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倫理学はノイラートの船か?(その4) [宗教/哲学]


意味論
意味論

いみろん
semantics

  

(1) 言語学の一部門としての意味論,(2) 記号論 semioticの一部門としての意味論,(3) その他の意味論,に分けられる。 (1) は最も広い意味では,言語のさまざまのレベルにおける意味のあり方を研究する分野。まず,意味とは何かという根本的問題が課題になり,個々の具体的問題として,単語内部の意味的構造,単語間の意味的関係 (類義,反義,包摂など) ,統辞論的構造の間の意味的関係などがある。言語学の歴史のなかで,一つの分野として注目されたのは比較的最近のことであり,現在,理論の枠組みや意味記述法に関して多種多様の説が提案されている。 (2) においては構文論,語用論とともに記号論の一部門をなし,ポーランド学派,ウィーン学団の記号論理学者たちを経て,C.W.モリスによって学問的に基礎づけられた。 (3) その他の意味論としては,社会心理学における意味論などがあげられる。





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意味論
いみろん

ふつうセマンティクス semantics のことをさす。記号(言語を含む)の意味に関する科学で,言語学,哲学,論理学などにおける研究領域として取り扱われる。
【言語学における意味論】
 言語学における意味論では語および文法を含むあらゆる言語表現手段の意味を研究するが,ときには語の具体的な意味だけを対象とする場合もある。この場合の意味論は語彙論の一部となる。語の表現形式とそれによって示される内容との関係は形式から内容を研究する方法と,内容から形式を研究する方法の二つがあり,前者をセマシオロジー semasiology,後者をオノマシオロジーonomasiology(命名論)と呼ぶ。すなわち,セマシオロジーでは,[yama]と発音され〈山〉と書かれる語の形式が言語外現実の何に対応するかを研究し,オノマシオロジーでは,〈地面が高くなっている〉という言語外現実が所与の言語ではどのように命名されるかを研究する。
 セマシオロジーは一部で上記の意味論(セマンティクス)と同じ意味で使われることもあるが,多くの場合歴史的立場から見た語の意味の変遷だけを示し,語の意味の共時的(サンクロニック)な研究(歴史的変遷を追う通時的(ディアクロニック)研究に対し,一定の時期における一定の言語の状態総体の研究)にはセマンティクスの語を用いることがすすめられている。意味論の定義にしばしば語の意味の研究およびその意味の変遷という定義がなされるのは,意味論の発展してきた道を反映し,この間の事情を物語っている。
 語という形式が一部の例外を除いて原則的には対応の意味と必然的関係がなく,その間の関係が約束事によっているとすれば,すなわち地面が高くなっているところを〈山〉と呼ぶのはこの言語での約束事であり,こう呼ぶ必然性がなければ,語は一種の記号であり,意味論は統語論(シンタクス)および語用論(プラグマティクス)とともに確かに記号論の一部を構成する。しかし,語は“一種の”記号として,“自然”言語を形成しているので,自然言語以外の記号体系を扱う分野の研究とは異なった扱いが必要となる。ここにおいて論理学的シンボルとその意味の関係の研究を扱う論理学的意味論は言語学的意味論とは違うことが明白になる。論理学的シンボルにはそのシンボルの素材としての実体がなく,そのシンボルで表現されるものの歴史的変化はありえない。ところが自然言語では語の意味が,例えば[kuruma]は車→自動車のように変化する。すなわち,語の形式と内容の関係が歴史的に変化していく。このことをポーランドの論理学者 A. シャフは自著の《意味論序説》(1960)において,〈言語学的意味論の特徴をなすのは意味の歴史の研究,言語に対する歴史的な取組み方にある〉と述べていて,語の意味と並んでその意味の変化および変化の原因を対象としているところに言語学的意味論の独自性がある,とみている。自然言語の記号としての記号の性格と機能,自然言語のもつ同音異義語や多義語にみられる多義性,さらに,そのことからくる危険性などが,論理学的意味論の立場から見た言語学的意味論の問題点と考えている。
 意味論はこれまで言語学的意味論と哲学的意味論が互いに補い合う形で発展してきており,現在では一方で言語学,もう一方で哲学の二つにまたがる典型的な境界領域の学問となっている。
 今日用いられるのと似通った〈意味の科学〉という意味でセマンティクスなる語が使われたのは,フランスの言語学者 M. ブレアルの《意味論研究》(1897)ないし,《言語の知的法則,意味論断片》(1883)であるが,この時点でもまだ意味の変化を支配する法則を意味しており,これ以前のドイツの学者 K. H. ライジッヒのセマシオロジーとほぼ同じ内容である。しかし,20世紀に入りやがて F.de ソシュールが出て,言語研究を通時的(ディアクロニック)と共時的(サンクロニック)に区別することが学界に定着するに及び,意味論の分野でもこの区別が導入され,前者にセマシオロジー,後者にセマンティクスが使われることが多くなってきている。この後,意味論の研究は歴史的研究から共時的研究に中心が移り,今日ではどのように意味を記述するかに関心の中心がある。
 意味の研究は言語の研究の主要な一部門を形成するとはいえ,音に関する研究(音韻論,音声学)や形態論とは異なり,依然として確立した研究方法も,基本的な単位も定まっておらず,近代の言語学に特徴的な構造主義的立場からの研究も,そもそも語彙が構造をなすという必然性がなく,語彙が仮に構造をなしているとしても,構造の中のもっともゆるい部分であるので,うまくいかない。言語学的意味論はこのような困難を抱えており,科学的な学問として成立するためにはこれらの困難を除去しなければならない。論理学的意味論,哲学的意味論はこれらの障害をそれぞれ除去したもので,論理学的意味論では語のかわりに論理的シンボルを用いて語という実体のもつ意味の曖昧(あいまい)性を除去し,哲学的意味論では概念の分析をして表現形式への関係を考慮しないでいる。しかし,これらの意味論は厳密で科学的であるとはいえ,自然言語の語という実体を扱えず,また語のもつ形式から離れてはすでに言語学的とはいえない。言語学を純粋な科学にまで高め,意味の研究にもその厳密さを求めた L. イェルムスレウの研究が理論的方法の序論を述べただけに終わり,実際の展開がなかったのはそのためであり,また現在多くの言語学者の意味論的分析と称するものが,意味そのものの分析に陥っているのもそのためである。〈後家(ごけ)〉という語を〈人間+女+配偶者を失った〉と分析しても,ここには形式との対応がないのは明白である。とはいえ,この種の分析はかなり進歩してきて,比較的少数の要素の組合せで莫大な数の語の内容が記述される可能性があり,一例をあげればポーランド出身の A. ビェジュビツカの業績などは注目を集めつつある。
 これまでの言語学的意味論で注目を集めたのはドイツのトリーア Jost Trier(1894‐1970)の考えた意味場の理論で,客観的現実が人間の意識の中に反映される場合,言語的に形成される際にその言語の意味論的下位体系をなすなんらかの網をくぐることになる。現実のある断片は言語の一定の意味場と対応するが,この意味場は具体的な言語ではそれぞれ異なって区分されるという考えである。この立場は語というものを完結した語彙体系の一単位と考える点で構造主義の影響下にあり,これまでの語彙に体系を認めない立場と異なっている。この立場をさらにすすめたのが L.ワイスゲルバーで,ポルツィヒ Walter Porzig(1895‐1961)の立場もこれに近いが,ポルツィヒはもう一つの言語学的意味論の研究方法である連語 collocation による分析(後述)にも近づいている。
 意味を分析するとき,客観的な手段で分析したいというのがこの分野の悲願であり,その結果考え出されたのが,ある語が出てくる環境を調べ,それによって語の意味を記述していこうとする立場である。ポルツィヒは動詞(あるいは動詞的意味)が一定の名詞(あるいは名詞的意味)を前提とする(たとえば das HÅren(きく)‐das Ohr(耳))ことに注目し,このような動作とそれを行う器官だけではなしに,さらに多様な関係をも見いだし,他の品詞にも広げていくことにより意味を記述しようとしている。このように一つの語を記述するのに他の語との関係を考慮する連語による方法は,それぞれ異なった主張があるとはいえ,J. ファース,A.K. ハリデーらのロンドン学派の学者にも見いだされる。また,ポルツィヒのように語の関係を見いだしていこうという考えは,古くは K. ビューラーや,近年では T. ミレフスキなどのポーランドの学者にもみられる。
 現在までの言語学的意味論の研究はまだ萌芽だけで,これまでに研究された方法での語彙の全体的記述はまだ当分先のことと考えられている。最近の言語学的意味論研究で新しく登場したのは語の意味ではなく,文における語の機能の研究である。これは語彙的意味の研究に対立する文法的意味の研究といえよう。たとえば,動詞の性質から文構造の本質を見いだそうとする理論のうち,もっとも成果が上がっているのはテニエールL. Tesni≡re の《構造的統辞論要理》(1959)で,構造主義的立場でありながらすでに N. チョムスキーの生成文法と数多くの共通点をもっている。
 チョムスキーから起こった生成文法は最初は主として統辞論を対象としていたが,しだいに意味論の領域の問題を取り上げるようになり,多義語,同音異義語というような伝統的分野での新解釈を提示すると同時に,文法的意味や文構造の意味にも理論的研究が発表されている。とはいえ,生成文法の各派でそれぞれ異なった主張がなされており,形式的アプローチで説明できない場合,ここでも哲学的意味論や,記号論の他の分野である語用論の援助を求めるなど,まだ研究は安定した理論的基盤を得るにはいたっていない。⇒言語学
【論理学と記号論における意味論】
 論理的意味論とは言語表現の意味の研究を扱う論理学の一分野で,より正確にいえば記号を運用する諸規則の論理的システムの解釈の研究である。論理的意味論の基本的概念はいわゆる命名の理論と,いわゆる思考内容の理論の二つに分かれる。この分野では言語の意味特性の記述にはもはや自然言語では不十分で,メタ言語(記述を目的にした人工度の高い言語)が必要になる。論理的意味論を初めて詳細に研究したのはG. フレーゲで,その発展に寄与したのはポーランドのルブフ・ワルシャワ学派に属する論理学者たち J. ルカシェビチ,T. コタルビンスキ,K. アジュキェビチ,T. タルスキ,その他では R. カルナップ,W. クワインなどであり,この論理学的意味論は数理言語学,機械翻訳,自動情報処理などの発展に伴って広い応用領域がある。
 一般意味論は記号論的意味論の意味での意味論の心理学,社会学,政治学,美学などへの応用で,C. W. モリスの記号の一般理論とも,カルナップ流の意味解釈の理論とも違う。A. コジプスキによって始まったとされるこの一般意味論の考え方はすでに C. K. オグデンと I. A. リチャーズの共著《意味の意味》(1923)の中にも似た考えがあり,この考えの非哲学性のゆえに S. I. ハヤカワ,A. ラポポートをはじめ多くの同調者がアメリカの実用主義者(プラグマティスト)や論理実証主義者の中にいる。
 記号論的意味論とは記号体系の内部構造を研究するシンタクス,記号体系とそれを利用する者との関係を研究する実用論(語用論)と共に記号論を構成する三つの分野の一つで,対象の思考内容(すなわち所与の表現に含まれた情報により,表現を対象に結びつけること)の表現手段としての記号体系を研究する分野である。⇒記号
                        千野 栄一

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意味論
I プロローグ

意味論 いみろん 言語記号、つまり語句や文の意味の研究。セマンティクスsemanticsともいう。意味論の研究者は、「~の意味は何か」というような疑問にこたえようとする。そのためには、記号の性質や内容がどのようにしてつたえられるかを知らなければならない。具体的には、意味とはそもそも何であって、話し手によって意図された意味が、聞き手に解釈される仕組みはどのようなものなのかということである。

II 意味論の分野

意味論は、大きくは哲学的意味論と言語学的意味論に分類されるが、一般意味論とよばれる研究分野もある。哲学では、意味と現実の関係、意味と行為の関係が考えられる。言語学では、言語という体系にかかわるかぎりでの、意味を構成する要素や特徴が研究される。一般意味論では、意味が人間の思考や行動にあたえる影響が考察の中心になる。

1 応用分野

意味論は、応用分野もひろい。人類学は、記述的な意味論をもちいて、人々が文化的に重要だと分類しているものを研究する。心理学は、理論的な意味論をとおして、理解するという行為の心的な過程の記述や、人間が音声や文法と同様に言語の意味をどのようにして獲得するかを明らかにしようとする。動物行動学(→ 動物の行動)は、人間以外の動物がおこなうコミュニケーションを研究する。

