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言語学・ゲームの結末を求めて(その4) [宗教/哲学]


音響音声学
音響音声学

おんきょうおんせいがく
acoustic phonetics

  

言語音の物理的・音響的研究をする分野。言語音の伝達は,調音,それから出る音声波,そしてそれの知覚の3つに大きく分けられ,それぞれを研究する分野を調音音声学,音響音声学,聴覚音声学という。また,調音面とその他の2つに分け,音響音声学に聴覚面を含むこともある。音響の研究は,器械実験設備に依存するために調音の生理学的研究に比して遅れていたが,第2次世界大戦後音声スペクトログラフが開発され,コンピュータと結びついてフォルマントの研究を中心に急速に進展した。さらに自由に人工的に言語を合成してつくりだし,それを用いることにより知覚の研究が進められている。





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[ブリタニカ国際大百科事典 小項目版 2008]
言語音
知覚
知覚

ちかく
perception

  

一般的には,感覚器官を通して,現存する外界の事物や事象,あるいはそれらの変化を把握すること。広くは,自分の身体の状態を感知することをも含める。把握する対象に応じて,運動知覚,奥行知覚,形の知覚,空間知覚,時間知覚などが区別されるが,いずれの場合にも事物や事象の異同弁別,識別,関係把握などの諸側面が含まれる。心理学では特に,感覚と区別して,現前している環境の事物,事象の総体をとらえることであるとする定義や,複雑な配置の刺激と過去経験,現在の態度とに基づいて成立する意識経験であるとする定義がある。また,感覚器と神経系の刺激の受容・伝達活動と,それによって解発される人間の動作または言語的反応との間に介在する意識経験で,過去経験や学習の結果を反映する一連の過程を媒介として成立するものとする定義もある。





