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倫理学はノイラートの船か?(その5) [宗教/哲学]


パグウォッシュ会議
パグウォッシュ会議

パグウォッシュかいぎ
Pugwash Conference

  

正式名称は「科学と国際問題に関する会議」 Conference on Science and World Affairs。ラッセル=アインシュタイン声明をきっかけとして開かれた国際科学者会議。第1回会議は 1957年7月にカナダのパグウォッシュで開かれ,東西の科学者 22人が参加。「科学者の社会的責任」「核兵器の管理」「原子力の利用と危険」をテーマとして討議し,核実験による人体への影響を警告して,「原水爆実験を禁止せよ」との声明を出した。その後,毎年1~2回場所を変えて会議を開き,軍縮問題,平和問題について具体的に検討し,社会に無関係でありえない 20世紀の自然科学とその研究に従事する者の道義的責任について討論を重ねている。会議終了後,多くの場合,専門委員会報告の付録として声明を発表,それはパグウォッシュ声明として知られている。たとえば 58年9月の第3回会議はオーストリアのキッツビューエルで,原子力時代の危険と科学者の役割について協議し,核戦争だけでなくすべての戦争絶滅を呼びかけた「ウィーン声明」を発表した。また 77年8月ミュンヘンの第 27回会議で 20周年を迎え,「パグウォッシュ運動の原則についての声明」を採択した。 76年8月 28日,京都で第 25回パグウォッシュ会議シンポジウムが開催された。 95年創設者のロートブラットとともにノーベル平和賞を受賞。





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パグウォッシュ会議
I プロローグ

パグウォッシュ会議 パグウォッシュかいぎ Pugwash Conference 正式には「科学と世界問題に関するパグウォッシュ会議 Pugwash Conference on Science and World Affairs」という。自然科学者や社会科学者などを中心に、軍縮と平和に関して討議する国際会議である。1957年7月に第1回会議がカナダのノバスコシア州のパグウォッシュ村でひらかれたので、この名前がある。

II ノーベル平和賞受賞

パグウォッシュ会議は、1955年7月にイギリスの哲学者バートランド・ラッセルやドイツ生まれのアメリカの物理学者アインシュタインら11人によってだされたラッセル=アインシュタイン宣言の呼び掛けを実践するための会議として招集された。宣言はアメリカのビキニ水爆実験以後の核兵器の危機的な状況をうけて、「人類という種の一員」の立場にたつことの必要性を強調し、全面核軍縮のみならず戦争の廃絶をうったえている。11人の署名者の中には、日本の物理学者湯川秀樹もふくまれていた。年に1~2回の総会と課題別のセミナーがおこなわれている。95年8月、広島で日本ではじめてのパグウォッシュ会議(第45回)がひらかれた。95年度のノーベル平和賞が、パグウォッシュ会議および議長であったイギリスの物理学者ジョセフ・ロートブラットにおくられた。

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ラッセル=アインシュタイン声明
ラッセル=アインシュタイン声明

ラッセル=アインシュタインせいめい
Russell-Einstein Statement

  

イギリスの哲学者 B.ラッセルらが 1955年7月9日に発表した核兵器廃棄などを提唱した声明。米ソの核軍備競争の激化を背景に,ラッセルがアメリカの物理学者 A.アインシュタインと話合ったのがきっかけで,湯川秀樹を含む世界の著名な学者8人の署名を得てアメリカ,ソ連,イギリス,フランス,中国,カナダの6ヵ国の元首または首相に送られた。この声明は,核戦争の大規模な破壊性を具体的に説き,各国の政府に対し,国際紛争の解決のためには戦争に訴えず,平和的手段を発見することを勧告し,また全般的軍備撤廃の一部としての核兵器廃棄などを主張した。同声明は世界的に反響を呼び,パグウォッシュ会議が開かれるきっかけともなった。





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ロートブラット
ロートブラット

ロートブラット
Rotblat,Joseph

[生] 1908.11.4. ポーランド,ワルシャワ
[没] 2005.8.31. イギリス,ロンドン

  

ポーランド生まれのイギリスの物理学者。パグウォッシュ会議創設者・会長。 1932年ワルシャワのポーランド自由大学で修士号,1938年ワルシャワ大学で博士号を取得。 1939年イギリスのリバプール大学教授。 1944年アメリカのロスアラモスで進められた原爆開発を目指すマンハッタン計画に参加したが,ナチス・ドイツには原爆をもつ意志がないことを知り,計画参加の条件としていた信頼が裏切られたとして計画から離脱してリバプールに戻った。第2次世界大戦後はイギリスの市民権を得て,放射線医療の研究に傾注,1950~76年ロンドン大学セント・バーソロミュー医学校教授。 1955年バートランド・A.W.ラッセルによる核兵器拡大の批判宣言にアルバート・アインシュタインらとともに署名 (→ラッセル=アインシュタイン声明 ) 。この宣言が 1957年のパグウォッシュ会議の創設につながる。 1995年には核廃絶を目指すパグウォッシュ会議とともに,ノーベル平和賞を受賞。原子物理学や世界平和などに関する著作がある。





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ロートブラット
T.H.グリーン
グリーン

グリーン
Green,Thomas Hill

[生] 1836.4.7. ヨークシャー,バーキン
[没] 1882.3.26. オックスフォード

  

イギリスの哲学者。オックスフォード大学ベイリオル・カレッジで学んだ。 1860年同大学フェロー,78年同大学道徳哲学教授。当時支配的であった H.スペンサーの経験論的自然主義,J. S.ミルの感覚論に反対し,ドイツ観念論,ことにカント,ヘーゲルの影響を受け,新カント学派,新ヘーゲル学派の立場から,いわゆる自我実現論 self-realization theoryを提唱した。主著"Introduction to Hume's Treatise of Human Native" (1874) ,A. C.ブラッドリー編『倫理学序説』 Prolegomena to Ethics (83) ,R. L.ネットルシップ編"The Works of Thomas Hill Green" (85~88) ,B.ボーザンケト編"Theory of Political Obligation" (95) 。





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[ブリタニカ国際大百科事典 小項目版 2008]

グリーン 1836‐82
Thomas Hill Green

イギリス新理想主義学派の哲学者。オックスフォード大学に学び,同大学道徳哲学教授となって生涯を過ごした。プラトンをはじめギリシア哲学を研究するとともに,ドイツ観念論哲学に深く学び,主著《倫理学序説》(1883)などで自我実現を核心とする人格的自由主義の哲学を説いた。それは,当代の経験主義的自然主義,実証主義的現実主義の思潮を批判して,精神的価値の積極的実現を求める自我の完成を,個人の人格形成の目的とするとともに,これを促進するのが社会の義務と考える哲学であった。そこから彼は,この目的実現のための国家の積極的干渉を認め,放任的自由主義に代わる社会改良主義的な新しい自由主義の政治哲学を説いた。彼の哲学は,日本でも西田幾多郎や河合栄治郎などによって学びとられ,日本の自由主義の思想的基盤の形成に影響した。                     荒川 幾男

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H.スペンサー
スペンサー

スペンサー
Spencer,Herbert

[生] 1820.4.27. ダービー
[没] 1903.12.8. ブライトン

  

イギリスの哲学者。学校教育のあり方に疑問を感じ,大学に入らず,独学であった。ダービーの学校教師を3ヵ月つとめたのち,1837~41年鉄道技師となる。その後,『パイロット』紙の記者を経て,48年経済誌『エコノミスト』の編集次長となったが,53年伯父の遺産を相続したため退職し,以後,著述生活に入った。終生独身で,大学の教壇に立たず,民間の学者として終った。進化論の立場に立ち,10巻から成る大著『総合哲学』 The Synthetic Philosophy (1862~96) で,広範な知識体系としての哲学を構想した。哲学的には,不可知論の立場に立ち,かつ哲学と科学と宗教とを融合しようとした。社会学的には,すでに『社会静学』 Social Statics (51) を著わしたが,社会有機体説を提唱した。日本では,彼の思想は外山正一らの学者と板垣退助らの自由民権運動の活動家に受入れられ,『社会静学』は尾崎行雄により『権理提綱』 (72,改訂 82) として抄訳され,また松島剛 (たけし) により『社会平権論』 (81) として訳されたほか,多数の訳書がある。ほかに『教育論』 Education (61) ,『社会学研究』 The Study of Sociology (73) ,『自叙伝』 An Autobiography (1904) 。





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[ブリタニカ国際大百科事典 小項目版 2008]


スペンサー,H.
スペンサー Herbert Spencer 1820~1903 イギリスの社会哲学者。社会学の創始者のひとりにかぞえられることが多い。ダービーに生まれ、学校教育をうけることなく、独学で多数の著作をのこした。ラマルクの影響をうけた独自の進化論にもとづき、科学の分化した知識を包括し統合する総合哲学の体系を構想した。

