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言語学・ゲームの結末を求めて(その10) [宗教/哲学]

共時言語学
共時言語学

きょうじげんごがく
synchronic linguistics

  

一言語の一時期における状態 (共時態) を記述し研究する言語学の一部門。言語を時間の流れにそって変遷する相として把握する通時言語学,史的言語学に対する。すでに共時言語学を唱え,記述を実行していた学者もあったが,これを明確に述べ,後世に大きな影響を与えたのはソシュールである。彼により,話し手にとり意識されるのは現在の状態のみであり,過去は関係のないこと,特定共時態をみると,もろもろの言語単位が互いに他と張合って一つのまとまった体系・構造をなしていることが明らかにされ,19世紀までの史的言語学のみが科学であるという考えが打ち破られて,記述言語学・構造言語学への道が切り開かれた。しかし,史的言語学と対峙するのではなく,観点を明確にし,方法上の誤った混同を避けることによって,歴史をも含む言語の諸相全体への理解が深められるといえる。たとえば,dという音は一方においてb-d-gという有声閉鎖音の系列の一員であり,他方t-d-nという歯音の系列の一員であるという構造的・機能的観点から,dを記述するのは共時的言語学の仕事である。これに対して,dという音は印欧祖語 *d ( *dek 「10」=サンスクリット語 daa,ギリシア語 dka,ラテン語 decem) からゲルマン祖語 *t (ゴート語 tahun,古ノルド語 tu,英語 ten) を経て,ドイツ語でz (zehn[tse:n]) となることを記述するのは史的言語学の仕事である。





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通時言語学
通時言語学

つうじげんごがく
diachronic linguistics

  

時間の流れにそった言語の歴史的変遷を研究する言語学の一分野。この術語そのものは,ソシュールが共時言語学との対比において用いたものであるが,彼の通時言語学は,それまでの言語学と同様,19世紀流の要素主義で,体系的なものではなかった。その後,変化は確かに個々の要素に生じるものであるが,それがどういう体系の変化を引起すか,変化前の体系と変化後の体系の関係はどうかといった観点から,通時論に体系の概念を導入し,共時論との立体的なからみ合いのうちに言語変化をとらえようとする試みがいろいろなされている。史的言語学 (歴史言語学) も同義で使われるが,通時言語学をソシュールのそれに限定し,両者を区別する考え方もある。





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史的言語学
H.パウル
R.ヤコブソン
N.トルベツコ
ジュネーブ学派
ジュネーブ学派

ジュネーブがくは
Geneva school

  

言語学の学派の一つ。ジュネーブ大学でソシュールから教えを受けた C.バイイや A.セシュエを中心として形成された。ソシュールの教えを出発点とした構造言語学の学派であるが,言語の情意的な面に強い関心を示していること,共時言語学の特に構文論,文体論に力を入れていることが特徴である。





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構造言語学
構造言語学

こうぞうげんごがく
structural linguistics

  

言語はばらばらな成分の寄せ集めではなく,一定の構造・体系をもつものである,という想定のもとに,その構造と機能を研究しようとする言語学。この意味では,現在の言語学はほとんどすべて,多かれ少なかれこの観点に立っている。 19世紀のカザン学派が先駆者とみられるが,構造的言語研究の盛んになるきっかけとなったのは,ソシュールの『一般言語学講義』 (1916) である。 N.トルベツコイ,R.ヤコブソンらのプラハ学派,L.イェルムスレウらのコペンハーゲン学派,L.ブルームフィールドに始るアメリカの狭義の構造主義者などの活動が,1930年頃から急速に発展した。それぞれ興味の中心や研究法に違いはあるが,根本的な言語観には共通点がある。現在注目を集めている生成文法は,方法論的に狭義の構造言語学とは対立するが,文を中心に言語の構造を解明しようとしている意味で広義の構造言語学に入れることができる。





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構造言語学
こうぞうげんごがく structural linguistics

