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弥縫策としての心理学(その06) [哲学・心理学]

W.M.ブント
ブント
Wundt,Wilhelm

[生] 1832.8.16. バーデン,マンハイム近郊ネッカラウ
[没] 1920.8.31. ライプチヒ近郊グロースボーテン

  

ドイツの心理学者,哲学者。ハイデルベルク大学,チューリヒ大学教授を経て,ライプチヒ大学教授。ベルリン大学時代には J.P.ミュラー,ハイデルベルク大学時代には W.ヘルムホルツのもとで生理学を研究。 1879年ライプチヒ大学に世界で最初の心理学実験室を創設,諸外国からも多数の学者が集り,感覚,反応時間,精神物理学,連想などの研究がなされ,世界の心理学界をリードした。晩年には,論理学,倫理学,哲学の領域にまで視野を広げ,心理学の領域でも複雑な精神現象の法則は実験的生理的心理学では取扱いえないとして,民族心理学の存立を主張した。主著『哲学体系』 System der Philosophie (1889) ,『心理学原論』 Grundriss der Psychologie (96) ,『民族心理学』 Vlkerpsychologie (10巻,1900~20) (→構成心理学 , 統覚心理学 ) 。





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[ブリタニカ国際大百科事典 小項目版 2008]


ブント 1832‐1920
Wilhelm Max Wundt

ドイツの心理学者,哲学者。実験心理学の創始者であり,近代心理学は彼とともに始まったとされる。最初は医学を志し,チュービンゲン,ハイデルベルク,ベルリンの各大学に学んだ。1857‐64年ハイデルベルク大学生理学私講師,65‐74年同員外教授。74年チューリヒ大学哲学教授。75年以降ライプチヒ大学教授。ハイデルベルクの私講師のころ,ヘルムホルツの下で生理学の助手を務めたが,関心は感覚生理学からしだいに心理学に移っていった。73‐74年に全3巻の《生理学的心理学綱要》を著し,初めて実験心理学の基礎を確立。79年にはライプチヒに世界最初の心理学実験室を作り,以後そこで世界各地から集まった研究者に実験心理学の指導をした。そしてこの実験室での研究の成果を発表するために心理学雑誌《哲学研究》を創刊した。彼は心理学を直接経験の学であるとし,自己観察と実験を用いて意識を研究し,意識を究極的な心的要素としての純粋感覚と単一感情の結合によって説明しようとした。その立場は要素主義の色彩が強く,彼の心理学は構成心理学と呼ばれる。こうして彼は個人の単純な精神は生理学的心理学の研究対象としたのであるが,他方,人間の複雑高等な精神は文化や社会生活のうちに表現されるとして,それを民族心理学 VÅlkerpsychologie が研究するものとした。そして1900年以降亡くなるまでの20年間,民族の言語,芸術,神話,宗教,法律,歴史を資料にして民族心理学の研究に没頭した。旺盛な研究心と比類ない努力によって膨大な著述を残したが,その主なものは,《感官知覚論》(1862),《人間と動物の精神に関する講義》(1863),《論理学》(1880‐83),《倫理学》(1886),《心理学概論》(1896),《民族心理学》(1900‐20),《哲学入門》(1901),《心理学入門》(1911)などである。       児玉 憲典

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ブント

ブント


ブント,W.M.
ブント Wilhelm Max Wundt 1832~1920 実験心理学の基礎をきずいたドイツの心理学者、哲学者。はじめ医学をおさめたが、ベルリン大学で実験生理学をまなんだことをきっかけに生理学的心理学に興味がうつる。1864年ハイデルベルク大学の生理学助教授、ついで74年チューリヒ大学の哲学教授をへて、75年から退職するまでライプツィヒ大学の哲学教授をつとめた。

1879年にはライプツィヒ大学に世界ではじめての心理学実験室を創設した。世界各国からあつまった多数の研究者が彼のもとにまなび、その実験心理学の精神を自国にもちかえった。わが国でも85年に東京大学の井上哲次郎が最初に聴講にでかけており、またのちに留学した松本亦太郎は1906年に京都帝国大学にブントの実験室を模した実験室をつくっている。

ブントによれば、心理学は直接経験の学であり、直接経験は意識の事実であるから、心理学の目的は複雑な意識過程を分析してその要素を抽出し、その要素間の結合を支配する法則を明らかにすることである。こうして内観の分析によって心的要素を抽出し、その結合としての心的複合体を考えて、「創造的総合の原理」を提唱した。彼の心理学が要素主義的な構成心理学、意識心理学といわれる所以(ゆえん)である。

