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弥縫策としての心理学(その08) [哲学・心理学]

J.B.ワトソン
ワトソン

ワトソン
Watson,John B(roadus)

[生] 1878.1.9. サウスカロライナ,グリーンビル
[没] 1958.9.25. ニューヨーク

  

アメリカの心理学者。シカゴ大学講師を経て,ジョンズ・ホプキンズ大学教授。行動主義の主唱者。従来の心理学が対象としていた意識を放棄し,内観法を拒否,行動を客観的な観察法に基づいてとらえ,しかもそれを条件反射的に刺激と反応の機構によって説明しようとした。彼の主張は,その後のアメリカの行動心理学の発展にきわめて大きな影響を与えた。主著『行動-比較心理学序説』 Behavior: An Introduction to Comparative Psychology (1914) ,『行動主義者からみた心理学』 Psychology from the Standpoint of a Behaviorist (19) ,『行動主義』 Behaviorism (25) 。





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[ブリタニカ国際大百科事典 小項目版 2008]

ワトソン 1878‐1958
John Broadus Watson

アメリカの行動主義心理学の創始者。彼はヨーロッパの生理学や生物学における科学的客観主義,ことにパブロフの業績と,E. L. ソーンダイクに代表される動物を使った学習心理学の業績を結合させた。生得説(本能と遺伝の重視)に対し習得説(学習と環境の重視)を主張し,内観や意識など客観化できない概念に対する強い不満と不信を表明し,具体的行動を科学的実験的に扱う心理学を極端なまでに推進した。その宣言文となった《行動主義者のみたる心理学》(1913)を発表して2年後,アメリカ心理学会会長に選ばれたが,1920年には研究者生活を離れて実業界に入り,広告調査会社会長として死んだ。その業績は現代心理学の形式と本質を決定した重要因子の一つであり,心理学思想に革命をひき起こし,後続研究の出発点となったものと評価されている。主著《行動主義の立場からの心理学》(1919),《行動主義》(1924),《行動主義の道》(1928)ほか。 梅津 耕作

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ワトソン,J.B.
ワトソン John Broadus Watson 1878~1958 アメリカの心理学者。ラジカルな行動主義を提唱したことで知られる。

ファーマン大学を卒業後、「動物の訓練」という論文で1903年にシカゴ大学から学位をえる。05年にシカゴ大学の講師となり、動物実験室の創設に寄与したのち、08年からジョンズ・ホプキンズ大学にうつり、ブントの意識心理学を批判するラジカルな行動主義を提唱しはじめたが、20年に離婚にからんで学界をさり、実業界に転じた。

有名な行動主義宣言とは、1912年にJ.M.キャッテルの招きでコロンビア大学で講演したときの内容が、翌年「行動主義者のみた心理学」という論文名で「心理学評論」誌に掲載されたものをさしている。その要点をのべれば次のようになる。

行動主義者の見地からすれば、心理学の目的は行動の予知とその支配であり、心理学は客観的、実験的な自然科学の一部門であるから、行動だけを問題にすべきであり、意識や内観は排除されなければならない。行動はある刺激に対する要素的な反応からなりたち、その反応はまた筋肉運動や腺分泌からなりたつ。それゆえすべての行動は、条件付けによる要素的な刺激と反応の連鎖によって説明することができる。

このようなラジカルな主張が当時のアメリカの心理学界に新風をふきこみ、「行動主義」を合言葉にした心理学革命をまきおこしていった。その後の行動主義の展開はかならずしもワトソンが構想したとおりにはならなかったし、またワトソン自身、はやくから学界をしりぞくことになったが、その革命的精神の影響は多大なものがあったといえる。


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行動主義
行動主義

こうどうしゅぎ
behaviourism

  

アメリカの J.B.ワトソンにより 1913年に提唱された心理学上の一主張。ワトソン主義ともいわれる。意識を対象とする伝統的心理学に反対して,心理学が科学として自立するためには,客観的に観察可能な行動にのみその対象を限るべきであるとした。したがって内観法は不要とされる (→内観 ) 。さらにワトソンは刺激=反応説によって行動をとらえ,複雑な行動には I.P.パブロフの条件反射の原理を適用し,極端な環境主義的立場をとった。





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行動主義
こうどうしゅぎ behaviorism

J. B. ワトソンが1912年に提唱した心理学理論のもとに形成された学派。古代ギリシア以来心理学の伝統は,人間の心とその働きについて思索し,主観的な意識現象を内観法によってとらえ記述するものであった。ワトソンはこれに反対して,科学としての心理学は意識とか内観を排除して,対象を客観的な行動に限定すべきであり,それを観察可能な刺激‐反応の側面からだけ扱い,そこに行動の法則を組織的に求めていくべきだと主張した。そこで心理学の研究対象も生物全般,人間ならば胎児から精神障害者にまで広がった。初期の行動主義は,彼が〈意識なき心理学〉を戦闘的に主張したことからワトソニズム Watsonism ともいわれる。こうした考えはすでに19世紀末ドイツの生理学者や生物学者も提唱しているが,彼に決定的影響を及ぼしたのはロシアのセーチェノフ I.M. Sechenov から始まりパブロフの条件反射学に実った業績である。先行するいま一つの大きな流れは,同じアメリカの E. L. ソーンダイクに始まる動物を使った学習心理学である。ワトソニズムは伝統的心理学に不満であった学者たちに広く影響を及ぼし,大衆にも強く訴えた。しかしその後はゲシュタルト心理学,精神分析学,哲学のウィーン学団,物理学の操作主義などからの影響・批判のもとに多くの新行動主義理論が分岐していく。トールマン E. C. Tolman,ハル C. L. Hull,B. F. スキナーなどの理論がそれである。このようにワトソンの業績は現代心理学の形式と本質とに決定的影響を及ぼし,彼の著書は現在の基礎から臨床にわたる心理学研究の出発点となった。 梅津 耕作

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行動主義
I プロローグ

行動主義 こうどうしゅぎ Behaviorism ワトソンの提唱した行動主義は、行動を筋や腺の反射など要素的レベルの反応に分解し、複雑な行動も要素的な刺激(S)と反応(R)の関係に還元して考えることができるというものであった。このワトソニズムには行動主義の内部でもさまざまな批判があった。すなわち、心理学が問題にする行動は、反射のような分子的(微視的)行動ではなく、まとまりをもった総体的なもの(巨視的なもの)であり、目的性をもつものだという批判である。この観点にたつ行動主義を新行動主義という。

II 新行動主義

新行動主義を積極的におしすすめたのはトールマンで、彼はワトソンの単純なS-R説に対して、SとRを媒介する過程Oを考え、S-O-R説を提唱した。つまり、生活体は盲目的に行動するのではなく、特定の目標にむかって指向的に行動するのであり、生活体に内在するそのような目標や状況の認知をその媒介過程の内容として考える必要があると主張した。

そのため、トールマンの新行動主義を目的論的行動主義とよぶこともある。トールマンの新行動主義はゲシュタルト心理学の立場にやや近く、最近の認知心理学の立場にも近い。

なお、新行動主義を厳格なワトソニズムに反対する広義の行動主義ととらえ、1930年代以降の行動主義をすべて新行動主義と理解する立場もある。


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内観
内観

ないかん
introspection

  

内省ともいう。心または精神を支配する法則を見出すため,自分自身でおのれの心または精神の働きを観察する過程。イギリスの連想学派や実験心理学の先駆者たち,特に W.ブント,O.キュルペ,E.B.ティチェナー,さらに意識作用を重視する F.ブレンターノにとっては,この内観は心理学の主要な方法であった。しかし 1920年頃から客観的,科学的心理学者,特にアメリカの行動主義者によって内観法は拒否され,内観という用語も心理学では用いられなくなった。しかし知覚などの現象を記述するため,刺激と意識的事象との関係,または意識事象相互の関係を決めるため,さらに患者を診療するため精神医学者や精神分析学者によって使われている。





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内観
ないかん introspection

内省ともいい,みずからの意識体験をみずから観察すること。本来意識体験は私的な性格をもつものであり,自己観察によってしか観察されえないものである。ブントやティチナーの心理学は意識の構成要素やその属性を明らかにするために内観を唯一の方法とした(構成心理学)。しかし心的生活は意識体験のみでないこと,乳幼児は意識体験を正確に言語報告できないこと,内観によって得られる資料に客観性,公共性が欠けることなど限界があり,行動主義心理学の隆盛下では内観による研究は著しく減少した。現在では,人格心理学や臨床心理学などが人間の意識現象を取り上げざるをえなくなるにつれて,内観による意識体験の報告がさまざまの形で心理学の研究対象となっている。また日本独自のものであるが,この内観を心理療法として組織化したものに内観療法(内観法)がある。これは,1930年ころ吉本伊信(いのぶ)が浄土真宗の一派に伝わる求道法を土台にして創始したものである。        児玉 憲典

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W.M.ブント
O.キュルペ
キュルペ

キュルペ
Klpe,Oswald

[生] 1862.8.3. ラトビア,カンダバ
[没] 1915.12.30. ミュンヘン

  

ドイツの心理学者,哲学者。ライプチヒ大学で W.ブントのもとで助手,講師をつとめたあと,ウュルツブルク大学教授。思考,意志などの高等精神作用の実験的研究という新しい分野を開拓した。ウュルツブルク学派の創始者。哲学的立場は批判的実在論。実験美学を提唱。主著『心理学講義』 Vorlesungen ber Psychologie (1920) 。





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ウュルツブルク学派
ウュルツブルク学派

ウュルツブルクがくは
Wrzburger Schule

  

19世紀末から 20世紀初めにかけて,ドイツのウュルツブルク大学で心理学者 O.キュルペを中心に,K.ビューラー,N. K.アッハ,K.マルベ,O.ゼルツらによって形成された実験心理学派。思考や意志など,いわゆる思考心理の過程に実験的方法を導入し,感覚や心像を必要としない無心像思考に注目して,実験的内観法の方法論を確立した。





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K.ビューラー
ビューラー

ビューラー
Bhler,Karl

[生] 1879.5.27. バーデン近郊メッケスハイム
[没] 1963.10.24. ロサンゼルス

  

