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言語学・ゲームの結末を求めて(その7) [宗教/哲学]


インド=ヨーロッパ語族
インド=ヨーロッパ語族

インド=ヨーロッパごぞく
Indo-European languages

  

印欧語族。歴史時代の初めから東はインドから西はヨーロッパ大陸にわたって広く分布した,多くの言語を含む一大語族。現代語では,英語,フランス語,スペイン語,ドイツ語,ロシア語などの有力な言語がこれに属する。インド=イラン,アルメニア,ギリシア,アルバニア,イタリック,ケルト,ゲルマン,バルト,スラブの各語派に下位区分され,これらはいずれも現代まで生残った言語を含んでいる。ほかに,20世紀に入って文献が発見されたヒッタイト語とトカラ語があり,それぞれ独立の語派をなすが,いずれも死語である。 19世紀以降,厳密な比較文法による研究が続けられ,複雑な屈折や派生の体系をもつ祖語の形がかなりよく再構されている。前 3000年頃に,この祖語が行われていたものと推定されている。なお,ドイツの学者は好んでインド=ゲルマン語族の名を用い,一部の学者によってインド=ヒッタイト語族の名も用いられることがある。古くは,アーリア語族の名も用いられた。





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インド・ヨーロッパ語族
インドヨーロッパごぞく Indo‐European

印欧語族ともいう(以下便宜上この名称を用いる)。古くはアーリヤ語族 Aryan という名称も用いられたが,これはインド・イラン語派の総称で,印欧語族については不適当である。インド・ゲルマン語族の名は,ドイツ語で今日もなお慣用となっている Indo‐Germanisch に由来する。この名称は,東のインド語派と西のゲルマン語派をこの大語族の代表とみる考え方に基づいてつくられたものであるが,ドイツ語以外では使用されない。
 この語族に属するおもな語派はインド,イラン,トカラ,ヒッタイト,ギリシア,イタリック,ケルト,ゲルマン,バルト,スラブ,アルメニア,アルバニアであるが,このほか古代の小アジアとその他の地域に少数の言語が印欧語として認められている。これらの語派の分布は,東は中央アジアのトカラ語からインド,イラン,小アジアを経て,ヨーロッパのほぼ全域に及んでいる。現在のヨーロッパではイベリア半島のバスク語,これとの関係が問題にされているカフカス(コーカサス)の諸言語,それにフィンランド,ハンガリーなどフィン・ウゴル系の言語がこの語族から除外されるにすぎない。この広大な分布に加えて,その歴史をみると,前18世紀ごろから興隆した小アジアのヒッタイト帝国の残した楔形(くさびがた)文字による粘土板文書,驚くほど正確な伝承を誇るインド語派の《リグ・ベーダ》,そして戦後解読された前1400‐前1200年ごろのものと推定される線文字で綴られたギリシア語派(〈ギリシア語〉参照)のミュケナイ文書など,前1000年をはるかに上回る資料から始まって,現在の英独仏露語などに至る,およそ3500年ほどの長い伝統をこの語族はもっている。これほど地理的・歴史的に豊かな,しかも変化に富む資料をもつ語族はない。この恵まれた条件のもとに初めて19世紀に言語の系統を決める方法論が確立され,語族という概念が成立した。印欧語族は,いわばその雛形である。
[分化の過程]  印欧諸語は理論的に再建される一つの印欧共通基語(印欧祖語ともいう)から分化したものであるから,現在では互いに別個の言語であるが,歴史的にみれば互いに親族の関係にあり,それらは一族をなすと考えられる。これは言語学的な仮定であり,その証明には一定の手続きが必要である。ではどのようにして一つの言語が先史時代にいくつもの語派に分化していったのか。その実際の過程を文献的に実証することはできない。資料的にみる限り,印欧語の各語派は歴史の始まりから,すでに歴史上にみられる位置についてしまっていて,それ以前の歴史への記憶はほとんど失われている。したがって共通基語から歴史の始まりに至る過程は,純粋に言語史的に推定する以外に再建の方法はない。
 しかし印欧語族のなかには,歴史時代に分化をとげた言語がある。それはラテン語である。ラテン語はイタリック語派に属する一言語であったが,ローマ帝国の繁栄とともにまず周辺に話されていたエトルリア語やオスク・ウンブリア語などを吸収した。そして政治勢力の拡大に伴って,ラテン語の話し手はヨーロッパ各地に侵入し,小アジアにも進出した。その結果,西はイベリア半島からガリア,東はダキアの地において彼らは土着の言語を征服し,住民たちは為政者の言葉であるラテン語を不完全ながらも徐々に習得しなければならなかった。こうして各地のそれぞれに異なる言語を話していた人々がラテン語を受け入れ,それを育てていった結果,今日ロマンス語と総称される諸言語,フランス,スペイン,ポルトガル,イタリア,ルーマニアの諸語が生成したのである。今日ではこれらの言語は互いにかなり違っている。それはおのおのの歴史的な過程の差の表れである。しかし一方では,ラテン語という一つの親をもつ姉妹であるから,類似も著しい。このように,一つの言語が広い地域にわたって他の言語を征服し,分化していくという事実をみると,印欧語の場合にも先史時代に小規模ながらラテン語に似た過程が各地で繰り返されて,歴史上に示されるような分布が実現したと考えられる。
[英語とドイツ語]  この語族に属する言語をみると,現在の英語とドイツ語でもかなりの違いがある。この二つの言語はともにゲルマン語に属し,なかでもとりわけ近い関係にある。にもかかわらず差が目だつのは,一つは語彙の面であり,他は文法の面である。語彙の面の差の大きな原因は,英語が大量にフランス語を通じてラテン系の語彙を借り入れたためで,一見すると英独よりも英仏の関係のほうが密接に思われるほどである。この借用は,ノルマン・コンクエスト以降中世に長い間イギリスでも,フランス語が公に使われていたという歴史的事情によるものであるから,いわば言語外的な要因による違いといえよう。これに対して主として音韻,文法の面の違いは,それぞれの言語内の自然の変化の結果である。最も著しい違いは,英語には名詞,形容詞の性別も,格変化もほとんどみられないし,動詞も三人称単数現在形の‐s 以外は,とくに人称語尾というものがない。またその法にしても,ドイツ語の接続法という独立の範疇は英語にはみられない。英語のhorse という形は,文法的には単数を表すだけで,ドイツ語の Pferd のように中性とか主格,与格,対格の単数という文法的機能を担っていない。I bring の bring は,ドイツ語の ich bringe のbringe のもつ,一人称・単数・現在・直説法という規定のいくつかを欠いている。しかしそのことは,英語の表現のうえでなんら支障をきたさない。英語からみればむしろドイツ語のほうが,一つの形に余分な要素をつけている。たとえば,ichbringe で ich=I といえば,すでに一人称の表現であるから,bringe の‐e は無用だともいえよう。しかし言語には常にこうした不合理な要素が存在していて,話し手がそれを人為的に切り捨てることはできない。英語もずっと歴史をさかのぼると,同じ表現にドイツ語と同じような多くの文法的な機能をもった形を使っていた。このように,名詞や動詞の一つの形のなかに,さまざまな文法的な働きがその意味とともに組み込まれていて,それらを切り離すことのできない型をもった言語,それが印欧語の古い姿であった。したがって現在の英語のような形は,他の言語と比較すれば明らかなように,印欧語のなかではむしろ特異な例であり,それだけ強い変化を受けてきたのである。またこうした文法面での形の一致がえられるところに,印欧語族の系統を確認する重要な鍵があったということができる。ラテン語の eヾ Romam,Romam eヾ〈わたしはローマに行く〉を英語の I goto Rome と比較すれば,英語が表現のうえでより分析的になっていることがわかる。そのかわり,英語のほうが語順が固定的である。ラテン語のように六つの格と動詞の人称変化とをもつ言語では,個々の形が文法的機能をはっきりと指示することができるから,語順にはより自由が許されている。
[変化のなかでの伝承]  印欧諸語の分布は歴史とともにかなり変動している。先史時代から現在までえんえんと受け継がれてきた言語も多いが,すでに死滅してしまったものもある。前2000年代の小アジアでは,今日のトルコの地にヒッタイト帝国が栄え,多量の粘土板文書を残したが,その言語は南のルビア語とともに死滅した。その後も小アジアには,リュキア,リュディア,フリュギアとよばれる地からギリシア系の文字を使った前1000年代の中ごろの碑文が出土し,互いに異なる言語だが印欧語として認められている。フリュギア語だけは,別に紀元後の碑文をももっている。またギリシア北部からブルガリアに属する古代のトラキアの地にも壱少の資料があるが,固有名詞以外にはその言語の内容は明らかでない。またイタリア半島にも,かつてはラテン語に代表されるイタリック語派の言語以外に,アドリア海岸沿いには別個の言語が話されていた。なかでも南部のメッサピア語碑文は,地名などの固有名詞とともにイタリック語派とは認められず,かつてはここにイリュリア語派 Illyrian の名でよばれる一語派が想定されていた。しかし現在ではこの語派の独立性は積極的には認められない。このほか死滅した言語としては,シルクロードのトゥルファンからクチャの地域で出土した資料をもつトカラ語,バルト語派に属する古代プロイセン語,ゲルマン語のなかで最も古い資料であるゴート語などがある。ケルト語派は現在ではアイルランド,ウェールズ,それにフランスのブルターニュ地方に散在するにすぎず,その話し手も多くは英語,フランス語との二重言語使用者であるから,ゲルマン,ラテン系の言語に比べると,その分布は非常に限られている。しかし前1000年代には中部ヨーロッパに広く分布する有力な言語であったことは,古代史家の伝えるところである。
 これらの変動に伴ってどの言語も多くの変化を受け,その語彙も借用などによって入替えが行われた。ヒッタイト語のように古い資料でも,その言語の語彙の2割ほどしか他の印欧語に対応が求められず,大幅な交替を示している。にもかかわらず現在の英語でも,基本的な数詞(表)以外に変化を受けつつも共通基語からの形の伝承と思われる語彙も少なくない。father,mother,brother,sister,son,daughter,nephew,niece という親族名称,cow,wolf,swine,mouse などの動物名,arm,heart,tooth,knee,foot という身体の部分名のほか horn,night,snow,milk,動詞では is,was,know などはその典型である。⇒比較言語学                     風間 喜代三