のちのゲシュタルト心理学はこの要素主義を、また行動主義心理学はその意識主義を批判するところから生まれた。しかし、今日の認知心理学はふたたび被験者の意識過程を重視するようになり、行動主義によって一蹴(いっしゅう)されたブント心理学をみなおす動きもある。なお、晩年のブントは高等精神作用の研究の一環として民族心理学にも関心をしめし、今日の文化人類学(→ 人類学の「文化人類学」)の基礎をきずいた一面もあった。


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民族心理学
民族心理学

みんぞくしんりがく

  

(1) ethnopsychology;folk psychology 種々の民族,人種などの社会集団の心理学的特性についての比較心理学的研究をいい,民族学・社会学者 R.C.トゥルンワルト,G.ウーズらによって発展させられた。 (2) Vlkerpsychologie人間の言語,神話,風俗など精神的所産としての文化を発達的に研究する心理学をいい,W.ブントにより発展させられた。なおブントは,個々の民族生活についての心理学的な研究は民族性心理学 Volkspsychologieと呼び,(1) と区別した。





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R.C.トッルンワルト
トゥルンワルト

トゥルンワルト
Thurnwald,Richard Cristian

[生] 1869.9.18. ウィーン
[没] 1954.1.19. ベルリン

  

ドイツの機能主義を代表する民族学者,社会学者。ウィーン大学で法学を学び,のちに民族学,社会学に興味をもつようになった。 1906~09年ソロモン諸島,12~15年ニューギニアを現地調査。 24年ベルリン大学教授。アメリカで諸大学の客員教授をつとめ,30年には東アフリカなどの現地調査を通じて新しい民族学的資料を収集し,親族組織や原始経済についての機能的研究を行なった (→民族心理学 ) 。『民族心理学および社会学雑誌』『人類学および民族研究彙報』を主宰。主著"Ethnopsychologische Studien an Sdsee-Vlkern" (1913) ,"Primitive Psychologie" (22) ,"Lehrbuch fr Vlkerkunde" (39) 。





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構成心理学
構成心理学

こうせいしんりがく
structural psychology

  

複雑な精神現象を要素に分解し,それらを結合して心的過程を説明しようとする要素主義心理学をいう。この立場は,純粋な基本的感覚と単純感情という要素によって精神過程を説明しようとした W.ブントの心理学に始り,その考えを徹底させ,純化させたのが E.B.ティチェナーである。彼は代表的な要素として感覚,心像および感情をあげ,さらにその要素を属性または次元に分析した。感覚と心像の属性としては,性質,強度,持続,延長および明瞭性をあげ,感情には明瞭性が欠如するとした。 (→要素心理学 )





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構成心理学
こうせいしんりがく structural psychology

意識の機能を研究する機能心理学に対して,意識の内容を要素に分析し,その要素の結合によって意識現象を説明しようとする心理学をいう。内容心理学とも要素心理学ともいう。W. M. ブントがこの立場の基礎を形づくり,E. B. ティチナーがそれを徹底させた。意識を構成する心的要素を見いだす方法は自己観察であり,ティチナーはそれを内観と称した。心的要素としては,感覚,心像,感情があげられた。             児玉 憲典

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E.B.ティチェナー
ティチェナー

ティチェナー
Titchener,Edward Bradford

[生] 1867.6.11. サセックス,チチェスター
[没] 1927.8.3. ニューヨーク,イサカ

  

イギリス,アメリカの心理学者。 1890年オックスフォード大学卒業。 W.ブントに師事したのち,母校に戻り講師を経て,95年コーネル大学教授となる。実験心理学を発展させた構成心理学派の代表者。主著『実験心理学』 Experimental Psychology (4巻,1901~05) ,『体系的心理学』 Systematic Psychology (29) 。





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要素心理学
要素心理学

ようそしんりがく
Elementpsychologie

  

心的現象を分析してそれ以上分割しえない究極的な要素 (心的要素) を見出し,かつそれらの要素の結合ないしは連合から心的現象を説明しようとする要素主義の立場に立つ心理学説。イギリスの連合心理学に端を発しているが,特に W.ブント,E.B.ティチェナーの構成心理学をさすのに用いられた。心的現象は全体的な統一性と関連性をもち,要素には分割しえないとする全体論的心理学ないしはゲシュタルト心理学と対立するもの。その立場からは原子主義的心理学,またはモザイク的心理学として批判される。