ドイツ,オーストリア,アメリカで活躍した心理学者。 C.ビューラーの夫。ミュンヘン,ドレスデン,ウィーン各大学教授を経て,1938年ナチスに追放され,南カリフォルニア大学教授。初期にはウュルツブルク学派として活躍。彼のゲシュタルト心理学,発達心理学および言語心理学に関する理論は学界に大きな影響を与えた。主著『ゲシュタルト知覚』 Die Gestaltwahrnehmungen (1913) ,『幼児の精神発達』 Die geistige Entwicklung des Kindes (18) ,『心理学の危機』 Die Krise der Psychologie (27) ,『言語理論』 Sprachtheorie (34) 。





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ビューラー 1879‐1963
Karl B‰hler

ビュルツブルク学派に属するドイツの心理学者。ミュンヘン大学に学び,1922年ウィーン大学教授。複雑な思考過程には心像のない,非直観的な意識内容である考想 Gedanken が中心的要素となっているという説を唱えたほか,発達心理学では子どもの遊びの動機づけを機能の快に求め,幼児が物事を〈ああ,なるほど〉という形の洞察を体験することを記述するなど,発達原則の理論化,体系化を試み,三段階学説,すなわち児童の精神発達は本能,訓練,知能という過程で進行していくという考えを示した。児童心理学者シャルロッテ・ビューラー Charlotte B.(1893‐1974)は彼の夫人。                       中根 晃

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N.K.アッハ
アッハ

アッハ
Ach,Narziss Kaspar

[生] 1871.10.29. エメルスハウゼン
[没] 1946.7.25. ミュンヘン

  

ドイツの心理学者。ウュルツブルク学派の指導者の1人。ウュルツブルク大学教授。思考,意志の実験的研究,無心像的な意識性 (→無心像思考 ) ,決定傾向の考えで著名。主著『概念形成について』 Uber die Begriffsbildung (1921) ,『意志分析』 Analyse des Willens (35) 。





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無心像思考
無心像思考

むしんぞうしこう
imageless thoughts

  

心像を伴わない思考のこと。 A.ビネにより取上げられ,O.キュルペ,N. K.アッハなどのウュルツブルク学派の思考研究において重要とされた概念の一つ。思考活動は一つの観念が他の観念を呼起す連合の過程であり,感性的な心像が伴うとされていたのに対して,彼らは感性的心像なしに思考が営まれることを指摘,思考過程における態度,意志的傾向の重要性を主張した。





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A.ビネ
ビネ

ビネ
Binet,Alfred

[生] 1857.7.8. ニース
[没] 1911.10.18. パリ

  

フランスの心理学者。法律,医学,生物学を専攻後,心理学に関心をもち,パリ大学に H.ボニと協同で心理学実験室を創設。実験心理学,病的心理学,児童心理学に貢献。特に高次精神過程に実験的手法を採用したこと,さらに児童の知能測定について T.シモンと協力しビネ=シモンテストを完成,知能検査の基礎を確立した。 1895年"L'Anne psychologique"を創刊。主著『推理の心理学』 La Psychologie du raisonnement (1886) ,『知能の実験的研究』L'tude exprimentale de l'intelligence (1903) ,『新しい児童観』 Les Ides modernes sur les enfants (11) 。





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ビネ 1857‐1911
Alfred Binet

知能テストの創始者として知られているフランスの心理学者。パリ大学で法律学,生物学,医学等を専攻した後,サルペトリエール精神病院で催眠,ヒステリーの研究に従事した。その後,パリ大学生理心理学実験室で,推理,想像,被暗示性などに関する実験心理学的研究に着手し,個人差の解明に貢献する。また彼自身の2人の娘の知的類型をさまざまな実験によって浮彫にするなど,差異心理学の科学的方法への道を切り開いた。これらの研究の中で,無心像思考の存在を強調したが,これは伝統的な思考心理学研究に新風を吹き込むことになった。やがてこれらの個人差研究の成果や方法を教育へ応用することに関心が向かう。この研究分野を〈実験教育学〉と呼び,小学校内に設けられた実験室で学童の素質研究に没頭する。こうして1905年,シモン ThレodoreSimon(1873‐1961)とともに知恵遅れの子どもを鑑別する手段として,知能テストを作成した。また心理学者と教育者との共同チームを編成し,測定に基づく〈新教育〉の普及にも大きな努力を傾けた。主著は《知能の実験的研究》(1903)ほか。⇒知能テスト                    滝沢 武久

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ビネ,A.
ビネ Alfred Binet 1857~1911 テオドール・シモンとともに最初の知能検査を作成したフランスの発達心理学者。

知能検査を作成する以前、ビネは自分の2人の娘を対象に、思考の個人差の研究にたずさわっていた。たとえば、植物の葉を観察する場合でも、一方は即物的に形状や葉脈をくわしく観察して記述するのに対し(観察型)、他方はそれが樹からおちる前のようすや、おちるときのようすなどを想像して、いわば文学的に記述する(解釈型)というように、事象の把握の仕方や思考のあり方に個人差があることを明らかにしようとしていた。そこに、パリ市の教育委員会から、知的障害によって授業についていくのが困難な子供たちを就学前に判別できるようなテストを作成するよう依頼があり、シモンとともにその作成に力をそそぐことになる。

こうして生まれたのが世界最初の知能検査である「知能測定尺度」である(1905年)。これは、年齢とともにしだいに難度の高い問題が解けるようになっていくという発達の一般的事実にもとづくもので、当該年齢の子供の大半が解くことのできる6問ずつの問題によって各精神年齢を定義し、検査をうける子供がこの尺度においてどの年齢の問題まで解けるかによってその子供の精神年齢を判定する。

ちなみに、ビネの判別基準は、就学時において、精神年齢が生活年齢よりも2歳以上おくれている子供は通常の就学がむずかしいというものであった。この基準は現在もほぼ踏襲されている。この検査は自国のフランスではひろまらなかったが、世界各国にうけいれられ、晩年のビネはその啓蒙活動に力をそそいだ。


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決定傾向
決定傾向

けっていけいこう
determining tendency

  

心理学のウュルツブルク学派の N. K.アッハの用語。意志の目的表象に基づいて,意識過程または行動過程が意識的,無意識的に統制され,決定されることをさす概念で,態度の一種。





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批判的実在論
批判的実在論

ひはんてきじつざいろん
critical realism

  

アメリカの哲学者 R.セラーズが 1916年に出版した著作の表題,および彼の見解を支持した D.ドレイク,A.ラブジョイ,G.サンタヤナらアメリカ人哲学者グループの認識論上の立場。認識主観とは独立に実在の世界を認め,それが認識に際して主観に直接に提示されるとした R.ペリーらの新実在論を修正して,実在の世界がそのまま主観に与えられるのではなく,直接に知られるのは知覚与件としての性質複合であって,われわれはそれに対応する実在物の存在を信じるのであるとし,認識に際しての「誤謬」の事実を説明した。





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実在論
実在論

じつざいろん
realismus

  

意識現象のほかになんらかの実在 realitasを認め,その認識が可能であるとする存在論,認識論の立場。存在論的には当の実在を物的なものとみる唯物論 (レウキッポス,ルクレチウス,近世以後の自然科学,マルクス) ,物的なものと霊的なものとみる二元論 (デカルト) ,霊的なものとみる唯心論 (プロチノス,ライプニッツ,バークリー,ラシュリエ) に分けられる。中世の普遍論争において実在論とは個に先立って普遍者が実在するという立場であり,その源流は普遍的本質であるイデアを真実在としたプラトンにあり,観念実在論すなわち実念論と呼ばれる (エリウゲナ,アンセルムス,マルブランシュ) 。この意味の実在論は唯物論,概念論と対立し,客観的観念論と等しい。認識論的には観念論と対立し,日常的体験にみられるように対象が知覚されるとおりに実在するとする素朴実在論,感覚所与に批判を加えることで実在を措定しようとする批判的実在論 (E. v.ハルトマン,キュルペ,ラブジョイ,サンタヤナ) などがある。存在論と認識論は密接な関係にあるが,たとえばカントは物自体の実在を認めるがその認識可能性を否定するから認識論的には不可知論であって,存在論的実在論が必ず認識論的実在論をとるわけではない。現代は実在論が主流となる傾向にあり,代表的な思潮としてはマルクス主義の史的唯物論,新トミズム,ラッセル,ムーアら英米で盛んな新実在論などがあり,現象学や実存哲学もこの傾向に貢献している。





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実在論
じつざいろん realism

原語は〈もの res〉に由来し,〈ものの実際の,真実のすがた realitas,reality〉を把握しているとする立場。観念論に対立する。訳語は明治初期の実体論,実有論を経て,ほぼ20世紀初頭に実在論として定着。中世の普遍論争において,類や種などのカテゴリーすなわち普遍概念を〈実在的なもの realia〉とみなす実念論(概念実在論)者realen,realista と,個々の事物の実在性を認め普遍的概念は〈声 vox〉〈名 nomen〉に過ぎぬとする唯名論(名目論)者 nominalen との対立があり,最初の実在論はこの実念論に当たる。一般には,言葉や観念・想念に依存せず独立に存在する外界の事物の実在性を把握する立場を指す。
 最も初歩的な実在論は素朴実在論 naiverealism であり,われわれが知覚し経験するとおりにものが在り,ものの実在性は知覚し経験するとおりに把握されているとみなす。素朴実在論は,知覚や経験が鏡のようにものの実在性を模写し反映するという素朴な模写説を前提する。しかしものの主観にとっての見え方,現れ方から,ものそれ自身の在り方へと接近しなければならぬ。広義の批判的実在論 critical realism は,われわれの知覚し経験したもろもろの像に,たとえば尺度をあてがって測定し計測し,同種のものと比較対照して抽象し捨象するなど,素朴なものの像に修正を加えて間主観的にものの実在性に近接しようとする。実在論の目標がものの実在性の認識であるとすれば,実在性の認識には,ものの側での現れ方とこれを受容し知る主観の側での能力,状態,状況,装置等との共同が必要であり,いくたの試行錯誤を経て,ようやく認識された実在性が真理性を帯びるに至るのである。
 真理として認識された実在性は人類の知識に編入され,客観的な知識として間主観的に妥当し伝達されうる新種の〈もの〉となる。広義の実在論は,感覚され知覚されうる外界のものの実在性のみならず,人類が獲得する真なる知識の実在性,したがって観念的・理念的なものの実在性をも許容するのである。なお,井上哲次郎の現象即実在論,西田幾多郎の純粋経験で開始する実在論,高橋里美の体験存在論などを,日本における実在論的哲学として西洋のそれと対比することが課題となろう。⇒観念論           茅野 良男
[インド]  インドでは,古来,日常使われる言葉の対象(常識に考えられている世界の諸相)が実在するか否かについて,激しい論争がたたかわされてきた。実在すると主張する側の代表は,ニヤーヤ学派,バイシェーシカ学派,ミーマーンサー学派などである。それによれば,個物はもちろんのこと,普遍とか関係とかも実在することになる。実在するからこそ,われわれは言葉によって意思を他人に伝え,言葉によって考え,行動し,生活することができるというわけである。これに対して,仏教(経量部,ないしその系統をひく論理学派)は,実在するのは刹那(せつな)(瞬間)に消滅する個物のみであり,普遍などは,われわれの分別(ふんべつ)によって捏造された虚妄なもので,たんなる名称,言葉としてあるにすぎないとする。これに類似した説を,ベーダーンタ学派,サーンキヤ学派も唱えている。おおまかにスコラ哲学の用語をあてはめれば,ニヤーヤ学派などが実念(実在)論を,仏教などが唯名論を展開したといえる。
                        宮元 啓一

