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存在論の流れ(2) [宗教/哲学]

存在論
存在論

そんざいろん
ontologia; ontology

  

存在者一般に関する学。 ontologiaの語は 1613年ゴクレニウスが最初に用い,クラウベルクを経てウォルフにいたり用語として定着したが,存在論自体は古代にさかのぼる。アリストテレスの第一哲学がそれであり,以後の歴史においても形而上学の中核は存在論であった。カント以後哲学の主流は認識論に傾いたが,20世紀に入って N.ハルトマンの批判的存在論や M.ハイデガーの基礎的存在論,また実存哲学の興隆によって再び存在論が哲学の中核となった。





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[ブリタニカ国際大百科事典 小項目版 2008]

存在論
そんざいろん ontology

ギリシア語の〈在るもの on〉と〈学 logos〉から作られたラテン語〈オントロギア ontologia〉すなわち〈存在者についての哲学 philosophia de ente〉に統(さかのぼ)り,17世紀初頭ドイツのアリストテレス主義者ゴクレニウス Rudolf Goclenius に由来する用語。同世紀半ば,ドイツのデカルト主義者クラウベルク Johann Clauberg はこれを〈オントソフィア ontosophia〉とも呼び,〈存在者についての形而上学 metaphysica de ente〉と解した。存在論を初めて哲学体系に組み入れたのは18世紀の C.ウォルフであり,次いでカントであった。カント以後,存在論は哲学体系から消失したように見えるが,19世紀の終末以来,とりわけ第1次世界大戦後に復活し,今日では認識論と並んで哲学の主要分野を成している。以下,存在論の系譜を略述し,終りに訳語の歴史を回顧しよう。
 アリストテレスの《形而上学》は〈第一哲学prヾt^ philosophia〉であり,〈存在者を存在者として on h^i on〉考究し,およそ存在者であれば本質的に備わっている属性や性質(一と多,同と異,先と後,類と種,全と個,範疇,真と偽など),存在者の区別を一般的に扱い,また最高の存在者すなわち〈神的なもの theion〉を扱う〈神学theologik^〉を含むが,〈存在論〉とは呼ばれていない。中世のスコラ哲学もアリストテレスを手引きとし,〈存在者 ens〉と〈存在 esse〉との区別,〈本質存在 essentia〉と〈事実存在 existentia〉との区別にも目を向けるが,〈存在論〉といういい方はない。しかしアリストテレスの《形而上学》と中世の形而上学とが〈存在論〉という言葉の発生の源泉であることは明白である。これをスアレスの《形而上学論議》(1597)に即して追ってみよう。彼は〈実在的な存在者 ens reale である限りでの存在者〉を〈知性的存在者 ens rationis〉,すなわち知性・悟性の産物として心の中に想像された存在者から鋭く区別し,前者を次の2部門で扱う。まず〈存在者とその固有性の共通概念について〉であり,〈存在者の概念〉,一・真・善などの〈存在者の共通の状態〉,質料因・形相因・動力因・目的因などの〈諸原因〉に分かれ,存在者一般を論じる部門である。次は存在者の〈諸区別〉で,〈無限な存在者〉すなわち〈神〉と〈有限な存在者〉とに分かれ,後者ではさらに〈実体 substantia〉と〈付帯性accidentia〉等に細分化されるが,全体としては特定の存在者を論じる部門である。スアレスの形而上学はデカルトに影響を与え,またこの2部門はJ. B. デュアメルに影響し,さらにはウォルフの〈一般形而上学 metaphysica generalis〉と〈特殊形而上学 metaphysica specialis〉との区別に影響を及ぼした。スアレスは〈存在論〉という言葉は用いていないが,上述の最初の部門がのちのウォルフの〈存在論〉の直接の源泉となったといいうる。
 ウォルフは哲学を理論的哲学と実践的哲学に分け,前者を〈形而上学〉と呼び,これは〈存在論〉〈合理的心理学〉〈宇宙論〉〈合理的神学〉から成るとする。〈存在論すなわち第一哲学とは,存在者が存在するかぎりにおいての,存在者一般 ensin genere の学である〉。存在論は形而上学の第1部であり,魂,世界,神という優越した特殊な存在者を扱う〈特殊形而上学〉に先立ち,物体的・精神的であれ,自然的・人工的であれ,存在者一般を理論的に扱う〈一般形而上学〉である。存在論のもっとも一般的な原理は〈矛盾律〉と〈充足理由律〉であり,〈存在者の一般的諸性質〉を論じる部分と,〈存在者の主要な種類およびそれらの相互関係〉を論じる部分とに大別される。
 カントも〈存在論〉を哲学体系に取り入れた。《純粋理性批判》では,広義の形而上学は〈予備学〉としての〈批判〉と体系としての形而上学を含み,後者は〈自然の形而上学〉と〈道徳の形而上学〉に分かれ,〈自然の形而上学〉ではその第1部門を〈先験哲学 Transzendentalphilosophie〉すなわち〈存在論〉とし,〈合理的自然学〉〈合理的心理学〉〈合理的宇宙論〉〈合理的神学〉に先立てている。《形而上学講義》(K. H. L. ペーリッツ編,1821)では,〈形而上学〉とは〈ア・プリオリな諸原理〉に依存する〈純粋哲学の体系〉であり,〈ア・プリオリな認識がいかにして可能であるか〉に答えるのが〈純粋理性批判〉の任務とする。一方,〈先験哲学とはわれわれの純粋でア・プリオリな認識いっさいの体系である〉といい,これが通常〈存在論〉といわれているものであって,〈いっさいの純粋な悟性概念と悟性ないし理性のいっさいの原則を包括する〉と述べ,形而上学は〈存在論〉〈宇宙論〉〈心理学〉〈神学〉から成ると説く。カントもウォルフ同様に存在論を形而上学の第1部とし,〈諸存在者の学〉とするが,正しくは語義上から〈一般的存在者論die allgemeine Wesenlehre〉であるとし,《形而上学講義》では〈可能なものと不可能なものについて〉以下24項目で詳論する。ウォルフと異なるのは,〈存在論〉を〈先験哲学〉すなわち〈人間のア・プリオリな認識の諸原理・諸要素の哲学〉と説き,ウォルフのように存在者ないし対象の概念を悟性で分析する次元から,対象の認識の次元へ,対象のア・プリオリな認識の原理の次元へと転換したことである。すなわち,〈特殊形而上学〉の存立もそれに先行する〈一般形而上学〉としての〈存在論〉の存立も,従来は自明のこととされてきたが,そもそも存在論的・形而上学的認識が可能であるか否かを,〈批判〉によって確定することが先決条件であり,その成果としての〈先験哲学〉すなわち〈存在論〉こそ基礎的形而上学であるとするのが,カントの構想であった。
 カント以降,存在論は哲学体系から消失するように見える。ショーペンハウアーによれば,〈《純粋理性批判》は存在論を分析知論 Dianoiologieに変えてしまった〉のである。存在論の復興は19世紀末からであり,とりわけ第1次世界大戦後である。存在論と呼ばず広く〈対象論〉を説いたのはマイノングである。さらにフッサールは事実学に本質学を対立させ,事実的諸学は〈形相的諸存在論 eidetische Ontologien〉に理論的基礎をもつとし,〈実質的・存在論的諸学科〉は〈実質的領域〉に区分される〈実質的存在論〉ないし〈領域的存在論 regionale Ontologie〉に基づき,〈形式的・存在論的諸学科〉は〈形式的領域〉による〈形式的存在論 formale Ontologie〉に基づくと説いた。また N.ハルトマンは新カント学派から《認識の形而上学綱要》(1921)によって存在論の哲学者へと転換し,実在的世界の無機,有機,心,精神の4階層とそれらの範疇とを説いた。これらの新しい〈存在論〉の特質は,実在的な存在者だけでなく,観念的・理念的・意味的な存在者をも自覚的にその射程に収めた点である。同時に,従来は客体と対象との側面から,すなわち自然,神,動物,機械との差異においてのみ認識されてきた〈人間存在〉を,真に〈人間存在〉として根本に据え,人間存在に基づく存在論を建設しようとしたのは,実存哲学であり,哲学的人間学であった。
 ハイデッガーは人間を〈現存在 Dasein〉と呼び,現存在の存在・存在意味を〈関心〉〈時間性〉とし,現存在の分析論を〈基礎的存在論Fundamentalontologie〉と呼び,人間以外の存在者に関する諸存在論の基礎を与えるものとした。彼は基礎的存在論を〈現存在の形而上学〉の第1段階とし,人間の存在を通路とする基礎的形而上学を構想した。同時に従来の〈存在論〉〈形而上学〉は,〈存在者 das Seiende〉とその〈存在者性Seiendheit〉とを問題とするが,存在者と存在者を存在者たらしめる〈存在 Sein〉との区別,すなわち〈存在論的差異 ontologische Differenz〉を〈忘却〉していると説き,この〈存在忘却〉の広がった世界の中で〈存在の語りかけ〉を待ちうることこそ現代の人間の務めであると説く。ハイデッガーの思索は変転するが,存在論・形而上学が〈存在者〉と〈存在〉との区別に基づいており,真実の存在論・形而上学は〈存在の真相〉のそのつどの発現に由来するという洞察は,〈存在論〉の系譜の中で銘記されるべきことに属する。
 今日,存在者は諸科学の対象であるが,科学的な対象知としての存在知は,そのまま〈人間存在〉のための知となりうるであろうか。そもそも〈人間存在〉は何のために在るのか。客体知・対象知が自己知・主体知を凌駕するように見える現代こそ,〈知〉を〈人間存在〉のための〈存在〉となしうる人間の可能性が,根本から問い求められているのである。
[訳語の系譜]  日本では1870年(明治3)西周がウォルフの Ontologie を〈理体学〉と訳したのが最初であり,81年〈実体学〉,1900年〈本躰論〉,05年〈本躰論〉〈実躰論〉,11年には〈本体論〉〈実有論〉,12年(大正1)には〈実体学〉〈本体学〉,17年に至っても〈本体論〉と訳されている。29年(昭和4)には〈存在学〉〈存在論〉が使用され,30年の《岩波哲学小辞典》では ontologia が〈本体論〉,ontology,Ontologie は〈存在学〉〈存在論〉と訳されており,〈存在論〉が一般化するのは昭和10年代以降である。〈存在論〉は少なくとも1925年以来,ハイデッガーの Ontologie に対する訳語として用いられている。29年和嶋哲郎は,〈存在論〉の根本の問いは日本語では〈あるということはどういうことであるか〉であるとし,〈もの〉〈こと〉〈いう〉〈ある〉に関する見解を発表したが,これもハイデッガーの影響下のものである。31年和嶋哲郎はハイデッガーの Ontologie を〈有(う)論〉と訳し,今日でも若干の追随者がある。しかし存在論の本格的研究は,今後に残された課題なのである。⇒実存主義∥認識論               茅野 良男