一般意味論では、同じ意味をあらわすとされる記号が、実はことなった価値(暗示的意味)をもつことを分析する。たとえば、「イエナの戦の勝利者」と「ワーテルローの戦の敗北者」がともにナポレオンをさすような場合である。一般意味論の流れをくむ研究として、文学批評や文学においてもちいられる比喩(ひゆ)表現の分析がある。

III 哲学的意味論

19世紀の終りにフランスの文献学者ブレアルは、「意味論研究」を提唱し、言語記号や言語表現にあたえられる意味の探求をめざした。1910年にイギリスの哲学者ホワイトヘッドとラッセルが「プリンキピア・マテマティカ」をあらわし、この著作はウィーン学団の哲学者たちに大きな影響をあたえた。この学団は、論理実証主義とよばれる厳密な哲学的方法を発展させた(→ 分析哲学と言語哲学)。

1 記号論理学

ウィーン学団の指導者のひとりであるドイツの哲学者カルナップは、記号論理学を発展させることにより、哲学的意味論に大きな貢献をした。記号論理学とは、記号や記号があらわすものを分析するための学問体系である。

論理実証主義では、意味とは単語と事物の間の関係であり、意味の研究は経験に基礎をおくと考えられていた。そして、言語は理想的には現実を直接に反映するものであり、記号は物事の写像であるとされた。

1A メタ言語と対象言語

しかし、記号論理学では、数学的方法によって、記号が表示するものを、日常言語よりもはっきりと正確にあらわそうとする。したがって、記号論理もそれ自身言語ではあるが、ある言語について解説するための形式的な言語であり、「メタ言語」とよばれる。これに対して、メタ言語によって解説されるほうの、日常言語は「対象言語」とよばれる。→ メタ言語と対象言語

1B 真理条件的意味論

対象言語である日常言語の文は、その構造にしたがって、「論理式」とよばれる記号論理の表現に翻訳される。つまり、日常言語の文の意味を、論理式によって表示するわけである。その論理式は、さらに、現実と対照させられて、論理式があらわしている事柄が現実にも存在していれば、その論理式は「真」であるし、論理式のあらわす事柄が現実に存在しなければ、それは「偽」である。こうして、論理式の意味が解釈される。

論理式の意味を解釈して、真であるか偽であるかを決定するような意味論を、「真理条件的意味論」とよぶ。たとえば、「地球はまるい」という文は、「地球」という単語によって指示されるものが、まるいものの集合にふくまれているときに真だと解釈される。私たちのもっている世界についての知識によれば、この文は真である。いっぽう、「地球はひらたい」という文は、同じように私たちの知識にしたがえば、偽となる。

1C 日常言語の哲学

論理実証主義者たちの意味論は、私たちの実際の世界についての経験や知識にもとづいて、文のあらわす事柄の真偽を決定する、真理条件的意味論であった。しかし、このようにして意味を理解する方法は、部分的にしかうまくいかなかった。

オーストリアとイギリスで活躍した哲学者のウィトゲンシュタインは、記号論理をもちいた真理条件的意味論に反対し、思考は日常言語にもとづいているのだと主張して、「日常言語の哲学」を提唱した。彼によれば、記号がすべて世界にあるものを指示するわけではないし、文がすべて真か偽かの値をあたえられるわけではない。このことから彼は、文の意味は、その用法によって明らかになるのだと考えた。

1D 発話行為論

ウィトゲンシュタインの日常言語の哲学から、現代の発話行為論が発展した。イギリスの哲学者オースティンは、人は話すことによって言明や予言や警告などのなんらかの行為をおこなうのであり、ある表現の意味はそれによっておこなわれる行為の中にみいだされると主張した。

アメリカの哲学者サールは、オースティンの考えをさらにすすめて、記号の機能と、それがもちいられる社会的な文脈を関連させる必要があると論じた。

サールによれば、言葉によって少なくとも3つの行為がおこなわれる。(1)発話行為。これは、表現があらわす事柄のことである。(2)発話内行為。話すことによっておこなわれる、約束や命令や主張などのことである。(3)発話媒介行為。話し手が、話すことによって聞き手におよぼす行為のことで、聞き手をおこらせたり、なぐさめたり、説得したりするような場合のことである。

話し手の意図は、言葉のもつ発話内の力によって聞き手につたえられる。しかし、言葉による意味の伝達が成功するためには、もちいられた表現が適切で誠実なものであり、聞き手がもっている信念や世界についての一般的知識に合致するものでなければならない。

哲学的意味論は、以上のように、真理条件的意味論と発話行為論に分類される。ただ、発話行為論に批判的な学者の一部は、この意味論が、言語そのものの意味ではなく、コミュニケーションの中での意味を主としてとりあつかっており、したがって、言語の実用的な側面の一部を分析しているにすぎないと考えている。

つまり、記号の指示するものや事柄そのものではなく、記号をもちいる話し手や聞き手がもっている世界についての知識にかかわるだけのものだというのである。このような学者たちは、意味論とは、話し手や聞き手からはなれて、記号それ自体の解釈に限定されるべきものだと考えている。

IV 言語学的意味論

言語学的意味論には、記述的意味論と理論的意味論がある。

1 記述的意味論

記述的意味論では、個々の言語で記号がどのような意味をもつかが考察される。最大の記号である文は、単語からなりたっていて、文の意味を記述するためには、それを構成する単語の働きを知る必要がある。

1A 「項」と「意味役割」

文を構成する単語の中で、文の意味の枠組みを決定する重要な働きをするのは、述語である。述語は動詞、名詞、形容詞のどれかからなりたっているのが普通である。

日本語のように動詞、名詞、形容詞が、その形をみればすぐにわかるような言語であれば、文の述語がどれかを理解するのは容易だが、中国語のように、単語の形がかわらない言語であれば、文の構造によって述語を決定することになる。たとえば、「食べる」という動詞が述語である文ならば、まずはおおまかに「誰かが何かを食べる」という事柄をあらわすことになる。その「誰か」と「何か」をあらわすのが、名詞の働きになる。

述語のあらわす事柄との関係でとらえられた名詞のことを「項」とよび、述語との関係で項のはたす役割のことを「意味役割」とよぶ。意味役割としては、ある行為や動作をおこなう「主体」、ある動作をうける「対象」、ある行為や動作によって利益をうける「受益者」(日本語ならば「~に」「~のために」であらわされる)などがある。

1B 述語の意味役割

「食べる」という動詞は、そのあらわす事柄の性質によって、それぞれ「主体」と「対象」という意味役割をもつ2つの項を必要とする。必要とする項の数という観点から述語を分類した場合、動詞「食べる」は「二項述語」とよばれる。

これに対して、「走る」という動詞は、主体という項が1つあればよいから「一項述語」になる。「~は学生だ」「~は大きい」のような文にみられる、名詞や形容詞の述語の多くは、一項述語である。

また、「あたえる」という動詞は、「XがYにZをあたえる」という文をみてもわかるように、必要とされるのは「主体」(X)、「受益者」(Y)、「対象」(Z)の3つである。したがって、動詞「あたえる」は三項述語に分類される。

1C 主語の意味役割

英語では、たとえばJohn is running「ジョンは走っている」という文では、is runningという述語動詞の形は、三人称単数現在形であるが、動詞の人称と数をきめているのは主語のJohnである。したがって、英語のような言語では、文の主語がどれであるのかをきめるのはむずかしくない。

いっぽう日本語では、「太郎は勉強した」と「太郎と花子は勉強した」という2つの文では、「太郎」は単数、「太郎と花子」は複数であるのに、「勉強した」という動詞の形は同じである。したがって、日本語のような言語では、主語がどれかをきめるのは、英語ほど簡単ではない。

ただし、英語の、John is eager to please「ジョンは人に気にいられたいと思っている」とJohn is easy to please「ジョンをよろこばせるのは簡単だ」という2つの文で、主語は両方ともJohnであるが、最初の文のJohnの意味役割は「主体」であるのに対し、2番目の文のJohnの意味役割は「対象」である。このように、主語や目的語という単語の文法的な働きと、その意味的な働きはちがうこともある。

1D 成分分析

言語学的な意味論のうち、ある言語の単語が、どのような基本的な意味成分からなりたっているのかを分析する分野を「成分分析」という。

成分分析の成果は、ある言語を話している人々が、自分たちをとりまく世界をどのようにみているかを明らかにするものと期待されている。つまり、話している言語の性質によって、人々のものの見方が左右されるという考え方であり、これを提唱したアメリカの言語学者・文化人類学者サピアとウォーフにちなんで、サピア・ウォーフの仮説(言語相対仮説)とよばれている。

成分分析では、共通の性質をもつものや事柄を指示する単語は、ある意味の場を構成する。そして、その意味の場に属する各単語の意味を区別するのが、意味特徴や意味成分といわれるものである。たとえば、「海」「湖」「池」「沼」という単語は、「水がたまっている場所」という意味の場を形成し、それぞれの単語の意味は、大きさや水の性質などの意味特徴によって区別される。

1E 普遍的な意味特徴

成分分析では、すべての言語に共通の普遍的な意味特徴をみいだすことが目的とされる。そして、個別言語が、その意味特徴をどのように組みあわせて個々の単語の意味を形づくっているかを考察することにより、各言語の独自性が明らかになると考えられている。普遍的な意味特徴という考えは、フランスの文化人類学者レビ・ストロースによって、いろいろな文化における神話や親族の体系の分析にもちいられた。彼によれば、個々の文化は、表面的にはかなりちがっているものの、人々が社会を組織したり、社会の中で自分の占めている位置を解釈するやり方は、深層においてはおどろくほど類似しているという。

2 理論的意味論

文の構造を記述し説明する理論の代表は、「生成文法」である。

2A 生成文法と生成意味論

生成文法の基本的考え方は、文の構造には、抽象的な構造である「深層構造」と、実際に話される形である「表層構造」の2種類があり、深層構造を表層構造にかえる働きをするのが「変形規則」だというものである。この文法では、表層構造に意味を解釈する規則を適用することにより、文の意味の表示がえられるとされている。

いっぽう、生成意味論では、文の意味を決定するための必要な要素は、すでに深層構造においてあたえられている。つまり、深層構造を構成する単位は、単語ではなく、意味特徴や意味役割などなのである。

ただ、深層構造に変形規則が適用されて表層構造がみちびかれるという点は、生成文法と同じであり、生成意味論の変形規則は、生成文法にくらべて、ひじょうに大きく構造をかえてしまうという特徴がある。

文の意味を、生成文法のように表層構造から意味解釈規則によってみちびくのか、それとも生成意味論のようにすでに深層構造の段階で表示されているものとしてとらえるべきかは、議論の余地のある問題である。ただ、いずれにしろ、意味の理論的な分析により、文の意味を正確にあらわす一般的方法が提出され、「太郎はおこりやすい」と「太郎はだましやすい」という、構造は同じだが、「太郎」の意味役割がちがう2つの文の意味と構造の関係をただしく説明できることなどがもとめられている。

3 一般意味論

一般意味論で主として考察されるのは、単語がどのように評価され、そしてその評価が人々の行動にどのように影響をあたえるかである。

一般意味論は、ポーランド生まれのアメリカの言語学者コジプスキによってはじめられ、意味論学者であり政治家でもあるアメリカ人のハヤカワによって長期にわたり研究がすすめられた。そして、単語を単なる象徴以上のものとして使用することにひそむ危険を、人々に知らせることを目的とする場合にもちだされた。

このため、言語によって人々の思考に影響をあたえようとした著述家たちの間では、一般意味論はひじょうに人気があった。このような著述家たちは、一般意味論で提唱された決まりにしたがって、不正確な一般化、柔軟性のない態度、あいまいな表現などをさけるようにしてきた。しかし、哲学者や言語学者の中には、科学的な厳密さがないとして、一般意味論を批判する人々もあり、この方法は人気をうしなってきている。

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自然言語処理
自然言語処理
しぜんげんごしょり natural language processing