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インド・ヨーロッパ語族
I プロローグ

インド・ヨーロッパ語族 インドヨーロッパごぞく Indo-European Languages 世界でもっとも広い地域で話されている語族で、以下の下位語派をふくむ。アルバニア語、アルメニア語、バルト語派、ケルト語派、ゲルマン語派、ギリシャ語、インド・イラン語派、イラン語派、イタリック語派(ロマンス諸語をふくむ)、スラブ語派、および2つの死語アナトリア語派(ヒッタイト語をふくむ)とトカラ語派。今日、約10億6000万人がインド・ヨーロッパ諸語を話している。

II 語族の確立

これらの多様な諸言語が単一の語族に属するという証拠は、主として18世紀後半から19世紀前半にかけての50年間にあつめられた。当時未解読のヒッタイト語をのぞいて、インド・ヨーロッパ語族の中でもっとも古いサンスクリットと古代ギリシャ語の膨大な文献が、基本的なインド・ヨーロッパ語の特徴をのこしており、共通の祖語があると考えられた。

1800年までには、インドやヨーロッパにおける研究によってサンスクリットと古代ギリシャ語とラテン語の密接な関係が証明された。その後、インド・ヨーロッパ祖語が推定され、その音と文法、この仮定的言語の再構、そしてこの祖語の個々の言語への分岐時期などについての具体的な結論がみちびきだされてきた。たとえば、前2000年ごろにはギリシャ語、ヒッタイト語、サンスクリットはすでに別個の言語だったが、それより1000年前には同一に近いものであったろうと思われるくらいの違いしかなかった。

ヒッタイト語は文献解読によって1915年にインド・ヨーロッパ語と確定し、中世期中国のトルキスタンで話されたトカラ語は1890年代に発見されて、1908年にインド・ヨーロッパ語と確定した。これによって、語族の発展とインド・ヨーロッパ祖語の大まかな性格がしだいにわかってきた。

初期のインド・ヨーロッパ語研究によって、比較言語学の基本となる多くの原則が確立された。もっとも重要な原則は、グリムの法則やベルネルの法則が証明するように、親縁関係をもつ諸言語の音は、一定の条件下ではある程度きまった対応をしめすということである。たとえば、インド・ヨーロッパ語族のアルバニア、アルメニア、インド、イラン、スラブ、そして部分的にバルトなどの下位語派では、インド・ヨーロッパ祖語の再構音qがsや?(shの音)のような歯擦音になっている。同様に「100」をあらわす単語が、ラテン語ではcentum(kentumと発音)となり、アベスター語(古代イラン語)ではsatemとなる。以前には、これをもってインド・ヨーロッパ諸語をcentumを使用する西派とsatemを使用する東派にわける考えがあったが、最近ではこのように機械的に2派にわけることには批判的な学者が多い。

III 発展

インド・ヨーロッパ諸語の発展につれて、数や格によって語形をかえる屈折はしだいに衰退していった。インド・ヨーロッパ祖語は、サンスクリット、古代ギリシャ語、アベスター語などの古代語のように屈折を多用していたと思われるが、英語、フランス語、ペルシャ語などの現代語は、前置詞句や助動詞をもちいた分析的な表現へとうつっている。屈折形の衰退は、おもに語末音節がなくなったためで、そのため、現代のインド・ヨーロッパ諸語の単語は、インド・ヨーロッパ祖語の単語より短い(→ 屈折語)。また、多くの言語は、新しい形式や文法上の区別を生みだしており、個々の単語の意味も大きく変化してきている。