スペンサーの社会学は、進化の法則を社会発展にあてはめたもので(→ 社会ダーウィニズム)、小規模の部族社会から国民社会への変化を、統合化と分化のダイナミズムによって説明している。人為的な規制を脱するところに進歩があるとする彼の自由放任主義的な考え方は、アメリカをはじめ、明治初年の日本にも受けいれられ、自由民権運動に思想的な根拠をもたらした。著書には、「社会学原理」3巻をふくむ「総合哲学体系」全10巻(1862~1896)がある。


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社会ダーウィニズム
社会ダーウィニズム しゃかいダーウィニズム 個人と社会の進化は、ダーウィンが自然選択説で記述した類型にしたがうとする、19世紀後半に定式化された理論。社会はしだいに進歩・発展していくという社会進化論とは別物であるが、両者は近年まで区別されずにもちいられてきた。

ヘッケルやH.スペンサーらの社会ダーウィン主義者は、人間は動物や植物のように生きぬくために、つまり、人生で成功するために競争するのだと確信した。富裕になったり力をもったりする人たちは「適者」であり、反対に社会経済的に低い階層は不適者である。そして、人類の進歩は競争によるものであり、競争の勝者が人類を支配できるとした。この理論は帝国主義、人種差別主義(→ 差別)、経済の自由放任主義、とりわけドイツ人の優秀さを強調したナチズムの哲学的な支柱としてもちいられた。こうした社会ダーウィニズムは、20世紀に進化論のみならず社会科学の研究においても、新たな科学的な発見が自然選択の役割を縮小させると、その評価をおとした。

日本には加藤弘之や建部遯吾(たけべとんご)らによって、明治期に多くの西欧思想とともに導入された。欧米の場合と同様に、社会進化論との区別もあいまいなままに、帝国主義に理論的な根拠をあたえることで統治努力と強くむすびついたが、今日では逆に強い非難をあびるにとどまらず、もはや話題になることさえ少なくなったといえる。


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スペンサー 1820‐1903
Herbert Spencer

19世紀イギリスの哲学者,社会学者。ダービーに教員を父として生まれた。学校教育を受けず,父と叔父を教師として家庭で育った。ロンドン・バーミンガム鉄道の技師(1837‐45)および《エコノミスト》誌の編集部員(1848‐53)を経て,1853年以後死ぬまでの50年間はどこにも勤めず,結婚もせず,秘書を相手に著述に専念した。大学とは終生関係をもたない在野の学者であったが,著作が増えるにつれて彼の名声はしだいに高まり,とりわけその社会進化論と自由放任主義は J. S. ミルや鉄鋼王 A. カーネギーをはじめ多くの理解者,信奉者を得て,当時の代表的な時代思潮になった。晩年は栄光に包まれただけでなく,その思想はアメリカに W. サムナーのような有力な後継者を見いだして,1920年代アメリカの社会学,社会思想の中枢をなした。
 彼の主著は膨大な《総合哲学体系 A Systemof Synthetic Philosophy》(1862‐96)で,全10巻の構成は,第1巻《第一原理》(1862),第2~3巻《生物学原理》(1864‐67),第4~5巻《心理学原理》(1870‐72),第6~8巻《社会学原理》(1876‐96),第9~10巻《倫理学原理》(1879‐93)となっている。その哲学観は,実証的科学の提供する知識以外のところに何か哲学固有の知識の領域があるということはなく,諸科学の分化した知識を包括し統合することが哲学であるという,科学中心主義の哲学である。だから彼が総合哲学と呼ぶものは,諸科学が提供する進化についての知識,たとえば天文学が教える天体の進化,生物学が教える生物進化,社会学が教える社会進化等についての知識を統合した,進化についての一般原理を体系化することを目的とする。彼が進化というのは物質の集中化と運動の分散化であり,この進化の法則は無機体,有機体,社会(彼は社会を超有機体であるとした)を通じてあてはまる。彼の社会学はこの進化の法則を社会発展に対してあてはめ,これを未開社会や歴史上の諸社会についての文献的知識によって例証したものである(社会進化論)。社会に関して物質の集中化に相当するのは,人類が小規模の部族社会から国民社会にむかって統合化の規模を拡大してきたことである。また社会に関して運動の分散化に相当するのは,機能分化が進み環境への適応能力を増してきたことである。統合化の度合いが進むにつれて社会は,単純社会→複合社会→二重複合社会→三重複合社会,と進化する。また環境への適応様式が進むにつれて社会は,軍事型社会から産業型社会へと進化する。
 スペンサーの社会学は,有機体システムとのアナロジーによって社会を〈システム〉としてとらえ,これを維持システム,分配システム,規制システムに分かち,社会システムの〈構造〉と〈機能〉を分析上の中心概念とした点で,現代社会学における構造‐機能分析の先駆とされる。またその社会進化論に裏打ちされた自由放任主義,すなわちいっさいの人為的な規制を廃することが最大の進歩を実現するという考え方は,自由放任という経済政策上に発する概念を,社会全般に拡大したものとして重要な意義をもち,とりわけ政府規制を好まないアメリカで熱狂的に迎えられた。また同じ理由から,彼の諸著作は明治10~20年代の日本で自由民権運動の思想的よりどころとして迎えられ,数多くの訳書が出版された。 富永 健一

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プラグマティズム
プラグマティズム

プラグマティズム
pragmatism

  

1870年代の初めアメリカの C.パースらを中心とする研究者グループによって展開された哲学的思想とその運動。ギリシア語のプラグマから発し,プラグマティズムとは,行動を人生の中心にすえ,思考,観念,信念は行動を指導すると同時に,逆に行動を通じて改造されるものであるとする。そして行動の最も洗練された典型的な形態を科学の実験に求め,その論理を哲学的諸問題の解決に応用しようとするもの。代表的哲学者は,パースをはじめ W.ジェームズ,J.デューイ。彼らの理論は,明治の頃日本に紹介されたが,特に第2次世界大戦後デューイの教育理論は,教育思想に大きな影響を与えた。





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プラグマティズム
プラグマティズム Pragmatism 19世紀アメリカの哲学者パース、ジェームズなどによってとなえられた、はじめてのアメリカ独自の哲学。ある命題がただしいかどうかは、その命題が実際に役にたつかどうかにかかっていて、思考の目的は行為をみちびくことにあり、観念の重要さはその結果によるという考え方。プラグマティズムは実際に役にたたないような考えを否定し、真理はそれをもとめる時や場所や目的によってきまると主張した。この考え方は、20世紀初頭のアメリカの哲学界を大きくまきこんだ。

