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言語学・ゲームの結末を求めて(その13) [宗教/哲学]

生成文法
生成文法

せいせいぶんぽう
generative grammar

  

理想的な話し手・聞き手は,有限個の言語要素と有限個の規則から事実上無限の文をつくりだし,かつ理解する言語能力を有すると想定することができる。その言語能力を記述する文法,すなわち,当該言語の文法的な文をすべて,しかもそれのみを,事実上完全に列挙しうるよう明示的に定式化する仕組みをそなえた文法を生成文法という。生成とは,1つの規則に入るものすべてを列挙しうるように定式化する意味であって,実際に文を発話することとはまったく異なる概念である。たとえば2,4,8,16,…をばらばらに並べるのではなく,2n という式ですべてを規定するのがその一例。 N.チョムスキーが最初にこの理論を唱え,かつ,その仕組みの中心に変形を据えたので,その文法を生成文法,変形文法 (変換文法) などの名で呼ぶのが普通となっている。ただし,厳密には生成と変形は抱合せ概念ではなく,非生成的変形文法,非変形的生成文法もありうるため,チョムスキーの文法は,より厳密には変形生成文法という。





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生成文法
せいせいぶんぽう generative grammar

1950年代中ごろにアメリカの言語学者 N. チョムスキーが提唱し,以後,各国の多くの研究者の支持を集めている,文法の考え方。文法とは,〈その言語の文(文法的に正しい文)をすべて,かつそれだけをつくり出す(しかも,各文の有する文法的な性質を示す構造を添えてつくり出す)ような仕組み[=規則の体系]〉であるとし,その構築を目標とする。この〈(過不足なく)つくり出す〉ことを〈生成する generate〉といい,上のようにとらえた文法を〈生成文法〉という。有限個の規則によって無数の文を演繹的に生成しようというわけである。永い文法研究の歴史の中で,この発想はまことに斬新で画期的なものであり,以下に概観するその具体的な枠組みとともに,やがて多くの研究者の依拠するところとなり,これによって文法とくにシンタクスの研究は急速に深さと精緻さとを増して真に科学といえる段階を迎えたといってよい。最初期には意味を捨象して文の形だけに注目していたが,その後,意味と音を併せ備えたものとしての文の生成をめざすようになり,普通にいう文法(シンタクス,形態論)のほかに意味論や音韻論も含めた包括的な体系を(しかもチョムスキーらは,言語使用者がそれを,自覚はしていなくとも〈知識〉(心理的実在)として備えていると見,その〈知識〉と〈それに関する理論〉の両義で)〈生成文法(理論)〉と呼んでいる。意味論や音韻論においても新生面を開いてきた。
 その体系の実際の枠組みとしては,これまで幾通りかのものが提唱されてきたが,最初期のものを除いて,いずれもおおむね次のような点では共通である。すなわち,(1)一つの文に対して,その意味・文法的性質(単語間の前後関係・階層関係等)・音をそれぞれフォーマルにあらわした各種の表示(構造)を想定する,(2)とくに,このうち文法的性質に関する表示(〈句構造〉という姿をとる。その詳細は〈シンタクス〉の項参照)は,一般に,一つの文に対して複数個想定する必要がある,という考え方に立つ。そして,(a)これら各表示に関して各単語が有する固有の性質についての記述(つまり各単語の意味,文法的性質,音の記述。辞書に相当するもの),(b)各表示の形を規定する機能を果たす諸規則,(c)一つの文の有する各表示の間の対応をつける機能を果たす諸規則,などを適切に連動させることで,結果として(演繹的に),文法的に正しい文だけが各表示を備えて(したがって意味も音も備えて)生成されるようにする,という次第である。(a)の記述や(b)(c)の規則などは,その解釈に寸分も不明瞭な余地を許さぬよう明示的に,すなわちあたかも数式のようなフォーマルな方法で(しかも(b)(c)はなるべく一般性の高い形で)記述・適用され,その体系が生成文法(以下,単に文法という)をなすわけである。なお(c)のうち,とくに〈句構造〉相互間の対応をつける一定の性質を備えた規則は〈変形(変換)transformation〉と呼ばれ,これが盛んに用いられてきた。このため,〈変形(変換)文法理論〉という語が〈生成文法理論〉とおおむね同義のように使われてきたが(また〈変形生成文法理論〉とも呼ばれてきたが),近年では変形の果たす役割を相対的に軽くした枠組みや,変形を用いない(前記(2)を採らない)枠組みも提唱されるにいたっている。
 以上のようにして個々の言語の文法の構築をめざすだけでなく,言語一般(各言語の文法一般)の性質や,さらには幼児の言語習得との関連を問題にしようとする点も,この理論の大きな特徴である。上の(a)(b)(c)などは,その具体的な形こそ言語によってかなり異なるものの,抽象度の高い観点からそのありようをとらえ直してみると,実は言語一般に共通して認められるのではないかと思われる性質も多々浮かび上がってくる(そもそも,上で概括的に紹介した文法全体の枠組みも,各言語に共通なものとして提唱されてきたものである)。言いかえれば,〈どの言語の文法であれ,およそ人類の言語の文法である以上は備えている普遍的な性質(条件)〉というものが(抽象度の高い観点をとれば)存するはずであり,それらを明らかにする〈一般言語理論〉を構築するという大きな目標をも併せて標榜するのである。さらに,幼児は,そうした言語の普遍的な条件に相当するものを含んだ〈言語習得機構〉を(その内部を自覚してはいないものの)先天的に備えており,だからこそ,自分の置かれた環境で使われている言語が何であれ,その文法をかなり容易に習得してその言語を使いこなせるようになるのだ,という見通しに立って,言語習得にも関心を向ける。これらの観点を加えることで,個々の言語の文法の研究が深まる点も,また多いのである。
 このように目標を高め観点を深めるにつれて,新たな研究課題も相次いで生まれ,今日も,各言語(とくに英語が盛ん)および言語一般に関して,生成文法理論に拠った研究は日進月歩の趣で進展を続け,現代言語学の大きな潮流となっている。研究史の上で,この理論は,従来の構造言語学(アメリカ)の理論的な行詰りを打開すべく誕生したものと位置づけることもできるが,単にそれだけではなく,以上に概観したような著しい諸特徴と研究状況から,実に言語研究史上の一大革命とも評すべきものである。日本語については,伝統的な方法の文法研究もなお根強いが,生成文法理論に拠るものもしだいに伸長してきている。⇒シンタクス∥文法                菊地 康人

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生成言語理論
I プロローグ

生成言語理論 せいせいげんごりろん Generative Linguistics アメリカの言語学者チョムスキーによって提唱された言語理論。生成言語理論の前提には、人間は生まれながらにして、どんな言語であってもそれを習得するための仕組みを脳の中にもっているはずだという考えがある。そして、そのような言語習得の仕組みの内容は、すべての言語に普遍的にあてはまると仮定する。生成言語理論では、人間のもつ言語の仕組み全体を「文法」とよんでおり、すべての言語のもつ普遍的な特徴は「普遍文法」とよばれる。普遍文法を明らかにすることが、生成言語理論の目標である。

なお、チョムスキーの生成文法(generative grammar)あるいは変形生成文法(transformational generative grammar)とよばれる言語理論は、この生成言語理論の中核をなす考え方である。

II 深層構造と表層構造

生成言語理論では、言語とは文法的な文の集合とみなされている。この理論のもっとも特徴的な点は、文の文法性を説明するために、文に関して「深層構造(D構造)」と「表層構造(S構造)」という2つの構造を区別することである。深層構造とは、文を構成する単語の意味的な特性などを反映する抽象的な文構造であり、表層構造とは、実際に話される文に近い性質をもつ文構造である。そして、深層構造から表層構造をみちびきだすための働きをするのが「変形規則」とよばれる規則の体系である。

深層構造、表層構造、変形規則という考えは、それまでの言語学にない新しいものであったため、チョムスキーの言語理論は言語学に革命的な転換をもたらすものだといわれた。音韻論の分野でもこのような理論を適用する試みがなされ、「生成音韻論」とよばれる分野をつくっている。現在では、深層構造や表層構造の性質をきめる働きをする原理や規則の体系という新しい考えがとりいれられたため、変形規則の重要性が以前にくらべて小さくなるなど、理論的にはかなりめまぐるしい変貌をとげている。

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N.チョムスキー
チョムスキー

チョムスキー
Chomsky,(Avram) Noam

[生] 1928.12.7. フィラデルフィア

  

アメリカの言語学者。ペンシルバニア大学,ハーバード大学で言語学を学ぶ。 1961年以降マサチューセッツ工科大学正教授。『文法の構造』 Syntactic Structures (1957) をはじめとする著書や論文で画期的な文法理論を展開し,変形生成文法と呼ばれるその理論はいまや言語学の一大潮流となっている。主著『文法理論の諸相』 Aspects of the Theory of Syntax (65) ,『デカルト派言語学』 Cartesian Linguistics (66) ,『生成文法理論の諸問題』 Topics in the Theory of Generative Grammar (66) ,『言語と精神』 Language and Mind (68) など。反体制的政治活動家としても著名。 (→生成文法 , 変形文法 )  





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チョムスキー 1928‐
Noam Chomsky

アメリカの言語学者,思想家。言語学史上の一大革命ともいうべき〈生成文法理論〉の提唱者。数学,哲学,心理学や政治・社会問題に関しても,注目すべき所論がある。マサチューセッツ工科大学(MIT)教授。
 フィラデルフィアの生れ。ペンシルベニア大学で言語学を専攻,とくにシンタクスへの関心を高め,《言語理論の論理構造》(1955),《文法の構造》(1957)を著して,斬新な〈生成文法〉の考え方を唱えた。すなわち,文法とは〈その言語の文をすべて,かつそれだけをつくり出す(生成する)ような規則の体系〉であるとし,その構築を目ざそうというもので,彼自身,まず英語を例に,あたかも数式のようなフォーマルな規則(〈変形〉と呼ぶ規則など)を多数掲げて見せた。やがてこれに刺激されて同様の方法に拠る研究を競う者が漸増,この間,彼自身も〈意味論や音韻論も含めた総合的な体系としての文法の構築〉〈各言語の文法に普遍的な性質の究明〉などいっそう高い目標を追加し,また体系の具体的な枠組みの発展的修正を自ら次々と提唱して,たえずこの理論を導き,研究の質も著しく深まって,今日ではすでに言語学の一大潮流となっている。この方面の専門書には,前掲2書のほか《文法理論の諸相》(1965),《統率と束縛》(1981)などがある。
 また彼は,この理論の初期の頃,その具体的な方針を検討することとの関連において,文法の数学的モデルを幾通りか立て,それらの純粋に数学上の見地からの研究も併せて行った。プログラム言語との関連やオートマトンとの対応を浮かび上がらせたその興味深い成果は,数学者の注目するところとなり,これを端緒に人工言語に関する数学上の研究が発展,〈形式言語理論〉などと呼ばれて数学の一分野をなすにいたっている。つまり彼はこの分野の創始者でもあるわけだが,彼にとっては,こうした研究の主旨は〈いやしくも人間の言語の文法を構築するには,マルコフ過程などの単純なモデルでは不適切で,“変形”が必要だ〉と論証することにあったようで,そののち彼自身はこの方面から離れている。
 さて,生成文法理論は前述のようにフォーマルな規則を用いるため,やはり〈数学的〉と評されることがあるが,こちらは(上の形式言語理論とは異なり)あくまでも人間の言語に関する経験科学(つまり言語学)である。しかも彼は,そうした規則の体系としての文法――有限個の規則から無限個の文を生成し得る〈創造的〉な仕組み――は,単なる理論上の仮構ではなく,実際に言語使用者の〈知識〉として(自覚はされていなくとも)心理的に実在すると考え(併せて,従来の機械的な〈構造言語学〉への批判にも及ぶ),人間は,幼児期にこの文法の〈知識〉を形成し得るような〈生得的言語能力〉を備えていると見る。というのも,各言語は表面的な語順等こそ違うものの,それぞれの文法を十分にフォーマライズし,さらに抽象度の高い観点を加えて究明すると,思いのほか興味深い共通点が見いだされるのであり,〈およそ人類の言語の文法である以上は,どの言語の文法も備えている普遍的な性質(法則性)〉というものが存すると思われる。そうした性質を幼児は生得的に承知しているに違いない(だからこそ,複雑な文法を容易に習得できるのだ)というわけである。もちろん文法の形成には,生得的能力のほかに,幼児期に周囲の人の言語に接する経験も必要だが,後者だけで十分だとする論には従えないという趣旨で,哲学者らによる伝統的な〈合理論(理性論)〉対〈経験論〉の論議については前者を支持する。以上のように,言語には創造性と法則性の両面が認められるが,彼はさらに,言語に限らず,人間の各種の認知(パターン認識や芸術の創造等々)の研究においても,同様に,まず各種の認知体系(文法にあたるもの)それ自体を究明し,さらにその体系の習得(形成)の過程やそれを可能にする背後の生得的認知能力(これにはさらに生理学的な基礎があろう)を探り,併せてそれら各種の認知体系(文法も含めて)の間の相互作用を明らかにする,という方針に立った自然科学的な方法を採るべきだと提案する。こうして,種(しゆ)としての人間――その精神の創造性と法則性――を究明しようというわけで,言語学も〈認知心理学〉の一分野,ひいては〈人間科学〉(人間性の科学)の一分野と位置づける。それとともに,認知体系それ自体を問わずに刺激と反応だけを問題にする〈行動主義〉の方法を批判する。このように彼の論は言語学のみならず,いわゆる哲学,心理学にも及び,これら諸学(のうち少なくともある部分)を〈人間科学〉として統合樹立すべしとの構想のようである。しかも,以上の諸主張を,彼は哲学上の主義などとしてではなく,あくまでもその説明力を実際に検証すべき科学上の仮説として提出するのであり,科学への指向はたいそう強い。と同時に,人間の科学形成能力そのものも,人間の生得的認知能力の枠内にとどまるのだとして,その特質・限界にも注意を向ける。生成文法理論を中心に,哲学,心理学にも踏み込んだ著作には,《言語と精神》(1968),《言語論》(1975)などがある(前者は比較的平易な啓蒙書)。
 上のような見方を踏まえて,彼はまた,人間(民衆)の自由な創造性が最大限に発揮されるような世界を理想とする世界観に立ち,政治・社会問題に関しても,平和・人権を擁護する趣旨の著作を多数発表してきた。特に,ベトナム戦争に象徴されるようなアメリカの自己中心的な〈力の政策〉とその担い手である官僚の姿勢を強く批判,さらに,これを助ける役割を果たしてきた知識人の責任をも論じる。同戦争当時は自ら反戦活動に参加し逮捕された経験ももつが,立論自体はきわめて実証的で,イデオロギーには偏せず,共産圏の官僚主義への批判も鋭い。言語学,哲学や政治・社会の諸問題に触れつつ世界観を示した講演の記録に《知識と自由》(1971)がある。
 以上のように多方面にわたるチョムスキーの業績を,あえてその共通項を探りつつ総観するならば,結局のところ,人間性あるいは人間の尊厳を尊ぶ姿勢(そして,一方では人間の能力の限界にも留意しつつ,その人間性の何たるかを精一杯科学しようとする態度)のすぐれて強い,良識ある天才のイメージが浮かび上がってくるように思われる。彼が各方面で批判の対象としてきたものを,〈経験論〉〈行動主義〉〈構造言語学〉〈マルコフ過程の文法モデル〉〈力の政策〉〈官僚主義〉と列挙してみても,批判の背後に,人間の尊厳への彼の思いの深さを見いだすことができよう。⇒生成文法                      菊地 康人

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チョムスキー,N.
I プロローグ

チョムスキー Noam Chomsky 1928~ アメリカの言語学者、教育者。生成言語理論の中核をなす生成文法の創始者で、この文法体系によって言語学に革命をひきおこした。

チョムスキーは、言語は人間の生得的能力の産物だと考える。彼の言語分析の方法によると、実際にはつかわれない抽象的な文から出発し、その文に対して一連の統語規制(文を構成する語と語の関係)をあてはめることにより、実際につかわれる形に近い文がつくりだされる。この文に音韻規則を適用すると、最終的に話される文が決定する。

II 認知革命

彼は言語学にとどまらず、心理学や医学の領域にも目をむけ、生得的能力をふくむ認知能力を明らかにして、いわゆる「認知革命」をまきおこした。その影響は心理学をはじめ情報理論、コンピューターの人工言語に大きな影響をおよぼしている(→ 認知心理学)。

チョムスキーは1955年にマサチューセッツ工科大学にうつり、教師・著述家としてだけでなく、アメリカのベトナム戦争にはっきり反対する人物としても知られるようになった。以後、ニカラグア問題、湾岸戦争、イスラエル支援などアメリカの政策を一貫して批判し、2001年9月の同時多発テロ後は、「アメリカこそ巧妙なテロ国家」と主張してあらためて注目されている。

III 主要な著作

言語学での主要な著作としては、「文法の構造」(1957)、「文法理論の諸相」(1965)、「英語の音型」(1968、ハレと共著)、「言語と精神」(1968)、「文法理論の論理構造」「言語論」(1975)、「ことばと認識」(1980)などがある。「言語と責任」(1979)は、言語と政治をむすびつけた著作である。一方、政治的な著作として「アメリカン・パワーと新官僚」(1967)、「アメリカの『人道的』軍事主義―コソボの教訓」(1999)などがあり、講演やマスコミをとおしての発言をまとめた本も多数刊行されている。

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形式言語
形式言語
けいしきげんご formal language

【言語の形式化】
人間の言語能力は,問題を解決するときの推理,推論や,社会的な連携のためのコミュニケーションの底流をなすものである。事実,われわれは数字と演算記号を援用して計算をし,文字と記号によって三段論法などの推論を記述し,かつ,音韻を連ねて音声を発し,字を並べて文をつづっている。これらの行為は,いずれも言語能力に基づく思考のプロセスの現れである。ただし,ここで人が産出する音韻,文字,記号の列は言語そのものではなく,言語はもっと抽象的なものであることに留意しなくてはならない。
 数学,論理学,および言語学の分野では,それぞれの基礎理論のために,このような思考のプロセスのモデル化が行われており,計算,推論,言語生成のすべてを統合する抽象モデルとして形式システム formal system と呼ばれる記号体系が構築されている。そのなかで,とくに言語の生成に関心をもつ分野で定義された体系が形式言語である。
形式言語は形式化の産物であって,人間の言語の生成過程の説明はするが,人間自体が語る言語ではない。人間が語る言語は,これに対比させて自然言語と呼ばれる。形式言語は字句通りに形式的に定義されるから,本質的に機械になじむ。その理由で,人工の言語であるプログラミング言語に深く関わることになる。
自然言語の分析に関する学問には,音素とその結合を扱う音韻論 phonology,音素結合あるいは語の形態を論ずる語形論 morphology,文の構成規則を明らかにする構文論 syntax,および文の意味を扱う意味論 semantics がある。これらのうち,構文論の分野で1956年ころ,アメリカの言語学者チョムスキーが構文規則に対して数学モデルを与えたことにより,言語が厳密に形式化されるにいたった。この数学モデルは生成文法ともいわれ,人間の言語生成能力を,国語によらず統合的に説明するものとして注目を集め,以来,数学的文法論を展開する形式言語理論の研究が盛んになった。
 またその直後にプログラム言語 ALGOL 60が上記の文法を用いて形式言語として記述されたことにより,形式言語理論がプログラミングに強く関わることの認識が高まって,コンパイラ等の諸々の言語処理の問題が科学,工学の対象とされ,組織的なソフトウェア技術の開発へつながるようになった。
【形式言語の生成】
言語を形式的に扱うために,まずいくつかの文字を用意する。これらの文字は相互に区別ができ,またそれらの種類も区別ができるが,文字の個々はなんらの意味ももたないものとする。文字の集合をアルファベットと呼んでΣで表す。Σに属する文字を有限個並べたものを,Σの上の語(または文)という。Σ={a,b}なら,a,b,aa,ba,aba 等は語である。どの語も意味をもたない。形式言語(以下言語という)とは,Σの上の語の集合のことである。
 Σの上の語で,長さ(文字の数)が1のものの全ての集合を L1と書く。同じように L2,L3,…,Li 等を定義することができる。そこで,これらの集合の全ての和集合をΣ*で表す。Σ*は,Σの上の語の全集合で,理論の上では長さが0の語(空系列)も含まれる。
 Σ*からいくつかの部分集合を取り出して,それらを Lx,Ly,Lz,……と表すことにしよう。これらは語の集合であるから,いずれも言語である。したがって,Σの上で定義される言語の集合 L は,Σ*の部分集合の集合(族)のことで,この集合の密度は自然数の集合のそれを超える。L のある要素 Lx の任意の要素(語)を生成する規則が,Lx の形式文法(以下文法という)である。
 言語を生成するシステムの例として,準シューシステム semi-Thue system と呼ばれる形成システムを示しておこう。このシステムは記号論理の推論系を形式化したもので,3項組 T=(Σ,Ρ,α)で与えられる。ここに,αは公理といわれる一つの語,Ρはプロダクションと呼ばれる推論規則の集合,Σは公理とプロダクションに現れる文字の集合,つまり T のアルファベットである。実例を作ってみよう。Σ={S,Np,Vp,A,N,V,the,a,father,mother,doll,toy,makes}(the,a,father等の英語の単語は,それぞれ一つの概念を表す単一の記号とみなされる),α=S とし,プロダクションΡは次の推論規則からなりたつものとする。ここに規則 x→u は,x が u に書き換えられることを意味し,書き換え規則ともいわれる。いまの場合 x は単一の記号,u は記号列とする。(1)S→NpVp,(2)Np→AN,(3)Vp→VNp,(4)A→the,(5)A→a,(6)N→father,(7)N→mother,(8)N→toy,(9)N→doll,(10)V→makes,(11)V→eats。いま,公理 S に(1)(2)(3)(2)をこの順にほどこすと語ANVAN が得られる。ついで,これに(4)(6)(10)(5)(8)を左から順に適用すると語(具体的には英語の文)the father makes a toy が導かれる。この語には,もはやどの規則も適用できない。一般に形式システムでは,推論規則によって公理から定理が導出されるという。導出される定理のうち,どの規則も適用できないものを終端定理と呼ぶ。なお,この例のシステムが生成する終端定理には意味上不適切なものがあるが,その検討は意味論にゆだねられる。
【句構造文法 phrase structure grammar】
前節の例のアルファベットにおいて,S を文,Np,Vp を句,A,N,V を単語,他を文字という自然言語の概念にそれぞれ対応させてみると,形式システムの記号に,種別の差異を与えることによって,高位概念から具体的な文が生成されるプロセスを説明するためのシステムが構成できることに気づく。この目的で提案されたチョムスキーの句構造文法は,形式的に G=(VN,VT,P,S)という4項組で表される。Ρはいままで通りプロダクションを表し,S は公理に相当して開始記号と呼ばれる。VN,VT は記号の集合であり,前者に属する記号は非終端記号と呼ばれて書き換えの対象となる。後者に属する記号は終端記号と呼ばれ,書き換えの対象にならない。VN,VT の要素と S とでG のアルファベットΣが構成される。VT の要素を有限個並べたものを語(または文)という。G によって導出される語の集合を,G が生成する言語という。
【文法のチョムスキー階層】
文法は,それが生成する言語に基づいて,次のように階層分けされる。
[正規文法] A,B を非終端記号,x を終端記号の系列とするとき,書き換え規則の形が A→xBか A→x であるとき,語は左から右へ線形に生成されていく。この文法を右線形文法という。規則の形が A→Bx か A→x のときはその逆で,この文法は左線形文法といわれる。右および左線形文法を合わせて正規文法 regular grammar,あるいは3型文法といい,これによって生成される言語を正規言語,あるいは3型言語という。この型の言語の構造は最も単純で,有限オートマトンによって識別される。自然言語では,単語の水準の記号系列がこの構造をもつ。
[文脈自由文法] 非終端記号 A,Σの有限個の要素からなる記号系列を u とする。すべての書き換え規則の左辺が単一記号で A→u の形をしていれば,つまり,ある記号列の中に A があるとき,その左右の記号列(文脈)に無関係にその書き換えが許されれば,この文法を文脈自由文法context free grammar,または2型文法という。この文法で生成される言語は文脈自由言語,あるいは2型言語といわれる。たとえば,VN={A,S},VT={0,1}として,Ρは規則(1)S→OA1,(2)A→OA1,(3)A→εよりなるとする。ここにεは空記号で,これを用いる規則は消去を意味する。(1)を1回,つづいて(2)を2回用いたのち(3)を用いると,語000111が得られる。この文法が導出する語では0と1が同じ数だけあい続く。この言語の構造は((…()…))で表される入れ子構造である。文脈自由言語はプッシュダウンオートマトンによって識別され,その族は,正規言語の族を真に含む。
[文脈規定文法] Σの有限個の要素からなる2つの記号系列を u,v とするとき,書き換え規則の形が u→v で,しかも v の長さがつねに u の長さ以上であるとき,この文法をさ文脈規定文法context sensitive grammar,あるいは1型文法という。この文法では AB→CD のような,つまり記号の並び方に規定された書き換えが行われる。この文法で生成される言語は文脈規定言語,あるいは1型言語といわれ,線形拘束オートマンによって識別される。もし,文脈自由形文法で記号の消去を禁止すれば,生成される言語の族は文脈規定言語の族に真に含まれる。
[無制限文法] 書き換え規則に対してどんな制約もおかない文法を無制限文法 unrestrictedgrammar,あるいは0型文法という。この文法で生成される言語は無制限言語,あるいは0型言語といわれ,チューリング機械によって識別される。この言語の族は,前述の全ての言語の族を含む。その意味で,無制限文法(言語)のことを句構造文法(言語)という。なお,正規文法は単語に対応する非終端記号はもつが,句に対応する記号はもたない。その理由で,正規文法を有限状態文法ということがある。
【言語の深層構造】
形式文法は,言語の,刺激としての表層を生成する深層構造であり,これによって言語を創造する能力が説明されるとするのが,チョムスキー学派の考えである。深層構造は表層がもつ意味に対応できなくてはならない。そのため,チョムスキーは句構造に対する変形文法理論を展開した。この学派は,言語能力は学習によって獲得されるのではなく,生得的なものであると主張する。したがってこの学派の理論は理性主義に立つといえる。⇒オートマトン∥記号∥言語      福村 晃夫

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言語獲得
言語獲得
げんごかくとく language acquisition 

言語の構造(文法)を調べることにより,人間は自らの脳の構造を調べることができると主張したのはチョムスキーであった。単に文法を説明的に記述するのと異なり,膨大な(理論的には無数の)数の文を生成できるような,わずかな数の規則を見出すこと,その規則の集合をさらにできるだけ単純で抽象的な,あらゆる言語の基本になるような構造に収束させ記述することが,生成文法理論の目標である。最終的に導き出された構造は,その美しい単純さと言語普遍性とにより,人間の脳の生物学的レベルにおける何らかの基本的な構造と一致するはずだと考えられている。しかしそうした構造の記述は,たしかに大人になったある時点の人間の脳の構造を表現しうるかもしれないが,不十分である。最終状態のみならず初期状態や発達の過程の解明が重要なのは,実は最終状態の記述にとってそれらが本質的に重要な情報であるからだ。初期状態は言語の規則の欠如した白紙状態と見るか否か,言語発達において環境からの情報は影響を与えるか否か,といった問題は,脳の構造の記述にとどまらず,人間と環境との関係を見る視点をも180度転換しかねない。こうした意味で,言語獲得の問題は認知科学において独自の地位を占めている。
 言語獲得においては,近年二つの重要問題が常に関心を集めている。一つは,〈子どもはどうやって膨大な数の文を発話する能力を得るのか〉という問題である。ピンカー S. Pinker は,文を作るという能力はヒトという種に生得的に備わっており,発達の途上で経験から取り入れる情報はわずかであると考えている。幼児に《スター・ウォーズ》に出てきたジャッバの人形を見せて,〈AskJabba if the boy who is unhappy is watchingMickey Mouse.〉(つまんないなと思っている男の子がミッキーマウスを見ているかどうか,ジャッバに聞いてごらん)と尋ねる実験をピンカーは紹介している。子どもたちは喜んでジャッバに尋ねた(すなわち疑問文を作った)が,最初に来た is を先頭に持ってくるという単純な方法に頼って〈Is theboy who unhappy is watching Micky Mouse?〉という非文法的な文を作った子どもは一人もいなかった。これは,子どもたちは初めて聞く文でもちゃんと文の句構造を探り出し,〈the boy who isunhappy〉をひとまとまりの句として意識し,この名詞句のあとにくる is を文頭に持ってくるというルールを使っているからである。主句のなかに助動詞がもう一つ埋め込まれているような複雑な疑問文を親が子どもに言っているとは思えないので,こうしたルールは経験から学んだとは考えられない,とピンカーは述べている。実際,子どもの平均発話長が4(子どもが平均4語からなる文をしゃべること)になっても,その子どもに対して大人が埋め込み文を一つ含む文を話す割合は10.6,埋め込み文を二つも含む文を話す割合は0.5に過ぎないとされる。経験から学べそうもないのだとしたら,こうしたルールは生得的としか考えられないことになる。
 言語獲得における二つめの重要問題は,〈子どもはどうやって大人が意図している語の意味を知るのか〉である。母親がウサギの頭をなでて,〈うさぎさんよ〉と言う場面を子どもが目撃したとしよう。子どもが〈ウサギ〉という事物に〈うさぎさん〉という名称を付与するのは自明であると大人は感ずる。たしかに子どももまさにそのように解釈し,〈うさぎさん〉を目前のウサギのみならず他のウサギ一般にもすぐさま適用し,素早く語彙を身につけていくように見える。しかし語と事物との関係の複雑さを考えると,この過程は実は当たり前には見えなくなる。子どもは〈うさぎさん〉という音声シラブルをなぜ〈白い〉〈ふわふわした毛のある〉〈柔らかい〉などという属性の意味の語と考えないのか。あるいは〈うさぎさん〉とは母親がなでている頭の部分のことだとか,なでている動作を指す,あるいは〈しばらく前に小学校のウサギ小屋で生まれたウサギ〉などと考えないのか。子どもはこうしたさまざまの(理論的には無数の)隘路に入り込むことなくたった一つの正しい解釈〈うさぎさんとは,目の前にいる(そのいかなる部分でなく全体が属する)タイプの動物全般を指すカテゴリーの名称である〉に素早く到ることができる。これはマークマン E. Markman によれば,子どもは語彙獲得に役立ついくつかの〈制約〉を脳に備えているからである。たとえばマークマンは,名前を知らない事物(肺の絵)について,その部分名称(気管支)を教えられても,名前を知らない事物全体(肺)の名称だと子どもは誤解することを示した。これは,子どもは語と事物とを示されたとき,語を事物全体の名称と考える制約を使うことの証拠とされる。
生成文法理論においても,制約理論においても,子どもはもともといくつかの規則・原理を持って生まれてくるから言語獲得が可能なのだ,という生得性の主張(その強弱は研究者により多様だが)がその根幹にある。これに対し,言語獲得は基本的に子どもと大人の社会的相互作用によって獲得される,と主張する立場がある。子どもに向けられた大人の発話は,音声の特徴,語彙の選択,文法構造,話題の選択に特別の特徴を持っており,子どもが注意を向けやすく,理解しやすい構造を持っているという主張がスノー C. Snow らによってさまざまに展開されている。幼い子どもに向けられた発話は高いピッチではっきりした正確な発音で行われ,文は短く単純であることが多い。またこうした特徴を持つ発話に,子どもは特別に注意を向けやすいことも示されている。また従来は,親は子どもが文法的な間違い,たとえば〈Draw a boot paper.〉と言っても直さず,あなたの言い方は間違っている,というような情報(否定証拠と呼ばれる)を与えないとされていた。しかし,コンピューターでデータベースを解析するという手法により厳密に発話データを分析した結果,実は親は子どもの非文法的発話の直後に〈Draw aboot on the paper.〉と正しい文に言い直しをして返していたことなどが突き止められつつある。語の意味の推測においても,生得的な制約を利用するのみならず,親子が共同である事象に注意することや,さまざまの環境から得られる手がかりを活用していることが解明されつつある。生得的能力と環境からの入力がいかに複雑に絡み合い言語獲得が行われるかという相互作用の視点が,今後さらに重要性を増すと予想される。⇒生成文法                      小林 春美

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変形文法
変形文法

へんけいぶんぽう
transformational grammar

  

文法記述に変形操作を不可欠なものとして含む文法の意。変形の考えは,Z.ハリスが早く提唱しているが,特に断らないかぎり,一般に変形文法といって N.チョムスキーによって提唱された「変形生成文法」をさす。自然言語に内在する規則性を規定するためには,文の表層構造だけの記述では不十分で,基本的な文法関係を指定する抽象的な深層構造,およびその両者を結びつけるための変形規則が必要であるとする文法論。変形は,たとえば平叙文と質問文,能動文と受動文との間にみられる構造上の関係を,共通の基底記号列から導く役割をもつもので,構造記述と構造変化によって定義される構造依存的な性質をもっている。変形はまた変換とも呼ばれる。





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言語学・ゲームの結末を求めて(その12) [宗教/哲学]

橋本進吉
橋本進吉

はしもとしんきち

[生] 1882.12.24. 敦賀
[没] 1945.1.30. 東京

  

国語学者。 1906年東京帝国大学言語学科卒業。 09年から 18年間同大学国語研究室の助手をつとめ,27年助教授,29年教授。 34年文学博士。 43年定年退官。国語学会初代会長。厳密な学風で知られ,精緻な文献批判に基づく国語学を築き上げた。その中心は国語の音韻史と文法研究にある。上代特殊仮名遣を解明して上代語,上代文学の研究に大きな恩恵を与え,この奈良時代の音韻体系,キリシタン教義の研究により明らかにした室町時代末期の音韻体系および現代語の音韻体系の3つを柱にして音韻史を記述した。文法研究では文節論を基礎にした形式中心の文法体系を打立てた。主著『古本節用集の研究』 (1916,上田万年と共著) ,『校本万葉集』 (25冊,24~25,増補普及版 10冊,31~32,佐佐木信綱らと共編) ,『文禄元年天草版吉利支丹教義の研究』 (28) 。ほかに古文献の複製や学会の発展にも力を入れた。『橋本進吉著作集』 (10巻,50~83) が刊行されている。





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橋本進吉 1882‐1945(明治15‐昭和20)
はしもとしんきち

国語学者。福井県敦賀(つるが)市に生まれ,1906年東京帝国大学文科大学言語学科を卒業。同大学助手,助教授を経て,29年教授,上田万年(かずとし)のあとをついで国語学科の主任教授となり,43年に定年退官。国語学会初代会長を務めた。日本語の歴史と文法の研究に大きな業績を残したが,最も著しいものは音韻史の研究で,いわゆる〈上代特殊仮名遣い〉を解明し,上代語研究に大きく貢献した。また,天草版《どちりなきりしたん》によって室町時代末,江戸時代初めの音韻組織の再建を試みた。文法研究では語の形態を重んじ,文の構成要素としての〈文節〉の概念を中心に新しい文法体系をたて,学界・教育界に大きな影響を与えた。この,いわゆる〈橋本文法〉は,のちの文法教育の主潮となっている。おもな著作に《古本節用集の研究》(上田万年と共著),《文禄元年天草版吉利支丹教義の研究》《新文典別記》《国語学概論》《古代国語の音韻に就いて》などがある。                      山田 武

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橋本進吉
橋本進吉 はしもとしんきち 1882~1945 国語学者。福井県敦賀の生まれ。1906年(明治39)東京帝国大学文科大学言語学科を卒業。09年東京帝国大学文科大学助手、27年(昭和2)同助教授、29年同教授。43年退官。日本語の歴史的研究について多大の業績をあげたが、とくに音韻(→ 音韻論)の歴史の研究で有名。いわゆる「上代特殊仮名づかい」の研究によって、上代語の研究に大きな影響をあたえた。また、新しい文法体系を提唱し、彼の文法は「橋本文法」として、日本の学校でおしえられる国文法の指針となっている。

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上代特殊仮名遣
上代特殊仮名遣

じょうだいとくしゅかなづかい

  

奈良時代 (上代) の万葉がなの用法において,後世のいろは 47文字のかなでは区別されない「キ,ヒ,ミ,ケ,ヘ,メ,コ,ソ,ト,ノ,モ (『古事記』で) ,ヨ,ロ」およびその濁音「ギ,ビ,ゲ,ベ,ゴ,ゾ,ド」にそれぞれ2種類あり,整然とした使い分けのされている事実をさす。通例その2類の別を甲類,乙類という。いろは 47仮名でも区別されていないかなの使い分けなので「特殊」仮名遣の名がある。本居宣長がその一部に気づき,石塚龍麿がその全体的な研究を行なったが,それをあらためて組織的に研究し,それが当時の発音の区別に基づくものであることを明らかにしたのは橋本進吉である。甲類,乙類の書き分けの事実は問題ないが,その音韻論的解釈およびその音価推定には諸説がある。解釈上の最も大きな相違点は,甲乙の対立をすべて母音の対立とみて8母音を立てる (/i,e,a,o,u,,,/) 説と,イ列,エ列の甲乙は子音の口蓋化の有無の対立とみて6母音を立てる (/i,e,a,o,u,/) 説 (服部四郎) ,そしてさらにオ列の甲乙は音韻的に区別がないとして5母音/i,e,a,o,u/を立てる説 (松本克己) とがある。8母音説はイ列,エ列の乙類の母音をそれぞれ ,で翻字したローマ字をそのまま音価と誤認したのが起源のようで,言語学的根拠はないといわざるをえない。橋本・有坂秀世は8母音説のようにみえるけれども,イ列,エ列の乙類を二重母音とするもので,音韻論的解釈によっては有坂の説は6母音説になりうる。5母音説は,少数ではあるが,明らかに存する/o/と//の対立を無視する点,オ列甲類・乙類のかなの中国語原音に明瞭な区別のあるのを無視する点などで成り立ちがたい。





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上代特殊仮名遣い
じょうだいとくしゅかなづかい

奈良時代およびそれ以前の万葉仮名の使用に見いだされる,特殊な仮名遣い。平安時代の平仮名,片仮名では区別して書き分けることのない仮名〈き・ひ・み〉〈け・へ・め〉〈こ・そ・と・の・よ・ろ〉(《古事記》では〈も〉も)と〈え〉の13(《古事記》では14)と,それらのうち濁音のあるもの〈ぎ・び〉〈げ・べ〉〈ご・ぞ・ど〉の7に当たる万葉仮名に,甲・乙2類があって,語によってこの2類は厳格に区別して用いられた事実を指す。たとえば,〈き〉に当たる万葉仮名は,〈支・伎・岐・吉・企・枳・寸・来〉などの一群が〈き〉の甲類と呼ばれ,〈秋(あき)〉〈君(きみ)〉〈衣(きぬ)〉〈著(きる)〉などの〈き〉を表し,〈幾・忌・紀・奇・帰・木・城〉などの一群が〈き〉の乙類と呼ばれ,〈木(き)〉〈月(つき)〉〈霧(きり)〉などの〈き〉を表す。そして同じ語を表すのに,甲・乙どちらか一方の字群の字を仮名として用いて混同しなかった。また甲類の〈き〉が連濁を生じて〈ぎ〉になる場合は〈ぎ〉の甲類で表し,乙類の〈ぎ〉は用いない。このことから甲・乙2類は体系的な音の違いに対応して使い分けられたものと考えられる。さらに動詞の四段活用連用形のイ段の仮名はかならず甲類のものを用い,上二段活用の未然形,連用形,命令形はかならず乙類のものを用いる。四段活用の命令形の〈け〉〈へ〉〈め〉は甲類,已然(いぜん)形は乙類である。同様に下二段活用未然形,連用形,命令形のエ段の仮名はいずれもかならず乙類,上一段活用のイ段の仮名はかならず甲類である。このように秩序だった区別が,時と所と書き手を異にする文献に一定して行われた事実は,後世の仮名遣いとは性格の違うものであって,発音自体が当時異なっていたために区別することができたと考えられる。したがって,同じ段の甲類は同一性格,同じ段の乙類もまた同一性格をもっていたと解釈される。結局,母音の〈イ〉〈エ〉〈オ〉に2種類あって,違いはそれらが子音を伴って音節をつくるときにのみ現れ,母音一つの音節〈ア・イ・ウ・エ・オ〉の場合には区別がなかったと考えるべきであろう。以上の事実をさらに同一語(もしくは同一語根,さらにはより小さな意味単位)において観察すると,〈心〉の場合〈こ〉の乙類同士が結合して,甲類の〈こ〉を交えないという法則性なども解明される。後世の仮名遣いとは異なるから,特殊仮名遣いと呼ばれるが,その呼称は,この事実を発見,提唱した橋本進吉の命名である。この事実の発見の端緒は,本居宣長(もとおりのりなが)の《古事記伝》にあり,その門人石塚竜麿(たつまろ)の《仮字遣奥山路(かなづかいおくのやまみち)》に継承されていたが,真価を認められず,橋本の再発見に至って,ようやく学界への寄与が認められた。また,オ列の乙類の音を主軸にして考えられる音節結合の法則性の発見は有坂秀世,池上禎造らによるもので,日本語の系統論に新しい知見を加えた。そこからさらに甲乙2類の母音を含めた古代日本語の母音全体の体系性におよぶ研究が展開しているが,一つ一つの母音の性質の解釈や相互の関係については,なお確定的な説は立てられていない。⇒万葉仮名      山田 俊雄

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付属語
付属語

ふぞくご

  

単語の二大分類の一つ。自立語の対語。 (1) 橋本進吉の術語。それ自身単独では文節を構成しえず,常に他の自立語を伴って文節をつくるもの。辞ともいう。これはさらに活用の有無により,助動詞と助詞に分けられる。 (2) 服部四郎は,単語である付属語を,単語以下の接辞である接合形式と区別するための一般言語学的基準として次の3つをあげている。 (a) 職能や語形替変の異なる種々の自立形式につく場合。たとえば「行くだろう」「行かないだろう」「行っただろう」の「だろう」。 (b) 2つの形式の間に別の単語が自由に現れうる場合。たとえば「赤くない」は「赤くはない」「赤くもない」ともいいうる。このときの「ない」。 (c) 結びついた2つの形式が互いに位置を取替えて現れうる場合。たとえば「私にだけ」は「私だけに」と入替えられる。この場合の「に」「だけ」。これらの基準によると,橋本の付属語の一部が単語とは認められない接辞となる。





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付属語
付属語 ふぞくご 国文法の用語で、それだけでは具体的な意味がきまらず、単独で文節をつくることができない語のこと。付属語のうち、活用する語を「助動詞」、活用しない語を「助詞」とよび、付属語としては助詞と助動詞以外にはない。付属語ではない語は「自立語」といわれる。

言語学では、具体的な内容をあらわさず、主として文法的な機能をあらわす語を「機能語」とよぶ。国文法の付属語と、言語学の機能語は、ほぼ同じような性質をもっているといえる。助動詞は、事柄が成立する時点や様態、事柄に対する話し手の判断などをあらわすし、助詞は、事物の働き(格助詞)、複数の事柄の間にある関係(副助詞)、事柄に対する話し手の判断(終助詞)などの文法的な機能をあらわしているから、機能語と同様の意味をあらわしている。

ただし、国文法では、「走っている」「おいてある」のような表現でもちいられる「いる」「ある」などを「補助動詞」あるいは「形式動詞」として分類し、これらを自立語だとしている。しかし、これらの表現中の「いる」「ある」は、事柄が進行中であることや、事柄の結果の状態という、文法的な機能をあらわしている。したがって、補助動詞を付属語ではなく自立語として分類することには、言語学的には問題がある。

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服部四郎
服部四郎

はっとりしろう

[生] 1908.5.29. 三重,亀山
[没] 1995.1.29. 神奈川,藤沢

  

言語学者。 1931年東京大学文学部言語学科卒業。 43年文学博士。 49年東京大学教授。 69年名誉教授。 71年文化功労者。 72年日本学士院会員。 75~77年日本言語学会会長。 82年第 13回国際言語学者会議 (東京) 会長。 83年文化勲章受章。研究領域は広く,音声学のほか,アルタイ諸語,中国語,ロシア語,アイヌ語などに及ぶ。これらの研究を通し,言語の共時論的記述の方法と歴史比較研究の方法を深めた。また多くの言語学者を育てるとともに,アメリカの言語学を実地に適用しつつ批判的に紹介し,日本における言語学の樹立に努めた。主著『音声学』 (1951) ,『日本語の系統』 (59) ,『言語学の方法』 (60) など。





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服部四郎
I プロローグ

服部四郎 はっとりしろう 1908~95 言語学者。日本語、アイヌ語、アルタイ諸語などの記述的研究をおこなうと同時に、独自の一般言語学理論を確立することによって、日本の言語学を指導した。

三重県亀山市に生まれ、1931年(昭和6)東京帝国大学文学部言語学科を卒業したのち、36年まで大学院に在籍した。その間、旧満州国に留学して、アルタイ諸語の研究に従事している。42年より東京帝国大学文学部言語学科助教授、49年には教授となり、69年の定年退官までその職にあった。72年日本学士院会員となり、83年文化勲章を受章。

II 日本語を体系的に探究

服部四郎は、モンゴル語や満州語などのアルタイ諸語、およびアイヌ語、琉球語などの記述的研究を精密な方法をもちいておこなった。と同時に、日本語の音韻(→ 音韻論)や意味を体系的に記述するための理論を探究した。「音声学」(1951)や「音韻論と正書法」(1951)などの著作、論文集「言語学の方法」(1960)などは、現代でも日本の言語学の研究者にとって重要な参考文献である。古代日本語の音韻や日本祖語に関する論考、さらには琉球語と日本語の同系性の証明などの業績もある。日本の言語学に独自の性格をあたえ、世界的水準にまで高めるためにはたした功績は大きく、東京大学在任中だけでなく、退官後に設立した東京言語研究所においても多くの優秀な後進をそだてた。

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接中辞
接中辞

せっちゅうじ
infix

  

接辞の一つ。挿入辞ともいう。語根の内部に挿入されてさまざまの意味を与える。たとえば,タガログ語/su:lat/ (筆記) に対して/sumu:lat/ (書いた人) では/-um-/が接中辞。アラビア語/yiktib/ (彼は書く) ,/tiktib/ (彼女は書く) では,/k-t-b/が語根で/yi-/と/ti-/が接頭辞,第2音節の/-i-/が接中辞とみられる。セム語族,マレー=ポリネシア語族,アメリカインディアン諸語などには現在も生産力のある接中辞がみられるが,インド=ヨーロッパ語族では,ラテン語 iugum (くびき) に対する iungo (私は結ぶ) の-n- などに祖語時代の名残りがみられるにすぎない。この例では iug- が語根,iung- が語幹,-oが活用語尾とされる。 (→接尾辞 )  





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接尾辞
接尾辞

せつびじ
suffix

  

接辞の一つ。それ自身単独で発話されることがなく,常に語根,語幹,自立語 (または自立語に音形も意味もよく似た形態素 ) に後接して派生語を形成する形態素をいう。 (1) 「子供-たち」,(2) 「人間-的」,(3) 「高-さ」,(4) 「春-めく」などがその例。 (1) では,もとの自立語と品詞は同じままで,新しい意義特徴が加わっている。 (2) は漢語からの接尾辞であるが,もとの自立語とは文法的機能を異にしている。 (3) では,もとの形容詞 (またはその語根かつ語幹) から名詞を派生している。 (4) では,名詞から動詞を派生している。ただし,接尾辞を語幹と語尾に区別するとすれば,「-めく」の-meが語幹形成の接尾辞で,-kuが活用語尾となる。 cat-sや high-erも広義の接尾辞であるが,狭義では語尾である。なお,国語学では,接尾辞の代りに「接尾語」と呼ぶことが多い。





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接尾語
接尾語 せつびご 語のあとにつけて、語の品詞をかえたり、語があらわす意味に新しい意味をつけくわえたりする働きをする語。かならず他の語とともにもちいられ、語としての独立性をもたないことから、「接尾辞」とよばれて通常の語とは区別されることもある。

日本語の接尾語は種類が多い。「大きさ」「広さ」にみられる接尾語「さ」は、「大きい」「広い」という形容詞の語幹につけて名詞をつくる。「愛する」「罰する」にみられる接尾語「する」は、名詞のあとにつけて動詞をつくる。「心理的」「学問的」にみられる「的」は、名詞のあとにつけて形容動詞の語幹をつくる。「山田さん」「部長さん」にみられる「さん」は、固有名詞や役職などの名詞のあとにつけて、これらの名詞の人に対する敬意をあらわす。

接尾語の「さ」はすべての形容詞から名詞をつくることができるし、「する」も、ひじょうに多くの名詞から動詞をつくることができる。「的」は抽象名詞につけて形容動詞の語幹をつくるのが原則だが、最近では「私的には」「値段的には」のように形容動詞ではない表現もつくられるようになっている。このように、日本語の接尾語が新しい語をつくる力は大きい。

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派生語
派生語

はせいご
derivative

  

自立語に音も意味もよく似た語基に (派生) 接辞が接合してできている単語。「オ-すし」「ぼく-タチ」「見-サセ-る」,quick-lyなどがその例。派生は語形替変に比べて,各単語ごとの特性が強く,不規則な点が多いこと,品詞を変えることがある (quickと quick-ly) ことが目立つ。また日本語では一般に活用接辞 (る) のほうが派生接辞 (-サセ-) の外側につき,かつ「見る」とその派生語「見サセる」は同じ活用をする。





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形態音韻論
形態音韻論

けいたいおんいんろん

  

音韻論と形態論をつなぐレベル。語形替変および派生において,同一の形態素と認めうる諸形式における音韻の交替を研究する分野。そのような交替を示す音素,あるいはその交替を表示する抽象的単位を形態音素という。日本語の活用における/kacu/ (勝つ) ~/katanai/ (勝たない) の/c~t/,/kasita/ (貸した) と/toNda/ (飛んだ) の/t~d/や/kuni/ (国) ~/kuniuni/ (国々) の/k~/ (連濁) ,さらに /'ame/ (雨) ~/ ' amaasa/ (雨傘) の/e~a/などや,英語の複数を表わす形態素/s/ /z/ /iz/ (cats,dogs,roses) などが例。また,ウラル語族,アルタイ諸語などにみられる母音調和も形態音韻論的事実である。音韻論とはレベルが異なるものであり,形態音韻論的交替があっても,そのおのおのにおける音韻の対立は依然として保たれている。生成音韻論は,従来の形態音韻論と音韻論を合せたものにほぼ相当する。





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[ブリタニカ国際大百科事典 小項目版 2008]
形態音素
形態音素

けいたいおんそ
morphophoneme

  

形態,すなわち語形替変と語形成において,同一と認定しうる形態素において交替をみせる音素,あるいはその交替に基づいて立てた抽象的単位をいう。英語の knifeの単数形と複数形の交替 (または ) における/f~v/などがそれ。f/v,ないし代表形でFなどとも表わす。このとき なる形を設けて,この全体を形態音素という人もある。生成音韻論の基底表示 underlying representationは,この後者のレベルに近いものである。





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母音調和
母音調和

ぼいんちょうわ
vowel harmony

  

同一形態論的単位内の母音の配列の制限規則をさす。歴史的には,調音上の同化が原因と考えられる。ウラル語族やアルタイ諸語に顕著な現象。典型的な例はトルコ語で,/i,e,,; ,a,u,o/の8母音が,舌の調和 (男性〈奥舌〉母音と女性〈前舌〉母音は共存しない) を中心に唇の調和 (丸口母音は丸口母音にしか続かない) ,顎の調和 (語尾の母音は広母音と狭母音の間で交替を示さない) という規則に従う。 ev (家) ,at (馬) ,gz (目) ,buz (氷) に「の」を表わす接辞をつけると,ev-in,at-n,gz-n,buz-unと/-in~-n~-n~-un/ (顎の調和) ,複数の接辞をつけると ev-ler,at-lar,gz-ler,buz-larとなり/-ler~-lar/ (舌の調和) の形態音韻論的交替を示す。モンゴル語は男性 (広) 母音/a,o,u/と女性 (狭) 母音/(=e),,/が共存せず,中性母音/i/はいずれとも共存しうるという構造をなしている。トルコ語をはじめとするチュルク諸語が主としてもつタイプは「後舌・前舌母音調和」ないし「垂直的母音調和」という。モンゴル語のカルムイク語もこのタイプ。一方,(ハルハ) モンゴル語やツングース語のものは「広・狭母音調和」ないし「水平的母音調和」という。日本語も上代では母音調和の痕跡とされる現象がみられる。またアフリカ諸語やアメリカインディアン諸語のいくつかにも母音調和がある。





