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時計から始まる機械論(その07) [宗教/哲学]


資本主義
資本主義

しほんしゅぎ
capitalism

  

封建制以後に支配的になった生産様式。蓄積された富や貨幣という素朴な意味での資本は,古代から存在する。だが資本主義とは,労働力を商品化し,剰余労働を剰余価値とすることによって資本の自己増殖を目指し,資本蓄積を最上位におく社会システムに限定すべきである。歴史的には資本主義はすべてのものを商品化する傾向をもつ市場システムとして現れたが,他方,蓄積を強力に推進する近代諸国家とそれらが競合する世界システムとしても現れた。ごく局地的な市場は古代より存在したが,労働力をも商品化する資本主義的市場は 15世紀末ヨーロッパで誕生した。 14~15世紀のヨーロッパ封建制は,支配層が大規模な相互破壊を繰返し,社会的基盤の土地制度も弛緩し,深刻な危機に瀕していた。イギリスでは 16世紀以降始った農業革命が,マニュファクチュア時代を通じて 18世紀にいたるまで本源的蓄積を推し進め,人口増大 (1500~1640および 1750以降) を伴いつつ囲い込みを通じて労働力供給を実現し,旧地主層のなしくずし的ブルジョア化をもたらした。他方,資本主義においてはその出発点から,多少とも重要な商品連鎖はほとんど国境を越えて展開されていた。 16世紀以降,国際市場内で優勢な中核地域に周辺から資本が集中していった結果,農業革命と相まって強力な国家機構を構築するための財政基盤が整ったばかりか,それを目指す政治的動機も生じ,重商主義をもたらした。これは国内の幼稚産業の保護を重視し,国内市場の大きな発達をみた反面,国内外の労働特化を低賃金で強要し,自国の優位をねらった各種経済規制を設ける構造を内包していた。蓄積と市場との重商主義的緊張関係は,18世紀に A.スミスが自由市場こそが蓄積にかなうことを示したことで理念的にはさしあたり決着がつけられ,18世紀後半からのイギリス産業革命の進行とともに,自由主義的国家,自由貿易,自己調整的市場,国際金本位制などに象徴される古典的資本主義が 19世紀に確立した。だが 19世紀末にドイツ,アメリカらがイギリスを脅かしはじめるにつれ,古典的資本主義は変質していき,第1,2次両世界大戦間に,失業や大恐慌,金本位制の崩壊や貿易障壁,帝国主義や民族主義,植民地の抵抗などを通じて市場と蓄積体制とに対する調和的理念は疑わしいものとなり,社会主義的政治体制も生れることになる。第2次世界大戦後の管理通貨制度や有効需要政策と結びついた混合経済の出現は,市場と蓄積体制との新たな緊張関係を再び示し,20世紀末の社会主義体制の相次ぐ崩壊を迎えて,資本主義は蓄積体制の新たな再編を迫られている。