アメリカの哲学者・教育者デューイは、プラグマティズムを道具主義という新しい哲学に発展させた。イギリスでも、シラーがプラグマティズムのその後の発展に貢献した。

19世紀前半の功利主義と同じく、プラグマティズムは自然科学が実際に利用できる哲学であった。


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プラグマティズム
pragmatism

アメリカの最も代表的な哲学。日本では〈実用主義〉と訳されることがあるが,この訳語はこれまでプラグマティズムに関して多分に誤解を招いてきており,最近ではこの訳語を使う人は少ない。プラグマティズムは哲学へのアメリカの最も大きな貢献であり,実存主義,マルクス主義,分析哲学などと並んで現代哲学の主流の一つである。プラグマティズムを代表する思想家には C. S. パース,W. ジェームズ,J. デューイ,G. H. ミード,F. C.S. シラー,C. I. ルイス,C. W. モリスらがいる。プラグマティズム運動は〈アメリカ哲学の黄金時代〉(1870年代~1930年代)の主導的哲学運動で,特に20世紀の最初の4分の1世紀間は全盛をきわめ,アメリカの思想界全体を風靡(ふうび)するとともに,広く世界の哲学思想に大きな影響を与えた。1930年代の半ばごろから外来の論理実証主義,分析哲学がアメリカの哲学を支配するようになってプラグマティズム運動は退潮したが,パース,ジェームズ,デューイらの古典的プラグマティズムはアメリカの思想界に深く根を下ろし,依然大きな影響力をもっている。実際,一時期プラグマティズムを圧倒して絶大な影響力をもっていた論理実証主義,分析哲学自体が,時が経つにつれて逆にプラグマティズムの影響と反批判を受けて転向ないしは退潮し,かわって再び〈プラグマティズムへの転向〉〈より徹底したプラグマティズム〉(W. V. O. クワイン),〈ネオ・プラグマティズム〉(M.ホワイト)などと呼ばれる新しい傾向が見られるのは,アメリカにおけるプラグマティズムの根強い影響を示すものと言えるであろう。
[プラグマティズムの多様性]  しかし一口にプラグマティズムと言っても,パース,ジェームズ,デューイらの古典的プラグマティズムはもとより,あらゆるプラグマティストたちの思想はすべて多様に違う。しかもプラグマティズムは教育思想,社会および政治思想,法理論,歴史哲学,宗教論,芸術論,数理論理学,言語および意味の理論,記号学,現象学などの多領域に及び,これらの多領域にわたってプラグマティストたちの関心もきわめて多岐に分かれている。こうしてプラグマティズムははなはだ広範多領域に及んで現代思想の発展に寄与しているが,しかし一方それを体系的に解釈しようとすると,プラグマティズムほど多義的で,矛盾,対立に満ちたとらえがたい思想はないであろう。P. ウィナーが言うように,あらゆるプラグマティストたちの多様に異なる関心や見解,〈種々のプラグマティズムの歴史的文化的多側面〉は,一つの一般的定義にはとても収まらない。A. ローティ編《プラグマティズムの哲学》(1966)もパース,ジェームズ,デューイらのプラグマティズムの多義性に加えて,さらに論理実証主義,分析哲学との交渉史においてますます多様化したプラグマティズムの姿を示している。その序文でローティは言う,プラグマティズムとは〈一般的家族的類似性を帯びた諸見解から成るある思想圏を指す符ちょうと考えるのが最も至当である〉と。プラグマティストたちの間にはつまり L. ウィトゲンシュタインの言う〈家族的類似性〉以上のものはない。したがって,プラグマティズムの一般的定義を求めるよりも,ここではおもにプラグマティズムの三大思想家パース,ジェームズ,デューイの思想を概説し,さらに日本におけるプラグマティズムの受容について若干触れておきたい。
[パース]  プラグマティズムの創始者はパースであり,〈プラグマティズム〉という言葉も彼の造語である。しかしこの言葉は後にジェームズ,シラーらによって世に広められ,プラグマティズムと言えば主として彼らの思想を意味するようになった。そこでパースはあらたに〈プラグマティシズムpragmaticism〉という言葉を造語し,特に彼独自の立場を意識的に強調する際にはしばしばこの言葉を使っている。プラグマティシズムの〈icism〉は通常の〈ism〉とは違って,ある学説をより厳密に定義し,より限定的に用いることを意味しているとパースは言う。こうしてジェームズ,シラー,さらにはデューイらによって大きく拡大発展させられたプラグマティズムに対し,パースは彼のプラグマティシズムを次のように限定している。第1に,プラグマティシズムは〈それ自体は形而上学説ではなく,決して事物についての真理を決定しようと企てるものではない〉。それは難しい言葉や抽象的概念の意味を確かめる一つの方法にすぎない。第2に,難しい言葉とか抽象的概念というのは〈知的概念(科学的概念)〉のことで,プラグマティシズムはわれわれのすべての言葉や概念にではなく,もっぱら科学的知的概念にのみ適用される。
 こうしてプラグマティシズムは科学的知的概念の意味を確定する一つの方法であるが,その方法とは,ある科学的知的概念の意味を確定するには,その概念の対象がわれわれの行動の上に実際にどんな結果を引き起こすかを,あらゆる可能な経験的手続によって確かめよ,というものである。この方法を論理学の一つの守則として定式化したものがパースの有名な〈プラグマティズムの格率 pragmatic maxim〉で,その格率におけるいわゆる〈実際的結果〉という概念が後にジェームズらによる多くの誤解を招いた問題の概念である。パースの言う〈実際的結果〉とは,たとえばジェームズが言うような〈だれかの上に,なんらかの仕方で,どこかで,あるとき生ずる〉具体的特殊的心理的効果のことではなく,それとはむしろ逆に,未来のあらゆる状況において,もしある一定の一般的条件を満たすならば,いつでもだれでも実験的に確かめることのできる結果――言いかえれば,合理的に思考し,実験的に探究するすべての探究者たちが最終的に意見の一致にいたらざるをえないような客観的一般的結果――を意味している。このようにパースはすべての合理的実験的探究者たちが最終的に意見の一致にいたらざるをえないような〈実際的結果〉に科学的知的概念の意味を求める。それだけではなく,パースはさらに〈すべての合理的実験的探究者たちの最終的な意見の一致〉において見いだされるものが真理であり実在であると言う。こうしてパースのプラグマティシズムは科学の諸概念の意味を確定する一つの方法であるにとどまらず,さらに真理と実在に関する理論でもある。
 また,パースは形而上学的にはスコラ的実在論の立場に立っていて,彼にとっては普遍者,一般者,法則性が真の実在である。普遍的一般的法則的なものの在り方はパースの現象学の用語では〈第三次性〉と呼ばれ,そのほかに〈第一次性〉は情態の性質,質的可能性の存在様式を意味し,〈第二次性〉は現実的単一的個体的事実の存在様式のことである。そしてこれらの三つの現象学的カテゴリーにおいて,プラグマティシズムは〈第三次性〉の概念にのみかかわるが,ちなみに〈知的概念〉〈実際的結果〉〈真理〉〈実在〉などはすべて〈第三次性〉のカテゴリーに属する。このように〈第三次性〉にのみかかわるという点でもパースのプラグマティシズムはより限定された学説であるが,それはパースの現象学,形而上学に支えられており,決して形而上学を否定するものではない。
[ジェームズ]  R. B. ペリーは〈プラグマティズムとして知られる現代の運動は主としてジェームズがパースを誤解したことから結果したものであるというのが正しく,かつ公平であろう〉と言う。このペリーの見方にはもちろん異論もあるが,しかしこの見方はいくつかの最も基本的な点でプラグマティズムの歴史をより正確に伝えていると言えるであろう。すなわちパースとジェームズとは哲学的気質,関心,立場においてひじょうに違う,際立って対照的な思想家で,ふたりの思想およびプラグマティズムの概念にははじめから本質的に重要な違いがあるということ,したがってジェームズが広めたプラグマティズムは決して一般に考えられているような,つまりパースのプラグマティズムの概念の単なる延長発展ではないということである。このようにふたりは相いれがたい思想家であるので,確かにジェームズは多くの点でパースを誤解している。しかしその誤解はジェームズ自身がパースに劣らぬ独創的な思想家で,パースとは独立にすでに独自の思想を確立しているがゆえに生じたものである。よって誤解というかわりに,ジェームズのプラグマティズムは,パースの概念から示唆を得ながら,しかしパースとはひじょうに違う関心と立場から,ジェームズ自身が創設したもう一つの新しいプラグマティズムであると言える。
 そこでプラグマティズムを正確に理解するにはまずパースとジェームズの立場を対比し,ふたりの相違を知ることが肝要であるが,その相違はおおむねつぎのように要約できるであろう。(1)パースがプラグマティズムをおもに論理学の主題として,より限定的に考えていたのに対し,ジェームズは宗教論,人生論,世界観的哲学へとプラグマティズムを拡大した。(2)パースは哲学の科学化を主張し,厳密な科学的哲学の確立を企図したが,一方ジェームズは哲学の生活化を主張した。そしてジェームズによる哲学の生活化はプラグマティズムの普及には貢献したものの,多分にプラグマティズムを俗流化した。(3)パースはスコラ的実在論の立場に立って,普遍的一般的法則的なものを真の実在と考えるのに対し,ジェームズの思想は唯名論的傾向が強く,彼にとって実在は多元的,流動的で,われわれが直接経験する顕著に具体的,特殊的,個体的事象を意味している。したがって,(4)プラグマティズムの主要概念の一つである〈実際的結果〉についても,パースは一定の一般的条件の下でいつでもだれでも確かめることのできる客観的一般的法則的結果を考えているのに対して,ジェームズは〈抽象的で,一般的で,無気力なものに対する顕著に具体的で,単一的で,特殊的かつ効果的なもの〉を考えている。(5)パースが真理と実在の探究において主観,個人的意志を排し,真理と実在をわれわれの意志に関係なく,外からの強制として,つまり合理的に思考し実験的に探究する者ならだれもが認めざるをえないものとして考えるのに対し,ジェームズは〈信ずる意志〉の哲学,主意主義の立場に立って,人間ひとりひとりの具体的主体的意志の行使を重視する。このようにパースと対比してみると,ジェームズのプラグマティズムを顕著に特色づけているのは,唯名論的傾向,個人主義,心理主義,直接経験主義,主意主義,実践主義,反主知主義であると言えよう。
[デューイ]  パース,ジェームズとともに,プラグマティズムを代表するもう一人の偉大な思想家はデューイである。デューイはプラグマティズムの大成者で,20世紀初頭から30年代にかけて全盛をきわめたプラグマティズム運動の中心的な指導者である。プラグマティズムはデューイにいたって最も大きな発展を遂げたが,そのデューイのプラグマティズムは教育学,心理学,社会学,政治学,倫理学,論理学(探究の理論),文化の哲学,芸術論,宗教論などの多領域に及ぶ実に広大かつ多面的な思想である。そしてこのようなデューイの広大で多面的プラグマティズムは,全体として実践的人間学または〈生活の哲学〉としての性格を有し,デューイの哲学的関心は理論的探究にとどまらず,つねに人間および社会の現実的具体的諸問題の解決という実践的課題に向けられている。本来〈プラグマティズム pragmatism〉という言葉はギリシア語の〈プラグマ pragma〉(〈行動,実践〉の意)に由来し,それは語義どおりに訳せば行動主義,実践主義,または行動の哲学ということになるが,デューイにとって〈行動〉とは人間生活のあらゆる営みを意味し,行動の哲学はすなわち生活の哲学である。そしてこのデューイの行動即生活の哲学の根底にあって,その核心を成しているのは彼の自然主義と道具主義であろう。
 デューイはパース,ジェームズのプラグマティズムを継承しながら,さらに C. ダーウィンの進化論から決定的な影響を受けることによって,独自の自然主義的プラグマティズムを確立した。その自然主義とは,いっさいの先験主義を否定し,自然と経験,物質と精神,存在と本質,自然的生物学的なものと文化的知的なものの隔絶を説いてきた伝統的二元論をすべて排して,人間のあらゆる社会的文化的精神的営為は自然的生物学的なものから発し,それとの連続性によって成り立っていると主張する立場である。デューイの自然主義においても,人間の本性はもちろん人間の文化的精神的営為にある。しかし人間ははじめから文化的精神的存在であるのではない。人間はまず自然的生物学的な〈生活体〉であり,そこで生物学的生活体としての人間はまずその自然的環境との不断の相互作用において自然的生命を維持し,自然的生活を営まなければならない。こうして人間はその自然的生命,生活に不可欠な自然的諸条件の下で生活をはじめるが,しかし人間の生活はもちろん単なる自然的生物学的次元にとどまるものではなく,他の動物とは違って,人間本来の生活は,思考とか認識とか言語の働きなどの知的活動を媒介にして営まれる文化的精神的生活である。その場合,しかしこのような人間の知的活動は先験的なものではなく,人間生活体とその環境との不断の相互作用を通して,そこに起こる生活上の諸困難,諸問題を解決する必要から,すなわち道具的に機能的に生じ発展するものである。こうしてデューイの自然主義は必然的に彼の道具主義にいたる。その道具主義とは,人間は道具の使用によって,他の動物に比べてはるかに大きな環境に対する適応能力をもっているが,同様に人間の知性は人間がよりよくその環境に適応し,よりよい生活を営むための手段であり道具であるという主張である。そしてデューイは科学の方法を最もすぐれた知的探究の方法と考え,人間のいっさいの社会的文化的精神的営為において科学的実験的探究の態度と方法を強調した。
[日本におけるプラグマティズム]  以上パース,ジェームズ,デューイの思想を通してプラグマティズムを概観してきたが,そのプラグマティズムが最初に日本にはいったのは1888年で,元良(もとら)勇次郎によるデューイの心理学の紹介にはじまっているようである。その後,93年には元良がこんどはジェームズの心理学を紹介し,1900年にはイェール大学の心理学教授 G. H. ラッドが来日して,ジェームズの心理学について講演し,その翌年桑木厳翼がジェームズの《信ずる意志》の思想を紹介した。なお,ジェームズの〈直接経験〉〈純粋経験〉の思想は西田幾多郎,田辺元,出隆らに影響を与えている。一方,デューイの心理学,倫理学,教育思想も中島徳蔵,田中王堂らによって紹介された。このようにジェームズとデューイの思想はかなり早くから日本に受容されているが,ジェームズの思想が日本のアカデミズム哲学者たちの注目を引いたのに対し,デューイの思想は在野の思想家たち(田中王堂,杉森孝次郎,帆足(ほあし)理一郎ら)に受け入れられ,アカデミズム哲学との対決に重要な役割を果たしていることは注目される。そして日本におけるプラグマティズムの主流は在野派であり,その最も代表的な思想家は田中王堂であろう。彼はデューイから直接最も大きな影響を受け,〈書斎より街頭に〉を標榜して哲学の生活化を主張し,道具主義を唱え,〈徹底的個人主義〉〈民主主義〉を説いた。プラグマティズムは第2次大戦前の日本では特に大正デモクラシー期に最も盛んに摂取された。そして敗戦後,再びデューイを中心にプラグマティズムの研究がいっそう盛んになり,日本の民主主義運動,教育改革に大きな影響を与えた。⇒分析哲学∥論理実証主義              米盛 裕二

