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弥縫策としての心理学(その05) [哲学・心理学]

実証主義
実証主義

じっしょうしゅぎ
positivism

  

経験的事実にのみ立脚し,先験的ないし形而上学的な推論を一切排除する哲学の立場。狭義には A.コントの哲学をさす。実証主義の名は,自然科学の方法を哲学に適用しようとしたサン=シモンに始り,コントが実証哲学として確立した。その淵源は J.ロック,D.ヒューム,G.バークリーらのイギリス経験論と,ボルテール,D.ディドロらのフランス啓蒙主義の唯物論にあるが,背景には自然科学の急速な発達と工業社会の成立がある。ロック,ヒュームは形而上学を認め,ロックとバークリーは霊と神に関する知識を認めたので,実際には留保つきではあるが,一般的な意味では経験論の哲学者も含まれ,J.S.ミルの経験論もその意味で実証主義である。
神学的および形而上学的な疑問が起っても,実際には人間の用いることのできるいかなる方法であろうとそれに答えることができない,と経験主義者は考えていた。しかし,他の実証主義者たちは,そうした疑問は意味がないとして退けた。この第2の見方が,プラグマティズムと論理実証主義,さらにバークリーとヒュームにみられるような経験に基づく意味の検証につながった。実証主義は科学の成果を強調するが,経験に基づく方法では答えられないような疑問は科学のなかからも起る。 E.マッハはそうした論理的な疑問に経験的意味をあてはめ,理論をそれに対する証拠に関係づけようとした。コントは,人間の思考は必然的に神学的段階を経て形而上学的段階に達してから,実証的ないし科学的段階に達するとし,宗教的衝動は啓示宗教が衰退しても生残り,目的をもつはずであるとして,人間の崇拝の対象は教会と暦とヒエラルキアであると考えた。コントの弟子の F.ハリソン,R.コングリーブらはそうした教会をイギリスで見出したが,宗教を容認する傾向のあるミルはコントの体系を否定した。
実証哲学はフランス革命期の代表的哲学となったが,1870年代には科学の根底としての経験自体がマッハ,R.アベナリウスによって問題とされるにいたった。さらに 20世紀初頭には,B.ラッセルらの記号論理学をふまえて,ウィーン学団が論理実証主義を打出し,それは今日のイギリス,アメリカの哲学思想の主流に受継がれている。





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[ブリタニカ国際大百科事典 小項目版 2008]


実証主義
じっしょうしゅぎ positivism

一般に,経験に与えられる事実の背後に超経験的な実体を想定したり,経験に由来しない概念を用いて思考したりすることを避け,事実のみに基づいて論証を推し進めようとする主張をいう。positive という形容詞には,negative(〈否定的,消極的,陰性の〉)と対をなす〈肯定的,積極的,陽性の〉という意味もあるが,それとは意味論的に区別され,negative とは対をなさない〈実証的,事実的〉という意味もあり,それは次のような事情で生じたものである。この形容詞はラテン語の動詞ponere(設定する)の過去分詞がそのまま名詞化された positum(設定されたもの)に由来するが,このばあいこれは〈神によって設定されたもの〉を意味する。つまり,この世界にはとうてい神によって設定されたとは思えない悪や悲惨なできごとが数多く存在するが,しかし人間の卑小な理性にはどれほど理解しがたいものであろうと,それもやはり神によって定められた事実,神のおぼしめしとして人間が受けいれるしかない事実である。そこから positum に〈不合理だが厳然と存在する事実〉という意味が,そして positive に〈事実的〉という意味が生じた。18世紀の弁神論的発想から生じた語義であり,〈既成性〉と訳される初期ヘーゲルの用語 Positivit∵t も同じ文脈に属する。
 〈実証主義〉は積極的主張としても軽蔑的な意味合いでも使われる。19世紀初頭に C. de サン・シモンやコントによってこれがはじめて提唱されたときは,むろん積極的主張であったが,19世紀末に〈実証主義への反逆〉がはじまると,それは〈唯物論〉〈機械論〉〈自然主義〉などと等価な蔑称として使われた。自然科学的認識方法を無批判に人間的事象に適用する当時の支配的な思想傾向が漠然とこの名で呼ばれ,批判されたのである。だが,同じ世紀末でも,マッハやアベナリウスの経験批判論が実証主義と呼ばれるのは,肯定的な意味においてである。彼らは科学的認識からいっさいの形而上学的要素を排除しようと意図する。実体間の力の授受の関係を予想する原因・結果の概念はもとより,精神や物質という概念,したがって心的・物的の区別さえもが排除され,ただ一つ経験に与えられる基本的事実である〈感覚要素〉相互間の法則的連関の記述だけが科学的認識の目的として指定されることになる。1920年代には,このマッハの伝統の上に,B. A. W. ラッセルやウィトゲンシュタインによって完成された論理分析の方法を採り入れたウィーン学団によって論理実証主義が提唱され,30年代以降これがイギリス,アメリカに移され,現代哲学の主流の一つとなった。実証主義がこのように肯定・否定両様に解されるのも,そこで考えられている〈事実〉が何を指しているかによる。19世紀の実証主義が批判の的にされたのは,その事実概念が古典的自然科学の狭い認識論的前提に制約されたものだったからである。                木田 元
[社会科学における実証主義]  社会科学の領域での実証主義は,C. de サン・シモンが自然科学の方法を用いて人間的・社会的諸現象を全体的かつ統一的に説明するために最初に提唱したのに始まり,コントに継承されて体系づけられて以来,19世紀後半から20世紀にかけて西ヨーロッパをはじめ全世界に及ぶ科学的認識論の支配的な立場となった。
 サン・シモンは《19世紀の科学的研究の序説》(1808)や《人間科学に関する覚書》(1813)において,従来の社会理論は単なる推測に基づいた独断的で形而上学的なものにすぎないと批判し,これに代えて,経験的現象の背後に神とか究極原因といった超経験的実在を認めず,〈観察された事実〉だけによって理論をつくり,経験的事実の裏づけによって実際に確証された理論こそ〈実証的positif〉で科学的なものとみなされなければならないとした。そして,この見地から,天文学,物理学,化学,生理学という順序で実証的になってきた科学的方法を用いて社会現象を研究し,政治,経済,道徳,宗教などを含むいっさいの人間的・文化的・社会的事象の相互関連性を総合的・統一的に説明すべきであると主張し,それを〈社会生理学〉と命名した。コントはサン・シモンの基本構想を引き継ぎ,さらにいっそう体系化し,《実証哲学講義》全6巻(1830‐42)において〈実証的〉という語を定義し,〈架空〉に対する〈現実〉,〈無用〉に対する〈有用〉,〈不確定〉に対する〈確定〉,〈あいまい〉に対する〈正確〉,〈消極的,否定的〉に対する〈積極的,建設的〉などの特徴をあげた。そして実証的とは〈破壊する〉ことでなくて〈組織する〉ことであると説き,人間の知識と行動は〈神学的〉―〈形而上学〉―〈実証的〉になるという〈3段階の法則〉を提示し,社会現象についての実証的理論を〈社会学 sociologie〉,実証的知識に基づいて自然界,精神界,社会界を全体的に一貫して説明する理論を〈実証哲学 philosophie positive〉と呼んだ。
 コントの説はイギリスの J. S. ミルに高く評価され,ミルは《コントと実証主義》(1865)を書き,〈コントこそは実証主義の完全な体系化を企て,それを人間の知識のあらゆる対象に科学的に拡大した最初の人であった〉と述べた。これ以降,実証的すなわち科学的という通念が世界的に普及した。フランスの社会学者デュルケームはこの立場をさらに徹底させて比較法や統計的方法を用いてすぐれた社会研究の業績をあげ,これによって社会科学における実証主義が確立された。天与の自然法という考えを排して現実の実定法だけを研究対象にする法実証主義はこの流れをくむものであり,調査によって得られた事実的資料に基づいて理論をつくるという今日の社会科学における方法論もこれに立脚している。このように実証主義は個々の事実の収集から一般理論の形成に進む帰納主義的立場をとるが,ポッパーは事実の観察や収集がそれ自身すでに一定の観点と仮説に基づいたものであって,個々の事実の集積から一般理論は生まれず,また理論は個々の事実によって確証されないことを論理的に明らかにして実証主義に鋭い批判を加えた。            森 博

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実証主義
I プロローグ

実証主義 じっしょうしゅぎ Positivism 経験一般と、自然現象についての経験をとおした知識にもとづく哲学の体系。経験をこえたものを対象にする形而上学や神学などを、じゅうぶんな知識の体系とはみとめない考え方。

II 成立と発展

19世紀フランスの社会学者・哲学者のコントによってはじめられた実証主義の考えのいくつかは、サン・シモン、あるいはヒュームやカントにまでさかのぼることもできる。

コントは人間の知識の発達を3段階にわけ、自然をこえた意志によって自然の現象を説明する神学的知識の段階から、自然をこえた説明はするが擬人的ではない形而上学的知識の段階をへて、経験的事実のみで説明をする実証的知識の段階へいたると説いた。最後の実証的知識の段階では、事実を事実で説明し、自然の現象の背後にそれをこえたものを想定したりはしない。

このような考えは、自然科学の発達にともない19世紀後半の思想に大きな影響をおよぼした。コントのこの考えは、ジョン・スチュアート・ミル、スペンサー、マッハなどによりさまざまにうけつがれ発展した。

III 論理実証主義

20世紀前半になると、伝統的な経験的事実にもとづく実証主義とはことなった、論理実証主義という考え方がおこった。マッハの考えをうけつぐこのグループは、ウィトゲンシュタインやラッセルの影響のもとに、論理分析により科学や哲学を考察した。ウィトゲンシュタインの「論理哲学論考」(1922)の影響をうけた論理実証主義者たちは、形而上学や宗教、倫理についてかたることは無意味であり、自然科学の命題だけが、事実とてらしあわせて検証することにより、正しいか正しくないか判断できると考えた。このような考え方は、その後さまざまな修正や発展をへて、多くの哲学者に影響をあたえた。


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論理実証主義
論理実証主義

ろんりじっしょうしゅぎ
logical positivism

  

特に L.ウィトゲンシュタインの影響のもとに,ウィーン学団が展開した哲学の思想とその運動。認識の根拠は経験による検証であり,命題の意味とはその検証の方法にほかならない。したがって検証不可能な形而上学の命題は無意味であると主張。自然に関するすべての認識は,一つの言語で表現され,したがって科学の統一は可能である。哲学者の任務は言語学的であり,哲学は言語の批判,すなわち言語の分析と分類を行い,理論ではなく活動であるとした。 1938年ナチスの迫害で学団のメンバーは大部分がアメリカなどへ亡命し,運動は国際的となったが,主義そのものは論理経験論へと解消した。





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論理実証主義
ろんりじっしょうしゅぎ logical positivism

〈ウィーン学団 Wiener Kreis〉およびその共鳴者の哲学に与えられた名称。
[成立と展開]  1895年ウィーン大学に〈帰納科学の哲学〉という講座が新設され,物理学者のマッハがその初代教授となり,その後この講座はボルツマンへと引き継がれていく。この講座を中心としてウィーン大学において,近代自然科学に接近した経験主義的な哲学傾向がしだいに醸成された。このような状況の中で,1922年シュリックがこの講座を引き継いだ。当時シュリックのもとに多くの若い哲学者,物理学者,数学者,社会科学者などが集まり,私的な会合が続けられていたが,28年,このメンバーが中心となって〈マッハ協会〉を設立し,ウィーン学団が結成され,その公的な哲学運動が始まる。このグループの哲学思想が論理実証主義である。その主要メンバーとしては,シュリックのほか,哲学者のクラフト V. Kraft,物理学者(後に哲学者)のカルナップ,フランク P.Frank,数学者のメンガー K. Menger,ゲーデル,社会科学者のノイラートなどがあげられる。これとほぼ時を同じくして,ベルリンにライヘンバハを中心に〈経験哲学協会 Die Gesellschaft f‰rempirische Philosophie〉が設立され,これと協同して30年に機関誌《認識(エルケントニス)》を発刊し,この論理実証主義の思想は世界に広まっていくことになる。これに呼応して,コペンハーゲンのヨルゲンセン J. JÅrgensen,シカゴの C. W. モリス,ワルシャワの論理学者たちがこの思想の共鳴者となる。この間,31年にこの運動全体に対してブルンベルク A. E. Blumberg とファイグル H.Feigl によって論理実証主義という名称が与えられた。しかし,当時はナチスの興隆期にあたり,多くのユダヤ人を抱えるこのウィーン学団は弾圧を受け,やがて活動不能となり,多くの学者は,アメリカ,イギリスに亡命し,この運動は発足以来約10年にして解体した。しかし,このため,論理実証主義の思想はこれらの国,とくにアメリカにおいて根を下ろし,その固有の思想と融合して新しい発展をとげ,いわゆる分析哲学として現代哲学の一つの大きな流れを形成することになるのである。
[思想]  論理実証主義の思想はマッハの科学的世界観,とくに,その感覚主義的経験論と B.A. W. ラッセルとその弟子ウィトゲンシュタインの論理思想とによって強く影響されて起こった新しい科学哲学であると概括される。その思想内容の特質は以下の諸点に要約されよう。
(1)科学的世界把握 ウィーン学団の最初のテーゼは〈統一科学 Einheitswissenschaft〉であった。すなわち,19世紀以降細分化の一途をたどってきた諸々の学問を統一し,その上に立って過去の多くの形而上学的世界観とは異なる〈科学的世界把握〉を行おうとするものである。そのために,諸学を共通に基礎づけるものとして個人の経験のみを認めるという徹底的経験論を目ざした。しかし,ここで,心理学をもその範囲に含めようとするとき,いわば〈内的世界〉と〈外的世界〉とを共通に基礎づけるものとして経験を取り扱わざるをえず,経験というもののもつ私的一面のゆえに,科学はかえって客観性を失わざるをえないという難問をかかえることになった。この難点を避けるため,たとえば,シュリックは経験の内容と構造を区別するというような試みを行ったが,必ずしも成功していない。この難問は〈内的経験の私秘性〉〈他我問題〉などとして現在にまで持ちこされている。
(2)現象論と物理主義 論理実証主義は初期,マッハとラッセルの強い影響の下に,現象主義の立場をとった。すなわち,認識の源泉としての直接所与は物ではなく,感覚,またはそれに類似のものであるとする立場である。この視点はカルナップの初期の著作《世界の論理的構成》などに明瞭に現れている。しかし,この立場に立つかぎり,科学的真理の根拠は究極において私的なものとなることを不満として,ノイラートは科学の命題を検証しうるものは〈報告命題〉であり,そしてそれは,感覚言語ではなく,物言語(たとえば,人名,物の名,場所,時刻などを含む)によって構成されるべきであるという主張を展開し,その後,論理実証主義者の見解は,概してこれに傾いた。この新しい立場は〈物理主義 physicalism〉と呼ばれる。
(3)論理主義 当時新しく構成された論理学,いわゆる記号論理学を重視し,みずからその発展に貢献した。さらに,ラッセル,ウィトゲンシュタインの影響の下に,〈論理的原子論 logical atomism〉に近い立場をとり,現実の世界の構造が論理的であると考えた。しかし,やがて,数学の分野で広まった公理主義に接近し,数学のみならず,物理学をも含む広範な分野で公理主義的な規約主義へと移行した。
(4)言語分析と形而上学の否定 論理実証主義はその創設期に強い形而上学否定のプロパガンダをたずさえて登場した。しかし,その否定の理由は,それが誤っているからではなく,それが無意味な命題を述べているからであるとしたところに大きな特質がある。そして,この種の無意味な命題を排除するために,命題の有意味性に対する厳しい規準を立てた。それは,〈命題の意味とはその検証の方法である〉という種類のものであった。しかし,彼らは,この検証ということを経験による検証とみなしたため,形而上学の命題はもちろん,多くの哲学的命題や倫理学的命題などが無意味となり,哲学問題の多くは擬似問題として退けられることになった。しかし,この規準によるならば,その規準を述べる当の命題そのものが無意味となるというような撞着を含むことが問題となり,この規準は漸次緩められ,伝統的哲学問題の多くは真の哲学問題として復活することになる。しかし,これらの議論を通じて行われた言語分析の手法は哲学的議論の手法としては斬新なものを含み,同時期にイギリスにおいて行われていた日常言語による言語分析(日常言語学派)とともに,哲学的分析の有力・必須の方法として定着することになった。⇒科学哲学∥記号論理学∥分析哲学                 坂本 百大

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L.ウィトゲンシュタイン
ウィトゲンシュタイン

ウィトゲンシュタイン
Wittgenstein,Ludwig

[生] 1889.4.26. ウィーン
[没] 1951.4.29. ケンブリッジ

  

オーストリア生れの哲学者。最初ベルリンとマンチェスターで工学を学んだが,1912年以降ケンブリッジで論理学,哲学を学んだ。第1次世界大戦中はオーストリア軍に志願,18~19年イタリアで捕虜生活をおくったのち,20~28年小学校教師,庭師,建築家などを経て,29年ケンブリッジに復帰,30~36年同大学フェロー,講師,38年イギリスに帰化,39~47年哲学教授。彼は初め,哲学を言語批判の学として規定し,B.ラッセルの影響を受けながら論理的原子論 logical atomismを主張し,言語と事実との対応関係を明らかにしようとした。しかしそののち,彼はこの立場を反省し,日常言語の分析に意義を見出すにいたった。主著『論理哲学論考』 Logisch-philosophische Abhandlung (1921) ,『哲学探究』 Philosophische Untersuchungen (第1部,36~45。第2部,47~49) 。





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ウィトゲンシュタイン 1889‐1951
Ludwig Wittgenstein

20世紀におけるもっとも重要な哲学者のひとりで,いわゆる分析哲学の形成と展開に大きな影響を与えた。ウィーンのユダヤ系の家庭に生まれ,1908年以後は主としてイギリスで活動し,オックスフォードで没した。彼の哲学の発展はふつう前・後期の2期に分けられるが,前期の思想は生前公刊された唯一の著書である《論理哲学論考》(1922)に集約されており,フレーゲおよび B. A. W. ラッセルとの関係が深い。他の著作はすべて弟子たちの手で遺稿から編纂され,とくに《哲学探究》(1953)が後期の代表作とされる。なお,《論考》の発表後しばらく哲学から離れていた彼が再渡英し,ケンブリッジ大学に戻った29年から,この《探究》の執筆を始める36年ころまでを〈中期〉と呼んで区別することもある。すべての時期を通じて彼の哲学は,言語の有意味性の源泉を問い,言語的な表現と理解の根底にあってこれを可能ならしめている諸条件を探究するものであった。しかし前期の思想と(中)後期の思想のあいだにはかなり顕著な性格の違いがあり,その影響も異なる方向に働いた。同じく言語の明晰化を主目的とする分析哲学者でも,記号論理学による科学言語の構成を目ざすひとは《論考》を尊重し,日常言語の記述によって伝統的な哲学問題の考察をすすめるひとは《探究》から学んだ。なお中期の著作としては《青色本・茶色本》《哲学的考察》《哲学的文法》があり,後期には《探究》のほかに《断片》《確実性の問題》などがある。第2次大戦後の日本でも彼の哲学に対する関心は活発で,研究書や論文の数も多い。
 前期《論考》の哲学では言語の基本的な構成単位を〈要素命題〉と呼ぶが,これは例えば画像や立体模型と同様に,一定の事実を写す〈像〉であると考えられ,それら要素命題から論理的に構成されたものとして分析できる命題だけが有意味と認められる。彼はこの原子論的な言語観に基づき,世界の諸事実を記述する経験科学の命題と,もっぱら言語の形式にかかわる数学・論理学の命題を峻別した。また形而上学的な〈自我〉や価値・倫理などの伝統的な哲学問題は元来〈語りえぬ〉もの,言語ないし世界の限界の外にあるものとする。一見すると《論考》の哲学は,論理実証主義者の反形而上学的な科学哲学を先取りしたもののようであるが,じつは彼の真意は,人間の根本の生きかたにかかわる問題をあくまで尊重し,これらを〈内側から限界づけ〉て事実問題との混同を防ぐところにあった。その後彼は《論考》の言語観にみずからきびしい批判を加え,しだいにあらたな考察の地平を切り開いていったが,その際とくに重要な意味をもったのは〈自我〉の問題である。《論考》の中核である〈像の理論〉は,要素命題の記号を言語外の対象に対応づけ,命題を事実の写像たらしめる主観の作用を暗黙のうちに前提していた。これは言語主体たる〈私〉を有意味性の根源とすることであり,そのかぎり,〈私の言語の限界〉をもって世界そのものの限界とする独我論の立場を脱することはむずかしい。後期のウィトゲンシュタインは,こういう〈私的言語〉の想定が《論考》のみならず広く哲学的な言語解釈の根源になっていることを見抜き,この想定の背理と不毛を徹底的に追及した。この批判作業を通じて,後期における〈言語ゲーム〉の哲学の基礎が固められる。言語は物理的な記号配列や,これに意味付与する精神作用としてではなく,一定の〈生活形式〉に基づき,一定の規則にしたがって営まれる〈行為〉として考察されることになった。さまざまな言語ゲームの観察と記述によって彼は哲学の諸問題を解明したが,最晩年には古典的な〈知と信〉の問題に深く踏みこみ,言語ゲームそのものを支える〈根拠なき信念〉をめぐって思索した。後期の哲学は社会・文化・歴史など,人間生活の諸相につき示唆するところが多い。⇒分析哲学∥論理実証主義                      黒田 亘

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ウィトゲンシュタイン,L.
I プロローグ

ウィトゲンシュタイン Ludwig Wittgenstein 1889~1951 オーストリアで生まれ、イギリスで活躍した哲学者。分析哲学や言語哲学といわれる哲学運動に大きな影響をあたえた20世紀の主要な哲学者のひとり。→ 分析哲学と言語哲学

II 生涯

ウィーンの富裕な家庭に生まれ、最初はエンジニアをこころざすが、数学の基礎へ関心がうつり、ケンブリッジ大学でラッセルの弟子となって記号論理学や哲学をまなぶ。1918年に「論理哲学論考」(1922年出版)を完成して、これで哲学の問題はすべて解決したと信じ、その後は小学校の教師や庭師などをしてすごす。

1929年、ふたたびケンブリッジ大学にもどり、哲学を再開。「論理哲学論考」の考えを否定し、「哲学探究」(1953、死後出版)に結実する後期思想を展開する。天才の名にふさわしい特異な性格と簡素な生活ぶりが、多くの弟子たちによってつたえられている。

III 哲学

ウィトゲンシュタインの哲学は、「論理哲学論考」の中で展開された前期思想と、「哲学探究」に代表される後期思想にわけられる。しかし前・後期ともに、哲学を、言語を分析する活動であると考える点では一貫していた。

1 「論理哲学論考」

「論理哲学論考」においては、言語は要素命題といわれるそれ以上分割することのできない最小単位によってできあがっているとされる。しかし、日常つかわれる言葉は、複雑で混乱している。そのような言語と対応して世界のほうも表面は複雑で錯綜(さくそう)しているが、分析によってそれ以上分割できない原子的な事実へとたどりつくことができる。ウィトゲンシュタインによれば、要素命題は、この原子的な事実をそのままうつしているのである。

このように事実と正確に対応している命題、つまり科学における命題だけが意味のある命題だとウィトゲンシュタインはいう。それゆえ、これまで形而上学によって語られた文や、倫理的な文は無意味なものになってしまう。「論理哲学論考」は、「語りえないものについては沈黙しなければならない」という有名な言葉でむすばれている。このような考え方にウィーン学団の論理実証主義者たちは強く影響され、形而上学的命題などは無意味なものだとしてすてさった。→ 実証主義

ただし、ウィトゲンシュタイン自身は「語りえないもの」の領域をみとめ、それについて無意味に語ることのないよう、いわば逆方向から言語の限界づけをおこなったのだとも考えられている。

2 「哲学探究」

「哲学探究」では、「論理哲学論考」の言語観は否定され、より実際の言葉の使用の場面に目がむけられる。言葉はさまざまな状況でいろいろなやり方でつかわれており、「論理哲学論考」で想定したような統一的な言語など存在しないと考えられるようになった。

このような、さまざまにことなった言語の活動を、ウィトゲンシュタインは「言語ゲーム」とよんだ。科学者には科学者の、神学者には神学者の「言語ゲーム」があり、言葉の意味はその言葉がつかわれている実際の文脈によってきまる。ウィトゲンシュタインは、哲学の仕事は実際おこなわれているこのような「言語ゲーム」を記述することにあると論じた。

ほかの著作には「青色本・茶色本」(1958)、「確実性の問題」(1969)などがある。


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ウィーン学団
ウィーン学団

ウィーンがくだん
Vienna Circle; Wiener Kreis

  

ウィーン大学哲学教授 M.シュリックを中心として形成された哲学者,科学者の一団をいう。「学団」 Kreisといって「学派」 Schuleといわないのは,いわゆる学派主義を避けたからであるといわれる。各人の考えが必ずしも一致していたわけではないが,形而上学を排し,哲学を科学と同じような客観的な学問,科学哲学として考える点で共通していた。 1928年には「マッハ協会」がこれらの人々を中心にして設立され,公的な活動が始った。彼らは E.マッハ,B.ラッセル,L.ウィトゲンシュタインの影響を受け,言語分析,記号論理の研究を展開し,論理実証主義の形成に大きな影響を与えた。 38年ナチスの弾圧により解散,メンバーの多くはイギリス,アメリカへ亡命し,シカゴ大学ではカルナップ,C.G.ヘンペルが加わることによってシカゴ学派が形成された。ウィーン学団のおもな学者としてはシュリックのほかに,カルナップ,ファイグル,Ph.フランク,K.ゲーデル,O.ノイラート,ヘンペルらがあげられる。





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ウィーン学団
I プロローグ

ウィーン学団 ウィーンがくだん Wiener Kreis 1920~30年代、オーストリアのウィーン大学のメンバーによって結成され、活発に活動した、論理実証主義(→ 実証主義)の学派。

II 実証主義の系譜

1895年ウィーン大学に、マッハを初代教授として「帰納科学の哲学」講座が開設された。1922年にシュリックが後任として赴任すると、彼を中心とする私的な会合が定期的にもうけられた。彼らは数学と科学に共通の関心をしめし、基本的にマッハの実証主義をうけいれ、数学的論理学の発展をめざしていた。また、ウィトゲンシュタインの影響も大きく、彼らの会合では頻繁にウィトゲンシュタインの「論理哲学論考」が話題になったといわれている。

III 主要メンバー

彼らは1928年に「マッハ協会」を設立し、翌年「科学的世界把握?ウィーン学団」というパンフレットを発行して、公的な活動を開始した。おもなメンバーとしては、ワイスマン、カルナップ、ノイラート、ファイグル、ハーン、ゲーデルなどがいた。ライヘンバッハを中心としてベルリンで設立されていた「経験哲学協会」と共同で30年に雑誌「エルケントニス(認識)」を刊行し、ヨーロッパ各地やアメリカに思想的影響をおよぼした。

IV 20世紀哲学の流れつくる

しかし、ナチズムの台頭とともに、シュリックが1936年に暗殺されたのをはじめとして、30年代半ばに主要メンバーがあいついで死亡もしくは亡命。38年のナチスのオーストリア併合、39年の第2次世界大戦の勃発(ぼっぱつ)によって、学団そのものは間もなく消滅した。しかし、ドイツ語圏以外の国にちらばったこの学団のメンバーは、その後めざましい活躍をみせ、彼らやその弟子たちは20世紀の哲学の有力なオピニオンリーダーになった。→ 分析哲学と言語哲学


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唯名論
唯名論

ゆいめいろん
nominalism

  

普遍者は名辞にすぎないとし,その実在を否定する哲学上の立場。実在するのは個体だけであり,たとえば赤という普遍概念は多くの赤いもののもつ赤という共通の性質に対して与えられる言葉,もしくは記号で,赤いものを離れて赤が実在するのではないとする。極端な唯名論はこの名辞を与える根拠としての事物間の類似性ということすら否定する。実在論,概念論とともに西欧中世の普遍論争で一派をなした。 11世紀後半ロスケリヌスがこの立場を代表し,14世紀には W.オッカムが体系的理論を展開した。近世では 17世紀イギリスの経験論のなかに復活,T.ホッブズがその代表者。中世にあっては,その初期に確立されたプラトン的実在論やアリストテレス的な緩和された実在論に拠る正統神学にそむくものとして危険思想視され,また明白に唯物論的色彩を帯びていた。





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唯名論
ゆいめいろん nominalism

名目論ともいい,中世の実念論に対立する立場。個物のみ実在し,類・種などの普遍は実在せず,ただ人間の精神の中で〈個物の後にpost rem〉生じると説く。普遍は等しい個物に対する単なる〈声 vox〉ないし〈名 nomen〉であるか,個物に面して精神が懐胎し総括する〈概念 conceptus〉または概念の概念として精神により〈総括された記号 terminus conceptus〉とされる。ロスケリヌス,アベラール,オッカムが代表者。アベラールは普遍は名(概念)または〈言表 sermo〉であるとし,普遍の〈概念説conceptualism〉と〈言表説 sermonism〉の発端となり,オッカムは普遍の〈記号説 terminism〉の先駆となる。唯名論は個体主義・感覚論への傾向をもち,近世の経験論を準備した。    茅野 良男

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唯名論
I プロローグ

唯名論 ゆいめいろん Nominalism 普遍的なものは実在せず、実在するのは個物のみであるとする中世スコラ学の教義。唯名論という名称は、「動物」「国家」「美」「円」といった類や種レベルの普遍はたんなる名前にすぎないとするその主張に由来する。たとえば、円という名前はすべての円い事物に適用されるので、一般的、普遍的な名称である。しかし、この名前に対応して、円そのものの本質がそれだけ独立に存在するわけではないとするのが唯名論である。これに対立する実念論(→ 実在論)は、普遍は個物に先だち、個物から独立して存在すると主張する。

II 起源はアリストテレス

唯名論の起源は、すべての現実は個物からなるというアリストテレスの主張にある。いっぽう、実念論が最初に擁護されたのは、プラトンのイデア論においてであった。中世における唯名論と実念論の間の論争は普遍論争とよばれる。この論争がもっともはげしくおこなわれたのは11世紀後期から12世紀にかけてで、唯名論の代表者はロスケリヌス、実念論の代表者はシャルトルのベルナールやシャンポーのギヨームであった。

III 教会がはげしく反対

普遍論争の争点は哲学だけでなく、神学にも関係している。唯名論の立場では、神と子と精霊の三位一体というキリスト教の伝統的教義は理解不可能であり、三位をそれぞれ独立した神と考える三神論にいきつかざるをえないからである。そのために、教会は唯名論にはげしく反対した。倫理学においても唯名論のもつ意味は重大である。すべての個物に適用される共通な本質が存在しないとすれば、すべての人間を支配する「自然法」もまた存在しないことになるからである。

IV 中間に位置する概念論

唯名論と実念論の中間に位置する理論は概念論とよばれる。概念論によれば、普遍は外界には存在しないが、観念や概念として心のうちに存在し、したがってそれは、たんなる名前以上のものである(→ アベラール)。また、もうひとつ別の理論として穏健な実念論もあり、これは、普遍は心のうちにあるが、特殊な対象にかぎって、そこに現実的な基礎をもっていると主張する。

14世紀イギリスのスコラ学者オッカムによってなされた唯名論の擁護は、道具主義、プラグマティズム、意味論、論理実証主義(→ 実証主義)といった現代のさまざまな唯名論的理論への道を準備した。

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理念(イデー)
理念

りねん
Idee

  

古代ギリシアの哲学者プラトンの根本概念「イデア」の訳語の一つ。プラトンのイデアは,哲学の歴史を通じてその根本的意義を保ちながらも多様に解釈され,デカルト,ロックにいたってすべて経験に由来する人間精神の内容,意識内容をさし,超越性は失われるようになった。このようなイデアは英語の ideaを介して「観念」と訳される場合が多い。これに対してカントをはじめドイツ哲学内では,デカルト的な「観念」を批判し,イデアの超越性が再び強調され,経験に由来する素材を統一する理性的形式,さらに絶対者としてのイデアが考えられた。このような系譜においてドイツ語の Ideeを介して訳されたものが「純粋理性概念」すなわち「理念」である。





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イデー
Idee

イデアのドイツ語訳。感覚されうる個物の原型・範型としての形相,主観的な表象ないし観念の両義のほか,カント以降のドイツ哲学では理性概念として独特の意義づけをこうむる。20世紀初頭,桑木厳翼は理性観念すなわちイデーを〈理念〉と訳した。カントは理性が現象界を超越する傾向は認めるが,理論的認識を感性の直観形式(時間,空間)と悟性概念(カテゴリー)との及びうる現象界に制限し,理性の構想する概念すなわち理念は,〈あたかも〉実在する〈かのように〉全現象界に最高の統一を与えこれを統制する仮説であるとし,旧来の形而上学の主題の神・不死・自由をこのような理念とみなした。他方,意志的実践では,人間は自由に基づき最高善を目標として道徳律の命令に従うべく行為するから,自由・不死・神は意志的行為にとっての必然的な要請とする。理論的悟性の対象としては実在性を拒まれた理念は,実践的意志の対象としては実在性を回復する。フィヒテは神ないし絶対者を神的理念と呼び,現象界をこの根本の理念の顕現ないし像と見,人間の使命はこの像の認識を介して神的理念の実現とそれへの漸近とを努力すべきであると説く。ヘーゲルは世界史を貫いて発展する神の理性ないし絶対者を理念と呼び,哲学とは理念が弁証法的に展開して自己に還帰する過程の概念的把握とみなす。一般に,理念は現実には到達されえぬが接近の努力を導く課題とされ,実現が期待される理想から区別される。また,本質ないし本質概念と等置されることがある。なお,ある時代・社会・文化に固有の諸理念の追究は〈理念史 Ideengeschichte〉として,精神史・思想史・概念史の一翼を担うが,その形成も上記のドイツ哲学の理念観に基づく。K. W. von フンボルトは個人の完全な形成を導く人間性の理念を掲げ,歴史の目標は人類を通して展示される理念の実現とし,ランケの世界史は各世紀の支配的傾向としての指導的理念の記述を重要視した。M.ウェーバーの理想型 Idealtypus も,理念が原型・範型としての〈典型 Typus〉の意義を有する限り,これを理念型と訳しうるであろう。   茅野 良男

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表象
表象

ひょうしょう
representation; Vorstellung

  

(1) 外界に刺激が存在せずに引起された事物,事象に対応する心的活動ないし意識内容のことで,以前の経験を想起することにより生じる記憶表象,想像の働きにより生じる想像表象などが区別される。刺激が現前せずに生じる意識内容という点で,夢,幻覚なども表象の一つとされる。また場合により具体物に対する関係の程度に応じて心像,観念とほぼ同義に用いられる。ただし刺激が現前した場合に生じる知覚像をも表象に含ませ,知覚表象の語が用いられることもある。 (2) 現在では特に思考作用にみられるように,種々の記号,象徴を用いて経験を再現し,代表させる心的機能をさす。この場合は代表機能の語が用いられることが多い。





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幻覚
心像
観念
概念論
概念論

がいねんろん
conceptualism

  

スコラ哲学の普遍論争における中庸的立場。普遍者は単なる名辞であるとする唯名論に対しては,実念論同様普遍者の実在を認める。しかしそれは概念として心中にあり,その実在性は概念の妥当する個的存在に依存するとして,個体にのみ実在を認める唯名論に近づく。すなわち普遍者の実在はまったく抽象的,概念的である。概念論の代表者アベラールは,唯名論のロスケリヌス,実念論のシャンポーのギヨームの2人の師に反対して自説を確立した。彼は同一の客語が多くの主語について述べられることに注目し,精神が取出すこの個体間の共通性を普遍者であるとした。アベラールの理論に基づいて出された結論によれば,普遍は神の創造の原型的イデアとして物の先に,個体の形相として物の中に,思惟にあっては物ののちに存在するとされた。概念論はプラトンのイデアが近世的な観念の意に転じていく境界に位置する理論である。





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概念論
I プロローグ

概念論 がいねんろん Conceptualism ヨーロッパ中世で最大の神学論争といわれた普遍論争においては、実念論(→ 実在論)と唯名論がはげしくあらそった。その両者を折衷した中間的な立場が概念論である。この言葉そのものは、1481年にトマス主義者のペトルス・ニグリが唯名論者たちをさしてつかった言葉conceptistaeに由来する。彼によれば、「普遍とは精神の中に存在する概念(conceptus mentis)のことである」と主張する人々が概念論者である。

II 「緩和された」唯名論

概念論は、普遍が精神の外に実在すると考える実念論にも、また普遍にまったく意味をみとめず、それはたんなる音声の息でしかないとする極端な唯名論にも反対する。フランスの神学者アベラールが代表的な人物であるが、ペトルス・ニグリの命名にもみられるように、概念論は基本的には唯名論である。なぜなら、個物とともに普遍にもなんらかの意味をみとめはしても、普遍に精神(心、知性)とは独立した存在をあたえようとはしないからである。したがって概念論は、「極端な」唯名論との対比でいえば、「緩和された」唯名論とよぶことができよう。

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イメージ
イメージ

イメージ
image

  

ラテン語の imago (似像) に由来する。心像の意。 (1) 普通は観念を知的表象としてイメージから分つが,観念の源泉を感覚に求めた D.ヒューム,Th.ホッブズら経験論者は両者を同一視する。その場合でもイメージを形成するのは経験であって,外界からの直接的刺激によって形成されるとするエピクロスのエイドラとは区別される。イメージは広義においては知覚心像を含み,普通は想像や想起によって形成される心像をいう。イメージを観念と同一視する経験論では,それは意味のにない手とされるが,G.バークリーはイメージは必ず個別的であって普遍観念のイメージは形成しえないことを主張した。 J. P.サルトルはさらにイメージの存在自体が意味作用や対象指示作用に依存していることを指摘し,この点で画像との類似を認めるが,イメージではある建物の柱の数を数えられないように,それは物ではなく,意識の作用である点,画像と区別されるとした。 (2) イメージは物に対してのみならず,人間とその集団に対しても成立する。マス・メディアを中心とする通信技術の驚異的な発展は,膨大なメッセージを地球上にあふれさせ,現代人は何一つ体験することなしにあらゆる事象に対してイメージを形成しうるため,擬似イベントが事実を凌駕するという「幻影 (イメージ) の時代」に住むといわれる。国際政治の場では,豊富なメッセージは無知のカーテンを破って,より正確な対外イメージの形成を可能にするというプラスの側面と同時に,イデオロギーと結びついたイメージが硬直化し,国家間の相互理解を一層困難なものにするというマイナスの傾向も存在する。イメージの定着化という目標のためには,メッセージは可能なかぎり単純化され,シンボルという形に凝縮される。国際間の心理戦争におけるデマゴギー,企業宣伝のための商標,大衆運動におけるスローガンなどはその典型的な例であるといえる。





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イメージ
image

[語義]  ギリシア語のエイコン eikヾn やファンタスマ phantasma に対応するラテン語のイマゴimago に由来し,もともとは視覚的にとらえられたものの〈かたち〉を意味し,転じて諸感覚によってとらえられたものの心的表象を意味するようになった。また,写真や版画のように心的表象の物質化されたもの,想像の産物,夢想,白昼夢のように新しくつくり出された心的表象をもさす。イメージは視覚イメージだけにとどまらず,聴覚イメージ,嗅覚イメージ,味覚イメージ,触覚イメージというものもあるが,中心をなすのは統合力のつよい二つの感覚に関した,視覚イメージと聴覚イメージである。こうしてイメージは次のように定義づけられる。〈イメージとは以前に知覚された,いくつかの感覚的性質を伴う対象についての心的表象である〉,と。ここで,〈いくつかの感覚的性質を伴う〉というのは,たとえば三角形の表象は感覚的性質からまったく切り離されると,もはやなんらのイメージをももちえなくなるからであり,また,もし対象の感覚的性質がすべて保たれていたら,イメージではなくて感覚印象のコピーになるからである。
[イメージと観念]  上述のようなものとしてイメージは感覚印象や感性知覚から観念や概念へと赴く途上にあり,したがって,感性的認識と知的認識との交差路に位置している。イメージはその起源を感覚印象のうちにもってはいるが,感覚印象の場合のように,感官の末端に興奮も見られないし,単なる主観的な状態でもない。では知覚とのちがいはどこにあるのか。知覚にはイメージのうちにある思惟の働きが欠けている。また知覚では対象の現前が前提となっているのに,イメージでは対象は不在である。他方,知的認識にかかわる観念や概念とイメージとのちがいおよび関係であるが,観念と概念のうち,イメージとより大きく対立するのは概念である。イメージが感覚的,個別的,具体的であるのに対して,概念は知的,普遍的,抽象的であるということができる。哲学は普遍的な知を目ざすものとして,概念によって考えようとしてきた。しかし概念あるいは純粋観念によって考えることができるだろうか。一時期そのような思考の可能性を主張する人々もいなかったわけではないが,現在では実験心理学の立場からも否定されている。こうして,イメージなしには考えられないことになるが,もう一方において上述のように,イメージのうちには思惟の働きがあり,したがって思惟なくしては決して想像しないということがある。そしてここで問題になるのは,概念ほどまったく抽象的ではなく,個々人の感受性や経験と結びついている観念である。ひとがある事物についての観念を抱くとは,その事物についてある知的理解をもつこと,その事物を理解することであって,イメージによってなにかを表象することではない。しかし,だからといって観念とイメージはまったく無関係なのではなく,むしろ観念をイメージから分離することはきわめて難しい。われわれのすべての感覚的表象には,知覚においても想い出においても観念が混じっているからである。この結びつきをみとめた上で両者のちがいを示しておけば,次のようになる。〈観念はイメージとちがって潜在的な一群の判断から成っている〉,と。そしてこの判断の要素が強められ,観念のうちに含まれているイメージ性が除去されるとき,そこに得られるのが概念である。概念においては,表象はその客観的な相のもとに,それ自体として存在するもの,それゆえ普遍的な,すべてに有効なものとなるわけである。
[イメージと哲学]  イメージと概念とが上述のような関係にあるとき,想い起こされるべき重要な考え方がある。すなわち,〈哲学のあらゆるカテゴリーは,さまざまな段階を経過した。イメージ,イメージ=概念,概念である。この最後の概念の段階以後,哲学の諸カテゴリーは消耗してしまうか,それとも最初の契機つまりイメージとの接触によって,新たな歩みのために新しい力をうるか,そのいずれかである。したがって,概念をそのまま消尽させることなく,イメージとの新たな結びつきによって概念=イメージとして活性化させることが必要である。概念は人間の理論的認識と実践的関心に役立つのに対して,イメージはそこに不在なもの,潜在的なもの,そして〈世界〉を現前させる。概念が特別に人間のものであるのに対して,イメージは〈世界〉にかかわる。と同時に,概念がその抽象作用によって非人間的であるのに対して,イメージは近づきやすく,身近で,暗示的に語るのである〉(H. ルフェーブル《総和と余剰》)。ここには,今日の哲学の課題として,概念がイメージとの結びつきを回復すべきことがよく示されている。
[イメージと近代の知]  哲学を中心とする西洋の知のなかでは,イメージの軽視と排除は古代ギリシアの自然主義的な見方のなかにもあったが,それをいっそう徹底したのが,自然科学を中心とする〈近代の知〉であった。それは,一方では認識する主体と認識される対象,つまり見るものと見られるものとを引き離して冷ややかに対立させ,自我の存立の基盤を失わせるとともに,他方では世界の人工化と自然の破壊をもたらすことになった。そして今になってわれわれが気づかされたことは,近代の知が排除したイメージが単なる心像や形象にとどまるものではなく,生きられた身体的なものであり,コスモロジカルなものであるということである。つまり近代の知においては意味の濃密なイメージ,聖なるイメージの破壊や追放があり,そのために人間は自然や事物との生きた有機的なつながりを失うことになった。こうして現代におけるイメージあるいはイメージ的全体性の回復の企ては,大きな文明史的な意味をもっている。⇒想像力              中村 雄二郎

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観念論
観念論

かんねんろん
idealism

  

idalisteという言葉が最初に使われたのは,1702年 G.ライプニッツがエピクロスとプラトンとを比較して,前者を matrialiste,後者を idalisteと区別したときである。百科全書派の D.ディドロは 49年 idalisteとして G.バークリーをあげているが,それはバークリーが感性的世界の実在性を否定しているからであり,実在論と極端に対立している点で物質非存在論ないし主観的観念論といえよう。その後の観念論の歩みとしては,名目的観念論 (D.ヒューム) ,感覚的観念論 (E.コンディヤック) ,懐疑的観念論 (デカルト) などがあげられるが,18世紀後半カントによって従来の経験的あるいは独断的観念論が批判され,超越論的ないし先験的観念論が樹立された。カント以後,観念論はドイツにおいていわゆるドイツ観念論として展開され,主観的観念論 (J.フィヒテ) ,客観的観念論 (F.シェリング) ,絶対的観念論 (ヘーゲル) が次々に出た。ヘーゲル以降も観念論は J.ヘルバルト,R.ロッツェ,W.ブントらに継承され,また倫理,美学,宗教など隣接諸領域にもそれぞれの観念論が出た。





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観念論
かんねんろん idealism

観念を原理とする哲学上の立場。実在論,唯物論,現実主義に対立する。明治10年代,《哲学字彙》では,idea の訳語に仏教用語の観念を当て,idealism は唯心論と訳したが,idealism を観念論と訳すのは明治10年代の後半,とりわけ30年代からである。この観念という訳語は(1)客観的実在としての形相すなわちイデア,(2)主観的表象としての想念,概念,考えすなわちアイディアないし観念,(3)理性の把握しうる概念すなわちイデーないし理念,(4)現実に対するアイディアルすなわち理想などを包括しており,これに応じて観念論も客観的観念論,主観的観念論,理想主義に大別しうる。西洋では実在論,実念論と比較して観念論は新しい用語であり,17世紀末から18世紀以来の成立である。当初,感性的質料を守る質料主義者,唯物論者に対して形相を原理とする形相主義者が観念論者とされた。この型の観念論は形相主義,イデア主義としての客観的観念論であり,実在論と言いうるが,イデアの認識に関しては主観なしにはありえない。他方,17世紀以来の英仏哲学では,主観ないし心の表象,意識内容としてのアイディア,イデーが観念と呼ばれ,〈在るということは知覚されることであり心は知覚の束である〉と説く G. バークリーの主観的観念論が成立する。この型の観念論は主観内の観念の外部の事物を扱わぬ傾向があり,実在論や唯物論の非難の対象になる。カントは理論的認識を現象界に制限して経験的実在論を説く反面,認識を可能にする条件を主観の形式すなわち主観における客観的形相の分析に求め,形式的観念論ないし先験的観念論を主張,リッケルトや E. ラスクの客観主義的観念論の先駆となる。またイデアは希求と願望の理想であり,近世的には理性概念すなわち理念として感性界に実現されるべき目標となる。ここに理想の追究ないし理念の実現を目ざす理想主義が近世の観念論の一つの型となり,フィヒテの倫理的観念論を代表とする。日本では左右田喜一郎と桑木厳翼とがカントとリッケルトの観念論を文化主義として継承した。         茅野 良男
[インドの観念論]  インド思想の一般的な特徴は,それが必ずなんらかの宗教体験の上に立って展開されているということであり,この点をはずしてそれが観念論か否かを問うのは危険である。ただ,あえて言うならば,インド思想のほとんどは観念論だということになろう。たとえば,《ウパニシャッド》文献に端を発するベーダーンタ学派,サーンキヤ学派の考えによれば,われわれが経験するこの世界は,われわれが自己の本体(アートマン)が何であるかを知らないこと(無知,無明)がきっかけとなって展開したものであり,つまりわれわれの日常的認識(分別,迷妄)が作り出したものであるとする。これは仏教でも基本的には同様であり,《華厳経》の〈三界唯心〉,瑜伽行派の〈唯識無境〉〈識の転変〉なども,日常生活における主客対立の見方である〈虚妄分別〉の心作用がこの世界を形成すると説いている。世界はいわば〈観念〉の所産であることになる。したがって,自己についての真実にめざめたとき,われわれはこの苦しみの経験世界を脱却できる。これが解脱である。
 これに対して,チャールバーカ,ローカーヤタ派などと称せられる人びとは,世界も心も物質の所産であると唯物論的な考えを表明している。ウパニシャッドの哲人ウッダーラカ・アールニ,原子論を唱えるニヤーヤ学派,バイシェーシカ学派にもそうした傾向が皆無ではないが,それでもなおこの経験世界を迷妄の所産とし,そこからの解脱を希求するなど,全体としては観念論というべきである。                    宮元 啓一

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観念論
I プロローグ

観念論 かんねんろん Idealism 広義には、意識や精神的なものを原理とする哲学上の説をいうが、さまざまな立場がふくまれる。形而上学においては、精神を真の存在とする唯心論の立場を意味し、精神も物質的な要素や過程に還元できるとする唯物論に対立する。しかし、観念論は本来、外界の事物は精神の観念にすぎないとする認識論上の立場であり、この場合には実在論に対立する。実在論は精神から独立した実在を主張するため、実在の本当のあり方は認識できないという懐疑主義におちいりがちである。観念論はこうした懐疑主義に対しては、実在の本質は精神であり、したがって実在は精神によってのみ認識されると主張する。

また観念論は、理想の追求や理念の実現をめざす生活態度をもさし、この場合は理想主義の意味になる。

II プラトン

観念論idealismという用語は、プラトンの「イデアidea」に由来する。イデアとは、知性によってのみとらえられうる超感覚的で普遍的なものである。つねに変化する個々の感覚的なものは、自らの理想的原型であるこのイデアのおかげで存在しうるし、認識しうると、プラトンは主張した。

III バークリーとカント

近代になって、このプラトンのイデアが意識の表象とか観念と解されるようになると、主観的観念論が成立する。その代表者は、18世紀アイルランドの哲学者バークリーである。彼によれば、あるということは知覚されるということであり、心は知覚の束である。そして外界の対象の真の観念は、神によって直接人間の心のうちにひきおこされるのである。

これに対して、ドイツの哲学者カントは、認識の材料を外界にもとめる点では経験的実在論をとるが、この材料をまとめあげ、認識を可能にする条件を、人間の直観と悟性の形式にもとめる点では観念論を主張する。彼によれば、人間が知りうるのは、物が現象する仕方だけであり、物それ自体がどのようなものかは知りえない。彼の観念論は、超越論的観念論とよばれる。

IV ヘーゲル

19世紀ドイツの哲学者ヘーゲルは、物自体は認識できないとするカントの見解を批判して、絶対的観念論を展開する。絶対的観念論は、すべての物の実体は精神であり、すべては精神によって絶対的に認識されうると主張する。ヘーゲルはまた、人間精神の最高の成果といえる文化、科学、宗教、国家などが、自由で反省的な知性の弁証法的な活動を通じて生みだされてゆく過程を再構成してみせた。

カントにはじまり、フィヒテ、シェリングをへてヘーゲルにいたる観念論は総称してドイツ観念論とよばれる。また、こうした観念論思想の流れは、19世紀イギリスのブラッドリー、19世紀アメリカのパースやロイス、20世紀イタリアのクローチェなどにもみいだされる。

→ 西洋哲学


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弥縫策としての心理学(その04) [哲学・心理学]

奥行き知覚
奥行知覚

おくゆきちかく
depth perception

  

観察者から刺激対象までの距離について知覚すること。三次元的な立体の前面からその背後までの距離の知覚も含まれる。人間の場合視覚を主とするが,条件により聴覚や身体感覚も大きな役割を果す。視覚では,(1) 眼球の調節作用,(2) 輻輳,(3) 両眼視差などのほか,(4) 物の相対的大きさ関係,重なり具合,遠近法的収斂,色合いの濃淡 (遠方の物ほどぼんやり青みがかる) ,運動視差 (観察者の動きにつれ距離の違う物体相互が異なった動きをして見える) ,肌理 (きめ) の勾配,などが重要な手掛りとなる。聴覚では一般に強度差の手掛りが重要とされているが必ずしも明らかではない。なお視覚障害者では,対象からの反響音を利用し障害物の存在とその距離の知覚が行われ,これを顔面視覚と呼ぶことがある。





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奥行き知覚
I プロローグ

奥行き知覚 おくゆきちかく Depth Perception われわれの知覚空間は、むこうへとひろがる奥行き、つまり3次元性をもっている。網膜は2次元的であるのに、なぜわれわれは3次元的な空間を知覚することができるのかという問題は、古くから知覚のなぞとして問いつづけられてきたし、どの画家にとっても奥行きという次元をどのように表現するかは、つねにむずかしい重要な問題であった。知覚心理学(→ 認知心理学)では、われわれは物の奥行き(立体感)や物の遠近をみわけるのにどのような手掛かりをもちいているかと問い、その手掛かりとなるものを明らかにしようとしてきた。→ 視覚

II 毛様筋の働き

まず第1は水晶体の調節である。目はピントのあった像を網膜にむすぶために、その毛様筋の働きによって水晶体の厚みを変化させる。この毛様筋の反応が中枢につたえられ、それがなんらかの奥行き情報として利用されている可能性がある。ただし、これが独立の働きなのか、次にのべる両眼輻輳(ふくそう:対象物に左右の視覚を集中させること)や両眼視差と協同した働きなのかはまだ不明なところがある。また、効果をもつとしても数メートルの近距離にかぎられるようである。

III 両眼輻輳

第2は両眼輻輳(Binocular Convergence)で、これは人間の両眼の間隔がおよそ6cmあることによるものである。遠方をみるとき両眼の視線はほぼ平行になるが、近いところにある物をみるときには両眼がそれぞれ内側に回転する。それぞれの目の視線と対象物とでつくる角度を輻輳角といい、この角度の変化が奥行きの手掛かりとしてはたらく可能性がある。ただしこの場合も、距離が20mをこえると両眼輻輳の手掛かりは効果をもたないといわれている(輻輳角が小さくなりすぎるため)。

IV 両眼視差

第3は両眼視差(Binocular Parallax)である。両眼は左右はなれているので、奥行きのある物体をみるときに、左右それぞれの目の網膜像はわずかなずれをしめす。これを視差という。これが頭の中で一つに融合するときに立体感(奥行き感)をもたらすのだという考えは、かなり昔からあった。この考えにもとづいてつくられたのがステレオスコープ(実体鏡)である。これは視差に応じて水平方向に少しずれた平面図形をこの実体鏡の左右の房にいれ、これを左房は左目で、右房は右目でみるようにすると、視野の中央に像がうきあがって立体的にみえるというものである。