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母音調和
ぼいんちょうわ vowel harmony

語を構成する音声において,母音の間に働く調音的統制。一つの語を表す音声部分にあって,ある系列の母音のみが用いられる現象でウラル語族やアルタイ諸語などに見うけられる。母音調和には,(1)同一母音を用いる完全調和と,(2)同一特徴の母音を用いる部分調和とがある。
 (1)完全調和の例として,フィンランド語の入格語尾〈…の中へ〉がある。talo‐on〈家の中へ〉,muna‐an〈卵の中へ〉,tyttÅ‐Ån〈少女の中へ〉のように,語幹末の母音を繰り返してから‐n をつける。(2)部分調和としてフィンランド語では舌の前後の位置が調和の規準特徴となる。このため母音は,(a)前舌群/y,Å[φ],∵[a]/と,(b)後舌群/u,o,a[ソ]/に分かれ,両群は同一の単語内で共起することが許されない。したがって,語尾も前舌母音用のものと後舌母音用のものに分かれている。例:talo‐ssa〈家の中に〉では後舌群,kyl∵‐ss∵〈村の中に〉では前舌群の母音のみが現れる。前者には後舌用の‐ssa,後者には前舌用の‐ss∵ の内格語尾〈…の中に〉が付加されている。なお前述の母音のほかに,(c)中立群/i,e/がある。これらは本質的には前舌群であるが,後舌群とも結合することができる。tiet∵‐∵〈知る〉という動詞には,前舌用の第1不定詞語尾‐∵ がついているが,この語から派生した名詞形 tieto〈知識〉には後舌母音o が用いられている。
 ハンガリー語(方言)でも母音は同じく,(a)前舌群/‰[y],Å[φ],ズ/と,(b)後舌群/u,o,a[ギ]/,それに(c)中立群/i,e/の3グループに分かれている。例:後舌母音のみ tanul¬〈生徒〉,前舌母音のみ t‰kÅr〈かがみ〉,中立母音と後舌母音から ceruza〈鉛筆〉,中立母音と前舌母音から rÅvid〈短い〉。そして内格語尾〈…の中に〉では,前舌用が‐be,後舌用が‐ba である。例:ajt¬‐ba〈ドアの中に〉,t‰kÅr‐be〈かがみの中に〉。しかし向格語尾〈…の方へ〉では,asztal‐hez〈テーブルの方へ〉,ajt¬‐hoz〈ドアの方へ〉,t‰kÅr‐hÅz〈かがみの方へ〉と,非円唇用‐hez,円唇後舌用‐hoz,円唇前舌用‐hÅz と3種類が用意されていて,ここに非円唇と円唇という円唇性の規準が母音調和に加わっている。
 アルタイ系のトルコ語の母音では,前舌性と円唇性の規準特徴が厳しく守られている。トルコ語は前舌非円唇/i,e/,前舌円唇/Å,‰/,後舌非円唇/そ[セ],a/,後舌円唇/o,u/の8母音をもっている。このため属格語尾には,前舌非円唇用‐in,前舌円唇用‐‰n,後舌非円唇用‐そn,後舌円唇用‐un の4種類がある。例:ev‐in〈家の〉,gÅz‐‰n〈目の〉,kitab‐そn〈本の〉,kol‐un〈腕の〉。ただし,位置格語尾〈…に〉は前舌用‐de と後舌用‐da の2種類のみで前舌性の特徴だけが作用している。例:ev‐de〈家の中に〉,gÅz‐de〈目の中に〉,kitap‐ta〈本の中に〉,kol‐da〈腕の中に〉となる。
 ベーリング海峡の近くで話されている旧アジア諸語の一つチュクチ語では,母音が弱音(高母音)/i,u,e/と強音(低母音)/e,o,a/に分かれ,これに/ト/が加わっている。語幹にしろ接辞にしろ1語の中に強母音が現れれば他の母音も強に統一される。たとえば具格〈…で〉の場合,qora‐ta〈トナカイで〉(強),milute‐te〈うさぎで〉(弱)のように語幹の母音が具格語尾の母音を指定している。だが奪格形では,melota‐jpト〈うさぎから〉のように奪格語尾‐jpト の母音/ト/が語幹母音を強に変える。
 中期朝鮮語においても母音調和の支配が認められる。sarネm‐ネr〈人を〉,gトbub‐セr〈亀を〉のように陽の母音/a,o,ネ/と陰の母音/ト,u,セ/の区別があり,対格語尾に陽の語尾‐ネr と陰の語尾‐セrの2種が語幹の母音によって使い分けされている。
 古代日本語でも〈オ〉に甲類の/o/と乙類の/Å/の別があって,乙類の/Å/は/mÅtÅ/〈本〉のように甲類の/o/とは結合しないので,母音調和の痕跡ではないかと考えられている。要するに,母音調和は順行同化の一種と見なされるが,そこでは語幹内の母音がその後に同じ系列の母音を指定する働きをもっている。             小泉 保

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母音
母音

ぼいん
vowel

  

子音の対となる音であるが,音声学的に両者を截断することはかなりむずかしい。音節主音となるもの,きこえの大きいものなどの諸説があるが,口むろや咽頭の調音点で閉鎖や狭いせばめの起らない音,ただし,[h][]や半母音の[j][w]などは含まない,とする説が普通。しかし,結局はその言語において,音韻論的にみて母音にあたる音声であるかどうかという観点を導入しなければ決められない。 K.パイクは vowelを音韻論的母音の,vocoidを音声学的母音の術語として用いているが,これによると vocoidは,空気が舌の中央を通って口から流れ去る際,口において摩擦的噪音を生じない音をさし,[h][][j][w]など,普通は母音とされていない音も vocoidに含まれることになる。母音は,一般に舌の前後および高低の位置と唇の丸めの有無によって分類される。たとえば[u]は,円唇・奥舌・狭母音である。





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母音
ぼいん vowel

声道(声門より上の咽頭,口腔,鼻腔を含めた部分)において,流れ出る空気が妨害されることなく発せられる言語音。口の開きや舌の構えの変化にともなって,口腔内に作られる共鳴室の形状により音質が定まる。これは声道において流れ出る空気の妨害が行われる子音とは区別される。調音的に母音は,(1)舌の形,(2)唇の丸め,(3)軟口蓋の位置により分類される。
(1)舌の形は,(a)舌の位置が口蓋に最も近いものを高母音 high,遠いものを低母音 low とし,その中間を中母音 mid とする。また,(b)舌の最高点が唇の方へ寄っているものを前舌母音 front,奥へ引っ込んでいるものを後舌母音 back とし,その中間を中舌母音 central という。
(2)(a)唇が丸められたものを円唇母音 rounded,唇が両わきに広げられたものを非円唇母音unrounded と呼ぶ。例えば,非円唇前舌高母音は[i],円唇後舌高母音は[u]に相当する。また,非円唇の前舌低母音は[a]で,舌を後ろへ引いた後舌低母音は[ソ]で表される。いま上述の4母音を四隅に配置して線で結べば図のような母音四角形ができる。
 さて,高母音と低母音の間を3等分すれば,非円唇の前舌母音では高め中の[e]と低め中の[ズ]が定まり,円唇の後舌母音では高め中の[o]と低め中の[タ]が作られる。いま,舌を非円唇前舌の[i][e][ズ]の構えにして唇を丸めると,それぞれに対応する円唇前舌母音[y][φ][せ]が発せられる。これらはフランス語の lune[lyn]〈月〉,bleu[blφ]〈青い〉,neuf[nせf]〈新しい〉に現れる。なお,円唇後舌高母音の[u]において唇を非円唇に改めれば[セ]となり,日本語の〈ウ〉がこれに当たる。いま,前舌高母音[i]の舌の位置を少し後ろへ退かせれば中舌の[ゾ]となる。これはロシア語の[jトzゾk]〈舌〉の語の中に出てくる。逆に後舌高母音の[u]の舌の位置を少し前へ押し出すと中舌の[ダ]ができる。これはノルウェー語の[hダs]〈家〉の語に現れる。さらに舌の位置を中舌に置いてその高さを中にしておけば中舌中母音[ト]が生じる。この際,舌先をそらすとそり舌の中舌中母音[ヅ]が作られる。英語の bird〈鳥〉では,英音は[bトビd]であるが,米音は[bヅビd]と発音される。また,英語では,舌が[i]と[e]の間にくる低め高の[㏍]と,[u]と[o]の間にくる低め高の[㊦]が用いられている。例:pit[p㏍t]〈穴〉,put[p㊦t]〈置く〉。さらに非円唇の後舌低母音の[ソ]を円唇に変えれば[ギ]となる。hot〈あつい〉は米音では[hソt]であるが,英音では[hギt]と発音される。
(3)の軟口蓋の位置であるが,まず,(a)軟口蓋の後部を上げれば鼻腔への通路が閉じ,口からのみ息が出る。このようにして発する母音を口母音oral と呼ぶ。(b)これに対し,軟口蓋を下げると鼻腔への通路が開き,息は口と鼻の両方から出る。これを鼻母音 nasal という。鼻母音は母音の音声記号の上に~形をつけて表す。フランス語の paix[pズ]〈平和〉の[ズ]は口母音であるが,pain[p8]〈パン〉の[8]は鼻母音である。また,舌が低母音[a]の構えから出発して低め高母音の[㏍]へ向かって移動するとき二重母音[a㏍]が出る。このように連続した母音において舌の位置が変化するものを二重母音という。例:英語の light[la㏍t]〈光〉,house[ha㊦s]〈家〉。
 音響的には,母音ではスペクトログラムに明瞭(めいりよう)なフォルマントの横じまが現れる。第1フォルマントは[i][e][a]の順に高くなり,[a][o][u]の順に低くなる。第2フォルマントは[i][e][a][o][u]の順に低くなる。母音の音質はこれら二つのフォルマントの分布により決定される。もし第1フォルマントと第2フォルマントの間の距離が広ければ散音 diffuse,狭ければ密音 compact と呼ばれるが,ほぼ散音が高母音に,密音が低母音に対応する。また,第2フォルマントの位置の高いものを鋭音 acute,低いものを鈍音 grave というが,鋭音は前舌母音,鈍音は後舌母音に相当する。ただし,円唇母音ほど第2フォルマントが低くなる。前舌母音では舌が硬口蓋へ向かって上がるので口腔内が二分されるため高い音(鋭音)となるが,後舌母音では舌が軟口蓋へ向かって上がるため,その前に長い共鳴室ができる。そのため低い音(鈍音)となる。⇒音声学∥母音調和∥母音変化
                         小泉 保

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母音
I プロローグ

母音 ぼいん Vowel 肺からだされる空気が妨害をうけることなくつくられる音のこと。これに対して、肺からでる気流がなんらかのかたちで妨害をうけてつくられる音のことを子音という。日本語の「あ、い、う、え、お」の音は母音である。

II 口母音と鼻母音

母音は、大きく口母音と鼻母音に分類される。母音のうち鼻腔に気流がながれないのが口母音で、鼻腔に気流がながれるのが鼻母音である。日本語の「あ、い、う、え、お」の母音は口母音だが、フランス語のenfant(子供)、simple(単純な)でen、an、imとつづられる母音は鼻母音である。日本語でも「しんあい(親愛)」や「でんえん(田園)」などの単語の「ん」の音は、鼻母音で発音される。

III 舌の位置と唇の形による分類

母音はまた、発音するときの舌の位置と唇の形によっても分類される。

舌の位置が高いものを高母音、低いものを低母音とよぶ。舌の位置が高くなると唇の開きはせまくなり、低くなると広くなるので、高母音は狭母音、低母音は広母音ともよばれる。舌の位置が高母音と低母音の中間の母音は、中母音(または半広母音、半狭母音)とよばれる。

舌の高くなる位置が口の前のほうによっている母音は前舌母音、口の奥のほうによっている母音は後舌母音、前舌母音と後舌母音の中間の位置で舌が高くなる母音を中舌母音とよぶ。

日本語の「あ」は低母音、「い」は高母音で前舌母音、「う」は高母音で後舌母音、「え」は中母音で前舌母音、「お」は中母音で後舌母音である。英語でcollect(集める)のo、sofa(ソファー)のaにみられるいわゆる曖昧(あいまい)母音は、中舌母音として発音される。

唇をまるめて発音する母音は円唇母音、唇をまるめないで発音する母音は非円唇母音に分類される。日本語の母音のうち「お」は円唇母音だが、それ以外の母音は非円唇母音である。フランス語のlune(月)やbleu(青い)でu、euとつづられる母音は、円唇母音である。

→ 音韻論:音声学

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半母音
半母音

はんぼいん
semivowel

  

調音が母音とよく似ていながら,それ自身では音節をつくりえず,わたり的である音。半子音の名称も同義で使われることがある。日本語のヤ行 (矢[ja]) の[j],ワ (輪[wa]) の[w],フランス語の nuit[nчi]「夜」の[ч]がそれ。これらに対応する母音は,それぞれ[i],[u] ([]) ,[y]である。「矢」の[j]は,ドイツ語の ja[ja:]「はい,ええ」の[j]ほど,また「輪」の[w]は,フランス語の oie[wa]「雁」の[w]ほど,せばめが著しくないのが特徴。





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K.パイク
同化
ウラル語族
ウラル語族

ウラルごぞく
Uralic languages

  

フィン=ウゴル語派とサモイェード語派から成る。前者は,(1) フィンランド語,カレリア語,ウォート語,ウェプセ語,エストニア語,リーウ語のバルト=フィン諸語,(2) サミ語,(3) モルドウィン語とマリ語のボルガ=フィン諸語,(4) ウドムルト語とコミ語のペルム諸語の4群から成るフィン語派と,(1) ハンティ語とマンシ語のオビ=ウゴル諸語,(2) ハンガリー語の2群から成るウゴル語派に下位区分される。後者すなわちサモイェード語派は,(1) ネネツ語,エネツ語,ガナサン語の北部サモイェード諸語,(2) セリクプ語とカマス語の南部サモイェード諸語に下位区分される。これらの諸語とアルタイ諸語やインド=ヨーロッパ語族との同系説を唱える人もあるが,証明ができているわけではない。ウラル祖語は印欧祖語と同様,前 3000年頃に行われていたと推定される。






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ウラル語族
ウラルごぞく Uralic

北欧からウラル山脈の東側にわたる北ロシアと西シベリアの一部および東欧の一角で話されている言語。ウラル語族はまずフィン・ウゴル語派とサモエード諸語に大別される。さらにフィン・ウゴル語派は,バルト・フィン諸語 Balto‐Finnic(フィンランド語,カレリア語,エストニア語,ボート語ほか)やモルドビン語,チェレミス語(マリ語),ボチャーク語(ウドムルト語),ジリャン語(コミ語)などを含むフィン語派 Finnic と,ハンガリー語,ボグル語(マンシ語),オスチャーク語(ハンティ語)などを含むウゴル語派 Ugrian に区分される(図)。これら言語の間には基本的語彙に厳密な音韻の対応が見られる。フィンランド語,モルドビン語,チェレミス語,ジリャン語,ハンガリー語からの例をとれば,表にみるように語頭の k‐と v‐,語中の‐t‐が対応している。
 フィン・ウゴル祖語の音韻は単純で,子音には閉鎖音 p,t,k,摩擦音 w,δ[め],s,$[∫],j,γ,破擦音 ∴[t∫],鼻音 m,n,ペ,流音 l,r,硬口蓋音δア,sア,cア[tsア],nア,lア がある。母音には前舌の i,e,∵[a],‰[y]と後舌の u,o,a[ピ],長母音  ̄,^,ヾ,仝 を認める説が有力である。語頭には一つの子音しか許されず,子音群(子音の連続)は語中にのみ現れる。いま子音を C,母音を V とすれば,ウラル語の基本的な語の構造は CVCV かCVCCV である。語末の母音は a,∵,e の三つで,ある一つの語のなかでは,後舌の語幹母音の後には a か e だけが,前舌の語幹母音の後には ∵ か e だけが立つ。これが母音調和の原型で,現在もフィンランド語,南エストニア語,チェレミス語,東オスチャーク語とハンガリー語が母音調和の支配を受けている。
 ウラル語の形態的特徴としては多様な名詞の格変化がある。フィンランド語の名詞が15格,ジリャン語が17格,ハンガリー語は20格以上に変化する。祖語では,主格語尾がゼロ,属格語尾が*‐n,対格語尾が*‐m,位置格語尾が*‐na/*‐n∵,方向格の離去語尾が*‐ta/*‐t∵,近接語尾が*‐k および*‐nア と推定される。代名詞は名詞の後では所有語尾,動詞の後では人称語尾となった。〈私の家〉はフィンランド語では talo‐ni,モルドビン語では kudo‐m と名詞の語末に所有語尾が付加される。〈私が来る〉はフィンランド語 tule‐n,チェレミス語 tola‐m と語末に人称語尾をとる。語順は〈主語+目的語+動詞〉の型がチェレミス語,オスチャーク語,ボグル語に見られ,他は〈主語+動詞+目的語〉の配列をなす。
 ウラル語族のうち最古の文献は,ハンガリー語で13世紀初め,ジリャン語が14世紀,フィンランド語とエストニア語では16世紀に出ている。他の言語は最近になって正書法が確立された。ウラル語の原郷はボルガ川の支流でウラル山脈に迫るカマ川の流域(現在のウドムルト共和国)付近と想定する学者が多い。系統的には形態面がアルタイ諸語に似ているため,ウラル・アルタイ語族が主張されたが,両者は区別されるべき語族である。ほかにインド・ヨーロッパ語族やユカギール語との関連が指摘されている。ウラル語の研究はフィンランドの E. N. セタラ,P. ラビラ,E. イトコネンおよびハンガリーのシンニェイ Szinnyei J.,ハイドゥー Haid⇔ P.,ドイツのシュタイニッツ W.Steinitz,スウェーデンのコリンデル B. Collinderなどの学者により推進されてきたが,最近はロシア連邦内の少数民族の研究者が文法や方言の記述を手がけるようになった。        小泉 保

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ウラル語族
ウラル語族 ウラルごぞく Uralic Languages 北ユーラシアの広大な地域で多くの民族によって話される語族。ふつう、フィン・ウゴル語派とサモエード語派の2つの下位語派にわけられ、フィン・ウゴル語派はさらにフィン語派とウゴル語派にわけられる。フィン語派は、フィンランド語、エストニア語、カレリヤ語、リーブ語(同じリーブ語とよばれるラトヴィア語の方言とは別)、ベプス語、チェレミス語、モルドビン語、ボチャーク語、ジリャン語、サーミ語をふくむ。ウゴル語派は、ハンガリー語、オスチャーク語、ボグル語をふくむ。サモエード語派は東北シベリアのサモエード諸族の諸言語をふくむ。

かつてアルタイ諸語とウラル語族とをむすびつけてウラル・アルタイ語族という大語族をみとめる考え方もあったが、現代では、この2つの語族の間に明確な親縁関係をみとめることができず、別個の語族としている。

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フィン=ウゴル語派
フィン=ウゴル語派

フィン=ウゴルごは
Finno-Ugric languages

  

サモイェード語派とともにウラル語族を2分する一語派。フィン語派とウゴル語派に分れる。前者はバルト=フィン諸語,サミ語,ボルガ=フィン諸語,ペルム諸語から,後者はオビ=ウゴル諸語とハンガリー語とから成る。東はノルウェーから西はシベリアのオビ川流域にかけて広く行われ,話し手は 2000万人をこえる。なおサモイェード語派の話し手が少く,またそれとの同系が確立したのが比較的新しいため,フィン=ウゴル語族という名称がウラル語族全体をさすのに用いられることもある。言語の特性としては,膠着語的であること,所有人称接尾辞があること,場所を示す格が豊富であることなど。母音調和や子音の階程交替 (例:フィンランド語 kukka「花」/kukan「花の,」における kk:kの交替) は必ずしもすべての言語にそろっているわけではない。語彙的には借用語に特色があり,近隣の非ウラル系民族との歴史的なさまざまな接触の過程を反映している。





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フィン・ウゴル語派
フィンウゴルごは Finno‐Ugric

ウラル語族はフィン・ウゴル語派とサモエード諸語に大別され,前者はさらにフィン系とウゴル系に分かれる。フィン系にはバルト・フィン諸語,ラップ語(サーミ語),モルドビン語,チェレミス語(マリ語),ジリャン語(コミ語),ボチャーク語(ウドムルト語)があり,バルト・フィン諸語はフィンランド語,エストニア語,カレリア語,ベプス語,リーブ語,ボート語を含む。ウゴル系はハンガリー語とオビ・ウゴル語に分かれ,後者はオスチャーク語(ハンティ語)とボグル語(マンシ語)から成る。        小泉 保

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フィン・ウゴル語派
I プロローグ

フィン・ウゴル語派 フィンウゴルごは Finno-Ugric Languages ウラル語族の下位語派で、スカンディナビア北部、東ヨーロッパ、北西アジアの各地域で約2500万人によって話されている。北西シベリアで話されるサモエード諸語とともにウラル語族を形成する。フィン・ウゴル語派は、ふつうフィン語派(フィン・ペルム諸語ともいう)とウゴル語派にわかれる。フィン諸語は、フィンランドのフィンランド語とエストニアのエストニア語をふくみ、ウゴル諸語には、ハンガリーと隣接諸国のハンガリー人によって話されるハンガリー語(マジャール語ともいう)がふくまれる。

II 分類

またフィン語派には、かつてのソビエト連邦におけるいくつかの小さい言語もふくまれる。このうち、フィンランド語と近い親族関係にあるカレリヤ語は、ロシアのカレリヤ共和国でロシア語やフィンランド語とならんでもちいられている。リーブ語は現在事実上消滅した(リーブ人はラトビア人に吸収され、リーブ語という言葉は非ウラル語のラトビア語の一方言をさす場合がある)。ベプス語はオネガ湖の近くで、また、マリ語(別名チェレミス語)とモルドビン語はボルガ川中流地域で話されている。ウドムルト語(別名ボチャーク語)とコミ語(別名ジリャン語)は、ロシアの北東ヨーロッパ部の広大な地域にひろく点在する小グループによって話されている。ただし、ウドムルト語とコミ語は、フィン・ウゴル語派のペルム下位語派として別にみなされることもある。

北ヨーロッパのサーミランドにひろがってわずかずつ居住するサーミ人が話す約15の言語も、フィン諸語に分類される。ウゴル語派にはハンガリー語のほかに、オスチャーク語とボグル語の2つの小言語がふくまれ、これらは北東シベリアのオビ川渓谷で話される。

III 特徴

一般にフィン・ウゴル諸語の特徴としてよくあげられるのは、母音調和と、2種類の語幹子音の交替をしめす階程交替であり、類型的には膠着語である。フィン・ウゴル語派と、他の語族、とくにアルタイ語族のチュルク語派やインド・ヨーロッパ語族の言語とをむすびつけようとする試みは、類似性の証拠をしめしはしたが、親族関係を証明するにはいたっていない。フィン・ウゴル祖語は、イラン語との接触を通じて豊かになり、その後、フィン諸語はゲルマン語派やスラブ語派(とくにロシア語)の言語から単語を借用した。ハンガリー語はドイツ語、イタリア語、ラテン語、スラブ諸語、トルコ語から影響をうけている。

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サモイェード語派
サモイェード語派

サモイェードごは
Samoyedic languages

  

フィン=ウゴル語派とともにウラル語族を形成している諸言語。北部サモイェード諸語と南部サモイェード諸語に大別される。北部のほうは,北ドビナ川からエニセイ川にかけて約3万人の話し手をもつネネツ語,タイムイル半島で約 1000人が話しているガナサン語,エニセイ河口に約 200人が使っているエネツ語から成る。南部に属するのは,タズ川とオビ川中流地域のセリクプ語 (3000人) と,サヤン山脈のカマス語である。カマス語はすでに絶滅したという報告もある。サモイェード語派の研究はフィンランド,ハンガリー,旧ソ連の学者によって推進されている。





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サモエード諸語
サモエードしょご Samoyed

ウラル語族はフィン・ウゴル語派とサモエード語派に大別される。後者に属する言語群をサモエード諸語という。サモエード語派は北方語群と南方語群に分かれる。
 ロシアにおける現在の公称と括弧内に従来用いられた旧称をあげれば,北方語群には(1)ネネツNenets 語(ユラク・サモエード Yurak‐Samoyed語),(2)エネツ Enets 語(エニセイ・サモエードYenisei‐Samoyed 語),(3)ガナサン Nganasan 語(タウギ・サモエード Tavgi‐Samoyed 語)がある。ネネツ語は北東ヨーロッパから西シベリアの北極海沿い,北ドビナ川からエニセイ河口にわたる広い地域で約2万9000人によって話されている(ネネツ族)。行政的にはネネツ自治管区とヤマロ・ネネツ自治管区に属する。ツンドラ方言と森林方言に分かれる。エネツ語はネネツ語に近く,エニセイ川下流のドゥジンカの南と北で話され,話者は300人あまりとされる。ガナサン語はタイミル半島すなわちタイミル自治管区で用いられ,言語人口は1000人あまりである。
 また南方語群は(4)セリクープ Sel’kup 語(オスチャーク・サモエード Ostyak‐Samoyed 語),(5)カマシ Kamassi 語(サヤン・サモエード Sayan‐Samoyed 語)から成る。セリクープ語は,東はエニセイ川から西はオビ川の中流にわたるあたり,北はタス川,南はケット川に至る地域で話されていて,タス,ティム,ケットなどの方言に分かれ,4300人あまりが用いている(セリクープ族)。カマシ語はかつて南部シベリアのサヤン山脈付近でも話されていたが今は消滅している。
 サモエード語はフィンランドのカストレン M. A.Castrレn が調査し,文典(1854)と辞典(1855)を著したが,現地人のプロコフィエフ G. N. Prokof’evも文法概説(1937)を書いている。フィンランドのレヒティサロ T. Lehtisalo やハンガリーのハイドゥー Hajd⇔ P.,ソ連のテレシチェンコ N. M.Tereshchenko らにより言語研究が進められ,口承文芸を中心とした豊富な言語資料が集められている。最近ではサモエード語の雑誌や文芸作品も出ている。
 言語の構造をみると,たとえばネネツ語には声門閉鎖音に無声/ボ/と有声/ホ/の別がある。例:/veボ/〈国〉,/veホ/〈犬〉。名詞は7格に変化し所有語尾をもつ。ジano‐da‐md〈君(が使うはず)のボートを〉では,予定変化語尾‐da‐の後に二人称単数の所有語尾の目的形‐md が付加されている。また名詞も述語変化をなす。例:man’ xan’ena‐mz’〈私は 狩人‐だった〉。語順は主語+目的語+動詞の順である。例:nis’a junpadar‐mボ pada〈父が 手紙‐を 書いた〉。         小泉 保

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ネネツ語
ネネツ語

ネネツご
Nenets language

  

ウラル語族のサモイェード語派に属する言語。北方ツンドラ地帯に約3万人の話し手がいる。ネネツは自称で,ユラーク=サモイェード語 (他称) ともいう。エネツ語 (エニセイ=サモイェード語) やガナサン語 (タウギ=サモイェード語) とともに北部サモイェード諸語にまとめられる。





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セリクプ語
セリクプ語

セリクプご
Sel'kup language

  

西シベリアのタズ川およびオビ川流域に住む,サモイェード (サモディ) 諸族の一民族セリクプ族の言語で,約 3000人の話し手がある。オスチャーク=サモイェード語ともいい,カマス語 (サヤン=サモイェード語) とともに南部サモイェード諸語にまとめられる。





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アルタイ諸語
アルタイ諸語

アルタイしょご
Altaic languages

  

チュルク諸語,モンゴル語,ツングース語の総称。この3つがアルタイ語族 Altaic familyを形成するか,あるいはアルタイ言語連合 Altaic Sprachbundを形成するにすぎないのかについては意見が分れている。言語構造は互いによく似ているが,その膠着語的性格のもつ規則性が逆に親族関係の確立を困難にしている。数詞なども著しい相違がみられる。また,日本語や朝鮮語との類似も指摘され,この2言語もアルタイ諸語に含める人もあるが,これらとの親族関係も未証明である。





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[ブリタニカ国際大百科事典 小項目版 2008]


アルタイ諸語
アルタイしょご Altaic

トルコ語などチュルク語族の諸言語,モンゴル語などモンゴル語族の諸言語,満州語などツングース語族の諸言語の総称。これらの諸言語が互いに親族関係にあってアルタイ語族をなすとの説が有力で,さらに朝鮮語や日本語をも含めた親族関係が問題にされることがある。分布地域は広く,一部で重なり合いながら東ヨーロッパからシベリアに及ぶが,チュルク諸語は中央アジアを中心に東ヨーロッパ,中国西部,シベリアの南部・中部などに話されており,モンゴル諸語はモンゴル,中国の内モンゴル地方を中心に,ボルガ川中流,アフガニスタン,シベリアのバイカル湖付近などに分布する。ツングース諸語は中国の新疆ウイグル自治区,東北地方などに一部話されているが,沿海州やシベリア中部から東部にかけて分布する。話し手の人口は詳細は不明ながら,チュルク諸語が5000万以上,モンゴル諸語は300万程度,ツングース諸語は10万またはそれ以下であろうといわれている。
[親族関係]  言語構造は互いによく類似し,ロシア語,イラン諸語,中国語など隣接の多くの言語と著しい対照を示すので,共通の祖語から分化してきた同じ系統の言語とする説が早くから主張されてきた。これらの諸言語は音韻や文法など言語構造の枠組みにおいては著しく類似しているが,構造の実質をなす形態素や基礎的な語彙に関しては,借用の疑いのあるものを除くと,祖語から受け継いできたと認めうる共通のものはきわめて少ないのが実情である。基礎的な語彙の中では代名詞が類似している点が注意をひくが,数詞はそれぞれの語族に独特であり,親族名称,人体部位の名称などには,形と意味の両面で類似する語はほとんどない。アルタイ諸語の場合,歴史的に常に密接な交渉をもち互いに影響し合ってきており,構造が似通っているうえに規則的で単純なので,文法要素をも含めて形式の借用は容易に行われえたであろう。構造が規則的で不規則形に乏しいことは,親族関係の証明には不利であり,著しい相互影響のもとで歴史的変遷をとげてきたことが問題をいっそう複雑にしている。親族関係を主張する学者の間でも,3語族の系譜的関係については,特にモンゴル語族といずれの語族とをより近いとみるかをめぐって一致した意見があるわけではない。また,〈アルタイ語族〉の中に朝鮮語を加えあるいは日本語を含める説があり,またフィンランド語やハンガリー語などのウラル語族との親族関係を仮定して〈ウラル・アルタイ語族〉をなすとの説もあるが,いずれも証明の確立した学問的な定説であるわけではない。
[構造上の特徴]  共通の特徴としてあげられるおもなものは次のようである。(1)単語の音韻構造は比較的簡単で,単語の始めに子音群が現れることはない。(2)X で始まる単語がない。X で始まる外国語の単語を借用する際には l や n などに置き換えた形や母音を補った形で受け入れるのが普通である。(3)母音調和の現象がみられる。母音が強母音,弱母音の2系列に分かれて対立し,ひとつの単語(付属語との連結を含む)の内部では,いずれか一方の系列の母音のみが現れ,両者が共存することがない。言語によってはどちらの系列の母音とも共存しうる中性母音をもつことがある。トルコ語の例――強母音 a,o,そ,u,弱母音 e,Å,i,‰。モンゴル語の例――強母音 a,o,u,弱母音 e,Å,‰,中性母音 i。ツングース語族エベンキ語の例――強母音 a,o,^,弱母音ト,中性母音 u,i。なお,母音の連続については例えば円唇母音など,現れ方にさらに制限がある場合がある。(4)単語の形は2音節以上であることが多い。語根が1音節でそのまま単語として用いられるものも多いが,語根が2音節以上の単語も多く,接尾辞や語尾が接合して2音節以上の形をもつ単語は圧倒的に多い。(5)単語の形態的構造はいわゆる膠着語的で,接頭辞や前置詞のような形式はなく,接尾辞の接合によって新しい語を構成し,曲用,活用などの文法現象も接尾辞や語尾の接合によって示され,後続の付属語や後置詞などとの連結によって諸種の文法機能,意味上の区別を表現する。これらの接尾辞,語尾,付属語は母音調和の規則に従うので,強母音,弱母音の系列の母音の違いによる交替形があるのが普通である。例えばトルコ語では,at(馬),ev(家)に対して at‐lar(馬,複数),ev‐ler(家,複数);at‐tan(馬から),ev‐den(家から);at‐そm(私の馬),ev‐im(私の家);at‐そm‐dan(私の馬から),ev‐im‐den(私の家から);at‐lar‐そm(私の馬,複),ev‐ler‐im(私の家,複);at‐lar‐そm‐dan(私の馬(複)から),ev‐ler‐im‐den(私の家(複)から)などのように構成する。また動詞 yaz‐(書く),sev‐in‐(喜ぶ。sev‐〈愛する〉)から派生する動詞語幹の接辞には yaz‐dそr‐(書かせる),yazdそr‐そl‐(書かされる);sevin‐dir‐(喜ばせる),sevindir‐il‐(喜ばされる)などのような交替形がある。なお,母音の連続に関する制限がある場合には,交替形の数がさらに多くなることがある。(6)名詞は文法的性の区別はないが,複数接辞,格語尾をとって曲用し,また所属人称語尾や所属反照語尾をとって所有や所属の関係を表現する。(7)形容詞は名詞に準じて曲用を行いうる。(8)動詞の活用体系は複雑で多くの活用形があるが,名詞に統合する連体形,述語に統合する連用形に多くの区別がある点に特色がある。(9)関係代名詞のようなものはなく,接続詞も十分発達してはいないが,動詞の連体形や連用形が主語や目的語,補語をとって従属文を導き主文との連結の役割を果たし,複雑な構造の文を構成する。(10)修飾語は被修飾語の前に立つ。(11)目的語や補語はそれを支配する動詞に先行する。(12)主語は他の成分より前に置かれ,述語は最後に位置して文を結ぶが,述語だけでも文をなすことができる。                 大江 孝男

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アルタイ諸語
I プロローグ

アルタイ諸語 アルタイしょご Altaic Languages 西はトルコ、東はオホーツク海にいたる広大なユーラシア地域で話される語族で、チュルク語派、モンゴル語派、ツングース語派の3つの下位語派からなる。学者によっては、朝鮮語と日本語、さらにアイヌ語をもこの語族にふくめる。

II チュルク語派

チュルク語派には次の5つの分派がある。(1)南西チュルク語またはオグズ語としても知られる南チュルク語群、(2)西チュルク語群またはキプチャク語群、(3)東チュルク語群またはカルルク語群、(4)北チュルク語群または東フン語群、(5)単独で一分派をなすボルガ河流域のチュバシ語。

南チュルク語群には以下の言語がふくまれる。トルコとバルカン半島で話され、チュルク語派の中でもっとも使用範囲のひろいトルコ語、アゼルバイジャンと北西イランのアゼルバイジャン語、トルクメニスタンを中心とする中央アジアのトルクメン語。西チュルク語群には、中央アジアのカザフ語とキルギス語、トルコ、バルカン諸国、中央アジア、中国で話されるタタール語がふくまれる。東チュルク語群には、ウズベキスタンを中心とする中央アジアのウズベク語、シンチアンウイグル自治区と中央アジア一部地域のウイグル語がふくまれ、北チュルク語群はサハ語(ヤクート語)、アルタイ語などシベリアで話される多くの言語からなる。

III モンゴル語派とツングース語派

モンゴル語派には、東シベリアのブリヤート語、主としてカスピ海沿岸のロシアで話されるカルムイク語、モンゴルで話され、この語派でもっとも使用範囲のひろいモンゴル語がはいる。ツングース語派の中で、満州語は、かつて中国でもっともひろく話されていた重要な言語だったが、今日ではほぼ死滅している。現代のツングース諸語には、中央シベリアとモンゴルで話されているエベンキ語(ツングース語)、東シベリアのエベン語(ラムート語)、東シベリアのナナイ語、シベリア北東部で話されるウデヘ語などがある。

IV 一般的特徴

アルタイ諸言語の一般的特徴は、接尾辞の膠着性(→ 膠着語)と、同一語内部で同じ音色の母音しか連続しないという母音調和であり、接尾辞の母音も語幹母音の音色と一致する。また性の区別をもたない。母音は多様だが、子音は比較的少ない。

かつては、アルタイ諸語とウラル語族とをむすびつけて、より大きなウラル・アルタイ語族にまとめようとする学者もいたが、今日ではそのような語族を仮定するには証拠が少なすぎると考えられている。

アルタイ諸語を話す民族の中には、4~13世紀にかけてヨーロッパに侵入したフン族やモンゴル族、また1644年から1912年まで中国を支配した清朝の満州族など、歴史的に重要なものがある。

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チュルク諸語
チュルク諸語

チュルクしょご
Turkic languages

  

トルコ共和国のトルコ語,およびそれと同系の諸言語をさす。中央アジア,中国のシンチヤン (新疆) ウイグル自治区,シベリアに広く分布している。話し手約1億人。主要言語は,トルコ語,アゼルバイジャン語,トルクメン語,ウズベク語,キルギス語,カザフ語,カラカルパク語,ノガイ語,クミク語,バシキール語,タタール語,トゥーバ語,ウイグル語,ヤクート語,チュバシ語など。この語族は言語的にかなり均質で,ただヤクート語,とりわけチュバシ語が他から著しく異なるだけである。文法構造上,膠着性を共通にもつ。母音調和もほとんどすべての言語に存在する。最古の文献は8世紀のオルホン碑文・エニセイ碑文であるが,それから現代諸言語への変化はそう大きくない。文字は 1920年代初めまでアラビア文字が使われたが,旧ソ連領内のトルコ族はローマ字を経て現代はロシア文字を使用。トルコ語もローマ字を使用し,アラビア文字は中国やイランなどのトルコ族が使っているだけである。チュルク諸語は,モンゴル語,ツングース語とともにアルタイ語族を形成するという見方が有力であるが,証明が完成しているとはいえない。





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チュルク諸語
チュルクしょご Turkic

広い意味のトルコ語。狭い意味のトルコ語がトルコ共和国語をさすのに対して,トルコ共和国語を含めて,アジア大陸,ヨーロッパ大陸に広く分布する同族のトルコ系諸言語のすべてをさす。ロシア語で,前者をトゥレツ Turets 語,後者をチュルクTyurk 語といって区別するのに当たる。西はバルカン,クリミア(ほぼ東経21ツ)からボルガ川中流地帯,中央アジア,シベリアおよび中華人民共和国の新疆ウイグル自治区,そして東はレナ川流域(ほぼ東経160ツ)に至る広大な地域に分布するが,話し手の数は約4000万(数え方にもよるが数の上では世界第10位)である。一つの独立国(トルコ共和国),旧ソ連邦から独立した5共和国(ウズベキスタン,カザフスタン,アゼルバイジャン,キルギスタン,トルクメニスタン),ロシア連邦内の4共和国(バシコルトスタン,タタールスタン,チュバシ,サハ(ヤクート)とウズベキスタン内のカラカルパクスタン自治共和国の主要言語。モンゴル諸語,ツングース諸語,朝鮮語とよく似ており,これらとアルタイ諸語を形成する。
 分布地域の広さの割に方言の違いが小さい。チュバシ方言,ヤクート方言を除けば,各方言の話し手は互いに会話ができるほどである。サモイロビッチ A. Samoilovi∴ によると,チュルク語はまず R 方言(t∞hh∞r〈九つ〉)と Z 方言(dokuz,tugトz〈九つ〉)とに分類される。前者にチュバシ語,後者にそれ以外のすべての方言が属する。Z 方言はさらに D 群(atak,adak,azak〈足〉)と Y 群(ayak〈足〉)とに分かれ,前者にヤクート,トゥバ(旧ソヨート,ウリヤンハイ),カラガス,ハカス,アバカン,ショルの各方言が,後者には残るすべての方言が属する。いわゆる〈オイロート語〉もこの後者に属する。
 チュルク語では,他のアルタイ諸語よりも一般に厳格な母音調和が行われている。トルコ共和国語(トルコ語)を例にすると,八つの母音音素が/a,o,そ,u/と/e,Å,i,‰/の二つの群に分かれ,それぞれに属する母音音素が互いに同一の文節内で共起することがない。ayak という語はありうる(し,現にある)が,ayek などという語はありえない。他のアルタイ諸語のように,どちらの群とも共起しうる第3の中立群はない。さらに,同一の文節内で,/u,‰,(o,Å)/は/u,‰,o,Å/の次にしかこないという制限がある。例:gÅr‐‰n‐d‰〈見えた〉(gÅr〈見る〉,gÅr‰n〈見える〉),bil‐in‐di〈知られた〉(bil〈知る〉,bilin〈知られる〉)。その上,語幹の最後の母音音素に応じて交替する接辞の母音音素が/u,‰,(o,Å)/と/a,e,(o,Å)/とに分かれ,それぞれに属する母音音素が互いに(接辞の内部で)共起することがない。例:bul‐du〈見つけた〉,gÅr‐d‰〈見た〉,al‐dそ〈取った〉,bil‐di〈知った〉,bul‐acak〈見つけるだろう〉,gÅr‐ecek〈見るだろう〉,al‐acak〈取るだろう〉,bil‐ecek〈知るだろう〉。
 人称を接辞で表すのは,他のアルタイ諸語にないわけではないが,チュルク語ではきわめて一般的である。チュバシ語を例にすれば,pull∞m〈わたしの魚〉,pullu〈お前の魚〉,pull∞m∞r〈わたしたちの魚〉,pull∞r〈お前たちまたはあなたの魚〉,pulli〈彼または彼らの魚〉。なお pull∞ は〈魚〉である。動詞では,kalaram〈わたしが言った〉,kalar∞n〈お前が…〉,kalar♂〈彼が…〉,kalar∞m∞r〈わたしたちが…〉,kalar∞r〈お前たちまたはあなたが…〉,kalar♂z〈彼らが…〉。語順は,主語→述語,客語→述語,修飾語→被修飾語の順で,日本語とまったく一致する。たとえば,ハカス語で,Min(私は)ib‐deペ(家‐から)pi∴ik(手紙(を))al‐dy‐m(受けとった〈私が〉);Ki∴ig(小さい)pala‐lar(子ども‐たち)となる。語彙(ごい)にはロシア語とアラビア語からの借用語が目だつ。前者は比較的新しいことで,トルコ共和国語にはロシア語からの借用語はない。後者は数世紀の歴史をもち,話し手がイスラム教徒でないチュバシ,ヤクート,アルタイの諸方言にも及んでいる。しかし,アラビア語の影響はだいたい北と東へいくほど薄く,南と西へいくほど濃い。たとえば〈手紙〉を意味する語は,次のように南と西へいくほどアラビア語からの借用語 maktub を使う方言が多くなる。例:ハカス pi∴ik,トゥーバ∴agaa,バシキール hat,カザフ hat,ノガイ hat,チュバシ zyru,ウイグル hat・mトktup,ウズベクhat・maktub,アゼルバイジャン mトktub,トルコmektup。
 正書法は旧ソ連邦内のチュルク系各共和国ではロシア文字,トルコ共和国ではラテン文字(ローマ字),中華人民共和国の新疆ウイグル自治区のウイグル人はアラビア文字(旧ソ連邦内のウイグル人はロシア文字)である。トルコ共和国では1928年以前はアラビア文字,チュルク系各共和国では39年ごろまでの10年足らずの間はラテン文字,それ以前は,イスラム教徒の各種族はアラビア文字を使っていた。チュルク語の最も古い文献は732年と735年の日付のある突厥(とつくつ)碑文で,特別の文字(突厥文字)で書かれている。11世紀以後は古代ウイグル語の文献が残っており,その最も重要なものは1069∥70年の日付のある《クタドグ・ビリク》と称する教訓詩である。14~15世紀ころから各地にそれぞれ文字言語が発達した。そのうち,オスマン・トルコ語とチャガタイ・チュルク語が最も発達した。前者は現代トルコ共和国語の前身で,セルジューク時代のアナトリア・チュルク文語を経て,中央アジア・チュルク語にさかのぼる。後者は15世紀のティムール朝で発達した文語で,いわゆるチャガタイ文語(チャガタイ語)として後世まで諸種族間の共通語として行われた。これらの古い文献にみえるチュルク語は現代チュルク諸語とよく似ている。               柴田 武

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アルタイ諸語
I プロローグ

アルタイ諸語 アルタイしょご Altaic Languages 西はトルコ、東はオホーツク海にいたる広大なユーラシア地域で話される語族で、チュルク語派、モンゴル語派、ツングース語派の3つの下位語派からなる。学者によっては、朝鮮語と日本語、さらにアイヌ語をもこの語族にふくめる。

II チュルク語派

チュルク語派には次の5つの分派がある。(1)南西チュルク語またはオグズ語としても知られる南チュルク語群、(2)西チュルク語群またはキプチャク語群、(3)東チュルク語群またはカルルク語群、(4)北チュルク語群または東フン語群、(5)単独で一分派をなすボルガ河流域のチュバシ語。

南チュルク語群には以下の言語がふくまれる。トルコとバルカン半島で話され、チュルク語派の中でもっとも使用範囲のひろいトルコ語、アゼルバイジャンと北西イランのアゼルバイジャン語、トルクメニスタンを中心とする中央アジアのトルクメン語。西チュルク語群には、中央アジアのカザフ語とキルギス語、トルコ、バルカン諸国、中央アジア、中国で話されるタタール語がふくまれる。東チュルク語群には、ウズベキスタンを中心とする中央アジアのウズベク語、シンチアンウイグル自治区と中央アジア一部地域のウイグル語がふくまれ、北チュルク語群はサハ語(ヤクート語)、アルタイ語などシベリアで話される多くの言語からなる。

III モンゴル語派とツングース語派

モンゴル語派には、東シベリアのブリヤート語、主としてカスピ海沿岸のロシアで話されるカルムイク語、モンゴルで話され、この語派でもっとも使用範囲のひろいモンゴル語がはいる。ツングース語派の中で、満州語は、かつて中国でもっともひろく話されていた重要な言語だったが、今日ではほぼ死滅している。現代のツングース諸語には、中央シベリアとモンゴルで話されているエベンキ語(ツングース語)、東シベリアのエベン語(ラムート語)、東シベリアのナナイ語、シベリア北東部で話されるウデヘ語などがある。

IV 一般的特徴

アルタイ諸言語の一般的特徴は、接尾辞の膠着性(→ 膠着語)と、同一語内部で同じ音色の母音しか連続しないという母音調和であり、接尾辞の母音も語幹母音の音色と一致する。また性の区別をもたない。母音は多様だが、子音は比較的少ない。

かつては、アルタイ諸語とウラル語族とをむすびつけて、より大きなウラル・アルタイ語族にまとめようとする学者もいたが、今日ではそのような語族を仮定するには証拠が少なすぎると考えられている。

アルタイ諸語を話す民族の中には、4~13世紀にかけてヨーロッパに侵入したフン族やモンゴル族、また1644年から1912年まで中国を支配した清朝の満州族など、歴史的に重要なものがある。

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モンゴル語
モンゴル語

モンゴルご
Mongolian languages

  

狭義では,モンゴル国のモンゴル族および中国の内モンゴル自治区のモンゴル族の言語であるモンゴル語をさす。話し手は 500万人以上。その中心は,モンゴルの首都ウラーンバートルに話されているハルハ語で,これが共通語の地位を占めつつある。内モンゴル自治区には,ほかにオルドス語,チャハル語,ハラチン語などがある。広義にはモンゴル諸語全体をさし,以上のほかにブリヤート語,オイラート語,カルムイク語,モゴール語,ダグール語 (ダフール語) ,モングォル語を含む。このうち,モングォル語とダグール語およびモゴール語は他の諸言語とかなり異なっている。カルムイク語,ブリヤート語はみずからの文字言語をもっている。モンゴル語全体として,膠着語的で接尾辞が多く用いられ,母音調和があり,語順が日本語と酷似しているなどの特徴がある。チュルク諸語,ツングース語とともにアルタイ語族を形成するといわれるが,これら3言語群間の親族関係は,証明が完全に確立しているとはいえない。





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モンゴル語
モンゴルご Mongolian

狭義では,現在モンゴル国で話される言語を指すことが多いが,内モンゴル自治区のモンゴル人の言語も含まれることもある。また,広くモンゴル民族の用いるモンゴル系の言語全般(すなわちモンゴル諸語)を漠然と〈モンゴル語〉と呼ぶ場合もしばしばあり,この意味では,旧来の〈蒙古語〉という語の用いられ方と同義といえる。モンゴル語は言語としてはアルタイ系の言語(アルタイ諸語)に属し,その構文法などは,日本語に酷似し,日本語の系統を考える際に重要な言語である。⇒モンゴル諸語                  小沢 重男

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モンゴル語
モンゴル語 モンゴルご Mongolian Language アルタイ諸語のモンゴル語派に属する言語。中央アジアのモンゴル高原を中心としたモンゴル国、中国の内モンゴル自治区、甘粛省、青海省、シンチアンウイグル自治区、ロシア連邦のカルムイク共和国に住むモンゴル族によって話されており、話し手人口は約500万人余と推定される。

狭義には、モンゴル国のハルハ・モンゴル語や内モンゴル自治区のチャハル・モンゴル語をさしてモンゴル語とよび、これら以外のカルムイク共和国のカルムイク・モンゴル語などをふくむモンゴル諸語と区別する場合がある。

モンゴル語の表記には、元来、ウイグル文字をもとにしたモンゴル文字が使用されており、内モンゴル自治区では現在も使用されつづけている。いっぽうモンゴル国では1941年以来キリル文字が採用されてきたが、80年代末にはじまる民主化の動きの中で、モンゴル文字の復活の動きがひろがっている。モンゴル語は膠着語的で、文法的には日本語に似た特徴をもつ。基本語順は「主語?目的語?述語」で、修飾語は被修飾語の前にきて、名詞のうしろに格語尾があり、動詞語尾などももっている。

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ブリヤート語
ブリヤート語

ブリヤートご
Buryat language

  

モンゴル語の1つ。バイカル湖付近に住むブリヤート族の言語で,ロシアのブリヤート共和国を中心に約 35万人の話し手をもつ。方言的には西ブリヤート方言と東ブリヤート方言に大別される。中心は東のホリ方言。 1931年にそれまでのモンゴル文字からローマ字に替えたが,その後 38年からロシア文字を使用。





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ブリヤート語
ブリヤートご Buryat

モンゴル系の言語の一つで,おもにロシア連邦のブリヤート共和国で使用されるほか,内モンゴルの一部でも用いられる。ブリヤート・モンゴル語ともよばれる。モンゴル諸語の中で,北部方言に属し,その使用人口は30万人以上にのぼると推定される。ブリヤート語は,ハルハ語の ts に対して sが,tイ に対して イ が,さらに s に対して h が現れるなどの音韻的特徴をもつ言語である。例,ハルハ語 tsagaan〈白い〉:ブリヤート語 sagaan,ハルハ語 tイada‐〈できる〉:ブリヤート語 イada‐,ハルハ語 usa(n)〈水〉:ブリヤート語 uhan。1939年にロシア文字による新しいブリヤート・モンゴル文字を制定し,現在にいたっているが,この文字による文章語は,ブリヤート人一般に理解されやすいホリ方言に基づく。              小沢 重男

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オイラート語
オイラート語

オイラートご
Oirat(Oyrat) language

  

自称はオイロド oyrod。モンゴル語の一つで,ボルガ河口のカルムイク語とホブド地方のオイラート語を合せていう場合と,狭く後者だけをいう場合がある。狭義のオイラート語はモンゴルの北西部に約5万人,中国の新疆におそらく約 10万人の話し手がいる。カルムイク語と近い関係にあるが,文字言語としてはハルハ語を用いる。





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オイラート語
オイラートご Oirat

モンゴル系の言語の中の一つで,モンゴル語西部方言の別称。オイラート方言ともいう。オイラート語はさらに,(1)カルムイク方言(カルムイク語ともいう)と,(2)その他のオイラート下位方言,すなわちコブト地域のドルボド方言とバイト方言,アルタイ地域のトゥルグート,ウリヤンハ,ザハチン,ミンガトの諸方言,ダムビのオロート方言などに分かれる。オイラート人は,古く1648年にホシュート族の高僧ザヤ・パンディタ Zaya Pandita によって創案されたトド Todo 文字(〈明白な〉文字の意で,蒙古文字(モンゴル文字)に若干の改良を施したもの)をもって自己の言語を書写してきたが,これが,いわゆるオイラート文語であり,この文字は現在でも中国の新疆ウイグル自治区に住むオイラート人によって用いられている。また,カルムイク語は1924年以後(1931年から38年にかけては,一時ラテン文字も用いられたことがある),ロシア文字に幾分の変更を加えた文字によって書写されている。                 小沢 重男

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カルムイク語
カルムイク語

カルムイクご
Kalmyk language

  

モンゴル語の一つ。カルマック語ともいう。自称はハリマク xalimg。ボルガ川下流のロシア,カルムイク共和国で話される。話し手約 13万人。ホブド地方のオイラート語の話し手の一部が移住したもので,カルムイク語もオイラート語も,ともに両者の総称としても用いられる。狭義のカルムイク語は,デルベット方言,ブザーワ方言,トルグート方言に分れる。ロシア文字による文字言語を有する。