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パース
パース

パース
Peirce,Charles Sanders

[生] 1839.9.10. マサチューセッツ,ケンブリッジ
[没] 1914.4.19. ミルフォード


アメリカの哲学者。プラグマティズムの祖とされ,また形式論理学,数学の論理分析にも貢献。ハーバード大学卒業後,主として合衆国沿岸測量技師として活躍。晩年は隠栖して哲学研究に没頭。 1878年の論文『われわれの観念を明晰ならしめる方法』 How to Make Our Ideas Clearにおいて,概念の意味はその概念によって引出される実際の結果によって確定されると主張し,この説は友人の W.ジェームズにより「プラグマティズム」と命名された。しかしパースは自己の説を「プラグマティシズム」と呼んで,前者から区別した。死後8巻から成る論文集が編纂された。





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パース,C.S.
パース Charles Sanders Peirce 1839~1914 アメリカの哲学者・論理学者・自然科学者。マサチューセッツ州ケンブリッジに生まれ、ハーバード大学にまなぶ。1864~84年にハーバード大学などで論理学と哲学をときおりおしえたが、教授として定職にはつかなかった。67年、イギリスの数学者ブールによってつくられた論理学の体系に注目し、ブール代数を修正拡大した。

パースはプラグマティズムの創始者として有名である。彼の考えによれば、どんな対象や考えでも、それだけでは正しくも重要でもなく、それをつかったり適用したりすることで実際手にする結果だけが重要となる。したがって、ある考えや対象の「正しさ」とは、それがどれほど役にたつのかを経験的に吟味することによってきまる。この考え方は、ジェームズやデューイによってさらに発展させられたが、それはパースの考えとはかならずしも一致していない。

記号論理学や記号論などをふくむ広範囲にわたるパースの先駆的な業績は、現代の哲学や社会学に大きな影響をあたえ、今なお多くの可能性をひめている。死後、全8巻の「パース論文集」(1958)が刊行された。


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パース 1839‐1914
Charles Sanders Peirce

アメリカの自然科学者,論理学者,哲学者。プラグマティズムの始祖で,現代記号学(記号に関する一般理論)の創設者のひとり。また記号論理学,数学基礎論,および科学方法論の現代的発展における先駆者のひとりでもあり,〈合衆国が生んだ最も多才で,最も深遠な,そして最も独創的な哲学者〉と言われる。
 マサチューセッツ州のケンブリッジに生まれ,父親ベンジャミン・パース Benjamin P.(1809‐80,ハーバード大学の数学と自然哲学の教授で,当時のアメリカにおける最大の数学者)の下で特別の家庭教育を受け,ハーバード大学に学んだ。期待どおりに数学,物理学,論理学,科学哲学などの多領域で頭角を現し,大いに将来を嘱望されていたが,その偏屈な性格と離婚問題などに加えて,当時のアメリカの学界はまだ論理学の研究に関心がなかったために,大学に定職を得ることができなかった。1887年にはペンシルベニア州の山村ミルフォードに隠筒,91年には61年以来勤めてきた合衆国沿岸測量部の技師もやめ,晩年は貧困と孤独と病苦のなかで過ごした。隠筒生活のゆえに学界からも遠ざかってまったく無名の人となり,死後も長い間世に埋もれてきた不遇の人である。しかし1931‐35年に遺稿が大半を占める《チャールズ・サンダーズ・パース論文集》全6巻(1958年にさらに2巻が加えられて,現在は全8巻)が出版され,そのうえ30年代の半ばころからアメリカの哲学界を風靡(ふうび)した外来の論理実証主義,分析哲学の影響の下で特に形式論理学の研究,数学および経験科学の基礎論的研究などが盛んになるにつれて,それらの分野の最もすぐれた先駆者のひとりであったパースの存在がとりわけ注目されるようになった。爾来パース哲学への関心がひじょうに高まって,その影響はいまや論理学,科学哲学,科学史研究,記号学,現象学,言語学,文学理論などの多領域に及んでいる。
 パースはきわめて多面的な哲学者で,その思想はとても一つのイズムには収まらない。一般にはプラグマティストとして知られているが,しかしプラグマティズム(彼は1905年にプラグマティズムをより厳密に再定式化し,W. ジェームズらのそれと区別して,〈プラグマティシズム pragmaticism〉と改名)はパース哲学の重要ではあるがその一部分を占めるにすぎず,全体系を意味するものではない。パースは彼の〈諸科学の分類〉において哲学の構想と体系を示しているが,それによると,彼は厳密な科学的哲学を体系立てようと企図していることがわかる。そしてその科学的哲学は現象学,規範科学(美学,倫理学,論理学を含む),形而上学(存在論,宗教的形而上学,物理的形而上学を含む)の3部門から成る。パースはこの体系を完成することはできなかったが,その厳密な基礎学となるべき〈現象学〉を創設し,さらに,その現象学の原理――パースは〈第一性〉〈第二性〉〈第三性〉と呼ばれる三つの普遍的現象学的カテゴリーを導き出している――に基づいて緻密な記号の分類を行いつつ,きわめて独創的・包括的な記号理論(記号学)を創設した。論理学においても三つのカテゴリーにしたがって論証を〈演繹(えんえき)〉〈帰納〉〈アブダクション abduction〉の三つのタイプに分け,それぞれの論理について多くの著述を残している。形而上学では普遍的一般的法則的なもの(現象学的には〈第三性〉と呼ばれる存在の様式)の実在を主張する独自のスコラ的実在論の立場に立って,それをプラグマティズムの形而上学的前提とし,さらにその立場から形而上学の諸問題を論じている。現在の《論文集》はほぼこの体系にしたがって編集されているが,完全なものではなく,未編集の遺稿はまだかなり残っている。しかし《論文集》で見るかぎりでも,パース哲学は多面的かつ広大な独創的思想の宝庫である。⇒プラグマティズム            米盛 裕二