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資本主義
しほんしゅぎ capitalism

資本主義という言葉は,社会主義とか封建制とかの言葉と同じように,一つの社会,国家における経済のしくみ,すなわち経済体制(経済システム)の特徴をいいあらわす言葉である。旧ソ連の経済とアメリカの経済は,同じように高度に工業化した経済であるが,経済取引の方法や企業と政府の関係などは大きく異なっていた。前者はふつう社会主義の経済とよばれ,後者は資本主義の経済とよばれて区別される(〈社会主義〉の項目の[社会主義経済]を参照)。もっとも,資本主義といい,社会主義といっても,経済学を中心にして学問的に整理,分析されてきた概念であり,そこで理論的に明らかにされたことがすべて実際の経済にあてはまるわけではない。ある社会の経済を資本主義とよんだところで,実際には資本主義の現れ方は特有であるし,非資本主義的な要素も多く存在している。にもかかわらずそれが資本主義とよべるとすれば,資本主義の側面がその経済において相対的に主要な役割をはたしていると考えられるからであり,それ以上のこと,たとえば資本主義の概念ですべてを説明することができるということではけっしてない。とくに,資本主義の経済の現代的局面においては,さまざまな新しい要因が現れており,注意しなければならない。
【資本主義の概念】
 資本主義とは,利潤の獲得を第一の目的とした経済活動のことをいう。貨幣が元手として投下され,もうけ(利潤)とともに回収されたとき,貨幣は利潤を生みだす資本として用いられたことになる。なにか特定の財を手に入れたり,消費するために貨幣を使うのではなく,より多くの貨幣の獲得を目的として貨幣を用いる利潤追求の活動が資本主義とよばれる理由はここにある。
 利潤の獲得はさまざまの機会をねらって行われる。ある品物を安く買ってきて別のところで高く売ることによって,また,なにか品物をつくってそれにもうけをつけて売ることによって,さらには貨幣を人に貸しつけて利息をとることによっても,利潤は獲得される。どのやり方も貨幣を市場に投下して,市場での取引の結果として利潤を得るのである。資本主義の活動は,市場(商品経済)を対象としての活動であり,単なる富の追求活動とは異なる。したがって,資本主義の活動が行われるには,商品経済がある程度広がっていることが前提になる。
 西欧では,すでにギリシア・ローマ文明の時代までには,相当に発達した市場交易が行われていた。そこでは活発な商業活動とそれにともなう商品生産,銀行業,海運業が営まれ,それぞれが資本主義の活動の対象になっていた。こうしたことは商品経済がある程度広がった地域・時代には一般にみとめられたが,近代以前の商品経済と資本主義の活動には,さまざまな統制・規制が加えられていたし,また商品経済そのものが社会の経済活動に占める比重は小さかったので,経済全体からみれば付随的・周辺的な存在にすぎなかった。
 資本主義の活動が広がり,生産活動の主要な部分までが資本主義の方法で行われるようになるのは,ヨーロッパの近代になってからである。資本主義経済および資本主義社会というのは,このように資本主義の活動が経済の全体において支配的になった経済および社会のことをいう。近代以後の資本主義を古代や中世の資本主義と区別してとくに近代資本主義とよぶことがあるが,むしろ一般に資本主義というと,この近代以後の資本主義のことをさしている。
[資本主義と市場経済]  資本主義経済においては,生産活動も生産の必要そのもののためになされるのではなく,利潤の獲得のためになされる。資本主義の生産方法は,資本の所有者(資本家)が,それを投下して生産に必要な原料・機械そのほかの諸手段を購入するとともに,賃金を払って労働者(賃労働者)を雇用し,工場・職場で財・サービスを生産させ,それらを商品として販売することによって利潤を獲得する,つまり資本による営利の企業活動として行われる。
 このような生産方法が実際に可能になるためには,生産した財・サービスを販売する市場が存在しているだけでなく,生産手段と労働力を調達する市場が存在していなければならない。さまざまの財・サービス市場のほかに労働市場,土地市場,貨幣市場が存在していなければならない。財・サービスおよび労働,土地,貨幣について市場が存在すること,つまりそれらが商品化することは,どの社会にもつねにみられることではない。資本主義社会以前には,経済の主要な領域は伝統的な様式で営まれており,それらが一般的に商品化することはなかった。とりわけ労働と土地は伝統的な生産と生活の中心を構成するものであり,商品化することはなかったのである。資本主義の経済・社会の特徴は,このように元来商品化しなかったものにも市場が成立し,市場をとおす市場にむけての生産が行われるということにある。この意味において資本主義の経済は,市場化が経済・社会の中心にまで拡大・浸透した経済すなわち〈市場経済〉(K. ポランニー)である。
 資本主義経済の成立と発展にとって機械技術の発明は大きな意義をもつ。機械は大量生産を可能にし,それによって生産コストを引き下げ,廉価な商品を供給することによって市場を拡大し,伝統的な生産方法を駆逐するとともに新しい生活様式をもたらした。また,機械はそれまでの熟練労働を解体し,労働を単純化させ,労働力の調達を容易にするとともに,工場での効率的な分業体系の形成を可能にした。
 資本家は,ここでは,一定の市場的条件と技術的条件のもとで自由に企業活動を組織する。彼は利潤獲得の機会を追い求める企業家として,自己の判断によって決定し行動する。したがって,資本主義経済では,自由な企業,自由な取引,自由な競争が一般的になる。この特徴は規範や慣習にしたがって繰り返される伝統主義経済や,中央当局による指令と計画化によって遂行される社会主義経済とは対照的である。
 この資本主義の活動が持続的に行われるためには,私有財産制と自由契約制が守られ,社会の平和と秩序が維持される必要がある。また,労働者の生活が維持され,労働への意欲が満たされる必要がある。資本主義の経済活動は,法律体系,道徳規範,政府の活動,生活慣習,価値体系といった社会の制度装置を前提として行われる。
【資本主義的活動の特徴】
[営利主義と合理主義]  資本主義的活動の特徴は営利主義と合理主義にある。営利主義とは,利潤のために利潤を追求する営利至上の態度のことである。資本主義の活動の第一の目的は利潤の獲得にあり,生産や運輸という経済活動そのものは利潤を得るための手段にすぎない。資本は利潤を生みだせないとき,資本としての実質的な意味を失う。資本主義の活動は,利潤獲得のためにあらゆる可能性を利用しようとする。
 資本が獲得した利潤は,なにか特定の欲求を充足するために使われてしまうのではなく,ふたたびより多くの利潤を得るために再投下される。利潤として得られた貨幣も消費のために使ってしまえばそれまでであり,またただ保有しているかぎりでは利潤を生まない。より多くの貨幣を得るためには繰り返し市場へ投げ返されねばならない。資本主義における利潤追求の活動は,このように際限のない貨幣追求の行為である。W. ゾンバルトは資本主義のこの営利主義の側面を強調した。彼によると,営利主義を支える精神は経済における〈無限追求の精神〉すなわち無限の貨幣追求であり,それの発達の背景には近世に入っての宗教的抑制からの解放という事実があった,という。