プログラム言語のような人工的に設計された人工言語に対して,歴史的経緯を経て自然発生的に形成された日本語や英語のような言語を自然言語という。両者の区別は自明ではないが形式言語理論によれば,その文法の数学的性質は明らかになる。さて,自然言語を扱う学問として歴史的には言語学がある。これに対して自然言語処理は自然言語を計算機で扱うことを念頭においた情報科学の一分野であり,比較的新しい。言語学にせよ自然言語処理にせよ,その対象は記号化されたデータとしての自然言語である。紙に書かれた文字や音声のような記号化される以前の状態の言語は,音声認識やパターン認識のような記号化プロセスを通して記号化されて初めて自然言語処理の対象になる。例外的に初期から記号化されているのはキー入力された文字である。
 現代の自然言語処理の応用分野としては以下のものが代表的である。(a)ワープロの仮名漢字変換,(b)機械翻訳。最近では WWW 上のテキスト翻訳が注目されている。(c)自然言語インターフェース。特に最近ではマルチモーダルインターフェースの一部という位置づけであろう。(d)情報検索に関連して,全文データベース検索,情報抽出,文書要約がある。(e)その他,対話システム,推敲支援,ターミノロジー抽出などが挙げられる。
[言語学のモデルと自然言語処理モデュール] 自然言語理解における処理の階層的モデルとして,言語を扱うことにかけては先輩の言語学における階層構造が使われた。これを以下に記す。
(1)音韻論 音素,アクセントなどから文字あるいは単語がどのように構成されるかについての理論であり,音声処理においては基礎となる。
(2)形態論 文字から単語が構成される枠組みについての理論であり,日本語のベタ書きテキストから単語を切り出す形態素解析の基礎となる。
(3)統語論 単語から文が構成される枠組みについての理論。統語論に基づき,単語間の係り受けなど文の構造の認識などの処理を構文解析という。
(4)意味論 文と世界との関係についての理論である。文とその文が記述する世界の関係を同定する処理を意味解析という。
(5)語用論 話し手,聞き手という発話状況まで考慮に入れた意味や会話の規則性についての理論である。談話構造理解において役立つ。
 このように言語学の階層性に対応して自然言語処理のプログラムモデュールが形成されることが多いが,処理モデュールとしててはむしろ階層にまたがることが多い。たとえば形態素解析モデュールでは構文や意味を利用することが多い。またワープロの仮名漢字変換でも構文に関する規則を利用することが一般的になっている。
 ところで言語理解という代表的自然言語処理において文から究極的に抽出すべき意味とは何であろうか。言語(名詞,名詞句,動詞,動詞句,文,談話,会話)とそれが表す世界のありようとの対応づけのことである。世界のありよう自体は述語論理のような意味表現の枠組みでなされることが多い。そこで,自然言語処理では,文からこの意味表現へ対応をつけるまでを行う。具体的には,(a)名詞や動詞句のような文の要素や文自体の曖昧さ解消,(b)単語によって記述された表現,場合によっては省略された部分が参照する物事の推定,などを含み,総体として意味表現に対応させる処理である。理解の反対方向の操作である文生成の場合は,意味から逆の道筋をたどって文を作る。
[言語情報資源] 自然言語処理においては扱う対象となる言語情報資源には,(1)コーパスと呼ばれる整理された大量の文データ,(2)言語の構造を記述した文法,(3)言語に関する知識を集約整理した辞書がある。
 コーパスは,自然言語処理および言語学さらに言語教育の実用の場において使用する言語情報資源である。単なる文の集りではなく,構文構造などの付加情報をタグとして付加したタグつきコーパスが増えてきている。タグつきコーパスは研究上も重要な言語情報資源であるため,タグの付け方自体も自然言語処理や文書処理の大きな分野になりつつある。
 自然言語処理のための文法は比較的新しい。生成文法に始まり,名詞句や動詞のような文法カテゴリーの書換え規則として文法を記述する句構造文法が発展した。さらに1980年代から各単語が文中で使われる際の制約として文法を記述する単一化文法の研究が進んだ。単一化文法は文を構成する単語のもつ制約を満たすような推論過程として構文解析を行う体系であり,HPSG(主辞駆動文法)が有名である。このように,言語の性質を個々の単語のもつ情報として記述する方向へ進んでいる。そこで,自然言語処理における辞書という言語情報資源は単に見出し語と品詞情報の集りという性質を超えて豊富な情報を担うようになる。こうして自然言語処理で利用する今日の電子化された辞書は,言語情報資源の中核をなすことなった。辞書においては文法情報のだけでなく意味についての記述もなされる。しかし,〈社会〉のような単語の意味を明示することは大変難しい。そこで,意味としてはむしろ他の単語との関係を記述するシソーラスが有力である。たとえば,シソーラスには〈人間は哺乳類の一種である〉〈哺乳類は脊椎動物の一種である〉というような概念間の階層構造を網羅的に記述している。
[手作りから機械学習への展開] 自然言語処理の実際の処理アルゴリズムは探索や知識,ヒューリスティックを利用する。知識は主として手作業で作られた情報を用いていたが,歴史的転回点が1990年代に訪れた。すなわち,手作業での文法や辞書構築の限界が認識され,大量の言語データであるコーパスを処理することで代用しようという動きが現れた。たとえば,(a)個々の単語に関する言語的知識のコーパスからの機械学習による獲得,(b)翻訳事例からなる2言語の平行したコーパスを利用し,ある言語の文の翻訳文を翻訳される言語における対応する文を探し,これに若干の修正をして作る事例ベース機械翻訳,などが主要な技術として確立されつつある。
自然言語処理についての解説書は多数あるが,言語学から自然言語処理までを広範に扱っている岩波講座〈言語の科学〉全11巻は入門書かつ専門書として好適である。⇒形式言語∥音声情報処理∥パターン認識             中川 裕志

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自然言語処理
I プロローグ

自然言語処理 しぜんげんごしょり Natural Language Processing 自然言語とは人間が日常的につかっている日本語その他の言語をいい、コンピューターのプログラミング言語などの人工的な言語に対比するときにつかわれる用語である。こうした人間がつかう日常の言語を、直接コンピューターで処理することを自然言語処理という。

II 人工言語と自然言語

人工言語は表現できる範囲が限定されてしまうが、その範囲内では確実で高度な表現ができる。一方自然言語では、あいまいな要素もふくまれるが、人工言語では表現しきれない豊かな内容を表現することができる。

プログラミング言語は、コンピューターにどのような処理を実行させるかを伝達するには最適の形式をもっている。たとえば「A = 0だったらこの関数をよびだして、ここを繰りかえして…」というようにである。しかし、プログラミング言語は、ある程度の専門的知識がなければ理解することも、表現することも困難である。

III 自然言語処理の必要性

コンピューター用の人工言語が理解できないとコンピューターがつかえないとすれば、コンピューターは専門家だけのものになる。

最近ではOSが高性能化して、かなりコンピューターもあつかいやすくなってきたが、もし日本語で命令を入力するか話しかけるだけでコンピューターが動作すれば、より多くの人々がコンピューターをあつかえるようになる。自然言語そのものは、かならずしも語彙(ごい)の定義や明確なアルゴリズムにそってつかわれるとはかぎらないので、いかにしてあいまいな要素や省略をふくみながら、人間が相互におこなっているようなコミュニケーションをコンピューターと人間の間で実現するかが、自然言語処理にとって重要視される。→ 音声認識

自然言語での会話や文章の要約、英文の翻訳などの機械翻訳といった処理も自然言語処理が対象とする重要な研究分野のひとつである。なお、自然言語で表現されている意味までたちいった文脈理解や、コンピューターが人間と同程度に対話をおこなうようにする研究分野は、自然言語理解とよばれ、人工知能のひとつと考えられている。

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ラムゼー
ラムゼー

ラムゼー
Ramsey,Frank Plumpton

[生] 1903.2.22. ケンブリッジ
[没] 1930.1.19. ケンブリッジ

  

イギリスの哲学者,数学者。ケンブリッジ大学で数学を修め,同大学講師をつとめた。 A.ホワイトヘッドと B.ラッセルによる命題関数の理論の修正とそこに示されているタイプ理論の簡約化を主張。また L.ウィトゲンシュタインの初期思想の影響を受け,そのトートロジー理論や説明理論を発展させた。主著『数学の基礎と論理学的諸論文』 The Foundations of Mathematics and Other Logical Essays (1931) 。





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A.ホワイトヘッド
ホワイトヘッド

ホワイトヘッド
Whitehead,Alfred North

[生] 1861.2.15. ラムズゲート
[没] 1947.12.30. マサチューセッツ,ケンブリッジ

  

イギリスの哲学者,数学者。 1885年ケンブリッジ大学講師,1914年ロンドン,24年ハーバード各大学教授。ライプニッツや H.グラスマン,G.ブールの影響を受けて数学の記号論理学的考察を試み,B.ラッセルとの共著『プリンキピア・マテマティカ』 Principia Mathematica (3巻,1910~13) により,論理主義の確立に貢献。次いで自然哲学へ進んで物理学の哲学的考察を試み,24年アメリカに渡ってからは哲学,形而上学の思索に入り,世界の宇宙論的考察を試みた。また教育哲学の領域にも貢献した。主著『自然認識の諸原理』 An Enquiry concerning the Principles of Natural Knowledge (19) ,『自然という概念』 The Concept of Nature (20) ,『科学と近代世界』 Science and the Modern World (25) ,『象徴主義』 Symbolism (28) ,『過程と実在』 Process and Reality (29) ,『理性の機能』 The Function of Reason (29) ,『観念の冒険』 Adventures of Ideas (33) ,『自然と生命』 Nature and Life (34) 。





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ホワイトヘッド 1861‐1947
Alfred North Whitehead

イギリスの数学者,哲学者。ケント州ラムズゲートで英国国教会牧師の家に生まれる。ケンブリッジ大学で数学を専攻し,生徒の一人 B. A. W. ラッセルと協力して,数学を形式論理学から演繹(えんえき)することを企て,《プリンキピア・マテマティカ》3巻(1910‐13)を著す。この著作は記号論理学の歴史における画期的な業績として評価されている。ホワイトヘッドの知的関心は当初から数学や論理学における演繹的方法と同時に,直接に経験され,観察される自然の世界に向けられており,1910年ケンブリッジを去ってロンドン大学に移ってからの約15年間は,この両者の総合が彼の哲学の中心課題となる。《自然認識の諸原理》(1919),《自然の概念》(1920),《相対性の原理》(1922)はいずれもこの課題と取り組んだ,科学の哲学をめぐる著作である。24年ロンドン大学の応用数学教授であったホワイトヘッドはハーバード大学哲学教授に就任するためアメリカに移り,以後約25年間,宗教哲学をふくむ壮大にして緻密な形而上学体系の建設に専念する。この時期の主要著作には《科学と近代世界》(1925),《過程と実在》(1929),《観念の冒険》(1933)などがある。
 哲学者としてのホワイトヘッドの第一の特徴は,卓越した数学者,科学者でありながら,近代の多くの哲学者のように,科学において有効であることが立証された考え方や方法をそのまま哲学の領域に適用する誤りに陥らず,哲学に固有の課題を見てとり,それにふさわしい方法を発展させたことである。彼によるとそのような誤りを犯しているのが〈批判学派〉であり,彼らは明晰・判明な認識の追求と言語慣用の限界内における分析に安住して,われわれの思想の根本的前提に反省を加えようとはしない。ところが,この反省こそ哲学であり,この思想的冒険をあえてする哲学が〈思弁学派〉である。ホワイトヘッドは思弁哲学を〈それにもとづいてわれわれの経験のすべての要素が解釈されうるような,一般的観念の整合的,論理的,必然的体系を組み立てようとする努力〉と定義するが,それは経験的と合理的の両側面をそなえた彼自身の哲学の要約にほかならない。ホワイトヘッドの哲学は〈プロセス哲学〉〈有機体の哲学〉として特徴づけられるが,それは経験および世界を静的・アトム的なものとしてではなく,きわめて根源的な仕方で動的・時間的なもの,その全体を創造的過程としてとらえているからである。通常,独立的事物ないし事実として理解されているものは,世界全体としての創造的過程のなかではじめて成立し,意味をもつものであり,またそれら事物のそれぞれが全体を反映する創造的過程であり,経験であるとされる。彼はこのような創造的過程において見いだされる秩序の根源を神と呼ぶが,それはプロセスのうちにあるものとして有限であると同時に,プロセスに対して確定を与える,超時間的根源であるかぎり無限なる者である。ホワイトヘッドはみずからの形而上学と整合的なこの神概念が,伝統的な超越的無限存在という神概念よりもキリスト教的であり,福音書の説く神をより忠実に反映すると考えており,この考え方が今日〈プロセス神学〉として広範な影響力をもつに至っている。             稲垣 良典

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ホワイトヘッド,A.N.
ホワイトヘッド Alfred North Whitehead 1861~1947 イギリスの数学者・哲学者。20世紀のデカルトといわれた20世紀有数の哲学者。

ケンブリッジ大学にまなび、1885~1911年まで同大学で数学をおしえ、その後、ロンドン大学で応用数学と力学をおしえる。24年にアメリカにわたり36年までハーバード大学で哲学をおしえる。ハーバード大学名誉教授。王立協会、英国学士院の一員でもある。

