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倫理学はノイラートの船か?(その1-1) [宗教/哲学]

倫理学はノイラートの船か?
功利主義の流れ
功利主義

こうりしゅぎ
utilitarianism

  

19世紀,イギリスで盛んになった倫理,政治,社会思想。広義には幸福主義,快楽主義と共通する点をもち,R.カンバーランド,F.ハチソン,T.ホッブズ,J.ロック,D.ヒュームなどにもその傾向がみられるが,狭義には J.ベンサムやミル父子などに代表される経験論的功利主義をさし,最大多数の最大幸福をスローガンとする。彼らは幸福と快楽とを同一視し,苦を悪としたが,ベンサムでは快楽は量的にとらえられ,快楽の計量可能性が主張され,J.ミルでは快楽に質的差異が認められ,精神的,倫理的快楽が注目された。この思想は,イギリスでは H.シジウィックの合理主義的功利主義,H.スペンサーの進化論的功利主義に引継がれ,ドイツではイェーリングらに影響を与えた。特にイギリス政治史上に果した役割は絶大で,根強い保守的風潮を破って改革の機運をつくり出すことに成功した。いうならば功利主義は産業革命の哲学であった。そしてこの旗のもとに多くの知識人や新興中産階級が結集し,古い秩序に対して一大改革運動を推し進めていった。 1822年から 29年にかけての法典整備や刑罰規定の改正,34年の救貧法改正,35年の地方自治法制定や教育制度改正などはその成果である。なかでも「1832年革命」といわれるリフォーム=アクトの成立こそは功利主義の最大の勝利であった。





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[ブリタニカ国際大百科事典 小項目版 2008]

功利主義
I プロローグ

功利主義 こうりしゅぎ Utilitarianism 役にたつものが善であるという倫理学の考え方。この考えによれば、行為の倫理的価値は、その結果が役にたつかどうかできまり、道徳的行為の最終目的は「最大多数の最大幸福」であるといわれる。ここでいわれている最終目的は、あらゆる法律の目標でもあり、社会制度の究極の基準でもある。功利主義における倫理観は、良心や神の意志や本人だけ感じる快楽などを基準とする倫理観に対立している。

II ペーリーとベンサム

イギリスの法学者で哲学者のペーリーは、功利主義を個人的な快楽と神の意志にむすびつけ、神の意志にしたがって人類の永遠の幸福をめざさなければならないと考えた。ベンサムは「道徳および立法の原理序説」(1789)において、功利主義的な考えを倫理学の基礎にすえるだけではなく、法律や政治改革の基礎にもすえた。彼は、多数者の利益のためには少数者の犠牲はやむをえず、どんな事柄でも少数者よりも多数者を優先すべきだと考え、「最大多数の最大幸福」を社会の倫理的な最終目標にした。

III ベンサム以後

ベンサム以後の功利主義の代表的人物としては、イギリスの法学者オースティンやジェームズ・ミル、ジョン・スチュアート・ミルの親子などがいる。

オースティンは「法理学の領域決定」(1832)の中で、功利主義をもとに法実証主義を説いた。ジェームズ・ミルは、ベンサムが創刊した機関誌「ウェストミンスター評論」で功利主義の考えを展開し、一般にひろめていった。ジョン・スチュアート・ミルはベンサム以後の功利主義のもっとも有力な思想家で、快楽の強さだけではなく、質の違いにも言及した。ベンサムがあらゆる快楽を同じように計算することができると考えたのに対し、ミルは「満足した豚よりも満足しない人間であるほうがよい」といい、快楽の質の違いを強調した。

イギリスの哲学者シジウィックは、快楽から道徳をみちびきだすことを否定し、道徳の基礎を直覚におき、その考えを功利主義にむすびつけた。ダーウィンによって提唱された進化論(→ 進化)をあらゆる現象に適用したスペンサーは、功利主義と進化論の総合をめざした。アメリカのプラグマティスト(→ プラグマティズム)であるジェームズやデューイも、功利主義の影響を大いにうけている。


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功利主義
こうりしゅぎ utilitarianism

主として19世紀のイギリスで有力となった倫理学説,政治論であり,狭義には J. ベンサムの影響下にある一派の思想をさす。ベンサムは《政府論断片》(1776)のなかで,〈正邪の判断の基準は最大多数の最大幸福である〉という考えを示した。彼はこれを立法の原理とすることによって,従来の政治が曖昧な基礎にもとづく立法に依拠していたのをただそうとしたのである。〈功利 utility〉という語はすでにヒュームの《人間本性論》(1739‐40)で用いられており,幸福(快楽)をもたらす行為が善で不幸(苦痛)をもたらす行為が悪だとする考えは,常識のなかには存在していたといえるが,ベンサムはそれを学問的な原理に高めようとしたのである。そして〈最大多数の最大幸福〉という原理は,個人の利害と一般の利害とを合致させることをめざしている。彼の《道徳および立法の原理序説》(1789)は,この功利の原理を展開したものである。すべての人間の行為の動機がつねに快楽の追求と苦痛の回避であるとすればすべての行為が正しいことになってしまうこと,自分の幸福と他人の幸福とが衝突することがあること,ベンサムの説く快楽の計算は実際にはきわめて困難なことなど,ベンサムの功利主義には種々の欠点があった。しかし,立法の原理として〈最大多数の最大幸福〉を提示することは,当時の立法者の少数有力者のための立法とそれにもとづく政治を批判する理論的根拠として有効であった。中産階級の人々にとっては〈幸福〉の具体的内容についての大体共通する理解があったからである。
 ベンサムの強い影響を受けた J. ミルは,ベンサムの思想を整理し,その宣伝に努めた。そして《人間精神の現象の分析》(1829)を書いて,功利主義をハートリー David Hartley(1705‐57)の連合心理学によって基礎づけようとした。また彼は,功利主義の立場から代議制民主政治を主張し,《経済学要綱》(1821)においては功利主義にもとづく経済学思想を展開した。J. ミルの子 J. S. ミルはベンサムの強い影響を受け,《功利主義論》(1863)を書いて,功利主義に対する種々の批判に反論したが,同時にベンサムが幸福(快楽)に質の相違を認めなかったのに対し,質の差別を認めた。〈満足した豚よりも満足しない人間である方がよく,満足した愚者であるよりも満足しないソクラテスである方がよい〉という彼の有名な言葉は,質の差別を示している。また彼は〈観念連合〉の原理を導入し,快楽を追求する利己的個人のなかに利他的行動を起こす心理的要因があるとし,もともと人間には〈共感〉や〈仁慈への衝動〉が存在すると説いた。
 功利主義を提唱したベンサムとその影響下にある人々は,政治的な活動をおこない,1832年の〈選挙法改正案〉の議会通過に大きく貢献した。この〈改正案〉は中産階級の政治的発言権を拡大することになる。この政治的党派は〈ベンサム主義者 Benthamites〉または〈哲学的急進派philosophic radicals〉と呼ばれた。彼らは政治的には代議制民主政治の確立をめざし,経済的には自由放任主義を主張し,それを議会での立法を通じた改革によって実現しようとしたのである。
 J. S. ミル以後,H. スペンサーは新しい学説として注目を集めていた〈進化論〉にもとづいて功利主義を基礎づけようとした。またイギリスの哲学者シジウィック Henry Sidgwick(1838‐1900)は,心理的な事実としての快楽から道徳的原理を引き出すことはできないとし,実践理性の直覚する公正の原理こそが道徳の基礎であると説き,それに功利の立場を結びつけた。そして彼は J. S. ミルと同じく快楽の質の差別を認め,質の高い快楽をめざすべきだと説いた。このように,ベンサムに始まる功利主義は,倫理思想であるだけでなく,社会思想としても展開し,19世紀のイギリス,そしてヨーロッパ全体に大きな影響を与えた。 城塚 登

