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言語学・ゲームの結末を求めて(その9) [宗教/哲学]

音節文字
音節文字

おんせつもじ
syllabary

  

音節を単位として表わす表音文字。日本語のかながよい例で,ローマ字のアルファベットならば kaと2字になるところを,「か」または「カ」の1字で表わす。かなのほかに,前 2000年紀にシュメールやアッカドの表意文字を借用してつくられたメソポタミア諸族の,楔形文字を用いた音節文字,フェニキア,アラム,ヘブライ,アラビア,エチオピアなどの西セム文字,キプロス文字などを含むエーゲ文字,アメリカインディアンのチェロキー族の文字,アフリカのバイ族の文字などが,音節文字の例である。朝鮮のハングルやインドのデーバナーガリー文字のように,個々の文字 (群) としては音節を表わすが,さらに音素を表わす要素に分解できるものもある。シュメール語やエジプト語のように,表意文字や象形文字で書かれる言語も,音節文字を含んでいることが多い。





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ハングル
ハングル

ハングル
hangl

  

朝鮮語の表記に用いられる文字。音素を表わす要素の組合せでつくられる音節文字である。要素は,母音字 10,子音字 14ある。世宗 25 (1443) 年李朝第4代の王世宗のときに考案され,同 28年に「訓民正音」の名で公布された。当時は母音字 11,子音字 17あったがその後数が減って現在にいたっている。訓民正音がつくられたことによって,『竜飛御天歌』『釈譜詳節』『月印千江之曲』などが編纂刊行された。なお,諺文 (おんもん) とも呼ばれるが,漢字に対して卑下した意を含むので,現在朝鮮ではハングル (大いなる文字) の名称を用いる。元朝 (1271~1368) のパスパ文字にヒントを得てつくられたとの説がある。 (→世宗,朝鮮王朝の )  





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ハングル
hangBl

朝鮮の国字。〈大いなる文字〉という意味であり,また〈訓民正音〉ともいう。かつては偵文(オンムン’トnmun)ともいい,日本でなまって〈おんもん〉と呼んだが,今日ではこの呼称は用いられない。
[構成]  子音字母14,母音字母10からなる音素文字であるが,音節ごとに組み合わせた形で文字として用いられるので音節文字の性格も備えている。字母は1字で1音を表すが,現代語の喉頭化音(濃音)は子音字母を重ねて表し,母音で始まる音節を示す字母’と音節末の ペ とは同じ字母の〈抹〉である(以下〈 〉内にハングルを示す)。母音字母のうちの4個は半母音 y[j]をもつ母音を表し,母音字母 a〈末〉と i〈沫〉,ト〈迄〉と i〈沫〉の組合せは,それぞれ単母音[ズ]〈侭〉,[e]〈繭〉を示す。字母 o〈麿〉または u〈万〉と他の母音字母との組合せは,半母音[w]と主母音の結合を示す。
 音節は初声(音節頭子音),中声(音節核部),終声(音節末子音)に分析して考えられる。中声をなす母音字母の形によって子音字母を配する位置が変わるが,a,ト,i に対しては子音字母を左に,o,u,ш に対しては子音字母を上に組み合わせ(表中の綴字例(1)(2)参照),終声がある場合には初声と中声の組合せの下にさらに子音字母を組み合わせ(綴字例(4)(5)),全体がほぼ正方形をなすように構成する。現代の綴字法では,助辞や接辞の交代によって,ある場合には現れない子音も表記して語幹の形が一定の綴字を保つようくふうされている。たとえば,
 〈慢〉gabs[kap](値段)
 〈慢満〉gabs・do[kapt’o](値段も)
 〈慢漫〉gabs・’i[kapsi](値段が)
 〈慢蔓〉gabs・’шr[kapsшl](値段を)
こうして音節文字として必要な字音の組合せの数は3000種類に近い。
[歴史]  この文字は李朝第4代世宗の時代に創案され(1443),〈訓民正音〉の名で公布された(1446)。それ以前は吏読(りとう)とよばれる,漢字を利用した不十分な表記が行われていたが,この文字によってはじめて朝鮮語を細部に至るまで表現できるようになった。音素文字の原理は元朝の制定したパスパ文字やモンゴル文字によって知られており,この原理にもとづき漢字にならって構成することで新しい文字を創案したと考えられる。
 制定当時は子音字母17,母音字母11で,現代では用いられない子音字母 z〈巳〉,ペ〈魅〉,ボ〈未〉と母音字母 ネ〈箕〉があり,ほかに中国語の軽唇音を表す字母があって,初期にはそのうちの1個は母音間で b の弱化した朝鮮語音 ア〈味〉を表すのに用いられた。ボ〈未〉は当初から特殊な位置でのみ用いられた字母であり,ペ〈魅〉は終声のみに用いられるようになったため,形の類似から初声の’〈抹〉と混同され,z〈巳〉と ネ〈箕〉とは音韻変化で消失したため用いられなくなった。
 子音字母は,中国音韻学の牙,舌,唇,歯,喉という五音体系により,g〈稔〉,n〈妙〉,m〈鵡〉,s〈岬〉,’〈抹〉を調音器官の形をかたどった基字とし,さらに字画を加えて他の字母を形成する。字母の形成の順序はそれぞれ,g〈稔〉,k〈脈〉;n〈妙〉,d〈粍〉,t〈民〉;m〈鵡〉,b〈務〉,p〈夢〉;s〈岬〉,′〈密〉,∴〈蜜〉;’〈抹〉,ボ〈未〉,h〈湊〉であり,別に r〈牟〉,z〈巳〉,ペ〈魅〉はそれぞれ n〈妙〉,s〈岬〉,’〈抹〉を基字とする。
 母音字母は,ネ〈箕〉,ш〈蓑〉,i〈沫〉を基礎に,a〈無〉,ト〈迄〉は ネ〈箕〉と i〈沫〉とを,o〈麿〉,u〈万〉は ネ〈箕〉と ш〈蓑〉とをそれぞれ逆向きに結合して形成されたものである。これは,当時の母音調和による陽母音 a〈無〉,o〈麿〉,ネ〈箕〉と陰母音 ト〈迄〉,u〈万〉,ш〈蓑〉の対立を反映している。
 ハングルは李朝時代には正字である漢字に対する民間の文字として〈偵文〉とよばれ,従の位置を脱しきれなかった。甲午改革(1894)によって公用文にも用いられるようになって〈国文〉とよばれたが,朝鮮が日本の統治下にはいってから,〈ハングル〉という名称が考案された。これは,〈大〉を意味する古語〈ハン〉と,文字を意味する〈クル〉を結びつけたものであるが,〈韓〉の字音にも通ずるとして広く受け入れられ,大韓民国では今日正式名称として用いられている。朝鮮民主主義人民共和国では〈チョソンクル〉(朝鮮文字)とよんでいるようである。⇒朝鮮語           大江 孝男