 合理主義とは,ある目的の実現のために諸手段を最も効率的に選択し利用する態度のことである。利潤の獲得という目的を無限に追求していくためには,一時的な機会に笛けたり,非合理的な手段に訴えるのでなく,効率的な経営を継続的に行わなければならない。経済的合理主義の貫徹が必要となる。M. ウェーバーは,近代資本主義の特徴としてこの合理主義的経営の側面を強調した。彼によると,資本主義の経営組織の特色は,強制でない自由な労働,家計と経営の分離による経営の独立性,合理的簿記による精密な資本計算,経営者の指揮・監督のもとに分業化された労働を効率よく遂行する協働組織にある。
 合理主義的経営の実現のためには,資本家・企業者には計算された投資に基づく持続的・禁欲的態度が必要であり,労働者には分業組織のもとで統制と規律のある労働を行う勤勉の態度が必要である。ウェーバーは,合理主義を支えるこのような精神態度の形成にとってプロテスタンティズムの倫理観が大きな役割をはたしたことを指摘した。彼によると,ピューリタニズムは,職業という世俗的活動を神の与えた使命ととらえて勤勉を命じ,節約と蓄積をなすべきとした。人間と神のあいだには絶対的な断絶があり,人間は神による救済の予定を知りえないが,それゆえにこそ,救いについての不安を和らげ救いの確信を得るために,神に与えられた使命すなわち職業に禁欲的に専念し,現世における神の栄光を増すよう不断の禁欲的努力をしなければならぬとするカルビニズムがその倫理をより強固にしたというのが彼の有名な議論である(《プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神》)。
 営利主義と合理主義は,資本主義経済以前における共同体内での慣習的な生産と消費の繰返しという伝統主義的な経済活動・生活態度を打ち破るものである。営利主義と合理主義とは,前者が感性的・衝動的,後者が理性的・禁欲的と相反する性向をもつともいえるが,このことはかえって資本主義の利潤追求活動が多面にわたって積極的に行われるものであることを示している。
[動態性・投機性・生産性]  資本主義の企業活動は,営利を求めて機会をうかがう一方で経営を合理的に組織する。市場ではどのような商品がよく需要されているか注意を払い,それに対応した供給を行う。また,生産コストを引き下げるために合理的技術の利用をはかり,労働・生産の組織を効率的に編成する。しかし,資本主義の活動はそこにとどまらない。資本主義企業は既存の需要・供給構造や技術体系,労働・生産体系のもとで合理的・効率的に対応するだけではない。むしろ,そうした既存の条件に積極的・能動的に働きかけて変化を促し,新しい条件をつくりだしていくことにこそ,資本主義の活動の本領がある。資本主義企業が利潤獲得競争に打ち勝つためには,新しい製品を供給し,新しい市場を開拓し,新しい技術を開発し,新しい生産方法や輸送方法をくふうし,新しい労働体系や経営体系を組織していかねばならない。資本主義の活動はこのように既存の経済構造・生活体系に働きかけて変化をつくりだし,売上げを増大しコストを引き下げることによって,利潤を獲得していく。いいかえれば,利潤の根拠,すなわち資本主義経済においてどの企業も利潤を得て活動できる可能性があるという根拠は,利潤の獲得機会をみずから積極的・能動的につくりだしていく資本主義企業の活動それ自体のうちにある。
 資本主義の活動が既存の経済構造・生活体系を革新していくものであるということは,資本主義の経済がたえず変化していくダイナミックな経済であることを意味している。J. A. シュンペーターは資本主義経済のこの動態的性格を強調した。彼は,利潤獲得のために古いものを破壊し新しいものを創造していく資本主義の不断の活動を物と力の〈新結合〉による〈創造的破壊〉とよび,この過程こそ資本主義の本質的事実であり,資本主義はそれゆえ本来的に発展的・動態的性格をもつとした。
 新しい製品・技術・組織をつくりだし,またそのために投資することは,将来の利益をめざしてある選択を行うことである。しかし,未来は一般に不確実であり,まして資本主義経済の動態性はその不確実性を増幅する。したがって創造的破壊の過程にはつねに危険がつきまとう。それが成功したときには大きな利益が得られるが,失敗したときには大きな損失をこうむる。革新の推進者である資本家・企業者は合理的な投資計算を行い,経済の動向を読んで決定を下すが,それはまた不確実性に対する笛けでもある。しかし,それを行わなければ,将来の利潤は保証されないし,また競争にも勝ち残れない。資本主義経済はこの点でつねに投機的な側面をもっている。
 企業による創造的破壊は,技術革新を促進し,高水準の投資を維持させる。その結果,生産力の質的・量的な上昇が必然的にもたらされることになる。こうして資本主義経済は生産性の上昇を必然にする経済であり,成長を必然にする経済である。それは,現実には,一様な拡大の過程ではなく,好況・不況の繰返しという景気循環の過程をとりながら発展し,高度な生産力水準と生活水準を実現することになった。
[資本主義のマルクス・モデル]  資本主義の概念は論者によりさまざまな内容をもつが,なかでもなお大きな影響力をもっているのが K. マルクスによる資本主義の概念である。彼は,F. ケネー,A. スミス,D. リカードといった古典派経済学者の成果をうけつぎながら,これを批判的に体系化しなおす作業を行った。古典派経済学者は彼らが分析しようとした経済をもともと資本主義という名でよんだわけではない。彼らにとっては,その経済のメカニズムは自然的・普遍的法則であった。マルクスは《資本論》をはじめとする書物のなかでこれを批判し,その経済が資本主義という歴史的に特殊な経済であり,階級社会の一つの形態であることを明らかにしようとした。
 マルクスによると,資本は剰余価値(マルクスの概念で,投下資本の価値を上回って獲得される価値。利潤のことと考えてよい)の獲得を目的とする。資本主義が一つの社会的再生産の体制として存続していくためには,どの資本も正常に活動するかぎり剰余価値を手に入れられなければならない。マルクスの論点は,この剰余価値獲得の根拠を資本家による賃労働者の搾取に見いだしたことにある。
 どのような社会でも労働者は全体として労働者自身で使用し消費する以上のものを生産する。これらを剰余生産物,それをつくるのに費やされた労働を剰余労働という。剰余価値は,剰余生産物,剰余労働が資本主義経済においてとるかたちにほかならない。
 一物一価が広がり等価交換が行われるようになると,商品の単なる売買では剰余価値は得られない。資本は価値どおりの売買をしても剰余価値を得られる方法を見つけなければならない。それを解決するのが労働力という商品である。資本家は資本を投下してこの労働力と生産手段を価値どおりに購入して商品を生産し,その価値どおりに販売する。商品の価値とは,それを再生産するのに社会的に必要な労働量によって規定される。労働力商品の価値とは労働力の再生産に必要な生活手段の価値にほかならない。しかし,労働者は実際には彼が賃金で購入し消費する以上のものを生産する。つまり剰余生産物,剰余労働がここでも存在する。しかし労働者が賃金を得て生産した商品は当然すべて資本家に帰属するのであり,このうちの不払部分が剰余価値として資本家の手に入る。剰余労働はここでは,労働が生みだす価値と労働力の価値の差である剰余価値というかたちをとる。このようにしてマルクスは,資本主義社会が労働力の商品化によって表面的には価値どおりの売買が貫徹する平等な社会であるが,その裏には労働者階級に対する資本家階級の搾取が隠された階級社会であることが明らかにできた,とした。