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知覚
ちかく

〈知覚〉は,日本では古来,〈知り,さとる〉という意味の語であったが,西周が,アメリカ人ヘーブン Joseph Haven の著《Mental Philosophy》(1857,第2版1869)の邦訳《心理学》上・下巻(1875‐79)の中で,perception の訳語として使用して以来,哲学や心理学などで英語,フランス語の perception やドイツ語の Wahrnehmung の訳語として定着するに至った。perception という語は,〈完全に〉〈すっかり〉などの意を示す接頭辞per と,〈つかむ〉を意味するラテン語 capere とからなる語であり(ドイツの Wahrnehmung は,〈注意〉の意を有する wahr――英語の aware などに残っている――と,〈取る,解する〉を意味するnehmen とからなっている),たいていは五感によって〈気づく〉〈わかる〉ことを意味する。哲学や心理学でも,感覚を介する外的対象の把握が普通に〈知覚〉と呼ばれている。したがって,それは,純粋に知的な思考や推理とは区別されるが,また単なる感覚とも区別されるのが普通である。しかし,その場合問題になるのは,実はそうしたことのもつ認識論的価値であるから,その点をめぐって知覚についての議論もさまざまに分かれてくることになる。
 まず,知覚が刺激の単なる変容としての感覚から区別されるのは,知覚が対象についての認知を含むと考えられているからである。一方,知覚が感覚を媒介にした把握に限られるのは,知覚に対象との直接的接触が期待されているからである。その意味では,知覚は,対象との直接的接触による直観知への要求を反映した概念ともいえる。事実,われわれ自身の内的状態や意識そのものの把握が,いわゆる五感によるものではないにもかかわらず,ときに〈内部知覚〉などと呼ばれるのは,知覚のそうした理解にもとづいているわけである。そして知覚がそのような対象の直接知と解されるならば,それが知識の最も基礎的な源泉と考えられるようになるのも当然である。フッサールやメルロー・ポンティなどがその好例であって,フッサールによれば,知覚こそは対象自体を与えてくれる〈本源的〉知なのである。もっとも,知覚を対象の直接的把握とすることには反論もある。例えば,机の知覚において,われわれが直接に見ているのは机の前面だけであり,その裏側はいわば想像されているにすぎないからである。われわれの錯覚も,多くはそのようなところから生じているわけである。そして,そのことがまた,〈現象〉と〈実在〉ないし〈物自体〉とを区別する存在論的二元論や,あるいは知覚を純粋な感覚(例えば〈感覚所与〉)となんらかの知的作用との合成物と見る主知主義的解釈の根拠ともなる。フッサールが,〈外部知覚〉の明証性と〈内部知覚〉の明証性とを,前者を〈不十全〉とし後者を〈十全〉として区別したのも,外的知覚の一面性を配慮してのことであった。
 しかし,これらの議論は,それほど説得的なものではない。確かに,われわれは知覚において思い違いをすることがある。しかし,その誤りは,対象に近づくなり視点を変えるなりして修正することができる。したがって,あるときの知覚の誤りから,われわれの知覚のすべてを一挙に非実在的な〈現象〉の把握とするのは,形而上学的飛躍といわなければならない。しかも,われわれが〈現象〉と異なる本物の〈実在〉を仮定するということ自体,実はわれわれが日常,誤認と正しい認知との違いを体験していることにもとづくのであって,その違いこそは知覚が教えてくれたものなのである。また,知覚の主知主義的解釈も,〈感覚所与〉といった概念がすでに経験的に確認しえないものであるところに,重大な難点をもっている。そのうえ,知覚は動物にもあると考えられるから,その構成要素として知的作用を仮定する必要はないし,そもそも知覚は,まだ判断ではないのである。それは,例えば〈ルビーンの杯〉などで,図形の反転が判断や解釈によって起こるのではないことからも知られる(反転図形)。なお,〈外部知覚〉と〈内部知覚〉の明証性の違いに関しても,例えば容易に自己反省をなしえない幼児のような存在もある以上,われわれはここでむしろ,内部知覚が何によって可能になるかをこそ問題にしなければならないであろう。
 このように見るならば,知覚のもつ認識論的価値を過小に評価すべき理由はあまりないといわなければならない。もちろん,知覚の可呈性は否定できないことであり,したがってそのつどの知覚はさまざまの科学的手段によって修正される必要があるにしても,そもそも外的対象があり,世界が存在することは,知覚による以外に知りようがないからである。メルロー・ポンティが知覚を,いっさいの説明に前提されている〈地〉と呼んだのは,その意味においてである(《知覚の現象学》序)。知覚を刺激や神経の興奮などから因果的に説明しようとする〈知覚の因果説〉の不備も,根本はその点にかかわるのである。            滝浦 静雄
[知覚と感覚の生理学]  知覚は具体的な意味のある意識的経験で,なんらかの対象に関係しているということで,受容器の刺激の直接的な結果として起こる感覚と区別される。例えば形の知覚とかメロディの知覚というように,知覚は複雑な刺激パターンによってひき起こされる場合が多い。しかし色彩知覚や運動知覚のように対象とは独立に起こる知覚もあり,感覚との区別はあいまいである。
 W. ブントや E. B. ティチナーなど構成心理学の人々は,要素的な純粋感覚を仮定し,その総和と,それと連合した心像(以前に経験した感覚の痕跡)を加えたものが知覚であると考えた。しかしM. ウェルトハイマーや W. ケーラーなどゲシュタルト心理学の人々は,知覚を要素的な感覚に分けることは不可能で,むしろ直接的に意識にのぼるのはつねに,あるまとまった知覚であると考えた。例えばウェルトハイマーが1912年に発見した仮現運動の場合は,少し離れた2個の光点が順番に提示されると,静止した別々の光点には見えず一つの光点が動いているという運動印象だけが得られる。ケーラーは,あらゆる知覚現象には必ずそれに対応する脳の生理的過程があるという心理物理同型論 psychophysical isomorphism の立場から,仮現運動が実際の運動と等しい生理過程を大脳皮質にひき起こすのであろうと考えた。最近の神経生理学的研究によると,実際にネコやサルの視覚野とその周辺で記録される運動感受性細胞は,連続的な運動だけでなく仮現運動にもよく反応する。したがって今日では,知覚は受容器でとらえた感覚信号の空間的・時間的パターンから,中枢神経系で何段階かの情報処理を経て読み取られた,あるまとまった意味のある情報であると理解されている。
[知覚の恒常性]  知覚はもともと感覚の種類によって大きく分かれているが,さらに同じ感覚の中でもいくつかのカテゴリーに分かれる。特に視覚は,明るさ,色彩,形態,大きさ,運動,奥行き,空間などさまざまなカテゴリーの知覚に分かれる。これらのカテゴリーの多くに共通の現象として,知覚の恒常性がある。例えば明るさ(白さ)の恒常性は,照明の強さと無関係に黒い物は黒く,白い物は白く見える現象をいう。これは知覚系が明暗の対比をもとにして表面の反射率を識別しているからである。色の恒常性は照明光のスペクトルが大幅に変わっても,その物に固有の色が見える現象をいう。ランド E. Land によると,これは知覚系が,赤,緑,青の色光の相対的な反射率を識別しているためで,これもおそらく色の対比がもとになっていると思われる。大きさの恒常性は,対象の距離を変えてもその大きさが同じに見える現象をいい,形の恒常性は,見る角度を変えても形が同じに見える現象をいう。これらは知覚系が網膜像の大きさや形のほかに,距離や面の傾きを計算に入れていることを示している。このように知覚の恒常性は,対象を見る条件がいろいろに変わっても,同じ物はつねに同じに見えるようにする知覚の働きを示す現象で,外界の認識のために重要な意味をもっている。しかし一方では,恒常性を保つメカニズムがさまざまな錯視の原因にもなっている。
[知覚の神経生理学的研究]  この方面の研究は,ヒューベル D. H. Hubel とウィーゼル T. N.Wiesel が1963年にネコの視覚野で,細長いスリットや黒い線およびエッジに反応する細胞を発見してから急速に発展してきた。視覚野にはこのほか,両眼視差や網膜像の動きや色の対比を検出する細胞があり,これらが立体視や運動視や色彩知覚のための情報処理を行っている。しかし意識にのぼる知覚に対応する神経系は,より高次の感覚周辺野や連合野にある。最近,ゼキ S. Zekiは第4視覚野で色彩知覚に直接対応する色覚細胞を発見した(1980)。また第5視覚野(または MT野)には奥行きを含むさまざまな方向の運動に反応する細胞が集まっている。視覚周辺野のその他の領域も,それぞれ別のカテゴリーの知覚に関係していると思われる。そして側頭連合野(下側頭回)は形態視に関係し,頭頂連合野は空間視に関係した情報処理を行っていることが明らかになりつつある。そのほか,体性感覚野とその周辺には,皮膚表面の動きやエッジに反応する細胞や,いくつかの関節の組合せや関節と皮膚の組合せ刺激に反応する細胞があって,触覚による形態知覚や触空間や身体図式(姿勢)の知覚に関係する情報処理を行っている。聴覚野とその周辺には,複合音や雑音や周波数変化(FM 音)に反応する細胞があって音声の知覚に関係する情報処理をしているほかに,音源定位に関係する細胞群も記録されている。このように,知覚は大脳皮質における複雑な感覚情報処理の結果である。⇒感覚
                        酒田 英夫
【認知科学における知覚】
認知(認識)と運動のメカニズムの研究は,認知科学における最も重要なテーマの一つである。その認識と運動を支えるのが知覚であり,古くからさまざまな分野で研究が進められている。ここでは知覚とは何かを考え,それを支えるメカニズムについて紹介する。
 なぜ私たちは今見えているように世界が見えるのか。この問題は,よく考えてみると極めて難しい問題である。私たちが見ている世界は,網膜に投影された映像から,私たちの頭の中で3次元世界を推定した結果なのである。すなわち,私たちが見ている世界は,私たちの頭の中で作り上げた世界なのである。