もともと数学者であるが、哲学や文学の素養も深いホワイトヘッドは、論理学、科学哲学、形而上学あるいは宗教、教育などについての多くの著作をのこした。ケンブリッジ大学時代の生徒ラッセルとともに、記号論理学の画期的著作である「プリンキピア・マテマティカ(数学原理)」(3巻。1910~13)をあらわす。

ホワイトヘッドはそれまで科学でつかわれていた基礎的な概念を検討しなおし、自然科学についての新たな哲学をとなえた。対象の知覚とその知覚された対象間の関係から出発する彼の方法は、「自然認識の諸原理」(1919)や「自然の概念」(1920)などにくわしい。

アメリカに移住後、ホワイトヘッドは、宗教や文明論などもとりこんだ壮大な形而上学の体系にとりくむ。「過程と実在」(1929)に結実するこの考えは、自然や社会のあらゆる現象を最新の自然科学の知見もふまえて、統一的に説明している。この時期の著作には「科学と近代世界」(1925)、「観念の冒険」(1933)などがある。

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B.ラッセル
タイプ理論
タイプ理論
タイプりろん theory of types

B. A. W. ラッセルが1901年に発見したいわゆる〈ラッセルのパラドックス〉を解決しようとして提出した理論(1908)と,その単純化,制限の解除,および変形の総称。階型理論ともいう。大ざっぱにいえば,ある言語に登場する名辞は一般に階層組織を持ち,ある階層に属する名辞にはそれよりも高い階層の名辞しか帰属しないという思想にもとづいて論理学と数学の言語を再構成し,その言語中ではパラドックスが生じないようにする理論である。ラッセルは〈ある要素集合はその集合によって初めて定義されるものを要素とすることはできない〉という悪循環原理 vicios‐circle principleにもとづいてこれを行った。こうして,個体集合はそれ自身個体ではなく,個体集合の集合はそれ自身個体集合ではないことになる。しかし彼は,〈エピメニデスのパラドックス〉を初めとする意味論的パラドックスもこの原理にもとづいて解決されるべきだと信じたため,最初提出された理論は分岐タイプ理論 ramified theory of types というきわめて複雑なものであった。彼はあとで意味論的パラドックスを別に扱うべき異種のものであることを認めてこの理論を単純タイプ理論 simple theory oftypes に簡単化し,《プリンキピア・マテマティカ》の第2版でこれを採用した。タイプ理論のあとの発展は,理論の存在論的な面をいかに形式的な統語論に再構成するか,統語論的階層制限をどれほどゆるめ,あるいは変形してもパラドックスを生じないかということであった。しかし日常言語における語句の階層的構造は明確には認められず,悪循環原理は哲学的な存在論,カテゴリー論において生かされるべきものとされる。⇒パラドックス
                        中村 秀吉

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ウィトゲンシュタイン
ウィトゲンシュタイン 1889‐1951
Ludwig Wittgenstein

20世紀におけるもっとも重要な哲学者のひとりで,いわゆる分析哲学の形成と展開に大きな影響を与えた。ウィーンのユダヤ系の家庭に生まれ,1908年以後は主としてイギリスで活動し,オックスフォードで没した。彼の哲学の発展はふつう前・後期の2期に分けられるが,前期の思想は生前公刊された唯一の著書である《論理哲学論考》(1922)に集約されており,フレーゲおよび B. A. W. ラッセルとの関係が深い。他の著作はすべて弟子たちの手で遺稿から編纂され,とくに《哲学探究》(1953)が後期の代表作とされる。なお,《論考》の発表後しばらく哲学から離れていた彼が再渡英し,ケンブリッジ大学に戻った29年から,この《探究》の執筆を始める36年ころまでを〈中期〉と呼んで区別することもある。すべての時期を通じて彼の哲学は,言語の有意味性の源泉を問い,言語的な表現と理解の根底にあってこれを可能ならしめている諸条件を探究するものであった。しかし前期の思想と(中)後期の思想のあいだにはかなり顕著な性格の違いがあり,その影響も異なる方向に働いた。同じく言語の明晰化を主目的とする分析哲学者でも,記号論理学による科学言語の構成を目ざすひとは《論考》を尊重し,日常言語の記述によって伝統的な哲学問題の考察をすすめるひとは《探究》から学んだ。なお中期の著作としては《青色本・茶色本》《哲学的考察》《哲学的文法》があり,後期には《探究》のほかに《断片》《確実性の問題》などがある。第2次大戦後の日本でも彼の哲学に対する関心は活発で,研究書や論文の数も多い。
 前期《論考》の哲学では言語の基本的な構成単位を〈要素命題〉と呼ぶが,これは例えば画像や立体模型と同様に,一定の事実を写す〈像〉であると考えられ,それら要素命題から論理的に構成されたものとして分析できる命題だけが有意味と認められる。彼はこの原子論的な言語観に基づき,世界の諸事実を記述する経験科学の命題と,もっぱら言語の形式にかかわる数学・論理学の命題を峻別した。また形而上学的な〈自我〉や価値・倫理などの伝統的な哲学問題は元来〈語りえぬ〉もの,言語ないし世界の限界の外にあるものとする。一見すると《論考》の哲学は,論理実証主義者の反形而上学的な科学哲学を先取りしたもののようであるが,じつは彼の真意は,人間の根本の生きかたにかかわる問題をあくまで尊重し,これらを〈内側から限界づけ〉て事実問題との混同を防ぐところにあった。その後彼は《論考》の言語観にみずからきびしい批判を加え,しだいにあらたな考察の地平を切り開いていったが,その際とくに重要な意味をもったのは〈自我〉の問題である。《論考》の中核である〈像の理論〉は,要素命題の記号を言語外の対象に対応づけ,命題を事実の写像たらしめる主観の作用を暗黙のうちに前提していた。これは言語主体たる〈私〉を有意味性の根源とすることであり,そのかぎり,〈私の言語の限界〉をもって世界そのものの限界とする独我論の立場を脱することはむずかしい。後期のウィトゲンシュタインは,こういう〈私的言語〉の想定が《論考》のみならず広く哲学的な言語解釈の根源になっていることを見抜き,この想定の背理と不毛を徹底的に追及した。この批判作業を通じて,後期における〈言語ゲーム〉の哲学の基礎が固められる。言語は物理的な記号配列や,これに意味付与する精神作用としてではなく,一定の〈生活形式〉に基づき,一定の規則にしたがって営まれる〈行為〉として考察されることになった。さまざまな言語ゲームの観察と記述によって彼は哲学の諸問題を解明したが,最晩年には古典的な〈知と信〉の問題に深く踏みこみ,言語ゲームそのものを支える〈根拠なき信念〉をめぐって思索した。後期の哲学は社会・文化・歴史など,人間生活の諸相につき示唆するところが多い。⇒分析哲学∥論理実証主義                      黒田 亘

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感覚




こころ

知,情,意によって代表される人間の精神作用の総体,もしくはその中心にあるもの。〈精神〉と同義とされることもあるが,精神がロゴス(理性)を体現する高次の心的能力で,個人を超える意味をになうとすれば,〈心〉はパトス(情念)を体現し,より多く個人的・主観的な意味合いをもつ。もともと心という概念は未開社会で霊魂不滅の信仰とむすびついて生まれ,その延長上に,霊魂の本態をめぐるさまざまな宗教的解釈や,霊魂あるいは心が肉体のどこに宿るかといった即物的疑問を呼び起こした。古来の素朴な局在論議を通覧すると,インドや中国をはじめとして,心の座を心臓に求めたものが多いが,これは,人間が生きているかぎり心臓は鼓動を続け,死亡するとその鼓動が停止するという事実をよく理解していたためで,〈心〉という漢字も心臓の形をかたどった象形文字にほかならない。心を心臓とほとんど同一視するという点ではヨーロッパでも同様で,英語の heart,ドイツ語の Herz,フランス語の cせur などがすべて心と心臓の両方を意味するのも,そのなごりと思われる。ただし,医学思想の発展をみた古代ギリシア・ローマ期では,ヒッポクラテスが〈脳によってわれわれは思考し,見聞し,美醜を区別し,善悪を判断し,快不快を覚える〉と記して以来,心の座を脳や脳室に求める考えが支配的になり,この系譜はルネサンス期をへて19世紀初頭の F. J. ガルの骨相学にまで及んでいる。
 心の問題を身体的局在説の迷路から解き放ち,思惟を本性とする固有の精神現象として定立したのはフランスのデカルトで,彼がいわゆる松果腺仮説を提出したのも,心身の相関をそれで説明しようとしたものにほかならない。心が固有の精神現象であるなら,その成立ちや機能を改めて考える必要があり,17世紀後半からの哲学者でこの問題に専念した人は多い。心を〈どんな字も書かれていず,どんな観念もない白紙(タブラ・ラサtabula rasa)〉にたとえた経験論のロック,心ないし自我を〈観念の束〉とみなした連合論の D. ヒューム,あらゆる精神活動を〈変形された感覚〉にすぎないと断じた感覚論のコンディヤックらが有名で,こういう流れのなかからしだいに〈心の学〉すなわち心理学が生まれた。ただし,19世紀末までの心理学はすべて〈意識の学〉で,心の全体を意識現象と等価とみなして疑わなかった。その後,ヒステリーなどの神経症で,意識されていない心のなかの傾向に支配されて行動することが S. フロイトらにより確かめられ,こうした臨床観察や夢の分析を契機として心の範囲は無意識の分野にまで拡大され,同時に,エス(イド),自我,超自我といった層構造や,エディプス・コンプレクスなど各種の〈観念複合〉,投影(投射)や抑圧などの防衛機制がつぎつぎと見いだされた。こういう視点に立つかぎり,現代の心の概念はひじょうに複雑化しているといえるが,心という素朴な主観的イメージそのものは未開人と文明人とでそれほど違っているとも思えない。               宮本 忠雄
【哲学における〈心〉の概念】
 ここでは主として哲学の観点から〈心〉の概念の変遷と,この概念をめぐる今日の問題状況とを概観する。心とはふつう身や物と対照される言葉であるが,哲学の世界でも事情は変わらない。大観すれば古代以来の西洋哲学の展開を通じて,身‐心あるいは物‐心の関係をめぐって二つの考えかたが交錯し対立しながら現代に至っている。一つの傾向は心を身体や物体との連続あるいは親和の関係でとらえ,他方はその間の非連続と対立関係を強調し,身体的・感覚的な存在次元を超える理性的な精神活動にもっぱら注目する。発生的な順序では第1の見方が古く,心あるいは魂に相当するギリシア語の〈プシュケー psych^〉(ラテン語ではアニマ anima)は,原義においては気息(息)を意味し,生きた人間の身体に宿ってこれを動かし,死に際してその身から離れ去る生気のごときものを指す言葉であった。しかしアテナイを中心とする古典期のギリシアでは,もうひとつ別の用法がすでに一般化している。すなわち,感覚,欲望,情念のような感性的機能とは異なる,まったく理性的な精神作用の主体を指す言葉としてもこれが用いられた。この意味のプシュケーは理性を表すヌース nous に近く,ラテン語でこれに対応するのはメンス mens あるいはアニムス animusである。プラトンの諸対話編にはこの第2の型の霊魂観が典型的に表現されており,理性的な霊魂の不滅が真剣な哲学的議論の主題になっている。アリストテレスの《霊魂論》も,プラトンと同じく,心の理性的・超越的な存在性格を強調したが,それと同時に人間の心的生活が,たとえば栄養摂取や感覚‐運動の機能に関して植物的・動物的な生命活動と連続するという一面も見逃さず,総合的・調和的な心理学説をつくり上げている。
 こういう古典ギリシアの哲学的霊魂観がやがて霊肉二元のユダヤ教・キリスト教的な宗教思想と結びつき,西洋の思想的中核を形成するに至る。西洋近世における自然科学の勃興とその後の発展は,アニミスティックな自然観を退け,全物質界を法則認識の対象として客観化する認識態度によってもたらされたが,そういう思考法を培ったのもこの霊肉分離の宗教的・哲学的な伝統であったといわれる。この観点から見るとき,17世紀前半の代表的体系であるデカルト哲学の歴史的意義は大きい。それは伝統的存在論の物心二元の枠組みによって,科学的な世界観の基本構造を明確に表現している。ただしデカルトの場合も,感覚や意志行為を考察する場面では,心身の分離ならぬ合一が明らかな経験的事実として認められていた。そこで分離と合一という,心身関係ないし物心関係の一見矛盾する二側面を統一的に説明することがデカルト説を継承する人々の課題となり,ひいては近・現代を通じての哲学の重要問題となった。その間の注目すべき展開としてカントは,物質現象と実在的・因果的な関係に立つ〈経験的〉な主観と,物的・心的な全現象をおのれの対象とする〈超越論的〉な主観とを峻別し,これをもって彼の批判哲学の基本見解とした。この見解はもとより霊魂観の第2の類型に属するが,カントのあとをうけたドイツ観念論の哲学は精神主義ないし理性主義の傾向をさらに徹底させ,あらゆる現象の多様を超越論的主観のうちに吸収し,あるいはこの源泉から発出させる唯心論の形而上学として展開した。
 しかし心に関する哲学説の第1類型もまた根強い伝統となって今日に及んでいる。ことに19世紀後半から20世紀はじめにかけては,実証主義ないし科学主義の立場をとる人々の間で心理現象の唯物論的説明や,進化論に基づく自然主義的解釈が盛んであった。現代の哲学的状況を見ても,これまで心の哲学の主流を形成してきたデカルト的二元論や超越論的観念論に対して,大勢としては批判的である。これら古典的学説の基礎仮定に対する批判の作業が重要な哲学的認識の確立につながった例として,まず挙げるべきはメルロー・ポンティの《知覚の現象学》(1945)であろう。これは超越論的哲学も経験主義哲学もひとしく閑却した身体の意義を,現象学的考察の対象として初めて主題化した労作である。意識の諸現象はみな身体という,客観であると同時に主観でもある両義的な存在の世界へのかかわりとして解釈されている。また言語分析の方法によるものとしては,G. ライルの《心の概念》(1949)がデカルト的二元論の批判に成果を収めたが,より根本的・持続的な意義をもつのはウィトゲンシュタインの《哲学探究》(1953)で,伝統的な心の概念の根底である私的言語の見解に徹底的な吟味を加え,〈言語ゲーム〉や〈生活形式〉を基本概念とする新たな哲学的分析の境地を開いている。これらに共通するのは心にまつわる理論的先入見を取り除き,生活世界の経験に立ち返って心の諸概念をとらえ直そうという態度である。これらを継承しつつ,関連する諸科学の研究成果をも踏まえた心の総合的認識に達することが現在の哲学的課題であろう。⇒体(からだ)∥心身問題∥物        黒田 亘
【日本語における〈こころ〉】
 人間の精神活動の内容や動きをいう〈こころ〉という日本語は,古くは身体の一部としての内臓(特に心臓)をさす場合が多かった。8世紀の《古事記》《日本書紀》《万葉集》には,〈こころ〉の枕詞として〈肝(きも)むかふ〉〈群肝(むらぎも)の〉が用いられており,また〈心前(こころさき)〉(胸さきの意),〈心府(こころきも)〉の語がみえる。いわゆる五臓六腑の総称が〈群肝〉で,心臓がそれらの〈肝〉に対して位置するところから〈肝むかふ〉といい,また〈肝〉の一類として〈心肝〉と呼んだのであろう。〈肝稚(きもわかし)〉(精神的に未熟の意,《日本書紀》)の例がみられるように,心の活動の源が身体の中心を占める臓器にあるとし,とりわけ鼓動を発する心臓が重視されて,精神の内容,はたらき全般を〈こころ〉と称するにいたったらしい。したがってこの時期には,身体と精神の対立の意識はなお熟しておらず,むしろ〈こころ〉の動きは身体活動の一部とみられていたことが,さきの語例からうかがえる。〈こころ〉にかかわる言葉に,〈心痛し(こころいたし)〉,〈心に乗る〉(心を占める意),〈穢心(きたなきこころ)〉といった即物的表現が目につくのもそのためであろう。《万葉集》の歌にはおびただしい〈こころ〉の用例があるが,その表記は〈許己呂〉〈情〉〈意〉〈神〉とさまざまである。当時はまだ〈なさけ〉という語は発生しておらず,知,情,意にわたる精神活動が総じて〈こころ〉と呼ばれたわけだが,なおそこに知,情,意を区別する意識もきざしつつあったとみられる。
 〈こころ〉に深くかかわる語に,〈こころ〉のはたらきをいう〈思う〉がある。〈思う〉も〈こころ〉と同様に多面的な精神作用を包括する語だが,しばしば〈恋う〉と同義に用いられるように,情緒的な含意が強い。そこで11世紀前後から,より知的な思弁作用をさす語として〈考える〉があらわれ,以後,文字の使用流通とともに普及をみるにいたる。こうした〈こころ〉の作用を示す語の展開にともない,〈こころ〉はしだいにその身体性を希薄にし,肉体に対する〈精神〉の意味に傾いていった。たとえば,同じ〈心ある〉とのいい方でも,古代ではおおむね人間以外の山川鳥獣についてそれらが〈感情を持つ〉意を仮定形で示すのに対し,中世では人間の知性,教養をさすように変わってきている。現代においても,〈こころ〉は〈気持〉〈感じ〉といった類義語に比べ,より主体的・能動的な精神状態にかかわって用いられるわけだが,しかし他方〈精神〉の語に対してはなお原初の身体性をとどめているといえよう。⇒気        阪下 圭八