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ヒッタイト語
ヒッタイト語

ヒッタイトご
Hittite language

  

小アジアにあった古代ヒッタイト王国の言語。 20世紀の初頭,トルコのボガズキョイで発見された楔形文字の文書によって知られ,1917年チェコの B.フロズニーによって解読され,インド=ヨーロッパ語族に属することが証明された。再構される印欧共通祖語に近い形を多く保っているので,共通祖語とほぼ同じ時代の古い言語で,共通祖語と並ぶ位置にあると考え,インド=ヒッタイト語族を設定する学者もあるが,一般には,インド=ヨーロッパ語族中の一語派とされている。なお,ヒッタイト象形文字と呼ばれる一種の象形文字で書かれた前8世紀頃と推定される碑文も小アジアで発見されているが,これはルウィ語と関係があるらしい。





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ヒッタイト語
ヒッタイトご Hittite

ヒッタイト語は,ルウィ語,パラ語,リュキア語とともにインド・ヨーロッパ語族のアナトリア語群を形成する。1906年来のドイツ隊によるトルコ中部ボアズキョイの発掘で出土した粘土板文書の多くは,ヒッタイト語で記されており,1916‐17年,チェコの B. フロズニーによって解読された。解読以来,ヒッタイト語という名称が一般的に用いられているが,文書では,〈ネシャ語で〉と記されている。
 ヒッタイト語は,インド・ヨーロッパ語の中でも,最も早期に分化したものといわれ,前3千年紀の前半,遅くとも前2500年ころには,原住地から離れたヒッタイト族とともに移動したものと考えられる。アナトリアでヒッタイト語の痕跡が最初に認められるのは,キュルテペ(カニシュ)の Ib 層(前18世紀)の古アッシリア商業文書中にある,i$patalu(〈夜の宿〉の意,ヒッタイト語 i$pant‐〈夜〉)。i$hiuli(〈“一種の”賃金契約〉の意,ヒッタイト語 i$hiul〈契約〉)といった語彙に見いだされる。ヒッタイト語は,古ヒッタイト語(前1650ころ?‐前1450ころ?)と新ヒッタイト語(前1450ころ?‐前1200ころ)に大別されるが,その中間に中ヒッタイト語も存在していたとする学説もある。名詞は,単数で8格が認められており,性は,男性と女性を区別しない両性と中性がある。また動詞には,mi‐と hi‐の2種の活用変化形があり,能動態と中動態が区別される。時制は現在と過去のみで,現在は同時に未来をもあらわす。話法には直接法と命令法があり,他のインド・ヨーロッパ語に見られる仮定法,願望法を欠いている。数は単数と複数で,両数は認められない。構文の特徴は,インド・ヨーロッパ語のそれをよく示しているが,語種の点では他のインド・ヨーロッパ語と著しく異なっている。おそらく,アナトリアへ移動してきたヒッタイト族,ルウィ族が少数であったうえに,侵入と同時にインド・ヨーロッパ語とまったく異なるハッティ語,フルリ語,セム系言語の強い影響を受けたためと思われる。⇒ヒッタイト文字                     大村 幸弘

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ヒッタイト語
ヒッタイト語 ヒッタイトご Hittite Language 消滅したヒッタイト文明の言語で、インド・ヨーロッパ語族に属する。小アジアのハッティとよばれた地域にある遺跡で発掘された粘土版の楔形文字文書にのこる。

ヒッタイト語は、ルウィ語、パラ語(すべて前1000年以前の記録をもつ)、リュディア語、リュキア語(両者とも前500~前200年ごろの記録をもつ)とともに、インド・ヨーロッパ語族のアナトリア語派を形成する。

パラ語はハッティの北のパラという国で、ルウィ語はハッティの西のアルザワという国とハッティの南のキリキアで、また、リュディア語はアナトリア北西部、リュキア語(ルウィ語の系統をひく)は南西部で、それぞれ話されていた。ヒッタイト人自身は自分たちの言語を、彼らが最初に移住したネサという町(現トルコのカイセリの遺跡付近)にちなんで、ネシャ語とよんでいた。

楔形文字によるヒッタイト語文献は、前1600年にさかのぼり、どのインド・ヨーロッパ語よりも古い記録である。ヒッタイト語がインド・ヨーロッパ語であるとの確定は、1915年にはじめてチェコの東洋語学者フロズニーによってなされ、上記諸語の確定もさらに最近になってのことである。アナトリア語派がほかのどの言語よりも先にインド・ヨーロッパ祖語から分岐したのか、それとも最初に分岐した諸語のうちのひとつなのかについてはまだ確定していない。

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ボガズキョイ
ボガズキョイ

ボガズキョイ
Boazkoy

  

トルコ,アンカラ東方 144kmにあるヒッタイトの王宮址。ヒッタイト王国の首都 (ハットゥシャシュ) の遺跡で知られる。 20世紀初頭から発掘が行なわれ,建造物では大神殿址や城塞のほか,楔形文字板などの遺物が発見された。 1986年世界遺産の文化遺産に登録。





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ボアズキョイ
BogazkÅy

トルコ中央部,アンカラの東約200kmにある,前16世紀から前1200年ころまでヒッタイト王国の首都であったハットゥサ rattu$a の遺跡名。ほとんど完全に忘れられていたヒッタイトの存在を,発掘によって確認した。1834年の発見以来ボガズキョイと呼ばれることが多いが,遺跡名のもとになった村は,ボアズカリ Bogazkale が現在の正式名称である。ドイツのウィンクラー H. Winkler が1906‐12年に約1万枚の粘土板を発掘し,フロズニー B.Hrozn∀ らによる解読の結果,ヒッタイト語のインド・ヨーロッパ語族への帰属が確認されて以来,欧米の学者が彼らの祖先の最古期にあたる歴史の解明と故地究明への手がかりを求めて,異常なまでのまなざしを向けている遺跡である。1931年以来,ドイツのビッテル K. Bittel によって組織的な発掘が続けられている。
 遺跡は肥沃な河谷平野をのぞむ山麓の起伏の多い丘の上にあり,前1900年ころに存在したアッシリア商人の居留区カールム k´rum の跡に建設された都市で,北と南の二つの部分からなる。早く建設が始まった北部は,北西から南東まで約1200mにわたって丘のまわりに不整形な城壁をめぐらし,南東部の城壁沿いに王城がつくられており,その一部に粘土板が発見された王室記録文書室があった。北部の中央で発見された大神殿は,80以上の倉庫をめぐらした中庭のある2内陣からなり,他に類のない建造物である。聖職者の居住区が隣接する。北部より広い南部は前14世紀に拡大され,全域の面積は約120haになった。1世紀のち,北部は北東にもさらに拡張された。南部には4神殿があり,塔をもつ厚い城壁に囲まれ,3門が設けられた。それぞれの門に表された浮彫から,東は王門,南はスフィンクス門,西はライオン門と呼ばれている。スフィンクス門の下には長さ71mの間道があって,城壁の内と外とをつなぎ,通用門や出撃門として使われていた。
                        小野山 節