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形而上学
I プロローグ

形而上学 けいじじょうがく Metaphysics 直接には経験することができない究極的実在をあつかう哲学の一部門。中世以来の伝統的な区分にしたがえば、形而上学は、物が「存在する」とはどういうことかというきわめて抽象的な問題を論じる一般形而上学、つまり存在論と、人間にとって重要だが、経験的には知りえない特殊な存在者(神、人間の魂、宇宙)を問題にする特殊形而上学とにわかれる。

II アリストテレス

形而上学という名称の由来は、ローマのペリパトス学派の哲学者アンドロニコスにさかのぼる。彼はアリストテレスの著作を編集する際に、自然学をあつかった諸論文のあとに、もともとは第一哲学とか神学とよばれていた諸論文を配列した。そのために、第一哲学の論文は、ta meta ta physika「自然学のあとにつづくもの」として知られるようになり、それがのちにちぢめられて、metaphysikaとなった。

アリストテレス自身は、みずからの第一哲学(形而上学)の課題を「存在者であるかぎりでの存在者」をあつかうことにあるとしていた。彼の形而上学は具体的には、実体と偶有性、形相と質料、現実態と可能態といった概念を論じている。

III カント以前

トマス・アクィナスを中心とする13世紀のスコラ哲学者(→ スコラ学)たちは、有限な感覚的事物の因果的研究を通じて神を認識することが形而上学の目標だとしていた。一般にカント以前には、形而上学は、ア・プリオリ(→ ア・プリオリとア・ポステリオリ)な認識(経験や観察に依存せず、純粋に理性だけによってえられる認識)にもとづく原理から出発する学問とされ、しかも、この原理がそのまま宇宙を構成する実体とされていた。この実体が、1つと考えられるか、2つ、ないしそれ以上と考えられるかに応じて、一元論、二元論、多元論が成立する。

一元論の場合、そのただひとつの実体が物質的なものと考えられるか、精神的なものと考えられるかによって、唯物論的一元論と観念論的一元論にわかれる。前者の代表がホッブズだとすれば、後者の代表はバークリーである。スピノザのいう実体は、物質的なものでも精神的なものでもない。彼は、宇宙と神を同一であるとする汎神論をとなえる。→ 観念論:唯物論:汎神論

二元論の典型は、思惟と延長とを独立した2つの実体とみなすデカルトの立場であり、宇宙は無数のモナドからなると主張するライプニッツは、多元論の典型である。

IV カント

しかし、近代自然科学の興隆とともに、厳密な学としての形而上学の可能性が疑問視されるようになった。ロックやヒュームが展開したイギリス経験論は、すべての認識は経験的であるとして、究極的実在の認識の可能性を否定した。