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カルムイク語
カルムイクご Kalmyk

モンゴル諸語オイラート方言(オイラート語)の中の有力な言語で,しばしば,オイラート方言の別称としても用いられる。歴史的には,17世紀初めにイリ地方からボルガ河岸に移住したオイラート族の言語が時の経過につれてカルムイク語として形成されたものである。現代のカルムイク語は,ロシア連邦北カフカスのカルムイク共和国のカルムイク人およびアストラハン,ロストフ,ボルゴグラードの諸地域に住むカルムイク人(約14万人)によって話され,デルベト,トルグート,ブザーワの3方言に分かれている。現代の標準カルムイク文語は,上のデルベト,トルグート2方言を基盤として成立した。カルムイク語は,モンゴル諸語の中にあって,比較的古形を保存している点で注目される。⇒カルムイク文字             小沢 重男

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モゴール語
モゴール語

モゴールご
Mogol language

  

アフガニスタンのヘラート州に行われているモンゴル語。話し手はイル・ハン国の駐留モンゴル人の子孫とみられ,約5万人。長母音など古い特徴を多く保持していると認められるが,実は,ペルシア語のなかに,その音韻構造によって受入れたモンゴル語の単語・形態素を混ぜた言語で,現在ではおそらく隠語的機能を有するものであろう。この言語の資料としては,G.ラムステットの調査報告"Mogholica" (1906) ,1955年に京都大学探検隊 (岩村忍ら) が発見したテキスト"Zirni Manuscript" (61) ,M.ワイヤースの著書"Die Sprache der Moghol der Provinz Herat in Afganistan" (72) などがある。





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モゴール語
モゴールご Moghol

モンゴル系の一言語で,他のモンゴル諸語とは遠くはなれたアフガニスタンに孤立して存在する。モゴール語は中世の駐留モンゴル人の後裔の言語と考えられ,古い中世的な言語的特徴を保存している。例えば,古く存在した q∬ と ヌ∬ は,現代の多くのモンゴル諸語では ki(あるいは xi),gi と合流してしまったが,モゴール語ではそのまま保たれている。古く G. J. ラムステッドの研究があり,1955年には日本の京都大学探検隊による調査研究がなされた。さらに69年から70年にかけての西ドイツのワイヤース M. Weiers の調査研究がある。                      小沢 重男

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ダグール語
ダグール語

ダグールご
Daghur language

  

モンゴル語の一つ。ダウル語,ダフール語,ダゴール語ともいう。中国東北地方に話され,他のモンゴル語とは著しく異なる。話し手の数は約7万人と推定される。方言的にはハイラル方言とチチハル方言に大きく2分される。長母音,二重母音など,古い特徴を保存している。





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ダゴール語
ダゴールご Dagur

現代のモンゴル系言語(モンゴル諸語)の一つ。ダグール語,ダフール語,ダウール語ともいい,中国では達斡爾語と表記する。中国領内モンゴル(蒙古)自治区のフルンブイル(呼倫貝爾)盟の地域および黒竜江省のチチハル(斉斉哈爾)市付近の嫩江(のんこう)とその支流一帯の地域で話され,その使用人口は約8万にのぼる。その他,新疆ウイグル(維吾爾)自治区塔城県にも3000余人のダゴール語使用人口があると報ぜられている。この言語は,モンゴル系言語の中で,とくに中世的な古風な特徴を保持している点で,モンゴル系言語の研究上貴重な言語である。その一,二を例示すれば,音韻面では中世の語頭の h の残存(ダゴール語では χ として残っている)が見られ,また形態面では中世の人称代名詞の残存(一人称複数のexclusive baa〈(相手を含めない)我々〉,また三人称単・複数の iin〈彼,彼女,それ〉,aan〈彼(彼女,それ)ら〉)があげられよう。方言的にはブトゥハ(布特哈)方言とチチハル方言に分かれ,その方言的差異は大きくない。⇒ダフール族    小沢 重男

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モンゴォル語
モングォル語

モングォルご
Monguor language

  

中国,甘粛省西部および青海省に行われているモンゴル語の一方言。話し手約9万人。語頭に子音連続やrが立つなど,新しい特徴がある一方,祖語の長母音を部分的に保存するなど,他のモンゴル諸方言とかなり異なっており,13世紀よりずっと前に分岐したと推定される。





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ツングース語
ツングース語

ツングースご
Tungus languages

  

シベリア東部,サハリン島,中国東北地方および辺境地方などに分布している言語。エベン語,エベンキ語 (ソロン語) ,ネギダル語,ウデヘ語,オロチ語,ナーナイ語,オルチャ語,オロッコ語,満州語から成る。ツングース語という名称は,以上のうち満州語を除くすべての言語をさすのに用い,全体は満州=ツングース語ということもあり,最も狭義ではエベンキ語だけをさすこともある。これら広義のツングース語が共通の祖語にさかのぼることは明らかであるが,それがさらにチュルク諸語,モンゴル語とともにアルタイ語族を形成するか否かの言語学的証明は未確立である。文献の存在するのは,少量の女真語文献 (12~13世紀) を除けば,満州語のみで,それも 17世紀以降であるため,歴史的研究が遅れており,むしろ現代諸方言の比較研究にまつところが大きい。





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ツングース語系諸族
ツングースごけいしょぞく

ツングース諸語に属する言語を話す諸民族。かつてはツングース族(広義の)と呼ばれた。今日,その大部分はロシア連邦のシベリアと極東地域に住み,少数が中国の東北部,新疆ウイグル(維吾爾)自治区,内モンゴル自治区に居住する。ロシア領でツングース語を話す人口は全体で約4万(1979)である。ツングース諸語については,言語学上,北方群と南方群に分けるシレンクの先駆的提言をはじめ,別項の〈ツングース諸語〉に見られる分類など,いくつかの分類の試みがあるが,ここでは旧ソ連のツングース学者 G. M. ワシーレビチの分類に基づいて説明する。
 ワシーレビチは,まずツングース諸語をツングース語群と満州語群に二大分し,前者についてはさらにシベリア語群,アムール下流語群の下位区分を行っている。シベリア語群にはエベンキ語(ソロン方言を含む),ネギダール語,エベン語が含まれ,アムール下流語群にはナナイ語,ウリチ語,ウイルタ語,オロチ語,ウデヘ語が含まれる。一方,満州語群は満州語(シボ方言を含む)と女真語(死語)からなっている。
 シベリア語群,アムール下流語群の諸語を使用する民族は,ソロン族を除いてほとんどがロシア領に居住する。そのうち,最も人口の多いエベンキ族(2万9900人(1989,ロシア側のみ)。狭義のツングース族)はエニセイ川西岸からオホーツク海岸に及ぶ東シベリア全域に広範に分布し,その生業は各地の自然環境や文化的背景,歴史的事情を反映して地域的差異を示している(狩猟採集,トナカイ飼養,農牧畜など)。エベンキ族と言語・文化の上で近い関係にあるエベン族はシベリア北東部(レナ川以東オホーツク海沿岸まで)に居住し,狩猟採集,トナカイ飼養のほか,沿岸地域では定住的な海獣狩猟に携わった。この2民族以外はロシアの極東地域(アムール川流域,沿海州,サハリン)に古くから居住してきた民族である。そのうち,ナナイ族,ウリチ族,オロチ族,ネギダール族は,アムール川の中・下流域に定住し,サケ・マス漁を主とする漁労文化を発達させてきた。また,沿海州のウデヘ族は移動生活を送りながら,森林獣の狩猟と河川での漁労を営んだ。ウイルタ族(オロッコ族)はサハリン東部で少数のトナカイを飼い,これを移動・運搬の手段として狩猟や漁労に携わってきた。以上の諸民族は言語のほかにもシラカバ樹皮でつくる円錐形天幕(チュム),舟,揺籃や前開き外套,胸当て・腰当ての組合せによる衣服,共通の氏族の名称,シャマニズムなど,共通の文化要素を長く保持してきたことが知られる。ソロン族はエベンキ族の一派であるが,言語・文化の上で隣接する満州族やモンゴル族の影響を受け,馬を飼い牧畜を営み,今日では内モンゴル(蒙古)自治区に居住する。満州族は古く中国東北部に定住し農耕に従っていたが,17世紀以降,著しく漢民族と同化した。今日では満州語を保持する民族は少数で,シボ(錫伯)族(シベ族)のような小さな集団が黒竜江省と新疆ウイグル自治区に居住するだけである。12世紀の初めに遼を滅ぼし,つづいて北宋を倒して華北を支配した女真(金)もツングース語系諸族の一つとされる。彼らは16世紀に満州人に併呑されたが,17世紀に清朝を樹立したのは,この女真の血をひくヌルハチであった。しかし現在のツングース語系諸族の生活と文化は,社会主義体制を経てそれぞれの地域で著しい変容を遂げている。     荻原 真子

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語の親族関係
ツングース語

ツングースご
Tungus languages

  

シベリア東部,サハリン島,中国東北地方および辺境地方などに分布している言語。エベン語,エベンキ語 (ソロン語) ,ネギダル語,ウデヘ語,オロチ語,ナーナイ語,オルチャ語,オロッコ語,満州語から成る。ツングース語という名称は,以上のうち満州語を除くすべての言語をさすのに用い,全体は満州=ツングース語ということもあり,最も狭義ではエベンキ語だけをさすこともある。これら広義のツングース語が共通の祖語にさかのぼることは明らかであるが,それがさらにチュルク諸語,モンゴル語とともにアルタイ語族を形成するか否かの言語学的証明は未確立である。文献の存在するのは,少量の女真語文献 (12~13世紀) を除けば,満州語のみで,それも 17世紀以降であるため,歴史的研究が遅れており,むしろ現代諸方言の比較研究にまつところが大きい。





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言語学・ゲームの結末を求めて(その11) [宗教/哲学]

比較言語学
比較言語学

ひかくげんごがく
comparative linguistics

  

共通の起源を有する諸言語を比較研究し,それらの共通祖語を再構し,その祖語からそれらの諸言語への歴史的な変遷を説明しようとする学問。これにより,文献以前の状態がそれなりに推定でき,その言語の歴史がその分だけ明らかになることになる。比較方法は,任意の言語間に適用を試みることはできるが,音韻法則に支えられた系統関係の証明が確立しないかぎり,そこには比較言語学は成立しない。この意味では,日本語と他言語との比較言語学はまだ成立していない。この分野が確立されたのは 19世紀末の青年文法学派による印欧語比較言語学に始る。その後,ウラル語族,セム語族,バンツー語族,オーストロネシア語族などにも成立している。比較文法も比較言語学と同義に用いられるが,区別するときは,後者の一般理論に対して,各語族や語派についての具体的成果・叙述 (物) をさす。「印欧語比較文法」など。この意味の「文法」は,音論と形態論が中心で,ときに統辞論や意味論を含む,という点で普通の狭義の「文法」とは異なる。比較言語学は広義の史的言語学に含むこともできるが,並べて「史的比較言語学」または「歴史比較言語学」とも呼ぶこともある。なお,同系関係の有無とは無関係に2つ (以上) の言語を比較対照させ,それらの異同を明らかにする接近法は,対照言語学と呼んでこれと区別するのが普通。





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比較言語学
ひかくげんごがく

歴史言語学の一大分野。比較文法 comparativegrammar ともいう。これは任意の言語を比較対照してその異同を論ずるのではなくて,それらの言語が同じ源から分かれた同系の一族であるかどうかを言語学的に検討し,また同系で互いに親族関係にある言語の比較によって,それぞれの言語の歴史において文献的に実証のない空白の部分を理論的に埋め,それによって言語史のより合理的な理解を深めることを目的とする。
 この学問は18世紀末にヨーロッパでおこった。そのきっかけはインドのサンスクリット(梵語)という言語が,ヨーロッパ人の古典をつづったギリシア語,ラテン語と非常に類似した文法体系をもち,形にも一致がみられるという事実であった。これが19世紀のロマン主義の波にのって一つの学問となり,インド・ヨーロッパ(印欧)語の比較文法を生むにいたった。その成功は,この語族が資料的に非常に恵まれていたという条件に負うところが大きい。その結果,19世紀末には方法論が確立され,これが同時に今日の言語学の基礎となった。その中心はライプチヒ大学の K. ブルクマンを先頭にする青年文法学派 Junggrammatiker にあり,彼らによって真に文献学的・言語学的な研究が各語派にわたって始められた。
 二つ以上の言語が互いに親縁関係にある,すなわち,一つの源となる言語から分化したと想定されるためには,その間に一定の音対応が求められなければならない。たとえば英語とドイツ語で同じ意味の語彙を並べてみると,daughter―Tochter,dead―tot,deep―tief,dream―Traum,drink―trinken,do―tun,red―rot,word―Wort,blood―Blut,hard―hart のように,語頭でも語末でも英語 d―ドイツ語 t という対応がみられる。このような手続きをすべての音に繰り返して,そこに一定の対応関係が得られ,また例外についてはしかるべき説明が与えられる(たとえばstand―stehen は s‐との連続という条件にある)ならば,それらの言語は同系とみなされる可能性が強い。言語は時間とともに変化するが,その変化には規則性があり,ある時期にある言語のある調音に変化がおこると,その変化を阻止する特別の条件がない限り,それをふくむすべての語彙に同じ変化が及ぶから,長い年月ののちにも,同じ源から維持されてきた形は別々に変化を受けながらも一定の関係が成り立つのである。逆に,歴史の途中で他の言語から借用された形は,その時期以前の変化を経験しないから音対応の例外となって出てくる。その場合にはそれらの形は系統問題から除外される。
 音対応のほかに比較文法に重要なことは,特異な文法現象の一致である。たとえばインド・ヨーロッパ語の to be をあらわす英語 is,ドイツ語 istのような動詞は,多くの言語で不規則形として扱われている。にもかかわらず,古代語から近代語まで,この動詞の対応,用法には正確な一致があり,ドイツ語 ist―sind のような単複数形の示すis‐と s‐という交替も,ラテン語 est―sunt にみるように,es‐と s‐としてあらわれている。こうした文法面での不規則形の対応は,語順のような類型的な現象とは異なり,その語族に特有の現象であるから,系統を決定する重要な決め手となる。しかし,世界の言語の中には,日本語をはじめ比較言語学が成立していない分野も多く残されている。⇒インド・ヨーロッパ語族∥言語学
                      風間 喜代三

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比較言語学
I プロローグ

比較言語学 ひかくげんごがく Comparative Linguistics 言語と言語の関係を研究する言語学の一部門。同系である言語を比較してその共通の源である祖語をたて、祖語と下位言語との関係、下位言語間の関係を研究する。比較言語学の中でもサンスクリットと、ギリシャ語とラテン語の間に偶然ではない関係をみいだして追究したウィリアム・ジョーンズ(1746~94)の予測から出発したインド・ヨーロッパ語比較言語学は、追究の過程で同系であることを証明する音韻対応の法則をみつけて、研究目的だけではなしに、研究方法をも整備し、言語研究を科学のレベルにまで高めた。その結果、インド・ヨーロッパ語比較言語学は音声学とともにもっとも精密な分野となり、言語学史上の重要な一分野となった。

II インド・ヨーロッパ語比較言語学の成果

インド・ヨーロッパ語比較言語学はサンスクリット、ギリシャ、ラテンの3語から、インド・イラン語派、ロマンス語派、ゲルマン語派、ケルト語派、スラブ語派、バルト語派などを研究範囲にとりこみ、さらにトカラ語、アルメニア語、アルバニア語もふくみ、20世紀になってヒッタイト語をふくむアナトリア諸語を傘下にとりいれている。

インド・ヨーロッパ語比較言語学の成果が、ほかの分野の比較言語学より成果が大きいことは、この分野の確立にブルクマン、デルブリュックらの青年文法学派、のちにメイエやクリウォビッチなど数々のすぐれた学者が輩出したことのほかに、この語族に属する言語が数多く多様で、しかも屈折的タイプ(→ 屈折語)が基本であったことと、数多くの古い文献が残っていることがあげられる。

これにくらべると、セム語族や、ウラル語族の言語はあまりによく似ていて、一見同系なことが明白であり、逆に、アルタイ諸語や、カフカス諸語などは同系かどうかの証明が困難である。現在オーストロネシア語族やシナ・チベット語族では同系関係を整備しているところであり、オーストラリア諸語もひとつの語族をなすのではないかと推測されている。アメリカ先住民の諸言語は数が多く、たがいの差違も多く、語族という単位ではおさまらない。いずれにせよ、これらの言語間の比較はインド・ヨーロッパ語族のそれにくらべると精密な構造になっていない。

日本語は琉球語との同系は証明されているが、それ以外の言語との比較言語学は成立していない。というより不可能なようにみえる(→ 日本語の起源)。

III 「同系であること」の証明

比較言語学が目的を達成するには大きな困難がいろいろある。まず比較言語学でいう比較を可能にするのは同系の言語だけである。日本語と英語のような比較対比は比較言語学ではあつかわない。したがって同系であることを証明しないと比較ができないが、一方、同系であることは比較言語学的研究によってみいだされるのであるから、矛盾していることになる。一見同系が明らかな言語の場合は問題はないが、それが微妙である場合、一方の論者は証明できたと主張し、もう一方がそうでないとして反対する。このようなケースは数多いが、「同系でない」という証明はできず、「同系である」という主張に間違いがあることを論じる以外に方法はない。

IV 音韻対応の原則

言語はその本質において記号であり、集団にみとめられたルールにより伝達するものであるから、勝手気ままに変化することは原則としてできない。変化には一定の方向があり、それを同系の証明としてつかおうというのが、音韻法則のルールである。1つの言語内で同じ条件下にある音は同じ変化をするという認識である。ある言語で[p]という音が[b]という音にかわったとすると、それはその言語においては原則として例外なしに変化する。もし、そうでないとすると、条件がちがうか、地域方言的な差となる。言語の歴史的変化と、地域的差違はおぎないあう関係にある。この音韻対応の原則の発見が比較言語学を確固なものとしたのである。そして、この対応に例外があるとき、その理由をみいだして新たな音韻対応の原則をおぎなったのである。上記の理由にはいろいろあるが、類推がもっとも有名な例である。偶然もそのひとつであるので、オノマトペアの語は比較からのぞかれるし、幼稚語も偶然性の蓋然(がいぜん)性が高い(幼児は語彙(ごい)が少なく、環境がかぎられている)のでさけるのが原則である。

新しい語彙より、年代の古い語彙のほうがかつての姿をつたえている可能性がだんぜん高いので、それをもちいるとか、借用語彙は原則として比較の対象としないというような予備措置がとられて、恣意(しい)的な同系の証明をさけようとしている。これらがただしくおこなわれていない同系論は無意味であり、日本語の同系論はこれらのことがまもられていない(→ 日本語の起源)。

V 比較言語学の魅力

比較言語学がいかにすばらしいかのエピソードとしては、かつてソシュールがインド・ヨーロッパ語族の祖語にあるはずだと予言した2つの母音を、何十年か後に発見されたヒッタイト語を研究していたクリウォビッチが予言どおりにみいだしたという話や、インド・ヨーロッパ祖語で「2」を意味するduo-が、アルメニア語でerk-に対応し、このようなペアが3つみつかって、アルメニア語がインド・ヨーロッパ語族にはいったという話がある。

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再構
再構

さいこう
reconstruction

  

言語学用語。同系諸言語を比較することにより,それらが分れる以前の姿を理論的に推定すること。再建ともいう。たとえば,ラテン語 pater,ギリシア語 patr,サンスクリット語 pitなどから印欧祖語 「父」を再構するように,対応する個々の単語ごとにそれらが伝承してきた元の形「祖形」を立てていく。こうして (基礎的な) 語彙のみならず,音韻体系や形態体系の基本的な部分,すなわち祖語の骨格の部分を再構することができる。このようにして再構された言語から実証される諸言語への変化を説明することにより,記録のない時代の空白を埋めることができる。ただし再構形がすべて同一時代の言語体系に属することへの保証は必ずしもなく,祖語の全体を再構することは困難な場合が多い。なお,一言語の一時代の状態だけからそのより古い姿を再構することを「内的再構 (内的再建) 」という。





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祖語
祖語

そご
protolanguage

  

共通基語ともいう。一つの言語が時代とともに分裂して変化し,長い時間ののちに2つ以上の異なる言語となったとき,もとの言語を祖語という。たとえば現在のフランス語,スペイン語,イタリア語などはラテン語がそれぞれの変化をとげてできた言語であることがわかっていて,ラテン語はこれらの諸言語の祖語であるといい,これらの諸言語は同系,あるいは親縁関係を有するという。さらに,ラテン語は,ギリシア語やサンスクリット語などとともに,より古い時代の単一な言語がそれぞれの変化をとげてできた言語と推定され,これを印欧祖語という。同じ祖語から分れた諸言語は一つの語族に属するという。 (→比較言語学 )  





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史的言語学
青年文法学派
青年文法学派

せいねんぶんぽうがくは
Junggrammatiker; Neogrammarians

  

1870年代から A.レスキーン,K.ブルークマン,B.デルブリュック,H.パウルらを指導者として,ドイツのライプチヒを中心に大きな勢力をもった言語学の一学派で,少壮 (若手) 文法学派ともいわれる。その根本主張は「音声法則は例外を許容しない」ということに要約されるが,その意味は,音韻的環境が同じである音の時代的変化には一定の規則性が認められ,例外とみられるものには必ずその説明がつくはずであるということである。また彼らは例外を生じる原因の一つが類推であることも証明した。個々の事実にとらわれて言語全体の体系性を見失っているという,後代の彼らに対する批判は見当違いとはいえないとしても,インド=ヨーロッパ語族の比較文法の方法論を確立し,また実際の研究においても多くの事実を解明した功績は非常に大きい。





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[ブリタニカ国際大百科事典 小項目版 2008]
A.レスキーン
レスキーン

レスキーン
Leskien,August

[生] 1840.7.8. キール
[没] 1916.9.20. ライプチヒ

  

ドイツの言語学者。ライプチヒ大学教授。インド=ヨーロッパ語族,特にスラブ語派とバルト語派の研究に業績を残した。青年文法学派の中心の一人で,「音韻法則に例外なし」という命題を早くから述べた。主著『古代ブルガリア語文法』 Grammatik der altbulgarischen Sprache (1909) ,『セルボ=クロアチア語文法』 Grammatik der serbokroatischen Sprache (14) 。





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K.ブルークマン
ブルークマン

ブルークマン
Brugmann,(Friedrich) Karl

[生] 1849.3.16. ウィースバーデン
[没] 1919.6.29. ライプチヒ

  

ドイツの言語学者。インド=ヨーロッパ語族の比較言語学の専門家で,ライプチヒ大学で長くサンスクリット語と比較言語学を講じ,青年文法学派の中心の一人。主著は H.オストホフと共著の『形態論研究』 Morphologische Untersuchungen (1878) ,B.デルブリュックと分担執筆した『インド=ゲルマン諸語比較文法概要』 Grundriss der vergleichenden Grammatik der indogermanischen Sprachen (86~93) 。





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B.デルブリュック
デルブリュック

デルブリュック
Delbrck,Berthold

[生] 1842.7.26. リューゲン島,プットブス
[没] 1922.1.3. イェナ


ドイツの言語学者。 1870~1912年イェナ大学教授。インド=ヨーロッパ語族の比較研究に従事し,青年文法学派の一員として,特にそれまで未開拓であった統辞論の研究を進め,この分野に大きな業績を残した。主著『統辞論研究』 Syntaktische Forschungen (5巻,1871~88,E.ウィンディッシュと共著) ,『印欧語比較統辞論』 Vergleichende Syntax der indo-germanischen Sprachen (93~1900,K.ブルークマンと共著の『印欧語比較文法概要』の3~5巻をなす) 。





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デルブリュック 1842‐1922
Berthold Delbr‰ck

ドイツの言語学者。イェーナ大学教授。K. ブルクマンとともにライプチヒ大学を中心とする青年文法学派の一員として活躍した。その研究はサンスクリットを主とした統語論の領域に終始し,1886年より刊行されたブルクマンとの共著《印欧語比較文法 Grundriss der vergleichenden Grammatikder indogermanischen Sprachen》(5巻)の後半部のほか,《古代インド語統語論》《統語論研究》《古代インド語の動詞》などを著した。なお《印欧語研究入門》も言語学史として貴重な著作である。
                      風間 喜代三

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H.パウル
対照言語学
対照言語学

たいしょうげんごがく
contrastive linguistics

  

言語学の研究方法の一つ。2つまたはそれ以上の言語を比べ合せて,それらの相違点や共通点を研究する。比べ合せる言語には系統上,時代上などの制限はない。この点,比較言語学とは目的も方法もまったく異なる。構造の異なる言語と対比してみることによって,その言語の特徴を一層よく知ることができることが多く,その結果は外国語教育にも応用される。また,人間の言語に普遍的にみられる特徴を調べて,言語の本質を解明しようとする研究も近年盛んになってきている。





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形態論
形態論

けいたいろん
morphology

  

統辞論 (構文論) と並んで文法論を形成する一部門。統辞論が単語を出発点として,単語が組合されて文をなすその規則を研究するのに対し,これは単語の内部構造を扱うものである。合成や派生といった語形成論と,文中において他の単語との関係を表わすために語形を変える単語の体系を扱う語形替変論から成り立つ。語形替変論のみを形態論という場合もある。また,活用など形態論上の問題は構文的見地を離れては不完全な分析になるし,単語の内部構造と文の構造との間には本質的な差は認められないとして,統辞論と形態論を統一的に取扱おうとする立場もある。なお,形態論における音韻の交替を扱う分野を特に形態音韻論という。





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[ブリタニカ国際大百科事典 小項目版 2008]


形態論
けいたいろん

(1)語形の変化とその構成を記述する言語学の部門。伝統文法では,形態論 morphology は語の配列や用法を扱う統語論(シンタクス)と音韻論と共に文法の三大部門をなしている。(2)構造言語学では形態素の設定と種類およびその配列と構造を扱う部門とされている。このうち形態素の結合によって生じる音声変化を記述する部門を形態音素論 morphophonemics という。また語(単語)という単位を認めないで,統語現象をすべて形態素の配列と相互関係において記述する立場を形態素配列論という。
[構造言語学の形態論]  (1)形態素の設定 形態素は意味をもつ最小の言語単位であるから,形よりも意味に基準が求められる。(a)〈キキテ〉と〈ハナシテ〉における〈テ〉{te}({ }は形態素を示す)は共に動作主を意味し形も同じであるから同一の形態素である。しかし(b)〈ハナシテ〉と〈ミギテ〉では,後者の〈テ〉{te}は〈手〉(身体部位)を意味するから,形は同じでも異なる形態素に属する。また,(c)異なる形でも意味が同じならば同一の形態素にまとめられる。〈イッパイ,ニハイ,サンバイ〉という数え方から取り出される助数詞の/pai//hai//bai/は異なる形をしているが,/pai/は数詞1,/hai/が2,/bai/が3に接合して相補う位置を占めている。このように相補的分布をなす場合,これら三つの異形態 allomorphは同じ形態素{hai}〈杯〉に所属する。(d)英語の動詞変化において,現在形の work/wトrk/〈働く〉の過去形 worked/wトrk‐t/から過去の異形態/t/が取り出される。そして現在形 go/gow/と過去形 went/wen‐t/の対比から,語幹部として/gow/と/wen‐/が抽出される。この場合,共に〈行く〉の意味であるが語形はまったく異なっている。しかし,これら異形態も現在形と過去形という点で相補的分布をなすので同一形態素{gow}にまとめられる。このように形を異にする/wen‐/の方を補充形 suppletive form と呼ぶ。(e)英語の動詞の過去形は〈現在形+過去語尾〉の形式をとるのが普通である。そこで hit〈打つ〉のように現在と過去が同形をなすものについては,過去形態素にゼロ異形態/が/を認めれば,過去形の hit も/hit‐が/という過去形の公式で処理できるとしている。(f)またアメリカの構造言語学者ホケットCharles F. Hockett(1916‐ )は〈すわる〉の過去形 sat/sずt/は現在形の/sit/に過去形態素が重複して融合した〈カバン〉型の形態をなしているとの見解を示した。
(2)形態素を分析する三つの立場 (a)語形交替に〈過程〉を認める項目過程方式では,英語の単数名詞 man/mずn/〈人〉が複数形の men/men/になるとき,{mずn}+{複数形態素}において複数形態素が語幹の母音に作用して/ず→e/という内部変化(過程)を引き起こしたと解釈している。これに対し,(b)過程を認めない項目配列方式では,こうした内部変化は容認されない。形態素{mずn}に/m…n/という中央の母音を欠いた不連続の異形態を立て,これに複数の異形態/‐e‐/が差し込まれていると解釈する。そこで/men/は/m…n/+/‐e‐/という形でとらえられる。最近の生成文法は過程を認める立場にくみしていて,形態素の連続に音韻規則を適用して音声連続を導き出そうと考えている。このため異形態は形態音素論的操作によって処理されるので,形態論そのものが統語論(シンタクス)と音韻論に分割吸収されてしまった。(c)語・語形変化方式では,語(単語)が文法の基本単位であって,形態素は連結して語を構成する要素ではなく,語そのものに付与された特徴と見なされる。例えば,ラテン語の librヾs〈複数の本を〉は抽象的語彙 LIBER〈本〉に〈複数〉と〈対格〉の形態統語的特徴が作用して具体化した語形と分析される。                 小泉 保

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形態論
形態論 けいたいろん ある言語にどのような形態素があり、単語を構成する形態素がどのような構造をもつかを研究する言語学の分野。言語を構成する記号のうち、最小のものを「形態素」とよぶ。たとえば、日本語の「いぬ」や「あし」などの単語は、これ以上は分解することができないから、形態素である。いっぽう、「こいぬ」や「すあし」などの単語は、「こ」と「いぬ」、「す」と「あし」という、それぞれ2つずつの形態素にわけることができる。

1つの形態素が、複数の形態からなることがある。たとえば、「あめ(雨)」は「あめふり」では「あめ」だが、「あまがさ(雨傘)」では「あま」、「こさめ(小雨)」では「さめ」という形をとる。このように、1つの形態素がいくつかのことなった形をとるとき、そのことなった形をそれぞれ「異形態」とよぶ。形態素「あめ」の異形態は、「あま」「さめ」である。日本語の過去の助動詞「た」も、「た」と「だ」という2つの異形態をもち、「とる」「みる」のような動詞につくときには「た」、「のむ」「とぶ」のような動詞につくときには「だ」となる。日本語の助動詞には、「れる、られる」、「せる、させる」、「う、よう」など異形態をもつものが多い。

「あまがさ」は1つの単語であるが、「あめ」と「かさ」という2つの形態素がむすびついてできたものである。また、「あめふり」は、「あめ」という形態素と「ふり」という動詞の連用形を起源とする名詞がむすびついてできたものである。「きりたおす」は、2つの動詞「きる」と「たおす」がむすびついてできた動詞である。名詞と名詞、動詞と動詞など、具体的な内容をあらわす形態素がむすびついてできた単語を「複合語」または「合成語」という。

いっぽう、「すあし」や「あつさ」という単語は、それぞれ「す」と「あし」、「あつい」と「さ」がむすびついてできたものであるが、具体的な内容をあらわす要素は名詞と形容詞の部分だけで、「す」や「さ」には具体的な内容がない。具体的な内容をもたず、ほかの形態素に付属してしかもちいられない形態素を「接辞」とよぶ。接辞のうちでも、「す」のようにほかの形態素の前につくものを「接頭辞」、「さ」のようにほかの形態素の後につくものを「接尾辞」という。接辞をつけることによってつくられた単語は「派生語」とよばれる。

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統辞論
統辞論

とうじろん
syntax

  

単語が結合してできる句,節,文の構造や機能を研究する文法の一部門。構文論,統語論,シンタックスなどの名称もある。伝統的に,文法は形態論と統辞論に2分され,形態論は語形替変を扱い,単語の結合を統辞論が扱うとされるが,形態論で曲用や活用の体系をまとめるためには,それぞれの形態が文中で果す機能を知ることが必要となるし,単語でも合成語には統辞的関係が認められるので,形態論と統辞論とは互いに密接な関係にある。文の統辞論では,構成要素間の意味的関係がどのように表わされるかが中心問題となる。単語の自律性が強く語形替変でそれらの関係を表わす言語もあれば,諸関係を示す機能語 (前置詞,後置詞など) を発達させている言語もあり,また語順の役割が大きい言語もある。このような統辞法の手段を基準にして言語を類型に分けようという試みは早くからなされてきた。また,たとえば「主語-述語」というような論理的関係が文のうえにはっきりと現れる言語もあればそうでない言語もあり,各要素の役割というものを先験的に決めることはできない。なお,文における要素の機能を研究する前提として,まず,文から単位を取出す作業が実際の言語研究に重要な問題となる。





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シンタクス
syntax

言語学の術語。単語が結びついて文を構成する場合の文法上のきまり,しくみ。また,それについての研究,すなわち文の文法的構造の研究。あるいはさらに広く,文のもつ文法的諸性質に関する研究といってもよい。〈研究〉の意の場合には,訳して構文論,統語論,統辞論ともいう。形態論とともに文法の一部門をなす。
 シンタクス上,まず留意されるのは語順すなわち[1]〈単語間の前後関係〉である。だが,実は,単語はただ1列に並んで文をなすわけではなく,ある連続した二つ(またはいくつか)の単語がまず密接に結びつき(これを句という),その全体がまた別の単語や句と結びついてさらに句を作る,というような関係が重なって一文をなしていると見られる。例えば,The boys have nice cars. という文は,
(1) [[The boys] [have [nice cars]]]
のような構造をなしている。それぞれの[ ]が句である(全体は文と呼ぶ)。単語にカテゴリー(品詞)があるのと同様,句にもカテゴリーがあり,上文のthe boys や nice cars は名詞句,have nicecars は動詞句である。(1)に各単語や各句のカテゴリー名を書き添えたのに相当するものは,
(2)図のようにあらわすことができる。(1)(2)は(カテゴリー名の有無を別にすれば)本質的には同じものであり,〈句構造 phrase structure〉と呼ばれる。特に(2)のように示した句構造はしばしば〈樹(き)tree〉と呼ばれる(樹の上下を逆にしたような形なので。なお句構造という語も,狭義には(2)のようにカテゴリー名付きのもののみに使う。また,句構造に主語・目的語等という種の情報を添える向きもある)。このように,シンタクスでは[2]〈単語や句の間の階層関係(切れ続き,係り受けの関係)〉にも注目する必要があり,句構造は[1][2]を併せあらわすわけである。句構造を考えることで,たとえば〈白い犬と猫〉には,
 [[白い犬]と猫],[白い[犬と猫]]
という二つの場合がある,というようなことがとらえられる。
 このほか,シンタクスでは,たとえば主語と動詞の間の人称・数の一致(ヨーロッパ諸言語で見られる)とか,文中の代名詞と名詞の間の指示関係(指す・指されるの関係)など,いわば[3]〈単語間の呼応関係〉にも注意する必要がある。さらに,近年では,当該の文だけを見るのではなく,[4]〈関連諸構文との関係〉というとらえ方が盛んになり,これによって研究はにわかに充実の度を加えてきた。関連構文とは,当該の文と文法上の関連を認め得る文や句(ごく単純な例としては能動文に対する受動文など)のことである。たとえば,(i)(a)Johnpersuaded Mary to come to the party. と(b)John wanted Mary to come to the party. とは同じ文型のように見えるが,(a)に関しては関連構文として受動文 Mary was persuaded by John tocome to the party. が作れるのに対し,(b)に関してはそれができない(Mary was wanted by Johnto come to the party. とはいえない),また(ii)(c)〈招待した村長が遅れて来た〉という文の(d)〈招待した村長〉という句は,(e)〈(誰かが)村長を招待した〉という文の関連構文である場合と,(f)〈村長が(誰かを)招待した〉という文の関連構文である場合と,二つの可能性がある(すなわち(e)(f)の二通りにとれる),というように,関連構文への考慮が必要あるいは有効な場合は数多い((i)(ii)はともに基礎的な一例にすぎない)。実は,文に樹を与えるのにも,ただ直観的に切れ続きや係り受けをとらえて与えるのではなく,[3]や[4]の性質までよく調べた上で与える必要がある。たとえば,上記(i)に基づいて,文(a)(b)には違う形の樹を与えることを検討せねばならない,というように。
 だが一方,文がもつ[3]や[4]に関する文法的性質をすべて樹一つに盛りこめるわけではない。上例でいえば,(a)(b)が違うタイプの文であることは樹の形の違いとして示せるにしても,それ以上のこと(上記(i)のような内容)までは,それらの樹自体には示されない。また,文(c)については,句(d)の部分が(e)(f)どちらの関連構文である場合にも,その表面的な形をあらわす樹としては同じものを与えざるを得まい。そこで,そうした[3]や[4]にする諸性質をいかなる形で示すかが問題になる。ごくおおまかにいえば,たとえば(c)に対しては,それ自身の表面的な形に該当する樹を与えるほかに,それがどちらの関連構文であるかに応じて,文(e)または(f)に該当するような樹(今少し正確にいえば,(c)の表面的な形に該当する樹のうち,句(d)に当たる部分を文(e)または(f)の樹に近いもので置き換えたような樹)をも与える,というように,一つの文に対してその[3]や[4]の性質も浮かび上がるような複数の樹を与える考え方が,近年広くとられている。そして,それら複数の樹の形の相互の対応(をつける規則)を,一般性の高い形で示すのである。
 以上のように,文のもつ[1]~[4]などの文法的性質に注目し,それらを(イ)各単語固有の性質(その品詞など),(ロ)樹の形,(ハ)樹の形相互の対応づけ,などのファクターに基づいて,一般性の高い科学的な形で記述・説明するのが,シンタクスの課題である。なお,シンタクスは意味とは無関係に独立の体系をなすと説かれることも多いが,少なくとも当面のところは,文法的な性質と意味的な性質の区別からして,実はそれほど明白ではないのが実状で,完全に独立の体系をなし得るのか否かは,なお予断を許さない。
 永い言語研究史上,シンタクスの研究が盛んになったのはごく最近,すなわちアメリカの言語学者チョムスキーが1950年代に〈生成文法理論〉を提唱してからのことである。だが,それ以来研究は急速に進展,特に前掲の(ロ)(ハ)に関してあたかも数式のような観を呈するフォーマルな方法での記述が進み((ハ)はそもそもこの理論のアイデアである),(ロ)(ハ)をさらにいろいろな角度から規定する抽象度の高いファクターや規則性も相次いで見いだされてきた。それとともに,各言語は表面的な語順等こそ違っても,きわめて抽象度の高い観点から見ると多分に共通の性質を有するのではないかとの見通しも強まりつつある。こうした観点の深まりとともに新たな研究課題も次々と浮かび上がり,いわばその奥深さへの認識をしだいに深めながら,今日も各言語および言語一般に関するシンタクスの研究は,主としてこの生成文法理論に拠って盛んに行われている。
 日本語については,やはり最近はこの新理論による研究が徐々に進みつつあるが,このほか,これ以前から橋本進吉,時枝誠記ら国語学者によるシンタクスの基礎的研究も少しずつ行われてきた。〈文節〉相互の切れ続きに基づく橋本の堅実な研究は現在も学校の国語教育における〈文の構造〉の教授内容の基盤となっており,また,人間の心理的過程に即して文を説こうとする時枝の構想の継承発展をめざす研究者も少なくない。
 なお,論理学やコンピューターなどにおける人工的な〈言語〉(記号体系)についても,記号が並んで式などを構成する場合の規則をシンタクスという。⇒生成文法∥文法          菊地 康人

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語形替変
語形替変

ごけいたいへん
inflection; flection

  

単語が文中で他の単語との文法的関係を表わすために,その語形をかなり規則的に替える現象をさす。屈折ともいう。西洋文典では,一般に名詞,形容詞,代名詞,数詞などの語形替変を曲用,動詞のそれを活用といい,両者を合せて屈折という。日本語の活用は人称や数の範疇がなく,切れ・続きの関係を主とする,かなり性格の異なるものである。なお,ここに「替変」という術語を用いたのは,共時論における文法的な語形の交替という意味で,通時論における「語形変化」 (「受く」の連体形が類推で'ukuru → 'ukeruと変化したことなど) と区別するためである。





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単語
単語

たんご
word

  

単に「語」ともいい,文と並ぶ文法の基本的単位。しかし,その定義および認定は,意味,形,職能のいずれに重点をおくかによって異なる。ほぼ共通に認められる点は,意味の面,アクセントなどの音形の面で一つの単位としてのまとまりをもち,職能的にもほかの単語がなかに割込むことがなく,内部要素の位置を交換することが不可能で,常にまとまってほかの単語と文法的関係をもつことであろう。また,正書法で分ち書きを行う際には,単語がその基本単位となるのが普通。日本語文法では,おもに学校文法でいう「助詞」「助動詞」「形容動詞」を単語とするか否かの認定で説が分れる。橋本進吉らは3つとも1単語,山田孝雄,時枝誠記,服部四郎,渡辺実らは「助動詞」の一部と「助詞」の大部分を単語,「形容動詞」は2単語,松下大三郎らは「助詞」「助動詞」とも単語以下の単位,「形容動詞」は1単語で動詞の一種とみなす。





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単語
たんご

ことばの最も基本的な単位として,我々が日常的・直観的に思い浮かべるのが単語である。そして我々はこの単語を一定のルールに従って結合させ,より大きな単位である文を構成し,それを表出することによって,他人との間にコミュニケーションを成立させているのである。したがっていわばことばの基本的な〈駒〉として,日頃用いる辞典は単語を集めその意味を記したものという意識があるし,外国語の学習にあたっても,何はともあれ一定数の単語の習得が養成されるのである。もちろん,単語はより小さな単位である音韻から成り立っているわけだが,個々の音韻は特定の意味と結び付いているわけではないのであり,この意味で単語は話者の意識では基本的かつ最小の単位と普通はとらえられていると言えるだろう。このような,単語的なものが,各言語の話者の意識内に存在することは,たとえば古い書記記録(碑文など)に,単語間のくぎりを示す記号が用いられていたり,スペースがあけられていることからもうかがわれるように,決して近代になって言語の科学的分析が行われるようになってからのものでないことがわかる。
 では,この単語には厳密にどのような定義が与えられるであろうか。実はこれはかなりやっかいな問題であり,文とは何かという問いかけ同様,単語についてこれで十分という答えを出すことはできない。たとえば,〈山〉〈川〉〈花〉〈時計〉〈歩く〉〈食べる〉〈寒い〉〈なつかしい〉等に対して,〈の〉〈が〉〈れる〉〈だ〉などは,どうであろうか。また〈おはし〉の〈お〉や〈ごはん〉の〈ご〉は単語なのだろうか。また〈神〉と〈お神〉は別の単語なのか,〈お神〉は1単語かそれとも2単語なのかという疑問も出てこよう。同じく〈読む〉〈読もう〉〈読め〉は別単語かどうなのか,どう考えたらよいのだろうか。このような事情は日本語に限らず,多くの言語について見られるのである。これらの問題は文法全体をどう構築するかという問題ともかかわってくるのであり,その中で単語をどう取り扱うかによってそれぞれ答えが違ってくるわけである。
 ただ一つはっきりと言えることは,我々が考える単語は必ずしもことばの最小単位ではないということである。すなわち一定の音韻連続と一定の意味(文法的意味をも含む)が結合したものは,たとえば〈寒い〉の〈‐い〉や,英語の playing の〈‐ing〉などもそうであり,これは単語の意識からはかけはなれたものである。言語学ではこの最小の有意義単位を〈形態素〉と呼ぶ。したがって単語は一つ以上の形態素から成り立っているということはできるわけである。しかし,これだけではなんら定義をしたことにはならない。そこでつぎに,文法的分析・記述を行う際に,単語というレベルをまったく立てないという立場は別にして,我々の素朴な意識に根ざす単語の姿を漠然とした姿のなかから少しでも輪郭をはっきりさせることは,むしろ文法記述の上からも有用であろうという見通しに立って,定義の試みのいくつかを以下に検討し,そこからどんな特徴を引き出すことができるかを見てみよう。
(1)書かれた場合にその前後にスペース等のくぎりが置かれ,しかもその中にはくぎりをもたない。――これは英語などの書かれた形についていうことができるし,上述のように古代からそのような例は見られる。しかし同じ書かれた形から定義してみても,これは日本語などの場合にはあてはまらないし,そもそも世界中の言語を見わたした場合,書記体系をもたない言語が圧倒的に多いという事実からすれば,書かれた形から単語を定義する試みは普遍的基盤を欠くと言えよう。
(2)音声的特徴を手がかりにする試みもある。――たとえば,書かれた場合のスペースに相当するものとしてポーズ(休止)を取り上げ,前後にポーズがあり,その途中にはポーズがないまとまりを単語とするのである。しかし,これも現実にはコンスタントに存在するわけでなく,実際の発話は音のとぎれない連続であることが普通なのである。また実際のポーズではなく,ポーズを置ける可能性としてみても大して変りばえはしない。たとえば日本語の場合だと,普通は仮名1文字分に相当する音(連続)ごとにポーズを置くことが可能であるが,そこからすぐに単語へと結びつけることは困難である。このほかに,アクセントや母音調和といった現象が手がかりになる場合もあるが,これもどの言語についても言える性質のものではない。
(3)意味面から,ひとつの意味的まとまりをもった単位とする。――これは何をもって〈ひとつの〉とするかが問題となるし,そもそも意味をどう考えるかという大きな問題を含んでいる。
(4)次に機能的な面からの定義として,アメリカの言語学者 L. ブルームフィールドの定義がある。これは,言語形式のうち文としてあらわれることのできるものを〈自由形式〉とし,最小の自由形式を単語とするものである。――しかし,この定義に従うと,日本語の多くの助詞や助動詞が,単語ではないということになる。
 これらの例からだけでも,単語が決して一つの視点からだけでとらえきれるものでないことが明らかであろう。一定の意味と音形をもち,しばしばそのまとまりが音声的・音韻的特徴によってしるしづけられているだけでなく,機能面でもそれらの特徴の単位として働きうるのであり,またそれを構成する内部要素は一定の順序に緊密に結合されている,といった形で複合的にとらえることによってのみ浮かび出させることのできるのが単語なのである。
 なお,こうして輪郭を与えられた単語は,さらに種々の観点から分類が可能である。すなわち,語形成に着目すれば,単純語,複合語,合成語といった分類が,また形態や意味などを基準にして名詞,形容詞,動詞などの品詞に分けることができる。                      柘植 洋一

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単語
単語 たんご 一定の意味をあらわし、文法上の働きをもつ言語の最小単位。

「山が高い」という文は、「山」「が」「高い」の3つの単語からできている。国語辞典、英和辞典の見出し語は単語である。

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活用
活用

かつよう
conjugation

  

単語が文のなかで他の単語との関係を表わすために行う語形替変の体系を「屈折」といい,西洋語では特に動詞の場合を「活用」,名詞,形容詞,代名詞の場合を「曲用」と呼んでいる。動詞に関係する文法範疇は,人称,数,時制,法,態などである。一方,日本語における「活用」は,用言 (動詞,形容詞,いわゆる形容動詞,助動詞) が,それ自身で終止したり,他の単語や接尾形式に続くときに示す語形替変の体系をさしていうのが普通である。読マ (-ナイ) ,読ミ,読ムなどをいわゆる「語尾」の母音に従って五十音図にあてはめ,「五段」「上一段」「下一段」「カ行変格」「サ行変格」 (以上口語動詞の例) などの「活用」に分類し,さらにそのなかを未然形,連用形,終止形,連体形,仮定形 (文語では已然形) ,命令形の6活用形に分けるのが学校文法における通例である。ただし,そのなかには単独で自立しえないものを含むなど,単語としての資格や機能の点で異質なものが混在している。





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活用
かつよう

日本語で,事態の叙述にあずかる語が,一定の用法に従って,体系的に語形を変化させること。語形とは音節連続の形式についていい,普通はアクセントに及ばない。英・仏語その他ヨーロッパ語のコンジュゲーション conjugation も語形の体系的変化であるが,その変化の示す意味が,人称,数,時,法,相などに関するのに対して,日本語の場合では,表に示すように,単独に用いられる際の切れ方,続き方の差(終止,中止,命令,連体,連用等),また後に結合する付属語の種類に応じて語形が変化する。
[活用形]  国文法では,普通にすべての活用語を通じてこれらの変化形を6個の欄(活用形)に配当して活用を体系づける。この6個の活用形は,文語のうち変化形の最も多い語〈死ぬ〉〈去(い)ぬ〉(な・に・ぬ・ぬる・ぬれ・ね)について定めたもので,その変化形の五十音順に,それぞれ代表的用法に従って,未然形,連用形,終止形,連体形,已然形(口語では仮定形),命令形という。語によっては2個の活用形が同形であるものがあり,またとくに口語では,1個の活用形中にいくつかの異なった変化形を配当しなければならない場合がある。すべての活用形と用法との組合せを矛盾なく作ろうとすると,もっと多くの活用形が必要になる。
[活用の型]  現代の口語では,大別して動詞型,形容詞型,ダナ型,特殊型の4種になる。動詞型には,(1)終末の音節の母音が交替することを主とするもの(五段活用),(2)一定の音節連続の後にル・レ・ロなどを交替添加また不添加することによるもの(上・下一段活用),(3)両者の混合によるもの(カ行変格・サ行変格活用)がある。形容詞型は,イ・ク・ケレなどの交替添加による。動詞・形容詞は,それぞれ動詞型・形容詞型の活用をもつ。助動詞には,動詞型・形容詞型のほかに,ダ・デ・ナ・ニ等の交替によるダナ型と,以上の各型に入れがたい特殊型とがある。形容動詞の活用はダナ型であるが,この交替部分を指定の助動詞〈だ〉そのものの添加と見ることもできる。さらに助動詞〈だ〉の各変化形を,それぞれ1単語(助詞)と考えることもできるが,各変化形の用法は動詞・形容詞の各変化形にほぼ一致し,各変化形を通じて意味上一貫性が認められるので,1個の活用系列中に収める。
[語幹と語尾]  動詞・形容詞(および形容動詞)では一般に,交替の行われる音節以下を活用語尾,それに先だつ部分を語幹と呼ぶが,動詞のルレ添加型では,直前の1音節(考えルの〈え〉,試みルの〈み〉)までを語尾に含める習慣である。なお,見ル・出ル・来ル等では,ルの前が1音節にとどまるが,これらは語幹・語尾の別のないものという分類をうける。語によっては,その活用語尾にあたる部分を含めて他の語幹となっているもの(重ねル―重なル,驚く―驚かス,喜ぶ―喜ばシイ),2語が語幹を等しく活用語尾の性質を異にするもの(流す―流れル,立つ―立てル,高めル―高イ)などがある。これらの対立は多くの場合,品詞や自他等の形式的意味の差を示すことになる。ただし,動詞の中では,ある活用形がつねに一定の形式的意味をもつとは簡単にはいえない。
[変遷]  文語では,中古語を基準とし,その活用の型は,細分において現代口語よりも多い。これらの間に併合が行われて,ほぼ現代語のようになったのは室町時代末以来のことである。上代はほぼ中古に等しいが,原始日本語における動詞活用の起源には,一元説と二元説がある。活用形について現代口語と文語ないし中古語との差異は,中古終止形の用法がすたれて連体形が終止法をもち(ダナ型を除き終止連体形が同一となる),未然・已然の用法上の対立が解かれ,連用形の音便が本来の連用形と用法を分けあい,未然形が助動詞〈む〉と結合して音転化をきたした,などである。ダナ型の活用語尾は室町時代末に形づくられたが,中古語でこれに当たるものは,助詞〈に〉に動詞型の一種の〈あり〉が結合したものである。原始語の動詞の活用形については,2個の原形から発展したとの推定がある。また中古以前では,終止形と連体形はアクセントでも区別されたらしい。形容詞の活用は,発達が動詞とやや異なるらしく,上代と中古との差は動詞の場合より著しい。なお,日本人自身が活用について観察したのは,中世以降のことで,近世末にいたって活用表が試みられた。富士谷成章の《あゆひ抄》の〈装図(よそいのかたがき)〉はその最も整備された例である。                 林 大

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活用
I プロローグ

活用 かつよう 語が語形を変化させて、さまざまな文法的機能をあらわすことを「活用」という。

II 日本語の活用

日本語では動詞、形容詞、形容動詞、助動詞が活用する。日本語の活用は、後ろにどんな語がつづくかによって語形が変化するというのが基本である。活用形としては、現代語については「未然形」「連用形」「終止形」「連体形」「仮定形」「命令形」の6つが区別されている。中古語では、現代語の「仮定形」は「已然形(いぜんけい)」とよばれる。現代日本語では、形容動詞をのぞいて、終止形と連体形が同じ形をとる。

活用する語の活用形は、すべての活用形を通じて不変の部分と、活用形によって変化する部分にわけられ、不変の部分を「語幹」、変化する部分を「語尾」という。動詞「見る」では、この形が終止形および連体形であるが、「見(み=mi)」が語幹であり、「る」が語尾となる。動詞「話す」の場合は、「話さ、話そ」「話し」「話す」「話せ」のような活用形をもつので、「話(はな)」までが語幹のようにみえるが、実際にはhanas-までが活用形を通じて共通であり、この形が語幹となる。

日本語の動詞は一般に、「見る」のように語幹が母音でおわるものと、「話す」のように語幹が子音でおわるものに分類される。語幹が母音でおわる動詞は「一段活用」の動詞、語幹が子音でおわる動詞は「五段活用」の動詞とよばれる。

