し多を他者とみなす (『パルメニデス』『ティマイオス』) 。新プラトン主義では本源的一者から流出しみずからの内に認識主体と認識対象 (イデア) の両極を含むヌースを一者に対して他者とし,スコラ哲学では世界に対する神の啓示を神に対して他とする。ヘーゲルでは他者は一者の否定であり,一者はみずからの内に固有の他者を弁証法的契機として含むとした。





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質料
質料

しつりょう
hyl; materia

  

一般に物質であるが,質料と訳されるときには形相の対概念として特別な意味をもつ。質料形相論の確立者はアリストテレスであるが,手仕事を土台に考えており,質料と形相はそれぞれ素材と形に対応する。すでにプラトンは相対的非存在で形がない物体の母としての質料を考えていたが,アリストテレスはこれを可能的な存在で無規定的なもの,形相による規定を受入れる原理とした。質料も形相も相対的概念であり,木は材木の質料だが材木も家の質料となる。すべてのものはより高次なものの質料である。これらをすべて第2質料と呼び,その根底にいかなる形成も受けていない純粋な質料を想定して第1質料と呼ぶ。質料は偶然的,非論理的なものの原理でもあり,アビセンナはこれを個体化の原理とした。これを受けて,論理的に検討を加えたトマスは,指定質料 materia signataをこの原理とした。





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一者
一者

いっしゃ
to hen

  

プラトン,プロチノス哲学において,世界の根源をなす第一の,最高の原理をいう。ここから,一ならざるもの,すなわち多者が発出する。これは近世形而上学においても,さまざまに形を変えて (神,主観,自我,実存など) 現れている。





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イデア
ヌース
笑う哲学者
笑う哲学者

わらうてつがくしゃ
gelasinos (philosophos); laughing philosopher

  

ギリシアの哲学者デモクリトスにつけられたあだ名。「泣く哲学者」とか「暗い人」といわれたヘラクレイトスと対照的。世のわずらわしさを笑い,快活を理想とした彼の倫理学的な態度による。





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[ブリタニカ国際大百科事典 小項目版 2008]
ストア派
ストア派

ストアは
Stoics

  

キティオンのゼノンがアテネのストア・ポイキレに創設した哲学の一学派。その学派は前期 (前 312~129) ,中期 (前 129~30) ,後期 (前 30~後2世紀末) に分れる。前期には厳格と節度の人ゼノン (ストアの) ,その忠実な後継者で『ゼウスの賛歌』を残したクレアンテス,ストア派最大の権威クリュシッポス,天体論を研究し,科学を神のロゴスについての研究と規定したアラトスらが,中期には『義務について』の著者パナイティオスやポセイドニオスらが,後期,ローマの帝政時代には貴族出身のセネカ,『省察録』を書いたマルクス・アウレリウス,奴隷出身のエピクテトス (弟子による『語録』が有名) がいた。彼らは哲学を論理学,自然学,倫理学に分け,哲学は実践上の知恵を教える学であるとの立場から倫理学を最も尊重した。





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[ブリタニカ国際大百科事典 小項目版 2008]


ストア学派
I プロローグ

ストア学派 ストアがくは Stoicism ヘレニズム時代に創設された古代ギリシャ哲学の学派。エピクロス学派、懐疑学派とともにこの時代の3大学派をなした。ストア学派は、ソクラテスの弟子であるアンティステネスによって創設されたキュニコス学派に起源をもつ。

II 歴史

ストア学派は前300年ごろにキプロスのゼノンによってアテネで創設された。キュニコス学派のクラテスにまなんだゼノンが彩色柱廊で知られたストア(柱廊)に学校を開設したのが、その始まりである。学派の名称もこれに由来する。第2代学頭のクレアンテスが書いた「ゼウス賛歌」はその断片が現存しており、そこでは、最高神は全能の唯一神にして道徳的統治者であるとのべられている。クレアンテスの後継者になったのはクリュシッポスであり、これら3人が第1期ストア学派(前300~前200年)の代表者である。

第2期(前200~前50年)になると、ストア学派の哲学はかなり普及し、ついにはローマにも知られるようになる。ストア学派を本格的にローマにつたえたのはパナイティオスである。パナイティオスの弟子のポセイドニオスは、ローマの有名な演説家キケロの教師であった。

第3期はローマ時代になる。共和制末期の小カトーはすぐれたストア哲学者であったし、帝政期にもセネカ、エピクテトス、皇帝マルクス・アウレリウスのローマの3大ストア哲学者があらわれた。キリスト教がローマ帝国の国教になったのちも、ストア学派は大きな勢力をもちつづけ、その影響はルネサンス期にまでおよんだ。

III 思想

ヘレニズム期のほかの学派と同じく、ストア学派も倫理学に強い関心をしめした。幸福が人々の最大の関心事になったからである。しかし倫理学をかためるために、論理学と自然学の理論を開拓したところに、この学派の大きな特徴がある。概念、判断そして推論の理論としての論理学はストア学派によってその骨格が形成され、とくに仮言三段論法の発見はこの学派のもっとも重要な功績である。

ストア学派の自然学によると、世界は物質からなる。しかし物質そのものは受動的であって、これとは別に、世界をうごかし世界に秩序をあたえる能動的な原理がある。この原理はロゴスとよばれ、神の理性であるとともに、ある種の微細な物質とも考えられた。そこで、「息」あるいは「火」ともよばれたが、これはヘラクレイトスが宇宙の根源とみなしたものにあたる。

人間の魂は、このロゴスの現れである。それゆえ、このロゴスにしたがって生きることは、神がさだめた世界(自然)の秩序にしたがって生きることであり、この生き方がわれわれ人間の務めになる。「自然にしたがって生きる」というこの見解は、自然法思想の展開において決定的なものになり、ローマ法に甚大な影響をあたえることになった。

善とは外的なものではなく魂の内部にあるというキュニコス学派の考えが、ストア学派の倫理学の原理になっている。ストア学派はこの魂の内的状態を思慮あるいは自制心と考えた。つまり、日常生活においてわれわれの心をかきみだすものは情念や欲求であって、こうしたものから解放されて不動心(アパテイア)をえるために必要なものが、思慮や自制心だというのである。

この自制や克己ということが同時代のエピクロスの快楽主義(→ エピクロス主義)とするどく対立し、現在の英語のストイックstoicという言葉に「禁欲的」という意味がくわわるもとになった。

ストア学派のきわだった特徴のひとつに、コスモポリタニズムがある。この考えによると、どの人間も唯一の普遍的な神の現れであるからには、人間どうしの付き合いでは社会的地位とか貧富あるいは民族の違いといった外的なものはまったく意味をもたず、万人はひとしくコスモス(世界)の市民である。したがってストア学派は、キリスト教が誕生する以前にすでに、全人類は生まれつき平等であり、たがいに兄弟のように愛しあわねばならないと考えていたのである。


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ストア学派
ストアがくは

ギリシア・ローマ哲学史上,前3世紀から後2世紀にかけて強大な影響力をふるった一学派。その創始者はキプロスのゼノンである。彼はアカデメイアに学び,後にアゴラ(広場)に面した彩色柱廊(ストア・ポイキレ Stoa Poikil^)を本拠に学園を開いたのでこの名がある。
 ストア学派の思想によれば,あらゆる認識の基礎をなすのは感覚である。世界は感覚的認識の総体であり,それゆえ物質的存在である。しかしその中には物質に還元できない英知が宿っており,それが物質世界に一定の秩序を与えている。この事物を秩序立てる力を〈神的火〉,または〈運命〉と呼ぶ。人間は内在する英知を自覚することによって,世界という秩序(コスモス kosmos)を認識しなければならない。人生の目的は,この自然の秩序にのっとって生きることであり,それが最大の幸福をもたらす。それが道徳であり,義務であるとともに宇宙と一体化する修行法なのである。世界は巨大なポリスであり,人間は〈世界市民(コスモポリテス kosmopolit^s)〉として,この世俗においても一定の役割を果たさなければならない。宇宙秩序に対する透徹した観照から,情念や思惑にかき乱されない〈不動心(アパテイアapatheia)〉を養い,厳しい克己心と義務感を身につけてこの世を正しく理性的に生きること,これをストア学派的生活と呼ぶが,この事情は英語のストイック stoic,ストイシズム stoicism などの語に反映されている。
 ゼノンの高邁(こうまい)な生き方は,クレアンテス,クリュシッポスに受け継がれた。これを古ストア学派と呼び,論理学,自然学に多大の業績を挙げた。前2~前1世紀の中期ストア学派に属するパナイティオス,ポセイドニオスは道徳的,実践的局面を強調し,人事における神的英知の介入として〈摂理〉を説いた。新ストア学派にはセネカ,エピクテトス,マルクス・アウレリウスなどが属する。またパウロや初期キリスト教の教父,さらにはルネサンス期のリプシウス,F. ベーコン,T. モア,グロティウスなどに与えた影響も無視できない。
                        大沼 忠弘

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アモール・ファティ
アモール・ファティ

アモール・ファティ
amor fati

  

ラテン語で「運命の愛」の意。ニーチェの運命観を表わす用語。彼によれば,運命は必然的なものとして人間にかぶさってくるが,これに忍従するだけでは創造性がない。むしろ,この運命の必然性を肯定して自己のものとし,愛しうるとき,人間の本来的な創造性を発揮しうるという。





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A.キルケゴール
キルケゴール

キルケゴール
Kierkegaard,Sφren Aabye

[生] 1813.5.5. コペンハーゲン
[没] 1855.11.11. コペンハーゲン




デンマークの哲学者,神学者。現代実存哲学の創始者,プロテスタンティズムの革新的思想家として知られる。コペンハーゲン大学で神学を学んだ。父の死後 (1838) 本格的研究を決心,1840年 17歳のレギーネ・オルセンと婚約したが,翌年破棄した。 41年ベルリンで F.シェリングの講義を聞き,42年帰国,著作活動を始めた。哲学的にはヘーゲル,シェリングの観念論の批判から出発し,「単独者」「主体性」などの概念を中心にして実存論的思索を展開した。神学的には当時のデンマークの教会のあり方を攻撃し,教会的キリスト教の変革を説き,信仰と実存の問題を深く掘下げた。主著『あれか,これか』 Enten-Eller (43) ,『おそれとおののき』 Frgyt og Baeben (43) ,『反復』 Gjentagelsen (43) ,『不安の概念』 Begrebet Angest (44) ,『人生行路の諸段階』 Stadier paa Livets Vei (45) ,『死に至る病』 Sygdommen til Dφden (49) 。





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キルケゴール 1813‐55
Sがren Aabye Kierkegaard

デンマークの哲学者,宗教思想家。コペンハーゲンに生まれ,毛織物商の父の特異な教育下に想像力を養われて成長。母は父の先妻の死後に下女から後妻となった女性。1830年にコペンハーゲン大学神学部に入学,学生時代をロマン主義のもとに送り,ドン・フアンやファウストの伝説研究を試みたが,やがて時代精神にアハシュエロス(さまよえるユダヤ人)的な絶望の状況を認めるに至った。34年までに2人の兄と3人の姉と母とが相次いで死亡。次々と襲う家族の不幸に神の呪いを感じ,38年(一説に35年)にはそれを,先妻死亡以前に暴力的に母を犯した厳父の罪と結びつけて,みずから〈大地震〉と呼ぶ体験に吸収,以後,死の意識と憂愁の気分のとりこになる。40年には10歳年下のレギーネ・オルセン Regine Olsen と婚約したが,内的苦悩から翌年には婚約を一方的に破棄する。しかし彼女への愛は変わらず,この〈レギーネ体験〉を背景に,その愛の内面的反復の可能性を数々の作品に結実させることとなった。41年に論文《アイロニーの概念》を大学に提出してベルリンに旅立ち,シェリングの積極哲学の講義を聴く。
 43年以降は,学位論文で確認した〈ソクラテス的アイロニー〉のもつ否定的弁証法を著作活動に生かし,実名で刊行した多くの宗教講話に並べて,偽名で《あれか―これか》《反復》(以上1843),《哲学的断片》《不安の概念》(以上1844),《哲学的断片への後書》(1846),《死に至る病》(1849),《キリスト教における修練》(1850)などの文学的・哲学的・宗教的な著作を発表。大地震体験における罪の内面深化とレギーネ体験に基づく愛の内的反復とが,これらの作品を通して〈いかにして真のキリスト者になるか〉という課題に昇華され,当時のヘーゲル主義的思弁の哲学や神学に対して,主体的な実存の立場を打ち出すこととなった。その間,46年には風刺的大衆誌《コルサール(海賊)》の人身攻撃にあい,9ヵ月に及ぶ執拗な漫画入り河笑記事のために衆人の侮辱を浴びた。この〈コルサール事件〉の渦中で体験したものは,大衆に判定をゆだねる陰で責任の主体が失われてゆく時代の水平化現象であり,時代の客観性にあえて逆らう単独者の道こそが真理へ通じる方途であるとの確信であった。晩年には大衆化的世俗主義の水平化をルター派のデンマーク国教会の体質の中に見て取り,正統信仰の復興を目指して激しい〈教会攻撃〉に立ち上がった。時代の批判者たる例外者の意識を強めつつ,国教会の偽善を糾弾する小冊子《瞬間》(1855発刊)を9号まで続刊し,10号の原稿を残したまま路上にたおれ,病院に運ばれて没した。
 人間は生きる上での普遍的な基準をみずからの内に持っているわけではない,と考えるキルケゴールは,近代思想が人間の本質を理性に限定してそれを基準に真理を合理的客観性とみなしてきたことに反発し,理性に尽くされない自由な生き方に人間らしさを認めて,これを〈実存〉と呼ぶ。実存は無根拠の自由にさらされた〈不安〉や〈絶望〉を実相とし,そのもとで真実の生き方を主体的に作り出してゆくものである。〈主体性が真理である〉と言えるためには,衆にたのまぬ〈単独者〉として神の前に立ち,自己の無力と自己の責任とを正しく知ることが求められる。具体的には,時間を永遠者の介入する〈瞬間〉ととらえて,論理を越えた〈逆説〉の神に出会うことであり,神の愛の啓示であるイエスのできごととの〈同時性〉を,主体的内面的に〈反復〉していくことである。このキルケゴールの思想は,20世紀の激変する時代の中で注目され,哲学界ではニーチェとともに実存哲学の祖と称されるに至った。またバルト神学に受容されて弁証法神学に大きな影響を与えたほか,実存心理学や,リルケ,カフカ,カミュ,サルトル,椎名麟三などの実存主義文学にも吸収されている。⇒実存主義                 柏原 啓一

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キルケゴール,S.A.
I プロローグ

キルケゴール Soren Aabye Kierkegaard 1813~1855 デンマークの宗教思想家、哲学者。個人的実存を中心にすえたその思想は、現代の神学、哲学、とりわけ実存主義に多大な影響をあたえた。

II 生涯

キルケゴールは、1813年5月にコペンハーゲンに生まれた。父親は富裕な商人だったが、厳格なルター主義者で、その陰欝(いんうつ)な、罪悪感に支配された信仰心と活発な想像力はキルケゴールに強い影響をおよぼした。コペンハーゲン大学で神学と哲学をまなび、ヘーゲル哲学を知るが、強い反発をおぼえた。享楽的な学生生活をおくる時期もあったが、38年の父の死後、神学の勉強を再開した。

1840年、10歳年下のレギーネ・オルセンと婚約するが、自分の深く考えこむ性分は結婚と両立しないのではないかとなやみ、翌年唐突に婚約を破棄、この体験はその後の彼の思索にひじょうに大きな影響をあたえた。同じころ牧師になる気がないことに気づき、著作に専念するようになる。父の遺産のおかげで著述業だけでくらしてゆくことが可能であった。その後の14年間に20冊以上の著書をのこした。大量の執筆による過労や、彼に対する新聞の批判的記事にはじまる論争によるストレスは、徐々に彼の健康をむしばんでいった。55年10月に路上で卒倒し、翌11月にコペンハーゲンでなくなった。

III 哲学的な姿勢

キルケゴールは、その著作を意図的に非体系的にし、その多くは当初偽名で出版された。彼は自分の哲学をしめす言葉として実存をもちいたが、それは、哲学とはヘーゲルの考えるような一枚岩的な体系ではなく、どこまでも個人の生の考察の表現だと考えたからであった。ヘーゲルは、人間の生と歴史についての完全な合理的理解に達したと主張したが、キルケゴールは、最高の真理は主観的なものであるから、生の根本的な問題は合理的客観的な説明をこばむものであると主張した。

IV 生の選択

キルケゴールによれば、体系的哲学は、人間の実存についてのあやまった見方をおしつける。また生を論理的必然性の見地から説明するために、個人の選択や責任を排除する手段となる。彼の信じる個人とは、おのれの選択によってみずからの本性をつくりあげてゆくもので、この選択は普遍的客観的な基準によって決定することはできない。

最初の主要な著作「あれか?これか」(2巻。1843)の中で、キルケゴールは、個人が選択することになる実存の2つの段階、つまり美的段階と倫理的段階について記述している。感性的で美的な生き方とは純化された快楽主義であり、そこでは個人はいつも、退屈をさけてつねに多様性と目新しさをおいもとめるのだが、結局は退屈と絶望に直面せざるをえない。そこから倫理的な生き方がひらけてくる。

倫理的な生き方は、社会的宗教的義務への情熱的な献身をせまる。しかしキルケゴールは、「人生行路の諸段階」(1845)などののちの著作で、義務への無条件的な服従では個人の責任がうしなわれることに気づき、新たに3番目の段階として、宗教的段階を提起した。

宗教的段階において、人は神の意志に全面的にしたがうものとなり、それによってのみ真の自由がえられるのである。「おそれとおののき」(1843)の中で彼は、アブラハムに息子のイサクを犠牲にすることを命じる神の命令(創世記22章)をとりあげている。アブラハムは、神の命令の意図が理解できないが、断固としてそれにしたがおうとすることによって、信仰のあかしをたてている。最終的な絶望をとりのぞくためには、人は単独者として神の前にたち、アブラハムのような「信仰の跳躍」をおこない、宗教的生活へいたらねばならないと彼は考えた。

V その後の著作

キルケゴールは、ルター派のデンマーク国教会を現世的で堕落したものとみるようになった。「死に至る病」(1849)に代表される後期の著作は、キリスト教に対してつのる絶望の思いを反映し、苦悩こそ真の信仰の本質であると強調している。また現代ヨーロッパ社会をもはげしく攻撃し、「現代の批判」(1846)で、現代が情熱をうしない、すべてを量的価値ではかる時代であると非難している。

VI 影響

キルケゴールの影響は、最初スカンディナビアとドイツ語圏のヨーロッパに限定されていたが、プロテスタント神学やカフカなどの小説家に強い衝撃をあたえた。第1次世界大戦後に実存主義の思想がヨーロッパ全体をまきこむにつれ、彼の著作は各国で翻訳され、現代文化に大きな影響力をもつ人物とみなされるようになった。

→ アイロニー

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アイロニー
アイロニー

アイロニー
irony

  

反語。単語または文章において,表面の意味とは逆の意味が裏にこめられている用法。多くは嘲笑や軽蔑を表わす。ソクラテスが議論において意図的に無知を装ったのはその典型で,これを「ソクラテス的アイロニー」と呼ぶ。他方,語り手がみずからのおかれている状況を十分に認識していないために,その言葉に他人からみれば意図せざる意味が加わる場合,これを「悲劇的アイロニー」または「ソフォクレス的アイロニー」と呼び,悲劇的人物のせりふにしばしば認められる。





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アイロニー
irony

語源はギリシア語のエイロネイア eirヾneia で〈よそおわれた無知〉を意味する。イロニーともいう。(1)ソクラテスは無知をよそおう問答法で相手を真の知識に導いたといわれ,これを〈ソクラテスのアイロニー〉と呼ぶ。その後,修辞学でその積極的な活用法が論じられ,相手に強い印象を与えるための修辞法の一つに数えられた。(2)文学では,とくに作劇の一つの技法として注目され,〈劇的(ドラマティック)アイロニー〉〈悲劇的(トラジック)アイロニー〉などの術語がある。劇中人物が自己の置かれた劇的状況を理解しないままで台詞を語り,これを観客が聴いて真の状況とのギャップを印象づけられれば,その状況の劇的(悲劇的)性格は強烈に意識される。これが劇的アイロニーの効果である。《マクベス》のなかで,自分を殺す計画があることを知らぬダンカン王が,マクベスの居城や人柄をほめたたえるのは,このアイロニーの有名な例である。(3)〈ロマンティック・アイロニー〉はドイツ・ロマン派に始まる概念だが,その後一般化されて,イリュージョンの形成と自己破壊,それに伴う自己憐憫(れんびん)と自己河笑の交錯がもたらす文学的効果をさす。(4)しかし近年の文学理論でとくに重視されるのは,詩的言語の主要な特性としての〈アイロニー〉である。1930年代から50年代まで英米の批評界の主要な勢力であった〈ニュー・クリティック(新批評家)〉たちによって強調され,しばしば〈パラドックス(逆説)〉と近いものとみなされた。すなわち詩的言語は人間的真実の複雑で多義的な状態を,そのまま把握し表現しうる屈折した言語であり,そこには表層と深層のギャップがある。これが〈アイロニー〉であるとされた。このとらえ方は文学の本質を言語レベルで定義せんと試み,〈異化〉された言語を詩的言語とみなした〈ロシア・フォルマリズム〉の文学理論の系統に属するものといえよう。          川崎 寿彦

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アイロニー
I プロローグ

アイロニー Irony 「皮肉」と訳されるアイロニーは、ギリシャ語の「エイロネイア」(eironeia。偽装、そらとぼけ)に由来する。ドイツ語ではイロニーといい、哲学者にはこちらをつかう人もいる。

一般にアイロニーは、次のような要素からなる複雑なレトリックである。第1に、一つの言葉に2つの意味がこめられている。第2に、話し手は言葉の表面上の直接的意味とは裏腹に、その正反対の意味をかたろうとしている。第3に、聞き手にその言葉の真意(正反対の意味)がつたわり、聞き手が裏の意味を理解できるようでなければならない。この第3の条件は重要である。この条件が欠けると、話し手は聞き手にただ嘘(うそ)をついていることになるからだ。

つまりアイロニーは、あくまでも相手に何かをつたえることを目標とする。ただし、そのコミュニケーションの手段が直接的なものではなく、間接的な伝達なのである。

II ソクラテスがもちいたエイロネイア

エイロネイアを駆使して哲学を展開したのは、ギリシャ時代のソクラテスである。ソクラテスは対話で哲学を実践したが、その際彼は「自分は知らない」という態度で無知をよそおった。あるテーマについて知っていると自称する対話の相手に、ソクラテスは、「私は知らないのだから教えてください」といって、質問した。相手から答えがかえってくると、その答えについてさらに質問をあびせかけた。どこまでもソクラテスは質問をしつづけ、相手は答えつづけることになるが、しまいには相手の主張の中に矛盾点や問題点がみえてくる。これによって相手は、自分もじつは無知だったことが判明する。

「問答法」といわれるこのやりとりにおいて、ソクラテスは自分の意見をいっさいいわないで相手の意見を吟味する。だからこの議論で絶対にまけることはない。相手のほうが無知をさらけだして恥をかくだけである。こうしたやり方はいかにも卑怯(ひきょう)な論法のようにみえる。しかし、ソクラテスのエイロネイアの根底には、相手がもっているあやふやな知識をとりのぞき、いっしょになって真の知識を追求しようという情熱があった。

もし教育的・研究的情熱をともなわなければ、アイロニーはただの無礼な態度、鼻持ちならない気取りになるだろう。こうした事態を考慮してドイツの哲学者ニーチェは、「皮肉(イロニー)は弟子との交渉に際しての、教師の側からの教育手段としてもちいられてのみ、しかるべきものである」とのべている。

III ロマン主義における技法

かたられている言葉とはちがうところに真意があることをあからさまにみせるという意味では、近代の「ロマン主義的アイロニー」も同じ技法である。これは、物語作家が突然物語の中にわりこんできて、その物語が虚構であることを読者に暴露する幻想破壊の皮肉である。芸術家はこのアイロニーによって、自分が作品に拘束されない自由な創造者であることをしめす。19世紀のロマン主義哲学者たちは、ここに、有限な作品(被造世界)にしばられない世界精神(神)の無限な働きをみた。表現や対話の方法だったアイロニーは、こうして世界観にまで拡張されたのである。

なお、デンマークの哲学者キルケゴールは倫理的・宗教的立場から、ロマン主義的アイロニーを、「虚無とどこまでもたわむれる美的態度にすぎない」と批判している。

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『ツァラトゥストラはかく語りき』
ツァラトゥストラはかく語りき

ツァラトゥストラはかくかたりき
Also sprach Zarathustra

  

ドイツの哲学者フリードリヒ・ニーチェの4部からなる哲学的散文詩。 1883~85年成立。『万人に与える書,なんぴとにも与えぬ書』という副題をもつこの書は,キリスト教の聖書に対抗して書かれたものといわれ,ニーチェの思想が象徴的な美しく力強い詩文で語られている。





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ツァラトゥストラ
Zarathustra

ドイツの哲学者ニーチェの主著《ツァラトゥストラはこう言った Also sprach Zarathustra》(1883‐85)の略称。全4部から成る。主人公ツァラトゥストラの名称は,古代ペルシアのゾロアスター教の予言者ゾロアスターのドイツ語での慣用発音である。こうした東洋風の名が採られたのは,プラトン主義やキリスト教というヨーロッパ的理想主義――それは潜在的には〈無の上に立てられており〉,ニヒリズムと等価である――を批判するニーチェの脱ヨーロッパ志向に基づいている。描かれているのは,人間の超人への変貌を希求するツァラトゥストラの種々の説教,さまざまな経験を経たのちの永劫回帰の思想の覚知,その思想に耐えられる存在への自己変革の過程である。説教は〈世界の背後を説く者〉〈聖職者たち〉〈学者〉等々と題され,主としてキリスト教的道徳および,ニーチェによればその末裔である近代の科学的思考や民主主義等が手厳しく批判されている。その文体は多くの点で新約聖書におけるイエス・キリストの説教への揶揄(やゆ)となっている。そして永劫回帰の思想は単なる客観的認識ではなく,それを説きうる存在への自己変革こそ重要であるため,それへの熟成の過程が,ときには無気味な幻影やなぞによって,ときには海原を前にしての自然経験を通じて描かれる。その散文の美しさは,全編の背景をなす地中海的風景とあいまって,他に類を見ない。だが,この作品はニーチェの晩年まではほとんど顧みられず(当時ドイツにいた敏感な森宝外も気がつかなかった),特に第4部などは自費出版でわずか45部印刷されたのみであったが,1890年代の半ば以降にドイツの文学・思想界に爆発的な影響を与え,20世紀思想の先駆的作品となった。なお,本書の邦訳は生田長江訳《ツァラトゥストラ》(1911)が最初で,その後も登張竹風訳《如是経》(1921)など多くの翻訳が出,邦題も《ツァラトゥストラかく語りき》ほかさまざまである。   三島 憲一

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『権力への意志』
権力への意志

けんりょくへのいし
Der Wille zur Macht: Versuch einer Umwertung aller Werte

  

ドイツの哲学者フリードリヒ・ニーチェの遺稿断片のなかから実妹エリーザベトが"Studien und Fragmente"の副題のもとに選択編集したもの。初め彼女の3巻の伝記の一部として出版。のち 1901年1巻にまとめられ,さらに 06年大改訂が施されて2巻本として現在の表題で刊行。個々の思想はニーチェのものであるが,全体としては編集者の解釈が入り,「主著」といえるか疑問視されている。従来の思想,特にパウロ的キリスト教を,この世での弱さを来世での完成の問題にすりかえるとして批判し,さまざまな可能性を秘めた人間の内的,活動的生命力を根底とする高貴な新人間像の形成を説いている。





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『善悪の彼岸』
善悪の彼岸

ぜんあくのひがん
Jenseits von Gut und Bse

  

ニーチェの用語,あるいは『道徳の系譜』 (1887) と姉妹編をなす書物の題名 (86) 。ニーチェは奴隷道徳とみなされる伝統的道徳 (ことにキリスト教道徳) の善悪の規準を否定し,従来の一切の価値の価値転換を通して,古典的なギリシア人のうちにみられるような,善悪の観念をこえた無垢 Unschuldの人間像を追求し,力強い生の肯定と結びつく道徳を樹立しようとした。





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弥縫策としての心理学(その09) [哲学・心理学]

教育心理学
教育心理学

きょういくしんりがく
educational psychology

  

教育過程に関する心理学の一部門。教育心理学を一般心理学の教育への単なる応用とする立場と,単なる応用学ではなく教育という現実のなかで心理学的に問題を求めその独自の方法を追究し,たえず自己評価していく独立の体系であるとする立場とがある。その内容はきわめて広範であり,成長と発達,学習,カリキュラム,人格と適応,測定と評価をはじめ,学級,教師と児童との関係などの人間関係をも取扱い,さらにカウンセリングやガイダンスなどを含む診断と治療の面にまで及んでいる。





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教育心理学
きょういくしんりがく

教育に関する諸事実とそれらを規定している法則を心理学的に研究し,教育実践をはじめとする教育的諸活動とその条件の改善に役立つ知見や技術を整えていく学問。ただし教育心理学の定義はいまだ確定的でなく,人によって相当にニュアンスの異なる定義がなされる。研究内容としては,成長と発達,学習と学習指導,人格と適応,測定と評価を四大領域としてあげるのがもっとも一般的である。しかしこれも教育心理学の定義の仕方によって重点のおきかたにちがいがある。たとえば,その内容のほとんどすべてを学習と学習指導でみたした教育心理学の成書があるのはその一つのあらわれである。
[学問の位置]  教育心理学は,一般心理学を教育に応用する応用心理学の一つであるか,独自の理論と方法をもつ独立科学であるかをめぐって,これまで種々の議論がなされてきている。教育心理学はその初期において,一般心理学の成果のうち教育に関係するものを抽出して構成されたという面があり,前者のほうが歴史的に古くから存在する。これに対して後者は,教育心理学をその実践性と科学性を高めつつ発展させようとする努力の歴史のいわば必然的結果としてしだいに浮上し,形をなしてきたといえる。今後独立科学としての理論と方法はさらに洗練されていくと思われるが,一般心理学の成果の中には,これを創造的に適用するならば人間の諸能力と人格の形成という教育の営みの発展に寄与しうるものが多面的に含まれているので,これを適切に摂取することも不可欠である。
[歴史]  最初に教育心理学の成立の可能性と必要性を暗示したのはドイツの哲学者J. F. ヘルバルトであるといえよう。彼は J. H. ペスタロッチの影響下で《一般教育学》(1806)を著すなどして教育学の体系化を試み,教育の目的は倫理学に,教育の方法は心理学にそれぞれ求めるという考え方を示した。ヘルバルトの時代は近代科学としての心理学自体が未成立だったから,その内容は観念的なものにとどまった。その後世界最初の心理学実験室をつくった W. M. ブントに実験心理学を学んだドイツのモイマン ErnstMeumann が実験心理学と教育との結合をめざして実験教育学を提唱,《実験教育学入門講義》(1907‐14)を著すにいたって,教育心理学はその基礎を固めたといえる。この著書には児童の心身の発達をはじめ,個人差と知能検査,各教科における精神作業の分析などがとりあげられており,先にふれた四大領域にいずれ整理されていくような内容がすでにほぼ網羅されていた。他方アメリカでは,モイマンと同様ブントの教えを受けた G.S. ホールが児童の精神内容に関する研究成果を発表していわゆる児童研究運動 child studymovement を推進し,またキャッテル JamesMcKeen Cattell が《メンタルテストと測定》を著して教育測定運動の基礎をすえた。そして20世紀に入り,これらを背景として E. L. ソーンダイクが教育心理学の体系化をはかった。彼は真の教育科学は帰納的でなければならないと主張し,とくに教育測定の方法や学習心理学の建設に努力しつつ《教育心理学》3巻(1913‐14)の大著をまとめたのであった。本書は長い間アメリカの教育心理学の基本テキストとされた。フランスでは A. ビネが,19世紀末から20世紀初めにかけて知能検査の創案に結実するような心理学研究を旺盛に展開して教育心理学の成立に寄与し,ソビエトではL. S. ビゴツキーが唯物論の立場に立つ教育心理学の成立と発展に貢献した。全体としてみると,教育心理学は児童心理学,発達心理学,学習心理学などと深くかかわりをもちながら初期の発展をとげた。のちには精神分析学や精神病理学などの成果も導入しながら徐々にその独自の体系を築くにいたる。日本における教育心理学は明治中ごろからドイツ,アメリカなどの成果の翻訳ないし紹介の形をとって始められ,第2次大戦後はアメリカの教育心理学の影響を強く受けながら発展してきている。
[研究領域]  一貫して重視されてきたのが,(1)教育の対象である子ども・青年の成長・発達(精神発達)の問題である。成長・発達の過程と段階の心理学的特徴を明らかにすることは,次に述べる学習の指導をはじめ教育活動にとって必須だからである。(2)学校教育においては学習の指導がなんといっても中心的な実験課題であり,学習とその指導の過程を心理学的に研究し,教材,学習者,教授者,学習指導の方法および効果などの各要素の分析とそれらの相互作用についての研究が求められる。ソーンダイク以来のアメリカの教育心理学はこの領域に重点をおく伝統があるが,ソビエトの場合,これを重視するとともに,〈教授=学習のもとでの発達〉というように二つの領域をほとんどつねに統一的に扱おうとするところに特徴がある。(3)教育は子ども・青年の発達を考慮し,適正な学習指導を行って究極的には人間性の豊かな発達をめざすものであるから,教育心理学が人格・パーソナリティの研究を位置づけてきたのも当然である。とくに近年では不適応の現象が多面的にみられることに刺激され,たんにパーソナリティの基礎研究だけでなく,精神の歪みや逸脱に対して臨床心理学的に迫る試みが増えている。(4)測定・評価の研究は,心理学的・数量的測定から教育的価値の判断を含む評価へという歴史的発展をとげながら,教育心理学独自のものとして進められてきた(教育評価)。この領域は上記の三つの領域の全体にかかわり,知能・パーソナリティまたその発達,学習および他の場面で示される行動の測定と評価の方法・技術が研究される領域である。テストの開発と適用など教育心理学の中ではもっとも技術化が進んでいる領域である。教育心理学ではこれら4領域とならんで,集団の社会心理学的研究,学業不振児,種々の障害児の心理と教育なども扱う。
[研究方法]  一般心理学で用いられる諸方法の多くが教育心理学でも採用されている。すなわち実験法,観察法,質問紙法・面接法などの調査法,因子分析をはじめとするさまざまな統計技法などである。子どもの概念形成を実験的に研究するなどは実験法に属する。また子どもの発達過程とその法則の研究では観察法がよく用いられる。自然な生活場面での行動観察(自然観察),一定の条件を統制した場面での行動観察や特定の働きかけをした場合の行動の観察(組織的ないし実験的観察)などである。ただし,一般心理学における動物実験のように意図的に飢餓状態をつくりだしてこれとの関連で生ずる欲求や行動の変化を研究するなどは,当然のことながら避けられる一方,子どもの学力を高めると仮説されるいくつかの教授法を適用し,その効果を比較する実験教育(教育実験)法のように,教育心理学でとくに重視される方法もある。
[課題]  日本の教育心理学の歴史は外国の諸理論の導入にはじまり,その後も諸外国の動向の強い影響下で発展をとげてきた。そしてたいていの場合,そうした研究の成果を教育の場に適用するという方法をとってきた。ところが,もともと教育の過程は複雑な要因のからみあったダイナミックなものであるうえに,日本において独自に検討され蓄積されてきたすぐれた実践の内容・方法があるために,教育心理学の成果の適用はしばしば不成功に終わってきた。日本の教育心理学界で〈教育心理学の不毛性〉が教育心理学者自身によって論議されたことがあるのは,故なきことではないのである。今後期待されることは,日本の教育の現実とくに教育実践の事実に教育心理学者がもっと目を向け,事実に即して帰納的に研究を進められるよう実践者との協力共同を強化するなどして成果をあげていくことである。   茂木 俊彦