カントは、すべての認識は経験からはじまるという点では経験論を支持する。しかし彼は、認識は、経験論が主張するように、外界をただ受動的にうつしとるだけではない。むしろ、認識は人間に本来そなわっている形式(空間、時間、因果関係など)にしたがって混乱した感覚情報を秩序づけることによってはじめて、認識の対象をつくりあげるのだと考えた。

そうだとすると、「経験されるすべての物は空間と時間のうちにあり、因果関係にしたがう」という陳述は、例外なくただしいことになる。というのも、人間はそもそも空間・時間や因果関係という形式をとおしてしか世界をながめることができないからである。すべての人が生まれたときから緑のサングラスをかけているとすれば、「世界は緑である」という発言はだれにとってもただしいはずである。

空間・時間などの形式は、それによって経験的なものがはじめて可能になるのであるから、経験に先立ち、経験をこえている。カントは、ここにあらわれる新しい形而上学的な次元を、超越論的という名前でよぶ。このため、彼の形而上学は超越論的哲学とよばれる。

V カント以後

カントによれば、物は人間にそなわる形式をとおしてのみ認識の対象となるのであるから、物自体がどのようなものであるかは原理的に知ることができない。しかし、カントの弟子であるフィヒテ、それにつづくシェリング、ヘーゲルは、物自体の認識不可能性というカントの主張をしりぞけ、精神がすべての物の実体であるから、精神によってすべては絶対的に認識可能であるという形而上学的な立場をとった。彼らの立場は一般にドイツ観念論とよばれる。

しかし、産業革命による産業社会と科学技術が急速に発展した19世紀においては、伝統的な形而上学に反対する態度が支配的になる。フランスの哲学者コントの実証主義、ドイツのマルクスとエンゲルスが提唱する弁証法的唯物論、アメリカの哲学者パース、ジェームズらのプラグマティズムなどがその代表的な例としてあげられよう。

VI 20世紀

20世紀において形而上学思想の有効性に異論をとなえ、その科学的価値を徹底的に否定したのは、論理実証主義である(→ 分析哲学と言語哲学)。論理実証主義は、科学から形而上学を排除するための判断基準として検証理論をもちだす。この理論によれば、ある命題が意味をもつのは、それが観察により検証される場合だけである。たとえば、「物質的粒子以外の何物も存在しない」とか「すべての物はある遍在する精神の一部である」といった形而上学的命題は、経験的に検証することができない。したがって、検証理論によれば、これらの命題は人間の希望や感情に対してはある意味をもちえても、事実の認識という意味はもたない。

しかし他方、2度の大戦の体験などを通じて近代科学思想に対する信頼がゆらいでくるにつれて、ふたたび形而上学がみなおされるようになった。分析哲学においてさえ、日常言語学派の登場以降は、イギリスのストローソンの記述的形而上学の構想にみられるように、形而上学に対する全面否定の態度が大きく修正されつつある。

形而上学の復権をもっとも壮大なスケールでおこなったのは、ドイツの哲学者ハイデッガーである。彼の主著「存在と時間」(1927)は、プラトン、アリストテレス以来の存在一般の意味の究明を現代において反復しようとする企てである。それによれば、存在の意味の究明は、人間存在を手掛かりにするほかはない。というのも、人間だけが自分の存在をつねに気にかけている存在者であり、したがって、なんらかの意味で「存在」ということを了解している唯一の存在者だからである。ハイデッガーは、この人間の存在了解をなりたたせているのが時間性であることを発見し、この時間性の視点から新たな存在論を構築しようとした。