 私たちがものを見ているときは,見えている面だけではなく,裏の面をも認知している。このような見えていない面も含めた物体の認知は,個々の物体に対する記憶に基づいている。これを感覚可能物と呼ぶ。しかし,知覚とは私たちの視点から見えている対象の形状と位置に関する見え方を指すことが多い。言い換えると可視表面の形状と位置に関する私たちの見えを指す。したがって,知覚の問題は可視表面の構造や位置が見えているようになぜ見えるのかということになる。言い換えれば,知覚の問題は網膜の感覚信号から外界の面の構造と位置をいかに推定するかということにある。ここでの面の構造とは,面の幾何学的構造のみならず,材質感(質感)なども含む。たとえば,見ただけで,面がつるっとしているとか,ざらざらしているとかいった感じや,金属的であるとか,木質的であるといった感じを受ける。また,面の色に関しても知覚する。このような外界の構造および位置に関する推定を行っているのである。図1のように,顔のパターンと見た場合には,はっきりとその全体の形の捉え方が変わる。すなわちこのような知覚においても,私たちが持っているさまざまな知識が働いているのも事実である。しかしながら,一方でほとんど個別の知識(たとえば,リンゴは丸い,リンゴは赤いといった知識)を必要とせずに上記の面の構造や位置をある程度正確に捉えられることも事実である。したがって多くの場合,個別の知識なくしてこのような問題が脳の中でどのようにして解かれているのかが議論される。また,面の構造や位置は照明条件が少し変化しても,あるいは視点を少し動かしても,体を動かしても安定した知覚が得られる。このような特性を恒常性 constancy と呼んでいる。
 目を動かすと外界が静止していても網膜像は動く。それにもかかわらず私たちの知覚は安定して固定している。これを位置の恒常性と呼ぶ。また,たとえば,十円玉を斜めから見れば,網膜の投影像は楕円であるのに,私たちは円であると知覚することができる。このように,視点によらずに形を安定して知覚することができる。これを形の恒常性と呼んでいる。また,私たちは照明光のスペクトルにあまり左右されずに正しく面の色(表面色)を知覚することができる。たとえば,白い紙を白熱球の下で見るとその反射スペクトルはオレンジが強くなっているはずである。実際,私たちは,表面から反射しているその表面の色はオレンジがかって見えるが,面の本来の色(正確には標準白色光源下での面の色)が白色であると判断することができる。これを色の恒常性と呼ぶ。一方,黒い紙を明るい戸外で見たときの方が,白い紙を暗い室内で見たときよりも反射光量は強い。しかしながら私たちは,それぞれ,黒い紙・白い紙であると判断することができる。このように,照明光強度に関わらず,白や黒といった正しく判断することができる。これを明度 lightness の恒常性と呼ぶ。また,遠くの人の網膜像は小さく,近くの人の網膜像は大きい。しかし私たちは,遠くにいる人が小人であるとは思わない。つまり,網膜像が小さいからといって必ずしも実体が小さいものとは感じていないのである。このように距離が遠くになって,網膜像が小さい場合には,私たちはそれが小さいものであると思わない。大きさの恒常性というものを持っている。
 以上述べてきたように,主な恒常性として,位置の恒常性,形の恒常性,色の恒常性,明度の恒常性,大きさの恒常性がある。ただし,色の恒常性や大きさの恒常性はある程度条件が整わないと成立しないことが知られている。
 以上のように,最初に取り上げた疑問,すなわち,なぜ見えるように外界が見えるのか,という問いに関して,より正確かつ具体的に問題を設定することができた。すなわち,2次元網膜像からいかにして3次元表面の構造や位置を脳内で推定することができるのだろうか。また,さまざまな恒常性はどのようにして実現されているのかということである。
[2嚶次元スケッチと表現の座標系]  知覚の最も重要な問題はどのようにして物体の面の形状を脳内で表現しているのかということである。この問題に対して,マー David Marr(1945-80)は2嚶次元スケッチという概念を提唱した。2嚶次元というのは2次元でもなく3次元でもない,中間的な表現という意味である。すでに述べたように私たちが物体を見ているときには,今見えていない隠れた面をも感じながら見ていると考えられる。その意味で私たちは対象の3次元の表現を脳内で作っていると考えられる。一方,網膜像は2次元の表現である。その中間的な表現として2嚶次元スケッチがあると考える。2嚶次元スケッチは,面の向きと奥行きに関する表現であり,それは観察者中心座標系で表現されている。
 さて,すでに述べたように,目を動かしても,頭を動かしても,対象の静止した位置は変化しない。もし,網膜像を直接見ていれば,明らかに目や頭が動いたとき,対象の位置が変化するはずである。したがって,脳のどこかで,網膜座標系の表現から観察者中心座標系への変換がなされているはずである。つまり,対象の位置は,網膜あるいは視野の上下左右といった関係で表現されているのではなく,観察者の位置から,どの方向にどれだけの距離で物体があるのかといった捉え方をしているはずである。このことを観察者中心座標系での表現と呼ぶ。
[光学と逆変換]  私たちが,2次元網膜像から3次元構造を推定する一つの手がかりとして,両眼視差を使っている。図2に示すように,今 F を見ているとしよう。そのとき,F とレンズの中を通る円周上にある点は,左眼と右眼の対応する位置に網膜像を結ぶ。これを対応点と呼ぶ。しかし,この円周上にない点,A や B では,左右の網膜像の位置はずれている。この網膜像のずれを両眼視差と呼ぶ。円周上,すなわち今固視している面から,離れれば離れるほど,両眼視差は大きくなる。また,固視している面よりも遠い場合と手前の場合ではずれ方が逆になる。まとめると,固視点をとおる円周から点がずれていれば両眼視差が生ずる。これは,幾何光学的,あるいは物理的な過程によって生じている。脳では,この逆の操作が行われているといえる。すなわち,脳内では,この両眼視差をうまく検出し,両眼視差から私たちは奥行き知覚を得ているのである。この証拠として,ステレオグラムがある。ステレオグラムは図3のように,一対の絵を左の絵は左眼で,右の絵を右眼で見る。2枚の絵は左右で少しだけずれている。これを脳内で融合させると立体に見える。これは,左右のずれが前述の両眼視差に対応している。すなわち,私たちは両眼視差から脳内で立体を復元しているということになる。以上をまとめると,光学過程で生じた両眼視差を,3次元形状推定の手がかりとして用い,脳内でその逆変換により3次元像を構成しているのである。
[3次元構造を推測する手がかり]  前項で述べたように,両眼視差は3次元構造を推定する重要な手がかりの一つである。しかし,私たちは両眼視差以外に,片眼でも使えるさまざまな手がかりを利用している。これらを単眼手がかりと呼ぶ。単眼手がかりには,陰影,オプティカルフロー,テクスチャー,遮戴,遠近法的手がかりなどが存在する。これらの手がかりが単独に与えられても,ある程度立体感は得られる。たとえば,遠近法的手がかりの陰影やテクスチャーといったものは,絵画に使われている。両眼手がかりや単眼手がかりそれぞれの手がかりから推定される3次元情報を統合して私たちは頭の中で一つの面の表現を作り上げていると考えられている。
[恒常性と情報統合]  D. マーの提唱した2嚶次元スケッチは,観察者中心座標系での表現なので,観察者の頭や目が動いても,安定した位置の表現になっている。私たちの知覚には,確かに,このように位置の恒常性が成立している。位置の恒常性が成立するためには,私たちの動きを考慮して網膜座標系の表現を観察者中心座標系に変換しなければならない。事実,脳ではこのような視覚情報の変換が運動情報を用いて行われていることが実証されている。しかもこのような変換は,自己の運動が起きてからでは遅すぎる。運動が起こる前に,その運動を予測しながら視覚情報を変換していく必要がある。私たちの脳内では,自己の運動指令情報を使ってこの変換がなされていると考えられている。具体的にいえば,筋肉への運動指令は大脳の運動野から発せられる。この運動野から発せられた情報は,通常の経路では脊髄を通って筋肉に指令が伝わる。この運動情報を脳内で利用することにより,視覚情報の変換を行う。こうすれば,時間の遅れなしに知覚情報の変換ができる。このような操作が頭頂連合野でなされていると考えられている。つまり,運動指令を出すと同時に,その運動が実際に起これば,網膜像はどのように変換されるかを予測し,実際に入ってきた視覚情報を観察者中心座標系に変換しているのである。このように恒常性においては,複数の情報の統合が不可欠となる。
[聴覚による知覚]  さまざまな音源から伝わってくる音波が重ね合わせられて,私たちの耳に入ってくる。この音波は鼓膜を振動させ,その振動は耳小骨を経て蝸牛と呼ばれる組織に伝えられる。蝸牛で音波は,時間周波数に展開されることが知られている。私たちはこのように複合された音波から,独立の音源の位置や距離を推定(音源定位という)し,それぞれの音源からの音信号を分離して選択的に聞くことができる。
[体性感覚による知覚]  比較的体に近い空間や自己の姿勢の知覚においては,視覚や聴覚の情報と体性感覚情報が統合されて,対象および自己の身体の位置関係が自己中心座標によって表現されている。これらの情報をもとにして自らの身体運動のイメ-ジが得られる。さらに,自らの運動を通して外界の対象に能動的に触れたり操作することによって,対象の形状や材質のイメ-ジが作りあげられる。能動的に対象を手でさわる場合,手や指のばらばらの運動知覚ではなく対象の形状や対象の材質が感じられる。これをアクティブタッチと呼ぶ。知覚系と運動系を結ぶ頭頂連合野では,対象が自己の身体によって操作可能かどうかという評価を下すこともできなければならない。たとえば,手でつかめる大きさかどうかという判断もこの系の役割であると考えられている。
⇒運動                     乾 敏郎