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実験心理学
実験心理学

じっけんしんりがく
experimental psychology

  

実験的方法を研究の手段とする心理学の意であるが,一般的には人間の精神現象あるいは動物や人間の行動の研究に実験的方法を適用し,人為的に統制された実験室内で組織的な条件変化を加えた際の現象や行動の変化を観察,記述しようとする心理学の分野を総称していう。狭義には,心理学実験の方法そのものの組織的研究という意味にも用いられる。歴史的には,19世紀,G.T.フェヒナーが精神物理学を構築し,1879年,W.ブントがライプチヒ大学に世界最初の心理学実験室を設けたときに,実験心理学の基礎が確立されたといわれている。



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実験心理学
じっけんしんりがく experimental psychology

心理学の発達とともにその意味する内容は複雑多岐にわかれ一定していないが,狭義には厳密な実験的方法によって正常な成人の感覚,知覚,記憶,学習,思考,感情などにおける一般的傾向に関して,個人的行動と言語報告からえられた事実のみによって構成された心理学を意味する。このような態度はフェヒナーの《精神物理学要論》(1860)に端を発しているが(精神物理学),ブントが形を整えた。彼はライプチヒ大学に世界最初の正式な心理学実験室を開設し(1879),この用語を使用した。実験心理学的研究においては思弁,偶然的観察(非統制的観察),非実験室的データ(各種の調査データなど)は原則として排除され,その点で他の心理学の分野である社会心理学,発達心理学,差異心理学,臨床心理学,動物心理学などと対比的に考えられてきた。しかし広義には現代心理学すべてが実験心理学であるともいえる。なぜなら,今や単純な心理学的事象のみならず複雑な精神機能についても実験的方法が適用されるようになり,行動の実験的研究が心理学のすべての領域にわたって適用されつつあるからである。たとえば実験心理学は個人差を超えた一般法則を追求し,よく統制された条件変化と平均反応の関係を重視してきた。これに対し差異心理学は同一刺激条件に対する反応の個人間,集団間の差異状況を求めてきた。検査や因子分析も同じ方向である。しかし1950年代からは各領域での問題意識が進み,方法論的進歩とあいまって両者は融合し,より現実適合的なきめ細かい理論が展開されつつある。               梅津 耕作

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実験心理学
I プロローグ

実験心理学 じっけんしんりがく Experimental Psychology 狭義には実験室において実験的方法をもちい、感覚、知覚、記憶、学習、思考などを解明する立場あるいは研究領域をさす。広義には実験室実験をこえたフィールド調査研究やフィールド観察研究なども、そこに実験的方法がとりこまれている限りにおいて(厳密な客観的手続きがふまれている限りにおいて)、実験心理学にふくめて考えることが多い。時代によっても、研究者によっても、この言葉の使い方には幅がある。

II 実験心理学の発展

実験心理学の基礎となる最初の試みとしては、生理学者のグスタフ・フェヒナーによる精神的(感覚的)事象と物理的事象との間の精神-物理的な関係に関する研究をあげることができる。たとえば、重さの感覚は物理的な重量の対数に比例するという精神物理的法則がここで明らかにされた。この影響をうけたブントは、1879年にライプツィヒ大学に世界ではじめて心理学実験室を設立し、感性的経験に関する生理学的研究をすすめる一方、精神現象相互の関係を内観法をもちいて解明することをめざした。

しかし、ブントの内観法には要素主義をはじめとするさまざまな問題点がふくまれ、その批判は多方面からおこなわれた。エビングハウスの無意味つづりをもちいた記憶実験などは、内観法の限界をこえた今日の実験心理学に直結する最初の試みである。そして1920年代以降、おもに刺激条件を厳密に規定し記述する方向ではゲシュタルト心理学が、また、おもに反応条件を厳密に規定し測定する方向では行動主義が、内観法批判の中心となり、これらによってブントの内観法はのりこえられた。

ゲシュタルト学派の主張と行動主義の主張は、真っ向から対立する一面をふくんでいたが、厳密かつ客観的に刺激条件と反応条件を規定し、その間に行動法則をうちたてるという実験心理学の基本精神からいえば、両者の立場はかならずしも矛盾するものではなかった。つまり、内観法にふくまれている問題点を克服する歴史的過程が、実験心理学の方法を向上させるとともに、実験心理学そのものの確立をもたらしたといえる。