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実在論
I プロローグ

実在論 じつざいろん Realism 意識や主観から独立した実在をみとめる認識論上の立場。中世哲学と近代哲学とでは、ちがった意味をもつ。

II 素朴実在論と批判的実在論

近代哲学では、机や椅子といった知覚される事物が、知覚する意識から独立して実在すると主張する立場をいう。この意味での実在論は、バークリーやカントらが主張する観念論に対立する。事物がわれわれの知覚するとおりに実在していることを素朴に前提する立場を素朴実在論とよぶ。それに対して、もっと洗練された批判的実在論は、対象とその観察者の間の関係についてなんらかの説明をあたえる。というのも、両者の間には、妄想や幻覚などの知覚上の誤りもまたありうるからである。

III プラトン的実在論

中世哲学では、プラトンのいう形相(→ 形相と質料)、つまり普遍的なものを実在とみなす立場を意味する。この立場は現在では一般にプラトン的実在論とよばれる。

プラトンの哲学によれば、たとえば「ベッド」のような普通名詞は、その対象の定義によってしめされる理想的な性質に関係し、この理想的性質は、同じ類に属する個々の対象から独立した形而上学的な実在をもつ。たとえば、円環性は個々の円とは独立に実在し、正義は、個々のただしい人やただしい状態とは独立に、また「ベッド性」は個々のベッドとは独立に実在する。

IV 実念論、唯名論、概念論

このような実在論は、中世において普遍的なものの実在を否定する唯名論に対置され、この場合には実念論とも訳される。

唯名論は、実在するのは個々の事物だけであり、普遍的概念はたんなる名前にすぎないと主張する。実念論と唯名論を折衷した立場に概念論があり、普遍的なものは個別的なものから独立して存在するが、自立的な形而上学的実体としてではなく、概念として心のうちに存在すると考える(→ アベラール)。


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R.セラーズ
セラーズ

セラーズ
Sellars,Roy Wood

[生] 1880.7.9.
[没] 1973.9.4.

  

アメリカの哲学者。カナダに生れる。 1922年ミシガン大学教授。自然的実在論と主観主義とに反対し,批判的実在論の立場に立った。主著『批判的実在論』 Critical Realism (1916) ,"Evolutionary Naturalism" (21) 。





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新実在論
新実在論

しんじつざいろん
New Realism

  

20世紀初頭にアメリカでは,W.モンタージュ,R.ペリー,E.ホルト,W.ピトキン,E.スポールディング,W.マービンの共著『6人の実在論者のプログラムと第一の政策』 (1910) で顕在化し,『新実在論』 (12) でその名を得た運動で,イギリスの T.ヌウン,B.ラッセル,G.ムーアらの動きと呼応し,両グループまた個人間の考えの違いをこえて,観念論に反対し真正な哲学を形成するとともに科学との新たな結合を試みた。その考えは,(1) ものの存在は,知られるということから独立している。 (2) また,ものの間に成立する関係も,客観的で人の意識からは独立している。 (3) ものは心的な模写を通して間接的に知られるというよりは,直観的直接的に知られることを主張するが,客観的に外在するものを人間がいかにして認識するのか,また (3) が主張されるのであれば,どうして誤謬や幻想が生じるのかを満足に説明できず,1914年頃 A.ロウェジョイらの「批判的実在論」に取って代られた。





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B.A.W.ラッセル
ラッセル

ラッセル
Russell,Bertrand Arthur William, 3rd Earl Russell

[生] 1872.5.18. モンマス,トレレック
[没] 1970.2.2. メリオネス,ミンフォード


イギリスの哲学者,数学者,評論家。ケンブリッジ大学で哲学,数学を専攻,1916年反戦運動により罷免されるまで同大学で講師をつとめた。 50年ノーベル文学賞受賞。初め数学者として出発し,数学は論理学的概念に還元できるとして『数学の諸原理』 Principles of Mathematics (1903) ,『プリンキピア・マテマティカ』 Principia Mathematica (3巻,10~13,A.ホワイトヘッドと共著) を著わし,のちの論理学に多大な影響を与えた。以後哲学の研究に入りイギリス経験論に立った認識論 (マッハ主義,新実在論 ) を展開するが,ここでも数学の研究を通して得られた論理学の成果を取入れている。社会評論家,社会運動家としても 50年代の反スターリン運動,パグウォッシュ会議の開催,ベトナム戦争反対の「ラッセル法廷」などを通し,個人の尊厳擁護と世界平和のために貢献。主著『西洋哲学史』A History of Western Philosophy (45) 。





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ラッセル 1872‐1970
Bertrand Arthur William Russell

イギリスの哲学者,論理学者,平和運動家。ノーベル文学賞受賞者(1950)。伯爵。ケンブリッジ大学に学び,幾何学の基礎にかんする研究で母校のフェロー資格を得,のち講師となる。数学の基礎の研究を志したが,一方で新ヘーゲル主義の影響を受け,一時世界は分析不可能な全体だと考える。しかし20世紀初めころから世界を単純なものの複合体と考え,その単純なものとして感覚所与 sense‐datum をとるに至る。ここに至るには主語‐述語形式を命題と存在の基本と考えるライプニッツの存在論の批判があずかって力があった。こうして古典的な主語‐述語の論理学の代りに関係の論理学を唱導し,さらに数学者ペアノ,フレーゲの業績に触発されて新しい数理論理学を構想。これとともに数学(解析学)を論理学に還元することをはかる。その成果は《数学の諸原理》(1903)に盛られたが,その出版直前に集合論における重要なパラドックス(ラッセルのパラドックス)を発見(1901)。これはのちの論理学,数学基礎論,意味論の動向に大きな影響を及ぼすものであった。ラッセルはタイプ理論の案出によってこのパラドックスを解決し(1908),師 A. N. ホワイトヘッドとともに大著《プリンキピア・マテマティカ》(1910‐13)を著して数理論理学と数学を論理学に還元する論理主義の金字塔を建てた。一方,いわゆる〈記述〉理論を発表して(1905),見かけ上の主語‐述語形式言明を存在言明におきかえる方策を案出,これをもとに存在の種類をできるだけへらす唯名論的な存在論を完成せんとした。それは言語分析・論理分析を哲学に役だてた模範である。ラッセルにとってこのときの基本的存在者(実体)は感覚所与ないし〈事件 event〉であり,物と心,時空的位置などはこれから構成されるものであった。しかし彼はかならずしもこの一元論に徹底したわけではなく,しばしば物との二元論に傾き,知覚の因果説に立ったり,心的働きの位置づけに苦労したりもした。この方面では《哲学の諸問題》(1912)から《人間の知識》(1948)に至るまで多くの著作がある。しかしその立場は基本的にいってむしろ正統的な経験主義である。
 同様なことは倫理学や社会・政治思想についてもいえる。ラッセルはきわめて強い道徳的信念と旺盛な社会的関心の持主であった。自由と平等,反戦,反権力を主張しただけではなく,そのために闘った。男女両性の平等と自由恋愛を主張しただけではなく身をもって実践した。第1次大戦に反対してケンブリッジ大学から追放されただけではなく,投獄の憂目にもあったが,ビキニの水爆実験(1954)以来核兵器廃絶運動に身を挺し,アインシュタインとともにパグウォッシュ会議を主催し(1957年以降),イギリスにおいて〈百人委員会〉を組織したりした(1960)。またアメリカのベトナム戦争に反対してサルトルらと〈ベトナム戦犯国際法廷〉を開いてこれを糾弾した(1967)。しかしラッセルの倫理社会思想は,だいたいにおいて J. S. ミル流の個人主義,功利主義,民主主義である。ただいっそう急進的で無神論的である。彼の特色はつねに明快な結論を追求し,得た結論はどんな障害があってもごまかさずに実行しようとしたところにあるといえよう。             中村 秀吉

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ラッセル,B.A.W.
I プロローグ

ラッセル Bertrand Arthur William Russell 1872~1970 イギリスの哲学者・数学者。ノーベル文学賞受賞者。

ケンブリッジ大学にまなび、卒業後同大学トリニティ・カレッジの特別研究員になる。最初、数学の研究をこころざしたラッセルは、数学者ペアノとフレーゲの影響下に、数学を論理学によって説明しようとした「数学の諸原理」(1903)を刊行する。

II 記号論理学の著作

その後、ホワイトヘッドとともに、記号論理学(→ 論理学)の記念碑的著作「プリンキピア・マテマティカ(数学原理)」(3巻。1910~13)をあらわし、数学を論理学の概念によって基礎づけ、数論や記述理論など多くの画期的な研究をおこなった。

「哲学の諸問題」(1912)では、当時主流であった、すべての対象や経験は観念の中にあるという観念論を批判し、感覚によってとらえられる対象は心に依存しているわけでなく、それ自体で存在していると考えた。

III 論理実証主義への影響

ラッセルは1930年代の論理実証主義(→ 実証主義)の運動に多大な貢献をした。ウィトゲンシュタインはケンブリッジ大学でのラッセルの弟子であり、ラッセルの論理的原子論に強い影響をうけている。ラッセルの自然や知識についての研究は、認識論における経験主義的な考え方をふたたびよみがえらせた。