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快楽主義
快楽主義

かいらくしゅぎ
hedonism

  

行為の標識として快楽 hdonをとる理論。幸福主義の一形態。キュレネ学派,なかんずくアリスチッポスは瞬間的快楽のみを善とし,可能なかぎり多くの快楽を集めることに幸福が存するとした。これに反しエピクロスは,そうした感覚的,瞬間的快楽を否定し,至高善たる快は持続的な,したがって精神的なものでなくてはならないとしてアタラクシアを説き,快楽に質的区別を認めた。ほとんど禁欲的な生活をおくったエピクロスへの世人の誤解は,快楽主義への偏見の典型である。古代のこの2学派は快楽主義の2つの典型であるが,近代にいたってベンサムはそこに社会的観点を導入した。彼は功利主義に立って,快楽の量的差に基づく快楽計算を提唱,最大多数の最大幸福を主張した。なお,物質的快楽の追求は多くの困難に遭遇することになり,苦痛を増す。それゆえ快楽の放棄こそ快楽への道であるという考えが生れるが,これを快楽主義的逆説と呼ぶ。また美学の領域では,美的快楽を美の本質的要素とする説を美的快楽主義と呼ぶ。 (→エピクロス主義 )





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快楽主義
I プロローグ

快楽主義 かいらくしゅぎ Hedonism 人間には快楽をもとめ、苦痛をさけるという基本的な考えがある。それをもとに、人生の究極の目的は快楽にあるとする倫理学説。

II 古代ギリシャの快楽主義

古代ギリシャでは2種類の快楽主義がとなえられた。1つはキュレネ学派の利己的、 感覚的快楽主義で、もう1つはエピクロス学派の理性的快楽主義(エピクロス主義)である。

キュレネ学派によれば、われわれの知識はすべて瞬間ごとにきえていくはかない感覚に根ざしているから、現在感じられている快楽と未来におこるかもしれない苦痛を比較できるような知識体系をつくることはできない。したがって個々人は、現在の一瞬だけを実在とみなし、自分が現在感じている快楽に身をゆだねるべきであるとされた。これに対して、エピクロス学派は、刹那(せつな)的な快楽はかえって苦痛をひきおこすのであって、むしろ自制や思慮によって感覚的快楽をたつことが、真の快楽をえる方法だと考えた。

III 最大多数の最大幸福

近代においては、利己的、感覚的快楽主義が18世紀のフランスの唯物論哲学者エルベシウスによってとなえられた。しかし近代の快楽主義でもっとも影響力の大きかったのは、18~19世紀のイギリスでベンサムやジョン・スチュアート・ミルがとなえた功利主義である。これは、快楽主義を社会の考察にまで広げた一種の社会的快楽主義である。個人が快楽の追求に幸福をみいだすのと同様に、社会もまた「最大多数の最大幸福」が実現したときによい社会になるとし、そうした社会の倫理的最終目標を達成するために、彼らは選挙制度の改革など社会改良につとめた。


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快楽主義
かいらくしゅぎ hedonism

快楽(ギリシア語 h^don^)こそ善の最終的な判断の基準であると考える倫理的立場。一般には肉体的快楽,とくに性的快楽を追求する立場をいうが,哲学史的には,何を快楽とするかは,各体系によって異なる。ソクラテスの弟子アリスティッポスは,人生の目的を快楽の追求とした。ただしこの快楽とは肉体的放縦の所産ではなく,逆に魂による肉体的欲望の統御から生まれると考えた。この態度は次代のエピクロス学派に続く。エピクロスとその学派は魂の平静(アタラクシア ataraxia)を重んじ,健康で質素な共同生活を通して得られる精神的快楽を重んじた。彼の学園ではつねに快活な笑いとくつろいだ喜びが絶えなかったという。一方インドのチャールバーカ派あるいは順世派では極端な唯物論の立場をとり,感覚的実在以外に何も認めず,輪廻も業も否定した。とすれば人生の目的は感覚的快楽の追求もしくは苦痛の回避しかないと考えた。この立場はもっとも素朴な世俗的人間が無意識にいだいている信念だといえよう。
 近代のその代弁者はフランス唯物論者,とくにエルベシウスである。《精神について》(1758)の中で,彼は人間の本性を次の4項のもとでとらえた。(1)あらゆる人間の能力は結局は感覚に帰する。(2)人間は快楽を愛し苦痛を恐れる利己的存在である。(3)人間はすべて平等の知性をもつが,ものを学ぶ意欲にはばらつきがある。(4)適切な教育を受けた支配者は適当な立法化を行って環境を自分の優位に変更し,それによって自利を増進することができる。ここには浅薄ではあるが,大多数の人間を支配している快楽原則を見抜いた冷徹な世知がある。功利主義の提唱者ベンサムや J. S.ミルは〈最大多数の最大幸福 the greatesthappiness of the greatest number〉を標語として掲げ,幸福とは人間の求める善であり,それは快楽を求め,苦痛を避ける合理的行動によって達成しうると考える。個人の合理的利己的行動こそ政治の干渉さえ受けなければ,かえって社会の自然の調和を生み,最大善・最大幸福に寄与しうるという。                    大沼 忠弘

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懐疑主義
懐疑論

かいぎろん
skepticism

  

人間理性による確実な真理認識をおしなべて否定する哲学的立場。その変形されたものとしては,蓋然性を認める認識論的蓋然主義,経験的現象での真理認識は認めるがその背後なる超越者の認識を否定する不可知論,客観的真理を否定する相対主義などがあり,認識の局面をこえて実践面にそれを適用した宗教的,倫理的懐疑論がある。絶対的懐疑論は真理認識を否定するが,その主張自体は真理であるとしているのであるから,決定的な自己矛盾を含んでいるというのが,アウグスチヌスの批判である。古代の懐疑学派のほかに,近世のモンテーニュやバークリー,経験論を徹底したヒューム,物自体の認識を否定したカントらが懐疑論者と考えられる。