一段活用と五段活用の動詞については、明確な語幹があり、その語幹に一定の語尾を付加すればそれぞれの活用形ができあがるので、活用の性質はひじょうに規則的である。一方、「する」と「くる」という2つの動詞だけは、すべての活用形に共通の明確な語幹をみとめることができない。したがって、語幹と語尾の区別も不明確であり、ほかの動詞とはことなった不規則な活用(変格活用)をする。

III ヨーロッパ諸語の活用

ヨーロッパ諸語では、動詞、形容詞だけでなく、名詞、代名詞および一部の数詞が活用する。ヨーロッパ諸語における語の活用の特徴は、活用形そのものによって語の文法的な機能があらわされるということである。

動詞は、主語の人称と数、時制、法、態にしたがって活用するのが原則である。ラテン語のferturという動詞の活用形は、主語が三人称の単数であって、現在時制、直説法、受動態であることをあらわしている。英語のようにそれほど動詞が活用しない言語でも、たとえばtakesであれば、この1語だけをみて、主語が三人称の単数、現在時制、直説法、能動態であることがわかる。

名詞については、それが主語であるか目的語であるかといった文中での働きに応じて活用する。名詞の文中での働きをあらわす語形は「格」とよばれ、したがってヨーロッパ諸語での名詞の活用形は、それぞれ、それに対応する一定の格をあらわしている。ただし名詞の活用形は、名詞のあらわす事物が単数であるか複数であるかによっても形がことなるし、名詞の属する性によってもことなった種類の活用形をしめすことがある。

古典ギリシャ語(→ ギリシャ語)の名詞には、主格、属格、与格、対格、呼格の区別があり、ラテン語ではこれに奪格が、サンスクリット語ではさらに具格がくわわる。数の区別についても、古典ギリシャ語とサンスクリット語には、目や手、ふたごのように、対になっているものをあらわす「両数(または双数)」のための特別の活用形がある。

形容詞は、名詞とほぼ同じタイプの活用をし、それが修飾する名詞の格、数、性と一致するように活用形がえらばれる。ただドイツ語では、名詞が定冠詞(→ 冠詞)をともなうか不定冠詞をともなうかによって、名詞を修飾する形容詞の活用語尾がことなる。また形容詞については、英語のtall-taller-tallest(「高い」の原級、比較級、最上級)のように、比較級や最上級をあらわす活用形があることが多い。

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曲用


曲用

きょくよう
declension

  

名詞およびそれに準じる単語が,文中において他の単語に対してもつ構文的機能を果すために行う語形替変の体系。活用 conjugationに対する。印欧諸語の大半は,名詞,代名詞,形容詞,数詞,分詞が,性,数,格による曲用をもつ。サンスクリット語には3つの性,3つの数,8つの格から成る曲用がある。ウラル語族やアルタイ諸語では,語幹に複数語尾,格語尾が規則的に接合して行われるのが普通。日本語ではこれらに相当するものは格助詞で表現されるが,格助詞は独立した単語の資格をもつので,曲用があるとはみなさない。ただし,琉球方言をはじめ,各地の方言で格助詞が前の名詞と融合し,曲用といえる状態になっていることが注目される。





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語形成
語形成

ごけいせい
word formation

  

2つ以上の形態素から単語を構成すること。すでに存在している単語またはそれに音形も意味もよく似ている形式を,2つ以上組合せて新しい単語をつくることを合成 (複合) といい,できた単語を合成語 (複合語) という (サカナ-ウリ,ホン-バコなど) 。既存の自立語 (単語) に接辞 (接頭辞や接尾辞) をつけて新しい単語をつくることを派生という。オ-テツダイ-サンなどは派生語である。また国語をもとにして漢字語をつくることもある (例:尾籠〈オコ→ビロウ〉など) 。逆形成 (料理→リョウル〈動詞〉など) や,省略 (見せ棚→店など) もある。





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語形成
ごけいせい

種々の方法によって新語を作ることをいう。通例3種に分ける。(1)複合(合成ともいう) 従来存在していた2単語以上を結合して新語を作ること。たとえば black bird(黒い鳥)は2語であるが,blackbird(ムクドリ)は1語であって複合である。ホン・バコ,クズ・カゴは複合語(合成語)である。何が複合語であるかは,どれを〈一単語〉とみるかにかかっている。〈サカナ〉は,本来は〈サカ(酒)・ナ(菜)〉であったが,今日では1語であり複合語とは認められない(これを〈仮装複合語〉のごとく呼ぶのは歴史的観点より見たものである)。(2)派生 語幹に接辞(接頭辞,接尾辞など)を付して新語を作ること。接辞は独立の単語ではないため,複合と区別される。たとえば〈赤さ〉は,〈サ〉という接尾辞を形容詞語幹〈アカ〉に付して派生された新語であった。英語 fresh‐ness,nois‐y も,‐ness(名詞を作る),‐y(形容詞を作る)という接尾辞を付して派生されている。英語 progress は,もとラテン語 pro‐(〈前ヘ〉)+gress(〈行くこと〉)からであるが,今日では派生語と見ず1語と見るべきであろう。それに対して pro‐American(〈親米の〉)においては,pro‐が今日なお造語力をもつ接頭辞であるため,派生語である。このような pro‐や,前記の‐ness,‐y などを〈生きた接辞〉という。また逆形成 back‐formation という現象もあり,それはたとえば英語 editor は,従来存在しなかった動詞 edit に,接尾辞‐or がついたと誤解され,動詞 edit が新たに作られた。ふつうの派生の逆の手順である。また〈卒論〉(〈卒業論文〉の略),パソコン(〈パーソナル・コンピューター〉の略)などは,短縮である。(3)語根創成 種々の方法によりまったく新たに語根を作るもの。〈コダック〉が古典的な例であるが,現代の商業文明にあってほとんど無数の商品名が創成されている。          三宅 鴻

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形態素
合成語
合成語

ごうせいご
compound

  

単語が2つ以上の要素に分析でき,そのおのおのと音形も意味も似た自立語が存在する場合,その単語を合成語 (複合語) という。クサ-バナ (草花) ,ツキ-ミ (月見) など。一方,オ-ニギリ (お握り) ,アカル-サ (明るさ) などの派生語は,分析すると,自立性をもたない接辞を必ず1つ以上含む点で合成語と区別される。合成語の分析にも通時論と共時論を区別すべきであって,「さかな」 (酒+菜) は起源的には合成語でも,共時的には1つの単純語である。ドイツ語 (例;Eisenbahn,鉄道) のように合成語の多い言語と,フランス語 (例;chemin de fer,鉄道) のように少い言語とがある。





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接辞
接辞

せつじ
affix

  

語根ないし語幹に接合される接合形式の総称。すなわち,それ自身単独では決して用いられず,常に語根など他の形式に続けて発話され,その語義的・文法的意義特徴を変更する働きをする言語形式。そのつく位置により,接頭辞,接中辞,接尾辞という。その機能により派生 (語幹形成) 接辞と替変接辞に分けられる。





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語根
語根

ごこん
root

  

単語を分析していって抽出される,その単語の意味の中核部 (語義的意義) をになう最小単位をいう。具体的抽出は分析の観点により異なる。たとえば mi-ru「見る」,mi-seru「見せる」において,共時論的には mi-が語根 (前者では同時に語幹) ,-se-が接辞,-ruが語尾と分析されるが,語源的にはさらに me「目」 (共時論的には分析不可能) ,ma-mo-ru「目守る=じっと見つめる」,meri (助動詞の「めり」) (←見アリ?) などを比較して を立てることができる。この場合,子音だけの単位は話し手の意識に反することなどを理由に を立てて語根母音の交替を認める立場もある。また「語根」は史的な分析に限定し,共時論では「語基」とする人もある。同一語根を含む単語群を「単語家族」といい,これが比較研究に用いられる。たとえば,kur-o-si「黒し」,kur-a-si「暗し」,kur-u「暮る」などから を抽出し,これをアイヌ語の単語家族の と比較することがある。印欧語族から1例をあげると,印欧語根 *gen- 「生む,生れる」は語幹母音の相違によって *gen- ,*gon- ,*g- という3つの形で現れ (→母音交替 ) ,英語では *gen- から gender,generationが,*gon- から epigone (子孫〈のちに生れた者〉) が,*g- (母音ゼロ) から nation,native,natureなどが派生した。





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語根
ごこん root

言語学の用語。ふつう,同起源の複数の単語が一言語内にある場合に,そのすべてに共通な音形部分をさす。意味的に見ると,単語の音形がなんらかの意味を有するいくつかの部分に分けられる場合に,その単語の意味の本質的部分に対応する音形部分ということになる。たとえば,okiru(起きる)と okosu(起こす)は,少なくとも歴史的には関係があり,共通部分として ok‐(あるいは,1モーラを分離しない考え方に立てば,o‐)が抽出されるが,それが語根であるといえる。ただし,同起源の複数の単語が存在するという状態でなくても,語根でなく,かつなんらかの意味に対応すると他の語例から確認されるものを含む単語の場合に,それ(ら)を差し引いた部分を語根と呼びうる場合もある。語根は,先の例のように単語の前の部分を占めるとは限らず,後の部分を占める場合(英語の enable〈可能にする〉の‐able)や,真ん中の部分をなす場合(uninteresting〈おもしろくない〉の‐interest‐)があり,また,接中辞がはいっている場合のように前後に分かれて存在する場合なども考えられる。また,語根とそうでないものとがはっきり分析できないような形で結びついて単語をつくっている場合もある。話し手にとっては,語根というものはかなり漠然とした存在であり,またその漠然性の程度にも非常な差がある。上例のok‐や‐able や‐interest‐は,比較的明確に意識されているものの例といえよう。なお〈語幹〉は,語根とははっきり異なる別の概念である。関連では〈語尾〉の項も併せて参照されたい。  湯川 恭敏

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母音交替
母音交替

ぼいんこうたい
vowel gradation; Ablaut; apophony

  

一般に印欧語比較文法の術語として用いられ,同語源に属する形態素にみられる音節主音の交替をさす。印欧祖語では造語法上・形態論上の重要な機能を果していた。現代英語の sing~sang~sung,songはその反映である。通例,母音交替には質的母音交替 (ギリシア語 lg~lgosのようなe~o交替) と量的母音交替 (e~; ei~i; eu~u; ,,~など) があるとされ,また階程により,延長階程,基礎 (強) 階程,弱階程 (低減階程とゼロ階程) に分けられる。動作者を示す接尾辞-terを例にとれば-tr~-tr (延長) ,-ter ~-tor (基礎) ,-t (低減) ,-tr (ゼロ) である。ギリシア語の「父」 (主格・単数) ,patr-a (対格・単数) ,patr-si (<t,与格・複数) ,patr-s (属格・単数) を参照。ただし,延長階程はあとから2次的に発達したものであり,これを除いて祖語の母音交替を音韻論的に整理すると,結局e~o~ゼロの一つの型にまとめられる。交替は祖語の古い時代に生じたもので,その原因はアクセントがからんでいると考えられているものの,なお未解決の問題を残している。いずれにしろ,元来は文法的機能をもたないまったく音声的な交替であったものが,その交替条件の消失とともに文法的機能をもつようになったと考えられる。転じて広く,インド=ヨーロッパ語族の諸言語以外における母音の交替現象に対しても母音交替という名称が用いられている。このときの英語は普通,vowel alternationが用いられる。





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母音変化
ぼいんへんか vocalic change

歴史的に見た母音の変化。母音変化には,(1)質の変化と,(2)量(長さ)の変化とがある。古典ラテン語には短母音/a,e,i,o,u/と長母音/´,^, ̄,ヾ,仝/の計10個の母音があった。これらが俗ラテン語では/a,ズ,e,i,o,タ,u/の七つに減少している。この場合,長短の区別が失われるとともに音質にも変化が生じている。つまり/a,´/→/a/,/^,i/→/e/,/ヾ,u/→/o/となり,/ ̄/→/i/,/仝/→/u/と短くなったが,短母音の/e/と/o/はそれぞれ広い/ズ/と/タ/に変わった。このため狭い/e/と/o/との間に質的な対立が生まれた。古典ラテン語と,俗ラテン語の直系にあたるイタリア語の間には,次のような対応が見られる。mare〈海〉は mare,s´l〈塩〉が sale となり,st^lla〈星〉がstella,silva〈森〉が selva,fヾrma〈姿〉が forma,vulp^s〈オオカミ〉が volpe,f ̄lia〈娘〉が figlia,m仝rus〈壁〉が muro となった。また,merda〈糞〉は/mズrda/,porta〈門〉は/pタrta/に変わった。
 なお母音の推移は,(a)アクセントの変化や(b)隣接子音の影響によることが多い。(a)ロシア語は/a,e,i,o,u/の5母音から成る。gorod[ュをorat]〈市が〉,goroda[をaraュda]〈(複数の)市が〉のように,無強勢の/o/は/a/に変わり,reka[r’iュka]〈川が〉,reki[ュr’ek’i]〈(複数の)川が〉のように,無強勢の/e/は/i/に変わっている。だから無強勢母音は/a,i,u/の三つとなる。(b)また,フランス語では母音の後に続く鼻音が前の母音を鼻母音へと変質させてしまっている。ラテン語の pヾns〈橋〉とmanus〈手〉は,フランス語でそれぞれ[p7][m8]と発音される。さらに,(c)長母音が二重母音化したり,(d)二重母音が長母音化したりすることもある。(c)ウラル系のエストニア語とフィンランド語を比べてみると,tee〈道〉が tie,tÅÅ〈仕事〉が tyÅ,soo〈沼〉が suo に対立する。これは中の長母音のee,ÅÅ,oo がそれぞれ ie,yÅ,uo と二重母音化した結果による。(d)現代日本語では,カウ[kau]〈校〉とコウ[kou]〈口〉はともに[koビ]と発音されているが,これは二重母音の[au]と[ou]が長母音化して[oビ]となった例である。
(3)母音変化において,それぞれの母音は舌の位置により相互に区別されるので,ある母音の変化が,隣接した母音の変化を促すことがある。中世英語には広い[タビ]と狭い[oビ]との対立があった。しかし,のち fole[fタビlト]〈馬の子〉が foal[foビl]のように[タビ]→[oビ]となったため,fol[foビl]〈ばか者〉はfool[fuビl]のように[oビ]→[uビ]と舌が上方へ押し上げられていった。なお,長母音をもっていた foal[foビl]は現代では[foul]と二重母音化している。
(4)英語の名詞で,単数形の〈足〉foot[fut]が複数形では feet[fiビt]となる。実は古英語以前では単数形/foビt/から複数形/foビti/が作られていた。ところが末位の複数語尾/i/が前の母音/oビ/を/eビ/に変質させたので,中世英語では/feビt/となり,これが現代では[fiビt]に推移した。こうした名詞の単数形と複数形との間に見られる母音交替を〈ウムラウト Umlaut(母音変異)〉と呼んでいる。これは後の前舌母音/i/が前の後舌母音/o/を前舌母音 e/に変えた逆行同化の例である。
(5)また,英語の動詞における現在形 bear[bズト]〈運ぶ〉と過去形 bore[bタト]の間に見られる母音[ズ]と[タ]の変化であるが,これはギリシア語のphレrヾ[phレroビ]〈運ぶ〉と phorレヾ[phorレoビ]〈常に運ぶ〉との対立などと関係がある。こうした/e/と/o/の交替は名詞 l¬gos[l¬をos]〈言葉〉と動詞 lレgヾ[lレをoビ]〈私は言う〉の間にも見られる。このような語形変化や派生変化における e/o の交替の起源は古く,インド・ヨーロッパ(印欧)基語にまでさかのぼるとされている。こうした母音の交替現象を〈アプラウト Ablaut(母音変差)〉と呼んでいる。
                         小泉 保

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語幹
語幹

ごかん
stem

  

単語の構成要素の一部で,単語から語尾を除いた残りの部分。語根がそのままなったり,語根に接尾辞がついた形がなったりする。膠着語においては,語幹は第2次,第3次,…と延長されることがある。'jom=u「読む」では'jom=が語幹であるが,'jom-ase=ru「読ませる」,'jom-ase-rare=ru「読ませられる」,さらに'jom-ase-rare-mas=eN「読ませられません」とまでなる。トルコ語も同様。 sev-in-dir-il-me-mek「喜ばせられないこと」 (sev-〈愛する〉,-in-〈再帰〉,-dir-〈使役〉,-il-〈受身〉,-me-〈否定〉,-mek〈不定詞〉) など。その単語の語義的意味は,語幹のなかに存在するとみることができる。





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語幹
ごかん stem

言語学の用語。同一の単語(といえるもの)が,あらわれる文脈によって,多くの場合にその意味の一部分を変異させつつ,その形の一部を変異させること(〈活用〉)があり,その場合に,文脈のいかんにかかわらず不変である部分を語幹と呼ぶ。ただし,個々の場合においては,どこまでを語幹とすべきか難しい問題となることがある。たとえば,日本語(の共通語)において naku(泣く)は,naka‐nai,naki‐tai,naku(hito),naku‐na,nake‐ba(ii),nake,nai‐ta といった形であらわれるが,この場合,語幹を na‐とするか,nak‐とするかが問題になる。nai‐ta のごとく‐k‐のあらわれない形があることから語幹を na‐とすることにも一理あり,また1モーラを切り離さずに扱う従来の支配的考え方でも na‐だけを語幹としてきた。しかし,圧倒的多数の形では na‐だけでなく k もあらわれるし,同様の活用をする動詞 kasu(貸す)では,すべての場合に kas‐までが不変の部分としてあらわれることから,完全には首肯(しゆこう)できない。しかし,nak‐を語幹とすると,nai‐ta に関してかなり不自然な説明が必要になる。こうした問題は,おそらく,言語本来の姿として,語幹といえる部分とそうでない部分との間にはっきりした境界が必ずなければならないということではないことに起因しているのであろう。なお,日本語では語幹は活用形の前の方を占めるが,すべての言語でそうであるわけではない。また,言語によっては,活用を示す単語のあるものに語幹がゼロであるといったものもありうる。日本語の kuru(来る)も考えようによっては語幹がゼロであることになる(ko‐nai,ki‐tai,……,koi,ki‐ta のごとくにあらわれ,k‐以外は不変部ではなく,1モーラを切り離さなければ,モーラ全体としてすべての活用形に不変のものはないから)し,また,たとえば,前接辞+語幹+後接辞で動詞の活用形ができあがっていて,子音一つで語幹になりうる場合に,その子音が歴史的な音韻変化によって脱落してしまって,結局ゼロを語幹とする動詞が現に存在することになっている言語もある。このように,語幹をめぐるさまざまな問題は,その言語の話し手にとって存在するのは,まず第1に個々の活用形(上の naka‐nai では,naka‐nai 全体をそうとってもよいし,‐nai がはっきりした意味をもっていることから,naka‐nai から‐nai を除いた naka‐ととってもよい)であり,第2に,それぞれの動詞に関しての全活用形の集合であり,そうした集合に共通な部分としての語幹というのは,それらに比べれば(言語によって,また品詞によって)程度の差こそあれかなり漠然とした存在である,ということによって生じていると考えられる。また,活用しない単語に関しては語幹をうんぬんすることはまずないが,それは単語全体が語幹に相当する(たとえば,ishi(石)は常に ishi であらわれるため,単語であるとともに語幹でもある)ため,とりたててうんぬんする必要がないからであろう。なお,語幹と語根とははっきり異なる別の概念である。              湯川 恭敏

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語幹
語幹 ごかん 語が活用してさまざまな文法的機能をあらわすとき、活用形を通じて変化しない部分を「語幹」という。語幹は、語の意味の中核的部分をあらわす。活用形によって変化する部分は「語尾」とよばれる。

日本語の動詞は、あとにどんな語がくるかによって活用する。「見る」という一段活用の動詞は、「見(ない)」「見(た)」「見る」「見れ(ば)」「見ろ」のように活用し、すべての活用形に共通の部分は「見(mi)」だから、これが語幹になる。五段活用の「話す」であれば、「話さ(ない)」「話し(た)」「話す」「話せ(ば)」「話せ」のように活用する。この動詞の語幹は、仮名で書きあらわしただけではわかりにくいが、hanasであり、語幹が子音でおわっている。日本語の動詞は一般に、一段活用の語幹はmiのように母音でおわり、五段活用の語幹はhanasのように子音でおわるという性質をもつ。

古代ローマの言語であるラテン語は、動詞だけでなく名詞も活用した。たとえば、dominus(主人)という名詞ならば、dominus(主格)、domini(属格)、domino(与格、奪格)、dominum(対格)のように活用し、活用形を通じて変化しない部分はdominまでだから、これが語幹となる。

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接頭辞
接頭辞

せっとうじ
prefix

  

接辞の一つ。それ自身単独で発話されることがなく,常に語根や自立語 (または自立語に音形も意味も似た形態素 ) に前接して全体で一語を形成し,その語根や単語に語義的特徴ないしは文法的特徴を加える役割を果す言語形式をいう。「お-寺」「まん-中」,prefixなど。接頭辞には「オ-」のようにいまなお生産力がある生きた接辞と,「素-手」「素-足」「素-顔」の「素-」のように限られた単語にしかつかず,すでに生産力を失ったものとがある。「か-弱い」「た-やすい」「さ-霧」などにおいては,現在では意味が不明瞭か不明なものになっている。接辞は自立性の点で合成語の構成要素と区別されるが,「うち-明ける」「さし-戻す」など,その固有の意味が失われ,境界線上にあるものもある。





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接頭語
接頭語 せっとうご 語の前につけて、語があらわす意味を少し変化させたり、語の品詞をかえたりする働きをする語。名詞や動詞などの普通の語とはことなり、かならず他の語とともにもちいられなければならず、語としての独立性がないため、「接頭辞」とよばれることもある。

日本語の接頭語としては、「お米」「お電話」にみられる「お」、「か細い」「か弱い」にみられる「か」などがあるが、種類は多くない。また、「おテレビ」や「か楽しい」のような語をつくることができないことからもわかるように、接頭語をもちいて自由に新しい単語をつくることができるわけでもない。

英語には、unkind(不親切な)のun、returnのreなど、たくさんの接頭語がある。また、large(広い)という形容詞に接頭語enをつけてenlarge(拡大する)という動詞をつくったり、war(戦争)という名詞に接頭語preをつけてprewar(戦前の)という形容詞をつくったりするように、もとの語の品詞をかえる働きをする接頭語もある。

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自立語
自立語

じりつご

  

(1) 橋本進吉の術語。それだけで文節をつくることのできる単語で,1つの文節は必ず1つの自立語を含む。「詞」ともいい,「辞」である付属語に対する。「花ガ咲ク」の「花」「咲ク」など。助詞,助動詞を除くすべてが含まれる。 (2) 服部四郎の術語。発話段落として現れることがあり,しかも文に該当する発話あるいは発話段落として現れることもある単語。自立語は自由形式でもあり,かつ自立形式でもある。要するに,それだけで発話することのできる単語,それだけで自立できる単語をさす。具体的には日本語の場合 (1) とほぼ同じであるが,より一般言語学的観点から定義したもの。





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自立語
自立語 じりつご 国文法の用語で、それだけで具体的な内容をあらわし、単独で文節を形成することができる語のこと。自立語には、名詞、動詞、形容詞、形容動詞、代名詞、副詞、連体詞、感動詞、接続詞がふくまれる。自立語ではない語は「付属語」とよばれる。

言語学では、具体的な内容をあらわす語は「内容語」とよばれていて、自立語と内容語はほぼ同じような意味をあらわしている。内容語でない語は「機能語」とよばれる。

自立語があらわす内容は、文があらわす事柄について、その中核的な性質を決定するために重要な役割をはたしている。動詞や形容詞は事柄の枠組みをあらわすし、名詞は事柄の主体や動作の対象など、事柄の具体的な性質をきめる事物をあらわしている。

ただし、すべての語を自立語と付属語、あるいは内容語と機能語の2種類に、完全に分類することはむずかしい。名詞、動詞、形容詞、副詞という主要な品詞を自立語や内容語に分類することについては問題ないが、連体詞や感動詞などの、それほど具体的な内容をあらわすとはかぎらない語を、どちらの分類にふくめるかについては、学説によっても考え方がことなる。

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言語学・ゲームの結末を求めて(その10) [宗教/哲学]

共時言語学
共時言語学

きょうじげんごがく
synchronic linguistics

  

一言語の一時期における状態 (共時態) を記述し研究する言語学の一部門。言語を時間の流れにそって変遷する相として把握する通時言語学,史的言語学に対する。すでに共時言語学を唱え,記述を実行していた学者もあったが,これを明確に述べ,後世に大きな影響を与えたのはソシュールである。彼により,話し手にとり意識されるのは現在の状態のみであり,過去は関係のないこと,特定共時態をみると,もろもろの言語単位が互いに他と張合って一つのまとまった体系・構造をなしていることが明らかにされ,19世紀までの史的言語学のみが科学であるという考えが打ち破られて,記述言語学・構造言語学への道が切り開かれた。しかし,史的言語学と対峙するのではなく,観点を明確にし,方法上の誤った混同を避けることによって,歴史をも含む言語の諸相全体への理解が深められるといえる。たとえば,dという音は一方においてb-d-gという有声閉鎖音の系列の一員であり,他方t-d-nという歯音の系列の一員であるという構造的・機能的観点から,dを記述するのは共時的言語学の仕事である。これに対して,dという音は印欧祖語 *d ( *dek 「10」=サンスクリット語 daa,ギリシア語 dka,ラテン語 decem) からゲルマン祖語 *t (ゴート語 tahun,古ノルド語 tu,英語 ten) を経て,ドイツ語でz (zehn[tse:n]) となることを記述するのは史的言語学の仕事である。





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通時言語学
通時言語学

つうじげんごがく
diachronic linguistics

  

時間の流れにそった言語の歴史的変遷を研究する言語学の一分野。この術語そのものは,ソシュールが共時言語学との対比において用いたものであるが,彼の通時言語学は,それまでの言語学と同様,19世紀流の要素主義で,体系的なものではなかった。その後,変化は確かに個々の要素に生じるものであるが,それがどういう体系の変化を引起すか,変化前の体系と変化後の体系の関係はどうかといった観点から,通時論に体系の概念を導入し,共時論との立体的なからみ合いのうちに言語変化をとらえようとする試みがいろいろなされている。史的言語学 (歴史言語学) も同義で使われるが,通時言語学をソシュールのそれに限定し,両者を区別する考え方もある。





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史的言語学
H.パウル
R.ヤコブソン
N.トルベツコ
ジュネーブ学派
ジュネーブ学派

ジュネーブがくは
Geneva school

  

言語学の学派の一つ。ジュネーブ大学でソシュールから教えを受けた C.バイイや A.セシュエを中心として形成された。ソシュールの教えを出発点とした構造言語学の学派であるが,言語の情意的な面に強い関心を示していること,共時言語学の特に構文論,文体論に力を入れていることが特徴である。





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構造言語学
構造言語学

こうぞうげんごがく
structural linguistics

  

言語はばらばらな成分の寄せ集めではなく,一定の構造・体系をもつものである,という想定のもとに,その構造と機能を研究しようとする言語学。この意味では,現在の言語学はほとんどすべて,多かれ少なかれこの観点に立っている。 19世紀のカザン学派が先駆者とみられるが,構造的言語研究の盛んになるきっかけとなったのは,ソシュールの『一般言語学講義』 (1916) である。 N.トルベツコイ,R.ヤコブソンらのプラハ学派,L.イェルムスレウらのコペンハーゲン学派,L.ブルームフィールドに始るアメリカの狭義の構造主義者などの活動が,1930年頃から急速に発展した。それぞれ興味の中心や研究法に違いはあるが,根本的な言語観には共通点がある。現在注目を集めている生成文法は,方法論的に狭義の構造言語学とは対立するが,文を中心に言語の構造を解明しようとしている意味で広義の構造言語学に入れることができる。





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構造言語学
こうぞうげんごがく structural linguistics

構造言語学ないし構造主義言語学ということばは,ふつう1920年代から50年代にかけてヨーロッパとアメリカに生じた革新的な言語学の諸流派を総称するのに用いられるが,具体的にはプラハの音韻論学派(プラハ言語学派),コペンハーゲンの言理学グループ,アメリカの記述言語学の諸集団およびそのどれにも属しない諸学者の多種多様な主張や見解が含まれる。最大公約数的な理論上の特徴をあえてあげるならば,言語を記号学的体系と認め,あらゆる言語に普遍的な最小の記号単位の数や組合せの面での相違が言語体系の構造の差異を作ると考えて,各言語の精密かつ全面的な構造的記述の理論と実際を追求する立場といえよう。
[構造言語学の先駆者たち]  19世紀末から20世紀初頭にかけての言語研究は青年文法学派によるインド・ヨーロッパ語の史的比較研究(比較言語学)が主流をなし,生きた言語の記述や言語一般の性質の研究はあまり振るわず,しかも伝統的なギリシア・ラテン文法の概念や枠組みへの無批判な依存や,言語と意識・心理・思考を同一視ないし混同する俗流的解釈にとどまっていた。しかし,アメリカのサンスクリット学者 W. D. ホイットニーや帝政ロシアの比較言語学者であるポーランド人のボードゥアン・ド・クルトネとカザン大学でのその弟子クルシェフスキ Mikoかaj Kruszewski(1851‐87)らはすでに19世紀の70年代から80年代にかけてその著作や講義の中で社会的な伝達の手段としての言語の記号的性質を正しく把握し,その中心に弁別的機能をもつ音素的な単位を想定する考えを示した。彼らはいずれも諸言語に共通する,ことばの社会的機能や記号的性質を研究する普遍主義的・構造主義的な言語研究の新しい分野の可能性を説いたが,同時代の大多数の学者から無視される結果となった。
[ソシュールと構造言語学]  近代における言語学のコペルニクス的転換の契機を作ったとされ,近代言語学の父とも呼ばれる F. de ソシュールは若くしてインド・ヨーロッパ語比較文法の俊秀として令名があり,パリで A. メイエをはじめ多くの比較言語学者を育てたが,1891年から生れ故郷のジュネーブに移り,1913年に死ぬまで大学の教壇に立った。その死後16年になって弟子たちが筆記ノートを集めて彼の講義を復原し,師の名による《一般言語学講義》として出版した。ソシュールがホイットニーとボードゥアン・ド・クルトネおよびクルシェフスキの所説を評価していたのは事実であるが,この《講義》では新しい言語学の対象と方法がはるかに明快に,かつ正面切って提出されている。たとえば,有名な〈ラング〉と〈パロール〉の区別をはじめ,言語の記号学的性質,言語記号の恣意性とその線的性質および離散的(示差的)性質,ラングの共時態と通時態の区別など,当時としてはきわめて革新的な見解が示されている(詳しくは〈ソシュール〉の項を参照)。しかしこのソシュールの理論も初めのうちは極端として退けられる場合が多く,欧米ともに積極的に評価する人はごく少数であった。ジュネーブで学んだモスクワ言語学サークルのカルツェフスキー Sergei O.Kartsevskii(1884‐1955)はその一人で,彼を通じてモスクワでソシュールの学説を知った N. S. トルベツコイや R. ヤコブソンが1926年結成されたプラハ言語学派に拠ってソシュール学説の発展としての音韻論学説の構築を始めたのがヨーロッパにおける構造言語学とソシュール評価の始まりであった。
[ブルームフィールドと構造言語学]  一方,この時期のアメリカではアメリカ・インディアン諸族の文化人類学的研究の進展の中で,その言語の記述のために伝統的な文法によらぬ客観的な方法を必要としていた。アメリカ・インディアン諸語を広く研究した E. サピアはその著書《言語 Language》(1921)の中で音声的実態とレベルを異にする音韻論的体系の存在に気づき,これを〈音声パターン sound pattern〉と呼ぶ一方,言語の意味や機能よりは形式の方が体系として研究しやすいことを説き,歴史的・発生的関係に頼らずに純粋に形式的な基準による言語の類型論的分類への道を開いた。しかしアメリカ構造言語学の開祖となったのは彼と同年代の L. ブルームフィールドで,その著書《言語Language》(1933)は行動主義心理学に基づく記述言語学の具体的な方法論を明快に示すものであった。その手法は観察可能な外面的要因から出発して言語コミュニケーションの内容へと至る反メンタリズム anti‐mentalism のアプローチと,一言語体系の諸単位が占め得るあらゆる位置的分布の記録・分析による機能や意味の同定であり,後者はとくに分布主義 distributionism と呼ばれるアメリカ構造言語学特有の方法的特徴となった。
[構造言語学の諸流派]  (1)プラハ言語学派の最大の貢献は音韻論の諸原理の完成にあり,とくに先に名をあげたトルベツコイとヤコブソンの業績によっている。形態音韻論や通時音韻論に特色があり,音素の定義自体もアメリカの音素論とは異なり意味弁別の機能に基づく。ほかに詩的言語(詩学),文の現実的区分(伝達目的による機能的区分――FSP(FunctionalSentence Perspective の略))などの分野でもパイオニアとなった。(2)コペンハーゲン言語学サークル(1934創立)はソシュールの記号学的側面の完成を意図した L. イェルムスレウによる言理学 glossematics を特色とし,新ソシュール主義 Neosaussurianism とも呼ばれた。数学的抽象化による論理的文法を追求し,言語以外の手段を含むコミュニケーション記号の一般理論を目ざし,機械翻訳のためのメタ言語の設定の理論も開拓した。(3)アメリカ構造言語学の諸派。1930年代後半から50年代にかけての約20年は L. ブルームフィールドの追随者たちによるアメリカ構造言語学の全盛期でその影響は全世界に及んだが,末期には理論的行詰りを生じた。音素論ではブロック Bernard Bloch(1907‐65),トウォデルWilliam Freeman Twaddell(1906‐ ),形態論ではハリス Zelig Harris(1909‐ ),ホケット CharlesHockett(1916‐ ),ナイダ Eugene Nida(1914‐ )らの業績が重要である。分布主義的方法論の祖述としては先のブロックとトレーガー GeorgeTrager(1906‐ )の《言語分析概説 Outline ofLinguistic Analysis》(1942)とハリスの《構造言語学の方法 Methods in Structural Linguistics》(1951)が代表的であるが,とくに後者は分布主義の方法論的行詰りを認め,弟子の N. チョムスキーによる反分布主義的な変形生成文法(生成文法)への道を開いた。(4)上述のどの流派とも密接な関係をもち,しかも独自の立場に立つのはフランスの A. マルティネであり,機能的音韻論を推進する一方,省力化ないし経済性の観点から音声変化を説明する独自の通時的音韻論の試みを示した。
 構造言語学の諸原理は70年代にはもはや単一の学派的主張としてではなく,現代言語学の主要潮流のすべてに共通し分有される基本的テーゼとなっている。構造言語学とくにプラハの音韻論の開発した構造分析の方法論は他の学問的領域にも適用され,たとえば文学研究,フォークロア研究,神話学,文化人類学,社会学などにおける構造主義の発達に明瞭な影響を与えている。⇒記号∥言語学∥構造主義         佐藤 純一

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構造言語学
構造主義の源は、スイスの言語学者ソシュールがとなえた構造言語学にある。彼は言語をその表層的な意味によってではなく、より深層にかくされた不変的な意味すなわち構造によって記号的にとらえようとした。その後ヤコブソンらにひきつがれた、構造としてものごとをとらえるこの方法は、フランスの人類学者レビ・ストロースによって人類学に適用されて大反響をよび、多くの思想家に大きな影響をあたえることになった。
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カザン学派
カザン学派

カザンがくは
Kazan school

  

1870年代にカザン大学にいた J.ボードアン・ド・クルトネーと M.クルシェフスキーを中心とする言語学の流派。 20世紀の構造言語学の先駆として,ポーランドやロシアの言語学者,プラハ学派に大きな影響を与えた。





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J.ボードアン・ド・クルトネー
ボードアン・ド・クルトネー

ボードアン・ド・クルトネー
Baudouin de Courtenay,Jan Ignacy Niecisaw

[生] 1845.3.13. ラジミン
[没] 1929.11.3. ワルシャワ

  

ポーランドの言語学者。プラハ,ベルリン,イェナ,ライプチヒでインド=ヨーロッパ語族を研究し,1870年博士。その後カザンで研究,教育に専念し,言語に対する体系的構造的見方,共時論と通時論,音素など,ソシュールとかなり共通する考え方を提唱した。また 19世紀の比較言語学だけでなく,方言の実態にも注目して言語混交の問題を論じ,幼児言語,形態音韻論,言語類型論など広く一般言語学に及び,さらに言語学を科学一般のなかにどう位置づけるかというような射程の大きい見方をもっていた。主著は『音韻交替試論』 Versuch einer Theorie phonetischer Alternationen (1895) ,主要論文を集めた"A Baudouin de Courtenay Anthology:The Beginnings of Structural Linguistics" (E.スタンキエビッチ編,1972) など。





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ボードゥアン・ド・クルトネ 1845‐1929
Jan Niecisかaw Baudouin de Courtenay

ポーランドの言語学者。ロシアでは IvanAleksandrovich B. de Kourtenay。ロシアとポーランドの種々の大学で教鞭をとり,クルシェフスキ,ポリワノフ,シチェルバら多くのすぐれた言語学者を育てた。なかでも〈カザン学派〉は有名。ラングとパロール,共時態と通時態,音と音素それぞれの区別の必要を早くより説いていたため,現在ではソシュールと並ぶ,構造主義言語学の先駆者と称されている。ことにプラハ言語学集団の機能主義に対する影響は少なくない。また,言語の体系性の重視,言語進化の説明に際してのエコノミーという概念の適用,音と文字の区別の強調などでも知られる。そのほか,一般言語学の分野以外でも,印欧比較言語学,スラブ諸語の比較歴史文法やタイポロジーに多くの業績を残している。ダーリのロシア語辞典の改訂者でもある。主著は《言語学と言語に関する若干の一般的所見》(1870),《音交替理論の試み》(1894)。       桑野 隆

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ボードゥアン・ド・クルトネ,J.N.
I プロローグ

ボードゥアン・ド・クルトネ Jan Niecis?aw Baudouin de Courtenay 1845~1929 ポーランドの言語学者。ロシアとポーランドで活躍した。比較歴史言語学から構造言語学への移行に際して、ソシュールとともに先駆的役割を演じた。

II 言語はすべて混合言語

ワルシャワ近郊のラジミンに生まれ、ヨーロッパのいくつかの大学で言語学をまなぶ。23歳のとき、「ポーランド語曲用変化における類推作用の若干の場合について」を発表、のちにおこった構造主義研究の一限界についてすでに卓見を発表している。

この後、スロベニア語のレジヤ方言を研究、言語の地域的変化を歴史的変化を背景としてとらえ、「言語はすべて混合言語である」という認識に達した。1875年カザニ大学(→ カザニ)に職をえるや、弟子のクルシェフスキらと構造言語学に刺激をあたえた「カザニ学派」をきずきあげた。その後エストニアのタルトゥ、ポーランドのクラクフ(→ クラクフ大学)で弟子を養成、1900年以降ペテルブルグ大学にもどって、スラブ言語学(→ スラブ語派)を中心に一般言語学で幅の広い業績をあげた。

III 機能から構造へ

彼の業績の中には、音素(→ 音韻論)、形態素(→ 形態論)、ラング(言語)とパロール(話)の区別、通時性と共時性(→ 言語学)など、のちにソシュールの功績に帰せられるものが、すべてといっていいほどふくまれている。それらの基礎に「機能」という概念がある。この機能から構造という発想はプラハ学派にうけつがれている。その思想の豊かさは驚異的で、現在でもまだじゅうぶんに評価されているとはいえない。

言語学以外に民族問題にも関心のあったボードゥアンは一時投獄されるが、1917年にペテルブルグ大学に復帰、翌年祖国ポーランドにもどり、死の直前までワルシャワ大学で名誉教授として教鞭をとった。

十指にあまる言語で書かれた300余の言語学関係の論文が全集として6巻にまとまったのは、やっと1990年のことである。

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M.クルシェフスキー
クルシェフスキー

クルシェフスキー
Kruszewski,Mikoaj

[生] 1851
[没] 1887

  

ポーランドの言語学者。ロシアのカザン大学で J.ボードアン・ド・クルトネーに学ぶ。音韻変化の研究に音素の概念を打出した。ボードアン・ド・クルトネーとともにカザン学派の中心となり,構造言語学の 19世紀における先駆者の一人とみられている。





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音素
ソシュール
N.トルベツコイ
トルベツコイ

トルベツコイ
Trubetzkoi,Nikolai Sergeevich

[生] 1890.4.25. モスクワ
[没] 1938.6.25. ウィーン

  

ロシアの言語学者。貴族の家に生れて,ロシア革命を逃れ,1922年以降死ぬまでウィーン大学教授の職にあった。スラブ語派,フィン=ウゴル語派,カフカズ諸語など多くの言語を対象として比較言語学的研究をし,また一般言語理論にも貢献した。しかし彼が最もよく知られるのは,ソシュールや J.ボードアン・ド・クルトネーの影響を受けて音声の研究に音韻的対立と相関関係の概念を導入し,プラハ学派の有力メンバーとして,R.ヤコブソンらとともに音韻論を創始したことによる。著書で最も重要なのは死後出版された『音韻論の原理』 Grundzge der Phonologie (1939) 。





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トルベツコイ 1890‐1938
Nicolai Sergeevich Trubetskoi

言語学者。モスクワ大学哲学教授 S. N. トルベツコイを父としてロシア貴族の家に生まれ,早くから民族誌学に関心をもつ。モスクワ大学を卒業してライプチヒに学んだ後,母校で比較言語学を講ずる。革命を逃れてロストフ大学,ソフィア大学に転じ,22年にはウィーン大学教授。プラハ言語学派の中心人物の一人で《音韻記述への手引 Anleitung zuPhonologischen Beschreibungen》(1935),《音韻論要理 Grundz‰ge der Phonologie》(1939)によりプラハ言語学派音韻論の方向を定めた。
 1936年に学術誌に発表した論文《音韻対立のための理論の試み》の前後から〈対立〉をとらえる理論を模索し,これが晩年の理論課題となった。そこで彼は音差異を示す項の間の〈共通特性〉に着目するが,この項は“関与特性”のほかに“位置特性”をも含むのである。たとえば lip の l は,nip,tip,chip の n,t,ch と対立する音特性(“側音性”)を含み,この特性は pill の ll においてもそれを pin,pit,pitch の n,t,tch と対立させている(“関与特性”)。しかし lip の l と pill の ll は,同じ音特性を共通特性としてもちながら,かつ明るい音色,暗い音色の違いももつが,これはこの言語では対立を作り出さない(“位置特性”)。さて,(1)同じ共通特性をもつ項が位置特性のみで異なる場合,これらの項は直接的にも間接的にも対立しない。それらは同じ音韻単位に含まれる変異音をなすのである。しかし,(2)同じ共通特性をもつ項が,関与特性で異なる場合,たとえそれらが同じ位置で直接対立しなくても(たとえば英語,ドイツ語の h/ペ),〈間接的〉な音韻対立が成立している(h と ペ は共通の同じ仲間(さまざまな子音)に対して,異なった関与特性により対立しているのだから)。
 ところで,p/b のごとき2項が,ある位置(語末)で無声の p しか示さなくなると(ドイツ語,ロシア語),この“無声性”はこの位置では関与特性ではなく位置特性となる。すると上の(1)と同じ理由で,この p は p/b のいずれとも音韻対立をなさず,両者の変異音となる。この現象を彼は〈音韻対立の中和〉と呼んだ。ただし彼は3項以上の項の間の対立の中和には触れなかった。⇒音韻論
                        渡瀬 嘉朗

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トルベツコイ,N.S.
I プロローグ

トルベツコイ Nikolai Sergeevich Trubetskoi 1890~1938 ロシアの言語学者。プラハ学派の中心的学者として、構造主義的な観点から言語学の一分野としての音韻論を確立した。

モスクワ大学の哲学教授の息子としてモスクワに生まれる。モスクワ大学を卒業後、ライプツィヒ大学で比較言語学をまなんだ。1915年からモスクワ大学の私講師となり比較言語学を担当したが、ロシア革命のため、ロストフのドン大学、ソフィア大学をへて、22年にウィーン大学のスラブ語学の教授となった。38年に、ナチス(→ ナチズム)による圧迫をうけて病死した。

II 音韻論を確立

トルベツコイは、最初はフィン・ウゴル諸語、カフカス諸語、古シベリア諸語の民族学的研究や比較研究をおこなっていたが、1926年に設立されたプラハ学派に28年から参加し、その中心的なメンバーとなった。その主著「音韻論の原理」(1939。死後出版)では、単語の意味の区別に役だつ音の単位としての音素が、言語の中でほかの音素と対立するための原理を解明しようとした。トルベツコイによって、ソシュールが主張した言語の体系性という原理が音韻の研究において適用され、言語学における独立した分野としての音韻論がつくりあげられたと考えることができる。トルベツコイが音韻の分析について提出した考え方は、音韻論だけでなく、統辞論や意味論の分野の研究にも大きな影響をあたえた。音韻論と形態論の中間的なレベルとしての「形態音韻論」という分野や、地域的に近接した諸言語が同じような特徴をもつようになるという現象に関しての「言語連合」という概念もまた、トルベツコイの提案したものである。

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プラハ言語学派
プラハ学派

プラハがくは
Prague school

  

1926年にチェコスロバキアのプラハに創立されたプラハ言語学会を中心とする言語学の一学派。この学会の中心になったのは,R.ヤコブソン,N.トルベツコイ,S.カルツェフスキー,V.マテジウス,B.トルンカ,B.ハブラーネクらで,29年に紀要『プラハ言語学会報』 Travaux du Cercle Linguistique de Prague (1939年まで。 64年から『プラハ言語研究』 Travaux linguistiques de Pragueとして再出発) を創刊。機能を重視する構造主義的言語観を最初から打出し,特に音韻論の発達に大きく貢献。言語類型論,スラブ語学,詩学の発達にも寄与している。





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プラハ言語学派
プラハげんごがくは

1920年代にチェコスロバキアのプラハで興った構造主義の古典学派の一つで,言語学を中心に文芸理論とフォークロア研究の領域で華々しい活躍をした。プラハ言語学サークル,プラーグ学派などとも呼ばれる。この学派の中心になったのはチェコ人のマテジウス Vilレm Mathesius(1882‐1945)とロシア人の R. ヤコブソンで,このほかにやや遅れてこの学派に加わった N. S. トルベツコイ,文芸理論で業績を残したムカジョフスキーJan Muka¥ovsk∀(1891‐1975)や,フォークロア研究でのボガトゥイリョフ P∫tr Grigorievi∴Bogatyr∫v(1893‐1971)らがいる。
 この学派の理論的先駆者はボードゥアン・ド・クルトネと F. de ソシュールで,前者の〈機能〉,後者の〈構造〉という概念を受け入れて,言語,文芸理論,フォークロアなどの分野でこの二つの基本概念から分析を行い,今日でも依然として価値のある業績を残している。この学派が残した功績は20~30年代の音韻論,30~40年代の構造美学,40~50年代の記号芸術論と,その適応領域は広く,文の分析を言語外現実との関連でとらえる〈テーマ・レーマ理論〉は30年代から80年代まで発展を続けている。
 この学派の第1期はナチスによるチェコ占領の1938年までで,この時期には国内向け雑誌《言葉と文学 Slovo a slovesnost》と外国向けの紀要《TCLP(Travaux du cercle linguistique dePrague)》におもな業績が現れている。学派それ自体は52年にチェコスロバキア学士院へ改組されるが,サークルとしてスタートしたこの学派の伝統は,スカリチカ Vladim∩r Skali∴ka,バヘック J.Vachek,ホラーレック K. Hor⊂lek らの第2期のメンバーに受け継がれ,類型論,文体論,中心領域・周辺領域理論,テーマ・レーマ理論など第1期に劣らぬ隆盛をみせる。しかし,68年のソ連軍のプラハ侵入以後衰亡し,わずかに F. ダネシュ,K. ハウゼンブラス,P. ズガル,O. レシュカ,J. フィルバスらが個別に研究を発表しているにすぎない。なおこの学派には B. ハブラーネック,S. カルツェフスキーらのスラブ語の研究も多い。⇒構造言語学∥詩学[フォルマリズムに始まる詩学の発展]                      千野 栄一

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プラハ学派
I プロローグ

プラハ学派 プラハがくは Prague School 言語学史上、構造主義の古典的学派のひとつ。ボードゥアン・ド・クルトネから機能という概念を、ソシュールから構造という概念をうけつぎ、トルベツコイを中心に音韻論を創立、機能構造主義的言語学派をつくりあげた。

II ロシア勢の活躍

この学派にはチェコの言語学者ビレーム・マテジウス(1882~1945)を中心に、チェコ、スロバキア、ロシアなどの言語学者があつまった。なかでも、ヤコブソン、トルベツコイ、S.O.カルツェフスキー、P.G.ボガトゥイリョフなどのロシア勢の活躍にめざましいものがある。その最大の業績はトルベツコイの「音韻論の原理」である。

チェコの言語学者ではこの派のバックボーンであったマテジウスをはじめ、B.トゥルンカ、B.ハブラーネック、J.ムカジョフスキーが有名である。なかでもハブラーネックの文語論、ムカジョフスキーの詩の言語の理論がとりわけ重要である。

1920~30年代に学派の最盛期をむかえたプラハ学派は、第2次世界大戦後の50~60年代にも第2期の盛り上がりをみせた。マテジウスの現実分析の理論は、これまでの統語論とはちがう、旧情報・新情報の理論を発展させた。類型論のV.スカリチカ、言語と文学の接点での微妙なニュアンスをさぐったP.トゥロスト、この派の理論を広く世界に広めたJ.バヘックなどが第2期をささえた人々である。

III フォークロア研究

ヤコブソンはこの派の全時期を通じて活躍し、音韻論、詩の理論で大きく貢献した。言語学以外では、ムカジョフスキーの詩の理論や、文芸批評、ボガトゥイリョフの構造主義的フォークロア研究が有名である。

国際的なTCLP(プラハ言語学サークルの紀要)である「言葉と文学」誌(チェコ語)を中心に、プラハ学派は機能構造主義的研究で数多くの業績をのこした。だが、1990年代には再建の声もむなしく、実質上の終焉(しゅうえん)をとげつつある。

→ 言語学の「プラハ学派」

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R.ヤコブソン
ヤコブソン

ヤコブソン
Jakobson,Roman

[生] 1896.10.11. モスクワ
[没] 1982.7.18. マサチューセッツ,ケンブリッジ

  

ロシア生れのアメリカの言語学者。 1920年にチェコスロバキアのプラハに移り,プラハ学派の有力な一員として活躍。 41年アメリカに移住,ハーバード大学,マサチューセッツ工科大学などの教授をつとめた。一般言語学をはじめ言語学の非常に広い分野にわたってすぐれた業績を上げているが,特に音韻論と形態論における構造主義的方法の推進と,言語現象を広い視野でとらえる総合的学風とで知られる。また詩学の領域でも業績が大きい。8巻の著作集"Selected Writings" (1962~86) が刊行され,ほかに『小児語・失語症・一般音声法則』 Kindersprache,Aphasie und allgemeine Lautgesetze (1941) や,M.ハレ,G.ファントと共著の『音声分析序説』 Preliminaries to Speech Analysis (52) などの著書がある。





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ヤコブソン 1896‐1982
Roman Jakobson

20世紀を代表する言語学者の一人。モスクワに生まれ,1918年モスクワ大学を卒業,20年モスクワ高等演劇学校教授となったが,同年夏,プラハ駐在のソビエト外交使節団の一員として出国,以後39年までチェコスロバキアに滞在した。その間,26年にプラハ言語学派の創立に参画し副会長となったほか,33年からはブルノのマサリク大学の助教授としてロシア語学・文学および中世チェコ文学を講じた。39年ナチス・ドイツのチェコ侵略に際しデンマークに逃れ,その後ノルウェーとスウェーデンを経て,41年アメリカ合衆国に移った。42年ニューヨークの自由フランス政府設立の高等研究自由学院の教授に就任した。ここで同僚となった文化人類学者 C. レビ・ストロースと親交を結んで講義を聴講し合い,互いが知的恩恵を被ったというエピソードは有名である。43年ニューヨーク言語学派を創立,その副会長となり,45年からその機関誌《WORD》を刊行した。46年ニューヨークのコロンビア大学教授となり,49年ハーバード大学教授に転じたが,57年からはマサチューセッツ工科大学教授も兼任した。67年71歳で両大学を定年退職した後も,内外の諸大学の客員教授や学士院・アカデミーの会員として活躍し,その影響は全世界に及んでいる。
 ヤコブソンは1920年代後半から N. S. トルベツコイとともにプラハ言語学派の理論的指導者として構造言語学の最前線を開拓し,とくに音韻論の分野で画期的な業績を示したが,プラハ音韻論学派の基本的諸概念と手法の確立に果たした役割のほかに,通時音韻論への応用展開と,音素の区別・対立の根底にある有限の音響・調覚的な〈弁別特徴(弁別的特徴)distinctive features〉の存在の証明とその一般言語学への適用は,とくに彼自身に帰せられる重要な貢献である。弁別特徴は,たとえば母音性対非母音性のように相対的かつ二項的な対立で諸言語に共通・普遍的なものが多いが,全言語を通じてその数は十数種類にすぎず,個々の音韻体系の異同を弁別特徴の種類とその組合せの違いによって統一的に説明する可能性を示した功績は大きい。また,幼児の言語習得過程と失語症の症例との間に認められる密接な関係について,音素対立の基本的法則を適用して一般言語学的な説明を与えたのも,その貢献の一つである。
 形態論の分野でも,動詞の形態論的範疇や格の文法的意味の分析などの構造言語学的アプローチによる先駆的業績が多い。また,一定地域に共存する諸言語間に認められる,系統上の親縁性を超えた音韻・文法範疇・構文の類似を説明するために,トルベツコイとともに唱導した〈言語連合〉の概念は,その後大小の平行的事例が観察指摘されてその先見性が認められるようになった。ヤコブソンが情熱を傾けたもう一つの分野としては〈詩学〉すなわち詩的言語の研究があるが,通常の伝達手段としての日常的言語と異なる芸術的表現のための言語のあらわす意味論的内容と,その形式の研究をめざすこの分野には,熱心な追随者が多い。ほかにスラブ叙事詩とフォークロアおよび古代スラブ研究に関する一連の著作がある。ヤコブソンの主要著作は自選著作集(1984年現在,既刊5冊)のかたちで分野別に著者自身の補足や回顧のコメントをそえて刊行されているほか,他選の論文集も数種出版されている。
                        佐藤 純一

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トルベツコイ,N.S.
I プロローグ

トルベツコイ Nikolai Sergeevich Trubetskoi 1890~1938 ロシアの言語学者。プラハ学派の中心的学者として、構造主義的な観点から言語学の一分野としての音韻論を確立した。

モスクワ大学の哲学教授の息子としてモスクワに生まれる。モスクワ大学を卒業後、ライプツィヒ大学で比較言語学をまなんだ。1915年からモスクワ大学の私講師となり比較言語学を担当したが、ロシア革命のため、ロストフのドン大学、ソフィア大学をへて、22年にウィーン大学のスラブ語学の教授となった。38年に、ナチス(→ ナチズム)による圧迫をうけて病死した。

II 音韻論を確立

トルベツコイは、最初はフィン・ウゴル諸語、カフカス諸語、古シベリア諸語の民族学的研究や比較研究をおこなっていたが、1926年に設立されたプラハ学派に28年から参加し、その中心的なメンバーとなった。その主著「音韻論の原理」(1939。死後出版)では、単語の意味の区別に役だつ音の単位としての音素が、言語の中でほかの音素と対立するための原理を解明しようとした。トルベツコイによって、ソシュールが主張した言語の体系性という原理が音韻の研究において適用され、言語学における独立した分野としての音韻論がつくりあげられたと考えることができる。トルベツコイが音韻の分析について提出した考え方は、音韻論だけでなく、統辞論や意味論の分野の研究にも大きな影響をあたえた。音韻論と形態論の中間的なレベルとしての「形態音韻論」という分野や、地域的に近接した諸言語が同じような特徴をもつようになるという現象に関しての「言語連合」という概念もまた、トルベツコイの提案したものである。

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L.イェルムスレウ
イェルムスレウ

イェルムスレウ
Hjelmslev,Louis

[生] 1899.10.3. コペンハーゲン
[没] 1965.5.30.