この効果は実体鏡をもちいなくともつくりだすことができる。たとえば両目の位置に2台のカメラをおいてある人物の写真をとり、これを左目の位置のカメラの写真には青色をかけ、右目の位置のカメラの写真には赤色をかけて二重写しにやきつけ、それを左目が青、右目が赤のセロハンのはいった眼鏡でみると、その人物は背景からうきあがってみえる。これはとびだす写真としてかなり前から知られ、かつてはこの原理にもとづいたとびだす映画もつくられた。また、ほかの要因に影響されずに両眼視差だけによる立体視の効果をとりだそうとしてつくられたのが、最近話題のランダムドット・ステレオグラムである。このように、両眼視差は物の立体感の知覚にかなり重要な役割をはたしているが、奥行き知覚そのものにどれだけの寄与をしているかについてはまだ不明な点が多い。

V 運動視差

第4は運動視差である。視差は両眼視差ばかりでなく、目の位置が移動することによっても生じる。車窓から外をみるとき、遠くの山はほとんどうごかないのに、近くの建物や電柱はさっととおりすぎていく。このような運動による視差も奥行き知覚の手掛かりとなる。ほかにも、手前の物体によって奥にある物体がかくされるような事物の重なり合い、手前の物はくっきりとみえるのに対して遠くの物は少しぼやけてみえるという明瞭度の変化、まっすぐむこうにのびていく電車のレールをその中間にたってみると、それが1点に収れんしていくようにみえ、そこにいちじるしい奥行き感を感じるパースペクティブ性(これは透視画法として絵画に利用されてきた)など、多様な要因が奥行き知覚にははたらいている。→ 遠近法

VI きめの勾配

しかしながらギブソンは、運動視差やパースペクティブ性とむすびついた「きめの勾配(こうばい)」を奥行き知覚の重要な要因として強調する。ギブソンによれば、われわれは地表面にはりついて生きている動物ではなく、地表面の上にある高さをもって立つ動物である。それゆえ、ここからむこうへと奥行きをもってひろがっている地表面は、手前があらく、遠くにいくほど細かくなる「きめ」をもって知覚される。ギブソンはこれを「きめの勾配」とよび、これが奥行きの手掛かり情報としてわれわれの奥行き知覚をもたらしているのだと考える。しかも、地表面に立つわれわれはつねに動きまわっているから、その運動視差の中で「きめの勾配」もめまぐるしく変化し、そこにパースペクティブ性も重なってはたらいているにちがいない。

ギブソンのこの考えは、飛行機が滑走路に着陸するときに、操縦席の人間(あるいはそのテレビ・モニター)には100m単位の距離標識がきめの勾配をもってみえ、運動視差によってそれの手前に近づいてくる速さがちがい、しかも滑走路全体がパースペクティブ性をもってとらえられる事実に端的にしめされる。

両眼視差や両眼輻輳の要因は両眼視の条件でのみはたらくものであり、われわれの奥行き知覚は単眼でもじゅうぶんに得られるので、ギブソンのいうきめの勾配や重なりなどの手掛かり情報が奥行き知覚においてはより本質的な要因かもしれない。

→ アフォーダンス理論


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アフォーダンス
アフォーダンス

アフォーダンス
affordance

  

これまでの間接的認識論では,環境からきた物理的な刺激を感受し,意味のあるイメージに仕上げると考えたが,環境はそれぞれ特定の性格を与えられた場所として存在している。つまり環境が動物の行為を直接引き出そうと提供 (アフォード) している機能をさす。言い換えると,ある物のもっている「食べられる」という属性は,主体の食欲とは無関係に存在するということ。知覚心理学者 J.ギブソンが提唱した造語。情報は環境 (状況) のなかに実在しており,人間はその情報を識別することで,それらのもつ意味や価値を見出すことができるというもの。





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アフォーダンス
affordance

アフォーダンスは,アメリカの心理学者ジェームズ・ギブソン James J. Gibson(1904-79)が英語の動詞アフォード(afford=与える,できる)をもとにつくった心理学の用語である。アフォーダンスは物に備わる性質である,と同時に,物と動物との関係の仕方,つまり物に触れる動物の行動によってはじめてあらわれてくる性質でもある。つまりアフォーダンスとは環境の性質であり,かつ動物行動の性質でもある。アフォーダンスは環境と動物が一体な存在であることをあらわしている。
 私たちは〈細長く,形を変えやすい物〉を〈ひも〉とよんでいる。ひも状の物は多様に使われている。どの家にもカーテンや新聞紙や花を束ねるためのひもがある。靴を足に強く密着させたり,ズボンや着物が胴体から,帽子が頭から落ちないようにするためにひもを用いる。電灯をつけるために,ブラインドを上げ下げしたり開閉するために,あるいは首や手の周りを装飾するために,そして動物を捕獲し,逃げないようにするためにもひもを用いてきた。私たちは,ひもを用いて多種の物を多様な仕方で〈束ねたり,結んだり,縛ったり〉している。そのために曲げたり,ねじったり,巻き付けたりできる性質がひもにはある。それがひものアフォーダンスである。
[周囲にある情報] ギブソンは知覚を環境のアフォーダンスを知ることであると考えた。私たちはどのようにしてアフォーダンスを知るのだろうか。身体の一部との力を介した接触によって物の性質を知る例で考えよう。まず,カップ,皿,本,傘,鉛筆などいろいろな形の固い物を誰かに用意してもらい,眼を閉じ,ぶ厚い手袋をはめ接触感も希薄にして,物の一端を片手の親指と人差指でつまみ持ってみる。物を少し振ると,手にした物が何かについての印象が得られる。鉛筆の長さ,本の幅,カップや皿の大きさや形,傘の開き具合などがわかる。また物が手に対してどの方向を向いているのか,たとえば鉛筆が,つまんでいる2本の指がまっすぐ伸びた方向にあるのか,水平の方向にあるのかというようなこともわかる。さらに物のどこを持っているのか,鉛筆の端や本の角なのか,傘の先端のどちら側か真ん中かもわかる。物の一部をつかんで振り,物の性質を知るこのような手の動きをギブソンはダイナミック・タッチとよんだ。
 振るだけで,なぜ鉛筆の長さのような性質を知ることができるのだろう。振る力の強さ,速度,周期を変えても,振る方向を上下や左右へと変えても得られる長さの印象は同じである。したがって振ることで刻々と変化しているようなこれらの値は,長さを知ることには関係していないことがわかる。鉛筆のような固い物には,回転によってあらわれ,かつ振り方をどのように変えても一定であり続ける性質がある。それは慣性モーメント(回転への抵抗値)である。棒の長さは回転の仕方にかかわらずこの一定の値をもとにして知られている。形のような複雑な性質も,振ったときに,多軸の回転慣性からできる慣性楕円体とよばれる値をもとにわかることが明らかにされている。
 動物はつねに取り囲む環境の一部にしか触れることができない。そのような状態で周囲の性質を知ろうと動物の身体は動く(振る)。周囲にあることについて知るためには,動物は変化(動き)の中でも不変であり続ける物の性質を探しあてなければならない。物に変化を加えることであらわれてくる不変なこと,それをギブソンは不変項とよんだ。不変項はアフォーダンスを知るための情報になる。棒の場合,慣性モーメントは,棒が〈どこまで届く〉かというアフォーダンスを特定する情報の一つとなる。
 音でも同じである。たとえば岩盤がひずみで破裂する(地震),トラックが接近してくる,人の足音が遠ざかる,コップに水が注がれるなど,環境で生ずる大小の事物の衝突は大気を揺すり,その振動が大気に伝わり,私たちの身体(とくに鼓膜)も揺する。振動波にはその源で何と何が,どこで,どのように衝突したのかを特定する情報が含まれている。動物は振動に何度も触れることで,そこに種々のアフォーダンス(拡大してくる音に自分に向かってくる車との〈衝突までの残り時間〉を聴く,コップに入る水の音に〈あふれ際〉を聴くなど)を発見できるようになる。
 私たちを取り囲む大気は,重力,熱,光,振動(音),揮発性の物質で満たされている。それら多種のエネルギー流動の中に,アフォーダンスを特定する情報が存在するとギブソンは考えた。アフォーダンス理論は私たちが意味とよぶことを知るための情報が環境にあるとする。この主張はエコロジカル・リアリズム(生態実在論)ともよばれる。
[生態光学] 行動のために視覚は重要である。では物や音のように直接接触したり,身体を振動させたりすることのできない光は,どのようにして環境のアフォーダンスを知るための情報となるのか。この疑問に答えるユニークな光の理論をエコロジカル・オプティックス(生態光学)とよぶ。
 ギブソンは,環境は媒質と物質と表面から記述できるとした。媒質とは,大気と水(海,川,湖など)からなる環境の部分である。光,振動,化学的放散が伝わり,動物が移動できる。物質は光や匂いを伝えず,動物はその中を移動できない。媒質と物質との境を表面とよぶ。表面は,媒質同士(たとえば海底や湖面)と,物質と媒質との境界面にできる。動物は媒質で活動するので,動物は表面によって取り囲まれていることになる。ギブソンは,動物の視覚にとって重要なのは,動物を取り囲んでいる表面のレイアウトの状態をあらわしている光だと考えた。
 光は光源から生じる。これは放射光とよばれる。放射光は,媒質中を進み,表面にぶつかり跳ね返り,向かいあう表面にぶつかる。自然の表面には小さな凹凸があるのでそこで光は散乱する。光は表面の間を何度も往復し,かつ散乱することで,どこの媒質でも,そこを均質に満たす状態をつくりあげる。この媒質を満たしている光は照明とよばれる。
 照明されている媒質中の一つの位置は,あらゆる方向から来る光線が交差している。そこをあらゆる方向からの光が取り囲んでいる。この媒質中の各点を包囲する光を包囲光とよぶ。図1に示したように,媒質中のある位置での包囲光は,そこを取り囲む表面の配置を,一セットの立体角としてあらわしている。つまり媒質中の各点の包囲光は他の点にはないユニークな一組の立体角の構造を持つ。
 図1にはこの点に観察者がいて動いている。観察者が動くとそこを包囲する立体角に変化が起こる。たとえば観察者を包囲する多数の立体角の一つは窓枠から生じているが,観察者の動きにともない,包囲光中の窓枠の立体角は多様な四角へと変化する。形は変化するが立体角は同じ窓枠から生じているので,変化する一群の四角形の,四つの辺や四つの角には一定の関係がある。その一定不変な関係は立体角が多様に変化することではじめてあらわれる。これが視覚の不変項である。視覚を持つ動物は包囲光を構成する立体角の変化から,周囲の環境の表面のレイアウトについての情報を得る。
 図2は多数の表面からなる物(多面体)が壁のような表面を背景としてくるくる回りながら移動していることを示している。このように見えるための情報は何だろう。環境のどの表面もキメ(小さな表面構造)を持つ。回る多面体の回転の先頭では,縁が背景のキメを次第に覆う。一方,後ろの縁では背景の表面のキメが次第にあらわれる。この多面体の表面の両端でのキメの変化が〈物がある方向に動いている〉ことを特定する情報となる。多面体の一つの表面は,多面体が回ると他の表面によって次第に隠される。隠れ方は二つの表面がどのように配置関係にあるのかで異なる。したがって表面間の隠れ方・隠し方の全体が多面体がどのような姿をしているのか(〈表面全体がどのように構成されているか〉)を特定する情報となる。このように物の運動や姿を特定する情報は,光の遮戴関係にあり,移動そのものや,形態そのものでもない。視覚が利用しているのはこのような私たちが自覚できない光の事実であるとギブソンは考えた。
 ギブソン以前のヨハネス・ケプラーに由来する視覚理論は,放射光が瞳孔を通過し,レンズで屈折し,網膜上に像をつくり,それが視覚の基礎となるとしていた。点光源に発し,小さな,湾曲した網膜表面に結ぶ像は,対象について十分な情報を伝えないし,瞬時に消え去るので視覚の不確実な基礎でしかない。したがって伝統的視覚理論はこの像に意味を与える解釈の仕組みや,瞬時の像を保持しておく記憶の仕組みなどが必要であると考えた。多くの理論はそれらの機構が脳にあるとした。ギブソンの生態光学は,脳のような動物の内部にあって意味をつくりあげる間接的機構なしで視覚を説明する点に特徴がある。したがって生態光学では多様に進化した眼の仕組み(昆虫の凸状の複眼や脊椎動物やイカの凹状の像を結ぶ眼など)や神経系の異なりを越えて,視覚を持つすべての動物が同質の光の事実を知覚のために利用していると考える。
 包囲光や包囲音や手や足が接触する物には,長い時間をかけなければ得られない情報がある。それはある瞬間の固定した観察点からは知覚されない。情報は,知覚するために動く身体(ギブソンをそれを知覚システムとよんだ)によって,直接的にピックアップ(直接知覚説)される。
[制御・学習・発達] 動くために知覚しなければならないと同時にまた,知覚するために動かなければならないとギブソンは述べたが,身体の知覚システムの動きには一つの特徴がある。
 たとえば棒が〈どこまで届くか〉を知るための棒の一端を持つ手の振れ方は独特である。それは壁を支えるための〈強さ〉,棒高跳びにつかえる〈しなり具合〉を棒に探るための動きとは異なる。棒にはたくさんのアフォーダンスがあり,それぞれ独特な動きで探られる。この多様な身体の動きをつくりだしているのは,アフォーダンスを特定する情報である。棒,ひも,紙,綿などに手が触れると,物によって,物に何を知ろうとしているのかによって手はまったく異なる動きをする。綿がないときには綿に触れるように手は動けない。棒が〈どこまで届くか〉を知るための手の動きは,振ったときにあらわれる棒の慣性モーメントに〈制御〉されている。身体の動きを制御するのは物(環境)の不変な性質(情報)なのである。このことは,環境にあることを探ることと,知覚することとが循環して進む一体の過程であることを示している。この過程は知覚行為循環とよばれる。
もちろん身体は情報をすぐに探り当てられない。身体の動きを動機づけ開始させるのはアフォーダンスであるが,環境と身体との関係は,長い知覚行為循環の過程をへてつくりあげられる。アフォーダンスに持続して出会うことで動きが洗練される。環境の中にアフォーダンスは多様で膨大にあり,動物行動の多様性を可能にしている。同時に,アフォーダンスは動物行動のあらわれを強く制約しており,多様性から新しい動きが生ずること(進化)も保証している。アフォーダンスは,行動の特徴である,多様性を基礎として,予測できない環境の変化に対応する性質(柔軟性とよばれる)を動物にもたらしている。⇒知覚  佐々木 正人

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アフォーダンス理論
I プロローグ

アフォーダンス理論 アフォーダンスりろん Affordance Theory ギブソンの主張した知覚理論。アフォーダンスは彼の造語であり、この理論の中心概念である。

今、つかれはててどこかでやすみたいと思っている人の目の前に、高さが30cmくらいの太い木の切り株があるとしよう。その人にはその木の切り株が「ここにきて、すわれ」とさそっているかのように見え、それにすわるだろう。ギブソンは、外界の事物がわれわれにあたえてくれる(アフォードする)行為のいろいろな可能性の予見情報を、われわれは直接に知覚するのだと主張する。そのときの事物があたえてくれる行為可能性の予見情報がアフォーダンスである。上の例ではすわれそうな特性であり、家族ででかけたピクニックのときには弁当をひろげるテーブルの特性、重い荷物をはこんでいるときには物置台の特性かもしれない。

従来の認知主義的な知覚理論では、まず物理的な素材の知覚(感覚モザイク)があり、それにもとづいて内的表象が形成され、それに主体の既得の知識から「木の切り株」という意味があたえられ、さらにそれを主体の側が「すわれそうだ」と意味づけなおし、その結果それにすわるという行為が生じるのだと説明されてきた。ギブソンの理論は、コンピューター科学にとっては当然とも思えるこのような情報処理的な表象主義と真っ向から対立する。そこにこの理論が今日注目される理由のひとつがある。

II 主体と外界の不可分性

このアフォーダンスの考え方にはいくつかの特徴がある。まず、外界ないし環境という概念そのものが、行為する主体と切りはなされて自存するというふうには考えられていない点である。環境は生活体にある行為の可能性をアフォードするが、生活体はそれを受動的にうけとるのではなく、自らの現在ただいまの行為がそのアフォーダンスをひきだしてもいる。このように、環境も生活体もともに能動的にかかわりあう中で、アフォーダンスが行為をうながし、行為がアフォーダンスをひきだすという円環関係がそこに生みだされている。

たしかに、ギブソンによればアフォーダンスは生活体の頭の中でくみたてられるものではなく、環境の中にあるものである。しかし、環境の中にあるとはいっても、生活体の行為可能性と別個にあるわけではない。

先の木の切り株の例でいえば、キツネにとってはそこで日なたぼっこをしたり、そこにたって周囲をみわたしたりする行為をさそうアフォーダンスをあたえるかもしれないが、それを食事の台にするようにさそうアフォーダンスは、家族連れの人間にはあたえられても、キツネにはあたえられないだろう。したがってアフォーダンスは、生活体と対になってはじめて存在する環境が、それぞれの生活体にあたえるためにそなえている情報であるといえる。

III 行為がひきだすアフォーダンス

次に、環境の中にあるアフォーダンスは主体の行為によってたちあらわれてくるという点である。主体がじっと静観しているだけでは、アフォーダンスも機能しない。このとき主体の行為は、あるアフォーダンスにみちびかれつつ、別のアフォーダンスを探索してもいる。アフォーダンスが行為をよび、その行為が別のアフォーダンスをよぶ。このように、行為とアフォーダンスは円環関係をなしている。たとえば、ラグビーの競技中に、ディフェンスの「穴」がそこに切りこむ行為をさそい、そこに切れこむ行為が、パスする相手にアフォーダンスをあたえる。このラグビー選手の一連の行為は、状況に支配されながら、状況をつくりだしていく過程なのである。

こうして、ある事物を「みる」という働きは、その事物がどのようなアフォーダンスを主体にあたえるかということと、主体がそれにどのようにはたらきかけるかということとがセットになったものと考えられなければならない。したがってまた、事物の意味というものも、自らの今の行為との関連でそれを何物かとして見立て、行為することによってまたそれを見立てなおすという、往還運動のさなかにあるのだといえる。

IV ゲシュタルト心理学の影響

ギブソンのアフォーダンス理論は、彼がわかいころにゲシュタルト心理学の影響をうけたことを反映している。環境を生活体と切りはなせないとみたり、知覚を行為と切りはなせないとみたりする考えは、J.J.フォン・ユクスキュルのいう生活体に固有の「環境世界」という考え方や、知覚世界と行動世界の「機能環」という考え方と重なる。また、アフォーダンスという概念にしても、ユクスキュルがすでに「椅子(いす)はすわるトーンをもっている」とのべていることとある点で重なる。あるいは、ウェルナーのいう「行動物」とのつながりを指摘することもできるだろう。ただし、ギブソンの説は生態学的実在論といわれるように、アフォーダンスがあくまでも環境の「中に」あるとの立場を堅持するところに特徴がある。

それにしても、せまい空間をいそいで通りぬけなければならないとき、われわれは瞬間的に体をよじり、そこをさっとすりぬけるが、このとき、どれぐらい体をよじればよいかをおしえるのは、目測による幅の計測とすり抜けの経験知をあたえる「頭」なのか、それとも体をふくめた環境の「アフォーダンス」なのか。このアフォーダンス理論の中心テーマは、今日の人工知能研究や、マン・マシン・インターフェース(人間と機械との相互情報伝達)の問題にとりくんでいる多くの認知科学者の注目をあつめ、また行為やスキルの研究をめざす心理学者の注目をあつめて、意欲的な研究を生みだしている。

→ 認知心理学


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心像
心像

しんぞう
image

  

(1) 一般的には,外界の刺激対象なしに,つまり感覚器官に刺激作用が与えられることなしに再現された感覚的体験ないしは映像のこと。この意味では表象とほぼ同義。種々の感覚様相に応じて視覚心像,聴覚心像,触覚心像がある。一般に,現前した刺激対象に基づいて生じる知覚体験より具体性に欠けて不鮮明かつ不安定であるが,幻覚の場合のように知覚像と区別しえないこともある。 (2) より抽象的には,思考作用の過程で再現された,ないしはその過程を支持している具体的意識内容を意味し,象徴機能の一つの側面を示す。観念とほぼ同義。 (3) 事物,事象に対して人のもつ包括的な概念,判断,嗜好,態度などの印象の全体をさす。この場合特にイメージという用語が多く用いられる。

イメージ

イメージ
image

  

ラテン語の imago (似像) に由来する。心像の意。 (1) 普通は観念を知的表象としてイメージから分つが,観念の源泉を感覚に求めた D.ヒューム,Th.ホッブズら経験論者は両者を同一視する。その場合でもイメージを形成するのは経験であって,外界からの直接的刺激によって形成されるとするエピクロスのエイドラとは区別される。イメージは広義においては知覚心像を含み,普通は想像や想起によって形成される心像をいう。イメージを観念と同一視する経験論では,それは意味のにない手とされるが,G.バークリーはイメージは必ず個別的であって普遍観念のイメージは形成しえないことを主張した。 J. P.サルトルはさらにイメージの存在自体が意味作用や対象指示作用に依存していることを指摘し,この点で画像との類似を認めるが,イメージではある建物の柱の数を数えられないように,それは物ではなく,意識の作用である点,画像と区別されるとした。 (2) イメージは物に対してのみならず,人間とその集団に対しても成立する。マス・メディアを中心とする通信技術の驚異的な発展は,膨大なメッセージを地球上にあふれさせ,現代人は何一つ体験することなしにあらゆる事象に対してイメージを形成しうるため,擬似イベントが事実を凌駕するという「幻影 (イメージ) の時代」に住むといわれる。国際政治の場では,豊富なメッセージは無知のカーテンを破って,より正確な対外イメージの形成を可能にするというプラスの側面と同時に,イデオロギーと結びついたイメージが硬直化し,国家間の相互理解を一層困難なものにするというマイナスの傾向も存在する。イメージの定着化という目標のためには,メッセージは可能なかぎり単純化され,シンボルという形に凝縮される。国際間の心理戦争におけるデマゴギー,企業宣伝のための商標,大衆運動におけるスローガンなどはその典型的な例であるといえる。


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概念
概念

がいねん
conceptus; Begriff; concept

  

一般にAの概念といえばAについての経験的事実内容ではなく,Aに関する論理的,言語的意味内容をさす。概念思惟の発生は古くギリシア,中国,インドの哲学にみられ,ことにギリシアのソクラテスの帰納法は普遍的概念規定導出の試みとみることができる。これを受継いだプラトンやアリストテレスの普遍的価値や普遍的本質としてのイデアやエイドス (→形相 ) 探究についても同様である。経験論における概念は,感覚的個別的表象の共通内容を反省的に抽象した結果として得られる。この抽象された内容はいわば事物の本質的特徴であるが,論理学では概念の内包と呼ばれ,それの適用される存在者の範囲を概念の外延という。概念は通常言語表象であり,この言語的表現を名辞という。複数の概念間の関係から判断が成立し,複数の判断の関係として推理が成立する。概念の成立に関して,理性論はこれを理性または悟性の概念に基づく認識 (概念認識) のみを真の認識とする。カントの概念は直観の多様な必然的総合的統一としての純粋悟性概念 (範疇) と呼ばれ,悟性が先天的に所有する思惟形式である。ヘーゲルの概念は,いわゆる形式論理学とは逆に,有から絶対的理念へと具体化することによって普遍性を得る。デューイは概念を生活経験の発展に伴いつつ変化し,これを推進する道具であるとする (概念道具説) 。概念の実在性は古くから論議の的となり,中世の普遍論争はその著しい例で,アベラールの概念論はこれを調停する学説とされる。概念および命題の意味を論理的に明晰なものとすることを哲学の課題とする,現代の論理実証主義も,唯名論に傾きつつも,経験的所与のみを実在とする立場からは去っている。なお立場によっては概念,観念,理念,表象が相互に区別されない場合もあるが,基本的には観念はイデー (理念) として概念と意義を異にし,表象は抽象的対象を表わす概念に対して具体的直観的対象を表わす。





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概念
がいねん

概念に相当する現代西欧語(英語,フランス語concept,ドイツ語 Begriff)の語源が〈包括する〉〈把握する〉等を意味することからも明らかなように,概念とは,個々の対象,いわゆる個物(個体)よりも複数の個物を包括的,概括的に捕捉する,人間,広くは生物体の対象把握の一根本的形式とその成果をいう。観念,思念,想念等も同類語と考えられ,また,たとえば〈犬〉という概念が単数,複数の犬の心象,イメージを想い起こさせることなどもあって,概念は心象,イメージも合わせて意味し,あるいはそれらと同一視されることがまれでない。しかし,他方,概念は本来,より論理的な対象で心理的なイメージ等から区別されるべきだとする考え方も有力であり,それには十分の理由がある。たとえば,心象としてはつねにその色や形とともにあって分離されない1本の鉛筆の〈長さ〉の概念や,トマト,郵便ポスト,消防自動車等の複数の対象から抽出され,それらに共通する〈赤さ〉の概念などは,それ自体としては心に描けぬ対象と考えられ,むしろ,抽象の所産として非心理的,論理的対象とみられる。
 論理学の理論からみて,概念は判断(命題)の構成要素で,言語的には名辞で表現される。現代標準論理は命題の内部を〈個体〉と〈関係〉にわけ,集合論はそれを〈元〉または〈要素〉と〈集合〉に分割するが,個体や元は前述の個物を指し,個体記号(定項と変項,日常語では固有名詞や指示詞)で表現される。もちろん,個体もある意味では極度に抽象的な対象であり,〈個体概念〉ともみなされ,また,一つの個体を元とした単元集合が考えられるから,個体と概念との間にもある種の連続性がある。しかし,本来の概念は現代の論理からは関係や集合とみなされ,言語としては,述語(記号)や集合記号として表現される。関係については〈……は……より大きい〉〈……は……と……との間にある〉のように2項,3項等,一般に多項関係に加えて,〈人間〉〈犬〉〈桜〉のように単項関係としての〈属性〉あるいは複数の事物の〈共通性質〉が考えられる。属性を特殊例として含む〈関係〉は伝統的に概念の二つの側面として区別されてきたものの一つ,いわゆる〈内包〉に相当し,もう一つの側面である〈外延〉は集合に当たるといえる。アリストテレスに由来する,現代以前の伝統的形式論理学では概念に対してさまざまな分類が行われてきた。たとえば,〈生物〉〈動物〉〈犬〉等のように概括度,包括度の高低による上位概念と下位概念(類概念と種概念)の区別,肯定概念と否定概念の区別等がそれである。これらのうちには下位集合,補集合等の用語で新たに規定し直されるものもあるが,分類の意義や根拠の明確でないもの,錯誤を招く恐れのあるものもある。たとえば,肯定や否定(したがって,真や偽)という用語は本来命題や判断にのみ適用可能であり,概念それ自体について肯定,否定(真,偽)を語り得ず,それらが構成要素として命題中に位置づけられた場合以外に概念に上記の言葉を用いることは拡大された意味においてのみ可能である。
 概念が前述のように目で見,手で触れることのできない非心理的で非経験的な対象であることから,経験的な個物,個体に対してその存在論的性格をどのように考えるかについては古来さまざまに論じられ,とくに中世では普遍論争という大論争をひき起こした。そして,普遍概念に対しては,まず,普遍が個物と同様に,むしろ個物に先立って存在すると考える実念論の立場が挙げられる。実念論のうちには普遍概念が経験的個物を超越して存在するイデアであると考えるプラトン的方向と,それを自然の中や間に実在する生物学的な種や類とみなすアリストテレス的傾向が類別される。これに対して,抽象概念とは人間の心の対象としてのみ存在する概念にすぎないとみる概念論の立場や,さらに,実在するのは個物だけで抽象的普遍とは単なる名前であると考える唯名論があり,三つの見地が鼎立(ていりつ)する。一般に,中世正統派や理性論的傾向の哲学は実念論的であり,イギリス古典経験論を一例とする経験主義の哲学では概念論,とくに唯名論的性格が顕著である。概念の形成に関しても,唯名論的立場は心が複数の個物を比較し,それらの間の類似に着目して概念を後から抽出し形成するという考えに往々赴くのに対して,理性論的方向は概念が個物に還元されない独自の形式とみる傾向が強い。関係や集合が論理や集合論での基本概念であることは,概念的な対象の把握とその成果が非還元的な基本的範疇であることを裏書きする。また発生的にも,人間は幼児期から普遍的な言葉の適用範囲の修正を通じて概念を習得するとみるのが妥当であろう。さらに,概念に対しては,その超越的不変性と永遠性を強調する観念論的方向と,概念の妥当性は現実の説明にそれが果たす有効性にあり,無効となった概念は他の概念により取りかえられるべきだとするプラグマティズムの概念道具説(道具主義)の傾向が考えられる。⇒カテゴリー∥表象                   杖下 隆英

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イデア
形相
イデア

イデア
idea; Idee; ide

  

語源的にはギリシア語の「見る,知る」という意味の動詞 eidの変化形 ideinによる。ギリシア語の日常的用法では「見えているもの,姿,形」の意。ピタゴラス学派では,感性的な図形と区別された図形の本質そのものを意味した。プラトンの対話篇では,ソクラテスの定義運動で確認された,物それ自体としての存在,すなわち,もろもろの感覚的存在を超越し,ただ思惟によってのみ把握されうる自己同一的な存在としての真実在をイデアと呼んだ。これはエイドスとともにプラトン哲学の中心概念の一つである。このように,いわば客観的実在として考えられていたイデアは,中世以後次第に精神内容,意識内容として解されるようになった。現代語のイデー,アイディアは理想,理念,観念などと訳され,プラトン的イデアとはほとんど無縁になっている。





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形相と質料
形相と質料
I プロローグ

形相と質料 けいそうとしつりょう Eidos and Hyle 古代ギリシャの哲学者アリストテレスの用語。形相eidos(エイドス)とは、もとの言葉の意味では目でみることのできる形のことであり、質料hyle(ヒュレ)の原義は材料のことである。

II 「椅子」と木材

一般に、物が「何からできているか」にこたえるのが質料、その物が「なんであるか」にこたえるのが形相と考えてよい。たとえば木の椅子(いす)については、その質料は木材で、形相が「椅子」である。石の椅子の場合は、質料は石だが、形相は同じく「椅子」である。材料はことなるが形が同じだからである。また、質料が同じでも形相がことなる場合もある。たとえば同じく石でできていても、椅子と石像と墓では形相がことなる。

このように形相と質料の結びつきは多種多様で偶然的であるが、アリストテレスによると、存在するすべての物にはかならず形相と質料がそなわっていなければならない。この考えには、プラトンのイデア説に対する批判がふくまれている。

III プラトンのイデア説

プラトンは、われわれが感覚する個々の事物には永遠不滅の原型(イデア)が存在すると考えた。たとえば50個の馬のクッキーの形がみな同じなのは同じ1つの型でぬいてつくられているからであるが、ちょうどそれと同じように、すべての自然の馬も「馬」という1つのイデアにあわせてつくられている。したがって、個物の種類があるだけイデアの種類もあり、それらのイデアが感覚世界のかなたにあつまってイデア界を形成しているとプラトンは考えた。

こうしてプラトンは、われわれがみたり聞いたりする自然の世界のかなたに、超自然的なイデアの世界、形而上学的な世界を想定した。

IV イデア界の否定

けれどもアリストテレスによれば、このイデア説は、本来切りはなすことができない形相と質料を切りはなして考えた結果でてきたものである。つまり形相が質料とむすびつかなくても存在できるとするところに、プラトンの間違いがある。

アリストテレスによれば、椅子の形相とはあくまでも個々の椅子の中にあって、その椅子を椅子たらしめているものである。つまり個物としてのこの椅子は、椅子であるという本性を(イデア界にではなく)自分自身の中にもっているのである。

こうしてアリストテレスは、プラトンのイデア説の趣旨を生かしながら、同時に、現実の世界の外にあるイデア界のようなものを否定しようとした。

けれどもここにやっかいな問題がでてくる。たとえばこの椅子ができあがるまでの間、「椅子」という形相はどこにあったのか。さしあたりは大工の頭の中にあったのだが、彼がはじめてそんなアイデアを考えついたわけではない。すると大工が考える前は「椅子」はどこにあったのか。純粋な姿でイデア界にあったといったのでは、またプラトンに逆戻りする。

V 可能態と現実態

そこでアリストテレスは、形相が質料の中にあらかじめ可能性というかたちで存在していたと考えた。つまりアリストテレスは運動変化を説明するために、形相と質料という対概念にくわえて、可能態(デュナミス)と現実態(エネルゲイア)または完成態(エンテレケイア)という対概念を導入した。

こうした発想方法のモデルは、生命体の成長だった。たとえばカシ(樫)の種子は、まだカシの木ではないがやがてカシの木になるのだから、カシの木の可能態だとみなすことができる。つまり生命体は自分がこれからなるであろう形相の可能性を自分(質料)の中にすでに宿していると考えられる。芽がでてそだってカシの大木になったとき、この種子は現実にカシの木になった、つまりカシの木の現実態になったといえるのである。

これと同じ発想でアリストテレスは、いわゆる物理的運動や人為的制作をも説明しようとした。椅子をつくる場合でも、材木という質料はやがて外からなんらかの力をうけとって、現実の椅子を実現する可能性をすでにもっていると彼は考える。椅子という形相は、もともと(完成態にいたる以前は)質料としての材木の中に可能性としてあった。材木は自分自身のうちに素質としてあるこの形相を目的にして(むろん大工の手をかりて)成長変化するのだとアリストテレスは考えた。

この場合、材木は椅子の可能態である(もちろん材木は船や机にも変身できるので、船や机の可能態でもある)。そして大工によってつくられた現実の椅子が、この材木の現実態だということになる。このように考えれば、個物の世界のほかに純粋な形相からなるイデア界を想定しなくてもよくなるのである。

VI 目的論的世界観

こうしてアリストテレスの形相と質料という対概念は、イデア説の不自然さを克服することに成功したのだが、そのかわりに、あらゆるものを目的論的に考える世界観を準備することになった。アリストテレスの目的論的な世界観は中世を通じて支配的であったが、やがて近代科学の機械論的な世界観と対立することになる。

→ 西洋哲学


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図像学
図像学
ずぞうがく iconography∥iconology

図像を記述,解釈する学。図像解釈学ともいう。iconography と iconology の語源は,ギリシア語の eikヾn(肖像)+graphein(描く),logos(言葉,理法)である。古代には,著名人の肖像の記述,同定を意味した。西洋近世には象徴・寓意像(アレゴリー)の集成がこの名で呼ばれた(C. リーパ《イコノロジア》1593)。近世における,カタコンベ壁画など初期キリスト教美術の発見を機として,キリスト教図像の収集・解釈の努力が始まり,やがて反宗教改革期にはイエズス会修道士らもこれに加わった。啓蒙主義の時代には一時退潮したが,ロマン主義の台頭とともに復興し,キリスト教図像の編纂,研究は現代に至るまで,西欧の図像学研究の主流を成してきた。他方,古代神話・寓意等キリスト教以外の図像についても近世以来一貫して研究が行われてきた。
 現代の図像学の発端は,一般に A. ワールブルクが1912年に発表した15世紀イタリアの月暦画についての研究報告に認められている。ハンブルクに起こり,後にロンドンに移った彼の学派(ワールブルク研究所)から,優れた研究者が多数出たが(ゴンブリッチ,ザクスル F. Saxl など),第2次大戦後の学界に決定的影響を与えたのはパノフスキーである。彼はカッシーラーの象徴形式の哲学に多大の影響を受け,普遍的な図像解釈の方法を提案,実践した(《イコノロジー研究》1939)。パノフスキーによれば図像の解釈は,(1)日常的レベルにおける対象の認識,記述(preiconographical description。例,デューラーの作品の中に,日常的常識に基づいて〈蛇のまつわる樹木を挟んで立つ裸の男女〉を見る),(2)特定の歴史的,文化的条件の下で成立した図像の意味の分析,解釈(iconographical analysis。例,同上の図像を西欧キリスト教世界において成立したものと限定し,旧約聖書の《創世記》のテキストに基づいて〈アダムとイブ〉であることを証する),(3)図像の本質的意味に対する総合的直観の適用と,それによる文化の普遍的原理の把握(iconological interpretation。例,デューラーがこれを制作した当時の文化の諸特徴に基づき,デューラーの精神の基底を成す世界観を直観し,この作品を文化の普遍的原理の象徴と見る)の3段階を経て行われるとした。第2次大戦後,図像学の学的地位は急速に高まり,それまでの様式史 Stilgeschichte に代わって現代美術史学の主流を成すかのような観を呈し,またその適用範囲は美術史学のみならず,歴史,社会,心理学等,人文科学の広い分野に及んでいる。とくに近年は文化記号論の体系化が進むにつれて,図像学をその一部門とみなす傾向が現れてきた(G. C. アルガン,U. エーコなど)。
 他方,1960年代後半以降とくにパノフスキーによる図像解釈の3段階に多くの批判が加えられるようになった(ディットマン,ペヒト,マニングズなど)。これら美術史学者による批判のおもな点をあげるなら,(1)第1段階において純粋形象の感性的把握とそれの対象的認識が区別されているのは事実に合わない。それらを区別するのは抽象的操作である。(2)対象的認識と並んで第1段階に属するとされる対象の表現的価値の認識は,すでに特定の文化的状況によって条件づけられており,むしろ第2段階に属すべきである。(3)第2段階において得られるモティーフの意味を,もっぱら外在的テキストによって基礎づけるのは正しくない。(4)第3段階において提案されている文化一般の基底にある(諸)原理は,いわば〈アルキメデスのてこ〉であり,かつそれを適用することにより,作品の個性的価値は文化一般の中に解消されてしまう,等々である。またパノフスキーに同調する研究者の間からも(ゴンブリッチ,1972),解釈の可能性は限りなく多様であり,その内から何をもって〈真の意味〉とするかについて反省がおこった。
 しかし,もっとも先鋭的な批判もまた記号論の立場から行われていることに注意しなければならない。ハンゼンミュラー(1978)は,パノフスキーの3段階的解釈の方法を安易に記号論的とみなす傾向に警告している。その主たる点は次のとおりである。(1)パノフスキーの第1段階については,彼が日常生活のレベルにおける対象を,描かれたモティーフと簡単に同一視したことを批判し,前者が日常的記号として,約束的,統辞的な例を形成するのに対し,後者は特定かつ恣意的なものとの間にむしろ範列的対応を成していることを指摘する。(2)第2段階について,パノフスキーが図像の中のイメージを,その解釈の基底を成すテキストに個々ばらばらに対応させていることを指摘し,むしろ,多くのイメージ間の統辞的関係を見いだすことによってテキストとの本来的な関係が得られることを示唆している。伝統的美術史学においては,作品を構成する統辞的関係は,もっぱら無意味な形式の問題として意味内容と切り離されてきたので,パノフスキーもその域を十分脱していないとする。(3)第1,第2段階がなんらかの科学的方法による実証的な成果の獲得をめざすのに対し,第3段階は〈総合的直観〉により,むしろイデア的な〈(諸)原理〉の獲得をめざしている。これは方法よりも,むしろ解釈者の能力に依存しており,恣意的解釈に陥ることを免れない。また,パノフスキーの図像解釈は,実のところ(とくに第2段階において)共時的関係を主として問題としていながら,第3段階において通時的関係を究極の目的としている。かつ,すべての段階について,様式,類型,文化的徴候の歴史を修正原理として解釈に先行させている。このため,パノフスキーの解釈学は一種の方法的循環に陥っていると指摘する。⇒キリスト教美術∥図像∥仏教図像   嶋 成史

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図像学
I プロローグ

図像学 ずぞうがく Iconography:Iconology 図像解釈学ともいう。図像を記述し、解釈する学問。

II イコノグラフィーとイコノロジー

イコノグラフィー(Iconography)、イコノロジー(Iconology)の両者ともギリシャ語eikon(肖像)から派生した語で、古代、ギリシャ語でeikonographiaといえば、肖像がだれの像であるかを判定して、その目録を記述する肖像学を意味していた。近世における図像学は、チェザーレ・リーパ(1560頃~1623頃)が出版した「イコノロギア」(1593)と題する寓意図像辞典がしめすとおり、図像全般の集成、記述をさすようになる。

さらに16世紀以降、カタコンベ壁画や石棺浮彫など初期キリスト教美術の発見にともなって、とくにキリスト教図像の編纂や読解への要求が高まり、それに応じて、キリスト教図像があらわす主題の出典やその主題の取り上げ方の変遷などを、歴史的に系統だてて分類、記述する専門研究が発展した。それが19世紀に「イコノグラフィー」として方法化され、美術史の補助学としての地位を獲得した。キリスト教美術のイコノグラフィーは図像研究の主流をなし、その代表的な例としては、中世美術に関するマール(1862~1954)の研究などがあげられる。

20世紀に入ると、キリスト教美術のイコノグラフィーの伝統を、神話や寓意、さらには世俗的主題をあらわす図像に対しても適用可能な、より全般的な方法として発展させる試みがなされはじめた。イコノグラフィーは、たんに図像を編纂、分類するだけでなく、図像どうしの相互作用や、時代の思想、哲学、政治などとの関連をも考慮にいれて、いっそう積極的、総合的に図像のもつ意味を解釈しなければならなくなった。

こうした図像解釈を、15世紀イタリアの月暦(げつれき)画についての1912年の研究において、アビ・ワールブルク(1866~1929)は「深い意味におけるイコノグラフィー」と定義して、19世紀の「イコノグラフィー」から区別し、「イコノロジー」と名づけた。彼の学派からは、エドガー・ウィント(1900~71)やフリッツ・ザクスル(1890~1948)などのすぐれた研究者がでたが、イコノロジーをその語源から説きおこし、美術史における補助学にすぎなかったイコノグラフィーとは一線を画して、美術史学の一分野をになう学としてイコノロジーを方法的に確立したのは、エルウィン・パノフスキーである。

III パノフスキーの図像解釈

もともと、イコノグラフィーの語源はギリシャ語のeikon(肖像) +graphein(書く)であり、図像の記述、統計に関する学であるのに対して、イコノロジーは、eikon(肖像)にlogos(理性、言葉、論理)が付されているのであるから、図像に関して解釈的な作業をほどこす学といえる。この解釈作業は3段階をへて深まると、パノフスキーはいう。前イコノグラフィー的記述→イコノグラフィー的分析→イコノロジー的解釈が、それである。

前イコノグラフィー的記述:ここでは、日常的なレベルの認識によって把握される対象や出来事(図像の自然的主題)が記述される。たとえば、レオナルド・ダ・ビンチの「最後の晩餐」で、テーブルにならんで食事をする13人の男をみている段階。

イコノグラフィー的分析:ここでは、特定の歴史的・文化的条件のもとで成立する図像の意味(慣習的主題)が分析される。これは伝統的なイコノグラフィーの方法の領分であり、たとえば、上述レオナルドの13人の図像を、キリスト教世界で成立するものとみなし、聖書にもとづいてそれが「最後の晩餐」を意味していることを把握する段階。

イコノロジー的解釈:ここでは、図像が象徴的に啓示する、芸術家の深層心理や時代の根本的な精神態度(つまり作品の本質的意味、内容)が解釈される。たとえば、「最後の晩餐」を、レオナルドの個性の、またイタリアの盛期ルネサンスの、また特殊な宗教的態度の記録と考え、その基底をなす世界観を理解するにいたる段階。

イコノロジーの究極的な目的とは、この第3の段階で、本質的意味、内容としての作品の象徴的価値を発見し、またその象徴を解釈することにほかならない。そのためには、第1、第2の段階での作業を総合する直観の能力が必要とされる。またそれぞれの段階の解釈行為が、恣意的な誤謬(ごびゅう)におちいることのないよう、歴史学にもとづいた原理にしたがってたえず修正され、コントロールされねばならない。つまりイコノロジーには、総合的直観というべき能力とともに、歴史資料についての綿密な文献学的研究も不可欠となるのである。

パノフスキーは、「造形芸術の記述と内容解釈の問題」(1932)および「イコノロジー研究」(1939)で、イコノロジーを普遍的な方法論として図式的に基礎づけた。イコノロジー的解釈は、作品の形式を重視するそれまでの様式史にかわって、第2次世界大戦後、作品の意味内容に焦点をあて、文化史や精神史と緊密にむすびついた新しい美術史学の潮流をきずくことになる。

IV イコノロジーへの批判

しかしイコノロジーが方法論として隆盛する一方で、1960年代からパノフスキーに対して批判の目もむけられるようになった。まずハンス・ゼードルマイヤー(1896~1984)が、イコノロジーの方法は普遍的、図式的に合理化されているから、「それぞれの作品に特有の方法論」たるための具体的な性格が欠けていると指摘した。だが、さらに重要な批判は、芸術作品の自律性を強調するL.ディットマン(1928~)、M.イムダール(1925~88)、O.ベッチュマン(1943~)といったドイツ語圏の美術史学者が提出したものであろう。それは、イコノロジーの主知主義的な性格への批判である。

作品の意味内容を重視するイコノロジーでは、作品の源泉としてその時代の文化や精神が措定され、そうした文化や精神の本質が、文献上の知識によって概念的に探求される。確かにイコノロジーは歴史的な規則や個人的な動機によって作品に表明されているものは何かという問いに答えることができる。しかし、その方法では、作品そのものが自己自身をとおして、また自己自身で、新たに何を生みだせるのかという問題は、けっして明らかにされえない。作品は、文化や精神活動に対して常に後続的で2次的な価値しかもちえず、解釈されおわったその瞬間、文化一般の中に回収されてしまう。作品に固有の直観的な統一性や直接的な明証性、すなわち作品以外の媒体ではけっしてイメージされえないものが、イコノロジーの解釈ではうしなわれてしまうのである。

ベッチュマンは「美術史的解釈学概説」(1984)で、美術史学における解釈の対象はパノフスキーのいうような作品の概念的な「意味、内容」ではなく、むしろ作品そのもの、つまり形象そのものであるべきことを論理的に説明し、美術史学を特殊専門分野の解釈学と規定している。

パノフスキーと同門のエルンスト・H.J.ゴンブリッチ(1909~2001)は、「芸術の真の意味」について反省し、「象徴的イメージ」(1972)において、イコノロジーには方法からして限界のあることを明らかにした。芸術作品の意味は、芸術家の深層心理や時代の世界観から一元的に解明できるものではなく、そこにはパトロンの意図をはじめとする社会的な制約が重層的にからみついている。こうした重層構造を証明して制作の意図を正確に規定するのはひじょうに困難で、うしなわれた証拠をさがしもとめる作業に似ている。「芸術の真の意味」を解釈することにはおのずから限界があり、イコノロジーをはじめとするあらゆる解釈は主観的な傾向におちいる危険をまぬかれないと、ゴンブリッチはいうのである。

さらに、社会学の見方からイコノロジーの限界を示唆するのは、フランスの社会学者P.ブルデュー(1930~2002)である。彼は「芸術の理解について社会学をたてるための理論要素」(1968)をへて、「芸術の規則」(1992)でイコノロジーを批判的に継承する理論を展開した。イコノロジーでは、芸術などすべての文化現象を規定する世界観は、その時代全体に共通する統一的な傾向であると考えられている。慣習によって形成されるこの傾向が、それぞれの社会集団の行動を規制する。したがって、この統一ある傾向を理解すれば、ある時代のもろもろの文化現象の間に確固として類似をみぬくことができ、その類似にもとづいて文化理解や作品解釈が恣意におぼれることを制御し矯正できるはずである。

ところが、社会学的にみれば近代の社会集団は、それが存立する「場」に応じてことなる構造を形成している。それぞれの社会集団がしめす傾向は、同一の時代においてさえことなっている。すなわち、社会集団の行動を規制している傾向性は、その集団の構造の相違に応じて、あるいは個人がになう環境や教育の相違に応じて、それぞれにことなる仕方で形成されると考えられよう。各集団は、ある芸術作品の解釈においても、当然それぞれことなった解読コードをもちあわせているといわざるをえない。さまざまな文化現象の間に類似をみとめることはできないのである。とすれば、イコノロジーのうちに恣意的な作品解釈や文化理解を制御する機能をもとめることは、そもそも不可能だとブルデューは批判した。

V イコノロジーの可能性

多くの課題をかかえつつもなお、人文主義においてイコノロジーがもちうる意義は否定できない。パノフスキー自身がのべるとおり、ほかの歴史資料と同様に芸術作品もまた放置されているかぎりは、いわば文化の「凍結した記録」として静止したままである。だがイコノロジーは、作品をふたたび生命力にあふれ意味にみちた象徴的存在としてよみがえらせ、そこに人類の深く豊穣な文化世界を開示することができる。

イコノロジーは、美術史が人文科学の一環として新生する道を示唆しているといえるだろう。そこで芸術作品は、文化をあらわす意義深い記号として機能する。こうした記号論的な機能に着目して、たとえばウンベルト・エーコのように、イコノロジーは文化に関する記号論システムであると評価する、新しい見方も提示されている。


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イコノグラフィー
イコノグラフィー

イコノグラフィー
iconography

  

図像学 (→仏教図像学 ) 。美術作品は一般に形式と内容の2面から成り立つと解されるが,特に図像の内容を記述,規定する学をいう。さらにそこに内在する本質的意味を形式との相関において解釈する学をイコノロジーという。イコノグラフィーはギリシア語のエイコン (像) とグラフェイン (描写する) から成る。古代では肖像画家 (エイコノグラフォス) なる名辞も用いられ (アリストテレスの『詩学』) ,ルネサンスでは古代の著名な人物の肖像に関する学 (Z.ウルジヌス,1569) とされた。他方ボッカチオの『神統記』以来古代の神々の像を記述し体系化する試みが行われる。 16世紀以後はカタコンベなどキリスト教古代美術の発掘,研究が盛んになり,19世紀には主としてこれらの記述,意味の規定をさすようになった (ディドロンの『キリスト教図像学提要』〈1847〉など) 。現代では E.パノフスキーによって提案された図像解釈の3段階の第2段階として定義される。ここでは特定の文化伝統の理解のうえに立って初めて把握される形像の意味内容の記述と体系化がいわれている。





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イコノロジー
イコノロジー

イコノロジー
iconology

  

図像解釈学と訳される。イコノグラフィーと同じくエイコン (像) とロゴス (言葉) の合成語 (プラトンの『パイドロス』) に発し,ルネサンスには古代以来の神像や寓意像などの象徴的意味を解釈,体系化する試みに進んだ (C.リパの『イコノロギア』,1593) 。この語は E.パノフスキーにより復活させられた。イコノグラフィーの内容が作品の形式と対立するのに対し,より本質的了解は,形式に対する直観的認識と相まって,作品の根底をなす世界観の把握,解釈に進むとされる。そこには E.カッシーラーの唱えた「象徴形式の哲学」が大きく影響し,今日の美術史学の重要な一側面をなすとともに,さらに現在では形象一般の意味論 (セミオロジー) にと発展させられつつある。図像のみならず,建築の形態と機能からその意味を問う建築図像学 (R.クラウトハイマー) も行われている。日本,東洋についても図像学 (→仏教図像学 ) のような伝統が古来からある。





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仏教図像学
仏教図像学

ぶっきょうずぞうがく
Buddhist iconography

  

仏教美術においてインドの古代初期には,釈尊は人間の形をもって表現されず,象徴 (宝座,聖樹など) によってその存在が示された。しかし仏教が西洋古典から導かれたヒューマニズムと結びついて仏像が成立して以来,仏教図像の大きな進展をみた。仏教はもともと神話世界をもち合せず,仏伝が次第に形成されたにすぎないが,大乗仏教の菩薩思想の高まりとともに仏教の有神論的性格が強まり,多仏,多菩薩が出現するに及んで,仏教図像は多彩な展開をとげた。さらに密教においては図像に解脱のための必須の役割をさえ付与したため,仏,菩薩,天,明王などの仏像の図様を伝承,書写した。日本では平安時代後期からこのような図像の整理,研究,収集が盛んになり,多くの図像集 (→図像抄 ) が編纂された。近代的な仏教図像学は,個々の説話図,変相図,密教図像などを経典との照合において同定することから始り,大きな成果をあげている。しかしさらに図像の歴史的意味を解釈しようとする図像解釈学 (イコノロジー iconology) については,その多くを今後の課題として残している。





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E.パノフスキー
パノフスキー

パノフスキー
Panofsky,Erwin

[生] 1892.3.30. ハノーバー
[没] 1968.3.14. プリンストン

  

ドイツ生れのアメリカの美術史学者。 1921年ハンブルク大学講師,26年同大学教授,31年ニューヨーク大学客員教授,33年ナチスに追われてアメリカに亡命,35~62年プリンストン大学高等研究所教授。最初は様式の研究から出発したが,のちイコノグラフィー (図像学) iconographyに対してイコノロジー (図像解釈学) iconologyを提唱し,その方法論を確立。主著『イコノロジー研究』 Studies in Iconology (1939) ,『視覚芸術の意味』 Meaning in the Visual Arts (55) 。





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経験論
経験論

けいけんろん
empiricism

  

知識の源泉を経験,ことに感覚的経験に求める哲学的立場で,知識の源泉を理性に求める理性論,合理論と対立する。古代ではソフィストたち,ストア学派,エピクロス学派などがこの傾向に属し,プラトン,アリストテレスの理性的立場と対立し,中世ではオッカム,R.ベーコンなどにこの傾向が部分的にみられたが,いわゆるヨーロッパ大陸の理性論と対立して経験論の立場が明確に主張されたのは,17世紀末から 18世紀にかけての J.ロック,G.バークリー,D.ヒュームなどのイギリス経験論においてである。ロックはデカルトの生得観念を否定していわゆるタブラ・ラサ (白紙) 説を主張し,バークリーは抽象観念を否定して「存在は知覚すること」であると主張し,ヒュームは抽象観念を批判して観念の起源を感覚印象に求めた。また J.S.ミルにもこの傾向が認められる。このイギリス経験論はヨーロッパ大陸の唯物論,実証主義と結びつくにいたり,フランスではボルテール,D.ディドロ,J.ダランベールなどの啓蒙主義,ドイツでは R.アベナリウス,E.マッハなどの実証主義に影響を与え,さらに現代では 19世紀のいわゆる思弁的哲学に対する批判との関連において再評価され,論理実証主義,プラグマティズム,分析哲学に影響を与えている。