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ハングル
I プロローグ

ハングル 朝鮮の国字。「ハングル」は韓国での呼び名で、北朝鮮では「朝鮮文字」とよばれる。

朝鮮王朝第4代世宗によって創案され、1446年に「訓民正音」の名で公布された。創製当初は、ハングルによる仏教経典などの翻訳作業が盛んにおこなわれたが、その後「女文字」とよばれ、おもに女性だけにつかわれるようになった。ちょうど日本のひらがな(→ 仮名)が「女手」とよばれて、おもに女性が使用する文字になったのと同じ運命をたどったことになる。

この文字が広く一般につかわれるようになったのは比較的新しく、20世紀にはいってからのことである。

II 文字の特徴

14の子音字と10の基本母音字から構成されている音素文字である。そして、10の基本母音字をくみあわせることによって、さらに多くの音をあらわすことができる。また、濃音とよばれる喉頭化音は子音字を重ねてあらわす。

ハングルの子音字は、発音器官の形にもとづいてつくられており、たとえば、mの音をあらわす は口の形を、sの は歯の形を、nの は舌先が上の歯茎についている状態をかたどったものである。母音字には、 のように子音の右に書かれるものと、 のように子音の下に書かれるものがある。

それぞれの文字はアルファベット式に単音をあらわすが、表記するときは初声、中声、終声からなる音節ごとにまとめられて使用されるので、音節文字の性格もそなえている。初声もしくは終声に子音字があらわれ、母音字は中声にもちいられる。たとえば「家」は (chip)となり、chが初声、iが中声、pが終声にあたる。

終声には、2つの子音字があらわれるときもある。たとえば、 (tark)「にわとり」である。このように終声に2つの子音字があらわれる場合でも、かならずしもその両者を読むとはかぎらず、助詞や接辞の交代によって発音されるか否かがきまる。

ハングルの起源については、音素文字の原理は元朝の制定したパスパ文字に、構成方法は漢字にもとづいているとみられている。

→ 朝鮮語

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シュメール語
シュメール語

シュメールご
Sumerian language

  

スメリア語ともいう。南メソポタミアに話されていた言語。前 3000年頃を中心に栄え,前 2000年にはアッカド語に取って代られたものの,書き言葉としては紀元前後まで用いられた。系統関係は未詳。文法構造は膠着語的で,接頭辞,接中辞,接尾辞が豊富である。楔形文字を使用。いくつかの方言の存在が知られている。





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シュメール語
シュメールご Sumerian

古代メソポタミア南部で使用されたシュメール人の言語。前3100年ころから前50年ころまでの文献が発見されている。シュメール語が現用語であったのはおそらくウル第3王朝までで,それ以後は徐々に死語化するが,一種の文化語として古代オリエントで長く使用された。シュメール語の系統は今のところ不明で,孤立した言語である。構造的には典型的な膠着語であり,接頭辞,接中辞,接尾辞などの接辞が発達し,文法関係を示す。屈折語に見られる母音交替とか語順による文法関係の表示は認められない。文法的には有生クラスanimate class(人間,神を含むクラス)と無生クラス inanimate class(動物,無生物,抽象概念を含むクラス)の対立が存在する。例えば与格 dativeは有生クラスにのみ許され,無生クラスには認められないし,複数構成も有生クラスにのみ許される。動詞は継続相 durative と瞬間相 punctive のアスペクトの対立を基礎とする。言語変化では母音同化現象がきわめて特徴的である。シュメール語は一般にエメ・ギル eme‐gir と呼ばれる標準語ないし文語と,エメ・サル eme‐sal と呼ばれる女性語ないし口語に区別される。エメ・サルと呼ばれる語詞は大部分がエメ・ギルの音声的に変化した形を示している。エメ・ギル,エメ・サルのほぼ完全な対照表が,アッカド語訳を付して残されている。
 バビロン第1王朝時代に入って,シュメール語を文化語として学習するために膨大な語彙表,文法テキスト,シュメール語・アッカド語対訳資料その他が作成された。その一部がアッシュールバニパル王の図書館からも発見されたため,シュメール語はアッシリア語を通して二次的に解読されたと考えられている。シュメール語について一般に〈解読〉という言葉が使用されないのはそのためである。シュメール語研究の基礎はペーベル ArnoPoebel の《シュメール語文法概要》(1923)によって確立され,ファルケンシュタイン AdamFalkenstein によって継承された。ダイメルAnton Deimel の《シュメール語辞典》4巻は1928‐33年に刊行され,ランズバーガー BennoLandsberger によって37年に開始された《シュメール語辞典資料》の出版も,現在までに14巻を数えている。⇒シュメール            吉川 守

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シュメール語
I プロローグ

シュメール語 シュメールご Sumerian Language メソポタミアの古代シュメール王国の諸民族の言語(→ シュメール)。その語彙(ごい)と文法は、知られているどの言語とも関係がないとされ系統関係は不明である。

シュメール語は文字をもつ最古の言語で、楔形文字で書かれていた。最古の記録は前3000年ごろにさかのぼる。前2000年ごろ以後、口語としてはもちいられなくなったが、楔形文字による表記法が消滅する1世紀ころまで文章語として使用された。この言語とシュメール文化の存在は、その後わすれさられたが、19世紀に楔形文字が解読されるにいたって、思いもよらぬ言語としてその姿をあらわした。

シュメール語は、インド・ヨーロッパ諸語やセム諸語のような屈折語というよりは、膠着語で、一般に、語根としての語が屈折変化をしない。基本的文法単位は、個々の語ではなく、語の複合体で、これらが独立の構造を保持する。文法構造は、トルコ語、ハンガリー語、いくつかのカフカス諸語のような膠着語の構造に類似している。

II 音韻

母音は、3つの開母音a、e、oと3つの閉母音?、?、uの6つ。その発音の仕方はゆるやかで、母音調和の法則に応じて変容することがよくある。この法則は、とくにアクセントのない、短い文法的不変化詞に適応される。母音は、語末または2つの子音の間で省かれることが多い。子音は、b、p、t、d、g、k、z、s、sh、chおよびr、l、m、n、ngの15個で、語末では、次に母音ではじまる文法的不変化詞がこないかぎり発音されない。

大部分の語根は単音節で、他の語根と結合して多音節語をつくりうる。名詞はlu-gal「王」(直訳すると「大きい・人」)、dub-sar「筆記者」(直訳すると「テーブル・書く人」)、di-ku「裁判官」(直訳すると「判定・決定者」)などのように複合語がひじょうに多い。抽象語は、たとえば、nam-lu-gal「親族関係」のようにnamをつけてつくられ、複数形は、語根をくりかえすことによってつくられる。性の区別はないが、名詞は、有生クラスと無生クラスの2つのカテゴリーにわけられ、動物は文法的には無生クラスに属する。