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私的言語
私的言語
してきげんご private language

ウィトゲンシュタインが《哲学探究》で用いた重要な概念の一つで,感覚,感情,意志,思考といった内的な体験をまったく自分だけのために記録する言語を想定して名付けた。この言語に属する単語は内的直接的な現象のみを指し,外から観察できる表情や動作とは無関係に意味がきまっているので,他人には通じない。ウィトゲンシュタインによるとこの虚構の言語は,他人が理解できないだけではなく,実は用いている当人も〈理解しているようにみえる〉だけで,元来〈言語〉の名に値しない。しかも近・現代の哲学者の多くは,《論理哲学論考》を書いたかつてのウィトゲンシュタインも含めて,常識と科学の言語の基底に〈私的言語〉を想定し,公共言語も結局はすべて〈私〉の意味付与によって構成されたものと考えている。彼は,この言語観こそ多くの哲学的迷妄の源泉であるという。1960年代に,この〈私的言語〉批判をめぐって賛否の議論が活発であった。       黒田 亘

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日常言語学派
日常言語学派
にちじょうげんごがくは Ordinary Language School

1950年代にイギリスで形成された,日常言語の分析を中心にすえる哲学の学派。哲学的問題は,たとえば存在とは何か,いかなるものが善か,という問いに示されるように,ことばの意味にかかわるところが大きい。そこで哲学の諸問題をその表現に用いられる言語を分析することによって解こうとする学派が生まれた。日常言語学派はその一つである。それは近代論理学に依拠して言語を再構成し,このような形式的言語を用いて問題を再定式化しようとする人工言語学派と対立する。日常言語学派は,問題の哲学的概念や哲学的命題は形式的言語の構成によってではなく,われわれの日常的言語使用のあり方を綿密に考察することによってのみ解明されるとする。言語使用のあり方は人工言語学派の考えるように形式的に法則化できず,とくに使用の具体的条件に依存すると考えるからである。日常言語への定位は,存在や善の概念を分析したケンブリッジ大学の G. E. ムーアによって先鞭をつけられ,日常的言語使用のあり方は中期以降のウィトゲンシュタインの考察の中心となった。一方,オックスフォード大学の J.L. オースティン,G. ライル,ストローソン等もやや独立に日常言語の分析から哲学的問題に接近した。こうして50年代に日常言語学派が形成されたのである。その影響はまもなく分析哲学全体に及び,論理学,意味論,存在論,認識論,倫理学の各分野がそのために面目を一新した。しかし最近では人工言語学派の流れを耀む人たちによっても別の方法による日常言語の解明が大きく前進したために,狭い意味での日常言語学派は衰退した。⇒分析哲学              中村 秀吉

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独我論
独我論
どくがろん solipsism

唯我論,独在論ともいう。ラテン語の solus(~のみ)と ipse(自我)とをつないでできた言葉で,一般には自我の絶対的な重要性を強調する立場のことをいう。古くは実践哲学の領域で,自己中心的もしくは利己的な生活態度や,それを是認する道徳説に対して用いられたが,今日では認識論的,存在論的な見解をあらわす言葉として使うのが普通である。すなわち全世界は自我の意識内容にほかならず,物や他我の実在を確実に認識することはできない,またそれらに自我と並ぶ実在性は認められないとする見解をいう。
 デカルトやカントに代表される西洋近世・近代の観念論哲学では自我が探究の原点であり,すべての事物を自我の意識内容もしくは観念とみなす立場で認識問題や存在問題の考察を始めるのがたてまえである。この傾向の哲学的思索は独我論と結びつきやすく,たとえばカント哲学の一面を継承したフィヒテは,非我の存在はすべて自我により定立されるから独我論こそ観念論哲学の正当な理論的帰結であり,物や他我の実在は実践的,宗教的な〈信〉の対象であるほかないと説いた。類似の見解は17世紀のデカルト派や,ロック以後のイギリス経験論者にも見られる。一方,観念論哲学に反対の立場からは,独我論への傾斜をもってこの哲学の根本欠陥とする批判が繰り返されてきた。20世紀ではウィトゲンシュタインが,独我論についてもっとも深く考察している。彼は《論理哲学論考》で,私の理解する言語の限界がすなわち〈私の世界の限界〉であり,したがって私と私の世界とは一つであると述べ,言語主義的独我論とも呼ぶべき思想を提示した。その後彼の見解は変化し,遺著《哲学探究》では《論考》の独我論や,その背景となった哲学的言語観,すなわち言語の意味の源泉は個我の意識内容にあるとする〈私的言語〉説に徹底的な批判を加えている。 黒田 亘

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直観
科学哲学
科学哲学

かがくてつがく
philosophy of science

  

広義には科学についての哲学的考察の意であるが,狭義には現代欧米の分析哲学における科学論をいう。前者は,近世以降,F.ベーコン,R.デカルトに端を発し,18世紀にはイギリスの伝統的な経験論,カントによる科学の批判的方法論 (→批判哲学 ) ,フランスの唯物論などがあげられるが,19世紀になると,マルクス主義の立場からの社会科学方法論,マッハらによる不可知論的な経験批判論,新カント派の W.ウィンデルバント,H.リッケルト,E.カッシーラーによる自然科学的認識の方法論が輩出した。後者は 1923年頃哲学者 M.シュリックを中心としたウィーン学団,28年設立のマッハ協会などの統一科学運動を先駆として,科学論理学,論理実証主義の立場からの科学哲学の運動が展開されている。





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[ブリタニカ国際大百科事典 小項目版 2008]