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経験論
けいけんろん empiricism

人間の知識,認識の起源を経験とみなす哲学上の立場。合理論ないし理性主義に対立するが,この対立の代表は17~18世紀の西洋の大陸合理論対イギリス経験論である。W. ジェームズはこの対立を,諸原理によって進む硬い心の人と諸事実によって進む軟らかい心の人との気質の対立として説明した。経験論という邦訳語は《哲学字彙》(1881)以来定着している。人間は生存のために行為するが,生存に役立つ事物は効果がなければならず,この効果はまず感覚に訴えて験(ため)される。一般に験し・試みを経ること,積むことが経験(experience(英語),Empirie(ドイツ語),Erfahrung(ドイツ語))である。西洋古代以来,験し・試み(ペイラ peira(ギリシア語))の中にあること(エンペイリア empeiria(ギリシア語)),験し・試みに基づいていること(エクスペリエンティア experientia(ラテン語))が,技術知(テクネー techn^(ギリシア語))や理論知(エピステーメー epist^m^(ギリシア語))の地盤とされている。この場合,経験は経験知としてすでに知識の一端に組みこまれている。それは試行錯誤を介して人間の獲得した知の一種である。この試行錯誤でも感覚に訴えることが基であり,ここから経験を感覚ないし感性の対象界に限定する感覚論,感性的現象界に制限する現象論,感覚ないし感性によって事物の措定(そてい)や定立を確証する実証主義が経験論の主流として成立する。19世紀末以来のプラグマティズム,20世紀前半以来の論理実証主義は現代の経験論に数えてよい。前者の代表者の一人 W. ジェームズは直接に経験されるものおよびその関係を純粋経験とし,純粋経験はその外部の別の経験との関連であるいは物的存在あるいは心的存在と呼ばれると見,感性的経験論を根本的経験論へと徹底させ,初期の西田幾多郎に影響を与えた。論理実証主義は従来の知覚ないし感性による実証では位置があいまいとなる形式科学を分析的な知として認め,経験の範囲を広めはしたが,哲学や倫理学を位置づけうる経験の範囲には至りえず,物理学を模範とする科学的経験の分析にとどまった。経験論は科学的経験をも含む人間的な経験の理論,歴史的・社会的経験の理論への展開が必要である。⇒イギリス経験論
                        茅野 良男

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経験主義
経験主義 けいけんしゅぎ Empiricism すべての知識の起源を経験において、生来の観念の存在を否定する説。おもに17~19世紀のイギリスで主流であった思想をさす。

はじめて経験主義を体系化したのはロックである。しかしロックの独創的な見解のいくつかは、すでにイギリスの哲学者ベーコンにあらわれていた。ロックの思想は、イギリスのバークリー、ヒュームによって展開され、イギリス経験論が形成される。さらに、ロックの著作はコンディヤックやディドロのようなフランスの啓蒙思想家にも影響をあたえた。

経験主義に対立する哲学思想は合理主義である。合理主義者たちは、理性、つまり経験とは別に本来人間にそなわっている能力によって、現実が知られると考える。合理主義は、フランスの哲学者デカルト、オランダの哲学者スピノザ、17~18世紀のドイツの哲学者ライプニッツとウォルフといった思想家によって主張された。ドイツの哲学者カントは、経験主義と合理主義を和解させようとした。彼は、知識を経験の領域に制限することで経験主義をみとめている。しかし、心には感覚印象をうけいれる能力が生まれつきそなわっていると主張した点で、合理主義に同意している。

近年になって経験主義という言葉はもっとひろい意味でつかわれるようになった。現在では経験をあつかうすべての哲学体系が経験主義とよばれている。アメリカではジェームズが自身の哲学を「根本的経験論」とよび、デューイは自分の経験に対する考え方を「直接経験主義」とよんでいる。

→ 西洋哲学


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内包
内包

ないほう
Inhalt; intention

  

論理学用語。外延に対する。概念はすべて外界の対象の共通な一般的徴表を反映しているが,その対象の共通性のうちに含まれる諸徴表の総体を概念の内包という。それに対し,その共通性をもつ対象の範囲は外延と呼ばれる。ある概念の内包がふえると外延は減少する。





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内包
ないほう internal capsule

大脳新皮質と皮質下構造物とを結ぶ投射性伝導路の大脳半球における通路を指す。内臥ともいう。大脳半球は表層に大脳皮質,その深部に大脳髄質と大脳基底核をもつ。大脳基底核は尾状核,レンズ核(被殻と淡蒼球),扁桃体,前障に区別され,このうちレンズ核は完全に大脳髄質に包まれる。レンズ核を外側から包む髄質を外包,内側から包むのを内包と呼ぶ。皮質視床路,視床皮質路,皮質橋核路,錐体路などの投射性伝導路はすべてこの内包を通る。このうち皮質橋核路と錐体路は内包から大脳脚として中脳腹側面に出る。レンズ核は底面を島皮質に向け,頂点を内側に向けた円錐体で,内包はその円錐斜面を包んだ漏斗の形状をもつ。大脳半球は側面から見ると,島皮質を中心にして前頭葉,頭頂葉,後頭葉,側頭葉の順に弓形に連なっている。したがって,前頭葉の投射性伝導路は内包の前方から上方,頭頂葉のそれは上方から後方,後頭葉のそれは後方,側頭葉のそれは下方を占める。⇒脳
                         金光 里

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外延
外延

がいえん
extensio; extension

  

論理学的概念としては,(1) 認識がそれに適用さるべき対象の集合。その場合,概念の外延と命題の外延とがあり,前者の場合はその概念を満足する個体の集合をいうが,伝統的論理学では概念に対してのみ外延を定義した。しかしフレーゲに始る新しい意味論においては命題の外延を考え,その際,命題の真理値がその外延となる。 (2) 論理的操作において考えられた対象ないし個別の集合,つまり命題における賓辞 (ひんじ) の外延は,その命題の外延の全体の一部にすぎない。 (3) ある命題が,単数 (集合的な場合も含めて) 命題か,複数命題かでもつ特徴。もしその命題が複数,ないし集合的な命題であれば,その命題は多かれ少なかれ,一般的な命題であると考えられる。





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判断
判断

はんだん
judgment

  

論理学で,ある概念と概念との間,また概念は実在を表象するとの意味で,実在と実在との間に一定の関係があることを肯定または否定する知性の行為もしくはその能力またはその結果をいう。判断を言語で表明したものを命題という。判断は一般に「SはPである」という形で表わされるが,Sを主語,Pを述語という。判断がSの概念の外延全体に及んでいるか (全称) ,あるいは一部にのみ (特称) かを判断の「量」,SとPの関係が肯定的であるか,否定的であるかを「質」という。またPの概念がすでにSの概念に含まれている場合を分析判断,そうでない場合を総合判断という。SとPの関係の断定が経験によらない場合を先天 (験) 的判断,経験に基づく場合を後天的判断という。 (→形式論理学 )





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判断
はんだん judgement

一般的にいえば判断とは〈何事かに関して真(または偽)と判ずるところの人間の心的作用〉を意味する。一方,命題 proposition は論理学において通常〈その真偽に関して論じうる文(たとえば感嘆文や命令文は命題でない)〉と規定されており,したがって,命題は判断の言語表現であるといえる。ここでは論理学の用語としての〈判断〉について述べるが,論理学の対象として見るかぎりでは,判断と命題はとくに区別する必要はない。
(1)伝統的論理学においては,判断(命題)とは〈二つの概念の結合または分離(の叙述)〉である。すなわち,S,P を概念(名辞)とするとき,もっとも基本的な判断(命題)は下記のものであるが,(1)においては S に P が結合されており,(2)においてはS から P が分離されている。
 (1) S is P   S は P である
 (2) S is not P S は P でない
したがって判断(命題)は概念(名辞)と推理(推論)とのいわば中間に位置する。なぜなら,概念(名辞の対象)と概念(名辞の対象)の関係の把握(叙述)が判断(命題)であり,かつ,判断(命題)と判断(命題)の関係の把握(叙述)が推理(推論)であるといえるからである。さて(1)では S に対して P が肯定されているといわれ,(2)では S に対して P が否定されているといわれる。そして(1)の型の命題(判断)は肯定命題(肯定判断),(2)は否定命題(否定判断)と呼ばれる。(1)において S は主語subject,P は述語 predicate と呼ばれ,〈is(である)〉は二つの名辞(概念)をつなぐものとして昔(けい)辞またはコプラ copula と呼ばれている。さて,まず主語 S が個体のとき,(1),(2)は単称命題といわれる。例えば〈ソクラテスは人間である〉は単称命題である。次に,主語 S が〈人間〉〈動物〉など事物の集り(集合)である場合,その範囲を明確にするため〈すべての〉〈或る〉などの限定詞が Sに付加されることになる。したがって,これらの限定詞と肯定・否定の組合せから,次の4種類の命題の型が得られる。
 (3) すべての S は P である ……(A 命題)
 (4) 或る S は P である ……(I 命題)
 (5) いかなる S も P でない ……(E 命題)
 (6) 或る S は P でない ……(O 命題)
(3)と(5)は全称命題,(4)と(6)は特称命題と呼ばれる。したがって(3)は全称肯定命題と呼ばれるが,これは A 命題と略称されている。同様に(4)は特称肯定命題=I 命題,(5)は全称否定命題=E 命題,(6)は特称否定命題=O 命題と呼ばれている。略称の A と I はラテン語の KFFMRMO(肯定する)から,E と O は NLGN(否定する)から由来する。以上,単称命題と A,I,E,O の命題は,定言命題と総称されているが,伝統的論理学ではそのほかに次の命題の型が取り上げられている。p,q を任意の命題とするとき,(a)〈p ならば q〉という命題は仮言命題と呼ばれ,(b)〈p または q〉は選言命題と呼ばれる。そしてこの両者(a)(b)は条件命題と総称されている。⇒三段論法
(2)現代論理学では次の命題の型がもっとも基本的とされている(下記において,a,b,c と a1,a2,……,an は個体を,R1,R2,……,Rn は個体の集合または個体間のなんらかの関係を表すものとする)。
 (1) ソクラテス(a)は人間(R1)である
 (1ア) a は R1に属する
 (2) 太郎(a)は花子(b)を愛する(R2)
 (2ア) a と b は R2という関係にある
 (3) 一郎(a)の両親(R3)は太郎(b)と花子(c)である
 (3ア) a,b,c は R3という関係にある
 (4) a1,……,an は Rn という関係にある
              (n≧1)
(1)は(1ア)の一例であり,同様に(2)は(2ア)の,(3)は(3ア)の一例である。したがって上のすべては(4)の例であると考えられる。(4)の Rn は n 項述語(または n 項関係)と呼ばれる。さて(4)の型の命題は単純命題と呼ばれるが,われわれはいくつかの単純命題をもとに〈……でない〉〈……または――〉〈……かつ――〉〈……ならば――〉〈すべての個体 x について……〉〈或る個体 x について……〉などの語句(これらは論理語と呼ばれる)を用いて,別の命題を合成することができる。合成によって生み出された命題は複合命題と呼ばれる。例えば次の(5)(6)は複合命題であり,おのおの(5ア)(6ア)の一例である。
 (5) 或る男性(R1)は花子(a)を愛する(R2)
 (5ア) 或る個体 x について(x は R1に属し,かつ,x と a は R2の関係にある)
 (6) すべての人間(R1)は動物(R1ア)である
 (6ア) すべての個体 x について(x が R1に属するならば,x は R1ア に属する)
以上から明らかなように,現代論理学での命題の定式化は伝統的論理学の命題形式をすべて含むことになる。例えば,上の(6ア)は伝統的論理学での A 命題に相当する。           岡部 満

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形式論理学
形式論理学

けいしきろんりがく
formal logic

  

判断や推理の抽象的構造 (形式,法則) を内容と切離して研究する学。認識論的論理学に対する。形式論理学を論理学と同一視するのは今日では誤り。いわゆる伝統的形式論理学は,真理発見のための方法論的反省としてのアリストテレス論理学がストアにおいて文法学,修辞学と結びついてまったく形骸化し,中世スコラ学がこれを神学の補強の具とするうちに精緻な体系を得たもので,言語論理学とも呼ばれる。アリストテレスの推理論の三段論法を中心とし,内容がどうあれ前提の2判断が成立すれば結論も成立するという関係をいうのみ。学的体系は概念論,判断論,推理論から成る。概念論は名辞,周延,範疇など,判断論は諸判断 (全称肯定A,全称否定E,特称肯定I,特称否定O) とその対当関係 (大小,矛盾,反対,小反対) を,推理論は三段論法を扱う。また根本原理 (思考の法則) として次の4つをあげる。同一原理「AはAである」,矛盾原理「Aは非Aでない」,排中原理「AはBであるか非Bであるかのいずれかである」,充足理由の原理「すべてのものはその十分な理由をもつ」。なお記号論理学は,伝統的形式論理学を数学との連関において記号化し,さらに発展させたものである。





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W.of. オッカム

オッカム

オッカム
Ockham,William; William of Occam

[生] 1280頃.オッカム?
[没] 1349. ミュンヘン

  

イギリスの神学者。フランシスコ会士。言葉や概念は事物の客観的形象を与えず,普遍とはただ考えられた記号としてのみ妥当し,実在するものは個別的存在のみであるとする唯名論を述べ,神は伝統的な証明の領域をこえ,神学は厳密には学的妥当性を有しないが,信仰において承認される事実であるとした。教皇によって召喚され,バイエルンヘ逃亡 (1328) 。霊的世界の権威と世俗権力の対立状況からルートウィヒ4世に庇護される。 1328年破門。教皇至上主義を批判し,ルターの先駆者とみなされる。ルートウィヒの死後,教会との和解を試みるうちに死去。





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オッカム 1285ころ‐1349
William of Ockham(Occam)

神学者,論理学者。イギリス,ロンドン近郊のサリーで生まれ,フランシスコ修道会に入って後オックスフォード大学で神学を学び,神学教授の資格を取得したが,彼の学説を異端視する大学当局者の妨害のため現実に就任することができなかった。異端の嫌疑にこたえるため1324年アビニョンの教皇庁に召喚されたオッカムは,滞在3年目に当時フランシスコ会を二分していた〈清貧〉論争にまきこまれ,以後彼の生活は激変する。清貧を厳格な意味にとるべきことを主張して,教皇ヨハネス22世の決定に反抗したフランシスコ会総長チェゼナのミカエルの指示によって清貧問題を研究したオッカムは,教皇の誤りを確信するにいたり,ひそかに総長に従ってアビニョンを逃れ,反教皇の立場をあきらかにして帝位についていたバイエルンのルートウィヒ4世の庇護を求める。伝えられるところでは,皇帝と初めて対面したオッカムは〈皇帝陛下,陛下が剣で私を守って下さるなら,私はペンで陛下をお守りします〉とのべたとされるが,以後20年間のオッカムの論争活動はこの言葉に集約されている。オッカムは第一かつ根本的に神学者であり,彼の思想のいわゆる経験論,唯名論および主意主義などの側面は,神の絶対的な超越性を確立し,神以外のすべての実在の根元的な偶然性を示そうとする試みに対応するものである。他方,彼が信仰と理性の分極化に拍車をかけ,この二者の統合の上に築かれていたスコラ学の崩壊を早めたことは否定できない。〈必要なしに実在を多数化してはならぬ〉という形で知られる〈思考節約の原理〉,いわゆる〈オッカムの剃刀(かみそり)〉は,ほんらい観察された事実,論理的自明性,神的啓示など〈十分な根拠〉なしにはいかなる命題も主張してはならないことを規定している。オッカムの天才が最大に発揮されたのは論理学の分野においてであり,彼は中世における最大の論理学者の一人に数えられる。   稲垣 良典

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オッカム,W. of
オッカム William of Ockham 1285頃~1349頃 イギリスのスコラ学者(→ スコラ学)。不敗の学識者doctor invincibilis、祝福された学位取得者venerabilis inceptorとよばれる。唯名論をとなえた代表的人物で、トマス主義(→ トマス・アクィナス)やスコトゥス学派(→ ドゥンス・スコトゥス)の敵対者。

ロンドン近郊のサリーに生まれた。フランシスコ会に属し、1309~19年オックスフォード大学にまなんで教授資格をえる。異端思想(→ 異端)の疑いから、著作の正統性を検討するために4年間(1324~28)フランスの教皇領アビニョンにとどまるように命じられる。福音的清貧に関してヨハネス22世がくだした教皇令に対立したフランシスコ会総長に同意して、28年にともにアビニョンからミュンヘンへのがれ、ここで、政治問題への教皇の干渉をこばんでいた神聖ローマ皇帝ルートウィヒ4世の保護をもとめた。破門を宣告されたオッカムは、47年にルートウィヒが急逝するまで、教皇を批判して皇帝を弁護しつづけた。そののち教皇クレメンス6世と和解をこころみるが、ミュンヘンで、おそらくペストによって死去した。

オッカムはすぐれた論理学者であった。「神は唯一であり全能な創造主である」とか、「人間の魂は不滅である」といったスコラ哲学者たちの信念は、哲学的・自然的理性によってではなく、神の啓示によってのみ証明されるということを、彼は論理学的にしめしている。必要なしに実在をふやしてはならないという原理は「オッカムのかみそり」と命名され、形式論理学にもちいられる。これは、いかなる命題も、観察された事実、論理的自明性、神的啓示などのじゅうぶんな理由なしには主張してはならないという、思考節約の原理である。


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推理
推理

すいり
reasoning; inference

  

推論。1つ,あるいは2つ以上の既知の判断 (前提) から新しい1つの判断 (結論) を導き出すことで,直接的推理と間接的推理とがある。後者の例としては,演繹的推理,帰納的推理,比論などがある。また,伝統的形式論理学で普通推論式といわれるのは,アリストテレスによって明確にされた三段論法であり,これは大前提,小前提,結論の順に推論を進めていくものである。これには定言的,仮言的,選言的三段論法があるが,アリストテレスのものは主として定言的三段論法である。





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推理
すいり inference

一般的には,いくつかの前提命題 A1,……,An(n≧1)からある一つの結論命題 B を導き出すことを推理(推論 reasoning)といい,演繹的推理(または論理的推理)と帰納的推理がその代表的な例であるといえる。しかし厳密な意味での〈推理〉としては,論理的に正しい推理をさすことが多い。
(1)伝統的論理学では A,I,E,O の四つの命題の型(判断)が存するが,前提命題が1個の推理を直接推理,前提命題が2個以上の推理を間接推理と呼ぶ。例えば〈すべての S は P である〉から〈ある S は P である〉を導出することは直接推理であり,〈すべての S1は S2である〉〈すべての S2は S3である〉〈すべての S3は S4である〉という3個の前提命題から〈すべての S1は S4である〉を導出することは間接推理である。直接推理には(a)換質,(b)換位,(c)この両者の組合せによる推理((a)(b)(c)は変形推理と総称される),および(d)対当による推理がある。一方,間接推理においては,三段論法(すなわち,前提命題が2個の推理)がその中枢となる。なぜなら,いかなる間接推理も三段論法の組合せであると考えることができるからである。
(2)現代論理学でもさまざまな推論の型が定式化されている。次はその例である。(a)A,B を任意の命題として,〈A ならば B〉と A という二つの命題から B を導出すること。(b)P を任意の述語として,〈すべての個体 x について,x は P である〉から〈P であるところのなんらかの個体 x が存在する〉を導出すること。結局のところ,論理的に正しい推理とは,以上の諸例が示すように(主語 Sや述語 P の意味内容にもとづくことなく)ただもっぱら前提命題 A1,……,An と結論命題 B との形式的な関係にのみ(いいかえれば,ただもっぱらA1,……,An,B に含まれている論理語の意味にのみ)もとづいてなされる推論である。⇒演繹∥帰納                        岡部 満

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三段論法
三段論法

さんだんろんぽう
syllogismus

  

前提となる2個の判断と結論としての判断より成る推論法で,アリストテレスにより基礎がおかれた。その前提の性格に従い,(1) 定言的判断,(2) 仮言的判断,(3) 選言的判断に区別され,次のように定式化される。 (1) いかなるqもrでない。しかるにpはq。ゆえにpはrでない。 (2) もしもpならばq,もしqならr,ゆえにもしpならばr。 (3) pあるいはqのいずれかが成り立つ。しかるにpではない。ゆえにqである。ギリシア語の syllogismosという語は,プラトンやアリストテレスではただ議論を意味する場合もあったが,後者は syllogismosをある事柄が前提されたとき,ほかの事柄がそこから必然的に導き出される推論であると定義し,多くの場合定言的判断の意に用いた。





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三段論法
さんだんろんぽう syllogism

アリストテレスによってほぼその全体が与えられ,中世を通じて洗練された論理学の体系は,現代論理学に対して伝統的論理学と呼ばれているが,三段論法はその主要部門であり〈二つの前提命題から一つの結論命題を得る推論〉と要約される。伝統的論理学においては,おもに〈すべての aは b である(Aab と略記)〉〈或る a は b である(Iab と略記)〉〈いかなる a も b でない(Eab と略記)〉〈或る a は b でない(Oab と略記)〉という4種類の命題――ここで a,b はなんらかの事物の集まり,集合を表すものとする――が取り扱われている。それらの命題のおのおのにおける a と bの関係は図1で表される。
 いま,P1,……,Pn を前提命題(n≧1)とし Q を結論命題とする推論を,〈P1,……,Pn⇒Q〉で表すものとすれば,まず下記の推論の成立は図1から明らかである。
 (1)〈Aab⇒Iab〉,〈Eab⇒Oab〉
 (2)〈Eab⇒Eba〉,〈Iab⇒Iba〉
また,例えば〈Aba,Acb⇒Aca〉や〈Eab,Icb⇒Oca〉は正しい推論であり,〈Aba,Ebc⇒Eca〉は成立しない推論である,ということは図2から明らかである。
 さて,A,I,E,O の中の任意のものを X,Y,Zで表すと(したがってわれわれは Xab によってAab,Iab,Eab,Oab の任意のどれかを表すことができる),三段論法とは下の(3)のいずれかの型に属する推論である,と定義される。

上の(a)(b)(c)(d)は順に〈第1格〉〈第2格〉〈第3格〉〈第4格〉の三段論法と呼ばれ,かつ,おのおのの格について XYZ の組は〈式〉と呼ばれている。例えば図2の三段論法は,[1]第1格 AAA 式,[2]第2格 EIO 式,[3]第3格 AEE 式となる。さて(3)において,結論命題 Zca の中の主語 c は〈小名辞(小概念)minor term〉,述語 a は〈大名辞(大概念)major term〉,推論において c と a の仲立ちをする b は〈中名辞(中概念),媒名辞(媒概念)middleterm〉と呼ばれる。また,前提命題のうち,大名辞を含む命題は〈大前提〉,小名辞を含む命題は〈小前提〉と呼ばれる。例えば,〈P1“すべての動物は生物である”,P2“すべての人間は動物である”⇒Q“すべての人間は生物である”〉という第1格AAA 式の三段論法では,〈人間〉が小名辞,〈生物〉が大名辞,〈動物〉が中名辞であり,かつ,P1が大前提,P2が小前提である。
 さて,(3)の X,Y,Z のおのおのは A,I,E,Oの4通りでありうるから,一つの格について4×4×4=64通りの式があり,かつ,格は四つであるから合計して,64×4=256個の三段論法の型が存することになる。それらのうち成立する三段論法の格式が表の24個のみであることは,図2のごとき方法を用いて容易に確かめることができる(表のうち*印の式は,その直前の式の結論命題 Zca に上述の(1)を適用したものにすぎず――例えば第1格 AAA に〈Aca⇒Ica〉を適用すると第1格 AAI が得られる――いわば直前の式に内含されており,特に取り上げる必要のない格式であるとも言える)。かっこ内のラテン語名(*印以外のすべてにつけられている)は,古くから用いられている略称である。以上の(3),表は,正確には〈定言的三段論法〉と呼ばれ,次の(4),(5),(6)とは区別されている(以下において,p,q,r は任意の命題を表すものとする)。
 (4)〈“p ならば q”,“q ならば r”⇒“p ならば r”〉という型の推論は〈純粋仮言三段論法〉,〈“p ならば q”,“p”⇒“q”〉は〈仮言三段論法〉の〈肯定式〉,〈“p ならば q”,“q でない”⇒“p でない”〉は同論法の〈否定式〉と呼ばれている。
 (5)〈“p と q のどちらか一方だけ成立する”,“qでない”⇒“p”〉は〈選言三段論法〉の〈否定肯定式〉,〈“p と q のどちらか一方だけ成立する”,“p”⇒“q でない”〉は同論法の〈肯定否定式〉と呼ばれる。
 (6)このほかに,〈仮言選言三段論法〉と呼ばれる推論の型があり,〈“p ならば r,かつ,q ならばr である”,“p と q のどちらか一方だけ成立する”⇒“r”〉はその一例である。
 現代論理学の立場から三段論法をとらえなおすとき,まず,定言的三段論法(3)を構成する各命題は述語論理の式として通常つぎのように解釈される。
 Aab⇔∀x(a(x)⊃b(x))
 Iab⇔∃x(a(x)∧b(x))
 Eab⇔∀x(a(x)⊃~b(x))
 Oab⇔∃x(a(x)∧~b(x))
この解釈によれば,例えば上述(1)の推論は a が空集合のとき,すなわち~∃x(a(x))が真のとき不成立となる。同様に a,b,c が空集合の場合を検討すると,表のうち第1格 AAI,EAO,第2格EAO,AEO,第3格 AAI,EAO,第4格 AAI,AEO,EAO が不成立であることがわかる。しかし,伝統的論理学においては〈推論は常に存在する事物に関してなされる〉という暗黙の前提(これを〈存在仮定 existential import〉と呼ぶ)が存すると解されるから,∃x(a(x)),∃x(b(x)),∃x(c(x))を推論の前提命題として付加すれば,(1)と表のすべてが成立することになる。また,(4),(5),(6)の三段論法は,現代の命題論理におけるトートロジーの一部であると解釈される。⇒判断∥論理学 岡部 満
[インド]  ニヤーヤ学派,バイシェーシカ学派は,〈他人のための推理〉(論証)に,五つの文からなる論式(五分作法)を用いる。例えば,主張〈かの山に火あり〉,理由〈煙の故に〉,実例〈およそ煙あるところには火あり。かまどのごとし〉,適用〈この山においてもしかり〉,結論〈故にしかり〉となる。ただ,実際には,これを略して,主張,理由,実例の三つだけを用いることが多い。これにたいし,ディグナーガ(陳那,6世紀)以降の仏教論理学は,前三文ないし後三文のみで十分であるとし,〈三支作法〉(ないし,主張・結論を除いた〈二支作法〉)を主張した。いわゆる〈三段論法〉とたしかに外見上は似ているが,西洋論理学が概念の外延間の関係に主眼をおくのにたいし,インドの論理学は,基体(例えば山)と属性(火,煙)との関係に着目して分析を行う点に大きな違いがあると言える。
                        宮元 啓一

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悟性
悟性

ごせい
understanding; entendement; Verstand

  

広くは理解力を,より厳密には感覚および理性 ratioに対置された知的能力をさす。プラトン,アリストテレスでは,上級な対象を直接的,直観的にとらえる知的能力ヌース nous; nosisに対して,より下級な推論を伴う間接的な認識能力ディアノイア dianoia; epistmが区別されているが,後者が悟性に相当する。カントによれば悟性はカテゴリー (→範疇 ) によって感覚素材を再構成する機能とされ,原理についての認識ではなく,推理過程の知的作用とされた。





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ディアノイア
ディアノイア

ディアノイア
dianoia

  

認識の意のギリシア語。特にプラトンではイデアに対応する直観的認識に対して,数学的なものを対象とする媒介的認識ないしは論理的認識をいう。アリストテレスでは一般的に知的活動について広く用いられる語であるが,直観的認識としてのヌースと区別されるときには論理的認識を意味する。





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範疇
範疇

はんちゅう
category

  

哲学用語としては,通常,根本的概念,最高類概念の意として用いられ,日常語としては部門の意として用いられる。ギリシア語の kategorein (述語する) に由来し,訳語の「範疇」は『書経』の洪範九疇に基づく。アリストテレスの『オルガノン』では述語の形式として実体,量,性質,関係,場所,時,位置,状態,能動,受動の 10個の範疇があげられた (→アリストテレスの 10範疇 ) 。スコラ哲学では存在,質,量,運動,関係,持前 (習性) の6つの範疇が,デカルト,ロックでは実体,状態,関係の3つの範疇があげられた。カントでは,アリストテレスの範疇は経験的に寄せ集められた不完全なものであるとされ,判断の一切の機能をあげ,判断表との対応において4綱 12目の範疇が導出され,さらにその先験的演繹がなされた。フィヒテからヘーゲルにいたるドイツ観念論の哲学では,範疇は思惟の形式であるばかりではなく,絶対者の範疇として実在の論理形式として展開された。現代では,G.ライルや L.ウィトゲンシュタインのように範疇問題を分析哲学の方向において展開する傾向や,A.ホワイトヘッドのように 47個の形而上学的範疇をあげる立場などがある。





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アナクサゴラス
アナクサゴラス

アナクサゴラス
Anaxagoras

[生] 前500頃.小アジア,クラゾメナイ
[没] 前428頃.ランプサコス

  

ギリシアの哲学者。太陽を灼熱した石であるとした学説のゆえに,友人ペリクレスの政敵により不敬罪に問われアテネを逃れる。彼は万物の生成変化を否定し,諸個物は太初混沌状態にある根源的構成要素スペルマタ spermata (種子) が,合目的的に行動する動力因 (ヌース) によって旋回運動を与えられて生じると説く。その際個物にはすべてのスペルマタが含まれているが,同質のスペルマタの数により個性が決定され,それゆえ「一切の中には一切の部分がある」といわれる。彼の著『自然について』はソクラテスの時代に広く読まれた。





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アナクサゴラス 前500ころ‐前428ころ
Anaxagoras

古代ギリシアの哲学者。クラゾメナイの人。アテナイの指導者ペリクレスの師友としても有名。彼は宇宙形成以前においては〈万物の種子(スペルマタ spermata)〉と呼ばれる無限に多数の極微の物質が渾然一体となっていたと考えた。それらの種子はまた形,色,味,香などの点で多種多様であるが,この巨大な種子の集団に〈理性(ヌースn仝s)〉が最初の一撃を与えることによって旋回運動が始まり,その運動は分裂を招き,分裂はまたあらたにさまざまの結合をもたらした。具体的な〈もの〉はこうした意味での結合体であるが,それぞれの結合体にはあらゆる種類の種子が含まれている。〈いっさい(万物)の内にはいっさいの部分(種子)がある〉。こうして,それぞれの結合体は渾沌原始の姿をとどめてはいるのだが,しかし相違はある。例えば骨や肉の相違は,骨の内には骨的種子が,肉の内には肉的種子が最も数多く含まれているからと考えたのである。    斎藤 忍随

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アナクサゴラス
アナクサゴラス Anaxagoras 前500?~前428? 古代ギリシャの哲学者。アルケー(万物のもとのもの)の哲学の内にヌース(精神、理性)の概念をはじめて導入した。彼以前の哲学者たちが、究極の実在としてひとつあるいは四大元素(地・空気・火・水)のような複数の物質をみとめ、それらがすべてを生じさせるところの起源であると考えていたが、これに対してアナクサゴラスは、すべてを生じさせるためには、物質だけではなく、それらを秩序だててつなぎあわせる力が必要だとし、それをヌースとよんだ。

クラゾメナイ(現在のトルコ)に生まれたアナクサゴラスは、のちに哲学の中心地となるアテネに居をかまえた(480年頃)最初の哲学者であった。弟子には、ギリシャの政治家ペリクレス、ギリシャの悲劇詩人エウリピデス、そしておそらくはソクラテスもいた。30年ほどアテネにいたが、太陽は熱い金属の塊であるという涜神(とくしん)的な説を説いたかどで投獄された。その後、小アジアのイオニアにうつり、ミレトスの植民都市ランプサコスにすみ、そこで死亡した。

アナクサゴラスは著書「自然について」の中でその教えを説いたといわれるが、現在ではわずかな断片しかのこっていない。彼の教えるところでは、すべての物質は本来アトムすなわち分子として存在しており、このアトムは、無限数あり無限に小さく、永遠に存在する。そして微小のアトムからなる無限のカオスに、永遠の知性であるヌースの影響と作用がくわわることによって秩序が生まれる。彼はまた、あらゆる物体はアトムの集合体で、金や鉄や銅の塊はどれも同じ素材のひじょうに小さな部分からなっていると信じた。

アナクサゴラスはギリシャ哲学史の重要な転換点となった。ヌースについての彼の教えはアリストテレスに採用され、原子についての教えはデモクリトスの原子論への道を用意した。


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ヌース
ヌース

ヌース
nous

  

「心」「精神」「理性」「知性」を意味するギリシア語。アナクサゴラスは,無秩序な質料に秩序を与えて世界を形成し,合目的的に行為する作動因としてのヌースを措定した。プラトンは,ヌース (理性) に関する教説を展開し,存在論と密接に連関を保ちつつ認識論に体系的反省を加えた。アリストテレスにおいてもヌースはわれわれのうちに存在する最高のものであると同時に,不被動の動者としての神と同一視された。なお彼はヌースを受動的理性と能動的理性に区別している。ストア派では人間のヌースは万物を貫徹し統合する宇宙論的ヌースないしはロゴスの存在を証示しているとされる。新プラトン主義においてはヌースは世界の始原としての本源的一者 (ト・プロトン) より下位におかれ,その直接の反映と考えられている。





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普遍論争
普遍論争

ふへんろんそう
controversy of universals

  

普遍者の実在をめぐる中世の哲学的,神学的論争。実在論 (実念論) ,概念論,唯名論がその主要な立場。史的には論争は 11~12世紀と 14世紀を二つの盛期とし,いずれも実在論の伝統に対して,論理学的方法に立脚する唯名論の主張として展開した。 11~12世紀の論争の代表者は唯名論でロスケリヌス,実在論でカンタベリーのアンセルムスとシャンポーのギヨームである。概念論者とされるピエール・アベラールはロスケリヌスとギヨームを師とし,両師を論駁した。種における類,個における種を実在とする後者を否定し,普遍は音声にすぎぬとする前者を批判して,個物のあり方に基づく抽象の働きから普遍者を語 sermoの機能とした。しかし神学的存在論より認識論への論点の移動の傾向とともに,論理学的観点に立つ唯名論に有利な土壌が準備されることになり,14世紀になってウィリアム・オッカムが唯名論を強く主張するようになった。



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普遍論争
ふへんろんそう Universalienstreit[ドイツ]

普遍 universalia(類と種)は自然的実在であるか,それとも知性の構成物にすぎないかをめぐって行われた中世哲学最大の論争。前者の主張を実念論(欧語は実在論と同一だが近代の観念論に対するそれと区別して概念実在論,略して実念論と称することが多い),後者の主張を唯名論と呼んでいる。この問題はプラトンとアリストテレスのイデア理解の相違にさかのぼるが,古代哲学においては一般に認識は対象を離れてはなく,論理学が形而上学から独立することがなかった。5世紀末~6世紀初めのローマの哲学者ボエティウスによって初めて論争の種がまかれた。初期スコラ学では実念論が優勢であったが,後期には唯名論が明確となって近代的思考が用意されたという経過をとっている。
 論争は同時に神学にもおよんだ。11世紀末のカンプレの司教オド Odo は原罪遺伝説を擁護し,アダムは多数の個の実体的統一であるから,アダムの子らはみな同一実体で,性質のみが異なると主張した。他方,オドと同時代でアベラールの師でもあったロスケリヌス Roscellinus は,実在するものは個物のみで,普遍はたんなる〈音声 vox〉にすぎないと考えて,三位一体ではなく三神論を主張するに至った。アベラールはこの極端な唯名論をやや緩和して,普遍とは有意味な語たる〈ことば sermo〉ないし〈名辞 nomen〉がさし示す意味であり,〈個物の一般的な漠然たる印象〉がこれに対応すると考えた。その後シャルトル学派やサン・ビクトール学派では,比較や抽象という知性の作用によって普遍概念が形成されることがみとめられた。
 13世紀のトマス・アクイナスはアラビアの哲学者イブン・シーナー(アビセンナ)の説をとり入れ,普遍は神的には〈ものの前に ante rem〉,自然的には〈もののうちに in re〉,知性の抽象によって〈ものの後に post rem〉あると考えた。したがって普遍は知性の所産であるとともに実在に対応するものとされる。これは〈穏やかな実念論〉と呼ばれる。14世紀に入ると,個物は普遍的本質によって規定しつくされない独自の存在であるとする個体主義が登場した。トマスは,神は人間の知りうる現実以外のものをつくりうるとして創造の不可知の可能性をみとめ,これを神の全能と摂理に帰したので,その限りで普遍が事物に先立ち神の知性のうちにあることを主張したが,後期スコラ学者は神を個的な無限者とみて,普遍概念とその必然性を神のうちにおくことをしなかった。この精神はルターにも影響している。
 オッカムは〈意味 significatio〉と〈代置suppositio〉とを区別する。例えば〈ひとは死ぬ〉という命題において,〈ひと〉は一定の人を表示する意味ある語であるが,これは〈ひと〉という概念(概念名辞 terminus conceptus)と解して初めて命題のうちにおかれ,個々人を記号的に代置し指示すると解されるのである。これによりオッカムは唯名論を論理学的に基礎づけ,かつ事物それ自体の認識は直観によることを主張して,形而上学的独断を排する経験主義の立場を明らかにした。
                         泉 治典

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普遍論争
I プロローグ

普遍論争 ふへんろんそう Universalienstreit 目でみることのできる赤いリンゴや赤いポスト(もの、個物)は、われわれの心(精神、知性)の外にある。では、リンゴやポストに共通していて、それらの述語となる「赤」(普遍)は、どのような在り方をしているのだろうか。これが、ヨーロッパ中世で最大の論争といわれた普遍論争の主題である。この問題をめぐって、普遍はものに先だって(ante rem)存在すると主張する実念論(→ 実在論)と、普遍はものの後に(post rem)存在すると主張する唯名論がはげしくあらそった。

II 極端な実念論と極端な唯名論

11世紀から12世紀にかけて、極端な実念論と極端な唯名論があらわれた。カンブレーの司教オドによれば、普遍としての「人間」がまず存在し、これの変様として個々の人間が存在する。この極端な実念論は、アダムのおかした原罪をすべての人間がうけつぐのはどうしてか、という問題を解決するために採用された。これに対して、ロスケリヌスによれば、存在するのは個物だけであって、普遍は音声の息にすぎない。この極端な唯名論を修正したのがアベラールであり、彼は、普遍とは精神の中に存在する概念であるとした。哲学史上、概念論とよばれる彼のこうした考え方は、「緩和された」唯名論とみることができる。

III トマスとオッカム

13世紀になるとトマス・アクィナスの「緩和された」実念論がでてくる。彼によれば、普遍は神の知性においてはものに先だって存在し、世界創造の後の事物においてはものの中に(in re)、そして人間の知性においてはものの後に存在する。しかし、14世紀になると普遍は個物をさししめす名辞であるとするオッカムの唯名論が優勢になり、普遍の問題が神学の枠からはなれて、しだいに論理学的考察の主題になった。近代哲学においても、合理主義は実念論にかたむきがちであるのに対して、経験主義には唯名論の傾向が強い。

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弥縫策としての心理学(その03) [哲学・心理学]

学習
学習

がくしゅう
learning

  

個人的経験の結果として起る比較的永続性のある行動の変容。生物体が知覚によって自分の行動を変える場合も学習と呼ぶ。ただし成熟,疲労,その他,器質的,機能的変化による変容は除かれる。学習によって形成された反応様式を習慣という。
学習によって得た行動には,(1) 連合学習ないし条件づけによる学習 (古典的条件づけおよび道具的条件づけ) ,(2) 弁別学習,(3) 順化 (習慣化) ,(4) 概念形成,(5) 課題解決,(6) 知覚学習,(7) 運動学習,などが含まれる。模倣,洞察学習,刷り込みは以上とは異なる種類の学習である。 17世紀から 20世紀なかばまでの学習理論では,一定の普遍的な原理がすべての学習プロセスを支配し,それが機能する方法と理由の説明を科学的に証明することを目的としていた。あらゆる生物体の行動を,自然科学で仮定された法則をモデルに統一体系で理解しようと,厳密で「客観的」な方法論が試みられた。しかし,1970年代までに,包括的理論には様々な漏れがあることがわかり,学習に関する単一の理論は不適切であると考えられるようになった。 1930年代に,心理学のすべての知識を単一の大理論に統合しようとする最後の試みが,E.ガスリー,C.ハル,E.トールマンによって行われた。ガスリーは,知覚や心理状態ではなく,反応が学習の根本的で最も重要な基礎単位であると考えた。ハルは報酬によって促進された刺激=反応 (S=R) 活動の結果である「習慣強度」が学習の不可欠な側面であると主張し,それを斬新的なプロセスとみた。トールマンは,学習は行動から推測されたプロセスであるとした。彼らが広めたいくつかのテーマは,現在も議論されている。
連合はそうしたテーマの一つで,主体は環境中の何かを感じ (感覚) ,その結果そこに存在するものの認識 (観念) が生れるとの意見にその本質がある。観念につながる連合には,時間と空間における物体や出来事の接近,類似性,頻度,特徴,魅力などが含まれるとされる。連合学習は過去に無関係であった刺激を特定の反応に結びつける動物の能力で,おもに条件づけのプロセスによって起る。そのプロセスでは,強化が新しい行動様式を具体化する。初期の有名な条件づけの実験に,19世紀のロシアの生理学者 I.パブロフによって行われたイヌがベルの音で唾液を流すよう条件づけたものがある。しかし,刺激=反応説は様々な現象を満足のいくように説明ができず,過度に還元的で,主体の内的な行動を無視する。トールマンは連合には刺激と主観的な知覚的印象 (S=S) が含まれると考える,より「客観的」でないグループの先頭に立っていた。
もう一つの最近のテーマは,強化である。これは,主体の活動が報酬を与えられる場合にその行動は促進される,との発見を説明するために生れた概念で,強化の理論的仕組みについては激しい議論が続けられている。多くの心理学者は連合理論の普遍的適応性にあまり期待しておらず,学習には他の理由のほうが重要であると主張する。たとえば,ゲシュタルト心理学では,重要な学習プロセスには環境中の様々な関係の結びつきだけでなく,それらの再構築が含まれるとされている。言語心理学では言語学習には多くの言葉と組合せが含まれており,連合理論では十分に説明できないとされ,代りに,語学学習にはなんらかの基本的な組織化の構造,おそらくは遺伝的に受継いだ生れつきの「文法」が基礎となると主張されている。現代の学習理論の主要な問題には,(1) 目標の遂行における動機づけの役割,(2) 学習段階,(3) すでに学んだ仕事とまだ学んでいない仕事の間での訓練の転移,(4) 回想,忘却,情報検索のプロセスと本質,が含まれる。行動遺伝学は先天的行動と後天的行動の区別といった重要な問題に貢献した。イメージ,認知,認識意志作用など,計量化できない概念も探究されている。
学習と記憶のメカニズムは,神経系における比較的持続性のある変容に左右されるようにみえる。学習の効果は,明らかに可逆的プロセスによって脳にまず保たれ,その後より恒常的な神経の変化が起る。したがって2種類の神経学上のプロセスを示唆している。一時的で可逆的な記憶の短期的な機能は,記憶の痕跡を限られた期間保存する生理学的なメカニズム (シナプスの電気・化学的な変化) によって生れる。確実でより永続的な長期の蓄積は,神経単位の物理・化学的構造の変化に依存しているのであろう。シナプスの変化が特に重要と思われる。





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[ブリタニカ国際大百科事典 小項目版 2008]

学習
がくしゅう learning

学習とは,特定の経験によって行動のしかたに永続的な変化が生ずる過程である。同じ行動様式の変化でも,経験によらない成熟や老化に基づく変化や,病気,外傷,薬物などによる変化は学習とはいえない。また疲労や飽きは,回復可能な一時的変化にすぎないので,これも学習とは区別される。子どもの発達過程では,例えば言葉や歩行の習得のような学習が,長期にわたって行われている。しかしこの場合,行動様式の永続的変化といっても,多様な経験に基づいて,広い範囲の行動が変化するのであって,この過程はとくに〈発達〉と呼ばれる。
[学習の理論]  学習のメカニズムを説明する理論には二つの立場がある。第1は,刺激と反応との結合を学習の基礎とみなす〈連合説〉である。最初にこの立場を表明した E. L. ソーンダイクは,学習を試行錯誤の過程とみなし,刺激と反応との正しい結合が生ずる条件を示すいくつかの法則を作り上げた。例えば,正反応の結果には満足が与えられなければならないことを説く〈効果の法則〉,数多くの反復をしなければならないことを説く〈練習の法則〉,刺激と反応との結合の用意が整っていることの必要性を説く〈準備の法則〉などである。これらの学習法則には,その後若干の修正が加えられたものの,基本的にはそのまま現在に至るまで受け継がれ,とくに行動主義の学習理論の基礎にすえられている。
 第2の立場は,認知構造の獲得を学習の基礎とみなす〈認知説〉である。この立場はとくにゲシュタルト心理学者たちが採っている。学習は場面の構造が認知されることによるが,それは試行錯誤の結果ではなく,場面の中で解決への見通しが一挙に開けてきたためであるとみなす。だから学習すべきものは,刺激と反応との結合ではなく,場面の意味であり,とりわけ手段‐目標関係の理解なのである。しかし学習そのものの中に,二つの基本的に異なる過程があるという視点から,最近では両者の立場を総合させた〈二要因説〉も提起されている。
[学習の過程]  学習はさまざまな条件によって促進されたり停滞,阻害されたりする。それらの現象のおもなものをあげてみる。
(1)学習の構え 同種類の問題を何度も経験すると,その種の問題に対する学習のしかたを習得し,しだいに容易に解決できるようになっていく。これはいかに学ぶかという構えを学習するからである。
(2)高原現象 学習の過程で行動の進歩が一時的に停滞することがある。学習曲線がこの場合あたかも高原のような形を描くので,これを高原現象という。これは学習の疲労,飽和や動機づけの低下などによるほかに,より高次の段階の学習を続けるために,そのときまでの学習行動を質的に変化させる際に現れる現象でもある。
(3)分散学習と集中学習 学習時間の配分のしかたに応じて,適当な休憩をはさんだ〈分散学習〉と,休みなしに連続して取り組む〈集中学習〉とに分けることができる。分散学習の長所は,休憩中に疲労の回復や学習意欲の更新や復習などが行われるうえ,誤反応を忘却できる点にある。ただしあまりにも長い休憩が入ると,正反応でも忘却してしまうおそれもある。一方,集中学習は,長時間続けざまにその学習活動にあてることができるため,学習活動の準備にあらかじめ一定時間を必要とする場合には有利である。そのうえ,集中学習では,分散学習のように反応を固定化させることもないので,反応の変化がしばしば生ずる学習にも有利である。一般に技能学習には分散学習が,問題解決学習には集中学習が適切だといわれている。
(4)全習法と分習法 学習材料の扱い方に応じて,全体をひとまとめにしてなんども繰り返しながら学習する〈全習法〉と,全体をいくつかの部分にあらかじめくぎり,それらを順々に学習していく〈分習法〉とに分けることができる。もちろんいずれの方法が有効であるかは,その学習材料の性質に基づく。長い学習材料やむずかしい学習材料の場合には分習法に,逆に短い学習材料ややさしい学習材料の場合には全習法によらなければならないだろう。また統一性に乏しい学習材料は分習法が,意味連関のある学習材料は全習法が適切だろう。しかし全習法は効果をあげるのに多くの時間と労力を必要とするのに対し,分習法は速く容易に学習の成果をあげられる。したがって年齢や能力の低い者には,分習法が有利だといわれている。
(5)学習の転移 以前の学習が別の内容についての学習に影響を及ぼすことを〈学習の転移〉という。転移には,前の学習が後の学習を促進させる正の転移と,逆に妨害する負の転移とがある。転移が生ずる条件として,両学習間の類似性,時間間隔および前の学習の練習度などがあげられる。そして,前の学習経験に含まれる構造を正しく把握するとき正の転移が生じ,これを誤ってとらえたり,不十分にしかとらえなかったりすると負の転移が生ずることとなる。⇒発達     滝沢 武久
[学校における学習指導]  上記のような学習のメカニズムを考慮して進められるが,文化,科学,芸術の基本的内容を精選し,系統的に配列し,これを学習者の生活,既得の経験や知識と適切に結合することがとくに求められる。実際の学習指導においては,学習者の多様な反応が現れるから,それらに適切に対応することによって指導の効果をあげることが期待される。例えば学習内容によっては一つの解答,一つの解法だけがあるのではなく,いくつかのものが許容されうる場合がある。このようなときは学習者たちが自発的に多様な解答,解法を示すことも少なくない。教師の発問によってこれを促進することもできる。また集団での学習では,学習者の中に誤りの反応をする者がいるが,誤りの種類や性質によってはこれを積極的に取り上げて解明することを通じて,学習者全員の理解をいっそう十分なものにすることもできる。これらは集団での学習=一斉指導の場面で,教師が直接に学習者たちに働きかけ,その自発性を高め,理解度を深める配慮であるが,これらとあわせて,班あるいはグループを学級の中に作り,学習者相互の働きかけ合いをねらうことによって,さらに指導の効果をあげることもなされうる。
 また学習指導によって,学習者の中に定着したものを確実に把握することも必要不可欠である。とくにそれぞれの学習内容の系列において,必須の概念や操作が習得されていない場合には,後の学習に多大なマイナスとなり,いわゆる学業不振の原因となる。なお,学習させるべき内容の精選・配列,実際の指導,学習者における定着は,学習指導としてひとつながりのものである。そこで,例えば学習指導の効果が上がらない場合など,学習内容の選び方,配列のしかたに問題はないか,指導の方法に問題はないかなどというように,教師にはつねにみずからを反省する態度が要求されると同時に,こうしたことについて教師が自由に研究,研修できるような条件を整えることもたいせつである。             茂木 俊彦
【動物における学習行動】
 動物の行動研究が進むと学習に関する考え方も変わってきた。まず,それまで鳥や哺乳類のみで学習能力が考えられていたのに対し,広範囲の動物で学習する能力の存在が実験的に証明された。例えば扁形動物のプラナリアに光刺激と電気ショックの組合せで条件反射を成立させ,この程度の動物にも学習する能力のあることがわかった。タコの捕食行動では各種の図形と罰・報酬の組合せで図形を学習させられること,ミツバチに色を覚えさせることなど,今日では各種の動物で学習に関する実験が行われている。また,従来は動物の行動を本能と学習に二分する考え方が支配的であったが,近年の研究によって,純粋な学習とみられるものもしばしば何を,いつ,どこで学習するかといった面で遺伝的に決定されていることが明らかにされ,現在ではこのような二分法は有効性を失いつつある。
[慣れ habituation]  もっとも単純な形の学習は慣れで,これは,とくに刺激の強化が加えられなくても無害な環境には反応を示さなくなるようなものである。キジなど地上営巣する鳥の雛は,孵化(ふか)後,最初は頭上をかすめるすべての影に対して警戒のうずくまり姿勢を示すが,やがて木の葉や無害な小鳥が横切った程度では警戒姿勢を示さなくなる。このような慣れは,明らかに生後の経験によって獲得した反応であるが,猛禽類の影には決して慣れを示さず,このような能力が遺伝的にプログラムされたものであることを示している。
[刷込み imprinting]  刷込み(インプリンティング)は特殊な形の学習である。これは生後のある時期の経験が,その動物のある行動を規制してしまうもので,とくに生後の初期に生じやすい。孵化後2~3日目くらいのニワトリの雛は品に対して強く刷り込まれ,このときに経験した品箱の色や形にこだわる。アヒルの雛が母親が近くにいても,品入れをもって歩く人の後をついていくのも刷込みの例である。これは生後の脳の発達とも関連し,成体になってからは生じない。また,同種の仲間とある程度以上いっしょに生活すると刷込みも生じにくくなる。
[各種の学習行動]  さまざまな動物には種に応じてプログラムされた学習能力があり,例えば,カリウドバチの多くは巣穴を出て獲物を狩りにいく際,周囲のおおまかな地形を認知し,巣穴に戻る手がかりとする。肉食性の哺乳類の幼獣が成長の過程で仲間とじゃれ合いながら口や四肢の扱い方が巧みになったり,鳥類の幼鳥がしだいに熟達した飛翔(ひしよう)を行うようになるのも経験による学習の効果であろう。試行錯誤的に経験を積み重ね,ある行動を獲得するのも学習といえる。サルのいも洗い行動などはその一つで,たまたま海水につかった品を食した個体から,ある集団の中で,すべての個体が海水で洗ってから食すようになったのは偶然の効果から出発している。
 自然な状態における学習の役割は,子が親と同じ行動パターンを受け継ぎ,与えられた環境でうまく生きていけるようにすることである。したがって一般には学習によって行動が進化することはないといえる。                奥井 一満
【認知科学における学習】
認知科学は学際的な学問領域であり,学習の研究を理論的にリードしてきたのは心理学である。心理学において学習とは主体の経験による行動や心的状態(認知)の比較的長期に持続する変化を示す語として使われてきた。認知のモデル化を目指す認知科学においては,学習は記憶とほとんど同じものとして扱われ,特に個体の知識の獲得に対応するものと考えられてきた。しかし,最近になって,知識観の変化と実践活動に対する理解の深まりを反映し,学習を実践のコミュニティの社会的活動とみなす新しい学習観が生まれ,日常のさまざまな活動(ワーク)の研究が盛んに行われている。
[個体内の出来事としての学習]  心理学において中心的な学習観は学習を一個体のシステムの機能や行動の変化としてとらえる立場である。行動主義の学習理論では,刺激と反応の間を結ぶ有機体の内的な機構をブラックボックスとし,研究対象とはしなかった。これに対して,情報処理的アプローチをとる認知心理学では,情報の入力から出力までの過程全体のモデル化をコンピューターメタファーを積極的に利用することによって進めていった。認知主義の立場では,学習とは個体の知識獲得と知識獲得による個体の内的システムの変化,そしてそれによる個体のパフォーマンスの改善として取り扱われる。これは広くは知識の構成主義にくみする立場であり,内的な記号処理,すなわち表象の計算過程のモデル化である。最近では,言語学習や知覚,運動学習といった意識化されにくい認知過程に対して,脳の神経系メタファーを利用したコネクショニズムを人間の学習に応用した並列分散処理(PDP)モデルも提起され,記号処理モデルとの統合の試みが始まっている。行動主義的な学習論と認知主義的な学習論では変化の焦点をそれぞれ行動と認知とする点では大きな違いがあるが,どちらも一個体の変化に焦点をあて,そのメカニズムを明らかにすることを研究課題としている点では共通性がある。
[社会的な出来事としての学習]  熟練者になることは,外側からは行動の変化として,また,当事者にとっては知識の変化として観察可能な部分があることは事実であろう。しかし,熟練者になるためには,その主体を熟練者として位置づける人間関係,すなわちコミュニティが必要である。伝統芸能におけるわざの習得は個人的な出来事ではない。師匠と弟子という徒弟制があり,さらに,それはその芸能の専門家集団,その芸の鑑賞集団などのコミュニティの中に含み込まれている。そうした実践のコミュニティは価値を創造し,更新していく。〈新人〉として扱われていた人も,新しい新参者が参加することによって,古参者への仲間入りをする。周りの人たちの扱いも変わり,その人の自己のアイデンティティも変わっていく。このように考えるとある人が熟練者になるということは個人的な変化ではなく,その人を含むコミュニティ全体の変化と見なすことができる。その意味で,学習は実践のコミュニティ内で起こる社会的な活動なのであり,その参加者の行動の変化や認知的な変化はその一部を取り上げたものにすぎない。また,学習が学習者によるリソース(資源)の再編ととらえられることによって,学習は教育から独立した活動として位置づけられることにもなる。この新しい学習観の中で,学習を個体内の出来事として扱う立場の研究も再配置されていくことが期待される。
[状況論と学習研究の課題]  学習を社会的活動としてとらえる立場を理論的に支えているのが,状況論と総称される立場である。状況論はビゴツキー L. S. Vygotsky(1896-1934)に始まる社会歴史的アプローチ,活動理論をベースにして,コール M. Cole(1938- )らのアメリカ・カリフォルニア大学の比較人間認知研究所を中心として展開されている学際的な理論的志向を指す。特に,リテラシーなどの文化的道具と認知との関係に関する研究,工場や家庭における日常的認知の研究は,状況論的な学習の理論化において重要な役割を果たした。エスノメソドロジーの知識観,行為観も強い影響を与えている。その中心的な主張は,知識や行為はそれが使用される活動から切り離すことができないという知識や行為の状況性の強調である。このことは言語理解が常にその使用文脈に参照されることによってしかなされないことを考えてみればよい。状況論に基づく学習研究では,学習自体が状況に埋め込まれているとみなし,人やコンピューターなど,一個体の内的システムの変化ではなく,ある状況を構成している活動システム全体をとらえようとする。このような立場に立つと,学習は一個体の知識の獲得ではなく,ある状況内における複数の人々や人工物(技術的道具,文字や記号などの心理学的道具)の間の相互行為あるいはコラボレーションの過程であると理解することができる。認知は個人の中に閉じられたものではなく,社会的に分散しており,身体運動の学習も単なる個体の行動の習得としてではなく,社会的実践としての身体技法として取り扱われる。このような様々なリソースのコラボレーションの過程をそれぞれの活動に即して歴史的に明らかにしていくことが現在の認知科学における学習研究の主要な課題である。
⇒記憶∥徒弟制度            石黒 広昭