IV 平和運動

ラッセルは第1次世界大戦に反対して投獄され、ケンブリッジ大学からも追放された。大戦後ソ連をおとずれ、社会主義の現状に失望し、社会主義批判を表明する。1944年にイギリスにもどり、トリニティ・カレッジのフェローに復帰、その後アインシュタインらとともに、反戦、核兵器廃絶運動を熱心にすすめた(→ パグウォッシュ会議)。また結婚や教育についてのわかりやすく急進的な随筆も多くのこした。ほかの著作には「西洋哲学史」(1945)、「人間の知識」(1948)など多数ある。


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G.E.ムーア
ムーア

ムーア
Moore,George Edward

[生] 1873.11.4. ロンドン
[没] 1958.10.24. ケンブリッジ

  

イギリスの哲学者。ケンブリッジ大学教授 (1925~39) として,また哲学雑誌『マインド』の編集主幹 (21~47) としてイギリス哲学界における主導的役割を果した。 1903年『倫理学原理』 Principia Ethicaおよび『観念論の論駁』 The Refutation of Idealismを発表,この2作は当時のイギリス哲学界に流行していたヘーゲル主義的,カント主義的観念論を批判したもので,新実在論と呼ばれるムーア自身の哲学の出発点であった。彼は体系的哲学を否定し,言語分析あるいは論理分析により哲学上の諸問題に光を当てて,さらに新しい問題を発見してゆくという分析的方法を主張した。主著『哲学研究』 Philosophical Studies (22) ,『常識の擁護』A Defense of Common Sense (25) ,『哲学の主要問題』 Some Main Problems of Philosophy (53) など。





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ムーア 1873‐1958
George Edward Moore

イギリスの哲学者。初め F. H. ブラッドリーの新ヘーゲル主義の影響を受けたが,やがて外的事物や時空をはじめとして常識で〈ある〉とされるものはみな存在すると考えるようになる。その考察は緻密・執拗で,認識,存在,倫理の諸原理を概念分析によってとらえようとするもので,その方法は日常言語分析の先駆とされる。ラッセルとともに感覚所与理論を提唱し,倫理学においては善を分析不能な単純なもので,自然的事物やその性質とは本質的に異なるものとしながらもその客観性を認め,それは一種の直観によってとらえられるとする。主著《倫理学原理》(1903)。 中村 秀吉

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ムーア,G.E.
I プロローグ

ムーア George Edward Moore 1873~1958 イギリスの哲学者。倫理学や実在論擁護で有名。ロンドン郊外で生まれ、ケンブリッジ大学にまなび、1911~39年まで同大学でおしえる。

II 言語哲学への影響

ムーアにとって哲学とは、まず第1に分析である。それは複雑な命題や概念を、それと論理的に同じ意味をもつもっと単純な命題や概念によって緻密にとらえようとすることである。たとえば、彼はそれまでの一部の哲学者がとなえた「時間は実在していない」といった主張に対して、「わたしは昨日その記事を読んだ」などといった日常的時間にかかわる事実によって批判した。このようなムーアの、明晰さをもとめる念入りな概念の分析は、20世紀の言語分析の哲学に大きな影響をあたえた。

III 倫理学

ムーアのもっとも有名な著作は、「倫理学原理」(1903)である。その中で彼は、善という概念は、それ以上分析できない単純で定義不可能な性質をしめしていると論じた。彼によると、善は感覚によってではなく、道徳的直観によってわかる性質であり、自然なものではない。

「観念論論駁(ろんばく)」(1903)などの著作は、現代の哲学的実在論の展開に大きく貢献した。ムーアは経験と感覚を同一視することなく、経験論からしばしばおこってくる懐疑主義におちいらないようにした。われわれの外にある世界は、われわれの心の中だけにあるのではなく、それ自体で存在しているのだという常識の立場をまもったのである。

→ 分析哲学と言語哲学


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R.ペリー
ペリー

ペリー
Perry,Ralph Barton

[生] 1876.7.3. バーモント,ポウルトニ
[没] 1957.1.22. マサチューセッツ,ケンブリッジ

  

アメリカの実在論哲学者。ハーバード大学哲学教授。 1912年ほかの5名の若いアメリカ人哲学者とともに新実在論を唱え,外界は認識主体に依存しないことを主張。また価値の基礎を「興味」におき,これに基づいて善・悪の倫理を展開した。第1次世界大戦への従軍の経験をもとに戦闘的民主主義を唱えた。主著"The Present Conflict of Ideals" (1918) ,"Present Philosophical Tendencies" (25) ,"General Theory of Value" (26) ,"The Thought and Character of William James" (35) ,"Puritanism and Democracy" (44) ,"Realms of Value" (54) 。





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[ブリタニカ国際大百科事典 小項目版 2008]


ペリー 1876‐1957
Ralph Barton Perry

アメリカの哲学者。バーモント州のポールトニーに生まれ,プリンストン大学とハーバード大学で学び,1902年から46年までハーバード大学で教えた。アメリカ思想史の研究者でもあり,特に W. ジェームズ研究の権威で,《ウィリアム・ジェームズの思想と性格》2巻(1935。1936年度のピュリッツァー賞受賞)の著者としてもよく知られている。ペリーの哲学的立場はみずから〈新実在論〉と称しているもので,論理学,数学および自然諸科学において究明される実体は心的なものではなく,認識する精神とは独立に存在し,それらの実在性は認識のされ方にはまったく依存しないと説く。ペリーらの新実在論運動は伝統的観念論哲学を激しく攻撃し,さらにプラグマティズム運動とも批判的にかかわりながら,〈アメリカ哲学の黄金時代〉を飾った。なお,彼は倫理学および広く価値論一般に最も大きく貢献し,その分野で特に著名である。著書にはアメリカ思想史,W. ジェームズに関するもののほかに,《新実在論》(1912,ペリーを含む6人の新実在論者たちの共著),《価値の一般理論》(1926)などがある。        米盛 裕二

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E.B.ティチェナー
新行動主義
新行動主義

しんこうどうしゅぎ
neobehaviourism

  

J.B.ワトソンの行動主義から発展した心理学の諸学派の総称。 C.L.ハルを中心にしたエール学派が代表的。ワトソンの見解は 1930年頃から次第に修正を受けたが,特に (1) 刺激=反応 (→刺激=反応説 ) の図式が刺激=生体=反応の図式に修正され,(2) 条件反射の素朴な適用から一歩進んで,条件づけの原理に基づきながら仮説的命題を演繹し,かつそれを検証することによって理論の構成が企てられ,(3) しかもこの理論を環境条件と行動経過との関係から論理的に矛盾なく体系化することが試みられた。なお,理論を構成する概念が巨視的か微視的かにより,この主義にも E.C.トールマンや B.F.スキナーらに代表される種々な立場がある。





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[ブリタニカ国際大百科事典 小項目版 2008]
刺激=反応説
刺激=反応説

しげき=はんのうせつ
stimulus-response theory

  

心理学における一学説で,S=R説と略されることもある。一般には,生体の行動ないし心理学的現象が,刺激 (S) と反応 (R) の用語によって,適切かつ完全に記述されるとする構想に基づく心理学説。特に生体の種々の行動の学習が,ある刺激に対する特定の反応の結合によって成立するとする学習理論をさし,学習を認知の再構造化とみる認知説 (→認知地図 ) と対比される。刺激と反応の結合が強化を必要とするか否かにより,強化説と接近説とに2分される。





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認知地図
認知地図

にんちちず
cognitive map

  

E.C.トールマンの用語。単に認知図ともいう。学習に際して,生体が形成する環境の空間的な関係についての認知構造のこと。彼によると,学習は刺激と反応 (S=R) の結合ではなしに,目標とそれに達するための手段との関係についての認知構造ないし認知地図ができあがる過程であり,ネズミが迷路学習を行うにも,目標地点までの,このような認知地図が形成されるという。 (→潜在学習 )





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認知地図
I プロローグ

認知地図 にんちちず Cognitive Map 認知地図というのは、ある人がその周囲環境の空間的配置に関してもつ内的表象(イメージ)であると定義することができる。たとえば、旅行者に道順をたずねられたとき、われわれは頭の中にここからそこまでの概略的な地図をくみたて、そこにいたるまでの間にある建物や交差点など目印になるものを思いうかべながら、その道順を説明するだろう。

そのような認知地図は、地理や空間に関するさまざまな経験を、その相対的な位置や空間的属性に関してコード化し、長期記憶(→ 認知心理学の「長期記憶」)の中に貯蔵したものである。それが必要に応じて検索され、再生可能になっているものと考えられる。われわれがふだん、通勤や通学のためにいつもの最短の道順をとおることができるのも、あるいは現在の位置から目的地までをおおよそ見当をつけることができるのも、柔軟な認知地図をそのつど組み立てることができるからにほかならない。

II 認知地図の構成要素

認知地図の成立には地理的情報と、直接経験による情報の2つが必要であるが、そこでえられた情報のすべてがそれに稼働されるわけではない。自分にとって必要な情報が選択的にぬきだされ、利用可能なように体制化されている。ケビン・リンチは都市イメージを構成するのに必要な要素として、目印になる建物(ランドマーク)、道路(ルート)、道路の交差点(ノード)、地域区分の縁(エッジ)、まとまった地域(ディストリクト)の5点をあげている。われわれの認知地図は少なくとも最初の3つをふくんでいるはずであり、経験によってその内容がより精緻になっていくことが考えられる。

III 認知地図の成立過程

そこで認知地図の成立過程を考えてみると、一般に、まず目印となるものが記憶される段階がある。これはまだ、個々の特徴を断片的に把握しているにすぎない段階である。次は目印と目印の間をつなぐいくつかのルートが記憶され、ルートマップが頭の中になりたつ段階である。ここではまず部分と部分の接続が可能になり、それから全体的な位置関係がほぼおさえられて、大まかな全体にまとめられつつあるが、その内容はまだ穴だらけである。そして最後に、ルートとランドマークが部分領域ごとに整理され、各部分領域が総合された全体として、認知地図が精緻化される段階がくる。

いわゆる「土地勘がある」というのは、この第3段階の認知地図がえがけるほどに、地理的、空間的な情報の精緻化がなされているということだろう。それと同時に、利用可能な認知地図であればあるほど、それはどの視点からもえがきだせるものになっていて、今ここの視点に束縛されないという自由度をもかねそなえているはずである。

IV 認知地図の特徴

いうまでもなく、認知地図は実際の地図の空間配置にかならずしも一致しない。欠落、省略があることはもちろん、方向や距離が相当ずれていることもまれではない。京都や札幌のような碁盤の目の町並みの場合はともかく、道路が斜めになっている町では、交差点は直交しているように表象されやすい。実際にあるいているときでも、見当がくるってあらぬ方向にいってしまうことがままある。