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服部四郎
I プロローグ

服部四郎 はっとりしろう 1908~95 言語学者。日本語、アイヌ語、アルタイ諸語などの記述的研究をおこなうと同時に、独自の一般言語学理論を確立することによって、日本の言語学を指導した。

三重県亀山市に生まれ、1931年(昭和6)東京帝国大学文学部言語学科を卒業したのち、36年まで大学院に在籍した。その間、旧満州国に留学して、アルタイ諸語の研究に従事している。42年より東京帝国大学文学部言語学科助教授、49年には教授となり、69年の定年退官までその職にあった。72年日本学士院会員となり、83年文化勲章を受章。

II 日本語を体系的に探究

服部四郎は、モンゴル語や満州語などのアルタイ諸語、およびアイヌ語、琉球語などの記述的研究を精密な方法をもちいておこなった。と同時に、日本語の音韻(→ 音韻論)や意味を体系的に記述するための理論を探究した。「音声学」(1951)や「音韻論と正書法」(1951)などの著作、論文集「言語学の方法」(1960)などは、現代でも日本の言語学の研究者にとって重要な参考文献である。古代日本語の音韻や日本祖語に関する論考、さらには琉球語と日本語の同系性の証明などの業績もある。日本の言語学に独自の性格をあたえ、世界的水準にまで高めるためにはたした功績は大きく、東京大学在任中だけでなく、退官後に設立した東京言語研究所においても多くの優秀な後進をそだてた。

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楔形文字
B.フロズニー
フロズニー

フロズニー
Hrozn,Bedich

[生] 1879.5.6. リサーナドラベム
[没] 1952.12.18. プラハ

チェコの東洋学者,言語学者。プラハ大学教授。アッシリア学を専門としたが,インド=ヨーロッパ語族の研究にも手を染め,ヒッタイト語の楔形文字の解読に成功し,それがインド=ヨーロッパ語族に属することを突止めた。『ヒッタイト人の言語』 Die Sprache der Hethiter (1916) は,その研究結果。



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フロズニー 1879‐1952
Bed¥ich Hrozn∀

チェコのアッシリア学者でヒッタイト語の解読者。ウィーン大学,ついでプラハ大学の教授。1914年よりボアズキョイ文書中の未知の言語の解読に取り組み,16‐17年にいたって《ヒッタイト人の言語,その構造と印欧語族への帰属》を著して,ヒッタイト語が印欧語の一方言であることを明らかにし,ヒッタイト学の基礎をおいた。ついで22年には,上記文書中の最重要文献の一つである〈ヒッタイト法典〉200条の最初の対訳書を出し,また25年には,カッパドキア文書の出土地がキュルテペであることを突き止めた。その後,さらに未解読言語の征服を目ざして,クレタ文字とインダス文字とに挑戦したが,クレタ線文字 B の解読は,イギリスの少壮研究家ベントリスにその功を奪われ,インダス文字の方も,ついにそれほどの成果を挙げることができなかった。なお,29年にはプラハにオリエント研究所を設立,オリエント学の雑誌《Arch∩vorient⊂ln∩》を創刊して,後進の指導に貢献した。
                        岸本 通夫

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ルウィ語
ルウィ語

ルウィご
Luwian language

  

前 15世紀前後に小アジア南部で話されていた言語で,いわゆるアナトリア諸語の一つ。インド=ヨーロッパ語族に属する楔形文字の文書から知られる。時代の下がるヒッタイト象形文字の碑文も,ルウィ語の一方言らしく,さらにリュキア語も近い関係にあると思われる。





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ルウィ語
ルウィご Luwian

ルビア語ともいう。ボアズキョイ出土のヒッタイトの粘土板文書に出てくる言語で,その名称はヒッタイト語の副詞 luwili(〈ルウィ語では〉の意)に基づく。ルウィ語は,ヒッタイト語,パラ語などと同様にインド・ヨーロッパ語族のアナトリア諸語の一つに数えられるが,その詳細はまだ不明な点が多い。名詞の格は4格(主格,対格,与格,奪格-助格)が確認されており,性はヒッタイト語と同じく両性と中性がある。両性の複数形は,接尾辞‐nz‐を伴う。動詞の活用変化は,ヒッタイト語との類似を示す点が多いが,ヒッタイト語のように一般的な mi‐と ti‐の変化形の区別は明確ではない。また,動詞の活用語尾の一部,あるいは分詞形などに,原インド・ヨーロッパ語の形が残されている。ルウィ語を使用していたルウィ族は,ヒッタイト族に小アジア中央部から押し出される形で南西部にアルザワ Arzawa 王国を築いたとされ,ギリシア人と接触していたものと推測される。なお,前18世紀から前8世紀にかけて,アナトリア,北シリアに広く分布しているヒッタイト象形文字の言語,とくに前13世紀以降のものは,最近の研究でルウィ語であることが明らかになってきている。    大村 幸弘

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アナトリア諸語
アナトリア諸語

アナトリアしょご
Anatolian languages

  

アジアニック諸語,小アジア諸語とも呼ばれ,古代に小アジア半島で話されていた言語の総称。紀元後は次第にギリシア語に取って代られた。最も有名なのは楔形文字の碑文から知られているヒッタイト語で,インド=ヨーロッパ語族に属する。ほかに,やはりインド=ヨーロッパ語族に属すると推定されるパラー語やルウィ語も行われていた。前約 2000年のヒッタイト族の侵入以前にこの地に居住していた人々の言語であるハット語や東部地域に分布していたフルリ人のフルリ語は,非インド=ヨーロッパ語系であるが,詳しい系統関係は知られていない。ハット語は基層言語として,ヒッタイト語その他に影響を及ぼしている。ヒッタイト帝国の滅亡 (前 1200) 後,楔形文字は衰え,象形文字で書かれたルウィ語と思われる碑文も発見されているが,前8世紀からギリシア文字が用いられるようになる。この時代以降の言語としては,古期フリュギア語,リュキア語,リュディア語が知られ,いずれもインド=ヨーロッパ語族系と推定される。





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アナトリア諸語
アナトリア諸語 アナトリアしょご Anatolian Languages インド・ヨーロッパ語族の下位語派を形成する古代小アジアの諸言語。ヒッタイト語をはじめ、ルウィ語、パラー語、リュキア語、リュディア語をふくむ。→ ヒッタイト語:インド・ヨーロッパ語族

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ハット語
ハット語

ハットご
Hattian(Hattic) language

  

前2千年紀まで小アジアで使われていた,いわゆるアナトリア諸語の一つ。非インド=ヨーロッパ語系で,膠着語。ヒッタイト族の侵入によって死滅した。楔形文字で書かれたヒッタイト語の文章中に見出され,大半が宗教的内容のものである。





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膠着語
膠着語

こうちゃくご
agglutinative language

  