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存在の類比
アナロジー
analogy

〈比例〉を意味するギリシア語 analogia に由来する言葉。当初は数学用語だったが,プラトン以後は哲学の分野で用いられ,類推,類比,比論などと訳される。論理学の用語としては〈同義性univocation〉つまり同一の言葉が同一の意味で用いられること(人間,馬,犬などが動物であると言われる場合)と,〈異義性 equivocation〉つまりまったく異なった意味で用いられること(ある星座と動物がともに〈犬〉と呼ばれる場合)の中間を意味する。アナロジーによる推論は,既知の部分的類似にもとづいて未知の類似へと論を進める推論形式で,演繹や帰納のような確実性はそなえていないが,みのり豊かな発見の方法として種々の学問分野で用いられる。多くの詩的表現や比喩,たとえば〈微笑む草原〉〈人生の秋〉などは比例的なアナロジーにもとづくものであり,また〈健康〉という言葉が人間自身,および彼の顔色,尿,生活環境,食物,医薬などについて異なった意味で語られる場合,それら多様な意味は人間自身について語られる〈健康〉への関係において統一されているかぎりにおいてアナロジー的である。これにたいして本来的な哲学的アナロジーは美,善,真,一,存在など,特定の〈類 genus〉を超えて用いられる〈超越的名辞 transcendental term〉に関して見いだされる。これらの名辞は,〈実体〉〈量〉〈質〉〈関係〉などの〈類〉もしくは〈カテゴリー〉の枠を超えて,また有限的存在と無限的存在の区別を超えて,根元的に異なっていながら何らかの意味の同一性を保ちつつ,つまりアナロジー的に述語されるが,それらのなかで〈存在 ens〉が中心的位置をしめるところから,〈存在のアナロジー的性格〉つまり〈存在の類比 analogia entis〉が強調されることになる。〈存在の類比〉は人間の認識能力が神もふくめてすべての存在するものにたいして開かれていることの論理的表現であるが,それは神の測りつくし難さを否定するものではない。〈存在の類比〉が経験世界と神との連続性を安易に肯定する立場に堕するとき,〈信仰の類比 analogiafidei〉により神の絶対的な他者性を主張する K.バルトの批判が適中する。⇒類推   稲垣 良典
【認知科学におけるアナロジー】
 アナロジーは,未知の状況の問題解決において,既知の類似した状況を利用する認知活動である。アナロジーは,推論,説明,創造などさまざまな認知活動を支えている。したがって,人の認知過程の解明や人工知能の開発,さらに,教育,インターフェース設計などの応用のために,認知科学的研究がされている。
 アナロジーの認知プロセスは,四つの段階に分かれる。たとえば,われわれは,新奇な応用問題を解くときに,前に学習した類似した例題を思い出す。そして,例題の解法を対応づけて解く。さらに,対応づけが適切さかどうか,すなわち問題文の表面的な類似ではなく解法構造の類似性があるかを評価する。その結果は,同じ解法を適応できる問題として知識に貯える。以上の述べたように,第1段階では,われわれは,問題状況(ターゲット)を解決するために,過去の類似経験(ベース)を記憶から想起する。ベースの検索においては,表面的類似性だけでなく,構造的類似性も重要な手がかりとして働いている。第2段階では,ベースからターゲットへの知識の対応づけ(写像)によって,両者の特徴や構造を結びつける。ここで,ターゲットを解決するために不足する知識は,ベースから写像して推論する。第3段階は,対応づけ結果の評価である。アナロジーはベースとターゲットが部分的に対応している場合でも成立する柔軟性がある。しかし,両者が部分的対応の場合,ベースからターゲットに知識を写像して推論すると誤ることがある。そこで,表面的な類似性だけでなく,構造的類似性や目標に照らして,アナロジーの適切さを評価する必要がある。第4は,学習である。ベースを利用してターゲットを解決した経験は,両者の共通する関係,パターンやルールなどの帰納を通して,抽象的知識(スキーマ)として蓄積される。このようにアナロジーは,知識を拡張したり,形成する推論なので,広義の帰納の一つとして位置づけられる。また,アナロジーは,厳密な論理規則に基づく演繹に対して,類似性に基づく柔軟な推論としても位置づけられる。
 認知科学において,アナロジーが重視される背景には,いくつかの理由がある。
 第1に,アナロジーは知能において中心的な役割を果たしている。4項(比例)アナロジーは,一般知能を測定するための推論課題として,知能検査などに利用されてきた。たとえば,〈医者(A)と患者(B)の関係は,教師(C)と?の関係である〉。さらに,1970年代からは,比例アナロジー解決のプロセスや個人差が検討されてきた。一方,人工知能では,1960年代に,図形4項アナロジー課題を解決するために,規則を表現し,選択する記号処理モデルの開発が始まった。
 第2に,アナロジーは問題解決や物語理解を支えている。1970年代に,これらの心理実験やコンピューターシミュレーション研究が始まった。人やコンピューターにとっては,膨大な記憶から有効なベースを検索し,適切に対応づけることにアナロジーの難しさがあった。しかし,1990年代になると,(ターゲットとベースとの類似性,構造の対応,目標との合致といった)多重の制約によって,候補を絞り込んで,効率的検索と対応づけを行う理論や,そのコネクショニストモデルが提案されている。
 第3に,アナロジーは教育における伝達,学習,知識の獲得を支えている。相手の既有知識に基づくアナロジーは,理解しやすい説明を導く。たとえば,原子構造(ターゲット)を太陽系(ベース)のアナロジーで説明することによって,原子を回る電子の運動は惑星の周回運動に基づいて,推論できる。ここでアナロジーはメンタルモデルの構築や利用を助けている。さらに,アナロジーは,字義通りに表現しにくい暗黙知や技の伝達,婉曲的なコミュニケーション(例:寓話,心理療法)に用いることもある。また,発達研究においては,子どもの概念獲得を支えるアナロジーの働きが重視されている。たとえば,擬人化は,未知の対象に,人に関する豊富な知識を対応づけるアナロジーの働きである。
 第4に,アナロジーは創造機能を持つ。通常は連合しないものを結びつけ,そこから新たな機能や形態を創発する。たとえば,自動車のデザインにおいて,球アナロジーは,最小面積で最大容積を得る斬新なデザインを生む。また,認知工学においては,ユーザーフレンドリーなデザインのために,身近なアナロジーをインターフェース設計に利用している。たとえば,コンピューター・インターフェースのアナロジー(メタファー)には,デスクトップ,オフィス,秘書,会議室,都市などが用いられている。
 第5に,アナロジーは,メタファー(隠喩)の理解や生成を支えている。認知言語学者レイコフ G.Lakoff らは,たとえば,ターゲット〈人生〉にベース〈旅〉の知識構造を写像することによって,〈人生の分れ道,坂道,道連れ〉などのメタファーを生成して,人生を説明できる。しかし,ターゲットとベースとの対応は完全ではなく,むしろ両者の相互作用が,構造的な類似性や新しい意味を生み出す。⇒記憶∥思考∥推理∥知識∥認知工学∥学習∥コネクショニズム∥比喩∥ヒューマンインターフェース                     楠見 孝

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アナロギア・エンティス
アナロギア・エンティス

アナロギア・エンティス
analogia entis

  

存在の類比。すべての存在する事物は存在するという点では共通であるが,そのあり方はそれぞれ本質的に異なるということ。アリストテレスに基づいてトマス・アクィナスらは,被造物からは無限にかつ絶対的に異なる神をとらえる方法としてこの考えを発展させた。神についていわれることが意味をもつためには存在の概念が一部,両者に共通でなければならず,また神の絶対的無限性をそこなわないためには両者はある意味でまったく異なっていなければならないからである。ここからトマスは類比性の根底を完全性の差異に求めた。


存在の類比
中世のスコラ学の中で、存在の類比という言葉があった。アナロギア・エンティスとも言われる。バルトは、この信仰思想を嫌い、アナロギア・フィデイという言葉「信仰の類比」で、自分の立場をあらわした。

スコラ学が自然神学から入る時、その限界は明確に言うのだが、それでも理性による神への到達が言われているように思ってしまう。啓示が、そこでは本来の意味を失ってしまうかも知れない。この危惧があるのだろうと思う。

しかし、存在の類比は、そういう思想なのだろうか。これは、肯定神学と否定神学との共存を認める思想なのではないだろうか。そう考えれば、そこには絶対矛盾的自己同一の立場があるように思う。西田哲学と中世スコラ学とは共鳴しあっているように思うのである。

17時09分 近代日本キリスト教思想史






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存在と非存在
存在と非存在

そんざいとひそんざい
being and nonbeing

  

有と非有ともいう。パルメニデスをはじめとするエレア派は,非存在の存在を絶対的に否定した。これに対してレウキッポスは非存在を前提とすることによって,物体とそれを取巻く空間という原子論的世界観に到達した。アリストテレスや新プラトン主義では,可能態としての質料が存在である形相に対して非存在の位置におかれたから,この体系では生成はいわば非存在から存在への移行と考えられる。近世以後ではヘーゲルが存在と非存在を弁証法的見地から重視したほか,実存哲学が中心課題として取上げ (ハイデガー,サルトル) ,否定し限定する力として非存在を積極的に評価した。





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I プロローグ

神 かみ God 宗教信仰の中心となる聖なる存在あるいは究極の実在で、礼拝や祈りの対象となるもの。とくに唯一の神をたてる宗教(一神教)では、世界の創造者あるいは万物の根源とされ、無限、不変、永遠、善、知(全知)、力(全能)といった完全なるものとしてかたられる。また、意志、愛、怒り、ゆるしといった人間的特徴をそなえたものとしてえがかれる場合もある。

II 神のとらえ方

多くの宗教思想家は、神とは人間のような有限な存在とはことなり、本質的に人知をまったくこえた神秘的存在であると考えてきた。しかし、哲学者や神学者たちの多くは、神を人間の有限な知識でも把握できるとし、神に関する独自の公式化をこころみてきた。

1 哲学者の神と宗教家の神

神に関する哲学的なとらえ方と宗教的なとらえ方は、ときとしてかなりの相違をみせる。たとえば、17世紀フランスの数学者で宗教哲学者でもあるパスカルは、哲学者は抽象的な概念で神を把握し、神学者たちは体験によって理解できるなまなましい実在、すなわち信仰の対象として把握するとして、2つを対照させた。