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懐疑主義
I プロローグ

懐疑主義 かいぎしゅぎ Skepticism 人間の主観的知覚からはなれた、あるがままの事物を知ることはできないとする哲学の考え方。語源はギリシャ語のskeptesthai(吟味する)。もっと一般的な用法では、ひろく真であると信じられていることをうたがう態度をさす。懐疑主義は人間の認識の範囲と程度を問題にするので、つまるところは認識論になる。→ 認識論

II 古代ギリシャの懐疑主義

紀元前5世紀にギリシャで活躍したソフィストは、ほとんど懐疑主義者である。彼らの考えを表現している言葉に、「何も存在しない、もし存在するとしても、それを知ることはできない」や「人間は万物の尺度である」といったものがある。たとえばゴルギアスは、事物についてかたられることはすべて偽りであり、かりに真だとしても、それが真であることは証明できないといった。あるいはプロタゴラスは、人間が知りうるのは事物について各自が知覚したことだけであって、事物そのものではないと説いた。

懐疑主義をはじめて明確に定式化したのは、ギリシャ哲学の学派ピュロン派の人たちである。創設者のピュロンは、人間は事物の本性をまったく知ることができないのだから、判断を保留すべきだといった。ピュロンの弟子ティモンは、いかなる哲学上の主張に関しても同じ説得力をもった賛否両論をあげることができると主張した。

プラトンが創設したアカデメイアは、前3世紀ごろから懐疑主義にかたむいた。アカデメイア派はピュロン派よりも体系的であるが、いくらか徹底性にかけるところがある。たとえばカルネアデスは、どの意見も絶対的に真ではありえないと主張した。しかし、もしそうなら、何がよくて何がわるいのかを判断できないのだから、人間は行為できなくなるのではないか。この反論に直面してカルネアデスは、ある意見が他の意見よりも信頼できる(蓋然的である)ことはありうるとみとめてしまった。この不徹底さに不満をおぼえたアイネシデモスはピュロン派を復興させ、懐疑主義の立場をかためる10カ条の方式を整備した。古代末期のセクストス・ホ・エンペイリコスは、古代の懐疑主義を集大成した「ピュロン哲学の概要」などの著作をのこした。

III 近代の懐疑主義

セクストスの書物は、ルネサンス期に再発見された。16世紀のモンテーニュは、セクストスにならって人間の理性は無力だと説き、理性よりもキリスト教の信仰にしたがうようすすめた。17世紀にデカルトが懐疑主義を克服しようとこころみたにもかかわらず、懐疑主義はいっこうにおとろえなかった。

18世紀になると、近代懐疑主義のもっとも重要な代表者ヒュームがあらわれた。彼は、外界、因果結合、未来の出来事について、われわれが信じていることは真ではないかもしれないし、魂や神は存在するのかといった形而上学的問題も解決できないと考えた。同じ18世紀にカントは、ヒュームの懐疑主義を克服しようとこころみた。しかし彼もやはり、あるがままの事物(物自体)を知ることはできないとみとめざるをえなかった。

19世紀にヘーゲルが合理主義の体系の中に懐疑主義をくみいれようとしたが、19世紀終わりから20世紀初めにかけて彼の合理主義が崩壊するとともに、ニーチェやサンタヤーナのように、懐疑主義にかたむく哲学者たちがあらわれた。懐疑主義的な考えは、プラグマティズム、分析哲学と言語哲学そして実存主義といった、他の現代哲学の中にもみうけられる。

→ 経験主義:形而上学:西洋哲学:合理主義


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懐疑論
かいぎろん

〈検討〉を意味するギリシア語 skepsis に由来する西洋哲学用語(英語では skepticism)の訳として用いられる語。人間的認識の主観性と相対性を強調して,人間にとって普遍的な真理を確実にとらえることは不可能だとする思想上の立場。独断論 dogmatism に対する。広義にはあらゆる普遍妥当的な真理の認識可能性を否定する立場を指すが,狭義には特定の領域,例えば宗教や道徳において確実な真理に到達する可能性を否定する立場を指すのにも用いられる。このような立場は,一方では人間の思考や認識に対する否定的な態度さらにはニヒリズムにつながるが,他方では断定的な判断を避け,経験と生とを導きの糸として探究を続行しようとする実証主義的態度にもつながる。また懐疑論はつきつめていけば論理的矛盾に陥る――〈真理の認識は不可能である〉という断定は真理に関する一つの絶対的判断である――ので純粋な形では主張することができないが,それほど徹底しない場合でもそれ自身のために主張されるよりは,従来の見解を打倒するための武器あるいは疑うことのできない真理を発見するための手段(デカルトの方法的懐疑はその典型)として用いられることが多い。
 西洋哲学史上,懐疑論がとくに問題になるのは古代と近世初期である。古代の懐疑派は通常三つの時期に区別される。初期にはピュロン(その名に由来するピュロニズムは懐疑論の別名となった)とその弟子ティモン Timヾn がおり,彼らは何事についても確実な判断を下すのは不可能であるから,心の平静(アタラクシア)を得るためには判断の留保(エポケー)を実践すべきことを説いた。中期はプラトンゆかりの学園アカデメイアの学頭であったアルケシラオス Arkesilaos とカルネアデス Karnead^s に代表される。彼らはストア主義を独断論として攻撃し,とくに後者は蓋然的知識で満足すべきことを説いた(アカデメイア派ないし新アカデメイア派の語も懐疑論者の代名詞として用いられることがある)。後期にはアイネシデモスやセクストス・ホ・エンペイリコス等が属するが,前者は感覚的認識の相対性と無力さを示す10の根拠を提示したことで知られ,後者は経験を重んずる医者として諸学の根拠の薄弱さを攻撃し,またその著書はギリシア懐疑論研究の主要な資料となっている。近世においては,ルネサンスの豊かな思想的混乱の中で懐疑思想も復活し,伝統的な思想や信仰を批判する立場からも,逆にそれを擁護する立場からもさまざまなニュアンスの懐疑論が主張されたが,その中でもモンテーニュのそれはたんに否定的なものにとどまらず生を享受する術となっている点で,またパスカルのそれはキリスト教擁護の武器として展開されているにもかかわらず作者の意図を越えて人間精神の否定性の深淵を垣間見させてくれる点でそれぞれ注目に値する。なお D. ヒュームはしばしば懐疑論者のうちに数えられ,彼に刺激を受けたカントについても懐疑論との関係で論じられることもある。⇒不可知論                     塩川 徹也

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ストア学派
ストア派

ストアは
Stoics

  