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教育心理学
I プロローグ

教育心理学 きょういくしんりがく 人間が環境と関わる中で、どのようにまなび、そだっていくのかということに関する理論と、その人間の成長や発達をささえ、うながすような条件や方法について、心理学的手法によって明らかにする学問。→ 心理学:発達心理学

II 学習意欲

「学習意欲」を例に考えると、(1)どのような教え方をすると子供の学習意欲がおこるか、(2)そもそも学習意欲とはどういうもので、どのような心理的な仕組みや働きをもつものか、(3)人の成長や発達という観点から考えたとき、どのような学習意欲をそだてることが必要か、というようなテーマについて、教育心理学では、理論的側面と実践的側面の2側面から研究をすすめる。

1 理論的アプローチ

理論的側面とは、人と環境がかかわるという観点から、人がまなび、そだっていくという姿を説明することである。とくに、環境側のどのような働きかけが、個人の学習や発達にどのような変容をもたらすのかという、環境の在り方と人間形成との間の有機的な関連を明らかにすることである。

2 実践的アプローチ

いっぽう、実践的側面とは、人がよりよくまなび、そだつには、どのような教育の在り方をもとめたらよいかといった教育実践的な問いに対して、具体的な問題解決にむけての視点を提供するような知識や技術を体系化することである。

以上の理論的側面と実践的側面は、別個のものとしてそれぞれ独立しているのではない。たとえば、理論的側面は実践的側面に根拠をあたえ、実践的側面は理論的側面に新たな問題を提起するというように両者は不可分の関係にある。

III 学習の連合説

歴史的には、アメリカのエドワード・ソーンダイクが教育心理学の創始者であると一般に位置づけられている。彼は、学習の連合説をとなえ、知能や能力の測定、学習の転移などの研究をおこなったが、とくに教育に対して適切性をもっていると考えられる心理学的な知見について、「教育心理学」と題して出版した。

このように教育心理学は一般心理学の知見を教育の領域に適用する応用心理学の1つとして位置づけられることが多かった。しかし、近年では、教育心理学には人間形成という独自の研究領域が存在していることから、むしろほかの心理学の分野から独立した学問領域としてみなされることが主流になった。

IV 教育心理学の領域

従来、「発達」(児童や青年の心理、生涯発達など)、「教授・学習」(授業、動機づけなど)、「人格・適応」(性格、道徳性など)、「測定・評価」(教育評価、テストなど)の4つが教育心理学のおもな研究領域とされてきたが、近年では「集団・人間関係」(学級集団、教師・生徒関係など)や「臨床・障害」(教育相談、障害児心理など)などの研究領域も重要視されている。教育心理学のテーマは、このような領域のどれか1つに属するというよりも、複数の領域にまたがって存在することも多い。また、学校教育のみならず、家庭教育や社会教育をも対象領域としている。


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K.コフカ
コフカ

コフカ
Koffka,Kurt

[生] 1886.3.18. ベルリン
[没] 1941.11.22. マサチューセッツ,ノーサンプトン


ドイツの心理学者。ギーセン大学私講師を経て,ユダヤ系のためナチスの迫害を受け渡米 (1924) ,コーネル,ウィスコンシン両大学の客員教授を経て,スミス・カレッジ教授。ゲシュタルト心理学の創始者の一人。視知覚に関する多くの重要な業績を残し,特にアメリカの心理学者に対するゲシュタルト理論の紹介に貢献。主著『児童の心的発達の基礎』 Die Grundlagen der psychischen Entwicklung des Kindes (21) ,『ゲシュタルト心理学原理』 Principles of Gestalt Psychology (36) 。





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コフカ 1886‐1941
Kurt Koffka

ドイツの心理学者で,ゲシュタルト心理学の創始者の一人。1908年ベルリン大学で学位を得,10年フランクフルト大学シューマン研究室の助手となり,同じく助手であった W. ケーラーと知り合い,一緒にウェルトハイマーの知覚実験の被験者となった。以後,3人でゲシュタルト心理学の確立と普及に努めた。コフカは知覚のみならず,学習や記憶,発達,社会心理など心理学のほとんどすべての研究領域にわたってゲシュタルト心理学の立場から考察を試み,ゲシュタルト理論の体系化を行った理論家でもあった。その成果は《ゲシュタルト心理学原理》(1935)として発表されている。24年以降,アメリカに移住した。       小川 俊樹

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コフカ,K.
コフカ Kurt Koffka 1886~1941 ドイツの心理学者。ベルリン大学でカール・シュトゥンプの指導をうけていたが、1910年、ケーラーとともにフランクフルトのウェルトハイマーをたずね、そこでウェルトハイマーの被験者になってゲシュタルト心理学の創始者のひとりにかぞえられるにいたる。18年よりギーセン大学教授。21年よりウェルトハイマー、ケーラーらと「心理学研究」誌を発行し、ベルリン・ゲシュタルト学派の一員として視知覚に関する論文を多数発表した。

1924年にティチェナーの招きでコーネル大学をおとずれ、それを機に他のゲシュタルト学派の人たちに先んじて28年にアメリカのスミス・カレッジにうつった。35年にはゲシュタルト心理学の立場から心理学全体を通覧した大著「ゲシュタルト心理学の原理」をあらわすいっぽう、ウェルトハイマー、ケーラーら多数の亡命移住者の便宜をはかったといわれる。

彼はその主著の中で、ゲシュタルト心理学は「直接経験のできるかぎり素朴で純粋な記述」をめざす学問であるとのべ、「環境の場」を地理的環境と行動的環境とに二分して、後者の厳密な記述こそ心理学の目的であるとしている。

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ファイ現象
ファイ現象

ファイげんしょう
phi phenomenon

  

仮現運動,特にベータ (β) 運動において,刺激の強さや提示時間,空間距離,刺激の休止時間などを適切にとったときに現れる鮮かな運動印象のことで,最適運動とも呼ばれる。





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プレグナンツの法則
プレグナンツの法則

プレグナンツのほうそく
Gesetz der Prgnanz

  

事物や図形を知覚したり,記憶したりする際に,それらが,そのときの条件の許すかぎり,簡潔化された規則的な形態ないし構造をもつものとして把握される傾向があることをさす。 M.ウェルトハイマーによって提出された一般的原理で,簡潔化の法則とも呼ばれる。ゲシュタルト要因はこの法則の具体的な現れとみなすことができる。





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ゲシュタルト要因
ゲシュタルト要因

ゲシュタルトよういん
Gestalt factors

  

心理学用語。ゲシュタルト (形態) をつくる要因ないし群化をいう。まとまりまたは全体の知覚体験を生じさせる条件のこと。多数の刺激が与えられている場合,われわれの体験する知覚内容は,一般にそれら刺激にひとつひとつ対応した個々ばらばらなものではなく,相互に関連をもち,互いに分離しながらもなんらかのまとまりをもつ。このような知覚経験の分離 (分節) とまとまり (群化) を規定する要因のこと。ゲシュタルト心理学の創始者の一人,M.ウェルトハイマーにより,点,線などの簡単な図形を用い,おもに視知覚の領域で確定された。 (1) 近接の要因 (他の条件が一定ならば近い距離のものがまとまって見える──I) ,(2) 類同の要因 (他の条件が一定ならば類似のものがまとまって見える──II) ,(3) 閉合の要因 (互いに閉じ合うものはまとまる傾向がある──III。 ac:bd より ab:cd にまとりまやすい) ,(4) よい連続の要因 (よりなめらかな経過を示すものがまとまりやすい──IV。 ab:cd より ad:bc にまとまりやすい) ,(5) よい形の要因 (単純,規則的,対称的な形になるようにまとまる傾向がある──V。3つの閉じられた部分としてより円と正方形が重なったものとして見る) のほか,共通運命の要因,客観的調整の要因,経験の要因などがあげられている。






R.アルンハイム
アルンハイム

アルンハイム
Arnheim,Rudolf

[生] 1904

  

ドイツ生れのアメリカの芸術心理学者。第2次世界大戦の頃に渡米し,ハーバード大学教授となる。ゲシュタルト理論を芸術,特に映画,絵画などの視覚的芸術における知覚構造の分析に応用した。主著『美術と視覚』 (1954) 。


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生活空間
生活空間

せいかつくうかん
life space

  

K.レビンがその心理学の理論のなかで提出した概念。ある時点において生体の行動を規定する事実の総体およびそれに対応して生体の内部に成立した世界をいう。これは大きく人と環境の領域に分れ,さらにそれらが個々の細かい領域に分化する。生体の行動は,その間の力学的な関係によって形づくられた心理学的場によって規定されるとする。





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緊張大系
緊張体系

きんちょうたいけい
Spannungssystem

  

緊張とともに K.レビンの心理学において用いられた基本概念の一つ。人の内部には種々の要求に対応した領域が存在し,特定の要求の発生に応じて当該領域は緊張状態を示すが,その緊張状態は他の領域のそれと比較的独立に,なんらかのまとまりをもって変化,推移する。このような人の内的領域の示す状態を緊張体系と呼ぶ。





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潜在学習
潜在学習

せんざいがくしゅう
latent learning

  

実際に目に見える行動としては,直接その実効が現れない形でなされる学習のこと。たとえばネズミに報酬としての餌なしに,何日間か迷路を探索させたあと,目標箱に餌を置くと,それ以前にはほとんどみられなかった行動の改善が急速に生じる。この場合,報酬なしの期間にも学習がなされたとみなし,潜在学習と呼ぶ。




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潜在学習
I プロローグ

潜在学習 せんざいがくしゅう Latent Learning 行動主義の枠組みのもとでは、学習には強化が必要である(または被験体の動因が解除ないし低減される必要がある)と考えられ、強化される反応を実際に遂行することが、学習成立にかかせないと考えられていた。

たとえば、ネズミにT迷路をはしらせ、右側のコーナーにいって餌(えさ)をえることを学習させようとするとき、ネズミに実際に右側のコーナーにいかせてそこで餌をえさせる遂行行動が、その学習にかかせないと考えられていたわけである。これに対して、実際の遂行(顕在的な目標反応)がみられないにもかかわらず、目標反応が学習される場合があることが指摘され、これが潜在学習とよばれた。

II 潜在学習の諸説

この潜在学習の存在をめぐる議論は、学習の事態においていったいなにが学習されるのかという問いがたてられたことに起因し、それはまた学習をどのようなものと考えるかの原理的な理論の対立にも起因していた。厳密な行動主義では学習は刺激と反応の連合であり、学習されるのは反応(行動の型)である。これに対してトールマンは、学習とはあるサインがあるときに、これこれの行動ルートをとれば目標に到達するという予期が成立することであると考える。つまり、学習されるのは反応そのものではなく、反応についての情報(知識)である。たとえば、ネズミがレバー(刺激)をおす(反応)とき、強化説や動因解除説では、そのおすという反応が学習されるのだという。これに対してトールマンらの新行動主義理論では、「レバー(刺激)をおす(反応)と、餌がでること(情報)が期待される」ということが学習されるのだという。

III 認知地図の実験

トールマンらは、強化説や動因解除説への反論となる次のような事実を指摘する。ネズミを後戻りできない複雑な迷路にいれ、1日1試行だけ迷路をはしらせる。統制群には目標に到達すると餌をあたえる。実験群には目標に達しても餌をあたえないまま、10日間この1日1試行の実験を継続する。統制群の成績は徐々にあがる。実験群も統制群ほどではないが成績が向上し、しかも11日目に餌を導入すると、翌日にはめざましい成績の向上がみられた。これは実験群のネズミが餌なしの条件下でも迷路内を探索し、迷路に関する情報(認知地図)を形成していると考えれば説明がつく。

このような認知地図の形成に関しては、次のようなおどろくべき実験結果もある。今、腕が8本でた放射状迷路の中心にネズミをおき、それぞれの腕の先端部分に餌を1個おいて8個すべてを食べるまでを1試行とする。ネズミにとってもっとも効率的な行動は、餌のある腕に1回はいって餌を食べれば、もうその腕にはいかないという方略、つまり、8回腕をはしって8個の餌を食べることである。この効率的な行動を、ネズミはなんとわずか数試行でマスターするのである。このような行動ができるためには、ネズミは認知地図を形成するとともに、どの腕をはしったかを記憶している必要があるが、どうやらネズミにはその能力があるらしい。

IV 予期説の今日的意義

トールマンの予期説は、当時の厳格な行動主義の流れの中ではじゅうぶんな評価をうけずにきた。「潜在学習」という言葉自体、学習は顕在的な遂行行動であるという前提にたつものであり、厳格な行動主義の立場では、生活体の内部の認知過程を問題にしようとしなかったからでもある。しかし、学習が「反応についての情報をえること」であったり、「目標に到達する行動ルートを発見すること」であるなら、それはかならずしも顕在的な遂行行動である必要はなく、むしろ「認知」や「思考」などと同じで生活体の内部過程でおこっている可能性がじゅうぶんにある。しかし当時の研究者の多くは、この潜在学習の存在をみとめながらも、それをトールマンの予期説で説明することには反対し、餌以外のなんらかの報酬があたえられている(迷路からだしてもらうなど)とか、においをかぐ、移動するという要素的行動が強化になるなど、すべて強化や動因低減とむすびつけて説明しようとしていた。

今日の認知心理学的研究によれば、ネズミの「認知地図」をあらわしていると考えられる神経細胞が、脳の海馬領域にみいだされるなど、むしろトールマンの考えを支持する事実が多数えられている。当時、潜在学習という概念の中で考えられていたことが今日の認知の問題に対応するわけで、刺激と反応を生活体が媒介しているというトールマンのモデル自体、今日の認知モデルの前駆形態だったといえるかもしれない。

→ 過剰学習:学習の転移


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行動
行動

こうどう
behaviour

  

人間や動物が内的外的刺激に対して示す反応の総称。行動は観察座標や測定尺度の取り方いかんによって,たとえば生体内の化学物質の変化や筋反射としてとらえることもできるし,また生体の示す全体的な,あるいは目的的反応としてとらえることもできる。前者を分子的,微視的行動,後者を全体的,巨視的行動というが,この区別はもとより相対的なものにすぎない。行動を対象とする最近の心理学では,取扱われる行動は必ずしも外部から観察可能な身体的行動にのみ限られず,思考や認知の過程などにおける精神的行動をも含む。





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行動
こうどう behavior

一般的な言葉であるが,ここでは動物行動学上の用語として説明する。動物の個体が表す動きaction や反応 reaction のうち,生活上の意味(機能)をもつものをいう。必ずしも体の移動locomotion や運動 movement を伴う必要はなく,じっと動かないで隠れているような場合や,体の一部だけの動きでも,それが生活上の意味をもてば行動と呼ぶことができる。
【行動のメカニズム】
 動物はきわめて多様な行動のレパートリーをもっているが,特定の状況で必要な行動がまちがいなくとられなければ生きていくことはできない。それを可能にするのは次のようなメカニズムであると考えられている。まず動物の内部で特定の行動に対する衝動 drive または動機づけ motivationが高まる。そういう状態において適切な信号を伝えるリリーサー(解発因)に出会うと,生得的解発機構を介してその行動が解発されるというわけである。したがって,内的状態と外的条件が二つながらそろって,初めて適切な行動が解発されることになる。一般に内的な動機づけが高まってくると(あるいは高まっているにもかかわらずリリーサーが見当たらないと),動物は積極的にリリーサーを探し求める。例えば性衝動の高まった雄が雌を探し求めてあちこち動き回るといったもので,こういう行動は欲求行動 appetitive behavior と呼ばれる。うまく目標が達成された場合には欲求は消滅するが,いつまでもリリーサーに出会えないと,しだいに解発の閾値(いきち)が低下し,誤った刺激で解発されたり,ついにはまったく対象なしに行動が出現することになる(真空行動)。
 一方,一つのリリーサーが動物の相反する動機づけ(例えば攻撃と逃走)を刺激する場合には損藤(かつとう)行動 conflict behavior が現れる。トゲウオのジグザグ・ダンスはその好例で,攻撃と逃走が交互に解発されることによって生じるものである。相対立する衝動の拮抗の結果,別の対象に行動を向ける転嫁行動 redirected behavior(例えば上位の個体に攻撃された個体が下位の個体に攻撃を向ける場合)やまったく別種の行動が現れる転位行動 displacement behavior(例えば闘争の最中に突然品を食べはじめるような場合)も損藤行動に含まれる。
【行動における学習の役割】
 リリーサーと生得的解発機構はそれぞれの動物の種によって遺伝的にきまっており,それによって現れる行動を生得的行動 innate behavior と呼ぶ(従来これは本能行動 instinctive behavior と呼ばれたものであるが,本能という概念のあいまいさゆえに今日では用いられなくなった)。これに対して経験や学習によって形づくられる行動も確かにあり,それらを学習行動または習得行動learned behavior と呼ぶ。古くから行動が生得性によるのか学習によるのかという議論があるが,この問題に対する答えは単純ではない。一般にある生物学的な意味をもつ行動パターンは単一の行動から成りたつものではなく,いくつかの行動成分の連鎖からなる(反射や走性,定位といったものも,その成分の一つである)。例えば,ネコがネズミを捕らえる行動を考えてみると,少なくとも身構える,跳びつく,殺す,食べるという四つの行動成分があり,それぞれに特異的な動機づけが存在する。つまり,ネコの内的状態に応じて,殺すが食べない,跳びつくが殺さない,身構えるが跳びつかないということがありうるのである。したがって,もちろん単一の狩猟本能などというものがないことは明らかであるが,しかし何を獲物とすべきかという点について見れば,親から学習しなければならない。また鳥の〈刷込み〉という現象では,刷り込まれる対象についていえば学習的といえるが,それが起こりうるのは遺伝的に決まった特定の時期だけであり,刷り込まれた対象に向ける行動パターンも遺伝的に決まっている。したがって,ある行動パターンが全体として学習的であるとか生得的であるとかいう議論は無意味であり,むしろその行動パターンがどういう成分からなり,それぞれの成分にどういう動機づけがあり,そのどの部分で学習が作用するかを明らかにするほうが重要である。
【行動の分類】
 動物の行動はその機能によってさまざまに分類される。以下に代表的なものについて論じる。
[配偶行動 mating behavior]  性行動,繁殖行動ともいう。雌雄が出会ってから交尾に至るまで,生殖にかかわるすべての行動が含まれる。配偶行動の発現はおもにホルモンによって制御される。だいたいその動物の繁殖シーズンに合わせて行動が活発になる。多くの動物の出産が春から初夏にかけて行われるが,このような場合,冬の終りごろから生殖腺が大きくなり,雌雄の性ホルモンの活性が高まって,これが個体の内的な衝動を高め相手を求める欲求行動を導く。例えば,日長が長くなり温度が高くなってくるとカナリアの雄の性的衝動が高まり,さかんにさえずるようになる。これは雄性ホルモン(アンドロゲン)の影響である。さえずりは雌のエストロゲンの生産を促し,巣造りを始め,体内では卵が発達しやがて交尾に至る。ほとんどの動物は,年周期的に配偶行動が発現するが,年1回の場合と2回以上の場合がある。
 雌雄の出会いから交尾に至るまでの過程をスムースに行わしめるのが求愛行動 courtshipbehavior である。まず体色の変化(婚姻色),種に固有の発声,発光パターン,フェロモン,あるいは独特の行動によって,雌雄が引き寄せられる。いったん雌雄が出会うと,次には両者が相手を見て攻撃したり逃走するのを抑える行動が現れる。これは一般に攻撃的な部分を隠したり,相手をなだめるための儀式化した身ぶり,すなわちディスプレーによって果たされる。なだめの行動として広くみられるものに求愛給品 courtship feeding がある。これは雄が雌に食物(儀式化して単なる形式になっている場合も多い)を与えるもので,アジサシなどの鳥類,オドリバエなどの昆虫にその典型的な例がみられる。
[育児行動 paternal care]  子を産んでから,子が独立して生活できるようになるまでに親が示す行動のすべてをいい,鳥類の抱卵,抱雛(ほうすう)なども含まれる。当然のことながら,未熟な状態で子を産み落とす種ほど,育児行動はよく発達している。トゲウオの雄は巣の近くで卵を守り,稚魚の防衛をし,ティラピアなどのマウスブリーダーと呼ばれる魚は,母魚が口内で卵を孵化(ふか)し,稚魚は危険を感ずると母魚の口内に隠れる。留巣性(晩成性)の鳥の雛は巣の中で親鳥の給品を待つが,親が品を運んでくると,口を大きく開き,鳴声をあげて給品しやすい信号を送る。イスカの雛の口の内側には青藍色に光る突起が4ヵ所にあり,これが親の給品行動のリリーサーとなる。ライオンやキツネは単に哺乳して子を育てるだけでなく,一定期間ともに生活して獲物を狩ることなどを教える。また,胎児が早く産まれる有袋類は育児臥を有し,この中に胎児を入れて育てる。
[防衛行動 deffensive behavior]  動物が自分たちを害すると思われる相手に対して示すすべての行動を含む。カメが甲の中に体を引っこめるのも,ハリネズミが針を逆立てるのもそうした行為の一つである。隠戴の効果の高い体色や形をした鳥の雛(例えばキジ,チドリ)が,枯草や小石の間にうずくまって不動の姿勢をとるのも防衛行動の一種である。多くの昆虫,魚などは,体色や形の効果を利用し隠れる防衛を行っているが,逆に目だつ色彩やパターンを利用して相手を威嚇して身を守る場合もある。フクロウチョウの後翅(こうし)にはフクロウの目のような斑紋(目玉模様)があるが,普通に静止しているときには前翅の下になって見えない。しかし,危険を感じてはばたくと突然,後翅の模様が現れ,捕食者である鳥を威嚇する。スズメガやヤガの幼虫の胸部背面にある目玉模様も同じ効果をもつ。オドシガエルは,しりの左右に目のような斑紋をもち,危険な相手が近づくと,しりを上げ振るようにして威嚇し逃走する。熱帯のチョウチョウウオの中には尾部に目玉模様紋をもち,こちらが頭のように見せ,相手がここを襲うと反対方向に逃走する〈はぐらかし〉の効果をもつものもある。
 直接,有害な毒をもち身を守る動物は,昆虫やヘビ,カエルなどに多いが,このような動物もつねに毒を用いるわけではない。むしろ相手に注意させることで攻撃を避けている場合が多く,ガラガラヘビの発音はその例である。また,はでで目だつ体色が相手に警戒させ,身を守る効果も上げている。毒ガエルや毒ヘビの多くが鮮やかな体色をしているのはそのためである。こうした有毒な動物の体色や形,行動などに似た形態,色彩を有する無毒な動物が擬態で,これも一つの防衛行動の中に入れられよう。このほか,捕食されそうになる,あるいは捕まると相手の嫌う物質を放出するのも防衛である。アゲハチョウの幼虫が胸部背面から突起を出しにおいを放出するとか,ゴミムシが捕まるとにおいを出すのがその例である。タコやイカの墨,ブダイが睡眠中に粘膜を体の周囲に分泌するのも防衛である。シカの仲間は速い走力をもち,走って逃げるのも防衛であり,このときはジグザグに走って捕食者をまぎらわす。ウサギが巣穴から,わざと違う方向に遠く逃げるのも仲間を守る意味で防衛行動に含まれよう。このような行動は,自分の身を捨てても同種の仲間を守る意味で利他的行動ともいわれる。
[闘争行動 aggressive behavior]  動物が自分の所有する有利な特徴を用いて,不安の対象,あるいは敵対する相手に対して攻撃をしかけることで,捕食のための攻撃とは区別する。一般に不自然に接近する他個体は,その動物にとっては不安な相手であるから,威嚇ないし警告の信号を出して排除しようとする。それでもなお相手が退かないと,損藤状態に陥り,さらに相手が近づいた場合には闘争になる。C. ダーウィンはイヌの表情から,この不安と闘争,あるいは服従に至る経過を述べ,とくに不安や損藤が高まっているとき,前傾姿勢で歯をむき尾や耳を立て,不動の状態になることを指摘した。動物の世界での闘争は異種間より同種の仲で多く見られ,とくに配偶時の雄間に多い。角をもつシカやウシ,ヒツジは,雄どうし,激しく頭をぶつけ角をからめて闘争する。サルは歯をむき出し,前肢を用いて闘い,トゲウオは相手の腹部に頭でつきかかる。ニワトリ,キジはくちばしで相手の頭部をつつき,トカゲはかみ合う。このように角,きば,歯,つめ,脚などその動物が有する最も効果的な武器を用いて闘争は行われるが,相手が逃走を始めると攻撃は終わり,死に至ることはほとんどない。群れをつくる動物では,長い共同生活の間で,おのずから強弱の順位関係ができ,優位個体はおどすだけで相手を排除することもある。
[捕食行動 predatory behavior]  肉食性の動物が食物を得るために相手を捕らえる行動である。最も直接的なのが肉食獣が相手を攻撃し捕らえる方法で,狩り hunting と呼ばれる。しかし,捕食行動は獲物の生態や習性と密接に結びついており,きわめて多様である。ライオン(とくに雌)は,2,3頭が組になり,待ち伏せする個体と狩り出す個体に分かれて協力して捕らえる。カマキリは枝や葉,あるいは花の中に隠れて待ち伏せ捕食し,クモの網も獲物を捕らえるためのものである。アンコウは体の突起をゆり動かして小魚を誘い捕食する。ある種のホタルの雌は,別種の発光信号を出し,近づいた別種の雄を捕食する。キーウィは長いくちばしで地をほじり,小さな地中の動物を捕らえる。ガラパゴスのキツツキフィンチは,小枝やサボテンのとげで木の中の虫をほじり出す。テッポウウオは水中から水を噴き出して,葉の上の虫を水の上に落として捕食する。なお草食性,腐食性を含めて,品のとり方一般にかかわる行動を採食行動と総称する。
 これ以外にも,行動の意味合いに応じて,新しい環境におかれた動物がしばらく周囲をさぐり回る探索行動とか,巣づくりのための営巣行動,仲間を認知し,互いの親和を強める挨拶行動,敵から逃げる逃走行動,目的は不明りょうだが,その時点での衝動の解消や将来の行動の予備的行為と思われる遊び(例えばじゃれる子ギツネ)などに細分することが可能である。      奥井 一満

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操作主義
操作主義

そうさしゅぎ
operationalism

  

科学的概念と実験的手続とを関係させるに際して,概念はその質的価値を測定する科学者自身によって遂行される実際の操作によって定義されなければならないとする立場。従来は無意識に行われていたが,相対性理論や量子論の展開とともに,P.ブリッジマンによって明確に定式化された。この考えは S.S.スティーブンズを通して心理学にも大きな影響を与えた。たとえば,知能を知能検査という操作によって測定されたものとする見方がある。しかしラッセルによれば,この基準の厳密な適用は不可能であるという。





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操作主義
そうさしゅぎ operationalism∥operationism

概念はすべて何らかの操作によって定義されねばならない,という主張。この種の主張はもともとプラグマティズムの始祖 C. S. パースにあった。彼によれば,ある物体が重いということは,何らかの実体的な性質ではなく,ただ,反対の力がなければその物体は落下する,ということを意味するだけなのである。しかし操作主義が一つの明快な主張として人々の注目を集めたのは,アメリカの物理学者 P. W. ブリッジマンの《現代物理学の論理》(1927)においてである。彼はアインシュタインの特殊相対性理論などを引用しながら,概念とはそれに対応する一組の操作と同義である,と主張した。この主張は,人々に多大な影響を与えたが,とくに心理学者たちへの影響は著しかった。それはこの主張が,行動主義的な心理学者たちに物理学の面から明確な方法論を与えたからである。しかしこの主張は,高度に理論的な科学の概念には適用できないことが,しだいに明らかになってきた。そこでブリッジマンは,その主張をしだいに弱めていった。そしてついには,〈紙と鉛筆による操作〉ということをいうまでになる。紙と鉛筆による数学的ないし論理的計算,ということである。こうしてブリッジマンは,概念はすべて,途中に計算を介してもよいから,何らかの操作と関係しなくてはならない,というまでに後退するのである。しかしここまでくれば,それは,自然科学者からすれば当然のことであり,とくに改めて主張するほどのことではない。かくして操作主義の実質は,ブリッジマン自身によって,しだいに消されていったのである。興味深いことに,操作主義と同様な主張が,ほぼ同時代に,ウィーン学団の主張〈論理実証主義〉の中にもあった。〈意味の検証理論〉といわれるものがそれである。しかしこれも,操作主義と同様に,しだいに衰退していった。
                         黒崎 宏

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P.ブリッジマン
ブリッジマン

ブリッジマン
Bridgman,Percy Williams

[生] 1882.4.21. マサチューセッツ,ケンブリッジ
[没] 1961.8.20. ランドルフ




アメリカの物理学者,科学哲学者。ハーバード大学で学び,1908年学位取得後,同大学教授 (1919~54) 。高圧をつくる装置を案出し,高圧 (最終的には 40万気圧に達した) 下における種々の物質の電気的・熱的・力学的性質を研究。この業績により 46年ノーベル物理学賞を受賞した。また操作の概念を中心とする彼の哲学的立場から科学上の諸概念について哲学的考察を加え,『現代物理学の論理』 The Logic of Modern Physicsなどを著わし,次の世代のアメリカの物理学者たちに影響を与えた。





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ブリッジマン 1882‐1961
Percy Williams Bridgman

アメリカの物理学者。マサチューセッツ州ケンブリッジの生れ。ハーバード大学で物理学と数学を学び,研究員,専任講師を経て19年同大学教授,26年には同大学の数学,自然哲学のホリス教授職に就任し,50年ヒギンス大学教授となる。高圧下の物性に関心をもち,はじめは高圧用の圧力計の開発を目ざし,その過程で高圧下でも圧力漏れのないパッキングを開発,5万kgf/cm2や10万kgf/cm2の高圧下での,種々の元素や化合物の圧縮率,電気伝導率,熱伝導率,抗張力,粘性などを研究,高圧物理学の発展に貢献した。これら超高圧発生のための装置の発明と高圧領域における諸発見によって,1946年ノーベル物理学賞を受賞。また,科学概念は具体的な測定などの操作によってのみ規定しうるとする操作主義を展開したことでも知られる。⇒操作主義  日野川 静枝

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ブリッジマン,P.W.
ブリッジマン Percy Williams Bridgman 1882~1961 アメリカの物理学者。高圧下(→ 圧力)の物性の研究で知られる。マサチューセッツ州ケンブリッジに生まれた。ハーバード大学にまなび、1910年から同大学物理学部に勤務、19年に正教授となった。

高圧下におけるさまざまな物質の電気的、機械的、熱力学的性質(→ 熱力学)を明らかにするため、たくさんの実験をおこなった。高圧下でおこる現象を研究するには、実験装置も自分で工夫してつくらなければならなかったが、最終的に40万気圧という高圧の実現に成功した。多数の発見にくわえて、彼が開発した実験装置や技術は、のちの多くの研究者が高圧科学や高圧工学の領域で重要な業績をあげるのに貢献した。

1955年にはじめて成功したダイヤモンドの合成もその成果である。1946年、高圧発生装置の開発と、それをもちいてえた発見に対してノーベル物理学賞が授与された。科学上のいろいろな概念について哲学的な考察をくわえた著書ものこし、科学概念は具体的な測定や実験によってのみ規定できる、としている。この主張は操作主義とよばれる。代表的なものに「現代物理学の論理」(1927)および「物質はどんなふうに存在するか」(1959)がある。


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S.S.スティーブンズ
スティーブンズ

スティーブンズ
Stevens,Stanley Smith

[生] 1906.11.4. ユタ,オグデン
[没] 1973.1.18.