 マルクスはさらに,より多くの剰余価値を獲得するための資本の蓄積活動がその進行過程で賃労働者の窮乏化,利潤率の傾向的低下,恐慌を生じさせ,資本主義経済それ自体の崩壊をひきおこし,いずれ資本によらぬ真に自由で平等な共同的生産である社会主義にとって代わられると論じた。マルクスの資本主義分析は,社会主義運動のみならず,一般的な資本主義観にも大きな影響を与えた。
 マルクスのモデルは,資本による生産という資本主義の体制的な特徴を明らかにした点で大きな意義をもつ。しかし,経済の構造に積極的・能動的に働きかけて利潤獲得の可能性を開拓していく資本主義の活動についての認識は不十分であり,利潤獲得の根拠が賃労働者に対する搾取に結びつけられることになった。また利潤のための活動が生産性の上昇と経済成長の原動力となることの認識についても不十分であり,以下にみるようにその後の資本主義の歴史は彼の予測とは異なる展開をみせることになった。
【資本主義の発達】
[古典的資本主義]  資本主義の経済は,封建制のあとをうけてヨーロッパに生まれ,発展,拡大した。封建制のもとでは,商品経済は中世都市を中心に一定の発展をみたが,自給自足を原則とした農村に深く浸透することはなく,限定的・部分的な存在でしかなかった。土地と労働は封建的社会秩序の中心をなす要素であり,さまざまな法的・慣習的統制のもとにあって,商品経済の対象となるものではなかった。
 ヨーロッパにおいて商品経済を急激に拡大させるきっかけとなったのは,15世紀末に始まる地理上の発見であった。それは資本主義の活動にとって,新しい商品,新しい市場,新しい利潤の発見を意味した。商業革命の名でよばれている商品経済のこの大拡大期に資本主義的活動の中心をなしたのは商人資本である。商人資本は,異なる市場のあいだで商品を安く買って高く売ることや,小生産者に前貸しで商品をつくらせて売る問屋制度の方法によって,利潤を得た。
 このころ全国的な統一国家の建設によって成立した絶対王政は,商人資本の内外における活動を保護し,貿易差額を増大させて金・銀という貨幣的富の蓄積をはかる致富政策を推進した。重商主義とよばれるこの絶対王政の経済政策は,商品経済に対する政府の統制を強化しつつ商品経済の拡大をはかり資本の蓄積を促した。
 資本主義経済へのこうした道を最初に歩みはじめたのは,封建秩序の解体が最も早かったイギリスである。17世紀にかけてイギリスでは商業革命の結果さかんになった毛織物工業の羊毛に対する需要を満たすため,牧羊のための土地の囲込み運動が大規模に展開され,土地を失った農民が大量に都市へ流入した。ここに土地が金もうけの経済的手段になるとともに,土地から切り離されたため雇用されなければ生活できない労働者層がつくりだされることになり,資本主義的生産の成立が準備されることになった。賃労働者を雇用して商品を生産させ,それを販売して利潤を得る資本を産業資本という。その初期段階はマニュファクチュア(工場制手工業)のかたちをとり,技術的には手工業の段階にありながら,労働者を工場に集め分業によって生産力をたかめた。
 しかし,資本主義による生産が飛躍的に拡大するのは産業革命によってのことである。イギリスでは18世紀の後半に綿工業を中心に多くの機械が発明され,工業技術が革新されて近代的工場制度が成立した。また農業や交通においても機械化が進行し,産業化の過程が始まった。機械の登場によって資本主義の生産方法が確立し,社会の生産活動の支配的様式となった。フランス,アメリカ,ドイツ,日本などの諸国も,イギリスに遅れながら19世紀中には産業革命を経験する。
 19世紀後半までイギリスは唯一の資本主義先進工業国であり,食料・原料を輸入し工業製品を輸出する国際分業によって世界市場を拡大し,〈世界の工場〉とよばれるほどであった。しかし,19世紀におけるイギリス資本主義の発展は,直線的な上昇過程をたどったわけではない。ほぼ10年の周期で好況・恐慌・不況という景気循環が繰り返された。生産の収縮,失業,倒産を突発させる恐慌は資本主義に固有の経済的混乱であったが,資本主義経済はそのつど企業の整理と技術の改善などの合理化により生産活動の新たな拡大を可能にし結局は不況を脱してふたたび経済活動を活発化させた。したがって,景気循環の周期性はかえって資本主義市場経済の自律的な性格を意味するものとされる。
 この時期のイギリスでは,市場の〈自己調整的メカニズム〉(K. ポランニー)に信頼をおく経済的自由主義が理念として強い力をもち,国内的には自由競争,対外的には自由貿易,政府に対しては自由放任・安あがりの政府を望ましいとする自由主義政策が行われた。実際,一方で,繊維工業中心の技術段階は競争を必然にし,市場メカニズムが十分に働く余地があったし,他方でイギリス産業は世界市場において圧倒的な競争力をもったので,これらの政策は産業資本の利益にもかなうものであった。
 経済活動を市場のメカニズムにゆだねる自由主義政策を制度的に完成させたのが,金本位制度に基づく通貨調節であった。金本位制においては,通貨が金と結びつけられていて,通貨当局は金の保有高に応じて通貨量を増減させ経済活動を規制する。金はそれ自身商品であり,当局の保有量も内外での市場活動の結果として決まってくる。結局この制度は資本主義市場経済それ自体の中に通貨発行の基準・限度を求めるものであり,経済活動を市場のメカニズムにより自動的に処理・規制していこうとするものである。金本位制の国際的確立は19世紀末であるが,これによって市場経済の自己調整が世界的規模で行われることになった。
 資本主義の発展は賃労働者という新しい社会階級をつくりだしたが,彼らの初期における生活には悲惨なものがあった。資本家にとっては労働条件の引下げはさしあたり利潤の増大につながり,大群の労働予備軍の存在もあって,低賃金,長い労働時間,劣悪な労働環境,過酷な児童・婦人労働が一般的にみられた。このような事態は資本主義経済が社会に定着するうえで望ましいことではなく,19世紀半ばに入って労働時間や労働環境に一定の規制を加える工場法の制定や社会立法が政府の手で行われた。また,労働組合運動と社会主義運動も現れた。
 19世紀のイギリス資本主義に典型的にみられたように,経済的自由主義の理念に導かれた資本主義の経済は古典的資本主義とよばれる。
[現代資本主義]  19世紀の後半から末になると,おくれて出発したドイツやアメリカの資本主義も政府の保護主義に守られて発達した。これらの国では鉄鋼業を中心とする重工業が発展し,生産と資本の集中が進んで巨大企業が出現した。これらの企業は株式会社のかたちをとることによって,膨大な社会的資金を集中し,銀行との関係を密接化し,企業合併を進めて大型化・合理化することができた。このようなかたちで巨大な株式会社として発展した資本は金融資本とよばれる。
 この段階になると,資本主義には新しい現象が現れてくる。株式会社が普及して,経営にたずさわらない株主層と株式を所有しない経営者層が分化する〈所有と経営の分離〉の傾向が生まれた。企業組織の大規模化と政府活動の拡大によって新しい勤労者層がつくりだされ,その一方で農民層の分解が止まり,いわゆる中間層が増大した。また,労働運動や社会主義運動が活発化し,政府は規制を強める一方で労働者の保護を目的とした社会政策を実施した。