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ジェームズ
ジェームズ

ジェームズ
James,William

[生] 1842.1.11. ニューヨーク
[没] 1910.8.26. ニューハンプシャー,チョコルア

  


ジェームズ


アメリカの哲学者,心理学者,いわゆるプラグマティズムの指導者。小説家 H.ジェームズの兄。 1861年ハーバード大学理学部へ入学,のち同大学の医学部へ移籍。 67~68年ドイツに留学し,フランスの哲学者 C.ルヌービエなどの影響を受け,心理学,哲学に心をひかれた。 69年卒業,学位を得たが開業せず,療養と読書に過した。 72年ハーバード大学生理学講師。のち心理学に転じ,伝統的な思考の学としてではなく生理心理学を講じ,実験心理学に大きな貢献をした。また,ドイツの心理学者 C.シュトゥンプを高く評価。さらに宗教,倫理現象の研究に進み,その後哲学の研究に入った。その立場は根本的経験論に基づく。そのほか,82年頃から心霊学に興味をもち,アメリカ心霊研究協会の初代会長をつとめた。主著『心理学原理』 The Principles of Psychology (1890) ,『信ずる意志』 The Will to Believe and Other Essays in Popular Philosophy (97) ,『宗教的経験の諸相』 The Varieties of Religious Experience (1901~2) ,『プラグマティズム』 Pragmatism (07) ,『根本経験論』 Essays in Radical Empiricism (12) 。





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ジェームズ,W.
I プロローグ

ジェームズ William James 1842~1910 アメリカの哲学者、心理学者。プラグマティズムを思想的に大きく発展させた。

父のヘンリー・ジェームズはスウェーデンボリ派の神学者、弟のヘンリー・ジェームズは高名な小説家。おさないころはヨーロッパ各地ですごし、ハーバード大学で化学を専攻、のちに医学をまなび、学位をとる。博物学者アガシーを隊長とするブラジル生物探検隊に参加したこともある。病気療養後、1873年からハーバード大学で生理学、80年以降は心理学と哲学をおしえる。ニューハンプシャー州で死去。

II 心理学

ジェームズは最初の著作「心理学原理」(1890)によって、思想家としての名をあげた。この著作は、心理学における機能主義の原理をおしすすめたもので、哲学の1分野でしかなかった心理学を、現代の実験心理学の位置にまで高めた。

さらにジェームズは、この経験的方法を哲学と宗教にも適用し、神の存在、魂の不死、自由意志などの問題を、ひとりひとりの具体的な宗教的、道徳的経験にもとづき探究した。これらの主題に関する彼の考えは、「信ずる意志」(1897)や「宗教的経験の諸相」(1902)で展開されている。

III プラグマティズム

1907年に出版された「プラグマティズム」は、パースによってとなえられたプラグマティズムについてのジェームズ独自の考えがまとめられている。ジェームズはプラグマティズムを、科学の論理的基礎についての批判から、すべての経験の価値をきめる方法に拡大した。彼は、観念の価値はその結果によってきまり、もしなんの結果ももたらさないのであれば、その観念は無意味であると考えた。これは、仮説によって予想された事態が実際おこれば、その仮説はただしいとする科学者の方法と同じであると主張した。

「根本的経験論」(1912)で、多元的宇宙を論じ、絶対的なものによって世界を説明する考えを否定し、絶対的な形而上学的体系や、現実は統一された全体だという一元論的考えに異論をとなえた。ジェームズは、純粋経験である意識の流れを重視し、絶対主義よりも相対主義、一元論よりも多元論の立場をとった。彼の哲学は、デューイなどの哲学者によってさらに展開された。


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ジェームズ 1842‐1910
William James

アメリカの心理学者,哲学者。アメリカにおける実験心理学の創始者のひとり,哲学においてはプラグマティズムを広い思想運動に発展させ,現代哲学の主流の一つにした指導的学者として知られる。父親のヘンリー・ジェームズ Henry J.(1811‐82)は宗教・社会問題の著述家,父親と同名の弟は著名な小説家。ニューヨーク市に生まれ,幼時期(1843‐45),少年時代(1855‐60)をヨーロッパ各地で過ごし,1860年に画家を志望してアメリカの宗教画家 W. M. ハントに師事したが,まもなく才能がないことを知って断念,翌年には,ハーバード大学のロレンス科学学校に入学し,はじめは化学を専攻,後に解剖学と生理学を学び,さらに医学に進んだ。医学部在学中にハーバードの著名な博物学者 J. L. アガシーを隊長とするブラジル生物探検隊に参加(1865‐66),アガシーによって科学的関心を強くそそられ,実証的精神を培われた。その後療養と実験生理学の研究のため再び渡欧,68年にハーバードに帰ってその翌年医学部を卒業,病気のためしばらく隠居した。73年からハーバード大学で解剖学と生理学を教え,75年からさらに心理学の講義を担当,そして79年から哲学を教えはじめ,しばらく心理学と哲学の教授を兼任したが,97年からは専任の哲学教授となって1907年まで教えた。
 ジェームズは,幼少,青年期における長い滞欧生活に加え,ハーバード大学在任中も療養,研究,学会出席などのためにたびたび渡欧して,深くヨーロッパの風土,文化,思想に親しみ,その影響を強く受けた。したがってもちろんジェームズの思想はヨーロッパ的色彩に濃く彩られているが,一方,彼はまた,だれよりも如実にアメリカの伝統を受け継ぎ,その伝統に根ざした最もアメリカ的な思想を確立した思想家であるとも言われる。しかしジェームズの哲学を一般的哲学史のなかに正しく位置づけて評価することを怠って,もっぱらそのアメリカ的性格を強調し過ぎれば,彼の真の思想と哲学的業績を歪曲することになるという警告があることも忘れてはならない。ともあれ,ジェームズの哲学の核心はなんといっても〈信ずる意志will to believe〉の思想であろう。そして〈信ずる意志〉の哲学として見れば,ジェームズの哲学の諸特性も容易に理解できるであろう。〈信ずる意志〉の哲学であるがゆえに,ジェームズの哲学は顕著に行動の哲学であり,具体的生の哲学である。というのは,〈信ずる意志〉とは〈行動する意志〉のことであり,人間として生きるための積極的かつ具体的な意志,信条にほかならないからである。ジェームズが絶対主義を排して相対主義を,決定論を否定して非決定論を,一元論に対して多元論をとるのも,世界および人生の根底につねに人間の自由意志すなわち〈信ずる意志〉を据えて考えているからである。この立場に立つがゆえに,また,ジェームズの哲学は著しく個人主義的,唯名論的にならざるをえない。プラグマティズムにおいてジェームズがたとえば C. S. パースの場合とひじょうに違うのも,パースが,(一定の条件さえ満たせば)いつでもだれでも確かめられる客観的実験的結果を重視し,それに基づく科学的信念の固め方としてプラグマティズムの方法を考えたのに対して,ジェームズは人間ひとりひとりの具体的意志の行使を重視し,そしてプラグマティズムの意味基準を〈だれかの上に,なんらかの仕方で,どこかで,あるとき生ずる〉結果に見いだそうとするからである。そのほかジェームズの哲学を顕著に特色づけている実践主義,具体的経験主義,反主知主義,反形式主義なども,あるいは彼の哲学的関心が特に宗教の問題に向けられていることも,すべて〈信ずる意志〉の思想に拠っていると言える。主著には〈意識の流れ〉やジェームズ=ランゲ説の主張を盛り込んだ《心理学原理》2巻(1890),《信ずる意志》(1897),《宗教的経験の諸相》(1902),《プラグマティズム》(1907)などのほか,西田幾多郎にも影響を与えた《根本的経験論》(1912)がある。⇒プラグマティズム   米盛 裕二

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デューイ
デューイ

デューイ
Dewey,John

[生] 1859.10.20. バーモント,バーリントン
[没] 1952.6.1. ニューヨーク

  