  

デンマークの言語学者。 1937年コペンハーゲン大学教授。言理学の提唱者として有名。この理論は『言語理論の基礎づけについて』 Omkring sprogteoriens grundlggelse (1943) で述べられており,言語学の研究対象は,実質そのものではなく,機能をもった形式であるとする。 1931年「コペンハーゲン言語学団」 Cercle linguistique de Copenhagueを創立。 39年言語学雑誌"Acta Linguistica"を創刊。このコペンハーゲン学派は,プラハ学派,アメリカ学派とともに,ソシュール以後の構造主義言語学の三大潮流の一つとなった。その他の著作に『一般文法の原理』 Principes de grammaire gnrale (28) ,『言語-その序説』 Sproget. En introduktion (63) などがある。





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イェルムスレウ 1899‐1965
Louis Hjelmslev

デンマークの言語学者。コペンハーゲン大学比較言語学教授(1937‐65)。言理学 glossematics と称する独自の言語理論を提唱した。1931年ブレンダル Viggo Brがndal(1887‐1942)とともにコペンハーゲン言語学集団を創設し,39年《国際構造言語学雑誌 Acta linguistica》を創刊した。プラハの音韻論学派,アメリカの構造言語学派と並んで,20世紀前半の,ソシュール以後の言語学の3主流の一つを代表した。言語の内在的構造を唯一の対象とする言語学の構築を目ざし,すべての言語に共通の性質としての構造原理を明らかにすることを試みた。最も重要な業績は《言語理論序説》(1943)である。                   下宮 忠雄

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イェルムスレウ,L.
I プロローグ

イェルムスレウ Louis Hjelmslev 1899~1965 デンマークの言語学者。コペンハーゲン学派とよばれる構造言語学(→ 構造主義)の一派を設立し、「言理学」(グロセマティクス)とよばれる独自の言語理論をつくりあげた。

コペンハーゲンに生まれる。父はコペンハーゲン大学の数学教授であった。1917年にコペンハーゲン大学に入学し、比較言語学をまなんだ。26~27年のパリ留学によって、ソシュールの学説にふれることにより、一般言語理論の研究へとみちびかれた。31年に、ブレンダルとともに言語研究の学会を発足させ、これがコペンハーゲン学派となる。34~37年にオーフス大学の助教授をつとめた後、37年にコペンハーゲン大学の比較言語学の教授となった。

II 「言理学」の提唱

イェルムスレウの言理学は、ソシュールの言語理論をさらに厳密なかたちで発展させようとしたものであり、抽象的な形式としての言語を支配する原理を、実証主義的な方法によって解明することをめざした。イェルムスレウ自身、自分の言語理論がめざすところを、「言語代数学」の構築であるとのべている。言理学は、プラハ学派、アメリカ構造主義とならんで、20世紀の構造言語学において重要な位置を占めているが、理論の内容が複雑で難解であるため、現在では言理学の方法を言語研究に適用している学者は多くない。イェルムスレウの代表的な著作としては「一般文法の原理」(1928)、「言語理論序説」(1943)がある。

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言理学
言理学

げんりがく
glossematics

  

言語素論ともいう。 L.イェルムスレウの提唱した言語理論。言語の実質ではなく,純粋な形式を数学的に扱うことが言語学の課題であるとする。言語には表現 expressionの面と内容 contentの面があり,そのそれぞれに実質 substanceと形式 formがあるが,言理学は両者の formのみを扱うことになる。フランス語ではrの発音に[R],[]などが行われていて,ともに/r/に該当するが,ほんとうの言語はそのような実質ではなく,音とは関係のない図式,純粋形式なのであり,〇でも×でも一定の単位さえあればよいとする。この理論の後継者には H.J.ウルダル,E.フィッシャー=ヨアンセン,K.トウビーなどがある。





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コペンハーゲン学派
コペンハーゲン学派

コペンハーゲンがくは
Copenhagen school

  

デンマークの L.イェルムスレウ,V.ブレンダルらを中心とする構造言語学の一学派。





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V.ブレンダル
ブレンダル

ブレンダル
Brφndal,Viggo

[生] 1887
[没] 1942

  

デンマークの言語学者。 L.イェルムスレウとともにコペンハーゲン学派を創始した。構造言語学の開拓者の一人。主著『一般言語学試論』 Essais de linguistique gnrale (1943) 。





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[ブリタニカ国際大百科事典 小項目版 2008]
L.ブルームフィールド
ブルームフィールド

ブルームフィールド
Bloomfield,Leonard

[生] 1887.4.1. シカゴ
[没] 1949.4.18. ニューヘーブン

  

アメリカの言語学者。シカゴ大学,エール大学教授。インド=ヨーロッパ語族,特にゲルマン語派の比較言語学的研究から出発,青年文法学派から強い影響を受ける。次にタガログ語や,アルゴンキン=ワカシュ語族のメノミニ語,クリー語の記述研究に手を伸ばし,それらの実践研究の経験と,行動主義心理学の影響とから,客観的データのみに基づき帰納的方法で言語現象を分析していこうとする方法論を確立した。『言語』 Language (1933) は特にこの方法論により多大な影響をアメリカの言語学者に与え,アメリカ学派あるいは新ブルームフィールド学派と呼ばれる学派が形成された。





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ブルームフィールド 1887‐1949
Leonard Bloomfield

アメリカの言語学者。シカゴ出身。人類学者 F. ボアズとその門弟の言語学者 E. サピアとともにアメリカ構造言語学の基礎をすえた。シカゴ大学で博士の学位を得た後,1913‐14年にドイツに留学,比較言語学者レスキーン August Leskien(1840‐1916),K. ブルクマンらの下で青年文法学派の史的言語学を修めた。のち,イリノイ大学,オハイオ州立大学を経て,シカゴ大学のゲルマン文献学教授(1927‐40),イェール大学の言語学教授(1940‐49)を歴任した。主著《言語 Language》(1933。イギリス版1935)によりアメリカ構造言語学の指導者と目され,彼の理論の追随者はもちろん,批判,修正を試みた者も彼の影響を免れなかったから,アメリカ言語学史上1933‐57年の期間を〈ブルームフィールド時代〉と呼ぶこともある。彼はサピアの心理主義,F. de ソシュールの直観にあきたらず,言語学を自然科学的な厳密な実証主義の上に築こうと試み,当時の行動主義心理学の考え方を取り入れて,人間の行動を時空の中に観察しうる現象,刺激と反応の関係としてとらえ,その一環として言語を客観的に記述すべきことを主張し,厳密な方法論と形式による分析を重視した。記述の基本的単位として音素と形態素を立て,前者を音韻構造上の,後者を文法構造上の最小単位とした。意味の記述にも厳密な方法論を要求したが,それに伴う困難に彼が言及していることもあって,30~40年代のアメリカ言語学界の大勢は意味研究を棚上げにし,〈ブルームフィールド後派Post‐Bloomfieldian〉の言語学者の中には形式分析に徹し,極端な機械論に走る者も出た。
                      大束 百合子

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ブルームフィールド,L.
I プロローグ

ブルームフィールド Leonard Bloomfield 1887~1949 アメリカの言語学者。厳密な科学的手段によって言語を分析する方法を提示し、アメリカ構造言語学とよばれる言語学の学派の理論的指導者となった。

シカゴに生まれる。1906年にハーバード大学を卒業した後、ウィスコンシン大学とシカゴ大学の大学院でインド・ヨーロッパ語比較言語学(→ インド・ヨーロッパ語族:比較言語学)をまなび、09年にシカゴ大学から博士号を取得した。13年から1年間、ドイツのライプツィヒ大学とゲッティンゲン大学で、比較言語学を専門的に研究した。イリノイ大学、オハイオ州立大学をへて、27~40年はシカゴ大学のゲルマン語(→ ゲルマン語派)文献学教授、40~49年はエール大学の言語学教授をつとめた。24年のアメリカ言語学会創立に際しては、中心的な役割をはたしたメンバーのひとりであった。

II 言語分析の基礎をきずく

ブルームフィールドは、インド・ヨーロッパ語比較言語学だけでなく、フィリピンのタガログ語(→ フィリピノ語)やアメリカ先住民の諸言語のひとつであるアルゴンキン語族の記述研究、さらには英語教育の分野での幅広い業績がある。しかし、言語学に対する最大の貢献は、主著「言語」(1933)においてしめされた、厳密な方法にもとづく実証主義的言語分析のための理論である。ブルームフィールドの主張した、音の抽象的単位としての音素(→ 音韻論)や、意味をもつ最小単位としての形態素(→ 形態論)という概念は、現代においても言語分析の基礎となっている。ブルームフィールドの言語理論は、サピアの学説とともに、アメリカ構造言語学の理論的支柱となり、1950年代後半にチョムスキーの言語理論が登場するまでアメリカの言語学界を支配していた。

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ゲルマン語派
ゲルマン語派

ゲルマンごは
Germanic languages

  

インド=ヨーロッパ語族の一つの語派。現代語では英語,ドイツ語,オランダ語,フリースラント語 (フリジア語) ,デンマーク語,ノルウェー語,スウェーデン語,アイスランド語などが含まれる。グリムの法則と呼ばれる子音推移がゲルマン祖語の時代に起ったことで特徴づけられる。従来,北ゲルマン語群 (ノルウェー語,スウェーデン語,デンマーク語,アイスランド語) ,東ゲルマン語群 (死語のゴート語,バンダル語など) ,西ゲルマン語群 (さらに英語,フリースラント語のグループとドイツ語,オランダ語のグループに分けられる) の3分法が支配的であったが,西ゲルマン語群内に不一致な点があることなどから,最近は系統関係が考え直され,まだ定説をみない。





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ゲルマン語派
ゲルマンごは Germanic

インド・ヨーロッパ語族の中の一語派であり,一般的には東ゲルマン語,北ゲルマン語(ノルド語),西ゲルマン語の三つに区分される。
 東ゲルマン語には,1世紀の初め頃にすでにオーデル川の東に住んでいた,ゴート族,バンダル族,ブルグント族,ルギ族,ゲピード族などの東ゲルマン人の言語が属するが,文献として残されているのはゴート語のみであり,他は若干の固有名詞を残しているにすぎない。東ゲルマン語は現在では死語となっている。北ゲルマン語には,北欧の地で6世紀ころまで均一であったノルド基語が分化してできた,現在のアイスランド語,ノルウェー語,フェロー語,スウェーデン語,デンマーク語が属している。西ゲルマン語はエルベ・ゲルマン人,ウェーザー・ライン・ゲルマン人,北海ゲルマン人の三つの部族集団の言語を総称したものである。特にこの中で,北海ゲルマン人に属するアングル族,サクソン族,フリース族などの諸部族の言語は,(1)開音節において a が ず,e に変化する,(2)鼻音 n,m が無声摩擦音の前で,先行する母音の延長を伴い脱落する,などの一連の言語変化によって,北海ゲルマン語という一つのまとまりを形成するようになった。そこで,アングル族,サクソン族などの大陸からブリタニアへの移住や,大陸の諸部族の統合による国家形成の時代には,ドイツ中南部に古高ドイツ語,そして北海ゲルマン語として,北海域には古英語,古フリジア語,古サクソン語が成立した。現在,ドイツ語,オランダ語,英語,フリジア語が西ゲルマン語に属している。
 インド・ヨーロッパ語族に属する他の諸言語に対するゲルマン語のおもな特徴は,次の通りである。音韻の面で,(1)アクセントの位置が語の最初の音節に固定される,(2)ゲルマン語音韻推移が起こる(〈グリムの法則〉の項を参照),(3)インド・ヨーロッパ共通基語の母音*o,*´(*は措定形であることを示す)がそれぞれ a,ヾ になる。文法の面では,(1)動詞組織において強変化動詞,弱変化動詞の2種類の動詞の区別がある,(2)形容詞の変化に強変化,弱変化の区別がある,などの現象が存在する。また語彙の面では,ゲルマン語の基本的な語彙の約1/3はインド・ヨーロッパ語起源のものではなく,その中には特に,〈船,マスト,海流,方位〉などの航海・海洋に関する語が多く含まれているという特徴がある。また古い時代の借用語としては,ゲルマン諸語の分化以前に,ケルト語(ケルト語派)から〈支配者,召使,誓い,秘密〉などの語が,また分化後にはゲルマン諸語に共通のものとして,ラテン語から〈ワイン,ポンド,商う〉など文化・通商に関する語が取り入れられた。
 東ゲルマン語,北ゲルマン語,西ゲルマン語は,分化の後も,その独自性と並んで,お互いに共通性をもっている。東ゲルマン語と北ゲルマン語の間には,音韻の面で,(1)ゲルマン共通基語の*‐jj‐が母音の間で‐ggj‐(ゴート語‐ddj‐)になる。例,ゴート語 twaddj^(twai〈2〉),古アイスランド語 tveggja,古高ドイツ語 zweio。(2)同様にゲルマン基語の*‐ww‐が‐ggw‐になる。例,ゴート語triggws〈誠実な〉,古アイスランド語 tryggr,古高ドイツ語 gitriuwi。また文法の面で,(1)過去二人称単数形の語尾として t が現れる。例,ゴート語namt(niman〈取る〉),古アイスランド語 namt,古高ドイツ語 n´mi。(2)弱変化動詞においてある状態への移行を表す,‐nan で終わる動詞の組が存在する。例,ゴート語 ga‐waknan〈目ざめる〉,古アイスランド語 vakna,などの共通性がある。
 北ゲルマン語と西ゲルマン語の間には,音韻の面で,(1)ゲルマン共通基語の*^[ズビ:]が ´ になる。例,ゴート語 l^tan〈~させる〉,古アイスランド語 l´ta,古高ドイツ語 l´zan。(2)z が r になる。例,ゴート語 maiza〈より大きい〉,古アイスランド語 meiri,古高ドイツ語 m『ro。(3)ウムラウトが生じる。例,ゴート語 satjan〈座らせる〉,古アイスランド語 setja,古高ドイツ語 sezzen などの共通性がある。                   斎藤 治之

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ゲルマン語派
ゲルマン語派 ゲルマンごは Germanic Languages インド・ヨーロッパ語族の下位語派。ヨーロッパ北部・西部、北アメリカ、南アフリカ、オーストラリアに4億8000万人以上の話し手がいる。その構造と発展から3つの派にわけられる。(1)東ゲルマン語。ゴート語が代表的な言語だが、すべて死語となった。(2)北ゲルマン語、またはスカンディナビア語。西群はアイスランド語、ノルウェー語、フェロー語(アイスランド語と西ノルウェー語諸方言の中間)。東群はデンマーク語とスウェーデン語。(3)西ゲルマン語。アングロ・フリージア群は英語とフリース語。ネーデルラント・ドイツ群はオランダ語、オランダ・フラマン語、低地ドイツ語諸方言、アフリカーンス語、ドイツ語、高地ドイツ語、イディッシュ語。

→ グリムの法則:ルーン文字

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グリムの法則
グリムの法則

グリムのほうそく
Grimm's law

  

ゲルマン語派を特徴づける子音推移を示す法則で,ドイツの言語学者 J.グリムが 1822年に定式化した。印欧祖語の閉鎖音が,ゲルマン諸語では次のように変化したというもの。p,t,k→f,,x; b,d,g→p,t,k; bh,dh,gh→b,d,g。ただし,f,,xとなるのは,語頭か語中のアクセントの直後にある場合だけで,その他の場合にはb,d,gとなることが,のちに K.ウェルネルによって発見され,これはウェルネルの法則と呼ばれる。上にあげた変化はゲルマン語派の第1次子音推移と呼ばれ,紀元前,まだゲルマン諸語が分化しないうちに起きた現象である。





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グリムの法則
グリムのほうそく

J. グリム(グリム兄弟の兄)と同時代のデンマークの言語学者 R. K. ラスクによってすでに確認されていたインド・ヨーロッパ諸語(インド・ヨーロッパ語族)とゲルマン語(ゲルマン語派)の間の子音の規則的対応を,グリムが定式法則化したもの。グリム自身はこの規則的対応を音韻推移(ゲルマン語音韻推移)と名づけたが,グリムの名にちなんでグリムの法則とも呼ばれる。この法則によれば,インド・ヨーロッパ諸語(具体的にグリムが取り上げたのはギリシア語)とゲルマン語の間には次のような子音の対応が存在する。(1)インド・ヨーロッパ語の有声閉鎖音 b,d,g はゲルマン語で無声閉鎖音 p,t,k になる。例:ギリシア語 deka‐英語 ten;ギリシア語 gonu‐英語 knee(b と p の対応については適切な例がない)。(2)インド・ヨーロッパ語の無声閉鎖音 p,t,k はゲルマン語で無声摩擦音 f,th[θ],h になる。例:ギリシア語 pat^r‐英語 father;ギリシア語 treis‐英語 three;ギリシア語 kardia‐英語 heart。(3)インド・ヨーロッパ語の有声帯気音 bh,dh,gh(具体的にグリムが取り上げたギリシア語では有声帯気音は無声帯気音ph,th,kh となっている)はゲルマン語で有声摩擦音 く,ぐ,け になり,さらに語頭などでは有声閉鎖音 b,d,g になる。例:ギリシア語 pherヾ‐英語bear;ギリシア語 thugat^r‐英語 daughter;ギリシア語 ch^n‐英語 goose。グリムはこれらの対応から,I 有声音,II 無声音,III 帯気音の3系列が I→II,II→III,III→I,……というぐあいに輪を描きずれていくと考え,インド・ヨーロッパ諸語とゲルマン語との間に見られる音の対応を音の移動,つまり音韻推移と呼んだ。しかし,このような循環的な音の推移という考えは実際の変化とは相違するところがあることがわかっている。⇒比較言語学
                        斎藤 治之

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グリムの法則
グリムの法則 グリムのほうそく Grimm's Law ドイツの言語学者ヤーコプ・グリム(→ グリム兄弟)によって1822年に定式化された音の変化についての法則。この法則は、ゲルマン語子音推移と高地ドイツ語子音推移といわれる音の変化の2つの段階を定義している。最初の段階は前2000~後200年におこり、英語もふくむゲルマン諸語のある種の子音群が、インド・ヨーロッパ祖語のこれに対応する子音群から生じた。第2の段階は500~700年に、ドイツ南部で話されていた高地ドイツ語の諸方言におこった。この高地ドイツ語に由来するのが、現代ドイツ標準語である。

グリムの法則によれば、祖語の無声子音p、t、kは、英語の無声子音f、th、h、古高地ドイツ語のf、d、hに変化した。したがって、インド・ヨーロッパ語族に属する初期の言語としてラテン語を例にとれば、ラテン語のpaterは英語ではfather、古高地ドイツ語ではFater(現代ドイツ語ではVater)になった。さらにまた、祖語の有声子音b、d、gは、英語ではp、t、k(たとえばラテン語のdensは英語のtoothに対応)になり、古高地ドイツ語ではp、t、k、hになった。

グリムの法則は、古代ゲルマン語が英語、オランダ語、低地ドイツ語などの現代の諸語に発達するさまをしめしてくれる。またあるひとつの言語または言語集団における変化は段階的に生じるもので、単語がでたらめに変化した結果おこるのではないこともおしえてくれる。グリムの研究の基礎となったのは、デンマークの言語学者ラスムス・ラスクが1818年にあらわした、古ノルド語の起源に関する論考である。グリムの業績は、デンマークの言語学者カルル・ベルネルによって定式化された、強勢の位置が変化に関係するという説明によってさらに補完された。

→ ドイツ語

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ウェルネルの法則
ウェルネルの法則

ウェルネルのほうそく
Verner's law

  

デンマークの言語学者 K.A.ウェルネルが 1875年に発表した音韻法則。印欧祖語のp, t, kは,語頭の場合,および祖語時代のアクセントがその直前にある場合に限ってゲルマン語でf, , xとなり,祖語時代のアクセントがそれ以外の位置にあった場合には,f, , xはさらに有声化してb, , g に変った,というもの。たとえば,「父」の意味のラテン語 pater,ギリシア語 に対応するゴート語は fadar (dは の音) で,faarではないが,これはアクセントがあとの音節にあったためである。ウェルネルの法則はグリムの法則を修正する法則の一つである。類似の現象は exhbit : exhibtion,excutive : executeなどの[z]:[ks]の相違にもみられる。





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生成文法

言語学・ゲームの結末を求めて(その9) [宗教/哲学]

音節文字
音節文字

おんせつもじ
syllabary

  

音節を単位として表わす表音文字。日本語のかながよい例で,ローマ字のアルファベットならば kaと2字になるところを,「か」または「カ」の1字で表わす。かなのほかに,前 2000年紀にシュメールやアッカドの表意文字を借用してつくられたメソポタミア諸族の,楔形文字を用いた音節文字,フェニキア,アラム,ヘブライ,アラビア,エチオピアなどの西セム文字,キプロス文字などを含むエーゲ文字,アメリカインディアンのチェロキー族の文字,アフリカのバイ族の文字などが,音節文字の例である。朝鮮のハングルやインドのデーバナーガリー文字のように,個々の文字 (群) としては音節を表わすが,さらに音素を表わす要素に分解できるものもある。シュメール語やエジプト語のように,表意文字や象形文字で書かれる言語も,音節文字を含んでいることが多い。





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ハングル
ハングル

ハングル
hangl

  

朝鮮語の表記に用いられる文字。音素を表わす要素の組合せでつくられる音節文字である。要素は,母音字 10,子音字 14ある。世宗 25 (1443) 年李朝第4代の王世宗のときに考案され,同 28年に「訓民正音」の名で公布された。当時は母音字 11,子音字 17あったがその後数が減って現在にいたっている。訓民正音がつくられたことによって,『竜飛御天歌』『釈譜詳節』『月印千江之曲』などが編纂刊行された。なお,諺文 (おんもん) とも呼ばれるが,漢字に対して卑下した意を含むので,現在朝鮮ではハングル (大いなる文字) の名称を用いる。元朝 (1271~1368) のパスパ文字にヒントを得てつくられたとの説がある。 (→世宗,朝鮮王朝の )  





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ハングル
hangBl

朝鮮の国字。〈大いなる文字〉という意味であり,また〈訓民正音〉ともいう。かつては偵文(オンムン’トnmun)ともいい,日本でなまって〈おんもん〉と呼んだが,今日ではこの呼称は用いられない。
[構成]  子音字母14,母音字母10からなる音素文字であるが,音節ごとに組み合わせた形で文字として用いられるので音節文字の性格も備えている。字母は1字で1音を表すが,現代語の喉頭化音(濃音)は子音字母を重ねて表し,母音で始まる音節を示す字母’と音節末の ペ とは同じ字母の〈抹〉である(以下〈 〉内にハングルを示す)。母音字母のうちの4個は半母音 y[j]をもつ母音を表し,母音字母 a〈末〉と i〈沫〉,ト〈迄〉と i〈沫〉の組合せは,それぞれ単母音[ズ]〈侭〉,[e]〈繭〉を示す。字母 o〈麿〉または u〈万〉と他の母音字母との組合せは,半母音[w]と主母音の結合を示す。
 音節は初声(音節頭子音),中声(音節核部),終声(音節末子音)に分析して考えられる。中声をなす母音字母の形によって子音字母を配する位置が変わるが,a,ト,i に対しては子音字母を左に,o,u,ш に対しては子音字母を上に組み合わせ(表中の綴字例(1)(2)参照),終声がある場合には初声と中声の組合せの下にさらに子音字母を組み合わせ(綴字例(4)(5)),全体がほぼ正方形をなすように構成する。現代の綴字法では,助辞や接辞の交代によって,ある場合には現れない子音も表記して語幹の形が一定の綴字を保つようくふうされている。たとえば,
 〈慢〉gabs[kap](値段)
 〈慢満〉gabs・do[kapt’o](値段も)
 〈慢漫〉gabs・’i[kapsi](値段が)
 〈慢蔓〉gabs・’шr[kapsшl](値段を)
こうして音節文字として必要な字音の組合せの数は3000種類に近い。
[歴史]  この文字は李朝第4代世宗の時代に創案され(1443),〈訓民正音〉の名で公布された(1446)。それ以前は吏読(りとう)とよばれる,漢字を利用した不十分な表記が行われていたが,この文字によってはじめて朝鮮語を細部に至るまで表現できるようになった。音素文字の原理は元朝の制定したパスパ文字やモンゴル文字によって知られており,この原理にもとづき漢字にならって構成することで新しい文字を創案したと考えられる。
 制定当時は子音字母17,母音字母11で,現代では用いられない子音字母 z〈巳〉,ペ〈魅〉,ボ〈未〉と母音字母 ネ〈箕〉があり,ほかに中国語の軽唇音を表す字母があって,初期にはそのうちの1個は母音間で b の弱化した朝鮮語音 ア〈味〉を表すのに用いられた。ボ〈未〉は当初から特殊な位置でのみ用いられた字母であり,ペ〈魅〉は終声のみに用いられるようになったため,形の類似から初声の’〈抹〉と混同され,z〈巳〉と ネ〈箕〉とは音韻変化で消失したため用いられなくなった。
 子音字母は,中国音韻学の牙,舌,唇,歯,喉という五音体系により,g〈稔〉,n〈妙〉,m〈鵡〉,s〈岬〉,’〈抹〉を調音器官の形をかたどった基字とし,さらに字画を加えて他の字母を形成する。字母の形成の順序はそれぞれ,g〈稔〉,k〈脈〉;n〈妙〉,d〈粍〉,t〈民〉;m〈鵡〉,b〈務〉,p〈夢〉;s〈岬〉,′〈密〉,∴〈蜜〉;’〈抹〉,ボ〈未〉,h〈湊〉であり,別に r〈牟〉,z〈巳〉,ペ〈魅〉はそれぞれ n〈妙〉,s〈岬〉,’〈抹〉を基字とする。
 母音字母は,ネ〈箕〉,ш〈蓑〉,i〈沫〉を基礎に,a〈無〉,ト〈迄〉は ネ〈箕〉と i〈沫〉とを,o〈麿〉,u〈万〉は ネ〈箕〉と ш〈蓑〉とをそれぞれ逆向きに結合して形成されたものである。これは,当時の母音調和による陽母音 a〈無〉,o〈麿〉,ネ〈箕〉と陰母音 ト〈迄〉,u〈万〉,ш〈蓑〉の対立を反映している。
 ハングルは李朝時代には正字である漢字に対する民間の文字として〈偵文〉とよばれ,従の位置を脱しきれなかった。甲午改革(1894)によって公用文にも用いられるようになって〈国文〉とよばれたが,朝鮮が日本の統治下にはいってから,〈ハングル〉という名称が考案された。これは,〈大〉を意味する古語〈ハン〉と,文字を意味する〈クル〉を結びつけたものであるが,〈韓〉の字音にも通ずるとして広く受け入れられ,大韓民国では今日正式名称として用いられている。朝鮮民主主義人民共和国では〈チョソンクル〉(朝鮮文字)とよんでいるようである。⇒朝鮮語           大江 孝男

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ハングル
I プロローグ

ハングル 朝鮮の国字。「ハングル」は韓国での呼び名で、北朝鮮では「朝鮮文字」とよばれる。

朝鮮王朝第4代世宗によって創案され、1446年に「訓民正音」の名で公布された。創製当初は、ハングルによる仏教経典などの翻訳作業が盛んにおこなわれたが、その後「女文字」とよばれ、おもに女性だけにつかわれるようになった。ちょうど日本のひらがな(→ 仮名)が「女手」とよばれて、おもに女性が使用する文字になったのと同じ運命をたどったことになる。

この文字が広く一般につかわれるようになったのは比較的新しく、20世紀にはいってからのことである。

II 文字の特徴

14の子音字と10の基本母音字から構成されている音素文字である。そして、10の基本母音字をくみあわせることによって、さらに多くの音をあらわすことができる。また、濃音とよばれる喉頭化音は子音字を重ねてあらわす。

ハングルの子音字は、発音器官の形にもとづいてつくられており、たとえば、mの音をあらわす は口の形を、sの は歯の形を、nの は舌先が上の歯茎についている状態をかたどったものである。母音字には、 のように子音の右に書かれるものと、 のように子音の下に書かれるものがある。

それぞれの文字はアルファベット式に単音をあらわすが、表記するときは初声、中声、終声からなる音節ごとにまとめられて使用されるので、音節文字の性格もそなえている。初声もしくは終声に子音字があらわれ、母音字は中声にもちいられる。たとえば「家」は (chip)となり、chが初声、iが中声、pが終声にあたる。

終声には、2つの子音字があらわれるときもある。たとえば、 (tark)「にわとり」である。このように終声に2つの子音字があらわれる場合でも、かならずしもその両者を読むとはかぎらず、助詞や接辞の交代によって発音されるか否かがきまる。

ハングルの起源については、音素文字の原理は元朝の制定したパスパ文字に、構成方法は漢字にもとづいているとみられている。

→ 朝鮮語

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シュメール語
シュメール語

シュメールご
Sumerian language

  

スメリア語ともいう。南メソポタミアに話されていた言語。前 3000年頃を中心に栄え,前 2000年にはアッカド語に取って代られたものの,書き言葉としては紀元前後まで用いられた。系統関係は未詳。文法構造は膠着語的で,接頭辞,接中辞,接尾辞が豊富である。楔形文字を使用。いくつかの方言の存在が知られている。





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シュメール語
シュメールご Sumerian

古代メソポタミア南部で使用されたシュメール人の言語。前3100年ころから前50年ころまでの文献が発見されている。シュメール語が現用語であったのはおそらくウル第3王朝までで,それ以後は徐々に死語化するが,一種の文化語として古代オリエントで長く使用された。シュメール語の系統は今のところ不明で,孤立した言語である。構造的には典型的な膠着語であり,接頭辞,接中辞,接尾辞などの接辞が発達し,文法関係を示す。屈折語に見られる母音交替とか語順による文法関係の表示は認められない。文法的には有生クラスanimate class(人間,神を含むクラス)と無生クラス inanimate class(動物,無生物,抽象概念を含むクラス)の対立が存在する。例えば与格 dativeは有生クラスにのみ許され,無生クラスには認められないし,複数構成も有生クラスにのみ許される。動詞は継続相 durative と瞬間相 punctive のアスペクトの対立を基礎とする。言語変化では母音同化現象がきわめて特徴的である。シュメール語は一般にエメ・ギル eme‐gir と呼ばれる標準語ないし文語と,エメ・サル eme‐sal と呼ばれる女性語ないし口語に区別される。エメ・サルと呼ばれる語詞は大部分がエメ・ギルの音声的に変化した形を示している。エメ・ギル,エメ・サルのほぼ完全な対照表が,アッカド語訳を付して残されている。
 バビロン第1王朝時代に入って,シュメール語を文化語として学習するために膨大な語彙表,文法テキスト,シュメール語・アッカド語対訳資料その他が作成された。その一部がアッシュールバニパル王の図書館からも発見されたため,シュメール語はアッシリア語を通して二次的に解読されたと考えられている。シュメール語について一般に〈解読〉という言葉が使用されないのはそのためである。シュメール語研究の基礎はペーベル ArnoPoebel の《シュメール語文法概要》(1923)によって確立され,ファルケンシュタイン AdamFalkenstein によって継承された。ダイメルAnton Deimel の《シュメール語辞典》4巻は1928‐33年に刊行され,ランズバーガー BennoLandsberger によって37年に開始された《シュメール語辞典資料》の出版も,現在までに14巻を数えている。⇒シュメール            吉川 守

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シュメール語
I プロローグ

シュメール語 シュメールご Sumerian Language メソポタミアの古代シュメール王国の諸民族の言語(→ シュメール)。その語彙(ごい)と文法は、知られているどの言語とも関係がないとされ系統関係は不明である。

シュメール語は文字をもつ最古の言語で、楔形文字で書かれていた。最古の記録は前3000年ごろにさかのぼる。前2000年ごろ以後、口語としてはもちいられなくなったが、楔形文字による表記法が消滅する1世紀ころまで文章語として使用された。この言語とシュメール文化の存在は、その後わすれさられたが、19世紀に楔形文字が解読されるにいたって、思いもよらぬ言語としてその姿をあらわした。

シュメール語は、インド・ヨーロッパ諸語やセム諸語のような屈折語というよりは、膠着語で、一般に、語根としての語が屈折変化をしない。基本的文法単位は、個々の語ではなく、語の複合体で、これらが独立の構造を保持する。文法構造は、トルコ語、ハンガリー語、いくつかのカフカス諸語のような膠着語の構造に類似している。

II 音韻

母音は、3つの開母音a、e、oと3つの閉母音?、?、uの6つ。その発音の仕方はゆるやかで、母音調和の法則に応じて変容することがよくある。この法則は、とくにアクセントのない、短い文法的不変化詞に適応される。母音は、語末または2つの子音の間で省かれることが多い。子音は、b、p、t、d、g、k、z、s、sh、chおよびr、l、m、n、ngの15個で、語末では、次に母音ではじまる文法的不変化詞がこないかぎり発音されない。

大部分の語根は単音節で、他の語根と結合して多音節語をつくりうる。名詞はlu-gal「王」(直訳すると「大きい・人」)、dub-sar「筆記者」(直訳すると「テーブル・書く人」)、di-ku「裁判官」(直訳すると「判定・決定者」)などのように複合語がひじょうに多い。抽象語は、たとえば、nam-lu-gal「親族関係」のようにnamをつけてつくられ、複数形は、語根をくりかえすことによってつくられる。性の区別はないが、名詞は、有生クラスと無生クラスの2つのカテゴリーにわけられ、動物は文法的には無生クラスに属する。

III 文法

文は、述語と、述語と関係をもつ主語・直接目的語・間接目的語・および位置関係をしめす空間的目的語などをあらわす一連の名詞として機能する語(実詞)から構成される。述語は、動詞語根と、一連の挿入辞すなわち語中に挿入される文法要素とからなる。この挿入辞は、すでに文法的不変化詞によって確定されている複合体と述語との関係を強める働きをする。実詞複合体は、名詞1個か、あるいは形容詞・属格・関係節・所有代名詞などの修飾要素と名詞からなる。後置詞として知られる関係不変化詞はつねに実詞複合体のあとにくる。

形容詞の数は比較的少なく、属格表現がそのかわりにもちいられる。繋辞(けいじ)と接続詞はほとんどなく、その機能は節と複合体を平行的に配列することであらわす。関係代名詞はなく、関係節は文末の名詞化不変化詞でしめされる。ただ、関係節の使用はごくわずかで、そのかわりに、形の上で不定詞とおなじ受動不変化詞がひんぱんにもちいられた。

IV 方言

シュメール語のおもな社会方言(→ 方言)は、おそらくエメ・ギルあるいは「高貴な言葉」として知られるものである。その他、これよりも重要でない方言もいくつか話されており、そのひとつは女性と宦官によってつかわれていた。

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アッカド語
アッカド語

アッカドご
Akkadian language

  

前 3000年頃から紀元頃まで,メソポタミアで用いられていた言語。アフロ=アジア語族のセム語派に属し,単独で北東セム語をなす。前 2000年頃からアッシリア語とバビロニア語の二大方言に分れたため,アッシリア=バビロニア語ともいわれる。セム語のうち年代的に最古のものであるが,セム祖語の面影はあまりとどめていない。これはセム祖語から最初に分れ,しかも系統関係の不明なシュメール語の影響を受けたためと考えられている。シュメール人から受継ぎ発展させた楔形文字で書かれ,最古の文献は前 2800年頃。前7~6世紀に徐々にアラム語に圧倒された。





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アッカド語
アッカドご Akkadian

最古のセム語であり,現在最もよく理解されているセム語の一つ。東方セム語を代表する唯一の言語で,その表記には楔形文字であるシュメール文字が,一部は表意文字として,しかし通常は表音文字として用いられる。最古のアッカド語は,ファラ(古代のシュルッパク)やアブー・サラビク出土の粘土板に現れる人名から知られるが,アッカド語で書かれた文書が現れるのは前3千年紀の半ばころ以後である。最後のアッカド語文書は後74か75年のものとされる。最古のアッカド語は古アッカド語と呼ばれ,先サルゴン期からサルゴン期を経てウル第3王朝時代末ころ(前2500‐前2000ころ)までの王碑文,経済文書,若干の書簡などから知られる。その後アッカド語は,南のバビロニア語(正確には方言)と北のアッシリア語(正確には方言)に分かれる。古アッカド語とバビロニア語およびアッシリア語との系譜関係は必ずしも明らかでない。
 バビロニア語はさらに,ハンムラピ法典,王碑文,ハンムラピの書簡などに代表される古バビロニア語(前2000‐前1600ころ),カッシート時代のバビロニアから出土した書簡や経済文書から知られる中期バビロニア語(前1600‐前1000ころ),混乱期のバビロニア出土の書簡や経済文書から知られる新バビロニア語(前1000‐前625ころ)およびカルデア王朝,ペルシア時代およびセレウコス朝時代の文書に見られる後期バビロニア語(前625‐後75ころ)などに区別される。このうち中期バビロニア語の時代にはアッカド語が近東全体の国際語として広く用いられていたことは,小アジアのボアズキョイ文書(前15世紀),シリアのウガリト文書(前15~前13世紀),エジプトの文書などの多くがアッカド語で書かれていたことから明らかである。
 他方アッシリア語は,カッパドキアのアッシリア商人植民地跡から出土したカッパドキア文書に代表される古アッシリア語(前19世紀),アッシュール出土の〈アッシリア法〉などによって代表される中期アッシリア語(前1500‐前1000ころ),アッシリア隆盛期の書簡,経済文書などに見られる新アッシリア語(前1000‐前625ころ)などに区別される。ほかに〈標準バビロニア語〉と呼ばれるものがあるが,これはカッシート時代の書記たちが古バビロニア語を基にして作り上げた一種の文語で,宗教・文学作品のことばとしてバビロニアのみならずアッシリアにおいても広く用いられた。なおアッカド語は,シュメール語の影響を受けて喉頭音の多くを失い,定動詞も特に古バビロニア語においては文章末尾にくるなど,他のセム語には見られないいくつもの特徴をもっている。    中田 一郎

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アッカド語
アッカド語 アッカドご Akkadian Language 前3000~前1000年ごろまでメソポタミア(現在のイラク)で用いられていた言語で、アフロ・アジア語族、セム語族に属する。セム諸語の中では現在知られている最古の言語で、アッカド王朝の建設者サルゴン大王(在位、前2335頃~前2279頃)がこの地方を征服したのち、それまで話されていたシュメール語にとってかわった。

前2400年ごろ、アッカド語はシュメール語の楔形(くさびがた)文字を借用してはじめて文字化された。この文字はアッカド語の表記にはうまく適合しなかったが、のちになって、とくにバビロニア王ハンムラピの時代に正書法が改革されて多くの難点が解決された。この時期の言語は19世紀に解読され、語や音節をあらわす約600の記号で書かれており、子音が20、母音が8つあることがわかった。また動詞には過去、現在未来の2つの時制があり、名詞には性や数の区別があり、主格、属格、対格の格変化をもつ。

シュメール・アッカド帝国崩壊のころ(前1950頃)、アッカド語はメソポタミア全域で一般にもちいられ、口語としてはすでにシュメール地方(南メソポタミア)でもシュメール語にとってかわりつつあった。また、東部のエラム人、北部・東北部のグティ人、ルリア人、フルリ人によって、政治的・宗教的言語として用いられていたようである。

前1950年以後、アッカド語は南部のバビロニア語と北部のアッシリア語の2つの主要方言にわかれた。しだいにバビロニア方言が優勢になり、アッシリアでも文学作品や歴史文書、宗教的文書にもちいられた。アッシリア方言は経済、法律文書にもちいられた。

バビロニア方言の歴史は通常次の4つの時期にわけられる。古期バビロニア語(前1950~前1500頃)、中期バビロニア語(前1500~前1000頃)、新バビロニア語(前1000~前600頃)、後期バビロニア語(前600~後75頃)。

古期バビロニア語の時代、バビロニア方言が外交、商業上の共通語としてシリアの大部分の地域にひろまった。前1500年以降、エジプト、小アジアのヒッタイト、北部・東北部のバビロニアとミタンニなどが敵対しはげしく衝突していた時期には、中期バビロニア語がこの列強間のほとんどすべての外交文書と条約でつかわれた。

前1200年以後、シリアとアナトリア(小アジア)は幾度にもわたって海洋諸民族やアラム人などによって侵略され、西部地方の文化的、言語的統一が大きくみだされたが、メソポタミアではその統一性はたもたれていた。しかし、前900年以降、拡大するアッシリア帝国の支配下に膨大な数のアラム人がはいると、アラム語が口語としてアッシリア語を駆逐しはじめた。

いっぽうバビロニアにも、カルデア人などのアラム語を話す諸族が侵入した。これらの諸族はバビロニアの文化と宗教をとりいれたが、しだいに大部分の住民はアラム語を話すようになった。前4世紀、アレクサンドロス大王の統治の間に、バビロニア語は、口語としてはほとんど完全にアラム語にとってかわられた。しかし、バビロニア語は、ローマ帝国崩壊後のヨーロッパにおけるラテン語のように、法律、宗教、文学、科学の言語として生きのびた。この状況はヘレニズム時代(前323~前146)からパルティア人の統治の時代までつづき、少なくともバビロンとウルクの諸都市では、バビロニア語は僧職階級とカルデア人の天文学者によって依然として用いられていた。バビロニア語で書かれた最後の文書は、バビロンから出土した後75年の天文学に関する銘板である。

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エジプト語
エジプト語

エジプトご
Egyptian language

  

ナイル文明発生地の言語で,前 4000年頃以来の歴史をもつ。同一地域でこれほど長い歴史をもつ言語はほかにない。アフロ=アジア語族に属する。古代エジプト語は子音体系が豊富で,喉音音素の種類が多くあり,強勢音をもっていたことが特色。中期エジプト語は前 2000年頃からの中王国時代の碑文で知られる。前代の象形文字に代り,パピルスに書かれた神官文字が多くなる。法律文書などには当時の口語もみえはじめる。新エジプト語は前 1580年頃からの新王国時代の口語をいう。前6世紀 (末期王朝) には民衆文字ができあがった。「古代エジプト語」は以上の総称としても用いられる。3世紀頃からキリスト教徒に用いられたエジプト語をコプト語といい,エジプト語の最後の段階であるが,16世紀には事実上アラビア語に圧倒されてしまい,教会典礼に残るだけである。





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エジプト語
エジプトご Egyptian

古代エジプト語のこと。ハム・セム語族に属する。一般に古代エジプト人がハム人とよばれているように,エジプト語もハム語を母体としセム語の影響を受けたものと解されているが,西アジアのセム語との関係は究明されているものの,アフリカのハム語が古代文献を欠いているために,それとの関連は未詳である。前5千年紀初めころからナイル川下流地方に生成しつつあったものと考えられるが,文献資料の出現は前3200年ころである。古王国時代を中心として用いられた古期エジプト語の代表的文献としては〈ピラミッド・テキスト〉がある。この言語の発展したものが中期エジプト語で前23世紀ころから記録が残っている。これは正字法も整い,語彙も豊かで,格調高い《シヌヘの物語》などを生みだし,古典語とされた。この言語は時制が単純で,一定の語順が厳しく守られ,助動詞や接続詞を欠き,一般に叙述は静的であり,またおそらく絵画的な文字(ヒエログリフ)の性格とも相まって,哲学的・抽象的表現や情緒的なニュアンスの表現には不向きであった。しかし,明快な文体,激しいリアリズム,力強いパラレリズム(対句法)の多用などによって人心に強く訴えるものがある。宗教文書などにおいてはこの言語の伝統が後々まで続くが,前16世紀ころから新しく言文一致体(後期または新期エジプト語)がおこる。時制も複雑となり助動詞も多用され,大衆文学的なものを多く生んだ。中期エジプト語とこの言語との関係は,古典中国語と現代中国語との関係に似ている。前7世紀ころからデモティック語がおこり,契約文書などに多く用いられた。3世紀ころ現れたコプト語にはギリシア語の影響が強く,この語による文献にはキリスト教関係のものが多い。時代的にはデモティック語→コプト語と続くが,言語の性質からすると,両言語ともに後期エジプト語から派生している。⇒エジプト文字        加藤 一朗

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エジプト語
エジプト語 エジプトご Egyptian Language 古代から14世紀ごろまでつかわれたエジプトの言語。アフロ・アジア語族、エジプト語派の唯一の言語で、どの言語よりも長い、ほぼ5000年の文献の歴史をもつ。

ほかのアフロ・アジア諸語同様、単語は3子音からなる語根から形成され、語根の基本的意味はいろいろな母音パターンによってかわる。しかし、動詞はほかのアフロ・アジア諸語の下位語派の動詞とは明らかにことなる形式と統語規則を発展させた。文語と口語の相違もいちじるしい。墓、寺院、柱、像などの碑文は大部分古風な文語スタイルで書かれ、話し言葉との一致は商業文や書簡などの日常の文書にしかみられない。

エジプト語は、文語をもとに5つの時期にわけられる。古期エジプト語(前3000以前~前2200頃)は、古王国時代(第1~6王朝)を通じてもちいられた。

中期エジプト語(前2200頃~前1600頃)、別名古典エジプト文語は前2000年ごろの話し言葉を反映していると考えられている。つかわれていた時期は、中王国時代とその前後の過渡期(第7~17王朝)と一致し、ヨーロッパのラテン語のように前500年ごろまでただ文献上の言葉としてだけ存続した。

前1380年ごろ、新王国時代(第18~20王朝)の初期に、第18王朝第10代王のイクナートンが、新たな標準文語として後期エジプト語(前1550頃~前700頃)を導入した。おそらく1500年ごろの話し言葉にもとづいており、文法的、音声的にそれ以前の言葉と大きな違いをしめしている。ペルシャの支配に屈する少し前、民衆エジプト語(前700頃~後400頃)が文語としてうけいれられ、ペルシャ、ギリシャ、ローマによるエジプト支配の時代を通じてずっとその位置にあった。独特の文字であるデモティック(民衆文字)で書かれ、前700年ごろの話し言葉をあらわしているようである。

エジプト語の最終段階であるコプト語が出現した(300頃~1400頃)のは、伝統的なエジプト文字をギリシャ文字を修正した文字におきかえた時期であり、またキリスト教文学が登場した時期でもあった。700年ごろから、コプト語はアラビア語に屈しはじめ、11世紀から14世紀にかけて急速に衰退したが、現在、コプト教会の典礼言語としてのこっている。

エジプト人は、公式の碑文用のヒエログリフ(神聖文字)と、それから派生した2つの草書体である神官文字(前600頃まで)とデモティック(前650頃~後450頃)の3つの文字体系を発達させた。この3つとも表意文字で、子音の音節だけをあらわす単一の文字からなり、そして2つ以上の意味をもつ文字の解釈を補助する記号がついていた。母音が書かれていないため、コプト語をのぞいて子音をとおしてしかエジプト語の音的発展をたどれない。

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アフロ=アジア語族
アフロ=アジア語族

アフロ=アジアごぞく
Afro-Asiatic languages

  

アフリカ北部および隣接するアジアに約2億人以上の話し手をもつ諸言語が同系であるとして設定された語族。次の5語派から成り立つ。 (1) セム語派 東方セム語のアッカド語 (死語) ,西方セム語のヘブライ語,アラビア語,エチオピアのアムハラ語やティグリニャ語など。 (2) エジプト語派 古代エジプト語とその後裔コプト語から成るが,16世紀にアラビア語に滅ぼされた。 (3) ベルベル語派 南モロッコのシュレ語,アルジェリアのゼナ語など。 (4) クシ語派 ソマリ語,ガラ語などアフリカ北東部で話される。 (5) チャド語派 ハウサ語が代表で,共通語でもあり約 600万人。以前は (2) ~ (4) をまとめてハム語族とし,セム語族に対立させたが,5語派対立というのが最近の考えである。なお,この語族の成立に疑いをいだく学者もある。





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アフロ・アジア語族
アフロ・アジア語族 アフロアジアごぞく Afro-Asiatic Languages 北アフリカと中東の約250の言語をふくむ主要語族で、以前はハム・セム語族として知られていた。セム語族、エジプト語、ベルベル諸語、クシ諸語、チャド諸語の5つの下位語派からなる。

(1)セム語族。アラビア語、ヘブライ語、アムハラ語(エチオピアの公用語)のほか、アッシリア語、バビロニア語、アッカド語、アラム語、フェニキア語などの古代語もふくまれる。

(2)エジプト語。古代エジプト語と、その最後の形として14世紀ごろまで生きのこったコプト語からなる。

(3)ベルベル諸語。タマシェク語とアフリカ北部・西北部の諸言語がふくまれる。アラビア文字で書かれ、その話し手の多くはアラビア語も話す。

(4)クシ諸語。おもにエチオピア、ソマリア、ケニアで話され、エチオピア文字で書かれるオロモ語(ケニアと南エチオピア)とラテン文字で書かれるソマリ語がふくまれる。

(5)チャド諸語。中央および西アフリカで話される。もっとも重要な言語はハウサ語で、北ナイジェリアとその周辺の土着語だが、ハウサ語を母語としない何百万という人々にも地域的な通用語としてもちいられている。もともとアラビア文字で書かれていたが、20世紀になってラテン文字で書かれるようになった。

→ アフリカの諸言語

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神官文字
神官文字

しんかんもじ
hieratic script

  

エジプト象形文字の一書体。聖刻文字 (ヒエログリフ) の筆記体というべきもので,パピルスに葦 (あし) ペンで記されるために広く用いられたが,前7世紀から一般用には民衆文字が多く用いられるようになり,神官文字は宗教文書に限定されるにいたった。





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民衆文字
民衆文字

みんしゅうもじ
demotic script

  

エジプト語を書くために用いられた文字の一つ。民間文字,民用文字とも呼ばれる。前7世紀に神官文字から発達し,法律,事務,文学その他に広く用いられるようになった。古代ローマになって衰え,5世紀後半には用いられなくなった。神官文字よりもさらに草書体的になっており,聖刻文字 (ヒエログリフ) のもっていた象形文字としての性格は薄くなっている。