III 文法

文は、述語と、述語と関係をもつ主語・直接目的語・間接目的語・および位置関係をしめす空間的目的語などをあらわす一連の名詞として機能する語(実詞)から構成される。述語は、動詞語根と、一連の挿入辞すなわち語中に挿入される文法要素とからなる。この挿入辞は、すでに文法的不変化詞によって確定されている複合体と述語との関係を強める働きをする。実詞複合体は、名詞1個か、あるいは形容詞・属格・関係節・所有代名詞などの修飾要素と名詞からなる。後置詞として知られる関係不変化詞はつねに実詞複合体のあとにくる。

形容詞の数は比較的少なく、属格表現がそのかわりにもちいられる。繋辞(けいじ)と接続詞はほとんどなく、その機能は節と複合体を平行的に配列することであらわす。関係代名詞はなく、関係節は文末の名詞化不変化詞でしめされる。ただ、関係節の使用はごくわずかで、そのかわりに、形の上で不定詞とおなじ受動不変化詞がひんぱんにもちいられた。

IV 方言

シュメール語のおもな社会方言(→ 方言)は、おそらくエメ・ギルあるいは「高貴な言葉」として知られるものである。その他、これよりも重要でない方言もいくつか話されており、そのひとつは女性と宦官によってつかわれていた。

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アッカド語
アッカド語

アッカドご
Akkadian language

  

前 3000年頃から紀元頃まで,メソポタミアで用いられていた言語。アフロ=アジア語族のセム語派に属し,単独で北東セム語をなす。前 2000年頃からアッシリア語とバビロニア語の二大方言に分れたため,アッシリア=バビロニア語ともいわれる。セム語のうち年代的に最古のものであるが,セム祖語の面影はあまりとどめていない。これはセム祖語から最初に分れ,しかも系統関係の不明なシュメール語の影響を受けたためと考えられている。シュメール人から受継ぎ発展させた楔形文字で書かれ,最古の文献は前 2800年頃。前7~6世紀に徐々にアラム語に圧倒された。





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アッカド語
アッカドご Akkadian

最古のセム語であり,現在最もよく理解されているセム語の一つ。東方セム語を代表する唯一の言語で,その表記には楔形文字であるシュメール文字が,一部は表意文字として,しかし通常は表音文字として用いられる。最古のアッカド語は,ファラ(古代のシュルッパク)やアブー・サラビク出土の粘土板に現れる人名から知られるが,アッカド語で書かれた文書が現れるのは前3千年紀の半ばころ以後である。最後のアッカド語文書は後74か75年のものとされる。最古のアッカド語は古アッカド語と呼ばれ,先サルゴン期からサルゴン期を経てウル第3王朝時代末ころ(前2500‐前2000ころ)までの王碑文,経済文書,若干の書簡などから知られる。その後アッカド語は,南のバビロニア語(正確には方言)と北のアッシリア語(正確には方言)に分かれる。古アッカド語とバビロニア語およびアッシリア語との系譜関係は必ずしも明らかでない。
 バビロニア語はさらに,ハンムラピ法典,王碑文,ハンムラピの書簡などに代表される古バビロニア語(前2000‐前1600ころ),カッシート時代のバビロニアから出土した書簡や経済文書から知られる中期バビロニア語(前1600‐前1000ころ),混乱期のバビロニア出土の書簡や経済文書から知られる新バビロニア語(前1000‐前625ころ)およびカルデア王朝,ペルシア時代およびセレウコス朝時代の文書に見られる後期バビロニア語(前625‐後75ころ)などに区別される。このうち中期バビロニア語の時代にはアッカド語が近東全体の国際語として広く用いられていたことは,小アジアのボアズキョイ文書(前15世紀),シリアのウガリト文書(前15~前13世紀),エジプトの文書などの多くがアッカド語で書かれていたことから明らかである。
 他方アッシリア語は,カッパドキアのアッシリア商人植民地跡から出土したカッパドキア文書に代表される古アッシリア語(前19世紀),アッシュール出土の〈アッシリア法〉などによって代表される中期アッシリア語(前1500‐前1000ころ),アッシリア隆盛期の書簡,経済文書などに見られる新アッシリア語(前1000‐前625ころ)などに区別される。ほかに〈標準バビロニア語〉と呼ばれるものがあるが,これはカッシート時代の書記たちが古バビロニア語を基にして作り上げた一種の文語で,宗教・文学作品のことばとしてバビロニアのみならずアッシリアにおいても広く用いられた。なおアッカド語は,シュメール語の影響を受けて喉頭音の多くを失い,定動詞も特に古バビロニア語においては文章末尾にくるなど,他のセム語には見られないいくつもの特徴をもっている。    中田 一郎

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アッカド語
アッカド語 アッカドご Akkadian Language 前3000~前1000年ごろまでメソポタミア(現在のイラク)で用いられていた言語で、アフロ・アジア語族、セム語族に属する。セム諸語の中では現在知られている最古の言語で、アッカド王朝の建設者サルゴン大王(在位、前2335頃~前2279頃)がこの地方を征服したのち、それまで話されていたシュメール語にとってかわった。

前2400年ごろ、アッカド語はシュメール語の楔形(くさびがた)文字を借用してはじめて文字化された。この文字はアッカド語の表記にはうまく適合しなかったが、のちになって、とくにバビロニア王ハンムラピの時代に正書法が改革されて多くの難点が解決された。この時期の言語は19世紀に解読され、語や音節をあらわす約600の記号で書かれており、子音が20、母音が8つあることがわかった。また動詞には過去、現在未来の2つの時制があり、名詞には性や数の区別があり、主格、属格、対格の格変化をもつ。

シュメール・アッカド帝国崩壊のころ(前1950頃)、アッカド語はメソポタミア全域で一般にもちいられ、口語としてはすでにシュメール地方(南メソポタミア)でもシュメール語にとってかわりつつあった。また、東部のエラム人、北部・東北部のグティ人、ルリア人、フルリ人によって、政治的・宗教的言語として用いられていたようである。

前1950年以後、アッカド語は南部のバビロニア語と北部のアッシリア語の2つの主要方言にわかれた。しだいにバビロニア方言が優勢になり、アッシリアでも文学作品や歴史文書、宗教的文書にもちいられた。アッシリア方言は経済、法律文書にもちいられた。

バビロニア方言の歴史は通常次の4つの時期にわけられる。古期バビロニア語(前1950~前1500頃)、中期バビロニア語(前1500~前1000頃)、新バビロニア語(前1000~前600頃)、後期バビロニア語(前600~後75頃)。

古期バビロニア語の時代、バビロニア方言が外交、商業上の共通語としてシリアの大部分の地域にひろまった。前1500年以降、エジプト、小アジアのヒッタイト、北部・東北部のバビロニアとミタンニなどが敵対しはげしく衝突していた時期には、中期バビロニア語がこの列強間のほとんどすべての外交文書と条約でつかわれた。