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条件づけ
条件づけ

じょうけんづけ
conditioning

  

古典的条件づけと道具的条件づけに分けられ,古典的条件づけでは,条件刺激と無条件刺激を反復して対提示することによって,最初はほとんどなんら反応を引起さなかった条件刺激に対して条件反射が引起されるようになる過程のこと。道具的条件づけでは環境に対して働きかけを行なっているうちに,ある特定の反応をすると強化されるので,その結果その反応の生起確率が増大するようになる過程のこと。





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条件づけ
じょうけんづけ conditioning

学習の最も基本的で典型的な型,およびそれを形成する手続・過程。個体にとって意味のない刺激に対し反応を除去していく消極的過程の慣れに対し,大部分の学習は新しい反応を獲得する積極的過程で,積極的学習 positive learning という。また,この型の学習では2種の刺激の組合せ(連合)が重要であり,連合学習 associative learning という。この学習のモデルとして,I. P. パブロフの条件反射を原型とする古典的条件づけと,E. L. ソーンダイクの道具的条件づけがある。これらはともに二つの過程の連合が重要で,古典的条件づけでは2種の刺激の連合が,道具的条件づけでは動物の反応とそれを基準とした強化刺激の連合が重要となる。
[古典的条件づけ classicalconditioning]  レスポンデント(応答的)条件づけ respondent conditioning または第 I 型条件づけ type I conditioning ともいわれる。パブロフはイヌに唾液の分泌量を計測できるような手術(唾液瘻(ろう)の手術)を行い,唾液分泌を反応として,次の刺激を加えた。まず,唾液分泌には関係のない刺激(たとえばベル音)をイヌに与える。これによる唾液分泌は起こらない。次いで,ベル音のあと食品を少し与えるという操作を繰り返し行う。食品は唾液分泌を必ず起こすから,これを無条件刺激 unconditioned stimulus(略称 US)という。ベル音と食品とを組み合わせると,やがてベル音のみで唾液分泌が起こるようになる。この唾液分泌を条件反射といい,またベル音は条件刺激conditioned stimulus(略称 CS)という。このとき,ベル音と食品の組合せを繰り返す操作を強化reinforcement という。同様に,光刺激を条件刺激とし,足の電撃刺激を無条件刺激として,光に対する足の屈曲反射を条件反射として起こすこともできる。これは防御条件反射とよばれ,基本的な条件反射の一つである。古典的条件づけでは,条件刺激と無条件刺激の対呈示は動物の反応(行動)生起とは無関係であり,この点が道具的条件づけとの最も大きな相違である。したがって,筋肉を麻酔して行動ができなくても,条件づけはできる。
[道具的条件づけ instrumentalconditioning]  オペラント(操作的)条件づけoperant conditioning または第 II 型条件づけtype II conditioning ともいわれる。道具的条件づけにおいては,行動は動物本来の自発的行動の枠組みで偶発的に行わせ,その行動を報酬や罰によって強化する。強化の結果,ある反応はしばしば起こるようになり,他の反応は脱落するか消失してしまう。このように,古典的条件づけと道具的条件づけでは強化の方法に相違があり,古典的条件づけでは,動物の反応の結果のいかんにかかわらず,強化は実験者が決定するのに対し,道具的条件づけでは,動物の反応の結果のフィードバックにより強化の方向が決定される。このとき,動物の反応(行動)は強化を得るための道具としての役割を担うことになるので,この種の学習は道具的条件づけとよばれる。たとえば,ベルの音で前足を上げなければ皮膚に電気ショックを与えることとし,前足を上げれば電気ショックを与えないということを繰り返すと,罰を回避する回数がしだいに多くなり,最後には確実に罰を回避するようになる。この条件づけの程度は,条件刺激(ベル)に対して前足を上げるという反応の起こる確率で表すことができる。このような条件づけを回避条件づけ avoidance conditioning または回避学習 avoidance learning という。
 このほか道具的条件づけにはいろいろのものがある。すなわち二つの室の間を移動できるようにした部屋の床に電気格子を張り,それに通電して電気ショックを与えるようにし,これによって他の室へ逃避することを学習づける逃避学習 escapelearning がある。また,罰の代りに報酬を与えられるものとして,レバー押し学習 lever presslearning がある。レバーを押せば食品が与えられる装置(スキナー箱 S. kinner box)によって,レバー押しを学習する場合や,迷路学習 mazelearning のように,迷路のなかで正しい道を通ったときに品が与えられるようなものもある。弁別学習 discrimination learning は,二つまたはそれ以上の刺激を同時に呈示し,正しい刺激を選んで反応すれば報酬を与えるように刺激の弁別をさせるものである。また問題箱学習 problem boxlearning はソーンダイクの考案になるもので,掛金をもつ扉のある箱に動物を入れ,外に出るためには掛金をはずさなければならないように仕掛けておく。うまく外に出れば報酬を与え,箱にとどまれば罰を受けるような学習である。以上の道具的条件づけのうち,迷路学習,問題箱学習,弁別学習は動物が試行錯誤的な反応を繰り返すうちに偶然正解に到達し,報酬を受けるので,試行錯誤学習 trial and error learning といわれる。⇒学習∥条件反射                 塚原 仲晃

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古典的条件づけ
古典的条件づけ

こてんてきじょうけんづけ
classical conditioning

  

心理学用語。S型条件づけ,レスポンデント条件づけともいわれる。ある刺激 (条件刺激と呼ぶ) を提示し,それに引続いてなんらかの特定の反応 (無条件反応) を引起す刺激 (無条件刺激) を提示する手続。 I.P.パブロフにより考案された。この手続を多数回繰返すと,前者の刺激は後者の刺激により引起される反応と類似した反応 (条件反応) を引起すようになる。パブロフはイヌにメトロノームの音を聞かせ,それに引続き餌を与えるという手続を繰返すと,イヌはついにはメトロノームの音に対して唾液を分泌するようになることを示した。





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古典的条件付け
I プロローグ

古典的条件付け こてんてきじょうけんづけ Classical Conditioning ロシアの生理学者パブロフの条件反射学説を基礎に、条件刺激によって条件反応を形成するその訓練過程をいう。パブロフは唾液(だえき)分泌の無条件反射を利用して、条件刺激と条件反射の関係を研究したが、心理学ではよりひろく生活体の行動としての反応を問題にするところから、条件反射とはいわずに条件反応という。

スキナーは生活体の反応を、誘発する明確な刺激があってそれに応答する場合と、そのような誘発刺激がかならずしも明確でないときに、むしろ外界にはたらきかけるかたちで自発する場合とにわけ、古典的条件付けは前者の明確な刺激への応答であるという意味で、これをレスポンデント(応答的)とよび、後者をオペラント(自発的・作動的)とよんだ。そこから、オペラント条件付けに対して、この古典的条件付けをレスポンデント条件付けともいう。

II 刺激と反応

古典的条件付けの手続きは一般には次のようになる。まず、生活体には、いくつかの無条件刺激と無条件反応とのセットが何組かそなわっている。犬の場合でいえば、肉片のにおい(無条件刺激)をかげば唾液を分泌する(無条件反応)というような例である。そのセットにそれとはまったく無関係なベルの音(条件刺激)を導入し、無条件刺激を提示する直前にこの条件刺激を提示し、次に無条件刺激を提示するという試行を何回か反復する。これを強化試行とよぶ。強化試行ののち、条件刺激だけを提示すると、本来、唾液分泌反応をもたらす力のないベルの音だけで、犬は唾液を分泌する。この場合の犬の唾液分泌反応を条件反応という。

条件反応は、行動の型としては無条件反応と同一であるが、その強度において無条件反応より弱く、また無条件反応の場合には、唾液分泌ばかりでなく咀嚼(そしゃく)反応や嚥下(えんか:のみくだすこと)反応もともなわれていることが多いのに対して、条件反応はもっぱら唾液分泌反応だという違いがある。

III 対連合

この例の場合、条件反応は無条件反応と同じ型の反応であり、無条件反応の型はある生活体においてかぎられているから、古典的条件付けは新しい行動の型が形成されていくわけではないことになる。むしろ、ある型の反応が、それに強くむすびついている特定の刺激(無条件刺激)以外の刺激(条件刺激)によってもひきおこされるというところに、この型の条件付けの特徴がある。

この場合、条件付けがなりたつのは、無条件刺激に条件刺激がなんらかのかたちでおきかえられるからである。この犬の例では、何回かの強化試行によって両者の間に対(つい)連合がなりたったと考えられるが、乳児がいたい注射を経験したときに、注射をした医者の白衣が条件づけられて、以後、白衣をみると恐怖反応をしめすというような場合では、強化試行はかならずしも必要でなく、1回だけの経験でも、その場のめだった特徴との対連合がなりたつようである。

IV 消去と自発的回復

これまで条件刺激と無条件刺激をどのような時間関係で提示するかに関する研究が多数あり、それによれば、このタイプの条件付けは、条件刺激が無条件刺激に先行するか、ほぼ同時である場合に可能で(先行性条件付け)、その逆の場合には(逆行性条件付け)ほとんど条件付けは不可能であるという。

条件付けは条件刺激を無条件刺激と対にして提示する強化試行によって可能になるが、条件付けが成立したのち、強化試行をおこなわずに条件刺激だけ提示すると、条件反応はしだいに弱くなり、最終的には条件反応はみられなくなる。これを消去という。パブロフは条件反応が消去されたところで実験をうち切り、翌日、ふたたび被験体に条件刺激をあたえたところ、いったん消去されたはずの条件反応が、かなり回復してあらわれることを発見した。これを自発的回復とよぶ。さらに条件刺激をあたえつづけると、やがてふたたび消去され、休止をはさむとまた若干の自発的回復がみられる。この過程がくりかえされると自発的回復量はしだいに減少し、ついには完全に消去されるにいたる。

V 般化

パブロフはさらに、条件刺激に類似した刺激に対しても条件反応が生じることをみいだし、これを般化(generalization)とよんだ。この場合、刺激の類似度が高いほど条件反応も強くあらわれることが知られている。たとえば条件刺激に1000Hz(ヘルツ)の音叉(おんさ)をもちいて条件付けをおこなった場合、縦軸に条件反応の強さ、横軸に音叉の振動数をとれば、1000Hzの音を中心に逆U字曲線がえがかれる。これを般化曲線という。

医師の白衣に条件づけられた乳児が、母親の白いブラウスをみて泣き顔になるのも般化による。逆に、類似刺激を弁別して条件刺激だけに反応するように生活体を訓練することも可能である。パブロフは、この弁別実験の際に、それまで忠実に実験に協力してきた被験体の犬が、落ち着きをなくして神経質になり、そのうちに犬小屋から実験室にいきたがらなくなる事態に直面し、これを犬の実験神経症とよんだ。つまり、音刺激の微妙な振動数の違いをききわけるという困難な弁別課題が、被験体の犬にはストレスとなったわけである。

VI 第2次条件付け

通常の条件付けにもちいられた条件刺激に、それとはことなる別の刺激を対提示すると、この新しい刺激によっても条件反応が生じる。これを第2次条件付けとよぶ。ここでは先の条件刺激が無条件刺激のように機能し、新しい刺激が条件刺激として機能していることになる。こうして原理的には2次、3次と高次の条件付けが可能になる。そこから高次の精神機能を説明しようという試みも生まれたが、成功したとはいいがたい。


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道具的条件づけ
道具的条件づけ

どうぐてきじょうけんづけ
instrumental conditioning

  

生理学,心理学用語。生体が環境に対する反応のうち,ある特定の反応にだけ強化刺激 (たとえば食物) を伴わせて,その反応をほかに比べて生起しやすくする過程,または手続をいう。このようにして形成された反応は,結果として生体に強化をもたらし,その欲求を満足させることになる。条件反応自体が強化刺激を獲得させる道具としての役割を果すという意味から,この名称で呼ばれるようになり,I.P.パブロフの行なった条件反射 (または古典的条件づけ ) と区別される。 B.F.スキナーのオペラント条件づけとほぼ同義。





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条件反射
条件反射

じょうけんはんしゃ
conditioned reflex

  

I.P.パブロフの用語。口の中に食物を入れると唾液が出るのは生得的な反射であるが,たとえばイヌにベルの音を聞かせてから餌を提示する訓練を繰返すと,ベルの音を聞かせただけで唾液を出すようになる。このような場合この音刺激によって引起される唾液分泌反射を条件反射という。





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条件反射
じょうけんはんしゃ conditioned reflex

I. P. パブロフによって研究,発見された学習現象の一種で,学習の最も基本的な型をなすと考えられている。パブロフの条件反射は生理学の領域から出発したが,それは諸方面,とくに心理学に大きな影響を与えた。現在,心理学では,生理学的単位としての反射にとどまらず,生活体の諸反応を含む行動を取り扱うこともあって,条件反射の代りに,より広義の条件反応 conditionedresponse ということばが用いられる。
 唾液条件反射はパブロフによって始められ,最もよく知られたもので,イヌにベル音を鳴らしたあとで,食品を与えることを繰り返すと,ベル音を鳴らしただけで唾液が分泌されるようになる。防御条件反射では,ベル音を鳴らして足の皮膚に電撃を与えることを繰り返すと,ベル音を鳴らしただけで屈曲反射が起こり,電撃を避けるようになる。このときベル音を条件刺激 conditioned stimulus(略称 CS)といい,食品や電撃を無条件刺激unconditioned stimulus(略称 US)という。また条件刺激によってひき起こされる反応を条件反射conditioned reflex(略称 CR),無条件刺激でひき起こされる反応を無条件反射 unconditionedreflex(略称 UR)という。条件刺激と無条件刺激を組み合わせて与える操作を強化 reinforcementという。
[条件反射の特性]  条件反射は次のような性質をもっている。(1)条件反射が形成された動物で,無条件刺激なしで条件刺激のみを繰り返すと,条件反射は弱くなり消失する。これを消去extinction という。多くの場合,時間がたつと条件反射は自然に回復する。(2)条件反射をひき起こすためには,条件刺激(CS)が無条件刺激(US)に先行することが必要とされる。(3)CS1が条件刺激になっているとき,これとよく似た CS2が条件反射をひき起こす場合,これを汎化 generalization という。(4)CS1と CS2がともに条件反射をひき起こすことができるとき,CS1を強化し,CS2を強化しない操作を続けると,CS1によってのみ条件反射が起こるようになる。これを分化 differentiation という。(5)分化,消去によって CS として作用を失った刺激は無効になったのではなく,これを他の有効な CS と組み合わせて与えると,この効果を抑制(制止)する作用をもつ。これを内抑制 internalinhibition という。これに対して,動物の病的状態や情動興奮の状態では,分化,消去の操作を受けていない CS も,その効果が突然減弱することがある。これを外抑制 external inhibition という。
[条件反射の神経機構]  条件反射(条件反応)の際,脳の中で何が起こっているのか,という条件反射の神経機構の研究では,まず行動学的なアプローチによって現象面が整理され,ついで脳の各部分を破壊して学習の座の研究が行われた。また,脳波や誘発電位を用いて,脳の電気活動との関連が追求されるようになった。1950年代の後半には,新しい方法として,無麻酔で行動している動物からニューロン活動を記録する方法が用いられるようになった。ジャスパー H. H.Jasper らは,無麻酔サルを首かせのついた椅子に座らせ,あらかじめ頭に固定したマニピュレーターで大脳皮質からニューロン活動を記録できるようにしたうえで,光を条件刺激とし,前腕の皮膚の電気ショックによる前腕の屈曲を無条件反射として条件反射を形成し,その過程での大脳のニューロン活動を記録した(1958)。この逃避条件反射時に,大脳運動野のニューロンの放電数は増加もしくは減少することが見いだされた。
 条件反射の潜時が比較的短く,それに関係した神経回路が比較的単純なものと予想される例として,ネコの瞬目反射を音で条件づけたウッディ C.D. Woody らの研究がある。ネコの眉間(みけん)を機械的に刺激すると,眼輪筋が収縮して眼瞼を閉じる反射が起こる。これを無条件刺激とし,音(クリック音)を条件刺激として,音と眉間の機械的刺激とを組み合わせて刺激を繰り返すと,音だけで眼輪筋が収縮するようになる。このとき,音を与えて眼輪筋に活動電位(筋電図)が発生するまでの潜時 latent time は20ms であり,眼輪筋を支配する顔面神経核の運動ニューロンに活動電位が発生するまでの潜時は17ms である。このとき大脳の運動野を切除すると,この条件反射は消失するから,大脳の運動野がこの条件反射に関与していることがわかる。この大脳運動野でニューロン活動の記録を行うと,音より13ms の潜時でニューロンの放電が起こる。すなわち,顔面神経の運動ニューロンの活動より4ms 先行して,大脳皮質運動野のニューロンの放電が起こる。大脳皮質運動野の出力細胞が介在ニューロン一つを介して顔面神経運動ニューロンに接続しているとすれば,この4ms の時間は説明できる。このような瞬目反射の条件反射は,音を条件刺激とする代りに,大脳皮質運動野に微小電流を加える電気刺激でも形成される。
[パブロフと条件反射]  19世紀の終りころパブロフがペテルブルグ実験医学研究所の研究室で消化生理に関する研究を行っていたころ,実験室のイヌが食物を見ただけで唾液分泌を起こすことを観察して,唾液腺という一見あまり重要でない器官の活動にさえ,いわゆる精神的刺激が影響を及ぼしていることについて考えるところがあった。彼は考え悩んだ結果,いわゆる精神的刺激なるものを純粋に生理学的に扱おうと決心した。そこに見いだされる法則性はより高次の精神活動を科学的に解く鍵になると考えたのである。パブロフは1904年にノーベル生理・医学賞を受けたが,その受賞の理由が,彼の最も大きな業績である条件反射の創始に対してではなく,消化の生理学的研究に対してであったのは興味深い。
 条件反射の創始がもたらした意義は,第1に,われわれの学習,適応行動を科学的に研究する方法論を与えたことである。第2に,それが対象とするいわゆる精神現象といわれるものにも,原因‐結果の因果律が支配することを示したことであり,このような因果関係をよりどころに,精神の過程を科学的に研究できる糸口を与えたことである。
 パブロフ以後,その研究はパブロフ学派に受け継がれた。弟子の一人であるポーランドのコノルスキ J. Konorski は,条件反射学の体系の中にニューロン生理学の知見を導入することに努めたが,それに基づいた重要な知見を加えたわけではなく,むしろ,それは今後の課題として残されている。⇒条件づけ             塚原 仲晃

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条件反射
条件反射 じょうけんはんしゃ Conditioned Reflex 生活環境からあたえられる刺激(条件刺激)によって、生後新しく形成される反射のこと。本来は大脳が関係しないでおこる反射という行動を、それとは無関係な条件刺激をくりかえすことで、条件刺激と反射がむすびつき、ついには条件刺激だけで反射がおこるようになる。この条件反射は、ロシアの生理学者パブロフが発見したもので、これによって大脳生理学研究(→ 生理学)の窓口が開かれた。条件反射に対して生まれつきもっている反射を、無条件反射という。

→古典的条件付けの「刺激と反応」


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弁別学習
弁別学習

べんべつがくしゅう
discrimination learning

  

弁別反応を形成する学習。2つの刺激を用いる場合の訓練手続としては,まず実験者が一方の刺激を正刺激,他方を負刺激と定め,それらを継時的あるいは同時的に被験体に反復提示する。正刺激に対する反応は強化され,負刺激に対する反応は強化されない。このような訓練手続により,次第に正刺激に対する反応だけがその強さや生起確率を増すようになる。





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[ブリタニカ国際大百科事典 小項目版 2008]
弁別閾
弁別閾
弁別閾 べんべついき Differential Threshold 刺激量の差を弁別するときの限界値、つまり差がわかるかわからないかの境目をなす刺激量の限界値をいい、場合によっては丁度可知差異(Just Noticeable Difference)ともよばれる。比較の基準になる標準刺激をRとし、そのときの弁別閾をΔRとすれば、一般にΔR/R = C(定数)という関係があることが知られ、これをウェーバーの法則またはウェーバー比という。

Cは感覚によってことなっていて、重さをはかろうとする場合にはC = 0.019である。つまり標準刺激の重さが300gのときにはおよそ6gの刺激差(比較刺激が294g以下か、306g以上)を弁別できるが、標準刺激が1kgになると6gの刺激差では弁別できず、刺激差が19gになったところではじめて重さの違いがわかるということになる。

これから、標準刺激の強さによって弁別閾がことなることがわかる。ただし、ウェーバーの法則がなりたつのは刺激の強度が中程度の場合で、刺激が弱すぎたり強すぎたりするとCの値が変化してくることが知られている。→ 認知心理学


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順化
順化

じゅんか
acclimatization

  

馴化とも書く。 (1) 生物が異なる土地に移された場合その気候条件に適応し,または移されなくても同一地においての気候条件の変動に次第に適応すること。また適応させることをいう。 (2) 広くは自然または実験室条件下で,それまで出会わなかった条件に次第に順応していくことをさす。





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順化
じゅんか acclimation

馴化とも書く。広い意味では環境への適応あるいは順応と同義で用いられる場合もあるが,ふつう生物学用語としては,適応がかなり長い時間経過の間に,形態や生理が変化し固定されることをいうのに対して,順化は,せいぜい数週間以内で生理機能を環境にうまく合わせることをいう。環境に対する生体の反応は時間の短いほうから順に,反応―順応―順化―適応というが,互いに重なり合った概念でもあり,あいまいな使われ方をする場合が多い。順化というと,気候順化の意味で使われることが多いが,これには高地への移動に伴う高地順化,季節変化への順化,乾燥・塩濃度の変動への順化などがある。高地順化を例にとると,高い山に登るにつれ,大気中の酸素分圧が低下し,生体に必要な酸素が十分得られず,めまい,頭痛,吐き気などの症状を呈するいわゆる高山病となる。この状態もしばらく高地にとどまっていると消失する。これは,血液中の酸素分圧の低下が腎臓に伝えられて,エリスロポイエチンという一種のホルモンの分泌を促し,これが骨髄の幹細胞に作用して赤血球の新生を促すことなどによる。乾燥地への順化も,抗利尿ホルモンの産生分泌が増し,水分の排出をおさえることなどによる。このように順化の機構にはホルモンなどの体液性の調節物質が関与している場合が多い。
                         和田 勝

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順化
順化 じゅんか Acclimatization 生理学的な適応のひとつで、生物が土着とはことなる環境で生息するために、よりよく適応するプロセスをさす。環境の違いが極端な場合は、生物の構造や生理にまで変化がおこる。しかし、どの生物にもそれが生存できる条件に限界があり、順化の例とされるものの中にも、たんに生物の強健さの例にすぎないものもあった。

たとえば人間も、通常の生理プロセスの変化によってかなり極端な条件に順化できる。温帯から乾燥した熱帯にうつった人間は心拍数や体温が変化し、やがて発汗量がへり、汗にふくまれる塩分もへるようになる。高度7600mでは大半の人がボンベから酸素をすわなければ活動しにくいが、やがて順化すると酸素マスクなしに呼吸できるようになる。これは、酸素をはこぶヘモグロビンをふくむ赤血球の数が増加するためである。赤血球の増加をもたらすのはエリスロポエチンというホルモンで、腎臓から分泌される。そのほかに赤血球の化学組成にも変化があって、酸素を必要とする全身の組織へ、ヘモグロビンをはこぶ働きを促進する。

人体は自然光に接しない条件のもとでも、1日ごとの反応パターンをしめす。大半の生物と同じく、通常は昼夜に対応した概日リズムにしたがって機能する。地下の実験条件のもとで生活していても、生理的に周期的変化をつづける。これは生まれつきの生物時計が存在することをしめしている。しかし、この体内時計がしめす1日の時間は、物理的な1日よりわずかに長いことが多い。

→ 適応


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概念形成
概念形成

がいねんけいせい
concept formation

  

経験を通じて新しい概念をつくり上げる過程。大きく分けて,日常的な概念を児童が発達的に形成する過程の観察と,実験場面で人工的な概念を短期間に学習する過程の観察の2つの方法により研究が行われている。なお,研究者によっては新しいカテゴリーをつくりだす過程を概念形成と呼び,そのカテゴリーを規定する属性を明らかにする過程を概念達成と呼んで区別することもある。





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概念形成
I プロローグ

概念形成 がいねんけいせい Concept Formation 私たちが日常もちいる言葉は、さまざまな概念にくくられる。たとえば、フクロウは鳥という概念にいれられるだけでなく、猛禽(もうきん)類にふくめられ、あるいは夜行性動物の概念にくくられる場合もある。このように、言葉はさまざまな概念にまとめられ、また概念と概念はたがいに複雑に階層化されむすびついていると考えられるが、そうした概念はどのように形成されたのか、その成り立ちを問うときに概念形成という用語がもちいられる。

ただし、概念形成という用語が「言葉や概念の側におのずからなりたつ関係」という響きをもつのをさけ、主体があるルールや理論のもとに概念を獲得していくという、主体の学習過程を強調する立場からは、概念獲得(concept acquisition)という用語がもちいられることもある。さらに、自然言語概念の獲得過程をいくつかの手がかり次元の学習過程とみなし、それを実験的に検討しようとするブルーナーらは、そこでの概念形成を概念達成(concept attainment)とよんでいる。

II 概念とカテゴリー化

概念は、さまざまな具体的経験を、あるまとまりごとに区分けしようとするカテゴリー化の中で生まれ、そのカテゴリーにつけられた名称である。そのカテゴリーにふくまれる事物や事象は当該カテゴリーの成員(正事例)とよばれ、そこにふくまれない事物や事象は非成員(負事例)とよばれる。シャム猫も三毛猫もペルシャ猫も、それぞれ特徴をことにしているが、犬や他の哺乳類との対比の中では、鳴き声、やわらかい毛、習性などの共通項をもつ。そのため1つのカテゴリーの中にまとめられ、猫という概念名をあたえられる。

こうした概念の成り立ちの経緯を問うとともに、概念どうしのつながりや階層的なネットワークがどのようにして形成されるかを明らかにするのが、概念形成研究である。

III 概念形成研究の内容

概念形成に関する研究は、次のような関心からすすめられる。

第1に、幼児において最初にカテゴリー化がすすめられるときには、どのような機制がはたらくのか。これに関しては、同一性、指示的等価性、知覚的等価性、概念的等価性が区別され、子供はこれらの諸等価性にしたがってある事物と他の事物との類似性を判断し、カテゴリー化にむかうと考えられている。

第2に、カテゴリーの成員が他の概念の成員と区別されつつ、1つのカテゴリーの中にまとまっているという凝集性は、どのようになりたつのか。この凝集化のプロセスについては、定義表象説、原型表象説など、概念の成員間の類似性をどのように考えるかに関する諸理論とむすびつけて検討されている。

第3に、幼児期という短い期間に膨大な個別事例(言葉)が効率的に習得され、限定された数のカテゴリーにまとめられるのはなぜか。この問いをめぐって登場してきたのがF.C.カイル、D.L.メディン、S.ケアリーらの認知制約説である。それらによれば、子供はそれぞれの発達段階に固有の認知的制約を「理論」としてもち、多様な事象をその制約にもとづいて仕分け、カテゴリー化をすすめるのだという。

概念形成に関する発達研究は以上のようなかたちで展開されているが、認知科学の進歩とともに、概念形成の研究もコンピューターによる意味ネットワーク・モデルの検討とむすびつけて考えられるようになってきている。

→ 認知心理学の「知識の体制化」


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問題解決
知覚学習
知覚学習

ちかくがくしゅう
perceptual learning

  

事物,事象に対する知覚が,以前に同一の,あるいはそれと関連のあることを何度か知覚するなどの経験を積むことによって,以前に比して短時間のうちに成立するようになったり,明瞭になったり,あるいは明確に識別されるようになるなどの変化を生じること。または,そのような変化を生じさせる過程をさす。





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運動学習
運動学習

うんどうがくしゅう
motor learning

  

運動技能の習得を一般にさすこともあるが,通常,特に感覚系と運動系の協応関係を伴う動作の学習をいう。感覚運動学習ないしは知覚運動学習ともいわれる。スポーツ,楽器の演奏,電信作業,あるいはタイプライタの学習などはその例である。





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連合
連合

れんごう
association

  

心理学用語。要素的経験がある法則に従い結合され,表象的心像や観念として復元されることをいう。連合の役割を強調する連合主義はイギリスの連想学派に始り,C.R.ダーウィンの進化論の影響を受け,H.スペンサー,A.ベインらによって連合心理学として確立された。この立場はアメリカの W.ジェームズにも影響を与え,これが現代の機能心理学として発展している。さらに,刺激と反応との結合または連合を主張する E.L.ソーンダイクの結合主義もまたこの流れの代表的な展開の一形態であり,ひいては J.B.ワトソンを祖とする行動主義的心理学の発展につながっている。ドイツにおいては,J.ヘルバルトの表象力学,さらに H.エビングハウスによる記憶の実験的研究が注目されるが,W.ブントも初期においては統覚的結合と同時に連合的結合を重視した。フランスでは,T.A.リボーがスペンサーやベイン流の進化論的連合主義と精神病理学とを統合し,現代フランス心理学の基盤を提供した。連合心理学は基本的には要素主義的であるため,ゲシュタルト学派によって批判されたが,新行動主義など現代心理学の理論的中核となっている。





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H.スペンサー
スペンサー

スペンサー
Spencer,Herbert

[生] 1820.4.27. ダービー
[没] 1903.12.8. ブライトン

  

イギリスの哲学者。学校教育のあり方に疑問を感じ,大学に入らず,独学であった。ダービーの学校教師を3ヵ月つとめたのち,1837~41年鉄道技師となる。その後,『パイロット』紙の記者を経て,48年経済誌『エコノミスト』の編集次長となったが,53年伯父の遺産を相続したため退職し,以後,著述生活に入った。終生独身で,大学の教壇に立たず,民間の学者として終った。進化論の立場に立ち,10巻から成る大著『総合哲学』 The Synthetic Philosophy (1862~96) で,広範な知識体系としての哲学を構想した。哲学的には,不可知論の立場に立ち,かつ哲学と科学と宗教とを融合しようとした。社会学的には,すでに『社会静学』 Social Statics (51) を著わしたが,社会有機体説を提唱した。日本では,彼の思想は外山正一らの学者と板垣退助らの自由民権運動の活動家に受入れられ,『社会静学』は尾崎行雄により『権理提綱』 (72,改訂 82) として抄訳され,また松島剛 (たけし) により『社会平権論』 (81) として訳されたほか,多数の訳書がある。ほかに『教育論』 Education (61) ,『社会学研究』 The Study of Sociology (73) ,『自叙伝』 An Autobiography (1904) 。





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スペンサー 1820‐1903
Herbert Spencer

19世紀イギリスの哲学者,社会学者。ダービーに教員を父として生まれた。学校教育を受けず,父と叔父を教師として家庭で育った。ロンドン・バーミンガム鉄道の技師(1837‐45)および《エコノミスト》誌の編集部員(1848‐53)を経て,1853年以後死ぬまでの50年間はどこにも勤めず,結婚もせず,秘書を相手に著述に専念した。大学とは終生関係をもたない在野の学者であったが,著作が増えるにつれて彼の名声はしだいに高まり,とりわけその社会進化論と自由放任主義は J. S. ミルや鉄鋼王 A. カーネギーをはじめ多くの理解者,信奉者を得て,当時の代表的な時代思潮になった。晩年は栄光に包まれただけでなく,その思想はアメリカに W. サムナーのような有力な後継者を見いだして,1920年代アメリカの社会学,社会思想の中枢をなした。
 彼の主著は膨大な《総合哲学体系 A Systemof Synthetic Philosophy》(1862‐96)で,全10巻の構成は,第1巻《第一原理》(1862),第2~3巻《生物学原理》(1864‐67),第4~5巻《心理学原理》(1870‐72),第6~8巻《社会学原理》(1876‐96),第9~10巻《倫理学原理》(1879‐93)となっている。その哲学観は,実証的科学の提供する知識以外のところに何か哲学固有の知識の領域があるということはなく,諸科学の分化した知識を包括し統合することが哲学であるという,科学中心主義の哲学である。だから彼が総合哲学と呼ぶものは,諸科学が提供する進化についての知識,たとえば天文学が教える天体の進化,生物学が教える生物進化,社会学が教える社会進化等についての知識を統合した,進化についての一般原理を体系化することを目的とする。彼が進化というのは物質の集中化と運動の分散化であり,この進化の法則は無機体,有機体,社会(彼は社会を超有機体であるとした)を通じてあてはまる。彼の社会学はこの進化の法則を社会発展に対してあてはめ,これを未開社会や歴史上の諸社会についての文献的知識によって例証したものである(社会進化論)。社会に関して物質の集中化に相当するのは,人類が小規模の部族社会から国民社会にむかって統合化の規模を拡大してきたことである。また社会に関して運動の分散化に相当するのは,機能分化が進み環境への適応能力を増してきたことである。統合化の度合いが進むにつれて社会は,単純社会→複合社会→二重複合社会→三重複合社会,と進化する。また環境への適応様式が進むにつれて社会は,軍事型社会から産業型社会へと進化する。
 スペンサーの社会学は,有機体システムとのアナロジーによって社会を〈システム〉としてとらえ,これを維持システム,分配システム,規制システムに分かち,社会システムの〈構造〉と〈機能〉を分析上の中心概念とした点で,現代社会学における構造‐機能分析の先駆とされる。またその社会進化論に裏打ちされた自由放任主義,すなわちいっさいの人為的な規制を廃することが最大の進歩を実現するという考え方は,自由放任という経済政策上に発する概念を,社会全般に拡大したものとして重要な意義をもち,とりわけ政府規制を好まないアメリカで熱狂的に迎えられた。また同じ理由から,彼の諸著作は明治10~20年代の日本で自由民権運動の思想的よりどころとして迎えられ,数多くの訳書が出版された。 富永 健一

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スペンサー,H.
スペンサー Herbert Spencer 1820~1903 イギリスの社会哲学者。社会学の創始者のひとりにかぞえられることが多い。ダービーに生まれ、学校教育をうけることなく、独学で多数の著作をのこした。ラマルクの影響をうけた独自の進化論にもとづき、科学の分化した知識を包括し統合する総合哲学の体系を構想した。

スペンサーの社会学は、進化の法則を社会発展にあてはめたもので(→ 社会ダーウィニズム)、小規模の部族社会から国民社会への変化を、統合化と分化のダイナミズムによって説明している。人為的な規制を脱するところに進歩があるとする彼の自由放任主義的な考え方は、アメリカをはじめ、明治初年の日本にも受けいれられ、自由民権運動に思想的な根拠をもたらした。著書には、「社会学原理」3巻をふくむ「総合哲学体系」全10巻(1862~1896)がある。


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A.ベイン
ベイン

ベイン
Bain,Alexander

[生] 1818.6.11. アバディーン
[没] 1903.9.18. アバディーン



イギリスの哲学者,心理学者。アバディーン大学卒業 (1840) 後,J. S.ミルらと交友関係を結んだ。 1860~80年同大学教授。心理学的には,連想心理学の立場に立ち,倫理学的には,ミルの功利主義に近い立場に立つ。 76年哲学誌"Mind"を弟子のロバートソンとともに発刊。またスコットランドの教育制度の改革に貢献した。主著『感覚と知性』 The Senses and the Intellect (1855) ,『情緒と意志』 The Emotions and the Will (59) ,『性格の研究』 On the Study of Character (61) ,『心と身体』 Mind and Body: The Theories of Their Relation (73) 。





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機能主義
機能主義

きのうしゅぎ
functionalism

  

19世紀に生れた科学方法論の1つ。認識論的には,物の本質とか物自体などは認識不可能で,現象や属性だけが認識できるという不可知論的見地に立つ。一種の実証主義で機械的唯物論に反発する。諸現象の関連から対象を記述するので,流動,進化などの過程を重視する点で弁証法的立場に近いが,対象の本質を矛盾においてとらえず,同一律による連続の原理でとらえる点が異なる。





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[ブリタニカ国際大百科事典 小項目版 2008]


機能主義
きのうしゅぎ functionalism

19世紀末から20世紀前半にかけて,科学や芸術の諸領域で前後して提唱され,その後の展開に大きな影響を及ぼした方法論上の立場であるが,領域の違いに応じて提唱の動機も function という概念の含意も異なり,むしろ〈関数主義〉と訳す方が適切な場合もある。たとえばこの時代の一般的な認識論的傾向を functionalism とよぶ場合がそうである。これは,実体概念を基軸としていた17,18世紀の考え方に対して,実体などというものは科学的に規定しえないものなのだから,科学はそうしたものを想定することなく,もっぱら現象の記述とその相互関係の法則的把握を目ざすべきだとする思想傾向であり,その限りでは同時代の反形而上学的な実証主義や現象主義と立場を同じくするが,古い実証主義がとかく事実を固定的・機械論的にとらえがちであったのに対し,諸現象をもっと動的・関数的にとらえようとするものであった。この問題をさらに厳密に考えぬき質量,力,エネルギー,原子,時間,空間といった近代科学の基本概念を,実体的なものの表現としてではなく,現象相互の関係やその変化を法則的に表現しようとする関数概念と解すべきだと説くカッシーラーの主張(《実体概念と関数概念》1910)なども,〈機能(関数)主義〉とよばれてよい。
 一方,個別科学の領域で機能主義的と見られるのは,心理学においては W. ジェームズの流れをくむデューイや J. R. エンジェルらの機能心理学,それを継承する J. B. ワトソン,G. H. ミードらの行動主義心理学,民族学や人類学の領域ではデュルケームの影響下に立つ B. K. マリノフスキー,ラドクリフ・ブラウンらの機能学派,経済学におけるベブレンの制度学派,法学では R. パウンドの社会工学,G. D. H. コールらギルド社会主義者の機能的国家論などである。しかし,この場合も,たとえば心理学における機能主義が,意識をその内容にではなく作用に即して考察し,その生物学的意味を解明しようとするものであり,C.ダーウィンや H. スペンサーの進化論の強い影響下に発想されたものであるのに対して,人類学におけるそれは,むしろ歴史主義や進化主義への批判から出発し,社会や文化を孤立した要素の複合体と見る従来の考え方に反対して,現存の制度や慣習の機能を全体としての文化や社会との関連のうちで解明しようとするものである。同じように〈機能の重視〉を主張しても,その〈機能〉の意味は一義的ではない。やはりこの時代(1890年代以降),建築や工芸の領域でも L. H. サリバンを中心とするシカゴ学派によって機能主義が提唱されたが(機能主義建築),これは〈形態は機能に従う〉というモットーのもとに美的価値と実用的機能との統一を目ざすものであったから,この場合の〈機能〉も心理学や人類学のそれとはかなり異なっている。
 このように,たまたま同じ〈機能主義〉を標榜したにしても,それぞれの主張内容にかなりのへだたりがあるのだから,それらの立場をむぞうさに一括するわけにはいかないが,しかしそれぞれの領域の置かれていた特殊な問題状況に応じて現れ方は違っても,そこにはやはり近代の実体論的思考や,その帰結である要素主義的・機械論的な考え方に反対して,あくまで経験に支えられる諸現象とその変化を全体的連関のなかで動的にとらえようとする時代の共通の志向が認められる。この志向がやがて20世紀の諸科学の主軸となる〈ゲシュタルト〉〈構造〉〈全体性〉〈システム〉といった諸概念の形成を準備することになるのでもあるから,機能主義を認識論および科学方法論の上での近代から現代への転換点としてとらえることは許されるであろう。              木田 元
【社会学における機能主義】
 社会学あるいは社会システム分析において,機能主義とは,社会的諸部分の活動ないし作用を,より上位の社会的全体の目的を達成しもしくはその必要性をみたすはたらきという視角からとらえ,社会的全体とのかかわりにおいて評価し解釈する方法論的アプローチをいう。機能主義は,システムにおける構造形成とその変動を,システムの機能および逆機能にかかわらせて説明することを可能にする。この定義において社会的諸部分の活動とは,個人の行為であってもよいし,個人の集合としての集団や組織の活動ないし作用であってもよい。重要なことは,個人ないし部分社会が単独では存続しえず,みずからの存続のためにより上位の社会的全体と一定の関係をもつことを必要とする点である。部分という語はすでにそれ自体として全体というものを予定しているが,機能とはそのような社会的全体の目的達成ないし必要性の充足に対して部分が果たす貢献であり,そのような貢献がうまくいった場合には部分の現行のあり方は維持されうるが,そうでない場合にはそれは変動にむかうことを余儀なくされる。機能主義というのは機能に着目する考え方というほどの意味であって,部分と全体との機能的な連関に着目することによって,社会事象の生起に関して種々の解釈ないし説明を与えようとするアプローチにほかならない。
[学説史的背景]  機能主義的思考の二つの古典的な形態は,社会有機体説と社会機械論に求められる。社会有機体説は生物学的な知見の社会事象への適用,社会機械論は力学的な知見の社会事象への適用である。とりわけ社会有機体説は,スペンサー学説に見るように,社会学理論の19世紀的形態として大きい役割を果たしたが,決定的な弱点はそれがアナロジーによる説明たるにとどまるということであった。
 このようなアナロジーによる説明からの脱却は,二つのステップを経て進行した。第1のステップは,社会システム,環境に対する適応,機能,構造,過程といった説明概念を,有機体のアナロジーを離れて社会分析それ自体のための用具として確立することであった。これは,デュルケームによる分業の機能の説明(《社会分業論》1893)や宗教の機能の説明(《宗教生活の原初形態》1912),ラドクリフ・ブラウンによる親族の機能についての説明(《未開社会における構造と機能》1952)などによって,推進された。第2のステップは,一般システム理論の社会システム論への導入であった。一般システム理論は,機械システムや有機体システムから抽出された原理をただアナロジーとして社会システムにあてはめるというのではなく,機械システム,有機体システム,社会システムがその一定側面に関して同型性 isomorphism をもつと仮定し,その共通原理を定式化しようとするものである。社会システムの理論は,1950年代いらい,T. パーソンズ,レビM. J. Levy(1918‐ ),ホマンズ G. C. Homans(1910‐89),ルーマン N. Luhmann(1927‐ ),その他多くの人々によってさまざまな方向に発展をとげて現在にいたっている。
[構造‐機能分析]  パーソンズによって創始され,その後多くの人々によって彫琢された構造‐機能分析は,上述した機能主義のテーゼに〈構造〉の概念を導入し,現行の構造のもとでシステムの構成諸要素が機能的必要の充足(または〈システム問題〉の解決ともいう)を達成しうるならば当該構造は存続しうるけれども,そうでないならば当該構造はシステム問題をよりよく解決しうるようななんらかの新しい構造にむかって変動する,という命題を立てる。この命題は,小は親族組織や企業の組織のようなミクロ社会システムから,大は国民社会のようなマクロ社会システムにまで共通にあてはまりうる,構造持続と構造変動の生起を機能の観点から説明するための説明仮説である。この説明仮説をよりどころにして,たとえば日本の明治維新における社会構造変動を,幕藩制社会の構造が当時の国際的環境のもとでもはや機能的必要を充足しえなくなった結果として説明する理論を構築することが可能である。アメリカやヨーロッパ諸国の社会学・政治学において,先進社会の産業化と近代化の分析,低開発社会の発展における挫折の分析などに関して,構造‐機能分析が大きい役割を果たしたのも同様の理由による。                富永 健一

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機能主義(社会学)
I プロローグ

機能主義 きのうしゅぎ Functionalism 社会学における方法論のひとつ。社会のある現象を、他の現象や全体的現象に貢献するかしないかという面でとらえる考え方である。19世紀末から科学方法論として、現象を、実体という捉(とら)え方ではなく、働きという捉え方で考える機能主義が成立し、人類学や心理学、建築などさまざまな分野でとりいれられたが、社会学でも同様であった。

II 社会学的機能主義の成立

社会学的機能主義の芽は、19世紀における、社会を生物体のたとえでとらえた社会有機体説や、機械のたとえでとらえた社会機械論にあるが、その後1900年前後に、デュルケームが分業や宗教といった社会現象を、当事者の目的とはことなる機能の面から説明する道を本格的に開いた。この方向は、マリノフスキーやラドクリフ・ブラウンらによって発展させられ、機能主義人類学が創始された。その後一般システム論をうけいれ、これによって社会学的機能主義は50年代に大きく展開し、社会学の主流になった。

III マートンの機能概念

この時期を代表するひとりであるR.K.マートンは、潜在的機能や逆機能といった概念を考えだし、また何が何にとっての課題を解決する機能をはたすのか、単位をはっきりさせるなど、機能主義を実証分析に役だつ道具につくりあげた。彼の発想はたとえば、「学校は企業にとって、子供が将来企業にはいったときに必要とされる集団行動の能力を習得させる機能をはたす」といったものである。

IV パーソンズの構造機能主義

もうひとりの代表者パーソンズは、抽象度の高い社会システムの一般理論をうちたてた。まず、大は国民社会から、小は家族などの小集団までの社会システムが存続しようとするならば、適応、目標達成、統合、潜在的パターン維持、という4つの基本的機能をかならずみたさなければならない、と考えた。彼の理論は、システムの比較的変化しない要素を構造としてとりあえず固定的にとらえ、変化する要素がこの構造の維持というシステムの目標に貢献するかしないかを評価するというもので、構造機能主義とよばれている。例でしめすと、「学校制度は社会を統合する機能をはたす」という考え方である。

V 新しい社会システム論

1960年代からこれらの考え方は、社会の変化をえがきにくいこと、人それぞれのいだいている思いの世界を無視しがちなことなどの集中的批判をうけ、まったく新しいかたちの社会システム論に変貌した。その代表者であるドイツの社会学者N.ルーマンは、たとえば「学校制度以外にもさまざまな現象が、社会を統合する機能をはたしうる」という、従来になかった柔軟な発想にもとづく等価機能主義をとなえている。新しい社会システム論の中で、機能主義はかならずしも名称としてはよく使用されるわけではないが、機能という概念は、その中核にもちいられている。


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機能心理学
機能心理学

きのうしんりがく

  

(1) functional psychology  J.デューイ,W.ジェームズの影響を受け,J.R.エンジェルを代表として,H.カー (シカゴ学派) および R.S.ウッドワース (コロンビア学派) らによって提唱されたアメリカの心理学。精神活動をその要素の結合によって説明しようとした要素主義的心理学または構成心理学に反対して,その機能を重視する心理学で,特にシカゴ学派は進化論の影響を受け,意識を生体の環境に対する適応の手段と解し,その生物学的意義を究明しようとした。 (2) Funktionpsychologie  F.ブレンターノの作用心理学の影響を受け,C.シュトゥンプの提唱したドイツの心理学。精神を現象と機能とに分け,心理学の対象として機能を重視した。





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J.R.エンジェル
エンジェル

エンジェル
Angell,James Rowland

[生] 1869.5.8. バーモント,バーリントン
[没] 1949.3.4. コネティカット,ハムデン

  

アメリカの心理学者。シカゴ大学教授,エール大学総長。 J.デューイ,W.ジェームズに師事,機能心理学 (シカゴ学派) の指導者。その学問的影響はきわめて大きく,大学行政面でも貢献。主著『現代心理学からの諸章』 Chapters from Modern Psychology (1911) ,『心理学序説』 Introduction to Psychology (18) ,"Psychology or itroductory study of the structure and function of human consciousness" (1904) 。





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作用心理学
作用心理学

さようしんりがく
act psychology

  

F.ブレンターノによって主張された心理学上の立場で,意識内容よりも意識作用をおもな研究対象とする心理学。もちろん,見る,聞く,判断するといった作用は,それと並行して常に意識内容を含んでいる (意識の志向性 ) が,ブレンターノによれば,意識内容を研究するのは現象学であって,意識作用を研究する心理学とは区別される。





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F.ブレンターノ
ブレンターノ

ブレンターノ
Brentano,Franz

[生] 1838.1.16. マリエンベルク
[没] 1917.3.17. チューリヒ

  

オーストリアの哲学者,心理学者。詩人 C.ブレンターノの甥。 1864年カトリック司祭,66年ウュルツブルク大学講師,72年同大学教授,73年宗教問題で辞職,74年ウィーン大学教授,80年結婚問題で辞職,96~1915年フィレンツェに住んだ。新カント派隆盛のなかで「アリストテレスに帰れ」を標榜,経験的方法を重視し,記述心理学を哲学の基礎とした。ボルツァーノと並んで独墺学派の創始者とされ,フッサール,マイノングらに与えた影響は大きい。主著『アリストテレスの心理学』 Die Psychologie des Aristoteles (1867) ,『経験的心理学』 Psychologie vom empirischen Standpunkt (74) 。

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ブレンターノ 1838‐1917
Franz Brentano

ドイツの哲学者,心理学者。ビュルツブルク大学助教授,ウィーン大学教授を歴任した。ドイツ・オーストリア学派(独墺学派,ブレンターノ学派とも呼ばれる)の指導者で,その門下からは心理学者シュトゥンプ,言語哲学者マルティ,対象論のマイノング,現象学のフッサールらが輩出した。1864年にカトリックの司祭となったが,教皇不可呈説などに反対して,1873年に教会から離れ,80年にはウィーン大学正教授も罷免された。彼はアリストテレス研究から出発して,ドイツ観念論の思弁的性格を厳しく批判し,経験主義と実在論の立場から,形而上学を中心とする広範な哲学的諸問題を論述した。論理学,認識論,倫理学,美学,宗教などに関する約20冊の彼の著作は今も版を重ねて研究されているが,フッサール現象学などとの関連でとくに重要なのは《経験的立場からの心理学》(全3巻,第1巻1874)である。
 同書は,学問研究に必要な基盤は経験(とくに直接的知覚)と分析的な認識である,という立場に立って,心的現象(意識)の諸特徴や種類についての記述心理学的研究を行い,そしてそれを哲学的諸学科の基礎学たらしめようとしたもの。彼によれば心的現象を物理的現象から区別する決定的な特性は,前者だけが何らかの内容ないし客観に志向的に関係し,そしてそれら諸対象を内蔵している点にある。そしてまた自分自身の心的現象だけが,内的に知覚されうるものとして直接明証的な確実な存在領域でもある。彼はさらに心的作用(心的現象)を,表象と判断と情動(愛憎など)の三つに分類し,そして表象がもっとも基礎的な作用であり,すべての心的現象は表象であるか,または表象に基づいているとした。同書ではいまだ,志向される客観は,意識に内在する非実在的対象だとされていたが,後には実在的なものだけが表象可能であるとされ,意識に対する客観の超越的存在が強調されるようになる。意識の志向性という概念は現象学に重大な影響を与えた。なお,作家の C. ブレンターノ,経済学者の L. ブレンターノは,それぞれ叔父,弟にあたる。
                        立松 弘孝