デューイ

プラグマティズムに立つアメリカの哲学者,教育学者,心理学者。哲学のプラグマティズム学派創始者の一人,機能心理学の開拓者,アメリカの進歩主義教育運動の代表者。バーモント州立大学卒業後ジョンズ・ホプキンズ大学で心理学者 G.ホール,哲学者 C.パースなどに学んだ。 1888~1930年ミネソタ,ミシガン,シカゴ,コロンビアの各大学教授を歴任。その間日本,中国,トルコ,メキシコ,ソ連などを旅行し社会改革の実情を視察した。またトロツキー査問委員会委員長,アメリカ平和委員会の一員として政治的,社会的にも活躍。その哲学の特色は,伝統的哲学の絶対性や抽象的思弁を排し,哲学的思考は経験によって人間の欲求を実現するための道具であり,哲学的真理は善や美と並ぶ目的価値ではなく,それらを実現するための手段とみなすところにある。このインストルメンタリズムと呼ばれる立場を教育学に応用して進歩主義教育の理論を確立,その他政治学,社会学,美学などの分野にも貢献した。主著『心理学』 Psychology (1887) ,『民主主義と教育』 Democracy and Education (1916) ,『経験と自然』 Experience and Nature (25) ,『確実性の探求』 The Quest for Certainty (29) ,『人間の問題』 Problems of Men (46) など。





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デューイ,J.
デューイ John Dewey 1859~1952 アメリカの哲学者、教育学者、心理学者。バーモント州バーリントンに生まれ、1879年バーモント大学を卒業、ペンシルベニアとバーモントで2年間教師をつとめた。84年にジョンズ・ホプキンズ大学で博士号を取得したのち、シカゴ大学の主任教授やコロンビア大学の哲学教授などを歴任。プラグマティズム運動の中心的指導者として活躍し、その考え方を世界にひろめた。

プラグマティズムは、哲学者パースが伝統的なものの考え方に対して自分の考え方を強調しようとして最初にもちいたものであり、ギリシャ語のプラグマ(行為、事実)を重んじるという意味であったといわれる。デューイは、この考え方をもとに経験という概念を核心にすえ、実際的な経験の中にはたらく考えを重視する。ゆえに、経験はわれわれの日常の生活そのものであり、生活すなわち経験、経験すなわち生活である。

デューイは、このプラグマティズムの考え方にもとづいた教育改革に大きな関心をしめし、シカゴ時代には、経験から出発する実験学校をシカゴ大学に設置した。その目標は経験のたえざる拡大による成長と成熟の達成であった。デューイの教育改革に関する思想と提案は、おもに彼の著書の「学校と社会」や「民主主義と教育」などにのべられているが、アメリカの教育の発展に大きな影響をあたえた。その見解は、教科中心よりも児童中心、形式学習よりも活動をとおした教育、伝統的教科の習熟よりもむしろ職業教育を強調した進歩主義教育運動の原点となった。


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デューイ 1859‐1952
John Dewey

アメリカの哲学者,教育学者,社会心理学者,社会・教育改良家。哲学ではプラグマティズムを大成して,プラグマティズム運動(20世紀前半のアメリカの哲学および思想一般を風靡した哲学運動)の中心的指導者となり,その影響を世界に広めた。教育においてはプラグマティズムに基づいた新しい教育哲学を確立し,アメリカにおける新教育運動,いわゆる〈進歩主義教育〉運動を指導しつつ,広く世界の教育改革に寄与した。心理学では機能主義心理学の創設者のひとりで,社会心理学,教育心理学の発展にも多大の貢献をしている。
 バーモント州のバーリントンに生まれ,1879年にバーモント大学を卒業,3年間高校の教職に就いたのち,82年にジョンズ・ホプキンズ大学大学院に進み,2年後に博士課程を終えて学位を取得した。84‐94年ミシガン大学で教え(ただし,88‐89年はミネソタ大学の招聘教授),94年にシカゴ大学に招かれて哲学,心理学,教育学科の主任教授,1904年にコロンビア大学に転任,30年に退職するまでそこにとどまった。デューイはシカゴ大学在任中に二つの画期的な仕事をした。その一つは,アメリカにおける進歩主義教育運動の原点となった〈実験学校 Laboratory school〉をシカゴ大学に設置したこと(1896。その教育原理を《学校と社会》(1899)として刊行),もう一つは,1903年にデューイと彼の同僚たちによる共同研究《論理学的理論の研究》が出版され,そこにプラグマティズムの新しい一派,いわゆる〈シカゴ学派〉が形成されたことである。デューイのこれらの仕事はコロンビア大学に移って大きく開花し,全国的な教育改革運動,プラグマティズム運動に発展した。
 デューイの哲学および教育思想の核心を成しているのは彼の〈経験〉の概念である。経験をもっぱら知識論の問題として,つまり認識論的概念として取り扱ってきた伝統的哲学の主知主義的偏向を排して,デューイはそれをわれわれの日常的生活そのものとして,人間の生活全体の事柄として――生活すなわち経験,経験すなわち生活として――とらえる。彼はまた,自然と経験,生物学的なものと文化的・知的なもの,物質と精神,存在と本質などの隔絶を説くいっさいの二元論を否定し,それらの連続性を主張し強調する。人間は〈生活体〉であり,そして生活体としての人間はまず自然的・生物学的基盤の上に存在している。人間の本性は,もとより人間の社会的・文化的・精神的営為にあるが,しかしその人間の本性は決して自然的・生物学的なものとの断絶によってではなく,それとの連続性の上に成り立っているのである。このデューイの連続主義は人間の経験すなわち生活が自然的・生物学的なものから発し,さらに世代から世代への伝達によって連続的に発展することを説くもので,人間性を自然的・生物学的なものに単純に還元解消するいわれのない還元主義ではない。生活のもう一つの基本原理は,生活は空虚のなかで営まれるものではなく,生活体とその環境(生活体の生活を支えかつ条件づけるいっさいの外的要因)との不断の相互作用の過程であるということである。そしてこの原理によれば,思考とか認識とか,その他人間のあらゆる意識活動は,その相互作用の過程の中で,そこに起こる生活上の諸困難,諸問題を解決するために,道具的・機能的に発生し発展する。
 デューイは人間経験の本質をいま述べた生活の二つの基本原理――連続性と相互作用の原理――に求める。そしてこの二つの原理から,デューイのあらゆる思想――知識道具主義,精神機能論,探究の理論としての論理学説,自然と人間経験の世界を連昔する〈自然の橋〉としての〈言語〉の概念,自由な社会的相互交渉と連続的発展を基本的特色とする生活様式としての〈民主主義〉の概念,生活経験主義的教育原理など――が導かれる。デューイは多作家で,M. H. トマスが作成した著作目録は150ページに及ぶ膨大なものである。その中から主著として,《民主主義と教育》(1916),《哲学の改造》(1920),《人間性と行為》(1922),《経験と自然》(1925),《論理学――探究の理論》(1938)などを挙げることができよう。なお彼は,著作活動だけにとどまらない行動する思想家であり,中国,トルコ,ソ連などへの教育視察・指導旅行,サッコ=バンゼッティ事件での被告弁護活動などは特によく知られている。⇒プラグマティズム                 米盛 裕二

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道具主義
道具主義 インストルメンタリズム

インストルメンタリズム
instrumentalism

  

道具主義,器具主義などと訳されるように,観念,知識,思想などを人間の行動のための道具,生活のための手段と考える立場。プラグマティズムの一派で,J.デューイが代表者。実験主義とほぼ同意。





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道具主義
道具主義 どうぐしゅぎ Instrumentalism アメリカの哲学者デューイによってとなえられたプラグマティズムの発展したかたち。思考を人間の実際の行動の際の道具と考える立場。この考え方によれば、困難な事態に遭遇した人間にとって、その事態を解決するのに役にたたない思想や知識はその名に値しないことになる。観念や知識はあくまでその実際の働きによって評価され、人間の経験の途上でそれらが道具として役にたつかどうかがもっとも重要なことなのである。

このような道具主義の実際的で経験中心の考え方はアメリカの思想界に大きな影響をあたえ、デューイやその信奉者たちは教育や心理学の分野でかなりの成功をおさめた。


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J.バトラー
バトラー

バトラー
Butler,Joseph

[生] 1692.5.18. バークシャー,ウォンティジ
[没] 1752.6.16. バス

イギリスの神学者,哲学者。グロスターの非国教会派アカデミーに入学。のちに長老派主義に不満をもち,国教会に加わった。オックスフォード大学卒業後,1718年司祭。 38年ブリストル主教,50年ダーラム主教。おもな業績は『説教集』 Fifteen Sermons (1726) ,および『自然宗教と啓示宗教のアナロジー』 The Analogy of Religion,Natural and Revealed,to the Constitution and Course of Nature (36) である。後者においてバトラーは,当時のイギリスで広まりつつあった理神論や理性主義の風潮に対して,啓示宗教としての正統的キリスト教教義を擁護した。