前1200年以後、シリアとアナトリア(小アジア)は幾度にもわたって海洋諸民族やアラム人などによって侵略され、西部地方の文化的、言語的統一が大きくみだされたが、メソポタミアではその統一性はたもたれていた。しかし、前900年以降、拡大するアッシリア帝国の支配下に膨大な数のアラム人がはいると、アラム語が口語としてアッシリア語を駆逐しはじめた。

いっぽうバビロニアにも、カルデア人などのアラム語を話す諸族が侵入した。これらの諸族はバビロニアの文化と宗教をとりいれたが、しだいに大部分の住民はアラム語を話すようになった。前4世紀、アレクサンドロス大王の統治の間に、バビロニア語は、口語としてはほとんど完全にアラム語にとってかわられた。しかし、バビロニア語は、ローマ帝国崩壊後のヨーロッパにおけるラテン語のように、法律、宗教、文学、科学の言語として生きのびた。この状況はヘレニズム時代(前323~前146)からパルティア人の統治の時代までつづき、少なくともバビロンとウルクの諸都市では、バビロニア語は僧職階級とカルデア人の天文学者によって依然として用いられていた。バビロニア語で書かれた最後の文書は、バビロンから出土した後75年の天文学に関する銘板である。

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エジプト語
エジプト語

エジプトご
Egyptian language

  

ナイル文明発生地の言語で,前 4000年頃以来の歴史をもつ。同一地域でこれほど長い歴史をもつ言語はほかにない。アフロ=アジア語族に属する。古代エジプト語は子音体系が豊富で,喉音音素の種類が多くあり,強勢音をもっていたことが特色。中期エジプト語は前 2000年頃からの中王国時代の碑文で知られる。前代の象形文字に代り,パピルスに書かれた神官文字が多くなる。法律文書などには当時の口語もみえはじめる。新エジプト語は前 1580年頃からの新王国時代の口語をいう。前6世紀 (末期王朝) には民衆文字ができあがった。「古代エジプト語」は以上の総称としても用いられる。3世紀頃からキリスト教徒に用いられたエジプト語をコプト語といい,エジプト語の最後の段階であるが,16世紀には事実上アラビア語に圧倒されてしまい,教会典礼に残るだけである。





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エジプト語
エジプトご Egyptian

古代エジプト語のこと。ハム・セム語族に属する。一般に古代エジプト人がハム人とよばれているように,エジプト語もハム語を母体としセム語の影響を受けたものと解されているが,西アジアのセム語との関係は究明されているものの,アフリカのハム語が古代文献を欠いているために,それとの関連は未詳である。前5千年紀初めころからナイル川下流地方に生成しつつあったものと考えられるが,文献資料の出現は前3200年ころである。古王国時代を中心として用いられた古期エジプト語の代表的文献としては〈ピラミッド・テキスト〉がある。この言語の発展したものが中期エジプト語で前23世紀ころから記録が残っている。これは正字法も整い,語彙も豊かで,格調高い《シヌヘの物語》などを生みだし,古典語とされた。この言語は時制が単純で,一定の語順が厳しく守られ,助動詞や接続詞を欠き,一般に叙述は静的であり,またおそらく絵画的な文字(ヒエログリフ)の性格とも相まって,哲学的・抽象的表現や情緒的なニュアンスの表現には不向きであった。しかし,明快な文体,激しいリアリズム,力強いパラレリズム(対句法)の多用などによって人心に強く訴えるものがある。宗教文書などにおいてはこの言語の伝統が後々まで続くが,前16世紀ころから新しく言文一致体(後期または新期エジプト語)がおこる。時制も複雑となり助動詞も多用され,大衆文学的なものを多く生んだ。中期エジプト語とこの言語との関係は,古典中国語と現代中国語との関係に似ている。前7世紀ころからデモティック語がおこり,契約文書などに多く用いられた。3世紀ころ現れたコプト語にはギリシア語の影響が強く,この語による文献にはキリスト教関係のものが多い。時代的にはデモティック語→コプト語と続くが,言語の性質からすると,両言語ともに後期エジプト語から派生している。⇒エジプト文字        加藤 一朗

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エジプト語
エジプト語 エジプトご Egyptian Language 古代から14世紀ごろまでつかわれたエジプトの言語。アフロ・アジア語族、エジプト語派の唯一の言語で、どの言語よりも長い、ほぼ5000年の文献の歴史をもつ。

ほかのアフロ・アジア諸語同様、単語は3子音からなる語根から形成され、語根の基本的意味はいろいろな母音パターンによってかわる。しかし、動詞はほかのアフロ・アジア諸語の下位語派の動詞とは明らかにことなる形式と統語規則を発展させた。文語と口語の相違もいちじるしい。墓、寺院、柱、像などの碑文は大部分古風な文語スタイルで書かれ、話し言葉との一致は商業文や書簡などの日常の文書にしかみられない。

エジプト語は、文語をもとに5つの時期にわけられる。古期エジプト語(前3000以前~前2200頃)は、古王国時代(第1~6王朝)を通じてもちいられた。

中期エジプト語(前2200頃~前1600頃)、別名古典エジプト文語は前2000年ごろの話し言葉を反映していると考えられている。つかわれていた時期は、中王国時代とその前後の過渡期(第7~17王朝)と一致し、ヨーロッパのラテン語のように前500年ごろまでただ文献上の言葉としてだけ存続した。

前1380年ごろ、新王国時代(第18~20王朝)の初期に、第18王朝第10代王のイクナートンが、新たな標準文語として後期エジプト語(前1550頃~前700頃)を導入した。おそらく1500年ごろの話し言葉にもとづいており、文法的、音声的にそれ以前の言葉と大きな違いをしめしている。ペルシャの支配に屈する少し前、民衆エジプト語(前700頃~後400頃)が文語としてうけいれられ、ペルシャ、ギリシャ、ローマによるエジプト支配の時代を通じてずっとその位置にあった。独特の文字であるデモティック(民衆文字)で書かれ、前700年ごろの話し言葉をあらわしているようである。

エジプト語の最終段階であるコプト語が出現した(300頃~1400頃)のは、伝統的なエジプト文字をギリシャ文字を修正した文字におきかえた時期であり、またキリスト教文学が登場した時期でもあった。700年ごろから、コプト語はアラビア語に屈しはじめ、11世紀から14世紀にかけて急速に衰退したが、現在、コプト教会の典礼言語としてのこっている。

エジプト人は、公式の碑文用のヒエログリフ(神聖文字)と、それから派生した2つの草書体である神官文字(前600頃まで)とデモティック(前650頃~後450頃)の3つの文字体系を発達させた。この3つとも表意文字で、子音の音節だけをあらわす単一の文字からなり、そして2つ以上の意味をもつ文字の解釈を補助する記号がついていた。母音が書かれていないため、コプト語をのぞいて子音をとおしてしかエジプト語の音的発展をたどれない。

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アフロ=アジア語族
アフロ=アジア語族

アフロ=アジアごぞく
Afro-Asiatic languages

  