このことは、認知地図を実際に紙の上にえがかせてみるとよくわかる。ルートの距離はそこに記入する目印項目がふえるほど、長めにえがかれやすい。生活科の授業などのときに、小学校の低学年生に自分たちの地域の地図をえがかせてみると、子供たちが何を目印にしているか、空間配置をどのように表象しているかがわかって興味深い。また、老人性痴呆患者の徘徊や迷子の問題も、認知地図を構成できなくなることの問題として考えてみる余地がありそうである。


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認知構造
認知構造

にんちこうぞう
cognitive structure

  

K.レビンの心理学で用いられた基本概念の一つ。行動する主体である生体に認知されたものとしての環境のこと。生体の要求などによりその内容が規定され,必ずしも物理的環境の正確な反映ではないが,行動の起り方に直接影響している。また学習や思考過程にみられる行動の変化を,認知構造の変化として説明する考え方もある。生活空間,緊張体系などとともに,レビンの行動理論の中軸をなしている。最近では,多くの認知論的心理学説の中心概念となっている。





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K.レビン
レビン

レビン
Lewin,Kurt

[生] 1890.9.9. モギルノ
[没] 1947.2.12. マサチューセッツ,ニュートンビル

  

ドイツ,アメリカの心理学者。ベルリン大学教授となったが,ナチスの迫害を逃れて 1932年渡米,コーネル大学,スタンフォード大学,アイオワ大学,マサチューセッツ工科大学教授を歴任。初期の業績としては,ウュルツブルク学派の意志説に対する批判,科学基礎論,さらに情意の分野での斬新な実験的研究などが著名であり,ゲシュタルト心理学の確立に大きく貢献した。渡米後は社会心理学に場理論と力学説を導入し,この分野に画期的な影響を与えた。主著『物理学,生物学の発達史における発生の概念』 Der Begriff der Genese in Physik,Biologie und Entwicklungsgeschichte (1922) ,『意図,意志および要求』 Vorsatz,Wille und Bedrfnis (26) ,『心理学における法則と実験』 Gesetz und Experiment in der Psychologie (29) ,『パーソナリティの力学説』A Dynamic Theory of Personality (36) ,『トポロジー心理学の原理』 Principles of Topological Psychology (36) ,『社会科学における場理論』 Field Theory in Social Science (51) 。





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ゲシュタルト心理学
ゲシュタルト心理学

ゲシュタルトしんりがく
Gestalt psychology

  

形態心理学ともいう。現代の知覚研究の基礎となった 20世紀の心理学の一派。過去の理論の原子論的アプローチに対する反発として公式化されたもので,全体は部分より大きいことを強調し,いかなるものであれ,全体の属性は部分の個別的な分析から導き出すことはできないとする。ゲシュタルトという言葉は,物事がどのように「形づくられた」か,あるいは「配置された」かを意味するドイツ語で,正確に対応する訳語はない。通常「形」「姿」と訳され,心理学では「パターン」「形態」という語をあてることが多い。ゲシュタルト理論は,連合心理学と,経験をばらばらの要素に分解する構成心理学の断片的な分析手法に対する反発として,19世紀末にオーストリアと南ドイツで創始された。ゲシュタルト研究は代りに現象学的な手法を用いた。この手法は直接的な心理経験をありのままに描写するというもので,その歴史はゲーテまでさかのぼるといわれる。どのような描写が認められるかという制約はない。ゲシュタルト心理学は,一つには精神生活の科学的研究に対する味気ないアプローチと考えられたものに,人間主義的な側面を加えようとした。また,一般の心理学者が無視するか科学の範囲外とみなした,形と意味と価値の質を包含しようとしたものでもある。
M.ウェルトハイマーは,1912年にゲシュタルト学派を確立したとされる論文を発表した。これは W.ケーラー,K.コフカとともにフランクフルトで行なった実験的研究に関する報告で,この3人がその後数十年間にわたってゲシュタルト学派の中核となった。初期のゲシュタルト研究は,知覚の分野,特に錯視の現象によって明らかになった視覚の体制化に関心をもっていた。ゲシュタルトの法則の強力な基盤である知覚の錯覚がファイ現象で,12年にウェルトハイマーによって命名された仮現運動の錯覚である。ファイ現象とは錯視のことで,複数の静止対象がすばやく引続いて示されると,ばらばらなものと感じることのできる識閾をこえるので動いているように見える (この現象は映画を見ている際に体験される) 。知覚的経験の感覚が物理的刺激と1対1の関係をもつとする古くからの仮説では,ファイ現象の効果は明らかに説明できない。知覚された運動は独立した刺激のなかに存在するのではなく,それらの刺激の関係的特徴に依存して現れる経験である。観察者の神経系の働きと知覚的経験は,物理的インプットを受動的にばらばらに記録するわけではなく,むしろ,分化した部分を伴う一つの全体的な場としての体制化された全体となる。この原理はのちの論文でプレグナンツの法則として述べられた。加えられた刺激の神経的,知覚的体制化によって,一般の条件が許すかぎり,よいゲシュタルトが形成されるというものである。
新しい公式化に関する主要な労作は,その後の数十年間に生れた。ウェルトハイマー,ケーラー,コフカおよび彼らの弟子たちは,ゲシュタルトのアプローチを知覚の他の分野,課題解決,学習,思考などの問題に拡大した。その後ゲシュタルトの諸法則は,特に K.レビンによって動機づけや社会心理学,またパーソナリティに適用され,さらには美学や経済行動にも導入された。ウェルトハイマーは,ゲシュタルトの概念が倫理学,政治行動,真理の本質に関する諸問題の解明に適用できることを指摘した。ゲシュタルト心理学の伝統は,R.アルンハイムらによってアメリカで行われている知覚の研究に受継がれている。





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ゲシュタルト心理学
ゲシュタルトしんりがく gestalt psychology

心理現象の本質はその力動的全体性にあり,原子論的な分析では究明しえないとする心理学説。19世紀後半,科学として産声をあげた心理学は,当時の自然科学を規範とした要素還元主義であり,構成主義であった。しかし,1890年エーレンフェルス Christian von Ehrenfels はこのような機械論的構成主義のもつ欠点を明らかにする論文を発表した。たとえばメロディを1オクターブ上げても同じ感じを抱くように,〈要素の単なる結合ではなく,それとはある程度独立した新しいもの〉,すなわち〈形態質 Gestaltqualit∵t〉の存在を指摘した。ゲシュタルト心理学の先駆をなしたのは,彼をはじめとするオーストリア学派の人々であった。1912年,ウェルトハイマーは仮現運動に関する実験的研究を発表したが,これがゲシュタルト心理学の誕生であった。ウェルトハイマーと,彼の実験の被験者となったケーラーとコフカの3人が,以後,当時の構成主義心理学に対して反駁(はんばく)を行い,この新しい心理学を樹立した。その主張の第1は,心理現象が要素の機械的結合から成るという〈無意味な加算的総和〉の否定である。心理現象は要素の総和からは説明しえない全体性をもつと同時に構造化されているとして,このような性質を〈ゲシュタルト Gestalt〉と呼んだ。そして構造化される法則〈ゲシュタルト法則〉を見出した。各要素はその全体性の中で説明されるのであって(部分の全体依存性),その逆ではない。第2に刺激と知覚との1対1の対応関係(恒常仮定)を否定し,刺激は全体的構造の枠内で相互の力動的関係の上から知覚されると主張する。このような全体的力動的構造の概念は,当時の物理学の場理論の影響を否定しえないが,ケーラーの心理物理同型論やレウィンのトポロジー心理学説へと発展していった。ゲシュタルト心理学は心理学のあらゆる研究領域にわたって大きな影響を与え,心理学の主要な潮流となったのみならず,精神医学や神経学など隣接科学にも影響を及ぼした。日本も例外ではなく,昭和の初めから第2次大戦後にかけて隆盛をきわめた。⇒心理学  小川 俊樹

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ゲシュタルト心理学
I プロローグ

ゲシュタルト心理学 ゲシュタルトしんりがく Gestalt Psychology ゲシュタルト心理学は、ブントにはじまる構成主義心理学へのアンチテーゼとして展開をみた、20世紀前半の重要な心理学思潮のひとつである。

II 構成主義

ブントの構成主義の立場は、次の2つの前提の上にくみたてられている。(1)全体は並列的にあたえられた要素的内容の総和にほかならず、全体の特性はすべて要素の「寄せ集め」の上にくみたてられる。(2)個々の刺激とその感覚(ないしその生理的過程)との間には1対1の対応がある。これらはそれぞれ、モザイク・テーゼおよび恒常仮説とよばれた。これらを批判する中で、部分や要素に対する全体の優位性をテーゼとしてかかげたゲシュタルト理論が生まれる。

III 構成主義への批判

1912年、ウェルトハイマーは上記の構成主義心理学を批判する目的をもって、仮現運動(見かけの運動知覚のひとつ)に関する研究を発表した。暗室において細長い光の帯aを瞬間的に提示し、短時間(最適時間は約60ミリ秒)おいてから次に光の帯bを瞬間的に提示すると、aからbにむかって光の帯がとぶのが知覚される。このキネマ性運動知覚は、先の構成主義の2つの前提によっては理解することができない。なぜなら、a、bは相互に独立の光の帯の点滅があるにすぎないにもかかわらず、光の帯の点滅は知覚されず、むしろいきいきとした運動印象が知覚されるからである。この運動印象は、したがって個々の刺激の特性によるものではなく、刺激条件の全体的な性質によるものと考えなければならない。

IV ベルリン学派の主張

このウェルトハイマーの仮現運動に関する研究を出発点として、ケーラー、コフカなど、ベルリン学派の人々は主に知覚を中心にそのゲシュタルト論を展開した。たとえば4点が正方形を構成するように配置されているとき、その1点を対角線の中点に移動させると、要素の数は同じであるが、しかしその4点が形づくるのは直角二等辺三角形である。これからわかるように、最初の図形とあとの図形の相違はたんなる構成要素の数の相違ではなく、むしろ形のもつ全体的性質(ゲシュタルト)の違いである。この形のまとまり(ゲシュタルト)において、各部分は全体に対して独立に自存してはおらず、むしろその全体の中で相互に依存しあっている。より一般化していえば、所与は、本来、いろいろな秩序において構造をそなえた「まとまりのある」ものとしてあたえられ、そのような全体ないし全体特性はけっして要素ないし部分に還元できない。これがゲシュタルト理論の基本主張である。