  

アメリカの心理学者。ハーバード大学教授。感覚および心理学における尺度構成に貢献 (→べき法則 ) 。新精神物理学を提唱。主著『聴知覚』 Hearing (1938,H.デービスと共著) 。





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尺度構成
尺度構成

しゃくどこうせい
scaling

  

行動の数量的記述や予測のために感覚尺度,態度尺度あるいは知能や性格の尺度を構成すること。被験者に刺激や質問あるいは課題を与え,その応答についていくつかの仮定や基準を設けることによって,刺激の感覚尺度値や質問の難易度を求めたり,被験者の個人差を数量化したりする。尺度構成法として,一対比較法,継時間隔法,マグニチュード推定法,順位法,多肢選択法などがある。得られた尺度値に許容される演算や統計処理の種類によって,名義尺度,順序尺度,距離尺度,比率尺度などが区別される。





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べき法則
べき法則

べきほうそく
power law

  

S.S.スティーブンズが心理学において用いた法則。彼はフェヒナーの法則を批判し,分割法やマグニチュード推定法などの比率尺度構成法を用いて感覚量Sと刺激量Sとの間に指数関数 R=KSn (Kは定数) の対応関係があることを示し,刺激量のべき (冪) の概念を用いたところから,これを精神物理学的べき法則と名づけた。nは光の明るさについては 0.33になるなど各感覚について一定の値を示すので特性指数という。





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強化説
強化説

きょうかせつ
reinforcement theory

  

学習は無条件刺激によって強化されなければ成立しないという心理学の理論。つまり満足をもたらす反応のみが反応量を増加させ,反応生起確率を増大させるという説。この説を代表するのは E.L.ソーンダイクや C.L.ハルである。強化説と対立するのは接近説であるが,強化説では刺激と反応とが時間的に接近しているだけでは学習成立にとって十分ではないと唱えられている。





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強化
強化

きょうか
reinforcement

  

(1) 条件づけの学習に際して,刺激と反応との結びつきを強める手段そのものをさす。ないしはその手段によって結びつきが強められる働きのこと。たとえば古典的条件づけでは,食物などの無条件刺激を提示する手続そのもの,ないしはこうした無条件刺激の提示によって条件刺激と唾液分泌との結合が強められること。また道具的条件づけでは,被験個体がてこを押したり,迷路の目標箱に到達したときに餌などの報酬を与える手続そのもの,ないしはこうした手続によって被験個体のおかれている刺激状況,てこを押したり目標箱に向って走るという特定の反応との結合が強められること。 (2) 餌などの報酬,電気ショックなどの罰そのもののこと。これは厳密には強化因子と呼ばれる。 (3) 言語学習,課題解決場面における反応の結果について正誤などの知識,情報を与えること。





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接近説
接近説

せっきんせつ
contiguity theory

  

学習が成立するためには,刺激と反応とが時間的,空間的に接近して生起することが必要十分条件であるとする説。刺激=反応説の一つで,E.R.ガスリーによって提唱された。同じく刺激=反応説に含まれる強化説とは,刺激と反応の結合にあたって強化を必要とするか否かの点で対立している。





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E.R.ガスリー
ガスリー

ガスリー
Guthrie,Edwin Ray

[生] 1886.1.9. アメリカ,ネブラスカ,リンカーン
[没] 1959.4.23. アメリカ,ワシントン,シアトル

  

アメリカの心理学者。ワシントン大学教授。行動主義的立場に立ち,学習理論として刺激=反応説をとるが,その結合法則として接近説を主張した。現代の学習研究者に大きい影響を及ぼしている。主著『学習心理学』 The Psychology of Learning (1935) 。





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E.C.トールマン
トールマン

トールマン
Tolman,Edward C(hace)

[生] 1886.4.14. マサチューセッツ,ウェストニュートン
[没] 1959.11.19. カリフォルニア,バークリー

  

アメリカの心理学者。カリフォルニア大学教授。 J.B.ワトソンの分子的行動主義の限界を指摘し,行動は全体的な目標志向的反応であり,認知過程によって導かれるとし,目的論的全体的行動主義を主張。したがってその立場は行動主義のゲシュタルト理論への融合として注目された。また操作主義を心理学へ導入し,心理学の体系化に貢献した。主著『動物と人間における目的的行動』 Purposive Behavior in Animals and Men (1932) 。





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[ブリタニカ国際大百科事典 小項目版 2008]



トールマン,E.C.
トールマン Edward Chase Tolman 1886~1959 アメリカの心理学者。マサチューセッツ工科大学を卒業後、ハーバード大学で学位を取得。ノースウェスタン大学をへて、カリフォルニア大学の教授となる。ドイツ留学時にゲシュタルト心理学にふれたことが、その後の彼の理論展開に影響をおよぼしたといわれる。

トールマンによれば、生活体は環境を認知して行動している。それゆえ生活体の行動を理解するためには、生活体が環境をどのように認知しているか、また行動の目標とそれにみちびく手段との関係をどのように認知しているかを知らなければならない。この認知の過程を、従来の行動主義における刺激(S)と反応(R)を媒介する仲介変数とみて、それを重視するのがトールマンの学説の特徴である。

これはワトソンの行動主義とも、また媒介過程をブラックボックスとして無視するスキナーの行動主義ともことなる考え方で、その立場は狭義における新行動主義、あるいは目的論的行動主義ともいわれる。彼によれば、学習は刺激と反応の単純な連合ではなく、むしろ状況についての認知の成立と考えられなければならない。つまり、環境内のどのような記号がどのような意味をもつかを生活体が認知してはじめて、どうすればどうなるという学習が成立するのだという。そこから、独自のサイン・ゲシュタルト説がとなえられた。このような認知を媒介としたトールマンの学習理論は、今日の認知心理学をもっともはやい時期において先どりする一面をもっていたといえる。


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S-S説
S‐S説
エスエスせつ sign‐significate theory

学習心理学における S‐R 説と対立する理論で記号意味説ともいう。学習とは時間的空間的に接近した二つの刺激があるとき,前の刺激が後の刺激についての記号として意味をもつようになることであると考える。そこに手段‐目標関係の認知地図ができ上がるのであって,動因低下とか強化が学習の基礎ではないとする。その根拠は場所学習や潜在学習の事実である。この説の代表者トールマン E. C. Tolman(1886‐1959)が学習と実行行動を別概念としたのは注目される。⇒S‐R 説
                        梅津 耕作

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B.F.スキナー
スキナー

スキナー
Skinner,B(urrhus) F(rederic)

[生] 1904.3.20. ペンシルバニア,サスケハナ
[没] 1990.8.18. マサチューセッツ,ケンブリッジ

  

アメリカの心理学者。ミネソタ,インディアナ大学を経て,ハーバード大学教授。新行動主義に属するが,特に実験的行動分析学派の創始者として知られる。動物のオペラント行動 (→道具的条件づけ ) の研究から,これをティーチング・マシンによる教育法に発展させた。主著『心理学的ユートピア』 Walden Two (1948) ,"The Behavior of Organisms" (38) ,"Science and Human Behavior" (53) ,"Contingencies of Reinforcement" (69) 。





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スキナー 1904‐90
Burrhus Frederick Skinner

新行動主義を代表するアメリカの心理学者。1948年以来ハーバード大学の終身教授。《生体の行動》(1938)はスキナー箱による多くの実験をもとにオペラント行動概念を述べたもので,その後の研究活動はすべてここから展開した。また行動の制御を具体化する理想共同体についての空想小説の執筆,理想的保育小屋による子育て実践,行動分析の研究会と雑誌の指導のほか,精神薬理学,精神病者や障害児に対する行動療法,幼児教育,ティーチング・マシンによる教科学習法などに行動工学的技術を広く応用した。さらに経済,行政,宗教などの実験的行動分析の立場からの解析,老年期の過ごし方の研究などもある。すべて行動の予測と制御のための具体的操作と行動変容の測度を重視し,擬似生理学的説明,未熟な媒介変数による理論化,数学的モデル,因子分析などに反対した。主著はほかに《科学と人間の行動》(1953)など。              梅津 耕作

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スキナー,B.F.
スキナー Burrhus Fredelic Skinner 1904~90 アメリカの心理学者。行動主義心理学の屋台骨をなすオペラント条件付けの創案者。1931年にハーバード大学で学位をえたのち、ミネソタ大学、インディアナ大学の教授をへて、48年から定年までハーバード大学の教授をつとめた。

大学院生のころに、ネズミがバーをおせば餌(えさ)がでる「スキナー箱」を考案し、動物の自発的な行動(オペラント行動)は、随伴性強化(その行動をおこなえば餌をあたえられること)によってその生起確率がますというオペラント条件付けの基本原理を確立した。そして、パブロフの条件付け(古典的条件付け)では被験体が刺激になかば受動的に反応させられているとして、これをレスポンデント条件付けとよぶいっぽう、自らの創案した条件付けをオペラント条件付けとよんだ。

スキナーは被験体のおかれる刺激条件と強化の与え方(強化のスケジュール)によってすべての学習行動を説明できると考え、刺激と反応を媒介する過程を問題にしようとしなかった。彼にとっては生活体はいわば空虚な存在にすぎず、行動が依存しているのは直接的な環境であり、したがって環境条件を統制できれば行動を統制できるというのが彼の信念であった。

このラジカルな行動主義に対しては、当然さまざまな批判も生まれ、とくに媒介過程を問題にしなかったことへの不満や批判が、スキナーの行動主義心理学を否定して今日の「認知革命」がもたらされる直接の動機のひとつとなった。しかし、薬理効果をしらべるための動物実験や、ティーチング・マシンによる教育、ネガティブな行動を除去したり、のぞましい行動を形成したりするためのオペラント療法など、スキナーのオペラント条件付けを中心とした行動主義心理学は現在もなお多方面に大きな影響力をもっている。


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道具的条件づけ
条件反射
条件反射

じょうけんはんしゃ
conditioned reflex

  

I.P.パブロフの用語。口の中に食物を入れると唾液が出るのは生得的な反射であるが,たとえばイヌにベルの音を聞かせてから餌を提示する訓練を繰返すと,ベルの音を聞かせただけで唾液を出すようになる。このような場合この音刺激によって引起される唾液分泌反射を条件反射という。





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条件反射
じょうけんはんしゃ conditioned reflex

I. P. パブロフによって研究,発見された学習現象の一種で,学習の最も基本的な型をなすと考えられている。パブロフの条件反射は生理学の領域から出発したが,それは諸方面,とくに心理学に大きな影響を与えた。現在,心理学では,生理学的単位としての反射にとどまらず,生活体の諸反応を含む行動を取り扱うこともあって,条件反射の代りに,より広義の条件反応 conditionedresponse ということばが用いられる。
 唾液条件反射はパブロフによって始められ,最もよく知られたもので,イヌにベル音を鳴らしたあとで,食品を与えることを繰り返すと,ベル音を鳴らしただけで唾液が分泌されるようになる。防御条件反射では,ベル音を鳴らして足の皮膚に電撃を与えることを繰り返すと,ベル音を鳴らしただけで屈曲反射が起こり,電撃を避けるようになる。このときベル音を条件刺激 conditioned stimulus(略称 CS)といい,食品や電撃を無条件刺激unconditioned stimulus(略称 US)という。また条件刺激によってひき起こされる反応を条件反射conditioned reflex(略称 CR),無条件刺激でひき起こされる反応を無条件反射 unconditionedreflex(略称 UR)という。条件刺激と無条件刺激を組み合わせて与える操作を強化 reinforcementという。
[条件反射の特性]  条件反射は次のような性質をもっている。(1)条件反射が形成された動物で,無条件刺激なしで条件刺激のみを繰り返すと,条件反射は弱くなり消失する。これを消去extinction という。多くの場合,時間がたつと条件反射は自然に回復する。(2)条件反射をひき起こすためには,条件刺激(CS)が無条件刺激(US)に先行することが必要とされる。(3)CS1が条件刺激になっているとき,これとよく似た CS2が条件反射をひき起こす場合,これを汎化 generalization という。(4)CS1と CS2がともに条件反射をひき起こすことができるとき,CS1を強化し,CS2を強化しない操作を続けると,CS1によってのみ条件反射が起こるようになる。これを分化 differentiation という。(5)分化,消去によって CS として作用を失った刺激は無効になったのではなく,これを他の有効な CS と組み合わせて与えると,この効果を抑制(制止)する作用をもつ。これを内抑制 internalinhibition という。これに対して,動物の病的状態や情動興奮の状態では,分化,消去の操作を受けていない CS も,その効果が突然減弱することがある。これを外抑制 external inhibition という。
[条件反射の神経機構]  条件反射(条件反応)の際,脳の中で何が起こっているのか,という条件反射の神経機構の研究では,まず行動学的なアプローチによって現象面が整理され,ついで脳の各部分を破壊して学習の座の研究が行われた。また,脳波や誘発電位を用いて,脳の電気活動との関連が追求されるようになった。1950年代の後半には,新しい方法として,無麻酔で行動している動物からニューロン活動を記録する方法が用いられるようになった。ジャスパー H. H.Jasper らは,無麻酔サルを首かせのついた椅子に座らせ,あらかじめ頭に固定したマニピュレーターで大脳皮質からニューロン活動を記録できるようにしたうえで,光を条件刺激とし,前腕の皮膚の電気ショックによる前腕の屈曲を無条件反射として条件反射を形成し,その過程での大脳のニューロン活動を記録した(1958)。この逃避条件反射時に,大脳運動野のニューロンの放電数は増加もしくは減少することが見いだされた。
 条件反射の潜時が比較的短く,それに関係した神経回路が比較的単純なものと予想される例として,ネコの瞬目反射を音で条件づけたウッディ C.D. Woody らの研究がある。ネコの眉間(みけん)を機械的に刺激すると,眼輪筋が収縮して眼瞼を閉じる反射が起こる。これを無条件刺激とし,音(クリック音)を条件刺激として,音と眉間の機械的刺激とを組み合わせて刺激を繰り返すと,音だけで眼輪筋が収縮するようになる。このとき,音を与えて眼輪筋に活動電位(筋電図)が発生するまでの潜時 latent time は20ms であり,眼輪筋を支配する顔面神経核の運動ニューロンに活動電位が発生するまでの潜時は17ms である。このとき大脳の運動野を切除すると,この条件反射は消失するから,大脳の運動野がこの条件反射に関与していることがわかる。この大脳運動野でニューロン活動の記録を行うと,音より13ms の潜時でニューロンの放電が起こる。すなわち,顔面神経の運動ニューロンの活動より4ms 先行して,大脳皮質運動野のニューロンの放電が起こる。大脳皮質運動野の出力細胞が介在ニューロン一つを介して顔面神経運動ニューロンに接続しているとすれば,この4ms の時間は説明できる。このような瞬目反射の条件反射は,音を条件刺激とする代りに,大脳皮質運動野に微小電流を加える電気刺激でも形成される。
[パブロフと条件反射]  19世紀の終りころパブロフがペテルブルグ実験医学研究所の研究室で消化生理に関する研究を行っていたころ,実験室のイヌが食物を見ただけで唾液分泌を起こすことを観察して,唾液腺という一見あまり重要でない器官の活動にさえ,いわゆる精神的刺激が影響を及ぼしていることについて考えるところがあった。彼は考え悩んだ結果,いわゆる精神的刺激なるものを純粋に生理学的に扱おうと決心した。そこに見いだされる法則性はより高次の精神活動を科学的に解く鍵になると考えたのである。パブロフは1904年にノーベル生理・医学賞を受けたが,その受賞の理由が,彼の最も大きな業績である条件反射の創始に対してではなく,消化の生理学的研究に対してであったのは興味深い。
 条件反射の創始がもたらした意義は,第1に,われわれの学習,適応行動を科学的に研究する方法論を与えたことである。第2に,それが対象とするいわゆる精神現象といわれるものにも,原因‐結果の因果律が支配することを示したことであり,このような因果関係をよりどころに,精神の過程を科学的に研究できる糸口を与えたことである。
 パブロフ以後,その研究はパブロフ学派に受け継がれた。弟子の一人であるポーランドのコノルスキ J. Konorski は,条件反射学の体系の中にニューロン生理学の知見を導入することに努めたが,それに基づいた重要な知見を加えたわけではなく,むしろ,それは今後の課題として残されている。⇒条件づけ             塚原 仲晃

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条件反射
条件反射 じょうけんはんしゃ Conditioned Reflex 生活環境からあたえられる刺激(条件刺激)によって、生後新しく形成される反射のこと。本来は大脳が関係しないでおこる反射という行動を、それとは無関係な条件刺激をくりかえすことで、条件刺激と反射がむすびつき、ついには条件刺激だけで反射がおこるようになる。この条件反射は、ロシアの生理学者パブロフが発見したもので、これによって大脳生理学研究(→ 生理学)の窓口が開かれた。条件反射に対して生まれつきもっている反射を、無条件反射という。

→古典的条件付けの「刺激と反応」


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I.P.パブロフ
パブロフ

パブロフ
Pavlov,Ivan Petrovich

[生] 1849.9.14. リャザン
[没] 1936.2.27. レニングラード



ソビエト連邦の生理学者。条件反射研究の創始者。 1870年,ペテルブルグ大学で自然科学を学び,1879年陸軍軍医学校を卒業,ドイツに留学。帰国後,同医学校の薬理学教授,1895年には生理学教授となる。消化管の生理学的研究で 1904年ノーベル生理学・医学賞受賞。 1902年頃から始められた条件反射の研究は画期的な実験方法で,より自然な状態で動物の生理を観察できることから,客観的な科学的心理学に強い影響を与え,特にアメリカの行動心理学に基盤を提供した。またイヌの実験神経症形成の手法の発見は,人間の精神障害の科学的研究にも貢献した。主著『大脳半球の働きについての講義』 Lektsii o rabote bol'shikh polusharii golovnogo mozga (1927) ,『条件反射による動物高次神経活動 (行動) の客観的研究の 20年』 Dvadtsatiletnii opyt obektivnogo izucheniya vysshei nervnoi deyatel'nosti (povedeniya) zhivotnykh uslovnye refleksy (1932) 。





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パブロフ 1849‐1936
Ivan Petrovich Pavlov

ロシアの生理学者。中部ロシアのリャザンで司祭の子として生まれた。1870年,ペテルブルグ大学に入学,ツィオン I. F. Tsion の指導のもとに生理学を志し,在学中に膵臓神経の研究に対して金賞を授けられた。卒業後,軍医学校に入学,79年に医師免許を獲得した後,ライプチヒの K. ルートウィヒ,ブレスラウの R. ハイデンハインについて,生理学の研究を行った。86年帰国,ボトキン S.P. Botkin の研究所に入り,90年には軍医学校の薬理学教授となる。この間,血液循環の生理についての研究が中心であったが,消化の生理学的研究に移り,消化腺の研究や膵臓分泌神経の発見(1888)などの業績をあげた。95年,軍医学校の生理学教授となり,大脳や高次神経の研究に着手し,1902年からは条件反射についての研究を行い,有名なイヌを使った条件反射の実験を行った。パブロフの基本的な態度は,精神現象を生理学的な法則で統一しようというものであり,その意味でワトソンらの行動主義心理学に大きな影響を与えた。04年,消化腺の研究に対して,生理学者として初めてノーベル生理学・医学賞が与えられた。07年には科学アカデミー会員となった。⇒条件反射                   川口 啓明

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パブロフ,I.P.
パブロフ Ivan Petrovich Pavlov 1849~1936 ロシアの生理学者。反射運動の研究で知られる。リャザンに生まれ、サンクトペテルブルク大学、サンクトペテルブルクの軍医学校にまなぶ。1884~86年にドイツのブレスラウ(現ポーランド、ブロツワフ)、ライプツィヒに遊学。ロシア革命前には、サンクトペテルブルクの実験医学研究所(現アカデミー生理学研究所の一部)の生理学部長、陸軍軍医学校の医学教授をつとめた。共産主義には反対する立場をとったが、1935年にソ連政府が設立した研究所で研究の継続をゆるされた。

パブロフは、心臓・神経系・消化系の生理学の先駆的研究で知られる。1889年にはじめた実験はもっとも有名なものであり、なかでも、犬の条件反射・無条件反射(→ 反射)は、20世紀の実験心理学の草創期における行動主義心理学の発展に影響をあたえた。1904年、消化腺に関する研究業績により、ノーベル生理学・医学賞を受賞。主著に「条件反射」(1926、翻訳1927)がある。


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行動心理学
行動心理学

こうどうしんりがく
psychology of behaviour

  

狭義には,J.B.ワトソンの行動主義的心理学をさすが,一般的には意識を対象とする心理学に対立する諸心理学の総称。心理学を生体の全体的行動の科学と定義し,最初にこの「行動」 comportementという名称を用いたのは H.ピエロンである (1908) 。客観的方法によってとらえられた行動をその対象とする意味で,現代心理学のほとんどの学派がこれに属する。





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H.ピエロン
ピエロン

ピエロン
Piron,Henri

[生] 1881.7.18. パリ
[没] 1964.11.6. パリ

  

フランスの心理学者。 1912年パリ大学付属生理心理学実験所所長,21年同大学教授,23年コレージュ・ド・フランス教授。意識を対象とする心理学に対して行動心理学を提唱 (1908) 。その研究領域はきわめて広く,睡眠,記憶,動物心理,検査,感覚,知覚に及び,特に感覚の生理心理的な研究業績は高く評価されている。"L'Anne psychologique" (1895) の刊行,研究所の設立など,その活躍はめざましかった。主著『記憶の進化』L'volution de la mmoire (1910) ,『脳と思考』 Le Cerveau et la pense (23) ,『実験心理学』 Psychologie exprimentale (28) ,『感覚』 La Sensation (45) 。





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ピエロン 1881‐1964
Henri Pilron

フランスの心理学者。1923年以降コレージュ・ド・フランスの感覚生理学教授。研究領域は非常に広く,実験心理学,動物心理学,生理心理学,精神病理学の四つの分野にわたっておよそ500編にも及ぶ論文を発表した。フランスの応用心理学の第一人者であり,またフランスの行動心理学psychologie du comportement の創始者とされている。1913年から死に至るまで《心理学年報》の編集者であった。             児玉 憲典

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***

弥縫策としての心理学(その08) [哲学・心理学]

J.B.ワトソン
ワトソン

ワトソン
Watson,John B(roadus)

[生] 1878.1.9. サウスカロライナ,グリーンビル
[没] 1958.9.25. ニューヨーク

  

アメリカの心理学者。シカゴ大学講師を経て,ジョンズ・ホプキンズ大学教授。行動主義の主唱者。従来の心理学が対象としていた意識を放棄し,内観法を拒否,行動を客観的な観察法に基づいてとらえ,しかもそれを条件反射的に刺激と反応の機構によって説明しようとした。彼の主張は,その後のアメリカの行動心理学の発展にきわめて大きな影響を与えた。主著『行動-比較心理学序説』 Behavior: An Introduction to Comparative Psychology (1914) ,『行動主義者からみた心理学』 Psychology from the Standpoint of a Behaviorist (19) ,『行動主義』 Behaviorism (25) 。





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[ブリタニカ国際大百科事典 小項目版 2008]

ワトソン 1878‐1958
John Broadus Watson

アメリカの行動主義心理学の創始者。彼はヨーロッパの生理学や生物学における科学的客観主義,ことにパブロフの業績と,E. L. ソーンダイクに代表される動物を使った学習心理学の業績を結合させた。生得説(本能と遺伝の重視)に対し習得説(学習と環境の重視)を主張し,内観や意識など客観化できない概念に対する強い不満と不信を表明し,具体的行動を科学的実験的に扱う心理学を極端なまでに推進した。その宣言文となった《行動主義者のみたる心理学》(1913)を発表して2年後,アメリカ心理学会会長に選ばれたが,1920年には研究者生活を離れて実業界に入り,広告調査会社会長として死んだ。その業績は現代心理学の形式と本質を決定した重要因子の一つであり,心理学思想に革命をひき起こし,後続研究の出発点となったものと評価されている。主著《行動主義の立場からの心理学》(1919),《行動主義》(1924),《行動主義の道》(1928)ほか。 梅津 耕作

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ワトソン,J.B.
ワトソン John Broadus Watson 1878~1958 アメリカの心理学者。ラジカルな行動主義を提唱したことで知られる。

ファーマン大学を卒業後、「動物の訓練」という論文で1903年にシカゴ大学から学位をえる。05年にシカゴ大学の講師となり、動物実験室の創設に寄与したのち、08年からジョンズ・ホプキンズ大学にうつり、ブントの意識心理学を批判するラジカルな行動主義を提唱しはじめたが、20年に離婚にからんで学界をさり、実業界に転じた。

有名な行動主義宣言とは、1912年にJ.M.キャッテルの招きでコロンビア大学で講演したときの内容が、翌年「行動主義者のみた心理学」という論文名で「心理学評論」誌に掲載されたものをさしている。その要点をのべれば次のようになる。

行動主義者の見地からすれば、心理学の目的は行動の予知とその支配であり、心理学は客観的、実験的な自然科学の一部門であるから、行動だけを問題にすべきであり、意識や内観は排除されなければならない。行動はある刺激に対する要素的な反応からなりたち、その反応はまた筋肉運動や腺分泌からなりたつ。それゆえすべての行動は、条件付けによる要素的な刺激と反応の連鎖によって説明することができる。

このようなラジカルな主張が当時のアメリカの心理学界に新風をふきこみ、「行動主義」を合言葉にした心理学革命をまきおこしていった。その後の行動主義の展開はかならずしもワトソンが構想したとおりにはならなかったし、またワトソン自身、はやくから学界をしりぞくことになったが、その革命的精神の影響は多大なものがあったといえる。


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行動主義
行動主義

こうどうしゅぎ
behaviourism

  

アメリカの J.B.ワトソンにより 1913年に提唱された心理学上の一主張。ワトソン主義ともいわれる。意識を対象とする伝統的心理学に反対して,心理学が科学として自立するためには,客観的に観察可能な行動にのみその対象を限るべきであるとした。したがって内観法は不要とされる (→内観 ) 。さらにワトソンは刺激=反応説によって行動をとらえ,複雑な行動には I.P.パブロフの条件反射の原理を適用し,極端な環境主義的立場をとった。





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[ブリタニカ国際大百科事典 小項目版 2008]


行動主義
こうどうしゅぎ behaviorism

J. B. ワトソンが1912年に提唱した心理学理論のもとに形成された学派。古代ギリシア以来心理学の伝統は,人間の心とその働きについて思索し,主観的な意識現象を内観法によってとらえ記述するものであった。ワトソンはこれに反対して,科学としての心理学は意識とか内観を排除して,対象を客観的な行動に限定すべきであり,それを観察可能な刺激‐反応の側面からだけ扱い,そこに行動の法則を組織的に求めていくべきだと主張した。そこで心理学の研究対象も生物全般,人間ならば胎児から精神障害者にまで広がった。初期の行動主義は,彼が〈意識なき心理学〉を戦闘的に主張したことからワトソニズム Watsonism ともいわれる。こうした考えはすでに19世紀末ドイツの生理学者や生物学者も提唱しているが,彼に決定的影響を及ぼしたのはロシアのセーチェノフ I.M. Sechenov から始まりパブロフの条件反射学に実った業績である。先行するいま一つの大きな流れは,同じアメリカの E. L. ソーンダイクに始まる動物を使った学習心理学である。ワトソニズムは伝統的心理学に不満であった学者たちに広く影響を及ぼし,大衆にも強く訴えた。しかしその後はゲシュタルト心理学,精神分析学,哲学のウィーン学団,物理学の操作主義などからの影響・批判のもとに多くの新行動主義理論が分岐していく。トールマン E. C. Tolman,ハル C. L. Hull,B. F. スキナーなどの理論がそれである。このようにワトソンの業績は現代心理学の形式と本質とに決定的影響を及ぼし,彼の著書は現在の基礎から臨床にわたる心理学研究の出発点となった。 梅津 耕作

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行動主義
I プロローグ

行動主義 こうどうしゅぎ Behaviorism ワトソンの提唱した行動主義は、行動を筋や腺の反射など要素的レベルの反応に分解し、複雑な行動も要素的な刺激(S)と反応(R)の関係に還元して考えることができるというものであった。このワトソニズムには行動主義の内部でもさまざまな批判があった。すなわち、心理学が問題にする行動は、反射のような分子的(微視的)行動ではなく、まとまりをもった総体的なもの(巨視的なもの)であり、目的性をもつものだという批判である。この観点にたつ行動主義を新行動主義という。

II 新行動主義

新行動主義を積極的におしすすめたのはトールマンで、彼はワトソンの単純なS-R説に対して、SとRを媒介する過程Oを考え、S-O-R説を提唱した。つまり、生活体は盲目的に行動するのではなく、特定の目標にむかって指向的に行動するのであり、生活体に内在するそのような目標や状況の認知をその媒介過程の内容として考える必要があると主張した。

そのため、トールマンの新行動主義を目的論的行動主義とよぶこともある。トールマンの新行動主義はゲシュタルト心理学の立場にやや近く、最近の認知心理学の立場にも近い。

なお、新行動主義を厳格なワトソニズムに反対する広義の行動主義ととらえ、1930年代以降の行動主義をすべて新行動主義と理解する立場もある。


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内観
内観

ないかん
introspection

  

内省ともいう。心または精神を支配する法則を見出すため,自分自身でおのれの心または精神の働きを観察する過程。イギリスの連想学派や実験心理学の先駆者たち,特に W.ブント,O.キュルペ,E.B.ティチェナー,さらに意識作用を重視する F.ブレンターノにとっては,この内観は心理学の主要な方法であった。しかし 1920年頃から客観的,科学的心理学者,特にアメリカの行動主義者によって内観法は拒否され,内観という用語も心理学では用いられなくなった。しかし知覚などの現象を記述するため,刺激と意識的事象との関係,または意識事象相互の関係を決めるため,さらに患者を診療するため精神医学者や精神分析学者によって使われている。





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内観
ないかん introspection

内省ともいい,みずからの意識体験をみずから観察すること。本来意識体験は私的な性格をもつものであり,自己観察によってしか観察されえないものである。ブントやティチナーの心理学は意識の構成要素やその属性を明らかにするために内観を唯一の方法とした(構成心理学)。しかし心的生活は意識体験のみでないこと,乳幼児は意識体験を正確に言語報告できないこと,内観によって得られる資料に客観性,公共性が欠けることなど限界があり,行動主義心理学の隆盛下では内観による研究は著しく減少した。現在では,人格心理学や臨床心理学などが人間の意識現象を取り上げざるをえなくなるにつれて,内観による意識体験の報告がさまざまの形で心理学の研究対象となっている。また日本独自のものであるが,この内観を心理療法として組織化したものに内観療法(内観法)がある。これは,1930年ころ吉本伊信(いのぶ)が浄土真宗の一派に伝わる求道法を土台にして創始したものである。        児玉 憲典

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W.M.ブント
O.キュルペ
キュルペ

キュルペ
Klpe,Oswald

[生] 1862.8.3. ラトビア,カンダバ
[没] 1915.12.30. ミュンヘン

  

ドイツの心理学者,哲学者。ライプチヒ大学で W.ブントのもとで助手,講師をつとめたあと,ウュルツブルク大学教授。思考,意志などの高等精神作用の実験的研究という新しい分野を開拓した。ウュルツブルク学派の創始者。哲学的立場は批判的実在論。実験美学を提唱。主著『心理学講義』 Vorlesungen ber Psychologie (1920) 。





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ウュルツブルク学派
ウュルツブルク学派

ウュルツブルクがくは
Wrzburger Schule

  

19世紀末から 20世紀初めにかけて,ドイツのウュルツブルク大学で心理学者 O.キュルペを中心に,K.ビューラー,N. K.アッハ,K.マルベ,O.ゼルツらによって形成された実験心理学派。思考や意志など,いわゆる思考心理の過程に実験的方法を導入し,感覚や心像を必要としない無心像思考に注目して,実験的内観法の方法論を確立した。





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K.ビューラー
ビューラー

ビューラー
Bhler,Karl

[生] 1879.5.27. バーデン近郊メッケスハイム
[没] 1963.10.24. ロサンゼルス

  

ドイツ,オーストリア,アメリカで活躍した心理学者。 C.ビューラーの夫。ミュンヘン,ドレスデン,ウィーン各大学教授を経て,1938年ナチスに追放され,南カリフォルニア大学教授。初期にはウュルツブルク学派として活躍。彼のゲシュタルト心理学,発達心理学および言語心理学に関する理論は学界に大きな影響を与えた。主著『ゲシュタルト知覚』 Die Gestaltwahrnehmungen (1913) ,『幼児の精神発達』 Die geistige Entwicklung des Kindes (18) ,『心理学の危機』 Die Krise der Psychologie (27) ,『言語理論』 Sprachtheorie (34) 。





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ビューラー 1879‐1963
Karl B‰hler

ビュルツブルク学派に属するドイツの心理学者。ミュンヘン大学に学び,1922年ウィーン大学教授。複雑な思考過程には心像のない,非直観的な意識内容である考想 Gedanken が中心的要素となっているという説を唱えたほか,発達心理学では子どもの遊びの動機づけを機能の快に求め,幼児が物事を〈ああ,なるほど〉という形の洞察を体験することを記述するなど,発達原則の理論化,体系化を試み,三段階学説,すなわち児童の精神発達は本能,訓練,知能という過程で進行していくという考えを示した。児童心理学者シャルロッテ・ビューラー Charlotte B.(1893‐1974)は彼の夫人。                       中根 晃

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N.K.アッハ
アッハ

アッハ
Ach,Narziss Kaspar

[生] 1871.10.29. エメルスハウゼン
[没] 1946.7.25. ミュンヘン

  

ドイツの心理学者。ウュルツブルク学派の指導者の1人。ウュルツブルク大学教授。思考,意志の実験的研究,無心像的な意識性 (→無心像思考 ) ,決定傾向の考えで著名。主著『概念形成について』 Uber die Begriffsbildung (1921) ,『意志分析』 Analyse des Willens (35) 。





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無心像思考
無心像思考

むしんぞうしこう
imageless thoughts

  

心像を伴わない思考のこと。 A.ビネにより取上げられ,O.キュルペ,N. K.アッハなどのウュルツブルク学派の思考研究において重要とされた概念の一つ。思考活動は一つの観念が他の観念を呼起す連合の過程であり,感性的な心像が伴うとされていたのに対して,彼らは感性的心像なしに思考が営まれることを指摘,思考過程における態度,意志的傾向の重要性を主張した。





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A.ビネ
ビネ

ビネ
Binet,Alfred

[生] 1857.7.8. ニース
[没] 1911.10.18. パリ

  

フランスの心理学者。法律,医学,生物学を専攻後,心理学に関心をもち,パリ大学に H.ボニと協同で心理学実験室を創設。実験心理学,病的心理学,児童心理学に貢献。特に高次精神過程に実験的手法を採用したこと,さらに児童の知能測定について T.シモンと協力しビネ=シモンテストを完成,知能検査の基礎を確立した。 1895年"L'Anne psychologique"を創刊。主著『推理の心理学』 La Psychologie du raisonnement (1886) ,『知能の実験的研究』L'tude exprimentale de l'intelligence (1903) ,『新しい児童観』 Les Ides modernes sur les enfants (11) 。





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ビネ 1857‐1911
Alfred Binet

知能テストの創始者として知られているフランスの心理学者。パリ大学で法律学,生物学,医学等を専攻した後,サルペトリエール精神病院で催眠,ヒステリーの研究に従事した。その後,パリ大学生理心理学実験室で,推理,想像,被暗示性などに関する実験心理学的研究に着手し,個人差の解明に貢献する。また彼自身の2人の娘の知的類型をさまざまな実験によって浮彫にするなど,差異心理学の科学的方法への道を切り開いた。これらの研究の中で,無心像思考の存在を強調したが,これは伝統的な思考心理学研究に新風を吹き込むことになった。やがてこれらの個人差研究の成果や方法を教育へ応用することに関心が向かう。この研究分野を〈実験教育学〉と呼び,小学校内に設けられた実験室で学童の素質研究に没頭する。こうして1905年,シモン ThレodoreSimon(1873‐1961)とともに知恵遅れの子どもを鑑別する手段として,知能テストを作成した。また心理学者と教育者との共同チームを編成し,測定に基づく〈新教育〉の普及にも大きな努力を傾けた。主著は《知能の実験的研究》(1903)ほか。⇒知能テスト                    滝沢 武久

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ビネ,A.
ビネ Alfred Binet 1857~1911 テオドール・シモンとともに最初の知能検査を作成したフランスの発達心理学者。

知能検査を作成する以前、ビネは自分の2人の娘を対象に、思考の個人差の研究にたずさわっていた。たとえば、植物の葉を観察する場合でも、一方は即物的に形状や葉脈をくわしく観察して記述するのに対し(観察型)、他方はそれが樹からおちる前のようすや、おちるときのようすなどを想像して、いわば文学的に記述する(解釈型)というように、事象の把握の仕方や思考のあり方に個人差があることを明らかにしようとしていた。そこに、パリ市の教育委員会から、知的障害によって授業についていくのが困難な子供たちを就学前に判別できるようなテストを作成するよう依頼があり、シモンとともにその作成に力をそそぐことになる。

こうして生まれたのが世界最初の知能検査である「知能測定尺度」である(1905年)。これは、年齢とともにしだいに難度の高い問題が解けるようになっていくという発達の一般的事実にもとづくもので、当該年齢の子供の大半が解くことのできる6問ずつの問題によって各精神年齢を定義し、検査をうける子供がこの尺度においてどの年齢の問題まで解けるかによってその子供の精神年齢を判定する。

ちなみに、ビネの判別基準は、就学時において、精神年齢が生活年齢よりも2歳以上おくれている子供は通常の就学がむずかしいというものであった。この基準は現在もほぼ踏襲されている。この検査は自国のフランスではひろまらなかったが、世界各国にうけいれられ、晩年のビネはその啓蒙活動に力をそそいだ。


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決定傾向
決定傾向

けっていけいこう
determining tendency

  

心理学のウュルツブルク学派の N. K.アッハの用語。意志の目的表象に基づいて,意識過程または行動過程が意識的,無意識的に統制され,決定されることをさす概念で,態度の一種。





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批判的実在論
批判的実在論

ひはんてきじつざいろん
critical realism

  

アメリカの哲学者 R.セラーズが 1916年に出版した著作の表題,および彼の見解を支持した D.ドレイク,A.ラブジョイ,G.サンタヤナらアメリカ人哲学者グループの認識論上の立場。認識主観とは独立に実在の世界を認め,それが認識に際して主観に直接に提示されるとした R.ペリーらの新実在論を修正して,実在の世界がそのまま主観に与えられるのではなく,直接に知られるのは知覚与件としての性質複合であって,われわれはそれに対応する実在物の存在を信じるのであるとし,認識に際しての「誤謬」の事実を説明した。