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ブレンターノ,F.
I プロローグ

ブレンターノ Franz Brentano 1838~1917 ドイツの哲学者、心理学者。ロマン主義の詩人クレメンス・ブレンターノの甥(おい)。ミュンヘン、ビュルツブルク、ベルリンなどで哲学と神学をまなんだのち、ビュルツブルクでカトリックの司祭になるが、その後ビュルツブルク大学教授をへて、1874年から80年までウィーン大学教授をつとめる。退職後はイタリアのフィレンツェにすみ、その後第1次世界大戦をさけるために移住したスイスのチューリヒで死去した。

II 記述心理学

ブレンターノは、アリストテレスや経験主義の哲学を研究し、哲学を心理学によって基礎づけようとした。記述的な心理学を哲学の方法とする彼の基本的な考え方は、主著の「経験的立場からの心理学」(1874)にはっきりとしめされている。ボルツァーノとともに記述心理学の「ドイツ・オーストリア学派」(ブレンターノ学派)の創始者といわれる。また、意識に関する考え方は現象学の創始者フッサールに、アリストテレス研究はハイデッガーに大きな影響をあたえた。

→ 心理学の「科学的心理学の誕生」


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E.フッサール
フッサール

フッサール
Husserl,Edmund

[生] 1859.4.8. プロスニッツ
[没] 1938.4.27. フライブルク


ドイツの哲学者。ウィーン大学で数学を学んだが,ブレンターノの影響を受け哲学に転向。 1887~1901年ハレ大学,01~16年ゲッティンゲン大学,16~28年フライブルク大学で教え,06年以降正教授。『算術の哲学』 Philosophie der Arithmetik (1891) で算術を心理学的に基礎づけることを試みたが,『論理学的諸研究』 Logische Untersuchungen (2巻,1900~01) では純粋論理学,論理主義的現象学を目指した。これはさらに『厳密なる学としての哲学』 Philosophie als strenge Wissenschaft (10~11) で現象学として深められ,『純粋現象学と現象学的哲学のための諸構想』 Ideen zu einer reinen Phnomenologie und phnomenologischen Philosophie (13) では先験的現象学を提唱,純粋意識のノエシス・ノエマ的構造が示された。そして『デカルト的省察』 Cartesianische Meditationen (31) では,相互主観性の問題へと展開,晩年の『ヨーロッパ諸学問の危機と超越論的現象学』 Die Krisis der europischen Wissenschaften und die transzendentale Phnomenologie (36) では,生命世界を問題とした。





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フッサール 1859‐1938
Edmund Husserl

現象学的哲学を確立したオーストリア出身のユダヤ系ドイツ人。1886年にユダヤ教からルター派キリスト教に改宗。学生時代はライプチヒ,ベルリン,ウィーンの各大学で数学と自然科学を専攻し,83年数学の論文によりウィーン大学の博士号を取得。84年から2年間ウィーンの F. ブレンターノのもとで哲学を学び,それ以後哲学研究に専念した。職歴と生前の主要著書は以下の通りである。87年から1901年までハレ大学私講師,この間に,基数概念の心理学的分析を試みた《算術の哲学》(1891)と《論理学研究》全2巻(1900‐01)を公刊した。後者は現象学の誕生を告げる記念碑的労作である。01年にゲッティンゲン大学助教授,06年に教授となり,《厳密な学としての哲学》(1911)と《純粋現象学と現象学的哲学のための諸考想》(通称《イデーン》)第1巻(1913)を出版して,彼が指導する現象学運動は最初の隆盛期を迎えた。16‐28年はフライブルク大学教授,退官後も同地で研究活動をつづけ,《形式論理学と超越論的論理学》(1929),《デカルト的省察》(フランス語訳版1931),《ヨーロッパ諸科学の危機と超越論的現象学》(1936)などを公刊した。50年以降,彼の遺稿を中心に著作集《フッセリアーナ》の出版が継続されている(84年現在23巻まで既刊)。13‐30年には現象学の機関誌《哲学および現象学研究年報》計11巻と別巻1冊が出版され,M. シェーラーの《倫理学における形式主義と実質的価値倫理学》や M.ハイデッガーの《存在と時間》などを掲載して,現代哲学に深甚な影響を与えた。
 フッサールが活躍した時代は,数学,物理学など諸科学の理論体系を支える基本的諸概念の意味が動揺して,その再検討を迫られた時代,すなわち〈諸科学の危機〉が顕在化した時代であった。したがって哲学界においても,科学的認識の方法と基礎づけをめぐる論理学的および認識論的諸研究が重視され,とりわけ19世紀末ころには経験心理学に依拠したそれらの研究(心理学主義)が優勢であった(《算術の哲学》はこの系統に属する)。しかしそれらの試みの多くは相対主義的な真理論や懐疑論に陥りがちであった。このような状況の中でフッサールも終始一貫,学問論的諸問題に最大の関心を示し,現象学による論理学と認識論の新たな基礎づけを通して,哲学全般を〈厳密な学〉として確立しようとした。彼によれば真に学問的な認識は,絶対的な確実性と普遍妥当性をそなえていなければならない。それゆえ彼は絶対に確実な所与を見いだし,そしてそれを現象学的研究の出発点にしようとした。この条件を充足する第1の所与は,反省的直観によって直接明証的に把握される自我の〈意識現象〉すなわち自分自身の知覚体験や認識体験の内在領域である。したがって,これら意識体験の構造と機能を記述することが,現象学的研究の第1の課題となり,そしてその結果,意識の本質特性はその志向性(すなわちつねに何らかの対象に関係し,それを思念すること)にあることが確認された。次いでこの特性と関連する第2の課題は,志向される〈対象現象〉としての諸事物とその世界の根源的な在り方を,あくまでも意識体験との相関関係の中で解明することであり,そして第3の課題は,意識する自我それ自身の存在性格を考察することである。換言すれば,認識論的研究と存在論的研究と自我論の三つが,フッサール現象学の主要な研究領域であり,しかもこれら3分野を〈自我が対象を意識する〉という志向的構造に即してつねに相関的に考察する点に,最も重要な特徴がある。ヨーロッパ諸科学の危機を招来した根本原因は,ガリレイ的な物理学的客観主義とデカルト的な哲学的主観主義との分裂にあると見ていたフッサールは,この相関的考察の方法によって,主観と客観との間に新たな関係を回復しようとしたのである。
 ところで上述した諸問題を解明する現象学の基本的性格を,フッサールは〈超越論的〉現象学および現象学的〈観念(イデア)論〉という言葉で表現している。認識論的反省以前の,日常の自然的態度におけるわれわれの関心は,もっぱら客観的諸事物に向けられ,しかもそれらは認識主観にとって〈超越的なもの〉として,意識作用とは無関係に実在しているかのように思われている。しかし,そのような超越的客観がいったいどのようにして〈これこれしかじかの存在者〉として,すなわち〈意味的に規定された対象〉として認識されうるのか,という疑問を解明するのが〈超越論的〉現象学の課題である。それゆえ現象学者は対象の実在を素朴に認める態度を一時中止(エポケー)すると同時に,反省のまなざしを自分自身の意識作用そのものへ向けるための現象学的還元(または超越論的還元)を行わねばならない。この還元の結果あらゆる対象は,もはや端的な超越者とはみなされず,もっぱら意識の志向的相関者として,すなわち認識されている限りにおいて,意識体験の領域に志向的に内在するノエマ的対象(思念されている対象)として,その認識の可能性と存在性格を究明されることになる(ノエシス)。この超越論的還元と並行して現象学者はさらに,個々の事実をその本質(形相=イデア)へ還元する形相的還元を行わねばならない。なぜなら学問が真に求めているのは,単なる事実認識ではなく,本質認識であり,しかも個々の事実はその本質と関係づけられることによって初めて真に論理的に理解されうるからである。現象学的観念(イデア)論の特徴は,このように事実学に対する本質学の,あるいはまた感性的直観に対する本質直観の優位を認める点にある。フッサールの現象学が〈純粋〉現象学とも呼ばれる理由は,このように本質と意味を固有の研究対象としているからである。
 この超越論的な純粋現象学においては〈志向性〉も,もはやただ単に対象への関係を意味するのではなく,あらゆる対象に意味と妥当性を付与するという仕方で,対象を構成する機能と解される。とはいえこの構成の機能も,対象自身が意識主観に対してみずからを示し与えることとの相関関係において可能になる。換言すれば,認識のヒュレ(質料)は現出している対象の側から与えられねばならない。そしてまた,このような仕方で対象を構成する主観(ないし自我)は,単なる経験的主観ではなく,超越論的‐純粋主観であるとされ,世界に内在する経験的自我と世界を構成する超越論的自我との間の統一性と差異性の問題や,意識の流れの時間性とその中での自我の同一性の問題などが,自我論の新たな研究課題となる。しかしそれにしても,世界はもとより各事物も個々の主観に対してのみ存在しているのではない。それゆえ超越論的主観性は究極的には間主観性であるとされ,そしてこのことと関連して他我認識の方法が,意識主観の身体性や歴史性の問題と絡めて考察される。これらの諸問題に加えて,後期のフッサールは諸科学の成立基盤としての〈生活世界〉の問題をも主題化して,科学的認識の成立過程をいっそう具体的に解明しようとした。
 《危機》書によれば,フッサールは〈真の哲学と真の理性主義とは同一である〉との確信のもとに,上述した一連の諸問題を探求したのであり,そしてその究極の意図は,理性に対する信頼の喪失に起因するヨーロッパ的人間性の危機を救うことにあった。彼によれば,理性的存在者であることが人間の最も基本的な本質であり,そして理性とは〈あらゆる事物や価値や目的に究極的にみずから意味を与えるもの〉のことである。理性主義を擁護し顕揚するこの思想は,ナチズムの狂躁に対する老哲学者の警告と抵抗の言葉でもあった。彼の現象学は,その志向性の概念をはじめとして,本質直観や記述を重視する方法論上の諸特徴によって,現代哲学のみならず,心理学,精神医学,社会学,言語哲学など広範囲の人間科学に深い影響を与えている。日本からも,田辺元,九鬼周造,高橋里美,尾高朝雄ら多くの学者がフッサールのもとへ留学した。⇒現象学 立松 弘孝

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フッサール,E.
I プロローグ

フッサール Edmund Husserl 1859~1938 ドイツの哲学者で、現象学の創始者。

フッサールは、1859年4月8日に、現在はチェコ領のプロスニッツに生まれた。ライプツィヒ、ベルリン、ウィーンの各大学で、科学、哲学、数学をまなび、変分法の計算をあつかった論文で博士号を取得。数学の心理学的基礎づけの問題に関心をもち、ハレ大学で哲学の私講師に就任してすぐのころに、最初の著作「算術の哲学」(1891)を執筆した。そのころから彼は、数学の真理は、人々がそれをどのようにして発見し信じるようになるかとはかかわりなく、妥当性をもっていると考えるようになっていった。

II 現象学の展開

その後フッサールは「論理学研究」(1900~01)において、初期の彼自身の心理学主義の立場を批判した。現象学の誕生をつげた本書では、哲学者の課題は事象の本質の考察にあることが主張された。意識はつねになにものかに向けられている、ということをフッサールは強調する。これが志向性とよばれる事態であり、ここから、志向的にはたらく意識そのものの構造と機能の分析、また志向性の相関項としてあらわれてくる諸事象と世界の根源的なあり方の分析といった課題があらわれてくる。

ゲッティンゲン大学在職中(1901~16)に、彼のもとには多くの学生があつまり、現象学派を形成していった。この時期には、いわゆる中期の思想を代表する書物である「純粋現象学と現象学的哲学のための諸考想」(通称「イデーン」)第1巻(1913)も出版されている。彼は、当時の実証主義的学問がどれも意識の外部に客観的世界が存在しているという想定にたっている点を問題にした。フッサールにいわせれば、それは日常経験の積み重ねの中で形成された思考習慣にすぎない。そうした無反省な態度にいったんストップをかけて、客観的世界やそのほかの世界内部的な存在者の想定が意識の中でどのように形成されるかを問わなければならない。これが現象学的還元とよばれる手続きである。

その際、問題は意識にあらわれる対象が実際に存在しているか否かではなく、対象が意識にとってどのような意味をもつものとして形成されるかにある。だからこそ現象学は、事象の現実存在は問題としないものであるにもかかわらず、記述的学なのである。フッサールによれば、現象学は理論の発明にではなく、「事象それ自身」の記述に専心する。

III 後期の著作と影響

1916年以降、フッサールはフライブルク大学で教壇にたった。現象学に対しては、本質的に独我論的な方法だという批判がくわえられていたため、フッサールは、「デカルト的省察」(1931)において、どのようにして個人的意識が他者の心や社会や歴史に向けられうるかを示そうとこころみた。また、晩年の「ヨーロッパ諸科学の危機と超越論的現象学」(1936)においては、科学的世界の根底にある生きられる世界の探求がこころみられている。38年4月27日、フッサールはフライブルクで死去した。

フッサールの現象学は、フライブルクでのわかい同僚で、実存主義的現象学を展開したハイデッガーや、サルトルおよびフランスの実存主義に大きな影響をあたえた。現象学は今なお現代哲学におけるもっとも活発な潮流のひとつであり、その影響は神学、言語学、心理学、社会科学など多岐におよんでいる。


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A.マイノング
マイノング

マイノング
Meinong,Alexius

[生] 1853.7.17. レンベルク
[没] 1920.11.27. グラーツ


オーストリアの哲学者,心理学者。対象論の創始者。 1882年グラーツ大学員外教授,89年同大教授。ブレンターノに学び,彼の哲学的記述心理学,特に「志向性」の理論の影響を受けて,対象論,すなわち存在,非存在にかかわりなく純粋対象の学としての対象論を提唱した。彼の対象論はフッサール,シェーラー,N.ハルトマンらに影響を与えた。主著『仮定について』 ber Annahmen (1902) ,『対象論』 ber die Stellung der Gegenstandstheorie im System der Wissenschaften (07) ,『可能性と蓋然性』 ber Mglichkeit und Wahrscheinlichkeit (15) 。





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マイノング 1853‐1920
Alexius Meinong

オーストリアの哲学者。グラーツ大学教授。F. ブレンターノの学派に属し,独自の対象論を提唱した。著書には《仮定について》(1902)や《諸学の体系内での対象論の位置について》(1907)などがあり,B. A. W. ラッセルやフッサールとも交流があった。彼は,対象を把握する4クラスの体験に対応させて,対象も次の4クラスに分類した。すなわち表象体験の物的対象を〈客観〉,思考体験(判断および仮定)の対象(すなわち〈A があること〉および〈A が B であること〉)を〈客観的対象〉,感情体験の対象を〈品位的対象〉,そして希求体験の対象を〈願望的対象〉と呼び,それら諸対象の存在性格や相互関係を考察した。例えば客観のあり方を実在,客観的対象のあり方を存立と呼び,仮に Aと B が表象の対象として実在していなくても,〈Aが B であること〉は存立しうるとした。また品位的対象(真,善,美)と願望的対象(当為や目的の対象)の概念に基づいて,独自の価値論を展開した。                     立松 弘孝

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対象論
対象論

たいしょうろん
Gegenstandstheorie; object theory

  

オーストリアの哲学者 A.マイノングの提唱した哲学的立場。その師 F.ブレンターノの哲学的心理学の影響のもとに,認識の志向性の理論を展開。実在しない対象 (観念的対象) もまた真の対象であり,述語の主語たりうるとの理論に基づいて,従来の認識論が対象の存在のみを重視したのを批判して,対象がそこに実在する,あるいは観念的対象が存立するという事態性をも広く取扱うべきことを主張して,その本質を解明しようとした。





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志向性
志向性

しこうせい
Intentionalitt

  

現象学の用語。意識は常にあるものについての意識であり,その意識の特性を志向性という。ラテン語の intentioに由来し,スコラ哲学では intentio prima (第一志向) と intentio secunda (第二志向) とに区別され,前者は対象についての直接的意識,後者は対象についての間接的意識,つまり対象についての意識を対象とする反省的意識を意味した。近代で,心的作用の特質として意識の志向性に注意したのは F.ブレンターノである。彼はアリストテレス,トマス・アクィナスを研究し,記述心理学の立場から内部知覚の対象としての心理的現象を物理的現象から区別し,その特質を志向的内在に求めた。 E.フッサールはブレンターノから示唆を受けたが,しかし対象の志向的内在に関して志向的対象 (ノエマ) と志向的作用 (ノエシス) とは並存しているのではなく,ひとつの志向的経験があるにすぎないとし,志向的経験の分析,作用における対象への志向的関係の分析が現象学の中心課題であるとした。 (→ノエシス )  





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志向性
しこうせい intentionality

意識の本質性格を示す,フッサール現象学の術語で,現象学の研究領域全体を示唆する主要概念。彼の恩師ブレンターノは,〈対象の志向的,心的内在〉という中世スコラ哲学の用語を借用して,物理的現象と異なる心的現象の特性は,対象に関係し,志向的にそれを内蔵している点にあるとした。これに倣ってフッサールもまず最初は,志向性という術語で〈意識は常に何かについての意識である〉という,意識の静態的構造を表現した。しかしその後彼の関心が,意識構造の単なる記述的研究から,意識作用の諸機能と(いわゆる超越的な)意識対象の在り方についての超越論的‐構成的研究へ進むにつれて,志向性も〈自我は意識されたものを意識されたものとして意識する〉という主観‐客観の機能的関係を表す術語となり,超越論的主観が志向的対象にその対象的意味を付与する作用(すなわち構成的機能)が志向性と呼ばれるようになる。このほか,諸体験を自我の統一的な体験流へ総合する機能や,感覚与件を受容する機能なども,志向性と呼ばれている。⇒現象学                     立松 弘孝

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C.シュトゥンプ
シュトゥンプ

シュトゥンプ
Stumpf,Carl

[生] 1848.4.21. ウィーゼンタイト
[没] 1936.12.25. ベルリン

  

ドイツの心理学者,哲学者,音楽学者,音声学者。ウュルツブルク,プラハ,ハレ,ミュンヘン,ベルリン各大学教授。 F.ブレンターノ,R.H.ロッツェの影響を受け,実験現象学的立場を取り,ゲシュタルト心理学の展開に影響を与えた。また,民族音楽の研究に努め,比較音楽学の創始者の一人として知られるが,さらに音響の研究にも大きな業績を上げた。特に晩年には言語音の分析に従事し,実験音声学の進歩に貢献した。『音響心理学』 Tonpsychologie (2巻,1883~90) ,『音楽の起源』 Die Anfnge der Musik (1911) ,『言語音』 Die Sprachlaute (26) などの著書がある。





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シュトゥンプ 1848‐1936
Carl Stumpf

ドイツの心理学者,哲学者。1873年心理学に関するその最初の論文《空間表象の心理学的起源》によってビュルツブルク大学教授となり,94年以降ベルリン大学教授。F. ブレンターノの作用心理学の影響をつよく受け,ドイツの機能心理学Funktionspsychologie の創始者とされる。彼は知覚という機能と知覚される内容とを区別し,心理学は精神の機能に関する研究を本分とすべきであり,内容に関する研究は現象学に属するとした。したがって精神の内容に力点をおくブントとは立場を異にした。心理学への重要な貢献に音楽心理学の先駆的な研究があり,主著《音響心理学》2巻(1883,90)は有名。        児玉 憲典

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結合主義
行動主義
刺激=反応説
習慣
習慣

しゅうかん
habit

  

後天的に獲得された個体の反応様式。刺激に対して自動的に解発されやすく,変化の少い一定の形をもつことが多い。生体のもつ多くの種類の反応が習慣になりうるが,典型的なものは種々の筋運動で,これらは条件づけや知覚運動学習により習慣化されると考えられる。ある動機のもとで獲得された習慣は,のちにその動機が消失しても,他の動機のもとで解発される。これを習慣の機能的自律性という。通常,ある反応が習慣といわれるまで自動化し,定型化するためには,かなり多数回の反復が必要とされる。動物の日常行動を支配しているものは,下等動物では本能であるのに対して,高等動物になるほど習慣の比重が大きくなるといわれる。なお,特定の民族や社会が,歴史的に獲得した定型的行動様式を慣習といって,個人の習慣と区別することもある。





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慣習
慣習

かんしゅう

  

一定の社会が共有する行動様式の全体をいう。習慣や文化,民俗・習俗などと類似する概念であるが,習慣がやや個人的な行動様式をさす傾向が強いのに対して,慣習は集団成員が共有する意味合いが強い。したがって,たとえば三隣亡に柱を立てる,など慣習と異なる行動様式を取った場合には,村八分などの形で社会的制裁を受けることがしばしばある。しかし慣習は法的規定ではないから,これに反しても法的な制裁を受けることはない。文化,民俗・習俗も集団的である点において慣習に近い意味があるが,慣習が個々の行動様式を指示する個別的な概念であるのに対し,これらはその集団や民族のもつ行動様式を全体的に指示する概念である。





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慣習
かんしゅう custom

一つの社会もしくは特定の集団の中で,伝統または慣行として確立された標準的な行動様式をいう。ある程度皆に公認された社会的行動であるため,また永く続けられてきた習わしであるため,成員にとっては一種の規範性を帯びることになる。社会規範と同義とされることもある。個人の習わしとしての習慣 habit とは区別される。習慣は,たんにその人独自の生活上のユニークな行動パターンであるにすぎないが,慣習は,大多数の集団成員に共通して見いだされる特徴的なふるまい方であって,合理的な根拠がない場合でも正当な行為型として皆に容認・支持される。衣・食・住のスタイルの決め方,挨拶・交際・贈答の仕方,冠婚葬祭を執り行う手順,商取引の習わし,実定法には規定されていない法的慣例(慣習法)など,慣習は生活様式(文化)のあらゆる側面に及ぶ。したがって慣習は,親族システムや地域社会などの基礎集団から,何らかの利益を求めて活動する二次的集団に至るまで,あらゆる集団において,その成員の社会的行動を方向づける重要な要因として機能する。集団内部で反復される常習行為としての慣習は,成員の行動に対してその規則性を維持するように拘束的な働きかけをすることが多い。そうした拘束に反した場合には,集団や他の成員から制裁 sanction が加えられることもある。
 そこで,この拘束性・規範性の程度に応じて,慣習の三つの形態が区別されよう。その一つは,慣行 usage である。それは,歩行における左側・右側通行のように,自然に決まった慣例的行動である。それに従えば集団での生活がスムーズに営めるという便宜的なものにすぎず,それに反しても当人が不便な思いをするか,不自然だという感じを抱くだけで,集団からの非難・制裁は受けない。第2は,W. G. サムナーのいう習俗 folkwaysである。それは,集団で伝統的に適切な行動様式だと是認されている標準的・慣習的規範を指す。〈義理〉などはそれにあたる。皆が習俗を守ることで社会の福祉が達成されるから,それに背く場合には何らかの制裁が加えられる。ただしインフォーマルで,それほど厳しいものではない。もちろん法によって強制されることはない。成員が無意識的,自動的に守っている慣習だと言える。この習俗に,社会の福祉にとって真でありかつ正しいとする信条や見解が付け加わると,それは3番目の慣習としての習律(モーレス mores)になる。習律は,いわば道徳的な行動標準ともみなしうるものであり,成員はそれに情緒的にも反応する。それを遵守することが集団の維持存続にとって必須だと考えられているために,近親相姦の場合のように,違反者に対しては,かなり厳しい制裁が加えられる。そうした制裁としては,他の成員からの河笑・非難,仲間からの排斥などがある。習律が法的,制度的に強要されることはない。前近代社会では,慣習の規範性が大きい。   浜口 恵俊

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刷り込み
刷り込み

すりこみ
imprinting

  

学習の一種。刻印づけともいう。刷り込みによる学習には,行動の習得に多数回あるいは長時間の試行を必要としないこと,普通生後まもなく,ある限定された時期にのみ学習が成立すること,一度習得された行動はその後の経験によって訂正できず,非可逆的であり消去されにくいことなど,一般の条件づけによる学習過程とは異なった特色がある。カモなどの鳥に,孵化後一定時間内に人や動物,あるいは物体を見せ追尾させると,その鳥は一生それを追尾するようになるという現象が比較行動学者 K.ローレンツによって見出されたが,このような行動は刷り込みの典型的な例である。





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刷り込み
刷り込み すりこみ Imprinting 主として水陸両棲(りょうせい)のガン、カモ、アヒルなどの鳥類のひなは、孵化(ふか:卵からかえること)直後から自分の親を識別して追従する行動をする。これを詳細に研究したローレンツによれば、この追従行動は、実際の親でなくとも、孵化後にであった刺激であればなんによっても、たとえばサッカーボールや人間によってさえ生じ、しかもいったんそれが生じれば、変更不可能な非可逆性と永続性をもつという。そこから、この現象を「刷り込み」(または刻印付け、インプリンティング)とよぶようになった。

この刷り込みは、一定期間の間に生じなければ、その後にはあらわれてこないために、臨界期や敏感期などの概念をもうみだし、心理学の発達研究において初期経験の重要性を認識させるきっかけのひとつともなった。その後の研究において、人間にもインプリンティングに類似した現象が、たとえば愛着対象の形成や味やにおいの好みの形成などでみられることが報告されているが、可塑性の豊かな人間の場合、はたして鳥類のような変更不可能な非可逆性をしめすかどうかについては異論もある。

→ 動物の行動:生得的解発機構


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弥縫策としての心理学(その02) [哲学・心理学]




ゆめ
dream

  

睡眠中に進行する一連の視覚的心像。ときには聴覚,味覚,嗅覚などの関与する夢もある。また睡眠時だけでなく,覚醒時の空想 (白日夢 ) もある。夢の原因としては,睡眠前の生理的・心理的緊張,睡眠中の外からの刺激あるいは身体内部からの感覚などがあげられる。夢では欲求や不安に基づいて主観的に自由にふるまう傾向が強い。また夢をみているときには脳波や眼球運動に特徴ある変化がみられるといわれる (→睡眠 ) 。





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ゆめ dream∥Traum[ドイツ]∥r『ve[フランス]

睡眠中に体験される感覚性心像(映像)をいう。ふつう夢は目覚めた後の回想によって意識される。そこで,睡眠中の脳の活動状態における表象の過程が〈夢意識〉であり,その覚醒時における回想が〈夢の内容〉であるということもできる。
【夢の生理】
[夢の種類と夢の収集分析] 夢と睡眠の関係を初めて明らかにしたのは,デメント W. C.Dement とクライトマン N. Kleitman で,彼らの実験(1957)によると,被験者をレム睡眠時に目覚めさせたところ,191回のうち,152回(80%)は夢を思い出したが,ノンレム睡眠時には,160回のうち思い出したのは11回(6.9%)であった。その後,研究が進むにつれて,ノンレム睡眠時の夢の想起率(夢の想起回数/覚醒回数)も上昇し,最高74%になっている。夢の内容からみると,レム睡眠時には〈夢想型の夢 dreaming‐like dream〉といわれるものが多く,一方ノンレム睡眠時には〈思考型の夢 thinking‐like dream〉といわれるものが多い。〈夢想型の夢〉では夢内容が明瞭で,ときには非現実的な,あるいは覚醒時には思い出せないような〈古い記憶〉が再生される。一方,〈思考型の夢〉では夢内容が明瞭ではなく,本人もそれが夢ではなくて,考えていたことだと感じることが多く,寝る前に考えていたことや,あるいは最近悩んでいたことなど〈新しい記憶〉が再生されると考えられている。前者の例は朝方の夢,後者の例は寝入りばなの夢に代表される。
 夢の収集は,より確実なレム睡眠期に覚醒させ,被検者の夢の内容についての報告を,テープレコーダーに録音しておき,後に事物,行動,人物など,内容そのものについて整理,分析をする〈レム睡眠期覚醒法〉が用いられている。同時に記録された眼球運動,筋電図,心電図などの末梢機能の変化と夢内容との関係についても調べられている。
 〈レム睡眠期覚醒法〉はレム睡眠の最中に目覚めさせる方法であり,レム睡眠終了後5分以内に起こした場合でも夢をおぼえてはいるが,10分後に起こすと断片的かほとんどは夢を見なかったという。ということは日常生活では,ふつう1夜にレム睡眠は5回起こるので,少なくとも5個以上の〈夢想型の夢〉を見ているが,たまたま夢を見た後で5分以内に目を覚ましたときにおぼえているにすぎない。したがって,おぼえている1,2回の夢についてその内容のよしあしを判断したり,未来を予測するなどは統計的にもまったく無意味である。
 夢の中で他人と口論をしている時には発語筋が活動しており,夢の中で怒っている時には心拍・呼吸数が増加し,ピンポンの夢を見ている時には眼球が左右に動くなど,夢を見ている時の脳は覚醒時と同様に末梢器官に指令的刺激を送っている。逆に眠っている時に涙をためたり,笑っている場合には悲しい夢や楽しい夢を見ているといえるだろう。
 寝言についての研究は必ずしも多くないが,レム睡眠の時に起こる寝言は感情的なものであることが多く,その時の夢の内容も感情的なものであることが多いと報告されている。恐ろしい夢を見たときの叫び声,俗にいう〈夢にうなされる〉などはこの例であろう。一方,ノンレム睡眠時の寝言は,落ち着いた調子で,内容もその人の社会的・家庭的環境に関係のあることが多く,その時に起こしてみると,夢を見ていたというより,考えていたと答える場合が多かったという。いわゆる思考型の夢に入るようである。睡眠時に発語筋の活動電流を記録し,寝言を言わなくても,発語筋が働いたときに起こしてみると,ほとんどの場合,夢の中でものを言っていたという報告もある。イヌやネコなどの動物でも,睡眠中に声を出すことがある。松本の研究室でも,イヌがレム睡眠時にうなったり,かすかにほえたりすることが記録された。
[夢と刺激] S. フロイトは〈夢の内容を作りあげる材料は,どんなものであろうとも,ひとがそれまでに体験したものから,なんらかの方法で採ってこられたものだということ,だからその材料は夢の中で再生産され,思い出されるということ,これは疑うに疑うことのできない事実とみてよかろう〉と述べている。また H. ベルグソンは〈夢そのものはほとんど過去の再生にすぎない〉と述べており,K. シュナイダーは〈昼間の生活の反映である〉と述べている。実際に筆者らが39人の学生について自宅・実験室でレム睡眠の時に起こして集めた297の夢の中で,その学生たちの過去に関連のある夢内容は232(78%)であった。
 一方,フロイトは夢内容の源泉として外的感覚刺激,内的感覚刺激,内的身体刺激,純粋に心的な刺激の四つを採りあげ,外的感覚刺激としていろいろな刺激を眠っている人に与えている。たとえば,駐燭の灯影を赤い紙ごしに何度も顔の上へ落とすと,嵐と暑熱の夢を見たとか,はさみでピンセットをたたくと暴風警報の鐘の鳴る夢を見たなどと書いているが,それはどのような睡眠パターンの時に与えられたかはわからない。
 しかし,デメントらは1958年に実際に脳波・眼球運動などの睡眠ポリグラムを記録しながら,眠っている人がレム睡眠に入っている時に100Wのランプを顔に照らしたり,1000Hzの音を聞かせたり,皮膚に注射器で水を噴霧したり,水滴を落としたりして,その刺激で目を覚ました時,あるいは後で目を覚まさせた時の夢の内容について調べている。その結果によると,水の噴霧,光,音の順に夢の内容に刺激の入っている率が大きく,水の場合には計48回のうち20回も,水が落ちてきた,雨が降ってきたというような夢を見ている。さらにベルを鳴らした場合にはドアの呼鈴が鳴ったとか,電話がかかってきたというような夢を見ている。
 このデメントらの結果の中で,ベルを鳴らした時に電話のかかってきた夢を見たということを大脳生理学的に分析してみると,被検者はアメリカに住んでおり,ベルと電話の関係は酸味と梅干のように,日常生活の中で本質的に組み合わされ,自然に強化されている,いわゆる〈自然条件反射〉を形成しているためにベルの音が電話を誘発したと考えられる。もし被検者が電話を知らないとしたならば,ベルの音を鳴らした時には,夢の中には電話は絶対に現れてこないだろう。
 このように考えてくると,音は条件刺激であり,電話の夢はそれと結合した条件反射と考えることができる。この考えから,松本は〈夢は睡眠中の条件反射である〉,詳しく言えば〈夢は覚醒中に得られた条件反射の睡眠中の再現である〉という作業仮説を立てた。
 この作業仮説を証明するために,次の実験を行った。まずパブロフの原法にしたがって,イヌの覚醒時に500Hzの純音を聞かせ,同時に品を与えることによって,音だけで耳下腺唾液の分泌される条件反射を形成した後に,イヌが眠った時に音を聞かせたところが,条件反射性の唾液分泌はノンレム睡眠期には見られたが,レム睡眠期には認められなかった。レム睡眠期には外的感覚刺激が脳内に入り難いという性質のあることを克服するために,次にネコを使ってネコの脳内電気刺激を条件刺激にすることにした。その場所としては,デメントらの皮膚刺激が夢内容に取りこまれやすいという報告から考えて,手の皮膚刺激を大脳皮質感覚野へ中継する視床の腹後側核に電極を挿入して電気刺激を与えることにした。この唾液条件反射は,覚醒時に9~22日間の強化で形成されたが,イヌと同様にノンレム睡眠時にのみ条件反射性唾液分泌が認められた。そこでレム睡眠時不成功の理由について考えてみると,既述のように人間のノンレム睡眠期の夢には新しい記憶の再生による思考型のものが多く,レム睡眠期の夢には古い記憶の再生による夢想型のものが多いことから,子ネコの時から条件反射をつけて長期にわたって強化することにした。生後3ヵ月から条件反射をつけて4歳4ヵ月になった時に調べたところ,ノンレム睡眠期のみでなく,レム睡眠期にも条件反射性の唾液分泌が認められ,同時に急速眼球運動が伴うことも確認された。このような結果から夢は覚醒中につけられた条件反射の再現であり,ノンレム睡眠期の夢は新しい記憶と古い記憶の再生であり,レム睡眠期の夢は古い記憶のみの再生であるといえるだろう。
 なお,夢の内容を認識するには人間の言語答申による以外に方法はないが,言語を情報伝達手段としての外言語,思考手段としての内言語に分類すると次の式が成立する。
 報告される夢=真実の夢×外言語
 真実の夢=夢見像×内言語
 たとえば,人間が実際に夢を見た場合に見なかったと言えば,報告される夢はゼロになるが,真実の夢は本人には残って認識されている。イヌ,ネコあるいは人間の乳児は外言語はもたないが,なんらかの思考手段はもっており,夢内容は報告することはできないが,理論的には真実の夢は見ているといえるであろう。
[夢と個人差] 夢をよく見るという人と,見ないという人がいることは確かである。1959年にグッドイナフ F. Goodenough らが,夢をよく見るという8名と,あまり見ないという8名,計16名の大学生について調べたところ,確かに〈よく見る人〉の群はよく夢を見ているし,〈見ない人〉の群では夢を見る回数が少なかった。さらにそれぞれの平均睡眠時間などについて調べたところ,前者は後者よりも平均睡眠時間が約1時間も多く,床に就いてから入眠する時間も早かった。これらの結果から,〈よく夢を見る人〉は夢の背景になる睡眠が十分にとれて,夢の後で目が覚めやすくなっている人であるといえるだろう。
 ところで,昔から色つきの夢を見る人は天才か精神異常者だという俗説がある。最近の調査によれば,画家,デザイナーなど色彩に関係の深い職業についている人に,色つきの夢を見る人が多いと報告されている。さらに松本らが,大学生約1000名を対象に調査したところ,色つきの夢を見る人が理科系の学生では50.7%,文科系学生では46.9%であった。男女別では,女子で62.1%,男子で43.1%が色つきの夢を見たことがあり,理科,文科の比率の差は男女ともほぼ同様であった。
 なお,〈夢は五臓の疲れ〉といわれるが,これは〈夢の内容は五臓の故障を代弁することがある〉ということであって,〈夢は五臓が疲れているから見る〉という意味ではない。⇒睡眠   松本 淳治
【夢の解釈】
夢は古来,神霊の人間への介入などとして貴ばれてさまざまな解釈が行われ,それには未来を予知したり病気を治癒させる力などが認められていた。〈夢占い〉あるいは〈夢解き〉はさまざまな社会で行われており,特定の職能集団を形成する場合もあり,戦争の開始など国家の重要決定に影響を与えることも少なくなかった。聖書には〈ヤコブの夢〉(《創世記》28:10~22)ほか有名な逸話が伝えられ,古代ギリシアでは医神アスクレピオスの神殿に参籠して夢を授かることで病気を治すということが行われ,日本にも同様な慣習があったことが知られている。夢の詳細な解釈技法は,西洋においては早くも2世紀のアルテミドロスによって集大成されている。しかし,近代以降合理精神が普及するにつれ,一般に夢は日常生活とはほとんど関係のない幻想であり,非合理的で意味のないものとして,長くその意義は少なくとも表面上は忘れられていた。
 夢の意味は,1900年に公刊された S. フロイトの《夢判断》という著書により,心の深層を表すものとして再発見された。フロイトによれば,夢は日常の意識が低下した時に心の深層から現れる無意識的な願望の充足であって,意識が受け入れようとしなかった過去の抑圧された願望内容を暗示するものである。彼は,夢の特徴として,二つ以上の心像が合体してみられる〈圧縮〉や,心理的なものが具体的な心像として視覚化される〈戯曲化〉,あるものが他の形をとって現れる〈置換え〉,さらに内容の婉曲な表現である〈象徴化〉などが行われていることを主張した。夢の内容の研究からフロイトは快楽を追う人間の生理的な本能として性欲を想定し,それが現実と衝突して抑圧されるという考えを理論化し,精神分析運動を展開した。一方,最初はこれに参加していた A. アードラーは,夢の背景にある内容を過去の性的願望の表れとするフロイトの考えに納得せず,むしろ将来への展望を含む権力的願望が,抑圧されているものと考えた。
 さらに C. G. ユングは,夢の中に神話的内容を認め,夢にはフロイトのいうようなある個人の過去の抑圧された願望内容をもつものもあり,またアードラーの考えのように,未来志向を秘めているものもあるが,古今東西の人類に普遍的に存在する普遍的無意識から現れるものもあると考えた。いわゆる〈大きな夢〉とユングが呼ぶ神話的な内容をもった夢は,その夢を見た人の私的な過去や未来には関係なく,ある部族,または民族,さらに人類全体とかかわり,多くの人に影響を与えるような内容をもつものもあるとしたのである。そのためにフロイト派では,夢から自由連想法によって過去の抑圧された事実を追究しようとする還元的な方法で夢の意味をつきとめようとするが,ユング派では私的な連想のほかに,ほとんど無限大に拡大しうる拡充法によって,夢のまわりをめぐり,その普遍的な意味を考えようとする方法を採っている。そのほかにも L. ビンスワンガーや M.ボスらによる現存在分析に基づく夢解釈などがあり,多様化している。⇒精神分析   秋山 さと子
【夢と文化】
J. G. フレーザーの《金枝篇》や,L. レビ・ブリュールの《未開社会の思惟》にあるように,夢がその文化の中で重要な役割を占める集団,地域は,世界に多くの例をみる。夢の経験は覚醒時の経験とは異なることが多いので,夢の意味をたとえばヒンドゥー教では未来を予言するものとしたり,トロブリアンド島ではシャーマンになる適性を知るものとするなど種々の扱い方がある。しかし,夢にそのような意味を与えているからといって,夢と現実との見さかいがついていないかのように考えるのは誤りである。日本でも,お籠りによって神仏から夢を授かろうとするように,すべての夢に区別なく重要な意味を見いだすわけでは決してない。たとえばトロブリアンド島でも,いわば普通の夢といえるものが大部分であって,それには価値を認めない。しかし子どもが7~8歳の時期にふしぎと感じるような夢を見ると,シャーマンに解釈を受け,その子どもがシャーマンになる適性があることを知ることもある。トロブリアンド島ではまた,お産に先立って特定の先祖が夢に現れ,生まれる子がその再生であることを知らせる場合もある。このように,それぞれの文化の中で夢の扱い方が了解されていて,その点では,夢の意味はその文化の中では合理性をもつものである。心理学的な研究においては,見ていた夢を語る被験者が多いにもかかわらず,その夢にたいした意味を認められない者の方が多い。これについてはすでに述べたように,夢の意味は文化が与えるものであるという点が重要である。夢を見たことだけはおぼえがありながら,その内容はまったく記憶しない癖のあった人が,たとえば夢分析を受けるようになるとよく思い出すようになり,分析家の助力によって夢が意味することを悟るようになるのは経験的によく知られている現象である。その集団の文化が,文化として夢に価値を認めていること,またその中で,夢を見る人がみずからの夢には価値がありうることを信頼していることが,夢の意味づけの要件として認められねばならない。
 睡眠と夢について現象を記述する研究はすでに蓄積されてきたが,その本性はなお未知のままである。睡眠状態において見る映像は,覚醒時の抑制から解放された働きによるゆえに特に重要である。なお,夢という言葉は,現実の事態を超えた〈希望〉のことであったり,ある種の欲望を心で追求する白昼夢の内容を指す場合もある。これらも善悪や適不適を別にすれば,覚醒時の抑制から解放されているという点で睡眠中の夢と同様の意味をもちうる。したがって夢は広い意味での想像力でもあり,そこに働く直観や洞察の力を,既成の文化の分析とは別の仕方で了解する方法の探究は,なお未来に残されているといえよう。
                        藤岡 喜愛
[夢と日本人] 《万葉集》の恋歌には,夢の実在性を信じ,魂の実体性をふまえた歌が多い。〈わが背子がかく恋ふれこそぬばたまの夢(いめ)に見えつつ寝(い)ねらえずけれ〉,〈旅に去にし君しも継ぎて夢に見ゆ吾が片恋の繁ければかも〉。前者は相手が自分のことを思ってくれた結果として自分の夢に現れる場合であり,後者は自分が相手を思うゆえに,相手が自分の夢に現れる例である。いずれも相手の姿(魂)が夢を回路として現れたのであって,夢が現実と拮抗しうるだけの比重をもっていたことをうかがわせる。《古今集》の〈思ひつゝぬればや人のみえつらん夢としりせばさめざらましを〉(小野小町)になると,現実に対する夢の比重の軽さがすでに見えはじめているが,夢についての基本的な観念は崩れていない。大きく分けると,夢の実在性が信じられていた下限は,平安末期,ないしは鎌倉初期あたりに置くのが妥当であろう。夢が神仏の啓示を伴うものであるのはいうまでもないが,古くは《古事記》の記述が参考になる。崇神天皇の時,疫病が流行して人民が多く死んだので,天皇は神牀(かむとこ)に座して神意を問うたところ,大物主神が夢に現れて,意富多多泥古(おおたたねこ)をして,三輪山にわれを斎き祭らせるならば,疫病はやむと神託を下したので,その通りにしたところ疫病はぴたりとやんだというものである。神牀に座すとは天皇自ら沐浴斎戒して寝ることを意味しており,それは夢(神託)を得るための祭式的行為でもあった。この神牀こそは後に述べる夢殿(八角堂)の原型であったのではないかと思われる。
 法隆寺の夢殿については,古い伝承を示すものとして《上宮聖徳太子伝補闕記》や《聖徳太子伝暦》に太子が夢占いをするために夢殿に入ったという話が残されており,夢殿とは夢を見る殿であったことはまちがいない。《今昔物語集》には別の話として,太子はそこに入って宗教的瞑想としての三昧定(さんまいじよう)に入ったとある。夢を見る殿が仏教信仰とともに禅定の場へと転化された姿を見せているが,瞑想が一種の夢想に近い営みであるかぎり,そこには聖なるものと交わる夢という古い回路が生きているのは当然である。女犯と往生との相克に悩んだ親鸞が,叡山を下りて京都六角堂に百日間籠り,夢の中で救世観音の化身である聖徳太子から偈を得て,それが信仰上の回心となったということは,恵信尼の消息文などに詳しいが,六角堂が親鸞にとって一種の夢殿であったともいえる。
 平安時代から鎌倉・室町時代にかけて,物詣の三大霊場といえば石山寺と長谷寺,清水寺であった。《梁塵秘抄》に〈観音験を見する寺,清水,石山,長谷の御山〉とあるのは有名で,〈験を見する〉というのは,あらたな霊験(れいげん)として奇跡を表すことのほかに,仏のお告げの験(しるし)として〈夢を見せる〉ことすなわち夢告(むごう)を指している。平安中期,道綱の母によって書かれた《蜻蛉日記》は,夫,藤原兼家との愛に傷つきながらの生きざまを回顧した日記文学であるが,彼女はその傷をいやすために,しばしば石山寺に参籠して夢告にあずかっている。《石山寺縁起》には,この道綱の母の参籠のほかに,《更級日記》の作者,孝標(たかすえ)の娘の参籠の絵がのっており,本堂の外陣(げじん)の一角に設けられた局に籠って,几帳を立ててその中に臥(ふ)している姿が描かれている。これは当時の貴族・受領クラスの女性がいかなる仕方で夢告を得ていたかを知る貴重な記録である。《石山寺縁起》にはこのほか,僧侶や一般庶民が本堂の外陣の板敷に上畳を敷き,そこで眠りながら夢告を待っているようすが描かれている。貴賤上下の人々が観音の夢告に期待したものは,自己の出所進退について,最終的・決定的な答えを啓示としてもらうべく,夢=神意を待つということであり,他方,おのれの運命の吉凶の予兆を夢に問うこと,さらには,現世利益的な,病気平癒や至富への可能性,子授けや結婚への願望の成就の有無について,なんらかの啓示を得ることであった。長谷観音の夢の告げを信じて行動した結果,藁しべ一筋から長者にのし上がった男の話は,夢が至富と結びついた好例であろう(《今昔物語集》巻十六第二十八)。古代においては,物の怪(もののけ)や罪穢がそうであったように,夢もまた一種の実体であり,そこから夢が売買された話なども生まれてくる。《宇治拾遺物語》の〈夢買人ノ事〉や,〈だんぶり長者〉を含む夢買長者と呼ばれる一群の昔話,味箇買長者などがそれである。《蜻蛉日記》や《更級日記》をみると,他者の依頼を受けて夢を見る夢見法師の存在と,その夢解きを専門に行った者(巫覡,陰陽師)の存在が確認されるが,夢が一つの実体(他者性)として考えられていた時代には,こうした職能人が霊場に付属していたとしてもふしぎではない。夢は善くあわせる(解く)とその身が幸せとなり,悪くあわせると凶になると昔の人は信じていた。夢は古代にあっては解かれたとおり実現されるものであったらしい。夢解きがいかに重大な職掌であったかがわかる。
 夢が実体として信じられていた時代にも,もちろん無条件には受け入れず,疑念を抱いていた人々も多くいたわけで,疑と信は並行したり錯綜したりして古代から中世へと夢をめぐる観念の変遷史を形づくっていったといえよう。《春日権現験記》には,夢想と託宣の例が数多く描かれているが,巻十六の解脱房貞慶や,巻十七の明恵上人の場合には,春日明神の託宣(夢想)を疑っているのであって,疑われた明神が怒って巫女に憑依し,奇抜な奇跡を演じているところが描かれている。これは一種の信仰の押し売り,誇張とみて差し支えないところかも知れない。室町時代の成立である《太平記》巻三十五の〈北野通夜物語事付青砥左衛門事〉の描く青砥左衛門なる武士においては,夢への不信があからさまに出ており,それは単に不信心という消極的なものではなく,一つの新しい人生態度として自覚されている事実に注目したい。執権相模守が鶴岡八幡宮に通夜した夢に,青砥左衛門を取り立てよという神託がある。執権は早速近江の大庄八ヶ所の補任状を左衛門に与えたのである。ところが左衛門はこれを断り,自己自身の実力によってかち取った所領ならばともかく,夢=神託などによって与えられるなどとはもってのほかと一蹴してしまう。これは,もはや一個人の問題ではなく,夢についての考えが大きな変り目にきていることを示す挿話というべきであろう。夢を乞うために観音霊場へ参籠する信仰習俗が,この頃を転機に,霊場を巡行する巡礼(じゆんれい)へとようすを変えていったのは偶然の一致とは思えない。これも夢についての観念の転換を物語る一こまといえよう。             岩崎 武夫
[インド哲学と夢] インドのバイシェーシカ学派の古典である《プラシャスタパーダ・バーシャ》によれば,夢は正しくない知識の一つに位置づけられる。また,夢を見る原因としては,過去の強烈な印象,身体を構成する要素の欠陥,不可見力が挙げられる。過去の強烈な印象に基づく夢とは,たとえば,熱愛し,相手を思いつめながら寝た人に現れるものである。身体を構成する要素の欠陥に基づく夢とは,たとえば,胆汁の多すぎる人が見る火や黄金の山などの夢のことである。不可見力に基づく夢とは,過去の行為の潜在力によって見る,瑞兆や不吉な兆しを告げる夢,あるいはいまだ経験したことのない事がらについての夢のことであるという。また,インドの正統派哲学の主流を形成したウパニシャッドやベーダーンタ学派の哲学では,アートマン(自己の本体,自我)のありようを,熟睡状態,夢眠状態,覚醒状態,第四位の4状態に分類し,心理学的な考察を加えている。
                        宮元 啓一

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I プロローグ

夢 ゆめ Dreaming 睡眠中におこる精神活動。目ざめているときの思考とはことなる。夢についての臨床研究や実験的研究がこれまで多くおこなわれ、夢をみる精神活動がどのような性質のものかその特徴が明らかにされてきた。

これらの研究によれば、夢は概念的であるよりは知覚的なもので、内容も考えたことではなく、感覚的なものが多い。ほとんどすべての場合は「見た」と感じる夢で、「聞いた」と感じる夢は全体の50%以下である。さわったり、あじわったり、匂いをかいだと感じたり、いたかったと感じる夢はあまりない。

夢では感情もともなうが、それは目ざめている状態のときにあらわれるような調整された感情ではなく、むきだしの恐れ、怒り、喜びなどがあらわれることが多い。夢のほとんどは、部分的な記憶で構成され、場面が何度もかわる。

II フロイトの夢解釈

夢の研究のなかには、さまざまな夢の内容の特徴を明らかにするものもある。たいていの人は少なくとも数回は奇妙な夢をみた経験をもつ。20世紀初めにフロイトは、夢をみているときの心を支配しているのは、目ざめている状態ではたらいている精神作用とはかなりちがった精神作用であると説いた。フロイトによれば、夢は心の深層にある願望の偽装された充足であり、その内容には、幼児期にまでさかのぼる過去の、抑圧された願望が暗示されている。このような潜在的な思考が、顕在的な夢となってあらわれるとき、検閲などのさまざまな意識による規制をうけているが、フロイトはその過程を「夢の仕事」とよんだ。

「夢の仕事」は次のような作用をする。(1)圧縮(複数の事物がひとつに合体してあらわれる)。(2)置換または移動(重要な願望がさほど重要でない他の形によってほのめかされる)。(3)象徴(性的な欲望などが他のイメージに翻訳され、たとえばペニスが槍(やり)や蛇として表示される)。(4)劇化(形のない心理が目にみえる形に視覚化される)。

III 夢の生物学

近年さまざまな観点からの夢の研究がおこなわれ多くのことが明らかになったが、もっとも重要なのは、夢は生物学的現象であるという発見であろう。夢についての生物学的研究は、1953年にアメリカの睡眠研究家ユージン・アゼリンスキーとナサニエル・クライトマンがおこなった研究にはじまり、夢は人が眠りから目ざめるときにすっと現われてすぐ消えるようなおぼろげなものではなくて、その人がある生物学的状態になっている間におきるものであることがしめされた。

1 レム睡眠とノンレム睡眠

睡眠には明らかにことなる2つの状態がある。まず最初の状態はノンレム睡眠(NREM:non-rapid-eye-movement sleep)あるいは徐波睡眠とよばれるもので、睡眠の大部分を占めている。この睡眠では脈拍は少なく、血圧も低くなっていて、自律神経系はあまり活発に働いていないし、ほとんど、あるいはまったく夢をみていない。

2番目の状態は、レム睡眠(REM:rapid-eye-movement sleep)とか逆説睡眠とよばれるもので、眠っている間に周期的にあらわれ、このときは自律神経系が活発に働き、はやい眼球運動があって、よく夢をみている。夢を思いだすことはしばしばであったり、まれであったり、まったくなかったりもするが、ふつう一晩に4、5回のレム睡眠があらわれる。およそ90分間隔であらわれ、全部あわせると睡眠の約25%を占めている(生まれたばかりの赤ん坊では50%もある)。また、1回の夢はふつう5~20分つづく。

レム睡眠中の人に対して音をたてたりさわったりして刺激をあたえると、夢の中にあらわれたりするが、すでにレム睡眠にはいっているのでなければ、このような刺激でレム睡眠がはじまることはない。つまり、少なくともこのような場合ではフロイトがいったような方法で夢が睡眠を「保護する」ことはない。ノンレム睡眠中に夢をみたと報告されることもあるが、ふつうは短く断片的で、思考型の夢である。

IV 他の動物も夢をみるか

他の動物が夢をみるかどうかについては、少なくとも哺乳類にはレム睡眠があるのは明らかで、この睡眠中に夢をみていると考えられる理由もある。たとえば、ヒトと同じように、動物でもレム睡眠中に大脳皮質の視覚野が活発にはたらいていることが証明されており、ヒトではこの活動と夢の中でみた経験とは一致している。

サルに対しておこなわれた実験では、動物も夢をみることがさらにくわしく証明された。この実験では、目の前のスクリーンに絵がうつったら必ずレバーをおすように訓練されたサルが、睡眠中に暗い部屋で目をさまして突然何回もレバーをおしはじめた。

V 夢の内容

夢は生物学的現象であると新たにわかったが、夢に意味がないわけではない。思考や白日夢のように意味のある精神活動から生まれてくるものであり、その人の希望、恐れ、関心、心配を表現している。夢を研究したり、分析したりすることは、その人の精神がどのようにはたらいているかを、別の観点から明らかにする有効な方法となりうるとされている。

→ 精神分析:精神療法:夢分析


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幻覚
幻覚

げんかく
hallucination

  