語幹にそれぞれが1つの文法的意味をもつ接辞 (広義では付属語も) を,規則的に接合させることによって文法的な関係を示す構造をもつ言語。接辞は2つ以上連接しうる。ウラル語族の諸言語,アルタイ諸語,日本語などが代表。トルコ語 yaz-dr-l-ma-makの各形態素はそれぞれ「書く」「使役」「受身」「否定」「不定形」であり,日本語の kak-ase-rare-nai koto (書かせられないこと) によく似ている。このようにかなり規則的に接合するだけに,分析の際はそれらの要素を比較的容易に取出すことができる。ただし,言語により,要素により,接合の密着度はさまざまである。また純粋に膠着だけを文法的手段とする言語も存在しないとみられ,逆に屈折語,孤立語,抱合語にもなんらかの膠着的要素があるのが普通である。





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膠着語
こうちゃくご

言語の類型論的分類の一つである,形態論的観点からの分類に基づくタイプの一つ。〈膠着〉とは〈にかわ(膠)でつける〉ということであるが,これは単語が,中核となる形態素(=語根)に接頭辞や接尾辞が付加されて構成されるという特徴を指していったものである。この際に語根と接辞は屈折語の場合に比べてその結合が緩やかであって,おのおのが自己の形式を常に保っており,両者が融合してしまうようなことはない。この特徴をよく示す例としてトルコ語や,アフリカのバントゥー諸語などがあげられる。例えばトルコ語の語形‰lkelerinizden は ‰lke〈国〉に‐ler(複数),‐(i)niz〈君たちの〉(二人称複数所有形),‐den〈~から〉という三つの接尾的要素が膠着してできている形で,〈君たちの国々から〉の意味である。また日本語の動詞も膠着的性格が強く,〈食べさせられない〉は語根〈食べ〉に,〈~させ〉(使役),〈~られ〉(可能),〈~ない〉(否定)という三つの付属的な要素(助動詞)が膠着した形ということができる。⇒言語類型論                  柘植 洋一

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膠着語
膠着語 こうちゃくご 単語の構造が、語幹にたくさんの接辞が付属した形をとるような仕組みになっている言語の類型。「膠着」とは、「膠(にかわ)でつける」という意味で、語幹に接辞がいくつもはりつけられる様子をあらわしている。日本語やトルコ語が代表的な膠着語である。

日本語の場合、「みられたのだろう」という表現は1つの単語であるが、この単語は、「みる」という動詞の語幹「み」の後に、「られ」「た」「の」「だろう」という形態素が次々とつけられる形の構造をとっている。同じ意味でも、英語ならば、could have been seenのように、いくつかの単語をならべて表現しなければならない。

また、日本語のような膠着語の場合、「みる」と「みた」では、「み」という語幹の部分に変化はないが、英語のような膠着語でない言語では、seeとsawのように時制がかわると語幹の部分にも変化がおきることがある。

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形態素
形態素

けいたいそ
morpheme

  

意味を有する最小の言語単位。すなわち,一定の音形と意義の連合した言語形式のうち最小の単位をさす。ほかに,意義を除外して音形の面だけをさす人もいるが適切とはいえない。「記号素」 signemeや monmeの名称を用いる人もいる。/koneko/ (小猫) ,/'o'janeko/ (親猫) ,/kuroneko/ (黒猫) を比較すると,/-neko/という一定の音形と意義をもった単位を取出すことができ,かつこれ以下に分析すると,音節や音素など,もはやそれ自身では意味をもたない単位となるから,/-neko/は形態素と分析される。同様に/ko'inu/ (小犬) ,/'o'jadori/ (親鳥) ,/kuromame/ (黒豆) などから形態素/ko-/,/'o'ja-/,/kuro-/が分析される。また別に book-sなどの book- のようにおもに語義的意義をになう部分を smantmeないし lexme (意義部,語義的形態素) とし,それに対して-sのようにおもに文法的意義をになう部分を morphme (形態部,文法的形態素) と呼ぶ人もいる。上に述べた意味では,このどちらも形態素と認定される。ただし,形態素の定義自体は明瞭であるが,実際には,コッペ-パンのコッペ-などのような無意味形態素というべきものがあり,またタイヤキとタコヤキの差など,各形態素の意味を単に足しただけでは単語の意味は説明できないので,固定した意味をもつ最小単位はむしろ単語とすべきである。





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形態素
けいたいそ morpheme

意味をもつ最小の言語単位。〈ホンバコ〉という語は,〈ホン〉と〈バコ〉という意味をもつ最小単位,すなわち形態素に分けられる。バコ/bako/はハコ/hako/と同じ意味であるが,複合語の後の要素として用いられている。このように形態素は現れる場所により異なる語形をとることがある。これを異形態 allomorph という。すなわち,音素の連続で表される異形態/hako/と/bako/を代表して抽出されたものが形態素{hako}であって,普通は{ }にくくって表される。なお/hako/の方は単独で発話として用いることができるので自立形式 free form,/bako/の方は他の形態素と結合した形でしか発話に現れないので結合形式 bound form と呼ばれる。英語の books/buk‐s/〈複数の本〉と,形容詞 manly/mずn‐li/〈男らしい〉において,語幹の/buk/と/mずn/は自立形式であるが,複数語尾/‐s/と形容詞語尾/‐li/は共に結合形式である。自立形式の方を単純語,結合形式を含むものを複合語というが,複合語が単純語に置き換えられる場合を派生形とする。たとえば a manly deed〈男らしい行為〉の manly を単純語 good に置き換えれば a good deed〈よい行為〉となる。また,置き換えられない場合を屈折形とする。たとえばthese books〈これらの本〉の名詞を単純語cat/kずt/〈ネコ〉に置き換えて*these cat(*は措定形であることを示す)とすることはできない。そこで/‐li/は派生語尾,/‐s/は屈折語尾とされる。なお,形態素は kind‐ness‐es〈複数の親切な行為〉のように〈語幹+(名詞)派生語尾+(複数)屈折語尾〉の順序に並べられ,屈折語尾は常に語の外側に立つ。⇒音素∥形態論          小泉 保

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屈折語
屈折語

くっせつご
inflexional language

  

言語を文法形態から分類したときのタイプの一つ。単語において語幹と語尾が密接に結合していて,膠着語のような一貫した切り離しは不可能であり,かつ語尾にあたる要素が2つ以上の文法的意味を表わすことが特徴である。ギリシア語 paide- (私が教える) の-は「直説法」「現在」「一人称」「単数」の意味をあわせもっている。この点をとらえて総合的言語 synthetic languageということもある。インド=ヨーロッパ語族やセム語族がその代表であるが,この語族に属しても,なかには英語のように孤立語に近づいている言語もある。