構造言語学ないし構造主義言語学ということばは,ふつう1920年代から50年代にかけてヨーロッパとアメリカに生じた革新的な言語学の諸流派を総称するのに用いられるが,具体的にはプラハの音韻論学派(プラハ言語学派),コペンハーゲンの言理学グループ,アメリカの記述言語学の諸集団およびそのどれにも属しない諸学者の多種多様な主張や見解が含まれる。最大公約数的な理論上の特徴をあえてあげるならば,言語を記号学的体系と認め,あらゆる言語に普遍的な最小の記号単位の数や組合せの面での相違が言語体系の構造の差異を作ると考えて,各言語の精密かつ全面的な構造的記述の理論と実際を追求する立場といえよう。
[構造言語学の先駆者たち]  19世紀末から20世紀初頭にかけての言語研究は青年文法学派によるインド・ヨーロッパ語の史的比較研究(比較言語学)が主流をなし,生きた言語の記述や言語一般の性質の研究はあまり振るわず,しかも伝統的なギリシア・ラテン文法の概念や枠組みへの無批判な依存や,言語と意識・心理・思考を同一視ないし混同する俗流的解釈にとどまっていた。しかし,アメリカのサンスクリット学者 W. D. ホイットニーや帝政ロシアの比較言語学者であるポーランド人のボードゥアン・ド・クルトネとカザン大学でのその弟子クルシェフスキ Mikoかaj Kruszewski(1851‐87)らはすでに19世紀の70年代から80年代にかけてその著作や講義の中で社会的な伝達の手段としての言語の記号的性質を正しく把握し,その中心に弁別的機能をもつ音素的な単位を想定する考えを示した。彼らはいずれも諸言語に共通する,ことばの社会的機能や記号的性質を研究する普遍主義的・構造主義的な言語研究の新しい分野の可能性を説いたが,同時代の大多数の学者から無視される結果となった。
[ソシュールと構造言語学]  近代における言語学のコペルニクス的転換の契機を作ったとされ,近代言語学の父とも呼ばれる F. de ソシュールは若くしてインド・ヨーロッパ語比較文法の俊秀として令名があり,パリで A. メイエをはじめ多くの比較言語学者を育てたが,1891年から生れ故郷のジュネーブに移り,1913年に死ぬまで大学の教壇に立った。その死後16年になって弟子たちが筆記ノートを集めて彼の講義を復原し,師の名による《一般言語学講義》として出版した。ソシュールがホイットニーとボードゥアン・ド・クルトネおよびクルシェフスキの所説を評価していたのは事実であるが,この《講義》では新しい言語学の対象と方法がはるかに明快に,かつ正面切って提出されている。たとえば,有名な〈ラング〉と〈パロール〉の区別をはじめ,言語の記号学的性質,言語記号の恣意性とその線的性質および離散的(示差的)性質,ラングの共時態と通時態の区別など,当時としてはきわめて革新的な見解が示されている(詳しくは〈ソシュール〉の項を参照)。しかしこのソシュールの理論も初めのうちは極端として退けられる場合が多く,欧米ともに積極的に評価する人はごく少数であった。ジュネーブで学んだモスクワ言語学サークルのカルツェフスキー Sergei O.Kartsevskii(1884‐1955)はその一人で,彼を通じてモスクワでソシュールの学説を知った N. S. トルベツコイや R. ヤコブソンが1926年結成されたプラハ言語学派に拠ってソシュール学説の発展としての音韻論学説の構築を始めたのがヨーロッパにおける構造言語学とソシュール評価の始まりであった。
[ブルームフィールドと構造言語学]  一方,この時期のアメリカではアメリカ・インディアン諸族の文化人類学的研究の進展の中で,その言語の記述のために伝統的な文法によらぬ客観的な方法を必要としていた。アメリカ・インディアン諸語を広く研究した E. サピアはその著書《言語 Language》(1921)の中で音声的実態とレベルを異にする音韻論的体系の存在に気づき,これを〈音声パターン sound pattern〉と呼ぶ一方,言語の意味や機能よりは形式の方が体系として研究しやすいことを説き,歴史的・発生的関係に頼らずに純粋に形式的な基準による言語の類型論的分類への道を開いた。しかしアメリカ構造言語学の開祖となったのは彼と同年代の L. ブルームフィールドで,その著書《言語Language》(1933)は行動主義心理学に基づく記述言語学の具体的な方法論を明快に示すものであった。その手法は観察可能な外面的要因から出発して言語コミュニケーションの内容へと至る反メンタリズム anti‐mentalism のアプローチと,一言語体系の諸単位が占め得るあらゆる位置的分布の記録・分析による機能や意味の同定であり,後者はとくに分布主義 distributionism と呼ばれるアメリカ構造言語学特有の方法的特徴となった。
[構造言語学の諸流派]  (1)プラハ言語学派の最大の貢献は音韻論の諸原理の完成にあり,とくに先に名をあげたトルベツコイとヤコブソンの業績によっている。形態音韻論や通時音韻論に特色があり,音素の定義自体もアメリカの音素論とは異なり意味弁別の機能に基づく。ほかに詩的言語(詩学),文の現実的区分(伝達目的による機能的区分――FSP(FunctionalSentence Perspective の略))などの分野でもパイオニアとなった。(2)コペンハーゲン言語学サークル(1934創立)はソシュールの記号学的側面の完成を意図した L. イェルムスレウによる言理学 glossematics を特色とし,新ソシュール主義 Neosaussurianism とも呼ばれた。数学的抽象化による論理的文法を追求し,言語以外の手段を含むコミュニケーション記号の一般理論を目ざし,機械翻訳のためのメタ言語の設定の理論も開拓した。(3)アメリカ構造言語学の諸派。1930年代後半から50年代にかけての約20年は L. ブルームフィールドの追随者たちによるアメリカ構造言語学の全盛期でその影響は全世界に及んだが,末期には理論的行詰りを生じた。音素論ではブロック Bernard Bloch(1907‐65),トウォデルWilliam Freeman Twaddell(1906‐ ),形態論ではハリス Zelig Harris(1909‐ ),ホケット CharlesHockett(1916‐ ),ナイダ Eugene Nida(1914‐ )らの業績が重要である。分布主義的方法論の祖述としては先のブロックとトレーガー GeorgeTrager(1906‐ )の《言語分析概説 Outline ofLinguistic Analysis》(1942)とハリスの《構造言語学の方法 Methods in Structural Linguistics》(1951)が代表的であるが,とくに後者は分布主義の方法論的行詰りを認め,弟子の N. チョムスキーによる反分布主義的な変形生成文法(生成文法)への道を開いた。(4)上述のどの流派とも密接な関係をもち,しかも独自の立場に立つのはフランスの A. マルティネであり,機能的音韻論を推進する一方,省力化ないし経済性の観点から音声変化を説明する独自の通時的音韻論の試みを示した。
 構造言語学の諸原理は70年代にはもはや単一の学派的主張としてではなく,現代言語学の主要潮流のすべてに共通し分有される基本的テーゼとなっている。構造言語学とくにプラハの音韻論の開発した構造分析の方法論は他の学問的領域にも適用され,たとえば文学研究,フォークロア研究,神話学,文化人類学,社会学などにおける構造主義の発達に明瞭な影響を与えている。⇒記号∥言語学∥構造主義         佐藤 純一

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構造言語学
構造主義の源は、スイスの言語学者ソシュールがとなえた構造言語学にある。彼は言語をその表層的な意味によってではなく、より深層にかくされた不変的な意味すなわち構造によって記号的にとらえようとした。その後ヤコブソンらにひきつがれた、構造としてものごとをとらえるこの方法は、フランスの人類学者レビ・ストロースによって人類学に適用されて大反響をよび、多くの思想家に大きな影響をあたえることになった。
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カザン学派
カザン学派

カザンがくは
Kazan school

  

1870年代にカザン大学にいた J.ボードアン・ド・クルトネーと M.クルシェフスキーを中心とする言語学の流派。 20世紀の構造言語学の先駆として,ポーランドやロシアの言語学者,プラハ学派に大きな影響を与えた。





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J.ボードアン・ド・クルトネー
ボードアン・ド・クルトネー

ボードアン・ド・クルトネー
Baudouin de Courtenay,Jan Ignacy Niecisaw

[生] 1845.3.13. ラジミン
[没] 1929.11.3. ワルシャワ

  

ポーランドの言語学者。プラハ,ベルリン,イェナ,ライプチヒでインド=ヨーロッパ語族を研究し,1870年博士。その後カザンで研究,教育に専念し,言語に対する体系的構造的見方,共時論と通時論,音素など,ソシュールとかなり共通する考え方を提唱した。また 19世紀の比較言語学だけでなく,方言の実態にも注目して言語混交の問題を論じ,幼児言語,形態音韻論,言語類型論など広く一般言語学に及び,さらに言語学を科学一般のなかにどう位置づけるかというような射程の大きい見方をもっていた。主著は『音韻交替試論』 Versuch einer Theorie phonetischer Alternationen (1895) ,主要論文を集めた"A Baudouin de Courtenay Anthology:The Beginnings of Structural Linguistics" (E.スタンキエビッチ編,1972) など。





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ボードゥアン・ド・クルトネ 1845‐1929
Jan Niecisかaw Baudouin de Courtenay