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運動知覚
運動知覚

うんどうちかく
perception of movement

  

刺激対象の移動,動きを知覚すること。これには,視野内の視覚刺激対象やみずから音を発する聴覚刺激対象が空間中を実際に移動したり,触刺激対象が皮膚面上を実際に移動したときに生じる実際運動の知覚と,それらの刺激対象が実際は静止していても,あたかも動いているように感じられる運動の錯覚がある。前者は日常一般にみられるもの。ただしこの場合にも運動の知覚が生じるには,移動する対象の運動速度,運動距離,周辺条件などにおいて適度の条件が満たされていることが必要である。後者には,仮現運動,誘導運動,自動運動などの現象が含まれる (→シャルパンティエの錯覚 ) 。なお,運動する対象をしばらく持続視したのちに静止した対象を見ると,その静止対象が反対方向に運動するように感じられる種々の運動残像もこの運動の錯覚の一つ。





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運動知覚
I プロローグ

運動知覚 うんどうちかく Motion Perception 対象の動きの知覚は、聴覚や触覚にもみとめられるが、おもに視覚の問題として研究されてきた。視覚的運動知覚は、実際運動、仮現運動、誘導運動、運動残効、自動運動に区別することができる。

II 実際運動

実際の運動は、物理学的には対象と観察者の相対的な位置変化であり、何が何に対して運動するかは、観察点をどこにとるかによってきまる。人間の場合、実際運動の知覚は、一般には観察者に観察点がある場合であり、この観察者に対する外界の動きとして考えることができる。宇宙ロケットの搭乗員からみれば、ロケットが上昇するのではなく、地球のほうが後方にしりぞいていくのである。ところで、われわれがうごく対象を追視し、それによって対象の網膜像がほぼ静止してその周囲の事物が網膜上をうごく場合でも、われわれにうごいてみえるのは対象であってその周囲の事物ではない。したがって、われわれの運動知覚を規定しているのは網膜上の動きそのものではなく、実際にうごいているものの動き(大地系に対する運動)である。ここにもある種の知覚の恒常性をみとめることができる。

III 運動知覚の閾値

夕方、東の空にのぼった月は朝までのうちに西の空にしずむ。天空を月が移動していることは明らかであるが、しかしわれわれは、それを実際の動きとしては知覚できない。また、秒針はうごいてみえるが時針はうごいてみえない。そこから、運動視がおこるには、ある閾値(いきち)よりも大きい運動速度が必要であることがわかる。運動速度の閾値については、周囲が明るく周辺の事物がみえる通常の環境では、視角であらわして毎秒1/60度から2/60度、周囲が暗く周辺情報が不足しているときにはその20倍前後であるといわれている。

IV 実際運動の特徴

実際運動については、同じ物体の動きを知覚する場合でも、その対象を追従する場合とほかの静止物を注視しながら観察する場合とでは、前者が後者よりもはやく感じられることが知られている。また、自動車の車輪の1点は、厳密に物理学的にはサイクロイド曲線をえがいて変化しているが、実際には車輪の回転と車輪そのものの位置移動運動とにわかれて知覚されることも、われわれの日常経験で明らかである。さらに車窓から外をみるとき、近くの事物は後方にしりぞいていく速さがはやく、遠方の事物はおそくみえる。このように、運動対象間の速度差は、その対象までの奥行き感や遠近感とむすびついており、これを運動の奥行き効果とよぶ。→ 奥行き知覚

V 仮現運動

次に仮現運動とは、映画に代表されるように、実際に何かが運動するのではなく、フィルムの1こま1こまの断続的な継起にすぎないものに、われわれが運動印象をもつ場合をいう。映画が発明される以前から、回転盤に一連の動作を1こま1こまえがき、それを回転させてスリットからみると、そこに動きが知覚されることはすでによくしられており、驚き盤(Stroboscope)とよばれていた。また、一連の動作を1こま1こまにえがきわけた小さな紙片をたばね、それをパラパラとめくるとそこに運動が知覚されるのも同様の現象である。

これを要素主義心理学を論ばくするための決裁実験として系統的に研究したのがゲシュタルト心理学のウェルトハイマーである。彼は、光点Aと光点Bを点滅させるとき、A、Bの時間間隔が短すぎれば両者は同時にひかったと知覚され、間隔があきすぎれば両者は独立の点滅と知覚されるが、適当な間隔のときにはAからBへと光がとぶように知覚されることをしめし、その時間間隔が最適なときのあざやかな光の運動印象がえられる事態をファイ(φ)現象とよんだ。映画の場合では1秒間に24こまのときがもっともリアルな運動印象がえられ、こま数をへらすとぎくしゃくした動きになる。町のうごくネオンサインや踏切のうごく矢印、ビルのうごく電光掲示板などはみなこの仮現運動を利用したものである(→ 図形残効)。

VI 誘導運動

誘導運動は、ながれゆく雲の間を逆方向に月がのぼっていくようにみえたり、橋の欄干(らんかん)からながれいく川をながめていたときに、橋全体が川を遡上(そじょう)するように感じられたりするように、実際に運動するものによって、本来は静止している物の運動印象がひきおこされる現象をいう。遊園地にあるビックリ・ハウスもこれによるもので、自分はブランコにすわっているだけで、実際には家が回転しているにもかかわらず、われわれは自分がブランコにのって家の中を回転しているように感じる。ゲシュタルト学派によれば、これはある物をとりかこむ周囲の運動によって、かこまれた物の運動が誘導されることだとされてきた。近年の認知心理学的研究(→ 認知心理学)では、この現象を網膜における視細胞の視覚情報処理の観点から明らかにしようとしている。

VII 運動残効

運動残効は、運動している対象をしばらく注視したのちに、周囲の対象に目を転じるとそれが逆向きにうごいてみえる現象をいう。滝がながれおちるのをみていて、周囲の岩に目を転じると、岩が滝をのぼっていくようにみえるので「滝の錯視」ともいわれる。この現象は網膜上の運動刺激の性質に依存するところから、近年の認知心理学的研究では、視覚系における特徴検出機構との関連で研究が展開されている。

VIII 自動運動

自動運動とは、暗室中の光点を注視しているうちに、それがいろいろな方向にうごきまわるように知覚される現象のことで、その運動の幅や速さなどは個人差が大きいことが知られている。暗室では姿勢による重力方向の手がかりしか活用できず、通常の視覚的枠組みが点の定位に利用できないところからもたらされている知覚現象だと思われる。実際、完全な暗室中では自分の体を正立した状態にたもつことさえむずかしくなる。この現象は、眼球運動や姿勢制御などの要因との関連がしらべられているが、まだ不明な点も多い。

従来の運動知覚はおもに刺激条件との関連で研究されてきたが、今日ではむしろ感覚器における情報処理との関連で研究が展開されているといえる。


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錯視
錯視

さくし
optical illusion

  

物理的な計測手段ではかられた長さ,大きさ,角度,方向ないしはそれらの幾何学的な関係が,ある種の条件のもとで,それとは著しく食違って見える現象。視覚について現れる錯覚の一種であり,視覚的錯覚とも呼ばれる。その例としては,(1) 幾何学的錯視,(2) 月の錯視,(3) 反転錯視 (同一図形において2通りの見え方が交互に現れる現象をさし,ネッカーの立方体や反転図形の見え方がその例) ,(4) 運動の錯視,などがある。 (→運動知覚 , シャルパンティエの錯覚 )