 巨大企業は圧倒的な生産力と市場支配力を背景にカルテルやトラスト,コンツェルンを結成し,競争を制限して独占的地位を築き,国内市場を確保するにとどまらず,商品輸出と資本輸出の拡大によって海外へ進出した。政府も国力の増大をはかってこの動きを積極的に支持し,保護関税,軍備増強,植民地確保といった帝国主義政策を推進した。市場と資源を求めての列強のあいだの世界再分割競争は国際対立を激化させた。第1次大戦は V. I. レーニンのいうように帝国主義国のあいだの戦争であった。
 第1次大戦後の世界経済はアメリカからの資本輸出をてこにして復興がはかられ,1920年代には国際金本位制が再建されるにいたったが,戦前に比べると世界経済の安定は相対的なものとみなされた。しかし,アメリカにおける資本主義経済の繁栄はめざましく,大衆の購買力上昇を背景に市場が拡大し,耐久消費財産業が発展した。なかでも流れ作業と大量生産方式を採用した自動車産業はその代表的存在であった。
 資本主義による生産は,もともと,利潤増大のために生産の拡大と生産性の上昇への強い傾向をもつが,とりわけ,この時期にさらに発展をとげた巨大企業は,株式会社であることによって巨大な固定資本投資とその回収が容易であり,また巨額の研究開発投資が行えるので,生産の拡大と生産性の上昇を並行して進めることができ,経済を持続的に拡張させることが可能になった。
 また,このころには主要諸国で普通選挙制が一般化して大衆の政治的・経済的要求が強まるとともに,ロシア革命によって社会主義の脅威が現実化したために,政府はこれに対応して失業対策などさまざまの社会改革を実施した。
[国家独占資本主義,修正資本主義]  こうした傾向は大恐慌をへて本格化する。1929年にアメリカでおこった恐慌は,アメリカ国内での過剰な投資の拡大が原因とみなされるが,その深さと広がりは未曾有のものであり,アメリカの失業は一時1300万人,25%にものぼった。またこれによりアメリカの資本が海外から引き揚げられたため,恐慌はヨーロッパをはじめとする各国に波及し,世界大恐慌となった。各国はつぎつぎに金本位制から離脱し,アメリカも33年に金本位制を停止した。その後アメリカでは F. ローズベルト大統領によって失業救済と景気回復のため政府みずから経済に介入し公共投資をつうじて経済の拡大をはかる〈ニューディール政策〉が展開された。ドイツではナチス政権が登場し,赤字財政による軍事生産の拡大と経済の統制によって経済の回復をはかったが,経済圏拡大の試みによって国際対立が激化し,第2次大戦がひきおこされることになった。
 金本位制を停止して管理通貨制度を採用することは,通貨の量を金保有高によって限度づけるのをやめ,政策的に増減させることを可能にして,財政・金融政策をつうじての政府の経済介入の余地を大きく広げ,景気の回復・維持のための積極的政策の展開を容易にした。管理通貨制は,経済活動の調整を市場経済の自律的メカニズムにゆだねるのではなく,市場メカニズムを利用しながらも経済を政治的・経済的目標にしたがってある程度人為的に調整していこうとすることを意味する。また,通貨量の膨張によって経済の拡大を可能にし生産・雇用を高水準に維持するとともに社会諸階層の要求を充足・吸収していくことを容易にする面をもった。
 このような局面を迎えた資本主義経済は,国家・政府が経済に本格的に介入し独占的企業を中心とした資本主義の経済活動を積極的に支えるという点から国家独占資本主義とよばれたり,資本主義に修正を加えるという点から修正資本主義とよばれたりする。このような経済は,資本主義の活動が中心にありながらも,政治による計画的・調整的要素が比重を高めさまざまの社会要求を満たしていこうとする点で,全体の体制としてはそれまでと比べ資本主義の経済原理を相対的にすぎぬものにしつつある経済,資本主義の体制概念だけでは全体を説明しきれなくなりつつある経済といえる。
[戦後の資本主義]  第2次大戦後の世界経済の再建は,アメリカの主導のもとで,各国通貨の交換率を対外的にはなお金に裏づけられた米ドルに固定的に結びつけ,それを基礎に通貨・貿易を自由化し,世界経済の拡大をはかるという方法で行われた。ブレトン・ウッズ体制とよばれるこの世界経済の枠組みは,IMF,世界銀行,GATT などの制度からなる,アメリカを中心とした国際的な通貨管理の体制であった。
 このような枠組みのもとで,資本主義各国では経済の復興が進められ,その過程で政府による積極的な経済介入が定着した。完全雇用政策と社会保障政策を軸とする政府活動の拡大は資本主義にとっては市場の拡張を,労働者大衆にとっては購買力の上昇をもたらした。資本主義大企業はこのような条件のもとで技術革新を組織的・科学的に推進し,投資活動を積極的に展開した。政府活動の拡大,大衆の購買力上昇,技術革新と高投資はたがいに作用しあって経済の持続的成長をもたらし,インフレーションという副産物をともなったが,産業化と平等化を促進して〈豊かな社会〉(ガルブレース),〈大衆的富裕化〉(馬場宏二)といわれる状況を出現させた。資本主義の経済活動は,労働者大衆を搾取し貧困をつくりだすことによって利潤を獲得するというよりも,生産力の上昇と経済的平等化によって実現した大衆の富裕化を利潤獲得の機会を広げる不可欠の一面としながら発展したのである。
 しかし,戦後の経済成長は実際には各国で均等に行われたのではない。とくに,この過程でアメリカ経済の相対的地位が低下した。ブレトン・ウッズ体制はその後実質的に維持できなくなり,71年にはドルの最終的な金交換性が停止され(ドル・ショック),73年2月には為替相場はそれまでの固定相場制から各国の不均等な発展を調整しやすい変動相場制へ移行し,世界経済はアメリカ中心の時代から対立的傾向をも含んだ多極的時代へと移ることになった。また73年10月には OPEC の石油価格大幅引上げにより石油危機がひきおこされ,経済成長・産業化に対する資源の制約の問題が現実化した。石油危機のあと先進諸国では,経済成長が鈍化すると同時にインフレにも悩まされるスタグフレーションが生じた。また,この間先進国と発展途上国のあいだのいわゆる南北間格差はむしろ拡大し,南の側の北の側に対する政治的・経済的要求が強まっている。
 現代の資本主義は〈豊かな社会〉を生みだした。しかし,豊かさは人間の消費欲をかきたて,かえって欠乏感を増大させている。大衆の欲求は多様化し,消費の対象が拡大して,市場経済化はますます進んでいる。資本主義企業はこれに対し〈新結合〉のテンポを速めてつぎつぎと新製品・新商品・新サービスを提供し,この傾向をさらに加速させている。しかし,このような状況は経済・社会の変化を激しくし,自然・社会環境の悪化,伝統的コミュニティの崩壊,勤労精神の緩みなどの社会現象にみられるように,旧来の社会条件・社会道徳を解体させつつある。資本主義の腐朽化や病理現象として指摘されるように,資本主義は経済的豊かさの面では成功したかもしれないが,文化的・社会的豊かさの面では大きな代償を払っている。資本主義の活動はますます活発であるけれども,資本主義の社会の行方そのものは混沌としている。⇒社会主義             杉村 芳美