ポーランドの言語学者。ロシアでは IvanAleksandrovich B. de Kourtenay。ロシアとポーランドの種々の大学で教鞭をとり,クルシェフスキ,ポリワノフ,シチェルバら多くのすぐれた言語学者を育てた。なかでも〈カザン学派〉は有名。ラングとパロール,共時態と通時態,音と音素それぞれの区別の必要を早くより説いていたため,現在ではソシュールと並ぶ,構造主義言語学の先駆者と称されている。ことにプラハ言語学集団の機能主義に対する影響は少なくない。また,言語の体系性の重視,言語進化の説明に際してのエコノミーという概念の適用,音と文字の区別の強調などでも知られる。そのほか,一般言語学の分野以外でも,印欧比較言語学,スラブ諸語の比較歴史文法やタイポロジーに多くの業績を残している。ダーリのロシア語辞典の改訂者でもある。主著は《言語学と言語に関する若干の一般的所見》(1870),《音交替理論の試み》(1894)。       桑野 隆

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ボードゥアン・ド・クルトネ,J.N.
I プロローグ

ボードゥアン・ド・クルトネ Jan Niecis?aw Baudouin de Courtenay 1845~1929 ポーランドの言語学者。ロシアとポーランドで活躍した。比較歴史言語学から構造言語学への移行に際して、ソシュールとともに先駆的役割を演じた。

II 言語はすべて混合言語

ワルシャワ近郊のラジミンに生まれ、ヨーロッパのいくつかの大学で言語学をまなぶ。23歳のとき、「ポーランド語曲用変化における類推作用の若干の場合について」を発表、のちにおこった構造主義研究の一限界についてすでに卓見を発表している。

この後、スロベニア語のレジヤ方言を研究、言語の地域的変化を歴史的変化を背景としてとらえ、「言語はすべて混合言語である」という認識に達した。1875年カザニ大学(→ カザニ)に職をえるや、弟子のクルシェフスキらと構造言語学に刺激をあたえた「カザニ学派」をきずきあげた。その後エストニアのタルトゥ、ポーランドのクラクフ(→ クラクフ大学)で弟子を養成、1900年以降ペテルブルグ大学にもどって、スラブ言語学(→ スラブ語派)を中心に一般言語学で幅の広い業績をあげた。

III 機能から構造へ

彼の業績の中には、音素(→ 音韻論)、形態素(→ 形態論)、ラング(言語)とパロール(話)の区別、通時性と共時性(→ 言語学)など、のちにソシュールの功績に帰せられるものが、すべてといっていいほどふくまれている。それらの基礎に「機能」という概念がある。この機能から構造という発想はプラハ学派にうけつがれている。その思想の豊かさは驚異的で、現在でもまだじゅうぶんに評価されているとはいえない。

言語学以外に民族問題にも関心のあったボードゥアンは一時投獄されるが、1917年にペテルブルグ大学に復帰、翌年祖国ポーランドにもどり、死の直前までワルシャワ大学で名誉教授として教鞭をとった。

十指にあまる言語で書かれた300余の言語学関係の論文が全集として6巻にまとまったのは、やっと1990年のことである。

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M.クルシェフスキー
クルシェフスキー

クルシェフスキー
Kruszewski,Mikoaj

[生] 1851
[没] 1887

  

ポーランドの言語学者。ロシアのカザン大学で J.ボードアン・ド・クルトネーに学ぶ。音韻変化の研究に音素の概念を打出した。ボードアン・ド・クルトネーとともにカザン学派の中心となり,構造言語学の 19世紀における先駆者の一人とみられている。





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音素
ソシュール
N.トルベツコイ
トルベツコイ

トルベツコイ
Trubetzkoi,Nikolai Sergeevich

[生] 1890.4.25. モスクワ
[没] 1938.6.25. ウィーン

  

ロシアの言語学者。貴族の家に生れて,ロシア革命を逃れ,1922年以降死ぬまでウィーン大学教授の職にあった。スラブ語派,フィン=ウゴル語派,カフカズ諸語など多くの言語を対象として比較言語学的研究をし,また一般言語理論にも貢献した。しかし彼が最もよく知られるのは,ソシュールや J.ボードアン・ド・クルトネーの影響を受けて音声の研究に音韻的対立と相関関係の概念を導入し,プラハ学派の有力メンバーとして,R.ヤコブソンらとともに音韻論を創始したことによる。著書で最も重要なのは死後出版された『音韻論の原理』 Grundzge der Phonologie (1939) 。





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トルベツコイ 1890‐1938
Nicolai Sergeevich Trubetskoi

言語学者。モスクワ大学哲学教授 S. N. トルベツコイを父としてロシア貴族の家に生まれ,早くから民族誌学に関心をもつ。モスクワ大学を卒業してライプチヒに学んだ後,母校で比較言語学を講ずる。革命を逃れてロストフ大学,ソフィア大学に転じ,22年にはウィーン大学教授。プラハ言語学派の中心人物の一人で《音韻記述への手引 Anleitung zuPhonologischen Beschreibungen》(1935),《音韻論要理 Grundz‰ge der Phonologie》(1939)によりプラハ言語学派音韻論の方向を定めた。
 1936年に学術誌に発表した論文《音韻対立のための理論の試み》の前後から〈対立〉をとらえる理論を模索し,これが晩年の理論課題となった。そこで彼は音差異を示す項の間の〈共通特性〉に着目するが,この項は“関与特性”のほかに“位置特性”をも含むのである。たとえば lip の l は,nip,tip,chip の n,t,ch と対立する音特性(“側音性”)を含み,この特性は pill の ll においてもそれを pin,pit,pitch の n,t,tch と対立させている(“関与特性”)。しかし lip の l と pill の ll は,同じ音特性を共通特性としてもちながら,かつ明るい音色,暗い音色の違いももつが,これはこの言語では対立を作り出さない(“位置特性”)。さて,(1)同じ共通特性をもつ項が位置特性のみで異なる場合,これらの項は直接的にも間接的にも対立しない。それらは同じ音韻単位に含まれる変異音をなすのである。しかし,(2)同じ共通特性をもつ項が,関与特性で異なる場合,たとえそれらが同じ位置で直接対立しなくても(たとえば英語,ドイツ語の h/ペ),〈間接的〉な音韻対立が成立している(h と ペ は共通の同じ仲間(さまざまな子音)に対して,異なった関与特性により対立しているのだから)。
 ところで,p/b のごとき2項が,ある位置(語末)で無声の p しか示さなくなると(ドイツ語,ロシア語),この“無声性”はこの位置では関与特性ではなく位置特性となる。すると上の(1)と同じ理由で,この p は p/b のいずれとも音韻対立をなさず,両者の変異音となる。この現象を彼は〈音韻対立の中和〉と呼んだ。ただし彼は3項以上の項の間の対立の中和には触れなかった。⇒音韻論
                        渡瀬 嘉朗

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トルベツコイ,N.S.
I プロローグ

トルベツコイ Nikolai Sergeevich Trubetskoi 1890~1938 ロシアの言語学者。プラハ学派の中心的学者として、構造主義的な観点から言語学の一分野としての音韻論を確立した。