キティオンのゼノンがアテネのストア・ポイキレに創設した哲学の一学派。その学派は前期 (前 312~129) ,中期 (前 129~30) ,後期 (前 30~後2世紀末) に分れる。前期には厳格と節度の人ゼノン (ストアの) ,その忠実な後継者で『ゼウスの賛歌』を残したクレアンテス,ストア派最大の権威クリュシッポス,天体論を研究し,科学を神のロゴスについての研究と規定したアラトスらが,中期には『義務について』の著者パナイティオスやポセイドニオスらが,後期,ローマの帝政時代には貴族出身のセネカ,『省察録』を書いたマルクス・アウレリウス,奴隷出身のエピクテトス (弟子による『語録』が有名) がいた。彼らは哲学を論理学,自然学,倫理学に分け,哲学は実践上の知恵を教える学であるとの立場から倫理学を最も尊重した。





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ストア学派
I プロローグ

ストア学派 ストアがくは Stoicism ヘレニズム時代に創設された古代ギリシャ哲学の学派。エピクロス学派、懐疑学派とともにこの時代の3大学派をなした。ストア学派は、ソクラテスの弟子であるアンティステネスによって創設されたキュニコス学派に起源をもつ。

II 歴史

ストア学派は前300年ごろにキプロスのゼノンによってアテネで創設された。キュニコス学派のクラテスにまなんだゼノンが彩色柱廊で知られたストア(柱廊)に学校を開設したのが、その始まりである。学派の名称もこれに由来する。第2代学頭のクレアンテスが書いた「ゼウス賛歌」はその断片が現存しており、そこでは、最高神は全能の唯一神にして道徳的統治者であるとのべられている。クレアンテスの後継者になったのはクリュシッポスであり、これら3人が第1期ストア学派(前300~前200年)の代表者である。

第2期(前200~前50年)になると、ストア学派の哲学はかなり普及し、ついにはローマにも知られるようになる。ストア学派を本格的にローマにつたえたのはパナイティオスである。パナイティオスの弟子のポセイドニオスは、ローマの有名な演説家キケロの教師であった。

第3期はローマ時代になる。共和制末期の小カトーはすぐれたストア哲学者であったし、帝政期にもセネカ、エピクテトス、皇帝マルクス・アウレリウスのローマの3大ストア哲学者があらわれた。キリスト教がローマ帝国の国教になったのちも、ストア学派は大きな勢力をもちつづけ、その影響はルネサンス期にまでおよんだ。

III 思想

ヘレニズム期のほかの学派と同じく、ストア学派も倫理学に強い関心をしめした。幸福が人々の最大の関心事になったからである。しかし倫理学をかためるために、論理学と自然学の理論を開拓したところに、この学派の大きな特徴がある。概念、判断そして推論の理論としての論理学はストア学派によってその骨格が形成され、とくに仮言三段論法の発見はこの学派のもっとも重要な功績である。

ストア学派の自然学によると、世界は物質からなる。しかし物質そのものは受動的であって、これとは別に、世界をうごかし世界に秩序をあたえる能動的な原理がある。この原理はロゴスとよばれ、神の理性であるとともに、ある種の微細な物質とも考えられた。そこで、「息」あるいは「火」ともよばれたが、これはヘラクレイトスが宇宙の根源とみなしたものにあたる。

人間の魂は、このロゴスの現れである。それゆえ、このロゴスにしたがって生きることは、神がさだめた世界(自然)の秩序にしたがって生きることであり、この生き方がわれわれ人間の務めになる。「自然にしたがって生きる」というこの見解は、自然法思想の展開において決定的なものになり、ローマ法に甚大な影響をあたえることになった。

善とは外的なものではなく魂の内部にあるというキュニコス学派の考えが、ストア学派の倫理学の原理になっている。ストア学派はこの魂の内的状態を思慮あるいは自制心と考えた。つまり、日常生活においてわれわれの心をかきみだすものは情念や欲求であって、こうしたものから解放されて不動心(アパテイア)をえるために必要なものが、思慮や自制心だというのである。

この自制や克己ということが同時代のエピクロスの快楽主義(→ エピクロス主義)とするどく対立し、現在の英語のストイックstoicという言葉に「禁欲的」という意味がくわわるもとになった。

ストア学派のきわだった特徴のひとつに、コスモポリタニズムがある。この考えによると、どの人間も唯一の普遍的な神の現れであるからには、人間どうしの付き合いでは社会的地位とか貧富あるいは民族の違いといった外的なものはまったく意味をもたず、万人はひとしくコスモス(世界)の市民である。したがってストア学派は、キリスト教が誕生する以前にすでに、全人類は生まれつき平等であり、たがいに兄弟のように愛しあわねばならないと考えていたのである。


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ストア学派
ストアがくは

ギリシア・ローマ哲学史上,前3世紀から後2世紀にかけて強大な影響力をふるった一学派。その創始者はキプロスのゼノンである。彼はアカデメイアに学び,後にアゴラ(広場)に面した彩色柱廊(ストア・ポイキレ Stoa Poikil^)を本拠に学園を開いたのでこの名がある。
 ストア学派の思想によれば,あらゆる認識の基礎をなすのは感覚である。世界は感覚的認識の総体であり,それゆえ物質的存在である。しかしその中には物質に還元できない英知が宿っており,それが物質世界に一定の秩序を与えている。この事物を秩序立てる力を〈神的火〉,または〈運命〉と呼ぶ。人間は内在する英知を自覚することによって,世界という秩序(コスモス kosmos)を認識しなければならない。人生の目的は,この自然の秩序にのっとって生きることであり,それが最大の幸福をもたらす。それが道徳であり,義務であるとともに宇宙と一体化する修行法なのである。世界は巨大なポリスであり,人間は〈世界市民(コスモポリテス kosmopolit^s)〉として,この世俗においても一定の役割を果たさなければならない。宇宙秩序に対する透徹した観照から,情念や思惑にかき乱されない〈不動心(アパテイアapatheia)〉を養い,厳しい克己心と義務感を身につけてこの世を正しく理性的に生きること,これをストア学派的生活と呼ぶが,この事情は英語のストイック stoic,ストイシズム stoicism などの語に反映されている。
 ゼノンの高邁(こうまい)な生き方は,クレアンテス,クリュシッポスに受け継がれた。これを古ストア学派と呼び,論理学,自然学に多大の業績を挙げた。前2~前1世紀の中期ストア学派に属するパナイティオス,ポセイドニオスは道徳的,実践的局面を強調し,人事における神的英知の介入として〈摂理〉を説いた。新ストア学派にはセネカ,エピクテトス,マルクス・アウレリウスなどが属する。またパウロや初期キリスト教の教父,さらにはルネサンス期のリプシウス,F. ベーコン,T. モア,グロティウスなどに与えた影響も無視できない。
                        大沼 忠弘

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道徳
道徳

どうとく
moral

  

社会の成員によって承認され,かつ実現される倫理的諸価値ないし規範の総体。その原理は,主観的内面的規制原理として,主体のうちに現れる自然的本能,自己保全の欲求,名誉欲,権力欲,所有欲などの利己的,本能的欲求と正義,真理,愛,誠実,信頼,平等,国益などの普遍的ないし社会的諸価値の対立あるいは現実と理想の相克を調整し,社会的成員にふさわしい行為を選択するようにしむける。さらに道徳は内面に深く関わるものとして実存の重要な構成契機となり,個人の世界観に重大な影響を及ぼす。ヘーゲルは個人的主観的な道徳性と習慣や法律として客観化された道徳すなわち人倫とを区別している。