感覚印象がないにもかかわらず,それが現実に存在しているような知覚を生じる体験で,対象の存在しない知覚といわれる。幻視,幻聴,幻嗅,幻味,体感幻覚,一般感覚の幻覚,性的幻覚などに区別される。精神病者は幻覚された体験,対象が実在のものでないことを認めない。これに対して,幻覚の実在を本人が確信しないとき,つまり,いくらかでも疑うときには幻覚症と呼ぶ。幻覚は,意識のはっきりしているときに出現するもの (幻聴など) と,意識障害時に出現するもの (幻視など) に分けられる。幻覚は次の場合に現れる。 (1) 半眠時 (入眠・出眠時幻覚) 。 (2) 末梢神経の損傷。四肢切断後にまだその肢があると感じる幻肢など。 (3) 中枢神経の局所損傷。 (4) 夢幻様状態,熱性せん妄,アルコールせん妄,てんかん,強烈な情動などによるもの。 (5) 統合失調症。 (6) その他の精神病。 (7) 幻覚発現物質 (メスカリン,LSD-25など) の使用。





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幻覚
げんかく hallucination

幻覚は〈対象なき知覚〉ともいわれ,外部から刺激がないのに,声を聞いたり,物が見えたり,におったり,味がしたり,さわられたと体験することである。正常人でも寝入りばな(入眠時),さめぎわ(出眠時)には幻覚を体験することがある。外部からの刺激を誤って知覚するときは錯覚といい,幻覚と区別している。幻覚は知覚の種類にしたがって幻聴,幻視,幻触,幻臭(嗅),幻味,体感幻覚などにわけられている。
 幻聴は主として人の声が多く,自分に対する悪口,批判,命令の内容で,音が聞こえることはすくない。幻視は人物,動物,風景が多く,幻触はだれかが自分の身体に触れたり,いたずらしたり,虫などがいると訴えるもの,幻臭は周囲からの異臭,不快臭を感じたり,自分の身体から不快臭が出ているというもの,幻味は不快な味を感ずるものである。幻味や幻臭は被毒妄想に結びつくことが多い。体感幻覚は身体の奇妙な異常感として訴えられる。幻覚に対する確信は患者によってまちまちで,ある程度その異常性を自覚していることもあるが(脳幹性幻覚のような脳の部分的障害による幻覚),多くは幻覚を実在のものと確信している。幻聴の際に,声をきくが頭の中に感ずるだけという場合には,外部からはっきりと声をきくもの(真性幻覚)に対し偽幻覚とよんでいる。
 幻聴は精神分裂病,慢性アルコール中毒(幻覚症),覚醒剤中毒に多くみられ,幻視は慢性アルコール中毒をはじめとする中毒性精神病,症状精神病など意識障害の認められる際に多く,幻触は精神分裂病,中毒性精神病(コカイン中毒),症状精神病に,幻臭は中毒性精神病,症状精神病,精神分裂病,癲癇(てんかん)発作,自己臭恐怖者に,幻味は中毒性精神病,精神分裂病,癲癇発作に,体感幻覚は体感異常症,鬱(うつ)病,精神分裂病にみられる。そのほか,五感器の中枢経路の障害でも幻覚があらわれるが,多くは要素性のものである。また外傷などで四肢が急速に切断されたあとに,手足がなお存在しているように感じるものは,幻影肢という名で知られている。なお以上のような分類のほかに,次のような幻覚の分類もある。機能性幻覚とは,一定の刺激が持続している間だけ幻覚が認められるもの(たとえば水道の音が聞こえている間だけ幻聴があるように)で,反射性幻覚とは,一定の刺激があると反射的に幻覚があらわれるものである。⇒錯覚 保崎 秀夫
[文化人類学における〈幻覚〉]  人類学者ウォーレス A. F. C. Wallace は幻覚を定義して〈擬似知覚 pseudo‐perception〉であるとし,夢や催眠的心像もこれに含めている。幻覚は世界各地の民俗慣行とくに民俗宗教において重要な意味をもつ。幻や夢は,神霊,死霊,祖霊など霊的存在を含む〈他者〉との直接接触・交流の回路であり,媒体であるとされるからである。人類学者ブールギニョン E. Bourguignon は幻覚を〈トランス〉の類似概念であるとし,トランスにおいて自己の外界に対象を知覚・認識するのが幻覚であり,同じトランスにおいてであっても,対象が自己に憑入(ひようにゆう)し,対象と自己が同一化するのが〈憑霊〉であるとして,両者を区別している。幻覚は各地のシャーマン(予言者,見者など)のイニシエーションおよび儀礼において,シャーマンが霊的存在や霊界と直接接触・交流する際の不可欠の条件である。彼らはトランスや夢の中にあらわれる神霊や死霊を直接目にし,言葉を交わし,お告げを伝えるなどして役割をはたす。幻覚はアニミズムやシャマニズムにおいて,とりわけ重要な意味と役割をもつ。                 佐々木 宏幹

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幻覚
幻覚 げんかく Hallucination 感覚異常の一種。視覚におこるものを幻視、聴覚におこるものを幻聴などとよぶ。実際には実体も感覚刺激もないのに、あたかもそれがあるかのように感じるので、刺激をうけてとりちがえる錯覚とはちがう。精神状態が異常なときにおこるものが多く、覚醒剤の弊害としてもおこる。→ 薬物依存症:精神薬理学


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知覚
知覚

ちかく
perception

  

一般的には,感覚器官を通して,現存する外界の事物や事象,あるいはそれらの変化を把握すること。広くは,自分の身体の状態を感知することをも含める。把握する対象に応じて,運動知覚,奥行知覚,形の知覚,空間知覚,時間知覚などが区別されるが,いずれの場合にも事物や事象の異同弁別,識別,関係把握などの諸側面が含まれる。心理学では特に,感覚と区別して,現前している環境の事物,事象の総体をとらえることであるとする定義や,複雑な配置の刺激と過去経験,現在の態度とに基づいて成立する意識経験であるとする定義がある。また,感覚器と神経系の刺激の受容・伝達活動と,それによって解発される人間の動作または言語的反応との間に介在する意識経験で,過去経験や学習の結果を反映する一連の過程を媒介として成立するものとする定義もある。





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[ブリタニカ国際大百科事典 小項目版 2008]


知覚
ちかく

〈知覚〉は,日本では古来,〈知り,さとる〉という意味の語であったが,西周が,アメリカ人ヘーブン Joseph Haven の著《Mental Philosophy》(1857,第2版1869)の邦訳《心理学》上・下巻(1875‐79)の中で,perception の訳語として使用して以来,哲学や心理学などで英語,フランス語の perception やドイツ語の Wahrnehmung の訳語として定着するに至った。perception という語は,〈完全に〉〈すっかり〉などの意を示す接頭辞per と,〈つかむ〉を意味するラテン語 capere とからなる語であり(ドイツの Wahrnehmung は,〈注意〉の意を有する wahr――英語の aware などに残っている――と,〈取る,解する〉を意味するnehmen とからなっている),たいていは五感によって〈気づく〉〈わかる〉ことを意味する。哲学や心理学でも,感覚を介する外的対象の把握が普通に〈知覚〉と呼ばれている。したがって,それは,純粋に知的な思考や推理とは区別されるが,また単なる感覚とも区別されるのが普通である。しかし,その場合問題になるのは,実はそうしたことのもつ認識論的価値であるから,その点をめぐって知覚についての議論もさまざまに分かれてくることになる。
 まず,知覚が刺激の単なる変容としての感覚から区別されるのは,知覚が対象についての認知を含むと考えられているからである。一方,知覚が感覚を媒介にした把握に限られるのは,知覚に対象との直接的接触が期待されているからである。その意味では,知覚は,対象との直接的接触による直観知への要求を反映した概念ともいえる。事実,われわれ自身の内的状態や意識そのものの把握が,いわゆる五感によるものではないにもかかわらず,ときに〈内部知覚〉などと呼ばれるのは,知覚のそうした理解にもとづいているわけである。そして知覚がそのような対象の直接知と解されるならば,それが知識の最も基礎的な源泉と考えられるようになるのも当然である。フッサールやメルロー・ポンティなどがその好例であって,フッサールによれば,知覚こそは対象自体を与えてくれる〈本源的〉知なのである。もっとも,知覚を対象の直接的把握とすることには反論もある。例えば,机の知覚において,われわれが直接に見ているのは机の前面だけであり,その裏側はいわば想像されているにすぎないからである。われわれの錯覚も,多くはそのようなところから生じているわけである。そして,そのことがまた,〈現象〉と〈実在〉ないし〈物自体〉とを区別する存在論的二元論や,あるいは知覚を純粋な感覚(例えば〈感覚所与〉)となんらかの知的作用との合成物と見る主知主義的解釈の根拠ともなる。フッサールが,〈外部知覚〉の明証性と〈内部知覚〉の明証性とを,前者を〈不十全〉とし後者を〈十全〉として区別したのも,外的知覚の一面性を配慮してのことであった。
 しかし,これらの議論は,それほど説得的なものではない。確かに,われわれは知覚において思い違いをすることがある。しかし,その誤りは,対象に近づくなり視点を変えるなりして修正することができる。したがって,あるときの知覚の誤りから,われわれの知覚のすべてを一挙に非実在的な〈現象〉の把握とするのは,形而上学的飛躍といわなければならない。しかも,われわれが〈現象〉と異なる本物の〈実在〉を仮定するということ自体,実はわれわれが日常,誤認と正しい認知との違いを体験していることにもとづくのであって,その違いこそは知覚が教えてくれたものなのである。また,知覚の主知主義的解釈も,〈感覚所与〉といった概念がすでに経験的に確認しえないものであるところに,重大な難点をもっている。そのうえ,知覚は動物にもあると考えられるから,その構成要素として知的作用を仮定する必要はないし,そもそも知覚は,まだ判断ではないのである。それは,例えば〈ルビーンの杯〉などで,図形の反転が判断や解釈によって起こるのではないことからも知られる(反転図形)。なお,〈外部知覚〉と〈内部知覚〉の明証性の違いに関しても,例えば容易に自己反省をなしえない幼児のような存在もある以上,われわれはここでむしろ,内部知覚が何によって可能になるかをこそ問題にしなければならないであろう。
 このように見るならば,知覚のもつ認識論的価値を過小に評価すべき理由はあまりないといわなければならない。もちろん,知覚の可呈性は否定できないことであり,したがってそのつどの知覚はさまざまの科学的手段によって修正される必要があるにしても,そもそも外的対象があり,世界が存在することは,知覚による以外に知りようがないからである。メルロー・ポンティが知覚を,いっさいの説明に前提されている〈地〉と呼んだのは,その意味においてである(《知覚の現象学》序)。知覚を刺激や神経の興奮などから因果的に説明しようとする〈知覚の因果説〉の不備も,根本はその点にかかわるのである。            滝浦 静雄
[知覚と感覚の生理学]  知覚は具体的な意味のある意識的経験で,なんらかの対象に関係しているということで,受容器の刺激の直接的な結果として起こる感覚と区別される。例えば形の知覚とかメロディの知覚というように,知覚は複雑な刺激パターンによってひき起こされる場合が多い。しかし色彩知覚や運動知覚のように対象とは独立に起こる知覚もあり,感覚との区別はあいまいである。
 W. ブントや E. B. ティチナーなど構成心理学の人々は,要素的な純粋感覚を仮定し,その総和と,それと連合した心像(以前に経験した感覚の痕跡)を加えたものが知覚であると考えた。しかしM. ウェルトハイマーや W. ケーラーなどゲシュタルト心理学の人々は,知覚を要素的な感覚に分けることは不可能で,むしろ直接的に意識にのぼるのはつねに,あるまとまった知覚であると考えた。例えばウェルトハイマーが1912年に発見した仮現運動の場合は,少し離れた2個の光点が順番に提示されると,静止した別々の光点には見えず一つの光点が動いているという運動印象だけが得られる。ケーラーは,あらゆる知覚現象には必ずそれに対応する脳の生理的過程があるという心理物理同型論 psychophysical isomorphism の立場から,仮現運動が実際の運動と等しい生理過程を大脳皮質にひき起こすのであろうと考えた。最近の神経生理学的研究によると,実際にネコやサルの視覚野とその周辺で記録される運動感受性細胞は,連続的な運動だけでなく仮現運動にもよく反応する。したがって今日では,知覚は受容器でとらえた感覚信号の空間的・時間的パターンから,中枢神経系で何段階かの情報処理を経て読み取られた,あるまとまった意味のある情報であると理解されている。
[知覚の恒常性]  知覚はもともと感覚の種類によって大きく分かれているが,さらに同じ感覚の中でもいくつかのカテゴリーに分かれる。特に視覚は,明るさ,色彩,形態,大きさ,運動,奥行き,空間などさまざまなカテゴリーの知覚に分かれる。これらのカテゴリーの多くに共通の現象として,知覚の恒常性がある。例えば明るさ(白さ)の恒常性は,照明の強さと無関係に黒い物は黒く,白い物は白く見える現象をいう。これは知覚系が明暗の対比をもとにして表面の反射率を識別しているからである。色の恒常性は照明光のスペクトルが大幅に変わっても,その物に固有の色が見える現象をいう。ランド E. Land によると,これは知覚系が,赤,緑,青の色光の相対的な反射率を識別しているためで,これもおそらく色の対比がもとになっていると思われる。大きさの恒常性は,対象の距離を変えてもその大きさが同じに見える現象をいい,形の恒常性は,見る角度を変えても形が同じに見える現象をいう。これらは知覚系が網膜像の大きさや形のほかに,距離や面の傾きを計算に入れていることを示している。このように知覚の恒常性は,対象を見る条件がいろいろに変わっても,同じ物はつねに同じに見えるようにする知覚の働きを示す現象で,外界の認識のために重要な意味をもっている。しかし一方では,恒常性を保つメカニズムがさまざまな錯視の原因にもなっている。
[知覚の神経生理学的研究]  この方面の研究は,ヒューベル D. H. Hubel とウィーゼル T. N.Wiesel が1963年にネコの視覚野で,細長いスリットや黒い線およびエッジに反応する細胞を発見してから急速に発展してきた。視覚野にはこのほか,両眼視差や網膜像の動きや色の対比を検出する細胞があり,これらが立体視や運動視や色彩知覚のための情報処理を行っている。しかし意識にのぼる知覚に対応する神経系は,より高次の感覚周辺野や連合野にある。最近,ゼキ S. Zekiは第4視覚野で色彩知覚に直接対応する色覚細胞を発見した(1980)。また第5視覚野(または MT野)には奥行きを含むさまざまな方向の運動に反応する細胞が集まっている。視覚周辺野のその他の領域も,それぞれ別のカテゴリーの知覚に関係していると思われる。そして側頭連合野(下側頭回)は形態視に関係し,頭頂連合野は空間視に関係した情報処理を行っていることが明らかになりつつある。そのほか,体性感覚野とその周辺には,皮膚表面の動きやエッジに反応する細胞や,いくつかの関節の組合せや関節と皮膚の組合せ刺激に反応する細胞があって,触覚による形態知覚や触空間や身体図式(姿勢)の知覚に関係する情報処理を行っている。聴覚野とその周辺には,複合音や雑音や周波数変化(FM 音)に反応する細胞があって音声の知覚に関係する情報処理をしているほかに,音源定位に関係する細胞群も記録されている。このように,知覚は大脳皮質における複雑な感覚情報処理の結果である。⇒感覚
                        酒田 英夫
【認知科学における知覚】
認知(認識)と運動のメカニズムの研究は,認知科学における最も重要なテーマの一つである。その認識と運動を支えるのが知覚であり,古くからさまざまな分野で研究が進められている。ここでは知覚とは何かを考え,それを支えるメカニズムについて紹介する。
 なぜ私たちは今見えているように世界が見えるのか。この問題は,よく考えてみると極めて難しい問題である。私たちが見ている世界は,網膜に投影された映像から,私たちの頭の中で3次元世界を推定した結果なのである。すなわち,私たちが見ている世界は,私たちの頭の中で作り上げた世界なのである。
 私たちがものを見ているときは,見えている面だけではなく,裏の面をも認知している。このような見えていない面も含めた物体の認知は,個々の物体に対する記憶に基づいている。これを感覚可能物と呼ぶ。しかし,知覚とは私たちの視点から見えている対象の形状と位置に関する見え方を指すことが多い。言い換えると可視表面の形状と位置に関する私たちの見えを指す。したがって,知覚の問題は可視表面の構造や位置が見えているようになぜ見えるのかということになる。言い換えれば,知覚の問題は網膜の感覚信号から外界の面の構造と位置をいかに推定するかということにある。ここでの面の構造とは,面の幾何学的構造のみならず,材質感(質感)なども含む。たとえば,見ただけで,面がつるっとしているとか,ざらざらしているとかいった感じや,金属的であるとか,木質的であるといった感じを受ける。また,面の色に関しても知覚する。このような外界の構造および位置に関する推定を行っているのである。図1のように,顔のパターンと見た場合には,はっきりとその全体の形の捉え方が変わる。すなわちこのような知覚においても,私たちが持っているさまざまな知識が働いているのも事実である。しかしながら,一方でほとんど個別の知識(たとえば,リンゴは丸い,リンゴは赤いといった知識)を必要とせずに上記の面の構造や位置をある程度正確に捉えられることも事実である。したがって多くの場合,個別の知識なくしてこのような問題が脳の中でどのようにして解かれているのかが議論される。また,面の構造や位置は照明条件が少し変化しても,あるいは視点を少し動かしても,体を動かしても安定した知覚が得られる。このような特性を恒常性 constancy と呼んでいる。
 目を動かすと外界が静止していても網膜像は動く。それにもかかわらず私たちの知覚は安定して固定している。これを位置の恒常性と呼ぶ。また,たとえば,十円玉を斜めから見れば,網膜の投影像は楕円であるのに,私たちは円であると知覚することができる。このように,視点によらずに形を安定して知覚することができる。これを形の恒常性と呼んでいる。また,私たちは照明光のスペクトルにあまり左右されずに正しく面の色(表面色)を知覚することができる。たとえば,白い紙を白熱球の下で見るとその反射スペクトルはオレンジが強くなっているはずである。実際,私たちは,表面から反射しているその表面の色はオレンジがかって見えるが,面の本来の色(正確には標準白色光源下での面の色)が白色であると判断することができる。これを色の恒常性と呼ぶ。一方,黒い紙を明るい戸外で見たときの方が,白い紙を暗い室内で見たときよりも反射光量は強い。しかしながら私たちは,それぞれ,黒い紙・白い紙であると判断することができる。このように,照明光強度に関わらず,白や黒といった正しく判断することができる。これを明度 lightness の恒常性と呼ぶ。また,遠くの人の網膜像は小さく,近くの人の網膜像は大きい。しかし私たちは,遠くにいる人が小人であるとは思わない。つまり,網膜像が小さいからといって必ずしも実体が小さいものとは感じていないのである。このように距離が遠くになって,網膜像が小さい場合には,私たちはそれが小さいものであると思わない。大きさの恒常性というものを持っている。
 以上述べてきたように,主な恒常性として,位置の恒常性,形の恒常性,色の恒常性,明度の恒常性,大きさの恒常性がある。ただし,色の恒常性や大きさの恒常性はある程度条件が整わないと成立しないことが知られている。
 以上のように,最初に取り上げた疑問,すなわち,なぜ見えるように外界が見えるのか,という問いに関して,より正確かつ具体的に問題を設定することができた。すなわち,2次元網膜像からいかにして3次元表面の構造や位置を脳内で推定することができるのだろうか。また,さまざまな恒常性はどのようにして実現されているのかということである。
[2嚶次元スケッチと表現の座標系]  知覚の最も重要な問題はどのようにして物体の面の形状を脳内で表現しているのかということである。この問題に対して,マー David Marr(1945-80)は2嚶次元スケッチという概念を提唱した。2嚶次元というのは2次元でもなく3次元でもない,中間的な表現という意味である。すでに述べたように私たちが物体を見ているときには,今見えていない隠れた面をも感じながら見ていると考えられる。その意味で私たちは対象の3次元の表現を脳内で作っていると考えられる。一方,網膜像は2次元の表現である。その中間的な表現として2嚶次元スケッチがあると考える。2嚶次元スケッチは,面の向きと奥行きに関する表現であり,それは観察者中心座標系で表現されている。
 さて,すでに述べたように,目を動かしても,頭を動かしても,対象の静止した位置は変化しない。もし,網膜像を直接見ていれば,明らかに目や頭が動いたとき,対象の位置が変化するはずである。したがって,脳のどこかで,網膜座標系の表現から観察者中心座標系への変換がなされているはずである。つまり,対象の位置は,網膜あるいは視野の上下左右といった関係で表現されているのではなく,観察者の位置から,どの方向にどれだけの距離で物体があるのかといった捉え方をしているはずである。このことを観察者中心座標系での表現と呼ぶ。
[光学と逆変換]  私たちが,2次元網膜像から3次元構造を推定する一つの手がかりとして,両眼視差を使っている。図2に示すように,今 F を見ているとしよう。そのとき,F とレンズの中を通る円周上にある点は,左眼と右眼の対応する位置に網膜像を結ぶ。これを対応点と呼ぶ。しかし,この円周上にない点,A や B では,左右の網膜像の位置はずれている。この網膜像のずれを両眼視差と呼ぶ。円周上,すなわち今固視している面から,離れれば離れるほど,両眼視差は大きくなる。また,固視している面よりも遠い場合と手前の場合ではずれ方が逆になる。まとめると,固視点をとおる円周から点がずれていれば両眼視差が生ずる。これは,幾何光学的,あるいは物理的な過程によって生じている。脳では,この逆の操作が行われているといえる。すなわち,脳内では,この両眼視差をうまく検出し,両眼視差から私たちは奥行き知覚を得ているのである。この証拠として,ステレオグラムがある。ステレオグラムは図3のように,一対の絵を左の絵は左眼で,右の絵を右眼で見る。2枚の絵は左右で少しだけずれている。これを脳内で融合させると立体に見える。これは,左右のずれが前述の両眼視差に対応している。すなわち,私たちは両眼視差から脳内で立体を復元しているということになる。以上をまとめると,光学過程で生じた両眼視差を,3次元形状推定の手がかりとして用い,脳内でその逆変換により3次元像を構成しているのである。
[3次元構造を推測する手がかり]  前項で述べたように,両眼視差は3次元構造を推定する重要な手がかりの一つである。しかし,私たちは両眼視差以外に,片眼でも使えるさまざまな手がかりを利用している。これらを単眼手がかりと呼ぶ。単眼手がかりには,陰影,オプティカルフロー,テクスチャー,遮戴,遠近法的手がかりなどが存在する。これらの手がかりが単独に与えられても,ある程度立体感は得られる。たとえば,遠近法的手がかりの陰影やテクスチャーといったものは,絵画に使われている。両眼手がかりや単眼手がかりそれぞれの手がかりから推定される3次元情報を統合して私たちは頭の中で一つの面の表現を作り上げていると考えられている。
[恒常性と情報統合]  D. マーの提唱した2嚶次元スケッチは,観察者中心座標系での表現なので,観察者の頭や目が動いても,安定した位置の表現になっている。私たちの知覚には,確かに,このように位置の恒常性が成立している。位置の恒常性が成立するためには,私たちの動きを考慮して網膜座標系の表現を観察者中心座標系に変換しなければならない。事実,脳ではこのような視覚情報の変換が運動情報を用いて行われていることが実証されている。しかもこのような変換は,自己の運動が起きてからでは遅すぎる。運動が起こる前に,その運動を予測しながら視覚情報を変換していく必要がある。私たちの脳内では,自己の運動指令情報を使ってこの変換がなされていると考えられている。具体的にいえば,筋肉への運動指令は大脳の運動野から発せられる。この運動野から発せられた情報は,通常の経路では脊髄を通って筋肉に指令が伝わる。この運動情報を脳内で利用することにより,視覚情報の変換を行う。こうすれば,時間の遅れなしに知覚情報の変換ができる。このような操作が頭頂連合野でなされていると考えられている。つまり,運動指令を出すと同時に,その運動が実際に起これば,網膜像はどのように変換されるかを予測し,実際に入ってきた視覚情報を観察者中心座標系に変換しているのである。このように恒常性においては,複数の情報の統合が不可欠となる。
[聴覚による知覚]  さまざまな音源から伝わってくる音波が重ね合わせられて,私たちの耳に入ってくる。この音波は鼓膜を振動させ,その振動は耳小骨を経て蝸牛と呼ばれる組織に伝えられる。蝸牛で音波は,時間周波数に展開されることが知られている。私たちはこのように複合された音波から,独立の音源の位置や距離を推定(音源定位という)し,それぞれの音源からの音信号を分離して選択的に聞くことができる。
[体性感覚による知覚]  比較的体に近い空間や自己の姿勢の知覚においては,視覚や聴覚の情報と体性感覚情報が統合されて,対象および自己の身体の位置関係が自己中心座標によって表現されている。これらの情報をもとにして自らの身体運動のイメ-ジが得られる。さらに,自らの運動を通して外界の対象に能動的に触れたり操作することによって,対象の形状や材質のイメ-ジが作りあげられる。能動的に対象を手でさわる場合,手や指のばらばらの運動知覚ではなく対象の形状や対象の材質が感じられる。これをアクティブタッチと呼ぶ。知覚系と運動系を結ぶ頭頂連合野では,対象が自己の身体によって操作可能かどうかという評価を下すこともできなければならない。たとえば,手でつかめる大きさかどうかという判断もこの系の役割であると考えられている。
⇒運動                     乾 敏郎

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運動知覚
運動知覚

うんどうちかく
perception of movement

  

刺激対象の移動,動きを知覚すること。これには,視野内の視覚刺激対象やみずから音を発する聴覚刺激対象が空間中を実際に移動したり,触刺激対象が皮膚面上を実際に移動したときに生じる実際運動の知覚と,それらの刺激対象が実際は静止していても,あたかも動いているように感じられる運動の錯覚がある。前者は日常一般にみられるもの。ただしこの場合にも運動の知覚が生じるには,移動する対象の運動速度,運動距離,周辺条件などにおいて適度の条件が満たされていることが必要である。後者には,仮現運動,誘導運動,自動運動などの現象が含まれる (→シャルパンティエの錯覚 ) 。なお,運動する対象をしばらく持続視したのちに静止した対象を見ると,その静止対象が反対方向に運動するように感じられる種々の運動残像もこの運動の錯覚の一つ。





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[ブリタニカ国際大百科事典 小項目版 2008]


運動知覚
I プロローグ

運動知覚 うんどうちかく Motion Perception 対象の動きの知覚は、聴覚や触覚にもみとめられるが、おもに視覚の問題として研究されてきた。視覚的運動知覚は、実際運動、仮現運動、誘導運動、運動残効、自動運動に区別することができる。

II 実際運動

実際の運動は、物理学的には対象と観察者の相対的な位置変化であり、何が何に対して運動するかは、観察点をどこにとるかによってきまる。人間の場合、実際運動の知覚は、一般には観察者に観察点がある場合であり、この観察者に対する外界の動きとして考えることができる。宇宙ロケットの搭乗員からみれば、ロケットが上昇するのではなく、地球のほうが後方にしりぞいていくのである。ところで、われわれがうごく対象を追視し、それによって対象の網膜像がほぼ静止してその周囲の事物が網膜上をうごく場合でも、われわれにうごいてみえるのは対象であってその周囲の事物ではない。したがって、われわれの運動知覚を規定しているのは網膜上の動きそのものではなく、実際にうごいているものの動き(大地系に対する運動)である。ここにもある種の知覚の恒常性をみとめることができる。

III 運動知覚の閾値

夕方、東の空にのぼった月は朝までのうちに西の空にしずむ。天空を月が移動していることは明らかであるが、しかしわれわれは、それを実際の動きとしては知覚できない。また、秒針はうごいてみえるが時針はうごいてみえない。そこから、運動視がおこるには、ある閾値(いきち)よりも大きい運動速度が必要であることがわかる。運動速度の閾値については、周囲が明るく周辺の事物がみえる通常の環境では、視角であらわして毎秒1/60度から2/60度、周囲が暗く周辺情報が不足しているときにはその20倍前後であるといわれている。

IV 実際運動の特徴

実際運動については、同じ物体の動きを知覚する場合でも、その対象を追従する場合とほかの静止物を注視しながら観察する場合とでは、前者が後者よりもはやく感じられることが知られている。また、自動車の車輪の1点は、厳密に物理学的にはサイクロイド曲線をえがいて変化しているが、実際には車輪の回転と車輪そのものの位置移動運動とにわかれて知覚されることも、われわれの日常経験で明らかである。さらに車窓から外をみるとき、近くの事物は後方にしりぞいていく速さがはやく、遠方の事物はおそくみえる。このように、運動対象間の速度差は、その対象までの奥行き感や遠近感とむすびついており、これを運動の奥行き効果とよぶ。→ 奥行き知覚

V 仮現運動

次に仮現運動とは、映画に代表されるように、実際に何かが運動するのではなく、フィルムの1こま1こまの断続的な継起にすぎないものに、われわれが運動印象をもつ場合をいう。映画が発明される以前から、回転盤に一連の動作を1こま1こまえがき、それを回転させてスリットからみると、そこに動きが知覚されることはすでによくしられており、驚き盤(Stroboscope)とよばれていた。また、一連の動作を1こま1こまにえがきわけた小さな紙片をたばね、それをパラパラとめくるとそこに運動が知覚されるのも同様の現象である。

これを要素主義心理学を論ばくするための決裁実験として系統的に研究したのがゲシュタルト心理学のウェルトハイマーである。彼は、光点Aと光点Bを点滅させるとき、A、Bの時間間隔が短すぎれば両者は同時にひかったと知覚され、間隔があきすぎれば両者は独立の点滅と知覚されるが、適当な間隔のときにはAからBへと光がとぶように知覚されることをしめし、その時間間隔が最適なときのあざやかな光の運動印象がえられる事態をファイ(φ)現象とよんだ。映画の場合では1秒間に24こまのときがもっともリアルな運動印象がえられ、こま数をへらすとぎくしゃくした動きになる。町のうごくネオンサインや踏切のうごく矢印、ビルのうごく電光掲示板などはみなこの仮現運動を利用したものである(→ 図形残効)。

VI 誘導運動

誘導運動は、ながれゆく雲の間を逆方向に月がのぼっていくようにみえたり、橋の欄干(らんかん)からながれいく川をながめていたときに、橋全体が川を遡上(そじょう)するように感じられたりするように、実際に運動するものによって、本来は静止している物の運動印象がひきおこされる現象をいう。遊園地にあるビックリ・ハウスもこれによるもので、自分はブランコにすわっているだけで、実際には家が回転しているにもかかわらず、われわれは自分がブランコにのって家の中を回転しているように感じる。ゲシュタルト学派によれば、これはある物をとりかこむ周囲の運動によって、かこまれた物の運動が誘導されることだとされてきた。近年の認知心理学的研究(→ 認知心理学)では、この現象を網膜における視細胞の視覚情報処理の観点から明らかにしようとしている。

VII 運動残効

運動残効は、運動している対象をしばらく注視したのちに、周囲の対象に目を転じるとそれが逆向きにうごいてみえる現象をいう。滝がながれおちるのをみていて、周囲の岩に目を転じると、岩が滝をのぼっていくようにみえるので「滝の錯視」ともいわれる。この現象は網膜上の運動刺激の性質に依存するところから、近年の認知心理学的研究では、視覚系における特徴検出機構との関連で研究が展開されている。

VIII 自動運動

自動運動とは、暗室中の光点を注視しているうちに、それがいろいろな方向にうごきまわるように知覚される現象のことで、その運動の幅や速さなどは個人差が大きいことが知られている。暗室では姿勢による重力方向の手がかりしか活用できず、通常の視覚的枠組みが点の定位に利用できないところからもたらされている知覚現象だと思われる。実際、完全な暗室中では自分の体を正立した状態にたもつことさえむずかしくなる。この現象は、眼球運動や姿勢制御などの要因との関連がしらべられているが、まだ不明な点も多い。

従来の運動知覚はおもに刺激条件との関連で研究されてきたが、今日ではむしろ感覚器における情報処理との関連で研究が展開されているといえる。


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錯視
錯視

さくし
optical illusion

  

物理的な計測手段ではかられた長さ,大きさ,角度,方向ないしはそれらの幾何学的な関係が,ある種の条件のもとで,それとは著しく食違って見える現象。視覚について現れる錯覚の一種であり,視覚的錯覚とも呼ばれる。その例としては,(1) 幾何学的錯視,(2) 月の錯視,(3) 反転錯視 (同一図形において2通りの見え方が交互に現れる現象をさし,ネッカーの立方体や反転図形の見え方がその例) ,(4) 運動の錯視,などがある。 (→運動知覚 , シャルパンティエの錯覚 )





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錯視
さくし optic illusion

視覚領域における錯覚をいい,他の感覚領域のものと同じようにいくつかの型に分けられるが,とくに生理的錯覚に属するものは数多くのものが存在する。これらの錯視は刺激対象が特別の形状や配置にあるとき,実際とは違った形や大きさ,性質のものに見えてしまう現象であって,だれにでもほぼ等しく起こりうるものである。
[生理的錯視]  (1)〈月の錯覚〉といわれるものは,月や太陽が地平線に近いときは中天にあるときよりも大きく見える現象であり,観察者の身体に対する方向関係から生じるもの,すなわち,身体の前方にあるものは見上げる方向にあるものより大きく見えると説明されている。
(2)明るさ,色の対比などに関しては,白,黄,緑のものは黒,赤,青のものより大きく見え(〈放散による錯視〉),色の色調や明るさは類似色が近くにあるときはいっそう似た色調や明るさに見え(〈同化による錯視〉),補色が近くにあるときはより際立って見える(〈対比による錯視〉)。
(3)物の運動に関する錯視としては,風が速く流れる夜空で月が雲の間を速く走って見えるように,あるものが動くと静止しているものが動いて見える〈誘導運動の錯視〉と,映画の原理のように,刺激を空間内の異なる位置に断続的に提示すると,その刺激が初めの位置から動いたように見える〈仮現運動の錯視〉がある。
(4)〈幾何学的錯視〉といわれるものは,物の大きさ(長さ,広さ),方向,角度,形などの平面図形の性質が周囲の線や形などの関係のもとで実際とは違って見えるものである(図)。たとえばミューラー=リヤー図形では同じ長さの直線がつけ加えられた矢線の影響で異なった長さに見えるものであって,外向矢線のついたほうが内向矢線のついたものより長く見え,ブント=フィック図形では,同長の垂直線と水平線が違った長さに見える。斜線が2本の平行線で中断されると,ずれて見えるポッゲンドルフ図形,縦の平行線が交差する斜線のために互いに傾いて見えるツェルナー図形は方向の変化の錯視である。ヘリング図形,ブント図形では,平行線が中央部で凸または凹に湾曲して見える。同心円の内円は過大視され,外円は過小視される(〈デルブフの大きさの錯視〉)ため,単独円と同心円の内円,および同心円の外円と単独円とは同じ大きさにもかかわらず異なって見える。ジャストロー図形では,同じ大きさの扇形でも内側のほうが外側のほうより大きく見え,また外側のほうが湾曲して見える。遠近法で描かれた絵の中の円筒(ポンゾ円筒)は手前に置かれて見える円筒よりも奥に置かれて見える円筒のほうが大きく見えるが,この絵を水平に近い方向から眺めて遠近法の効果を消すと,同じ大きさに見える。
(5)2種類以上に見える図形(多義図形)の一つの例としては〈シュレーダーの階段〉があり,階段に見えている図形がときおり斜上方から見たビル街に見えてくる。
(6)矛盾図形の例としては〈ペンローズの三角形〉がある。下の図のように上端が離れているときには立体に見えるが,その上端が密着して描かれている上の図は,現実にはそのような立体は存在しないにもかかわらず,ごくありふれた三角形の工作物と同じに見えてしまう。
(7)これらの生理的錯視は冷静な心理状態でも起こるが,特別の心理状態のとき起こる錯視がある。たとえば恐怖感の強いときに暗がりの中でススキの穂が揺れるのを幽霊と思うのは〈感動錯覚〉といわれ,冷静な心理状態になると消滅する。
[病的な視覚性錯覚]  視覚性錯覚のなかには病的状態のときに出現するものがある。たとえば振戦譫妄(しんせんせんもう)といわれる意識障害を伴うアルコール中毒などでは,床の上のごみや壁のしみが動く虫や襲いかかってくる怪獣に見えたり,赤い布切れが炎に見えるなど,活発な動きの感覚が加わって見える。特殊なものとしては,精神分裂病などのさい出現するものがある。それには未知の人を知人と錯覚し,知人を未知の人と錯覚する一種の人物誤認があり,まただれを見ても敵がいろいろ変装しているのだと主張する〈フレゴリの錯覚〉,家人が本物ではなく替玉に見えてしまう〈ソジーの錯覚(替玉錯覚)〉といわれるものがある。⇒錯覚                 中根 晃

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仮現運動
仮現運動

かげんうんどう
apparent movement

  

見かけの運動,キネマ性運動ともいう。一定位置にある刺激対象が,瞬間的に出現したり消失したりすることによって,あたかも実際に運動しているように見える現象。α (アルファ) ,β (ベータ) ,γ (ガンマ) などの種類がある。第1の刺激対象を,瞬間的にある場所に提示したのち,多少の時間間隔をおいて第2の刺激対象を瞬間的にやや離れた場所に提示すると,初めの場所から次の場所へと動きが感じられる。これがベータ運動で,映画でみられる写真や絵の動きはこれと同種の現象である。驚き盤 stroboscopeにより,少しずつ異なった絵の系列を次々に提示した場合に観察される絵の動きもその一つ。このためベータ運動は驚き盤の錯覚,または驚盤運動とも呼ばれる。アルファ運動は,主線が同一の長さをもつミュラー=リヤーの図形の外向図形と内向図形とを同一場所に交互に提示した場合に,その主線が伸び縮みして見える現象。ガンマ運動は,一つの刺激対象を短時間提示した場合に,出現するときには膨張するように,消失するときには収縮するように見える現象をいう。この仮現運動,特にベータ運動は触覚や聴覚でも生じる。 (→運動知覚 )





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誘導運動
誘導運動

ゆうどううんどう
induced movement

  

周囲の他の対象の運動によって,実際には静止している対象があたかも動いているように見える現象。雲間の月が動いたり,橋の上から川の流れを見ていると橋が動いているように見えたりする運動印象。大きいものよりは小さいものが,地 (背景) よりは図 (前景) のほうが動いて見える。





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シャルパンティエの錯覚
シャルパンティエの錯覚

シャルパンティエのさっかく
Charpentier's illusion

  

暗黒内で1つの光点を凝視している際,その光点は静止しているのに,それが種々の方向に動くように見える現象。通常,ゆっくりした光点の動揺が見られる。自動運動効果とも呼ばれる。





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運動残像
運動残像

うんどうざんぞう
after-effect of seen motion; Bewegungsnachbild

  

運動している対象をしばらく持続観察した直後,静止対象に眼を転じた際に現れる運動印象。静止対象が,直前に見ていた運動方向とは反対の方向に動くように見える現象で,滝の水の流れを凝視してから付近の景色を見る際にも現れるので,落水の錯覚 waterfall illusionなどとも呼ばれる。 (→運動知覚 )  





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残像
ざんぞう after image

刺激対象を一定時間注視した後に,目を閉じたり他所に目を転じたときに生じる視覚的効果をいう。これには〈正(陽性)の残像 positive afterimage〉と〈負(陰性)の残像 negative after image〉がある。〈正の残像〉とは原刺激が強く短いときにおこり,明暗が同じ方向のものである。〈負の残像〉とは明暗が逆転したもので色相は補色になることが多い。また残像は外界の任意の距離にある平面上に投射してみることができる。そのとき見かけ上の大きさは距離に比例して増大する。これを〈エンメルトの法則 Emmert’s law〉という。また一定方向に運動している対象をしばらく注視してから静止対象をみると,それが逆方向に動いてみえるのを〈運動残像 movement after image〉(または〈運動残効〉〈滝の錯視〉)という。残像は刺激除去直後の数秒間持続する普遍的現象であるが,特定の人にのみ数時間,数日後にも現れることがあり,これを〈直観像 eidetic image〉という。
                        梅津 耕作

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形の知覚
形の知覚

かたちのちかく
form perception

  

心理学用語。二次元あるいは三次元の事物や対象から,その形状ないしは形態の属性を抽出し,その特徴を把握する過程。視覚による形の知覚には,図と地の関係を把握する過程とその形を構成している線,辺,角,面などの特徴をとらえ,その全体的な構造を認知する過程とが含まれる。原初的な図と地の構造は,先天的な神経機構に依拠して成立するが,形を識別する過程は先天的な仕組みがそなわっているだけでは不十分で,生後の長期にわたる学習によって初めて形成される心的機能であると考えられる。形の識別過程は,成人の視覚についてはきわめて短縮されており,特殊な条件下におかれないかぎり,その全体的な構造は即座に把握される。これに対し,同じく視覚を介しても,開眼手術を受けたばかりの先天性盲人の眼では,簡単な幾何学的図形でさえもその全体を即時的にとらえ,識別することができず,術後の組織的な学習を経て初めてそれが可能になるとする M.V.ゼンデンの実験結果 (1932) があるが,これについてはのちに D.O.ヘッブらによって疑問が提出されている。





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空間知覚
空間知覚

くうかんちかく
space perception

  

一般的には,上下,左右,前後の広がりに関する体験をもつことをさす。こうした体験のうちには,事物の形,大きさ,長さ,あるいはそれらの存在する方向,場所,ないしは事物までの距離や事物相互間のへだたりなどの知覚が含まれる。こうした広がりに関する体験が,おもにどの感覚系に依存して現れるかに応じて,視空間,聴空間,触空間などが区別される。通常,視覚系による空間把握が優位となることが多い。しかし,各種感覚系と運動系とは多かれ少なかれ相互に関連し合い,組織化されて,統合的に空間把握が行われていると考えられる。1つあるいはそれ以上の感覚系に障害がある場合,その空間知覚は特殊なものとなる。空間知覚がいかにして成立するかという問題に関しては,先天説と経験説との間に長い論争の歴史があり,現在でも未知の部分を多く残している。 (→奥行知覚 , 形の知覚 )  





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視空間
視空間

しくうかん
visual space

  

視覚を通じて構成される行動空間のことで,空間知覚の基礎となる。視覚だけでなく,重力によって生じる感覚なども,視空間を規定する重要な要因となる。上下,左右,前後の3方向は主要方向と呼ばれ,これら以外の方向にはない特別な重みをもっている。対象の主軸が主要方向と一致する場合は,知覚が正確になる。ただし,主要方向の間でも空間の異方性が存在する。





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錯覚
錯覚

さっかく
illusion

  

対象が特殊な条件のもとで,通常の場合とは食違って知覚される現象。知覚器官や中枢部に異常がなくてもしばしば起るので,病的現象と断定することはできず,「対象のない知覚」つまり幻覚とは区別される。視覚について現れる錯覚 (錯視) が最も多く知られており,ミュラー=リヤーの図形やネッカーの立方体の見え方,あるいは月の錯視などがその例である。触覚的錯覚については,アリストテレスの錯覚が古くから知られており,大きさと重さの関係に関しては,シャルパンティエ効果が知られている。





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錯覚
さっかく illusion

知覚に関係する諸器官になんら異常がないのに,実際とは違った知覚が起こったり,実際の知覚に,そこにないものの知覚や思込みが加わる現象。これらは視覚,聴覚,触覚などの五感の領域に出現するほか,身体が動いていないのに動いている感じ,足を曲げているのに伸ばしている感じなど,運動感覚,位置感覚などの内部感覚にも起こる。
 錯覚はその出現様式によっていくつかの型に区別される。(1)書物の文章の誤植が見落とされるように,注意の向け方が不十分なとき別の知覚要素が補ってしまう不注意錯覚。人物誤認のなかにはこの種の錯覚によるものがあり,軽い意識障害を伴った精神病状態のときによく出現することがある。(2)感動時,たとえば夜道を怖い思いをしながら歩いているとき木立を人間の姿と思い込んだり,ひとりで留守番をしているとき風の音を人のいる気配に感じとってしまう感動錯覚。この場合,注意を固定して判断しようとしてもそう見えてしまう。ここでは知覚要素が錯覚と並んで存続するのではなく,錯覚に吸収されてしまっている。強い不安・恐怖感を伴う精神病状態のときにも,しばしば出現する。(3)青空に湧きあがった入道雲の一部がどうしても人間の顔に見えてしまうなどのパレイドリア。実際にはそうでないという批判力がありながら対象とは異なって知覚され,情動や連想とは無関係に,いったんそう見えてしまうと意志に反して現れつづける変形した知覚である。幼少年者がよく体験し,熱にうなされたときなどにも活発に現れる。(4)主体側の条件によってではなく,知覚対象が一定の配列にあるとき,だれにでも起こる生理的錯覚。夕日の太陽が大きく見えたり,止まった電車の窓からなんとなく見ている隣の電車が動き出すと,自分の身体が乗っている電車ごと動き出すのを身体に感じてしまうもの。
 錯覚は知覚対象の存在しない幻覚や,前に見たり聞いたりしたことのある像や言葉があとになって感覚的に浮かんでくる感官記憶とは区別される。⇒錯視                     中根 晃

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錯覚
I プロローグ

錯覚 さっかく Illusion 対象の大きさ、形、色、明るさ、重さ、運動印象、あるいは時間などが、対象の客観的な属性とは明らかに食いちがって知覚されること。ただし以下にのべる幻覚や妄想などの病理的事態ではなく、正常にもかかわらず、だれにもそのように知覚される場合を総称して錯覚という。幻覚は、アルコールや薬物の中毒、あるいは高熱によって、何かが見えたり(幻視)、何かが聞こえたり(幻聴)することで、それが生じる物理的な刺激がない場合の知覚である。また妄想は、精神病理状態において生じる、根拠のないあやまったものだが、直感的な確信をともなった思考や判断の異常である。

視覚の場合の錯覚をとくに錯視という。また、優秀なステレオ再生装置による生き生きとした音場空間の再生は聴覚的錯覚の例であり、触覚にも味覚にも温度感覚にも類似の錯覚現象を指摘することができる。しかし、心理学でおもに研究されてきたのは錯視についてである。以下にみる幾何学的錯視や見かけの運動知覚は、古典的な要素主義心理学の恒常仮説(刺激と知覚の間に一対一対応があるという説)(→ ゲシュタルト心理学)を批判するための格好の材料となったからである。

II 幾何学的錯視

古典的な幾何学的錯視のなかでもっとも有名なもののひとつはミュラー・リヤーの錯視である。図Aにみられるように、a、bは等しい長さの線分である。これに矢羽のついた図Bをみると、線分aはもはやbとは等しくみえない。これは要素的な線分としては同じもので構成されていながら、しかし、aをふくむ閉じた矢羽の図形と、bをふくむ開いた矢羽の図形が全体としてことなった図形であるところから、aやbの要素的線分の知覚のされ方がことなってきたものと考えられる。これと同じような幾何学的錯視には、ツェルナーの錯視図形、ジャストローの錯視図形などがあるほか、E.マッハの本やシュレーダーの階段など、反転を利用した錯視図形は数多くある。

また比較的近年になってとりあげられ、G.カニッサの「主観的輪郭線」とよばれている図Cには、中央に周囲よりも一段と白く浮きでた三角形がはっきりみえる。にもかかわらず、それを構成する輪郭線は存在しない。これも幾何学的錯視の一種である。一般に幾何学的錯視は線分や角が空間的に近接して存在している場合に、その情報処理の内的過程に相互作用がおこることによって生じると考えられている。またカニッサの主観的輪郭線の場合には、プレグナンツの原理(→ ゲシュタルト心理学の「ゲシュタルト法則」)がはたらいていると考えられる。なお平面的幾何学的錯視を利用したいくつかの逆理図(ありえない図)が考案されている。その代表的なものはペンローズの三角形および画家M.C.エッシャーの一連の奥行き手がかりを加味した3次元的な作品である。

III 見かけの運動

錯視は運動印象についても生じる。暗室の中で、少しはなれた2点A、Bをある時間間隔で点滅させると、点Aから点Bに光がとぶようにみえる。このように、客観的には独立した点の点滅にすぎないものに運動印象を知覚する場合を仮現運動(見かけの運動)とよび、AとBとの間を一定にしたときに時間間隔を変化させることによって最適の運動印象がえられる場合をφ(ファイ)現象とよぶ。これを利用したものが映画である。仮現運動のほかに、流れゆく雲間を月が逆方向にすすんでいくようにみえる誘導運動、つまり動くものによって、本来は動かないものの運動印象がひきおこされる場合、あるいは暗室の一点に線香をともし、それを注視していると、その一点は固定されているにもかかわらず光の点が大きくゆらいで動いてみえるという自動運動など、種々の運動錯視現象が知られている。

このほかに、地平線上の満月が、天空にきたときより大きくみえる月の錯視(水平線にしずむ太陽の錯視)、雨上がりの日に遠くの山がいつもより近くみえたりする遠近や大きさの錯視(大きさの恒常性)、色の対比効果による錯視、暗くなっても白い紙はやはり白くみえる明るさの恒常性など、人間の知覚には種々の錯視現象がみいだされる。


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空間の異方性
空間の異方性

くうかんのいほうせい
anisotropy of space

  

心理学用語。空間内に置かれた事物の長さや大きさが,その位置や方向によって同一の物とは知覚されない現象をさす。われわれの知覚空間は,すべての方向について等質なユークリッド空間の特性をもっているというわけではなく,位置や方向に応じた非等質性 (ひずみ) ,すなわち異方性を示すことが少くない。視空間では,月の錯視や水平線分に対する垂直線分の過大視などの諸現象がその例としてあげられる。 (→幾何学的錯視 )  





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月の錯視
月の錯視

つきのさくし
moon illusion

  

月や太陽が中天にあるときよりも,水平線や地平線の近くにあるときのほうが大きく見える現象。現在では,それは物理現象ではなく,方向によって物の大きさが違って見える錯視現象の一種であると考えられている。 (→空間の異方性 )  





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幾何学的錯視
幾何学的錯視

きかがくてきさくし
geometrical optical illusions

  

視覚的な錯覚 (錯視) の一種で,平面図形の幾何学的次元や関係 (すなわち,大きさ,長さ,方向,角度など) が,実際とは異なって知覚される現象をさす。種々の錯視図形が見出されているが,多くは発見者の名をもって呼ばれている。著名なものは,ミュラー=リヤーの図形であるが,このほか,次のような各種の錯視図形があげられている。 (1) ツェルネル,ブント,ヘーリング,ポッゲンドルフの各図形。これらは方向の錯視を伴うものとして一括される。 (2) 分割距離錯視,すなわち,長さや広がりが数個に分割される際に,それらが過大視される図形。 (3) ある大きさの図形が,その近傍あるいは周囲におかれた別の図形の大小によって,過小視,あるいは過大視されるもの。これ以外に,垂直な線分と水平な線分との間に起る垂直線過大視現象や,ジャストロー,ザンダー,ポンゾ,デルブーフなどの各錯視図形が知られている。





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聴空間
聴空間

ちょうくうかん
auditory space

  

聴覚を通して行われる方向や距離などの弁別,認知 (すなわち,音定位) に基づいて成立した空間。空間知覚に対する聴覚の役割は,視覚健常者においては視覚ほど大きくないが,先天的な視覚障害者の場合には,健常者には聞えない小さな音でも知覚できるくらい聴空間の範囲が広く,より緻密になる。





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触空間
触空間

しょくくうかん
tactual space

  

視覚と聴覚を伴わない体性感覚だけの働きによって生じる行動空間。自己の身体皮膚面上で,物体の触れた位置,広がり,方向などを知覚する受動的側面と,自己の身体を離れた外界の状況,すなわち環境事物の大きさ,形状,位置,方向などを知覚する側面とから成る。後者はさらに両手に包まれる狭い触空間,両腕をいっぱいに動かして触知しうる,より広い触空間,全身の移動を必要とする身のまわりの空間とに分けられる。





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時間知覚
時間知覚

じかんちかく
time perception

  

時間の経過あるいは時間の長さを,物理的な計測手段によらずに,主観的に把握すること。直接知覚しうる時間の長さは,通常,数秒以内の,いわゆる心理的現在 (主観的に現在に属すると感じられる時間) の範囲内に限られており,この範囲をこえる時間は,評価あるいは判断することによって初めて,その経過や長さがとらえられる。





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感覚
感覚

かんかく
sensation

  

一般的には,刺激受容器の活動とそれに続く皮質感覚領までの神経活動に密接に依存していると想定される意識経験。個々の感覚領域としては,受容器の相違に応じて,視覚,聴覚,触覚,味覚,嗅覚,圧覚,痛覚,冷覚,温覚,運動感覚,平衡感覚,内部感覚などが区別される。古くは,感情的な体験を意味するものとして用いられていたが,W.ブント以来,意識経験の知的要素をさすものとして用いられるようになった。ブントに続く構成主義心理学の感覚の概念は,ゲシュタルト学派によって批判されたが,現在でも感覚に関する定義は必ずしも確定しているとはいえない。ブントや E.B.ティチェナーの立場では,感覚と知覚とは概念のうえで明確に区別されていたが,ゲシュタルト学派の批判によれば,両者の間に本質的な差はなく,局限化された条件下で現れてくる知覚体験,ないしは種々の具体的,総体的な意識内容を捨象した素材的,分析的な知覚体験を感覚とみなすことが多い。