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屈折語
くっせつご

言語の類型論的分類の一つである,形態論的観点からの分類に基づくタイプの一つ。屈折とは,動詞や名詞などが文中での機能にしたがって異なるすがたを見せる,いわゆる活用や曲用のことである。したがって,この点からすれば,膠着語も屈折を行うわけであり,逆に屈折語においても語構造が語根と接辞からなるという点では膠着語と同じである。しかし屈折語では両者の結びつきはより堅固であり,しばしば融合して形態面に変容をきたしている場合がみられる。そのような例では膠着語とは異なって語構成が透明ではなく,語根および接辞は抽象度の高いものとなる。インド・ヨーロッパ語族やセム語族に属する言語の多くは屈折語的特徴を顕著に示す。例えばギリシア語leipヾ〈私は残す〉という動詞形は,語根 leip‐と接尾要素‐ヾ に分析することができるが,‐ヾ はただ一つのカテゴリーを示すのではなく,〈直説法・現在・能動態・一人称・単数〉という五つのカテゴリーに対応しているのである。また同じ〈直説法・能動態・一人称・単数〉でも〈アオリスト〉(一種の完了形)の場合は elipon となって,語根が lip‐と変わるし,接辞もまったく別のものとなる。他方,同じ屈折語でもセム語の場合は様相が異なる。セム語では,通常語根は三つの子音からなり,さまざまの屈折および派生形は,それと一定の母音パターンの組合せおよび接辞の付加によって形成される。例えば古典アラビア語の次の例からそれが知られよう。kataba〈彼は書いた〉,qatala〈彼は殺した〉;yaktubu〈彼は書く〉,yaqtulu〈彼は殺す〉;’uktub〈書け〉,’uqtul〈殺せ〉;k´tibun〈書く人〉,q´tilun〈殺す人〉。この場合,各々抽象して得られる語根は,k‐t‐b〈書く〉と q‐t‐l〈殺す〉である。⇒言語類型論             柘植 洋一

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屈折語
屈折語 くっせつご 文法的な意味をしめすために、単語が形をかえる言語の類型。屈折には、人称、数、時制、法、態などをあらわす動詞の活用(英語のgo、goes、went、gone)、数、格、性をあらわす名詞や形容詞の活用(曲用ともいう。スペイン語のmuchacha「女の子」、muchachas「女の子たち」、muchacho「男の子」、muchachos「男の子たち」)、形容詞や副詞の比較形(英語のbig「大きい」、bigger「より大きい」、biggest「もっとも大きい」)がある。屈折の方法としては、英語のring、rang、rung「ひびく、なる」のように単語の内部で変化がおきるものと、英語の-ing形(現在分詞)、-ed形(過去形、過去分詞)、-s形(名詞の複数形)のように、語幹に接辞をつけるものがある。

インド・ヨーロッパ諸語は、程度の差はあれ、屈折による語形変化をもつのが普通である。なかでも、インド・ヨーロッパ祖語は、ひじょうに複雑な屈折の仕組みをもっていたものと考えられている(→ インド・ヨーロッパ語族)。現代のインド・ヨーロッパ諸語の大部分は、単語の内部変化と接辞の付加の両方を屈折の方法としてもっており、1つの単語でその2つの方法がつかわれることも多い。たとえば、英語のsell「売る」という動詞において、三人称単数形のsellsは接辞の付加であり、過去形のsoldは単語の内部の変化である。セム語族の諸言語は、単語の内部変化による屈折をおこなうという特徴がある。いっぽう、中国語は屈折をまったくもちいない言語の代表である。

インド・ヨーロッパ諸語のなかには、フランス語や英語のように、屈折をなくす方向に変化してきている言語も多い。とくに英語は、屈折のほとんどが消滅した言語の典型で、以前には屈折によってあらわされていた、主語や目的語などの名詞の文法的働きが、今では語順によってしめされている。また、屈折がなくなると、同じ内容をあらわすのに、屈折がある場合よりも、もちいられる単語の数は多くなる。屈折のゆたかなラテン語を英語に翻訳すると、訳文の単語の数は原文の2倍ぐらいになる。しかし、単語の変化形の数は大幅に減少する。英語の動詞の語形変化はわずかしかないのに対し、ギリシャ語の動詞ならば250ぐらいも変化形をもつものがある。

→ 言語

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孤立語
孤立語

こりつご
isolating language

  

単語が語形替変を行わず,文法的関係がおもに語順により表わされる言語。中国語が代表。孤立語にかなり共通にみられる特徴としては,前置詞が多い,代名詞を除いて性・数の範疇がない,単語が単音節で1形態素から成る傾向が強い,などがあげられる。しかし,中国語にも多音節単語がふえつつあるなど,孤立語とされる言語のすべてが前述の特徴をもつとはかぎらず,膠着語的特徴や屈折語的特徴をあわせもつことがあるし,逆に非孤立語のうちにも孤立語的特徴もみられる。





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孤立語
こりつご

言語の類型論的分類の一つである,単語の構成という形態論的観点からの分類に基づくタイプの一つ。孤立語では単語は常に一定の語形であらわれ,文中でそれが果たす機能に応じて姿を変えることはない。すなわち,通常一つの単語は一つの形態素だけからなっていて,それに種々の文法的カテゴリー,文法的諸関係を標示するための接辞が付加されることはないのである。したがって,格,数,人称,時制などを示す標識はなく,語と語との間の文法的関係は,その相対的な配列順といった手段にたよって示されることになる。典型的な例としてはベトナム語や中国語が挙げられる。たとえば,中国語では〈愛〉はそれだけでは〈愛〉という名詞なのか,〈愛する〉という動詞なのかまったく区別されない。文中に置かれて,それを取り巻く前後の要素との関係からはじめて明らかになるのである。〈私は君を愛する〉という意味の中国語文〈我愛鮎〉では〈愛〉は〈愛する〉という動詞で,その行為の主体〈我〉とその対象〈鮎〉はおのおのそれを示す標識は何ももたず,その関係は語順によってのみ示されているのである。
[形態論に基づく言語の分類]  この分類は19世紀の W. フンボルトらにさかのぼるもので,語構成を基準にすべての言語を孤立語,膠着語,屈折語の三つ,あるいはさらに抱合語を加えた四つのタイプに分けようというものである。言語の分類法として一般に広く流布するところとなったが,この分類の仕方はあくまでも語の構造という一面のみに着目したものであり,決して包括的なものではない。また,個々の言語についてみると,これらのタイプのうちの一つだけを純粋に示す言語はきわめてまれと思われ,通常はさまざまな程度にいくつかの(あるいはすべての)特徴を併せもっているのである。また同一の言語でも,歴史的変遷に伴ってタイプが変わる例はしばしばみられる。たとえば英語をとってみると,複数形の形成 dog‐s などは膠着語的であるし,動詞 take の過去形がtook になるというように内部変化を伴う例は屈折語的である。また英語の名詞は古くは格変化がみられたが,現代では所有を表す‐’s を除いては失われており,孤立語的性格を強めている。その結果,主語―目的語という文法的関係は原則として動詞に先行する要素が主語で,後に来る要素が目的語であるというように,語順に依存して示される度合が著しくなっている。こうしたことからもわかるように,そもそもさまざまに異なった姿を示す世界中の諸言語を,唯一の観点から少数のタイプに分類するのは無理であり,どこまでも一応の目安を示すものと理解すべきである。なお20世紀におけるさらに精密な分類の試みは,ドイツの言語学者フィンク Franz Nikolaus Finck(1867‐1910)やアメリカの E. サピアにみられる。ちなみに,かつてこの3分類を,孤立語から膠着語へ進み,さらに最も進んだ段階が屈折語であるとする,発展段階の違いとしてとらえる考えが説かれたことがあるが,これはまったく根拠のないものである。⇒言語類型論                     柘植 洋一