モスクワ大学の哲学教授の息子としてモスクワに生まれる。モスクワ大学を卒業後、ライプツィヒ大学で比較言語学をまなんだ。1915年からモスクワ大学の私講師となり比較言語学を担当したが、ロシア革命のため、ロストフのドン大学、ソフィア大学をへて、22年にウィーン大学のスラブ語学の教授となった。38年に、ナチス(→ ナチズム)による圧迫をうけて病死した。

II 音韻論を確立

トルベツコイは、最初はフィン・ウゴル諸語、カフカス諸語、古シベリア諸語の民族学的研究や比較研究をおこなっていたが、1926年に設立されたプラハ学派に28年から参加し、その中心的なメンバーとなった。その主著「音韻論の原理」(1939。死後出版)では、単語の意味の区別に役だつ音の単位としての音素が、言語の中でほかの音素と対立するための原理を解明しようとした。トルベツコイによって、ソシュールが主張した言語の体系性という原理が音韻の研究において適用され、言語学における独立した分野としての音韻論がつくりあげられたと考えることができる。トルベツコイが音韻の分析について提出した考え方は、音韻論だけでなく、統辞論や意味論の分野の研究にも大きな影響をあたえた。音韻論と形態論の中間的なレベルとしての「形態音韻論」という分野や、地域的に近接した諸言語が同じような特徴をもつようになるという現象に関しての「言語連合」という概念もまた、トルベツコイの提案したものである。

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プラハ言語学派
プラハ学派

プラハがくは
Prague school

  

1926年にチェコスロバキアのプラハに創立されたプラハ言語学会を中心とする言語学の一学派。この学会の中心になったのは,R.ヤコブソン,N.トルベツコイ,S.カルツェフスキー,V.マテジウス,B.トルンカ,B.ハブラーネクらで,29年に紀要『プラハ言語学会報』 Travaux du Cercle Linguistique de Prague (1939年まで。 64年から『プラハ言語研究』 Travaux linguistiques de Pragueとして再出発) を創刊。機能を重視する構造主義的言語観を最初から打出し,特に音韻論の発達に大きく貢献。言語類型論,スラブ語学,詩学の発達にも寄与している。





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プラハ言語学派
プラハげんごがくは

1920年代にチェコスロバキアのプラハで興った構造主義の古典学派の一つで,言語学を中心に文芸理論とフォークロア研究の領域で華々しい活躍をした。プラハ言語学サークル,プラーグ学派などとも呼ばれる。この学派の中心になったのはチェコ人のマテジウス Vilレm Mathesius(1882‐1945)とロシア人の R. ヤコブソンで,このほかにやや遅れてこの学派に加わった N. S. トルベツコイ,文芸理論で業績を残したムカジョフスキーJan Muka¥ovsk∀(1891‐1975)や,フォークロア研究でのボガトゥイリョフ P∫tr Grigorievi∴Bogatyr∫v(1893‐1971)らがいる。
 この学派の理論的先駆者はボードゥアン・ド・クルトネと F. de ソシュールで,前者の〈機能〉,後者の〈構造〉という概念を受け入れて,言語,文芸理論,フォークロアなどの分野でこの二つの基本概念から分析を行い,今日でも依然として価値のある業績を残している。この学派が残した功績は20~30年代の音韻論,30~40年代の構造美学,40~50年代の記号芸術論と,その適応領域は広く,文の分析を言語外現実との関連でとらえる〈テーマ・レーマ理論〉は30年代から80年代まで発展を続けている。
 この学派の第1期はナチスによるチェコ占領の1938年までで,この時期には国内向け雑誌《言葉と文学 Slovo a slovesnost》と外国向けの紀要《TCLP(Travaux du cercle linguistique dePrague)》におもな業績が現れている。学派それ自体は52年にチェコスロバキア学士院へ改組されるが,サークルとしてスタートしたこの学派の伝統は,スカリチカ Vladim∩r Skali∴ka,バヘック J.Vachek,ホラーレック K. Hor⊂lek らの第2期のメンバーに受け継がれ,類型論,文体論,中心領域・周辺領域理論,テーマ・レーマ理論など第1期に劣らぬ隆盛をみせる。しかし,68年のソ連軍のプラハ侵入以後衰亡し,わずかに F. ダネシュ,K. ハウゼンブラス,P. ズガル,O. レシュカ,J. フィルバスらが個別に研究を発表しているにすぎない。なおこの学派には B. ハブラーネック,S. カルツェフスキーらのスラブ語の研究も多い。⇒構造言語学∥詩学[フォルマリズムに始まる詩学の発展]                      千野 栄一

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プラハ学派
I プロローグ

プラハ学派 プラハがくは Prague School 言語学史上、構造主義の古典的学派のひとつ。ボードゥアン・ド・クルトネから機能という概念を、ソシュールから構造という概念をうけつぎ、トルベツコイを中心に音韻論を創立、機能構造主義的言語学派をつくりあげた。

II ロシア勢の活躍

この学派にはチェコの言語学者ビレーム・マテジウス(1882~1945)を中心に、チェコ、スロバキア、ロシアなどの言語学者があつまった。なかでも、ヤコブソン、トルベツコイ、S.O.カルツェフスキー、P.G.ボガトゥイリョフなどのロシア勢の活躍にめざましいものがある。その最大の業績はトルベツコイの「音韻論の原理」である。

チェコの言語学者ではこの派のバックボーンであったマテジウスをはじめ、B.トゥルンカ、B.ハブラーネック、J.ムカジョフスキーが有名である。なかでもハブラーネックの文語論、ムカジョフスキーの詩の言語の理論がとりわけ重要である。

1920~30年代に学派の最盛期をむかえたプラハ学派は、第2次世界大戦後の50~60年代にも第2期の盛り上がりをみせた。マテジウスの現実分析の理論は、これまでの統語論とはちがう、旧情報・新情報の理論を発展させた。類型論のV.スカリチカ、言語と文学の接点での微妙なニュアンスをさぐったP.トゥロスト、この派の理論を広く世界に広めたJ.バヘックなどが第2期をささえた人々である。

III フォークロア研究

ヤコブソンはこの派の全時期を通じて活躍し、音韻論、詩の理論で大きく貢献した。言語学以外では、ムカジョフスキーの詩の理論や、文芸批評、ボガトゥイリョフの構造主義的フォークロア研究が有名である。

国際的なTCLP(プラハ言語学サークルの紀要)である「言葉と文学」誌(チェコ語)を中心に、プラハ学派は機能構造主義的研究で数多くの業績をのこした。だが、1990年代には再建の声もむなしく、実質上の終焉(しゅうえん)をとげつつある。