アフリカ北部および隣接するアジアに約2億人以上の話し手をもつ諸言語が同系であるとして設定された語族。次の5語派から成り立つ。 (1) セム語派 東方セム語のアッカド語 (死語) ,西方セム語のヘブライ語,アラビア語,エチオピアのアムハラ語やティグリニャ語など。 (2) エジプト語派 古代エジプト語とその後裔コプト語から成るが,16世紀にアラビア語に滅ぼされた。 (3) ベルベル語派 南モロッコのシュレ語,アルジェリアのゼナ語など。 (4) クシ語派 ソマリ語,ガラ語などアフリカ北東部で話される。 (5) チャド語派 ハウサ語が代表で,共通語でもあり約 600万人。以前は (2) ~ (4) をまとめてハム語族とし,セム語族に対立させたが,5語派対立というのが最近の考えである。なお,この語族の成立に疑いをいだく学者もある。





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アフロ・アジア語族
アフロ・アジア語族 アフロアジアごぞく Afro-Asiatic Languages 北アフリカと中東の約250の言語をふくむ主要語族で、以前はハム・セム語族として知られていた。セム語族、エジプト語、ベルベル諸語、クシ諸語、チャド諸語の5つの下位語派からなる。

(1)セム語族。アラビア語、ヘブライ語、アムハラ語(エチオピアの公用語)のほか、アッシリア語、バビロニア語、アッカド語、アラム語、フェニキア語などの古代語もふくまれる。

(2)エジプト語。古代エジプト語と、その最後の形として14世紀ごろまで生きのこったコプト語からなる。

(3)ベルベル諸語。タマシェク語とアフリカ北部・西北部の諸言語がふくまれる。アラビア文字で書かれ、その話し手の多くはアラビア語も話す。

(4)クシ諸語。おもにエチオピア、ソマリア、ケニアで話され、エチオピア文字で書かれるオロモ語(ケニアと南エチオピア)とラテン文字で書かれるソマリ語がふくまれる。

(5)チャド諸語。中央および西アフリカで話される。もっとも重要な言語はハウサ語で、北ナイジェリアとその周辺の土着語だが、ハウサ語を母語としない何百万という人々にも地域的な通用語としてもちいられている。もともとアラビア文字で書かれていたが、20世紀になってラテン文字で書かれるようになった。

→ アフリカの諸言語

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神官文字
神官文字

しんかんもじ
hieratic script

  

エジプト象形文字の一書体。聖刻文字 (ヒエログリフ) の筆記体というべきもので,パピルスに葦 (あし) ペンで記されるために広く用いられたが,前7世紀から一般用には民衆文字が多く用いられるようになり,神官文字は宗教文書に限定されるにいたった。





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民衆文字
民衆文字

みんしゅうもじ
demotic script

  

エジプト語を書くために用いられた文字の一つ。民間文字,民用文字とも呼ばれる。前7世紀に神官文字から発達し,法律,事務,文学その他に広く用いられるようになった。古代ローマになって衰え,5世紀後半には用いられなくなった。神官文字よりもさらに草書体的になっており,聖刻文字 (ヒエログリフ) のもっていた象形文字としての性格は薄くなっている。





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デモティック
デモティック Demotic 民衆文字ともいう。エジプトのヒエログリフ(神聖文字)を筆記体で書いた文字。前7世紀~後5世紀に、商業文や文芸作品などでもちいられた。ロゼッタ・ストーンは、ヒエログリフとこのデモティックで書かれ、ギリシャ語の翻訳文がついている。なお、同じ時期にひろくもちいられていたエジプト語の文章語や現代ギリシャ語の口頭語と、これにもとづく文語体のこともデモティックという。

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コプト語
コプト語

コプトご
Coptic language

  

3世紀頃からエジプトで用いられたエジプト語。文献は,ほとんどがキリスト教関係のもので,ギリシア文字で書かれている。最後の文献は 14世紀。のち,アラビア語に取って代られた。





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コプト語
コプトご Coptic

コプト文字で書かれた文書によって知られる,2世紀以後のエジプト語。コプト文字は,ギリシア文字に数個のエジプト民衆文字を加えた単音文字体系で,それ以前のエジプト文字にはなかった母音文字を備えているため,これによって古代エジプト語の母音もある程度推定される。初期の非文学的資料は当時の口語を反映するものと考えられるが,資料の大半を占めるキリスト教文書は大部分ギリシア語からの翻訳であって,名詞・動詞はもちろん,前置詞や接続詞にまでギリシア語からの借用が及んでいる。少なくとも五つの方言が認められ,上部エジプトのサイード方言は全エジプトの文字共通語となったが,アレクサンドリアがキリスト教の中心となるにつれて下部エジプトのボハイラ方言が教会用語として勢力を得,14世紀以来現在までコプト教会の用語となっている。日常語としては7世紀以後イスラムの進出に伴い,アラビア語に滅ぼされた。             松田 伊作

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コプト語
コプト語 コプトご Coptic Language エジプト語の最終段階(3世紀以降)の言語で、アフロ・アジア語族のエジプト語派の言語。「コプト」とは、ギリシャ語で「エジプト」を意味する「アイギュプトス」を語源とするアラビア語の「キブト」に由来する。

はじめのうちは民衆エジプト語(デモティック)と共存したが、それをしのいで存続した。

3世紀にはコプト語によるキリスト教文学もあらわれはじめた。現存する非キリスト教的なコプト語文書には、プラトンの「国家」の断片、医学的文献、呪術の呪文などがふくまれる。この時期、ギリシャ語がエジプトの知識層の言語であったため、コプト語にも民衆エジプト語からの7つの文字にくわえて、ギリシャ文字がとりいれられた。したがって、この段階のエジプト語のみが、現代の学者にもその発音が明瞭にわかるように書かれている。

8~14世紀に、コプト語は、ほぼアラビア語にとってかわられ、コプト教会の典礼言語としてだけ存続した。現存するコプト語文献の大部分は、ギリシャ語から翻訳された宗教的著作である。もともとコプト語で書かれた文献は、グノーシス派(→ グノーシス主義)の文書とマニ教文書、およびアフミーム近くのソーハーグにある修道院の僧院長が書いた多数の書簡、講話、協定文書だけである。コプト語は民衆エジプト語と類似するが、コプト語では、非キリスト教用語がギリシャ語起源の宗教語でおきかえられている点がことなる。学者によれば、5つの方言がみとめられており、そのうちかつてはサイード方言が標準だったが、14世紀以降ボハイラ方言が標準語となった。

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ハム・セム語族
ハム・セム語族
ハムセムごぞく Hamito‐Semitic