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資本主義
I プロローグ

資本主義 しほんしゅぎ Capitalism 私的な個人と営利企業が、価格と市場の複雑なネットワークを通じて、財とサービスの生産と交換をいとなむ経済システム。古代にもその痕跡はみられるが、真の意味での資本主義は主としてヨーロッパ文化にその起源をもつものであり、数多くの段階をへて発展し、19世紀に発展の頂点に達した。この資本主義は、ヨーロッパ、とくにイギリスから世界じゅうに広まっていった。そして、力強くかつ敵対的、競合的な経済システムである近代共産主義(マルクス主義)が現実のものとなった第1次世界大戦まで、資本主義は支配的な経済および社会システムとして、まったく脅威にさらされることがなかった。

「資本主義」という用語は、19世紀の半ば、共産主義の創始者であるカール・マルクスによってはじめて紹介された。「自由企業体制」と「市場経済」という用語も、近代の非共産主義的経済についてのべる際にしばしばもちいられる。ときおり、混合経済という用語も先進諸国の経済システムをあらわすためにもちいられる。

現代の資本主義の祖とよばれるのにもっともふさわしい人物は、スコットランドの経済学者アダム・スミスである。彼は、歴史上はじめて、資本主義システムの基礎をなす本質的な経済原理についてのべた。その古典的著作である「国富論」(1776)の中で、スミスは、個人の利益だけでなく全体としての社会の利益をも増進するような仕方で私的な利得を追求することはいかにして可能かを明らかにしようとつとめた。

彼によれば、社会の利益は、人々の欲求をすべてかなえる物財を生産することでみたされる。今日、名言となった言葉をつかって次のようにスミスはのべている。私利、私有財産、および市場における売り手間の競争がくみあわされることによって、生産者たちは「あたかも見えざる手によるかの如く」、彼らが意図していない目的、すなわち社会の福祉を実現するようにみちびかれるのである。

II 資本主義の特質

資本主義はとくに隆盛をきわめた19世紀に、その核となる特質をおびるにいたった。

第1に、基礎的な生産手段である土地と資本は私的に所有される。ここでの資本とは建物、機械、そのほか最終的に消費される財やサービスを生産するために使用される設備を意味する。

第2に、経済活動は、市場における買い手と売り手(あるいは生産者)との相互作用を通じて組織され、調整される。

第3に、土地や資本の所有者も、彼らが雇用する労働者と同じく、生産における自らの資財や労働力の使用から最大の利益をえるために、彼ら自身の私的な利益を追求する自由がある。消費者には、もっとも満足がえられると考える方法でその所得を消費する自由がある。この消費者主権とよばれる原理は、次のような考え方を反映している。資本主義のもとでは、競争によって生産者は、消費者の欲求を最大限にみたすように資本を使用することを余儀なくされる。私利と利得追求が、彼らをこうした行動にみちびくのである。

第4に、このシステムのもとでは、政府による管理は最小限であることが要求される。つまり、競争が存在すれば、経済活動はおのずから自己規制されるのである。政府に必要とされるのは、社会を他国の攻撃からまもり、私有財産権を保護し、契約の履行を保証することであると考えられる。資本主義的システムにおける政府の役割に関するこうした19世紀的な見解は、20世紀に出現したさまざまな思想や出来事によって修正をくわえられてきた。

III 起源

商人および商取引は、文明のある所ならどこにでも存在した。しかし、首尾一貫した経済システムとしての資本主義は、13世紀、封建制の終わりごろのヨーロッパにその端を発している。スミスによれば、人間はつねに、「あるものを他のものと取引し、交易し、交換する」性向をもっている。この取引と交換の性向は、11~13世紀にヨーロッパのエネルギーの大部分がそそぎこまれた十字軍遠征によって刺激され、活気づけられた。15~16世紀の「大航海時代」、および新世界の発見と征服の時代のあとにもたらされたヨーロッパへの貴金属の莫大な流入は、事業と貿易をますます膨張させた。

こうした一連の出来事の中から生まれた経済秩序は、本質的に重商主義的であった。すなわち、その中心は財の生産よりもむしろその取引にあり、製造業は19世紀における産業主義の登場まで重視されることはなかった。

しかし、それ以前から資本主義的システムにおいて重要な役割をになう人々が出現しはじめていた。すなわち企業家、つまりリスクの負担者である。資本主義をなりたたせる核心的要素は、将来において利得をもたらすであろうという期待のもとに事業をくわだてる点にある。将来について知ることはできないから、そこには損失のリスクと利得の可能性の両者がつねに存在する。リスクの負担は企業家の専門的役割のひとつである。

13世紀以後、資本主義への推進力はルネサンスや宗教改革のエネルギーによって大いに増大した。こうしたきわめて重大な出来事の結果、社会はいちじるしく変革され、近代の国民国家出現への道が開かれた。近代の国民国家は、資本主義の成長にとって決定的に重要な平和、法、および秩序をもたらした。そのおかげで、この時代に企業家による経済的剰余の蓄積がすすみ、その剰余をさらなる富の拡大のために再投資することを通じて、資本主義の成長がなしとげられた。

IV 重商主義

15~18世紀に近代の国民国家が生まれつつあったころ、資本主義は商業的な色彩をおびていただけでなく、重商主義として知られるもうひとつの特殊な方向へと発展した。この資本主義の特殊形態は、イギリスで最高水準に達した。

重商主義は、私有財産と、経済活動の基本的な場となる市場の使用とにその基礎をおいていた。ただ、アダム・スミスにおける資本主義とはことなり、重商主義は経済的資源の個人所有者の利益ではなく、君主(すなわち国家)の利益を重視した。重商主義の時代には、経済政策の基本的目的は国民国家を強くすることであり、国家的な目標を達成することであった。この目的のために、政府は生産、取引、消費に対して決定的な支配力を行使した。

重商主義のもっとも特徴的な点は、金銀の形態をとった国富の蓄積を国家の第1目的としてかかげたところにある。ほとんどの国が金銀を天然資源としてもたないため、それらをえるもっともよい方法は貿易である。そのためには、のぞましい貿易収支(すなわち輸入よりも輸出がうわまわること)のために努力する必要がある。貿易差額をプラスにすれば外国はその差額を金か銀でしはらわねばならない。重商主義的国家はまた、低賃金を維持することをのぞんだ。これが輸入を低減させ、輸出の超過に寄与し、したがって金の流入を増加させると考えたのである。

重商主義原則の支持者の中には、もう少し考えを洗練させて、国家の真の富は貴金属の蓄蔵ではなく、国家の生産能力であると理解している者もいた。彼らは、有利な貿易収支からもたらされる金と銀の流入が概して経済活動を刺激することに役だち、したがって国家がより多くの税を課し、より多くの歳入をえることを可能にするであろうとただしく認識していた。しかし、重商主義国家のほとんどは、この原則を理解していなかった。