V ゲシュタルトの意味

もともと「ゲシュタルト」という用語そのものは、グラーツ学派のいう「ゲシュタルト性質」に由来する。ゲシュタルト性質とは、要素に分解したのでは霧散してしまうような性質、つまりそれを構成する要素の総和以上のなにものかであり、それ自体が一つの全体であるような性質のことである。たとえば、メロディは個々の音の総和以上のなにものかである。このことは、ある調のメロディがほかの調に移調されてもメロディの全体性質(ゲシュタルト性質)はかわらない事実に明らかである。しかしながら、ベルリン・ゲシュタルト学派によれば、グラーツ学派の全体性質の理解は、いまだ「要素の総和になにかがつけくわわったもの」という要素主義の残滓(ざんし)をとどめている。これを払拭し、部分に対する全体の優位を強く主張してはじめてゲシュタルト理論たりうるのだという。

VI ゲシュタルト法則

ウェルトハイマーは、全体的なまとまりとしてのゲシュタルトは所与の自発的な体制化によると考え、この体制化の規定要因を、ゲシュタルト要因ないしゲシュタルト法則とよんだ。それらを列挙すると、(1)近接の要因:ほかの条件が一定ならば、近い距離にあるものがまとまる。(2)類同の要因:ほかの条件が一定ならば、同種のものがまとまる。(3)閉合の要因:たがいにとじあうものは、とじあわないものよりまとまりやすい。(4)よい曲線の要因:滑らかな曲線になるようにまとまる。(5)共通運命の要因:たがいに変化し、ともにうごくものは一つにまとまる傾向にある。彼はこれらの要因にくわえて、「心的現象はそのつどの条件のゆるすかぎりにおいて、全体として形態的にもっともすぐれ、もっとも秩序だった、もっとも簡潔なまとまりをなそうとする傾向がある」ことを指摘し、これをプレグナンツ(pragnanz)の原理とよんだ。各ゲシュタルト要因は、このプレグナンツの原理の具体的な表れとみることができる。

VII 実験現象学派

さて、こうしたゲシュタルト心理学の要素主義批判、連合主義批判は、別の角度からみれば、構成主義心理学がいきいきした心的現象から遊離し、観念的に切りだした要素の思弁的分析に終始してきたことへの批判でもあった。そこからゲシュタルト学派の人々は、自らのゲシュタルト研究はいきいきしたあるがままの心的事象に回帰し、それらを綿密に記述していこうとする立場でもあると主張する。こうして、素朴な自然的態度のもとに現象をあるがままの相においてとらえ、とりあげられた現象の本質的条件を解明しようとする、D.カッツ、E.J.ルビンなどの実験現象学派の立場が、ゲシュタルト心理学に重なってくる。なかでも、現象的世界が「図と地」の構造をもつというルビンの現象学的記述は、ベルリン学派によって高く評価され、ゲシュタルト心理学への重要な貢献とみなされた。

VIII 発展と変容

知覚研究を中心に開始されたベルリン学派の研究は、その後、ケーラーの類人猿の知恵実験、コフカの知覚研究、ウェルトハイマーの生産的思考の研究などへと拡大され、「洞察」「枠組」「関与系」といった重要な概念を生みだし、大きな学問的運動へと広がりをみせていった。しかし、ナチズムの台頭とともに、中心的に活躍した多くのユダヤ系研究者(ウェルトハイマー、ケーラー、コフカもそこにふくまれる)が亡命を余儀なくされ、当時のアメリカにおける行動主義心理学の活発な動きにのみこまれてしまった。


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M.ウェルトハイマー
ウェルトハイマー

ウェルトハイマー
Wertheimer,Max

[生] 1880.4.15. プラハ
[没] 1943.10.12. ニューヨーク

  

ドイツの心理学者。ゲシュタルト心理学の創始者。フランクフルト,ベルリン大学で教鞭をとり,1929年フランクフルト大学教授。 33年渡米,ニューヨークの New School of Social Research (新社会研究所) 大学院教授。運動視および思考研究はゲシュタルト理論の端緒となった。その他,論理学,倫理学,真理の哲学的問題にも関心を示し,きわめて独創的な学風で影響を及ぼした。主著『運動視の実験的研究』 Experimentelle Studien ber das Sehen von Bewegung (1912) ,『ゲシュタルト学説についての研究』 Untersuchungen zur Lehre von der Gestalt (21,23) ,『ゲシュタルト説に関する3つの論述』 Drei Abhandlungen zur Gestalttheorie (25) ,『生産的思考』 Productive Thinking (45) 。





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ウェルトハイマー 1880‐1943
Max Wertheimer

プラハ生れのドイツの心理学者で,ゲシュタルト心理学の創始者。ベルリン,ビュルツブルクの各大学で学んだ後,フランクフルト大学で仮現運動の知覚実験を行い,その成果を《運動視に関する実験的研究》(1912)として発表。以後,雑誌《心理学研究》を創刊し,ゲシュタルト心理学の発展に力を注いだ。1933年アメリカに移住。ゲシュタルト理論の思考過程への適用を意図した《生産的思考》(1945)は死後出版された。        小川 俊樹

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ウェルトハイマー,M.
ウェルトハイマー Max Wertheimer 1880~1943 ドイツの心理学者。ゲシュタルト心理学の創始者のひとり。ベルリン、ビュルツブルク、ウィーンなどの諸大学をへたのち、1910年にフランクフルト大学にうつり、「運動視に関する実験的研究」を発表した(1912)。実際には光の点滅にすぎないものが、みかけのうえでは光が運動してみえるというこの仮現運動に関する実験は、感覚の寄せ集めによって現象を説明するブントの構成主義心理学を打破するための決裁実験(理論的論争に決着をつけるための実験)であり、またゲシュタルト心理学誕生の第一声となるものであった。

この実験の被験者になったのが、当時フランクフルトをおとずれていたケーラーやコフカであった。この研究およびゲシュタルト要因に関する研究から、彼は「全体特性=ゲシュタルトは部分の総和に還元されえないそれ以上のなにものかである」というゲシュタルト心理学の基本テーゼをみちびき、以後ケーラーやコフカらとともにこのテーゼを裏づける一連の実験論文を発表する。そして1921年から「心理学研究」誌を刊行し、また22年からはベルリン大学員外教授となってゲシュタルト理論の体系化に寄与した。33年、ナチズムの迫害をさけてアメリカに移住したが、その後も研究活動に従事し、没後に有名な「生産的思考」(1945)が出版されている。


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W.ケーラー
ケーラー

ケーラー
Khler,Wolfgang

[生] 1887.1.21. タリン
[没] 1967.6.11. ニューハンプシャー,エンフィールド

  

ドイツの心理学者。ゲッティンゲン大学教授を経てベルリン大学教授,ナチス政権に反対し渡米 (1935) 後はスワースモア大学教授。ゲシュタルト心理学の創始者の一人。第1次世界大戦中,カナリア諸島で類人猿の課題解決に関する独創的な実験を行い,見通し学習を提唱,さらに時間錯誤,図形残効などの実験から,現象と脳過程との同型説を主張するとともに,ゲシュタルト心理学の理論的発展のための重要な著作を発表した。主著『類人猿の知恵試験』 Intelligenzprfungen an Menschenaffen (1917) ,『ゲシュタルト心理学』 Gestalt Psychology (29) ,『事実の世界における価値の位置』 The Place of Value in a World of Facts (38) 。





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ケーラー 1887‐1967
Wolfgang KÅhler

ドイツの心理学者。1909年ベルリン大学で学位を得た後,フランクフルト大学でウェルトハイマーの助手をつとめ,ゲシュタルト心理学の創始者の一人となった。13年から20年まで大西洋のテネリフェ島で類人猿をはじめとした動物の知能の研究に従事。チンパンジーの問題解決行動から,状況の全体的把握や関係の直観的理解の重要性を見いだし,これを〈見通し Einsicht〉と呼んだ。その成果は《類人猿の知恵試験》(1917)にまとめられた。物理学者 M. プランクに学んだケーラーはその豊かな物理学の知識をもとに,20年には物理現象にもゲシュタルト法則が適用しうることを主張し,同時に心理過程と脳の生理過程は同一であるという心理物理同型論を発表。34年アメリカに移るまで,ベルリン学派と呼ばれるゲシュタルト心理学の隆盛な一時期を築いたが,後年は図形残効の研究に力を注ぎ,終生理論家であると同時にすぐれた実験者でもあった。         小川 俊樹

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ケーラー,W.
ケーラー Wolfgang Kohler 1887~1967 ドイツの心理学者。ベルリン大学でシュトゥンプの門下にあった彼は、1910年、コフカとともにフランクフルトのウェルトハイマーをたずね、彼の記念碑的な実験に協力するいっぽう、彼からゲシュタルト心理学の構想をきいたといわれる。12年フランクフルト大学講師。13~20年にかけては、有名な「類人猿の知恵試験」の資料をえることになったテネリフェ島の類人猿研究所所長。21年にウェルトハイマーらとともに「心理学研究」誌を発刊。

1922年にはシュトゥンプの後任としてベルリン大学の正教授となり、ウェルトハイマー、コフカ、レウィンらとともにいわゆるベルリン・ゲシュタルト学派を形成し、内外に多大の影響をおよぼすようになる。わけても彼は、ゲシュタルト心理学の体系的理論化をめざし、心理・物理同型説をとなえて大脳過程の解明を展望するいっぽう、チンパンジーの課題解決が試行錯誤的におこなわれるのではなく洞察によっておこなわれることを明らかにし、さらには記憶痕跡(こんせき)仮説、場理論の導入をこころみるなど、学派第一の理論家として縦横の活躍をしめした。しかし、ナチスの迫害によって35年にアメリカに移住せざるをえなくなり、移住してからのちは、ドイツにいたころのようなめだった活躍をしないまま生涯をおえている。

→ 図形残効

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問題解決
課題解決

かだいかいけつ
problem solving

  