セム・ハム語族 Semito‐Hamitic ともいう。19世紀以後,ハム諸語とセム諸語とが同系であるとの想定の下に与えられた名称。しかし,アラビア半島を中心とするセム語族と北アフリカの〈ハム語族〉(ハム語)とをハム・セム語族の二大語派とする通説は現在では否定されており,誤解を招きやすいこの名称の代案として,紅海語 Erythraean,アフロ・アジア語族 Afro‐Asiatic(1950年,アメリカの言語学者 J. グリーンバーグによる)等の呼称が提唱されている。なお,今日学界に多くの賛同者を見いだしている,グリーンバーグによる名称・分類法に関しては,〈アフリカ〉の項目中の[言語]の記述を参照されたい。⇒セム語族∥ハム語
                        松田 伊作

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ケントゥム語群
ケントゥム語群

ケントゥムごぐん
centum languages

  

インド=ヨーロッパ語族に属する言語中,祖語の *k ,*g がそのまま軟口蓋閉鎖音として保存された諸言語。ギリシア,イタリック,ケルト,ゲルマン,ヒッタイト,トカラの各語派が該当する。祖語の *ktm に対応するラテン語の centum (100) により命名。サテム語群に対する。ケントゥム語群は印欧語族の西方,サテム語群は東方に位置する。ケントゥム語群とサテム語群との対立は,祖語の時代の2方言の対立を反映していると考えられたこともあったが,現在ではこの考えは一般に支持されない。





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サテム語群
サテム語群

サテムごぐん
satem languages

  

インド=ヨーロッパ語族に属する言語中,祖語の *k ,*g に対応する音が歯擦音として現れる諸言語。インド=イラン,スラブ,バルト,アルメニア,アルバニアの各語派が該当する。祖語の *ktm に対応するアベスタ語の satm (「100」の意) により命名。ケントゥム語群に対する。サテム語群とケントゥム語群とを分ける特徴が,祖語を東西2方言に大きく分けるものとして重要視されていたこともあったが,現在ではこの考えは一般に支持されない。





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[ブリタニカ国際大百科事典 小項目版 2008]
歯擦音
歯擦音

しさつおん
sibilant

  

[s][z]と,[∫][]との総称。音響から,それぞれスー音 hissing sound,シュー音 hushing soundという。舌先 (舌端) と上の歯茎付近との間の狭いせばめで摩擦音を生じ,さらにそれが前歯にぶつかり,そこでも摩擦音が生じるという共通性をもつ。ただし,シュー音 ([∫][]) のほうが前歯に吹きつけられる呼気が弱く,摩擦音も鈍い。





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アベスタ語
アベスタ語

アベスタご
Avestan language

  

ゾロアスター教の経典『アベスタ』に用いられている言語で,インド=ヨーロッパ語族のインド=イラン語派に属する古代イランの一言語。『アベスタ』の最古の部分『ガーサー』 Gthは前 1000~600年の間にできあがったものと考えられ,古代インドのベーダ語と文法,語彙の面で酷似しており,このことがインド=イラン語派を設定する一つの根拠となっている。アラム語の文字に基づいてつくられた複雑な文字が用いられ,表記と発音との関係を正確に決定するのは困難である。なお,ゼンド語と呼ばれたこともあるが,ゼンドはパフラビー語による『アベスタ』の注釈であって,誤った命名であるので,現在では用いられない。





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祖語
祖語

そご
protolanguage

  

共通基語ともいう。一つの言語が時代とともに分裂して変化し,長い時間ののちに2つ以上の異なる言語となったとき,もとの言語を祖語という。たとえば現在のフランス語,スペイン語,イタリア語などはラテン語がそれぞれの変化をとげてできた言語であることがわかっていて,ラテン語はこれらの諸言語の祖語であるといい,これらの諸言語は同系,あるいは親縁関係を有するという。さらに,ラテン語は,ギリシア語やサンスクリット語などとともに,より古い時代の単一な言語がそれぞれの変化をとげてできた言語と推定され,これを印欧祖語という。同じ祖語から分れた諸言語は一つの語族に属するという。 (→比較言語学 )  





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比較言語学
インド=ヨーロッパ語族の神話
インド=ヨーロッパ語族の神話

インド=ヨーロッパごぞくしんわ
Indo-European myths

  

インド=ヨーロッパ語族が,ユーラシアのステップ地帯の西半部にあったと思われる原住地に住み,共通の言語 (インド=ヨーロッパ基語) を話していた時代にもっていた神話。 19世紀中葉に,F.M.ミュラーらによって開始されたその研究は,近年 G.デュメジルによって画期的な新展開を与えられ,神界の構造およびいくつかの重要な神話の内容が知られるようになった。それによると,神界は,人間の社会で王と祭司たちが果す働きに対応する役割を演じる「第1機能」の神々と,戦士に相当する「第2機能」の神々と,生産活動に従事する庶民と相応する働きをする「第3機能」の神々によって構成され,各機能を代表するいくつかの主神格によって統括されていた。第1機能は,インドのバルナ,ミトラ,アリヤマン,バガの前身をなした4柱の最高神によって代表され,第2機能はインドラとバーユの原型の2柱の戦神,第3機能はアシュビンにその性格が継承されている双子の豊穣神のカップルをそれぞれ主神としていた。またこれらの男神たちのすべてと親密な関係を結び,3種の機能のおのおのの領域に神威を発揮する大女神があり,神界全体のいわばかなめをなす地位を占めていた。この多機能的大女神の性格は,イランのアナヒタや,インドのサラスバティーなどのなかによく保存されている。





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[ブリタニカ国際大百科事典 小項目版 2008]
F.M.ミュラー
ミュラー

ミュラー
Mller,Friedrich Max

[生] 1823.12.6. デッサウ
[没] 1900.10.28. オックスフォード


ドイツに生れ,イギリスに帰化した東洋学者,比較言語学者。詩人 W.ミュラーの子。ベルリン大学で学んだのち,パリで印欧比較言語学の権威 E.ビュルヌフに師事。イギリスに渡って,1850年オックスフォード大学教授。『リグ・ベーダ』をはじめとする東洋古典に関して数々の校訂,翻訳,研究書を刊行。古代東洋文化,特にインド学の幅広い分野にわたって,科学的・批判的学問研究の基礎を築くとともに,比較言語学,比較神話学を確立した。主編著書『東方聖書』 The Sacred Books of the East (50巻,1879~1910) ,『インド六派哲学』 The Six Systems of Indian Philosophy (1899) など。





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ミュラー 1823‐1900
Friedrich Max M‰ller