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デモティック
デモティック Demotic 民衆文字ともいう。エジプトのヒエログリフ(神聖文字)を筆記体で書いた文字。前7世紀~後5世紀に、商業文や文芸作品などでもちいられた。ロゼッタ・ストーンは、ヒエログリフとこのデモティックで書かれ、ギリシャ語の翻訳文がついている。なお、同じ時期にひろくもちいられていたエジプト語の文章語や現代ギリシャ語の口頭語と、これにもとづく文語体のこともデモティックという。

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コプト語
コプト語

コプトご
Coptic language

  

3世紀頃からエジプトで用いられたエジプト語。文献は,ほとんどがキリスト教関係のもので,ギリシア文字で書かれている。最後の文献は 14世紀。のち,アラビア語に取って代られた。





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コプト語
コプトご Coptic

コプト文字で書かれた文書によって知られる,2世紀以後のエジプト語。コプト文字は,ギリシア文字に数個のエジプト民衆文字を加えた単音文字体系で,それ以前のエジプト文字にはなかった母音文字を備えているため,これによって古代エジプト語の母音もある程度推定される。初期の非文学的資料は当時の口語を反映するものと考えられるが,資料の大半を占めるキリスト教文書は大部分ギリシア語からの翻訳であって,名詞・動詞はもちろん,前置詞や接続詞にまでギリシア語からの借用が及んでいる。少なくとも五つの方言が認められ,上部エジプトのサイード方言は全エジプトの文字共通語となったが,アレクサンドリアがキリスト教の中心となるにつれて下部エジプトのボハイラ方言が教会用語として勢力を得,14世紀以来現在までコプト教会の用語となっている。日常語としては7世紀以後イスラムの進出に伴い,アラビア語に滅ぼされた。             松田 伊作

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コプト語
コプト語 コプトご Coptic Language エジプト語の最終段階(3世紀以降)の言語で、アフロ・アジア語族のエジプト語派の言語。「コプト」とは、ギリシャ語で「エジプト」を意味する「アイギュプトス」を語源とするアラビア語の「キブト」に由来する。

はじめのうちは民衆エジプト語(デモティック)と共存したが、それをしのいで存続した。

3世紀にはコプト語によるキリスト教文学もあらわれはじめた。現存する非キリスト教的なコプト語文書には、プラトンの「国家」の断片、医学的文献、呪術の呪文などがふくまれる。この時期、ギリシャ語がエジプトの知識層の言語であったため、コプト語にも民衆エジプト語からの7つの文字にくわえて、ギリシャ文字がとりいれられた。したがって、この段階のエジプト語のみが、現代の学者にもその発音が明瞭にわかるように書かれている。

8~14世紀に、コプト語は、ほぼアラビア語にとってかわられ、コプト教会の典礼言語としてだけ存続した。現存するコプト語文献の大部分は、ギリシャ語から翻訳された宗教的著作である。もともとコプト語で書かれた文献は、グノーシス派(→ グノーシス主義)の文書とマニ教文書、およびアフミーム近くのソーハーグにある修道院の僧院長が書いた多数の書簡、講話、協定文書だけである。コプト語は民衆エジプト語と類似するが、コプト語では、非キリスト教用語がギリシャ語起源の宗教語でおきかえられている点がことなる。学者によれば、5つの方言がみとめられており、そのうちかつてはサイード方言が標準だったが、14世紀以降ボハイラ方言が標準語となった。

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ハム・セム語族
ハム・セム語族
ハムセムごぞく Hamito‐Semitic

セム・ハム語族 Semito‐Hamitic ともいう。19世紀以後,ハム諸語とセム諸語とが同系であるとの想定の下に与えられた名称。しかし,アラビア半島を中心とするセム語族と北アフリカの〈ハム語族〉(ハム語)とをハム・セム語族の二大語派とする通説は現在では否定されており,誤解を招きやすいこの名称の代案として,紅海語 Erythraean,アフロ・アジア語族 Afro‐Asiatic(1950年,アメリカの言語学者 J. グリーンバーグによる)等の呼称が提唱されている。なお,今日学界に多くの賛同者を見いだしている,グリーンバーグによる名称・分類法に関しては,〈アフリカ〉の項目中の[言語]の記述を参照されたい。⇒セム語族∥ハム語
                        松田 伊作

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ケントゥム語群
ケントゥム語群

ケントゥムごぐん
centum languages

  

インド=ヨーロッパ語族に属する言語中,祖語の *k ,*g がそのまま軟口蓋閉鎖音として保存された諸言語。ギリシア,イタリック,ケルト,ゲルマン,ヒッタイト,トカラの各語派が該当する。祖語の *ktm に対応するラテン語の centum (100) により命名。サテム語群に対する。ケントゥム語群は印欧語族の西方,サテム語群は東方に位置する。ケントゥム語群とサテム語群との対立は,祖語の時代の2方言の対立を反映していると考えられたこともあったが,現在ではこの考えは一般に支持されない。





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サテム語群
サテム語群

サテムごぐん
satem languages

  

インド=ヨーロッパ語族に属する言語中,祖語の *k ,*g に対応する音が歯擦音として現れる諸言語。インド=イラン,スラブ,バルト,アルメニア,アルバニアの各語派が該当する。祖語の *ktm に対応するアベスタ語の satm (「100」の意) により命名。ケントゥム語群に対する。サテム語群とケントゥム語群とを分ける特徴が,祖語を東西2方言に大きく分けるものとして重要視されていたこともあったが,現在ではこの考えは一般に支持されない。





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[ブリタニカ国際大百科事典 小項目版 2008]
歯擦音
歯擦音

しさつおん
sibilant

  

[s][z]と,[∫][]との総称。音響から,それぞれスー音 hissing sound,シュー音 hushing soundという。舌先 (舌端) と上の歯茎付近との間の狭いせばめで摩擦音を生じ,さらにそれが前歯にぶつかり,そこでも摩擦音が生じるという共通性をもつ。ただし,シュー音 ([∫][]) のほうが前歯に吹きつけられる呼気が弱く,摩擦音も鈍い。





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アベスタ語
アベスタ語

アベスタご
Avestan language

  

ゾロアスター教の経典『アベスタ』に用いられている言語で,インド=ヨーロッパ語族のインド=イラン語派に属する古代イランの一言語。『アベスタ』の最古の部分『ガーサー』 Gthは前 1000~600年の間にできあがったものと考えられ,古代インドのベーダ語と文法,語彙の面で酷似しており,このことがインド=イラン語派を設定する一つの根拠となっている。アラム語の文字に基づいてつくられた複雑な文字が用いられ,表記と発音との関係を正確に決定するのは困難である。なお,ゼンド語と呼ばれたこともあるが,ゼンドはパフラビー語による『アベスタ』の注釈であって,誤った命名であるので,現在では用いられない。





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祖語
祖語

そご
protolanguage

  

共通基語ともいう。一つの言語が時代とともに分裂して変化し,長い時間ののちに2つ以上の異なる言語となったとき,もとの言語を祖語という。たとえば現在のフランス語,スペイン語,イタリア語などはラテン語がそれぞれの変化をとげてできた言語であることがわかっていて,ラテン語はこれらの諸言語の祖語であるといい,これらの諸言語は同系,あるいは親縁関係を有するという。さらに,ラテン語は,ギリシア語やサンスクリット語などとともに,より古い時代の単一な言語がそれぞれの変化をとげてできた言語と推定され,これを印欧祖語という。同じ祖語から分れた諸言語は一つの語族に属するという。 (→比較言語学 )  





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比較言語学
インド=ヨーロッパ語族の神話
インド=ヨーロッパ語族の神話

インド=ヨーロッパごぞくしんわ
Indo-European myths

  

インド=ヨーロッパ語族が,ユーラシアのステップ地帯の西半部にあったと思われる原住地に住み,共通の言語 (インド=ヨーロッパ基語) を話していた時代にもっていた神話。 19世紀中葉に,F.M.ミュラーらによって開始されたその研究は,近年 G.デュメジルによって画期的な新展開を与えられ,神界の構造およびいくつかの重要な神話の内容が知られるようになった。それによると,神界は,人間の社会で王と祭司たちが果す働きに対応する役割を演じる「第1機能」の神々と,戦士に相当する「第2機能」の神々と,生産活動に従事する庶民と相応する働きをする「第3機能」の神々によって構成され,各機能を代表するいくつかの主神格によって統括されていた。第1機能は,インドのバルナ,ミトラ,アリヤマン,バガの前身をなした4柱の最高神によって代表され,第2機能はインドラとバーユの原型の2柱の戦神,第3機能はアシュビンにその性格が継承されている双子の豊穣神のカップルをそれぞれ主神としていた。またこれらの男神たちのすべてと親密な関係を結び,3種の機能のおのおのの領域に神威を発揮する大女神があり,神界全体のいわばかなめをなす地位を占めていた。この多機能的大女神の性格は,イランのアナヒタや,インドのサラスバティーなどのなかによく保存されている。





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[ブリタニカ国際大百科事典 小項目版 2008]
F.M.ミュラー
ミュラー

ミュラー
Mller,Friedrich Max

[生] 1823.12.6. デッサウ
[没] 1900.10.28. オックスフォード


ドイツに生れ,イギリスに帰化した東洋学者,比較言語学者。詩人 W.ミュラーの子。ベルリン大学で学んだのち,パリで印欧比較言語学の権威 E.ビュルヌフに師事。イギリスに渡って,1850年オックスフォード大学教授。『リグ・ベーダ』をはじめとする東洋古典に関して数々の校訂,翻訳,研究書を刊行。古代東洋文化,特にインド学の幅広い分野にわたって,科学的・批判的学問研究の基礎を築くとともに,比較言語学,比較神話学を確立した。主編著書『東方聖書』 The Sacred Books of the East (50巻,1879~1910) ,『インド六派哲学』 The Six Systems of Indian Philosophy (1899) など。





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ミュラー 1823‐1900
Friedrich Max M‰ller

ドイツに生まれ,イギリスで活動したインド学者,言語学者,宗教学者。ベルリンとパリに学び,1847年イギリスに渡り,50年よりオックスフォード大学の教授を務める。《リグ・ベーダ》の校訂(6巻本,1849‐75。4巻本,1890‐92),サンスクリット本《大無量寿経》の校訂(南条文雄(なんじようぶんゆう)と共同校訂,1883),ウパニシャッドの翻訳(全2巻,1884),《インドの六派哲学》(1899)などインド学の諸分野で幅広く活躍するとともに,《言語学講義》(1861)で知られる比較言語学の権威であり,また《比較宗教学序説》(1874)で知られる比較宗教学の創始者の一人でもあった。彼は初めて宗教学 science of religion の名称を用い,キリスト教を唯一の宗教とみる価値観の反省に基づき,あらゆる宗教を価値判断を抜きにして客観的・科学的に比較研究すべきであると主張した。また,イスラムやイラン,インド,中国の諸宗教の主要な文献を英訳で刊行した《東方聖書》51巻(1879‐1904)を編集したことも重要な業績である。ちなみに詩人ウィルヘルム・ミュラーは彼の父親である。
                         高橋 明

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『リグ・ベーダ 』
リグ・ベーダ

リグ・ベーダ
g-Veda

  

インド最古の文献である4つのベーダの一つ。リグとは賛歌,ベーダとは知識,転じてバラモン教の聖典の意味となった。普通はブラーフマナなどを除いたサンヒター (本集) のみをさすことが多い。『リグ・ベーダ・サンヒター』はベーダのなかでも最も古いものであり,勧請僧 hotに属し,5派の伝承があったが,現存するのはシャーカラ派の伝本のみである。これは 1017の賛歌から成り,ほぼ前 1500~1000年に作製されたと推定され,主として暗誦によって伝えられた。もとは古代詩人が自然現象を神格化し,その諸神に対して捧げた宗教的賛歌であるが,さらに婚姻,葬送,人生の歌,天地創造に関する哲学詩,十王戦争の歌などをも含み,古代インドの社会,生活,思想,歴史などを断片的に伝えている。ベーダの言葉は絶対神聖であり,天地よりも永遠であると考えられた。





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青年文法学派
ソシュール
ソシュール

ソシュール
Saussure,Ferdinand de

[生] 1857.11.26. ジュネーブ
[没] 1913.2.22. ジュネーブ

  

スイスの言語学者,ジュネーブ大学教授 (1901~13) 。 20世紀の言語学に決定的な影響を与え,構造主義言語学の祖とも呼ばれる。みずからは印欧語比較文法の分野で少数の論文を残しただけであるが,そのなかでは印欧祖語に新しい音素を設定した『インド=ヨーロッパ諸語の母音の原体系についての覚え書』 (1878) が特に有名である。言語学史上,重要な意義をもつのは,ジュネーブ大学での講義を彼の死後 C.バイイと A.セシュエが編集して出版した『一般言語学講義』 Cours de linguistique gnrale (1916) で,ここでは,言語活動をラングとパロールに分け,言語学はまずラングを対象とするものであり,その研究法として共時言語学と通時言語学とを峻別すべきことを説く。そして,言語の本質は互いに対立をなしておのおのの価値をもつ要素から成る記号体系であると強調する。これらの学説は,当時歴史的な面に集中していた言語研究を記述言語学へと向わせ,個別的なものの寄せ集めになりがちだった記述に構造,体系の骨組みを与えるうえに決定的な役割を果し,直接的にジュネーブ学派の祖となるとともに,間接的には欧米の構造言語学の出発点となった。





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[ブリタニカ国際大百科事典 小項目版 2008]

ソシュール 1857‐1913
Ferdinand de Saussure

スイスの言語学者,言語哲学者。ジュネーブ大学教授(1891‐1913)。1907年,08‐09年,10‐11年の3回にわたって行われた〈一般言語学講義〉は,同名の題《一般言語学講義 Cours de linguistiquegレnレrale》(1916)のもとに弟子の C. バイイ,セシュエ A. Sechehaye(1870‐1946)および協力者リードランジェ A. Riedlinger の手によって死後出版されたが,この書を通して知られるソシュールの理論は,後年プラハ言語学派(音韻論)やコペンハーゲン言語学派(言理学)などに大きな影響を与え,構造主義言語学(構造言語学)の原点とみなされている。そのインパクトは言語学にとどまらず,文化人類学(レビ・ストロース),哲学(メルロー・ポンティ),文学(R. バルト),精神分析学(J. ラカン)といったさまざまな分野において継承発展され,20世紀人間諸科学の方法論とエピステモロジーにおける〈実体概念から関係概念へ〉というパラダイム変換を用意した。また,1955年以降,ゴデル R.Godel によって発見された未刊手稿や講義録(Les sources manuscrites du Cours delinguistique gレnレrale,1957)のおかげで,それまでのソシュール像は大きく修正され,さらにエングラー R. Engler の精緻なテキスト・クリティークによる校定版(Cours de linguistique gレnレrale,edition critique,1967‐68,1974),スタロビンスキ J. Starobinski のアナグラム資料(Les motssous les mots:Les anagramme de F. deSaussure,1971)によれば,ソシュールの理論的実践分野は,一般言語学と記号学 sレmiologie の2領域に大別することができる。
[一般言語学]  弱冠21歳で発表した《インド・ヨーロッパ諸語における母音の原初体系に関する覚書 Mレmoire sur le syst≡me primitif desvoyelles dans les langues indo‐europレennes》(1878)は少壮(青年)文法学派の業績の一つと考えられていたが,これはすでに従来の歴史言語学への批判の書であり,その関係論的視座は1894年ころまでに完成したと思われる一般言語学理論と通底するものであった。ソシュールはまず人間のもつ普遍的な言語能力・シンボル化活動を〈ランガージュ langage〉とよび,これを社会的側面である〈ラング langue〉(=社会制度としての言語)と個人的側面である〈パロール parole〉(=現実に行われる発話行為)とに分けた。後2者は,コードとメッセージに近い概念であるが,両者が相互依存的であることを忘れてはならない。人びとの間にコミュニケーションが成立するためには〈間主観的沈殿物〉としてのラングが前提となるが,歴史的には常にパロールが先行し,ラングに規制されながらもこれを変革するからである。ソシュールはついで,言語の動態面の研究を〈通時言語学〉,静態面の研究を〈共時言語学〉とよび,この二つの方法論上の混同をいましめた。彼はまた,プラトンや聖書以来の伝統的言語観である〈言語命名論〉や〈言語衣装観〉を否定し,言語以前にはそれが指し示すべき判然と識別可能な事物も観念も存在しないことを明らかにする。言語とは,人間がそれを通して連続の現実を非連続化するプリズムであり,恣意的(=歴史・社会的)ゲシュタルトにほかならない。したがって,言語記号は自らに外在する指向対象の標識ではなく,それ自体が〈記号表現〉(シニフィアン signifiant)であると同時に〈記号内容〉(シニフィエ signifiレ)であり,この二つは互いの存在を前提としてのみ存在し,〈記号〉(シーニュ signe)の分節とともに産出される(なお,かならずしも適切な訳語とはいえないが,日本における翻訳紹介の歴史的事情もあって,signifiant には〈能記〉,signifiレ には〈所記〉の訳語がときに用いられる)。これはギリシア以来の西欧形而上学を支配していたロゴス中心主義への根底的批判であり,この考え方が次に見る文化記号学,文化記号論の基盤になったと言えよう。⇒言語学
[記号学]  これは社会生活において用いられるいっさいの記号を対象とする学問で,非言語的なシンボルもそれが文化的・社会的意味を担う限りにおいて一つのランガージュとしてとらえられる。その結果,あらゆる人間的行動は,その背後に隠された無意識的ラングという文化の価値体系における〈差異化現象〉として位置づけられ,所作,音楽,絵画,彫刻からモードにいたるまで,すべて〈記号〉の特性のもとにその本質が照射される。狭義の言葉が音声言語であるのは偶然にすぎず,記号とは,視覚,嗅覚,触覚,味覚といったいかなる感覚に訴える手段を用いても顕在化される〈関係態〉であって,それが体系内の何かと対立する限りは,〈実質 substance〉を有さないゼロの形をとることさえ可能である。この〈形相 forme性〉は〈恣意性 arbitraire〉の帰結であり,文化記号の価値は即自的に存在するものではなく,一つには体系内の他の辞項の共存により,二つにはこれを容認し沈殿せしめる集団的実践によって,決定されることが明らかになる。その結果生ずる記号の物神性は,構造自体が内包する反構造的契機によってのみ克服される,と考えたソシュールは,静態的〈記号分析〉から力動的〈記号発生の場〉の闡明(せんめい)へと移行し,晩年の神話・アナグラム研究へと歩を進めたが,その理論的完成を待たずに没し,いくつかの貴重な示唆を残すにとどまった。⇒記号         丸山 圭三郎

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ソシュール,F.de
I プロローグ

ソシュール Ferdinand de Saussure 1857~1913 スイスの言語学者。その言語構造についての思想は、構造主義言語理論(構造言語学)の発展を基礎づけた。

ジュネーブに生まれ、ジュネーブ大学で1年間理科系の講義に出席したあと、1876年からドイツのライプツィヒ大学で言語学をまなんだ。79年、彼の唯一の著作である「インド・ヨーロッパ諸語における母音の原初体系に関する覚書」を出版した。これは、インド・ヨーロッパ諸語のもとになったインド・ヨーロッパ祖語の母音体系についての重要な業績である(→ インド・ヨーロッパ語族)。

ソシュールは、最初のころは言語の歴史研究である文献学を中心に研究していたが、のちに、言語の一般的性質の研究である一般言語学に関心をうつした。1881~91年までパリの高等学術研究院でおしえたあと、ジュネーブ大学でサンスクリットと比較文法の教授となった。

II 「一般言語学講義」

ソシュールは「覚書」以外の本は書かなかったが、その講義は学生たちに大きな影響をあたえた。彼の死後、2人の弟子が講義のノートやそれ以外の資料をもとに、「一般言語学講義」(1916)という講義録をだした。この本では、ソシュールの言語に対する構造的な考え方が説明されており、そこで提出されたさまざまな概念は、のちの言語研究の基礎となった。ソシュールの業績は、言語学だけでなく、人類学、歴史学、文芸批評などの分野にも影響をあたえた。→ 言語学

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C.バイイ
バイイ

バイイ
Bally,Charles

[生] 1865.2.4. ジュネーブ
[没] 1947.4.10. ジュネーブ

  

スイスの言語学者。ソシュールに学び,のちソシュールの跡を継いでジュネーブ大学の教授となった。ジュネーブ学派の祖。ソシュールの提唱した,ラングとパロールの区別を受継ぎながら,言語が使用されるときの情意的な面に注意を向け,文体論を発展させた。 A.セシュエとともに,ソシュールの死後その講義を『一般言語学講義』 Cours de linguistique gnrale (1916) として編集,刊行した。著書『文体論要説』 Prcis de stylistique (1905) ,『フランス語文体論概論』 Trait de stylistique franaise (09) ,『言語活動と生活』 Le langage et la vie (13) ,『一般言語学とフランス言語学』 Linguistique gnrale et linguistique franaise (32) 。





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バイイ 1865‐1947
Charles Bally

スイスの言語学者。ジュネーブ大学教授(1913‐39)。ソシュール学説を継承発展させた〈ジュネーブ学派〉の代表者の一人で,とりわけ,〈理性的文体論〉の創始者として知られている。これは,作家などが美的意図にもとづいて表現する個人的な情緒発現を対象にするものではなく,日常的な言語の〈実現化〉一般の科学的研究であるとされた。したがって,彼の言う〈情的価値 valeuraffective〉とは,ラングからパロール,抽象的・潜在的な概念から具体的・顕在的現象への移行過程において生ずるものである。この関係の著作には,《文体論提要 Prレcis de stylistique》(1905),《フランス文体論概説 Traitレ de stylistiquefranぅaise》2巻(1909)がある。もう一つの彼の業績は,師ソシュールの共時言語学理論の精密化(《一般言語学とフランス言語学 Linguistiquegレnレrale et linguistique franぅaise》1932)であるが,ソシュールの未刊原稿の発見以後,バイイの解釈にはいささかの疑義が付されている。
                      丸山 圭三郎

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A.セシュエ
セシュエ

セシュエ
Sechehaye,Albert

[生] 1870.7.4. ジュネーブ
[没] 1946

  

スイスの言語学者。ジュネーブ大学でソシュールの教えを受ける。 1916年『一般言語学講義』 Cours de linguistique gnraleを C.バイイと共編。『理論言語学の大要と方法』 Programme et mthodes de la linguistique thorique (1908) などの著書がある。





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ラング
ラング

ラング
langue

  

ソシュールの用語。彼は複雑で混質的なランガージュ (言語活動) を,ラングとパロールに識別し,ラングを本質的,等質的,社会的な言語体系として規定した。たとえば日本人が日本語を用いて意志の伝達が可能なのは,成員すべてに等質で共通な日本語の規則が了解されているからであるとする見方である。ソシュールのラングとパロールの区別の説明には,曖昧な点,修正を要する点はあるが,言語現象において,繰返し現れるものと,一回的なものとの区別を指摘しようとした功績は大きい。





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パロール
パロール

パロール
parole

  

ソシュールの用語。彼は複雑で混質的なランガージュ (言語活動) を,本質的,社会的,等質的,体系的なラングと,副次的,個人的,非等質的,遂行的なパロールに分けた。これは言語研究上,非常に大きな意味をもつが,必ずしも明確に説かれていない部分もあり,数々の論争を引起した。パロールについていえば,(1) 「個人的」という概念が,個人の発話とか,ラングの個人的使用といった,そのなかに社会習慣的特徴を含んだ意味での「個人的」なのか,社会に対立するばらばらな意味の「個人的」なのか,(2) これと関連して,単語はラングに属するが,文はどちらに属すると考えているのか,(3) 「遂行的」という言葉はほぼ発話にあたる面をさしているようであるが,了解活動は含まれないのか,などの問題がある。





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単語


言語学・ゲームの結末を求めて(その8) [宗教/哲学]

基層言語
基層言語

きそうげんご
substratum

  

底層言語ともいう。Aという言語を話していた民族が,異民族による征服などの原因で,Aを捨てBという言語を話すようになったとする。このBが,滅びたAの影響を受けて多少変化することがあるが,そのとき,Aを基層言語と呼ぶ。たとえば,インド=ヨーロッパ語族でインド諸語だけが通常の歯音とそり舌の歯音との対立をもつが,これは古くインドの地に広がっていたムンダ語の影響を受けたためといわれている。すなわちムンダ語がこの場合,基層言語になったと考えられる。またフランス語では,ラテン語 lna (月) が lune[lyn]となるような[]>[y]の変化は,基層言語であるケルト系ガリア語の影響による。





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インド諸語
インド諸語

インドしょご
Indian languages

  

インド亜大陸に行われる言語の総称。インド=ヨーロッパ語族のインド=イラン語派に属するものと,ドラビダ語族に属するものとで大部分を占めるが,ほかに,ムンダ語族に属する言語や,チベット=ビルマ語族に属する言語があり,ブルシャスキー語のように系統不明のものもある。インド共和国では特に,諸言語間の抗争が社会問題になり,インド憲法は,ヒンディー語を公用語として認めるほかに,ウルドゥー語,パンジャブ語,ベンガル語,マラーティー語,オリヤ語,グジャラート語,アッサム語,カシミール語,テルグ語,タミル語,カンナダ語,マラヤーラム語,およびサンスクリット語を主要言語としてあげている。さらに,英語も現在なお公用語として認められている。





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インドの言語
I プロローグ

インドの言語 インドのげんご Indian Language 150以上の土着の言語がインド亜大陸で話されている。その多くはインド・ヨーロッパ語族のインド・イラン語派か非インド・ヨーロッパ語族系のドラビダ諸語の系列に属しており、その他の少数言語がオーストロアジア語族の系統かシナ・チベット語族に属している。

II 公用語

インド亜大陸内では、1つの共通の言語というものは存在しない。ヒンディー語と英語がインドの国の公用語であり、共通語として使用されている。インドの憲法では、15の州の言語がみとめられ、学校や公的業務で使用されている。アッサミー語、ベンガル語、グジャラーティー語、カシミーリー語、マラーティー語、オリヤー語、パンジャービー語、シンディー語、ヒンディー語、タミル語、テルグ語、カンナダ語、マラヤーラム語などである。パキスタンの公用語はウルドゥー語で、バングラデシュの公用語はベンガル語である。

III インド・イラン語派

前2000年のはじめごろに、アーリヤ人が西方へと移住し、他のインド・ヨーロッパ語族の人々からはなれ、イランに定住した。前1000年ごろまでに、インド語派(インド・アーリヤ語派)とイラン語派の2つの言語系列にわかれ、イラン語派はイランやアフガニスタンで、インド語派はインド北西部で発展した(→ インド・イラン語派)。インド・アーリヤ語の話者はインド北部にいたドラビダ語の話者を南方へおいやったため、今日、ドラビダ人はインド南部およびスリランカに居住している。

1 サンスクリットとパーリ語

インド語派の諸言語すなわちインド・アーリヤ語の歴史は、3つにわけられる。(1)古期:ベーダ語とサンスクリット。(2)中期(前約3世紀以降):インドの言語に代表されるプラークリットとよばれるサンスクリットの日常語的な諸方言。(3)近代(約10世紀以降):インド亜大陸の北部と中央部の近代語。

ヒンドゥー教の聖典「ベーダ」のなかで使用されているサンスクリットは、ベーダ語ともよばれるサンスクリットのもっとも初期の形式で、前1500~前200年ごろのものである。前500年ごろに古典サンスクリットが成立して文学や専門的な著作にもちいられるようになり、今日でもインドでひろくまなばれ、神聖な学識言語として機能している。

中期インド・アーリヤ語のプラークリットは地域的変種として存在していたが、その後、独自の文学を発展させた。その代表例がパーリ語である。小乗仏教の経典にもちいられており、もっとも古い文語プラークリットとして知られる。その起源は前3世紀ごろまでさかのぼると思われ、現在でもスリランカやミャンマー、タイで典礼に使用されている。

プラークリットは12世紀ごろまで日常語としてつかわれていたが、10世紀には、近代の民衆語が発展しはじめた。それは今日も4億以上の人々によって話されており、重要であるとされるものだけでも35の言語がある。とくにヒンディー語、ウルドゥー語、ベンガル語、グジャラーティー語、パンジャービー語、マラーティー語、ビハーリー語、オリヤー語、ラージャスターニー語などが重要で、それぞれ1000万人以上の話し手がいる。

2 ヒンディー語とウルドゥー語

ヒンディー語とウルドゥー語は、事実上は、同一言語のわずかにことなる方言である。おもな違いは、語彙(ごい)の起源や文字、その話し手の宗教的伝統である。ヒンディー語の語彙は、おもにサンスクリットに由来しており、ウルドゥー語は、ペルシャ語とアラビア語起源の単語を多くふくむ。ヒンディー語は、デーバナーガリー文字で、ウルドゥー語は、ペルシャ式のアラビア文字で書かれる。パキスタンでもインドでも、ヒンディー語はおもにヒンドゥー教徒、ウルドゥー語はおもにイスラム教徒によって話される。

ヒンディー語には2つのおもな変種があり、両言語あわせて1億8000万人の話し手がいる。西部ヒンディー語は、デリー周辺に端を発しており、文語ヒンディー語やウルドゥー語をふくむ。東部ヒンディー語は、おもに中央ウッタルプラデシュと西マッディヤプラデシュで話されている。その文学作品の多くは、アワディー方言で書かれている。16~18世紀にインド全体に波及して共通語としてもちいられ、ヒンディー語やウルドゥー語のもととなったヒンドゥスターニー語は、1947年のインド独立以来徐々につかわれなくなった。

3 ベンガル語

ベンガル語は、インドの西ベンガル地方や、バングラデシュのほぼ全住民によって話され、話し手人口は1億2000万人で世界第6位である。ヒンディー語同様、ベンガル語はサンスクリットに由来する。インドの近代言語の中でもっとも多くのすぐれた文学作品をもち、1913年にノーベル文学賞を受賞した詩人タゴールの作品もベンガル語によるものである。

4 パンジャービー語

パンジャービー語は、パンジャブ地方と西パキスタンで話されている。シク教の創始者が使用し、その教えはシク教の導師によって考案されたグルムキー文字をもちいたパンジャービー語で記録されている。インドのパンジャービー語はヒンディー語と似ているが、パキスタンのパンジャービー語は際だった違いをしめしている。

5 ビハーリー語

ビハーリー語は、事実上3つの近親関係にある言語であるボジュプリー方言、マイティリー方言、マガヒー方言の総称で、4000万人近くの話し手によって、おもにインド北東部のビハールで話されている。ビハーリー語は国家語ではなく、ビハールでもヒンディー語が教育や公事に使用される。

6 シンハラ語とロマニー語

その他の重要なインド・アーリヤ語にはスリランカの公用語であるシンハラ語やロム(ジプシー)の言語であるロマニー語がある。ロマニー語は、インドに端を発し、世界中にひろがっている。ロマニー語がサンスクリットを起源としていることは、音韻と文法から明らかである。

7 文字

多くのインド・アーリヤ語の文字は、北セム語から派生しているブラーフミー文字を起源としている。ブラーフミー文字の発展形であるデーバナーガリー文字は、ヒンディー語やサンスクリット、プラークリット、さらにネパール語、マラーティー語、カシミーリー語でもちいられている。グジャラーティー語とベンガル語、アッサミー語、オリヤー語は、デーバナーガリー文字から派生した独自の表記体系をもつ。ウルドゥー語、シンディー語(デーバナーガリー文字でも記述される)、パンジャービー語では、ペルシャ式のアラビア文字が使用されている。

IV ドラビダ諸語

約23のドラビダ諸語には、1億5000万人の話し手がおり、おもに南インドで話されている。インドでは4つのドラビダ語が、州の公用語にみとめられている。タミルナードゥ州のタミル語とアンドラプラデシュ州のテルグ語、カルナータカ州のカンナダ語、ケララ州のマラヤーラム語である。このうちテルグ語がもっとも多く使用される。これらの言語には長い文学の歴史があり、独自の文字で表記されている。タミル語による多くの文学は、1~5世紀のものであるとされている。

タミル語はスリランカの北西部をふくむ地域でも話されている。その他のドラビダ語は、あまり多くの話し手をもたず、またたいていは文字をもたない。ドラビダ諸語は、インド・アーリヤ語(とくにサンスクリット)から多くの単語を借用し、インド・アーリヤ語はドラビダ諸語から音韻や文法の体系を借用している。

V その他の言語グループ

12ほどのムンダ諸語には、600万人ほどの話し手がおり、インドの北東部と中央部にちらばってすんでいる。これらの言語の中では、サンターリー語がもっとも多くの話し手をもち、唯一文字をもっている。ドラビダ諸語と同様、ムンダ諸語は、インド・ヨーロッパ語族の侵入以前からインドに存在していた。ムンダ諸語は、オーストロアジア語族に分類される東南アジアのモン・クメール諸語と関係があるとされている。モン・クメール語の1つであるカーシ語は、インドのアッサム地方で話されている。シナ・チベット語族の言語もいくつか、チベットからミャンマーの国境沿いで話されている。

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インド=イラン語派
インド=イラン語派

インド=イランごは
Indo-Iranian languages

  

インド=ヨーロッパ語族の一語派。さらに,インド=アーリア語派とイラン語派とに大別される。この2つは現代では差異が大きいが,最も古い層,すなわちインド=アーリア語系のベーダ語とイラン語系のアベスタ語とは非常によく似ており,かつて両系の民族が同一の言語を話していた時代があったとの想定のもとに,両者を統一したインド=イラン語派を立てる。





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インド・イラン語派
インド・イラン語派 インドイランごは Indo-Iranian Languages インド・ヨーロッパ語族の下位語派。トルコ東部からバングラデシュ、さらにインドの大部分の地域までひろがる、たがいに親族関係にある諸言語のグループで、約4億5000万以上の人によって話されている。

ふつう、イラン語派とインド語派(別名インド・アーリヤ語派)にわけられる。主要なイラン諸語には、古代アベスター語、古代ペルシャ語、種々の中期ペルシャ諸語、現代ペルシャ語(→ ペルシャ語)、パシュト語、クルド語(→ クルド)などがあり、カフカス地方で話されるオセット語もこれにふくまれる。インド語派には、古典サンスクリット、プラークリット語とよばれる中期諸語があり、現代語としては、ヒンディー語、ウルドゥー語、ベンガル語、グジャラーティー語などのインド諸語(→ インドの言語)、ネパール語(ネパールとシッキムの公用語)、シンハラ語(スリランカの公用語)がある。

初期サンスクリット文学は、ヒッタイト語をのぞいてインド・ヨーロッパ語族の最古の文献である。サンスクリットとアベスター語は非常によく似ており、これらはインド・ヨーロッパ祖語の子音組織と複雑な屈折体系をきわめて忠実に反映していると考えられている。現代のインド・イラン諸語は、この古い屈折体系を単純化し、そのかわりに語結合をもちいる傾向にある。また、インド・アーリヤ諸語は、その音声と文法において非インド・ヨーロッパ系のドラビダ諸語から影響をうけている。

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イラン語派
イラン語派

イランごは
Iranian languages

  

インド=ヨーロッパ語族の一語派。インド=アーリア語派とともにインド=イラン語派をなす。古期イラン語と呼ばれるものは,アベスタ語と,アケメネス朝諸王の碑文の古期ペルシア語とであり,アベスタ語はサンスクリット語とよく似ている。前3~後 10世紀の言語は中期イラン語といわれ,古期ペルシア語に近い中期ペルシア語,アベスタ語に近いパルチア語,バクトリア語,ソグド語,サカ語などがある。 10世紀以降の近代イラン語のなかで最も重要なのは近代ペルシア語で,イラン,アフガニスタンなどで用いられる。ほかに,クルド語,オセト語,パシュト語など多くの言語に分れ,西アジアの広い地域に分布して,約 5000万人の話し手をもつ。





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イラン語派
イランごは Iranian

インド・ヨーロッパ語族の一語派で,その最古層ではインド語派にきわめて近く,インド・イラン語派Indo‐Iranian として未分化の一時期をもったことを想定させる。独立の語派としての歴史は,古代イラン語,中期イラン語,近代イラン語の3期に分けられる。
(1)古代イラン語として知られているのは,ゾロアスター教の聖典アベスターの言語,およびアケメネス朝ペルシアの楔形文字碑文を記した古代ペルシア語である。アベスター語 Avestan は,古代インドのベーダ語と同様,動詞,名詞の活用に古形をよく保っている。方言的には東部の特徴を示すが,特定の地方をその故郷と断定することはできない。その最古の部分は預言者ゾロアスター自身の作の詩頌(ガーサー)だが,彼の生存年代も学者により前十数世紀から前7世紀まで意見が分かれる。古代ペルシア語 Old Persian は,イラン南西部ファールス地方の方言で,前6世紀から前4世紀にかけて古代ペルシア帝国の歴代の王(ダレイオス,クセルクセス,アルタクセルクセス)の詔勅に用いられた。また最近ペルセポリスの遺跡から,前6世紀末から前5世紀前半に属する古代ペルシア語の人名を数多く含むエラム語の粘土板文書が大量に発見されている。
(2)中期イラン語として知られているものには,西部方言としては中期ペルシア語とパルティア語,東部方言では,ソグド語,サカ語,ホラズム語,バクトリア語がある。中期ペルシア語は古代ペルシア語と同じく南西イランの方言で,ササン朝ペルシア(3~7世紀)の公用語として,碑文,ゾロアスター教の宗教文学(パフラビー文献),およびマニ教の文献に用いられた。このうち量的に最も多いのは,主として9世紀になってから書かれたパフラビー文献(パフラビー語)だが,20世紀になって中央アジアから発見されたマニ教文献(3~10世紀)は,その正確な表記法のゆえに言語学的に重要である。イラン北部,カスピ海南東地域の方言であるパルティア語 Parthian は,アルサケス朝(前3~後3世紀)の公用語であり,この時代の陶片,皮革文書などのほか,ササン朝初期の碑文,および中央アジア出土のマニ教文献に用いられている。残余の4種の東部方言はすべて20世紀になって発見された。ソグド語は,サマルカンドとブハラ(ウズベキスタン共和国)の2都市を本拠地とするが,中央アジアの通商用語として広く行われ,4~10世紀に属する碑文や手紙類がモンゴリアを含む中央アジア各地から出土しているほか,仏教,マニ教,ネストリウス派キリスト教の写本が敦煌とトゥルファンの遺跡から発見されている。サカ語Saka は,タリム盆地南西辺のホータンと北西辺のトゥムシュクの二つの方言によって知られており,7~10世紀に属する写本は大部分が仏教系で,ホータン周辺と敦煌から大量に出土した。ホラズム語 Khwarizimian は,アラル海南岸のホラズムの地の言語で,2~7世紀の少数の貨幣銘と短い碑文のほか,主として13世紀のアラビア語の書物に引用された文句から知られている。バクトリア語 Bactrian は,アフガニスタン北部で発見された25行のギリシア文字で書かれた碑文がおもな資料である。
(3)近代イラン語も,音韻的特徴から東部グループと西部グループに分けられる。文学的伝統をもつ重要な言語としては,アフガニスタンのパシュト語と,地理的には西のカフカスに位置するオセット語が東部グループに属し,ペルシア語,タジク語,クルド語,およびバルーチ語が西部グループに数えられる。これらのうちの最初の4言語は,それぞれが話されている国家の公用語として認められている。さらにこれに加えて,イラン,アフガニスタン,およびこれと境を接するソ連の地域に数多くのイラン系の言語,方言が行われており,特にパミール高原を中心とする地域の諸言語は,言語学的に古い形をとどめているものが多く,貴重である。               熊本 裕

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インド・ヨーロッパ語族
インド=ヨーロッパ語族

インド=ヨーロッパごぞく
Indo-European languages

  

印欧語族。歴史時代の初めから東はインドから西はヨーロッパ大陸にわたって広く分布した,多くの言語を含む一大語族。現代語では,英語,フランス語,スペイン語,ドイツ語,ロシア語などの有力な言語がこれに属する。インド=イラン,アルメニア,ギリシア,アルバニア,イタリック,ケルト,ゲルマン,バルト,スラブの各語派に下位区分され,これらはいずれも現代まで生残った言語を含んでいる。ほかに,20世紀に入って文献が発見されたヒッタイト語とトカラ語があり,それぞれ独立の語派をなすが,いずれも死語である。 19世紀以降,厳密な比較文法による研究が続けられ,複雑な屈折や派生の体系をもつ祖語の形がかなりよく再構されている。前 3000年頃に,この祖語が行われていたものと推定されている。なお,ドイツの学者は好んでインド=ゲルマン語族の名を用い,一部の学者によってインド=ヒッタイト語族の名も用いられることがある。古くは,アーリア語族の名も用いられた。





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[ブリタニカ国際大百科事典 小項目版 2008]

インド・ヨーロッパ語族
インドヨーロッパごぞく Indo‐European

印欧語族ともいう(以下便宜上この名称を用いる)。古くはアーリヤ語族 Aryan という名称も用いられたが,これはインド・イラン語派の総称で,印欧語族については不適当である。インド・ゲルマン語族の名は,ドイツ語で今日もなお慣用となっている Indo‐Germanisch に由来する。この名称は,東のインド語派と西のゲルマン語派をこの大語族の代表とみる考え方に基づいてつくられたものであるが,ドイツ語以外では使用されない。
 この語族に属するおもな語派はインド,イラン,トカラ,ヒッタイト,ギリシア,イタリック,ケルト,ゲルマン,バルト,スラブ,アルメニア,アルバニアであるが,このほか古代の小アジアとその他の地域に少数の言語が印欧語として認められている。これらの語派の分布は,東は中央アジアのトカラ語からインド,イラン,小アジアを経て,ヨーロッパのほぼ全域に及んでいる。現在のヨーロッパではイベリア半島のバスク語,これとの関係が問題にされているカフカス(コーカサス)の諸言語,それにフィンランド,ハンガリーなどフィン・ウゴル系の言語がこの語族から除外されるにすぎない。この広大な分布に加えて,その歴史をみると,前18世紀ごろから興隆した小アジアのヒッタイト帝国の残した楔形(くさびがた)文字による粘土板文書,驚くほど正確な伝承を誇るインド語派の《リグ・ベーダ》,そして戦後解読された前1400‐前1200年ごろのものと推定される線文字で綴られたギリシア語派(〈ギリシア語〉参照)のミュケナイ文書など,前1000年をはるかに上回る資料から始まって,現在の英独仏露語などに至る,およそ3500年ほどの長い伝統をこの語族はもっている。これほど地理的・歴史的に豊かな,しかも変化に富む資料をもつ語族はない。この恵まれた条件のもとに初めて19世紀に言語の系統を決める方法論が確立され,語族という概念が成立した。印欧語族は,いわばその雛形である。
[分化の過程]  印欧諸語は理論的に再建される一つの印欧共通基語(印欧祖語ともいう)から分化したものであるから,現在では互いに別個の言語であるが,歴史的にみれば互いに親族の関係にあり,それらは一族をなすと考えられる。これは言語学的な仮定であり,その証明には一定の手続きが必要である。ではどのようにして一つの言語が先史時代にいくつもの語派に分化していったのか。その実際の過程を文献的に実証することはできない。資料的にみる限り,印欧語の各語派は歴史の始まりから,すでに歴史上にみられる位置についてしまっていて,それ以前の歴史への記憶はほとんど失われている。したがって共通基語から歴史の始まりに至る過程は,純粋に言語史的に推定する以外に再建の方法はない。
 しかし印欧語族のなかには,歴史時代に分化をとげた言語がある。それはラテン語である。ラテン語はイタリック語派に属する一言語であったが,ローマ帝国の繁栄とともにまず周辺に話されていたエトルリア語やオスク・ウンブリア語などを吸収した。そして政治勢力の拡大に伴って,ラテン語の話し手はヨーロッパ各地に侵入し,小アジアにも進出した。その結果,西はイベリア半島からガリア,東はダキアの地において彼らは土着の言語を征服し,住民たちは為政者の言葉であるラテン語を不完全ながらも徐々に習得しなければならなかった。こうして各地のそれぞれに異なる言語を話していた人々がラテン語を受け入れ,それを育てていった結果,今日ロマンス語と総称される諸言語,フランス,スペイン,ポルトガル,イタリア,ルーマニアの諸語が生成したのである。今日ではこれらの言語は互いにかなり違っている。それはおのおのの歴史的な過程の差の表れである。しかし一方では,ラテン語という一つの親をもつ姉妹であるから,類似も著しい。このように,一つの言語が広い地域にわたって他の言語を征服し,分化していくという事実をみると,印欧語の場合にも先史時代に小規模ながらラテン語に似た過程が各地で繰り返されて,歴史上に示されるような分布が実現したと考えられる。
[英語とドイツ語]  この語族に属する言語をみると,現在の英語とドイツ語でもかなりの違いがある。この二つの言語はともにゲルマン語に属し,なかでもとりわけ近い関係にある。にもかかわらず差が目だつのは,一つは語彙の面であり,他は文法の面である。語彙の面の差の大きな原因は,英語が大量にフランス語を通じてラテン系の語彙を借り入れたためで,一見すると英独よりも英仏の関係のほうが密接に思われるほどである。この借用は,ノルマン・コンクエスト以降中世に長い間イギリスでも,フランス語が公に使われていたという歴史的事情によるものであるから,いわば言語外的な要因による違いといえよう。これに対して主として音韻,文法の面の違いは,それぞれの言語内の自然の変化の結果である。最も著しい違いは,英語には名詞,形容詞の性別も,格変化もほとんどみられないし,動詞も三人称単数現在形の‐s 以外は,とくに人称語尾というものがない。またその法にしても,ドイツ語の接続法という独立の範疇は英語にはみられない。英語のhorse という形は,文法的には単数を表すだけで,ドイツ語の Pferd のように中性とか主格,与格,対格の単数という文法的機能を担っていない。I bring の bring は,ドイツ語の ich bringe のbringe のもつ,一人称・単数・現在・直説法という規定のいくつかを欠いている。しかしそのことは,英語の表現のうえでなんら支障をきたさない。英語からみればむしろドイツ語のほうが,一つの形に余分な要素をつけている。たとえば,ichbringe で ich=I といえば,すでに一人称の表現であるから,bringe の‐e は無用だともいえよう。しかし言語には常にこうした不合理な要素が存在していて,話し手がそれを人為的に切り捨てることはできない。英語もずっと歴史をさかのぼると,同じ表現にドイツ語と同じような多くの文法的な機能をもった形を使っていた。このように,名詞や動詞の一つの形のなかに,さまざまな文法的な働きがその意味とともに組み込まれていて,それらを切り離すことのできない型をもった言語,それが印欧語の古い姿であった。したがって現在の英語のような形は,他の言語と比較すれば明らかなように,印欧語のなかではむしろ特異な例であり,それだけ強い変化を受けてきたのである。またこうした文法面での形の一致がえられるところに,印欧語族の系統を確認する重要な鍵があったということができる。ラテン語の eヾ Romam,Romam eヾ〈わたしはローマに行く〉を英語の I goto Rome と比較すれば,英語が表現のうえでより分析的になっていることがわかる。そのかわり,英語のほうが語順が固定的である。ラテン語のように六つの格と動詞の人称変化とをもつ言語では,個々の形が文法的機能をはっきりと指示することができるから,語順にはより自由が許されている。
[変化のなかでの伝承]  印欧諸語の分布は歴史とともにかなり変動している。先史時代から現在までえんえんと受け継がれてきた言語も多いが,すでに死滅してしまったものもある。前2000年代の小アジアでは,今日のトルコの地にヒッタイト帝国が栄え,多量の粘土板文書を残したが,その言語は南のルビア語とともに死滅した。その後も小アジアには,リュキア,リュディア,フリュギアとよばれる地からギリシア系の文字を使った前1000年代の中ごろの碑文が出土し,互いに異なる言語だが印欧語として認められている。フリュギア語だけは,別に紀元後の碑文をももっている。またギリシア北部からブルガリアに属する古代のトラキアの地にも壱少の資料があるが,固有名詞以外にはその言語の内容は明らかでない。またイタリア半島にも,かつてはラテン語に代表されるイタリック語派の言語以外に,アドリア海岸沿いには別個の言語が話されていた。なかでも南部のメッサピア語碑文は,地名などの固有名詞とともにイタリック語派とは認められず,かつてはここにイリュリア語派 Illyrian の名でよばれる一語派が想定されていた。しかし現在ではこの語派の独立性は積極的には認められない。このほか死滅した言語としては,シルクロードのトゥルファンからクチャの地域で出土した資料をもつトカラ語,バルト語派に属する古代プロイセン語,ゲルマン語のなかで最も古い資料であるゴート語などがある。ケルト語派は現在ではアイルランド,ウェールズ,それにフランスのブルターニュ地方に散在するにすぎず,その話し手も多くは英語,フランス語との二重言語使用者であるから,ゲルマン,ラテン系の言語に比べると,その分布は非常に限られている。しかし前1000年代には中部ヨーロッパに広く分布する有力な言語であったことは,古代史家の伝えるところである。
 これらの変動に伴ってどの言語も多くの変化を受け,その語彙も借用などによって入替えが行われた。ヒッタイト語のように古い資料でも,その言語の語彙の2割ほどしか他の印欧語に対応が求められず,大幅な交替を示している。にもかかわらず現在の英語でも,基本的な数詞(表)以外に変化を受けつつも共通基語からの形の伝承と思われる語彙も少なくない。father,mother,brother,sister,son,daughter,nephew,niece という親族名称,cow,wolf,swine,mouse などの動物名,arm,heart,tooth,knee,foot という身体の部分名のほか horn,night,snow,milk,動詞では is,was,know などはその典型である。⇒比較言語学                     風間 喜代三

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インド・ヨーロッパ語族
I プロローグ

インド・ヨーロッパ語族 インドヨーロッパごぞく Indo-European Languages 世界でもっとも広い地域で話されている語族で、以下の下位語派をふくむ。アルバニア語、アルメニア語、バルト語派、ケルト語派、ゲルマン語派、ギリシャ語、インド・イラン語派、イラン語派、イタリック語派(ロマンス諸語をふくむ)、スラブ語派、および2つの死語アナトリア語派(ヒッタイト語をふくむ)とトカラ語派。今日、約10億6000万人がインド・ヨーロッパ諸語を話している。

II 語族の確立

これらの多様な諸言語が単一の語族に属するという証拠は、主として18世紀後半から19世紀前半にかけての50年間にあつめられた。当時未解読のヒッタイト語をのぞいて、インド・ヨーロッパ語族の中でもっとも古いサンスクリットと古代ギリシャ語の膨大な文献が、基本的なインド・ヨーロッパ語の特徴をのこしており、共通の祖語があると考えられた。

1800年までには、インドやヨーロッパにおける研究によってサンスクリットと古代ギリシャ語とラテン語の密接な関係が証明された。その後、インド・ヨーロッパ祖語が推定され、その音と文法、この仮定的言語の再構、そしてこの祖語の個々の言語への分岐時期などについての具体的な結論がみちびきだされてきた。たとえば、前2000年ごろにはギリシャ語、ヒッタイト語、サンスクリットはすでに別個の言語だったが、それより1000年前には同一に近いものであったろうと思われるくらいの違いしかなかった。

ヒッタイト語は文献解読によって1915年にインド・ヨーロッパ語と確定し、中世期中国のトルキスタンで話されたトカラ語は1890年代に発見されて、1908年にインド・ヨーロッパ語と確定した。これによって、語族の発展とインド・ヨーロッパ祖語の大まかな性格がしだいにわかってきた。

初期のインド・ヨーロッパ語研究によって、比較言語学の基本となる多くの原則が確立された。もっとも重要な原則は、グリムの法則やベルネルの法則が証明するように、親縁関係をもつ諸言語の音は、一定の条件下ではある程度きまった対応をしめすということである。たとえば、インド・ヨーロッパ語族のアルバニア、アルメニア、インド、イラン、スラブ、そして部分的にバルトなどの下位語派では、インド・ヨーロッパ祖語の再構音qがsや?(shの音)のような歯擦音になっている。同様に「100」をあらわす単語が、ラテン語ではcentum(kentumと発音)となり、アベスター語(古代イラン語)ではsatemとなる。以前には、これをもってインド・ヨーロッパ諸語をcentumを使用する西派とsatemを使用する東派にわける考えがあったが、最近ではこのように機械的に2派にわけることには批判的な学者が多い。

III 発展

インド・ヨーロッパ諸語の発展につれて、数や格によって語形をかえる屈折はしだいに衰退していった。インド・ヨーロッパ祖語は、サンスクリット、古代ギリシャ語、アベスター語などの古代語のように屈折を多用していたと思われるが、英語、フランス語、ペルシャ語などの現代語は、前置詞句や助動詞をもちいた分析的な表現へとうつっている。屈折形の衰退は、おもに語末音節がなくなったためで、そのため、現代のインド・ヨーロッパ諸語の単語は、インド・ヨーロッパ祖語の単語より短い(→ 屈折語)。また、多くの言語は、新しい形式や文法上の区別を生みだしており、個々の単語の意味も大きく変化してきている。

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インド=アーリア語派
インド=アーリア語派

インド=アーリアごは
Indo-Aryan languages

  