一般に神秘家たちは、神の存在のあり方と特質を合理的に説明する哲学者や神学者たちの考え方に対して、神と一体化するという直接的な体験によってえられる理解こそもっともすぐれていると主張した(→ 神秘主義)。いっぽう、神学者たちの中には、神に関する哲学的理解と体験的理解をむすびつけようとした者もいた。たとえば、20世紀ドイツの神学者ティリヒは、「存在の基盤」と「究極的関心」という2つの側面から神を説明した。

2 神の根本特質

ある者は、神とは超越者であり、絶対他者であり、自然の秩序を超越し、かつそれを支配していると考え、ある者は、神とは世界に内在するものであり、世界の歴史的展開の過程に参与していると考える。また、ある者は、神を人間と同様の人格的存在としてとらえ、別のある者は、神を非人格的存在あるいは人格的特質を超越した存在としてとらえた。キリスト教など唯一の神を主張する宗教では、神とは一切を創造し、つつみこむ至高の唯一なる存在であると考えた。しかしそれと同時に、多くの神々を信仰する多神教も終始さかえてきた。

このように、神のとらえ方についての考えは対立しあうことが多かったが、ときとして結合されることもあった。たとえば、有神論は神の超越性を主張し、汎神論は宇宙と神を一体視して宇宙における神の内在性を主張するが、万有在神論は「万有は超越者である神の中にある」として、神の超越性と内在性の双方を主張した。キリスト教の三位一体説などもやはり神の性格の多様性を説いている。→ 内在

以上のような試みは、宗教や神秘についてのべる著作者たちが、宗教体験の多様さと複雑さを正当にあつかおうとして生まれたものだった。たとえば、15世紀ドイツの哲学者ニコラウス・クサヌスは、相反する概念は神の中において共存すると強調し、また、デンマークの哲学者キルケゴールは、信仰のもつ逆説的な性質を強調した。神についての論理は、矛盾をみとめない世俗の論理とまったくことなっている。

III 一神教の神

聖書に起源をもつユダヤ教、キリスト教、イスラム教の3つの宗教では、神は超越的、人格的、唯一性という言葉によって理解されている。

1 ユダヤ教の神

神の超越性という考え方は、世界の創造者として旧約聖書の冒頭にもあらわれ、ユダヤ教の神に関する言説一般にみられる。世界は神から独立したものではなく、神が自分の意志で創造したものであり、したがって神は全世界の支配者である。このため、地上の生き物をかたどった石像や木像などの中に神がやどっているとする偶像崇拝は禁止される。しかし旧約聖書は、神は自分の姿に似せて人間をつくったとのべており、神と人間は同じ姿をもつと理解することは可能である。

神は人々に約束し、人々をおびやかす。神は、ときにいかり、嫉妬(しっと)することすらある。しかし、神の根本特質はあくまで正義、公正、慈悲、真理、信義である。また、神は王として、裁判官として、羊飼いとしてあらわれる。神は人々とむすんだ契約に忠実であろうとする。このような神は抽象的な神ではなく、実体をもった神である。神の名前ヤハウェは「ありてあるもの」として理解されてはいるが、それを当時のユダヤ人たちは抽象的で形而上(けいじじょう)学的な意味でとらえてはいなかった。

→ ユダヤ教

2 キリスト教の神

キリスト教はユダヤ教の一宗派として生まれたものであり、ユダヤ教の神をひきついでいる。ユダヤ教徒の聖典は、旧約聖書としてキリスト教にうけつがれた。

イエス・キリストは存命中にはおそらく神のつかわした聖者として理解されていたが、1世紀の終わりごろには神的存在にまで高められ、このことが結果的にユダヤ教の唯一神信仰との緊張関係を生じることになった。この解決策として、4世紀になると「父」「子」「精霊」の三位一体説が説かれるようになった。旧約聖書の神は人々を愛し保護する「父」となり、イエス自身は「父」なる神が受肉した「子」、あるいは自然界の秩序や論理として具体的にあらわれている「神の言葉」(すなわちロゴス)として理解された。「子」と「神の言葉」はともに「父」とは別であり、かつ実質的には同じものである。「精霊」は世界創造の際にそこに内在し活動する神であり、世界の完成をもたらす。

→ キリスト教

3 イスラム教の神

イスラム教はアラブ地方の古代の異教徒たちに対する反動として生まれ、結果的に聖書に起源をもつ3つの宗教の中でもっとも強く神の唯一性を主張するものとなった。アッラーという名前はたんに「神」という意味である。そこでは、神は人格的、超越的な唯一のものであり、神をなにか具体的な生き物の形でえがくことは禁止されている。「アッラー以外に神はなく、ムハンマドはアッラーの使徒である」がその根本信条である。

アッラーには7つの基本的な特質がある。それらは生、知、力、意志、きくこと、みること、はなすことである。最後の3つの特質は、人間と同じものとしては理解されていない。アッラーの意志は絶対であり、すべての出来事はアッラーによって生じる。アッラーを信仰するか否かまでもがアッラーによって運命づけられている。

→ イスラム教

IV 多神教とアニミズムの神

多少の相違はあっても、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教の神は、かなり類似したものであるといえる。これらに対して、多神教の神はかなりことなっている。神々はそれぞれ、特定の神的特質をもち、あるいは、自然や人間に関する出来事の特定の側面にかかわっている。ほとんどの古代宗教は多神教であり、とくにエジプト、メソポタミア、ギリシャ、ローマなどで発展した。多神教は、神というものについての哲学的追求をとおして、あるいは、多くの神々のうちのひとりの神が特権的な地位をえることによって、一神教に展開する傾向がある。

多神教は、原初的な宗教形態であるアニミズムから展開したと考えられる。アニミズムとは、多数の霊的な力に対する信仰で、霊のもつ力が焦点となっている。霊的な力の中には、人々を幸福にみちびくものもあれば、逆に人々をのろうものもある。アニミズムの世界では、聖なるものは世界じゅうにみちあふれている。

V アジアの諸宗教の神

「神」という言葉をアジアの宗教において使用することは、誤解をまねく恐れがある。なぜなら、「神」という言葉には人格をもっているようなニュアンスがふくまれるからである。アジアの諸宗教は、聖なるものは宇宙に内在し、非人格的存在であると強調する。ただしヒンドゥー教と仏教では人格神もみられる。

1 ヒンドゥー教の神

神についてのヒンドゥー教の理解の仕方はいくつかあるが、哲学的にはそれはブラフマンとして理解されている。ブラフマンは、唯一の永遠なるもの、絶対的な実在であり、一切をつつむと同時にまた一切はブラフマン自身で、したがってこの世の変化は表面的な現れにすぎない幻のようなものである。