ドイツに生まれ,イギリスで活動したインド学者,言語学者,宗教学者。ベルリンとパリに学び,1847年イギリスに渡り,50年よりオックスフォード大学の教授を務める。《リグ・ベーダ》の校訂(6巻本,1849‐75。4巻本,1890‐92),サンスクリット本《大無量寿経》の校訂(南条文雄(なんじようぶんゆう)と共同校訂,1883),ウパニシャッドの翻訳(全2巻,1884),《インドの六派哲学》(1899)などインド学の諸分野で幅広く活躍するとともに,《言語学講義》(1861)で知られる比較言語学の権威であり,また《比較宗教学序説》(1874)で知られる比較宗教学の創始者の一人でもあった。彼は初めて宗教学 science of religion の名称を用い,キリスト教を唯一の宗教とみる価値観の反省に基づき,あらゆる宗教を価値判断を抜きにして客観的・科学的に比較研究すべきであると主張した。また,イスラムやイラン,インド,中国の諸宗教の主要な文献を英訳で刊行した《東方聖書》51巻(1879‐1904)を編集したことも重要な業績である。ちなみに詩人ウィルヘルム・ミュラーは彼の父親である。
                         高橋 明

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『リグ・ベーダ 』
リグ・ベーダ

リグ・ベーダ
g-Veda

  

インド最古の文献である4つのベーダの一つ。リグとは賛歌,ベーダとは知識,転じてバラモン教の聖典の意味となった。普通はブラーフマナなどを除いたサンヒター (本集) のみをさすことが多い。『リグ・ベーダ・サンヒター』はベーダのなかでも最も古いものであり,勧請僧 hotに属し,5派の伝承があったが,現存するのはシャーカラ派の伝本のみである。これは 1017の賛歌から成り,ほぼ前 1500~1000年に作製されたと推定され,主として暗誦によって伝えられた。もとは古代詩人が自然現象を神格化し,その諸神に対して捧げた宗教的賛歌であるが,さらに婚姻,葬送,人生の歌,天地創造に関する哲学詩,十王戦争の歌などをも含み,古代インドの社会,生活,思想,歴史などを断片的に伝えている。ベーダの言葉は絶対神聖であり,天地よりも永遠であると考えられた。





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青年文法学派
ソシュール
ソシュール

ソシュール
Saussure,Ferdinand de

[生] 1857.11.26. ジュネーブ
[没] 1913.2.22. ジュネーブ

  

スイスの言語学者,ジュネーブ大学教授 (1901~13) 。 20世紀の言語学に決定的な影響を与え,構造主義言語学の祖とも呼ばれる。みずからは印欧語比較文法の分野で少数の論文を残しただけであるが,そのなかでは印欧祖語に新しい音素を設定した『インド=ヨーロッパ諸語の母音の原体系についての覚え書』 (1878) が特に有名である。言語学史上,重要な意義をもつのは,ジュネーブ大学での講義を彼の死後 C.バイイと A.セシュエが編集して出版した『一般言語学講義』 Cours de linguistique gnrale (1916) で,ここでは,言語活動をラングとパロールに分け,言語学はまずラングを対象とするものであり,その研究法として共時言語学と通時言語学とを峻別すべきことを説く。そして,言語の本質は互いに対立をなしておのおのの価値をもつ要素から成る記号体系であると強調する。これらの学説は,当時歴史的な面に集中していた言語研究を記述言語学へと向わせ,個別的なものの寄せ集めになりがちだった記述に構造,体系の骨組みを与えるうえに決定的な役割を果し,直接的にジュネーブ学派の祖となるとともに,間接的には欧米の構造言語学の出発点となった。





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[ブリタニカ国際大百科事典 小項目版 2008]

ソシュール 1857‐1913
Ferdinand de Saussure

スイスの言語学者,言語哲学者。ジュネーブ大学教授(1891‐1913)。1907年,08‐09年,10‐11年の3回にわたって行われた〈一般言語学講義〉は,同名の題《一般言語学講義 Cours de linguistiquegレnレrale》(1916)のもとに弟子の C. バイイ,セシュエ A. Sechehaye(1870‐1946)および協力者リードランジェ A. Riedlinger の手によって死後出版されたが,この書を通して知られるソシュールの理論は,後年プラハ言語学派(音韻論)やコペンハーゲン言語学派(言理学)などに大きな影響を与え,構造主義言語学(構造言語学)の原点とみなされている。そのインパクトは言語学にとどまらず,文化人類学(レビ・ストロース),哲学(メルロー・ポンティ),文学(R. バルト),精神分析学(J. ラカン)といったさまざまな分野において継承発展され,20世紀人間諸科学の方法論とエピステモロジーにおける〈実体概念から関係概念へ〉というパラダイム変換を用意した。また,1955年以降,ゴデル R.Godel によって発見された未刊手稿や講義録(Les sources manuscrites du Cours delinguistique gレnレrale,1957)のおかげで,それまでのソシュール像は大きく修正され,さらにエングラー R. Engler の精緻なテキスト・クリティークによる校定版(Cours de linguistique gレnレrale,edition critique,1967‐68,1974),スタロビンスキ J. Starobinski のアナグラム資料(Les motssous les mots:Les anagramme de F. deSaussure,1971)によれば,ソシュールの理論的実践分野は,一般言語学と記号学 sレmiologie の2領域に大別することができる。
[一般言語学]  弱冠21歳で発表した《インド・ヨーロッパ諸語における母音の原初体系に関する覚書 Mレmoire sur le syst≡me primitif desvoyelles dans les langues indo‐europレennes》(1878)は少壮(青年)文法学派の業績の一つと考えられていたが,これはすでに従来の歴史言語学への批判の書であり,その関係論的視座は1894年ころまでに完成したと思われる一般言語学理論と通底するものであった。ソシュールはまず人間のもつ普遍的な言語能力・シンボル化活動を〈ランガージュ langage〉とよび,これを社会的側面である〈ラング langue〉(=社会制度としての言語)と個人的側面である〈パロール parole〉(=現実に行われる発話行為)とに分けた。後2者は,コードとメッセージに近い概念であるが,両者が相互依存的であることを忘れてはならない。人びとの間にコミュニケーションが成立するためには〈間主観的沈殿物〉としてのラングが前提となるが,歴史的には常にパロールが先行し,ラングに規制されながらもこれを変革するからである。ソシュールはついで,言語の動態面の研究を〈通時言語学〉,静態面の研究を〈共時言語学〉とよび,この二つの方法論上の混同をいましめた。彼はまた,プラトンや聖書以来の伝統的言語観である〈言語命名論〉や〈言語衣装観〉を否定し,言語以前にはそれが指し示すべき判然と識別可能な事物も観念も存在しないことを明らかにする。言語とは,人間がそれを通して連続の現実を非連続化するプリズムであり,恣意的(=歴史・社会的)ゲシュタルトにほかならない。したがって,言語記号は自らに外在する指向対象の標識ではなく,それ自体が〈記号表現〉(シニフィアン signifiant)であると同時に〈記号内容〉(シニフィエ signifiレ)であり,この二つは互いの存在を前提としてのみ存在し,〈記号〉(シーニュ signe)の分節とともに産出される(なお,かならずしも適切な訳語とはいえないが,日本における翻訳紹介の歴史的事情もあって,signifiant には〈能記〉,signifiレ には〈所記〉の訳語がときに用いられる)。これはギリシア以来の西欧形而上学を支配していたロゴス中心主義への根底的批判であり,この考え方が次に見る文化記号学,文化記号論の基盤になったと言えよう。⇒言語学
[記号学]  これは社会生活において用いられるいっさいの記号を対象とする学問で,非言語的なシンボルもそれが文化的・社会的意味を担う限りにおいて一つのランガージュとしてとらえられる。その結果,あらゆる人間的行動は,その背後に隠された無意識的ラングという文化の価値体系における〈差異化現象〉として位置づけられ,所作,音楽,絵画,彫刻からモードにいたるまで,すべて〈記号〉の特性のもとにその本質が照射される。狭義の言葉が音声言語であるのは偶然にすぎず,記号とは,視覚,嗅覚,触覚,味覚といったいかなる感覚に訴える手段を用いても顕在化される〈関係態〉であって,それが体系内の何かと対立する限りは,〈実質 substance〉を有さないゼロの形をとることさえ可能である。この〈形相 forme性〉は〈恣意性 arbitraire〉の帰結であり,文化記号の価値は即自的に存在するものではなく,一つには体系内の他の辞項の共存により,二つにはこれを容認し沈殿せしめる集団的実践によって,決定されることが明らかになる。その結果生ずる記号の物神性は,構造自体が内包する反構造的契機によってのみ克服される,と考えたソシュールは,静態的〈記号分析〉から力動的〈記号発生の場〉の闡明(せんめい)へと移行し,晩年の神話・アナグラム研究へと歩を進めたが,その理論的完成を待たずに没し,いくつかの貴重な示唆を残すにとどまった。⇒記号         丸山 圭三郎