単にインド語派ともいい,インド=ヨーロッパ語族に属する。これと,現代ペルシア語などを含むイラン語派とを合せてインド=イラン語派という。現存する最古の文献はバラモン教の聖典『リグ・ベーダ』であり,これはパンジャブ地方に住みついたインド=アーリア人の言語を表わしているとみられる。それから,サンスクリット語に代表される古期語,プラークリット語と総称される諸言語に代表される中期語を経て,現代のインド=アーリア系の諸言語はインド,パキスタン,スリランカで広く用いられ,5億 5000万人の話し手をもつ。ヒンディー語,ウルドゥー語,ベンガル語,パンジャブ語,グジャラート語などが代表的なものである。





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ドラビダ語族
ドラビダ語族

ドラビダごぞく
Dravidian languages

  

主としてインド南部に約1億 3500万人の話し手をもつ,20以上の言語から成る語族。タミル語,マラヤーラム語,カンナダ語を含む南ドラビダ語派,テルグ語を含む中央ドラビダ語派,クルク語やパキスタンのバルチスターン地方に話されるブラーフーイー語などを含む北ドラビダ語派に分類される。共通の特徴として,音韻面では歯音とそり舌音との対立があること,文法面では接尾辞による屈折・派生の組織が発達していることがあげられる。アーリア人の侵入以前には,現在インド=ヨーロッパ語族の諸言語が行われているインド北・中部にまで,広く分布していたと考えられる。



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ドラビダ語族
ドラビダごぞく Dravidian

ドラビダ語族に属する言語としては,固有の文字と文献とをもち,インドの公用語ともなっている,タミル語,マラヤーラム語,カンナダ語,テルグ語と,文字をもたない18(あるいはそれ以上)の言語とがある。これら諸語は,地域と言語の特徴とに基づいて,北部ドラビダ語,中部ドラビダ語,南部ドラビダ語の三つに大別される。まず南ドラビダ語には,南インドのタミル・ナードゥ州およびスリランカ北部のタミル語(4500万人),ケーララ州のマラヤーラム語 Malayalam(2500万人),カルナータカ州のカンナダ語 Kannada(3400万人)のほか,ニルギリ山中のトダ語(800人),コータ語(900人),クールグ地方のコダグ語(4万人),マンガロール周辺で話されるトゥル語 Tulu(94万人)などがある。また中部ドラビダ語には,中央インドのクイ語 Kui(50万人),クビ語(20万人),コラーミ語(5万人),ゴーンディ語 Gondi(150万人)などが含まれるほか,ドラビダ語族中,最大の話者人口をもつテルグ語(アーンドラ・プラデーシュ州,4900万人)も含まれると考えられている。さらに北ドラビダ語として,クルク語 Kurukh(114万人),マールト語(9万人),そしてはるかバルーチスターンに孤立しているブラーフーイー語 Brahui(30万人)がある。これらドラビダ諸語の話者人口は,インド総人口の約25%に相当する。
ドラビダ諸語の母音には,a,i,u,e,o おのおのの長・短母音がある。子音では,喉音,口蓋音,反舌音,歯茎音,唇音が存在するが,なかでも反舌音の発達が顕著である。名詞・動詞の変化は接尾辞の付加によって行われるため,類型的に膠着語の一種として分類される。名詞の数では,単数と複数の区別がある。性に関しては,普通,男性とそれ以外とを区別するか,または通性と中性とを区別するが,南部ドラビダ語の単数では,男性・女性・中性の三つを区別する。動詞の人称語尾は,代名詞的要素の発達したものと考えられ,したがって三人称では,名詞の変化と同様に性と数が区別される。動詞組織の大きな特徴として,全体が肯定表現と否定表現とに大別されることがあげられる。また複合動詞表現が発達しており,それによりさまざまな法や相が表現される。関係詞がない反面,分詞が発達しているのも特徴の一つである。語順は全般的に日本語に似ている。ドラビダ語族の系統に関しては,これまでいろいろの説が提出されてきたが,ウラル語族またはアルタイ諸語との親縁関係の可能性があるということを除いて,まだ確実なことはわかっていない。
                        高橋 孝信

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歯音
歯音

しおん
dental

  

舌先と上の前歯との間で調音される音。この狭義の歯音は,さらに歯間音 interdentalと歯裏音 post-dentalに分けられる。それぞれ,アイスランド語の[θ][],フランス語の[t][d][n]がその例。英語の[θ][]には両方の発音がある。広義の歯音には歯茎音を含めるが,これと区別するときは,歯音には[],歯茎音には をつけて表わす。[ ]と[ ]。





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そり舌音
そり舌音

そりじたおん
retroflex

  

舌をうしろにそらせ,舌先 (とそれに続く裏面) が硬口蓋に対して調音する音。ほかに cacuminal,cerebral,coronal,invertedなどの名称がある。国際音声字母では,[][][][]など,右向きのカギ印の加わった記号を用いる。[][]など下に[.]をつける方式もある。ヒンディー語やマラーティー語など,インドの諸言語に多くみられる。中国語の捲舌音もこの一種。舌をそらせて発する母音は「そり舌母音」という。アメリカ英語の[f:st](first)など。





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フリュギア語
フリュギア語

フリュギアご
Phrygian language

  

古代のフリュギアの地に行われていた言語。アナトリア諸語の一つ。時代の異なる2種の碑文から知られ,前8~5世紀の碑文の言語を古フリュギア語,紀元後数世紀に属する碑文の言語を新フリュギア語と呼ぶ。インド=ヨーロッパ語族に属する。アルメニア語の祖先であるという伝承が古代からあるが,言語学的には証明されていない。





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フリュギア語
フリュギアご Phrygian

インド・ヨーロッパ語族に属する言語。プリュギア語,フリギア語ともいう。古代のフリュギアの地から出土している資料は2層に分かれる。その古層は前8~前6世紀ころのもので25の短い碑文,新層はローマ時代(紀元後の数世紀)のもので約100の碑文からなり,ともにギリシア文字を使用している。ヘロドトスは,エジプト人がフリュギア人を世界で最古の民族と認めたという逸話の中に bekos〈パン〉というフリュギア語をあげているが,この形は碑文によって実証されている。  風間 喜代三

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アルメニア語
アルメニア語

アルメニアご
Armenian language

  

アルメニア,グルジア,アゼルバイジャン,シリア,エジプト,トルコのイスタンブール,アメリカなどで,合計約 570万人の人々に話される言語。インド=ヨーロッパ語族のなかで独立した一つの語派をなす。5世紀に発明された 38文字から成るアルメニア文字をもつ。この時期のアルメニア語は古期アルメニア語と呼ばれ,キリスト教関係の文献に残っているが,現在でも教会の儀式用言語として伝わっている。現代のアルメニア語にいたる発達は,ロシアの支配を受けた地方と,トルコの支配下にあったイスタンブールとで違い,発音や文法に差が現れた。他言語の影響にさらされることが多かったため,ペルシア語,ギリシア語,フランス語などからの借用語がみられる。





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アルメニア語
アルメニアご Armenian

インド・ヨーロッパ語族に属し,独立の一語派をなす。現在この言語の話し手は300万人以上と推定されているが,その言語領域は明確ではない。なぜなら,その本来の話し手がアルメニア共和国よりも多くは周辺のグルジア,アゼルバイジャン,イラン,トルコなどのほか,遠くはインド,レバノンにまで分散してしまっているからである。東西2方言に分かれるが,本国の人口の大半は東方言に属し,西方言は各地に分散しているため,その話し手の多くは二重言語使用者となっている。
 ギリシアの古代史家ヘロドトスによれば,アルメニア人は小アジアのフリュギアからこの地に移住してきたといわれる。しかし言語学的にその真偽は明らかでない。歴史的にこの地はアッシリア,ウラルトゥ,ペルシア,ビザンティン帝国,そしてアラブと,古代からたえず異民族の支配下にあった。言語的にはとくにパルティア,ササン朝下の600年ほどの間に多量のイラン系の語彙が借用され,ために長い間イラン語の一方言と見誤られたほどである。その歴史は5世紀に,独自のアルファベットで綴られた聖書文献に始まる。メスロプ・マシトツが作ったといわれるこの36文字の正確な起源は明らかでないが,ギリシア文字,パフレビー文字などが参考にされたものであろう。そのもっとも古い文献としてはすぐれた聖書の翻訳のほか,メスロプの伝記,原典は失われたがビザンティンのギリシア人の書いたアルメニア史の翻訳などがある。この古アルメニア語には方言差は認められないが,11世紀の末から14世紀にかけてキリキアに移住したアルメニア人の建てた王朝時代の文献には,ゲルマン語のそれに似た子音推移がみられ,方言差があらわれている。現在のアルメニア語は,全体的にみて古いインド・ヨーロッパ語の特徴である格変化,動詞の時制,法,人称変化などの範疇を保持しながらも,名詞の性別の消失,定冠詞の後置などのほか,語形成の上では分析的,膠着語的手続を多用している。ヨーロッパ人の人名で,ミコヤン,カラヤンなど語尾にヤンのつくものは本来アルメニア系である。 風間 喜代三

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リュディア語
リュディア語

リュディアご
Lydian language

  

古代に小アジア西部で話されていた言語で,いわゆるアナトリア諸語の一つ。おもに前4世紀の,ギリシア文字に由来するアルファベットで記された 50ほどの碑文から知られる。インド=ヨーロッパ語族に属すると考えられている。





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ヒッタイト象形文字
ヒッタイト象形文字

ヒッタイトしょうけいもじ
Hittite hieroglyphic



古代ヒッタイト王国で楔形文字と並んで用いられていた象形文字。楔形文字の文献の言語をヒッタイト語と呼んでいるが,象形文字で書かれている言語はそれと違った特徴も示しており,ルウィ語ともみられている。前 1500~700年頃使用されていた。





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楔形文字
楔形文字

くさびがたもじ
cuneiform writing



せっけいもじ,けっけいもじとも読む。シュメール人によって発明され,前 3500年頃からおよそ 3000年間,メソポタミアを中心とした古代オリエントで広く用いられた文字。もともと泥板に角のある棒のようなもので刻みつけたため線が楔形になるのでこの名がある。最古の楔形文字はウルクのエアンナ神域の第4層 (ウルク後期) から発見された絵文字で,今日その文字数は約 1000文字が知られている。その後,初期王朝時代にかけて楔形文字が一般化し,表音化された。バビロニア南部を統一したセム系アッカド人は楔形文字を採用してアッカド語を書き残した。そのためアッカド王朝滅亡後もアッカド語はオリエント世界で広く用いられた。





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[ブリタニカ国際大百科事典 小項目版 2008]


楔形文字
くさびがたもじ cuneiform script

古代オリエントで使用され,字画のそれぞれが楔の形をした文字の総称。楔形(せつけい)文字とも読む。
[種類と分布]  三つの系列が知られている。一つはシュメール人の発明した楔形文字で,一般に楔形文字といわれるときは,この文字体系が意味される。他の一つはアケメネス朝ペルシアで使用されたもので,文字数は41個に減少し,アルファベット的に使用されることもあったが,基本的には日本のかな文字に似た音節文字であった。3番目のものはシリアのラス・シャムラで発見された古代ウガリト王国の楔形文字である。この文字体系は28~32個の文字からなり,完全なアルファベット文字として考案されている。古代ペルシアとウガリトの楔形文字はいずれもシュメール系楔形文字の強い影響のもとで,楔の意匠を用いて二次的に考案されたものであり,ともに自国内でのみ使用された。上記3系列の中で,シュメール系楔形文字は高度のシュメール文明を背景にして3000年近く古代オリエント全域で使用され,歴史的に最も重要な役割を果たした。シュメール語の表記に使用された文字数は約600程度である。この文字体系をシュメール人から借用して表記された言語には,セム系のアッカド語(またはバビロニア語),アッシリア語,エブラ語,系統不明なエラム語,カッシート語,系統的に親縁性が立証されつつあるフルリ語と古代アルメニアのウラルトゥ語,インド・ヨーロッパ語族系の言語である小アジアのヒッタイト語,パラ語,ルウィ語およびヒッタイト王国の原住民の言語であったハッティ語などがあり,エジプトのアマルナ,シリアのウガリト,イスラエルその他からも多数のシュメール系楔形文書が発見され,国際的に広く通用していたことがわかる。
[起源と歴史]  シュメール系楔形文字の最古資料はメソポタミア南部の遺跡ウルクの第 IV 層で発見された絵文字に近い古拙文字で,前3100年ころに比定されている。同種の文字は他の遺跡から発見されていないので,文字の発明はおそらくこの時期にウルクにおいて行われたと思われる。前2700年ころに比定されるジャムダット・ナスルの遺跡からは線状に変化した文字が出土しているが,それ以後は特徴的な楔の形をとるようになり,前50年ころまで存続した。しかし前6,前5世紀にはアラム文字が優勢になり,併用時代のあと衰退に向かう。ウルク古拙文字の起源について最近シュマント・ベッセラト Denise Schmandt‐Besserat が興味深い指摘を行っている。同女史によれば,古代オリエントでは新石器時代より〈トークン token〉と呼ばれる直径が1cm前後の粘土で作られたさまざまな形状の物体が,記憶の補助手段として使用されていて,その形状を粘土板の上へ移したのがウルク古拙文字,すなわち文字の起源であるという。実際〈トークン〉と古拙文字との間には顕著な類似性が認められ,シュメールの地において〈トークン〉から文字への飛躍が起こった可能性は高いと思われる(図1参照)。ウルク古拙文字およびジャムダット・ナスルの線状文字では表語文字 logogram(表意文字 ideogram)のみの使用が見られるため,文字数も1000に近いが,初期王朝末期(前2350ころ)からウル第3王朝(前2060‐前1950ころ)には表音化が完成し,文字数も600程度に整理され,シュメール語が完全に表記されるようになっている。文字は粘土に葦の筆で書かれた。葦の筆は図2のごとく中空の葦の茎の外側を神状に切り取って,その角を粘土に押しつけて書かれたため特徴的な楔形になった。そのため古拙文字,線状文字の曲線は鉤形または直線などに変化し,原形は失われた。シュメール語では書くことを〈植える〉といった。楔形文字がセム系のアッカド語とアッシリア語の表記に採用されると,バビロニア(シュメール・アッカド)地方とアッシリア地方で別個の発達を遂げ,やがてアッシリア地方では字画が統一されて簡明・優美なアッシリア文字が完成し,王宮の壁面などを飾ることになる。
[構成と用法]  楔形文字は原則として左から右へ書き,あらかじめ引いておいた罫線の中に文を収めるのが普通である。楔形文字の原形である古拙文字を構成の面で分析すると,その方法は漢字の六書(りくしよ),すなわち象形,会意,指事,形声,仮借,転注と類似の構成法が認められるが,シュメール独自の造字法として,既存の文字に複数の線を加える〈グヌー gun】〉,既存の文字を傾斜させる〈テヌー ten】〉,既存の同文字を二つ交差させる〈ギリムー gilim】〉と呼ばれる方法などが知られている(図3)。象形においては,対象の特徴的部分を抽象的に表現する傾向が強い。文字数が漢字に比べて少ないのは仮借と転注の方法が多用されているためである。音の類似による転用といえる仮借により表語文字の表音化が始まり,字義の類似による転用といえる転注により文字の多音化,多義化が発生した。例えば,太陽をかたどった文字は本来〈太陽 utu〉を表したと考えられるが,転注により〈日 ud〉〈白く輝く babbar〉〈白い dad〉〈清い zalag〉〈乾燥している e〉などを同時に表した。このような文字の多音化,多義化による使用上のあいまいさを避けるために,シュメール人は限定詞 determinative と音声補記という方法を案出した。限定詞はいわば漢字の偏に相当し,エジプトの象形文字にも同趣の方法が認められる。例えば犂をかたどった文字は〈犂 apin〉と同時に〈農夫 engar〉を表したが,犂には木を示す限定詞が,農夫には人を示す限定詞が使用された。限定詞として最初に使用されたのは神を示すもので,次々と多数の限定詞が作られた。神,人,木を表す限定詞は限定する文字の前に置かれるので〈前置限定詞〉,土地・国,魚,鳥などの限定詞は後に置かれるので〈後置限定詞〉と呼ばれる。この方法は他言語の表記においても継承された。限定詞は実際には発音されなかったと思われる。音声補記はいわば日本語の送りがなに相当し,エジプトの象形文字にも同じくふうが知られている。この方法は問題の文字が子音で終わり,次に母音で始まる文法要素が接続する場合にのみ使用することができた。例えば文法要素 a が接続する場合,この a は ud の場合には da となり,babbar,dad,zalag の場合にはそれぞれ ra,da,ga と書いて,前の文字がどの子音で終わるかを示したのである。この方法も他言語の表記に活用された。アッカド人,アッシリア人は楔形文字をセム語の表記に適応させるためさらに表音化と多音化の傾向を進展させている。例えば,山をかたどった文字は,シュメール語では〈山,国〉の意味でkur の音価をもつにすぎなかったが,〈国〉を意味するアッカド語の m「tu から新しい音価 mat を作り,〈山〉を意味するアッカド語 $「du から新しい音価 $ad を作った。そしてさらにこの二つの音価を基礎にして次々に mat,map,nad,nat,nap,lad,lat,lap,$at,$ap,sad,sat,sap などの音価を作り出している。したがって,アッカド語,アッシリア語の場合にはその判読がいっそう困難になる。
[解読史]  解読はまず古代ペルシアの楔形文字から着手された。古代ペルシアの遺跡で発見される3種類の楔形文字のうち字数が最も少ない碑文で,アケメネス朝時代のものと推定された刻文の中に,グローテフェントはある語がひんぱんに繰り返されることに気づき,これを〈王〉の称号と推定した。この語に規則正しく続く2群の語は父と息子という関係で結ばれた国王名と考え,その語が同じ文字で始まっていない点を考慮して,キュロスとカンビュセスを除外し,ダレイオスとクセルクセスの名を作業仮設として採用することによって解読の端緒を開いた。このあと多くの学者,特にヒンクス Edward Hincks,オッペール JulesOppert,ローリンソンらの努力により1846年にはペルセポリス碑文の全文字が解読された。対訳が得られたことにより,アッシリアの楔形文字もグローテフェント,ローリンソン,ヒンクス,オッペールらの努力で57年にその解読が公認されるにいたる。また1929年北シリアのラス・シャムラで発見されたウガリト王国の楔形文字は,ドルムEdouard Dhorme とバウアー Hans Bauer がフェニキア語の知識を援用して,その翌年,解読に成功した。⇒アッシリア学∥粘土板文書  吉川 守

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楔形文字(くさびがたもじ)
I プロローグ

楔形文字 くさびがたもじ 楔(くさび)の形をした字画をもちいた文字で、「せっけいもじ」ともよむ。主として粘土板(→ 粘土板文書)の上にほられているが、石、金属、ろうなどの材料でできた板にほられていることもある。西アジアの古代民族によってもちいられた。楔形文字で書かれたもっとも古い文献は、およそ5000年前のもので、現代のアルファベットの起源であるフェニキア文字よりも1500年近く前である。発見されたもっとも新しい楔形文字の碑文は、1世紀のものである。

楔形文字の発祥の地はメソポタミア南部で、おそらくシュメール人によって考案されたものと考えられる。彼らは、自分たちの言語であるシュメール語をしるすために楔形文字をもちいた。この文字は、のちになって、アッカド語やその方言であるバビロニア語やアッシリア語をしるすのにもちいられるようになった。アッカド語は、シュメール文明下で国際的に使用される言語となり、古代中東全域の学校でまなばれることになったため、楔形文字は小アジア、シリア、ペルシャにひろがった。また、外交文書を通じてエジプトにもつたえられた。

さらに楔形文字は、アッカド語以外の各地域の言語をしるすためにももちいられるようになり、メソポタミア北部、シリアおよび小アジアのフルリ語、シリアのエブラ語、小アジアのヒッタイト語、ルウィ語、パラ語、ハッティ語、アルメニアのウラルトゥ語、ペルシャのエラム語などでつかわれた。

楔をつかって文字をほることは同じだが、バビロニアの文字とは形や用法のことなった新しい文字も考案された。そのような文字としては、セム系の言語であるウガリト語(→ ウガリト)をしるすためのウガリト文字や、アケメネス朝時代のペルシャ(前550頃~前330頃)ではなされていた古代ペルシャ語をしるすための古代ペルシャ文字がある(→ ペルシャ語)。

II 初期の楔形文字

もっとも初期の楔形文字は象形文字であった。しかし、楔形文字用の特別の道具で、やわらかい粘土の上に字画をきざむのは、象形文字の不規則な線よりも、まっすぐな線のほうがはるかに楽だった。このため、先のとがった字画をきざむのに便利な、葦(あし)でできた筆が発明され、象形文字の形は、しだいに楔の形の字画から構成されるものにかわっていった。そして、この楔の形の字画からなる文字が様式化されて、もとの象形文字とはかなりちがった形になったのである。

もとは、楔形文字のひとつひとつが意味をもつ単語だった。具体的な形でその意味をあらわすことのできない単語は、関連した意味をもつ象形文字であらわされていた。たとえば、「よい」という意味は星をあらわす文字で、「立つ」や「歩く」という意味は足をあらわす文字であらわされていた。したがって、いくつもの意味をもつ文字も一部にはあった。

シュメール語の単語は大部分が1音節からなっていたため、しだいに単語をしるした文字は意味に無関係に音節だけをあらわすようになっていった。ただ、1つの文字が1つの音節をあらわすというわけではなく、1つの文字にいくつかの意味があって、それぞれ読み方がちがう場合には、その文字は複数の音節をあらわした。このように、1つの文字で複数の音をあらわすものを「多音字」という。いっぽう、シュメール語には、意味がちがっていても同じ音節に対応するものもたくさんあった。したがって、1つの音節が複数の文字であらわされることもあった。

楔形文字は、最終的には600以上もの文字をもつようになった。このうちの約半分は表意文字と音節文字の両方としてつかわれたが、残りは表意文字としてだけつかわれた。表意文字の中には、単語の属している種別(人間、木、石など)をあらわす限定詞としてもちいられるものもあった。このような限定詞は、漢字でいえば偏にあたるものである。表意文字と音節文字がまじりあった文字体系は、楔形文字の歴史を通じて存続した。

楔形文字がシュメール語以外の言語をしるすためにももちいられるようになると、表意文字は、日本語で漢字を訓読みしたように、その言語で同じ意味をあらわす単語のもつ音でよまれたときには、表意文字や多音字の数をへらして、文字の体系を単純にする試みがなされたこともあったが、アルファベットのように1つの文字が1つの音をあらわすしくみは、標準的な楔形文字では、ついに実現しなかった。ただ、ウガリト文字と古代ペルシャ文字では、1字1音のしくみにまで単純化している。

III 解読の歴史

イランにあるペルセポリスの遺跡などで、古代の旅行者が楔形文字の書かれた粘土板をみつけても、それがどんな意味をあらわしているかわかる者はいなかった。1621年にイタリアの旅行家デラ・バレは、イラン西部のビストゥンにある山壁にきざまれた413行の碑文をみつけ、そのうちの一部を記録した。74年にフランスの商人シャルダンが、すべての楔形文字のリストを出版し、碑文はつねに3種類のたがいに平行した関係にある形の文字であらわされていることを指摘した。

しかし、ビストゥン碑文を解読するための本当の意味での第一歩をしるしたのは、ドイツの旅行家ニーブールであった。彼は、1761~67年におこなわれたデンマークの中東への学術探検隊に参加し、3種類の文字が同じ内容の文章をしるしていることを解読し、77年にビストゥン碑文の最初の正確で完全なテキストを公刊した。ビストゥン碑文は、ペルシャ王ダレイオス1世のもので、ペルシャ語とエラム語とバビロニア語で、それぞれの楔形文字をもちいてしるされていた。この3種類の文字は、アケメネス朝の王たちによって、3つの属国に対して布告をつたえるためにもちいられたものであった。

1 ペルシャ語の楔形文字

3つの文字のうち、最初に解読されたのはペルシャ語の楔形文字であった。まず、ドイツの学者テュクセンとグローテフェントおよびデンマークの文献学者ラスクが、それぞれ部分的に解読した。つづいて、フランスの東洋学者ビュルヌフが大部分の解読に成功し、イギリスのアッシリア学者ローリンソンも、自分で直接ビストゥンの山壁からうつしたテキストを独自に解釈し、その成果を1846年に公刊した。

ペルシャ語の楔形文字の解読は、古代ペルシャ語から変化した中期ペルシャ語「ハフラビー語」が知られていたため、ほかの文字よりも容易であった。ペルシャの楔形文字は、楔形文字のうちでももっとも単純で新しいものである。文字は36あって、そのほとんどが1つの音をあらわしているが、簡単な音節をあらわす文字もいくつかある。また、単語の切れ目をしめす記号もふくまれている。ペルシャ語の楔形文字がつかわれたのは、前550~前330年ころとされている。この文字で書かれたもっとも古い文献はパサルガダエのキュロス大王の碑文であり、もっとも新しい文献はペルセポリスのアルタクセルクセス3世(在位、前358?~前338)の碑文であると考えられている。

2 エラム語の楔形文字

エラム語の楔形文字は、3カ国語で書かれたビストゥン碑文の2番目の位置にあらわれている。最初にこの文字の解読をこころみたのは、デンマークの東洋学者ウェステルゴールで、1844年のことであった。エラム語の場合、この言語に関係のある現代語やこれまでに関係が知られている言語がないため、同じ内容のほかの言語で書かれたテキストとの対照が解読に重要な役割をはたす。エラム語の文字は、96の音節文字、16の表意文字、5つの限定詞からなるが、まだ解読されていない文字もいくつかある。

3 バビロニア語の楔形文字

バビロニア語の楔形文字は、フランスの東洋学者オッペール、アイルランドの東洋学者ヒンクス、フランスの考古学者ド・ソールシーとローリンソンの協力によって解読された。バビロニア語が、よく知られたセム系の言語の方言に類似していることが、解読の助けになった。

バビロニア語の楔形文字でしるされた古代の碑文は、バビロン、ニネベなどのユーフラテス川とチグリス川の沿岸地域でも数多く発見されているが、ビストゥン碑文によって解読の手がかりがあたえられた。バビロニアの楔形文字は、印章、円柱、オベリスク、石像、宮殿の壁などにきざまれている。また、この文字をきざんだ粘土板も大量に発見されている。文字はひじょうに小さいものが多く、2.5センチの幅に6行も書かれている場合もある。

IV 最近の研究

象形文字がしるされた初期の碑文が発見されるまでは、楔形文字がもとは象形文字だったという確実な証拠はなかった。1897年にドイツの学者デリッチは、楔形文字がもとは象形文字だったという説に異論をとなえ、楔形文字は比較的少ない数の簡単な文字から発達してきたのだと主張した。彼の説は、そのような簡単な文字をくみあわせることによって、数百もの楔形文字がつくられるようになったというものである。この説は、ある程度の賛同をえたが、ほとんどの学者は象形文字起源説のほうを支持していた。象形文字起源説は、最終的には、アメリカの東洋学者バートンの「バビロニア文字の起源と発達」によって、1913年にみとめられることになる。この本には、初期の楔形文字の碑文にしるされた288の象形文字がのせられ、その象形文字の発達についてしるされていた。

また、1928~31年にドイツの考古学者たちがイラクにある古代都市ウルクの遺跡を発掘した結果、粘土板にきざまれた、現在知られている最古の象形文字がみつかっている。

楔形文字の解読により、古代アッシリアやバビロニア、中東地域一般についての事柄が、相当程度わかるようになった。楔形文字でしるされたハンムラピ法典は、紀元前の時代のもっとも重要な文書のひとつである。古代エジプトの歴史を解明する手がかりをあたえる楔形文字の碑文もある。1929年シリア北部のラス・シャムラでフランスがおこなった発掘によって発見された楔形文字は、子音をあらわしており、前1400~前1200年ころにつかわれたものと推定されている。このいわゆるラス・シャムラ楔形文字で書かれた神話は、古代シリアの宗教儀式を解明する手がかりとなり、聖書の内容の再解釈にもかかわってくるものである。

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象形文字
象形文字

しょうけいもじ
hieroglyphs

  

ヒエログリフともいい,絵を基本とする文字体系をいう。 hieroglyphとは「神の御言葉」という意味のエジプト語をギリシア語訳にしたもので,「神聖なる刻字」を意味する。エジプトの象形文字の萌芽はセマイネー期においてみられるが,それが急速に発展したのはティニト期に入ってからである。今日「象形文字」の語は古代エジプトの文字だけでなく,ヒッタイトの古代文字,メソポタミアの楔形文字の原形,クレタの文字,漢字の原形,マヤの文字などを呼ぶ際にも用いられる。





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象形文字
しょうけいもじ

漢字の〈日〉という字はもと冥と書かれ,〈月〉という字は匏と書かれ(ともに金文),元来太陽や月の形にかたどったものである。このほかにも〈鳥〉とか〈馬〉のような漢字も同様に鳥の形,馬の形を模したものである。このように物の形にかたどって作られた文字を中国では先秦時代から〈象形〉と呼び,象形文字は漢字の最も原始的な姿であった。象形文字は,漢字に限らない。古代エジプト文字すなわちヒエログリフ(聖刻文字)は典型的な象形文字であって,その装飾的字体は人,獣,鳥,ヘビ,器などの姿を如実に示している。メソポタミアの楔形(くさびがた)文字の原形も象形による文字であり,おそらくこのシュメール文字と関係のある原始エラム文字,またインダス文化の出土品にみられる原始インド文字(インド系文字),あるいは目下解読されつつあるクレタ文字,その影響と思われるヒッタイト文字など古代の原始的文字はみな象形文字である。これら古代文字の原始形態が象形にあることは,これらがいずれもいわゆる絵文字 pictograph から発生したことを物語る。絵文字は図形あるいはその結合によってある観念を示すもので,北アメリカのインディアンの間などにみられる絵による伝達などがそれである。また諸所に残されている岩石彫刻にも絵文字が認められる。絵文字はその絵とそれが示す観念との関係がその場限りのものであって,一定の絵と一定の観念が慣習的に結びついていない。文字は一種の言語記号として社会慣習的なものでなければならない。したがって絵文字は文字の前段階を示すが,文字ではない。それは言語と連合してはじめて文字となる。かくてエジプト,メソポタミア,中国そのほかにおいて絵文字はそれぞれの言語,すなわち(古代)エジプト語,シュメール語,あるいは中国語などと結びついて古代の象形文字の誕生をみたのである。
 図形と言語の連合はまず一つの図形と一つの単語の結びつきから始まった。中国の冥は中国語の単語 na♂t(太陽の意)と,エジプトの匕はエジプト語の rc(口)と,シュメールの匚(匣)はシュメール語の a(水)と連合した。このように単語を示す文字を表語文字 logograph という。しかし中国語はいわゆる孤立語であり,かつその単語が原則として単音節であったため一つの文字は一つの語に結びついたまま固定化したが,ほかの言語は多少とも多音節語から成っていたので,1字1語の原則は守られず,一つの文字の示す語の音構成の全部または一部を利用して表音的にその文字を使用するにいたった。シュメール文字(楔形文字)の匣は a(水)を示すとともに a という音節を示すのに用いられ,またエジプト文字の匯は rc(口)を表すとともに,その頭音の r を表すのに使われた。こうして音節文字ないしアルファベット文字の発生をみることになったのである。図形と言語との連合はしだいにその図形を記号化させ,漸次その原始的な象形形態を崩壊させていった。漢字の匱は楷書では〈水〉と書き,もはや水の流動的姿態を失っているし,エジプト文字もその装飾的字体では依然絵の状態を保っていたが,その行書体(神官文字 hieratic)ではすでにその原形に遠く,その草書体(デモティック文字 demotic(民衆文字))にいたっては漢字の草書と同様まったく象形性を喪失している。シュメール文字ではその変形はいっそうはなはだしく,いわゆる楔形文字となって絵画的様相は全然みられなくなった。これらはいずれも図形の記号化にもとづき,その書写具の性質と変遷によって変容をとげたのである。
 古代象形文字のうち最も古いのはシュメール象形文字で,前3100年ころにメソポタミア南方に発生した。その数世紀後に原始エラム文字(未解読)が現れるが,おそらくシュメール文字の影響のもとにできたといわれ,また原始インド文字も同様にシュメールの影響といわれる(前3千年紀後半)。ヒエログリフが作られたのはだいたい前3000年で,この時期のエジプト文化にはメソポタミア文化の強い感化があって,その文字もおそらくシュメール文字の刺激によるという説がある。いわゆるエーゲ群の文字のうちクレタ文字は前2000年ころから知られ,ヒッタイト象形文字は前1500‐前700年の間用いられた。クレタはその歴史を通じてエジプト文化の影響下にあり,ヒッタイトはクレタ文化との関連がある。中国では前1300年ころからいわゆる甲骨文字(甲骨文)が知られている。これもインダス文明を媒介として結局はシュメール文字につながるとすれば,象形文字の起原も案外単一で,人類が文字を創造したのはメソポタミアにおいてであったという説もある。⇒文字      河野 六郎

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象形文字
象形文字 しょうけいもじ 具体的な物の形をかたどってつくった文字。表意文字のひとつで、絵文字から発達した。古代エジプト文字(→ ヒエログリフ)や中国の古代文字などが有名で、現在も祭礼などにつかわれているものには東巴文字(トンパ文字)がある。

象形文字は、漢字の成り立ちや使い方を説明した六書のひとつである。漢字の中で、物の形をかたどっており、例をあげると「山、日、月、川、魚、鳥、人」などである。

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リュキア語
リュキア語

リュキアご
Lycian language

  

小アジア南西部で話されていた言語で,いわゆるアナトリア諸語の一つ。前5~2世紀の,ギリシア文字に由来するアルファベットで書かれた 200あまりの碑文や貨幣の銘から知られる。インド=ヨーロッパ語族に属し,ルウィ語と関係が深いと考えられている。





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トカラ語
トカラ語

トカラご
Tocharian language

  

トルキスタン地方 (現在は中国のシンチヤン〈新疆〉ウイグル自治区) のタリム盆地で話されていた言語。 19世紀末から発見された,ブラーフミー文字で書かれた 500~700年頃の文献で知られるが,現在は死語。インド=ヨーロッパ語族に属し,ケントゥム語群に入るが,独自の特徴をそなえていて一つの独立した語派をなすとみられている。A,Bと呼ばれる2つの方言が知られている。



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トカラ語
トカラご Tocharian

東トルキスタンのトゥルファン,カラシャール,クチャなどで発見されたインド系のブラーフミー文字文献中の言語。トハラ語ともいう。系統的にはインド・ヨーロッパ語族に属し,独立した一語派をなす。地理的に見れば,インド・ヨーロッパ語族中でインド・アーリヤ諸語と並びその最も東に位置している。トカラ語文献はおよそ6世紀から8世紀の間に書かれたものと推定されるが,この言語は10世紀ごろにはウイグル族に征服され死語になったものと思われる。トカラ語は A 語,B 語の2種に分類できる。しかし A・B 間にみられる言語特徴の違いが何によるものかはまだ決定されていない。A 語は仏典にのみ用いられ,B 語より整理された構造をもつことから,これを仏典用文語であったとし,一方,B 語はいくつかの小方言を内在し,仏典のほかに手紙や医学書などの世俗文献を書き残しているので,口語とする説が有力である。トカラ語という名称は,この言語(A 語)がウイグル族によってトクリ(トフリ)Toxiri 語と呼ばれていたとするドイツの学者 F. W. K. ミュラーの見解にもとづくものだが,これは必ずしも適当ではなく,トカラ A語をその文献の出土地域の中心であるカラシャールの旧名をとってアグニ語とし,B 語をクチャ語あるいはクチ語と呼ぶことが行われる。トカラ語はインド・ヨーロッパ語のいくつかの古い特徴を保存しているが,他のどの語派と近親関係にあるかはまだ不明である。             庄垣内 正弘

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ブラーフミー文字
ブラーフミー文字

ブラーフミーもじ
Brhm alphabet

  

古代インドで用いられた文字。セム系のアルファベットを母体にしてできたものと考えられる。知られている最古のものは前4世紀。古代インドには,これと並んでカローシュティー文字があったが,ブラーフミー文字がこれを圧倒した。4世紀頃のインドで用いられたグプタ文字,中国,日本に伝わった悉曇 (しったん) 文字,現在インドの諸地方で用いられているデーバナーガリー文字はブラーフミー文字を母体としている。





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ブラーフミー文字
ブラーフミーもじ Br´hm ̄

古代インドの文字。アショーカ王碑文はこの文字で刻まれている。グプタ朝期には地域差が現れ,6世紀にかけてそれが明確となり,南北両系に分かれた。10世紀ころから12世紀にかけて,近代インド諸言語(タミル語を除く)が徐々に発達し,それぞれ独自の文学をもって登場するようになると,これに促され,12世紀から16世紀にかけ,南北各ブラーフミー文字から派生して現行インド系文字(ウルドゥー,シンディー,カシミーリーを除く)が成立した。                    田中 敏雄

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カローシュティー文字
カローシュティー文字

カローシュティーもじ
Kharoh

  

古代インドで用いられた文字の一つ。音節文字で,252字から成る。アケメネス朝ペルシアで用いられた北セム系のアラム文字が,ペルシアの支配下におかれた北西インドで発達してできたもの。前3世紀のアショーカ王の碑文が現存最古のものである。3世紀までには,東トルキスタン各地に広まった。その後ブラーフミー文字に取って代られ,5世紀以後の文献は発見されていない。





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カローシュティー文字
カローシュティーもじ Kharooph ̄

古代,西北インド,北インドから中央アジアで用いられていた文字。前518年,ダレイオス1世はインダス川流域に侵入し,インダス川以西をアケメネス朝の属州とした。この文字は前5世紀ころ,ブラーフミー文字を知っているものが,アラム文字を借用して,この地の言語を便宜的に表記するために考案したものとされている。ハザーラーのマーンセヘラーとペシャーワルのシャーバーズ・ガリーより,アショーカ王による磨崖碑文が発見されているが,この文字で刻まれており,前3世紀ころにはこの文字が普及していたことがわかる。アショーカ王以後も,シャカ,クシャーナ朝の諸王によって採用されたが,5世紀以降,ブラーフミー系文字と交代し,その後,忘れ去られてしまった。19世紀には解読され,仏教,ジャイナ教の文献および《法苑珠林(ほうおんじゆりん)》から,カローッティー,カローシュティーの名称が確認されたが,起源については諸説がある。       田中 敏雄

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グプタ文字
グプタ文字

グプタもじ
Gupta scripts

  

インドで4世紀頃生れたアルファベット。古代インドのブラーフミー文字が変遷して,北方系と南方系の2系統に分れた,その北方系に属する。インド文字の大多数はこれに由来する。





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グプタ文字
グプタもじ

古代のインドの文字であるブラーフミー文字のうち北方系のもの。グプタ朝期に,バラモン教学の体系化,法典類の整備が進められ,サンスクリット文学は最盛期に入り,美術工芸,天文学,数学,医学の各分野で進歩が見られた。これは各分野にわたって膨大な文書,文献が書かれたことを意味し,書字材料,技法の進歩を示唆する。これまでのブラーフミー文字と比べると,より速く書け,装飾を施し,しかも均斉美を重視する傾向が見られるようになった。アラーハーバードにあるグプタ朝の王サムドラグプタの碑文(350年ころ)は代表例としてよく知られている。この文字は,5,6世紀に西北インドを経由して中央アジアに入り,カローシュティー文字に取って代わった。⇒インド系文字                     田中 敏雄

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デーバナーガリー文字
デーバナーガリー文字

デーバナーガリーもじ
Devangar

  

インドでサンスクリット語を書くのに用いられる文字。ブラーフミー文字に由来するナーガリー文字を母体とする。7世紀頃にインドで発達。 10世紀以後は形態も整い,現今一般に普及した文字の総称となった。サンスクリット文献の出版に使用されるほか,ヒンディー語,ネパール語などをはじめとする近代インド=アーリア語に用いられている。母音字には語頭で用いられる独立文字と,子音+母音の音節を表わす文字で子音字に付属させる半体符号とがあるが,独立に用いられた子音字は常にa音を含んでいる。したがって,アルファベット的要素から成る音節文字ということができる。





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デーバナーガリー文字
デーバナーガリーもじ Devan´gar ̄

インドの文字(図)。古代インドの文字であるブラーフミー文字の系統に属する。8世紀ころ,ラージャスターン,マールワー,マトゥラー,ガンガー(ガンジス)川中流域を中心に形成され,9世紀ころから広く普及し始め,10世紀以降,シッダマートリカーSiddham´tnk´ 文字に取って代わるようになった。汎インド的性格をもつようになると,その名に〈デーバ(神)〉が付けられ神聖化されるようになった。現行デーバナーガリー文字によって,ヒンディー語,マラーティー語といった言語人口のかなり多い近代インド諸言語が表記されるほか,長く古典語サンスクリットの文字ともなっており,その点でインドの文字言語における重要な媒体であるといえる。                   田中 敏雄

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ナーガリー文字
ナーガリー文字

ナーガリーもじ
Ngar script

  

グプタ文字の系統をひく,インドの文字。残っている最古の文献は7世紀のもの。各文字の上部の横線を特徴とする。ナーガリー文字から発展した代表的な文字がデーバナーガリー文字である。南インドにみられる変種はナンディーナーガリーと呼ばれる。





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言語学・ゲームの結末を求めて(その7) [宗教/哲学]


インド=ヨーロッパ語族
インド=ヨーロッパ語族

インド=ヨーロッパごぞく
Indo-European languages

  

印欧語族。歴史時代の初めから東はインドから西はヨーロッパ大陸にわたって広く分布した,多くの言語を含む一大語族。現代語では,英語,フランス語,スペイン語,ドイツ語,ロシア語などの有力な言語がこれに属する。インド=イラン,アルメニア,ギリシア,アルバニア,イタリック,ケルト,ゲルマン,バルト,スラブの各語派に下位区分され,これらはいずれも現代まで生残った言語を含んでいる。ほかに,20世紀に入って文献が発見されたヒッタイト語とトカラ語があり,それぞれ独立の語派をなすが,いずれも死語である。 19世紀以降,厳密な比較文法による研究が続けられ,複雑な屈折や派生の体系をもつ祖語の形がかなりよく再構されている。前 3000年頃に,この祖語が行われていたものと推定されている。なお,ドイツの学者は好んでインド=ゲルマン語族の名を用い,一部の学者によってインド=ヒッタイト語族の名も用いられることがある。古くは,アーリア語族の名も用いられた。





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インド・ヨーロッパ語族
インドヨーロッパごぞく Indo‐European

印欧語族ともいう(以下便宜上この名称を用いる)。古くはアーリヤ語族 Aryan という名称も用いられたが,これはインド・イラン語派の総称で,印欧語族については不適当である。インド・ゲルマン語族の名は,ドイツ語で今日もなお慣用となっている Indo‐Germanisch に由来する。この名称は,東のインド語派と西のゲルマン語派をこの大語族の代表とみる考え方に基づいてつくられたものであるが,ドイツ語以外では使用されない。
 この語族に属するおもな語派はインド,イラン,トカラ,ヒッタイト,ギリシア,イタリック,ケルト,ゲルマン,バルト,スラブ,アルメニア,アルバニアであるが,このほか古代の小アジアとその他の地域に少数の言語が印欧語として認められている。これらの語派の分布は,東は中央アジアのトカラ語からインド,イラン,小アジアを経て,ヨーロッパのほぼ全域に及んでいる。現在のヨーロッパではイベリア半島のバスク語,これとの関係が問題にされているカフカス(コーカサス)の諸言語,それにフィンランド,ハンガリーなどフィン・ウゴル系の言語がこの語族から除外されるにすぎない。この広大な分布に加えて,その歴史をみると,前18世紀ごろから興隆した小アジアのヒッタイト帝国の残した楔形(くさびがた)文字による粘土板文書,驚くほど正確な伝承を誇るインド語派の《リグ・ベーダ》,そして戦後解読された前1400‐前1200年ごろのものと推定される線文字で綴られたギリシア語派(〈ギリシア語〉参照)のミュケナイ文書など,前1000年をはるかに上回る資料から始まって,現在の英独仏露語などに至る,およそ3500年ほどの長い伝統をこの語族はもっている。これほど地理的・歴史的に豊かな,しかも変化に富む資料をもつ語族はない。この恵まれた条件のもとに初めて19世紀に言語の系統を決める方法論が確立され,語族という概念が成立した。印欧語族は,いわばその雛形である。
[分化の過程]  印欧諸語は理論的に再建される一つの印欧共通基語(印欧祖語ともいう)から分化したものであるから,現在では互いに別個の言語であるが,歴史的にみれば互いに親族の関係にあり,それらは一族をなすと考えられる。これは言語学的な仮定であり,その証明には一定の手続きが必要である。ではどのようにして一つの言語が先史時代にいくつもの語派に分化していったのか。その実際の過程を文献的に実証することはできない。資料的にみる限り,印欧語の各語派は歴史の始まりから,すでに歴史上にみられる位置についてしまっていて,それ以前の歴史への記憶はほとんど失われている。したがって共通基語から歴史の始まりに至る過程は,純粋に言語史的に推定する以外に再建の方法はない。
 しかし印欧語族のなかには,歴史時代に分化をとげた言語がある。それはラテン語である。ラテン語はイタリック語派に属する一言語であったが,ローマ帝国の繁栄とともにまず周辺に話されていたエトルリア語やオスク・ウンブリア語などを吸収した。そして政治勢力の拡大に伴って,ラテン語の話し手はヨーロッパ各地に侵入し,小アジアにも進出した。その結果,西はイベリア半島からガリア,東はダキアの地において彼らは土着の言語を征服し,住民たちは為政者の言葉であるラテン語を不完全ながらも徐々に習得しなければならなかった。こうして各地のそれぞれに異なる言語を話していた人々がラテン語を受け入れ,それを育てていった結果,今日ロマンス語と総称される諸言語,フランス,スペイン,ポルトガル,イタリア,ルーマニアの諸語が生成したのである。今日ではこれらの言語は互いにかなり違っている。それはおのおのの歴史的な過程の差の表れである。しかし一方では,ラテン語という一つの親をもつ姉妹であるから,類似も著しい。このように,一つの言語が広い地域にわたって他の言語を征服し,分化していくという事実をみると,印欧語の場合にも先史時代に小規模ながらラテン語に似た過程が各地で繰り返されて,歴史上に示されるような分布が実現したと考えられる。
[英語とドイツ語]  この語族に属する言語をみると,現在の英語とドイツ語でもかなりの違いがある。この二つの言語はともにゲルマン語に属し,なかでもとりわけ近い関係にある。にもかかわらず差が目だつのは,一つは語彙の面であり,他は文法の面である。語彙の面の差の大きな原因は,英語が大量にフランス語を通じてラテン系の語彙を借り入れたためで,一見すると英独よりも英仏の関係のほうが密接に思われるほどである。この借用は,ノルマン・コンクエスト以降中世に長い間イギリスでも,フランス語が公に使われていたという歴史的事情によるものであるから,いわば言語外的な要因による違いといえよう。これに対して主として音韻,文法の面の違いは,それぞれの言語内の自然の変化の結果である。最も著しい違いは,英語には名詞,形容詞の性別も,格変化もほとんどみられないし,動詞も三人称単数現在形の‐s 以外は,とくに人称語尾というものがない。またその法にしても,ドイツ語の接続法という独立の範疇は英語にはみられない。英語のhorse という形は,文法的には単数を表すだけで,ドイツ語の Pferd のように中性とか主格,与格,対格の単数という文法的機能を担っていない。I bring の bring は,ドイツ語の ich bringe のbringe のもつ,一人称・単数・現在・直説法という規定のいくつかを欠いている。しかしそのことは,英語の表現のうえでなんら支障をきたさない。英語からみればむしろドイツ語のほうが,一つの形に余分な要素をつけている。たとえば,ichbringe で ich=I といえば,すでに一人称の表現であるから,bringe の‐e は無用だともいえよう。しかし言語には常にこうした不合理な要素が存在していて,話し手がそれを人為的に切り捨てることはできない。英語もずっと歴史をさかのぼると,同じ表現にドイツ語と同じような多くの文法的な機能をもった形を使っていた。このように,名詞や動詞の一つの形のなかに,さまざまな文法的な働きがその意味とともに組み込まれていて,それらを切り離すことのできない型をもった言語,それが印欧語の古い姿であった。したがって現在の英語のような形は,他の言語と比較すれば明らかなように,印欧語のなかではむしろ特異な例であり,それだけ強い変化を受けてきたのである。またこうした文法面での形の一致がえられるところに,印欧語族の系統を確認する重要な鍵があったということができる。ラテン語の eヾ Romam,Romam eヾ〈わたしはローマに行く〉を英語の I goto Rome と比較すれば,英語が表現のうえでより分析的になっていることがわかる。そのかわり,英語のほうが語順が固定的である。ラテン語のように六つの格と動詞の人称変化とをもつ言語では,個々の形が文法的機能をはっきりと指示することができるから,語順にはより自由が許されている。
[変化のなかでの伝承]  印欧諸語の分布は歴史とともにかなり変動している。先史時代から現在までえんえんと受け継がれてきた言語も多いが,すでに死滅してしまったものもある。前2000年代の小アジアでは,今日のトルコの地にヒッタイト帝国が栄え,多量の粘土板文書を残したが,その言語は南のルビア語とともに死滅した。その後も小アジアには,リュキア,リュディア,フリュギアとよばれる地からギリシア系の文字を使った前1000年代の中ごろの碑文が出土し,互いに異なる言語だが印欧語として認められている。フリュギア語だけは,別に紀元後の碑文をももっている。またギリシア北部からブルガリアに属する古代のトラキアの地にも壱少の資料があるが,固有名詞以外にはその言語の内容は明らかでない。またイタリア半島にも,かつてはラテン語に代表されるイタリック語派の言語以外に,アドリア海岸沿いには別個の言語が話されていた。なかでも南部のメッサピア語碑文は,地名などの固有名詞とともにイタリック語派とは認められず,かつてはここにイリュリア語派 Illyrian の名でよばれる一語派が想定されていた。しかし現在ではこの語派の独立性は積極的には認められない。このほか死滅した言語としては,シルクロードのトゥルファンからクチャの地域で出土した資料をもつトカラ語,バルト語派に属する古代プロイセン語,ゲルマン語のなかで最も古い資料であるゴート語などがある。ケルト語派は現在ではアイルランド,ウェールズ,それにフランスのブルターニュ地方に散在するにすぎず,その話し手も多くは英語,フランス語との二重言語使用者であるから,ゲルマン,ラテン系の言語に比べると,その分布は非常に限られている。しかし前1000年代には中部ヨーロッパに広く分布する有力な言語であったことは,古代史家の伝えるところである。
 これらの変動に伴ってどの言語も多くの変化を受け,その語彙も借用などによって入替えが行われた。ヒッタイト語のように古い資料でも,その言語の語彙の2割ほどしか他の印欧語に対応が求められず,大幅な交替を示している。にもかかわらず現在の英語でも,基本的な数詞(表)以外に変化を受けつつも共通基語からの形の伝承と思われる語彙も少なくない。father,mother,brother,sister,son,daughter,nephew,niece という親族名称,cow,wolf,swine,mouse などの動物名,arm,heart,tooth,knee,foot という身体の部分名のほか horn,night,snow,milk,動詞では is,was,know などはその典型である。⇒比較言語学                     風間 喜代三

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インド・ヨーロッパ語族
I プロローグ

インド・ヨーロッパ語族 インドヨーロッパごぞく Indo-European Languages 世界でもっとも広い地域で話されている語族で、以下の下位語派をふくむ。アルバニア語、アルメニア語、バルト語派、ケルト語派、ゲルマン語派、ギリシャ語、インド・イラン語派、イラン語派、イタリック語派(ロマンス諸語をふくむ)、スラブ語派、および2つの死語アナトリア語派(ヒッタイト語をふくむ)とトカラ語派。今日、約10億6000万人がインド・ヨーロッパ諸語を話している。

II 語族の確立

これらの多様な諸言語が単一の語族に属するという証拠は、主として18世紀後半から19世紀前半にかけての50年間にあつめられた。当時未解読のヒッタイト語をのぞいて、インド・ヨーロッパ語族の中でもっとも古いサンスクリットと古代ギリシャ語の膨大な文献が、基本的なインド・ヨーロッパ語の特徴をのこしており、共通の祖語があると考えられた。

1800年までには、インドやヨーロッパにおける研究によってサンスクリットと古代ギリシャ語とラテン語の密接な関係が証明された。その後、インド・ヨーロッパ祖語が推定され、その音と文法、この仮定的言語の再構、そしてこの祖語の個々の言語への分岐時期などについての具体的な結論がみちびきだされてきた。たとえば、前2000年ごろにはギリシャ語、ヒッタイト語、サンスクリットはすでに別個の言語だったが、それより1000年前には同一に近いものであったろうと思われるくらいの違いしかなかった。

ヒッタイト語は文献解読によって1915年にインド・ヨーロッパ語と確定し、中世期中国のトルキスタンで話されたトカラ語は1890年代に発見されて、1908年にインド・ヨーロッパ語と確定した。これによって、語族の発展とインド・ヨーロッパ祖語の大まかな性格がしだいにわかってきた。