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道徳
どうとく

こんにちの用法では倫理という語と根本的な相違はない。倫とは仲間を意味し,人倫といえば,畜生や禽獣のあり方との対比において,人間特有の共同生活の種々のあり方を意味する。倫理とは,そういう人倫の原理を意味し,道徳もほぼ同様であるが,いずれかといえば原理そのものよりも,その体得に重点がある。すなわち,道とは人倫を成立させる道理として,倫理とほぼ同義であり,それを体得している状態が徳であるが,道徳といえば,倫理とほぼ同義的に用いられながらも,徳という意味合いを強く含意する。道徳と倫理の両語とも,現今では近代ヨーロッパ語(たとえば英語の morality,ethics,ドイツ語の Moralit∵t,Sittlichkeit,Ethik,フランス語の morale,レthique)の訳語としての意味が強いが,これらの語はたいていギリシア語のエトス ethos ないしはエートス ^thos,あるいはラテン語のモレスmores(mos の複数形)に由来する。^thos という語は,第1に,たいていは複数形の ^th^ で用いられて,住み慣れた場所,住い,故郷を意味し,第2に,同じくたいていは複数形で,集団の慣習や慣行を意味し,第3に,そういう慣習や慣行によって育成された個人の道徳意識,道徳的な心情や態度や性格,ないしは道徳性そのものを意味する。ethos という語はとくに第2の意味を,そしてmores という語は第2および第3の意味を有する。モラルという日本語をも含め,総じて近代語においては,第3の意味に重点がある。
 道徳に関する哲学は倫理学(英語では ethics,ドイツ語では Ethik),あるいは道徳学(ドイツ語では Moral),道徳哲学(英語では moral philosophy)と呼ばれる。moral philosophy は近代イギリスでは元来は精神哲学というほどの広い意味のものであり,たとえば A. スミスがグラスゴー大学で講義したそれは,神学,倫理学(《道徳感情論》),法学,および経済学という四つの部分から成り立っていた。道徳は,人間存在が個人的にして同時に共同的な存在であるかぎりにおいて,宗教や法や経済などと密接に関連しながらもその純粋形態においてはそれらから区別されるべき,一つの根源的現象である。個々の人間は,とりわけ良心の責めという現象において,おのれ自身の行為や人格の善悪の区別を体験する。あらゆる諸民族の文化生活において,道徳的命法,行為規範,道徳的価値規準などが存在し,それらにしたがって,ある種の行為は称賛すべきものとして是認され,あるいは義務として命じられ,他の種の行為は非難すべきものとして否認され禁止される,ないしは,人間自身とその態度や言動が端的に善あるいは悪として評価される。その種の事柄について,それを単に事実として記述し分析する種々の社会科学(たとえば,文化史,文化人類学,社会学など)とか,その種の価値評価の成立を心理的に説明する道徳心理学とかとは異なり,倫理学としての道徳哲学は,道徳現象の究極的な根拠を問い,道徳の形而上学に到達しようとする。それはさらに,規範学的な実践哲学として,個人的にして同時に共同的な人間の行為の,普遍的および特殊的な道徳的諸規範の意味とその客観的な妥当性を基礎づけようとする。したがってその方法は,道徳的経験によって与えられたものについての哲学的反省である。
 道徳は,原理的には,人間存在の根本理法であり,何よりもまず,単なる自然存在の理法から区別されるべきものであるが,原初的には,自然存在と一体化した人間存在の慣習的なあり方に内含されたかたちで現れる。そこでは道徳はいまだ宗教的生活に付随しており,人間の法的・経済的なあり方とも融合している。それらから区別されて,まさしく人間としての人間の内面的なあるべきあり方がその純粋形態において自覚されるにいたるとき,道徳としての道徳という問題が成立する。この問題の最も基本的な原理は自由の問題である。なぜなら,道徳は単なる自然存在の理法とは異なり,人間存在のあるべきあり方に関するものであるが,この当為(べき)は自由を前提にして初めて成り立ちうるからである。だが,無限的自由もまた当為を成立させえない。当為の前提としての自由は,人間としての人間に固有の有限的自由である。それは,個人が人倫に背反しようとする解放の自由と,個人が人倫に帰一しようとする自律の自由との相互否定的な関係において存立する。道徳という人間存在のこの根本理法は,社会的・歴史的に多様な具体的形態をとりながら,また時として種々の仮象的・偽善的な形態に堕しながら展開するが,道徳の本質的形態は,洋の古今東西を問わず,おのれ一個の例外を求めないという点に帰する。その点を踏まえながらも,各人が現実的状況のなかでいかにしておのれの本来的自己と成り行くかが,現代道徳の最も根本的な問題である。⇒倫理学      吉沢 伝三郎

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倫理学
倫理学

りんりがく
ethics

  

ギリシア語のエートス thos (習俗,性格) に由来し,個人的にはよきエートスの実現,社会的には人間関係を規定する規範,原理の確立を目的とする学問。時代,社会によっていくつかの立場に分れる。まずエピクロス学派にみられるように道徳の規範を利己,主観に求める傾向や,またこれに隣接して実存の主体的なあり方を問題とする実存哲学の倫理学がある (→実存主義 ) 。これに対して道徳の規範を先駆的なものに求める傾向はカントに代表される。さらにギリシアの懐疑主義 (→懐疑論 ) に始る懐疑主義的傾向があり,現代では論理実証主義の場合のように,倫理学の命題そのものの成立の可否を問い,それを情緒的な表白として把握する立場もある。東洋では仏教思想,老荘の無の思想,孔孟の仁の思想などを中心に,倫理思想の展開がみられる。





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[ブリタニカ国際大百科事典 小項目版 2008]



倫理学
I プロローグ

倫理学 りんりがく Ethics 英語のエシックス(ethics)という語は、「性格」「慣習」を意味するギリシャ語のエートス(ethos)に由来する。この語は人間の行動の原理原則(倫理、道徳)とその研究(倫理学、道徳哲学)の両方を意味する。ここでは後者のみ、それも西洋の倫理学のみに限定してのべる。

哲学の一分野である倫理学は、化学や物理学のような経験科学とも、数学や論理学のような形式的科学ともちがって、人間の行動の規範(善悪)にかかわるので、規範科学とよばれる。その関心領域は、心理学をふくむ社会科学と一部重複する。社会科学も、ある社会の人々がどんな規範にしたがっているか、その規範を形成するどんな文化的条件があるかなどを、実証的に研究するからである。