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ソシュール,F.de
I プロローグ

ソシュール Ferdinand de Saussure 1857~1913 スイスの言語学者。その言語構造についての思想は、構造主義言語理論(構造言語学)の発展を基礎づけた。

ジュネーブに生まれ、ジュネーブ大学で1年間理科系の講義に出席したあと、1876年からドイツのライプツィヒ大学で言語学をまなんだ。79年、彼の唯一の著作である「インド・ヨーロッパ諸語における母音の原初体系に関する覚書」を出版した。これは、インド・ヨーロッパ諸語のもとになったインド・ヨーロッパ祖語の母音体系についての重要な業績である(→ インド・ヨーロッパ語族)。

ソシュールは、最初のころは言語の歴史研究である文献学を中心に研究していたが、のちに、言語の一般的性質の研究である一般言語学に関心をうつした。1881~91年までパリの高等学術研究院でおしえたあと、ジュネーブ大学でサンスクリットと比較文法の教授となった。

II 「一般言語学講義」

ソシュールは「覚書」以外の本は書かなかったが、その講義は学生たちに大きな影響をあたえた。彼の死後、2人の弟子が講義のノートやそれ以外の資料をもとに、「一般言語学講義」(1916)という講義録をだした。この本では、ソシュールの言語に対する構造的な考え方が説明されており、そこで提出されたさまざまな概念は、のちの言語研究の基礎となった。ソシュールの業績は、言語学だけでなく、人類学、歴史学、文芸批評などの分野にも影響をあたえた。→ 言語学

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C.バイイ
バイイ

バイイ
Bally,Charles

[生] 1865.2.4. ジュネーブ
[没] 1947.4.10. ジュネーブ

  

スイスの言語学者。ソシュールに学び,のちソシュールの跡を継いでジュネーブ大学の教授となった。ジュネーブ学派の祖。ソシュールの提唱した,ラングとパロールの区別を受継ぎながら,言語が使用されるときの情意的な面に注意を向け,文体論を発展させた。 A.セシュエとともに,ソシュールの死後その講義を『一般言語学講義』 Cours de linguistique gnrale (1916) として編集,刊行した。著書『文体論要説』 Prcis de stylistique (1905) ,『フランス語文体論概論』 Trait de stylistique franaise (09) ,『言語活動と生活』 Le langage et la vie (13) ,『一般言語学とフランス言語学』 Linguistique gnrale et linguistique franaise (32) 。





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バイイ 1865‐1947
Charles Bally

スイスの言語学者。ジュネーブ大学教授(1913‐39)。ソシュール学説を継承発展させた〈ジュネーブ学派〉の代表者の一人で,とりわけ,〈理性的文体論〉の創始者として知られている。これは,作家などが美的意図にもとづいて表現する個人的な情緒発現を対象にするものではなく,日常的な言語の〈実現化〉一般の科学的研究であるとされた。したがって,彼の言う〈情的価値 valeuraffective〉とは,ラングからパロール,抽象的・潜在的な概念から具体的・顕在的現象への移行過程において生ずるものである。この関係の著作には,《文体論提要 Prレcis de stylistique》(1905),《フランス文体論概説 Traitレ de stylistiquefranぅaise》2巻(1909)がある。もう一つの彼の業績は,師ソシュールの共時言語学理論の精密化(《一般言語学とフランス言語学 Linguistiquegレnレrale et linguistique franぅaise》1932)であるが,ソシュールの未刊原稿の発見以後,バイイの解釈にはいささかの疑義が付されている。
                      丸山 圭三郎

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A.セシュエ
セシュエ

セシュエ
Sechehaye,Albert

[生] 1870.7.4. ジュネーブ
[没] 1946

  

スイスの言語学者。ジュネーブ大学でソシュールの教えを受ける。 1916年『一般言語学講義』 Cours de linguistique gnraleを C.バイイと共編。『理論言語学の大要と方法』 Programme et mthodes de la linguistique thorique (1908) などの著書がある。





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ラング
ラング

ラング
langue

  

ソシュールの用語。彼は複雑で混質的なランガージュ (言語活動) を,ラングとパロールに識別し,ラングを本質的,等質的,社会的な言語体系として規定した。たとえば日本人が日本語を用いて意志の伝達が可能なのは,成員すべてに等質で共通な日本語の規則が了解されているからであるとする見方である。ソシュールのラングとパロールの区別の説明には,曖昧な点,修正を要する点はあるが,言語現象において,繰返し現れるものと,一回的なものとの区別を指摘しようとした功績は大きい。





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パロール
パロール

パロール
parole

  

ソシュールの用語。彼は複雑で混質的なランガージュ (言語活動) を,本質的,社会的,等質的,体系的なラングと,副次的,個人的,非等質的,遂行的なパロールに分けた。これは言語研究上,非常に大きな意味をもつが,必ずしも明確に説かれていない部分もあり,数々の論争を引起した。パロールについていえば,(1) 「個人的」という概念が,個人の発話とか,ラングの個人的使用といった,そのなかに社会習慣的特徴を含んだ意味での「個人的」なのか,社会に対立するばらばらな意味の「個人的」なのか,(2) これと関連して,単語はラングに属するが,文はどちらに属すると考えているのか,(3) 「遂行的」という言葉はほぼ発話にあたる面をさしているようであるが,了解活動は含まれないのか,などの問題がある。





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