その他の多くの神々はブラフマンが具体的な姿をとったものであり、おのおのの神々は独自の役割をもっている。世界の創造、維持、破壊という役割をもつ梵天、ビシュヌ神、シバ神は三神一体としてまとめられたが、これはキリスト教の三位一体説と似ている。しかし、厳密にいえば、この創造の神はユダヤ・キリスト教的な意味で世界を創造するのではない。なぜならヒンドゥー教では、世界は永遠であり、創造の神は初めからそこにいたにすぎないからである。

神にひたすら愛をささげるというバクティの概念においては、神は人格的な存在としてみられたが、それもユダヤ・キリスト教の場合とは意味合いがことなっている。

→ ヒンドゥー教

2 仏教と中国の宗教の神

仏教では、神々は究極的な存在ではなく、究極的な存在の特質のひとつを象徴するものであり、また仏法の守護者である。仏教における究極的な実在あるいは聖なるものは非人格的な宇宙の秩序であり、それをさとることが仏教徒の目的である。

中国固有の宗教でも同様に、究極的なものは非人格的な宇宙の秩序と考えられ、「天」とよばれた。たとえば、道教は宇宙や人生の根源的真理を「道」として、それと一体化することを目的とした。しかし、土着宗教的な性格の強い道教では俗信が発達し、出世・蓄財・病気治療など万能神的な関帝をはじめ、かまどの神・厠(かわや)の神など日常空間の神、あるいは職能集団ごとの神など、種々雑多な神がまつられる。儒教は聖なるものを天体の運行と関連をもつ道徳法としてとらえ、道徳をまもることを目的とした。

3 日本の神

中国では、「神」という漢字は、もともとは「天神」つまり自然神をさした。これに対して祖霊は「鬼」と表現して区別されたが、のちには天神も鬼神もともに「神」の語であらわされるようになった。日本では、八百万(やおよろず)の神といわれるように、雷や嵐(あらし)といった自然現象から、海・山などの自然物、動植物まであらゆるものにカミがやどると信じられた。日本人は、こうしたカミに供物をささげてまつることで、怒りをしずめ、なだめ、加護をいのったのである。このような、人格的存在になる以前の神は、カミと表記されることが多い。

八百万の神々は、しだいに発展、整理され、「古事記」や「日本書紀」のころには、アマテラスオオミカミを中心とする体系がつくられて、神道という日本の民俗宗教の基盤となった。また、神道の神々には、自然物だけでなく、祖先の霊やさまざまな守護神、天皇や英雄偉人など実在した人物も、神としてまつられるようになった。

VI 信仰と哲学

神のとらえ方は時代や文化、宗教によって多様だが、聖なるものに対する信仰は、歴史を通じてどの社会にも根強かった。しかし、古代からこの信仰は、懐疑主義や唯物論、無神論などの挑戦をうけてきた。そして現代社会では、信仰をもたない人がかつてないほどふえている。

1 神の存在に対する疑問

信仰の形態は多様だが、それにおとらぬくらい、神を信仰しない形態も多様である。無神論者は神の存在をかたくなに否定する。ある者は、物質世界こそが究極の実在であると信じる。またある者は、世界中に苦しみと悪がはびこっていることを理由に、聖なるものの存在を信じない。不可知論者は、神の存在・非存在を証明する決定的な証拠はないと考えて、判断を中止する(→ 不可知論)。実証主義者は、理性は経験的事実のみが探求可能なので、神の存在を肯定あるいは否定することは意味がないと考えている(→ 実証主義)。

2 信仰の性質

もし神が存在の基盤あるいは根源であり、たんなる他者ではないのなら、神は物体が地上に存在しているような意味で存在しているのではないことになる。「神が存在する」という言い方は適切ではないともいえる。神を信じるということは、存在の究極の基盤に対する信仰をもつこと、あるいは究極の道理と存在全体に関する正義を信じることである(→ 信仰)。ここに、超越と内在、人格的と非人格的などの問題が生じる。

神を信仰するための根本の基盤、すなわち聖なるものの存在を知ることは、宗教体験を契機とする場合が多い。具体的にいえば、神秘体験や回心や神の姿をみたり声をきいたりすること、すなわち啓示をうけることによって実現される。宗教体験のほかにも、道徳的な体験や対人関係、美を感じること、真理を探究すること、有限性を自覚すること、苦しみや死に直面することなどを契機としても実現される。

20世紀のドイツの哲学者ヤスパースは、こうした体験をする人たちは自分自身の存在の限界につきあたったのだとして、この状況を「限界状況」とよんだ。人はこの限界状況に達したとき、その限界をこえる存在があることに気づく。その存在は自分とは異質のものであり、かつ自分と類似したものであると感じられる。それは、20世紀のドイツのプロテスタント神学者ルドルフ・オットーがのべるように、畏怖(いふ)と魅力の両方を生じさせる神秘である。

3 神の存在の論証

多くの人々は、聖なるものの体験をとおして神の存在を確信し充足する。しかし、人間はまちがいをおこすものであり、自分が体験した聖なるものがたんなる思い違いである可能性もある。聖なるものの体験が確かなものであることをしめすために、神の存在を合理的に説明する試みがなされることになる。

これまで神の存在を論証する多くの試みがなされてきた。中世のスコラ神学者アンセルムスは、「まさしく神の存在を知覚したということはこれ以上ないほど完全なことであり、それは論理必然的に神の存在をともなうものである。なぜなら存在するということは、完全であるということの一側面だからである」と論証した。彼のこのような、観念から実際の存在をみちびきだす論理は、多くの哲学者たちによって否定されてきたが、この存在論的議論はいまだ結論がでていない。

13世紀の神学者トマス・アクィナスは、この存在論的議論に反対し、神の存在を証明する5つの証拠を提示した。(1)変化が生じるということは、変化をひきおこすものが存在するということである。(2)原因をつきつめていくと、もっとも根本の原因が存在することになる。(3)偶然は必然的な存在を前提としている。(4)ものごとに上下の段階があるとすれば、もっとも上位のものが存在することになる。(5)自然の秩序と姿は、その源泉として、もっとも高位の知恵をもつ存在を必要とする。

アクィナスの論証は、現在にいたるまでローマ・カトリック教会で正式にみとめられてきた。しかし、18世紀のドイツの哲学者カントは、アクィナスの論証に反対し、神の存在は道徳的生活をささえるもの、あるいは保証人として必要とされるものと主張した。

以上のような神の存在論証は、批判にさらされては再構築されることをくりかえしている。現在では、神の存在論証はどれも論証としては不十分であるという見方が一般的である。しかし信仰をもつ者たちは、たとえそうであっても、それらの論証はとくに宗教体験が確かなものであることを明らかにする大きな可能性をしめすものであると主張するであろう。しかし究極的には、神への信仰は、信じるという行為そのものにほかならない。すなわち、神への信仰は個人の体験にこそ根拠がもとめられねばならない。


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存在の偉大な連鎖
存在の偉大な連鎖

そんざいのいだいなれんさ
great chain of being

  