→ 言語学の「プラハ学派」

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R.ヤコブソン
ヤコブソン

ヤコブソン
Jakobson,Roman

[生] 1896.10.11. モスクワ
[没] 1982.7.18. マサチューセッツ,ケンブリッジ

  

ロシア生れのアメリカの言語学者。 1920年にチェコスロバキアのプラハに移り,プラハ学派の有力な一員として活躍。 41年アメリカに移住,ハーバード大学,マサチューセッツ工科大学などの教授をつとめた。一般言語学をはじめ言語学の非常に広い分野にわたってすぐれた業績を上げているが,特に音韻論と形態論における構造主義的方法の推進と,言語現象を広い視野でとらえる総合的学風とで知られる。また詩学の領域でも業績が大きい。8巻の著作集"Selected Writings" (1962~86) が刊行され,ほかに『小児語・失語症・一般音声法則』 Kindersprache,Aphasie und allgemeine Lautgesetze (1941) や,M.ハレ,G.ファントと共著の『音声分析序説』 Preliminaries to Speech Analysis (52) などの著書がある。





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ヤコブソン 1896‐1982
Roman Jakobson

20世紀を代表する言語学者の一人。モスクワに生まれ,1918年モスクワ大学を卒業,20年モスクワ高等演劇学校教授となったが,同年夏,プラハ駐在のソビエト外交使節団の一員として出国,以後39年までチェコスロバキアに滞在した。その間,26年にプラハ言語学派の創立に参画し副会長となったほか,33年からはブルノのマサリク大学の助教授としてロシア語学・文学および中世チェコ文学を講じた。39年ナチス・ドイツのチェコ侵略に際しデンマークに逃れ,その後ノルウェーとスウェーデンを経て,41年アメリカ合衆国に移った。42年ニューヨークの自由フランス政府設立の高等研究自由学院の教授に就任した。ここで同僚となった文化人類学者 C. レビ・ストロースと親交を結んで講義を聴講し合い,互いが知的恩恵を被ったというエピソードは有名である。43年ニューヨーク言語学派を創立,その副会長となり,45年からその機関誌《WORD》を刊行した。46年ニューヨークのコロンビア大学教授となり,49年ハーバード大学教授に転じたが,57年からはマサチューセッツ工科大学教授も兼任した。67年71歳で両大学を定年退職した後も,内外の諸大学の客員教授や学士院・アカデミーの会員として活躍し,その影響は全世界に及んでいる。
 ヤコブソンは1920年代後半から N. S. トルベツコイとともにプラハ言語学派の理論的指導者として構造言語学の最前線を開拓し,とくに音韻論の分野で画期的な業績を示したが,プラハ音韻論学派の基本的諸概念と手法の確立に果たした役割のほかに,通時音韻論への応用展開と,音素の区別・対立の根底にある有限の音響・調覚的な〈弁別特徴(弁別的特徴)distinctive features〉の存在の証明とその一般言語学への適用は,とくに彼自身に帰せられる重要な貢献である。弁別特徴は,たとえば母音性対非母音性のように相対的かつ二項的な対立で諸言語に共通・普遍的なものが多いが,全言語を通じてその数は十数種類にすぎず,個々の音韻体系の異同を弁別特徴の種類とその組合せの違いによって統一的に説明する可能性を示した功績は大きい。また,幼児の言語習得過程と失語症の症例との間に認められる密接な関係について,音素対立の基本的法則を適用して一般言語学的な説明を与えたのも,その貢献の一つである。
 形態論の分野でも,動詞の形態論的範疇や格の文法的意味の分析などの構造言語学的アプローチによる先駆的業績が多い。また,一定地域に共存する諸言語間に認められる,系統上の親縁性を超えた音韻・文法範疇・構文の類似を説明するために,トルベツコイとともに唱導した〈言語連合〉の概念は,その後大小の平行的事例が観察指摘されてその先見性が認められるようになった。ヤコブソンが情熱を傾けたもう一つの分野としては〈詩学〉すなわち詩的言語の研究があるが,通常の伝達手段としての日常的言語と異なる芸術的表現のための言語のあらわす意味論的内容と,その形式の研究をめざすこの分野には,熱心な追随者が多い。ほかにスラブ叙事詩とフォークロアおよび古代スラブ研究に関する一連の著作がある。ヤコブソンの主要著作は自選著作集(1984年現在,既刊5冊)のかたちで分野別に著者自身の補足や回顧のコメントをそえて刊行されているほか,他選の論文集も数種出版されている。
                        佐藤 純一

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トルベツコイ,N.S.
I プロローグ

トルベツコイ Nikolai Sergeevich Trubetskoi 1890~1938 ロシアの言語学者。プラハ学派の中心的学者として、構造主義的な観点から言語学の一分野としての音韻論を確立した。

モスクワ大学の哲学教授の息子としてモスクワに生まれる。モスクワ大学を卒業後、ライプツィヒ大学で比較言語学をまなんだ。1915年からモスクワ大学の私講師となり比較言語学を担当したが、ロシア革命のため、ロストフのドン大学、ソフィア大学をへて、22年にウィーン大学のスラブ語学の教授となった。38年に、ナチス(→ ナチズム)による圧迫をうけて病死した。

II 音韻論を確立

トルベツコイは、最初はフィン・ウゴル諸語、カフカス諸語、古シベリア諸語の民族学的研究や比較研究をおこなっていたが、1926年に設立されたプラハ学派に28年から参加し、その中心的なメンバーとなった。その主著「音韻論の原理」(1939。死後出版)では、単語の意味の区別に役だつ音の単位としての音素が、言語の中でほかの音素と対立するための原理を解明しようとした。トルベツコイによって、ソシュールが主張した言語の体系性という原理が音韻の研究において適用され、言語学における独立した分野としての音韻論がつくりあげられたと考えることができる。トルベツコイが音韻の分析について提出した考え方は、音韻論だけでなく、統辞論や意味論の分野の研究にも大きな影響をあたえた。音韻論と形態論の中間的なレベルとしての「形態音韻論」という分野や、地域的に近接した諸言語が同じような特徴をもつようになるという現象に関しての「言語連合」という概念もまた、トルベツコイの提案したものである。

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L.イェルムスレウ
イェルムスレウ

イェルムスレウ
Hjelmslev,Louis

[生] 1899.10.3. コペンハーゲン
[没] 1965.5.30.