V 近代資本主義の始まり

18世紀の後半、2つの出来事が近代資本主義の登場への道を開いた。第1は、1750年以後のフランスにおける重農主義者たちの出現であった。第2は、重商主義の原理と実践にアダム・スミスの考えがあたえた圧倒的な衝撃であった。

1 重農主義

重農主義という用語は、経済状態には一つの自然的秩序が存在し、この秩序においては人々の富を実現するために国家の管理は必要ないととなえる経済思想上の学派をさす。

重農主義の先導者とされる経済学者ケネーは、著書「経済表」(1758)の中でその基本的な原理をのべ、経済における貨幣と財の流れを明らかにした。簡略にいえば、この流れは循環的かつ持続的なものとされた。さらに重要なのは、この流れが3つの主要な階級にもとづいているということであった。すなわち、(1)全人口の半分を占める、農業、漁業、および鉱業に従事する人々からなる生産階級、(2)全人口の4分の1を占める、地主および彼らによって支持される者たちからなる資産家階級、(3)残りの人口を構成する、職人あるいは無産階級、である。

ケネーの「経済表」は、農業階級のみが剰余生産物、つまり純生産物を生産することができ、それによって国家は、財と貨幣の流れの拡大をうながすための資本を供給することができるし、また国家の必要をみたすために税を課すこともできることをあらわした点で重要である。

製造業などのほかの活動は、本質的に無産的であると考えられた。なぜなら、そうした活動は新たな富を生みだすのではなく、生産階級の産出物をたんに変形させるか循環させているにすぎないからである。重商主義にあい反するのは、重農主義的思想のまさにこの点であった。工業が富をつくりださないとすれば、国家が経済活動の詳細な規制および管理によって社会の富を増大させようとするのは完全なむだということになる。

2 アダム・スミスの学説

アダム・スミスの思想は、経済学における最初の体系的業績であるということ以上の意味をもっている。すなわち、彼の思想は重商主義の原理に対する真正面からの攻撃であった。重農主義者同様、スミスは、国家がきわめて限定された役割にとどまる場合にもっとも効率的に機能するであろう「自然の」経済秩序が存在することを明らかにしようとつとめた。

しかし、重農主義者とはことなって、スミスは、工業が非生産的であり、農業分野のみが社会の最適限度の必要をうわまわる剰余を生みだしうるとは考えなかった。むしろスミスは、分業と市場の拡大に、産業と貿易を通じて社会の富を増大させる無限ともいえる可能性をみいだしたのであった。

このように、重農主義者もスミスも、政府が経済分野に行使する権力は限定されるべきであり、自由な経済活動にも自然に秩序が形成されるという考え方では共通していた。しかし、19世紀の産業化と近代資本主義の登場への道を開いたのは、重農主義者よりもむしろスミスであった。

VI 産業化の進展

スミスと重農主義者の思想は、19世紀を特徴づける、社会および世界にもたらされた決定的な変化の物質的側面である産業革命に知的、イデオロギー的背景を提供した。この「革命」の正確な日付ははっきりとはしないが、一般的に18世紀の終わりごろからはじまったと考えられている。

産業化過程のもっとも大きな特徴は、財とサービスの生産において、人間あるいは動物の力にかわって機械の力(当初は蒸気)が導入されたことにある。生産の機械化がイギリスで急速にすすみ、徐々に世界各地に広がっていくにつれて、いくつかの根本的な変化が生じた。生産はより特化され、工場というより大きな単位へと集約されるようになった。18世紀の職人や小作業場は、消失することはなかったが、先進的な国々、とくにイギリス、アメリカ合衆国、ドイツといった国々では、経済活動の主舞台からおいやられた。

かわって、近代の賃金労働者階級が出現しはじめた。彼らは自分たちの道具をもたない労働者であり、財産をもたず、それゆえに労働力を賃金と交換しなければならなかった。生産への機械動力の適用によって、労働効率は大幅に増大し、財を安価かつ豊富なものにした。その結果、19世紀の間に、世界の大部分で実質的生活水準が向上した。

一方、産業資本主義の発展は人間に深刻な危害をもたらした。産業革命の初期は、とくにイギリスにおいて顕著であったが、多くの労働者がひどい労働条件のために傷つけられた時代であった。児童労働者の酷使、長時間労働、さらに危険かつ不健康な職場は、ごく一般的であった。この状況は、その成年時代の多くをイギリスですごしたマルクスの心をとらえ、壮大な資本主義的システム告発の書である「資本論」(全3巻。1867~94)の出版へとみちびいた。

マルクスはこの著作の中で、資本主義の根本的原理である生産手段の私的所有を攻撃し、さらに、土地と資本は集団的に(すなわち社会によって)所有されるべきであり、経済システムの生産物は必要に応じて分配されるべきであると主張した。こうしたマルクスの考え方は、旧ソビエト連邦における共産主義的経済システム、および中国で今でも名目上信奉されている経済システムの知的基盤となった。

資本主義はまた、好況と不況の景気循環、つまり拡大と繁栄の時期と、それにつづく経済的暴落と失業の波になやまされた。アダム・スミスの思想を洗練させた古典派経済学者たちは、経済生活の浮き沈みについて説明する手立てがなく、こうした循環は資本主義のもとで物質的発展をとげた社会がはらわねばならない不可避の代償であるという見解にあまんじていた。おもな資本主義国家でくりかえされる不況と、マルクス主義的批判の高まりの中で、賃金上昇、労働時間の短縮、および労働条件の改善のためにたたかう活発な労働組合運動が確立された。

19世紀末、とくにアメリカ合衆国において、社員は有限責任をおうにとどまり、莫大な金融力をもつ近代的株式会社が、企業組織の支配的形態として登場した。生産が企業によってコントロールされるようになると、産業全体を支配しかねない企業合同や市場独占(→ 独占)、あるいはトラストなどがあらわれるようになった。こうした策略に対して社会の抗議が強まり、アメリカにおいては、反トラスト法が制定されるまでにいたった。

この立法措置は、企業による独占の追求を違法とすることをめざすものであり、工業と商業において最低限の競争を確保するために国家権力を使用するものであった。反トラスト法は、アダム・スミスが考えたような多くの小企業による競争を産業社会に復活させることはできなかったが、独占ないし取引制限という最悪の状況をふせぐことはできた。

こうしたさまざまな困難にもかかわらず、資本主義は19世紀を通じて拡大し、繁栄しつづけた。それは、資本主義が新たな富を生みだし、資本主義社会に生きるほぼすべての人々の実質的な生活水準を向上させたからであった。19世紀の終わりには、資本主義は支配的な経済・社会システムとなった。