III 実験的方法の確立
1 刺激条件の統制、統計的手法

実験心理学では、実験者が刺激条件を制御し、その制御された刺激条件(S)に対して、被験者がどのように反応するか(R)を問題にし、SとRの間に客観的な行動法則をうちたてることが基本的な目的である。そのためには、刺激条件の制御の一般化=公共化、測定される反応の一義性および被験者の反応の一般性が必要となる。

さらに、ある事実(行動法則)を成立させている条件を厳密に規定するためには、組織的に条件をうごかし、それが行動にどのような効果をおよぼすかをみきわめる必要が生じる。これが、実験条件の操作による仮説検証である。また、測定され観察された事実がどのような被験者の集合にあてはまるかを明らかにしなくてはならない。

こうした目的のためには、まず母集団から被験者をランダムに抽出し、その被験者標本に実験をおこなって結果をえる。さらに、その結果に統計処理をくわえて統計的推論に依拠し、最終的にその事実が母集団に一般的にみいだせるのかどうかを結論づけなければならない。

狭義の実験には、2つの方法がある。すなわち、実験者が被験者にある条件Aを課したとき観察される(測定される)事象Xと、条件Aを課さなかったときに観察される事象Yとの間に本質的な違いがあるかどうかをしらべる統制実験と、実験者に制御できた限りでの条件のもとで、被験者がどのような事象を経験するかをしらべる探索実験に2分される。統制実験のうち、特別の条件を課される(処理をくわえられる)被験者群を実験群、その条件を課されない(処理をくわえられない)被験者群を統制群または対照群とよぶ。

統制実験では、仮にこの2群の結果が統計的に同質であるという帰無仮説(悉無(しつむ)仮説)をたて、その仮説が棄却できるかどうかを統計的に判定し、5%以下の危険率で棄却できる場合にかぎり、その2群間に統計的な有意差があると結論する。

もちろん、人間的事象を支配している条件はかぎりなく多いから、常に1つの条件だけをうごかすというやり方では、問題の本質をみうしなう場合がある。なぜなら、複数の条件がたがいに影響しあって1つの効果をおよぼしている場合がしばしばあるからである。このような場合には、条件間の交互作用を明らかにするための実験がおこなわれる必要がある。実験結果から条件間の交互作用の効果を統計的に明らかにする手続きは、実験計画法とよばれている。

さらに、多数のアンケート調査結果のように、多次元の要因から構成されているデータを解析して、被験者の反応を背後で支配しているいくつかの本質的次元を明らかにするさまざまな統計的手続きも、実験心理学にかかせない手法である。たとえば、因子分析に代表される多変量解析法は統計的方法のひとつである。こうした一連の手続きをふみ、厳密かつ客観的な行動事実(法則)をみいだす試みが実験心理学の基本精神といえる。

2 反応の種類と測定

実験者のあたえた刺激条件に対して、被験者はなんらかの反応をしめす。その反応は、皮膚電気反応や心拍数、脳の磁気共鳴(MRI)反応といった身体生理学的反応、あるいは「みえたかどうか」の電鍵押し反応、記憶実験の場合の言語反応、さらにはアンケートの選択問題への反応まで、多様である。被験者の反応は、実験者がその解明を意図している事象をなんらかのかたちで反映した1つの指標であり、実験者はえられた反応指標から、生じている事象をただしく再構成しなければならない。

実験者が刺激条件において制御できなかった要因が、もしその反応指標にふくまれているならば、当然、その指標から事象をただしくくみたてることはできない。そのため、反応指標の取り方とその吟味は、刺激条件の統制と同じくらいの重要性をもつ。近年の認知心理学における神経生理学的手法をもちいた多様な研究の発展の背景には、たとえば脳の磁気共鳴を利用したデータなど、これまでえられなかった新たな反応指標や、これまでより高精度の反応の測定技法がえられたことにも、大きな理由がある。

IV 実験心理学の限界

ブント以来、100年以上の研究史の中で、実験心理学は大きく発展してきたが、そこに 限界があることも認識されなければならない。まず、実験心理学はある母集団に関して個人差をこえたある一般法則をみいだそうとするところになりたつ。しかし、人間的事象には、個人差こそが意味をもつような事象が無数にある。実験心理学と対極をなす臨床心理学が成立する理由はまさにここにある。

また、仮説を検証するために、実験群にある条件を課すことが、場合によっては研究者倫理上、ゆるされない場合もある。たとえば、初期に母性的養育をうけられないことが後の精神発達に悪影響をおよぼす、という仮説を検証するためには、母性的養育をあたえない実験群をつくる必要があるが、それは倫理上ゆるされない。それゆえ、この仮説の検証は直接的な実験的手法ではおこなうことができず、不幸にして母性的養育をえられなかったという事例を収集するなど、他の方法によらなければならない。