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実在論
実在論

じつざいろん
realismus

  

意識現象のほかになんらかの実在 realitasを認め,その認識が可能であるとする存在論,認識論の立場。存在論的には当の実在を物的なものとみる唯物論 (レウキッポス,ルクレチウス,近世以後の自然科学,マルクス) ,物的なものと霊的なものとみる二元論 (デカルト) ,霊的なものとみる唯心論 (プロチノス,ライプニッツ,バークリー,ラシュリエ) に分けられる。中世の普遍論争において実在論とは個に先立って普遍者が実在するという立場であり,その源流は普遍的本質であるイデアを真実在としたプラトンにあり,観念実在論すなわち実念論と呼ばれる (エリウゲナ,アンセルムス,マルブランシュ) 。この意味の実在論は唯物論,概念論と対立し,客観的観念論と等しい。認識論的には観念論と対立し,日常的体験にみられるように対象が知覚されるとおりに実在するとする素朴実在論,感覚所与に批判を加えることで実在を措定しようとする批判的実在論 (E. v.ハルトマン,キュルペ,ラブジョイ,サンタヤナ) などがある。存在論と認識論は密接な関係にあるが,たとえばカントは物自体の実在を認めるがその認識可能性を否定するから認識論的には不可知論であって,存在論的実在論が必ず認識論的実在論をとるわけではない。現代は実在論が主流となる傾向にあり,代表的な思潮としてはマルクス主義の史的唯物論,新トミズム,ラッセル,ムーアら英米で盛んな新実在論などがあり,現象学や実存哲学もこの傾向に貢献している。





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実在論
じつざいろん realism

原語は〈もの res〉に由来し,〈ものの実際の,真実のすがた realitas,reality〉を把握しているとする立場。観念論に対立する。訳語は明治初期の実体論,実有論を経て,ほぼ20世紀初頭に実在論として定着。中世の普遍論争において,類や種などのカテゴリーすなわち普遍概念を〈実在的なもの realia〉とみなす実念論(概念実在論)者realen,realista と,個々の事物の実在性を認め普遍的概念は〈声 vox〉〈名 nomen〉に過ぎぬとする唯名論(名目論)者 nominalen との対立があり,最初の実在論はこの実念論に当たる。一般には,言葉や観念・想念に依存せず独立に存在する外界の事物の実在性を把握する立場を指す。
 最も初歩的な実在論は素朴実在論 naiverealism であり,われわれが知覚し経験するとおりにものが在り,ものの実在性は知覚し経験するとおりに把握されているとみなす。素朴実在論は,知覚や経験が鏡のようにものの実在性を模写し反映するという素朴な模写説を前提する。しかしものの主観にとっての見え方,現れ方から,ものそれ自身の在り方へと接近しなければならぬ。広義の批判的実在論 critical realism は,われわれの知覚し経験したもろもろの像に,たとえば尺度をあてがって測定し計測し,同種のものと比較対照して抽象し捨象するなど,素朴なものの像に修正を加えて間主観的にものの実在性に近接しようとする。実在論の目標がものの実在性の認識であるとすれば,実在性の認識には,ものの側での現れ方とこれを受容し知る主観の側での能力,状態,状況,装置等との共同が必要であり,いくたの試行錯誤を経て,ようやく認識された実在性が真理性を帯びるに至るのである。
 真理として認識された実在性は人類の知識に編入され,客観的な知識として間主観的に妥当し伝達されうる新種の〈もの〉となる。広義の実在論は,感覚され知覚されうる外界のものの実在性のみならず,人類が獲得する真なる知識の実在性,したがって観念的・理念的なものの実在性をも許容するのである。なお,井上哲次郎の現象即実在論,西田幾多郎の純粋経験で開始する実在論,高橋里美の体験存在論などを,日本における実在論的哲学として西洋のそれと対比することが課題となろう。⇒観念論           茅野 良男
[インド]  インドでは,古来,日常使われる言葉の対象(常識に考えられている世界の諸相)が実在するか否かについて,激しい論争がたたかわされてきた。実在すると主張する側の代表は,ニヤーヤ学派,バイシェーシカ学派,ミーマーンサー学派などである。それによれば,個物はもちろんのこと,普遍とか関係とかも実在することになる。実在するからこそ,われわれは言葉によって意思を他人に伝え,言葉によって考え,行動し,生活することができるというわけである。これに対して,仏教(経量部,ないしその系統をひく論理学派)は,実在するのは刹那(せつな)(瞬間)に消滅する個物のみであり,普遍などは,われわれの分別(ふんべつ)によって捏造された虚妄なもので,たんなる名称,言葉としてあるにすぎないとする。これに類似した説を,ベーダーンタ学派,サーンキヤ学派も唱えている。おおまかにスコラ哲学の用語をあてはめれば,ニヤーヤ学派などが実念(実在)論を,仏教などが唯名論を展開したといえる。
                        宮元 啓一

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実在論
I プロローグ

実在論 じつざいろん Realism 意識や主観から独立した実在をみとめる認識論上の立場。中世哲学と近代哲学とでは、ちがった意味をもつ。

II 素朴実在論と批判的実在論

近代哲学では、机や椅子といった知覚される事物が、知覚する意識から独立して実在すると主張する立場をいう。この意味での実在論は、バークリーやカントらが主張する観念論に対立する。事物がわれわれの知覚するとおりに実在していることを素朴に前提する立場を素朴実在論とよぶ。それに対して、もっと洗練された批判的実在論は、対象とその観察者の間の関係についてなんらかの説明をあたえる。というのも、両者の間には、妄想や幻覚などの知覚上の誤りもまたありうるからである。

III プラトン的実在論

中世哲学では、プラトンのいう形相(→ 形相と質料)、つまり普遍的なものを実在とみなす立場を意味する。この立場は現在では一般にプラトン的実在論とよばれる。

プラトンの哲学によれば、たとえば「ベッド」のような普通名詞は、その対象の定義によってしめされる理想的な性質に関係し、この理想的性質は、同じ類に属する個々の対象から独立した形而上学的な実在をもつ。たとえば、円環性は個々の円とは独立に実在し、正義は、個々のただしい人やただしい状態とは独立に、また「ベッド性」は個々のベッドとは独立に実在する。

IV 実念論、唯名論、概念論

このような実在論は、中世において普遍的なものの実在を否定する唯名論に対置され、この場合には実念論とも訳される。

唯名論は、実在するのは個々の事物だけであり、普遍的概念はたんなる名前にすぎないと主張する。実念論と唯名論を折衷した立場に概念論があり、普遍的なものは個別的なものから独立して存在するが、自立的な形而上学的実体としてではなく、概念として心のうちに存在すると考える(→ アベラール)。


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R.セラーズ
セラーズ

セラーズ
Sellars,Roy Wood

[生] 1880.7.9.
[没] 1973.9.4.

  

アメリカの哲学者。カナダに生れる。 1922年ミシガン大学教授。自然的実在論と主観主義とに反対し,批判的実在論の立場に立った。主著『批判的実在論』 Critical Realism (1916) ,"Evolutionary Naturalism" (21) 。





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新実在論
新実在論

しんじつざいろん
New Realism

  

20世紀初頭にアメリカでは,W.モンタージュ,R.ペリー,E.ホルト,W.ピトキン,E.スポールディング,W.マービンの共著『6人の実在論者のプログラムと第一の政策』 (1910) で顕在化し,『新実在論』 (12) でその名を得た運動で,イギリスの T.ヌウン,B.ラッセル,G.ムーアらの動きと呼応し,両グループまた個人間の考えの違いをこえて,観念論に反対し真正な哲学を形成するとともに科学との新たな結合を試みた。その考えは,(1) ものの存在は,知られるということから独立している。 (2) また,ものの間に成立する関係も,客観的で人の意識からは独立している。 (3) ものは心的な模写を通して間接的に知られるというよりは,直観的直接的に知られることを主張するが,客観的に外在するものを人間がいかにして認識するのか,また (3) が主張されるのであれば,どうして誤謬や幻想が生じるのかを満足に説明できず,1914年頃 A.ロウェジョイらの「批判的実在論」に取って代られた。





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B.A.W.ラッセル
ラッセル

ラッセル
Russell,Bertrand Arthur William, 3rd Earl Russell

[生] 1872.5.18. モンマス,トレレック
[没] 1970.2.2. メリオネス,ミンフォード


イギリスの哲学者,数学者,評論家。ケンブリッジ大学で哲学,数学を専攻,1916年反戦運動により罷免されるまで同大学で講師をつとめた。 50年ノーベル文学賞受賞。初め数学者として出発し,数学は論理学的概念に還元できるとして『数学の諸原理』 Principles of Mathematics (1903) ,『プリンキピア・マテマティカ』 Principia Mathematica (3巻,10~13,A.ホワイトヘッドと共著) を著わし,のちの論理学に多大な影響を与えた。以後哲学の研究に入りイギリス経験論に立った認識論 (マッハ主義,新実在論 ) を展開するが,ここでも数学の研究を通して得られた論理学の成果を取入れている。社会評論家,社会運動家としても 50年代の反スターリン運動,パグウォッシュ会議の開催,ベトナム戦争反対の「ラッセル法廷」などを通し,個人の尊厳擁護と世界平和のために貢献。主著『西洋哲学史』A History of Western Philosophy (45) 。





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ラッセル 1872‐1970
Bertrand Arthur William Russell

イギリスの哲学者,論理学者,平和運動家。ノーベル文学賞受賞者(1950)。伯爵。ケンブリッジ大学に学び,幾何学の基礎にかんする研究で母校のフェロー資格を得,のち講師となる。数学の基礎の研究を志したが,一方で新ヘーゲル主義の影響を受け,一時世界は分析不可能な全体だと考える。しかし20世紀初めころから世界を単純なものの複合体と考え,その単純なものとして感覚所与 sense‐datum をとるに至る。ここに至るには主語‐述語形式を命題と存在の基本と考えるライプニッツの存在論の批判があずかって力があった。こうして古典的な主語‐述語の論理学の代りに関係の論理学を唱導し,さらに数学者ペアノ,フレーゲの業績に触発されて新しい数理論理学を構想。これとともに数学(解析学)を論理学に還元することをはかる。その成果は《数学の諸原理》(1903)に盛られたが,その出版直前に集合論における重要なパラドックス(ラッセルのパラドックス)を発見(1901)。これはのちの論理学,数学基礎論,意味論の動向に大きな影響を及ぼすものであった。ラッセルはタイプ理論の案出によってこのパラドックスを解決し(1908),師 A. N. ホワイトヘッドとともに大著《プリンキピア・マテマティカ》(1910‐13)を著して数理論理学と数学を論理学に還元する論理主義の金字塔を建てた。一方,いわゆる〈記述〉理論を発表して(1905),見かけ上の主語‐述語形式言明を存在言明におきかえる方策を案出,これをもとに存在の種類をできるだけへらす唯名論的な存在論を完成せんとした。それは言語分析・論理分析を哲学に役だてた模範である。ラッセルにとってこのときの基本的存在者(実体)は感覚所与ないし〈事件 event〉であり,物と心,時空的位置などはこれから構成されるものであった。しかし彼はかならずしもこの一元論に徹底したわけではなく,しばしば物との二元論に傾き,知覚の因果説に立ったり,心的働きの位置づけに苦労したりもした。この方面では《哲学の諸問題》(1912)から《人間の知識》(1948)に至るまで多くの著作がある。しかしその立場は基本的にいってむしろ正統的な経験主義である。
 同様なことは倫理学や社会・政治思想についてもいえる。ラッセルはきわめて強い道徳的信念と旺盛な社会的関心の持主であった。自由と平等,反戦,反権力を主張しただけではなく,そのために闘った。男女両性の平等と自由恋愛を主張しただけではなく身をもって実践した。第1次大戦に反対してケンブリッジ大学から追放されただけではなく,投獄の憂目にもあったが,ビキニの水爆実験(1954)以来核兵器廃絶運動に身を挺し,アインシュタインとともにパグウォッシュ会議を主催し(1957年以降),イギリスにおいて〈百人委員会〉を組織したりした(1960)。またアメリカのベトナム戦争に反対してサルトルらと〈ベトナム戦犯国際法廷〉を開いてこれを糾弾した(1967)。しかしラッセルの倫理社会思想は,だいたいにおいて J. S. ミル流の個人主義,功利主義,民主主義である。ただいっそう急進的で無神論的である。彼の特色はつねに明快な結論を追求し,得た結論はどんな障害があってもごまかさずに実行しようとしたところにあるといえよう。             中村 秀吉

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ラッセル,B.A.W.
I プロローグ

ラッセル Bertrand Arthur William Russell 1872~1970 イギリスの哲学者・数学者。ノーベル文学賞受賞者。

ケンブリッジ大学にまなび、卒業後同大学トリニティ・カレッジの特別研究員になる。最初、数学の研究をこころざしたラッセルは、数学者ペアノとフレーゲの影響下に、数学を論理学によって説明しようとした「数学の諸原理」(1903)を刊行する。

II 記号論理学の著作

その後、ホワイトヘッドとともに、記号論理学(→ 論理学)の記念碑的著作「プリンキピア・マテマティカ(数学原理)」(3巻。1910~13)をあらわし、数学を論理学の概念によって基礎づけ、数論や記述理論など多くの画期的な研究をおこなった。

「哲学の諸問題」(1912)では、当時主流であった、すべての対象や経験は観念の中にあるという観念論を批判し、感覚によってとらえられる対象は心に依存しているわけでなく、それ自体で存在していると考えた。

III 論理実証主義への影響

ラッセルは1930年代の論理実証主義(→ 実証主義)の運動に多大な貢献をした。ウィトゲンシュタインはケンブリッジ大学でのラッセルの弟子であり、ラッセルの論理的原子論に強い影響をうけている。ラッセルの自然や知識についての研究は、認識論における経験主義的な考え方をふたたびよみがえらせた。

IV 平和運動

ラッセルは第1次世界大戦に反対して投獄され、ケンブリッジ大学からも追放された。大戦後ソ連をおとずれ、社会主義の現状に失望し、社会主義批判を表明する。1944年にイギリスにもどり、トリニティ・カレッジのフェローに復帰、その後アインシュタインらとともに、反戦、核兵器廃絶運動を熱心にすすめた(→ パグウォッシュ会議)。また結婚や教育についてのわかりやすく急進的な随筆も多くのこした。ほかの著作には「西洋哲学史」(1945)、「人間の知識」(1948)など多数ある。


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G.E.ムーア
ムーア

ムーア
Moore,George Edward

[生] 1873.11.4. ロンドン
[没] 1958.10.24. ケンブリッジ

  

イギリスの哲学者。ケンブリッジ大学教授 (1925~39) として,また哲学雑誌『マインド』の編集主幹 (21~47) としてイギリス哲学界における主導的役割を果した。 1903年『倫理学原理』 Principia Ethicaおよび『観念論の論駁』 The Refutation of Idealismを発表,この2作は当時のイギリス哲学界に流行していたヘーゲル主義的,カント主義的観念論を批判したもので,新実在論と呼ばれるムーア自身の哲学の出発点であった。彼は体系的哲学を否定し,言語分析あるいは論理分析により哲学上の諸問題に光を当てて,さらに新しい問題を発見してゆくという分析的方法を主張した。主著『哲学研究』 Philosophical Studies (22) ,『常識の擁護』A Defense of Common Sense (25) ,『哲学の主要問題』 Some Main Problems of Philosophy (53) など。





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ムーア 1873‐1958
George Edward Moore

イギリスの哲学者。初め F. H. ブラッドリーの新ヘーゲル主義の影響を受けたが,やがて外的事物や時空をはじめとして常識で〈ある〉とされるものはみな存在すると考えるようになる。その考察は緻密・執拗で,認識,存在,倫理の諸原理を概念分析によってとらえようとするもので,その方法は日常言語分析の先駆とされる。ラッセルとともに感覚所与理論を提唱し,倫理学においては善を分析不能な単純なもので,自然的事物やその性質とは本質的に異なるものとしながらもその客観性を認め,それは一種の直観によってとらえられるとする。主著《倫理学原理》(1903)。 中村 秀吉

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ムーア,G.E.
I プロローグ

ムーア George Edward Moore 1873~1958 イギリスの哲学者。倫理学や実在論擁護で有名。ロンドン郊外で生まれ、ケンブリッジ大学にまなび、1911~39年まで同大学でおしえる。

II 言語哲学への影響

ムーアにとって哲学とは、まず第1に分析である。それは複雑な命題や概念を、それと論理的に同じ意味をもつもっと単純な命題や概念によって緻密にとらえようとすることである。たとえば、彼はそれまでの一部の哲学者がとなえた「時間は実在していない」といった主張に対して、「わたしは昨日その記事を読んだ」などといった日常的時間にかかわる事実によって批判した。このようなムーアの、明晰さをもとめる念入りな概念の分析は、20世紀の言語分析の哲学に大きな影響をあたえた。

III 倫理学

ムーアのもっとも有名な著作は、「倫理学原理」(1903)である。その中で彼は、善という概念は、それ以上分析できない単純で定義不可能な性質をしめしていると論じた。彼によると、善は感覚によってではなく、道徳的直観によってわかる性質であり、自然なものではない。

「観念論論駁(ろんばく)」(1903)などの著作は、現代の哲学的実在論の展開に大きく貢献した。ムーアは経験と感覚を同一視することなく、経験論からしばしばおこってくる懐疑主義におちいらないようにした。われわれの外にある世界は、われわれの心の中だけにあるのではなく、それ自体で存在しているのだという常識の立場をまもったのである。

→ 分析哲学と言語哲学


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R.ペリー
ペリー

ペリー
Perry,Ralph Barton

[生] 1876.7.3. バーモント,ポウルトニ
[没] 1957.1.22. マサチューセッツ,ケンブリッジ

  

アメリカの実在論哲学者。ハーバード大学哲学教授。 1912年ほかの5名の若いアメリカ人哲学者とともに新実在論を唱え,外界は認識主体に依存しないことを主張。また価値の基礎を「興味」におき,これに基づいて善・悪の倫理を展開した。第1次世界大戦への従軍の経験をもとに戦闘的民主主義を唱えた。主著"The Present Conflict of Ideals" (1918) ,"Present Philosophical Tendencies" (25) ,"General Theory of Value" (26) ,"The Thought and Character of William James" (35) ,"Puritanism and Democracy" (44) ,"Realms of Value" (54) 。





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ペリー 1876‐1957
Ralph Barton Perry

アメリカの哲学者。バーモント州のポールトニーに生まれ,プリンストン大学とハーバード大学で学び,1902年から46年までハーバード大学で教えた。アメリカ思想史の研究者でもあり,特に W. ジェームズ研究の権威で,《ウィリアム・ジェームズの思想と性格》2巻(1935。1936年度のピュリッツァー賞受賞)の著者としてもよく知られている。ペリーの哲学的立場はみずから〈新実在論〉と称しているもので,論理学,数学および自然諸科学において究明される実体は心的なものではなく,認識する精神とは独立に存在し,それらの実在性は認識のされ方にはまったく依存しないと説く。ペリーらの新実在論運動は伝統的観念論哲学を激しく攻撃し,さらにプラグマティズム運動とも批判的にかかわりながら,〈アメリカ哲学の黄金時代〉を飾った。なお,彼は倫理学および広く価値論一般に最も大きく貢献し,その分野で特に著名である。著書にはアメリカ思想史,W. ジェームズに関するもののほかに,《新実在論》(1912,ペリーを含む6人の新実在論者たちの共著),《価値の一般理論》(1926)などがある。        米盛 裕二

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E.B.ティチェナー
新行動主義
新行動主義

しんこうどうしゅぎ
neobehaviourism

  

J.B.ワトソンの行動主義から発展した心理学の諸学派の総称。 C.L.ハルを中心にしたエール学派が代表的。ワトソンの見解は 1930年頃から次第に修正を受けたが,特に (1) 刺激=反応 (→刺激=反応説 ) の図式が刺激=生体=反応の図式に修正され,(2) 条件反射の素朴な適用から一歩進んで,条件づけの原理に基づきながら仮説的命題を演繹し,かつそれを検証することによって理論の構成が企てられ,(3) しかもこの理論を環境条件と行動経過との関係から論理的に矛盾なく体系化することが試みられた。なお,理論を構成する概念が巨視的か微視的かにより,この主義にも E.C.トールマンや B.F.スキナーらに代表される種々な立場がある。





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[ブリタニカ国際大百科事典 小項目版 2008]
刺激=反応説
刺激=反応説

しげき=はんのうせつ
stimulus-response theory

  

心理学における一学説で,S=R説と略されることもある。一般には,生体の行動ないし心理学的現象が,刺激 (S) と反応 (R) の用語によって,適切かつ完全に記述されるとする構想に基づく心理学説。特に生体の種々の行動の学習が,ある刺激に対する特定の反応の結合によって成立するとする学習理論をさし,学習を認知の再構造化とみる認知説 (→認知地図 ) と対比される。刺激と反応の結合が強化を必要とするか否かにより,強化説と接近説とに2分される。





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認知地図
認知地図

にんちちず
cognitive map

  

E.C.トールマンの用語。単に認知図ともいう。学習に際して,生体が形成する環境の空間的な関係についての認知構造のこと。彼によると,学習は刺激と反応 (S=R) の結合ではなしに,目標とそれに達するための手段との関係についての認知構造ないし認知地図ができあがる過程であり,ネズミが迷路学習を行うにも,目標地点までの,このような認知地図が形成されるという。 (→潜在学習 )





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認知地図
I プロローグ

認知地図 にんちちず Cognitive Map 認知地図というのは、ある人がその周囲環境の空間的配置に関してもつ内的表象(イメージ)であると定義することができる。たとえば、旅行者に道順をたずねられたとき、われわれは頭の中にここからそこまでの概略的な地図をくみたて、そこにいたるまでの間にある建物や交差点など目印になるものを思いうかべながら、その道順を説明するだろう。

そのような認知地図は、地理や空間に関するさまざまな経験を、その相対的な位置や空間的属性に関してコード化し、長期記憶(→ 認知心理学の「長期記憶」)の中に貯蔵したものである。それが必要に応じて検索され、再生可能になっているものと考えられる。われわれがふだん、通勤や通学のためにいつもの最短の道順をとおることができるのも、あるいは現在の位置から目的地までをおおよそ見当をつけることができるのも、柔軟な認知地図をそのつど組み立てることができるからにほかならない。

II 認知地図の構成要素

認知地図の成立には地理的情報と、直接経験による情報の2つが必要であるが、そこでえられた情報のすべてがそれに稼働されるわけではない。自分にとって必要な情報が選択的にぬきだされ、利用可能なように体制化されている。ケビン・リンチは都市イメージを構成するのに必要な要素として、目印になる建物(ランドマーク)、道路(ルート)、道路の交差点(ノード)、地域区分の縁(エッジ)、まとまった地域(ディストリクト)の5点をあげている。われわれの認知地図は少なくとも最初の3つをふくんでいるはずであり、経験によってその内容がより精緻になっていくことが考えられる。

III 認知地図の成立過程

そこで認知地図の成立過程を考えてみると、一般に、まず目印となるものが記憶される段階がある。これはまだ、個々の特徴を断片的に把握しているにすぎない段階である。次は目印と目印の間をつなぐいくつかのルートが記憶され、ルートマップが頭の中になりたつ段階である。ここではまず部分と部分の接続が可能になり、それから全体的な位置関係がほぼおさえられて、大まかな全体にまとめられつつあるが、その内容はまだ穴だらけである。そして最後に、ルートとランドマークが部分領域ごとに整理され、各部分領域が総合された全体として、認知地図が精緻化される段階がくる。

いわゆる「土地勘がある」というのは、この第3段階の認知地図がえがけるほどに、地理的、空間的な情報の精緻化がなされているということだろう。それと同時に、利用可能な認知地図であればあるほど、それはどの視点からもえがきだせるものになっていて、今ここの視点に束縛されないという自由度をもかねそなえているはずである。

IV 認知地図の特徴

いうまでもなく、認知地図は実際の地図の空間配置にかならずしも一致しない。欠落、省略があることはもちろん、方向や距離が相当ずれていることもまれではない。京都や札幌のような碁盤の目の町並みの場合はともかく、道路が斜めになっている町では、交差点は直交しているように表象されやすい。実際にあるいているときでも、見当がくるってあらぬ方向にいってしまうことがままある。

このことは、認知地図を実際に紙の上にえがかせてみるとよくわかる。ルートの距離はそこに記入する目印項目がふえるほど、長めにえがかれやすい。生活科の授業などのときに、小学校の低学年生に自分たちの地域の地図をえがかせてみると、子供たちが何を目印にしているか、空間配置をどのように表象しているかがわかって興味深い。また、老人性痴呆患者の徘徊や迷子の問題も、認知地図を構成できなくなることの問題として考えてみる余地がありそうである。


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認知構造
認知構造

にんちこうぞう
cognitive structure

  

K.レビンの心理学で用いられた基本概念の一つ。行動する主体である生体に認知されたものとしての環境のこと。生体の要求などによりその内容が規定され,必ずしも物理的環境の正確な反映ではないが,行動の起り方に直接影響している。また学習や思考過程にみられる行動の変化を,認知構造の変化として説明する考え方もある。生活空間,緊張体系などとともに,レビンの行動理論の中軸をなしている。最近では,多くの認知論的心理学説の中心概念となっている。





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K.レビン
レビン

レビン
Lewin,Kurt

[生] 1890.9.9. モギルノ
[没] 1947.2.12. マサチューセッツ,ニュートンビル

  

ドイツ,アメリカの心理学者。ベルリン大学教授となったが,ナチスの迫害を逃れて 1932年渡米,コーネル大学,スタンフォード大学,アイオワ大学,マサチューセッツ工科大学教授を歴任。初期の業績としては,ウュルツブルク学派の意志説に対する批判,科学基礎論,さらに情意の分野での斬新な実験的研究などが著名であり,ゲシュタルト心理学の確立に大きく貢献した。渡米後は社会心理学に場理論と力学説を導入し,この分野に画期的な影響を与えた。主著『物理学,生物学の発達史における発生の概念』 Der Begriff der Genese in Physik,Biologie und Entwicklungsgeschichte (1922) ,『意図,意志および要求』 Vorsatz,Wille und Bedrfnis (26) ,『心理学における法則と実験』 Gesetz und Experiment in der Psychologie (29) ,『パーソナリティの力学説』A Dynamic Theory of Personality (36) ,『トポロジー心理学の原理』 Principles of Topological Psychology (36) ,『社会科学における場理論』 Field Theory in Social Science (51) 。





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ゲシュタルト心理学
ゲシュタルト心理学

ゲシュタルトしんりがく
Gestalt psychology

  

形態心理学ともいう。現代の知覚研究の基礎となった 20世紀の心理学の一派。過去の理論の原子論的アプローチに対する反発として公式化されたもので,全体は部分より大きいことを強調し,いかなるものであれ,全体の属性は部分の個別的な分析から導き出すことはできないとする。ゲシュタルトという言葉は,物事がどのように「形づくられた」か,あるいは「配置された」かを意味するドイツ語で,正確に対応する訳語はない。通常「形」「姿」と訳され,心理学では「パターン」「形態」という語をあてることが多い。ゲシュタルト理論は,連合心理学と,経験をばらばらの要素に分解する構成心理学の断片的な分析手法に対する反発として,19世紀末にオーストリアと南ドイツで創始された。ゲシュタルト研究は代りに現象学的な手法を用いた。この手法は直接的な心理経験をありのままに描写するというもので,その歴史はゲーテまでさかのぼるといわれる。どのような描写が認められるかという制約はない。ゲシュタルト心理学は,一つには精神生活の科学的研究に対する味気ないアプローチと考えられたものに,人間主義的な側面を加えようとした。また,一般の心理学者が無視するか科学の範囲外とみなした,形と意味と価値の質を包含しようとしたものでもある。
M.ウェルトハイマーは,1912年にゲシュタルト学派を確立したとされる論文を発表した。これは W.ケーラー,K.コフカとともにフランクフルトで行なった実験的研究に関する報告で,この3人がその後数十年間にわたってゲシュタルト学派の中核となった。初期のゲシュタルト研究は,知覚の分野,特に錯視の現象によって明らかになった視覚の体制化に関心をもっていた。ゲシュタルトの法則の強力な基盤である知覚の錯覚がファイ現象で,12年にウェルトハイマーによって命名された仮現運動の錯覚である。ファイ現象とは錯視のことで,複数の静止対象がすばやく引続いて示されると,ばらばらなものと感じることのできる識閾をこえるので動いているように見える (この現象は映画を見ている際に体験される) 。知覚的経験の感覚が物理的刺激と1対1の関係をもつとする古くからの仮説では,ファイ現象の効果は明らかに説明できない。知覚された運動は独立した刺激のなかに存在するのではなく,それらの刺激の関係的特徴に依存して現れる経験である。観察者の神経系の働きと知覚的経験は,物理的インプットを受動的にばらばらに記録するわけではなく,むしろ,分化した部分を伴う一つの全体的な場としての体制化された全体となる。この原理はのちの論文でプレグナンツの法則として述べられた。加えられた刺激の神経的,知覚的体制化によって,一般の条件が許すかぎり,よいゲシュタルトが形成されるというものである。
新しい公式化に関する主要な労作は,その後の数十年間に生れた。ウェルトハイマー,ケーラー,コフカおよび彼らの弟子たちは,ゲシュタルトのアプローチを知覚の他の分野,課題解決,学習,思考などの問題に拡大した。その後ゲシュタルトの諸法則は,特に K.レビンによって動機づけや社会心理学,またパーソナリティに適用され,さらには美学や経済行動にも導入された。ウェルトハイマーは,ゲシュタルトの概念が倫理学,政治行動,真理の本質に関する諸問題の解明に適用できることを指摘した。ゲシュタルト心理学の伝統は,R.アルンハイムらによってアメリカで行われている知覚の研究に受継がれている。





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ゲシュタルト心理学
ゲシュタルトしんりがく gestalt psychology

心理現象の本質はその力動的全体性にあり,原子論的な分析では究明しえないとする心理学説。19世紀後半,科学として産声をあげた心理学は,当時の自然科学を規範とした要素還元主義であり,構成主義であった。しかし,1890年エーレンフェルス Christian von Ehrenfels はこのような機械論的構成主義のもつ欠点を明らかにする論文を発表した。たとえばメロディを1オクターブ上げても同じ感じを抱くように,〈要素の単なる結合ではなく,それとはある程度独立した新しいもの〉,すなわち〈形態質 Gestaltqualit∵t〉の存在を指摘した。ゲシュタルト心理学の先駆をなしたのは,彼をはじめとするオーストリア学派の人々であった。1912年,ウェルトハイマーは仮現運動に関する実験的研究を発表したが,これがゲシュタルト心理学の誕生であった。ウェルトハイマーと,彼の実験の被験者となったケーラーとコフカの3人が,以後,当時の構成主義心理学に対して反駁(はんばく)を行い,この新しい心理学を樹立した。その主張の第1は,心理現象が要素の機械的結合から成るという〈無意味な加算的総和〉の否定である。心理現象は要素の総和からは説明しえない全体性をもつと同時に構造化されているとして,このような性質を〈ゲシュタルト Gestalt〉と呼んだ。そして構造化される法則〈ゲシュタルト法則〉を見出した。各要素はその全体性の中で説明されるのであって(部分の全体依存性),その逆ではない。第2に刺激と知覚との1対1の対応関係(恒常仮定)を否定し,刺激は全体的構造の枠内で相互の力動的関係の上から知覚されると主張する。このような全体的力動的構造の概念は,当時の物理学の場理論の影響を否定しえないが,ケーラーの心理物理同型論やレウィンのトポロジー心理学説へと発展していった。ゲシュタルト心理学は心理学のあらゆる研究領域にわたって大きな影響を与え,心理学の主要な潮流となったのみならず,精神医学や神経学など隣接科学にも影響を及ぼした。日本も例外ではなく,昭和の初めから第2次大戦後にかけて隆盛をきわめた。⇒心理学  小川 俊樹

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ゲシュタルト心理学
I プロローグ

ゲシュタルト心理学 ゲシュタルトしんりがく Gestalt Psychology ゲシュタルト心理学は、ブントにはじまる構成主義心理学へのアンチテーゼとして展開をみた、20世紀前半の重要な心理学思潮のひとつである。

II 構成主義

ブントの構成主義の立場は、次の2つの前提の上にくみたてられている。(1)全体は並列的にあたえられた要素的内容の総和にほかならず、全体の特性はすべて要素の「寄せ集め」の上にくみたてられる。(2)個々の刺激とその感覚(ないしその生理的過程)との間には1対1の対応がある。これらはそれぞれ、モザイク・テーゼおよび恒常仮説とよばれた。これらを批判する中で、部分や要素に対する全体の優位性をテーゼとしてかかげたゲシュタルト理論が生まれる。

III 構成主義への批判

1912年、ウェルトハイマーは上記の構成主義心理学を批判する目的をもって、仮現運動(見かけの運動知覚のひとつ)に関する研究を発表した。暗室において細長い光の帯aを瞬間的に提示し、短時間(最適時間は約60ミリ秒)おいてから次に光の帯bを瞬間的に提示すると、aからbにむかって光の帯がとぶのが知覚される。このキネマ性運動知覚は、先の構成主義の2つの前提によっては理解することができない。なぜなら、a、bは相互に独立の光の帯の点滅があるにすぎないにもかかわらず、光の帯の点滅は知覚されず、むしろいきいきとした運動印象が知覚されるからである。この運動印象は、したがって個々の刺激の特性によるものではなく、刺激条件の全体的な性質によるものと考えなければならない。

IV ベルリン学派の主張

このウェルトハイマーの仮現運動に関する研究を出発点として、ケーラー、コフカなど、ベルリン学派の人々は主に知覚を中心にそのゲシュタルト論を展開した。たとえば4点が正方形を構成するように配置されているとき、その1点を対角線の中点に移動させると、要素の数は同じであるが、しかしその4点が形づくるのは直角二等辺三角形である。これからわかるように、最初の図形とあとの図形の相違はたんなる構成要素の数の相違ではなく、むしろ形のもつ全体的性質(ゲシュタルト)の違いである。この形のまとまり(ゲシュタルト)において、各部分は全体に対して独立に自存してはおらず、むしろその全体の中で相互に依存しあっている。より一般化していえば、所与は、本来、いろいろな秩序において構造をそなえた「まとまりのある」ものとしてあたえられ、そのような全体ないし全体特性はけっして要素ないし部分に還元できない。これがゲシュタルト理論の基本主張である。

V ゲシュタルトの意味

もともと「ゲシュタルト」という用語そのものは、グラーツ学派のいう「ゲシュタルト性質」に由来する。ゲシュタルト性質とは、要素に分解したのでは霧散してしまうような性質、つまりそれを構成する要素の総和以上のなにものかであり、それ自体が一つの全体であるような性質のことである。たとえば、メロディは個々の音の総和以上のなにものかである。このことは、ある調のメロディがほかの調に移調されてもメロディの全体性質(ゲシュタルト性質)はかわらない事実に明らかである。しかしながら、ベルリン・ゲシュタルト学派によれば、グラーツ学派の全体性質の理解は、いまだ「要素の総和になにかがつけくわわったもの」という要素主義の残滓(ざんし)をとどめている。これを払拭し、部分に対する全体の優位を強く主張してはじめてゲシュタルト理論たりうるのだという。