科学哲学
かがくてつがく philosophy of science

科学に対する哲学的考察,あるいはその哲学的基礎づけの作業の総称。また,内容的に,あるいは方法論的に科学に接近した哲学傾向一般を指す場合もある。
[歴史的背景]  科学哲学の歴史は,哲学の歴史とともに古い。そもそも,古代ギリシアにおいて哲学が始まったとき,それは〈アルケー=万物の根源〉を問うものとして現れたものであり,それは直ちに,科学そのものの課題の起点でもあったと考えられる。その意味で,哲学は元来,広義の科学哲学として開始されたとも言いうる。現代に直接連続する科学哲学の原型としては,近世初頭のデカルトの哲学を挙げることが至当であろう。彼は当時の数学や自然科学を範型として,いわゆる〈方法的懐疑〉を遂行し,コギト(われ思う)の明証性に至り,心身二元論の哲学を構築し,やがて現在に至る科学哲学への道の先鞭をつけることになる。また,カントの哲学でさえ,その最大の動機の一つがニュートン物理学の基礎づけであるという意味において,科学哲学の一つの範例であったと見ることができる。さらに,イギリス経験論とドイツ観念論の対立論争そのものが科学的認識の基礎づけに関して争われたものであると言える。F. ベーコンの科学方法論への洞察,ロックの実験的精神,D. ヒュームの因果性の分析,G.バークリーの知覚論,さらに,新カント学派諸家の科学批判などはすべてこのような背景の中から生まれたものである。また,科学方法論を直接テーマとしたのは J. S. ミルであった。科学的帰納推理に関する彼の研究は現代科学哲学の一つの源流と考えられる。この帰納的方法論の尊重はやがて,マッハやデュエムの実証主義の基礎を築き,そして,遂に,現代の科学哲学を生み出すことになるのである。
 現代科学哲学の成立と興隆をもたらした直接の契機は,科学と哲学の両面の中に求めることができる。まず,科学の面において,19世紀初頭以来の科学の急展開の結果,科学の細分化が行き尽くし,そこに,科学全般を通ずる方法,課題,概念に対する全的,統一的視野が要求されるに至った。また,他方,物理学を頂点とする科学的世界像は非日常化の一途をたどり,われわれの生活世界との乖離は著しく,ここで改めて,われわれの生活体験と科学的概念,科学的体系,科学的説明などとの関係が新たに,また厳しく問われることになったのである。他方,哲学の領域においては,とくに,20世紀初頭以来,過去の思弁的形而上学に対する反感と批判がさまざまな形の言語分析の哲学を生み,すでに,一種の科学批判の学として成立していた現象学とも間接的に相たずさえて,科学内部における問題意識にこたえて科学哲学を生み出すのである。かくして現れた最初の科学哲学が,マッハ,ポアンカレ,デュエムらの科学者による科学論であり,そして,1930年前後のウィーン学団の新しい活躍の中で,〈科学哲学〉という名称が現代的な意味において徐々に定着していくことになるのである。
[科学哲学の課題]  (1)科学的世界観の確立 現代の科学哲学は1930年代の論理実証主義の勃興を機に始まったと考えられるが,そこでまず急務とされたのは,過去の形而上学的世界観を排して,科学に基づく新しい世界観を確立することであった。そのために,実証的,経験的命題を認識の唯一の根拠として許容するという厳しい態度がとられ,そこで,経験的命題をほかから識別する規準,いわゆる経験的意味の検証規準が規定される必要があった。しかし,経験的ということを感覚的報告という意味にとるとそこに個人的感覚の私性の問題が生じて,科学としての客観的公共性に至ることができないという難問が起こり,単なる感覚の寄せ集めではない〈物〉を含む言語が科学的世界記述のために必要であるという見解に至らざるをえなかった。この私的な感覚的経験と物世界との関係をめぐる問題はその後も一貫して科学的認識の根拠に関する基本問題として生き続けている。ウィトゲンシュタインによって深められたと言われる〈私的言語〉の問題もその一例である。
(2)科学理論の構造 また,現実の科学理論がいかにして構築され,いかなる構造をもち,また,それがいかに対象に妥当するかということも科学哲学の基本的課題である。ミル以来,科学の方法は本質的には経験からの帰納であると言われてきた。しかし,現在〈帰納の正当化〉はひじょうに困難であると見られている。さらに,現代諸科学は単に帰納法によって構築されると見ることは不可能であり,たとえば,物理諸科学に見られるように数学を含む演繹的方法の役割が大きく介入し,〈仮説演繹法〉が科学方法論の基本的形態であると一般に評価されるようになった。これに関連して,ポッパーの〈反証可能性理論〉による帰納の否定の議論は注目に値する。また,これら議論に伴って,科学法則や科学的説明の本性をめぐって多くの新説が現れた。とくに,それらにおける演繹性の強調が大きな特質である。この話題に関してはとくにヘンペルの業績が大きい。また最近,科学史からの教訓として,〈観察と解釈〉の問題が話題を呼んでいる。一般に科学理論は現象の観察から得られるとみなされているが,しかし,実は,この関係は逆転しているおそれがある。すなわち,われわれにとって純粋で中立的な観察というものは元来ありえず,すべてはすでに現に存在している理論や解釈によって汚染されているのであり,したがって,科学革命というものも,新しい観察の出現によってなされるというよりは,むしろその時代の理論的パラダイムの転換によってなされると考えるべきであるということになる。この話題では T. クーン,ハンソン R. Hanson,ファイヤアーベントなどの業績が大きい。
(3)決定論と自由の問題も一つの重要テーマである。ニュートン物理学が決定論的自然観を明瞭に示しているのに対し,現代量子力学は非決定論の立場に立つように見える。この対立をいかに解釈するかということは,科学の本質に直接かかわる課題である。
(4)心身問題がいわゆる心身科学の急展開に伴って科学哲学の中心的テーマの一つになりつつある。これはまた精神と物質の二元論をいかにして超克するかという哲学それ自体の根本問題に直結する。
(5)論理や数学の本性を問う問題も一つの中心問題である。これらのいわゆる〈必然的真理〉の根拠は,たとえばカントにより,その先天的総合性に求められたりしたが,現代数学や論理学の実態からはこの解釈は困難となり,公理主義や規約主義の考え方が大きく進出する。また,とくに先天性の問題に関しては,たとえば,ローレンツらによる生物学からの挑戦もあり,今後の議論の高まりが予想される。
(6)その他,倫理学や社会科学に関しても類似の科学哲学的考察がそれぞれの領域に浸透している。倫理言語の構造,社会的規範性の根拠,それらにおける経験の役割などが大きなテーマとなる。⇒分析哲学∥論理実証主義    坂本 百大

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科学哲学
I プロローグ

科学哲学 かがくてつがく Philosophy of Science 科学とくに自然科学を対象とした哲学的な考察。科学の認識論的基礎づけから批判的相対化までふくみ、科学論あるいは科学基礎論ともよばれる。私たちがつかっている「科学」という言葉の語源はラテン語のscientiaであり、もともとは「知識一般」という幅広い意味をもっていた。しかし、西欧近代のいわゆる「科学革命」以降になると、西欧的自然科学というかぎられた意味の言葉になっていった。

II 科学哲学の先駆けと本格化

科学革命とは、N.コペルニクスの「天球の回転について」(1543)からはじまり、G.ガリレイやR.デカルトをへて、I.ニュートンの「自然哲学の数学的原理(プリンキピア)」(1687)で終結する、16世紀から17世紀にかけての思想運動である。→技術と文明の「近代科学の成立」

このときに生まれた科学は、経験的な観察から出発し、もっとも有効な武器として数学をつかう機械論的な自然観という特徴をもっていた。F.ベーコンの帰納法や、デカルトの物体の属性を「延長」とみる考え方、I.カントのア・プリオリな総合判断の論証(→ ア・プリオリとア・ポステリオリ)には、どれも、こうした自然観の哲学的基礎付けという側面があり、彼らの仕事は科学哲学の先駆けといえる。

19世紀半ばには「第二の科学革命」がおこり、1834年に、イギリスの自然哲学者・科学史家であるW.ヒューエル(1794~1866)がscientistという言葉をつくっている。このことからも、科学者が時を同じくして、科学的な研究をおこなうことで収入をえられる専門的な職業人となったことがわかる。また、科学そのものも大学などの高等教育機関で組織的に研究・教育されるようになった。

この「科学の制度化」こそが、長い間哲学の中の一分野にすぎなかった自然哲学を「科学」として独立させることになり、ヒューエルが「科学哲学」という言葉をはじめて書名につかうなど、科学哲学という研究分野も本格化する。

この時期の科学哲学にとって、もっとも大事なことは、科学の認識論的正当性を確立させることだった。この点で代表的な仕事としては、帰納法の精緻な研究をこころみたJ.S.ミルの「論理学体系」(1843)や、仮説演繹法(えんえきほう)の先駆的研究をおこなった天文学者としても名高いイギリスのJ.ハーシェル(1792~1871)の「自然哲学研究序説」(1830)がある。

III 科学の変化とウィーン学団

19世紀末から20世紀はじめになると、科学そのものの内部に変化がおこりはじめた。数学では、従来の発想をくつがえす非ユークリッド幾何学が成立し、集合論でもB.A.W.ラッセルらによってパラドクスが発見された。物理学においては、相対性理論と量子力学が登場した。これらは、ユークリッド幾何学とニュートン力学という、近代科学がゆるぎようのない基礎としてきたふたつの理論をおびやかすものとなる。

こうした科学の新しい動きに対処すべく、さまざまな議論がなされた。なかにはE.フッサールの「ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学」(1936)のように、科学批判へむかう考察もあったが、大半は科学をまもろうとするものだった。古くからある理論を新しい理論の限界事例として解釈し、その中の一部として位置づける。つまり、科学理論の連続的進歩という考え方をまもろうとしたのである。

このとき大きな役割をはたしたのが、オーストリアの研究者たちによって結成されたウィーン学団である。1920年代末から活動をはじめ、科学哲学の活性化にきわめて大きく貢献した。中心的な活動メンバーは、R.カルナップ、H.ライヘンバッハ(1891~1953)、O.ノイラートらである。

彼らは、反形而上学(はんけいじじょうがく)を軸に、記号論理学を駆使して新たな実証主義(論理実証主義)をとなえ、そうした枠組みの中で、理論をどのように検証するか、科学的な説明はどうあるべきか、帰納法をいかに正当化するかなど、いくつもの問題を精密に論じている。ウィーン学団がめざしているところは、その宣言文のタイトル「科学的世界把握―ウィーン学団」(1929)にみごとに集約されている。すなわち、哲学さえも科学化し、実証主義の祖といえるA.コントが夢にみた「統一科学」をうちたてようとした。そのために重要な役割をになうのが、検証可能性の原理である。つまり、科学と非科学の区別は、その命題の意味を経験的に検証できるかどうかにあると考えたのである。

IV 新科学哲学へ

ウィーン学団は優秀な研究者を数多く生み出し、一時期は「科学哲学」の代名詞のようにもいわれていた。そして、その影響力も当然のように大きかった。しかし、第2次世界大戦後の科学哲学はこの論理実証主義との対決から出発することになる。

たとえば、K.R.ポッパーは「探求の論理」(1934)において、検証可能性にかえて反証可能性を主張しはじめた。この批判的合理主義は、ハンガリー生まれのイギリスの科学哲学者I.ラカトシュ(1922~74)らにうけつがれている。また、アメリカの論理学者・哲学者であるW.van O.クワインは、「経験主義の2つのドグマ」(1951)において、検証ないし反証は科学全体の中でおこなわれるとする全体論をとなえた。これはアメリカの哲学者R.ローティらのネオ・プラグマティズムとして展開されている。

しかし、今日もっとも大きな影響力をもっているのは、1960年代に登場した「新科学哲学」である。ウィーン学団がとなえる論理実証主義の鍵(かぎ)となるのは検証原理だが、検証が成立するためには、「理論(仮説)の言語(理論言語)」と「それを検証する言語(観察言語)」が区別されなければならない。新科学哲学は、この2種類の言語の区別を攻撃の的にした。L.ウィトゲンシュタインの後期の考えに着想をえたアメリカの科学哲学者N.R.ハンソン(1924~67)は「観察の理論負荷性」という考え方を提唱し、どんな観察や知覚も理論と無関係ではありえず、一定の背景的理論によって制約されていると主張した。この主張をより広くとらえなおして、科学哲学の状況を劇的にかえたのが、T.S.クーンの「科学革命の構造」(1962)である。

彼によれば、2種類の科学がある。それは、科学者たちが是認する一定の研究規範(パラダイム)の枠内でおこなわれる「通常科学」と、そうした既成のパラダイムとぶつかる新しいパラダイムをもつ「異常科学」である。「科学革命」とは、ことなるパラダイムの断続的転換のことであり、この転換に合理的な根拠はない。さらに、これらのパラダイムの間には、共通の尺度もないのである(→ 共約不可能性)。このパラダイム論によって、進歩史観はくずされ、西欧科学の優位もおびやかされる。

クーンの登場後、P.K.ファイヤアーベントは、この動きをもっともラディカルにおしすすめ、ある種の非合理主義にまで到達している。もしクーンのいうパラダイム転換の主張を徹底させれば、科学と非科学の間の線引きが不可能になる恐れが出てくるが、ファイヤアーベントはこの線引き問題さえ無効だという。西欧科学は人類がくみたててきた思考形式のひとつにすぎず、しかも最良というわけでもない。西欧医学と中国医学にもし何がしかの優劣の差があったとしても、それはその医学をささえ、生み出した政治や経済、教育など社会制度の違いにすぎないというのだ。

今日の科学哲学は、西欧近代科学ないしそれをモデルにした知を正当化し基礎づけるというよりはむしろ、それを批判的に相対化し、ひいてはほかの知の領域との境界を撤廃する方向にすすんでいるといっていいだろう。

→ 科学史:科学

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帰結主義
帰結主義という言葉はG. E. M.アンスコムが1958年の論文「近代の道徳哲学」で用いた造語である[1]。それ以来、帰結主義は英語圏の道徳理論を通して一般的になっている。その歴史的起源は功利主義にあるが、帰結主義が登場する以前の功利主義でも、倫理的熟慮に適切なものは行為の帰結だとみなされていた。この歴史的な結びつきのせいで、両者は一緒にされてしまう。功利主義はすべての帰結主義理論の重要な形式的性格、行為の帰結に焦点を当てること、を備えた立場として理解可能である。帰結主義について基本的な枠組みの他に言及されることはあまりないが、数多くある帰結主義理論に何度も登場する問題がいくつか挙げられる。

何が帰結の価値を決めるのか?言い換えれば、何をよい事態として数えるか?
誰が、何者が、道徳的行為の第一の担い手となるのか?
何が行為の帰結であるのかを誰が判断するのか、また、いかに判断するのか?