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感覚
かんかく sensation

感覚器官に加えられる外的および内的刺激によって引き起こされる意識現象のこと。
【哲学における感覚】
 仏教用語としては古くから眼識,耳識,鼻識,舌識,身識(これらを生じさせる五つの器官を五根と称する)などの語が用いられたが,それらを総称する感覚という言葉は sensation の訳語として《慶応再版英和対訳辞書》に初めて見える。日常語としては坪内逍遥《当世書生気質》などに定着した用法が見られ,また西田幾多郎《善の研究》では知覚と並んで哲学用語としての位置を与えられている。
 哲学史上では,エンペドクレスが感覚は外物から流出した微粒子が感覚器官の小孔から入って生ずるとしたのが知られる。それに対しアリストテレスは〈感覚能力〉を〈栄養能力〉と〈思考能力〉の間にある魂の能力の一つととらえ,それを〈事物の形相をその質料を捨象して受容する能力〉と考えた。一般にギリシア哲学では,感覚と知覚との区別はいまだ分明ではない。感覚が認識論の中で主題的に考察されるようになったのは,近世以降のことである。デカルトが方法的懐疑の途上で,感覚に由来する知識を人を欺きやすいものとして真っ先に退けたように,大陸合理論においては一般に感覚の認識上の役割は著しく軽視されている。カントにおいては,感覚は対象によって触発されて表象能力に生じた結果を意味するが,〈直観のない概念は空虚であり,概念のない直観は盲目である〉の一句に見られるように,彼は感性的直観と概念的思考の双方を重視した。他方イギリス経験論においては,感覚はあらゆる認識の究極の源泉として尊重され,その思想は〈感覚の中にあらかじめないものは知性の中にはない〉という原則に要約されている。ロックによればわれわれの心は白紙(タブラ・ラサ tabula rasa)のようなものであり,そこに感覚および内省の作用によってさまざまな観念がかき込まれる。ここで感覚とは,感覚器官が外界の可感的事物から触発されることを通じて心に伝えるさまざまな情報のことである。また感覚の要素的性格は,〈単純観念〉がいっさいの知識の材料であるとする考えの中に表現されている。ロックの思想はバークリーおよびD. ヒュームによって受け継がれ,さらに19世紀の後半マッハを中心とする〈感覚主義〉の主張中にその後継者を見いだす。マッハは伝統的な物心二元論を排し,物理的でも心理的でもない中性的な〈感覚要素〉が世界を構成する究極の単位であると考えた。その思想は論理実証主義によって展開され,〈感覚与件理論〉として英米圏の哲学に浸透した。〈感覚与件 sense‐datum〉の語はアメリカの哲学者 J. ロイスに由来し,いっさいの解釈や判断を排した瞬時的な直接経験を意味する。代表的な論者には B. A. W. ラッセルおよび G. E. ムーアがおり,そのテーゼは事物に関する命題はすべて感覚与件に関する命題に還元可能である,と要約される。マッハに始まるこれら現代経験論の思想は,要素心理学や連合心理学の知見,およびそれらの基礎にある恒常仮定(刺激と感覚との間の1対1対応を主張する)とも合致するため,19世紀後半から20世紀初頭にかけて大きな影響力をもった。
 しかし20世紀に入ってドイツにゲシュタルト心理学が興り,ブントに代表される感覚に関する要素主義(原子論)を批判して,われわれの経験は要素的感覚の総和には還元できない有機的全体構造をもつことを明らかにした。メルロー・ポンティはゲシュタルト心理学を基礎に知覚の現象学的分析を行い,要素的経験ではなく〈地の上の図〉として一まとまりの意味を担った知覚こそがわれわれの経験の最も基本的な単位であることを提唱し,要素主義や連合主義を退けた。また後期のウィトゲンシュタインは,言語分析を通じて視覚経験の中にある〈として見る seeing as〉という解釈的契機を重視し,視覚経験を要素的感覚のモザイクとして説明する感覚与件理論の虚構性を批判した。このように現代哲学においては,合理論と経験論とを問わず,純粋な感覚なるものは分析のつごう上抽象された仮説的存在にすぎないとし,意味をもった知覚こそ経験の直接所与であると考える方向が有力である。いわば認識の構造を無意味な感覚と純粋の思考という両極から説明するのではなく,両者の接点である知覚の中に認識の豊饒(ほうじよう)な基盤を見いだそうとしているといえよう。日本では近年,中村雄二郎が個々の特殊感覚を統合する〈共通感覚〉の復権を説いて話題を呼んだ。⇒意識∥感覚論∥知覚       野家 啓一
【感覚の生理】
 われわれの体には,内部環境や外部環境の変化を検出するための装置がある。この装置を受容器という。受容器を備えて特別に分化した器官が感覚器官である。内・外環境の変化が十分大きいと,受容器は反応し,次いでそれに接続した求心神経繊維に活動電位が発生するが,これを神経インパルスあるいは単にインパルスという。求心繊維を通るインパルスは脊髄あるいは脳幹を上行し,大脳皮質の感覚野に到達する。普通,生理学的には,感覚は〈感覚野の興奮の結果生ずる,直接的・即時的意識経験〉と定義される。これらのいくつかの感覚が組み合わされ,ある程度過去の経験や記憶と照合され,行動的意味が加味されるとき知覚が成立する。さらに判断や推理が加わって刺激が具体的意味のあるものとして把握されるとき認知という。例えば,われわれが本に触れたとき,何かにさわったなと意識するのが感覚であり,その表面がすべすべしているとか,かたいとかいった性質を感じ分ける働きが知覚であり,さらにそれが,四角なもので,分厚く,手に持てるといった性質や過去の同種の経験と照合して本であると認知されるのである。受容器から出発して感覚野に至るインパルスの通る経路を感覚の伝導路という。受容器,伝導路および感覚野によって一つの感覚系が構成される。環境の中のいろいろな要因のうち,受容器に反応を引き起こすものを感覚刺激といい,特定の受容器に最も効率よく反応を引き起こす感覚刺激をその受容器の適当刺激 adequate stimulus という。例えば眼(感覚器官)の光受容器は,電磁波のうち,400~700nmの波長帯域すなわち光にのみ反応する。このことから受容器は多数の可能な感覚刺激の中から特定のものを選び分けて,その情報をインパルス系列にコード化し,中枢神経系に送る一種のフィルターとして働くとも考えることができる。大脳皮質に達した神経インパルスは,ここで処理され,その情報内容が分析され,さらにいろいろな受容器からの情報と組み合わされて,総合的情報が形成され,それが感覚野の興奮に連なるのである。
[感覚の種類]  受容器を適当刺激の種類により分類すると表1のようになる。またシェリントンCharles Scott Sherrington(1857‐1952)は,受容器と刺激の関係から受容器を外部受容器exteroceptor(体外からの刺激に反応する受容器)と内部受容器 interoceptor(身体内部からの刺激に反応する)とに分けた(1926)。前者は,さらに遠隔受容器 teleceptor(身体より遠く離れたところから発せられる刺激に反応するもの,視覚,聴覚,嗅覚の受容器)と接触受容器 tangoceptor(味覚や皮膚粘膜にある受容器)に,後者は固有受容器proprioceptor(筋肉,腱関節,迷路などの身体の位置や,四肢の運動の受容器)と内臓受容器visceroceptor(内臓にある受容器)に分けた。このような受容器の相違に基づき感覚は種 modalityに類別される。古くから五感といわれた視覚,聴覚,触覚,味覚,嗅覚のみならず,平衡感覚,温覚,冷覚,振動感覚,痛覚なども種である。さらに同じ感覚種内でも個々の受容器の特性の違いから起こる感覚の内容の違いを質 quality という(表1)。例えば視覚では,受容器として杆(状)体,錐(状)体の2種類がある。杆体の働きにより明・暗の感覚が,錐体の興奮により赤,黄,緑,青といった色づきの感覚が生ずる。これらを質というのである。表2に臨床的感覚の分類を示す。視覚や聴覚のように受容器から大脳皮質まで判然とした形態学的実体をもったものと,そうでないものという観点から,前者を特殊感覚,後者を体性―内臓感覚とするものである。
[感覚の生理学的研究方法]  感覚の生理学的研究方法には,主観的方法と客観的方法とがある。主観的方法では刺激とそれによって引き起こされる被検者の感覚の大きさを被検者自身が評価するもので,精神物理学的方法ともいわれる。客観的方法は主として神経生理学的方法によるもので,例えば微小電極をしかるべき感覚系の特定の部位に刺入し,個々のニューロンのインパルス反応を記録することにより,感覚の神経機序を研究対象とする。最近では,行動科学的手法による感覚の研究も行われている。これはオペラント条件づけの方法を用いて,感覚刺激とそれによって引き起こされる行動の変化を観察,計測するものである。例えば視覚でよく知られている暗順応の時間経過をハトを使って行った実験が有名である。ハトに,刺激光を見たときに A のキーをつっつき,刺激光が見えないとき B のキーをつっつくようオペラント条件づけの方法で学習させる。ハトを明るいところから暗いスキナー箱に入れ,目の刺激光を点灯する。ハトは刺激光が見えるので A をつっつく。すると刺激光はしだいに暗くなっていき,ハトは見えなくなるまで A をつっつく。刺激光が見えなくなってはじめてハトは B をつっつき,見えるまで B をつっつき続ける。ハトは A とB のキーを操作することによって刺激閾(いき)を決定するわけである。このようにして時間的に刺激閾が低下する,いわゆる暗順応曲線がハト自身の行動によって描かれるのである。
[感覚の受容機構]  受容器(具体的に細胞を指すときは受容器細胞または感覚細胞という)はそれ自身がニューロンであって,軸索が第一次求心繊維として働くものと,それ自身は上皮細胞に由来する非ニューロン性細胞で,これに感覚ニューロンがシナプス結合しているものとある。前者を一次感覚細胞(例,嗅細胞),後者を二次感覚細胞(例,内耳の有毛細胞)という。
 感覚の受容機構を甲殻類の伸張受容器を例にして簡単に説明しよう(図1)。この受容器細胞は大型の神経細胞で筋繊維の近くに存在する。細胞体からでる樹状突起 dendrite が筋繊維の表面にくっついており,筋繊維が伸ばされると,樹状突起も引っ張られ変形を受ける。このとき細胞の膜電位は脱分極を示す。この脱分極の大きさは伸長が大きくなればなるほど大きくなるという性質をもつ(この性質をもつ反応を段階反応 gradedresponse という)。脱分極がある一定の大きさを超えると,このニューロンの軸索に全か無かの法則によってインパルスが発生し,軸索を中枢に向かって伝わる。インパルスの頻度は受容器電位の振幅と直線関係をもつ。内耳の有毛細胞では,機械的刺激によって毛が屈曲するとき膜電位が変化するが,動毛側への屈曲で脱分極,不動毛側への屈曲で過分極が生ずる。脱分極性の受容器電位の場合には,有毛細胞からその振幅に相応した量の化学伝達物質がシナプス間隙(かんげき)に放出され,この伝達物質の作用を受けて求心繊維の終末が脱分極する。このシナプス後電位の大きさが十分大きいとき,求心繊維にインパルスが生ずる。一次感覚ニューロンでみた受容器電位は,直接インパルスを発生させる原因になるところから起動電位 generator potential ともいわれる。一次求心繊維の放電頻度の時間経過をみると,一定の大きさの刺激を持続的に与えているにもかかわらず,しだいに低下してくる。この現象を順応 adaptation という。これに相当する現象はすでに受容器電位(または起動電位)にも起こっていることが確かめられている(図2)。順応の速い受容器を速順応性 quickly adapting(略して QA),遅いものを遅順応性 slowly adapting(略して SA)という。感覚にみられる順応現象がすでに受容器で起こっていることを示すものである(もちろん,感覚の順応には受容器の順応のみでは説明できない部分がある)。
[感覚の基本的特性]  個々の感覚はいくつかの基本的特性(属性)によって規定される。質,強さ(大きさともいう),広がり(面積作用)および持続(作用時間)の四つが主要なものである。
(1)感覚の大きさ 一つの感覚系について,感覚刺激の強さを十分弱いところからしだいに増していくと,やっと感覚の生ずる強さに達する。感覚が生ずる最小の刺激の強さを,その感覚の刺激閾(絶対閾)という。またある強さ I と I+ぼI が識別できる最小の強さの差 ぼI を強さに関する識別閾という。この場合,ぼI/I の比を相対刺激閾という。この比がそれぞれの感覚について,ある刺激の強さの範囲内でほぼ一定であることが E. H. ウェーバーによって見いだされた。この比をウェーバー比 Weber ratio という。この比の値はだいたい次のようである。光の強さ1/62,手で持った重さ1/53,音の強さ1/11,塩の味1/5。絶対閾は,光覚で10-8μW,音の強さ10-10μW/cm2(このとき鼓膜を10-9cm足らず動かすにすぎない)などである。感覚の大きさと,刺激の強さの関係を示す式として,ウェーバー=フェヒナーの式とスティーブンス S. S. Stevens が提唱したスティーブンスのべき関数が知られている。感覚の大きさを R,刺激の強さを I,刺激閾を I0とすると,
 R=KlogI+C (ウェーバー=フェヒナーの式)
 R=K(I-I0)n (スティーブンスのべき関数)
ともに K と C は定数である。スティーブンスのべき指数 n の値は暗順応眼の点光源の明るさについては0.5,砂糖の甘味1.3,腕の冷覚1.0,圧覚1.1などである。中耳の手術の際に鼓索神経からインパルスを記録し,味覚刺激の濃度とインパルス頻度の関係を求めたところ,主観的計測で求められたのと同じ n の値をもつべき関数が得られた。感覚神経から記録されるインパルスについては,〈刺激の強さが増すにつれてインパルス頻度が増し,また放電活動する繊維の数も増す〉ことが知られている。これをエードリアンの法則 Adrian’slaw という。
(2)感覚の空間的特性 感覚は大脳皮質感覚野の興奮に起因する現象であるが,このときわれわれは感覚刺激が外界の,あるいは身体の一定の場所に与えられたものと判断する。これを感覚の投射 projection という。感覚のこの性質によって刺激の位置および部位を定めることができる。この性質は,受容器の存在する受容面と感覚野との間に整然とした場所対場所の結合関係が存在するからである。このことを感覚野に部位再現topographic representation(皮膚感覚の場合には体部位再現 somatotopy,視覚の場合には視野再現 visuotopy または網膜部位再現retinotopy)があるという。ある強さの刺激が感覚を起こすためには,ある広さ以上の面積を刺激する必要がある。この面積を面積閾といい,ある面積以内では刺激の強さ I と面積閾 A との間に I×A=一定の関係が成り立つ(これをリッコーの法則 Ricco’s law という)。同一種の刺激を二つの異なった2点に与えた場合,2点を分離して感ずることができる。しかし2点間の距離を小さくしていくと,ついには2点を2点として区別できなくなる。弁別しうる2点間の最小の距離を二点弁別閾または空間閾という。
(3)感覚の時間的特性 刺激が感覚を起こすのには,ある一定時間以上受容器に作用しなければいけない。この最小作用時間を時間閾という。例えば光の感覚では,光の強さ I と時間閾 T との間には,ある時間範囲内において I×T=一定の関係が成り立つ。これは光化学反応におけるブンゼン=ロスコーの法則に相当するものである。閾上の感覚刺激を与えても,その強さに相当する大きさの感覚が生ずるまでには,ある時間の経過が必要である。すなわち感覚はしだいに増大(漸増という)する。また刺激を止めたときも,もとの状態に復帰するまで感覚は漸減する。刺激を止めた後に残る感覚が残感覚 aftersensation で,その性質が初めの感覚と同じ場合,陽性残感覚,反対のとき陰性残感覚という。同じ刺激を反復して与えるとき,その周期が十分短いとき,個々の感覚は融合して,ある一定の大きさの連続した感覚となる。例えば点滅する光を見たとき,その点滅の周期が十分短いと,もはや点滅の感覚はなく,連続した一様な明るさの光として感じられる。この現象の起こる最小の点滅頻度を臨界融合頻度 criticalfusion frequency(略して CFF)という。
(4)感覚の感受性の変化 同じ刺激を続けて同じ受容器に与えているとき,感覚の大きさは順応によってしだいに低下していく。触覚は順応の速い感覚である。身体を動かさない限り,着衣の感覚が失われるのはこの性質による。このほか,感覚にみられる特殊な現象に対比 contrast といわれる現象がある。例えば一定の明るさの灰白色の小さい紙面の感覚的明るさは,その紙を黒い大きな紙の上に置くときより明るく(白く)見えるし,もっと白い紙の上に置くときは暗く見える。この現象を同時または空間対比 simultaneous or spatialcontrast という。灰白色の紙が大きいときは,黒い紙と接する部分が中央の部分よりより白く見えるし,また白い紙と接する場合はより黒く見える。この現象を辺縁対比 border contrast という。また,白い紙を見て次に黒い紙を見ると黒い紙はいっそう黒く見え,黒い紙を見て次に白い紙を見ると白い紙はいっそう白く見える。この現象は継時または時間対比 successive or temporal contrastといわれる。
[感覚系ニューロンの受容野]  微小電極を感覚系のいろいろな部位に刺入して,ニューロンの活動を記録するという方法(微小電極法)の導入により,神経系が感覚情報を符号化(コード化)する機構についての研究がひじょうに進歩した。研究成果のなかで最も重要な発見は受容野ということである。例を視覚にとろう。1本の視神経繊維からインパルスを記録する。繊維により光で網膜を照射すると,インパルス頻度が増すものと,逆に減り,光を消したとき増すもの,および照射の開始と終了時に一過性に頻度を増すものがある。第1のような反応を ON 反応,次のものを OFF 反応,最後のものを ON‐OFF 反応という。照射面積を直径100μmくらいに小さくすると,網膜の特定の範囲を照射したときのみしか反応しない。この範囲はほぼ直径1mmくらいである。このように一個の感覚系ニューロンの放電に影響を与える末梢受容器の占める領域を,そのニューロンの受容野 receptive field という。ネコやサルの視神経繊維(または網膜神経節細胞)の受容野は,ON 領域と OFF 領域が同心円状に配列した構造をしている。中心部が ON 領域でそれを取り巻く領域がOFF 領域である受容野を ON 中心 OFF 周辺型,これと逆の配列をしているものを OFF 中心ON 周辺型という。一般に受容野の中心部と周辺部とは互いにその作用を打ち消し合うように働くため,受容野全体を覆う光刺激に対しては反応は弱く,中心部のみを照射するときは最も強い反応が得られる。このような中心部と周辺部の拮抗作用は網膜の神経網内に側抑制または周辺抑制の機構が存在することによるもので,辺縁対比の神経機構と考えられる。視覚系では脳幹の中継核である外側膝状体のニューロンの受容野も視神経繊維のものと本質的には同じものであるが,大脳皮質の第一次視覚野ではニューロンの受容野の性質は一変する。すなわち,視覚野ニューロンの受容野は一般に方形状で,長軸方向に伸びた細長い ON 領域と OFF 領域から構成されている。したがって受容野全体を覆う光に対しては,皮質ニューロンはまったく反応しない。細長い ON 領域のみを覆う線状の光に対して最大の反応を示す。つまり,このような受容野をもつ皮質ニューロンは,受容野の軸の方位に一致し,受容野のON 領域のみを覆うスリット状の光に選択的に反応するという特性をもっているということができる。このような方位選択性が皮質ニューロンに共通にみられる性質である。皮質ニューロンの受容野は,ON 領域と OFF 領域がはっきりわかるもの(単純型)ばかりでなく,これらの領域がはっきりしない複雑型,さらに受容野の両端に抑制帯がある超複雑型が区別される。いずれにしても皮質ニューロンは,自分の受容野の性質に従って,特定の条件に合う刺激を選択する性質をもっている(これを特徴抽出機能という)。視覚野が行ったこのような分析結果は,さらに高位の皮質中枢(連合野)に転送され,視覚情報の異なった側面についての分析と統合が異なった部位でなされている(分業体制)らしいことが,最近の研究により明らかになりつつある。サルの上側頭溝にある皮質ではヒトやサルの顔に特異的に反応するニューロンのあることが報告されており,また19野の一部では特定の色に選択的に反応するニューロンのあることが報告されている。他の感覚についても,皮質の感覚野では感覚刺激の特徴抽出を行うニューロンのあることが報告されている。オペラント条件づけの方法と微小電極法を駆使することにより,最近は感覚よりはむしろ知覚についての神経機構を解明すべく努力がなされている。⇒神経系
                        小川 哲朗
【感覚器官 sensory organ】
 体の外部または内部から与えられた刺激を受容して興奮し,その興奮を中枢神経系側(求心側)に伝える器官を感覚器官という。一般に多数の受容器の集合よりなる。感覚器官は,適当刺激を選択したり,刺激を効率よく感覚細胞に伝えるのにつごうがよい構造をしていたり,そのための付属装置をもつ。例えば目のレンズや虹彩,耳の鼓膜や耳小骨などがこれに相当する。単純に見える昆虫の感覚子でも,クチクラ装置は,受容される刺激の種類によりひじょうに異なる。例えば嗅感覚子ではにおい分子がクチクラを通過するための嗅孔が数多くクチクラ壁に見られるが,味感覚子では味溶液は通常一つの味孔により感覚細胞の受容部と接触している。
 感覚器の刺激受容部には,一般に感覚細胞と支持細胞が見られるが,ときには感覚細胞の興奮を求心側に伝えていく二次神経細胞や三次神経細胞が存在することもある。また,脊椎動物の味蕾(みらい)や嗅上皮のように,将来,感覚細胞に分化する基底細胞があることもある。
 感覚器官は,感覚の種類によって視覚器,聴覚器,味覚器,嗅覚器,平衡器,圧覚器,触覚器,痛覚器,温覚器,冷覚器,自己受容器などと呼ばれることもあるが,感覚器官が受容できる適当刺激によって分類されることもある。適当刺激により分類すると光感覚器,機械感覚器,化学感覚器,温度感覚器,湿度感覚器,電気感覚器などに分類できるが,さらに細分された場合には,例えば振動感覚器などと呼ばれることもある。適当刺激による感覚器の分類は,とくに,ヒトには見られず動物に特有な感覚器,例えば電気感覚器や赤外線感覚器,あるいは水生無脊椎動物の化学感覚器などを扱うときにつごうがよい。動物には磁気感覚をもつものもあると報告されているが,磁気感覚器は見つかっていない。また,感覚器官には,検知する対象が体から離れた遠い所にある遠隔感覚器と体表に接して起こる事象に関する接触感覚器の区別もある。前者には視覚器,聴覚器,嗅覚器などが含まれ,後者には皮膚感覚器や味覚器が含まれる。
 感覚器官の活動を知る指標として,感覚器官全体の電気的活動が用いられることがある。例えば網膜電図は目を光刺激したときに網膜に発生する電位変化を記録したもので,光刺激により最初に現れる電位変化は,脊椎動物では角膜側が負,無脊椎動物では正の波として現れ,感覚細胞の受容器電位の集合と考えられている。嗅粘膜をにおいで刺激したときに発生する電位を記録したものは嗅電図,昆虫の触角をにおいで刺激したときに発生する電位を記録したものは触角電図と呼び,においの有効性の検知などのために使われる。しかし,これらの電位変化は多くの種類の細胞の活動の集合であるので,感覚器官内の特定の細胞の活動を調べるためには微小電極法などの別の手段による観察が必要となる。
                        立田 栄光

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弥縫策としての心理学(その01) [哲学・心理学]

弥縫策としての心理学
心理学

しんりがく
psychology

  

語源からいえば,心あるいは精神をその研究対象とする学問を意味する。ギリシア時代に端を発し,近世にいたって,意識を心理学の研究対象であるとする W.ブントらの立場が確立された。 J.B.ワトソンはその難点を指摘して,心理学は動物または人間の行動のみを研究対象とする科学であると主張した (→行動主義 ) 。他方,S.フロイトによって無意識の概念が提出され,人間の異常行動や病的反応を扱う道が開かれた。こうした史的系譜のもとに,現代の心理学は人間および動物の個体としての行動や集団としての行動 (社会的行動) を扱う分野から,人間の感覚,知覚体験を精神物理学的,実験現象学的に解析しようとする分野,さらには精神療法やパーソナリティの形成過程を問題にする分野にまで及ぶ,広範囲の領域を包括する学問となっている。





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[ブリタニカ国際大百科事典 小項目版 2008]


心理学
しんりがく psychology

心理学とは文字どおり心の理(ことわり)の学であり,心理学を表す西欧語は,ギリシア語のプシュケー psych^(心)とロゴス logos(理法,学)の合成にもとづく。日本では,1878年西周によって〈mental philosophy〉の訳語として用いられたのが最初とされる。ところで,心というものは客観的存在でなく,どこにあるのかわからず,つかみどころがない。そのため,心理学は,他の諸科学,たとえば物理学のように次々と研究業績が積み重ねられて発展してゆくというわけにはゆかない。心というものをどう考えるかによってさまざまな学派にわかれ,学派同士の論争は,それぞれの前提が違っているから決定的決着はつかず,不毛であることが多く,ある学派の研究が他の学派の研究に資することが少ないという事情があった。もちろん,これも心理学に対する一つの見方であって,心の定義だけでなく心理学の定義も人によって異なり,科学としての心理学は着実に研究を積み重ねて発展してきており,今後も発展してゆくと考える人もいる。
[心理学の歴史]  まず,ギリシアの昔から説き起こせば,すでに,肉体から独立してイデアの世界に存在する霊魂を考えたプラトン,肉体を素材(ヒュレ)とする形相(エイドス)としての霊魂,肉体を肉体たらしめ,活動させる原理としての霊魂を考えたアリストテレス,霊魂をも含めて万物は原子の運動に由来すると考えたデモクリトスやエピクロスらの説があった。プラトンの霊肉二元論は,中世のキリスト教思想を支配し,近世においては,物質の本質を延長とし,精神の本質を思惟としたデカルトの物心二元論に引き継がれた。さらに19世紀にはじまった近代および現代の心理学においては,精神を肉体から独立に存在するとは考えないけれども,精神をそれ自体として独自に研究しようとする人たちの理論に影を落としている。もちろん,心理学においては,デモクリトス=エピクロス的な原子論ないし唯物論の思想が支配的であるが,そのなかでも大別すると次のような三つの立場があって見解は統一されていない。(1)精神は完全に肉体に依存するとし,自覚的にせよ暗黙のうちにせよ,心理学は生理学が未発達であるかぎりにおいてしか必要のない一時的な科学であって,最終的には生理学に還元されると考える立場。(2)たしかに精神は肉体を座として生じ,肉体に規定されるが,精神として成立した以上,逆に肉体に影響を及ぼすと考える立場。(3)肉体なくして精神はないが,精神のない肉体も考えられず,肉体を動かしているものこそ精神であると考える立場。また,精神と意識を同一視する立場や,無意識を考える立場もあり,ましてや,精神を研究する方法論に至っては,それを不可能であるとする立場もあって,まったくさまざまである。
 近代において一応学としての心理学らしきものがはじまったのは,イギリスの経験論にもとづくロック,D. ヒュームらの連合心理学からである。この学派によれば,生まれたとき人間は白紙(タブラ・ラサ)であって,経験によって観念を獲得し,さまざまな観念が連合して精神が形成される(観念連合)。つまり精神は経験からくる観念という要素の寄せ集めであって,それ自体としての存在をもたない。この要素主義的精神観はデモクリトス=エピクロス的原子論の系統を引いている。連合心理学の要素主義と,精神内容を研究対象とする点は,1879年世界で初めて心理学実験室をつくった W.M. ブントに引き継がれた。ブントによれば,直接経験としての感覚,意志,感情などの要素を内観法によって把握し,それらの要素が構成されたものとして精神を研究するのが心理学であった。しかし,精神は要素の寄せ集めではなく,要素を総合する能動的な統覚作用をもっている。ブントの方向をさらに発展させ,彼が扱わなかった判断や思考などの高等な精神作用をも内観法で研究したのが,O. キュルペなどのビュルツブルク学派である。一方,連合心理学の経験主義と要素主義を忠実に引き継いだのが J. B. ワトソンの行動主義心理学である。ただ,パブロフの条件反射学の影響を受けたワトソンにおいては,連合心理学における観念という要素が刺激(S)‐反応(R)という要素に置き換えられており,内観法が否定されて,行動という客観的な観察と測定が可能なものだけが研究対象とされた点が違っている。意識という,当人しか知らない主観的現象は客観科学としての心理学の対象たりえないというのがワトソンの主張であった。ここに心や意識ぬきの心理学という奇妙なものが成立した。
 他方,要素主義を排し,精神を全体として把握しようとする伝統も消滅したわけでなく,いろいろな理論の装いのもとに次々と現れ,現在に至っている。ライプニッツのモナドの考えの影響を受けたC. ウォルフの能力心理学もその一つで,彼によれば,精神は諸要素の受動的集合ではなく,諸能力をもった単一の能動的実体であった。感覚,想像,記憶,悟性,感情,意志などは精神の能力として説明された。F. ブレンターノの作用心理学では,意識の内容よりも作用が重視された。彼によれば,ブントが考えたような要素は意識の内容を成しているにすぎず,その内容を内容たらしめる作用を研究するのが心理学であった。この考えは,デカルトのコギトから出発して意識の志向性(〈意識はつねに何ものかについての意識である〉)を人間理解の中心に据えたサルトルに受け継がれたが,心理学それ自体のなかでは力をもたなかった。W. ジェームズの機能主義心理学も,有名な〈意識の流れ〉という言葉からわかるように,個々の要素ではなく一つの全体的流れとしての意識の機能を問題とした。W. マクドゥーガルの本能論心理学も,精神の能動性を主張する学派の一つで,精神のあらゆる活動の推進力として生得的な本能を考えた。しかし,行動主義心理学ともっとも激しく対立したのは M. ウェルトハイマー,W. ケーラーらのゲシュタルト心理学であった。彼らは全体は部分の総和以上のものであると主張し,同一刺激が同一反応を引き起こすとする恒常仮定に反対し,連合心理学以来の要素主義,機械論を否定した。とくに認識の発達を研究した J.ピアジェの発生的認識論も,問題にされた能力は違っているが,能力心理学の伝統に位置すると考えられ,精神を全体として見る点では同じであった。精神の全体性を主張するこれらの立場は,たしかに要素主義の弱点をつくその批判において正しいが,精神が一つの全体としてある方向性をもっているという前提に立てば,その方向性はどこからくるかという問題に直面する。プラトンのイデアをもってくるわけにもゆかないから,ウォルフはライプニッツのモナドを,サルトルはデカルトのコギトを,ジェームズは生物学的適応機能を,マクドゥーガルは本能を,ケーラーは心理的ゲシュタルトの背後にある同型の物理的ゲシュタルトを,ピアジェは現代西欧の成人の知能形態を到達点とする定向発達をもってきて,そこに根拠をおいた。そうするとどうしても客観科学としての心理学からはずれてゆくのである。
 以上述べてきたさまざまな心理学のほかに了解心理学の流れがある。了解心理学は W. ディルタイにはじまるが,了解を直接経験の直観的把握にとどめず,精神構造の理論に裏打ちさせたのがS. フロイトの精神分析である。彼の理論は,神経症者の心を扱わなければならない開業医としての必要性からつくられた理論で,アカデミックな心理学とは無関係であるが,一つの心理学理論として見れば,はじめは自我本能と性本能,のちには〈生の本能〉と〈死の本能〉の二つの基本的本能の表れとして精神現象を説明する本能論心理学である。それらの基本的本能の多くの派生物の離合集散を考える点で要素主義的であり,自由連想法を用いて精神を探る点で連合心理学の面もあり,人格の統合機能としての自我を重視する点で機能主義的でもある。彼の理論のもっとも重要な点は無意識を仮定したことで,これによって心理学の研究対象となる領域を大いに広げ,文化,宗教,芸術など人間のあらゆる営為が問題にされるようになった。精神分析は,はじめ,アカデミックな心理学,精神医学から非科学的だとして無視されたが,今日では臨床心理学,精神医学において大きな勢力となっている。
 アカデミックな心理学のほうも,その後さまざまな展開を示した。行動主義の立場に立つ人も,刺激(S)と反応(R)の連結だけを考えるのではなく,R. S. ウッドワース,C. L. ハル,E. C. トールマンのようにそのあいだに生体(O)を介在させ,S‐O‐R の図式で考えることもある。この O の要因には,判断,習慣,要求など,いろいろなものを想定できるわけで,そのように考えれば,客観的行動の科学である心理学のなかに一種の主体をもち込むことになる。この立場は新行動主義と呼ばれているが,B. F. スキナーのようにいっさいその種の要因を想定しない人もいる。行動主義心理学は,かつては大学の研究室のなかで主としてネズミなどを相手に実験していただけであったが,近年は行動療法と称して心理療法の分野に乗り出している。ゲシュタルト心理学は,学派としてはほとんど勢力を失っているが,その考え方そのものは,K. レウィンの〈場の理論〉に見られるように,社会心理学にも取り入れられている。
[現状と展望]  要するに,心理学は人間を研究する学問の一つであるが,人間とは客体であるとともに主体であり,客体としてとらえれば,客観的に観察可能な行動を対象とせざるをえない。この方向は,現代の工学,数学,コンピューターなどの発達に支えられて,心理学というより行動工学となってしまうか,または,かつてのように仮説的な生理学的モデルではなく,現代生理学のめざましい発達に裏づけられて生理学に吸収されてしまうかのいずれかになる。しかし,人間が直接経験するのは,あくまで主体としての自己であり,この自己は悩みや損藤をもち,どれほど客観的に説明されても満足することはできない。自己とは何かは人間の永遠の課題である。自己を問題にすれば,心理学は最終的には哲学になる。今日,心理学と呼ばれているものは,工学または生理学と,哲学のいずれかに解体しつつあるといえよう。⇒精神医学∥精神分析           岸田 秀

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心理学
I プロローグ

心理学 しんりがく Psychology 人はあたえられた社会的・文化的環境の中で、家族、友人、知人、その他さまざまな人たちと複雑な人間関係をとりむすびながら生きている。こうしたい、こうなればよい、といったさまざまな人間的な欲求、要求、願望につきうごかされ、それを実現しようとしても生きている。そこに喜びや楽しみや満足、悲しみや苦悩や挫折がともなうのはいうまでもない。しかもそれは誕生から死にいたる生涯全体におよんでいる。そのような人の生の営みを、心の働き、その行動へのあらわれ、そしてそれがもつ人間的意味という3つの面からとらえようとするのが心理学である。

II 心理学の分野と領域

上のような心理学の目的を実現しようとするとき、研究の力点ないし関心の力点をどこにおくかにしたがって、いくつかの分野が枝分れしてくる。以下の4つの分野が心理学を構成する4大分野である。これらは同時に、人の生の営みをとらえるときの視点でもあり、心理学の諸問題にとりくむときの切り口でもある。それゆえ、生の営みをその全体にわたってとらえようとするかぎり、そのすべての分野(視点)が考慮にいれられなければならない。またすべての分野が、相互に浸透しあっていることをみのがしてはならない。

各分野はさらに相対的に独立したいくつかの下位領域に分岐する。しかし分野間の相互依存性を反映して、分野のことなる下位領域間につながりが生じ、分野にまたがる心理学の領域が出現する。

1 認知の分野

まず第1にあげられるのは、生の営みの基礎となる「心の働き」を研究する分野、つまり、そのもっとも基本的な個体の情報処理にかかわる働き(見る・聞く・おぼえる・考える)を明らかにしようとする認知の分野である。

1A 知覚・学習・記憶・思考心理学

この分野はさらに、人が外界をどのように知覚し認知するのかを解明する知覚の領域(知覚心理学)、いま経験した事柄がのちの新しい場面での経験にどのような影響をおよぼすかを明らかにする学習の領域(学習心理学)、今おこった出来事をどのように記憶にとどめ、それが必要になったときにどのように思いだすのかをしらべる記憶の領域(記憶心理学)、さらには、あたえられた条件下で最適な計画をたてたり、問題を解いたりすることをあつかう思考の領域(思考心理学)にわけて考えることができる。

1B 認知心理学

かつてはこれらの各領域が別個に問題にされてきたが、最近の情報科学や、コンピューター科学の発展とともに、「情報処理」という観点から各領域は整理・統合されるようになりつつある。そしてこの分野全体を認知心理学という大きな枠組みのもとにくくってとらえる見方が強くなってきている。

この分野は心理学のもっとも基礎的な分野であるとともに、周辺隣接科学の発展とむすびついた先端的な研究分野でもある。たとえば、知覚や記憶や思考の領域は、脳内過程についての神経生理学的な研究や、コンピューター・シミュレーション、ロボット制御、ファジー制御、人工知能など、脳科学(→ 脳)・情報科学・情報工学などとの連携を強めながら展開されている。逆に、これらの心理学的研究が他の関連する自然科学分野の研究に影響をおよぼすようにもなってきている。

→ 認知心理学

2 発達の分野

第2の分岐は、生の営みを誕生から死にいたるまでの時間の流れの中でとらえようとする発達の分野(視点)である。

2A 児童心理学からの枝分れ

この分野を統括する発達心理学は、当初は誕生した子供がその後どのように成長をとげていくかを明らかにする児童心理学として出発した。しかし、その後の研究の進展とともに、児童期をはさむ乳幼児期と青年期がそこから枝分れし、こうして乳幼児心理学、児童心理学、青年心理学の各領域がいっしょになって発達心理学と考えられるようになった。

要するに、「子供が発達して大人になる」までの心の働きの形成過程を、その成長の道筋にそって明らかにするというのが、最近までの発達心理学であった。

そこでは、認知や思考の働き(機能)がどのように完成されていくのか、対人関係がどのように複雑になっていくのか、規範や規則をどのように身につけて大人の生活にいたるのか、等々を明らかにすることが基本的な研究課題であった。

→ 発達心理学

2B 生涯発達心理学

しかし、生の営みは大人になれば完成されておわるわけではない。成人期になれば就職や結婚や育児という重要な人生上の課題がまちかまえている。また中年期になれば、生活は安定する傾向にあるものの、家庭不和、離婚、転職などの人生の危機や転機、子供の進学や不適応問題など、葛藤にまきこまれることが少なくない。胃潰瘍や中年期のうつ病に代表されるようなストレスからくる心身の不調もめだってくる。さらに老年期になれば、さまざまな機能の衰えや死の問題など、人生の終末をどのようにむかえるかという人生課題がまちうけている。

これらの人生上の諸課題をどのように身にひきうけていくかに、諸個人それぞれの人生の意味があり、したがってそこには喜びも悲しみもつまずきもあるはずである。こうして最近では、従来の発達心理学の分野に、成人期心理学、中年期心理学、老年期心理学をふくめ、誕生から死にいたるまでの生涯発達心理学が提唱されるようになってきている。

3 臨床の分野

第3の分岐は、生の営みにおける心的外傷(つまずき)とそれからの立ち直り、あるいは癒しを問題にする臨床の分野である。

3A 心の病の治療

人は欲望や願望をもつ存在であるからこそ、それが阻止されたりついえたりしたときに欲求不満や傷つき体験をもたざるをえない。愛の対象を喪失したときの悲哀、自尊心が深く傷つけられたときの意気消沈、逆境におかれたときの苦悩など、通常の生の営みの中では誰しもある程度はそのような傷つき体験をもつだろう。しかし、その心の傷が深いときには、たんなる苦悩をこえて、通常の生活がいとなめなくなったり、さらには「心の病」におちいることさえでてくる。このような心に傷をおった人の悩み、あるいは心を病める人の苦しみを理解し、通常の生活にむけて立ち直りを援助しようとするのが臨床心理学である。

3B 臨床心理学の展開

臨床心理学は、20世紀初頭にあらわれた精神分析学や、そこから派生した分析心理学にその源流をもとめることができる。これらはともに、神経症や精神病など心の病の治療理論として出発した。しかしながら、それらの理論はたんに治療理論にとどまらず、人間を苦悩する存在としてとらえなおし、苦悩する人間を理解しようとする人間学へ、しだいにその視野をひろげていった。その中から、一方では苦悩する人がみずから立ちなおろうとするのを「相談する・される」という人間関係をとおして援助する心理療法(カウンセリング)の領域が成立し、その基本的な考え方が練成されていくとともに、そこからさまざまな面接技法や治療技法が生まれてきた。

3C 人格心理学

他方、人間学的な視点は人格(パーソナリティ)ないし性格の個人差や、人格のもつ現実適応の働きなどへの興味をよびおこし、「自分は何者か」という問いにこたえようとする人格心理学や自己心理学の領域を発展させた。いうまでもなく、心の傷つきや心の病はなによりも自己性の病理であるから、人格心理学や自己心理学は臨床心理学とむすびついていくことになる。

4 社会・文化の分野

第4の分岐は、生の営みを、個人と集団との関係において、あるいは社会的規範や社会的な価値観との関係においてみていこうとする社会・文化の分野である。たとえば、公害や原子力発電所など今日の環境問題に代表されるような社会的問題に対して、各人はどのような態度をとるだろうか。また職場など個人の属する集団の中で、個人はどのような対人関係の力学のもとにおかれるだろうか。あるいは流言や流行のような集合的な行動に個人はどのようにまきこまれ、どのように行動するだろうか。このように個人と集団、個人と社会・文化の直接的・間接的な諸関係をとりあつかうのがこの分野であり、これらはすべて社会心理学に包括される。

4A 社会的認知と個人

人間の生の営みは、かならずその個人の生きる社会と文化の中での営みなのであるから、その営みに生き生きとせまろうとすれば、この社会・文化的次元を無視するわけにはいかない。というより、車がほしい、一戸建ての家がほしいというような個人的な欲望と思われるものでさえ、実際にはマスコミ(→ マス・コミュニケーション)をはじめ、その個人の生きる社会や文化によってそそのかされ枠づけされた欲望なのである。その意味では個人のもつ人間的欲望は、社会的文化的欲望だとさえいってよい。

この見地に立てば、第1の認知の分野にも、社会的知覚や社会的認知の領域が考えられ、第2の発達の分野では、発達における社会・文化的次元が問題にされなければならない。実際、子供がどのような大人になるかは、当該の社会的文化的価値観と切り離しては考えられない。発達途上の青年のいだく悩みは、当該の社会が何を期待しているかということと無関係ではない。さらに第3の臨床の分野でも、人のいだく悩みが当該の社会・文化と密接にむすびついていることをしめしている。不登校やいじめや校内暴力(→ 暴力行為)がたんに個人と個人、あるいは個人と学校のせまい人間関係をこえて、現代の社会や文化の問題として考える必要があることは、いまや明らかである。この間の事情は臨床社会心理学という領域の成立にうかがうことができるだろう。

このほかにも、人事管理、コマーシャル心理、マスコミ心理、消費者行動、投票行動、等々、具体的な社会・文化的な問題がわれわれをとりまいている。これらの具体的な問題を解明しようというのが応用社会心理学や産業心理学であり、これらの領域も社会心理学の分野にふくまれる。

5 その他の心理学の領域

4つの分野に簡単におさめることのできない重要な心理学の領域はほかにもある。そのひとつは、理論心理学や基礎心理学など、心理学全体の理論的基礎を問う領域で、これはすべての分野を包含するメタ心理学と考えることができる。また数理心理学や計量心理学は、心理学の認識論にかかせない数理・統計的道具立てを練成する領域であるとともに、ファジー理論など、心の働きに直接せまる領域でもある。

5A 横断的、学際的領域

発達臨床心理学、臨床社会心理学などは、分野横断的な領域であるといえる。実際、発達につまずく1人の子供の問題とそれへの援助を具体的に考えようとすると、発達の視点だけでなく、臨床の視点も必要になってくる。臨床社会心理学も同様である。教育心理学は学習心理学、認知心理学、発達心理学、臨床心理学、社会心理学など、すべての分野を横断する領域である。

さらに学際的領域も多数ある。動物心理学は動物行動学(→ 動物の行動)との、神経心理学は神経生理学や大脳生理学との学際領域である。そのほかにも、医学、教育学、保育学、工学などとむすびついた学際的領域の心理学が盛んになってきている。

6 心理学の分野と領域の関係

これまでのべてきた心理学の全体をみわたすと、

(1)認知の視点から、「認知」にかかわる分野を中心として「認知心理学」が成立している。そこにふくまれる領域として、「感覚心理学」、「知覚心理学」、「記憶心理学」、「思考心理学」がある。それらの学際領域として、「神経心理学」、「教育情報工学」、「コンピューター心理学」、「動物心理学」、「コミュニケーション理論」、「心理言語学」があげられる。

(2)発達の視点から、「発達」の分野を中心として「発達心理学」が成立している。そこにふくまれる領域として、「乳幼児心理学」、「児童心理学」、「青年心理学」、「成人期心理学」、「中年期心理学」、「老年期心理学」、そしてそれらを通底する「生涯発達心理学」がある。それらの学際領域として、「乳幼児精神医学」、「乳幼児保育学」、「母子保健学」、「児童精神医学」、「発達障害心理学」、「発達臨床心理学」があげられる。

(3)臨床の視点から、「臨床・分析」の分野を中心として、「臨床心理学」が成立している。そこにふくまれる領域として、「精神分析学」、「分析心理学」、「カウンセリング」、「人格心理学」、「自己心理学」がある。それらの学際領域として、「現象学的人間学」、「人間性心理学」、「超人間性心理学」、「教育臨床心理学」があげられる。

(4)社会・文化の視点から、「社会・文化」の分野を中心として、「社会心理学」が成立している。そこにふくまれる領域として、「集団心理学」、「社会的認知心理学」、「集合心理学」、「応用社会心理学」、「産業心理学」がある。それらの学際領域として、「臨床社会心理学」、「発達社会心理学」、「教育社会心理学」、「健康心理学」、「環境心理学」、「体育心理学(スポーツ心理学)」などがあげられる。

III 心理学の歴史
1 科学的心理学の誕生

科学的心理学の歴史は、1879年にブントがライプツィヒ大学にはじめて心理学研究室を創設したときにはじまる。もちろん19世紀半ばには、ダーウィンの進化論をはじめ、G.T.フェヒナーの精神物理学研究、ヘルムホルツの色覚説、ブローカ、ウェルニッケおよびJ.H.ジャクソンの失語症研究や脳研究など、今日の科学的心理学に影響をおよぼす諸研究が隣接諸科学ですすめられていた。

しかし心理学の領域に「実験してものを考える」という実験精神をうえつけ、科学的心理学の基礎を精力的にきずいたのはブントだった。ブントの実験室を見学しその実験精神をまなんだ外国人研究者たちは、帰国後、自国にライプツィヒの実験室を模した心理学実験室を設立し、こうして世界中に心理学研究が芽吹いていくことになった。ちなみに日本では、1903年東京帝国大学に、06年京都帝国大学に、ブントの実験室を模した実験室が設置されている。

とはいえ、同じころのドイツには、現象学に影響をおよぼすことになるF.ブレンターノや、同じく現象学やのちのゲシュタルト心理学に影響をおよぼしたマッハもいて、ブントとはことなる心理学の方向をめざしていた。

ブントは実験によってある直接経験をえたのちに、その意識内容を内省する(自己観察する)ことによって、それを要素的な感覚へと分析し、その感覚的要素がどのようにむすびついて心的過程を構成するかを問題にする。この要素主義と構成主義がブントの立場の特色である。

これに対してブレンターノは、意識の内容よりは意識の作用(表象作用や判断作用)を重視する。それは「意識はつねに何ものかについての意識である」という彼の有名な意識の指向性の定式によくあらわれている。彼は、実験心理学よりは直接体験の記述心理学を、また要素に分析するよりは要素の統合された全体を問題にしようとした。要素主義に反対して全体論の立場にくみする点ではマッハもおなじである。しかし彼はブレンターノの体験記述的な立場とはことなって、科学的な実証主義の立場をとろうとする。

このほぼ同時代の3人にみられる立場の微妙な違いは、少しねじれた形で、要素分析的な立場をとるか全体把握的な立場をとるか、あるいは、実験・実証的な立場にたつか体験記述的な立場にたつか、という対立図式を心理学の中に生み、この二者択一が20世紀心理学に大きく影響をおよぼしていくことになる。

2 心理学の世紀

20世紀の心理学はその幕開けから複雑な動きをみせる。一方には、ブントの実験的、要素分析的な立場にたちながら、その意識主義、構成主義の側面について痛烈に批判する行動主義心理学が登場する。他方には、ブントの要素主義と構成主義のどちらにも反対し、むしろブレンターノやマッハの全体把握的立場にたちながら、しかし実験・実証的立場をつらぬこうとするゲシュタルト心理学があらわれる。そしてその2つの立場が今日の認知心理学の基礎を形づくっていく。

この新しい2大潮流にくわえて、20世紀初頭にはフロイトの精神分析学があらわれて、急速にその影響力を世界にひろめ、ブントやブレンターノの流れとはまったくことなる心理学の流れ、つまり臨床心理学の流れの礎を形づくっていった。

これら3つの新しい動向は発展の初期のつねとしてきわめて論争的な性格をもっていたから、学派間はもとより、学派内にも論争、確執をひきおこし、さまざまな潮流や学派が生まれることになった。そして、研究者の興味や関心がしだいに分化していくのに応じて、今日の心理学の分野に対応する、児童心理学や社会心理学の基礎も形づくられていった。

3 認知の分野の歴史的動向
3A 学習心理学の系譜

ブント心理学に反対して行動主義が登場してくる以前にも、学習心理学の基礎となる研究をおこなっていた人たちがいる。条件反射の研究で有名な生理学者のパブロフもそのひとりである。また、動物の学習行動や問題解決行動に関する実験的研究をかさね、試行錯誤説と効果の法則および練習の法則を提唱していたE.L.ソーンダイクもそのひとりである。しかし、あらゆる行動の形成メカニズム、つまり経験が蓄積されて新しい行動の型が生みだされるという学習過程の基礎メカニズムの解明をめざしたのは、ワトソンにはじまる行動主義だったといってよい。

このワトソンの行動主義は、一方ではスキナーのオペラント条件付けと強化のスケジュールにもとづく学習(習慣行動)の形成過程の解明へとひきつがれ、他方ではトールマン、C.l.ハル、K.W.スペンスらの新行動主義にひきつがれて、20世紀中葉の心理学全体をリードしていった。

ワトソンは刺激Sと要素的な反応Rの単純なS-R図式ですべての行動を説明しようとしたが、そこでとりあげられたのは比較的低次の単純な行動だった。これに対してトールマンらは、人間固有の高次の行動をとりあつかうためには、刺激Sと反応Rを媒介する生活体の過程Oを考える必要があると考え、S-O-Rの図式をうちだした。この場合、Oは生活体の目的、認知、思考、判断などをふくむ過程である。彼らによれば、このOをSとRから解明していくことこそが心理学の課題である。ひるがえって考えれば、この図式はすでにたんなる学習のモデルをこえて、認知や思考のモデルでもある。そこに、情報処理モデルの登場とともに、学習心理学が認知心理学にとってかわられていく理由のひとつがある。

条件づけを基礎とする学習理論は、1960年代になって情報理論やコンピューター科学が心理学に影響をもちはじめるまで、心理学の支配的理論としてさまざまな研究を生みだしていく。たとえば、分散学習や集中学習、学習の転移、系列学習、弁別学習、動機づけなどで、教育にも大きな影響をもった。

3B 記憶心理学、思考心理学の系譜

記憶研究では、すでに19世紀末にエビングハウスが無意味つづりをもちいて記憶の実験的研究をおこなった。20世紀にはいると、ゲシュタルト学派(→ ゲシュタルト心理学)のケーラーやコフカらが、生理的場の考え方の一環として記憶痕跡という概念を提起し、また記憶イメージが彼らのいうプレグナンツの原理にしたがうことを明らかにした。そして今日の記憶研究にも影響をもつバートレットの記憶理論もあらわれた。

思考研究では、ブントの流れをくむビュルツブルク学派の一連の研究があり、またゲシュタルト学派のケーラーはチンパンジーの認知や思考の研究をおこなって、問題解決が試行錯誤的でなく洞察的におこなわれることを明らかにした。さらに学習の項でみたハル、スペンスらの媒介過程の研究も、思考を学習の視点から説明しようとするものであり、この系譜に位置づけることができる。

20世紀半ばすぎまでは、行動主義の強い影響が記憶や思考の領域にもおよび、その問題は学習理論にもとづいて議論されることが多かった。それでも記憶の領域では、記銘、保持、忘却、想起など記憶の一般的過程が研究され、忘却の理論や想起の条件などが明らかにされていった。また思考の領域では、問題解決に関するゲシュタルト学派の立場をいっそう発展させる試みもみられた。

ワトソン以来の半世紀におよぶ行動主義の支配をうちやぶったのは、チョムスキーのスキナー批判である。スキナーは言語行動もすべてオペラント条件付けの手続きで説明できると豪語していたが、生成文法を研究していた言語学者のチョムスキーは、それが不可能であることを理論的に明らかにした。ちょうどそれと時を同じくして情報理論やコンピューター科学が登場し、モデル論的思考が心理学の記憶や思考の領域にはいってきた。そのような状況の中で、人間の思考や記憶などの高次の心的活動に興味をもつ多くの研究者は行動主義に限界を感じはじめ、行動主義は一挙に退潮期にはいる。それとともに、記憶や思考の領域は、より大きな認知心理学という枠組みのもとで、情報処理モデルをもちいたシミュレーション研究へと大きく様変わりしていくことになる。

3C 知覚心理学の系譜

知覚心理学では、物理学者で生理学者のフェヒナーの感覚に関する精神物理学的研究やヘルムホルツの色覚(→ 色覚理論)に関する三原色説など、すでに19世紀後半にその基礎となる研究があらわれている。しかし、人間の知覚世界をそのあるがままの相においてとらえようとしたのは、20世紀になって行動主義心理学とともにブント心理学に反対して登場したゲシュタルト心理学である。

ゲシュタルト心理学は、ウェルトハイマー、ケーラー、コフカらによって主張された心理学全体についてのひとつの立場である。しかし、彼らは主として知覚の領域で研究をすすめたので、ゲシュタルト心理学は知覚心理学と同じ意味にうけとめられることが多い。彼らはブントの要素主義と構成主義に反対して、部分に対する全体の優位性を主張した。その中心になるのが、ゲシュタルトという「鍵」概念である。これは、「まとまりのある有意味な全体の形」という意味である。メロディを音符に分解してしまえば、メロディ全体の性質はうしなわれてしまう。ところが、移調によって音符ひとつひとつはすべて変化しても、全体としてのメロディの性質はかわらない。そのような全体をゲシュタルトととらえ、それをひとつの単位として記述していくというのがこの学派の立場である。

ウェルトハイマーらは、この「ゲシュタルト」を合言葉に、「なぜ、物は現に今みえるとおりにみえるのか」と問い、その答をもとめて一連の知覚研究を展開する。それをとおして、図と地、恒常性(→ 知覚の恒常性)、対比効果、残効(→ 図形残効)など、われわれの知覚世界の特徴が科学的に記述され、さらに錯視現象、運動知覚、奥行き知覚などが解明されていった。

この一連の研究動向は、コフカの「ゲシュタルト心理学の原理」、A.ミショットの「因果性知覚」、W.メッツガーの「視覚の法則」、ギブソンの「視覚世界の知覚」などの諸著作を生み、今日のアフォーダンス理論につながっていく。

他方、ゲシュタルト心理学者ケーラーの提唱した心理的場と生理的場の同型説は、その後の知覚研究において、その神経生理学的基礎および知覚の過程ないし知覚の機構を問題にすることへと発展していく。それとともに、知覚心理学は神経生理学や大脳生理学、情報工学などの学際領域とむすびつき、またより大きな認知心理学の枠組みの中で考えられるようになっていく。