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錯視
さくし optic illusion

視覚領域における錯覚をいい,他の感覚領域のものと同じようにいくつかの型に分けられるが,とくに生理的錯覚に属するものは数多くのものが存在する。これらの錯視は刺激対象が特別の形状や配置にあるとき,実際とは違った形や大きさ,性質のものに見えてしまう現象であって,だれにでもほぼ等しく起こりうるものである。
[生理的錯視]  (1)〈月の錯覚〉といわれるものは,月や太陽が地平線に近いときは中天にあるときよりも大きく見える現象であり,観察者の身体に対する方向関係から生じるもの,すなわち,身体の前方にあるものは見上げる方向にあるものより大きく見えると説明されている。
(2)明るさ,色の対比などに関しては,白,黄,緑のものは黒,赤,青のものより大きく見え(〈放散による錯視〉),色の色調や明るさは類似色が近くにあるときはいっそう似た色調や明るさに見え(〈同化による錯視〉),補色が近くにあるときはより際立って見える(〈対比による錯視〉)。
(3)物の運動に関する錯視としては,風が速く流れる夜空で月が雲の間を速く走って見えるように,あるものが動くと静止しているものが動いて見える〈誘導運動の錯視〉と,映画の原理のように,刺激を空間内の異なる位置に断続的に提示すると,その刺激が初めの位置から動いたように見える〈仮現運動の錯視〉がある。
(4)〈幾何学的錯視〉といわれるものは,物の大きさ(長さ,広さ),方向,角度,形などの平面図形の性質が周囲の線や形などの関係のもとで実際とは違って見えるものである(図)。たとえばミューラー=リヤー図形では同じ長さの直線がつけ加えられた矢線の影響で異なった長さに見えるものであって,外向矢線のついたほうが内向矢線のついたものより長く見え,ブント=フィック図形では,同長の垂直線と水平線が違った長さに見える。斜線が2本の平行線で中断されると,ずれて見えるポッゲンドルフ図形,縦の平行線が交差する斜線のために互いに傾いて見えるツェルナー図形は方向の変化の錯視である。ヘリング図形,ブント図形では,平行線が中央部で凸または凹に湾曲して見える。同心円の内円は過大視され,外円は過小視される(〈デルブフの大きさの錯視〉)ため,単独円と同心円の内円,および同心円の外円と単独円とは同じ大きさにもかかわらず異なって見える。ジャストロー図形では,同じ大きさの扇形でも内側のほうが外側のほうより大きく見え,また外側のほうが湾曲して見える。遠近法で描かれた絵の中の円筒(ポンゾ円筒)は手前に置かれて見える円筒よりも奥に置かれて見える円筒のほうが大きく見えるが,この絵を水平に近い方向から眺めて遠近法の効果を消すと,同じ大きさに見える。
(5)2種類以上に見える図形(多義図形)の一つの例としては〈シュレーダーの階段〉があり,階段に見えている図形がときおり斜上方から見たビル街に見えてくる。
(6)矛盾図形の例としては〈ペンローズの三角形〉がある。下の図のように上端が離れているときには立体に見えるが,その上端が密着して描かれている上の図は,現実にはそのような立体は存在しないにもかかわらず,ごくありふれた三角形の工作物と同じに見えてしまう。
(7)これらの生理的錯視は冷静な心理状態でも起こるが,特別の心理状態のとき起こる錯視がある。たとえば恐怖感の強いときに暗がりの中でススキの穂が揺れるのを幽霊と思うのは〈感動錯覚〉といわれ,冷静な心理状態になると消滅する。
[病的な視覚性錯覚]  視覚性錯覚のなかには病的状態のときに出現するものがある。たとえば振戦譫妄(しんせんせんもう)といわれる意識障害を伴うアルコール中毒などでは,床の上のごみや壁のしみが動く虫や襲いかかってくる怪獣に見えたり,赤い布切れが炎に見えるなど,活発な動きの感覚が加わって見える。特殊なものとしては,精神分裂病などのさい出現するものがある。それには未知の人を知人と錯覚し,知人を未知の人と錯覚する一種の人物誤認があり,まただれを見ても敵がいろいろ変装しているのだと主張する〈フレゴリの錯覚〉,家人が本物ではなく替玉に見えてしまう〈ソジーの錯覚(替玉錯覚)〉といわれるものがある。⇒錯覚                 中根 晃

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仮現運動
仮現運動

かげんうんどう
apparent movement

  

見かけの運動,キネマ性運動ともいう。一定位置にある刺激対象が,瞬間的に出現したり消失したりすることによって,あたかも実際に運動しているように見える現象。α (アルファ) ,β (ベータ) ,γ (ガンマ) などの種類がある。第1の刺激対象を,瞬間的にある場所に提示したのち,多少の時間間隔をおいて第2の刺激対象を瞬間的にやや離れた場所に提示すると,初めの場所から次の場所へと動きが感じられる。これがベータ運動で,映画でみられる写真や絵の動きはこれと同種の現象である。驚き盤 stroboscopeにより,少しずつ異なった絵の系列を次々に提示した場合に観察される絵の動きもその一つ。このためベータ運動は驚き盤の錯覚,または驚盤運動とも呼ばれる。アルファ運動は,主線が同一の長さをもつミュラー=リヤーの図形の外向図形と内向図形とを同一場所に交互に提示した場合に,その主線が伸び縮みして見える現象。ガンマ運動は,一つの刺激対象を短時間提示した場合に,出現するときには膨張するように,消失するときには収縮するように見える現象をいう。この仮現運動,特にベータ運動は触覚や聴覚でも生じる。 (→運動知覚 )





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ミュラー=リヤーの図形
幾何学的錯視
誘導運動
誘導運動

ゆうどううんどう
induced movement

  

周囲の他の対象の運動によって,実際には静止している対象があたかも動いているように見える現象。雲間の月が動いたり,橋の上から川の流れを見ていると橋が動いているように見えたりする運動印象。大きいものよりは小さいものが,地 (背景) よりは図 (前景) のほうが動いて見える。





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シャルパンティエの錯覚
シャルパンティエの錯覚

シャルパンティエのさっかく
Charpentier's illusion

  

暗黒内で1つの光点を凝視している際,その光点は静止しているのに,それが種々の方向に動くように見える現象。通常,ゆっくりした光点の動揺が見られる。自動運動効果とも呼ばれる。





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運動残像
運動残像

うんどうざんぞう
after-effect of seen motion; Bewegungsnachbild

  

運動している対象をしばらく持続観察した直後,静止対象に眼を転じた際に現れる運動印象。静止対象が,直前に見ていた運動方向とは反対の方向に動くように見える現象で,滝の水の流れを凝視してから付近の景色を見る際にも現れるので,落水の錯覚 waterfall illusionなどとも呼ばれる。 (→運動知覚 )  