VI ゲシュタルト法則

ウェルトハイマーは、全体的なまとまりとしてのゲシュタルトは所与の自発的な体制化によると考え、この体制化の規定要因を、ゲシュタルト要因ないしゲシュタルト法則とよんだ。それらを列挙すると、(1)近接の要因:ほかの条件が一定ならば、近い距離にあるものがまとまる。(2)類同の要因:ほかの条件が一定ならば、同種のものがまとまる。(3)閉合の要因:たがいにとじあうものは、とじあわないものよりまとまりやすい。(4)よい曲線の要因:滑らかな曲線になるようにまとまる。(5)共通運命の要因:たがいに変化し、ともにうごくものは一つにまとまる傾向にある。彼はこれらの要因にくわえて、「心的現象はそのつどの条件のゆるすかぎりにおいて、全体として形態的にもっともすぐれ、もっとも秩序だった、もっとも簡潔なまとまりをなそうとする傾向がある」ことを指摘し、これをプレグナンツ(pragnanz)の原理とよんだ。各ゲシュタルト要因は、このプレグナンツの原理の具体的な表れとみることができる。

VII 実験現象学派

さて、こうしたゲシュタルト心理学の要素主義批判、連合主義批判は、別の角度からみれば、構成主義心理学がいきいきした心的現象から遊離し、観念的に切りだした要素の思弁的分析に終始してきたことへの批判でもあった。そこからゲシュタルト学派の人々は、自らのゲシュタルト研究はいきいきしたあるがままの心的事象に回帰し、それらを綿密に記述していこうとする立場でもあると主張する。こうして、素朴な自然的態度のもとに現象をあるがままの相においてとらえ、とりあげられた現象の本質的条件を解明しようとする、D.カッツ、E.J.ルビンなどの実験現象学派の立場が、ゲシュタルト心理学に重なってくる。なかでも、現象的世界が「図と地」の構造をもつというルビンの現象学的記述は、ベルリン学派によって高く評価され、ゲシュタルト心理学への重要な貢献とみなされた。

VIII 発展と変容

知覚研究を中心に開始されたベルリン学派の研究は、その後、ケーラーの類人猿の知恵実験、コフカの知覚研究、ウェルトハイマーの生産的思考の研究などへと拡大され、「洞察」「枠組」「関与系」といった重要な概念を生みだし、大きな学問的運動へと広がりをみせていった。しかし、ナチズムの台頭とともに、中心的に活躍した多くのユダヤ系研究者(ウェルトハイマー、ケーラー、コフカもそこにふくまれる)が亡命を余儀なくされ、当時のアメリカにおける行動主義心理学の活発な動きにのみこまれてしまった。


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M.ウェルトハイマー
ウェルトハイマー

ウェルトハイマー
Wertheimer,Max

[生] 1880.4.15. プラハ
[没] 1943.10.12. ニューヨーク

  

ドイツの心理学者。ゲシュタルト心理学の創始者。フランクフルト,ベルリン大学で教鞭をとり,1929年フランクフルト大学教授。 33年渡米,ニューヨークの New School of Social Research (新社会研究所) 大学院教授。運動視および思考研究はゲシュタルト理論の端緒となった。その他,論理学,倫理学,真理の哲学的問題にも関心を示し,きわめて独創的な学風で影響を及ぼした。主著『運動視の実験的研究』 Experimentelle Studien ber das Sehen von Bewegung (1912) ,『ゲシュタルト学説についての研究』 Untersuchungen zur Lehre von der Gestalt (21,23) ,『ゲシュタルト説に関する3つの論述』 Drei Abhandlungen zur Gestalttheorie (25) ,『生産的思考』 Productive Thinking (45) 。





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ウェルトハイマー 1880‐1943
Max Wertheimer

プラハ生れのドイツの心理学者で,ゲシュタルト心理学の創始者。ベルリン,ビュルツブルクの各大学で学んだ後,フランクフルト大学で仮現運動の知覚実験を行い,その成果を《運動視に関する実験的研究》(1912)として発表。以後,雑誌《心理学研究》を創刊し,ゲシュタルト心理学の発展に力を注いだ。1933年アメリカに移住。ゲシュタルト理論の思考過程への適用を意図した《生産的思考》(1945)は死後出版された。        小川 俊樹

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ウェルトハイマー,M.
ウェルトハイマー Max Wertheimer 1880~1943 ドイツの心理学者。ゲシュタルト心理学の創始者のひとり。ベルリン、ビュルツブルク、ウィーンなどの諸大学をへたのち、1910年にフランクフルト大学にうつり、「運動視に関する実験的研究」を発表した(1912)。実際には光の点滅にすぎないものが、みかけのうえでは光が運動してみえるというこの仮現運動に関する実験は、感覚の寄せ集めによって現象を説明するブントの構成主義心理学を打破するための決裁実験(理論的論争に決着をつけるための実験)であり、またゲシュタルト心理学誕生の第一声となるものであった。

この実験の被験者になったのが、当時フランクフルトをおとずれていたケーラーやコフカであった。この研究およびゲシュタルト要因に関する研究から、彼は「全体特性=ゲシュタルトは部分の総和に還元されえないそれ以上のなにものかである」というゲシュタルト心理学の基本テーゼをみちびき、以後ケーラーやコフカらとともにこのテーゼを裏づける一連の実験論文を発表する。そして1921年から「心理学研究」誌を刊行し、また22年からはベルリン大学員外教授となってゲシュタルト理論の体系化に寄与した。33年、ナチズムの迫害をさけてアメリカに移住したが、その後も研究活動に従事し、没後に有名な「生産的思考」(1945)が出版されている。


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W.ケーラー
ケーラー

ケーラー
Khler,Wolfgang

[生] 1887.1.21. タリン
[没] 1967.6.11. ニューハンプシャー,エンフィールド

  

ドイツの心理学者。ゲッティンゲン大学教授を経てベルリン大学教授,ナチス政権に反対し渡米 (1935) 後はスワースモア大学教授。ゲシュタルト心理学の創始者の一人。第1次世界大戦中,カナリア諸島で類人猿の課題解決に関する独創的な実験を行い,見通し学習を提唱,さらに時間錯誤,図形残効などの実験から,現象と脳過程との同型説を主張するとともに,ゲシュタルト心理学の理論的発展のための重要な著作を発表した。主著『類人猿の知恵試験』 Intelligenzprfungen an Menschenaffen (1917) ,『ゲシュタルト心理学』 Gestalt Psychology (29) ,『事実の世界における価値の位置』 The Place of Value in a World of Facts (38) 。





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ケーラー 1887‐1967
Wolfgang KÅhler

ドイツの心理学者。1909年ベルリン大学で学位を得た後,フランクフルト大学でウェルトハイマーの助手をつとめ,ゲシュタルト心理学の創始者の一人となった。13年から20年まで大西洋のテネリフェ島で類人猿をはじめとした動物の知能の研究に従事。チンパンジーの問題解決行動から,状況の全体的把握や関係の直観的理解の重要性を見いだし,これを〈見通し Einsicht〉と呼んだ。その成果は《類人猿の知恵試験》(1917)にまとめられた。物理学者 M. プランクに学んだケーラーはその豊かな物理学の知識をもとに,20年には物理現象にもゲシュタルト法則が適用しうることを主張し,同時に心理過程と脳の生理過程は同一であるという心理物理同型論を発表。34年アメリカに移るまで,ベルリン学派と呼ばれるゲシュタルト心理学の隆盛な一時期を築いたが,後年は図形残効の研究に力を注ぎ,終生理論家であると同時にすぐれた実験者でもあった。         小川 俊樹

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ケーラー,W.
ケーラー Wolfgang Kohler 1887~1967 ドイツの心理学者。ベルリン大学でシュトゥンプの門下にあった彼は、1910年、コフカとともにフランクフルトのウェルトハイマーをたずね、彼の記念碑的な実験に協力するいっぽう、彼からゲシュタルト心理学の構想をきいたといわれる。12年フランクフルト大学講師。13~20年にかけては、有名な「類人猿の知恵試験」の資料をえることになったテネリフェ島の類人猿研究所所長。21年にウェルトハイマーらとともに「心理学研究」誌を発刊。

1922年にはシュトゥンプの後任としてベルリン大学の正教授となり、ウェルトハイマー、コフカ、レウィンらとともにいわゆるベルリン・ゲシュタルト学派を形成し、内外に多大の影響をおよぼすようになる。わけても彼は、ゲシュタルト心理学の体系的理論化をめざし、心理・物理同型説をとなえて大脳過程の解明を展望するいっぽう、チンパンジーの課題解決が試行錯誤的におこなわれるのではなく洞察によっておこなわれることを明らかにし、さらには記憶痕跡(こんせき)仮説、場理論の導入をこころみるなど、学派第一の理論家として縦横の活躍をしめした。しかし、ナチスの迫害によって35年にアメリカに移住せざるをえなくなり、移住してからのちは、ドイツにいたころのようなめだった活躍をしないまま生涯をおえている。

→ 図形残効

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問題解決
課題解決

かだいかいけつ
problem solving

  

心理学用語。人間や動物が課題状況,すなわちある特定の目標を達成する手段が明らかでない状況に当面したとき,新しい反応様式を見出したり,課題に対する新しい見方を獲得し,その目標を達成する過程。この過程には通常,漠然とした探索の段階が最初に現れ,次いで解決が行われるが,この解決が試行錯誤的に漸進的になされると主張する立場 (E. L.ソーンダイク) と見通しによるとする立場 (W.ケーラー) がある。後者では,課題状況の構造転換が生じ,課題のキーポイントが突如として把握されることによって解決にいたると考えられている。





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問題解決
もんだいかいけつ problem solving

解決にいたる手段がすぐにはわからず,また習慣的な手段では解決できない問題に直面したとき,あれこれ手段を探索し,正しい手段を発見し,解決にいたることをいう。この意味では思考と同義であるが,思考には夢や幻想ないし白昼夢で生じる連想的思考も含められることもあるので,問題解決は思考の下位概念となる。また思考を再生的思考と生産的ないし創造的思考に二分する立場からみると,問題解決でも過去経験や既有知識が大きな役割を果たすが,それらの単なる再生によって解決されるわけではないので,問題解決は生産的ないし創造的思考に近いとみることができる。
[試行錯誤か洞察か]  問題解決では,解決への手段の探索と発見が行われるのであるが,それが試行錯誤的に行われるのか,突然に洞察的に行われるかの問題が,連合主義心理学とゲシュタルト心理学の間の理論的問題として論争された。E. L. ソーンダイクは,木箱に空腹のネコを入れ,ネコが箱のとびらを開くためのしかけをどのように発見するかを調べた。ネコは多くの場合さまざまな行動を示すが,偶然しかけが操作されてとびらが開き,食物にありついた。これが繰り返されると,ネコは前半のむだな行動(試行錯誤的行動)を最小にし,すぐに解決するようになる。このような行動は,迷路や人間の問題解決の場合にもみられる一般的なもので,試行錯誤と呼ばれ,学習を含む知的行動を説明する基本的な概念となっている。
 他方,ゲシュタルト心理学者のケーラー W.KÅhler(1917)はチンパンジーを用いて実験し,ソーンダイクと対照的な結論を導いた。ケーラーのある実験では,チンパンジーはおりに入れられ,手のとどくところに棒が置かれている。その棒を用いてバナナをひきよせるのが解決法である。チンパンジーは初めさまざまな試みをするが,突然,きわめて慎重に棒でバナナをひきよせる。棒を道具として用いたことは,手段―目的関係を多少なりとも把握していたとケーラーは主張する。このように,問題を解決するためには,目の前の単純な知覚の場に直接にはあらわれていない関係の把握が必要であり,ある種の象徴機能も関与しなければならないと考えられた。これは場が再構造化されることをさし,洞察と呼ばれている。
[試行錯誤から洞察へ]  問題解決過程が試行錯誤的か洞察的かという論争は,その理論的背景の対立からなされてきたが,最近ではそれを統合して解釈しようと試みられている。たとえば,試行錯誤は人間を含む動物の知的行動の基本的メカニズムであるとされてきたが,人間の場合,問題解決場面で試行錯誤が解決にいたるまで続くことはまれであろう。少なくとも,人間が解決への手段がわからない事態で示すさまざまな行動といっても,多少とも組織的で仮説検証的な試みと考えられる。試行が進むにつれて誤りが減るのは,検証されるべき仮説の妥当性が高まるためである。この意味で,人間の問題解決では,試行錯誤的といわれている行動パターンを漸次的分析と呼んだ方が適切であると主張する人もある。
 他方,洞察的行動が突然起こるといっても,過去経験や学習から独立して起こるのではなく,むしろそれらに大いに依存している。たとえば,年少のチンパンジーに棒を道具として使う経験を十分与えておくと,そのような経験を与えないチンパンジーではみられない,食物を得るために棒を使用することをしたという。
 これらを考えると,試行錯誤か洞察かという二者択一的とらえ方ではなく,試行錯誤から洞察へというとらえ方が妥当なように思われる。
[問題解決過程の諸相]  問題解決者が実際の問題に直面したときにどのような過程を経るのかについてはいくつかの説が出されている。J. デューイは探究の6段階説として問題解決の論理を述べている。ここでいう探究とは,不確定な状況を確定した状況に変えることで,主観的には疑いから確信にいたる過程である。その6段階を要約すると,以下のようになる。(1)問題状況 探究をひきおこす先行条件としての不確定な状況。(2)問題設定 問題(不確定な状況)をはっきりさせる段階。(3)問題解決の決定=仮説 可能な解決が示唆され,解決のプランを決定する段階。(4)推論 仮説に含まれる観念の意味内容を,観念相互の関係において検討する段階。(5)実験 仮説を推論の帰結にしたがって実行にうつす段階。(6)保証づきの言明。
 この過程の妥当性や,各ステップの重要性は,問題の種類や,解決者の知的発達の水準の違いによっても異なるであろうが,典型的な問題解決事態での一般的な解決過程として受け入れられよう。
[問題解決過程を規定する解決者の条件]  (1)先行学習 R. M. ガニエによれば問題解決は高次の原理学習であるので,少なくともそれに必要な下位原理を学習していなければならないし,それを適宜再生できなければならない。(2)既有知識 (1)をもっと一般的にいえば,問題解決は解決者のもっている知識に依存するということになる。しかしつねに知識が問題解決を促進させるというわけではなく,不十分な知識はかえって解決を妨げることもある。(3)構え われわれにはもののとらえ方や考え方が,固定的で習慣的になりやすい〈構え〉がある。このような構えが問題解決を促進させる場合もあるが,むしろそれを妨害する場合も多い。たとえば〈小箱はものを入れるもの〉という構えがあると,その小箱をろうそく立てとして利用しなければならない問題の解決を妨げる(ドゥンカー K. Duncker の実験)。ドゥンカーはある文脈で一つの機能を満たしている要素はこの機能に固着しており,他の機能(問題解決に必要な)として用いられにくいことを機能的固着と呼んでいる。(4)認知スタイル 問題解決過程と認知スタイルとの関係の研究はまだ少ないが,問題解決における問題事態は,直接的には解決しえない事態なので,いくつかの選択肢からどれを選択するかの個人差が大きく働いてくると思われる。また,いったん形成された構えが新しい問題に直面しても変えにくいという〈堅さ〉にも個人差がある。これも認知機能の個人差が問題解決過程を規定する一つの条件であることを示唆している。
                        杉原 一昭

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問題解決
I プロローグ

問題解決 もんだいかいけつ Problem Solving 心理学における問題解決という研究領域は、次の3つのタイプの研究をとおしてとりくまれてきた。1つ目はゲシュタルト心理学が主としてとりくんだもので、問題解決とは知覚の再体制化にもとづく洞察であるという観点にたつ。2つ目はE.L.ソーンダイクの試行錯誤説にもとづいて、問題解決は刺激と反応の連合が変化して特定の反応がおこりやすくなることだと考える。3つ目は、問題解決とは定義された問題空間を探索し、要求されている状態に、ステップをふんでたどりつくことだという考えである。3つ目の立場が、近年のコンピューターをもちいた問題解決研究につながり、前2者は古典的な研究に属するといえる。

II 洞察説

有名な洞察的な問題解決課題としては、たとえば「マッチ棒を6本つかって正三角形を4つつくれ」とか、「正方形をなすように、上段に3個、中段に3個、下段に3個、等間隔で合計9個の点をえがき、これらの点のすべてを一筆書きの4本の線分でむすべ」というような例をあげることができる。前者は、正4面体をつくれば解決に到達するが、通常われわれは平面図で考えようとするので、なかなか解決に到達しない。後者も、9点でつくられる正方形をはみだして、線分をえがくことを考えつけば解決にいたるが、どうしても正方形の枠内での結線を考えてしまうので解決に到達しにくい。

ゲシュタルト心理学の創始者のひとりであるケーラーは、ソーンダイクの試行錯誤説に反対し、問題解決は一歩一歩、漸進的にすすむものではなく、洞察によって一気に解決にいたるものだと考え、これをチンパンジーの問題解決行動の記述をとおして明らかにした。あるチンパンジーは、天井からぶらさがったバナナをとろうとして、何度かそれにとびつこうとしたがとどかない。おりの中には台がある。しばらくバナナや台をみていたこのチンパンジーは、突如として台をバナナの下にはこんでそれにのぼり、バナナを手にいれた。この場合の問題解決は、試行錯誤によらずに洞察によって一挙に達せられている。

III 試行錯誤説

これに対してソーンダイクは、木の箱の中にネコをいれ、そのネコが箱をあける仕掛けをどのように発見するかをしらべた。ネコがたまたまその仕掛けをうごかすと、外にでられる。そこでまた箱の中にいれる。これをくりかえすうちに、ネコは箱にいれられるとすぐにこの仕掛けをはずして外にでるようになった。この場合、問題解決行動は、試行錯誤によって徐々に習得されている。そこから行動主義の立場では、ある刺激に対してはまずそれにもっともおこりやすい反応が生じるが、それが今の問題解決に適合しない場合、順次ほかの反応が生起し、その過程で最終的に適切な反応が生じると考える。

IV 情報処理的問題解決

今日の情報処理的な問題解決の考え方によれば、まず問題とは、達成されるべき状態が達成されずに、現状と目標の間にギャップがある状態と定義される。また、問題もさまざまあって、解決方法を機械的に適用すればとける問題(公式にあてはめれば解が得られるような問題)もあれば、正4面体や9点問題のように、想像力を発揮しなければとけないような問題もある。J.R.アンダーソンは、前者をルーチン的問題、後者を創造的問題とよんだ。

問題解決にいたる手段や制約条件などが明確に規定された問題を「よく定義された問題」、そうなっていない問題を「わるく定義された問題」という。こうして問題解決とは、所与の状態からいくつかの変換過程をみちびき、それによって要求されている目標にたどりつくことだということになる。過程を問題にする点では試行錯誤説に似ているが、その変換過程でいくつかの手段の選択の可能性があり、それをそのつど評価して手段の選択を決定し、次のステップにすすむというかたちで最終目標にいきつく点では、けっして試行錯誤的でない。

V ヒューリスティクス法

A.ニューウェル、およびJ.C.ショーとH.A.サイモンの「一般問題解決プログラム」では、手段・目的分析法がもちいられた。これは、初期状態と目標とのギャップをうめる手段を選択するために、その下位目標を設定し、そのためにまた手段・目的分析をおこなって、というように、いくつかの下位ステップをふんで進行していくものである。このほかにも、ヒューリスティクス法とよばれる解決手段がある。コンピューターのアルゴリズム法はおこりうるすべての事態を列挙して、シラミつぶしにしらべていく方法であり、これはまさにコンピューター向きの解決方法であるが、人間向きではない。人間の場合、それが今の問題解決にかならず役だつかどうかはわからないが、かつてうまくいった方法をとりあえずここでつかってみようというような試みをしばしばおこなう。これをヒューリスティクス法という。

コンピューター・シミュレーションによる問題解決は、人間がつまずきそうなところをうまくシミュレートできなければならない。そこで、人間の問題解決過程における内観を言語報告させ、プロトコルを記述する。プロトコルとは、解決までの道筋、方法・手段を考えることである。そのプロトコル分析をコンピューター・シミュレーションに利用して、人間の問題解決の問題にせまろうとする研究がふえつつある。

コンピューターでは、問題の解き方に関する知識をヒューリスティクスな知識といい、知識の使い方に関する知識をメタ知識という。エキスパート・システムなどのプログラムでは、人間がもつ個別の知識と、こうしたより高次の知識を記号化している。

→ 人工知能


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試行錯誤
試行錯誤

しこうさくご
trial and error

  

課題場面におかれた生体が,既知の解決法のないときに,手当り次第の反応を次々に試みていくことによって,最後には課題を解決するにいたるような行動様式。またこのような行動様式に基づく課題解決ないしは習慣形成の一形式のこと。 E.L.ソーンダイクは,種々の問題箱を用いて動物が一定の動作により箱からの脱出に成功するにいたる過程を研究し,効果の法則との関連で,これを学習の基本形式とした。





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試行錯誤
しこうさくご trial and error

E. L. ソーンダイクが,動物や人間の学習を最もよく特徴づけるとして唱えた説。その後これを〈選択と結合の学習〉と呼びかえた。彼は猫用問題箱で実験をしたが(1898),この箱の外側のかんぬきは,内側の紐を飢えた猫が正しく操作すればはずれて扉が開き,箱から脱出でき,品が食べられる仕組みになっていた。猫ははじめ脱出したい衝動から可能なあらゆる反応をでたらめにおこすが,しだいにうまく脱出し品を食べるようになる。この試行を繰り返させ時間を記録すると,脱出所要時間は短縮されて不必要動作は消失し,目標達成に有効な一連の動作がすばやく続くだけとなり,学習は完成する。その結果,不満足な反応は起こりにくくなり,偶然の成功に導いた反応が次の試行におこりやすくなる。この現象を彼は〈効果の法則 law of effect〉(有効な反応が他の反応を退けて学習が成立するとする説)で説明し,この過程を試行錯誤と呼んだ。これに対して〈洞察(見通し)〉〈あっそうか体験〉〈潜在学習〉などを学習の本質として強調するゲシュタルト心理学派や E. C. トールマンなどの立場もある。⇒学習   梅津 耕作

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効果の法則
効果の法則

こうかのほうそく
law of effect

  

心理学用語。 E.L.ソーンダイクが立てた学習成立のための基本的法則。結果として満足を伴う反応はその刺激状況との結合が強められ (満足の法則) ,不満足を伴う反応はその結合が弱められ (不満足の法則) ,またその結合の強さは満足,不満足の大きさに応じて増加あるいは弱化する (強度の法則) などの諸法則から成るが,その後この法則の消極的な面,すなわち不満足を伴う反応はその結合が弱められるという部分はソーンダイク自身によって否定されている。





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見通し・洞察
見通し

みとおし
insight

  

洞察ともいう。 (1) 内観的な心理学では,あるものの意味を直接了解すること。 (2) ゲシュタルト心理学における重要な概念の一つ。問題の解決に際して,それまでの経験によるのではなく,また反復により次第に正反応が強められるのではなく,突然解決への道が理解されること,ないしはその過程。その場合,問題場面において「こうすればこうなる」という目標と手段との間の関係について,新しい認知構造が出現する。 (3) 精神医学や精神療法において,患者が自分自身の心的葛藤などについて気づき,理解に到達すること。





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洞察
どうさつ insight

動物心理学用語。〈見通し〉ともいわれる。ヒトないし動物がある困難な情況に直面したとき,突然,解決手段を見いだして,その情景の目的にかなった行動をとるような場合の心的過程を説明する概念で,ゲシュタルト心理学に由来する。すなわち,個々の情況の要素から,全体の連関を把握することをいう。洞察行動の最も有名な例は,W. ケーラーのチンパンジーの実験である。天井につるしたバナナを得ようと,なん回か跳びついてみたが,得ることのできなかったチンパンジーが,部屋に置かれた箱に気づき,これを重ねてバナナをとったり,さらに手近にある棒を用いて品をとることにも成功したというものである。
 複雑な学習には〈洞察〉過程が不可欠であるが,学習そのものと洞察は異なる。洞察は過去の試行錯誤の〈記憶〉を前提としており,それをもとにした一種の飛躍的な了解過程である。したがって,洞察は一般に高度な知能活動が行われていると思われる動物,ことに高等哺乳類に限って認められるものである。たとえば,金網の向こう側に品を置いた場合,ニワトリは金網の前でうろうろするだけで品に到達できないのに対し,イヌはしばらく直進を試みた後,洞察を通じて金網を搭回して品を得ることを学習する。       奥井 一満

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目標
目標

もくひょう
goal

  

身体的運動,心的活動など生体の行う行動が目指している最終的な結果。このような行動が引起されるためには生体が特定の動機,動因の状態にあることを必要とするが,必ずしもその最終結果についての観念をもっていたり,意識していたりする必要はない。





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動機
動因
獲得的動因
構造転換
構造転換

こうぞうてんかん
Umstrukturierung

  

客観的には同一の事態でも,見方を変えたり新しい情報を導入することなどによって,それ以前と異なる側面が認知されることがあるが,このような認知の転換を説明するために,ゲシュタルト学派によって提唱された概念。再構造化 restructuringともいう。





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図形残効
図形残効

ずけいざんこう
figural aftereffect

  

視野内のほぼ同じ位置に,相次いで2つの図形が提示されたとき,第2の図形が第1の図形の影響を受けて,単独で提示されたときとは異なって見える現象。同じ図形を凝視し続けているときに見える変化もこれに含まれる。曲線を数分凝視したあとに直線を見ると,曲線とは反対の方向に曲って見えるギブソン効果と,先行図形とほぼ同じ位置に提示された後続図形の大きさ,濃度,遠近が変化して見えるというケーラー効果とが有名。 W.ケーラーはこの現象を説明するために,視覚中枢での先行刺激による飽和を仮定した。





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[ブリタニカ国際大百科事典 小項目版 2008]


図形残効
図形残効 ずけいざんこう Figural After-Effects 視野の中央付近にまず曲線を提示し、それを数分間凝視したのち、その図形をとりのぞいてその位置に直線を展示すると、この直線はまがってみえる。このように、視野のほぼ同じ位置に2つの図形をあいついで提示するとき、最初に提示された図形(凝視図形)があとに提示される図形(検査図形)の見え方に影響をおよぼすことを図形残効という。

この現象を最初に指摘したのはギブソンで、これをギブソン効果とよぶことがある。ギブソンはこの現象が色知覚における順応や対比効果と同類のものと考え、一括して「負の残効」とよんだ。

これに対してケーラーは、視野内に同じ大きさの2つの図形を提示し、その一方を白紙でおおって2つの図形の中間点を数分間凝視させ、それから覆いをとりのぞくと、提示されつづけた図形のほうが、小さく、色がうすく、後方にしりぞいて見えることをみいだした。これをケーラー効果とよぶことがある。ケーラーは心理物理同型説の立場から、この現象を視覚中枢の皮質部位の電気化学的変化に依存するものと考え、ギブソン効果も同じ原理で説明できると考えた。ただし、その後の実験から、ケーラーの説明に合致しない事実が発見されたり、また神経生理学的にみてケーラーの説には問題があることが指摘されるなど、この現象については理論的にいまだ不明な点が多い。

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同型説
同型説

どうけいせつ
isomorphism

  

一般に,同型とは,2つの異なった系の間が形式上同一の構造ないし形態をもつこと。心理学では特に心理物理同型説ともいい,W.ケーラーの大脳の場を前提とした生理仮説をさす。大脳中の興奮過程が,意識体験の内容と同型的に1対1の対応をもつとする学説。これによれば,2つの刺激によって生じた大脳の場の興奮相互に大きさの相違があれば,大きさの知覚にも差が生じることになる。





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[ブリタニカ国際大百科事典 小項目版 2008]
E.L.ソーンダイク
ソーンダイク

ソーンダイク
Thorndike,Edward Lee

[生] 1874.8.31. マサチューセッツ,ウィリアムズバーグ
[没] 1949.8.9. ニューヨーク,モントローズ

  

アメリカの心理学者。 1904~40年コロンビア大学教授。動物の知能に関する先駆的な実験業績,およびその結合主義的学習理論は,現代の学習心理学でもなお中心的役割を占めている。また,算数,代数,読み書きなどに心理学を初めて適用した功績は大であり,アメリカにおける教育心理学の創始者とされている。主著『動物の知能』 Animal Intelligence (1898~1901) ,『教育心理学』 Educational Psychology (3巻,13~14) ,『学習の基本原理』 Fundamentals of Learning (32) 。





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ソーンダイク 1874‐1949
Edward Lee Thorndike

アメリカの心理学者。コロンビア大学教授(1904‐40)。マサチューセッツ州ウィリアムズバーグに生まれる。ハーバード大学で W. ジェームズに学んで動物の学習実験をつづけ,のちコロンビア大学に移り,それまでの研究をまとめた論文《動物の知能》で学位をえた。1899年コロンビア大学の講師になり,動物についての研究を基礎としながら人間の学習,教育についての研究を深めた。とくに〈訓練の転移〉に関する理論は彼の教育心理学の土台になったし,テストに関する研究は教育の客観的な測定のために大きく貢献した。知能テストの作成,学習の動機づけなどについての研究は,日本の教育心理学研究の前進にも寄与した。主著に《教育心理学 Educational Psychology》(3巻,1913‐14)がある。            中野 光

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結合主義
結合主義

けつごうしゅぎ
connectionism

  

刺激と反応とを連係する結合があらゆる学習過程の基本であるとする心理学説で,おもに E.L.ソーンダイクによって主張された。したがって,学習はそのような結合の獲得とその強度の増大とによって成立する。





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弥縫策としての心理学(07) [哲学・心理学]

精神物理学
精神物理学

せいしんぶつりがく
psychophysics

  

本来は,G.T.フェヒナーの著書『精神物理学要綱』 (1860) に端を発する,物理的な事象とそれに対応する心理学的事象との間の数量的関係を研究する科学をいう。今日では,フェヒナーの意図した心身関係の実証的研究という哲学的な意味は失われ,刺激と反応との間の数量的関係を研究する心理学の一部門と考えられている。 (→数理心理学 )





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精神物理学
せいしんぶつりがく Psychophysik[ドイツ]

フェヒナーが1860年に《精神物理学要綱》において創始した学問体系であり,精神と身体,心と物の関係を実験や測定によって明らかにしようとするもの。フェヒナーの法則が導出され,また精神物理学的測定法として丁度可知差異法,当否法,平均誤差法などが創案された。精神物理学そのものはその後の発展をみなかったが,それらの測定法は今日でも意義のある有用なものである。
                        児玉 憲典

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数理心理学
数理心理学

すうりしんりがく
mathematical psychology

  

心理学的現象を数理モデルによって表現し,数学的方法により問題解決を試みる心理学の一分野。 19世紀における G.フェヒナーの精神物理学や F.ゴルトンの個人差心理学の伝統を受けて,1920年代後半頃から L.L.サーストンや C.E.スピアマンらによる精神測定学 (→精神測定法 ) が盛んになり,感覚,知覚,知能,性格など心理学的概念の数量化が実験心理学の不可欠な条件となった。また,C.L.ハルの仮説演繹的な学習理論に端を発し,心理学的な諸過程の確率論的あるいは決定論的モデル構成が中心的課題となり,50年代に入って数理心理学の用語が定着した。今日では,情報理論,サイバネティクス,ゲームの理論などの研究を受け,記憶,思考,社会心理そのほかあらゆる領域にさまざまな数理的研究が急速に起っており,またコンピュータの普及は複雑な精神過程のシミュレーションという新しい分野を開拓している。





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エッジワース 1845‐1926
Francis Ysidro Edgeworth

イギリスの数理経済学者,統計学者。アイルランド中央部のロングフォード州エッジワースタウンの名家の生れ。オックスフォード大学卒。1880‐90年,ロンドンのキングズ・カレッジで道徳科学,経済学を講じ,1891‐1922年,オックスフォード大学経済学教授。オール・ソウルズ・カレッジのフェロー。1889年と1922年,イギリス学術協会British Association 経済学部会会長。1912‐14年,王立統計学会会長。《エコノミック・ジャーナル》の初代編集者。著書はわずか3冊だが,倫理的意味での価値論,経済的交換論,確率論,統計学,指数論など多方面で当時世界第一級の数多くの論文を著し,その多くは自身で編集した3巻の論文集《経済学論文集》(1925)に収められている。処女作《倫理学の新旧二方法》(1877)では,おそらく人文・社会科学で初めてラグランジュの未定係数法を使用。主著《数理心理学》(1881)は,難解だが,当時最高の数理的倫理学・政治学・経済学書であり,無差別曲線,契約曲線,ボックス・ダイヤグラムなどの考えの最初の導入で知られていた。また1950年代の末葉以降,コア core と呼ばれる競争均衡のゲームの理論的解の概念の最初の定式化という,際立った先駆性の点でも理論経済学者の注目を集めている。指数算式の一つであるエッジワース算式の提唱者としても知られる。                       早坂 忠

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F.ゴールトン
ゴルトン

ゴルトン
Galton,Sir Francis

[生] 1822.2.16. バーミンガム,スパークブルック
[没] 1911.1.17. ロンドン近郊


イギリスの遺伝学者で,優生学の創始者。 C.ダーウィンの従弟にあたり,その著書の刺激で遺伝の研究に進み,統計学的方法を人類学や心理学に導入した。 1869年,天才についての研究を発表し,遺伝的根拠を提示したが,個人の成長における社会的環境の役割を過小評価する傾向を示した。また一卵性双生児の研究を拠点として,遺伝法則を人類の改良に応用する優生学を提唱した。実験心理学においては犯罪者の認定に初めて重ね撮り写真と指紋を採用した。南西アフリカの奥地を探検,旅行記を著わしたり,気象学を研究して逆サイクロンという新語をつくって,その重要性を説いたりした。 1909年ナイトに叙せられた。遺産はロンドン大学に遺贈されて「ゴルトン優生学研究所」が開設された。主著に『天才の遺伝』 Hereditary Genius (1869) ,『才能の研究』 Inquiries into Human Faculty (83) ,『優生学について』 Essays in Eugenics (1909) がある。





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ゴールトン 1822‐1911
Francis Galton

イギリスの遺伝学者,統計学者,優生学者。バーミンガムの生れ。C. ダーウィンの従弟。ケンブリッジなどで学び,のちアフリカを旅行,調査結果を公にし,科学界に認められる。1865年以後人間の遺伝問題に関心を移し,統計的手法を用いて,人間の能力が遺伝的であることをつきとめる。69年の《遺伝的天才 Hereditary genius》はそれをまとめたもの。彼は当時のイギリスの社会状況とのかかわりもあって人種改良の必要性を痛感,それを研究する学問として優生学なるものを提唱(1883),資金を投じ,ロンドン大学に優生学記録局を設ける。彼の提唱した優生学はその後,欧米,日本へも波及し,大きな影響を与えた。彼はまた人間の個性の研究など心理学分野でも活躍している。                  鈴木 善次

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ゴールトン,F.
ゴールトン Francis Galton 1822~1911 イギリスの科学者。人類学、遺伝学の研究で著名。優生学の創始者とされている。イングランドのバーミンガム近郊に生まれ、ロンドンのキングズ・カレッジ、ケンブリッジ大学のトリニティ・カレッジにまなぶ。1844年、50年にアフリカを旅したのち、「熱帯南アフリカでの探検家の物語」(1853)と「旅の技術」(1855)をあらわす。さらに気象学を研究し、「天気図」(1863)を執筆した。これは、天気図の近代的な作成方法をしめす最初の書物であった。