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孤立語
孤立語 こりつご 中国語のように、単語が活用をせず、語形の変化もないという特徴をもつ言語の類型。日本語は、「行く」という動詞は、「行か」「行き」「行く」「行け」のように活用するから孤立語ではない。英語は、come「来る」という動詞の過去形はcameであって、時制によって語形がかわっている。したがってやはり英語も孤立語にはふくまれない。中国語の動詞は、日本語や英語のような活用をおこなわない。中国語の名詞も、英語のように複数形で-sをつけるような変化をおこなわない。また、孤立語には、日本語の「が」や「を」のような助詞にあたる単語もなく、主語や目的語のような名詞のはたらきをしめすのは、動詞との前後関係だけである。中国語以外には、ベトナム語、タイ語、チベット語など東南アジアの言語が孤立語に属する。

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抱合語
抱合語

ほうごうご
polysynthetic language

  

言語の類型の一つ。複総合語,輯合語 (しゅうごうご) ともいう。文を構成する要素が密接に結びついて,あたかも全体で一語をなすかのようにみえる構造をもつ言語。エスキモー語で N-liar-nerpise? (あなたがたは Nk〈地名〉へ旅行しますか?) は,N-=Nk,liar=「旅する」,nerpise=「あなたがたは…か」から成り立ち,各形態素は単独で現れる形とは異なる連接形をとっている。「一語文」と呼ばれることも多いが,これらの形態素は事実上の単語に相当するものとみるべきであろう。なおアイヌ語の'a-kore (私は与える) に対する'a-'e-kore (私はあなたに与える) のように,一語のなかに目的語などを挿入する構造の言語を特に抱合語 incorporating languageと呼び,輯合語と区別することもある。ただし,いずれにしろ1つの言語の文構造がすべて抱合 (輯合) 的なものとはいえず,屈折語的,膠着語的な特徴もあわせもつ。





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抱合語
ほうごうご

言語の類型論的分類の一つである,単語の構成という形態論的観点からの分類に基づくタイプの一つ。このタイプの言語においては,中心となる語幹に,目的語,補語や副詞的要素,あるいはさまざまな文法的関係をあらわす要素が結合して一つの単語を形成する。したがって1単語が数多くの形態素から成ることになり,他のタイプの言語にそれを翻訳した場合には,文のかたちになる場合もある。
 たとえば旧アジア諸語(旧シベリア諸語)に属する東北シベリアのチュクチ語では,〈彼らは網をかけた。〉は,koprantトvatヌ’at と1単語であらわされる。これは kopra‐〈網〉,ntトvat‐〈かける〉,‐ヌ’at〈三人称複数主語・過去〉の三つの形態素からなり,kopra‐は抱合されない場合にはkupre‐という形であらわれる。これは目的語が抱合された例であるが,副詞的要素抱合の例として,tトmajペトvetヌavトrkトn〈私は大声で話している。〉があげられる。これは tト‐〈一人称単数主語〉,vetヌav‐〈話す〉,‐トrkトn〈現在〉に,majペト‐〈大声で〉が抱合されている形である。このようにいくつかの形態素連続が一つの単語を形成しているわけであるが,そこではある種の音声的特徴(母音調和など)が,まとまりを与える役割を果たしているのである。このような特徴をもつ言語は,そのほかにアメリカ・インディアンの諸言語のなかにも見られる。
 なお,抱合語という名称と並んで,輯合(しゆうごう)語という呼び方もしばしばなされる。ただし,両者をまったく同じ意味に用いる場合と,多数の形態素が一つのまとまりをつくっているという輯合性の中に,抱合という過程を伴うものとそうでないものとを区別して考える立場とがある。⇒言語類型論                      柘植 洋一

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フルリ語
フルリ語

フルリご
Hurrian language

  

前2千年紀に小アジア東部で行われていた言語。アナトリア諸語の一つで,非インド=ヨーロッパ語系。ミタンニ語,スバラヤ語とも呼ばれる。楔形文字の碑文から知られ,はるかのちのウラルトゥ語と親縁関係にあることが知られている。さらに両者をカフカズ諸語に関連づけようとする説もあるが,明確な系統関係はわからない。





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ウラルトゥ語
ウラルトゥ語

ウラルトゥご
Urartian language

  

ハルディア語ともいう。アナトリア諸語の一つで,前9~7世紀に,現在のアルメニアの地に行われていた。楔形文字の碑文によって知られ,フルリ語と親縁関係をもつことが知られている。





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カフカズ諸語
カフカズ諸語

カフカズしょご
Caucasian languages

  

カフカズ地方に話される諸言語で,北カフカズ諸語と南カフカズ諸語から成る。前者は,さらに (1) 東カフカズ諸語 (ダゲスタン諸語ともいい,アワル語,アンディ語,ダルグヮ語,サムル語,ラク語,チェチェン語などから成る) と (2) 西カフカズ諸語 (アブハズ=アドゥイゲ諸語ともいい,アブハズ語,アドゥイゲ語,ウビフ語から成る) に分れる。南カフカズ諸語はカルトベリ諸語ともいい,グルジア語,ザン語,スワン語から成る。南北カフカズ諸語にピレネー山中のバスク語を含めて,3グループがイベロ=カフカズ語族をなすとする説もある。しかし,東西両カフカズ諸語は同系であるが,南北両カフカズ諸語間の親族関係は未確立であり,したがって両者とバスク語との関係も証明されていない。カフカズ諸語,特に西カフカズ諸語の音韻体系は子音が豊富で母音が少いことで有名。


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カフカス諸語
カフカス諸語 カフカスしょご Caucasian Languages カフカスに土着の約36の言語。そのほぼすべてが現在もこの地域で話されている。カフカス諸語は通常、南カフカス語族(別名カルトベリ語族)と北カフカス・グループの諸言語の2つのグループにわけられるが、両者の間にはいかなる親族関係も証明されていない。南カフカス語族には、グルジア語、スバン語、ミングレル語、ラズ語の4つがふくまれ、グルジア語がもっともひろい地域で話されている。

北カフカス・グループの諸言語は、北西カフカス諸語、北中カフカス諸語(ナフ諸語またはベイナヒ諸語とも)、および北東カフカス諸語(別名ダゲスタン諸語)の3つにわけられる。言語学者の間では、一般に、北中カフカス諸語と北東カフカス諸語が系統関係にあるとされているが、この2つのグループと北西グループとの関係は不確かである。北西カフカス諸語には、アブハズ語、アバザ語、アディゲ語がふくまれ、北中カフカス諸語は、たがいに関係のあるチェチェン語とイングーシ語、およびバッツ語である。北東カフカス諸語は数が多く、アバール語をふくむアバル・アンディ・ディド語群、ラック語、ダルガン語をふくむラック・ダルガン語群、多くの小言語、とくにレズギ語をふくむレズギ語群の3つの下位語群にわかれる。