VII 20世紀の資本主義

20世紀の大半、資本主義は、戦争、革命、不況などによってうちのめされてきた。第1次世界大戦は、ロシアに革命とマルクス主義にもとづいた共産主義国家をもたらした。戦争はまた、ドイツに国民社会主義体制(→ ナチズム)を生みだし、資本主義とはげしく敵対するようになった。この国民社会主義体制はファシズムへと発展し、その暴力と拡張主義をもって、世界をもう一つの大きな闘争、すなわち第2次世界大戦へとおしすすめることとなった。

第2次世界大戦の余波の中で、中国や北朝鮮、東欧において共産主義的経済システムが確立した。しかし、戦後の冷戦体制も1980年代末に終わりをつげ、以前はソビエト圏にあった諸国家は自由企業体制へと移行した(最初はあまり成功しなかった)。マルクス主義体制を保持する唯一の大国となった中国でも、多くの自由化がおこなわれ、特定の財とサービスについては比較的自由な市場が導入されるようになった。一方、発展途上国の多くは、植民地独立後の初期においてはマルクス主義的思想の影響を強くうけたが、経済問題への解答を模索する中で、修正された資本主義への転換をはたした。

1930年代、ヨーロッパや北アメリカにおいて、産業民主主義をもとめる運動が高揚し、資本主義に対してするどい挑戦の声をあげた。29年の世界大恐慌(→ 恐慌)は、18世紀以来、近代資本主義が経験した経済的変動のうち、もっとも過酷なものであった。しかし、マルクスの予言とは反対に、資本主義国家は革命によって崩壊することはなかった。むしろ、大恐慌の挑戦に直面して、資本主義システムは注目すべき生命力と変化への適応力とをしめした。民主主義政府は、恐慌という資本主義に固有の最大の害悪を是正するために、経済に介入しはじめたのである。

たとえば、アメリカ合衆国では、フランクリン・ルーズベルト大統領がニューディール政策を発表し、1929年のウォール街の大暴落をみちびいた投機の行き過ぎの再来をふせぐために、金融システムの再編成をおこなった。大企業への経済権力の集中を相殺するために、団体交渉を奨励し、強力な労働組合運動を確立する処置がとられた。社会保障制度、失業給付、および資本主義に固有の経済的危険から人々を保護する措置の導入で、近代の福祉国家の基礎がきずかれた。

現代の資本主義の発展におけるもっとも重要な知的出来事は、ケインズによる「雇用・利子および貨幣の一般理論」(1936)の刊行であった。かつてのアダム・スミスの理論がそうであったように、ケインズの思想は、先進的民主主義において資本主義がいかに機能するかについて大いに影響をおよぼし、ケインズ学派とよばれる学派を登場させた。

ケインズは、現代の政府が、好況と不況の循環という長年にわたる資本主義の災禍を除去することはできないまでも、その勢いを弱めるために、貨幣を支出し、税制を変更し、さらに貨幣供給を統制するなど、その権力を行使できるということを論証した。ケインズによれば、不況下では、政府は不均衡予算という代償をはらってでも、個人支出の落ち込みを相殺するために政府支出を増加させるべきである。逆に、にわか景気が投機の行き過ぎとインフレーションをまねき、手におえなくなる恐れがある場合には、支出をおさえる必要がある。

ケインズ学派の見解は、1946年に雇用法が議会を通過したとき、合衆国法にくみいれられることとなった。この法律は、高い水準の雇用と生産とを維持することをアメリカ政府にゆだねたものであり、国家方針としての自由放任主義を公的に放棄した象徴として歴史的な標識となった。

VIII 将来の見通し

第2次世界大戦後の25年間、ケインズ学派の思想と資本主義の伝統的形態との混合はおどろくべき成功をおさめた。資本主義諸国は、第2次世界大戦の敗戦国もふくめてほとんど、不断の成長と低いインフレ率、生活水準の向上を享受した。

しかし、1960年代末以降になると、多くの資本主義国家でインフレがおこり、失業が増加した。これらの資本主義国家では、ケインズ学派の公式はもはや明らかに機能しなかった。エネルギー、とくに石油の危機的な欠乏と価格の上昇が、こうした変化の中で重要な役割をはたした。経済システムに対して新しい課題がつきつけられたが、そこには次のようなものがふくまれていた。すなわち環境汚染の防止、女性とマイノリティへの平等な機会と報酬の拡大、および危険な製造物と労働条件に関する社会的費用への対処である。同時に、社会福祉への財政支出は増加しつづけ、多くの国々で、こうした支出が政府支出の大部分を占めるようになった。

こうした状況は、長期にわたる資本主義の歴史的見地から検証される必要がある。とくに、その多様性と柔軟性についてその必要がある。20世紀における出来事、とりわけ大恐慌以来の出来事は、修正を重ねた「混合」あるいは「福祉」資本主義が、経済の基盤をつくりあげることに成功してきたことをしめしている。こうした資本主義は、これまで、1930年代の不況と同様の崩壊をひきおこすことをふせいできた。しかもこれは、個人の自由や政治的民主主義を犠牲にすることなしになしとげられてきたのである。

1970年代のインフレーションは、80年代の初頭にはおさまった。原因はおもに2つある。第1に、81~82年に導入された金融引き締め政策と緊縮財政が、アメリカ合衆国、西欧、極東に深刻な景気後退をもたらした。失業の増加につれて、インフレは減速した。第2に、世界じゅうで石油消費がおさえられ、エネルギー費用が削減された。80年代半ばになると、西側の多くの国で景気が回復した。ケインズ学派に対する反動は、公的分野を縮小するため広範囲にわたる民営化などの政策をとなえるマネタリズムへの移行をうながした。

1987年の株式市場の暴落は、金融不安定の新たな局面を招来した。経済成長は鈍化し、国家債務、企業債務および個人債務が記録的な水準に達したアメリカ合衆国をはじめ、多くの国々は90年代初頭に景気後退におちこみ、失業は増加した。この失業はかなりの高水準をたもっており、マネタリズムの行き過ぎの影響も多分にのこっているが、90年代半ばからは、景気は回復にむかっている。

資本主義国家が目標とするところは、ひじょうに困難な課題だが、高い雇用と安定した価格を同時に確保することである。そのためには、多様で個性的な経済活動の展開をはかり、労働生産性の向上のために増加傾向をみせている失業の不安を解消する必要があり、柔軟な投資のあり方と新しい価値創出のための研究開発がいそがれている。

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