ルネサンス時代および近代の初期 (特に 17~18世紀初頭) に,西洋思想に大きな影響を及ぼした新プラトン主義の宇宙観。宇宙は連続する無数の存在によって満たされており,それらすべての存在は,最も完全な存在 ens perfectissimumないしは神へといたる階層的秩序のなかに組込まれていると説く。この観念は,ルネサンス時代および 17~18世紀初頭の頃は,ほとんど普遍的な観念であった。





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ロバート・フラッド「自然全体の鏡および学芸の像」
17世紀イギリスの神秘思想家ロバート・フラッドがえがいた宇宙図。右足を地に、左足を水中においた裸身の処女は「自然」をあらわす。世界霊魂(アニマ・ムンディ)、あるいはヘラクレイトスやゾロアスターの「見えざる火」でもある彼女は、神の命令によって地上世界を統治している。その右手は、黄金の鎖によって雲からのびる神の手とむすばれ、左手は自然をまねるサルとむすばれている。「学芸」の象徴であるサルは、自然をつくりだすことはできないが、自然を模倣し、改良するための知的・技術的な可能性をもつ。存在の連鎖の末端にある彼は、「自然」が神に対してもつ関係を、「自然」に対してもつのである。「両宇宙誌」第1巻(1617)より。
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存在論的証明
存在論的証明

そんざいろんてきしょうめい
argumentum ontologicum

  

本体論的証明ともいう。神の存在の証明法の一つ。このうえなく大なる存在という神の観念を考えると,神は概念的に存在するだけでなく実在しなければならない。そうでなければ概念的存在よりも実在のほうがより大なる存在であるから,当の観念に矛盾することになるというもの。アンセルムスが提出し,デカルトも独自の立場から同様の証明を提出した。アンセルムスに対してはトマス・アクィナスが批判し,デカルトは『省察』に対する第一の駁論への答弁でこのトマスの批判を論じている。カントもこの証明法を批判している。
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存在拘束性
(2)イデオロギー論はその後,マルクス主義陣営以外では,第1次大戦後のドイツで〈知識社会学〉という社会学の一特殊分野を生み出すことになった。その体系家 K. マンハイムはイデオロギーとユートピアとを対比し,両者ともに現実の社会には適合しない〈存在超越的〉な観念であるとしながらも,ユートピアが〈存在がいまだそれに達していない意識〉,つまり既存の社会をのりこえる革命的機能をもつ意識であるのに対し,イデオロギーは〈存在によってのりこえられた意識〉,つまり変化した新しい現実をとりこむことのできない,時代にとり残された意識,と規定した。さらにまたマンハイムは,マルクス主義が観念や意識の存在拘束性を発見した功績を評価しながらも,それが敵対的階級のイデオロギーの存在拘束性を暴露することにのみ終始し,自己自身の観念体系をも存在に拘束されたものとしてみる自己相対化の視点を欠いているとして批判し,自己自身の立場にも存在拘束性を認める勇気をもつとき,単なるイデオロギー論は一党派の思想的武器であることをやめ,党派を超越した一般的な社会史や思想史の研究法としての知識社会学に変化する,と主張した。マンハイムの場合,イデオロギーは論争的な意味合いを払拭され,存在に拘束された一般的な〈視座構造〉を意味するようになる。マンハイムはこうした知識の存在拘束性の理論としての知識社会学の担い手を,階級的かたよりを一般的に免れていると彼が考えた〈自由に浮動するインテリゲンチャ〉に求めた。
(3)イデオロギー論はこのほか第2次大戦後の英米で社会心理学的な立場からとりあげられている。この場合,イデオロギーとは集団や共同体に特徴的な一群の相互に関連し合った信念や社会的態度の総体のことを指しており,こうした信念や態度の総体をその基礎にあると考えられるパーソナリティの構造と結びつけて研究することが,その課題となっている。たとえば権威主義的パーソナリティと反民主主義的イデオロギー(ファシズム,自民族中心主義,反ユダヤ主義など)との関係(M. ホルクハイマーや T. W. アドルノの研究),保守主義ないしは急進主義的イデオロギーと剛直な気質 tough mind ないし柔和な気質 tendermind との関係(A. ファーガソンや H. J. アイゼンクの研究)などがそれである。なおイデオロギー論の歴史で見落とせないものとしてもう一つ,1950年代から60年代にかけてベル Daniel Bell(1919‐ )やリプセット Seymour M. Lipset(1922‐ )らによって喧伝された〈イデオロギーの終焉〉論がある。その主張の要点は,先進資本主義諸国における〈豊かな社会〉の到来とともに,階級闘争を通じての社会の全面的変革という理念はその効力を失った,というものである。しかもスターリン批判やハンガリー事件の勃発など,現実の社会主義社会における否定的現象の続発は,急進的知識人の間にマルクス主義への幻滅感を生んでいる,という。イデオロギーの終焉論者によれば,今や必要なのは未知数的要素と危険に満ちたイデオロギー的構想に基づく社会の全面的変革ではなく,信頼のおける科学的知識と技術とを用いた社会の部分的改造のつみ重ねである。イデオロギーの終焉論者によると,イデオロギーという概念は今や死語になりつつあり,資本主義国家と社会主義国家が今後向かう方向は,イデオロギー対立をこえた共通の〈産業社会〉であるという。
[構造]  イデオロギーは,普通以下のような構成要素から成り立っている。(1)価値体系,すなわちイデオロギーの道徳的・倫理的基礎をなしており,集団の存在理由を表すとともに,そのめざすべき目標や理想を表明するもの。(2)分析体系,すなわち現実についての科学的・客観的分析。(3)神話体系,すなわち現実についての想像的解釈,あるいは幻想であり,人々の願望や期待を刺激して,彼らを行動へと駆りたてるもの。(4)政治的綱領,つまり当面する問題についての政治的プログラム。イデオロギーはこれらの諸体系から構成されているが,それぞれの体系の比重はイデオロギーを担う権力主体や所与の政治状況によって変化する。たとえば社会主義はその前提からして科学的な体系的一貫性を保持しようと努めるのに対し,ファシズムの場合には非合理的な神話的要素が肥大化する。
 また,イデオロギーの構造は社会心理学的な視角からも分析されている。ここではイデオロギーは態度のヒエラルヒー体系のなかでとらえられており,このヒエラルヒーは(1)その場限りでの移ろいやすい個別的な意見のレベル,(2)安定しているという意味で信頼できる習慣的意見のレベル,(3)多くの意見が構造化されて結びつき,ある問題に対する態度となっているようなレベル,(4)さまざまな態度がそのなかで相互に関連し合っている超態度,あるいはイデオロギーのレベル,の四つから成るとされる。たとえば〈保守主義〉というイデオロギーは,態度のレベルでは,〈自民族中心主義〉〈子供の厳格なしつけ〉〈宗教への好意的態度〉〈愛国主義〉といったような態度が組み合わされてできあがっているという。一見無関係にみえるさまざまな態度も,イデオロギーを通して眺めると,相互に関連し合っていることがわかるわけである。
[機能]  イデオロギーには次のような機能がある。(1)その信奉者に対して未来への指針や生きるための全体的な方向づけを与える。イデオロギーは一定の価値体系からみた世界像を提供し,また,世界のなかにおける集団や人々の位置や地位の自己確認とそこでの行動の方向づけのための準拠枠となる。(2)願望や信条の実現をはかろうとする行動へ人々を駆り立てる。イデオロギーは潜伏化していた大衆の希望や信条に表現の機会を与え,それらを〈物質的な力〉に転化させるはたらきをもつ。(3)イデオロギーのなかに含まれた理想は運動参加者に使命感を鼓吹し,その運動への自発的一体化を促す。(4)イデオロギーは武器として機能し,一方で敵のイデオロギーの虚偽性を暴露しながら,他方,自己の立場や行動を正当化し,そのイデオロギーの背後にある本当の意図や目的を隠ぺいするはたらきをもつ。(5)イデオロギーはその信奉者の間での連帯性を強化する。
 〈イデオロギーとは主題的なものではなく,はたらくものである〉(P. リクール)といわれる。つまり〈われわれが眼のまえにイデオロギーを主題としてもつというよりは,われわれの背後でそれははたらく〉のである。自分は特定のイデオロギーにとらわれてはいない,と考える態度こそ,否定的な意味でもっともイデオロギー的な態度であるのかもしれない。こうした偏狭なイデオロギーから解放されるためには,逆説的ながら,自己の意識の存在拘束性を自覚する努力が必要であろう。
                        山口 節郎