3D 認知心理学の動向

学習の分野でとりあげたトールマンのS-O-Rのモデルは、過程モデルとして、記憶の過程、知覚の過程をもあつかうことのできるものだった。この過程モデルのOをブラックボックスと考え、SとRからその内部過程をモデルによって解明していこうというところに認知心理学が成立する。ミラーやブルーナーの情報処理的な記憶研究や思考研究はその意味で認知心理学の先駆的な仕事となるものだった。

認知心理学が心理学の地図をぬりかえていくきっかけとなったのは、チョムスキーの行動主義批判もそのひとつだったが、実質的にはナイサーの「認知心理学」(1967)の出版だったといってよい。そして、A.ニューウェルとH.A.サイモンの人工知能プログラムに代表されるコンピューター科学の登場とその発展が、認知心理学の誕生とその発展を強く動機づけた。ちなみに、先のS-O-Rのモデルにおいて、人間の認知活動にあたるOは、Sを入力、Rを出力とおきかえれば、コンピューターの情報処理過程と類比して考えることができる。こうして、コンピューター・シミュレーションによる模擬実験がおこなわれるようになり、従来の研究枠組みにおける認知の過程はしだいにコンピューター科学の用語で考えられるようになっていく。

このような認知心理学の誕生とともに、従来の心理学の枠組みも大きく変化する。そのひとつは、実験の性格である。従来の心理学実験の多くは仮説検証的だったが、認知心理学では探索型の実験が多用される。次に理論の性格である。従来の理論は実験結果にもとづいてボトムアップ型にくみたてられるものだった。それが、認知心理学ではトップダウン型の理論がふえてくる。認知心理学ではモデル構成がそのまま一つの理論となる。このような動向はJ.R.アンダーソンとG.H.バウアーの包括モデルの提唱に端的にあらわれている。

このような枠組みのもとに、記憶の領域ではE.タルビングやアンダーソンをはじめとする一連の研究がおこなわれ、作業記憶やエピソード記憶、短期記憶や長期記憶、イメージやスクリプトといった概念がもちいられるようになった。さらにアンダーソンは記憶モデルを発展させ、H.H.クラークおよびA.M.コリンズとM.R.キリアンらのネットワークモデルにもとづいて、命題ネットワークの考えを導入し、記憶、思考、言語習得、心的イメージを包括的にとらえることのできるモデルを提唱している。

同様に、心的イメージの分野ではS.M.コスリンとS.P.シュワルツのモデル、言語理解に関してはR.C.シャンクのCD理論やスクリプト理論、学習や思考の領域ではニューウェルのソアー・モデルなどが提唱され、それらに関連したさまざまな研究が生みだされた。そしてさらに最近では、D.E.ラメルハートやJ.L.マクレランドがそれまでの直列情報処理モデルとはことなる、並列分散処理モデルを提唱するにいたっている。

4 発達の分野の歴史的動向
4A 1900~1920年代

発達心理学はまず児童心理学としてはじまる。その基本的な考えは、20世紀初頭にあらわれたE.モイマン、シュテルン夫妻、C.B.ビューラーらの一連の観察日誌研究や、ビネの知能検査を生みだす考え方に典型的にあらわれている。要するに、誕生した人間の乳児がどのように運動能力や知的能力を形づくっていくのかという、個体能力の発達過程の解明をその基本的な研究の枠組みとしていたといえる。

4B 1920~1950年代

人間の発達の基底にあるのは遺伝・成熟要因(遺伝子プログラム)である。この遺伝・成熟説(前成説)によれば、ある行動の発現時期と発現順序は、平均的にみれば人という種においてほぼ一定していると考えられる。ビネの知能検査はこの考えにもとづく。同じくゲゼルもこの考えの上にたって乳幼児期の多数の子供を観察し、さまざまな行動についてその平均的な発生時期をしらべ、それを時間軸上に配列して「発達診断表」とよばれる発達検査を考案した。その後にあらわれた発達検査や知能検査の多くは、このゲゼルの検査とビネの検査を下敷きにしているといってよい。

他方、子供の発達は遺伝・成熟要因だけできまるものではなく、誕生後に子供が世界に働きかけたり、世界から働きかけられたりすることにも大きく規定される。要するに発達に経験要因が重要な意味をもっているということである。この線にそって、人間の知能がどのように発生し大人の完成された知能になるかを、知能一元論的に明らかにしようとしたのがスイスの心理学者ピアジェである。

彼は人間の知能は乳幼児期の感覚運動的知能にはじまり、具体操作的知能をへて形式操作的知能にいたって完成するとみる。「発生的認識論序説」において、彼はこの発達過程をいくつかの発達段階にわけ、同化、調節、シェム形成、シェムの可動化、不均衡化・均衡化などの概念を駆使して、その段階移行を説明するという壮大な知能発達理論をうちたてた。少なくとも子供の知的発達に関しては、発達心理学は1980年にピアジェが没するまでのおよそ半世紀にわたって、ピアジェの強力な影響下におかれてきたといってよい。

ゲゼルとピアジェとは、かたや遺伝・成熟説、かたや経験説と説明理論こそことなるものの、個体能力の発達を明確化する点では同じ枠組みに属する。これが発達心理学を長い間支配してきた基本的枠組みである。しかし、すでに20世紀前半にこれを批判的にみる研究者もあらわれていた。そのひとりは、子供の発達はあたえられる教育や文化環境などの要因に本質的に規定されていることを主張したビゴツキーである。もうひとりは、子供の身体・情動機能に注目することによって、子供は個体としてとじられているのではなく、むしろ周囲にいる他者(大人)にひらかれた存在であると考え、そのような対人関係の中で子供の人格全体をとらえようとしたワロンである。

2人の考えは、今日あらわれている発達研究の新しい動向、たとえば社会・文化論的アプローチや関係論的アプローチをある意味で先取りするものだった。

第2次世界大戦後に多数発見された「不幸な乳児」とその発達をめぐるスピッツ、ボウルビーらのホスピタリズム研究は、発達をかたどる要因を考えるうえで重要な意味をもつものだった。栄養をあたえられても、愛情豊かな母性的養育を欠けば子供は通常の発達をしめさないし、死亡率が高まりさえすることがわかったのである。さらにこの当時発表された精神分析の流れをくむエリクソンのライフサイクル説も、発達の逸脱の可能性を説明する理論として、また生涯発達心理学を先取りするものとして重要な意味をもつものだった。これらがD.N.スターンをはじめとする最近の自己感の発達理論に合流し、ポスト・ピアジェの新しい研究動向のひとつを代表していく。

4C 1960年代以降

1960年代以降、依然としてピアジェの影響下にありながらも、発達心理学は新しい乳児研究ラッシュをむかえる。R.L.ファンツやバウアーの乳児の認知研究を発端に、それまで発見されていなかった乳児の諸能力が明らかにされ、それまでの赤ちゃんイメージがぬりかえられていった。また言語発達研究もチョムスキー以降の新しい局面をむかえ、M.A.K.ハリデイ、K.ネルソン、J.E.ベイツらの研究によって、子供の言葉やコミュニケーションの語用論的、意味論的研究が展開されていく。また、ボウルビーの影響下にあったM.D.S.エインズワースは「みなれない状況」の実験場面を構成し、それによって乳児の愛着に関する一連の実験的研究をおこなっていく。さらに周辺領域からの影響もいちじるしく、認知の分野の情報処理的発想は、子供の認知の発達や思考の発達の研究にも大きな影響をおよぼした。また、ピアジェにはじまる道徳性の発達研究はL.コールバーグにひきつがれ、教育の場に影響をおよぼしていく。

このように目まぐるしい展開をみせてきた発達研究ではあるが、近年さらに新しい研究動向があらわれつつある。ひとつはスターンに代表される乳児の自己感に関する研究である。もうひとつは、素朴心理学の一環としてあらわれた「心の理論」の広がりであり、またブルーナーに代表される「物語モデル」の登場である。これらは方法論や研究スタイルなど、研究パラダイムの転換にかかわる一面をもふくみ、従来の個体能力発達論に対する関係論の視点の提唱とならんで、既存の理論と方法を大きくゆさぶりつつある。

5 臨床の分野
5A 精神分析と関連諸学派の動向

19世紀末、J.M.シャルコー、P.ジャネらにはじまる無意識の発見と神経症治療の展開は、1900年にあらわれたフロイトの「夢の解釈」(夢分析)によって、ひとつのエポックを画する。精神分析の誕生である。以後、フロイトは精神分析の理論を精力的にねりあげていく。その中核になるのは、一方ではリビドー論(のちの二大本能論)と抑圧や投射など自我の防衛機制を中心にした神経症の症状形成論であり、それの人間学的発展としての自我の適応理論である。他方では自由連想、夢解釈、転移・逆転移の概念に代表される面接技法および治療論である。

フロイトの考えはそのもとにまなんだ数多くの弟子によって世界中にひろめられ、多数の分派を形づくるとともに、分派間の論争をまじえながらその勢力を拡大していく。なかでも、早期対象関係論を展開したクライン、フェアベーン、ウィニコット、対人関係論を重視したサリバン、人格発達理論を洗練したエリクソン、最近にいたっては、フロイトの原典の厳密な再解釈を主張するJ.ラカン、境界例の研究で著名なカーンバーグ、J.マスターソン、自己愛の意義を強調する自己心理学のコフートらが、始祖フロイトの治療論と人間理解をさらに新しい方向へと展開していっている。

フロイトの弟子でもあり共同研究者でもあったユングは、フロイトのリビドー論をきらってフロイトとたもとをわかち、集合的無意識、元型、影、アニマとアニムスといったユング独自の概念を駆使して分析心理学を創始する。そしてイメージやファンタジーの重視とその解釈論によって多数の賛同者をえて、心理治療の一派を形づくっていった。同様に、フロイトのもとにまなんでそこからわかれ、新しい一派を形づくった者に、アドラーやW.ライヒ、F.フロム・ライヒマン、O.ランク、K.ホーナイらがいる。

5B ロジャーズ派カウンセリングの動向

ロジャーズは1940年に、A.H.マズローやランクの考えを下敷きにして、クライアント(心の問題を相談にくる人)の積極的な心的健康への動機と現在の感情を重視し、来談者中心的な心理療法の立場を創始した。これは心理療法という点では精神分析と同じ流れにありながら、分析家の解釈に比重をおくより、むしろ心を病める人の自己治癒力を信頼し、クライアントとカウンセラーの対話場面を重視する立場である。面接の技法としては、カウンセラーがクライアントに無条件の肯定的関心をよせ、共感的に話を聞き、自己一致した応接をすることを基本としている。これによりクライアントの積極性が前景にでて、みずから問題解決にむかうとされる。これは従来の職業指導的な意味のカウンセリングを心のケアの意味にとらえなおして発展させたものだが、アメリカではこれが臨床心理学の中核となっていく。

ロジャーズは当初は非指示的技法を強調したが、1950年代にはカウンセラーの態度を強調するようになった。そして65年以降になると、それまでの個別療法にくわえて、一般人の人間関係の改善をも考えるようになった。具体的には、集中的なグループ体験を重視したエンカウンター・グループを提唱する一方、自己概念など自己についての理論を発展させ、今日のわが国の臨床心理学に大きな影響をおよぼしている。

5C その他のアプローチ

のぞましくない行動の除去や、のぞましい行動の形成など、おもに外的行動の改善をめざす行動療法、クライアントの問題を家族の力動関係を改善することによって解決をはかる家族療法などがある。そのほか箱庭を制作することに治療的意味をみいだしたD.M.カルフの箱庭療法や、絵画療法、音楽療法、内観療法などが提唱されている。ただし、これらは「ロジャーズ派カウンセリング」の項でのべたロジャーズの心理療法の枠組みの中で、それを補完する意味をもつといえるだろう。

5D 人格心理学・自己心理学の動向

人格や自己への関心は19世紀のジェームズにさかのぼる長い歴史があり、臨床の枠組みをこえてひろく研究されてきた。日本人の人格構造に言及したルース・ベネディクトの「菊と刀」もこの系譜に属する。近年ではA.J.ワイガート、S.ベム、A.H.バスらによる自己概念、自己意識、自己開示、性役割意識などに関する研究がすすみ、尺度を構成してそれらの意識を測定する試みもなされるようになった。他方、自己性の問題は自己性の病理の側面からアプローチすることもできる。ロジャーズの自己概念の研究、コフートの自己愛を中心にした自己心理学、カーンバーグの境界例の人格構造論などはこれに属する。

6 社会心理学の分野の動向と歴史

すでにブントの民族心理学に社会心理学の始まりをみることもできるが、心理学の1分野となるのはW.マクドゥーガルの「社会心理学」(1908)以降だといってよい。しばらくは社会学と平行した歩みをすすめるが、1930年代にはいって、G.マーフィーの「実験社会心理学」があらわれる前後から今日の実験・実証的な社会心理学がはじまる。

6A 社会的態度の研究

この領域は、まずE.S.ボガーダスの社会的距離尺度の構成にみられるように、社会的態度の測定からはじまり、そのための質問紙技法(たとえばリッカート法)やギャラップの見本抽出法が考案される。社会的態度形成に関してはT.M.ニューカム、C.I.ホブランドらの研究がその先駆けとなる。20世紀後半になると説得的コミュニケーションと態度変化が問題にされるようになり、とくに認知の一貫性をなりたたせる方向に態度が変化すると主張する、ハイダーのバランス理論やフェスティンガーの認知的不協和理論が生まれた。

6B 社会的知覚・社会的判断の研究

この領域では、表情知覚に関するR.S.ウッズワースの研究、印象形成に関するS.E.アッシュの研究、個人の判断に集団が影響をおよぼすことを明らかにしたM.シェリフやアッシュの研究が早期にあらわれた。最近では認知分野の影響がおよんで、この領域は社会的認知の問題としてあつかわれるようになった。この領域でスキーマ、スクリプト、ヒューリスティクスなどの用語が多用されるようになったことにそれがあらわれている。また、個人の社会的判断や推論を説明する理論として、ハイダーの帰属理論が再評価され、E.E.ジョーンズとL.デービスの対応推論理論やH.H.ケリーの共変動理論へと展開されてきている。

6C 社会的影響の研究

先のシェリフやアッシュの社会的判断の研究は、同調行動に関する社会的影響の研究の先駆けでもあった。その後、同調行動に対する少数派の影響やフェスティンガーの公的同調や私的受容の研究が生まれ、さらにD.カートライトを始めとする社会的勢力に関する一連の研究がおこなわれて、有名なS.ミルグラムの「権威への服従」実験を生む。また最近では、影響をおよぼす側とおよぼされる側の関係において、承諾や譲歩をめぐる認知論的な議論が展開されている。

6D 集団と個人の研究

この領域では、集団規範に関するシェリフの研究や、集団の凝集性を測定するためのソシオメトリック・テストを開発したJ.L.モレノ、コミュニケーション・ネットワークを実験的に研究したA.バーベラス、規範的影響を研究したM.ドイッチとH.B.ジェラード、リーダーシップを研究したK.レウィンらが、20世紀中葉の研究をリードした。最近では集団内課題遂行に関して社会的促進、手抜き、聴衆効果、共同と競争などが議論されている。

6E 集合行動の研究

この領域では、流行に関するボガーダスの研究、世論調査に関するP.F.ラザースフェルトの研究、流言に関するオルポートとL.ポストマンの研究やカートライトの研究が20世紀前半にあらわれ、その後の研究を方向づけた。最近ではマス・コミュニケーションの影響力に関する研究がふえ、強化効果や限定効果がしらべられるとともに、そのマクロな影響力やミクロな影響力が分析されるようになった。

6F その他の研究

社会心理学の研究領域はこのほかにも、対人魅力や対人コミュニケーション研究などの領域があるが、近年、とくに盛んになった研究領域としては、向社会的行動としての援助行動に関する研究がある。そこでは援助者、被援助者の特性、社会的規範などの大枠の中で、援助、非援助の過程が帰属理論との関連で検討されている。また、多変量解析をもちいた大量データの処理や、認知論的モデルによる研究など、コンピューター科学の影響をうけて、研究の方法や研究方向に新しい動きがみられる。

IV 心理学の方法

分野によってその方法はおのずからことなるが、実験・実証的枠組みにたつ客観主義的アプローチと、面接・関与の枠組みにたつ臨床的アプローチに大別される。

1 実験・実証と統計的手続き

心理学を人や動物の行動に関する科学と考える行動科学の立場では、一般になにかの刺激(課題)を被験者にあたえ、それへの反応(応答)をえて、そこから一般的な行動法則をみちびこうとする。それは「AはBである」という肯定命題を確立することだが、そのために心理学では「AはBではない」という帰無仮説をたて、それが肯定される統計的確率が5%以下であることをもって、「AはBである」という命題がなりたつと考える。その命題がどの範囲でなりたつかをいうためには母集団を特定する必要がある。母集団全体を調査する場合を悉皆(しっかい)調査とよぶ。多くの場合、それは事実上不可能だから、母集団からランダム・サンプリングによって標本を抽出し、標本の結果(代表値)から母集団全体の特性を統計的に推計するという手法をとる。そのために、心理学では資料の単位化と数量化、および統計的手続きが重要になってくる。→ 統計学

仮説検証実験では、処理をくわえる実験群と処理をくわえない統制群を構成し、その2群の結果が統計的に有意にことなるかどうかによって、処理効果を判定する。そのために、種々の実験計画法が考案され、また群間比較のための統計的検定法も、t検定、F検定、c2検定など種々の方法が案出されてきた。

研究の初次的段階にある調査結果などでは、観測される2つ以上の事象間に関係があるかどうか問題になることがしばしばある。この場合、事象間の連関や相関が問題になり、種々の相関係数がもとめられる。ただし、相関関係があるということは、そこに因果関係があることをかならずしも意味しない。因果関係をいうためには、2つの事象間をつなぐメカニズムが明らかにされなければならない。

また、心理学では、たとえば知能のように、観測されるデータが多変量から構成されている場合が少なくない。このような場合、因子分析や多変量解析などの統計的手続きによって、その因子構造を明らかにする必要がでてくる。コンピューターの発達によって、大量のデータ処理と複雑な計算が可能になったことによって、近年、この種の方法が多用されるようになってきた。

2 モデル構成とコンピューター・シミュレーション

認知科学の発展とともに、従来の仮説検証実験に対して情報処理モデルを中心とした探索的・仮説発見的研究がふえてきて、心理学に新しい方法が定着してきた。それがモデル構成と主として反応潜時を指標にしたコンピューター・シミュレーション実験である。これによって、記憶、思考(言語処理)、心的イメージ、知覚の領域に次々と新しい研究が生みだされている。また、情報処理的な認知心理学の枠組みの中で生まれたスキーマ、スクリプトなどの記述単位や、判断の方略であるヒューリスティクスなどは、発達心理学や社会心理学にも導入されて、重要な記述の視点になっている。

3 観察

客観主義の枠組みのもとでは、観察者は観察対象に対して無関与的な観察態度がもとめられる。この場合の観察方法は時間見本法やチェックリスト法による行動の定性的、定量的観察であり、観察の単位は特定の行動である。この観察方法は、データを数量化して仮説検証の枠組みにのせるうえでは有効な方法で、従来はこの観察方法が支配的であった。

しかし、フィールド調査、保育・教育の実践研究、臨床研究などにおいては、観察者自身が観察対象にかかわったり、生活をともにする必要がでてくる。そのために観察者はその場に無関与的ではありえない。逆に、関与的態度をとることによって、観察対象の気持ちの動きや意図や雰囲気などが把握できるという利点もある。従来はこれが観察者の主観であるとして排除される傾向にあったが、近年、フィールド(実地)研究や実践研究にこの種の観察内容が重要であることが認識されるようになってきた。数量的処理や一般化に難点はあるが、そこに生じた出来事を生き生きととらえることができるという特徴がある。この場合、多用されるのが観察の場で生じた出来事のエピソード記述である。

4 調査とテスト

心理学ではフィールドでの調査がしばしばおこなわれる。調査は質問紙配布、個別インタビュー(聞きとり)、フィールド観察など種々の方法がある。質問紙をもちいる場合には質問項目の事前の吟味が必要である。それには尺度構成法や項目分析などの方法がもちいられ、質問項目の内的整合性や妥当性があらかじめしらべられる。

また、知能テストや性格テスト(→ 性格検査)など種々のテストが調査にもちいられることがあるが、この場合も、テスト項目の事前の吟味に関して質問紙と同じ手続きが必要である。さらに、このテストが一般性、妥当性をもつことをいうために標準化の手続きがおこなわれる。

質問紙による性格テストとしては、矢田部=ギルフォード性格検査、ミネソタ多面性性格検査(MMPI)、東大式エゴグラム(TEG)、モーズレー性格検査(MPI)などがある。投影形式の解釈テストとしては、ロールシャッハ・テスト、絵画フラストレーション・テスト(PFスタディ)、絵画統覚検査(TAT)などがあり、投影形式の描画テストとしては、バウム・テスト、HTPテスト、動的家族画(KFD)などがある。その他としては文章完成テスト(SCT)や内田・クレペリン・テストなどの作業形式のテストももちいられている。

5 臨床面接

臨床の展開はどのように面接をおこなうかが重要な鍵をにぎるから、面接の方法が問題となる。臨床的カウンセリングにおいてカウンセラーにもとめられる態度は、この面接の方法をしめしたものだといってよい。これは、刺激条件の設定のように事物を操作することによって可能になるものではなく、面接の場にたつ人のその態度にかかわる問題である。そこで、そのような態度を自然にとれるようになるための訓練や技法が各学派によって考えられていくことになる(共感性の練磨、聞く態度の養成、教育分析、スーパービジョンなど)。面接の構造化(時間や場所、治療契約、等々の制約条件)も臨床の方法と考えることができる。

また、臨床的面接では、その一環として箱庭制作、描画、ドール・プレイなどがこころみられる場合がある。その場合、それらの作業は面接のひとつの方法でもあるだろう。その作業にとりくむ姿勢やその過程がクライアント理解につながり、またその結果を面接者が被面接者とともに「味わう」ことは、面接と同等の意味をもつことがある。


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意識
意識

いしき
consciousness

  

広義には,われわれの経験または心理的現象の総体をさし,狭義には,これらの経験中特に気づかれる内容を意味する。また,それら多様な経験内容を統一する作用を意味することもあり,きわめて多義的である。しかし意識はいずれにしても主観的で,個人的であって,内省によってのみ把握できる直接経験である。意識は単に観念の集りではなく,一つの流れであり (W.ジェームズ) ,その状態には明瞭な焦点と明瞭でない辺縁部とが区別される。また意識が覚醒状態であるとすれば,覚醒していない状態を無意識として総括することもある。意識は精神異常によって,あるいはせばまり (意識狭窄) ,あるいは曇り (意識暗化) ,あるいは濁り (意識混濁) ,あるいはばらばらに解体したり (精神錯乱) ,また夢のような状態になったり (夢幻状態) する。





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意識
いしき

古代インドには,霊的,生命的なものを言い表す言葉の一つとして〈意 manas〉(英語では mind と訳される)という語があったし,また原始仏教では,現象界の分類(五蘊(ごうん)説)やその生成の説明(十二縁起説)に関して〈識 vij4´na〉という語が用いられ,それによって了別の働きや個性化の原理が意味されていた。大乗仏教の時代には,十二縁起のうちの〈識〉によっていっさいを説明しようとする唯識思想(唯識説)が現れ,その中で,五官にかかわる五識を統一する第六識が〈意識〉と呼ばれていた。日本でも,この語は長い間そうした含蓄の仏教用語として用いられていたと思われるが,幕末以後,西洋の諸学が輸入されるにつれて,ヨーロッパ語の訳語という性格を強めながら今日に至っている。その端緒は,西周にあったと考えられる。彼はアメリカ人ヘーブン JosephHaven の《Mental Philosophy》(1857)を翻訳して,《心理学》上下巻(1875‐79)として出版したが,それに付された〈翻訳凡例〉の中で,訳語を案出する苦心に触れながら,〈意識〉等の語については〈従来有ル所ニ従フ〉と述べている。それからほどなく,井上哲次郎らの手によって刊行された《哲学字彙》(1881)には,〈Consciousness 意識〉とあり,この語がほぼこのころ哲学,心理学等の用語として定着したことが知られる。
 英語の consciousness は,接頭辞 cum とscire(知る)の過去分詞 scius とからなるラテン語conscius を語源とする。cum は一般に共同的な含意を作る語であるから,con‐scius は,(1)ある知識をだれかと共有したり,共犯関係にあること,あるいは(2)ある行為や思考,感情などに,それについての知,すなわち自己意識が伴っていることを意味していた。(3)その際,その自己意識が欺瞞を含まない限り,それは〈良心 conscientia〉と呼ばれてよいであろう。スコラ哲学では,この用法がしだいに重きをなしていったと言われている。この conscientia が英語の conscience(良心)やフランス語の conscience(意識)になるわけであるが,ドイツ語でも,古形の Gewissen からBewusstsein(意識)が独立したのは,やっと18世紀の C. ウォルフからであるという。
 意識という語のとくに近代的な意味は上述の(2)にあると考えられるが,その確立はデカルトとともに始まったと言ってよい(彼は多くはコギタティオcogitatio という語を使ったが)。彼が精神を〈考えるもの(レス・コギタンス)〉と規定したとき,そのコギトとは自己意識にほかならなかったからである。意識という語で,さめた心の状態や意図的な何かを意味する今日のわれわれの用法も,そこに通ずるであろう。ちなみに,西周の邦訳した前述のヘーブンも,意識を〈みずからの諸現象を認知している心の状態ないし作用〉と定義している。このような意味での意識をとくに重視するものに,現代の実存主義の哲学がある。例えばハイデッガーは,人間特有の在り方を〈前存在論的〉な〈自己了解〉にあるとみなし,そうした在り方を〈実存〉と呼んだが,サルトルも,いわゆる無意識とは実は〈非定立的自己意識〉,すなわち非主題的,非対象的な自己意識にほかならないとして,無意識の存在を否定し,人間の根源的自由を力説した。彼によれば,神経症といったものも,各自の選択した生き方なのである。しかし,たとえ非定立的な意識にもせよ,睡眠や失神のただなかにおける睡眠や失神の意識について語ることは無意味であろう。その点では,意識をむしろ非人称的なものととらえ,デカルト的〈我思う(コギト)〉を,It thinks(within me)(……と考えられる)と言いかえようとしたラッセルやカルナップらの経験主義にも一理があることになる。経験主義の外でも,例えばメルロー・ポンティは〈身体〉に哲学の原理を求めたが,その動機も自己意識としての意識概念への不満にあったのである。
 ところで,思考であれ感情であれ,われわれに内的に与えられているすべては,ともかくも自己意識の対象になりうるという点で共通している。したがって,拡張された意味では,内的所与のすべてを意識と呼ぶことも可能であろう。〈意識不明〉などというときの意識はまさにそのようなものであって,思考・感情・意志等の区別はそうした意識の下位区分をなすにすぎない。このように,〈主観〉とほとんど相おおう意味での意識を考えるならば,問題になるのは何と言っても対象との関係である。伝統的に模写説と構成説とが争われてきたのも,その点に関してである。しかし,刻々に変転する現象世界の中での対象の同一性とは,対象自体の性質ではなく対象に付与された一つの意味と考えるべきであろうから,意識を単純にある対象の反映と見ることはできない。カントが意識の本質を,ア・プリオリな構造をそなえた〈総合〉の働きに求めたゆえんである。しかも,その総合が自発的なものである限り,意識は少なくとも権利上は〈統覚〉,つまり自己意識でなければならなかった。カントの二元論的傾向を一元化する方向でカント継承を企てたものがドイツ観念論であるが,そこでは意識は構成的機能を失って,現象の背後を指示する形而上学的な概念に変貌していった。日常の意識概念から出発したヘーゲルにおいてさえ,〈意識の学〉とは〈絶対精神〉に至るまでの〈精神の現象学〉なのである。その意味では,カントの構成主義はフッサールに継承されたと言ってよい。彼においては,意識は〈何ものかの意識〉として,対象定立的〈志向性〉を本質とするが,志向性はまた,受動的に与えられる〈生活世界〉をはじめ,知的に構築される科学の諸理念に至るまでのいっさいを〈構成〉する総合の働きでもあったのである。その際,〈受動的総合〉といった概念の導入によって,総合と事実上の自己意識の諸段階との調和が図られているのは,一つの前進と言える。⇒心                     滝浦 静雄
[意識障害 consciousnessdisturbance]  医学的には,意識は〈通常目覚めていて,外界から与えられた刺激を正しく認識して適切な行動に関連づけていく諸過程を維持する機能の全体〉と定義される。この機構は大きく2段階に分けることができる。その第1は目覚めている状態,すなわち覚醒を維持する機能であり,第2は認識能(意識内容と呼ばれることもある)である。
 覚醒は脳幹網様体に存在する上行性網様体賦活系によって維持されている。大脳皮質には触覚や痛覚,聴覚など種々の感覚刺激が伝えられるが,その一部は途中で脳幹網様体にも伝えられ,上行性網様体賦活系を活動させる。次いで,ここから発せられる神経インパルスが視床を通じ大脳皮質全域に投射されてこれを興奮させるが,これが覚醒と呼ばれる現象である。このようにして目覚めさせられた大脳皮質は,種々の外界からの感覚情報に対して十分に敏感になり,これを正しく受容・認識して適切な行動をひきおこす。このような大脳皮質の営みが,認識能,あるいは意識内容と呼ばれる機能である。
 意識を保つこれら2段階のどちらか一方でもその機能を失うと意識障害が生ずるわけであるが,主としてどちらの機能が失われるかによって,現れる症状にも大きな差が出てくる。脳幹の上行性網様体賦活系が傷害を受けると,目覚めた状態が失われ,目を閉じて眠ったような状態になってしまい,外界からの刺激には応じなくなってしまう。これに対し,大脳皮質が広範に破壊されると,開眼して手足を動かし,一見覚醒しているように見えても外界の情報を認識し記憶にとどめることができないため,適切な行動ができず,外界への反応が失われてしまう。したがって意識障害を現象的に記載するにあたっても,この二つの側面を念頭においてなされるのが普通である。
 昏睡,昏迷,昏蒙,傾眠などは覚醒の程度を表すものであり,昏睡 coma はどのような外界からの刺激に対してもまったく目覚めることのない最も深い意識障害に対して用いられ,傾眠somnolence は呼びかけないかぎり,目を閉じてうとうととしているが,容易に目を覚まさせることのできるような軽い意識障害を示す。昏蒙benumbing と昏迷 stupor はこの二つの中間段階に対して用いられ,通常後者のほうが前者より高度の意識障害を意味するものである。
 これらに対し,認識能の障害は,意識内容の変化,すなわち意識変容として表現される。そのようなもののうち,目覚めていて手足を自由に動かすことができるが,思考が混乱して,外界の事象を錯覚したり幻覚が現れたりする状態は,譫妄(せんもう) delirium と呼ばれる。これより軽度ではあるが思考や行動にまとまりの欠ける状態は,朦朧(もうろう)状態 twilight state と呼ばれる。また長期間経過した広範な大脳皮質病変の場合には,目を開いて覚醒してはいるが外界からの刺激に対しまったく反応せず,手足も動かさずにじっとしたままの状態が生ずるが,これらは失外套症候群 apallic syndrome とか慢性植物状態vegetative state などと呼ばれている。
 意識障害を生ずる原因はさまざまであるが,やはり大脳全体を広範におかすようなものと,脳幹網様体の局所的病変によるものとに分けられる。前者には,一酸化炭素,アルコール,睡眠剤などの種々の薬物などによる中毒や,糖尿病,肝硬変,脱水などの代謝異常,呼吸障害,窒息,心臓停止,低血圧,大量失血,低血糖など脳へ行く酸素やブドウ糖の不足状態,脳震盪(しんとう),癲癇(てんかん)発作,電気ショックなどのように大脳全体に急激な強い刺激の加わった状態,髄膜炎,クモ膜下出血などの脳をとりまく髄膜の病気によるものなどがある。局所的病変としては,脳腫瘍,脳内出血,硬膜下血腫,硬膜外血腫,脳膿瘍,脳梗塞(こうそく),脳浮腫などがある。これらの病変は,脳幹の上行性網様体賦活系を直接的に破壊したり,または間接的にこれを圧迫したりして,意識障害を生ずる。間接的な圧迫の場合には病変は通常大脳半球にあるが,大脳全体は頭蓋骨という硬い容器の中におさめられているために,大脳半球の部分の体積が増大すると,行きどころのなくなった大脳の組織が小脳テントと脳幹の間のすきまから下方に押し出され,そこで脳幹を圧迫することになるのである。
 意識障害は急激に発症することが多く,治療が適切に行われないと致命的な結果に至ることも少なくない。したがって意識障害は直ちに救急医療の対象として取り扱われるべきである。とくに呼吸障害や心臓停止などのように一刻を争う場合も多い。このような原因による意識障害が長びくと脳死に至り,いかなる治療も無意味な状態に陥ってしまう。したがって,このような最悪の事態を防ぐためには,意識障害患者に対する救急処置として人工呼吸,心臓マッサージなどを施すことがきわめて重要である。また意識障害のある患者の場合,それを生ずる以前の状況についてはまったく不明であるようなことも少なくないため,薬物中毒や糖尿病性昏睡,低血糖昏睡,肝硬変による肝性昏睡など,頻度の高い,しかも治療可能な意識障害については,その有無が検査で確認されるようでなくてはならない。局所的原因による意識障害の場合には,腫瘍や血腫の外科手術によって意識を回復させることの可能なものが多い。
 意識障害は,それ自体が致命的でなくとも,長期間続くと肺炎を併発したり,褥瘡(じよくそう)(床ずれ)や膀胱炎などからの細菌感染などによって全身の衰弱を生ずる危険性があり,また食事や水分補給が十分に行われないため,栄養障害や脱水などを起こして意識障害をさらに悪化させ,これによって死に至らしめることもまれではないから,十分な注意が必要である。         岩田 誠

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意識
I プロローグ

意識 いしき Consciousness 哲学者F.ブレンターノの「意識はつねに何ものかについての意識である」という有名な一文にしめされるように、哲学的にみた意識とは、「何ものかにむかう」という志向作用と、その志向作用によってその何ものかが「何ものかとしてとらえられる」ということが二重になった働きとしてふつうは考えられる。

しかし、心理学的な関心からみると、意識は、(1)精神分析学では無意識や前意識との関係において、(2)神経心理学的な関心からは覚醒と睡眠との関係において、(3)知覚心理学的(→ 認知心理学)な関心からは刺激が感知される閾(いき)の上または下との関係において、議論されることが多い。ここでは、それら心理学的な観点から意識の3つの側面をとりあげる。

II 精神分析における意識と無意識

1920年代以前の精神分析理論において、意識と無意識は、卵形の図の中央部に抑圧の壁がえがかれ、その上部が意識、下部が無意識というように裁断されてしめされていた。つまり意識と無意識は、「意識されるもの=意識」と「意識されないもの=無意識」という関係をもつ。しかも、「意識されないもの」というのは、たんなる意識のゼロ点という意味ではなく(無意識のうちに背中のかゆいところをかいていた、というような意味での無意識ではなく)、むしろ「意識できないもの」「意識してはならないもの」の意味であり、したがって、意識のほうもたんに「意識されるもの」という意味ではなく、「意識できるもの」「意識してもよいもの」という意味をもっていた。

このようにフロイトは無意識を強調するために、一見したところ意識と無意識を別個のものと分断してあつかっているようにみえる。しかし実際にはそうではなく、両者の間にはつながりがある。夢をはじめ、言い間違いや記憶違い、行動と感情のズレなどの事実は、無意識が意識にもぐりこみ、混入することをしめすものである。また人が理由もなく不安にかられるのは、無意識が意識にむけてなんらかの危険のサインをだしていることの現れである。

ただ、無意識の葛藤(かっとう)が強くなって、自我がそれをもちこたえられなくなったときに、抑圧をはじめとする種々の防衛機制(→ 精神分析)がはたらきはじめ、意識と無意識の分断がおこる結果、原因不明の不安や身体症状、理解しにくい不合理な行動、行動と感情のずれが生まれるのである。したがって意識と無意識は、精神分析理論では、表と裏、表層と深層というように、同じものの二面という連続性をもつ考えであるとうけとめられている。「精神分析」という言葉自体にも、明るみにある意識を足場に、かくされたほの暗い無意識におもむくという意味がこめられている。

III 覚醒に対応するものとしての意識

脳波や脳電位(→ 脳波記録)に関する神経生理学的研究がすすみ、睡眠と覚醒の関係がしだいに明らかになりつつある。覚醒している状態が、つねに冒頭にみたような「何ものかについての意識」であるかといえば、かならずしもそうではない。覚醒した状態が「意識がある状態」、ねむっている状態やてんかん発作中の状態が「意識がない状態」であるということはできても、たとえば人につねられて痛いと感じることと、それを痛みとして意識することとは微妙にことなる。しかし、冒頭にみた哲学的な意味での意識が、「覚醒」を必要条件としていることは紛れもない事実である。

意識を精神活動と考えれば、意識の水準は脳細胞の活動水準、つまり覚醒に対応した脳細胞の高まった活動水準と、睡眠に対応した脳細胞の低まった活動水準に対応すると考えられる。脳細胞の活動はいろいろな型の電気現象をともなうため、それを測定することができれば脳細胞の活動がわかり、またそれによって意識の水準を特定することができる。この脳細胞の電気現象をとりだしたものが、脳波ないしは脳電図である。

脳波の研究によれば、脳波のパターンは覚醒(意識)水準によって敏感に変化する。(1)目を閉じたおちついた意識状態では、30~60μV(マイクロボルト:0.000001V)の振幅をもつアルファ波(8~12Hz。Hz=ヘルツ)が後頭部や頭頂部にあらわれる。(2)目を開き、音を聞き、思考をはじめると、このアルファ波は振幅が小さくなったり消失したりし、かわりに50μV以下の振幅のベータ波(13Hz以上の速波)があらわれてくる。それがしだいに睡眠状態にうつっていくと、まずシータ波(4~7Hz)があらわれ、浅い眠りの段階をへて、ある程度睡眠が深くなると紡錘波(13~15Hz)、さらに深い眠りになると徐波ともよばれるデルタ波(3Hz以下)があらわれる。したがって、覚醒と同義語と考えられるかぎりでの意識は、脳波のアルファ波やベータ波に対応したものであるといえるだろう。

IV 知覚の閾上としての意識

時計の秒針の動きはうごいていると意識できるが、分針や時針は、うごいてはいてもうごいていると意識することはできない。このように、人は感覚がある一定以上(これを心理学では閾(いき)とよぶ)にならなければ、それを意識することはできない。逆に、閾下であってそれとしては意識できないが、刺激としては脳につたわっていて、それが主体の側に意識されないかたちで影響をおよぼすということがおこる。これについて一般によく知られているのは、いわゆるサブリミナル広告である。

サブリミナルとは閾下、つまり意識下を意味する。広告がでているとは感知できないほどに短時間の露出時間で広告を放映すると、視聴者にはその広告をみたという意識ははたらかないにもかかわらず、その品物の販売数がふえるなどの効果があるといわれる。このように意識下において刺激の情報処理はおこなわれている可能性があり、これまでもいくつか研究されている。ただし、ここでの意識下が精神分析のいう深層の無意識とどういう関係にあるのか、まったく無関係なのか、一部でも関連するのかは、まだわかっていない。

このように、意識という用語はいろいろな文脈のもとでもちいられ、しかもその間の関係はそれほど明確ではない。客観的にとらえることのむずかしい意識の問題を、これまで心理学がさけてきたことも影響しているだろう。ここでは意識を問題にする切り口として、3つの側面をとりあげたにとどまる。


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観念
観念

かんねん
idea

  

元来は仏教の用語で,真理または仏を観察思念するという意味。今日ではギリシア語のイデアの訳語として,いろいろな意味に用いられる。古代ギリシアでは,イデアは事物の超感性的な原形,中世では神の心のなかにあるイデアを原形として万物が創造されたとする。近世では,デカルトやイギリスの経験論者によって,イデアは人間の心のなかに現れる意識内容,または表象を意味するにいたった。一般に,観念は,知覚や心像ほどに具体的ではないが,概念ほど抽象的ではない。





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[ブリタニカ国際大百科事典 小項目版 2008]


観念
かんねん

ギリシア語のイデア idea に由来する英語のアイディア idea やドイツ語のイデー Idee に相当する語(ただし,ドイツ語のイデーは〈理念〉と訳されて,特別の意味をもつことがある)。イデアは元来,見られたものごとの形,姿などの経験的,具象的な対象を意味した。しかし,プラトンによって,それは経験的な個物を超越した不変,永遠の存在の意味を負わされるに至った。イデアには数学的対象や今日一般に抽象概念と呼ばれるものも含まれるが,とくにプラトンでは倫理的概念が重視され,その頂点に位するのが万人の究極的に追求すべき善のイデアとされることによって,イデアは同時に理想,理念の意味をも担う。また,イデア的な存在を重視する哲学が,いわゆる観念論の重要な一形態とみなされるゆえんもプラトンにある。プラトンの伝統をひく古代ギリシア末期の新プラトン派では,イデアは万物の流出と創造の根源となる一者(to hen,絶対者)の精神の中に永遠に存在する,万物の原型の意味を持つに至った。また,中世思想においても,それは唯一絶対の創造主である神の中の諸物の原型と考えられた。この種の超越的で非経験的なイデアの意味が逆転し,再び人間の精神の直接の対象として経験的,具体的な存在を意味するようになったのは近世哲学においてである。たとえばデカルトは観念に次の3種を区別した。第1は,人が先天的に所有している生得的,あるいは本有的な観念(生具観念)であり,公理的な諸真理,因果など,とりわけ神の観念がそれである。第2は,外来的,つまり外部から必然的に受容を迫る形で感覚に入ってくる熱,音などの観念であり,第3は,仮想的,つまり半神半魚の女神のように想像や空想が作り出した対象である。以上から明らかなようにデカルト的観念の重要な一部は先天的に存在し,しかも,その内容は形而上学的性格を持つもので,とくに神の観念が含まれることによって神の存在の本体論的証明に活用された。そして一般に,理性論の哲学では形而上学などでの重要な観念は先天的観念と認められていた。
 観念を真に経験的な意味での人知の対象へと徹底させたのは近世におけるイギリス古典経験論であった。ロックは人間の知識や信念の可能性,限界を探究するという,認識論,知識哲学の創始者となったが,それには精神の直接の対象である観念の探究が必要であるとして,観念の博物学,観念理論とよばれる方法を唱導した。ロックの観念はおよそ心の対象となるすべてのものをいう最広義の存在で,概念をも含んでいたが,ロックは観念の発生源上の分類として,感覚と反省の2種を区別した。感覚の観念とは五官が外部からうけとる色,味,におい,寒熱などや形,運動などの観念であり,反省の観念とは人がみずからの心を省みることによって得られる,心の機能や感情の観念である。この区分にロックはさらに単純と複合の区分を交差させる。単純観念とはもはやそれ以上に分割されない究極の単位で,複合的なそれは,単純観念からの合成によって成立し,単純観念へと解体される観念をいう。ロックはどれほど崇高で複雑,抽象的な観念もすべて感覚,反省の二つの窓口を通じて得られた単純観念に由来すると述べて,デカルトの認めた生具観念を否定し,経験論の立場を積極的に表明した。しかし,複合観念という合成説の構想は,認識の発生的始源と知識の論理的単位との混同による要素心理学的錯誤の源泉ともなった。だが経験的観念の理論によって,実体などの観念もさまざまな経験的単純観念の複合体以外には考えられなくなり,それらの背後にあって統一を与える基体といった伝統的実体概念は批判されるに至る。
 ロックの観念の用法や考え方は,概念の意味は除いてバークリーにも継承された。バークリーは能動的作用としての精神とその唯一の対象である観念のみを認めて抽象観念を批判し,とりわけロックでは妥協的に許容された物体的実体を徹底的に排除した。しかし,他方で彼は精神を唯一の実体と認め,しかも究極的にはそれを神と考えて被造物によって知覚されていないときの観念の原型を神の心の中に永遠に存在するとみる,新プラトン派的な万有在神論の一面をも見せた。バークリーに続くヒュームは,心の対象を知覚と命名し,それを印象と観念とに二分したが,前者は外的感覚から得られた直接の与件であり,後者は記憶,想像におけるその再生であるが,さらに,前者から直接的にか,後者から間接的に心の中に生じるのが反省の印象だとする。観念と印象との差は力と生気の点で後者が前者にまさることに求められる。ヒュームはバークリーの不整合を矯正し,物体的実体のみならず精神的実体をも〈知覚の束〉と規定した。観念的存在を基本とする哲学は一般に経験論,実証主義的傾向を示し,種々の変形をうけて現象学や現代論理実証主義などにも継承された。他方,観念に相当する現象とその背後の物自体という考え方はカントに継承され,また,理性論的で形而上学的な観念の理論はドイツ観念論の発展に示されている。⇒イデー∥概念∥表象                      杖下 隆英
[仏教語としての〈観念〉]  仏教語としては真理や仏名や浄土などに心を集中し,それを観察して思い念ずること。仏教ではもともと三昧(さんまい)を追求することが基本となっている。三昧とは禅定(ぜんじよう)ともいわれ,心を集中して心が安定した状態に入ることである。禅定の追求が継承されていくなかでその方法が具体的に形成されることとなり,観仏・観法などの修行の仕方が明らかにされていく。観仏とは,釈梼や阿弥陀などの仏のすがたやその功徳(くどく)を心に思い浮かべて禅定に入っていくことで,観法とは,心を集中し真理を心に思い浮かべて,それを観察し念ずることである。観念とは,このように,禅定の方法が中国・日本において,具象的なものをふまえて,微妙に変化したものといえよう。      渡辺 宝陽

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イデア
イデア

イデア
idea; Idee; ide

  

語源的にはギリシア語の「見る,知る」という意味の動詞 eidの変化形 ideinによる。ギリシア語の日常的用法では「見えているもの,姿,形」の意。ピタゴラス学派では,感性的な図形と区別された図形の本質そのものを意味した。プラトンの対話篇では,ソクラテスの定義運動で確認された,物それ自体としての存在,すなわち,もろもろの感覚的存在を超越し,ただ思惟によってのみ把握されうる自己同一的な存在としての真実在をイデアと呼んだ。これはエイドスとともにプラトン哲学の中心概念の一つである。このように,いわば客観的実在として考えられていたイデアは,中世以後次第に精神内容,意識内容として解されるようになった。現代語のイデー,アイディアは理想,理念,観念などと訳され,プラトン的イデアとはほとんど無縁になっている。





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イデア
idea

もともとは動詞 idein(見る)に対応して〈みめ〉〈姿〉〈形〉を意味するギリシア語。プラトン哲学において〈エイドス eidos〉(この語も同根同義)とともに〈真実在〉を指すのに用いられ,これに関するプラトンの学説がイデア論と呼ばれる。ただし,〈イデア〉や〈エイドス〉がその意味での哲学用語として固定化されたのはアリストテレス以降のことであり,プラトン自身は専門用語として統一的に使用しているわけではない。イデア論の基本は,純粋の思考によってのみとらえうる存在を,日常経験の事象や感覚対象から厳格に区別して立てることにある。プラトンは,ソクラテスが主に倫理的徳目について,それが〈何であるか〉を問い求めたことに示唆を受けて,その問いを満足させるような〈まさに~であるもの〉〈~そのもの〉(=イデア)の存在を想定し,それのみが知の目ざすべき真実在であるとともに,それなくしては確実な知はありえないと考えた。たとえば,われわれが日常経験し感覚する〈美しさ〉は,必ずどこか不完全で一時的なものでしかなく,したがって真の〈美〉(美のイデア)は,そうした個々の事例を超越した恒常不変の完全な存在でなければならない。他方,個々の美しい事物は,この〈美〉のイデアに〈あずかる(分有する)〉ことにより,あるいはイデアを〈原型・模範〉とする〈似像〉となることによって,美しいという性格を持ちうる。こうした意味でイデアはけっして単なる普遍概念や観念ではない。イデア論の構想は,倫理的領域をこえて認識論,存在論,自然学などにわたる統一的な原理とされた。アリストテレスはこのプラトン的イデアを否定して,具体的な事物の内にある〈形相(エイドス)〉に置きかえ,中世ではイデアは神の精神の内容として解された。イデアという語は近世において英語の〈アイディアidea(観念)〉やドイツ語の〈イデー Idee(理念)〉に受けつがれたが,プラトンとは違った近世哲学独自の解釈を与えられた。⇒観念      藤沢 令夫

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表象
表象

ひょうしょう
representation; Vorstellung

  

(1) 外界に刺激が存在せずに引起された事物,事象に対応する心的活動ないし意識内容のことで,以前の経験を想起することにより生じる記憶表象,想像の働きにより生じる想像表象などが区別される。刺激が現前せずに生じる意識内容という点で,夢,幻覚なども表象の一つとされる。また場合により具体物に対する関係の程度に応じて心像,観念とほぼ同義に用いられる。ただし刺激が現前した場合に生じる知覚像をも表象に含ませ,知覚表象の語が用いられることもある。 (2) 現在では特に思考作用にみられるように,種々の記号,象徴を用いて経験を再現し,代表させる心的機能をさす。この場合は代表機能の語が用いられることが多い。





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表象
ひょうしょう

表象は,哲学や心理学の領域で,主としてドイツ語の Vorstellung,英語の representation,フランス語の reprレsentation の訳語として用いられる言葉であるが,広狭さまざまな外延をもつ。もともと Vorstellung は,18世紀に C. ウォルフによって英語の idea(ロックの用語)の訳語として,次いでカントによってラテン語の repraesentatio の訳語として使われはじめた言葉であるから,当然表象にも,もっとも広い意味として,感覚印象から非直観的な概念表象までをも含む観念一般という意味がある(この意味についてはカント《純粋理性批判》第2版を参照)。しかし一般には,直観的な性格をもつ対象意識を指し,知覚表象,記憶表象,想像表象,残像,さらには夢や幻覚,妄想までも含む心像一般を意味する。また,物理的刺激によって引き起こされる単純な感覚与件と区別して,それら与件の結合によって,あるいはそこに特定の心的作用が加わることによって成立する知覚像のような心的複合体を表象と呼ぶこともある。カントが現象界を表象と呼び,それにならってショーペンハウアーが〈意志としての世界〉である物自体界と区別して,現象界を〈表象としての世界〉と呼ぶのは,このような意味においてである。しかし,もともとラテン語の repraesentatio はギリシア語の phantasia の訳語であり,対象を〈再 re 現前praesens 化〉するという意味であるから,知覚と区別して,再生心像による対象意識,つまり記憶心像や想像心像だけを表象と呼ぶのが普通である。この場合はイメージ(心像)と同義である。心理学ではこの意味の表象として視覚表象だけではなく,聴覚表象,嗅覚表象,運動表象,混合表象をも認めている。個人によってそのいずれかの優位が認められるのである。
 さらに,この語の現代の用法からみると例外的であるが,ライプニッツの哲学にあっては表象はperceptio の訳語としても用いられる。ライプニッツはすべての存在者の究極の構成要素つまり実体を〈単子(モナド)〉と呼び,その基本的属性を〈欲求 appetitus〉と〈表象 perceptio〉にみる。したがって,精神的実体や動物にだけではなく,植物やさらには無機的物体にも,それなりの仕方で世界の全体をおのれのうちに“映し出し表現するrepraesentare”表象の能力が認められるのである。無機的物体を構成する単子において働いている錯雑し混濁した表象は〈微小表象〉と呼ばれるが,精神的単子にあっても熟睡中や失神時にはこうした意識化されない微小表象が働いており,それによって意識の連続性が支えられていると考えられている。
 上記のようにラテン語の repraesentatio はもともとは対象の〈再現前化〉を意味していたのであるが,なぜそこに知覚表象までが含まれることになったのか。中世のスコラ哲学にあっては,知覚とはそれ自体で存在する実体=基体 subjectum がわれわれの心に“影を投ずる objectare”ことであり,そうして生ずる投影像 objectum が観念だと考えられた。近代とは逆に,subjectum が即自的実在を,objectum が主観的観念を意味していたわけである。近代初頭のデカルトのもとでも,realitas objectiva は単なる表象のうちで思い描かれる事物の事象内容を意味していた。このように知覚とは,それ自体で現前している存在者が心に投影され,再現されることだという考えから,知覚表象も repraesentatio と呼ばれたのである。
 ところが,近代に入って subjectum とobjectum の意味が逆転するのに対応して,repraesentatio の意味にもあるズレが生ずる。たとえばデカルトのもとではあらゆる基体のなかでももっとも卓越した基体 subjectum である〈われ思う(コギト)〉の対象,つまりこの〈われ〉によって〈思われるもの cogitatum〉だけが真の存在者とみなされる。いいかえれば,主観 subjectum としての〈われ〉が“おのれの前に据えなおし sichvorstelle”,その対象 objectum として“おのれの前に再現前化 se reprレsenter”したものだけが真の存在者たりうるのである。カントになると事態はいっそう明確になり,超越論的主観性によって対象として構成されたものだけが現象界に所属する資格をもちうるのである。同じようにrepraesentatio といっても,かつては存在者がわれわれの心におのれを“投影し再現するrepraesentare”と考えられていたのに対し,ここでは主観が存在者をおのれの前に対象として据えなおし,“再現前化する repraesentare”と考えられるのである。しばしば近代哲学の特色は存在者を表象としてとらえるところにあるといわれるが,その場合,表象ということでそのような事態が考えられているのである。⇒イメージ∥観念
                         木田 元

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表象
表象 ひょうしょう Representation 西欧の伝統的な哲学の考え方のひとつで、実在もしくは概念があって、それを言語や記号が表象しているとする。したがって表象には常にそれが表象しているものが対応して存在する。ものがあり、それを表象する言葉が対応しているというのが、表象という考え方の基礎である。現代思想と現代芸術では表象という概念そのものが疑問にされつつある。対応する実在をもたない表象であるシミュレーションという考え方も示されている。表象は演劇の領域では上演の意味であり、哲学の領域での表象概念の崩壊は実在を表象するものとしての伝統的な芸術の考え方、台本の上演という従来の演劇のあり方にも打撃をあたえた。

(現代用語の基礎知識 2002 より)


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