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残像
ざんぞう after image

刺激対象を一定時間注視した後に,目を閉じたり他所に目を転じたときに生じる視覚的効果をいう。これには〈正(陽性)の残像 positive afterimage〉と〈負(陰性)の残像 negative after image〉がある。〈正の残像〉とは原刺激が強く短いときにおこり,明暗が同じ方向のものである。〈負の残像〉とは明暗が逆転したもので色相は補色になることが多い。また残像は外界の任意の距離にある平面上に投射してみることができる。そのとき見かけ上の大きさは距離に比例して増大する。これを〈エンメルトの法則 Emmert’s law〉という。また一定方向に運動している対象をしばらく注視してから静止対象をみると,それが逆方向に動いてみえるのを〈運動残像 movement after image〉(または〈運動残効〉〈滝の錯視〉)という。残像は刺激除去直後の数秒間持続する普遍的現象であるが,特定の人にのみ数時間,数日後にも現れることがあり,これを〈直観像 eidetic image〉という。
                        梅津 耕作

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奥行知覚
奥行知覚

おくゆきちかく
depth perception

  

観察者から刺激対象までの距離について知覚すること。三次元的な立体の前面からその背後までの距離の知覚も含まれる。人間の場合視覚を主とするが,条件により聴覚や身体感覚も大きな役割を果す。視覚では,(1) 眼球の調節作用,(2) 輻輳,(3) 両眼視差などのほか,(4) 物の相対的大きさ関係,重なり具合,遠近法的収斂,色合いの濃淡 (遠方の物ほどぼんやり青みがかる) ,運動視差 (観察者の動きにつれ距離の違う物体相互が異なった動きをして見える) ,肌理 (きめ) の勾配,などが重要な手掛りとなる。聴覚では一般に強度差の手掛りが重要とされているが必ずしも明らかではない。なお視覚障害者では,対象からの反響音を利用し障害物の存在とその距離の知覚が行われ,これを顔面視覚と呼ぶことがある。





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[ブリタニカ国際大百科事典 小項目版 2008]
形の知覚
形の知覚

かたちのちかく
form perception

  

心理学用語。二次元あるいは三次元の事物や対象から,その形状ないしは形態の属性を抽出し,その特徴を把握する過程。視覚による形の知覚には,図と地の関係を把握する過程とその形を構成している線,辺,角,面などの特徴をとらえ,その全体的な構造を認知する過程とが含まれる。原初的な図と地の構造は,先天的な神経機構に依拠して成立するが,形を識別する過程は先天的な仕組みがそなわっているだけでは不十分で,生後の長期にわたる学習によって初めて形成される心的機能であると考えられる。形の識別過程は,成人の視覚についてはきわめて短縮されており,特殊な条件下におかれないかぎり,その全体的な構造は即座に把握される。これに対し,同じく視覚を介しても,開眼手術を受けたばかりの先天性盲人の眼では,簡単な幾何学的図形でさえもその全体を即時的にとらえ,識別することができず,術後の組織的な学習を経て初めてそれが可能になるとする M.V.ゼンデンの実験結果 (1932) があるが,これについてはのちに D.O.ヘッブらによって疑問が提出されている。





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[ブリタニカ国際大百科事典 小項目版 2008]
学習
学習

がくしゅう
learning

  

個人的経験の結果として起る比較的永続性のある行動の変容。生物体が知覚によって自分の行動を変える場合も学習と呼ぶ。ただし成熟,疲労,その他,器質的,機能的変化による変容は除かれる。学習によって形成された反応様式を習慣という。
学習によって得た行動には,(1) 連合学習ないし条件づけによる学習 (古典的条件づけおよび道具的条件づけ) ,(2) 弁別学習,(3) 順化 (習慣化) ,(4) 概念形成,(5) 課題解決,(6) 知覚学習,(7) 運動学習,などが含まれる。模倣,洞察学習,刷り込みは以上とは異なる種類の学習である。 17世紀から 20世紀なかばまでの学習理論では,一定の普遍的な原理がすべての学習プロセスを支配し,それが機能する方法と理由の説明を科学的に証明することを目的としていた。あらゆる生物体の行動を,自然科学で仮定された法則をモデルに統一体系で理解しようと,厳密で「客観的」な方法論が試みられた。しかし,1970年代までに,包括的理論には様々な漏れがあることがわかり,学習に関する単一の理論は不適切であると考えられるようになった。 1930年代に,心理学のすべての知識を単一の大理論に統合しようとする最後の試みが,E.ガスリー,C.ハル,E.トールマンによって行われた。ガスリーは,知覚や心理状態ではなく,反応が学習の根本的で最も重要な基礎単位であると考えた。ハルは報酬によって促進された刺激=反応 (S=R) 活動の結果である「習慣強度」が学習の不可欠な側面であると主張し,それを斬新的なプロセスとみた。トールマンは,学習は行動から推測されたプロセスであるとした。彼らが広めたいくつかのテーマは,現在も議論されている。
連合はそうしたテーマの一つで,主体は環境中の何かを感じ (感覚) ,その結果そこに存在するものの認識 (観念) が生れるとの意見にその本質がある。観念につながる連合には,時間と空間における物体や出来事の接近,類似性,頻度,特徴,魅力などが含まれるとされる。連合学習は過去に無関係であった刺激を特定の反応に結びつける動物の能力で,おもに条件づけのプロセスによって起る。そのプロセスでは,強化が新しい行動様式を具体化する。初期の有名な条件づけの実験に,19世紀のロシアの生理学者 I.パブロフによって行われたイヌがベルの音で唾液を流すよう条件づけたものがある。しかし,刺激=反応説は様々な現象を満足のいくように説明ができず,過度に還元的で,主体の内的な行動を無視する。トールマンは連合には刺激と主観的な知覚的印象 (S=S) が含まれると考える,より「客観的」でないグループの先頭に立っていた。
もう一つの最近のテーマは,強化である。これは,主体の活動が報酬を与えられる場合にその行動は促進される,との発見を説明するために生れた概念で,強化の理論的仕組みについては激しい議論が続けられている。多くの心理学者は連合理論の普遍的適応性にあまり期待しておらず,学習には他の理由のほうが重要であると主張する。たとえば,ゲシュタルト心理学では,重要な学習プロセスには環境中の様々な関係の結びつきだけでなく,それらの再構築が含まれるとされている。言語心理学では言語学習には多くの言葉と組合せが含まれており,連合理論では十分に説明できないとされ,代りに,語学学習にはなんらかの基本的な組織化の構造,おそらくは遺伝的に受継いだ生れつきの「文法」が基礎となると主張されている。現代の学習理論の主要な問題には,(1) 目標の遂行における動機づけの役割,(2) 学習段階,(3) すでに学んだ仕事とまだ学んでいない仕事の間での訓練の転移,(4) 回想,忘却,情報検索のプロセスと本質,が含まれる。行動遺伝学は先天的行動と後天的行動の区別といった重要な問題に貢献した。イメージ,認知,認識意志作用など,計量化できない概念も探究されている。
学習と記憶のメカニズムは,神経系における比較的持続性のある変容に左右されるようにみえる。学習の効果は,明らかに可逆的プロセスによって脳にまず保たれ,その後より恒常的な神経の変化が起る。したがって2種類の神経学上のプロセスを示唆している。一時的で可逆的な記憶の短期的な機能は,記憶の痕跡を限られた期間保存する生理学的なメカニズム (シナプスの電気・化学的な変化) によって生れる。確実でより永続的な長期の蓄積は,神経単位の物理・化学的構造の変化に依存しているのであろう。シナプスの変化が特に重要と思われる。