II 倫理学の原理

哲学者は善い行動を2つにわける。ひとつはそれ自体で善い行動、もうひとつはほかの善の手段としての善い行動である。前者はほかのものの手段にならない究極目的、最高善である。倫理学史をふりかえってみると、最高善といわれてきたものには、第1に幸福ないし快楽が、第2に義務あるいは徳が、第3に自分の可能性の完全な開花がある。

ある行為がなぜ善なのかを説明する理由は3つある。第1は「神の命令だから」、第2は「自然本来の姿だから」、第3は「理性のルールだから」という理由である。

III 古代ギリシャの倫理学

前5世紀のギリシャに弁論術、論争術、政治学をおしえるソフィストといわれる一群の哲学者たちがいた。彼らは、どの国でもなりたつ客観的なモラルなどないと考えた。ソフィストのひとりプロタゴラスは、人間の判断は主観的であり、人が知るものはその人だけにしかあてはまらないとおしえた。ゴルギアスというソフィストはもっと極端で、なにも存在しないし、なにかが存在しても人はそれを知ることができないし、知りえたとしても他人にそれをつたえることはできないと主張した。トラシュマコスというソフィストは、権力こそ正義であると考えた。

これらのソフィストたちに反対したのがソクラテスだった。弟子プラトンの対話編をとおして知られるソクラテスの主張は、次のようなものである。徳は知である。徳のなんたるかを知った人だけが、有徳になる。悪は徳の無知から生じる。だからこそ教育は人々を道徳的にしうる、とソクラテスはいうのである。

IV ソクラテスの弟子たち

ソクラテスの教えをひきついだ弟子たちは、4つにわかれた。キュニコス学派、キュレネ学派、メガラ学派そしてプラトンである。

キュニコス学派は禁欲主義をとる。アンティステネスの主張によれば、徳とは自己を制御することであり、この徳はおしえることができる。キュニコス学派は快楽を悪とみなし、あらゆる虚栄心を否定する。ソクラテスはわざとぼろをまとったアンティステネスに、「君の上着の穴から君の虚栄心がみえるよ」とおしえたが、虚栄心のためにぼろをまとうことも、この派では否定されるのである。

キュレネ学派は快楽主義をとる。彼らによれば、快楽は基本的には善いものであり、いろいろな快楽の間に優劣の差はなく、ただ快楽の度合いと持続で優劣がきまる。

メガラ学派の祖エウクレイデスによれば、善は知とか神とか理性とか多くの名をもっているが、結局はひとつのものである。善は、ただ論理学的な研究によってのみあらわになる宇宙の究極的な秘密である。

1 プラトン

プラトンによれば、真に実在するもの、つまりイデアは完全なもので、個物はその不完全な写しである。完全であることが善いことであるから、善は真に実在するすべてのものの不可欠な性質である。

彼によれば悪は、本当は存在しない。悪とは、善つまり完全性が欠けていることである。善い人とは、その魂に完全性がそなわった人である。人間の魂は理性、意志、感情の3つの部分からなるが、おのおのの部分が完全になることが魂の善さのためには必要である。つまり理性が知恵(人生の目的についてのただしい知識)を獲得し、その指導のもとで意志がただしい勇気を、感情がただしい節制を実現したときに、魂は全体として調和のあるただしい魂となり、そのような魂をもつ人が善い人である、とプラトンは考えた。

2 アリストテレス

プラトンの弟子アリストテレスによれば、幸福が人生の目的である。彼の「ニコマコス倫理学」によれば、幸福とは人類に特有な本性(形相)と一致する活動のことである。そうした活動には快楽がともなうが、快楽はこの活動の主要な目的ではない。理性という人間に固有な属性が、人間のもつほかのさまざまな能力と調和してはたらくとき、幸福が生じる。

またアリストテレスによれば、有徳な人かどうかは1回きりの行為ではなく、習慣によって判断されるべきである。ところで、善い習慣といわれるものには、知的な活動の習慣と実践的な活動の習慣の2種類がある。前者は認識活動で、その完成形態は観照、すなわち主観をまじえず対象の本質をとらえることである。後者は勇気のような道徳的行動で、中庸の徳に一致しておこなわれる。中庸といわれるものは、人により所によって事情がちがうから、善い実践的習慣には柔軟性がなければならない。体の大きさや年齢や職業によって、人が食べるべき適量(中庸)はちがってくる。過食も少食も善ではない。一般にアリストテレスのいう中庸は、過剰と不足という両極端の中間と定義される。臆病と蛮勇の中間が勇気で、快楽と禁欲の中間が節制なのである。

しかし彼にとって、知的な徳も実践的な徳も幸福に達するための手段として善なのであり、その幸福とは、人間が人間としての可能性を完全に開花させることであった。

V ストア学派

ストア学派の哲学は前300年ごろにはじまり、ヘレニズム・ローマ時代に展開された。主要なストア主義者としては、ギリシャ人ではキプロスのゼノン、ローマ人では有名なキケロ、奴隷のエピクテトス、ローマ皇帝で哲学者のマルクス・アウレリウスがいる。ストア学派によれば、自然や宇宙は秩序(ロゴス)にみち合理的であるから、自然にしたがって生きる人生だけが善である。しかし人間は目前の状況に影響されてこの法則をみあやまるから、できるだけこうした状況に左右されない心を身につけなければならない。英語のストイック(stoic)という言葉が今日「困難に直面しても動じないこと」をも意味するのは、これに由来する。

VI エピクロス学派

前4~3世紀に、ギリシャの哲学者エピクロスは、のちにエピクロス主義とよばれる考えを提唱した。それによれば、最高の善は快楽、とくに知的な快楽である。ストア学派と同じように彼は、学問的な研究に専念する静かな生活、禁欲的でさえある生活を善しとした。ローマの代表的なエピクロス主義者は詩人で哲学者でもあるルクレティウスである。前1世紀中ごろに彼が書いた「デ・レルム・ナトゥラ(「自然について」「物の本質について」などの訳がある)」は、デモクリトスの原子論的宇宙観とエピクロスの倫理観をむすびつけた詩である。

この学派によると快楽は、心の動揺をとりのぞき平静な心をたもつことでえられる。宗教的な信仰や実践は、人々の心に死の不安や死後の世界への恐れをふきこむから有害である。政治的な活動も、権力闘争などで心をみだすからさけたほうがよい。またのちのちに永続的な快楽をえるために、現在の快楽を後回しにすることは善いことだという。

VII キリスト教

キリスト教の出現は、倫理学の歴史上、一種の革命であった。なぜなら西洋の哲学者たちは善をはじめて神学的に考えることになったからである。キリスト教の教えによれば、人間は神に完全に依存している。人は自分の意志や理性によって善をなしとげることはできず、ただ神の恵み深い手助けによってのみ善をなしうる。