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バトラー 1692‐1752
Joseph Butler

英国国教会の聖職者,ダラム主教,哲学者。長老派教会員の家庭に生まれたが国教会に改宗し,ブリストル主教(1738)を経て,1750年ダラム主教就任。《宗教の類比》(1736)で自然宗教と啓示宗教の〈類比〉を論証して,啓示宗教としてのキリスト教の伝統的な正統教義を弁証した。倫理学者としては,道徳生活は人間本性にかなった生き方であるとして,ホッブズ以来の利己主義的な功利主義を批判するなど,後世の思想家に影響を及ぼした。                       八代 崇

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厚生経済学
厚生経済学

こうせいけいざいがく
welfare economics

  

さまざまな経済環境において最適な状態は何であるかを規定し,実際の経済で運営されているメカニズムがその最適な状態を達成できるか否か,達成できないときにはどのような政策が必要か,などを分析する経済学の一分野。すなわち社会厚生の概念に内容制約を加えて経済政策が妥当かどうかの基準を確立し,その応用を企図する経済学である。「かくあるべし」という規範命題を追究する学問であって,「こうである」という実証命題を追究する実証経済学 positive economicsと対照をなす。 J.ベンサムを起源とし,ケンブリッジ学派の A.ピグーが『厚生経済学』 The Economics of Welfare (1920) で体系的に展開した。





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厚生経済学
厚生経済学 こうせいけいざいがく 実証経済学に対する用語で、ある特定の価値判断にしたがって、市場などの経済組織の成果を評価する、経済学の1分野。ピグーの主著「厚生経済学」(1920)に由来し、規範経済学ともいう。実証経済学は事実記述的経済学ともよばれ、経済組織における諸作用の因果性を法則の形で解明することを目的としている。これに対して厚生経済学は、経済組織の成果をたんに評価するだけでなく、それが不適切に運行されているような場合に是正する方法を提示することをもその内容としている。その意味で、厚生経済学は経済政策に理論的な根拠をあたえるものと考えられる。

厚生経済学でもちいられる価値判断としては、パレート基準がもっとも一般的である。これは、イタリアの経済学者パレートによってしめされた経済組織の効率性をたしかめる基準である。

すなわち、ある活動によって、ほかのいかなる人の効用水準をも低下させてはならないという条件下で、ある人の効用水準を上昇させうるならば、その活動をパレート改善的であるという。また、同じ条件下で、ある人の効用水準を上昇させえない状態をパレート最適という。つまり、パレート最適とは社会全体からみると、まったく無駄なく財や資源が配分されている状態をさす。

消費者と生産者にとっては、各自の財または資源を自由に交換することによってパレート最適を達成しうる。競争が均衡にいきついた状態はパレート最適であるという命題は、厚生経済学の基本第1定理として知られている。

1930年代になると、ヒックスなどが先頭にたって新厚生経済学を主唱した。これは、ピグーが個人の効用を合計することによって社会全体の効用をもとめることができると考えていたのに対して、個人間の効用比較をおこなわずに経済厚生をとらえたものである。新厚生経済学においては、分配よりも交換を重視し、効率性にかかわる最適条件をもとめることで、経済厚生を評価した。

ついでバーグソンやサミュエルソンらは社会的厚生関数をもちいて、分配と交換をともにふくんだ経済厚生の評価をおこなった。しかし、この試みに対してアローは、民主主義社会において社会的厚生関数を定義すること自体が不可能であると主張した。


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厚生経済学
こうせいけいざいがく welfare economics

規範経済学ともよばれ,所与の価値判断に照らして経済組織の運行機能を評価することを課題とする。経済学のこの分野を初めて体系的に取り扱った A. C. ピグーの主著《厚生経済学》(1920)の標題に従って,厚生経済学とよばれることが多い。
 厚生経済学は,特定の価値判断を提唱ないし主張するものではなく,考察に値すると思われる所与の価値判断の帰結を示すことがその課題である。これまでに考察された価値判断の中で中心的なものはパレート改善の基準である。どの個人の満足水準も低下させず,少なくとも1人の個人の満足水準を高める変化をパレート改善という。実現可能な資源配分で,もはやパレート改善不可能なものをパレート最適という。これは,資源がむだなく効率的に使われている状態である。厚生経済学が確立した中心的命題の一つに,外部経済や外部不経済(外部経済・外部不経済)あるいは公共財がない経済において,完全競争市場で均衡として達成される資源配分はパレート最適であり,また逆に,任意のパレート最適は完全競争市場の均衡として達成できるという基本定理がある。現実の市場で完全競争は厳密には成立していないから,その働きに任せておけばパレート最適が達成されるという必然性はないが,完全競争状態に近づけることによってパレート最適に近いものを実現しようとする経済政策の根拠となるものは,この基本定理である。しかし,この定理の成立の背後には,外部経済,外部不経済,公共財が存在しないという大前提がある。放送局の放送サービスや国家の国防サービスのような公共財は現実に存在し,外部不経済は公害という形でもみることができる。したがって市場における競争が完全であってもパレート最適が達成される必然性はなくなり,独占的要素を排除して競争を完全な状態に近づけるという政策の理論的根拠は弱くなる。かりに上記の大前提が満足されたとしよう。この場合でも,ある産業で完全競争が成立せず,その状況は変更できないものとしたとき,残りの産業のあり方はどうあるべきかという問題がある。残りの産業がどうあろうとも,厚生経済学の基本定理により,パレート最適の達成は困難であろう。この場合の問題は次善 second best 問題とよばれ,その解は残りの産業で完全競争を成立せしめることとは異なることが知られている。この主張は次善定理とよばれる。
 パレート最適の達成がいくつかの理由で妨げられるとき,経済政策の問題としては,なんらかの改善を実行することが考えられる。多くの経済政策の効果はある個人には有利に作用し他の個人には不利に作用するから,一般にパレート改善を実行するものではない。したがってパレート改善という価値判断だけに頼れば,経済政策の可否を決定できない場合が多い。そこで,この価値判断を次のように拡張することが考えられた。二つの資源配分 A,B について,A を個人間で再分配して資源配分 C に到達して C が B のパレート改善となるようにすることが可能なとき,A が B より良いと判断するのである。この考え方は補償原理とよばれるが,この原理によれば,A が B より良く同時に B が A より良いという矛盾した判断が生ずることがあり,このままの形では使えない。そこで,いくつかの変形された補償原理が提案されたが,成功しているとはいえない。
 厚生経済学の基本定理,次善定理,補償原理に関係する価値判断は資源配分の効率性にかかわるものであるが,資源配分の公正に関する価値判断も考察の対象となる。古くから論議されているものは個人間の平等な配分を正当化しようとするものであるが,十分な根拠を見いだすのは困難である。一般に価値判断を表現する方法として,評価すべき資源配分にその望ましさに応じて数値を割り当てる社会的厚生関数という概念が用いられることがあるが,これを民主的手続に従って構成することは不可能であるという K. J. アローの一般可能性定理が知られている。これは,厚生経済学が基礎を置く社会的価値判断の形成には困難が伴うことを示している。この定理を出発点として社会的選択理論とよばれる分野が発展している。                      長名 寛明

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ピグー
ピグー

ピグー
Pigou,Arthur Cecil

[生] 1877.11.18. ワイト島ライド
[没] 1959.3.7. ケンブリッジ

  

イギリスの経済学者。ケンブリッジ大学キングズ・カレッジ卒業。 1903~04年ロンドン大学講師,04~07年ケンブリッジ大学講師をつとめ,08年 A.マーシャルの跡を継いで 43年まで同大学経済学教授。主著『厚生経済学』 The Economics of Welfare (1920) では,いかにして社会から貧困を追放するかというケンブリッジ学派の問題意識に基づき,社会の経済的厚生の増大に関する理論経済学的分析を展開した。また雇用理論に関する J.M.ケインズとの論争や,その過程で論じられたピグー効果でも有名である。『失業の理論』 The Theory of Unemployment (33) ,『雇用と均衡』 Employment and Equilibrium (41) ほか著書多数。





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ピグー,A.C.
I プロローグ

ピグー Arthur Cecil Pigou 1877~1959 イギリスの経済学者。軍人の子としてワイト島のライドで生まれた。ハロー校卒業ののちケンブリッジ大学のキングズ・カレッジにすすみ、以来一生を通じてそこにとどまった。1908年に師マーシャルの後をついで31歳の若さで経済学教授となり、44年にD.H.ロバートソンにひきつがれるまで35年間にわたってその地位にあって、マーシャルが創始したイギリスの正統的古典経済学の一派、ケンブリッジ学派を継承していった。

II 厚生経済学を創始

著書、論文は多数にのぼるが、なかでもその名を不朽のものにしたのは、「富と厚生」(1912)を改訂増補した「厚生経済学」(1920)である。この大著において彼は、一般的厚生のうち貨幣の尺度で測定できる部分を経済的厚生とよび、その具体的な対応物である国民所得が大きくなるほど、またその配分が平等になるほど、そしてその変動が小さくなるほど、経済的厚生は増大すると説いた。