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[ブリタニカ国際大百科事典 小項目版 2008]

学習
がくしゅう learning

学習とは,特定の経験によって行動のしかたに永続的な変化が生ずる過程である。同じ行動様式の変化でも,経験によらない成熟や老化に基づく変化や,病気,外傷,薬物などによる変化は学習とはいえない。また疲労や飽きは,回復可能な一時的変化にすぎないので,これも学習とは区別される。子どもの発達過程では,例えば言葉や歩行の習得のような学習が,長期にわたって行われている。しかしこの場合,行動様式の永続的変化といっても,多様な経験に基づいて,広い範囲の行動が変化するのであって,この過程はとくに〈発達〉と呼ばれる。
[学習の理論]  学習のメカニズムを説明する理論には二つの立場がある。第1は,刺激と反応との結合を学習の基礎とみなす〈連合説〉である。最初にこの立場を表明した E. L. ソーンダイクは,学習を試行錯誤の過程とみなし,刺激と反応との正しい結合が生ずる条件を示すいくつかの法則を作り上げた。例えば,正反応の結果には満足が与えられなければならないことを説く〈効果の法則〉,数多くの反復をしなければならないことを説く〈練習の法則〉,刺激と反応との結合の用意が整っていることの必要性を説く〈準備の法則〉などである。これらの学習法則には,その後若干の修正が加えられたものの,基本的にはそのまま現在に至るまで受け継がれ,とくに行動主義の学習理論の基礎にすえられている。
 第2の立場は,認知構造の獲得を学習の基礎とみなす〈認知説〉である。この立場はとくにゲシュタルト心理学者たちが採っている。学習は場面の構造が認知されることによるが,それは試行錯誤の結果ではなく,場面の中で解決への見通しが一挙に開けてきたためであるとみなす。だから学習すべきものは,刺激と反応との結合ではなく,場面の意味であり,とりわけ手段‐目標関係の理解なのである。しかし学習そのものの中に,二つの基本的に異なる過程があるという視点から,最近では両者の立場を総合させた〈二要因説〉も提起されている。
[学習の過程]  学習はさまざまな条件によって促進されたり停滞,阻害されたりする。それらの現象のおもなものをあげてみる。
(1)学習の構え 同種類の問題を何度も経験すると,その種の問題に対する学習のしかたを習得し,しだいに容易に解決できるようになっていく。これはいかに学ぶかという構えを学習するからである。
(2)高原現象 学習の過程で行動の進歩が一時的に停滞することがある。学習曲線がこの場合あたかも高原のような形を描くので,これを高原現象という。これは学習の疲労,飽和や動機づけの低下などによるほかに,より高次の段階の学習を続けるために,そのときまでの学習行動を質的に変化させる際に現れる現象でもある。
(3)分散学習と集中学習 学習時間の配分のしかたに応じて,適当な休憩をはさんだ〈分散学習〉と,休みなしに連続して取り組む〈集中学習〉とに分けることができる。分散学習の長所は,休憩中に疲労の回復や学習意欲の更新や復習などが行われるうえ,誤反応を忘却できる点にある。ただしあまりにも長い休憩が入ると,正反応でも忘却してしまうおそれもある。一方,集中学習は,長時間続けざまにその学習活動にあてることができるため,学習活動の準備にあらかじめ一定時間を必要とする場合には有利である。そのうえ,集中学習では,分散学習のように反応を固定化させることもないので,反応の変化がしばしば生ずる学習にも有利である。一般に技能学習には分散学習が,問題解決学習には集中学習が適切だといわれている。
(4)全習法と分習法 学習材料の扱い方に応じて,全体をひとまとめにしてなんども繰り返しながら学習する〈全習法〉と,全体をいくつかの部分にあらかじめくぎり,それらを順々に学習していく〈分習法〉とに分けることができる。もちろんいずれの方法が有効であるかは,その学習材料の性質に基づく。長い学習材料やむずかしい学習材料の場合には分習法に,逆に短い学習材料ややさしい学習材料の場合には全習法によらなければならないだろう。また統一性に乏しい学習材料は分習法が,意味連関のある学習材料は全習法が適切だろう。しかし全習法は効果をあげるのに多くの時間と労力を必要とするのに対し,分習法は速く容易に学習の成果をあげられる。したがって年齢や能力の低い者には,分習法が有利だといわれている。
(5)学習の転移 以前の学習が別の内容についての学習に影響を及ぼすことを〈学習の転移〉という。転移には,前の学習が後の学習を促進させる正の転移と,逆に妨害する負の転移とがある。転移が生ずる条件として,両学習間の類似性,時間間隔および前の学習の練習度などがあげられる。そして,前の学習経験に含まれる構造を正しく把握するとき正の転移が生じ,これを誤ってとらえたり,不十分にしかとらえなかったりすると負の転移が生ずることとなる。⇒発達     滝沢 武久
[学校における学習指導]  上記のような学習のメカニズムを考慮して進められるが,文化,科学,芸術の基本的内容を精選し,系統的に配列し,これを学習者の生活,既得の経験や知識と適切に結合することがとくに求められる。実際の学習指導においては,学習者の多様な反応が現れるから,それらに適切に対応することによって指導の効果をあげることが期待される。例えば学習内容によっては一つの解答,一つの解法だけがあるのではなく,いくつかのものが許容されうる場合がある。このようなときは学習者たちが自発的に多様な解答,解法を示すことも少なくない。教師の発問によってこれを促進することもできる。また集団での学習では,学習者の中に誤りの反応をする者がいるが,誤りの種類や性質によってはこれを積極的に取り上げて解明することを通じて,学習者全員の理解をいっそう十分なものにすることもできる。これらは集団での学習=一斉指導の場面で,教師が直接に学習者たちに働きかけ,その自発性を高め,理解度を深める配慮であるが,これらとあわせて,班あるいはグループを学級の中に作り,学習者相互の働きかけ合いをねらうことによって,さらに指導の効果をあげることもなされうる。
 また学習指導によって,学習者の中に定着したものを確実に把握することも必要不可欠である。とくにそれぞれの学習内容の系列において,必須の概念や操作が習得されていない場合には,後の学習に多大なマイナスとなり,いわゆる学業不振の原因となる。なお,学習させるべき内容の精選・配列,実際の指導,学習者における定着は,学習指導としてひとつながりのものである。そこで,例えば学習指導の効果が上がらない場合など,学習内容の選び方,配列のしかたに問題はないか,指導の方法に問題はないかなどというように,教師にはつねにみずからを反省する態度が要求されると同時に,こうしたことについて教師が自由に研究,研修できるような条件を整えることもたいせつである。             茂木 俊彦
【動物における学習行動】
 動物の行動研究が進むと学習に関する考え方も変わってきた。まず,それまで鳥や哺乳類のみで学習能力が考えられていたのに対し,広範囲の動物で学習する能力の存在が実験的に証明された。例えば扁形動物のプラナリアに光刺激と電気ショックの組合せで条件反射を成立させ,この程度の動物にも学習する能力のあることがわかった。タコの捕食行動では各種の図形と罰・報酬の組合せで図形を学習させられること,ミツバチに色を覚えさせることなど,今日では各種の動物で学習に関する実験が行われている。また,従来は動物の行動を本能と学習に二分する考え方が支配的であったが,近年の研究によって,純粋な学習とみられるものもしばしば何を,いつ,どこで学習するかといった面で遺伝的に決定されていることが明らかにされ,現在ではこのような二分法は有効性を失いつつある。