また、フィールド調査やフィールド観察でも、最初から仮説検証をくわだてるというより、まずはそのフィールドにはいりこみ、フィールドの中から何が問題なのかを考えていく、というアプローチが重要視されるようになってきた。実際、そのようなフィールド活動をとおして、何がとりあげられるべき問題であるかが、よりよくみえてくる場合が少なくない。あらかじめ統制された観察項目だけを観察するという実験的手法では、そのフィールドで本質的に重要な事象をかえってとらえそこねる場合もでてくる。

要するに、仮説検証的な実験心理学的手法をとるか、仮説探索的、関与観察的な手法をとるかは、研究者のとりあげたい問題との関連でその採否がきまるといってもいいだろう。


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G.T.フェヒナー
フェヒナー

フェヒナー
Fechner,Gustav Theodor

[生] 1801.4.19. ゼールヘン
[没] 1887.11.18. ライプチヒ

  

ドイツの科学者,哲学者,心理学者。ライプチヒ大学物理学,哲学教授。汎神論的傾向が強いが,同時に心身平行論の立場を取り,身体と精神との間の量的関係 (→フェヒナーの法則 ) を確立しようとした精神物理学の創始者。美学の領域でも,美を心理的な経験からとらえようとし,実験美学の祖といわれる。主著『精神物理学要綱』 Elemente der Psychophysik (1860) ,『実験美学』 Zur experimentellen sthetik (71) 。また『死後の世界』 Leben nach dem Todeもよく読まれている。 (→下からの美学 )





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フェヒナーの法則

フェヒナーのほうそく
Fechner's law

  

感覚の主観的大きさを弁別閾 R を単位に数量化する法則。 G.T.フェヒナーは,刺激の弁別閾 ΔS が刺激の客観的大きさ S に比例するというウェーバーの法則を基礎として基本公式 ΔR=K・ΔS/S を導き,これを解いて R=C・ log (S/S0) (ただし S0 は刺激閾,KとCは定数) という精神物理学的対数法則が成立するとした。 (→閾 )  





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フェヒナー 1801‐87
Gustav Theodor Fechner

ドイツの物理学者,哲学者,心理学者。1834年ライプチヒ大学物理学教授,のち哲学教授。精神物理学の創始者,実験心理学の祖とされる。その哲学の立場は汎神論もしくは汎心論であり,精神と物質は同じ実在の二つの面であるとした。そしてこの哲学の科学的基礎づけとして物心間の数量的関係の実験的把握をめざしたものが精神物理学である。〈フェヒナーの法則〉を導出し,また精神物理学的測定法を創案し,さらには美を実験的,心理学的に理解しようとして〈実験美学 experimentelle ヱsthetik〉の研究をも試みた。万物に霊魂の存在を認める神秘主義者としても著名。主著に《精神物理学要綱》(1860),《美学入門》(1876),《昼の見方と夜の見方》(1879)などがある。                   児玉 憲典

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フェヒナーの法則
フェヒナーのほうそく Fechner’s law

〈ウェーバーの法則〉からフェヒナーが導き出した精神物理学的法則であり,〈ウェーバー=フェヒナーの法則〉ともいう。刺激 R が ぼR だけ変化したときはじめてその差が感じられるとすればぼR/R は一定であり,これがウェーバー比であるが,フェヒナーはこれをもとにして,感覚の強さ Sは刺激の強さ R の対数の一次関数であるとした。S=klogR(k は定数)。これは近似的なものである。                    児玉 憲典

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ウェーバーの法則
ウェーバーの法則

ウェーバーのほうそく
Weber's law

  

E.H.ウェーバーによって見出された,感覚刺激の識別に関する法則。感覚は主観的なものであるから,その強さ E は相対的にしか測定できない。ある強さの感覚刺激を I とし,ΔI だけ強めるか弱めるかして変化させたとき,初めてその刺激の強度の相違が識別できたとする。この ΔI を弁別閾値という。種々の I について ΔI を求めてみると,ΔI/I はかなり広範囲の I で一定である。すなわち ΔI/I=kΔE=一定 。これをウェーバーの法則という。この場合 ΔI を絶対弁別閾値というのに対して,ΔI/I を相対弁別閾値ないしウェーバー比という。この法則は,多くの種類の感覚で中等度の強さの刺激に対して成立し,ウェーバー比はたとえば,音の強さについては 11分の1,圧覚では7分の1になる。 (→閾 , フェヒナーの法則 )  