キリスト教の主要な倫理は、「人にしてもらいたいと思うことはなんでも、あなたがたも人にしなさい」、「自分自身を愛するように隣人を愛しなさい」、「カエサルのものはカエサルに、神のものは神に」である。イエスは「心をつくし、精神をつくし、力をつくし、思いをつくして、あなたの神である主を愛しなさい」という命令に、ユダヤの律法の本質的な意味があると考えた。原始キリスト教団では、禁欲、受難、信仰、慈悲、ゆるし、精神的な愛が強調されたが、このうちのいくつかはギリシャ哲学でも重視された。

VIII 教父とスコラ学者

キリスト教の倫理学は、ヘレニズムのころペルシャ伝来のマニ教とたたかいながらつくりあげられてきた。マニ教では善と悪(光と闇)は世界の主導権をあらそう2つの勢力だと考えられた。このマニ教は3~4世紀まで影響力をもっていた。

キリスト教神学の父アウグスティヌスは、はじめマニ教を信じたが、プラトンの考えにふれてマニ教をすてた。キリスト教に回心したのち、彼は、プラトンの考えとキリスト教的な善の考え方を統一した。それによると、善は神に固有な属性であり、罪は人祖アダムの堕落から生じた。人間はその罪から神の恩寵によってのみすくわれるのである。人間は本性上罪深いと考える点で、彼には、悪が永続するというマニ教の考え方がのこっている。この態度は、わかいときの彼自身の放蕩に対する罪の意識を反映している。彼が純潔と独身を強調するのは、そのためかもしれない。

中世後期にアラビアの学者たちがつたえたアリストテレスの著作とその注釈は、ヨーロッパの思想に強い影響をあたえた。アリストテレスの考えは、啓示と対立する経験的知識を強調するので、教会の知的権威をおびやかした。アリストテレスの考えと教会の権威を和解させたのは、キリスト教神学者トマス・アクィナスであった。大著「神学大全」において、彼は、経験的な真理を是認するが、この真理は信仰の真理をおぎなうことになると考えた。こうしてアリストテレスの知的な権威は教会の権威に奉仕することになり、アリストテレスの論理学は、原罪と神の恩寵による救いというアウグスティヌスの考えをささえるためにつかわれたのである(→ スコラ学)。

中世の教会の倫理観はダンテの「神曲」の中に文学的に表現されている。ダンテはプラトン、アリストテレス、トマス・アクィナスに影響をうけている。「神曲」の「地獄編」でダンテは罪を3つに分類してえがくが、そこにはプラトンの魂の3区分がはっきりみてとれる。

IX 宗教改革以後

ルネサンスの間に教会の信仰や倫理観が影響力をうしなう一方で、ふたたびキリスト教の基本原理にたちかえろうという運動がおこった。宗教改革である。ある考えは変更されたし、新しい考えもはいってきた。ルターによれば、キリスト教的な敬神の本質は精神の善さである。キリスト教徒には道徳的な行為が要求されるが、義とされるのは信仰によってのみである(→ 義認)。またルター自身が結婚していたし、独身生活はプロテスタントの牧師には要求されていない。フランスの宗教改革者カルバンは、義認は信仰のみによるという考えのほかに、アウグスティヌスの原罪の教えも採用した。ピューリタンもカルバン主義者であって、節制、勤勉、節約、虚栄の排除などのカルバンの主張を信奉した。

ルネサンスの間、個人の責任は権威や伝統への服従よりもずっと重要だと考えられた。重点の置き方のこの変化が、間接的に近代の世俗的倫理学の展開に道をひらいた。たとえばグロティウスは自然法は神の法であり、平和に他人とくらしたいという人間の欲求を表現したものだと考えた。

X 近代の倫理学

ホッブズは著作「リバイアサン」(1651)の中で、組織された社会と政治権力が道徳にとって最大の重要性をもつと主張した。彼によれば、国家成立以前の「自然状態」は「万人の万人に対する戦い」である。したがって人々は安全を確保するために、契約をむすんで、たがいに自分の権利と権力を放棄して、全体を統括する君主にそれをゆだねる。この社会契約によって国家が生じるというのである。ホッブズは、人間は本性上悪いものであり、人間を抑圧しておくためには強い国家が必要だ、と保守的に考えた。これに対してロックは、社会契約の目的は君主の絶対権力を制限し、個人の自由を増大することにあると主張した。

スピノザがえがいた哲学体系においては、ただしい行為の基準は人間の理性である。主著「エチカ」でスピノザは、倫理学を心理学から、心理学を形而上(けいじじょう)学から、幾何学の証明のようなやり方で演繹した。それによれば、すべてのものは永遠の相のもとでみれば道徳的に中立である。人間が欲求と利害関心でみるから、正邪善悪がわかれるのである。自然(=神)についての人間の知識をたすけるもの、人間の理性と一致するものが善である。あらゆる人が共有するものはあらゆる人に善であるから、人々が他人に善をおこなえば、それは自分自身のために善をおこなったのと同じである。そのうえ理性は、感情をおさえるから、苦痛をさけ快楽と幸福を生みだすために役だつ。

そして、人生最高の幸福は、ふつうの理性よりもさらに高い直観的知性の能力による「神の知的愛」にある。この能力をただしく使用することによって人は、精神的であると同時に物質的でもある無限な世界を観照し、この世界が唯一無限な実体(=神)であることを知る、とスピノザは考えた。

XI ダーウィン以前の倫理学

18世紀のイギリスでは、哲学者のヒュームと自由放任主義の経済学者アダム・スミスが同じように感情を重んじる倫理学を主張した。それによれば、善とは満足の感情を、悪とは苦痛の感情をひきおこすものである。人々は血縁などで直接的にむすびついていなくても、おたがいにシンパシーを感じあうのであって、その感情から、道徳と公益という観念が生じるとする。

フランスの哲学者で小説家のルソーは、ホッブズの社会契約論をうけいれた。しかし彼は小説「エミール」で、悪は社会生活における不適応から生じるのであって、人間は自然本性上は善であるとのべている。

倫理学に最大の貢献をしたのは、18世紀ドイツのカントである。彼によれば、たとえどんなにかしこくふるまったとしても、人間の行動の結果は偶然の状況に左右される。したがって行為の善し悪しは、その結果ではなく、その動機によってはかられるべきである。意図の善さだけが善に値する。なぜなら、善い意図をもつ人だけが、感情や気分にながされないで、一般的な原則にしたがう行動、義務による行動をおこなうことができるからである。

カントは道徳の根本原則を「君の行動の原則が、君の意志によって同時に、あたかも普遍的な自然法則になるかのように行為せよ」とのべている。これは有無をいわせない命令であり、定言的命令とよばれる。

XII 功利主義

いわゆる功利主義の倫理学や政治理論は、イギリスのベンサムによって18世紀末にとなえられ、のちにやはりイギリスのジェームズ・ミルとその息子ジョン・スチュアート・ミルによって深められた。ベンサムは、功利主義の原理を、共同体の幸福の総量を増大する手段と定義する。あらゆる人間の行動は、苦痛をさけ快楽をえようとする欲求によってうごかされていると彼は考えた。功利主義は、エピクロス学派のように個人の快楽ではなく、社会全体の快楽を善とする普遍的な快楽主義である。最高の善は、「最大多数の最大幸福」ということになる。