ゴールトンは、チャールズ・ダーウィンのいとこで、遺伝と人体測定に興味をもち、身長、体格、体力など、人間の特徴に関する数多くの統計をあつめた。また指紋の研究に力をいれ、指紋を同定するシステムを開発した。さらに、新しい統計的解析法をいくつか考案した。代表的なものに、相関の計算法がある。1909年、ナイトの称号があたえられた。「遺伝的天才」(1869)、「人間の才能とその発達の研究」(1883)、「自然の遺産」(1889)、「指紋」(1892)などの著作もある。


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L.L.サーストン
サーストン

サーストン
Thurstone,L(ouis) L(eon)

[生] 1887.5.29. シカゴ
[没] 1955.9.29. ノースカロライナ,チャペルヒル

  

アメリカの心理学者。コーネル大学で工学を学び,一時 T.エジソンの助手をつとめたこともあるが,ミネソタ大学を経てシカゴ大学教授,次いでノースカロライナ大学教授を歴任。数学的方法を心理学的問題に適用,多因子分析法の展開と知能測定法の改良に貢献 (→等現間隔法 ) 。主著『心のヴェクター』 The Vectors of Mind (1935) ,『多因子分析』 Multiple-Factor Analysis (47) 。





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因子分析
いんしぶんせき factor analysis

統計的多変量解析法の一つ。比較的少数の因子によって,多数の変量の間の関係を説明する方法で,20世紀初めから心理学分野での強力な手法として発達し,1940年ころには統計学からの研究も盛んになり,医学,社会学,教育学等で広く用いられるようになった。知能,適性,学力等のテストの結果をはじめ,何らかの行動の結果や各種の社会現象は一般に多数のデータで表現されるが,それらのデータの間には,一つのデータの値が高い場合には他のデータの値も高くなるといった相関関係があることが多い。この理由を,共通の力とか条件(これを因子という)が働いたためであると考えれば,多数のデータの変化の様子を比較的少数の因子で説明することができる。このために因子を抽出する方法が因子分析である。C.E. スピアマンは33人の生徒に古典,英語,数学などの6種のテストを行った得点のデータから,一つのテストで高得点をとれば他のテストでもよい成績をあげるという相関構造を観察して,各テストの得点は知力とも名づくべき因子(共通因子)とテストごとに固有の因子(特殊因子)の結合によって生じるとした(1904)。その後,サーストン Louis LeonThurstone(1887‐1955)らは精神的能力は複数個の独立な共通因子と特殊因子によって説明されるという一般的因子モデルを提唱した。複数の共通因子と特殊因子の結合は重み付きの和の形をとり,その重みを因子負荷量という。因子負荷量はテストごとにきまり,テストと共通因子の相関係数の大きさを示す。このモデルを二つの共通因子の場合について式で書けば,テストの結果=(重み1)×(共通因子1)+(重み2)×(共通因子2)+(特殊因子)のようになる。個人個人の共通因子の値を因子得点という。因子負荷量を推定するために多くの方法が工夫されたが,現在では最尤(さいゆう)推定法と α 因子分析法が主流である。広い意味では主成分分析も因子分析法の一つと考えることがあるが,主成分分析では特殊因子の存在を考えず記述的手法として用いられるのに対し,因子分析は潜在的な因子の存在と独立な特殊因子を仮定する点が特徴である。因子分析は知能テストや適性検査等の開発や評価に有効に用いられることがあるが,その仮定するモデルには構造的な難点もあり,モデルの適合性,妥当性について十分な検証を行って利用すべきである。  吉沢 正

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等現間隔法
等現間隔法

とうげんかんかくほう
method of equal-appearing intervals

  

L.L.サーストンの考案した態度尺度構成法で,サーストン法とも呼ばれる。多数の意見項目を,たとえば進歩的→保守的などのような特定の一次元上に等間隔になるように配列し,それぞれに尺度値を与えることによって態度測定の尺度をつくる。





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C.E.スピアマン
スピアマン

スピアマン
Spearman,Charles E(dward)

[生] 1863.9.10. ロンドン
[没] 1945.9.17. ロンドン

  

イギリスの心理学者。陸軍士官としてビルマ,南アフリカ戦争に参加,ライプチヒ大学で学位を取得したときは 40歳であった。知能と認知の理論的研究に貢献,特に因子分析を用いた知能の因子説は著名。主著『人間の能力』 The Abilities of Man (1927) 。





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スピアマン 1863‐1945
Charles Edward Spearman

イギリスの心理学者。長い軍人生活ののち34歳で心理学に転じ,ブント,キュルペらの下で実験心理学を学び,のちにロンドン大学の心理学の教授になった。順位相関係数,〈スピアマン=ブラウンの公式〉などで知られ,とくに知能の理論的・数学的研究に取り組んだ。知能の2因子説を唱え,知能には一般因子と特殊因子があるとしたことは有名であり,のちの因子分析の原型となった。
                        児玉 憲典

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認知
認知

にんち
cognition

  

心理学用語。広義には,知覚,学習,記憶,想像,思考,判断,推理作用など,生体が知識を得る働きに含まれるあらゆる過程ないし機能の総称。感情および意志の働きと対比された認識作用一般をさす。狭義に感覚,知覚と対比させた形で用いる場合には,外界の対象,事象を,それからくる感覚刺激のみならず,過去の経験ないし学習によってたくわえられた概念,図式,象徴機能などと関連づけて受取り,それら対象,事象の意味的側面をとらえ,かつ当該生体に対して適切な行動を解発させるための準備状態をつくり上げる,より高次の過程をさす。厳密には知覚と区別することはむずかしいが,生体の情報処理過程を当該個体の全体的機能との関連において扱おうとするとき好んで用いられる用語。





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認知
にんち cognition

生理学・心理学用語。生体のもつ情報収集,情報処理活動の総称。cognition は一般には認識と訳され,知識の獲得過程や知識それ自体を意味するが,心理学や生理学では,上記のような意味で,認知と訳されることが多い。認知は感覚,知覚,記憶など,生体が生得的または経験的に獲得した既存の情報にもとづいて,外界からの情報を選択的にとり入れ,それを処理して新しい情報を生体内に蓄積し,さらにはこれを利用して外界に適切な働きかけを行うための情報処理の過程をいう。
 認知の生理学的側面,すなわち脳の情報処理の問題については,主として大脳生理学,神経生理学の領域で扱われている。19世紀末から20世紀にかけて,P. ブローカによる運動性言語野の発見(1861)以来,C. T. フリッチらによる運動野の発見,O. フェルスターや W. ペンフィールドによる体部位局在地図の作成(1936)など,脳機能についての研究が行われてきた。さらに1950年代になって,微小電極法が開発され,脳の神経細胞の反応が記録されるようになって,脳の情報処理についての報告が数多く蓄積された。とくに,D. H. ヒューベルと T. N. ウィーゼルが63年にネコの視覚野に,細長いスリットなどに特異的に反応する細胞を発見して以来,急速に進んだ。現在では,感覚,知覚の情報処理ばかりでなく,記憶,学習といった高次の情報処理についての研究も進められている。
 一方,認知の心理学的側面については,認知心理学の分野で主として扱われている。認知心理学はゲシュタルト学派の影響のもとに,アメリカで主流であった行動主義に重点をおく連合説,要素説を批判する立場から,1950年ころに確立された。初めに認知心理学的立場をとり入れたのは学習研究の分野であったが,後に,社会心理学,性格心理学,臨床心理学にも影響を与えた。60年代の J. ギブソンらによる,実験心理学内での理論構成の試みや,W. ケーラーの〈横の機能〉概念の提唱など,種々の研究が行われている。認知心理学では生体の諸活動の説明にあたって,極端な行動主義的立場をとらず,生体の生得的構造特性による諸制約を重視して,内的な情報処理活動を強調する立場をとっている。しかし,現在では行動主義そのものの多様化と,認知心理学でも外部環境との相互作用の重要性が認識されてきたことから,必ずしも認知心理学が反行動主義的とはいえなくなってきている。
 認知の概念はきわめて多様な精神活動を含んだものであるため,認知研究は上記の生理学や心理学のみならず,多くの分野で進められつつある。情報科学の分野では,パターン認識,課題解決にあたっての情報処理過程のシミュレーション,記憶,学習システムのモデル化,人工知能の研究などが進められている。また,言語学では言語獲得の生得的側面,言語理解,言語使用の認知システムなどが研究されている。近年,これら関連領域の学際的協力も進められており,認知科学 cognitive science の名で総称されることも多くなってきた。⇒学習∥記憶∥知覚   酒井 英明

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因子分析
因子分析

いんしぶんせき
factor analysis

  

多変量解析の一分野。一般的には,未知の因子によっていろいろな程度に影響を受けていると想定される多数の測定資料間の相関関係を数学的に解析することによって因子の数,種類,ウエイトなどを決定する方法。知能の因子構造を分析するために開発され,コンピュータの普及とともに広く各方面に適用されている。多数の測定値 {x1,x2,…,xp} を少数の未知な因子 {f1,f2,…,fq} によって説明することをおもな課題とする。 (→一般因子 )  





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因子分析
いんしぶんせき factor analysis

統計的多変量解析法の一つ。比較的少数の因子によって,多数の変量の間の関係を説明する方法で,20世紀初めから心理学分野での強力な手法として発達し,1940年ころには統計学からの研究も盛んになり,医学,社会学,教育学等で広く用いられるようになった。知能,適性,学力等のテストの結果をはじめ,何らかの行動の結果や各種の社会現象は一般に多数のデータで表現されるが,それらのデータの間には,一つのデータの値が高い場合には他のデータの値も高くなるといった相関関係があることが多い。この理由を,共通の力とか条件(これを因子という)が働いたためであると考えれば,多数のデータの変化の様子を比較的少数の因子で説明することができる。このために因子を抽出する方法が因子分析である。C.E. スピアマンは33人の生徒に古典,英語,数学などの6種のテストを行った得点のデータから,一つのテストで高得点をとれば他のテストでもよい成績をあげるという相関構造を観察して,各テストの得点は知力とも名づくべき因子(共通因子)とテストごとに固有の因子(特殊因子)の結合によって生じるとした(1904)。その後,サーストン Louis LeonThurstone(1887‐1955)らは精神的能力は複数個の独立な共通因子と特殊因子によって説明されるという一般的因子モデルを提唱した。複数の共通因子と特殊因子の結合は重み付きの和の形をとり,その重みを因子負荷量という。因子負荷量はテストごとにきまり,テストと共通因子の相関係数の大きさを示す。このモデルを二つの共通因子の場合について式で書けば,テストの結果=(重み1)×(共通因子1)+(重み2)×(共通因子2)+(特殊因子)のようになる。個人個人の共通因子の値を因子得点という。因子負荷量を推定するために多くの方法が工夫されたが,現在では最尤(さいゆう)推定法と α 因子分析法が主流である。広い意味では主成分分析も因子分析法の一つと考えることがあるが,主成分分析では特殊因子の存在を考えず記述的手法として用いられるのに対し,因子分析は潜在的な因子の存在と独立な特殊因子を仮定する点が特徴である。因子分析は知能テストや適性検査等の開発や評価に有効に用いられることがあるが,その仮定するモデルには構造的な難点もあり,モデルの適合性,妥当性について十分な検証を行って利用すべきである。  吉沢 正

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一般因子

一般因子

いっぱんいんし
general factor

  

あらゆる知能検査の成績に共通して関与する知能の一成分。各種の知能検査を実施するとき得点間の相関係数はほとんど常に正となることから,F.ゴルトンや C.E.スピアマンが命名した。これを抽出するためにやがて因子分析法が開発された。





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知能検査
知能検査

ちのうけんさ
intelligence test

  

知能を測定する検査。 F.ゴルトンによる実験心理学的な個人差研究から始り,1905年に知的障害児の鑑別を目的としたビネ=シモンテストがつくられてから,これが各国で翻案され,スタンフォード=ビネテストなど各種の知能検査が作成され,普及した。その形式によって個人検査と集団用検査,言語検査と作業 (非言語的) 検査,速度検査と力量検査などに分類される。





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知能テスト
ちのうテスト intelligence test

知能を客観的に測定するための道具で,〈知能検査〉ともいう。その測定結果は,一定の基準にてらして数量的に表示される。この場合,知能の一般的傾向を総括的にとらえる一般知能テストでは,精神年齢,知能指数,知能偏差値など,単一の指標であらわされるが,知能の特性により選択された下位検査にもとづいて各領域で働く知能を診断的にとらえる診断性知能テストでは,テスト得点がプロフィルとして描かれる。また,知能テストには,その施行様式からみて,個人を対象とする個別式知能テストと,集団を対象とする集団式知能テストとがあり,さらに問題構成様式からみて,主として言語を用いる言語式(A 式)知能テストと,数字,記号,図形などだけによる作業式(B 式)知能テストがある。一般に,集団式知能テストは,多人数の知能を効果的に測定するのには適しているが,各人の知能を大まかにとらえるのにとどまり,個人の知能を精密に測定するには個別式知能テストによらなければならない。また,作業式知能テストでは,文化的・社会的環境の影響力がかなり取り除かれるため,生得的知能の測定には適しているが,学業の予診的価値については言語式知能テストには及ばない。
 知能テストは,最初精神遅滞児の鑑別の必要から,フランスの A. ビネによって1905年に作成された。これは,08年の改訂を経て11年に仕上げられるが,このビネ式知能テスト Binet test の特徴は,テスト問題が難易度に応じて年齢別に配列されていることにあり,各人がこのテストで得た結果をその年齢尺度に照らし合わせることにより,精神年齢が算出される。この精神年齢が知能の程度を表すものとされたのである。その後,ビネ式知能テストは,アメリカのスタンフォード大学のターマン L. M. Terman らによって改訂され,いわゆるスタンフォード・ビネ・テスト Stanford‐Binettest が出現した。このテストでは,実際の年齢(暦年齢)で精神年齢を割り100倍することによって得られる知能指数が,知能程度をあらわす基準とされた。知能テストの利用は,第1次大戦中,アメリカの参戦による軍隊の編成という実際的必要により拍車がかけられた。応募兵に対し知能テストを実施して,急速に軍隊編成に役立てようとしたのである。このとき作成されたのが,軍隊テスト U.S. Army test とよばれる集団式知能テストである。その後知能テストは,学校,職場,施設,病院など多くの分野に普及し,それに伴ってさまざまな種類の知能テストが作成された。中でもニューヨークのベルビュー病院のウェクスラー D.Wechsler によって1939年に作成されたウェクスラー・ベルビュー知能尺度 Wechsler‐Belvueintelligence scale は,精度が高く,適応障害や精神病の診断など臨床面で広く利用されている。これはビネ式知能テストをさらに発展させたものであるが,総知能指数だけでなく,言語性知能指数と動作性知能指数とが算出されるようになっており,また,下位テストの得点を検討することにより,各人の知能の特性を分析的に知ることができるという特徴を備えている。⇒知能   滝沢 武久

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精神測定法
精神測定法

せいしんそくていほう
psychometric method

  

心理測定法,ないし心理学測定法,計量心理学的方法などともいう。精神の性質や能力を数量的に測定する方法で,精神物理学における感覚的判断過程の測定法,個人差心理学における知能や性格などの心理テスト,社会心理学における態度測定などを総称する。ほとんどの領域における心理学的概念の計量化は,なんらかの仮説設定あるいはモデル構成を媒介としており,また,測定法としては,バイアスや誤差変動を相殺するような実験の手続と,データの統計的な処理手続とを兼ねそなえたものとなる。物理的尺度によって測定される定数は,閾系統のものと等価値系統のものとに二分される。定数測定に用いられる代表的な方法には,調整法 (平均誤差法) ,極限法 (極小変化法) ,恒常法 (刺激恒常法) の3種があるが,恒常法にはさらに種々の処理方法が含まれている。 (→数理心理学 )





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心理テスト
心理テスト

しんりテスト
psychological test

  

個人差を測定するために考案され,標準化された技法。連想法,投影法,質問紙法,観察法などがある。測定の目的によってパーソナリティ検査,知能検査,適性検査,学力検査 (アチーブメントテスト) などに分れる。個人差を数量的に評価するためにあらかじめ多数の被験者に実施して得点の分布を検討し基準を定めることをテストの標準化という。テストの作成にあたって妥当性 (測定しようとしている特性をどの程度うまく測定しているか) と信頼性 (正確さ,あるいは一貫性) を高めるために項目分析,因子分析その他の相関分析を行うのが普通である。





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態度測定
態度測定

たいどそくてい
attitude measurement

  

態度や価値態度体系の調査法の一つで,主として社会心理学の領域で発達した。態度測定は質問紙法によって得られる言語的な反応を素材にしているため,表面的な意識しかとらえられない危険があるが,この欠点を修正するために,測定尺度の開発がいくつか試みられている。 L.L.サーストンの等現間隔法,R.リッカートのリッカート法,L.ガットマンのスケーログラム・アナリシス,P.ラザースフェルドの潜在構造分析などが代表的。なお最近では,態度測定の考え方に,対象を多次元的,動的に,全体としての構造連関のなかでとらえようとする傾向が支配的になってきている。





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調整法
調整法

ちょうせいほう
method of adjustment

  

歴史的には平均誤差法 method of average errorとも呼ばれ,精神測定法の一種。閾の測定や等価刺激の測定に用いられる。通常,一定の標準刺激と,自由にその大小,長短あるいは強弱を調整することができる変化刺激とが与えられ,被験者 (場合によっては実験者) の調整を待って,反応の変化点に対応する刺激値が求められる。きわめて自然な方法であり,特に等価刺激測定法としてすぐれている。また,継時的変化を追うのにも適した方法といえる。しかし,測定の主要操作が被験者にまかされているという点で操作の反復性と結果の再現可能性に問題があるといわれている。





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極限法
極限法

きょくげんほう
method of limits; method of minimal changes

  

精神物理学的測定法の一種。極小変化法とも呼ばれる。閾および等価刺激の測定に用いられる。通常,一定の標準刺激 (絶対閾測定の場合は存在しない) と,一定の順序で段階的にその大小,長短,強弱などが変えられる変化刺激とが,実験者により提示され,被験者はその両者を比較して2件法 (「大」または「小」) あるいは3件法 (「大」「小」「不明」) で判断することを求められる。変化刺激の変化方式には,上昇,下降の各系列があり,被験者の反応に所定の変化が現れたところでその系列は打切られる。ただし,系列の種類やその切り方には変則的な方式がある。調整法と比較すると,再現可能性の点ですぐれているが,系列の切り方や測定値の決定法に問題があるといわれている。近年,上下法 up-and-down methodと呼ばれる簡便な方法が考案され,極限法の変形として広く利用されている。 (→恒常法 )





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恒常法
恒常法

こうじょうほう
constant method

  

閾の測定や等価刺激を求めるのに用いられる精神測定法の一つ。一定数の刺激対象を単独でランダムな順に多数回提示し,その存否の判断を求めたり (閾測定の場合) ,一定数の比較刺激を用意し,標準刺激と対にして,ランダムな順序で多数回提示して,その大小 (長短あるいは軽重) の判断を行わせたりする (等価刺激測定の場合) 。判断の形式は以上のような2件法のほか,3件法 (たとえば,「大」「不明」「小」のような) を用いることも多い。





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C.L.ハル
ハル

ハル
Hull,Clark L(eonard)

[生] 1884.5.24. ニューヨーク近郊アクロン
[没] 1952.5.10. コネティカット,ニューヘーブン

  

アメリカの心理学者。エール大学人間関係研究所教授。能力テスト,催眠などの研究を行なったのち,I.P.パブロフの条件反射に傾倒,それに基づきながらそれを発展させ,行動一般の体系化を目指し,新行動主義または行動理論の中心的学者として活躍した。主著『催眠と被暗示性』 Hypnosis and Suggestibility (1933) ,『行動の原理』 Principles of Behavior (43) ,『行動体系』A Behavior System (52) 。





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サイバネティクス
サイバネティクス

サイバネティクス
cybernetics

  

動物および機械における情報通信と制御作用を研究する科学。 1948年に N.ウィーナーが『サイバネティクス』を著わしたことから急に注目された。人間と機械に共通で本質的な問題をとらえ,特に脳・神経系の作用と,生理・肉体活動の関連を解析し,コンピュータと機械作業,情報通信と経済動向などに応用されている。研究範囲は数学,統計学,経済学,工学,生理学,心理学と幅広い。将来の展望としては,学習する機械,自己増殖する機械も考えられ,人工臓器,完全な義足義手などが完成しつつある。 (→生体工学 )  





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サイバネティックス
cybernetics

1947年にアメリカの数学者 N. ウィーナーによって提唱された一つの学問分野。厳密な定義はないが,一般には,生物と機械における通信,制御,情報処理の問題を統一的に取り扱う総合科学とされている。ウィーナーは対象をある目的を達成するために構成されたシステムとしてとらえた。それはある組織だった構造をもつものであり,その結果として目的に合致した挙動をするものである。対象の挙動に注目する場合,対象がどのような物質で構成され,どのようなエネルギーを利用しているかは問題ではなく,情報をどのように伝送し,どのように処理し,その結果を用いてどのように制御しているかが重要である。したがって,対象が生物の場合でも機械の場合でも,通信,制御,情報処理という本質的な問題は同一であり,統一的な立場から研究すべきものである。ウィーナーはこのような考え方に基づいて新しい総合科学の樹立を提唱し,これをサイバネティックスと名づけた。サイバネティックスという名称は〈舵取り人〉を意味するギリシア語 kybern^t^s から作られたものである。
 ウィーナーがサイバネティックスを提唱する契機となったのはメキシコ人神経生理学者ローゼンブリュート Arthuro Stearns Rosenblueth との共同研究である。ウィーナー自身は数学者であるが,1919年からマサチューセッツ工科大学に勤務しており,同大学電気工学科で行われていた微分解析機と呼ばれる計算機の研究や砲照準制御装置の開発に興味を持っていた。その当時は第2次大戦中であり,砲の方向を自動制御する目的でフィードバック制御技術の研究が盛んに行われていた。フィードバック制御においては,目標とする方向と実際の方向の差を検出し,その差を小さくする方向に砲を動かす。このとき,砲をあまり大きく動かすと目標方向からの行きすぎを生じ,砲の方向が目標方向のまわりで振動するようになる。できるだけはやく目標と一致し,しかも振動が発生しないように制御装置を設計する必要がある。一方,ローゼンブリュートは随意運動の神経メカニズムの研究を行っていた。ウィーナーはこの問題に興味を持ち,以下のように考えた。たとえば腕を伸ばして物体を把握しようとする場合,腕の各筋肉の緊張度や目からの情報が脳に送られ,手の位置と物体の位置のずれが判定され,このずれを小さくするように腕の各筋肉が動かされて目的とする物体を把握している。これは機械の制御に使用されているフィードバック制御と同一である。実際,腕を伸ばして物体を把握しようとすると腕が振動する症状も存在する。制御工学の研究成果を利用して動物の運動を支配している神経系の動作を解析することができ,また動物の運動機能の研究成果を新しい制御装置の設計に利用することができる。
 当時,ローゼンブリュートは科学の方法論に関する月例討論会を主宰しており,医学者,数学者,物理学者など異なる学問分野の専門家による活発な議論が行われていた。この議論のなかで,ウィーナーの構想は運動制御の問題からより一般的なものに発展していった。その成果は1948年にウィーナーの著書《サイバネティックス――動物と機械における通信と制御 Cybernetics,orControl and Communication in the Animal andthe Machine》によって発表され,世界各国において大きな反響を呼んだ。本書は,〈第1章 ニュートン時間とベルグソン時間,第2章 群と統計力学,第3章 時系列,情報および通信,第4章 フィードバックと振動,第5章 計算機と神経系,第6章 ゲシュタルトと普遍的概念,第7章 サイバネティックスと精神病理学,第8章 情報,言語および社会〉より構成されており,1961年の第2版では〈第9章 学習機械と自己増殖機械〉〈第10章 脳波と自己組織化システム〉が追加されている。この構成から知られるように内容は非常に広い範囲をカバーしており,科学方法論や認識論などの哲学,思想の領域にまで大きな影響を与えた。サイバネティックスについてはウィーナー自身2冊の解説書を執筆している。《人間機械論 TheHuman Use of Human Beings――Cyberneticsand Society》(1950)と《サイバネティックスはいかにして生まれたか I Am a Mathematician》(1956)である。後者は自伝的なものである。
 サイバネティックスと関係するウィーナー自身の研究としては,不規則信号の最適予測理論が有名である。第2次大戦中に軍事研究として行ったもので,出発点となったのは高射砲で飛行機を撃墜する問題であった。飛行機の速度が速くなったため飛行機の進路を予測して射撃する必要が生じたのである。飛行機の操縦士はできるだけ進路を予測されないよう不規則に操縦するが,機体に慣性があるためその航路はある統計的な性質をもつ。この性質を利用して予測する。研究結果は一般的な最適フィルタリング理論として報告され,1949年に《Extrapolation,Interpolation,andSmoothing of Stationary Time Series》として出版された。
 現在,サイバネティックスの基本となる考え方自体は世界各国において広く受け入れられ,もはや常識となっているといってよいであろう。実際,記憶,認識,学習,自己組織化,言語,知能などの問題が工学の分野で広く研究され,一方,中枢神経系や生体制御メカニズムの理論的な研究も大きく発展している。ただし,サイバネティックスという一つの学問分野が確立されたと考えるのは適切ではない。ヨーロッパ諸国では学問分野を表す用語としてある程度使われ,とくに旧ソ連をはじめとする東欧諸国では広く普及してきたが,その内容は制御理論を中心とするシステム工学的なものと見ることができる。一方,アメリカや日本では学問分野名としてはほとんど使用されていない。情報科学,システム工学,一般システム理論,理論生理学などの学問分野名が互いにオーバーラップした形で使用されており,サイバネティックスとこれらをその研究対象や方法論で明確に区別するのは困難である。
 サイバネティックスはウィーナーの意図したような形では一つの学問分野として確立されなかった。また,サイバネティックス的な考え方は古くからあったとする意見もある。実際,生物を機械と見る考え方自体は新しいものではなく,また,サイバネティックスで重要な役割を果たすフィードバック制御も J. ワットが蒸気機関の調速機に使用し,C. マクスウェルによって解析されたものである。しかし,ウィーナーが第2次大戦直後の時点でサイバネティックスを提唱した意義は高く評価すべきで,その後の研究方向に大きな影響を与えた。
                         森下 巌
[歴史的意義]  サイバネティックスの歴史的意義はほぼ次の3点にあると思われる。第1は,これまで産業と結びついた領域で個別的に行われてきた工学的研究を一つの科学として構築しようとしたことである。ウィーナーはそれをホメオスタシスをもった自動制御システムを軸にして行おうとした。それによって動物と機械との共通な側面を取り出そうとしたことは,人間をモデルとする機械の開発と,機械をモデルとする生物体の研究を促したほか,人間と機械の有機的な結合システム(マン・マシンシステム)の研究の契機となった。これは現在,システム工学やロボットの理論として展開している。ウィーナーがその死に至るまで関心を持っていたのは義手や義足の開発であった。
 第2は,そこから当然に出てくることであるが,神経系に特有の閾値(いきち)の存在に目をつけたことであり,生物においても機械においても自然現象においても,非線形システムに注目し,その理論を展開しようとしたことである。その契機は脳波の問題であるが,その記録データから自己相関関数をつくり,一般調和解析を使ってスペクトル分解をした結果見いだした周波数の引込み現象(系が外部信号の周波数に同期する現象)を交流回路網の場合にも発見した。ウィーナーの非線形理論は確率空間における非線形演算子を入力関数とするものであるが,その展開は今後の課題である。いずれにせよ,非線形現象というそれまでの科学が避けて通ってきた対象に取り組んだことの意義はきわめて大きい。
 第3は,確率空間で統計理論を展開したことであって,これによって19世紀以来育ってきていた推測統計学が大きく発展させられた。この点でサイバネティックスが J. W. ギブズの統計力学を受け継いだものであることは注目しておかなければならない。ウィーナーは統計力学の基礎をなすルベーグ積分を関数空間に適用し,ルベーグ積分が成り立つ関数の集合について関数解析を行ってブラウン運動の理論を作ったが,このような不規則運動を研究対象としたこともサイバネティックスの特徴である。不規則運動に対して統計学的な接近をすることによってフィルタリング理論も成功したのである。不規則運動から無作為抽出したサンプル関数に演算子を施して出力関数を得るのであるが,この場合,演算子を変換装置と見る視点もサイバネティックスの重要な特徴である。要するに,サイバネティックスの名で展開はしなかったが実質的にはオペレーションズリサーチやシステム理論として広汎に発展させられているのであって,ロボットや人工頭脳の開発は今後も一層その展開を要求するものと思われる。
 さらにサイバネティックスは論理学や哲学にも影響を与えた。すなわち,閾値の問題において閾値論理学を生んだほか,一義的決定論を排する点で因果性の問題にも重要な一石を投じた。さらにサイバネティックスはフォン・ノイマンのゲーム理論に対しては否定的なので,ゲーム・モデルの意思決定理論にも問題を投げかけている。ウィーナーの立場は必ずしも人間機械論ではないが,脳の働きを計算機モデルで扱えるかどうか,機械に対しても意識の概念を用いることができるかどうかの問題を提起した。志向性を意識の本質的契機と見る現象学の立場からは,これらに対して否定的な意見が表明されている。しかし,パターン認識においては,知覚の構造の現象学的分析と類似の問題を提起しており,サイバネティックスと現象学との関係自体が哲学の問題となる。さらに,意味をめぐる問題については,確率過程における冗長度を意味と解するサイバネティックス的解釈もあるが,一般に技術的情報は意味を捨象するので,ここにも今後の問題が残されている。
                        坂本 賢三

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ウィーナー「サイバネティックス」
ウィーナー『サイバネティックス』

Cybernetics or control and communication in animal and machine

解説:荒俣宏

[出典]『世界の古典名著・総解説』、自由国民社、1998年




 科学はさまざまな存在や現象を部分に分けて、そのひとつひとつについて正確な知識を得ようとするものである。だから対象となる部分に応じて科学は成り立ってきたといえる。しかし時代はすでに〈現象〉の部分分割を許さなくなっていた。
 時あたかも第1次世界大戦の只中、彼らマサチュセッツ工科大学の超分野的科学技術研究班に与えられた最初の研究テーマは、高射砲で戦闘機を追撃するさい戦闘機の未来の位置を予測していかに正確に砲を発射するか、というものだった。ところが皮肉にもこのことがサイバネティックスなる学問を一気に発展させるきっかけとなった。
 この奇妙な偶然から、ノイマンのゲーム理論や人工知能、遠隔伝達などの可能性がもたらされ、イギリスにおいてはコンピュータによる企業戦略の方法論として発展するオペレーションズ・リサーチの萌芽があらわれた。
 サイバネティックスの理論は、動物と機械における情報伝達と制御に関する問題の総称と言える。古い時代にあって機械と動物の決定的な違いは、この情報制御のフィードバック回路を持つか持たないかという一点にかかっていた。動物は、いかに合理的な運動であっても、それを無限に続けたりはしない。
 一方、機械のほうは、いったん運動を命じられるや否や、装置内の熱が激しくなるのもかまわず、その運動を継続する。発熱が高まり機械の内部が燃えつきても、機械は気づかぬかのように行動する。
 この違いはどうして出てくるのか? 動物には、体内の熱をつねにチェックし、それを情報として、一瞬ごとにその情報にふさわしい行動をとる能力がある。これをフィードバックという。すなわち初期の情報インプットに対して、常に結果を提示し、その結果が再度新しい情報となって内部のコントロール機関に伝達されるのである。ウィーナーは、動物の有するこの作用をメカニズムとして考察し、情報伝達と制御に関する新理論に到達した。そして動物であれ機械であれ、そうした恒定性維持装置をめざす機能に対して、47年に〈サイバネティックス〉という名を与える。
 しかし、サイバネティックスは、それ自身によって何ものかを作りだす科学ではない。むしろそれは、何かを作りだすことが可能かどうかを技術的に検討するための手段なのである。この観点が、サイバネティックスに対する誤解を呼びおこすひとつの発火点となる。ウィーナーは次のように弁明している。
 「このようにして新しい科学に貢献したわれわれは、控え目にいっても道徳的にはあまり愉快ではない立場にある。既述のように、善悪を問わず、技術的に大きな可能性のある新しい学問の創始にわれわれは貢献してきた。われわれはそれを周囲の世界に手渡すことができるだけであるが、それはベルゼン(ナチの強制収容所)や広島の世界でもある。われわれのなし得る最善のことは、生理学や心理学のように戦争や搾取から最も遠い分野に限定することである」
 事実、サイバネティックスから出発したあらゆる新技術は、戦争や企業戦略に用いられていないとは言えないが、ウィーナーらのこうした厳しい科学者側の自己規制は、サイバネティックスという用語を〈危険な科学〉のイメージから護り抜いた。この意味で、テクノロジーが初めて社会の道徳律として作用した実例をサイバネティックスに見ることができる。
 ウィーナーは、アインシュタインら科学者がその共同責任において科学技術の善的利用をめざした方向と、科学が専門の枠組からはみ出してゆく時代の意識を併せもった人物である。物理学から哲学までを研究し、大英百科辞典を2度も読了したというウィーナー“伝説”に象徴されるように、彼は何より諸科学の融合を願った。
 そしてこの融合が実際に端緒についたのは、「機械的なものに対する反語としての生物的なもの」に機械のテクノロジーを応用する具体的な実例?義手・義足の開発、情報管理の方法など?が世界にもたらされた以後のことである。
 そして日本におよぼした影響の初期における最大のものは、電算機による事務処理の基本精神確立であった。サイバネティックス以降、電気的速度を有するメカニズムによるデータ処理は、従来の〈機械的ソロバン〉という観念を脱して、物質エネルギーや分子運動と同じレベルで、自然界の像を形成する情報システムの解明へと進んでいく。



(c)荒俣 宏


[この作品を読むために]



池原止戈夫ほか訳『サイバネティックス:物と機械における制御と通信』、岩波書店、1962年
(絶版の場合は図書館等でおしらべください)



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N.ウィーナー
ウィーナー

ウィーナー
Wiener,Norbert

[生] 1894.11.26. ミズーリ,コロンビア
[没] 1964.3.18. ストックホルム

  



アメリカの数学者で,サイバネティクスの創始者。幼少の頃から神童といわれ,高校を卒業して,タフツ・カレッジに入ったとき (1906) は,わずか 11歳であった。ここで生物学,数学に興味をもつ。その後,ハーバード大学大学院,コーネル大学大学院で動物学,哲学を研究,再びハーバード大学大学院に戻り,1913年,数理哲学に関する論文で 18歳で学位を取る。同年渡英し,ケンブリッジ大学で B.ラッセルに指導を受け,さらにドイツに移り,ゲッティンゲン大学で D.ヒルベルトに学ぶ。再びケンブリッジに戻って G.H.ハーディの指導を受ける。その後,ハーバード大学哲学講師,マイン大学数学講師,電気会社技師,新聞記者などをし,第1次世界大戦中は弾道学の研究をしていたが,マサチューセッツ工科大学数学講師となり (19) ,この頃から調和解析や確率過程 (特にブラウン運動) の研究を始める。そのなかでも特に重要な結果は,30年に"Acta Mathematica"誌に発表された「一般調和解析」である。 31年には E.ホップフと共同で予測理論の研究を始めた。マサチューセッツ工科大学教授 (32) 。 30年頃から,ハーバード大学医学部の教授たちと,動物の調節機構を中心として研究を進め,一方,予測理論を通信に応用して,通信文から雑音を取除き,もとの通信文を統計的に予測する問題を解決した。これらの研究を統一したのがサイバネティクスで,それは"Cybernetics: or,Control and Communication in the Animal and the Machine" (48) の名で発表された。その思想はただちに世界各国の学者の間に広まった。その後,メキシコ,パリ,インドなどで研究をしたが,64年,アムステルダム中央知能研究所の客員教授として招かれ,ストックホルムで心臓発作のため死去した。