心理学用語。人間や動物が課題状況,すなわちある特定の目標を達成する手段が明らかでない状況に当面したとき,新しい反応様式を見出したり,課題に対する新しい見方を獲得し,その目標を達成する過程。この過程には通常,漠然とした探索の段階が最初に現れ,次いで解決が行われるが,この解決が試行錯誤的に漸進的になされると主張する立場 (E. L.ソーンダイク) と見通しによるとする立場 (W.ケーラー) がある。後者では,課題状況の構造転換が生じ,課題のキーポイントが突如として把握されることによって解決にいたると考えられている。





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問題解決
もんだいかいけつ problem solving

解決にいたる手段がすぐにはわからず,また習慣的な手段では解決できない問題に直面したとき,あれこれ手段を探索し,正しい手段を発見し,解決にいたることをいう。この意味では思考と同義であるが,思考には夢や幻想ないし白昼夢で生じる連想的思考も含められることもあるので,問題解決は思考の下位概念となる。また思考を再生的思考と生産的ないし創造的思考に二分する立場からみると,問題解決でも過去経験や既有知識が大きな役割を果たすが,それらの単なる再生によって解決されるわけではないので,問題解決は生産的ないし創造的思考に近いとみることができる。
[試行錯誤か洞察か]  問題解決では,解決への手段の探索と発見が行われるのであるが,それが試行錯誤的に行われるのか,突然に洞察的に行われるかの問題が,連合主義心理学とゲシュタルト心理学の間の理論的問題として論争された。E. L. ソーンダイクは,木箱に空腹のネコを入れ,ネコが箱のとびらを開くためのしかけをどのように発見するかを調べた。ネコは多くの場合さまざまな行動を示すが,偶然しかけが操作されてとびらが開き,食物にありついた。これが繰り返されると,ネコは前半のむだな行動(試行錯誤的行動)を最小にし,すぐに解決するようになる。このような行動は,迷路や人間の問題解決の場合にもみられる一般的なもので,試行錯誤と呼ばれ,学習を含む知的行動を説明する基本的な概念となっている。
 他方,ゲシュタルト心理学者のケーラー W.KÅhler(1917)はチンパンジーを用いて実験し,ソーンダイクと対照的な結論を導いた。ケーラーのある実験では,チンパンジーはおりに入れられ,手のとどくところに棒が置かれている。その棒を用いてバナナをひきよせるのが解決法である。チンパンジーは初めさまざまな試みをするが,突然,きわめて慎重に棒でバナナをひきよせる。棒を道具として用いたことは,手段―目的関係を多少なりとも把握していたとケーラーは主張する。このように,問題を解決するためには,目の前の単純な知覚の場に直接にはあらわれていない関係の把握が必要であり,ある種の象徴機能も関与しなければならないと考えられた。これは場が再構造化されることをさし,洞察と呼ばれている。
[試行錯誤から洞察へ]  問題解決過程が試行錯誤的か洞察的かという論争は,その理論的背景の対立からなされてきたが,最近ではそれを統合して解釈しようと試みられている。たとえば,試行錯誤は人間を含む動物の知的行動の基本的メカニズムであるとされてきたが,人間の場合,問題解決場面で試行錯誤が解決にいたるまで続くことはまれであろう。少なくとも,人間が解決への手段がわからない事態で示すさまざまな行動といっても,多少とも組織的で仮説検証的な試みと考えられる。試行が進むにつれて誤りが減るのは,検証されるべき仮説の妥当性が高まるためである。この意味で,人間の問題解決では,試行錯誤的といわれている行動パターンを漸次的分析と呼んだ方が適切であると主張する人もある。
 他方,洞察的行動が突然起こるといっても,過去経験や学習から独立して起こるのではなく,むしろそれらに大いに依存している。たとえば,年少のチンパンジーに棒を道具として使う経験を十分与えておくと,そのような経験を与えないチンパンジーではみられない,食物を得るために棒を使用することをしたという。
 これらを考えると,試行錯誤か洞察かという二者択一的とらえ方ではなく,試行錯誤から洞察へというとらえ方が妥当なように思われる。
[問題解決過程の諸相]  問題解決者が実際の問題に直面したときにどのような過程を経るのかについてはいくつかの説が出されている。J. デューイは探究の6段階説として問題解決の論理を述べている。ここでいう探究とは,不確定な状況を確定した状況に変えることで,主観的には疑いから確信にいたる過程である。その6段階を要約すると,以下のようになる。(1)問題状況 探究をひきおこす先行条件としての不確定な状況。(2)問題設定 問題(不確定な状況)をはっきりさせる段階。(3)問題解決の決定=仮説 可能な解決が示唆され,解決のプランを決定する段階。(4)推論 仮説に含まれる観念の意味内容を,観念相互の関係において検討する段階。(5)実験 仮説を推論の帰結にしたがって実行にうつす段階。(6)保証づきの言明。
 この過程の妥当性や,各ステップの重要性は,問題の種類や,解決者の知的発達の水準の違いによっても異なるであろうが,典型的な問題解決事態での一般的な解決過程として受け入れられよう。
[問題解決過程を規定する解決者の条件]  (1)先行学習 R. M. ガニエによれば問題解決は高次の原理学習であるので,少なくともそれに必要な下位原理を学習していなければならないし,それを適宜再生できなければならない。(2)既有知識 (1)をもっと一般的にいえば,問題解決は解決者のもっている知識に依存するということになる。しかしつねに知識が問題解決を促進させるというわけではなく,不十分な知識はかえって解決を妨げることもある。(3)構え われわれにはもののとらえ方や考え方が,固定的で習慣的になりやすい〈構え〉がある。このような構えが問題解決を促進させる場合もあるが,むしろそれを妨害する場合も多い。たとえば〈小箱はものを入れるもの〉という構えがあると,その小箱をろうそく立てとして利用しなければならない問題の解決を妨げる(ドゥンカー K. Duncker の実験)。ドゥンカーはある文脈で一つの機能を満たしている要素はこの機能に固着しており,他の機能(問題解決に必要な)として用いられにくいことを機能的固着と呼んでいる。(4)認知スタイル 問題解決過程と認知スタイルとの関係の研究はまだ少ないが,問題解決における問題事態は,直接的には解決しえない事態なので,いくつかの選択肢からどれを選択するかの個人差が大きく働いてくると思われる。また,いったん形成された構えが新しい問題に直面しても変えにくいという〈堅さ〉にも個人差がある。これも認知機能の個人差が問題解決過程を規定する一つの条件であることを示唆している。
                        杉原 一昭

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問題解決
I プロローグ

問題解決 もんだいかいけつ Problem Solving 心理学における問題解決という研究領域は、次の3つのタイプの研究をとおしてとりくまれてきた。1つ目はゲシュタルト心理学が主としてとりくんだもので、問題解決とは知覚の再体制化にもとづく洞察であるという観点にたつ。2つ目はE.L.ソーンダイクの試行錯誤説にもとづいて、問題解決は刺激と反応の連合が変化して特定の反応がおこりやすくなることだと考える。3つ目は、問題解決とは定義された問題空間を探索し、要求されている状態に、ステップをふんでたどりつくことだという考えである。3つ目の立場が、近年のコンピューターをもちいた問題解決研究につながり、前2者は古典的な研究に属するといえる。

II 洞察説

有名な洞察的な問題解決課題としては、たとえば「マッチ棒を6本つかって正三角形を4つつくれ」とか、「正方形をなすように、上段に3個、中段に3個、下段に3個、等間隔で合計9個の点をえがき、これらの点のすべてを一筆書きの4本の線分でむすべ」というような例をあげることができる。前者は、正4面体をつくれば解決に到達するが、通常われわれは平面図で考えようとするので、なかなか解決に到達しない。後者も、9点でつくられる正方形をはみだして、線分をえがくことを考えつけば解決にいたるが、どうしても正方形の枠内での結線を考えてしまうので解決に到達しにくい。

ゲシュタルト心理学の創始者のひとりであるケーラーは、ソーンダイクの試行錯誤説に反対し、問題解決は一歩一歩、漸進的にすすむものではなく、洞察によって一気に解決にいたるものだと考え、これをチンパンジーの問題解決行動の記述をとおして明らかにした。あるチンパンジーは、天井からぶらさがったバナナをとろうとして、何度かそれにとびつこうとしたがとどかない。おりの中には台がある。しばらくバナナや台をみていたこのチンパンジーは、突如として台をバナナの下にはこんでそれにのぼり、バナナを手にいれた。この場合の問題解決は、試行錯誤によらずに洞察によって一挙に達せられている。

III 試行錯誤説

これに対してソーンダイクは、木の箱の中にネコをいれ、そのネコが箱をあける仕掛けをどのように発見するかをしらべた。ネコがたまたまその仕掛けをうごかすと、外にでられる。そこでまた箱の中にいれる。これをくりかえすうちに、ネコは箱にいれられるとすぐにこの仕掛けをはずして外にでるようになった。この場合、問題解決行動は、試行錯誤によって徐々に習得されている。そこから行動主義の立場では、ある刺激に対してはまずそれにもっともおこりやすい反応が生じるが、それが今の問題解決に適合しない場合、順次ほかの反応が生起し、その過程で最終的に適切な反応が生じると考える。

IV 情報処理的問題解決

今日の情報処理的な問題解決の考え方によれば、まず問題とは、達成されるべき状態が達成されずに、現状と目標の間にギャップがある状態と定義される。また、問題もさまざまあって、解決方法を機械的に適用すればとける問題(公式にあてはめれば解が得られるような問題)もあれば、正4面体や9点問題のように、想像力を発揮しなければとけないような問題もある。J.R.アンダーソンは、前者をルーチン的問題、後者を創造的問題とよんだ。

問題解決にいたる手段や制約条件などが明確に規定された問題を「よく定義された問題」、そうなっていない問題を「わるく定義された問題」という。こうして問題解決とは、所与の状態からいくつかの変換過程をみちびき、それによって要求されている目標にたどりつくことだということになる。過程を問題にする点では試行錯誤説に似ているが、その変換過程でいくつかの手段の選択の可能性があり、それをそのつど評価して手段の選択を決定し、次のステップにすすむというかたちで最終目標にいきつく点では、けっして試行錯誤的でない。

V ヒューリスティクス法

A.ニューウェル、およびJ.C.ショーとH.A.サイモンの「一般問題解決プログラム」では、手段・目的分析法がもちいられた。これは、初期状態と目標とのギャップをうめる手段を選択するために、その下位目標を設定し、そのためにまた手段・目的分析をおこなって、というように、いくつかの下位ステップをふんで進行していくものである。このほかにも、ヒューリスティクス法とよばれる解決手段がある。コンピューターのアルゴリズム法はおこりうるすべての事態を列挙して、シラミつぶしにしらべていく方法であり、これはまさにコンピューター向きの解決方法であるが、人間向きではない。人間の場合、それが今の問題解決にかならず役だつかどうかはわからないが、かつてうまくいった方法をとりあえずここでつかってみようというような試みをしばしばおこなう。これをヒューリスティクス法という。