[慣れ habituation]  もっとも単純な形の学習は慣れで,これは,とくに刺激の強化が加えられなくても無害な環境には反応を示さなくなるようなものである。キジなど地上営巣する鳥の雛は,孵化(ふか)後,最初は頭上をかすめるすべての影に対して警戒のうずくまり姿勢を示すが,やがて木の葉や無害な小鳥が横切った程度では警戒姿勢を示さなくなる。このような慣れは,明らかに生後の経験によって獲得した反応であるが,猛禽類の影には決して慣れを示さず,このような能力が遺伝的にプログラムされたものであることを示している。
[刷込み imprinting]  刷込み(インプリンティング)は特殊な形の学習である。これは生後のある時期の経験が,その動物のある行動を規制してしまうもので,とくに生後の初期に生じやすい。孵化後2~3日目くらいのニワトリの雛は品に対して強く刷り込まれ,このときに経験した品箱の色や形にこだわる。アヒルの雛が母親が近くにいても,品入れをもって歩く人の後をついていくのも刷込みの例である。これは生後の脳の発達とも関連し,成体になってからは生じない。また,同種の仲間とある程度以上いっしょに生活すると刷込みも生じにくくなる。
[各種の学習行動]  さまざまな動物には種に応じてプログラムされた学習能力があり,例えば,カリウドバチの多くは巣穴を出て獲物を狩りにいく際,周囲のおおまかな地形を認知し,巣穴に戻る手がかりとする。肉食性の哺乳類の幼獣が成長の過程で仲間とじゃれ合いながら口や四肢の扱い方が巧みになったり,鳥類の幼鳥がしだいに熟達した飛翔(ひしよう)を行うようになるのも経験による学習の効果であろう。試行錯誤的に経験を積み重ね,ある行動を獲得するのも学習といえる。サルのいも洗い行動などはその一つで,たまたま海水につかった品を食した個体から,ある集団の中で,すべての個体が海水で洗ってから食すようになったのは偶然の効果から出発している。
 自然な状態における学習の役割は,子が親と同じ行動パターンを受け継ぎ,与えられた環境でうまく生きていけるようにすることである。したがって一般には学習によって行動が進化することはないといえる。                奥井 一満
【認知科学における学習】
認知科学は学際的な学問領域であり,学習の研究を理論的にリードしてきたのは心理学である。心理学において学習とは主体の経験による行動や心的状態(認知)の比較的長期に持続する変化を示す語として使われてきた。認知のモデル化を目指す認知科学においては,学習は記憶とほとんど同じものとして扱われ,特に個体の知識の獲得に対応するものと考えられてきた。しかし,最近になって,知識観の変化と実践活動に対する理解の深まりを反映し,学習を実践のコミュニティの社会的活動とみなす新しい学習観が生まれ,日常のさまざまな活動(ワーク)の研究が盛んに行われている。
[個体内の出来事としての学習]  心理学において中心的な学習観は学習を一個体のシステムの機能や行動の変化としてとらえる立場である。行動主義の学習理論では,刺激と反応の間を結ぶ有機体の内的な機構をブラックボックスとし,研究対象とはしなかった。これに対して,情報処理的アプローチをとる認知心理学では,情報の入力から出力までの過程全体のモデル化をコンピューターメタファーを積極的に利用することによって進めていった。認知主義の立場では,学習とは個体の知識獲得と知識獲得による個体の内的システムの変化,そしてそれによる個体のパフォーマンスの改善として取り扱われる。これは広くは知識の構成主義にくみする立場であり,内的な記号処理,すなわち表象の計算過程のモデル化である。最近では,言語学習や知覚,運動学習といった意識化されにくい認知過程に対して,脳の神経系メタファーを利用したコネクショニズムを人間の学習に応用した並列分散処理(PDP)モデルも提起され,記号処理モデルとの統合の試みが始まっている。行動主義的な学習論と認知主義的な学習論では変化の焦点をそれぞれ行動と認知とする点では大きな違いがあるが,どちらも一個体の変化に焦点をあて,そのメカニズムを明らかにすることを研究課題としている点では共通性がある。
[社会的な出来事としての学習]  熟練者になることは,外側からは行動の変化として,また,当事者にとっては知識の変化として観察可能な部分があることは事実であろう。しかし,熟練者になるためには,その主体を熟練者として位置づける人間関係,すなわちコミュニティが必要である。伝統芸能におけるわざの習得は個人的な出来事ではない。師匠と弟子という徒弟制があり,さらに,それはその芸能の専門家集団,その芸の鑑賞集団などのコミュニティの中に含み込まれている。そうした実践のコミュニティは価値を創造し,更新していく。〈新人〉として扱われていた人も,新しい新参者が参加することによって,古参者への仲間入りをする。周りの人たちの扱いも変わり,その人の自己のアイデンティティも変わっていく。このように考えるとある人が熟練者になるということは個人的な変化ではなく,その人を含むコミュニティ全体の変化と見なすことができる。その意味で,学習は実践のコミュニティ内で起こる社会的な活動なのであり,その参加者の行動の変化や認知的な変化はその一部を取り上げたものにすぎない。また,学習が学習者によるリソース(資源)の再編ととらえられることによって,学習は教育から独立した活動として位置づけられることにもなる。この新しい学習観の中で,学習を個体内の出来事として扱う立場の研究も再配置されていくことが期待される。
[状況論と学習研究の課題]  学習を社会的活動としてとらえる立場を理論的に支えているのが,状況論と総称される立場である。状況論はビゴツキー L. S. Vygotsky(1896-1934)に始まる社会歴史的アプローチ,活動理論をベースにして,コール M. Cole(1938- )らのアメリカ・カリフォルニア大学の比較人間認知研究所を中心として展開されている学際的な理論的志向を指す。特に,リテラシーなどの文化的道具と認知との関係に関する研究,工場や家庭における日常的認知の研究は,状況論的な学習の理論化において重要な役割を果たした。エスノメソドロジーの知識観,行為観も強い影響を与えている。その中心的な主張は,知識や行為はそれが使用される活動から切り離すことができないという知識や行為の状況性の強調である。このことは言語理解が常にその使用文脈に参照されることによってしかなされないことを考えてみればよい。状況論に基づく学習研究では,学習自体が状況に埋め込まれているとみなし,人やコンピューターなど,一個体の内的システムの変化ではなく,ある状況を構成している活動システム全体をとらえようとする。このような立場に立つと,学習は一個体の知識の獲得ではなく,ある状況内における複数の人々や人工物(技術的道具,文字や記号などの心理学的道具)の間の相互行為あるいはコラボレーションの過程であると理解することができる。認知は個人の中に閉じられたものではなく,社会的に分散しており,身体運動の学習も単なる個体の行動の習得としてではなく,社会的実践としての身体技法として取り扱われる。このような様々なリソースのコラボレーションの過程をそれぞれの活動に即して歴史的に明らかにしていくことが現在の認知科学における学習研究の主要な課題である。
⇒記憶∥徒弟制度            石黒 広昭

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