  

デンマークの言語学者。 1937年コペンハーゲン大学教授。言理学の提唱者として有名。この理論は『言語理論の基礎づけについて』 Omkring sprogteoriens grundlggelse (1943) で述べられており,言語学の研究対象は,実質そのものではなく,機能をもった形式であるとする。 1931年「コペンハーゲン言語学団」 Cercle linguistique de Copenhagueを創立。 39年言語学雑誌"Acta Linguistica"を創刊。このコペンハーゲン学派は,プラハ学派,アメリカ学派とともに,ソシュール以後の構造主義言語学の三大潮流の一つとなった。その他の著作に『一般文法の原理』 Principes de grammaire gnrale (28) ,『言語-その序説』 Sproget. En introduktion (63) などがある。





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イェルムスレウ 1899‐1965
Louis Hjelmslev

デンマークの言語学者。コペンハーゲン大学比較言語学教授(1937‐65)。言理学 glossematics と称する独自の言語理論を提唱した。1931年ブレンダル Viggo Brがndal(1887‐1942)とともにコペンハーゲン言語学集団を創設し,39年《国際構造言語学雑誌 Acta linguistica》を創刊した。プラハの音韻論学派,アメリカの構造言語学派と並んで,20世紀前半の,ソシュール以後の言語学の3主流の一つを代表した。言語の内在的構造を唯一の対象とする言語学の構築を目ざし,すべての言語に共通の性質としての構造原理を明らかにすることを試みた。最も重要な業績は《言語理論序説》(1943)である。                   下宮 忠雄

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イェルムスレウ,L.
I プロローグ

イェルムスレウ Louis Hjelmslev 1899~1965 デンマークの言語学者。コペンハーゲン学派とよばれる構造言語学(→ 構造主義)の一派を設立し、「言理学」(グロセマティクス)とよばれる独自の言語理論をつくりあげた。

コペンハーゲンに生まれる。父はコペンハーゲン大学の数学教授であった。1917年にコペンハーゲン大学に入学し、比較言語学をまなんだ。26~27年のパリ留学によって、ソシュールの学説にふれることにより、一般言語理論の研究へとみちびかれた。31年に、ブレンダルとともに言語研究の学会を発足させ、これがコペンハーゲン学派となる。34~37年にオーフス大学の助教授をつとめた後、37年にコペンハーゲン大学の比較言語学の教授となった。

II 「言理学」の提唱

イェルムスレウの言理学は、ソシュールの言語理論をさらに厳密なかたちで発展させようとしたものであり、抽象的な形式としての言語を支配する原理を、実証主義的な方法によって解明することをめざした。イェルムスレウ自身、自分の言語理論がめざすところを、「言語代数学」の構築であるとのべている。言理学は、プラハ学派、アメリカ構造主義とならんで、20世紀の構造言語学において重要な位置を占めているが、理論の内容が複雑で難解であるため、現在では言理学の方法を言語研究に適用している学者は多くない。イェルムスレウの代表的な著作としては「一般文法の原理」(1928)、「言語理論序説」(1943)がある。

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言理学
言理学

げんりがく
glossematics

  

言語素論ともいう。 L.イェルムスレウの提唱した言語理論。言語の実質ではなく,純粋な形式を数学的に扱うことが言語学の課題であるとする。言語には表現 expressionの面と内容 contentの面があり,そのそれぞれに実質 substanceと形式 formがあるが,言理学は両者の formのみを扱うことになる。フランス語ではrの発音に[R],[]などが行われていて,ともに/r/に該当するが,ほんとうの言語はそのような実質ではなく,音とは関係のない図式,純粋形式なのであり,〇でも×でも一定の単位さえあればよいとする。この理論の後継者には H.J.ウルダル,E.フィッシャー=ヨアンセン,K.トウビーなどがある。





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コペンハーゲン学派
コペンハーゲン学派

コペンハーゲンがくは
Copenhagen school

  

デンマークの L.イェルムスレウ,V.ブレンダルらを中心とする構造言語学の一学派。





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V.ブレンダル
ブレンダル

ブレンダル
Brφndal,Viggo

[生] 1887
[没] 1942

  

デンマークの言語学者。 L.イェルムスレウとともにコペンハーゲン学派を創始した。構造言語学の開拓者の一人。主著『一般言語学試論』 Essais de linguistique gnrale (1943) 。





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[ブリタニカ国際大百科事典 小項目版 2008]
L.ブルームフィールド
ブルームフィールド

ブルームフィールド
Bloomfield,Leonard

[生] 1887.4.1. シカゴ
[没] 1949.4.18. ニューヘーブン

  

アメリカの言語学者。シカゴ大学,エール大学教授。インド=ヨーロッパ語族,特にゲルマン語派の比較言語学的研究から出発,青年文法学派から強い影響を受ける。次にタガログ語や,アルゴンキン=ワカシュ語族のメノミニ語,クリー語の記述研究に手を伸ばし,それらの実践研究の経験と,行動主義心理学の影響とから,客観的データのみに基づき帰納的方法で言語現象を分析していこうとする方法論を確立した。『言語』 Language (1933) は特にこの方法論により多大な影響をアメリカの言語学者に与え,アメリカ学派あるいは新ブルームフィールド学派と呼ばれる学派が形成された。





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ブルームフィールド 1887‐1949
Leonard Bloomfield

アメリカの言語学者。シカゴ出身。人類学者 F. ボアズとその門弟の言語学者 E. サピアとともにアメリカ構造言語学の基礎をすえた。シカゴ大学で博士の学位を得た後,1913‐14年にドイツに留学,比較言語学者レスキーン August Leskien(1840‐1916),K. ブルクマンらの下で青年文法学派の史的言語学を修めた。のち,イリノイ大学,オハイオ州立大学を経て,シカゴ大学のゲルマン文献学教授(1927‐40),イェール大学の言語学教授(1940‐49)を歴任した。主著《言語 Language》(1933。イギリス版1935)によりアメリカ構造言語学の指導者と目され,彼の理論の追随者はもちろん,批判,修正を試みた者も彼の影響を免れなかったから,アメリカ言語学史上1933‐57年の期間を〈ブルームフィールド時代〉と呼ぶこともある。彼はサピアの心理主義,F. de ソシュールの直観にあきたらず,言語学を自然科学的な厳密な実証主義の上に築こうと試み,当時の行動主義心理学の考え方を取り入れて,人間の行動を時空の中に観察しうる現象,刺激と反応の関係としてとらえ,その一環として言語を客観的に記述すべきことを主張し,厳密な方法論と形式による分析を重視した。記述の基本的単位として音素と形態素を立て,前者を音韻構造上の,後者を文法構造上の最小単位とした。意味の記述にも厳密な方法論を要求したが,それに伴う困難に彼が言及していることもあって,30~40年代のアメリカ言語学界の大勢は意味研究を棚上げにし,〈ブルームフィールド後派Post‐Bloomfieldian〉の言語学者の中には形式分析に徹し,極端な機械論に走る者も出た。
                      大束 百合子

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ブルームフィールド,L.
I プロローグ

ブルームフィールド Leonard Bloomfield 1887~1949 アメリカの言語学者。厳密な科学的手段によって言語を分析する方法を提示し、アメリカ構造言語学とよばれる言語学の学派の理論的指導者となった。