ただしこれら3つの命題のうち最後のものは、のちに切りはなされて「産業変動論」(1926)という別の書物にうつされ、現在の版は最初の2つの命題を支柱として構成されている。

そうした基本的立場にたって、彼は市場のメカニズムがどこまでのぞましく、どこに欠陥をもつかを詳細に検討し、後者の面については産業への課税や補助金の交付、富者から貧者への所得の再分配などを提唱した。

III 失業問題をめぐって

他方、彼は労働問題や失業問題にも深い興味をよせたが、その「失業の理論」(1933)は、のちにケインズの痛烈な批判の標的となり、両者の間にははげしい論争が展開された。しかし、依然として古典派の立場は堅持したものの、彼はしだいにケインズの考え方にも理解をしめすようになり、「雇用と均衡」(1941)ではより広い包括的な境地に到達した。

ケインズ派とのこの論争過程を通じて彼は、失業が存在する結果、貨幣賃金や物価がさがりつづければ、保有金融資産の実質価値が向上するから、消費需要が増大し失業者を吸収するはずだという見解を表明した。今日のマクロ経済学においてピグー効果として知られるものがこれである。


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ピグー 1877‐1959
Arthur Cecil Pigou

イギリスの経済学者。イングランドのワイト島に軍人の子として生まれる。A. マーシャルの後継者として1908年に母校ケンブリッジ大学の経済学教授となり,44年まで在職した。また通貨や税制などの政府委員会に関与して実際界でも活動している。著書は30冊に近く,パンフレットや論文は100編をこえる。彼の名を高めた《厚生経済学》(1920,4版1933)は,社会の経済的厚生ないし福祉を最大にするという目標からみて,自由な市場経済のはたらきはどこまで有効で,どこに欠陥をもつかを明らかにし,それを是正するための経済政策の理論を展開している。ピグーはまた早くから労働問題や失業問題に関心をいだいていたが,とくに《失業の理論》(1933)はケインズの激しい批判の対象となった。ピグーは当初これに強く反発したが,後にはケインズの貢献を高く評価するようになった。そうした総合的な立場は彼の《雇用と均衡》(1941)に示されている。なおケインズ派との論争の過程において,賃金と物価が低落すれば人々の保有する貨幣的資産の実質価値が高まり,それが消費を増加させるかもしれないという考え方が示唆され,これは〈ピグー効果 Pigoueffect〉(実質残高効果ともいう)と呼ばれるようになった。⇒厚生経済学          熊谷 尚夫

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資産効果
しさんこうか assets effect

さまざまな経済主体の行動に影響を与える要因として,それぞれが保有する資産の大きさを挙げることができる。この資産効果は,もう一つの主要因である所得効果(所得効果・代替効果)と併置されるものである。経済学で資産効果が初めて問題となったのは,J. M. ケインズの消費関数をめぐってであった。ケインズは《一般理論》で,消費を決定するおもな要素として国民所得を挙げて,限界消費性向の大きさが,投資や財政支出の乗数効果(〈乗数理論〉の項参照)と密接な関係をもつということを強調した。それに対して,新古典派の経済学者たちの間から,消費を決定するもう一つの重要な要因として,保有資産の残高が挙げられ,資産効果の存在が,ケインズの乗数効果に無視しえない影響を与えるということを指摘した。その代表的な経済学者は A. C. ピグーであったので,資産効果はしばしばピグー効果とも呼ばれる。
 現在,資産効果は狭い意味でのピグー効果だけでなく,もっと一般的な意味に用いられている。とくに,合理主義的な経済学の立場をとる人々のなかには,経済行動を決定する主要因は,すべての種類の資産(労働力を生み出す人的資本まで含めて)の純価値を総計した純国民資産の大きさであると主張し,資産効果こそ最も重要な概念であると考える経済学者もいる。       宇沢 弘文

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ヒックス
ヒックス

ヒックス
Hicks,(Sir) John R(ichard)

[生] 1904.4.8. ウォリックシャー
[没] 1989.5.20. ブロックリー

  

イギリスの経済学者。オックスフォード大学卒業後,ロンドン,ケンブリッジ,マンチェスター各大学の教職を経て,1946年オックスフォードのナフィールド・カレッジのフェロー,52年オックスフォード大学教授,65年同名誉教授。 A.マーシャルから部分的に J.M.ケインズにいたるまでのケンブリッジ学派の業績を集大成するとともに,オーストリア学派,スウェーデン学派の業績を摂取しつつ,L.ワルラス,V.パレート流の一般的均衡理論を大きく躍進させた『価値と資本』 Value and Capital (1939) はケインズの『雇用・利子および貨幣の一般理論』とともに 20世紀前半における経済学上最大の古典の一つと目されている。近年は微視的価格理論よりも時間要素も含めたうえでの資本や貨幣問題の領域で活躍中。 64年ナイトの称号を受け,72年 K.J.アローとともにノーベル経済学賞受賞。夫人は S.J.ウェッブの娘で,財政学者として著名な U.K.ヒックス。主著は上記のほか『賃金の理論』 Theory of Wages (32) ,『景気循環論』A Contribution to the Theory of the Trade Cycle (50) ,『資本と成長』 Capital and Growth (65) ,『資本と時間』 Capital and Time (73) 。





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ヒックス,J.R.
ヒックス John Richard Hicks 1904~89 イギリスの経済学者。ウォーリックシャー州レミングトン・スパに生まれ、1926年オックスフォード大学ベリオール・カレッジを卒業。26~35年ロンドン・スクール・オブ・エコノミックス(→ ロンドン大学)の講師、35~38年ケンブリッジ大学のフェロー、38~46年マンチェスター大学教授をへて、46年オックスフォード大学ナフィールド・カレッジのフェローとなる。52年同大学教授となり、65年名誉教授になった。

ヒックスの業績は経済学のあらゆる分野におよび、そのほとんどすべてがその後の経済学に画期的な影響をおよぼしている。主著「価値と資本」(1939)は、ワルラスおよびパレートの、多数の財の価格は相互に関連して決定されるとする一般均衡理論に新たな発展をくわえた、新古典派経済学の集大成ともいえる名著である。この中でヒックスは、ことなる時点の均衡状態を比較分析する比較静学的手法を駆使して、消費者と企業の主体的均衡および市場の均衡の安定条件をもとめたが、これらの分析手法の多くは現在でも理論経済学の標準的な方法としてもちいられている。

また、「景気循環論」(1950)では、加速度原理と乗数理論にもとづきながらも景気循環を経済成長にむすびつけ、いわゆる制約循環の理論を展開した。また、「資本と成長」(1965)をはじめとする多くの著作においては、資本蓄積と成長過程に関する綿密な分析を発展させた。さらに、ケインズの利子理論を修正した新しい利子率決定の方式IS・LM曲線分析もヒックスの提唱によるものである。

そのほかの主著として、「賃金の理論」(1932)、「需要理論」(1956)、「貨幣理論」(1967)、「経済史の理論」(1969)、「資本と時間」(1973)、「ケインズ経済学の危機」(1977)などがある。1964年ナイトの称号をあたえられ、72年ノーベル経済学賞を受賞。


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ヒックス 1904‐89
John Richard Hicks

イギリスの経済学者。イングランドのウォリックシャーに生まれ,オックスフォード大学卒業後,ロンドン・スクール・オブ・エコノミックス(LSE)講師,ケンブリッジ大学フェロー,マンチェスター大学教授を経てオックスフォード大学教授(1952‐66),またオールソールズ・カレッジのフェロー(1952‐)。主著《価値と資本 Value and Capital》(1939)は,ワルラス,パレートの一般均衡論に北欧学派の立場を摂取し,価格経済構造を微視的社会像として定着させた古典である。序数的効用理論(限界代替率)に基づく需要供給理論,連関財の理論,静学的安定論,経済理論の動学化を主要テーマとして,個人と社会,静学と動学を貫徹する共通原理を追求している。研究の出発点であった《賃金の理論》(1932)においても,〈中立的技術進歩〉や〈代替の弾力性〉という新概念を提唱して大きな影響を与えた。論文《ケインズ氏と一般理論》(1937)でいわゆる IS‐LM 曲線を提唱したが,これはケインズ理論の核心を表現しえたものとして学界に受け入れられ,今日のマクロ経済分析の基本的道具の一つとなっている。IS‐LM の静学的立場は《景気循環論》(1950)において,加速度原理と乗数過程(乗数理論)の相互作用による動学的展開に発展した。《資本と成長》(1965)では固定価格モデルと伸縮的価格モデルの区別を提唱し,その後の不均衡マクロ分析の展開に影響を与えた。ほかに《経済史の理論》(1969),《ケインズ経済学の危機》(1974)などの著書がある。1964年列爵。72年ノーベル経済学賞受賞。          久我 清

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