コンピューター・シミュレーションによる問題解決は、人間がつまずきそうなところをうまくシミュレートできなければならない。そこで、人間の問題解決過程における内観を言語報告させ、プロトコルを記述する。プロトコルとは、解決までの道筋、方法・手段を考えることである。そのプロトコル分析をコンピューター・シミュレーションに利用して、人間の問題解決の問題にせまろうとする研究がふえつつある。

コンピューターでは、問題の解き方に関する知識をヒューリスティクスな知識といい、知識の使い方に関する知識をメタ知識という。エキスパート・システムなどのプログラムでは、人間がもつ個別の知識と、こうしたより高次の知識を記号化している。

→ 人工知能


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試行錯誤
試行錯誤

しこうさくご
trial and error

  

課題場面におかれた生体が,既知の解決法のないときに,手当り次第の反応を次々に試みていくことによって,最後には課題を解決するにいたるような行動様式。またこのような行動様式に基づく課題解決ないしは習慣形成の一形式のこと。 E.L.ソーンダイクは,種々の問題箱を用いて動物が一定の動作により箱からの脱出に成功するにいたる過程を研究し,効果の法則との関連で,これを学習の基本形式とした。





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試行錯誤
しこうさくご trial and error

E. L. ソーンダイクが,動物や人間の学習を最もよく特徴づけるとして唱えた説。その後これを〈選択と結合の学習〉と呼びかえた。彼は猫用問題箱で実験をしたが(1898),この箱の外側のかんぬきは,内側の紐を飢えた猫が正しく操作すればはずれて扉が開き,箱から脱出でき,品が食べられる仕組みになっていた。猫ははじめ脱出したい衝動から可能なあらゆる反応をでたらめにおこすが,しだいにうまく脱出し品を食べるようになる。この試行を繰り返させ時間を記録すると,脱出所要時間は短縮されて不必要動作は消失し,目標達成に有効な一連の動作がすばやく続くだけとなり,学習は完成する。その結果,不満足な反応は起こりにくくなり,偶然の成功に導いた反応が次の試行におこりやすくなる。この現象を彼は〈効果の法則 law of effect〉(有効な反応が他の反応を退けて学習が成立するとする説)で説明し,この過程を試行錯誤と呼んだ。これに対して〈洞察(見通し)〉〈あっそうか体験〉〈潜在学習〉などを学習の本質として強調するゲシュタルト心理学派や E. C. トールマンなどの立場もある。⇒学習   梅津 耕作

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効果の法則
効果の法則

こうかのほうそく
law of effect

  

心理学用語。 E.L.ソーンダイクが立てた学習成立のための基本的法則。結果として満足を伴う反応はその刺激状況との結合が強められ (満足の法則) ,不満足を伴う反応はその結合が弱められ (不満足の法則) ,またその結合の強さは満足,不満足の大きさに応じて増加あるいは弱化する (強度の法則) などの諸法則から成るが,その後この法則の消極的な面,すなわち不満足を伴う反応はその結合が弱められるという部分はソーンダイク自身によって否定されている。





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見通し・洞察
見通し

みとおし
insight

  

洞察ともいう。 (1) 内観的な心理学では,あるものの意味を直接了解すること。 (2) ゲシュタルト心理学における重要な概念の一つ。問題の解決に際して,それまでの経験によるのではなく,また反復により次第に正反応が強められるのではなく,突然解決への道が理解されること,ないしはその過程。その場合,問題場面において「こうすればこうなる」という目標と手段との間の関係について,新しい認知構造が出現する。 (3) 精神医学や精神療法において,患者が自分自身の心的葛藤などについて気づき,理解に到達すること。





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洞察
どうさつ insight

動物心理学用語。〈見通し〉ともいわれる。ヒトないし動物がある困難な情況に直面したとき,突然,解決手段を見いだして,その情景の目的にかなった行動をとるような場合の心的過程を説明する概念で,ゲシュタルト心理学に由来する。すなわち,個々の情況の要素から,全体の連関を把握することをいう。洞察行動の最も有名な例は,W. ケーラーのチンパンジーの実験である。天井につるしたバナナを得ようと,なん回か跳びついてみたが,得ることのできなかったチンパンジーが,部屋に置かれた箱に気づき,これを重ねてバナナをとったり,さらに手近にある棒を用いて品をとることにも成功したというものである。
 複雑な学習には〈洞察〉過程が不可欠であるが,学習そのものと洞察は異なる。洞察は過去の試行錯誤の〈記憶〉を前提としており,それをもとにした一種の飛躍的な了解過程である。したがって,洞察は一般に高度な知能活動が行われていると思われる動物,ことに高等哺乳類に限って認められるものである。たとえば,金網の向こう側に品を置いた場合,ニワトリは金網の前でうろうろするだけで品に到達できないのに対し,イヌはしばらく直進を試みた後,洞察を通じて金網を搭回して品を得ることを学習する。       奥井 一満

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目標
目標

もくひょう
goal

  

身体的運動,心的活動など生体の行う行動が目指している最終的な結果。このような行動が引起されるためには生体が特定の動機,動因の状態にあることを必要とするが,必ずしもその最終結果についての観念をもっていたり,意識していたりする必要はない。





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動機
動因
獲得的動因
構造転換
構造転換

こうぞうてんかん
Umstrukturierung

  

客観的には同一の事態でも,見方を変えたり新しい情報を導入することなどによって,それ以前と異なる側面が認知されることがあるが,このような認知の転換を説明するために,ゲシュタルト学派によって提唱された概念。再構造化 restructuringともいう。





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図形残効
図形残効

ずけいざんこう
figural aftereffect

  

視野内のほぼ同じ位置に,相次いで2つの図形が提示されたとき,第2の図形が第1の図形の影響を受けて,単独で提示されたときとは異なって見える現象。同じ図形を凝視し続けているときに見える変化もこれに含まれる。曲線を数分凝視したあとに直線を見ると,曲線とは反対の方向に曲って見えるギブソン効果と,先行図形とほぼ同じ位置に提示された後続図形の大きさ,濃度,遠近が変化して見えるというケーラー効果とが有名。 W.ケーラーはこの現象を説明するために,視覚中枢での先行刺激による飽和を仮定した。





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[ブリタニカ国際大百科事典 小項目版 2008]


図形残効
図形残効 ずけいざんこう Figural After-Effects 視野の中央付近にまず曲線を提示し、それを数分間凝視したのち、その図形をとりのぞいてその位置に直線を展示すると、この直線はまがってみえる。このように、視野のほぼ同じ位置に2つの図形をあいついで提示するとき、最初に提示された図形(凝視図形)があとに提示される図形(検査図形)の見え方に影響をおよぼすことを図形残効という。

この現象を最初に指摘したのはギブソンで、これをギブソン効果とよぶことがある。ギブソンはこの現象が色知覚における順応や対比効果と同類のものと考え、一括して「負の残効」とよんだ。

これに対してケーラーは、視野内に同じ大きさの2つの図形を提示し、その一方を白紙でおおって2つの図形の中間点を数分間凝視させ、それから覆いをとりのぞくと、提示されつづけた図形のほうが、小さく、色がうすく、後方にしりぞいて見えることをみいだした。これをケーラー効果とよぶことがある。ケーラーは心理物理同型説の立場から、この現象を視覚中枢の皮質部位の電気化学的変化に依存するものと考え、ギブソン効果も同じ原理で説明できると考えた。ただし、その後の実験から、ケーラーの説明に合致しない事実が発見されたり、また神経生理学的にみてケーラーの説には問題があることが指摘されるなど、この現象については理論的にいまだ不明な点が多い。

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同型説
同型説

どうけいせつ
isomorphism

  

一般に,同型とは,2つの異なった系の間が形式上同一の構造ないし形態をもつこと。心理学では特に心理物理同型説ともいい,W.ケーラーの大脳の場を前提とした生理仮説をさす。大脳中の興奮過程が,意識体験の内容と同型的に1対1の対応をもつとする学説。これによれば,2つの刺激によって生じた大脳の場の興奮相互に大きさの相違があれば,大きさの知覚にも差が生じることになる。





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[ブリタニカ国際大百科事典 小項目版 2008]
E.L.ソーンダイク
ソーンダイク

ソーンダイク
Thorndike,Edward Lee

[生] 1874.8.31. マサチューセッツ,ウィリアムズバーグ
[没] 1949.8.9. ニューヨーク,モントローズ

  

アメリカの心理学者。 1904~40年コロンビア大学教授。動物の知能に関する先駆的な実験業績,およびその結合主義的学習理論は,現代の学習心理学でもなお中心的役割を占めている。また,算数,代数,読み書きなどに心理学を初めて適用した功績は大であり,アメリカにおける教育心理学の創始者とされている。主著『動物の知能』 Animal Intelligence (1898~1901) ,『教育心理学』 Educational Psychology (3巻,13~14) ,『学習の基本原理』 Fundamentals of Learning (32) 。





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ソーンダイク 1874‐1949
Edward Lee Thorndike

アメリカの心理学者。コロンビア大学教授(1904‐40)。マサチューセッツ州ウィリアムズバーグに生まれる。ハーバード大学で W. ジェームズに学んで動物の学習実験をつづけ,のちコロンビア大学に移り,それまでの研究をまとめた論文《動物の知能》で学位をえた。1899年コロンビア大学の講師になり,動物についての研究を基礎としながら人間の学習,教育についての研究を深めた。とくに〈訓練の転移〉に関する理論は彼の教育心理学の土台になったし,テストに関する研究は教育の客観的な測定のために大きく貢献した。知能テストの作成,学習の動機づけなどについての研究は,日本の教育心理学研究の前進にも寄与した。主著に《教育心理学 Educational Psychology》(3巻,1913‐14)がある。            中野 光

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結合主義
結合主義

けつごうしゅぎ
connectionism

  

刺激と反応とを連係する結合があらゆる学習過程の基本であるとする心理学説で,おもに E.L.ソーンダイクによって主張された。したがって,学習はそのような結合の獲得とその強度の増大とによって成立する。





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