シカゴに生まれる。1906年にハーバード大学を卒業した後、ウィスコンシン大学とシカゴ大学の大学院でインド・ヨーロッパ語比較言語学(→ インド・ヨーロッパ語族:比較言語学)をまなび、09年にシカゴ大学から博士号を取得した。13年から1年間、ドイツのライプツィヒ大学とゲッティンゲン大学で、比較言語学を専門的に研究した。イリノイ大学、オハイオ州立大学をへて、27~40年はシカゴ大学のゲルマン語(→ ゲルマン語派)文献学教授、40~49年はエール大学の言語学教授をつとめた。24年のアメリカ言語学会創立に際しては、中心的な役割をはたしたメンバーのひとりであった。

II 言語分析の基礎をきずく

ブルームフィールドは、インド・ヨーロッパ語比較言語学だけでなく、フィリピンのタガログ語(→ フィリピノ語)やアメリカ先住民の諸言語のひとつであるアルゴンキン語族の記述研究、さらには英語教育の分野での幅広い業績がある。しかし、言語学に対する最大の貢献は、主著「言語」(1933)においてしめされた、厳密な方法にもとづく実証主義的言語分析のための理論である。ブルームフィールドの主張した、音の抽象的単位としての音素(→ 音韻論)や、意味をもつ最小単位としての形態素(→ 形態論)という概念は、現代においても言語分析の基礎となっている。ブルームフィールドの言語理論は、サピアの学説とともに、アメリカ構造言語学の理論的支柱となり、1950年代後半にチョムスキーの言語理論が登場するまでアメリカの言語学界を支配していた。

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ゲルマン語派
ゲルマン語派

ゲルマンごは
Germanic languages

  

インド=ヨーロッパ語族の一つの語派。現代語では英語,ドイツ語,オランダ語,フリースラント語 (フリジア語) ,デンマーク語,ノルウェー語,スウェーデン語,アイスランド語などが含まれる。グリムの法則と呼ばれる子音推移がゲルマン祖語の時代に起ったことで特徴づけられる。従来,北ゲルマン語群 (ノルウェー語,スウェーデン語,デンマーク語,アイスランド語) ,東ゲルマン語群 (死語のゴート語,バンダル語など) ,西ゲルマン語群 (さらに英語,フリースラント語のグループとドイツ語,オランダ語のグループに分けられる) の3分法が支配的であったが,西ゲルマン語群内に不一致な点があることなどから,最近は系統関係が考え直され,まだ定説をみない。





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ゲルマン語派
ゲルマンごは Germanic

インド・ヨーロッパ語族の中の一語派であり,一般的には東ゲルマン語,北ゲルマン語(ノルド語),西ゲルマン語の三つに区分される。
 東ゲルマン語には,1世紀の初め頃にすでにオーデル川の東に住んでいた,ゴート族,バンダル族,ブルグント族,ルギ族,ゲピード族などの東ゲルマン人の言語が属するが,文献として残されているのはゴート語のみであり,他は若干の固有名詞を残しているにすぎない。東ゲルマン語は現在では死語となっている。北ゲルマン語には,北欧の地で6世紀ころまで均一であったノルド基語が分化してできた,現在のアイスランド語,ノルウェー語,フェロー語,スウェーデン語,デンマーク語が属している。西ゲルマン語はエルベ・ゲルマン人,ウェーザー・ライン・ゲルマン人,北海ゲルマン人の三つの部族集団の言語を総称したものである。特にこの中で,北海ゲルマン人に属するアングル族,サクソン族,フリース族などの諸部族の言語は,(1)開音節において a が ず,e に変化する,(2)鼻音 n,m が無声摩擦音の前で,先行する母音の延長を伴い脱落する,などの一連の言語変化によって,北海ゲルマン語という一つのまとまりを形成するようになった。そこで,アングル族,サクソン族などの大陸からブリタニアへの移住や,大陸の諸部族の統合による国家形成の時代には,ドイツ中南部に古高ドイツ語,そして北海ゲルマン語として,北海域には古英語,古フリジア語,古サクソン語が成立した。現在,ドイツ語,オランダ語,英語,フリジア語が西ゲルマン語に属している。
 インド・ヨーロッパ語族に属する他の諸言語に対するゲルマン語のおもな特徴は,次の通りである。音韻の面で,(1)アクセントの位置が語の最初の音節に固定される,(2)ゲルマン語音韻推移が起こる(〈グリムの法則〉の項を参照),(3)インド・ヨーロッパ共通基語の母音*o,*´(*は措定形であることを示す)がそれぞれ a,ヾ になる。文法の面では,(1)動詞組織において強変化動詞,弱変化動詞の2種類の動詞の区別がある,(2)形容詞の変化に強変化,弱変化の区別がある,などの現象が存在する。また語彙の面では,ゲルマン語の基本的な語彙の約1/3はインド・ヨーロッパ語起源のものではなく,その中には特に,〈船,マスト,海流,方位〉などの航海・海洋に関する語が多く含まれているという特徴がある。また古い時代の借用語としては,ゲルマン諸語の分化以前に,ケルト語(ケルト語派)から〈支配者,召使,誓い,秘密〉などの語が,また分化後にはゲルマン諸語に共通のものとして,ラテン語から〈ワイン,ポンド,商う〉など文化・通商に関する語が取り入れられた。
 東ゲルマン語,北ゲルマン語,西ゲルマン語は,分化の後も,その独自性と並んで,お互いに共通性をもっている。東ゲルマン語と北ゲルマン語の間には,音韻の面で,(1)ゲルマン共通基語の*‐jj‐が母音の間で‐ggj‐(ゴート語‐ddj‐)になる。例,ゴート語 twaddj^(twai〈2〉),古アイスランド語 tveggja,古高ドイツ語 zweio。(2)同様にゲルマン基語の*‐ww‐が‐ggw‐になる。例,ゴート語triggws〈誠実な〉,古アイスランド語 tryggr,古高ドイツ語 gitriuwi。また文法の面で,(1)過去二人称単数形の語尾として t が現れる。例,ゴート語namt(niman〈取る〉),古アイスランド語 namt,古高ドイツ語 n´mi。(2)弱変化動詞においてある状態への移行を表す,‐nan で終わる動詞の組が存在する。例,ゴート語 ga‐waknan〈目ざめる〉,古アイスランド語 vakna,などの共通性がある。
 北ゲルマン語と西ゲルマン語の間には,音韻の面で,(1)ゲルマン共通基語の*^[ズビ:]が ´ になる。例,ゴート語 l^tan〈~させる〉,古アイスランド語 l´ta,古高ドイツ語 l´zan。(2)z が r になる。例,ゴート語 maiza〈より大きい〉,古アイスランド語 meiri,古高ドイツ語 m『ro。(3)ウムラウトが生じる。例,ゴート語 satjan〈座らせる〉,古アイスランド語 setja,古高ドイツ語 sezzen などの共通性がある。                   斎藤 治之