XIII ヘーゲルの倫理学

ヘーゲルはカントの定言的命令をうけいれたが、それを歴史的な発展の理論にくみこんだ。それによれば、歴史の各時代は、合理的な世界精神が真の自分を自覚するためにたどる諸段階である。道徳は、社会契約の結果ではなく、むしろ、家族からはじまり当時のプロイセン国家で最高段階に達する歴史の途上で生じたひとつの中間段階なのである。ヘーゲルは「世界史は、制御できない自然的な意志をきたえて、その意志を普遍的な原理にしたがわせ、主観的な自由を実現する場である」という。

デンマークの哲学者キルケゴールは、ヘーゲルの哲学に強く反発した。著作「あれか?これか」では、彼の倫理学の主要なテーマである選択の問題が論じられている。キルケゴールによれば、ヘーゲルの哲学は個人の選択の問題を、個々人が直面しなければならない主体的な問題というよりも、むしろ、普遍的に解決できる客観的な問題であるかのようにみせかけた。それによってこの問題の困難さをおおいかくしてしまったのである。

キルケゴール自身の選択は、キリスト教の倫理の中で生きることであった。個人がみずから選択しなければならないという彼の主張は、いわゆる実存主義運動に属するさまざまな哲学者と、キリスト教やユダヤ教の多くの哲学者に影響をあたえた。

XIV ダーウィン以後の倫理学

ニュートン以後の倫理学にもっとも大きな影響をあたえた科学的成果は、ダーウィンによってとなえられた進化論である。ダーウィンの発見は、イギリスのスペンサーが提唱した「進化論的倫理学」という体系に実証的な支柱をあたえた。それによれば道徳とは、進化の過程で人類が獲得したある習慣の結果にすぎない。最適者存続が自然の基本法則だというこのダーウィンのテーゼを、おどろくべき仕方で、しかし論理的にしあげたのが、ニーチェである。

ニーチェによれば、いわゆる道徳というものは、弱者のためにのみ必要である。ユダヤ教やキリスト教の中で推奨される道徳によって、弱者は、強者が自己を実現することをさまたげることができる。彼はこれを奴隷道徳とよぶが、このいわゆる道徳なるものは、弱者のいだく強者への怨念(おんねん)に由来するのである。彼は、すべての行為は卓越した個人、つまり「超人」の進化発展にむけられるべきであって、超人こそが人生のもっとも高貴な可能性を実現しうるという。この超人の理想をニーチェは、ソクラテス以前の哲学者たちやシーザーやナポレオンのような軍事的指導者にみていた。

XV 精神分析と倫理学

現代の倫理学は、フロイトとその弟子たちの精神分析から大きな影響をうけている。フロイトによれば、各人における善悪の問題は葛藤から生まれる。つまり自分の欲求をすべてみたしたいという本能的な衝動と、個人が社会で生きていくためにこれらの衝動のほとんどを抑圧しなければならないという必要性の間の葛藤から、道徳は生じたというのである。フロイトの影響は倫理学の分野に完全に浸透してはいないが、フロイトの深層心理学は、罪、とくに性的な罪の意識が、善悪についての多くの考えの根底にあることをおしえる。

XVI 現代の倫理学

イギリスの哲学者ラッセルは、伝統的な道徳観にするどい批判をおこなった。彼の考えによれば、道徳判断は、個人の欲求と社会的にみとめられた慣習を表現するものにすぎない。だから禁欲的な聖者も超俗的な賢者も、人間の貧弱なモデルでしかない。なぜなら、彼らは、人間のあり方を不完全にしかしめしていないからである。社会生活に参加し自分の本性のすべてをあらわすことが、人間の完全な生き方である。

むろん、社会の利益のためにおさえられなければならない衝動もあるし、個人の可能性の開発のためにおさえられなければならない衝動もある。しかし善い人生と調和のある社会に役だつのは、個人の抑圧されない自然な成長と自己実現なのである。

1 実存主義

20世紀には実存主義の理論を提唱する哲学者が多くあらわれた。彼らは、キルケゴールとニーチェが提起した個人の倫理的選択の問題に関心をよせた。これらの哲学者のうち、宗教的な傾向をもつのは、ロシアのベルジャーエフとオーストリア生まれのユダヤ人ブーバーである。ベルジャーエフは、個人の精神の自由を強調し、ブーバーは、個人の相互関係の道徳性に注目した。ドイツ生まれのアメリカ人神学者ティリヒは、自分自身であることへの勇気を力説した。フランスのカトリックの哲学者で劇作家のマルセルとドイツの哲学者で精神病医ヤスパースは、個人の存在のかけがえのなさと個人間のコミュニケーションの重要性を強調する。

現代倫理学の異色の傾向としては、フランスのマリタンとジルソンがあげられる。彼らはトマス・アクィナスの伝統にしたがった。マリタンによれば「真の実存主義」とは、この伝統の中にのみ存在するのである。

いっぽう、現代の別の実存主義の哲学者たちは、宗教的な思考をいっさいうけいれない。ドイツの哲学者ハイデッガーによれば、神は存在しない(将来存在するようになるかもしれないが)。したがって人間は単独で宇宙になげだされていて、たえず死を意識しながら自分の倫理的な決断をおこなわなければならない。フランスの哲学者で小説家のサルトルも無神論者である。彼も死の意識を強調する。サルトルはまた、各個人が自分の時代の社会的・政治的な状況にみずから関与する倫理的責任をもっていると説いた。

そのほかの現代の哲学者たち、たとえばアメリカのデューイのような人たちは、道具主義の立場から倫理学にアプローチする。デューイによれば、善を実現する手段とそこからおこりうる帰結の両方を熟慮したうえでえらばれたものが本当の善である。

また、現在のイギリスとアメリカの倫理学の議論のほとんどは、ムーアの言語分析的方法を出発点にしている。ムーアによれば、倫理的意味の言葉は「善」という語によって定義できるが、善それ自体は定義できない。善は単純な性質で、分析できないからである。この点でムーアに反対し、善は定義できると考える人々は、自然主義者とよばれる。これに対してムーア自身は直観主義者とよばれている。

自然主義も直観主義も、倫理的な命題が世界を記述できるのであって、したがって倫理的な命題は真か偽でありうると考えていた。これに対して第3の立場が生まれ、とくに論理実証主義(→ 実証主義)といわれる人々は、倫理学であつかうような文章は記述的ではなく、むしろたんなる話者の感情の表明でしかないと考えた。そこから、倫理学は認識の学問ではないとさえいうことになった。このするどい言語分析的批判をうけて、今日の倫理学では、活発な論争がおこなわれている。

→ 分析哲学と言語哲学


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