世界大百科事典

イデオロギー
I プロローグ

イデオロギー Ideology 意識形態とか観念形態と訳されることもあるが、一般には、かならずしも定義がはっきりしないまま、イデオロギーという言葉で通用している。

代表的な辞書をみても、たとえばイギリスの「オックスフォード英語辞典」は、「観念の科学、観念の起源と構造をあつかう哲学または心理学の部門」と漠然と範囲をいうだけにとどめている。また日本の辞書類も、特定の立場での説明か、「人間の行動を左右し、決定する根本的なものの考え方」というような、きわめて漠然とした説明か、そのどれかで定義の代用をしている。

イデオロギーという用語は、このようにあいまいであり、つかう人によってことなる意味をおびるが、一般には、ある言説や思想を、その根底にある信仰や社会的、政治的、経済的立場と関連して解釈したときの意識の総体をいう。したがってイデオロギーは、歴史的条件や階級などに拘束されており、その意味での世界観や主義とほぼ同様につかわれることもある。

II イデオローグ

この言葉がつかわれだしたのはフランス革命のときである。1795年、国民学校が設立され、フランス唯物論の哲学者たちによる啓蒙(けいもう)主義の国民教育がはじまった。その主導者であったデステュット・ド・トラシーは「イデオロジー要論」(1801~03)をあらわし、イデオロジーという言葉を「観念の論理学」という意味でつかっている。

ナポレオン・ボナパルトは、はじめは彼らを賞賛していたが、執政につくと支配の道具として宗教を利用するようになり、啓蒙的哲学者たちをイデオローグとよんだ。この場合は現実から遊離した空論家という意味の蔑称(べっしょう)である。

III マルクスの上部構造

マルクスとエンゲルスは、共著「ドイツ・イデオロギー」(1845~46)によってイデオロギーという言葉を、虚偽意識として社会科学に定着させた。イデオロギーに付着した侮蔑の意味合いは、マルクス主義の理論構築の方法の中へとりこまれることになった。簡略にいえば、人間の観念は自立性をもたず、つねに経済的な下部構造にしばられ、法・政治思想・宗教・芸術・道徳などをイデオロギー的な上部構造として批判する理論構造がつくられたのである。イデオロギーは、近代ブルジョワジーの特殊な階級利益をかくしもつ「虚偽の意識」とされた。

IV マンハイム

こうしたマルクスの発想の中からドイツの知識社会学が生まれる。中心人物のカール・マンハイムは、マルクスによって低下させられた「啓蒙の理念」を救出しようとした。マルクスは経済を特権化し、階級を特権化し、自ら(マルクス主義)を特権化しているのではないかと疑問を提出した。マルクスはイデオロギー的懐疑を自らにむけることはさけているのではないか。また、ある理念をブルジョワ・イデオロギーというなら、同じ理屈で、マルクス主義はプロレタリア・イデオロギーであり、虚偽意識ではないのか?

1 ユートピア

マンハイムは、この疑問にこたえなければ、ヨーロッパ近代の決定的な伝統である「啓蒙の理想」を維持することはできないし、そもそも認識の有効性についても普遍性についてもかたることはできないという。

そこで彼は、イデオロギーの「存在による拘束性」をこえた一般理論として、総合社会科学を要請する。彼は、あらゆる利益集団・階級関係から独立した「自由に流動するインテリ層」なるものを想定し、知識がすべてある種の利害の反映だとする唯物論的解釈をまぬがれようとした。

そのうえで、歴史的変化にたちおくれ、既得権益の防衛のみに腐心するあまり現実を反映しなくなった「イデオロギー」に対して、現実を超越する未来ビジョンであるユートピアが区別される。マンハイムの死後50年になる今日、冷戦の終結とともに、そして現実の「社会主義の自壊」とともに、ユートピアも力をうしなったようにみえる。この全体状況においては、イデオロギーとユートピアを区別することも、あまり意味をもたないことになった。

V イデオロギーの終焉

イデオロギーの終焉(しゅうえん)は、冷戦の終息によって盛んになったのではない。1950年代後半~60年代に、レーモン・アロンやダニエル・ベルを中心に、未来学的に論じられていた。ベルが「脱工業化社会の到来」をまとめたのは73年だった。

社会主義についていえば、そのスターリン主義の現実(粛清裁判)が暴露され、また、ハンガリー動乱(1956)があり、もはやマルクス主義の延長線上に社会主義を理想化することは不可能となった。

いっぽう、資本主義や、その中での自由主義も、公害問題その他ありあまる矛盾を露呈しながらも、イデオロギーの魅力をうしなった。うちよせてくる大衆消費の波の中で、大衆と社会をうごかすのは、理念や思想ではなく経済成長だという単純な事実があらわになった。「経済成長」がイデオロギーに化したといえる。


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存在柀拘束性
存在被拘束性

そんざいひこうそくせい
Seinsverbundenheit

  

ドイツの社会学者 K.マンハイムの知識社会学の中心概念。彼は,一般に人間の知識やイデオロギーは,それ自体の内的な法則によってのみでなく,その人のおかれた社会的条件,つまりその人の社会的存在によって規定されるものとする。しかし,こうした社会的存在から自由に思想を提出し,評価できる立場,つまりインテリゲンチアこそが真に思想,イデオロギーの真理性を付与できると考える。これが存在被拘束性である。
[ブリタニカ国際大百科事典 小項目版 2008]


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