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ウィーナー 1894‐1964
Norbert Wiener

アメリカの数学者。サイバネティックスの創始者として知られている。早くから英才教育をうけ,9歳で高校進学,14歳でハーバード大学大学院に進み動物学を専攻したが,すぐに進路を誤ったことに気付きコーネル大学で哲学を学ぶ。奨学金でヨーロッパに留学,ケンブリッジ大学で B. ラッセルに師事し,彼の勧めによって数学に専念。1915年アメリカに帰り,19年マサチューセッツ工科大学数学科に職を得て,32年教授となり,以後ここに勤務した。応用数学者としていくつかの新分野を開拓した研究業績はきわめて高く評価されている。論文や著書は難解であるが独創性に富み,後継者によって発展し普及されたものが多い。調和解析や,時系列の予測理論など,彼の手によるところは多大で,同じく彼によるランダム現象の非線形問題の取扱いにまで発展している。同大学でのコンピューターの開発や神経生理学者との共同研究に参加するなかで,コンピューターと生物における神経系統が類似の構造を有することを認めて数学的理論であるサイバネティックスを創始した。48年刊行の《サイバネティックス》は,あら削りのままの記述が多いとはいえ,アイデアが豊富で示唆に富み,現在も変わらぬ名声を保っている。1935年と56年来日。64年ヨーロッパ旅行中にストックホルムで客死。          飛田 武幸

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ウィーナー,N.
I プロローグ

ウィーナー Norbert Wiener 1894~1964 アメリカの数学者。サイバネティックスの創始者として知られる。

ミズーリ州コロンビアに生まれ、おさないころから数学に非凡な才能をしめし、英才教育をうけて14歳でハーバード大学大学院(動物学専攻)にはいるが、進路をかえてコーネル大学で哲学をまなぶ。18歳でハーバード大学で博士号を取得。その後、ケンブリッジ大学に留学してバートランド・ラッセルのもとで数理哲学をまなび、ゲッティンゲン大学でヒルベルトに師事する。1919年にマサチューセッツ工科大学数学科に職をえて、32年から60年まで教授をつとめた。

II サイバネティックスの創始者

就職した当初は、調和解析やブラウン運動の数学的研究にとりくんだが、1930年代からは、マサチューセッツ工科大学でのコンピューター開発や、他大学の医学部教授たちと動物の調節機能の研究をはじめ、生体の情報伝達システムを電子的に実現するシステムの製作をこころみた。この仕事を通じて、自動式計算およびフィードバック制御理論に興味をもち、コンピューターによる電子機器や機械類の制御が、生体系のもつ脳と神経系の関係に類似の構造があることをみとめて数学的に理論化し、これを「サイバネティックス」(1948)と名づけて発表した。シャノンとともに、エレクトロニクスや通信の分野に大きな影響をあたえた。著書に「人間機械論」(1950)、「ランダム理論の非線形問題」(1958)、2冊の自伝(1953、1956)などがある。


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生体工学
生体工学

せいたいこうがく
bioengineering

  

生物工学,バイオニクスともいう。生物のもっているすぐれた機能を人工的につくって,技術的問題の解決に応用する学問。サイバネティクスの思想を工学的に発展させようとするものともいえる。 1960年アメリカで多数の専門分野の異なった科学者たちが集って開いたシンポジウムに対して,アメリカ空軍航空宇宙医学研究所の J.スチールがバイオニクス・シンポジウムと名づけたのが始り。バイオニクスは古代ギリシア語の「生命の単位」という意味の単語ビオン bionから造った言葉。生物学者の研究によって,生物のすぐれた感覚や神経系統がきわめて小さいところに効率よくまとめられていることがわかった。その詳細なメカニズムについても,明らかにされつつあり,ミクロ技術の進歩と連動したマイクロマシンという新分野も誕生した。また,生体中で有効に働いている進化型のアルゴリズムを情報工学分野へ応用する試みも盛んになっている。





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[ブリタニカ国際大百科事典 小項目版 2008]


バイオエンジニアリング
I プロローグ

バイオエンジニアリング Bioengineering 工学の原理と技術を医学に応用したもの。生物工学、生体工学ともいう。3つの分野がある。

II バイオ・メカニカル・エンジニアリング

この分野では、ヒトの筋骨格系を、特定の動きや緊張のできる機械としてみなす。つまり、骨や筋肉のあるくときの動き、事故がおきたときの緊張などを分析して、ヒトの動きのメカニズムを研究する。そのほか、血液循環(→ 循環器系)、呼吸のメカニズム、生体のエネルギー代謝についても研究対象となる。

バイオ・メカニカル・エンジニアリングの技術は、自動車の安全ベルトの開発から、人工臓器の開発、操作まで、幅ひろい応用がなされている。この技術が開発されはじめたころは、小児麻痺の患者のために鉄の肺とよばれる呼吸装置がつくられ、注目をあびた。人工の手足もこの分野の技術によって開発された。この手足は、小さな電気モーターを動力源とし、筋肉からの生体電気信号によって操作される。たとえば、生まれつき腕のない子供に人工の腕をつけると、見た目もほとんどわからないし、日常生活が送れるだけでなく、職業をもつこともできる。現在は人工心臓(→ 心臓)が研究開発中である。これらの人工の装置は多くの人の体の一部となって、役にたっている。

III バイオ・ケミカル・エンジニアリング

この分野は、ヒトの生体と移植された人工臓器の間におこる拒否反応について研究し、体をできるだけまもるような臓器を開発する。たとえば、人工血管については、血栓がなるべくできないように、アクリル繊維でつくられた動脈が開発された。シリコーンカプセル(→ ケイ素樹脂)はペースメーカーのような電気でうごく人工臓器を保護し、また、周りの組織との調和をはかる。この分野の最大の業績は、人工腎臓(→ 腎臓)を開発したことである。

IV バイオ・エレクトリカル・エンジニアリング

ヒトの体の中では、さまざまな情報が電気信号となって神経系をつたわっている。体がおこなう営みのほとんどが、このような電気的活動によって調節されている。この調節を補助したり、電気信号を診断につかうのが、バイオ・エレクトリカル・エンジニアリングの分野である。この技術を応用して、ペースメーカー、除細動器、心電図などがつくられた。ペースメーカーは、心臓病の患者に電気刺激をあたえて、心筋が正常なリズムで収縮するようたすけるものである。除細動器は、心停止した患者に、電流をながし、正常な心臓の動きを回復したりする。心電図は、皮膚に電極をおき、心臓の動きを波の形にあらわしてみる。電極をつかって生体電気の働きをモニターする機械は、ほかにもいくつかあり、手術回復室や集中治療室で、重要な役割をはたしている。


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ゲームの理論
ゲームの理論

ゲームのりろん
game theory

  

利害が対立,交錯する関係者の意思決定を解明するために用いられる数理的な分析方法。政治学,特に国際政治学に盛んに応用されるようになったのはポーカー,チェス,ブリッジや将棋のようなゲームに,現実の政治現象,国際政治現象との類似性が認められ,しかも,後者の単純化がはかれると思われたためである。しかし,一般的な有効性をもってはいても,政治や政治学にとって必ずしも具体的に役立つとはかぎらない。ゲームを演じるプレーヤーはあくまでも合理的に思考し,行動するものと想定されており,選択の幅,効用の尺度,結果の蓋然性について明確な予備知識をもつなど,現実にはありえない条件のうえにゲームが組立てられる。ゲームには大別して,定和ゲームと非定和ゲームとがあり,特に正負利得の総和がゼロになる定和ゲームを零和ゲームと呼ぶ。一方の利得がそのまま相手の損失になるため,プレーヤーはそれぞれの損得を合理的に計算して,やがて,可能な最小の利得か,可能な最小の損失で満足するようになる。このような計算をミニ・マックスもしくはマックス・ミニと呼ぶ。現実の状況は,利得の総和が一定とならない非定和ゲームに相当することのほうが多い。特に国際政治との類縁性があるとみられる非定和ゲームとしては,両プレーヤーが協力か脅迫かの戦略を与えられており,互いに自己の利得を極大にするために脅迫の戦略を選ぶと,結果として両者とも大きな損失をこうむるように組立てられた「チキン・ゲーム」や「囚人のジレンマ・ゲーム」となる。核戦争による人類絶滅の危機をはらみながら各国が相手国を威嚇する国際政治の構図は,こうした非定和ゲームにたとえられよう。しかし,非定和ゲームでは両者の協力によって結果を双方に有利にすることもできる。このように,ゲームの理論は国際政治の観察・分析に完璧な方法ではないが,明晰な思考への手掛りを与え,また教訓を与えてくれる。現実に一層よく接近するために n人ゲームも考えられているが,複雑になりすぎて,明快さという利点を失ってしまうため,まだ十分には発展していない。





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[ブリタニカ国際大百科事典 小項目版 2008]



ゲーム理論
ゲームりろん game theory

ゲームの理論 theory of games とも呼ばれる。数学者 J. フォン・ノイマンと経済学者モルゲンシュテルン O. Morgenstern との共著《ゲームの理論と経済行動》(1944)を出発点として発展した理論で,20世紀前半における最も輝かしい科学的業績の一つである。室内ゲームから,政治,経済,社会に至るさまざまな問題をゲームとして定式化して考察するが,ここでいうゲームとは,これらの問題を規定する1組のルールのことである。ルールとして明確にしなければならないことに,次のようなものがある。(1)プレーヤー 意思決定し行動する主体はだれかということである。プレーヤーは個人であっても,企業や政党や国家などの何らかの組織であってもよい。(2)とりうる行動 各プレーヤーのとりうる行動は何か。それは自然の法則や社会的条件によって制約されたもので,各プレーヤーは自分のもつとりうる行動から,いくつかの行動計画を立てるのが普通である。この行動計画を戦略と呼ぶ。(3)時間要素と初期状態 ゲームが1回限りのものか,何段階にもわたって行われるものか,また終了時点が定まっているかなども,ゲームを定める重要な要素である。そのときゲームの出発点におけるプレーヤーの状態もまたプレーヤーのとりうる行動を規制する。(4)利得と利得関数 各プレーヤーが何らかの戦略をとってゲームは終了し,ある結果が定まる。この結果について,各プレーヤーは何らかの評価をもち,各プレーヤーにとっての評価値が定まる。この評価値をプレーヤーのもつ効用とか,受けとる利得と呼ぶ。ゲームには偶然の要素がしばしば加わり,相手の行動の予測が困難な場合が多いから,リスクや不確実性のもとでの意思決定の問題に直面する。フォン・ノイマンとモルゲンシュテルンは,このようなリスクのもとでのプレーヤーの選好を公理化し,今日,フォン・ノイマン=モルゲンシュテルン効用と呼ばれる効用の概念を定義した。ゲーム理論では,利得はフォン・ノイマン=モルゲンシュテルン効用によって表すのが普通である。結果は各プレーヤーのとる戦略によって定まるから,利得は各プレーヤーのとる戦略の関数である。この関数を評価関数,利得関数などと呼ぶ。ゲームとして最も本質的なことは各プレーヤーの利得は自分のとる戦略の関数であるだけでなく,他のプレーヤーのとる戦略の関数であるということである。このような性質をもつ現象はすべてゲームとして表現されるといってよい。(5)協力の可能性 プレーヤーは自主的な判断にもとづいて行動するが,そのときプレーヤー間において,何らかの話合いを行い,それぞれのとるべき行動について取決めを結ぶことが可能であるときに,このゲームを協力ゲーム,そうでないときに,非協力ゲームという。
[ゲームの表現法とその理論]  (1)展開型 非協力ゲームをゲームの木,情報集合などを用いて表した形で,最も詳細な表現法である。ゲームの木とは,分岐点と頂点と選択肢(枝)とからなるもので,例えば,P1,P2,P3の3人のプレーヤーがそれぞれ二つ選択肢をもっていて,まず P1が選択し,次に P2は P1の選択の結果を知らずに,自分の枝の中から一つを選択し,次に P3は,P1の選択を知り,P2の選択を知らずに,自ら選択して,ゲームが終了するとすると,この関係は,図のようなゲームの木で表される。この図で分岐点をかこんだものは,プレーヤーが自分の意思決定にあたって,どの範囲の分岐点にいるかを知っていることを示す集合で,情報集合と呼ばれる。プレーヤーがもつ分岐点は,いくつかの情報集合に分割されて,それはプレーヤーの情報構造を示すと考えられる。ti は頂点で,ゲームが終了したときの状態を示し,それぞれの頂点(ゲームの結果)に対して,各プレーヤーは何らかの評価(効用,利得)をもつ。このような展開型によって,情報構造と意思決定の関係が詳細に分析され,社会的状況における情報の問題に多大の考察を与えている。
(2)戦略型または標準型 プレーヤーのもつ戦略を中心にゲームを表現したもので,n 人のプレーヤー P1,P2,……,Pn がそれぞれとりうる戦略の集合 S1,S2,……,Sn をもっていて,その中から,ある戦略 r1,r2,……,rn を選ぶことによってゲームが終了したとすると,プレーヤー Pi の利得関数は,fi(r1,r2,……,rn)と表すことができる。プレーヤーが2人で,それぞれ3個の戦略をもっているとすると,戦略と利得の関係は,

と書くことができる。ここで aij は P1,bij は P2の利得である。このような行列を利得行列という。つねに2人の利得の和がゼロのときにはゼロ和2人ゲームという。P1の利得を aij とすると,P2の利得は-aij である。例えば,行列(aij)を,

とすると,この行列は P1の利得行列で,この利得行列に関して,P1は最大値を求めるプレーヤー(最大化プレーヤー)であり,P2は最小値を求めるプレーヤー(最小化プレーヤー)である。この場合には,両者の利害は完全に対立し,最大化プレーヤーは相手が最小化しようとすることを考えて,自分の戦略 i に対する最小値

を考え,その中の最大値を与えるような戦略,すなわち,

となる戦略をとるのが最適であるといえる。このような戦略をマックスミニ戦略という。最小化プレーヤーにとっては,逆にミニマックス戦略が最適戦略である。このような行動原理(戦略の選択基準)を一般にミニマックス原理という。
 非ゼロ和 n 人ゲームは非協力ゲームと協力ゲームとに分かれる。非協力ゲームでは,自分以外のプレーヤーがある戦略をとっていて,自分だけが戦略を変えても利得が増加しないとき,その戦略の組を均衡点と呼ぶ。次のような囚人のジレンマ型ゲームでは,

(α2,β2)という戦略の組が均衡点である。そのとき利得は(1,1)であるから,それは,(5,5)という利得の組より,2人とも少ない利得しか与えられない戦略の組である。このように,非協力的状況においては,プレーヤー間の戦略の均衡が必ずしも最適とはいえない場合が生ずる。非協力ゲームは人間の社会的行動の基礎として,その構造が研究されており,また経済学における競争市場の分析をはじめとして,広い分野で応用されている。
 戦略型協力ゲームでは,プレーヤー間の交渉結果のもつべき基本的性格を公理化し,その基準をみたす一意の利得分配を定めるナッシュ解がよく知られている。
 また同一のゲームが反復して行われる反復ゲーム,ある部分ゲームから他の部分ゲームに確率的に移行する確率ゲーム,ゲームの状態や戦略が連続な時間の関数として表される微分ゲームなどのように,時間の経過に伴って行われるさまざまな多段階ゲームがある。
(3)提携型または特性関数型 協力ゲームの表現方法で,n 人のプレーヤーのうち何人かが提携して,その提携内では合意によってとるべき戦略が決定され,提携としてのとりうる値(提携値)が定まるような状況を示すものである。各提携に対して,その提携値を与える関数を特性関数と呼ぶ。この特性関数を使って,どのような提携が成立し,どのような利得分配が成立するかを考えるのが,このタイプのゲームの主たる問題である。
 与えられた状況のもとで,プレーヤーがどのような行動基準にもとづいて行動するかによって,さまざまな解の概念がある。どの提携をとってみても,その提携のメンバーの受けとる利得の和がその提携の提携値をこえているような利得分配の集合をコアといい,経済学では広く用いられていて,市場の取引の結果はコアに属することが知られている。提携として行動するということを強く意識して考えた概念にフォン・ノイマン=モルゲンシュテルン解(安定集合ともいう)があって,寡占市場や政治問題の分析に用いられている。交渉過程において,プレーヤーが提案された利得分配に対してもつ異議やそれに対抗する逆異議を厳密に定義して,交渉の結果を求めたものに交渉集合,カーネル,仁などがある。仁は各提携から出される最大不満を最小にするという考え方から導かれたもので,唯一の利得分配を与える。またシャープリー値はそのゲームにおいて,さまざまな提携がつくられる際の各プレーヤーの貢献度の平均値を表す指標である。投票の分析でよく用いられ,その際にはシャープリー値は投票者ひとりひとりがその投票メカニズムにおいて持ちうる力を示す投票力指数となる。このほかにも,提携構造と利得分配との組の安定性を考察した壅安定など,問題の状況に応じた解の概念がいくつか研究されており,ゲーム理論の多様性を示している。
[ゲーム理論の性格]  ゲーム理論とは,簡単にいえば,1組のルールによって定義された対象に関する数学の一分野であるが,その内容は広い領域にわたって深いものをもっている。同じくゲームから出発した確率論を意思決定理論という面で比較すると,確率論はただ一人の意思決定主体が偶然事象に直面したときの意思決定に関する理論であるのに対して,ゲーム理論は複数の意思決定主体が相互依存の関係にあるときの意思決定に関する理論である。ゲーム理論は自由な自立的な人間を前提として,その相互依存関係のもとでの意思決定,行動,効用などを考える人間関係の数学的理論であり,それを通して社会の構造を明確に認識することができる。すなわち,ゲーム理論は社会認識のための数学的理論である。
 したがって,それは単に数学の一分野というだけでなく,哲学,倫理学などの人文科学,社会学,政治学,経済学,経営学などの社会科学をはじめとして,統計学,情報科学,オペレーションズ・リサーチ,計画学,その他の理学や工学の基礎理論として重要な役割をになっている。例えば,経済学においては,投票の理論や,公共財の供給やその費用負担を中心とする社会的選択理論,寡占市場を出発点とする市場理論や一般均衡理論などは,ゲーム理論によって厳密に基礎づけられることによって初めてその構造が明確になったということができる。このように広い分野で重要性が認識されるに伴い,20世紀における最も重要な科学的貢献の一つといわれている。  鈴木 光男

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ゲーム理論
I プロローグ

ゲーム理論 ゲームりろん Game Theory トランプなどのカードゲームやスポーツ、政治、経済問題などを駆け引きのあるゲームとしてとらえ、数学的な研究をおこなう応用数学の一分野。1944年に刊行された、フォン・ノイマンとモルゲンシュテルンの「ゲーム理論と経済行動」が出発点といわれている。軍事問題、国際関係論、ミクロ経済学、社会生物学、賃金などの研究に広く利用されている。

II ゲームの形式

ゲーム理論では、参加する当事者をプレーヤーという。プレーヤーの人数、プレーヤーそれぞれの利得あるいは得点の計算方法、プレーヤーが相互に協力するかどうか、戦略的なのか展開的なのか、などによって多数の形式に分類している。

各プレーヤーは選択できる行動を複数もっていて、それぞれの行動に対応した得点の最大値と最小値があらかじめわかっている。それぞれのプレーヤーは、期待できる得点の大きい行動や安全性の高い行動を状況に応じて選択する。ゲームが1段階しかないときは、選択する行動を戦略といい、複数の段階からなるときは、手番という。

もっとも単純なものは、2人ゼロ和ゲームで、2人のプレーヤーが得点をきそうが、一方の取得した得点だけ、他方がマイナスの得点となる。麻雀などは、4人の得点合計がゼロになるので、4人ゼロ和ゲームといえる。

III ゼロサムゲーム

ルールにしたがって得点を重ねていき、最終段階で多く得点しているほうを勝者とするようなゲームは、プラスサムゲームあるいはポジティブサムゲームといい、ゼロ和ゲームのことを英語ではゼロサムゲームという。プロ野球の1試合は、プラスサムゲームだが、リーグでの優勝争いは、ゼロサムゲームである。貿易収支などは、典型的なゼロサムゲームで、1国の貿易黒字は、他方では赤字となる。

IV 囚人のジレンマ

囚人というのは、厳密には囚人ではなく、共犯関係にある2人の容疑者のこと。2人の容疑者が逮捕されていて、一方だけ自白をすれば、自白した犯人の罪が軽くなるが、犯人のどちらかが自白しているにもかかわらず、否認しつづければ罪が重くなり、両方とも否認しつづければ、2人とも軽い罪にとわれ、両方とも自白してしまえば、2人が重い罪になるというルール。

犯人は、相互に相手が自白したかもしれないという不信感をもっていると、相手が自白して自分だけ自白しなければ、より罪が重くなるので、自白してしまう。つまり、最悪の場合でもよりましな結果をもとめて行動することによって、最終結果は、客観的には2人のプレーヤーとも最悪の選択をしてしまうというのが囚人のジレンマである。


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定和ゲーム
定和ゲーム

ていわゲーム
fixed-sum game

  

ゲームの理論において,プレーヤーの得る利得の総和が一定であるようなタイプのゲーム。特に利得の総和がゼロとなるようなゲームを零和ゲームと呼ぶ。 (→非定和ゲーム )





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非定和ゲーム
非定和ゲーム

ひていわゲーム
non-fixed sum game

  

ゲームの理論で,プレーヤーの受取る利得の和が一定でないゲームをいう。ゲームは各プレーヤーの利得から一定値を引くことによって戦略的に同等なゲームに変形することができるので,定和ゲームを零和ゲーム,非定和ゲームを非零和ゲームと呼ぶことが多い。非零和2人ゲームには囚人のジレンマ,弱虫ゲームなどの競争と協力のジレンマを含むゲームがある。非零和 n人ゲームは,仮想的プレーヤーを導入して形式的には零和 n人ゲームに変形することができる。しかし,それでも非零和特有の問題が発生することが多い。核兵器出現以前の通常兵器による戦争や国家間の取引は零和ゲームになぞらえられたが,核兵器戦争は両者の利得がマイナスとなる非零和ゲームとなることが予想されるために,絶対避けるべきことと考えられ,相互依存の国際関係では両者の利得がともにプラスとなるような非零和ゲームの考え方が必要と考えられている。





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零和ゲーム
零和ゲーム

ゼロわゲーム
zero-sum game

  

ゲームの理論において,プレーヤーの正負利得の和が常にゼロになるゲームをいう。すなわち,一方の受取った分は他方の支払いから成る。チェスあるいはポーカーなどはこの例である。経済の分野ではオペレーションズ・リサーチ,線形計画法などに,また軍事の分野では核戦略論などにしばしば応用される。国際政治において零和ゲームになぞらえられる状況は,たとえば,冷戦初期の米ソ間にみられた赤裸々な権力政治的対決である。 (→定和ゲーム , 非定和ゲーム )





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囚人のジレンマ
囚人のジレンマ

しゅうじんのジレンマ
prisoner's dilemma

  

ゲームの理論の1例で,経済学では寡占の問題,戦略論では核抑止力の問題などのモデル化に応用されている。非零和ゲームでは単にミニ・マックス原理で解決できない問題が生じる。その代表例がこの囚人のジレンマである。共犯の2人が警察に拘留されて別々に尋問され,ともに黙秘を通せば両者ともに刑は軽く,もし一方が共犯証言をし,他方が黙秘を続ければ,共犯証言をしたほうは釈放され,黙秘を続けたほうは重い刑を受ける。また両者が自白した場合には若干の減刑がある。この場合,片方が釈放を願って証言をすれば他方もその戦略をとる可能性があり,その場合は両者が黙秘を通した場合よりも悪い結果となるというジレンマが生じる。国際政治における国家間の関係がこの2人の囚人の関係に似ていると思われるところから,国際政治学でも特に重視されるゲームの例である。このゲームの1つの教訓は,2人の囚人の相互信頼が大きな利得につながるという点にあり,それを国際平和の実現に応用することができるという積極面もある。 (→非定和ゲーム )





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囚人のジレンマ
しゅうじんのジレンマ prisoners’ dilemma

ゲーム理論における非協力非ゼロ和2人ゲームの例として考えられたもので,ある事件の共犯であることが確実な容疑者を別件で逮捕し,別々の部屋で検事が2人に〈黙秘するか自白するか二つの方法があって,自白すれば自白した者の刑を軽くする〉と告げたとする。そして,もし一方が自白し,他方が黙秘したとすると,犯罪の事実が確定し,自白した者は減刑されて1年の刑を受け,他方は10年の刑を受ける。2人とも黙秘すると,2人とも逮捕された別件の罪で2年の刑を受け,2人とも自白すると5年の刑を受ける。この三つのケースの結果に対して,2人は表のような評価値(効用)をもつとする。
 ここで例えば(8,0)というのは,自白した者の評価が8,黙秘した者の評価が0であることを示す。
 ここで2人の囚人は黙秘すべきか自白すべきかのジレンマに立たされる。2人の間が完全に不信の関係にあれば,2人とも自白するであろうし,何らかの信頼関係にあれば,2人とも黙秘するであろう。どのような関係にあるかはそれまでの2人の行動の歴史によって定まるもので,一般にはいずれともきめかねる場合が多い。このような例は社会のさまざまな分野においてみられ,社会的関係のもつジレンマを示すものとして広く応用されている。                      鈴木 光男

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囚人のジレンマ
囚人のジレンマ しゅうじんのジレンマ Prisoner's Dilemma 2人の囚人がいて、両方が黙秘して自白しなければともに1年の服役、一方が自白し他方が黙秘したときには前者は釈放、後者は10年の服役、両者が自白した場合にはともに5年の服役になるものとする。もし両方が協力して自白しなければ両者には明白な利益が存在するにもかかわらず、協力関係のない場合にはそれぞれ最悪の事態をさけようとして、結局は両者はともに自白するという行動をとるようになる。ゲーム理論との関係において、このような状況を囚人のジレンマという。この囚人のジレンマに対応する社会的事例は数多く存在する。周知の例に公共財の「ただ乗り」の問題がある。もし問題になっている公共財が費用を負担しない人にも利益が及ぶようなものであるならば、各人は公共財に対する選好を明示して費用を負担するよりも「ただ乗り」を行ったほうが有利となるかもしれない。もしすべての人々がこのように行動すれば、結局は費用の調達は不可能となって公共財は生産されないことになる。しかしこれは全員が費用負担に応じて公共財を生産した場合よりも劣るのである。

(現代用語の基礎知識 2002 より)


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シミュレーション
シミュレーション

シミュレーション
simulation

  

模擬実験。複雑な問題を解析するためのモデル (模型) による実験。または社会現象などを解決するにあたって,実際と似た状態を数式などでつくりだし,コンピュータや専用のシミュレータを使って模擬的な演算を繰返して,その特性を把握すること。たとえば,水漕や風洞などによる船舶や航空機の性能に関する実験や,経営管理に関するアイデアを論理的あるいは数学的なモデルに置き換え,いろいろな数値を代入することによって,その結果を推定するなどの経営管理技法などがある。特に,経営管理,システム工学,社会工学などでは,理数モデルを設定し,計算機の高速演算能力を駆使してシミュレーションを行う方法が重要な役割を果している。





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[ブリタニカ国際大百科事典 小項目版 2008]


シミュレーション
simulation

英語の simulate は,〈まねをする〉〈ふりをする〉という意味の動詞であり,simulation はその名詞形である。しかし,ふつうシミュレーションといえば,現実の世界に存在するシステムあるいはこれから作ろうとするシステムのモデルを作り,これを使って実験することをさす。モデルの中には,宇宙飛行士の訓練のためのカプセルの模型のような機械装置もあって,このような装置はシミュレーターと呼ばれている。しかし,現在一般的によく使われているモデル作りおよび実験の方法は,コンピューターを使うもので,コンピューターシミュレーションとも呼ばれている。
[コンピューターシミュレーション] コンピューターシミュレーションを最初に提案したのはフォン・ノイマンであるといわれている。彼は協力者とともに,第2次大戦中に核分裂の際の中性子の挙動をシミュレーションによって調べた。その後,コンピューターが発展するにつれて,シミュレーションの手法はきわめて多くの分野で使われるようになってきた。次にあげるのはそのうちのごくわずかの例である。(1)粒子の衝突や散乱などの物理的現象の解明と,その応用である原子炉の設計など。(2)工場の生産ラインでの流れ作業がスムーズに行われるようにするための仕事の配置の仕方の決定。(3)化学プラントの効率的な操業条件の決定。(4)超高層ビルの地震に対する振動の様式の分析と耐震設計,およびビルのエレベーターの効率的な運転方法の決定。(5)大型コンピューターの効率的な運転方法に関する分析。(6)コンピューターネットワークの信頼性や効率の解析。(7)LSI の設計が論理的に正しいかどうかの検討。(8)企業レベルあるいは国家レベルでの経済予測。(9)人間の学習,思考,問題解決等の過程の分析。(10)デリバティブ(金融派生商品)の価格の検討。
[実行の手順] シミュレーションの進め方の細部は対象とするシステムによって大幅に異なるが,ごくおおまかにいえば,ほぼ次のような手順で行われる。(1)実験の目的を明確にする。(2)モデルを作成する。その場合,現実のシステムを観察し,分析して,当面の目的に重要な関係をもつと思われる構成要素,これらの要素間の関係,システムを支配している諸法則を抽出し,あまり関係のなさそうな要素は捨てる。(3)モデルをプログラム言語を使って記述し,計算機を使って実験する。(4)モデルの妥当性をチェックする。ここでは,実験によって得られた結果を現実のシステムの挙動あるいはこれから作ろうとするシステムに期待される挙動と比較し,食違いがある場合には,モデルを修正してふたたび実験を行う。この過程を繰り返して妥当と思われるモデルを作りあげる。(5)完成したモデルを使って,現実の世界ではまだ経験していない状況あるいは作り出しにくい状況のもとで実験を行う。これによって,現実のシステムがこのような状況のもとに置かれたときの挙動を調べる。
[特徴] シミュレーションの長所としては次のようなものがあげられる。
 (1)これから作ろうとしているシステムの設計のためのデータの収集,設計の正しさや安全性のチェックに向いている。(2)すでに存在しているシステムを用いて実験すると費用が高くついたり,混乱をもたらしたり(たとえば交通管制システムなど),危険であったり(たとえば化学プラントなど)する場合の代替手段として使える。(3)現実のシステムは複雑なものが多く,簡単な数式では記述できない場合,あるいは記述はできたとしてもそれを解析する方法が不明である場合もある。シミュレーションの手法は,このような場合にも使えるので,適用範囲がきわめて広い。
 一方,以下の短所にも留意しなければならない。(1)実行の手順で述べたとおり,複雑な現実のシステムに関係するすべての要素を取りあげるわけにはいかないので,モデル作成の際には,これらの要素の取捨選択を行わなければならない。また取りあげた要素間の関連性を明確にしなければならない。この作業は,モデル作成者の主観による部分が多いので,他人に対して説得力のあるモデルが作れるとは限らない。また,どのようなモデルを作ったのかを他人が判断するのが容易ではない。(2)確率的な変動を伴う項目を含むシミュレーションはモンテカルロシミュレーションと呼ばれるが,この場合には,結論を引き出すまでに多数回の繰り返し計算を行わなければならないし,また計算結果から妥当な結論を引き出すために,種々の統計的配慮が必要になる。
[プログラム言語] モデルを作ってコンピューターで実験するためには,モデルをプログラム言語で表現する必要がある。この目的のためには,たとえばフォートラン(FORTRAN),ベーシック(BASIC),シー(C)などのような汎用のプログラム言語が使われることも多いが,シミュレーション専用の言語も数多くあり,広く使われている。これらの言語は,主として対象とするシステムの性質によって2種類に大別される。一つは,主要な状態が時間とともに連続的に変化するシステム(連続系)を対象とするものである。このようなシステムの解析は,以前はアナログコンピューターを使って行われるのがふつうであったが,最近ではほとんどすべてディジタルコンピューターを使って行われている。代表的な言語としては CSSL やACSL などがある。また,システムダイナミクスの分野でよく使われる言語に DYNAMO がある。
 もう一つの言語のグループは,状態が離散的な(すなわち,ときどき,とびとびの)変化をするシステム(離散系)を対象とするものである。離散系を対象とするシミュレーション言語は,現象のモデル化の仕方によって,事象中心,プロセス中心,アクティビティ中心の3種類に大別することができる。事象 event というのは,系の状態を変化させる出来事で,所要時間が0と考えられるものである。たとえば,銀行の現金自動預け払い機(ATM)の前の行列の長さの時間変化をシミュレーションしたい場合を考えてみよう。ここに客が1人到着して行列の長さが1増える,あるいは客が ATM を使用し終り,行列の長さが1減る,という二つの出来事は,いずれも事象である。これに対して,1人の客が ATM を使用し始めてから終わるまでは,一つのアクティビティと考えられる。一方,プロセスというのは,系の中を動きまわる1人の客に対応して起こる一連の事象等を一定のルールで表現するものである。
 シミュレーション言語は1960年代にいくつか発表された。SIMSCRIPT は事象中心,GPSS はプロセス中心の言語の代表的なものである。その後,これらの言語には改良が加えられ,また新しい言語もいくつか作られているが,現在では複数のモデル化機能を備えたものも多くなっている。さらには,連続系と離散系のいずれも記述できる機能を備えた SLAM II のような言語も開発されている。
[シミュレーター] シミュレーションの対象とする系を工場の生産現場のレイアウト,通信システム,LAN などに限定すると,それぞれに専用のソフトウェアをあらかじめ作っておいて,パラメーターの値を与えるなどの簡単な準備をするだけで,すぐにシミュレーションをすることができる。このようなソフトウェアのことをシミュレーターと呼ぶ。これらのシミュレーターでは,シミュレーション結果をアニメーションによって表示し,モデルの妥当性の検証等がしやすいように工夫されているものが多い。
 最初に述べた宇宙飛行士の訓練装置のような機械装置もシミュレーターと呼ばれているが,このような物理的なシミュレーターにおいても,現在ではコンピューターが活用されていて,アニメーションを工夫して,人工現実感(仮想現実 virtualreality)を出すようにしているものが多い。
                        伏見 正則

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統覚心理学
統覚心理学

とうかくしんりがく
apperception psychology

  

意識経験の原理を統覚におく W.ブントの心理学説をいう。彼は統覚を,意識内容を統合する能動的心的機能とみて,比較,分析,総合などの複雑な精神作用は,受動的な連合のみによっては説明できず,統覚を考えることにより説明可能になるとした。





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統覚
統覚

とうかく
apperception

  

哲学,心理学用語。対象がよく理解され明瞭に意識される知覚の最高段階,あるいは個々の知覚内容を統合する精神機能をさす。 G.ライプニッツが初めて用い,のちにカントによって対象を認識する前提としての意識の統一をさして用いられた。また W.ブントはこれを能動的な意味でとらえ,統覚心理学を展開した。