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ウェーバーの法則
ウェーバーのほうそく Weber’s law

ドイツの解剖学者,生理学者 E. H. ウェーバーが1834年にたてた感覚の法則。感覚の強さの差を感じる最小の値を〈弁別閾〉あるいは〈丁度可知差異〉(ぼR)というが,それは,それを問題にするときの刺激強度(R)が増せばそれに比例して増すという関係にあり,その比 C(ウェーバー比)は一定であるとするもの(ぼR/R=C)。これは重さや音の高さや線分の長さの弁別に関して,ある中等度の刺激強度の範囲内で近似的に成立するとされる。⇒フェヒナーの法則            児玉 憲典

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いき
limen; threshold

  

広義にはやっと意識される境界刺激のこと。厳密には刺激を量的ないし質的に変化させた場合,ある特定の反応がそれとは異なった反応へと (またはある経験がそれとは異なった経験へと) 転換する,その境目の刺激尺度上の点のこと,ないしはこのような反応の転換の現象をさす。一般にはこのような転換点は,特定の反応が 50%の確率で生起する刺激量として統計的に定められる。なお刺激を小さくした場合に,反応が生じるか生じないか (知覚が生じるか生じないか) の境目に対応する刺激量を刺激閾ないし絶対閾といい,標準となる刺激をわずかに変化させた場合に,もとの標準刺激に対するものとは異なった反応が生じるか生じないか (その差異に気づくか気づかないか) の境目に対応する刺激量を弁別閾 (丁度可知差異) という。





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いき threshold

〈しきい〉ともいう。通常,反応を起こすのに最小必要限の刺激の強さをいい,その値を閾値という。閾以下の強さの刺激(閾下刺激)では反応は起こらない。たとえば,網膜に視覚感覚を起こす最小の光の強さなどであるが,刺激によって反応を起こす種類の現象一般に用いられる言葉である。閾値は刺激の物理的な性質や時間経過によっても変化する。また反応する側の種々の内部要因によっても変わる。たとえば,同じ刺激が繰り返し与えられると,閾値が上がり,反応が起こらなくなるし,また逆にその刺激が長い間与えられず,反応の動機づけ(いわゆる衝動)が高まってくると,閾値が低下する。ある一定の性質をもつ刺激を使って閾を測定し,反応の起りやすさの指標とする。二つの刺激を比較してその強さの違いを区別するのに最小必要限の強さの違いは弁別閾と呼ばれる。われわれの感覚では,大きな刺激どうしを比べるときは小さな刺激どうしを比べるときよりも弁別閾は高くなる。弁別閾と刺激の強さの比はほぼ一定である。これをウェーバーの法則という。
                伊藤 正男+日高 敏隆

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絶対閾
絶対閾

ぜったいいき
absolute threshold

  

感覚を生じるのに必要な最小の刺激エネルギー量のことで,刺激閾ともいう。刺激が感じられたとする反応と感じられなかったとする反応の境目にあたるが,操作的には双方の反応が 50%ずつ生じる刺激の値をとる。





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弁別閾
弁別閾

べんべついき
difference threshold; difference limen(D.L.)

  

心理学用語。標準となる刺激のある属性を変えたとき,変化したことがわかる最小の変化量のことで,丁度可知差異ともいう。操作的には,通常変化に気づく反応と気づかない反応とが半々に生じる変化量をとって決定される。



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弁別閾
弁別閾 べんべついき Differential Threshold 刺激量の差を弁別するときの限界値、つまり差がわかるかわからないかの境目をなす刺激量の限界値をいい、場合によっては丁度可知差異(Just Noticeable Difference)ともよばれる。比較の基準になる標準刺激をRとし、そのときの弁別閾をΔRとすれば、一般にΔR/R = C(定数)という関係があることが知られ、これをウェーバーの法則またはウェーバー比という。

Cは感覚によってことなっていて、重さをはかろうとする場合にはC = 0.019である。つまり標準刺激の重さが300gのときにはおよそ6gの刺激差(比較刺激が294g以下か、306g以上)を弁別できるが、標準刺激が1kgになると6gの刺激差では弁別できず、刺激差が19gになったところではじめて重さの違いがわかるということになる。

これから、標準刺激の強さによって弁別閾がことなることがわかる。ただし、ウェーバーの法則がなりたつのは刺激の強度が中程度の場合で、刺激が弱すぎたり強すぎたりするとCの値が変化してくることが知られている。→ 認知心理学


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