カフカス諸語は類型上、語の部分や文法形式が長くつらなって1語がつくられる膠着語的傾向をしめすが、またある程度の屈折語的特徴ももっている。一般に複雑な音体系をもち、4つのグループのこれらの諸語は、文法や語形成の点でたがいにいちじるしくことなっている。

→ グルジア文学

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カフカス諸語
カフカスしょご Caucasian

カフカス(コーカサス)地方に行われる約40の言語の総称でコーカサス諸語とも呼ばれる。言語人口総数は約500万人。カフカス地方でもイラン系のオセット語やチュルク系のアゼルバイジャン語はふつう除外し,本来の意味のカフカスの諸言語のみを指す。南カフカス諸語,西カフカス諸語,東カフカス諸語の三つのグループに分けられるが,これらが一つの語族を構成するかどうかは,研究の現段階では未解決である。また,カフカス諸語と他の言語または語族との系統関係も不明である。カフカス諸語の中で最も有力な言語は南カフカス語の一つであるグルジア語で,グルジア共和国で325万の言語人口をもつ。カフカス諸語に共通の特徴は,(1)他動詞の主語に用いられる特別な格(能格 ergative)があること,(2)母音音素が少なく,子音音素が多いこと(たとえばウビフ語 Ubykh の場合は3母音と83子音をもつ)などである。
                        下宮 忠雄

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ダンゲスタン諸語
ダゲスタン諸語

ダゲスタンしょご
Daghestan languages

  

東カフカズ諸語ともいわれ,ロシアのダゲスタン共和国を中心に行われている次の言語をいう。 (1) アワル語,アンディ語,ディド語,カプチ語などのアワロ=アンディ=ディド諸語,(2) ラク語,ダルグヮ語のラク=ダルグヮ諸語,(3) レズギ語,タバサラン語などのレズギ諸語,さらに,(4) 中部カフカズ諸語ともいわれるチェチェン語,バツ語,キスチン語など。これらはアブハズ=アドゥイゲ諸語 (西カフカズ諸語) と同系である。





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アワル語
アワル語

アワルご
Avar language

  

ダゲスタン地方に話されるダゲスタン諸語 (北カフカズ諸語の東方語派) の中心言語。約 27万人の話し手と文字言語を有し,同じダゲスタン諸語のアンディ諸語やディド諸語との間の共通語の役割も果している。





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アブハズ=アドゥイゲ諸語
アブハズ=アドゥイゲ諸語

アブハズ=アドゥイゲしょご
Abkhaz-Adyghian languages

  

北カフカズ諸語の西方語派をいう。 (1) グルジア,アブハズ自治共和国のアブハズ語 (約9万人) ,ロシア連邦カラチャイチェルケス共和国のアバザ語 (約2万人) ,(2) 西部トルコで少数の人が使っているウビフ語,(3) ロシア連邦アドゥイゲ共和国を中心に使われるアドゥイゲ語 (カバルディ語〈38万人〉とアドゥイゲ語〈12万人〉から成る。この総称はまたチェルケス語ともサーカス語ともいうが,これらの名称はカバルディ語をさすこともある) の3つで構成されている。アワル語を中心とする東方語派 (ダゲスタン諸語 ) と同系であることは疑いないが,南カフカズ諸語との同系関係は未証明。子音が非常に豊富で母音が少いこと,単音節語が多いこと,動詞の活用体系が複雑をきわめ,名詞の曲用体系が単純なこと,などが特徴。





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ウビフ語
ウビフ語

ウビフご
Ubykh language

  

北カフカズ諸語のアブハズ=アドゥイゲ諸語に分類される言語。以前はグルジア北西部,アブハズ自治共和国の北で用いられたが,話し手のほとんどは 1864年トルコに集団移住した。子音がきわめて多く,母音が少い言語として知られる。 G.デュメジルの努力により,多量の民話テキストが採集され注釈刊行された (1959) 。





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カパルディ語
カバルディ語

カバルディご
Kabardian language

  

サーカス語 Circassian,チェルケス語 Cherkesともいう。ロシア,北カフカズのカバルダバルカル共和国に話されている言語で,約 38万人の話し手がいる。アブハズ=アドゥイゲ諸語の一つで,特にアディゲ語と密接な関係がある。文字言語を有する。





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南カフカズ諸語
南カフカズ諸語

みなみカフカズしょご
South Caucasian languages

  

カルトベリ諸語 (カルトベリ kartveliはグルジア人の自称) ともいわれる。グルジア語,ザン語およびスワン語の3言語の総称。ザン語,スワン語の話し手は文字言語としてはグルジア語を用いている。これらと北カフカズ諸語の同系関係はまだ確立していない。





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グルジア語
グルジア語

グルジアご
Georgian language

  

ジョルジア語ともいう。南カフカズ諸語の一つ。グルジアの公用語で,この国を中心に,約 365万人によって使われている有力な言語。方言的には東部と西部に2分される。最古の碑文は5世紀にさかのぼる。新グルジア標準語は 19世紀中頃になって確立した。文法上は,カフカズの言語の特徴である能格 ergative (語尾-m,-ma) をもっていることで有名。





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グルジア語
グルジアご Georgian

グルジア共和国の公用語。南カフカス諸語(南コーカサス諸語,カルトベリ諸語ともいう)の一つ。言語人口351万人はカフカス諸語のなかで最大である。5個の母音音素と28個の子音音素をもつ。能格 ergative という特殊な格があり,これは他動詞の主語に用いられる。例:γmert‐ma kmnasopeli グメルトマ(神が,‐ma 造格語尾で能格),クムナ(作った),ソペリ(世界を,‐i 主格語尾),〈神が世界を作った〉。5世紀のキリスト教の伝来とともに文学的伝承が始まり,13世紀初頭に詩人ショタ・ルスタベリの作とされる《虎皮の騎士 Vepxisp▲aosani》という4行詩1587節の国民叙事詩がある。                      下宮 忠雄

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ザン語
ザン語

ザンご
Zan language

  

南カフカズ諸語の一つ。グルジアの黒海沿いに話されている。ミングレリ方言 (メグレリ方言) とラズ方言 (チャン方言) から成る。話し手はそれぞれおよそ 45万,4万 5000人。学者によっては,この2方言をそれぞれ独立の言語として扱い,特にザン語という名称を用いない人もいる。





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スワン語
スワン語

スワンご
Svan language

  

南カフカズ諸語の一つ。エリブルース山の南側に話されており,4つの方言がある。特に語彙の面で他の南カフカズ諸語 (グルジア語,ザン語など) と異なる。





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