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G.ライプニッツ
ライプニッツ

ライプニッツ
Leibniz,Gottfried Wilhelm von

[生] 1646.7.1. ライプチヒ
[没] 1716.11.14. ハノーバー

  

ドイツの哲学者,数学者。 12歳のときほとんど独学でラテン語に習熟。 1661年ライプチヒ大学に入学,法学と哲学を学ぶ。 66年アルトドルフ大学で法学博士。 67年からマインツ選帝侯に仕えて政策立案などを行い,72年にはパリに派遣された。 76年帰国して死ぬまでハノーバー侯に仕えたが,晩年は不遇であった。広範な問題を取扱ったが,数学では 75年独自に確立した微積分法がある。また彼の哲学は C.ウォルフによって変形されつつ体系化され,普及してドイツ啓蒙主義の主潮であるライプニッツ=ウォルフ学派を形成した。主著『形而上学叙説』『人間悟性新論』『弁神論』『単子論』。





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ライプニッツ 1646‐1716
Gottfried Wilhelm Leibniz

ドイツの哲学者,数学者。歴史学,法学,神学などについても重要な業績を残し,政治家,外交官など実務家としても活躍した。ライプチヒに生まれ,ライプチヒ大学で哲学を,イェーナ大学で数学を,アルトドルフ大学で法律を学んだ後,マインツ侯国の前宰相ボイネブルク Johann Christianvon Boyneburg(1622‐72)と相識り,1670年侯国の法律顧問官となる。侯国の外交使節として72年以降パリに滞在したが,このパリ派遣は,彼自身の起草になる〈エジプト計画〉(フランスの対外拡張政策,特にオランダ侵攻を阻止し,エジプト征服を勧めることによって,ひいてはドイツの安全を図ろうとするもの)を,ルイ14世に奏上することが直接の目的であった。この試みは実現しなかったが,彼はフランスの学者グループに仲間入りし,またイギリスにも渡り,R. ボイルを知るなどして刺激を受けた。オランダでのスピノザとの会見を経て,76年末ドイツに帰国,以後生涯変わることなくハノーファー家に司書官,顧問官として仕える。その間,ハノーファー家の系譜の歴史学的探求,そのためのイタリア旅行,ヨーロッパ各地でのアカデミー設立(自身1700年設立のベルリンのアカデミーの初代総裁となった),さらにカトリックとプロテスタント両教会の間の融和統一等の仕事に尽力する。その膨大な著作の大半は,現在においても未刊の断片的草稿のままに,ハノーファーの〈ライプニッツ文庫〉に日の目を見ずに保存されている。刊行されたもののうちまとまりのある主要な著作は,《形而上学叙説》(1686),《新人間悟性論》(1704),《弁神論》(1710),《単子論》(1714)等である。
[哲学]  ライプニッツ哲学の根本的特質は普遍的調和(予定調和)の思想と個体主義にある。論理・認識思想に関しては,思考のアルファベットと結合法の思想にもとづく普遍学の理念,および認識の経験論的理説と合理論的理説を独自に統一した表出説が重要である。自然学思想ではライプニッツに特有の力動的な活力の概念の発見(力動説)のうちに,デカルトの静力学的自然学に取って代わるべき新たな力学説の成立を見ることができよう。これらを基礎として単子論的形而上学思想(モナド)が確立されるに至った。ライプニッツが物体の形相的要素とみなす根源的力は,物質における運動の力動的原理であり,自然現象の連続性と多様性の条件である。すなわち宇宙が秩序も統一も欠く混沌ではなく,また多様な変化の認められる余地のない同質的集塊でないために,物質のうちに根源的力がなければならず,実体の活動が多様な変化の現象を可能にするのでなければならない。ライプニッツは原子論(アトミズム)の批判によっても同一の結論に達した。真に実在するものは不可分であり不滅である。真に〈一なる〉存在でないものは,真に〈存在する〉ものではない。同質的で無限に可分的な物質的アトムは理性に反する。実体の不可分性は形相の不可分性である。それゆえ形相的アトムは魂に類似したものとして把握されうる。すなわち生命,エンテレケイア,魂が物質の最小の部分のうちにも存在するのである。この意味でライプニッツの形而上学説は汎心論もしくは汎生命論とも呼ばれうる。なお,彼の哲学はライプニッツ=ウォルフ学派により,一面的にではあるが継承された。      増永 洋三
[数学,自然学]  ライプニッツは,大学時代にはほんの初等的な幾何学・算術を学んだにすぎなかったが,学位論文《結合法論考》(執筆1666)における普遍記号法の理念は後年,数学・論理学の革新を計る際開花することになる。数学における能力はパリ滞在期に大きく飛躍する。当時アカデミー・デ・シアンスの中心的科学者であったホイヘンスやローヤル・ソサエティの知識人たちによってヨーロッパの第一線の知的世界に導かれたためである。最初の数学の天分は計算機作製において示された。この計算機は加減乗除の四則演算が可能となるように計画されたものであった。また73年以降,求積法・接線法の研究を急速に発展させ,手初めにパスカルの無限小幾何学についての著作から示唆を受けて円の算術的求積に成功し,円周率の無限級数展開に関する〈ライプニッツ公式〉(π/4=1-囂+囈-圄+……)を得た。さまざまな求積問題・逆接線問題にとり組む中から,76年秋までには今日の微分記号 d や積分記号∫を用いる微分積分法の概念に到達したものと思われる。この成果は84年から徐々に公表された。ライプニッツ的微分積分法の特質はすぐれた記号法によった点にある。今日の位相幾何学の考え方にも通ずる《位置解析について》の書簡をホイヘンスあてにつづっている(1679)が,ホイヘンスはこれに好意的でなかった。このように同時代人は必ずしも代数的普遍記号法の理念を歓迎したわけではない。ニュートンなどイギリスの数学者たちがライプニッツ的数学を受け入れたがらなかった理由の一つも,このような記号法的特質のためであった。だが,96年のロピタルの微分法の教科書《曲線の理解のための無限小解析》がライプニッツ思想にもとづいて書かれたのをかわきりに,ベルヌーイ兄弟,バリニョン Pierre Varignon(1654‐1722)など大陸の数学者たちはライプニッツ的記号数学を普及させた。ライプニッツ的形式主義は論理学の変革にも力を及ぼし,論理学は論理計算に改変させられた。この試みは19世紀末以降,数学的論理学者たちによって再評価された。彼はまた二進法,行列式の考えにも到達していたことが今日ではわかっている。
 自然学においては,デカルト学派が運動量(質量と速度の積 mv)保存の法則を動力学の世界にもち込もうとしたのに反対し,保存されるのは〈活力〉(mv2)であると主張,活力論争をひき起こした。デカルトと同じく機械論的哲学を基本的には支持しながらも,独断的な機械論には反対であったものと思われる。ニュートン学派の S. クラークとも論争し,ニュートン的神,絶対時空概念を批判した。彼の相対的時空論は現代の相対性理論的観点から高く評価されている。ライプニッツ哲学はカント以降ほとんど見捨てられたものの,以上のような個々の科学的言明は後代に大きな影響を及ぼしたわけである。            佐々木 力

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ライプニッツ,G.W.
I プロローグ

ライプニッツ Gottfried Wilhelm Leibniz 1646~1716 ドイツの合理主義的哲学者・数学者・政治家。17世紀のもっともすぐれた知識人のひとり。

II 生涯

ライプツィヒに生まれ、ライプツィヒ、イエナ、アルトドルフの各大学にまなんだ。1666年に法学博士号をえたのちに、法律、政治、外交などのさまざまな権限をもつマインツ選帝侯につかえる。73年、選帝侯の治世がおわると同時にパリにおもむく。3年間パリにとどまり、アムステルダムやロンドンをおとずれるかたわら、数学、科学、哲学の研究に時間をついやす。76年にハノーファー王室の司書および顧問官に任命され、以後40歳から死ぬまで3代にわたるハノーファー家につかえた。

ライプニッツは同時代の人たちに万学の天才とみなされた。彼の業績には、数学や哲学だけでなく、神学、法学、外交、政治学、歴史学、文献学、物理学などもふくまれている。

III 数学

数学におけるライプニッツの貢献は、1675年に微積分の基本原理を発見したことである。この発見は、66年に計算法を案出していたイギリスの科学者ニュートンとは別に独自におこなわれた。ライプニッツの計算法が発表されたのは84年、ニュートンの計算法が87年であり、ライプニッツによって考案された表記法のほうが一般に使用された。72年には、掛け算や割り算のほかに平方根ももとめることのできる計算機を発明している。また、ライプニッツは記号論理学の開拓者のひとりともみなされている。

IV 哲学

ライプニッツが主張する哲学によれば、宇宙は無数のモナドからなる。モナドとは表象と欲求という心的働きをもつ単純体である。

1 モナドと予定調和

モナドはそれぞれにミクロコスモスを構成し、さまざまな判明度において宇宙をうつしだし、ほかのすべてのモナドとは独立に発展する(→ ミクロコスモスとマクロコスモス)。宇宙は、独立したモナドからなるにもかかわらず、普遍的調和をなすように神によってあらかじめ設計されている。これは「予定調和」とよばれる。しかし、人間は視野がかぎられているために、病気や死といった悪をそうした普遍的調和の一部と考えることができない。

「ありうるすべての世界の中で最良の世界」というこのライプニッツの宇宙は、現世安住的な楽天主義を否定したフランスの作家ボルテールの小説「カンディド」(1759)により、ユートピアとして攻撃されることになる。

V 著作

ライプニッツの重要な哲学的著作には、「新人間悟性論」(1704)、「弁神論」(2巻。1710)、「モナドロジー」(1714)などがある。「新人間悟性論」と「モナドロジー」は、ウォルフやカントら、18世紀のドイツの哲学者に大きな影響をあたえた。


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弥縫策としての心理学(その06) [哲学・心理学]

W.M.ブント
ブント
Wundt,Wilhelm

[生] 1832.8.16. バーデン,マンハイム近郊ネッカラウ
[没] 1920.8.31. ライプチヒ近郊グロースボーテン

  

ドイツの心理学者,哲学者。ハイデルベルク大学,チューリヒ大学教授を経て,ライプチヒ大学教授。ベルリン大学時代には J.P.ミュラー,ハイデルベルク大学時代には W.ヘルムホルツのもとで生理学を研究。 1879年ライプチヒ大学に世界で最初の心理学実験室を創設,諸外国からも多数の学者が集り,感覚,反応時間,精神物理学,連想などの研究がなされ,世界の心理学界をリードした。晩年には,論理学,倫理学,哲学の領域にまで視野を広げ,心理学の領域でも複雑な精神現象の法則は実験的生理的心理学では取扱いえないとして,民族心理学の存立を主張した。主著『哲学体系』 System der Philosophie (1889) ,『心理学原論』 Grundriss der Psychologie (96) ,『民族心理学』 Vlkerpsychologie (10巻,1900~20) (→構成心理学 , 統覚心理学 ) 。





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ブント 1832‐1920
Wilhelm Max Wundt

ドイツの心理学者,哲学者。実験心理学の創始者であり,近代心理学は彼とともに始まったとされる。最初は医学を志し,チュービンゲン,ハイデルベルク,ベルリンの各大学に学んだ。1857‐64年ハイデルベルク大学生理学私講師,65‐74年同員外教授。74年チューリヒ大学哲学教授。75年以降ライプチヒ大学教授。ハイデルベルクの私講師のころ,ヘルムホルツの下で生理学の助手を務めたが,関心は感覚生理学からしだいに心理学に移っていった。73‐74年に全3巻の《生理学的心理学綱要》を著し,初めて実験心理学の基礎を確立。79年にはライプチヒに世界最初の心理学実験室を作り,以後そこで世界各地から集まった研究者に実験心理学の指導をした。そしてこの実験室での研究の成果を発表するために心理学雑誌《哲学研究》を創刊した。彼は心理学を直接経験の学であるとし,自己観察と実験を用いて意識を研究し,意識を究極的な心的要素としての純粋感覚と単一感情の結合によって説明しようとした。その立場は要素主義の色彩が強く,彼の心理学は構成心理学と呼ばれる。こうして彼は個人の単純な精神は生理学的心理学の研究対象としたのであるが,他方,人間の複雑高等な精神は文化や社会生活のうちに表現されるとして,それを民族心理学 VÅlkerpsychologie が研究するものとした。そして1900年以降亡くなるまでの20年間,民族の言語,芸術,神話,宗教,法律,歴史を資料にして民族心理学の研究に没頭した。旺盛な研究心と比類ない努力によって膨大な著述を残したが,その主なものは,《感官知覚論》(1862),《人間と動物の精神に関する講義》(1863),《論理学》(1880‐83),《倫理学》(1886),《心理学概論》(1896),《民族心理学》(1900‐20),《哲学入門》(1901),《心理学入門》(1911)などである。       児玉 憲典

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ブント

ブント


ブント,W.M.
ブント Wilhelm Max Wundt 1832~1920 実験心理学の基礎をきずいたドイツの心理学者、哲学者。はじめ医学をおさめたが、ベルリン大学で実験生理学をまなんだことをきっかけに生理学的心理学に興味がうつる。1864年ハイデルベルク大学の生理学助教授、ついで74年チューリヒ大学の哲学教授をへて、75年から退職するまでライプツィヒ大学の哲学教授をつとめた。

1879年にはライプツィヒ大学に世界ではじめての心理学実験室を創設した。世界各国からあつまった多数の研究者が彼のもとにまなび、その実験心理学の精神を自国にもちかえった。わが国でも85年に東京大学の井上哲次郎が最初に聴講にでかけており、またのちに留学した松本亦太郎は1906年に京都帝国大学にブントの実験室を模した実験室をつくっている。

ブントによれば、心理学は直接経験の学であり、直接経験は意識の事実であるから、心理学の目的は複雑な意識過程を分析してその要素を抽出し、その要素間の結合を支配する法則を明らかにすることである。こうして内観の分析によって心的要素を抽出し、その結合としての心的複合体を考えて、「創造的総合の原理」を提唱した。彼の心理学が要素主義的な構成心理学、意識心理学といわれる所以(ゆえん)である。

のちのゲシュタルト心理学はこの要素主義を、また行動主義心理学はその意識主義を批判するところから生まれた。しかし、今日の認知心理学はふたたび被験者の意識過程を重視するようになり、行動主義によって一蹴(いっしゅう)されたブント心理学をみなおす動きもある。なお、晩年のブントは高等精神作用の研究の一環として民族心理学にも関心をしめし、今日の文化人類学(→ 人類学の「文化人類学」)の基礎をきずいた一面もあった。


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民族心理学
民族心理学

みんぞくしんりがく

  

(1) ethnopsychology;folk psychology 種々の民族,人種などの社会集団の心理学的特性についての比較心理学的研究をいい,民族学・社会学者 R.C.トゥルンワルト,G.ウーズらによって発展させられた。 (2) Vlkerpsychologie人間の言語,神話,風俗など精神的所産としての文化を発達的に研究する心理学をいい,W.ブントにより発展させられた。なおブントは,個々の民族生活についての心理学的な研究は民族性心理学 Volkspsychologieと呼び,(1) と区別した。





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R.C.トッルンワルト
トゥルンワルト

トゥルンワルト
Thurnwald,Richard Cristian

[生] 1869.9.18. ウィーン
[没] 1954.1.19. ベルリン

  

ドイツの機能主義を代表する民族学者,社会学者。ウィーン大学で法学を学び,のちに民族学,社会学に興味をもつようになった。 1906~09年ソロモン諸島,12~15年ニューギニアを現地調査。 24年ベルリン大学教授。アメリカで諸大学の客員教授をつとめ,30年には東アフリカなどの現地調査を通じて新しい民族学的資料を収集し,親族組織や原始経済についての機能的研究を行なった (→民族心理学 ) 。『民族心理学および社会学雑誌』『人類学および民族研究彙報』を主宰。主著"Ethnopsychologische Studien an Sdsee-Vlkern" (1913) ,"Primitive Psychologie" (22) ,"Lehrbuch fr Vlkerkunde" (39) 。





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構成心理学
構成心理学

こうせいしんりがく
structural psychology

  

複雑な精神現象を要素に分解し,それらを結合して心的過程を説明しようとする要素主義心理学をいう。この立場は,純粋な基本的感覚と単純感情という要素によって精神過程を説明しようとした W.ブントの心理学に始り,その考えを徹底させ,純化させたのが E.B.ティチェナーである。彼は代表的な要素として感覚,心像および感情をあげ,さらにその要素を属性または次元に分析した。感覚と心像の属性としては,性質,強度,持続,延長および明瞭性をあげ,感情には明瞭性が欠如するとした。 (→要素心理学 )





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構成心理学
こうせいしんりがく structural psychology

意識の機能を研究する機能心理学に対して,意識の内容を要素に分析し,その要素の結合によって意識現象を説明しようとする心理学をいう。内容心理学とも要素心理学ともいう。W. M. ブントがこの立場の基礎を形づくり,E. B. ティチナーがそれを徹底させた。意識を構成する心的要素を見いだす方法は自己観察であり,ティチナーはそれを内観と称した。心的要素としては,感覚,心像,感情があげられた。             児玉 憲典

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E.B.ティチェナー
ティチェナー

ティチェナー
Titchener,Edward Bradford

[生] 1867.6.11. サセックス,チチェスター
[没] 1927.8.3. ニューヨーク,イサカ

  

イギリス,アメリカの心理学者。 1890年オックスフォード大学卒業。 W.ブントに師事したのち,母校に戻り講師を経て,95年コーネル大学教授となる。実験心理学を発展させた構成心理学派の代表者。主著『実験心理学』 Experimental Psychology (4巻,1901~05) ,『体系的心理学』 Systematic Psychology (29) 。





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要素心理学
要素心理学

ようそしんりがく
Elementpsychologie

  

心的現象を分析してそれ以上分割しえない究極的な要素 (心的要素) を見出し,かつそれらの要素の結合ないしは連合から心的現象を説明しようとする要素主義の立場に立つ心理学説。イギリスの連合心理学に端を発しているが,特に W.ブント,E.B.ティチェナーの構成心理学をさすのに用いられた。心的現象は全体的な統一性と関連性をもち,要素には分割しえないとする全体論的心理学ないしはゲシュタルト心理学と対立するもの。その立場からは原子主義的心理学,またはモザイク的心理学として批判される。





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実験心理学
実験心理学

じっけんしんりがく
experimental psychology

  

実験的方法を研究の手段とする心理学の意であるが,一般的には人間の精神現象あるいは動物や人間の行動の研究に実験的方法を適用し,人為的に統制された実験室内で組織的な条件変化を加えた際の現象や行動の変化を観察,記述しようとする心理学の分野を総称していう。狭義には,心理学実験の方法そのものの組織的研究という意味にも用いられる。歴史的には,19世紀,G.T.フェヒナーが精神物理学を構築し,1879年,W.ブントがライプチヒ大学に世界最初の心理学実験室を設けたときに,実験心理学の基礎が確立されたといわれている。



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実験心理学
じっけんしんりがく experimental psychology

心理学の発達とともにその意味する内容は複雑多岐にわかれ一定していないが,狭義には厳密な実験的方法によって正常な成人の感覚,知覚,記憶,学習,思考,感情などにおける一般的傾向に関して,個人的行動と言語報告からえられた事実のみによって構成された心理学を意味する。このような態度はフェヒナーの《精神物理学要論》(1860)に端を発しているが(精神物理学),ブントが形を整えた。彼はライプチヒ大学に世界最初の正式な心理学実験室を開設し(1879),この用語を使用した。実験心理学的研究においては思弁,偶然的観察(非統制的観察),非実験室的データ(各種の調査データなど)は原則として排除され,その点で他の心理学の分野である社会心理学,発達心理学,差異心理学,臨床心理学,動物心理学などと対比的に考えられてきた。しかし広義には現代心理学すべてが実験心理学であるともいえる。なぜなら,今や単純な心理学的事象のみならず複雑な精神機能についても実験的方法が適用されるようになり,行動の実験的研究が心理学のすべての領域にわたって適用されつつあるからである。たとえば実験心理学は個人差を超えた一般法則を追求し,よく統制された条件変化と平均反応の関係を重視してきた。これに対し差異心理学は同一刺激条件に対する反応の個人間,集団間の差異状況を求めてきた。検査や因子分析も同じ方向である。しかし1950年代からは各領域での問題意識が進み,方法論的進歩とあいまって両者は融合し,より現実適合的なきめ細かい理論が展開されつつある。               梅津 耕作

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実験心理学
I プロローグ

実験心理学 じっけんしんりがく Experimental Psychology 狭義には実験室において実験的方法をもちい、感覚、知覚、記憶、学習、思考などを解明する立場あるいは研究領域をさす。広義には実験室実験をこえたフィールド調査研究やフィールド観察研究なども、そこに実験的方法がとりこまれている限りにおいて(厳密な客観的手続きがふまれている限りにおいて)、実験心理学にふくめて考えることが多い。時代によっても、研究者によっても、この言葉の使い方には幅がある。

II 実験心理学の発展

実験心理学の基礎となる最初の試みとしては、生理学者のグスタフ・フェヒナーによる精神的(感覚的)事象と物理的事象との間の精神-物理的な関係に関する研究をあげることができる。たとえば、重さの感覚は物理的な重量の対数に比例するという精神物理的法則がここで明らかにされた。この影響をうけたブントは、1879年にライプツィヒ大学に世界ではじめて心理学実験室を設立し、感性的経験に関する生理学的研究をすすめる一方、精神現象相互の関係を内観法をもちいて解明することをめざした。

しかし、ブントの内観法には要素主義をはじめとするさまざまな問題点がふくまれ、その批判は多方面からおこなわれた。エビングハウスの無意味つづりをもちいた記憶実験などは、内観法の限界をこえた今日の実験心理学に直結する最初の試みである。そして1920年代以降、おもに刺激条件を厳密に規定し記述する方向ではゲシュタルト心理学が、また、おもに反応条件を厳密に規定し測定する方向では行動主義が、内観法批判の中心となり、これらによってブントの内観法はのりこえられた。

ゲシュタルト学派の主張と行動主義の主張は、真っ向から対立する一面をふくんでいたが、厳密かつ客観的に刺激条件と反応条件を規定し、その間に行動法則をうちたてるという実験心理学の基本精神からいえば、両者の立場はかならずしも矛盾するものではなかった。つまり、内観法にふくまれている問題点を克服する歴史的過程が、実験心理学の方法を向上させるとともに、実験心理学そのものの確立をもたらしたといえる。

III 実験的方法の確立
1 刺激条件の統制、統計的手法

実験心理学では、実験者が刺激条件を制御し、その制御された刺激条件(S)に対して、被験者がどのように反応するか(R)を問題にし、SとRの間に客観的な行動法則をうちたてることが基本的な目的である。そのためには、刺激条件の制御の一般化=公共化、測定される反応の一義性および被験者の反応の一般性が必要となる。

さらに、ある事実(行動法則)を成立させている条件を厳密に規定するためには、組織的に条件をうごかし、それが行動にどのような効果をおよぼすかをみきわめる必要が生じる。これが、実験条件の操作による仮説検証である。また、測定され観察された事実がどのような被験者の集合にあてはまるかを明らかにしなくてはならない。

こうした目的のためには、まず母集団から被験者をランダムに抽出し、その被験者標本に実験をおこなって結果をえる。さらに、その結果に統計処理をくわえて統計的推論に依拠し、最終的にその事実が母集団に一般的にみいだせるのかどうかを結論づけなければならない。

狭義の実験には、2つの方法がある。すなわち、実験者が被験者にある条件Aを課したとき観察される(測定される)事象Xと、条件Aを課さなかったときに観察される事象Yとの間に本質的な違いがあるかどうかをしらべる統制実験と、実験者に制御できた限りでの条件のもとで、被験者がどのような事象を経験するかをしらべる探索実験に2分される。統制実験のうち、特別の条件を課される(処理をくわえられる)被験者群を実験群、その条件を課されない(処理をくわえられない)被験者群を統制群または対照群とよぶ。

統制実験では、仮にこの2群の結果が統計的に同質であるという帰無仮説(悉無(しつむ)仮説)をたて、その仮説が棄却できるかどうかを統計的に判定し、5%以下の危険率で棄却できる場合にかぎり、その2群間に統計的な有意差があると結論する。

もちろん、人間的事象を支配している条件はかぎりなく多いから、常に1つの条件だけをうごかすというやり方では、問題の本質をみうしなう場合がある。なぜなら、複数の条件がたがいに影響しあって1つの効果をおよぼしている場合がしばしばあるからである。このような場合には、条件間の交互作用を明らかにするための実験がおこなわれる必要がある。実験結果から条件間の交互作用の効果を統計的に明らかにする手続きは、実験計画法とよばれている。

さらに、多数のアンケート調査結果のように、多次元の要因から構成されているデータを解析して、被験者の反応を背後で支配しているいくつかの本質的次元を明らかにするさまざまな統計的手続きも、実験心理学にかかせない手法である。たとえば、因子分析に代表される多変量解析法は統計的方法のひとつである。こうした一連の手続きをふみ、厳密かつ客観的な行動事実(法則)をみいだす試みが実験心理学の基本精神といえる。

2 反応の種類と測定

実験者のあたえた刺激条件に対して、被験者はなんらかの反応をしめす。その反応は、皮膚電気反応や心拍数、脳の磁気共鳴(MRI)反応といった身体生理学的反応、あるいは「みえたかどうか」の電鍵押し反応、記憶実験の場合の言語反応、さらにはアンケートの選択問題への反応まで、多様である。被験者の反応は、実験者がその解明を意図している事象をなんらかのかたちで反映した1つの指標であり、実験者はえられた反応指標から、生じている事象をただしく再構成しなければならない。

実験者が刺激条件において制御できなかった要因が、もしその反応指標にふくまれているならば、当然、その指標から事象をただしくくみたてることはできない。そのため、反応指標の取り方とその吟味は、刺激条件の統制と同じくらいの重要性をもつ。近年の認知心理学における神経生理学的手法をもちいた多様な研究の発展の背景には、たとえば脳の磁気共鳴を利用したデータなど、これまでえられなかった新たな反応指標や、これまでより高精度の反応の測定技法がえられたことにも、大きな理由がある。

IV 実験心理学の限界

ブント以来、100年以上の研究史の中で、実験心理学は大きく発展してきたが、そこに 限界があることも認識されなければならない。まず、実験心理学はある母集団に関して個人差をこえたある一般法則をみいだそうとするところになりたつ。しかし、人間的事象には、個人差こそが意味をもつような事象が無数にある。実験心理学と対極をなす臨床心理学が成立する理由はまさにここにある。

また、仮説を検証するために、実験群にある条件を課すことが、場合によっては研究者倫理上、ゆるされない場合もある。たとえば、初期に母性的養育をうけられないことが後の精神発達に悪影響をおよぼす、という仮説を検証するためには、母性的養育をあたえない実験群をつくる必要があるが、それは倫理上ゆるされない。それゆえ、この仮説の検証は直接的な実験的手法ではおこなうことができず、不幸にして母性的養育をえられなかったという事例を収集するなど、他の方法によらなければならない。

また、フィールド調査やフィールド観察でも、最初から仮説検証をくわだてるというより、まずはそのフィールドにはいりこみ、フィールドの中から何が問題なのかを考えていく、というアプローチが重要視されるようになってきた。実際、そのようなフィールド活動をとおして、何がとりあげられるべき問題であるかが、よりよくみえてくる場合が少なくない。あらかじめ統制された観察項目だけを観察するという実験的手法では、そのフィールドで本質的に重要な事象をかえってとらえそこねる場合もでてくる。

要するに、仮説検証的な実験心理学的手法をとるか、仮説探索的、関与観察的な手法をとるかは、研究者のとりあげたい問題との関連でその採否がきまるといってもいいだろう。


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G.T.フェヒナー
フェヒナー

フェヒナー
Fechner,Gustav Theodor

[生] 1801.4.19. ゼールヘン
[没] 1887.11.18. ライプチヒ

  

ドイツの科学者,哲学者,心理学者。ライプチヒ大学物理学,哲学教授。汎神論的傾向が強いが,同時に心身平行論の立場を取り,身体と精神との間の量的関係 (→フェヒナーの法則 ) を確立しようとした精神物理学の創始者。美学の領域でも,美を心理的な経験からとらえようとし,実験美学の祖といわれる。主著『精神物理学要綱』 Elemente der Psychophysik (1860) ,『実験美学』 Zur experimentellen sthetik (71) 。また『死後の世界』 Leben nach dem Todeもよく読まれている。 (→下からの美学 )





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フェヒナーの法則

フェヒナーのほうそく
Fechner's law

  

感覚の主観的大きさを弁別閾 R を単位に数量化する法則。 G.T.フェヒナーは,刺激の弁別閾 ΔS が刺激の客観的大きさ S に比例するというウェーバーの法則を基礎として基本公式 ΔR=K・ΔS/S を導き,これを解いて R=C・ log (S/S0) (ただし S0 は刺激閾,KとCは定数) という精神物理学的対数法則が成立するとした。 (→閾 )  





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フェヒナー 1801‐87
Gustav Theodor Fechner

ドイツの物理学者,哲学者,心理学者。1834年ライプチヒ大学物理学教授,のち哲学教授。精神物理学の創始者,実験心理学の祖とされる。その哲学の立場は汎神論もしくは汎心論であり,精神と物質は同じ実在の二つの面であるとした。そしてこの哲学の科学的基礎づけとして物心間の数量的関係の実験的把握をめざしたものが精神物理学である。〈フェヒナーの法則〉を導出し,また精神物理学的測定法を創案し,さらには美を実験的,心理学的に理解しようとして〈実験美学 experimentelle ヱsthetik〉の研究をも試みた。万物に霊魂の存在を認める神秘主義者としても著名。主著に《精神物理学要綱》(1860),《美学入門》(1876),《昼の見方と夜の見方》(1879)などがある。                   児玉 憲典

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フェヒナーの法則
フェヒナーのほうそく Fechner’s law

〈ウェーバーの法則〉からフェヒナーが導き出した精神物理学的法則であり,〈ウェーバー=フェヒナーの法則〉ともいう。刺激 R が ぼR だけ変化したときはじめてその差が感じられるとすればぼR/R は一定であり,これがウェーバー比であるが,フェヒナーはこれをもとにして,感覚の強さ Sは刺激の強さ R の対数の一次関数であるとした。S=klogR(k は定数)。これは近似的なものである。                    児玉 憲典

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ウェーバーの法則
ウェーバーの法則

ウェーバーのほうそく
Weber's law

  

E.H.ウェーバーによって見出された,感覚刺激の識別に関する法則。感覚は主観的なものであるから,その強さ E は相対的にしか測定できない。ある強さの感覚刺激を I とし,ΔI だけ強めるか弱めるかして変化させたとき,初めてその刺激の強度の相違が識別できたとする。この ΔI を弁別閾値という。種々の I について ΔI を求めてみると,ΔI/I はかなり広範囲の I で一定である。すなわち ΔI/I=kΔE=一定 。これをウェーバーの法則という。この場合 ΔI を絶対弁別閾値というのに対して,ΔI/I を相対弁別閾値ないしウェーバー比という。この法則は,多くの種類の感覚で中等度の強さの刺激に対して成立し,ウェーバー比はたとえば,音の強さについては 11分の1,圧覚では7分の1になる。 (→閾 , フェヒナーの法則 )  





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ウェーバーの法則
ウェーバーのほうそく Weber’s law

ドイツの解剖学者,生理学者 E. H. ウェーバーが1834年にたてた感覚の法則。感覚の強さの差を感じる最小の値を〈弁別閾〉あるいは〈丁度可知差異〉(ぼR)というが,それは,それを問題にするときの刺激強度(R)が増せばそれに比例して増すという関係にあり,その比 C(ウェーバー比)は一定であるとするもの(ぼR/R=C)。これは重さや音の高さや線分の長さの弁別に関して,ある中等度の刺激強度の範囲内で近似的に成立するとされる。⇒フェヒナーの法則            児玉 憲典

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いき
limen; threshold

  

広義にはやっと意識される境界刺激のこと。厳密には刺激を量的ないし質的に変化させた場合,ある特定の反応がそれとは異なった反応へと (またはある経験がそれとは異なった経験へと) 転換する,その境目の刺激尺度上の点のこと,ないしはこのような反応の転換の現象をさす。一般にはこのような転換点は,特定の反応が 50%の確率で生起する刺激量として統計的に定められる。なお刺激を小さくした場合に,反応が生じるか生じないか (知覚が生じるか生じないか) の境目に対応する刺激量を刺激閾ないし絶対閾といい,標準となる刺激をわずかに変化させた場合に,もとの標準刺激に対するものとは異なった反応が生じるか生じないか (その差異に気づくか気づかないか) の境目に対応する刺激量を弁別閾 (丁度可知差異) という。





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いき threshold

〈しきい〉ともいう。通常,反応を起こすのに最小必要限の刺激の強さをいい,その値を閾値という。閾以下の強さの刺激(閾下刺激)では反応は起こらない。たとえば,網膜に視覚感覚を起こす最小の光の強さなどであるが,刺激によって反応を起こす種類の現象一般に用いられる言葉である。閾値は刺激の物理的な性質や時間経過によっても変化する。また反応する側の種々の内部要因によっても変わる。たとえば,同じ刺激が繰り返し与えられると,閾値が上がり,反応が起こらなくなるし,また逆にその刺激が長い間与えられず,反応の動機づけ(いわゆる衝動)が高まってくると,閾値が低下する。ある一定の性質をもつ刺激を使って閾を測定し,反応の起りやすさの指標とする。二つの刺激を比較してその強さの違いを区別するのに最小必要限の強さの違いは弁別閾と呼ばれる。われわれの感覚では,大きな刺激どうしを比べるときは小さな刺激どうしを比べるときよりも弁別閾は高くなる。弁別閾と刺激の強さの比はほぼ一定である。これをウェーバーの法則という。
                伊藤 正男+日高 敏隆

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絶対閾
絶対閾

ぜったいいき
absolute threshold

  

感覚を生じるのに必要な最小の刺激エネルギー量のことで,刺激閾ともいう。刺激が感じられたとする反応と感じられなかったとする反応の境目にあたるが,操作的には双方の反応が 50%ずつ生じる刺激の値をとる。





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弁別閾
弁別閾

べんべついき
difference threshold; difference limen(D.L.)

  

心理学用語。標準となる刺激のある属性を変えたとき,変化したことがわかる最小の変化量のことで,丁度可知差異ともいう。操作的には,通常変化に気づく反応と気づかない反応とが半々に生じる変化量をとって決定される。



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弁別閾
弁別閾 べんべついき Differential Threshold 刺激量の差を弁別するときの限界値、つまり差がわかるかわからないかの境目をなす刺激量の限界値をいい、場合によっては丁度可知差異(Just Noticeable Difference)ともよばれる。比較の基準になる標準刺激をRとし、そのときの弁別閾をΔRとすれば、一般にΔR/R = C(定数)という関係があることが知られ、これをウェーバーの法則またはウェーバー比という。

Cは感覚によってことなっていて、重さをはかろうとする場合にはC = 0.019である。つまり標準刺激の重さが300gのときにはおよそ6gの刺激差(比較刺激が294g以下か、306g以上)を弁別できるが、標準刺激が1kgになると6gの刺激差では弁別できず、刺激差が19gになったところではじめて重さの違いがわかるということになる。

これから、標準刺激の強さによって弁別閾がことなることがわかる。ただし、ウェーバーの法則がなりたつのは刺激の強度が中程度の場合で、刺激が弱すぎたり強すぎたりするとCの値が変化してくることが知られている。→ 認知心理学


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