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理想主義的功利主義
理想主義的功利主義とは、帰結主義の一種ではあるが、それまでの功利主義のように快楽を最大にするのを目的にするのではなく、直観によって善であると把握されるさまざまなものを行為の目標とする立場。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ムーアのパラドックス
ムーアのパラドックスとは、「外で雨が降っており、かつ、わたしは外で雨が降っているとは思っていない」というタイプの言明が非常に馬鹿げているというものである。

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常識的実在論
認識論においては、世界の実在に関する常識的実在論の立場を取ったことで知られる。1939年の「外的世界の証明」と題する論文でムーアは、「ここに手がある」と言いながら手を挙げることで手の存在の証明には十分であると主張した。

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分析哲学
分析哲学

ぶんせきてつがく
analytic philosophy

  

広義には,哲学の基本態度を分析に求める反形而上学的哲学諸流派をいう。特に 19世紀末から欧米で盛んとなった。その代表的なものは,(1) イギリス経験論の伝統を生かそうとするケンブリッジ実在論,(2) ウィーン学団の論理実証主義,(3) ウィーン学団とアメリカのプラグマティズムの結びついた分析的プラグマティズム,(4) ケンブリッジ分析派の精神を継承し,日常言語の分析を通して真理,価値の意味を明らかにしようとするオックスフォード学派の諸流派である。これらは論理的分析や記号論理学を利用したりして問題の明確化をはかり,場合によっては問題の無意味化 (消去) を行う。狭義の分析哲学はウィトゲンシュタインの晩年から今日の日常言語学派やおもにアメリカにおける意味論的分析をさす。





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分析哲学
ぶんせきてつがく analytic philosophy

哲学的問題に対し,その表現に用いられる言語の分析から接近しようとする哲学。論理分析logical analysis,哲学的分析 philosophicalanalysis ともいう。言語の分析にかぎらず広く言語の考察から哲学的問題に迫ろうとする哲学をすべて〈分析哲学〉と呼ぶこともあるが,これは不正確である。
 言語分析は20世紀の初頭,B. A. W. ラッセルとG. E. ムーアによって始められたといってよい。彼らは当時イギリスにおいて盛んであった,世界は分析しがたい一つの総体だとするヘーゲル的思考に反対して,世界は複合的なものであり,要素に分解しうるとし,この考えを実体間の外在的関係の理論によって論理学的,形而上学的に基礎付けた。ムーアは物や時間,場所など常識が存在するとするものをすべて実在すると考えたが,それらの概念を綿密に分析することによって言語分析への通路を開いた。これに対してラッセルは,〈黄金の山を論ずるときにはある意味で黄金の山は存在しなければならない〉とするマイノングの考えに反対して記述理論に到達したが,それは,たとえば〈現在のフランス王ははげである〉という言明の主語が見かけ上のものであって本当は主語ではないとするというような言語分析であった。ラッセルは存在論に言語分析から迫ったのである。彼はこの記述理論の他方で経験世界に関する多くの言明に登場する名前を消去して,真に存在するものの名前とそのような存在者を指す変項だけしか登場しない言明に置き換えていった。このとき,ラッセルにとって真に存在するものは,1910年代から20年代にかけては,個別的な〈感覚与件〉ないし〈事件〉であって,物や心,時空的位置のような他の存在者は前者から構成されるものであった。このような構成の手引となったものは,彼自身その構成に寄与した数理論理学の言語であった。日常言語による表現はかならずしも存在構造をそのまま反映するものではない。むしろ論理学の人工言語こそわれわれに存在の構造を教えてくれる。彼が若きウィトゲンシュタインの影響のもとに書いた《論理的原子論の哲学》(1918)はこの思想をよく表している。
 ラッセルに影響を与えたウィトゲンシュタインは《論理哲学論考》(1922)において,ラッセルよりもさらに徹底して世界を単純・独立な〈事態〉の複合として,〈事態〉をまた〈対象(実体)〉の連鎖としたが,それは世界を完全に明瞭に表現したときの言語表現に〈示される〉ものと考えた。20年代の後半から30年代にかけて盛んとなった論理実証主義は《論考》時代のウィトゲンシュタインから大きな影響を受けたが,一方先鋭な実証主義,反形而上学,科学主義とくに物理学主義をもって知られる。しかし論理実証主義者,とくにその代表者カルナップは《論考》の思想を規約主義的に変形して理解し,哲学的活動を一種の言語分析として規定した。それは形而上学に対してはその言明の無意味性を主張し,特殊諸科学に対してはその言語の統語法を論ずる論理的統語論を構成することであった。形而上学的言明が無意味であるとはその真理性が検証できないことである。その原理は有意味性の規準を検証可能性におくことである。ラッセルとウィトゲンシュタインの思想を受け継いで論理学と数学はトートロジーとし,言語を数理論理学の言語になぞらえて一種の計算体系として,人工言語として再構成されるとする。それは学問の各分野に即した別々の言語として行われるが,その構成は一意的なものではありえず,構成の成果に照らして修正される規約的なものである。しかしこの考えは実証主義と言語論の両面から間もなく行き詰まる。検証可能性による意味論はせまきにすぎて,自己を含めたすべての哲学を無意味にするばかりでなく,科学の多くの表現が無意味になってしまうことがわかってきた。その上,ある言語の考察は,たとえ人工言語に対するものであっても,統語論の角度だけでは不十分で,意味論的考察が必要であることが,タルスキーの真理論などを機縁に明らかになってきた。そこでカルナップは,タルスキーの真理論の示唆によって分析的真理や様相概念を意味論的に定義しようとした。
 以上のような分析哲学の動向に対しては,二つの角度からの痛烈な批判が50年代になされることとなる。一つはクワインを代表とするものである。それは伝統的な哲学においてもカルナップにおいても当然のものとして前提されていた分析的言明と統合的言明との原理的区別を否定するものであった。それは〈意味とは何か〉という問題を改めて提起した。クワインは一般に意味,内包,属性,命題を実体的なものとしてとらえることに異議を唱えたのである。もう一つは日常言語に着目する角度である。それまでの言語分析は論理学や数学の言語を範型にとった人工言語を主要な対象としたが,がんらい言語とは日常言語であり,日常言語のあり方を子細に点検すると従来の言語分析の方法は根本的に誤っていることがわかるとするものである。その代表的な論者は後期のウィトゲンシュタインであった。彼は〈真の言語形式は実在形式を写し出している〉という《論考》の根本思想を一擲した。言語の現実の機能を具体的に吟味してみると,名前が対象を指し,単純文が原子的事態を表すというような素朴なことはいえず,同じ文も場面が違えば違った役割をする。言語とは世界の写し絵ではなく,人間の相互交流の一形式,生活形式であるにすぎない。〈言表の意味とはその使用である〉。こうして50年代にはとくに日常言語学派がイギリスにおいて隆盛を極めることとなったが,それは語や文の意味や指示をその使用の状況・脈絡において考察するものであった。日常言語が重要なことは,心の働きや行為を表す語が基本的に日常言語であることによってわかる。言語分析は日常言語の考察に至って初めて伝統的な哲学的問題の解明に寄与することができたといってよい。しかしその方法はすでに言語分析の枠を超えているともいえる。またあまりにも事例主義的な日常言語学派の方向も行き詰まり,最近では論理学におけるモデル理論を援用したり,新しい言語学の成果を取り入れたりして日常言語の解明が進んでいる。⇒論理実証主義
                        中村 秀吉

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分析哲学と言語哲学
分析哲学と言語哲学
I プロローグ

分析哲学と言語哲学 ぶんせきてつがくとげんごてつがく Analytic and Linguistic Philosophy 英米を中心に展開された20世紀の哲学運動。論理実証主義や日常言語学派の総称。哲学の本来の活動は、言葉やそれによって表現される概念をはっきりしたものにすることだという考え方を共有している。このような言葉の分析によって、言葉の混乱によって生じた哲学的な諸問題を解消することを目的にしている。

II 言葉の分析

分析哲学者や言語哲学者の言葉の分析の仕方は、さまざまである。それぞれの語句の意味をはっきりしたものにして哲学でなされる言明のあいまいさをなくすことをめざす哲学者もいれば、意味のある文と無意味な文をわける基準をつくるために、発言が意味のあるものとなるための一般条件をきめようとする哲学者もいる。あるいは、数学的な記号であらわされる形式的な記号言語をつくりだそうとしている学者もいる。

彼らは、厳密で論理的な言葉ができれば、哲学で問題にされていることがらは、よりあつかいやすくなると考える。

しかし、この運動に参加した多くの哲学者は、日常つかっている自然言語に目をむけた。いろいろな哲学上の問題がおこるのは、時間や自由などといった言葉をふつうの使い方からはなれて考えるときである。したがって日常の言葉の使い方に注目することが、多くの哲学の難問をとく鍵(かぎ)となると彼らは考えた。

III ムーアとラッセル

言葉の分析自体は、プラトンの対話編にもみられるが、20世紀になるとまったく新たなものとして登場した。ロック、バークリー、ヒューム、ジョン・スチュアート・ミルなどのイギリス経験論(→ 経験主義)の伝統とドイツの論理学者フレーゲの著作の影響をうけ、20世紀の言語分析の哲学をはじめたのはムーアとラッセルであった。

2人はともに、ケンブリッジの学生のころに、本当に存在するのは絶対的なものだけだというブラッドリーに代表されるヘーゲル的観念論に反発し、哲学の研究において言葉を重視する姿勢をとった。これにより、彼らは20世紀の英米圏の哲学のあり方を決定づけた。

ムーアにとって哲学は、なによりもまず分析である。哲学の仕事は、複雑な命題や概念をもっと単純でわかりやすいものにすることである。この仕事が成功すると、哲学上の主張がただしいか、ただしくないかをはっきりきめることができる。

ラッセルは、世界と対応している理想的な言葉を考えた。ラッセルによれば、複雑な文は、原子命題とよばれるもっとも単純な文にわけられる。その文は世界の最小単位である原子事実に対応している。このような言葉の論理的分析によって世界との対応をたしかめる考え方を、ラッセルは論理的原子論とよんだ。

IV 論理実証主義者たち

ケンブリッジ大学のラッセルのもとに、分析哲学の歴史において中心的な役割をはたすウィトゲンシュタインがやってくる。彼は最初の主著「論理哲学論考」(1922)において哲学は言語批判だと主張し、言葉は世界の像であるという、ラッセルの論理的原子論と同様の考えを展開した。

この時期のウィトゲンシュタインにとって、意味のある文とは、世界の像である自然科学の命題だけであり、自然をこえた、神や倫理についての文は無意味な命題であった。

ラッセル、ウィトゲンシュタイン、マッハなどの影響をうけ、哲学者と数学者のグループが、1920年代のウィーンで論理実証主義(→ 実証主義:ウィーン学団)といわれる運動をはじめた。シュリックとカルナップが中心となり、ウィーン学団は分析哲学の歴史の中でもっとも重要な役割を演じた。彼らによれば哲学の仕事は意味の分析であり、新しい事実の発見や世界全体について説明することではない。

論理実証主義者は、意味のある文は分析的命題と経験的に確認できる命題の2つであるとした。分析的命題は、論理学や数学の命題であり、つかわれている言葉によってそのただしさはきまる。経験的に確認できる命題というのは、少なくとも原理的には感覚経験によって検証されるこの世界についての命題である。このような命題にのみ意味があるとする意味の検証理論によれば、科学的な文だけが事実についてのただしい主張であり、形而上(けいじじょう)学や宗教や倫理に関する文は、事実についてはなにもいっていないことになる。

V ポッパーによる批判

しかしこの検証理論は、ポッパーをはじめとする哲学者たちによって徹底的に批判された。ウィトゲンシュタインも自らの「論理哲学論考」の考えを否定し、「哲学探究」(1953)に結実する新しい思想を展開する。この本で彼は、日常の場面での言葉の使い方に目をむけ、言葉の多様な姿を明らかにした。

VI 言語ゲーム

その過程で「言語ゲーム」という重要な考えが生まれる。科学者、詩人、神学者などはそれぞれことなった言語ゲームをおこなっている。したがって、ひとつの文の意味は、その文があらわれる文脈、そしてその文がつかわれている言語ゲームのルールから理解されなければならない。ウィトゲンシュタインによれば、哲学とは言葉の混乱によって生まれた問題を解決する作業であり、そのような問題の解決の鍵は日常の言葉の分析であり、言葉の適切な使用なのである。