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ゲルマン語派
ゲルマン語派 ゲルマンごは Germanic Languages インド・ヨーロッパ語族の下位語派。ヨーロッパ北部・西部、北アメリカ、南アフリカ、オーストラリアに4億8000万人以上の話し手がいる。その構造と発展から3つの派にわけられる。(1)東ゲルマン語。ゴート語が代表的な言語だが、すべて死語となった。(2)北ゲルマン語、またはスカンディナビア語。西群はアイスランド語、ノルウェー語、フェロー語(アイスランド語と西ノルウェー語諸方言の中間)。東群はデンマーク語とスウェーデン語。(3)西ゲルマン語。アングロ・フリージア群は英語とフリース語。ネーデルラント・ドイツ群はオランダ語、オランダ・フラマン語、低地ドイツ語諸方言、アフリカーンス語、ドイツ語、高地ドイツ語、イディッシュ語。

→ グリムの法則:ルーン文字

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グリムの法則
グリムの法則

グリムのほうそく
Grimm's law

  

ゲルマン語派を特徴づける子音推移を示す法則で,ドイツの言語学者 J.グリムが 1822年に定式化した。印欧祖語の閉鎖音が,ゲルマン諸語では次のように変化したというもの。p,t,k→f,,x; b,d,g→p,t,k; bh,dh,gh→b,d,g。ただし,f,,xとなるのは,語頭か語中のアクセントの直後にある場合だけで,その他の場合にはb,d,gとなることが,のちに K.ウェルネルによって発見され,これはウェルネルの法則と呼ばれる。上にあげた変化はゲルマン語派の第1次子音推移と呼ばれ,紀元前,まだゲルマン諸語が分化しないうちに起きた現象である。





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グリムの法則
グリムのほうそく

J. グリム(グリム兄弟の兄)と同時代のデンマークの言語学者 R. K. ラスクによってすでに確認されていたインド・ヨーロッパ諸語(インド・ヨーロッパ語族)とゲルマン語(ゲルマン語派)の間の子音の規則的対応を,グリムが定式法則化したもの。グリム自身はこの規則的対応を音韻推移(ゲルマン語音韻推移)と名づけたが,グリムの名にちなんでグリムの法則とも呼ばれる。この法則によれば,インド・ヨーロッパ諸語(具体的にグリムが取り上げたのはギリシア語)とゲルマン語の間には次のような子音の対応が存在する。(1)インド・ヨーロッパ語の有声閉鎖音 b,d,g はゲルマン語で無声閉鎖音 p,t,k になる。例:ギリシア語 deka‐英語 ten;ギリシア語 gonu‐英語 knee(b と p の対応については適切な例がない)。(2)インド・ヨーロッパ語の無声閉鎖音 p,t,k はゲルマン語で無声摩擦音 f,th[θ],h になる。例:ギリシア語 pat^r‐英語 father;ギリシア語 treis‐英語 three;ギリシア語 kardia‐英語 heart。(3)インド・ヨーロッパ語の有声帯気音 bh,dh,gh(具体的にグリムが取り上げたギリシア語では有声帯気音は無声帯気音ph,th,kh となっている)はゲルマン語で有声摩擦音 く,ぐ,け になり,さらに語頭などでは有声閉鎖音 b,d,g になる。例:ギリシア語 pherヾ‐英語bear;ギリシア語 thugat^r‐英語 daughter;ギリシア語 ch^n‐英語 goose。グリムはこれらの対応から,I 有声音,II 無声音,III 帯気音の3系列が I→II,II→III,III→I,……というぐあいに輪を描きずれていくと考え,インド・ヨーロッパ諸語とゲルマン語との間に見られる音の対応を音の移動,つまり音韻推移と呼んだ。しかし,このような循環的な音の推移という考えは実際の変化とは相違するところがあることがわかっている。⇒比較言語学
                        斎藤 治之

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グリムの法則
グリムの法則 グリムのほうそく Grimm's Law ドイツの言語学者ヤーコプ・グリム(→ グリム兄弟)によって1822年に定式化された音の変化についての法則。この法則は、ゲルマン語子音推移と高地ドイツ語子音推移といわれる音の変化の2つの段階を定義している。最初の段階は前2000~後200年におこり、英語もふくむゲルマン諸語のある種の子音群が、インド・ヨーロッパ祖語のこれに対応する子音群から生じた。第2の段階は500~700年に、ドイツ南部で話されていた高地ドイツ語の諸方言におこった。この高地ドイツ語に由来するのが、現代ドイツ標準語である。

グリムの法則によれば、祖語の無声子音p、t、kは、英語の無声子音f、th、h、古高地ドイツ語のf、d、hに変化した。したがって、インド・ヨーロッパ語族に属する初期の言語としてラテン語を例にとれば、ラテン語のpaterは英語ではfather、古高地ドイツ語ではFater(現代ドイツ語ではVater)になった。さらにまた、祖語の有声子音b、d、gは、英語ではp、t、k(たとえばラテン語のdensは英語のtoothに対応)になり、古高地ドイツ語ではp、t、k、hになった。

グリムの法則は、古代ゲルマン語が英語、オランダ語、低地ドイツ語などの現代の諸語に発達するさまをしめしてくれる。またあるひとつの言語または言語集団における変化は段階的に生じるもので、単語がでたらめに変化した結果おこるのではないこともおしえてくれる。グリムの研究の基礎となったのは、デンマークの言語学者ラスムス・ラスクが1818年にあらわした、古ノルド語の起源に関する論考である。グリムの業績は、デンマークの言語学者カルル・ベルネルによって定式化された、強勢の位置が変化に関係するという説明によってさらに補完された。

→ ドイツ語

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ウェルネルの法則
ウェルネルの法則

ウェルネルのほうそく
Verner's law

  

デンマークの言語学者 K.A.ウェルネルが 1875年に発表した音韻法則。印欧祖語のp, t, kは,語頭の場合,および祖語時代のアクセントがその直前にある場合に限ってゲルマン語でf, , xとなり,祖語時代のアクセントがそれ以外の位置にあった場合には,f, , xはさらに有声化してb, , g に変った,というもの。たとえば,「父」の意味のラテン語 pater,ギリシア語 に対応するゴート語は fadar (dは の音) で,faarではないが,これはアクセントがあとの音節にあったためである。ウェルネルの法則はグリムの法則を修正する法則の一つである。類似の現象は exhbit : exhibtion,excutive : executeなどの[z]:[ks]の相違にもみられる。





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