VII 日常言語学派

そのほかに、日常言語学派とよばれるイギリスのライル、オースティン、ストローソン、独自の意味論、存在論をうちたてたアメリカのクワインなどが活躍した。

ライルによれば哲学の仕事は、あやまった表現を論理的により正確な表現にすることである。人はしばしば文法的に同じ表現をつかうことによって、ありもしないものを、あるかのように誤解する。たとえば心と身体について同じ表現がつかわれているからといって、心と身体が同じあり方で存在するわけではない。

オースティンは、哲学の研究を日常の言葉の細かい違いに注目することからはじめた。発言することが行為そのものである場合が存在することを指摘し、言語行為の一般理論、つまり、発言するとき人がなすさまざまな行動の記述による理論を生みだした。

ストローソンは形式論理と日常の言葉の関係を分析し、日常の言葉は複雑なので形式論理ではうまく表現できないと主張した。したがって日常の言葉を分析するためには、論理学以外のさまざまな道具が必要だと考えた。

クワインは言葉と存在論(→ 形而上学)の関係を考察した。哲学者がつかっている言葉の体系によって、その哲学者の存在論がわかるといった。したがって、どのような言葉をつかうかは、まったく便宜的なものになる。

以上のように言葉を分析することが哲学の使命だとする考え方は、記号論理学的な厳密性を追求する立場と日常の言葉の分析をする立場にわかれてはいるものの、現代哲学の主要な流れをかたちづくっている。

→ 認識論:意味論:論理学

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B.ラッセル
ラッセル

ラッセル
Russell,Bertrand Arthur William, 3rd Earl Russell

[生] 1872.5.18. モンマス,トレレック
[没] 1970.2.2. メリオネス,ミンフォード


イギリスの哲学者,数学者,評論家。ケンブリッジ大学で哲学,数学を専攻,1916年反戦運動により罷免されるまで同大学で講師をつとめた。 50年ノーベル文学賞受賞。初め数学者として出発し,数学は論理学的概念に還元できるとして『数学の諸原理』 Principles of Mathematics (1903) ,『プリンキピア・マテマティカ』 Principia Mathematica (3巻,10~13,A.ホワイトヘッドと共著) を著わし,のちの論理学に多大な影響を与えた。以後哲学の研究に入りイギリス経験論に立った認識論 (マッハ主義,新実在論 ) を展開するが,ここでも数学の研究を通して得られた論理学の成果を取入れている。社会評論家,社会運動家としても 50年代の反スターリン運動,パグウォッシュ会議の開催,ベトナム戦争反対の「ラッセル法廷」などを通し,個人の尊厳擁護と世界平和のために貢献。主著『西洋哲学史』A History of Western Philosophy (45) 。





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ラッセル 1872‐1970
Bertrand Arthur William Russell

イギリスの哲学者,論理学者,平和運動家。ノーベル文学賞受賞者(1950)。伯爵。ケンブリッジ大学に学び,幾何学の基礎にかんする研究で母校のフェロー資格を得,のち講師となる。数学の基礎の研究を志したが,一方で新ヘーゲル主義の影響を受け,一時世界は分析不可能な全体だと考える。しかし20世紀初めころから世界を単純なものの複合体と考え,その単純なものとして感覚所与 sense‐datum をとるに至る。ここに至るには主語‐述語形式を命題と存在の基本と考えるライプニッツの存在論の批判があずかって力があった。こうして古典的な主語‐述語の論理学の代りに関係の論理学を唱導し,さらに数学者ペアノ,フレーゲの業績に触発されて新しい数理論理学を構想。これとともに数学(解析学)を論理学に還元することをはかる。その成果は《数学の諸原理》(1903)に盛られたが,その出版直前に集合論における重要なパラドックス(ラッセルのパラドックス)を発見(1901)。これはのちの論理学,数学基礎論,意味論の動向に大きな影響を及ぼすものであった。ラッセルはタイプ理論の案出によってこのパラドックスを解決し(1908),師 A. N. ホワイトヘッドとともに大著《プリンキピア・マテマティカ》(1910‐13)を著して数理論理学と数学を論理学に還元する論理主義の金字塔を建てた。一方,いわゆる〈記述〉理論を発表して(1905),見かけ上の主語‐述語形式言明を存在言明におきかえる方策を案出,これをもとに存在の種類をできるだけへらす唯名論的な存在論を完成せんとした。それは言語分析・論理分析を哲学に役だてた模範である。ラッセルにとってこのときの基本的存在者(実体)は感覚所与ないし〈事件 event〉であり,物と心,時空的位置などはこれから構成されるものであった。しかし彼はかならずしもこの一元論に徹底したわけではなく,しばしば物との二元論に傾き,知覚の因果説に立ったり,心的働きの位置づけに苦労したりもした。この方面では《哲学の諸問題》(1912)から《人間の知識》(1948)に至るまで多くの著作がある。しかしその立場は基本的にいってむしろ正統的な経験主義である。
 同様なことは倫理学や社会・政治思想についてもいえる。ラッセルはきわめて強い道徳的信念と旺盛な社会的関心の持主であった。自由と平等,反戦,反権力を主張しただけではなく,そのために闘った。男女両性の平等と自由恋愛を主張しただけではなく身をもって実践した。第1次大戦に反対してケンブリッジ大学から追放されただけではなく,投獄の憂目にもあったが,ビキニの水爆実験(1954)以来核兵器廃絶運動に身を挺し,アインシュタインとともにパグウォッシュ会議を主催し(1957年以降),イギリスにおいて〈百人委員会〉を組織したりした(1960)。またアメリカのベトナム戦争に反対してサルトルらと〈ベトナム戦犯国際法廷〉を開いてこれを糾弾した(1967)。しかしラッセルの倫理社会思想は,だいたいにおいて J. S. ミル流の個人主義,功利主義,民主主義である。ただいっそう急進的で無神論的である。彼の特色はつねに明快な結論を追求し,得た結論はどんな障害があってもごまかさずに実行しようとしたところにあるといえよう。             中村 秀吉

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ラッセル,B.A.W.
I プロローグ

ラッセル Bertrand Arthur William Russell 1872~1970 イギリスの哲学者・数学者。ノーベル文学賞受賞者。

ケンブリッジ大学にまなび、卒業後同大学トリニティ・カレッジの特別研究員になる。最初、数学の研究をこころざしたラッセルは、数学者ペアノとフレーゲの影響下に、数学を論理学によって説明しようとした「数学の諸原理」(1903)を刊行する。

II 記号論理学の著作

その後、ホワイトヘッドとともに、記号論理学(→ 論理学)の記念碑的著作「プリンキピア・マテマティカ(数学原理)」(3巻。1910~13)をあらわし、数学を論理学の概念によって基礎づけ、数論や記述理論など多くの画期的な研究をおこなった。

「哲学の諸問題」(1912)では、当時主流であった、すべての対象や経験は観念の中にあるという観念論を批判し、感覚によってとらえられる対象は心に依存しているわけでなく、それ自体で存在していると考えた。

III 論理実証主義への影響

ラッセルは1930年代の論理実証主義(→ 実証主義)の運動に多大な貢献をした。ウィトゲンシュタインはケンブリッジ大学でのラッセルの弟子であり、ラッセルの論理的原子論に強い影響をうけている。ラッセルの自然や知識についての研究は、認識論における経験主義的な考え方をふたたびよみがえらせた。

IV 平和運動

ラッセルは第1次世界大戦に反対して投獄され、ケンブリッジ大学からも追放された。大戦後ソ連をおとずれ、社会主義の現状に失望し、社会主義批判を表明する。1944年にイギリスにもどり、トリニティ・カレッジのフェローに復帰、その後アインシュタインらとともに、反戦、核兵器廃絶運動を熱心にすすめた(→ パグウォッシュ会議)。また結婚や教育についてのわかりやすく急進的な随筆も多くのこした。ほかの著作には「西洋哲学史」(1945)、「人間の知識」(1948)など多数ある。


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『プリンキピア・マテマティカ』
プリンキピア・マテマティカ

プリンキピア・マテマティカ
Principia Mathematica

  

イギリスの哲学者,数学者ホワイトヘッドとラッセルの共著による数学書。3巻,1910~13年刊。論理主義学派の基本的かつ記念碑的な書物。彼らは数学を論理学の一部門と考え,記号論理学の成果に基づき,論理的概念 (記号論理) によって数学を基礎づけることを試みた。本書の根本的な問題点は,逆理の問題であり,その解決法として還元公理,無限公理などが提出された。





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プリンキピア・マテマティカ
Principia Mathematica

A. N. ホワイトヘッドと B. A. W. ラッセルの共著。3巻。1910‐13年刊行。《数学原理》とも訳される。自然数(基数)は集合によって定義され,これをもとにいっさいの数学(解析学)的命題は論理学のことばで述べられ,論理学の原理から導き出されるという,数学基礎論における論理主義の立場を実際に行ってみたもの。ここでいう論理学は数理論理学(記号論理学)で,この論理学もこの本で初めて便利に記号化され,欠点はあるがほぼ完全に体系化された。そのためこの本は数理論理学の古典とされる。なお集合論における〈ラッセルのパラドックス〉は初版では分岐階型理論という複雑な理論で解決されているが,第2版では単純階型理論という簡明な理論によって処理されている。
                        中村 秀吉

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新実在論
新実在論

しんじつざいろん
New Realism

  

20世紀初頭にアメリカでは,W.モンタージュ,R.ペリー,E.ホルト,W.ピトキン,E.スポールディング,W.マービンの共著『6人の実在論者のプログラムと第一の政策』 (1910) で顕在化し,『新実在論』 (12) でその名を得た運動で,イギリスの T.ヌウン,B.ラッセル,G.ムーアらの動きと呼応し,両グループまた個人間の考えの違いをこえて,観念論に反対し真正な哲学を形成するとともに科学との新たな結合を試みた。その考えは,(1) ものの存在は,知られるということから独立している。 (2) また,ものの間に成立する関係も,客観的で人の意識からは独立している。 (3) ものは心的な模写を通して間接的に知られるというよりは,直観的直接的に知られることを主張するが,客観的に外在するものを人間がいかにして認識するのか,また (3) が主張されるのであれば,どうして誤謬や幻想が生じるのかを満足に説明できず,1914年頃 A.ロウェジョイらの「批判的実在論」に取って代られた。





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G.E.ムーア
R.B.ペリー
ペリー

ペリー
Perry,Ralph Barton

[生] 1876.7.3. バーモント,ポウルトニ
[没] 1957.1.22. マサチューセッツ,ケンブリッジ

  

アメリカの実在論哲学者。ハーバード大学哲学教授。 1912年ほかの5名の若いアメリカ人哲学者とともに新実在論を唱え,外界は認識主体に依存しないことを主張。また価値の基礎を「興味」におき,これに基づいて善・悪の倫理を展開した。第1次世界大戦への従軍の経験をもとに戦闘的民主主義を唱えた。主著"The Present Conflict of Ideals" (1918) ,"Present Philosophical Tendencies" (25) ,"General Theory of Value" (26) ,"The Thought and Character of William James" (35) ,"Puritanism and Democracy" (44) ,"Realms of Value" (54) 。





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[ブリタニカ国際大百科事典 小項目版 2008]


ペリー 1876‐1957
Ralph Barton Perry

アメリカの哲学者。バーモント州のポールトニーに生まれ,プリンストン大学とハーバード大学で学び,1902年から46年までハーバード大学で教えた。アメリカ思想史の研究者でもあり,特に W. ジェームズ研究の権威で,《ウィリアム・ジェームズの思想と性格》2巻(1935。1936年度のピュリッツァー賞受賞)の著者としてもよく知られている。ペリーの哲学的立場はみずから〈新実在論〉と称しているもので,論理学,数学および自然諸科学において究明される実体は心的なものではなく,認識する精神とは独立に存在し,それらの実在性は認識のされ方にはまったく依存しないと説く。ペリーらの新実在論運動は伝統的観念論哲学を激しく攻撃し,さらにプラグマティズム運動とも批判的にかかわりながら,〈アメリカ哲学の黄金時代〉を飾った。なお,彼は倫理学および広く価値論一般に最も大きく貢献し,その分野で特に著名である。著書にはアメリカ思想史,W. ジェームズに関するもののほかに,《新実在論》(1912,ペリーを含む6人の新実在論者たちの共著),《価値の一般理論》(1926)などがある。        米盛 裕二

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