初期のインド・ヨーロッパ語研究によって、比較言語学の基本となる多くの原則が確立された。もっとも重要な原則は、グリムの法則やベルネルの法則が証明するように、親縁関係をもつ諸言語の音は、一定の条件下ではある程度きまった対応をしめすということである。たとえば、インド・ヨーロッパ語族のアルバニア、アルメニア、インド、イラン、スラブ、そして部分的にバルトなどの下位語派では、インド・ヨーロッパ祖語の再構音qがsや?(shの音)のような歯擦音になっている。同様に「100」をあらわす単語が、ラテン語ではcentum(kentumと発音)となり、アベスター語(古代イラン語)ではsatemとなる。以前には、これをもってインド・ヨーロッパ諸語をcentumを使用する西派とsatemを使用する東派にわける考えがあったが、最近ではこのように機械的に2派にわけることには批判的な学者が多い。

III 発展

インド・ヨーロッパ諸語の発展につれて、数や格によって語形をかえる屈折はしだいに衰退していった。インド・ヨーロッパ祖語は、サンスクリット、古代ギリシャ語、アベスター語などの古代語のように屈折を多用していたと思われるが、英語、フランス語、ペルシャ語などの現代語は、前置詞句や助動詞をもちいた分析的な表現へとうつっている。屈折形の衰退は、おもに語末音節がなくなったためで、そのため、現代のインド・ヨーロッパ諸語の単語は、インド・ヨーロッパ祖語の単語より短い(→ 屈折語)。また、多くの言語は、新しい形式や文法上の区別を生みだしており、個々の単語の意味も大きく変化してきている。

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ヒッタイト語
ヒッタイト語

ヒッタイトご
Hittite language

  

小アジアにあった古代ヒッタイト王国の言語。 20世紀の初頭,トルコのボガズキョイで発見された楔形文字の文書によって知られ,1917年チェコの B.フロズニーによって解読され,インド=ヨーロッパ語族に属することが証明された。再構される印欧共通祖語に近い形を多く保っているので,共通祖語とほぼ同じ時代の古い言語で,共通祖語と並ぶ位置にあると考え,インド=ヒッタイト語族を設定する学者もあるが,一般には,インド=ヨーロッパ語族中の一語派とされている。なお,ヒッタイト象形文字と呼ばれる一種の象形文字で書かれた前8世紀頃と推定される碑文も小アジアで発見されているが,これはルウィ語と関係があるらしい。





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ヒッタイト語
ヒッタイトご Hittite

ヒッタイト語は,ルウィ語,パラ語,リュキア語とともにインド・ヨーロッパ語族のアナトリア語群を形成する。1906年来のドイツ隊によるトルコ中部ボアズキョイの発掘で出土した粘土板文書の多くは,ヒッタイト語で記されており,1916‐17年,チェコの B. フロズニーによって解読された。解読以来,ヒッタイト語という名称が一般的に用いられているが,文書では,〈ネシャ語で〉と記されている。
 ヒッタイト語は,インド・ヨーロッパ語の中でも,最も早期に分化したものといわれ,前3千年紀の前半,遅くとも前2500年ころには,原住地から離れたヒッタイト族とともに移動したものと考えられる。アナトリアでヒッタイト語の痕跡が最初に認められるのは,キュルテペ(カニシュ)の Ib 層(前18世紀)の古アッシリア商業文書中にある,i$patalu(〈夜の宿〉の意,ヒッタイト語 i$pant‐〈夜〉)。i$hiuli(〈“一種の”賃金契約〉の意,ヒッタイト語 i$hiul〈契約〉)といった語彙に見いだされる。ヒッタイト語は,古ヒッタイト語(前1650ころ?‐前1450ころ?)と新ヒッタイト語(前1450ころ?‐前1200ころ)に大別されるが,その中間に中ヒッタイト語も存在していたとする学説もある。名詞は,単数で8格が認められており,性は,男性と女性を区別しない両性と中性がある。また動詞には,mi‐と hi‐の2種の活用変化形があり,能動態と中動態が区別される。時制は現在と過去のみで,現在は同時に未来をもあらわす。話法には直接法と命令法があり,他のインド・ヨーロッパ語に見られる仮定法,願望法を欠いている。数は単数と複数で,両数は認められない。構文の特徴は,インド・ヨーロッパ語のそれをよく示しているが,語種の点では他のインド・ヨーロッパ語と著しく異なっている。おそらく,アナトリアへ移動してきたヒッタイト族,ルウィ族が少数であったうえに,侵入と同時にインド・ヨーロッパ語とまったく異なるハッティ語,フルリ語,セム系言語の強い影響を受けたためと思われる。⇒ヒッタイト文字                     大村 幸弘

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ヒッタイト語
ヒッタイト語 ヒッタイトご Hittite Language 消滅したヒッタイト文明の言語で、インド・ヨーロッパ語族に属する。小アジアのハッティとよばれた地域にある遺跡で発掘された粘土版の楔形文字文書にのこる。

ヒッタイト語は、ルウィ語、パラ語(すべて前1000年以前の記録をもつ)、リュディア語、リュキア語(両者とも前500~前200年ごろの記録をもつ)とともに、インド・ヨーロッパ語族のアナトリア語派を形成する。

パラ語はハッティの北のパラという国で、ルウィ語はハッティの西のアルザワという国とハッティの南のキリキアで、また、リュディア語はアナトリア北西部、リュキア語(ルウィ語の系統をひく)は南西部で、それぞれ話されていた。ヒッタイト人自身は自分たちの言語を、彼らが最初に移住したネサという町(現トルコのカイセリの遺跡付近)にちなんで、ネシャ語とよんでいた。

楔形文字によるヒッタイト語文献は、前1600年にさかのぼり、どのインド・ヨーロッパ語よりも古い記録である。ヒッタイト語がインド・ヨーロッパ語であるとの確定は、1915年にはじめてチェコの東洋語学者フロズニーによってなされ、上記諸語の確定もさらに最近になってのことである。アナトリア語派がほかのどの言語よりも先にインド・ヨーロッパ祖語から分岐したのか、それとも最初に分岐した諸語のうちのひとつなのかについてはまだ確定していない。

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ボガズキョイ
ボガズキョイ

ボガズキョイ
Boazkoy

  

トルコ,アンカラ東方 144kmにあるヒッタイトの王宮址。ヒッタイト王国の首都 (ハットゥシャシュ) の遺跡で知られる。 20世紀初頭から発掘が行なわれ,建造物では大神殿址や城塞のほか,楔形文字板などの遺物が発見された。 1986年世界遺産の文化遺産に登録。





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ボアズキョイ
BogazkÅy

トルコ中央部,アンカラの東約200kmにある,前16世紀から前1200年ころまでヒッタイト王国の首都であったハットゥサ rattu$a の遺跡名。ほとんど完全に忘れられていたヒッタイトの存在を,発掘によって確認した。1834年の発見以来ボガズキョイと呼ばれることが多いが,遺跡名のもとになった村は,ボアズカリ Bogazkale が現在の正式名称である。ドイツのウィンクラー H. Winkler が1906‐12年に約1万枚の粘土板を発掘し,フロズニー B.Hrozn∀ らによる解読の結果,ヒッタイト語のインド・ヨーロッパ語族への帰属が確認されて以来,欧米の学者が彼らの祖先の最古期にあたる歴史の解明と故地究明への手がかりを求めて,異常なまでのまなざしを向けている遺跡である。1931年以来,ドイツのビッテル K. Bittel によって組織的な発掘が続けられている。
 遺跡は肥沃な河谷平野をのぞむ山麓の起伏の多い丘の上にあり,前1900年ころに存在したアッシリア商人の居留区カールム k´rum の跡に建設された都市で,北と南の二つの部分からなる。早く建設が始まった北部は,北西から南東まで約1200mにわたって丘のまわりに不整形な城壁をめぐらし,南東部の城壁沿いに王城がつくられており,その一部に粘土板が発見された王室記録文書室があった。北部の中央で発見された大神殿は,80以上の倉庫をめぐらした中庭のある2内陣からなり,他に類のない建造物である。聖職者の居住区が隣接する。北部より広い南部は前14世紀に拡大され,全域の面積は約120haになった。1世紀のち,北部は北東にもさらに拡張された。南部には4神殿があり,塔をもつ厚い城壁に囲まれ,3門が設けられた。それぞれの門に表された浮彫から,東は王門,南はスフィンクス門,西はライオン門と呼ばれている。スフィンクス門の下には長さ71mの間道があって,城壁の内と外とをつなぎ,通用門や出撃門として使われていた。
                        小野山 節

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服部四郎
I プロローグ

服部四郎 はっとりしろう 1908~95 言語学者。日本語、アイヌ語、アルタイ諸語などの記述的研究をおこなうと同時に、独自の一般言語学理論を確立することによって、日本の言語学を指導した。

三重県亀山市に生まれ、1931年(昭和6)東京帝国大学文学部言語学科を卒業したのち、36年まで大学院に在籍した。その間、旧満州国に留学して、アルタイ諸語の研究に従事している。42年より東京帝国大学文学部言語学科助教授、49年には教授となり、69年の定年退官までその職にあった。72年日本学士院会員となり、83年文化勲章を受章。

II 日本語を体系的に探究

服部四郎は、モンゴル語や満州語などのアルタイ諸語、およびアイヌ語、琉球語などの記述的研究を精密な方法をもちいておこなった。と同時に、日本語の音韻(→ 音韻論)や意味を体系的に記述するための理論を探究した。「音声学」(1951)や「音韻論と正書法」(1951)などの著作、論文集「言語学の方法」(1960)などは、現代でも日本の言語学の研究者にとって重要な参考文献である。古代日本語の音韻や日本祖語に関する論考、さらには琉球語と日本語の同系性の証明などの業績もある。日本の言語学に独自の性格をあたえ、世界的水準にまで高めるためにはたした功績は大きく、東京大学在任中だけでなく、退官後に設立した東京言語研究所においても多くの優秀な後進をそだてた。

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楔形文字
B.フロズニー
フロズニー

フロズニー
Hrozn,Bedich

[生] 1879.5.6. リサーナドラベム
[没] 1952.12.18. プラハ

チェコの東洋学者,言語学者。プラハ大学教授。アッシリア学を専門としたが,インド=ヨーロッパ語族の研究にも手を染め,ヒッタイト語の楔形文字の解読に成功し,それがインド=ヨーロッパ語族に属することを突止めた。『ヒッタイト人の言語』 Die Sprache der Hethiter (1916) は,その研究結果。



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フロズニー 1879‐1952
Bed¥ich Hrozn∀

チェコのアッシリア学者でヒッタイト語の解読者。ウィーン大学,ついでプラハ大学の教授。1914年よりボアズキョイ文書中の未知の言語の解読に取り組み,16‐17年にいたって《ヒッタイト人の言語,その構造と印欧語族への帰属》を著して,ヒッタイト語が印欧語の一方言であることを明らかにし,ヒッタイト学の基礎をおいた。ついで22年には,上記文書中の最重要文献の一つである〈ヒッタイト法典〉200条の最初の対訳書を出し,また25年には,カッパドキア文書の出土地がキュルテペであることを突き止めた。その後,さらに未解読言語の征服を目ざして,クレタ文字とインダス文字とに挑戦したが,クレタ線文字 B の解読は,イギリスの少壮研究家ベントリスにその功を奪われ,インダス文字の方も,ついにそれほどの成果を挙げることができなかった。なお,29年にはプラハにオリエント研究所を設立,オリエント学の雑誌《Arch∩vorient⊂ln∩》を創刊して,後進の指導に貢献した。
                        岸本 通夫

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ルウィ語
ルウィ語

ルウィご
Luwian language

  

前 15世紀前後に小アジア南部で話されていた言語で,いわゆるアナトリア諸語の一つ。インド=ヨーロッパ語族に属する楔形文字の文書から知られる。時代の下がるヒッタイト象形文字の碑文も,ルウィ語の一方言らしく,さらにリュキア語も近い関係にあると思われる。





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ルウィ語
ルウィご Luwian

ルビア語ともいう。ボアズキョイ出土のヒッタイトの粘土板文書に出てくる言語で,その名称はヒッタイト語の副詞 luwili(〈ルウィ語では〉の意)に基づく。ルウィ語は,ヒッタイト語,パラ語などと同様にインド・ヨーロッパ語族のアナトリア諸語の一つに数えられるが,その詳細はまだ不明な点が多い。名詞の格は4格(主格,対格,与格,奪格-助格)が確認されており,性はヒッタイト語と同じく両性と中性がある。両性の複数形は,接尾辞‐nz‐を伴う。動詞の活用変化は,ヒッタイト語との類似を示す点が多いが,ヒッタイト語のように一般的な mi‐と ti‐の変化形の区別は明確ではない。また,動詞の活用語尾の一部,あるいは分詞形などに,原インド・ヨーロッパ語の形が残されている。ルウィ語を使用していたルウィ族は,ヒッタイト族に小アジア中央部から押し出される形で南西部にアルザワ Arzawa 王国を築いたとされ,ギリシア人と接触していたものと推測される。なお,前18世紀から前8世紀にかけて,アナトリア,北シリアに広く分布しているヒッタイト象形文字の言語,とくに前13世紀以降のものは,最近の研究でルウィ語であることが明らかになってきている。    大村 幸弘

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アナトリア諸語
アナトリア諸語

アナトリアしょご
Anatolian languages

  

アジアニック諸語,小アジア諸語とも呼ばれ,古代に小アジア半島で話されていた言語の総称。紀元後は次第にギリシア語に取って代られた。最も有名なのは楔形文字の碑文から知られているヒッタイト語で,インド=ヨーロッパ語族に属する。ほかに,やはりインド=ヨーロッパ語族に属すると推定されるパラー語やルウィ語も行われていた。前約 2000年のヒッタイト族の侵入以前にこの地に居住していた人々の言語であるハット語や東部地域に分布していたフルリ人のフルリ語は,非インド=ヨーロッパ語系であるが,詳しい系統関係は知られていない。ハット語は基層言語として,ヒッタイト語その他に影響を及ぼしている。ヒッタイト帝国の滅亡 (前 1200) 後,楔形文字は衰え,象形文字で書かれたルウィ語と思われる碑文も発見されているが,前8世紀からギリシア文字が用いられるようになる。この時代以降の言語としては,古期フリュギア語,リュキア語,リュディア語が知られ,いずれもインド=ヨーロッパ語族系と推定される。





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アナトリア諸語
アナトリア諸語 アナトリアしょご Anatolian Languages インド・ヨーロッパ語族の下位語派を形成する古代小アジアの諸言語。ヒッタイト語をはじめ、ルウィ語、パラー語、リュキア語、リュディア語をふくむ。→ ヒッタイト語:インド・ヨーロッパ語族

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ハット語
ハット語

ハットご
Hattian(Hattic) language

  

前2千年紀まで小アジアで使われていた,いわゆるアナトリア諸語の一つ。非インド=ヨーロッパ語系で,膠着語。ヒッタイト族の侵入によって死滅した。楔形文字で書かれたヒッタイト語の文章中に見出され,大半が宗教的内容のものである。





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膠着語
膠着語

こうちゃくご
agglutinative language

  

語幹にそれぞれが1つの文法的意味をもつ接辞 (広義では付属語も) を,規則的に接合させることによって文法的な関係を示す構造をもつ言語。接辞は2つ以上連接しうる。ウラル語族の諸言語,アルタイ諸語,日本語などが代表。トルコ語 yaz-dr-l-ma-makの各形態素はそれぞれ「書く」「使役」「受身」「否定」「不定形」であり,日本語の kak-ase-rare-nai koto (書かせられないこと) によく似ている。このようにかなり規則的に接合するだけに,分析の際はそれらの要素を比較的容易に取出すことができる。ただし,言語により,要素により,接合の密着度はさまざまである。また純粋に膠着だけを文法的手段とする言語も存在しないとみられ,逆に屈折語,孤立語,抱合語にもなんらかの膠着的要素があるのが普通である。





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膠着語
こうちゃくご

言語の類型論的分類の一つである,形態論的観点からの分類に基づくタイプの一つ。〈膠着〉とは〈にかわ(膠)でつける〉ということであるが,これは単語が,中核となる形態素(=語根)に接頭辞や接尾辞が付加されて構成されるという特徴を指していったものである。この際に語根と接辞は屈折語の場合に比べてその結合が緩やかであって,おのおのが自己の形式を常に保っており,両者が融合してしまうようなことはない。この特徴をよく示す例としてトルコ語や,アフリカのバントゥー諸語などがあげられる。例えばトルコ語の語形‰lkelerinizden は ‰lke〈国〉に‐ler(複数),‐(i)niz〈君たちの〉(二人称複数所有形),‐den〈~から〉という三つの接尾的要素が膠着してできている形で,〈君たちの国々から〉の意味である。また日本語の動詞も膠着的性格が強く,〈食べさせられない〉は語根〈食べ〉に,〈~させ〉(使役),〈~られ〉(可能),〈~ない〉(否定)という三つの付属的な要素(助動詞)が膠着した形ということができる。⇒言語類型論                  柘植 洋一

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膠着語
膠着語 こうちゃくご 単語の構造が、語幹にたくさんの接辞が付属した形をとるような仕組みになっている言語の類型。「膠着」とは、「膠(にかわ)でつける」という意味で、語幹に接辞がいくつもはりつけられる様子をあらわしている。日本語やトルコ語が代表的な膠着語である。

日本語の場合、「みられたのだろう」という表現は1つの単語であるが、この単語は、「みる」という動詞の語幹「み」の後に、「られ」「た」「の」「だろう」という形態素が次々とつけられる形の構造をとっている。同じ意味でも、英語ならば、could have been seenのように、いくつかの単語をならべて表現しなければならない。

また、日本語のような膠着語の場合、「みる」と「みた」では、「み」という語幹の部分に変化はないが、英語のような膠着語でない言語では、seeとsawのように時制がかわると語幹の部分にも変化がおきることがある。

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形態素
形態素

けいたいそ
morpheme

  

意味を有する最小の言語単位。すなわち,一定の音形と意義の連合した言語形式のうち最小の単位をさす。ほかに,意義を除外して音形の面だけをさす人もいるが適切とはいえない。「記号素」 signemeや monmeの名称を用いる人もいる。/koneko/ (小猫) ,/'o'janeko/ (親猫) ,/kuroneko/ (黒猫) を比較すると,/-neko/という一定の音形と意義をもった単位を取出すことができ,かつこれ以下に分析すると,音節や音素など,もはやそれ自身では意味をもたない単位となるから,/-neko/は形態素と分析される。同様に/ko'inu/ (小犬) ,/'o'jadori/ (親鳥) ,/kuromame/ (黒豆) などから形態素/ko-/,/'o'ja-/,/kuro-/が分析される。また別に book-sなどの book- のようにおもに語義的意義をになう部分を smantmeないし lexme (意義部,語義的形態素) とし,それに対して-sのようにおもに文法的意義をになう部分を morphme (形態部,文法的形態素) と呼ぶ人もいる。上に述べた意味では,このどちらも形態素と認定される。ただし,形態素の定義自体は明瞭であるが,実際には,コッペ-パンのコッペ-などのような無意味形態素というべきものがあり,またタイヤキとタコヤキの差など,各形態素の意味を単に足しただけでは単語の意味は説明できないので,固定した意味をもつ最小単位はむしろ単語とすべきである。





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形態素
けいたいそ morpheme

意味をもつ最小の言語単位。〈ホンバコ〉という語は,〈ホン〉と〈バコ〉という意味をもつ最小単位,すなわち形態素に分けられる。バコ/bako/はハコ/hako/と同じ意味であるが,複合語の後の要素として用いられている。このように形態素は現れる場所により異なる語形をとることがある。これを異形態 allomorph という。すなわち,音素の連続で表される異形態/hako/と/bako/を代表して抽出されたものが形態素{hako}であって,普通は{ }にくくって表される。なお/hako/の方は単独で発話として用いることができるので自立形式 free form,/bako/の方は他の形態素と結合した形でしか発話に現れないので結合形式 bound form と呼ばれる。英語の books/buk‐s/〈複数の本〉と,形容詞 manly/mずn‐li/〈男らしい〉において,語幹の/buk/と/mずn/は自立形式であるが,複数語尾/‐s/と形容詞語尾/‐li/は共に結合形式である。自立形式の方を単純語,結合形式を含むものを複合語というが,複合語が単純語に置き換えられる場合を派生形とする。たとえば a manly deed〈男らしい行為〉の manly を単純語 good に置き換えれば a good deed〈よい行為〉となる。また,置き換えられない場合を屈折形とする。たとえばthese books〈これらの本〉の名詞を単純語cat/kずt/〈ネコ〉に置き換えて*these cat(*は措定形であることを示す)とすることはできない。そこで/‐li/は派生語尾,/‐s/は屈折語尾とされる。なお,形態素は kind‐ness‐es〈複数の親切な行為〉のように〈語幹+(名詞)派生語尾+(複数)屈折語尾〉の順序に並べられ,屈折語尾は常に語の外側に立つ。⇒音素∥形態論          小泉 保

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屈折語
屈折語

くっせつご
inflexional language

  

言語を文法形態から分類したときのタイプの一つ。単語において語幹と語尾が密接に結合していて,膠着語のような一貫した切り離しは不可能であり,かつ語尾にあたる要素が2つ以上の文法的意味を表わすことが特徴である。ギリシア語 paide- (私が教える) の-は「直説法」「現在」「一人称」「単数」の意味をあわせもっている。この点をとらえて総合的言語 synthetic languageということもある。インド=ヨーロッパ語族やセム語族がその代表であるが,この語族に属しても,なかには英語のように孤立語に近づいている言語もある。





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屈折語
くっせつご

言語の類型論的分類の一つである,形態論的観点からの分類に基づくタイプの一つ。屈折とは,動詞や名詞などが文中での機能にしたがって異なるすがたを見せる,いわゆる活用や曲用のことである。したがって,この点からすれば,膠着語も屈折を行うわけであり,逆に屈折語においても語構造が語根と接辞からなるという点では膠着語と同じである。しかし屈折語では両者の結びつきはより堅固であり,しばしば融合して形態面に変容をきたしている場合がみられる。そのような例では膠着語とは異なって語構成が透明ではなく,語根および接辞は抽象度の高いものとなる。インド・ヨーロッパ語族やセム語族に属する言語の多くは屈折語的特徴を顕著に示す。例えばギリシア語leipヾ〈私は残す〉という動詞形は,語根 leip‐と接尾要素‐ヾ に分析することができるが,‐ヾ はただ一つのカテゴリーを示すのではなく,〈直説法・現在・能動態・一人称・単数〉という五つのカテゴリーに対応しているのである。また同じ〈直説法・能動態・一人称・単数〉でも〈アオリスト〉(一種の完了形)の場合は elipon となって,語根が lip‐と変わるし,接辞もまったく別のものとなる。他方,同じ屈折語でもセム語の場合は様相が異なる。セム語では,通常語根は三つの子音からなり,さまざまの屈折および派生形は,それと一定の母音パターンの組合せおよび接辞の付加によって形成される。例えば古典アラビア語の次の例からそれが知られよう。kataba〈彼は書いた〉,qatala〈彼は殺した〉;yaktubu〈彼は書く〉,yaqtulu〈彼は殺す〉;’uktub〈書け〉,’uqtul〈殺せ〉;k´tibun〈書く人〉,q´tilun〈殺す人〉。この場合,各々抽象して得られる語根は,k‐t‐b〈書く〉と q‐t‐l〈殺す〉である。⇒言語類型論             柘植 洋一

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屈折語
屈折語 くっせつご 文法的な意味をしめすために、単語が形をかえる言語の類型。屈折には、人称、数、時制、法、態などをあらわす動詞の活用(英語のgo、goes、went、gone)、数、格、性をあらわす名詞や形容詞の活用(曲用ともいう。スペイン語のmuchacha「女の子」、muchachas「女の子たち」、muchacho「男の子」、muchachos「男の子たち」)、形容詞や副詞の比較形(英語のbig「大きい」、bigger「より大きい」、biggest「もっとも大きい」)がある。屈折の方法としては、英語のring、rang、rung「ひびく、なる」のように単語の内部で変化がおきるものと、英語の-ing形(現在分詞)、-ed形(過去形、過去分詞)、-s形(名詞の複数形)のように、語幹に接辞をつけるものがある。

インド・ヨーロッパ諸語は、程度の差はあれ、屈折による語形変化をもつのが普通である。なかでも、インド・ヨーロッパ祖語は、ひじょうに複雑な屈折の仕組みをもっていたものと考えられている(→ インド・ヨーロッパ語族)。現代のインド・ヨーロッパ諸語の大部分は、単語の内部変化と接辞の付加の両方を屈折の方法としてもっており、1つの単語でその2つの方法がつかわれることも多い。たとえば、英語のsell「売る」という動詞において、三人称単数形のsellsは接辞の付加であり、過去形のsoldは単語の内部の変化である。セム語族の諸言語は、単語の内部変化による屈折をおこなうという特徴がある。いっぽう、中国語は屈折をまったくもちいない言語の代表である。

インド・ヨーロッパ諸語のなかには、フランス語や英語のように、屈折をなくす方向に変化してきている言語も多い。とくに英語は、屈折のほとんどが消滅した言語の典型で、以前には屈折によってあらわされていた、主語や目的語などの名詞の文法的働きが、今では語順によってしめされている。また、屈折がなくなると、同じ内容をあらわすのに、屈折がある場合よりも、もちいられる単語の数は多くなる。屈折のゆたかなラテン語を英語に翻訳すると、訳文の単語の数は原文の2倍ぐらいになる。しかし、単語の変化形の数は大幅に減少する。英語の動詞の語形変化はわずかしかないのに対し、ギリシャ語の動詞ならば250ぐらいも変化形をもつものがある。

→ 言語

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孤立語
孤立語

こりつご
isolating language

  

単語が語形替変を行わず,文法的関係がおもに語順により表わされる言語。中国語が代表。孤立語にかなり共通にみられる特徴としては,前置詞が多い,代名詞を除いて性・数の範疇がない,単語が単音節で1形態素から成る傾向が強い,などがあげられる。しかし,中国語にも多音節単語がふえつつあるなど,孤立語とされる言語のすべてが前述の特徴をもつとはかぎらず,膠着語的特徴や屈折語的特徴をあわせもつことがあるし,逆に非孤立語のうちにも孤立語的特徴もみられる。





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孤立語
こりつご

言語の類型論的分類の一つである,単語の構成という形態論的観点からの分類に基づくタイプの一つ。孤立語では単語は常に一定の語形であらわれ,文中でそれが果たす機能に応じて姿を変えることはない。すなわち,通常一つの単語は一つの形態素だけからなっていて,それに種々の文法的カテゴリー,文法的諸関係を標示するための接辞が付加されることはないのである。したがって,格,数,人称,時制などを示す標識はなく,語と語との間の文法的関係は,その相対的な配列順といった手段にたよって示されることになる。典型的な例としてはベトナム語や中国語が挙げられる。たとえば,中国語では〈愛〉はそれだけでは〈愛〉という名詞なのか,〈愛する〉という動詞なのかまったく区別されない。文中に置かれて,それを取り巻く前後の要素との関係からはじめて明らかになるのである。〈私は君を愛する〉という意味の中国語文〈我愛鮎〉では〈愛〉は〈愛する〉という動詞で,その行為の主体〈我〉とその対象〈鮎〉はおのおのそれを示す標識は何ももたず,その関係は語順によってのみ示されているのである。
[形態論に基づく言語の分類]  この分類は19世紀の W. フンボルトらにさかのぼるもので,語構成を基準にすべての言語を孤立語,膠着語,屈折語の三つ,あるいはさらに抱合語を加えた四つのタイプに分けようというものである。言語の分類法として一般に広く流布するところとなったが,この分類の仕方はあくまでも語の構造という一面のみに着目したものであり,決して包括的なものではない。また,個々の言語についてみると,これらのタイプのうちの一つだけを純粋に示す言語はきわめてまれと思われ,通常はさまざまな程度にいくつかの(あるいはすべての)特徴を併せもっているのである。また同一の言語でも,歴史的変遷に伴ってタイプが変わる例はしばしばみられる。たとえば英語をとってみると,複数形の形成 dog‐s などは膠着語的であるし,動詞 take の過去形がtook になるというように内部変化を伴う例は屈折語的である。また英語の名詞は古くは格変化がみられたが,現代では所有を表す‐’s を除いては失われており,孤立語的性格を強めている。その結果,主語―目的語という文法的関係は原則として動詞に先行する要素が主語で,後に来る要素が目的語であるというように,語順に依存して示される度合が著しくなっている。こうしたことからもわかるように,そもそもさまざまに異なった姿を示す世界中の諸言語を,唯一の観点から少数のタイプに分類するのは無理であり,どこまでも一応の目安を示すものと理解すべきである。なお20世紀におけるさらに精密な分類の試みは,ドイツの言語学者フィンク Franz Nikolaus Finck(1867‐1910)やアメリカの E. サピアにみられる。ちなみに,かつてこの3分類を,孤立語から膠着語へ進み,さらに最も進んだ段階が屈折語であるとする,発展段階の違いとしてとらえる考えが説かれたことがあるが,これはまったく根拠のないものである。⇒言語類型論                     柘植 洋一

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孤立語
孤立語 こりつご 中国語のように、単語が活用をせず、語形の変化もないという特徴をもつ言語の類型。日本語は、「行く」という動詞は、「行か」「行き」「行く」「行け」のように活用するから孤立語ではない。英語は、come「来る」という動詞の過去形はcameであって、時制によって語形がかわっている。したがってやはり英語も孤立語にはふくまれない。中国語の動詞は、日本語や英語のような活用をおこなわない。中国語の名詞も、英語のように複数形で-sをつけるような変化をおこなわない。また、孤立語には、日本語の「が」や「を」のような助詞にあたる単語もなく、主語や目的語のような名詞のはたらきをしめすのは、動詞との前後関係だけである。中国語以外には、ベトナム語、タイ語、チベット語など東南アジアの言語が孤立語に属する。

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抱合語
抱合語

ほうごうご
polysynthetic language

  

言語の類型の一つ。複総合語,輯合語 (しゅうごうご) ともいう。文を構成する要素が密接に結びついて,あたかも全体で一語をなすかのようにみえる構造をもつ言語。エスキモー語で N-liar-nerpise? (あなたがたは Nk〈地名〉へ旅行しますか?) は,N-=Nk,liar=「旅する」,nerpise=「あなたがたは…か」から成り立ち,各形態素は単独で現れる形とは異なる連接形をとっている。「一語文」と呼ばれることも多いが,これらの形態素は事実上の単語に相当するものとみるべきであろう。なおアイヌ語の'a-kore (私は与える) に対する'a-'e-kore (私はあなたに与える) のように,一語のなかに目的語などを挿入する構造の言語を特に抱合語 incorporating languageと呼び,輯合語と区別することもある。ただし,いずれにしろ1つの言語の文構造がすべて抱合 (輯合) 的なものとはいえず,屈折語的,膠着語的な特徴もあわせもつ。





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抱合語
ほうごうご

言語の類型論的分類の一つである,単語の構成という形態論的観点からの分類に基づくタイプの一つ。このタイプの言語においては,中心となる語幹に,目的語,補語や副詞的要素,あるいはさまざまな文法的関係をあらわす要素が結合して一つの単語を形成する。したがって1単語が数多くの形態素から成ることになり,他のタイプの言語にそれを翻訳した場合には,文のかたちになる場合もある。
 たとえば旧アジア諸語(旧シベリア諸語)に属する東北シベリアのチュクチ語では,〈彼らは網をかけた。〉は,koprantトvatヌ’at と1単語であらわされる。これは kopra‐〈網〉,ntトvat‐〈かける〉,‐ヌ’at〈三人称複数主語・過去〉の三つの形態素からなり,kopra‐は抱合されない場合にはkupre‐という形であらわれる。これは目的語が抱合された例であるが,副詞的要素抱合の例として,tトmajペトvetヌavトrkトn〈私は大声で話している。〉があげられる。これは tト‐〈一人称単数主語〉,vetヌav‐〈話す〉,‐トrkトn〈現在〉に,majペト‐〈大声で〉が抱合されている形である。このようにいくつかの形態素連続が一つの単語を形成しているわけであるが,そこではある種の音声的特徴(母音調和など)が,まとまりを与える役割を果たしているのである。このような特徴をもつ言語は,そのほかにアメリカ・インディアンの諸言語のなかにも見られる。
 なお,抱合語という名称と並んで,輯合(しゆうごう)語という呼び方もしばしばなされる。ただし,両者をまったく同じ意味に用いる場合と,多数の形態素が一つのまとまりをつくっているという輯合性の中に,抱合という過程を伴うものとそうでないものとを区別して考える立場とがある。⇒言語類型論                      柘植 洋一

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フルリ語
フルリ語

フルリご
Hurrian language

  

前2千年紀に小アジア東部で行われていた言語。アナトリア諸語の一つで,非インド=ヨーロッパ語系。ミタンニ語,スバラヤ語とも呼ばれる。楔形文字の碑文から知られ,はるかのちのウラルトゥ語と親縁関係にあることが知られている。さらに両者をカフカズ諸語に関連づけようとする説もあるが,明確な系統関係はわからない。





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ウラルトゥ語
ウラルトゥ語

ウラルトゥご
Urartian language

  

ハルディア語ともいう。アナトリア諸語の一つで,前9~7世紀に,現在のアルメニアの地に行われていた。楔形文字の碑文によって知られ,フルリ語と親縁関係をもつことが知られている。





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カフカズ諸語
カフカズ諸語

カフカズしょご
Caucasian languages

  

カフカズ地方に話される諸言語で,北カフカズ諸語と南カフカズ諸語から成る。前者は,さらに (1) 東カフカズ諸語 (ダゲスタン諸語ともいい,アワル語,アンディ語,ダルグヮ語,サムル語,ラク語,チェチェン語などから成る) と (2) 西カフカズ諸語 (アブハズ=アドゥイゲ諸語ともいい,アブハズ語,アドゥイゲ語,ウビフ語から成る) に分れる。南カフカズ諸語はカルトベリ諸語ともいい,グルジア語,ザン語,スワン語から成る。南北カフカズ諸語にピレネー山中のバスク語を含めて,3グループがイベロ=カフカズ語族をなすとする説もある。しかし,東西両カフカズ諸語は同系であるが,南北両カフカズ諸語間の親族関係は未確立であり,したがって両者とバスク語との関係も証明されていない。カフカズ諸語,特に西カフカズ諸語の音韻体系は子音が豊富で母音が少いことで有名。


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カフカス諸語
カフカス諸語 カフカスしょご Caucasian Languages カフカスに土着の約36の言語。そのほぼすべてが現在もこの地域で話されている。カフカス諸語は通常、南カフカス語族(別名カルトベリ語族)と北カフカス・グループの諸言語の2つのグループにわけられるが、両者の間にはいかなる親族関係も証明されていない。南カフカス語族には、グルジア語、スバン語、ミングレル語、ラズ語の4つがふくまれ、グルジア語がもっともひろい地域で話されている。

北カフカス・グループの諸言語は、北西カフカス諸語、北中カフカス諸語(ナフ諸語またはベイナヒ諸語とも)、および北東カフカス諸語(別名ダゲスタン諸語)の3つにわけられる。言語学者の間では、一般に、北中カフカス諸語と北東カフカス諸語が系統関係にあるとされているが、この2つのグループと北西グループとの関係は不確かである。北西カフカス諸語には、アブハズ語、アバザ語、アディゲ語がふくまれ、北中カフカス諸語は、たがいに関係のあるチェチェン語とイングーシ語、およびバッツ語である。北東カフカス諸語は数が多く、アバール語をふくむアバル・アンディ・ディド語群、ラック語、ダルガン語をふくむラック・ダルガン語群、多くの小言語、とくにレズギ語をふくむレズギ語群の3つの下位語群にわかれる。

カフカス諸語は類型上、語の部分や文法形式が長くつらなって1語がつくられる膠着語的傾向をしめすが、またある程度の屈折語的特徴ももっている。一般に複雑な音体系をもち、4つのグループのこれらの諸語は、文法や語形成の点でたがいにいちじるしくことなっている。

→ グルジア文学

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カフカス諸語
カフカスしょご Caucasian

カフカス(コーカサス)地方に行われる約40の言語の総称でコーカサス諸語とも呼ばれる。言語人口総数は約500万人。カフカス地方でもイラン系のオセット語やチュルク系のアゼルバイジャン語はふつう除外し,本来の意味のカフカスの諸言語のみを指す。南カフカス諸語,西カフカス諸語,東カフカス諸語の三つのグループに分けられるが,これらが一つの語族を構成するかどうかは,研究の現段階では未解決である。また,カフカス諸語と他の言語または語族との系統関係も不明である。カフカス諸語の中で最も有力な言語は南カフカス語の一つであるグルジア語で,グルジア共和国で325万の言語人口をもつ。カフカス諸語に共通の特徴は,(1)他動詞の主語に用いられる特別な格(能格 ergative)があること,(2)母音音素が少なく,子音音素が多いこと(たとえばウビフ語 Ubykh の場合は3母音と83子音をもつ)などである。
                        下宮 忠雄

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ダンゲスタン諸語
ダゲスタン諸語

ダゲスタンしょご
Daghestan languages

  

東カフカズ諸語ともいわれ,ロシアのダゲスタン共和国を中心に行われている次の言語をいう。 (1) アワル語,アンディ語,ディド語,カプチ語などのアワロ=アンディ=ディド諸語,(2) ラク語,ダルグヮ語のラク=ダルグヮ諸語,(3) レズギ語,タバサラン語などのレズギ諸語,さらに,(4) 中部カフカズ諸語ともいわれるチェチェン語,バツ語,キスチン語など。これらはアブハズ=アドゥイゲ諸語 (西カフカズ諸語) と同系である。





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アワル語
アワル語

アワルご
Avar language

  

ダゲスタン地方に話されるダゲスタン諸語 (北カフカズ諸語の東方語派) の中心言語。約 27万人の話し手と文字言語を有し,同じダゲスタン諸語のアンディ諸語やディド諸語との間の共通語の役割も果している。





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アブハズ=アドゥイゲ諸語
アブハズ=アドゥイゲ諸語

アブハズ=アドゥイゲしょご
Abkhaz-Adyghian languages

  

北カフカズ諸語の西方語派をいう。 (1) グルジア,アブハズ自治共和国のアブハズ語 (約9万人) ,ロシア連邦カラチャイチェルケス共和国のアバザ語 (約2万人) ,(2) 西部トルコで少数の人が使っているウビフ語,(3) ロシア連邦アドゥイゲ共和国を中心に使われるアドゥイゲ語 (カバルディ語〈38万人〉とアドゥイゲ語〈12万人〉から成る。この総称はまたチェルケス語ともサーカス語ともいうが,これらの名称はカバルディ語をさすこともある) の3つで構成されている。アワル語を中心とする東方語派 (ダゲスタン諸語 ) と同系であることは疑いないが,南カフカズ諸語との同系関係は未証明。子音が非常に豊富で母音が少いこと,単音節語が多いこと,動詞の活用体系が複雑をきわめ,名詞の曲用体系が単純なこと,などが特徴。





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ウビフ語
ウビフ語

ウビフご
Ubykh language

  

北カフカズ諸語のアブハズ=アドゥイゲ諸語に分類される言語。以前はグルジア北西部,アブハズ自治共和国の北で用いられたが,話し手のほとんどは 1864年トルコに集団移住した。子音がきわめて多く,母音が少い言語として知られる。 G.デュメジルの努力により,多量の民話テキストが採集され注釈刊行された (1959) 。





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カパルディ語
カバルディ語

カバルディご
Kabardian language

  

サーカス語 Circassian,チェルケス語 Cherkesともいう。ロシア,北カフカズのカバルダバルカル共和国に話されている言語で,約 38万人の話し手がいる。アブハズ=アドゥイゲ諸語の一つで,特にアディゲ語と密接な関係がある。文字言語を有する。





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南カフカズ諸語
南カフカズ諸語

みなみカフカズしょご
South Caucasian languages

  

カルトベリ諸語 (カルトベリ kartveliはグルジア人の自称) ともいわれる。グルジア語,ザン語およびスワン語の3言語の総称。ザン語,スワン語の話し手は文字言語としてはグルジア語を用いている。これらと北カフカズ諸語の同系関係はまだ確立していない。





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グルジア語
グルジア語

グルジアご
Georgian language

  

ジョルジア語ともいう。南カフカズ諸語の一つ。グルジアの公用語で,この国を中心に,約 365万人によって使われている有力な言語。方言的には東部と西部に2分される。最古の碑文は5世紀にさかのぼる。新グルジア標準語は 19世紀中頃になって確立した。文法上は,カフカズの言語の特徴である能格 ergative (語尾-m,-ma) をもっていることで有名。





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グルジア語
グルジアご Georgian

グルジア共和国の公用語。南カフカス諸語(南コーカサス諸語,カルトベリ諸語ともいう)の一つ。言語人口351万人はカフカス諸語のなかで最大である。5個の母音音素と28個の子音音素をもつ。能格 ergative という特殊な格があり,これは他動詞の主語に用いられる。例:γmert‐ma kmnasopeli グメルトマ(神が,‐ma 造格語尾で能格),クムナ(作った),ソペリ(世界を,‐i 主格語尾),〈神が世界を作った〉。5世紀のキリスト教の伝来とともに文学的伝承が始まり,13世紀初頭に詩人ショタ・ルスタベリの作とされる《虎皮の騎士 Vepxisp▲aosani》という4行詩1587節の国民叙事詩がある。                      下宮 忠雄

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ザン語
ザン語

ザンご
Zan language

  

南カフカズ諸語の一つ。グルジアの黒海沿いに話されている。ミングレリ方言 (メグレリ方言) とラズ方言 (チャン方言) から成る。話し手はそれぞれおよそ 45万,4万 5000人。学者によっては,この2方言をそれぞれ独立の言語として扱い,特にザン語という名称を用いない人もいる。





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スワン語
スワン語

スワンご
Svan language

  

南カフカズ諸語の一つ。エリブルース山の南側に話されており,4つの方言がある。特に語彙の面で他の南カフカズ諸語 (グルジア語,ザン語など) と異なる。





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言語学・ゲームの結末を求めて(その6) [宗教/哲学]


音韻論
音韻論

おんいんろん
phonology; phonemics

  

音声学的観察で確認した音声がどういう音韻的単位に該当し,そのような単位がいくつあり,いかなる体系・構造をなしており,いかなる機能を果しているかなどを研究する学問。音韻論的解釈には正確な音声学的観察が必要であり,逆に正しい音韻論的解釈により音声学的事実がよりよくみえてくることから,音声学と音韻論は補い合うものであるといえる。音韻的単位の最小のものは音素である。東京方言ではその音素が1つないし3つでモーラを形成し,モーラが1つないし3つで (音韻的) 音節を形成し,その音節 (連続) のうえにアクセント素がかぶさって形式の音形を構成している。音韻を音素の代りに使う人もいるが,音韻は以上の音韻的単位の総称としたほうがよい。この立場に立てば,音韻論 phonologyは音素論 phonemicsよりも広い概念で,少くともその他に音節構造論とアクセント論を含むことになる。音韻論にも,他の分野と同様,共時音韻論と史的音韻論 (音韻史) がある。また音声学と音韻論を総称して「音論」と呼ぶこともある。





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音韻論
おんいんろん

音韻は言語音声から意識された要素として抽出された最小の単位で,フォネーム phoneme の訳語として音素と同じ意味に用いられることが多い。音素は音声の最小単位たる単音に対応する分節音素と強弱や高低アクセントのように単音に対応しない超分節音素に分けられるが,このうち分節音素に限り音韻と呼ぶこともある。また中国では昔から,漢字の字音を構成する単位を音韻と称し,音韻学と呼ばれる言語音に関する学問が行われていた。
 音韻もしくは音素を分析する部門を音韻論という。この場合,ヨーロッパ系のものを音韻論 phonology,アメリカ系のものを音素論phonemics と区別することもある。
[ヨーロッパ系音韻論]  ヨーロッパ系の音韻論では1930年代よりプラハ言語学派の音韻理論が中心をなしていて,音素の設定と,音素の体系を扱っている。音素の設定は,ある言語において意味を区別する働きのある音声的相違すなわち音韻的対立に基づく。英語の pitcher[pitイト]〈投手〉と catcher[kずtイト]〈捕手〉という語の意味を区別しているのは[pi‐]と[kず‐]という音声部分である。したがって,これらは音韻的対立をなす。さらに[pi‐]であるが,pin[pin]〈ピン〉と bin[bin]〈貯蔵箱〉の対立から[p]と[b]という対立要素が取り出される。これらはより小さな連続的単位に分解できないから音素と認定される。
 音素の体系では音素を音声特徴に分解する。いま pen[pen]〈ペン〉と men[men]〈人々〉の対立から音素/m/(/ /は音素であることを示す記号)を認めた上で,音素/p//b//m/を構成している弁別的素性を調べてみると,/p/無声(〈こえ〉なし)・両唇・閉鎖・口音,/b/有声(〈こえ〉あり)・両唇・閉鎖・口音(鼻腔共鳴なし),/m/有声・両唇・閉鎖・鼻音(鼻腔共鳴あり)と分析される。これら両唇閉鎖音のうち,/p/と/b/の対立の根源は声帯振動による〈こえ〉があるかないかに帰着する。そこで〈こえ〉の標識をもつ/b/を有標項marked,もたない/p/を無標項 unmarked と呼ぶ。二つの音素がその弁別的素性を共有していて,ある素性の有無によってのみ区別される場合を N. S. トルベツコイは欠如的対立と名づけている。同じく鼻腔共鳴をもつ有標項の/m/と,もたない無標項の/b/も欠如的対立をなす。同様の関係が歯茎音の/t/‐/d/‐/n/と軟口蓋音の/k/‐/を/‐/ペ/の間にも成立する。そこで,〈こえ〉と鼻腔共鳴の標識により同一の調音点をもつ音素群を組み合わせると,図のような音素体系が取り出される。ただし,欠如的対立は位置によりその効力を失うことがある。/spin/〈つむぐ〉に対し*/sbin/(*は措定形であることを示す)という対立はないので,/s/音の後では/p/と/b/はこえの対立をなさない。これを中和 neutralization と称する。さらに R. ヤコブソンは弁別的素性を調音的でなく音響的特徴により記述しようと試みた。彼はスペクトログラムに現れる第1と第2フォルマントの距離の広いものを散音,狭いものを密音とし,第2フォルマントの位置が高いものを鋭音,低いものを鈍音と定め,さらにフォルマントが明確に現れるものを母音的,騒音の影をもつものを子音的と名づけている。そして,このような音響による弁別的素性の12の対立の集合を設定し,世界中の言語に現れるすべての音素は,これらの集合のうちいくつかの対立素性が組み合わさったものであると主張した。例えば,非円唇前舌高母音/i/は〈母音性・非子音性・散音性・鋭音性〉という素性の束と見なされる。いま/i/の含んでいる鋭音性を鈍音性に変えれば母音/u/が生じる。日本語の/u/はこれに非円唇の音響的特徴をなす非変音性が加わり具体的な母音[セ]となる。このように音素が音声として実現したものを異音という。
[アメリカ系音素論]  アメリカではアメリカ・インディアンの言語を調査するにあたり,異質の未開言語を表記するための客観的方法を確立する必要に迫られ,そこで音素の研究が推進された。音素論は,最小対立と,相補的分布の原則に立脚している。pill[phil](h は有気音であることを示す補助記号)〈丸薬〉と kill[khil]〈殺す〉という語の音声現象はいずれも[‐il]という同一の音声環境に立っていて,語頭の音声部分を置き換えると意味が変わってくる。この場合二つの語は最小対立 minimal pair contrast をなすとし,異なる音声部分[p]と[k]を置換することにより音素/p/と/k/が取り出される。また paper[pheipト]〈紙〉にあっては語頭の[ph]は有気音であるが,語中の[p]は無気音である。ここでは強勢母音[レi]をはさんで,前に立つ有気音[ph]とその後にくる無気音[p]は相補う位置に分布している。このように相補的分布 complementary distributionをなす類似した音声は同一音素/p/の位置異音と見なされる。また,強さや高さアクセントおよび音素と発話の結びつき方を表す連接のような超分節音にも音素としての機能を認めている。例えば,英語の名詞 increase/∩nkr∩ys/〈増加〉と動詞の increase/inkr∩ys/〈増加する〉や日本語の雨[aャme](ャ や ヤ は高低アクセントを示す補助記号)と蒜[aヤme]の対立。an aim/トn+eym/〈ある目的〉に見られる内部連接/+/などである。次に音素配列論では音素の結合を記述する。英語の語頭では play〈遊ぶ〉,pray〈祈る〉のように/pl‐//pr‐/という子音の結合は許されるのに,*/tl‐/*/sr‐/のような結合は存在しない。
[生成音韻論]  最近,研究が進展したものに生成音韻論 generative phonology がある。1960年代より N. チョムスキーは変形生成文法において,基底構造から変形規則により表層構造を派生させる方式を提唱してきた。このため音素なるものを否定し,基底表示を設定しておいて,これに音韻規則を適用して音声表示を導き出そうとしている。これにより語彙の派生関係やアクセントの位置を説明できるとしている。例えば divine〈神聖な〉の基底表示を/div ̄n/とし,二重母音化の規則により  ̄→ay に変えて[divayn]という形を生み出す。一方名詞化語尾‐ity の前では短母音化の規則により  ̄→i に変えて[diviniti]を派生させる。また有標性 markedness を利用し,舌先を用いる/t/を無標,舌先を用いない/p/と/k/を有標とし,口の前方で発する/p/と/t/を無標,後方で調音される/k/を有標と定め,有標の数が多いほど複雑であると考えた。したがって,子音では/t/が最も自然で,/p/と/k/はやや難易度が高いことになる。こうした分析の結果は幼児の言語習得や世界中の言語に見られる普遍的傾向に照らしてみる必要がある。⇒音声学∥言語学      小泉 保

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音韻論
音韻論 おんいんろん 言語学の分野のひとつで、個別言語においてもちいられる音声の機能を分析し記述することを目的とする。ある言語において、それぞれ機能がことなる音声的単位を「音素」または「音韻」とよぶ。ただし、アクセントやイントネーションなど複数の音声的単位にまたがってはたらく音声現象をふくめて「音韻」とよび、音韻からアクセントやイントネーションをのぞいたものを「音素」とよぶこともある。音素をあらわす記号は/をつかい、/k/、/a/のように表記される。

ある言語において、2つの音声の機能がことなる場合、その2つの音声はことなった音素に属する。2つの音声の機能がことなるとは、それらの音声が単語の意味を区別するのに役だつということである。たとえば、日本語で「蚊」[ka]という語は「歯」[ha]、「間」[ma]、「差」[sa]などとは別の語である。この区別をするのは[k]という子音なので、[k]は日本語の音素である。

また、「蚊」[ka]は「木」[ki]や「子」[ko]ともちがう語である。この区別をするのは[a]という母音なので、[a]も日本語の音素である。

ことなった調音の仕方をされる2つの音が、ある言語においては2つの音素であるが別の言語においては1つの音素とみなされることもある。たとえば、[r]という音と[l]という音は英語においてはちがった2つの音素であるが、日本語ではこの区別がなく、どちらも同じ音とみなされる。

また、日本語では[k]と[g]という2つの音声がもちいられるが、「かま」[kama]の[k]を[g]にとりかえて「がま」[gama]にすると意味がかわる。したがって、日本語では[k]と[g]はことなった音素に属することになる。

いっぽう、朝鮮語でも同じように[k]と[g]の音声がもちいられるが、母音と母音の間では[g]だけしかあらわれず、それ以外の場合は逆に[k]だけしかあらわれないので、この2つの音声をとりかえて、ちがった意味をもつ単語をつくることはできない。したがって、朝鮮語の[k]と[g]は同じ音素に属するとみなされる。

このような方法によって、各言語にどのような音素があるのかを決定し、それぞれの音素がどのような特徴によって区別されるのかを研究するのが、音韻論のもっとも重要な目的である。日本語の/k/と/g/を区別する音声的特徴は、音声をつくるときに声帯がふるえるかどうかという「有声性」であり、それ以外の特徴は2つの音声に共通である。この「有声性」や、[m] [n]などに共通の「鼻音性」など、音素の区別にかかわる音声的特徴を「弁別特徴」とよぶが、音素をさらに弁別特徴の集合としてとらえ、言語におけるもっとも小さな単位は音素ではなく弁別特徴だと主張する立場もある。

→ 音声学:言語学

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音素
モーラ
モーラ

モーラ
mora

  

モラともいう。ラテン語韻律学において,1短音節の長さに相当する時間の単位をさす。1長音節は1短音節の2倍の長さをもつ。転じて,おもに日本語のかな1字 (子音+短母音) に相当する時間的長さの単位をさすのに用いられる。ただし,拗音 (子音+半母音+短母音) はかなでキャ,ショのように書くが,やはり1モーラである。「拍」という学者もある。日本語 (東京方言など) は,この等時間的単位が和歌や俳句を数える単位となっている。またアクセントにおいても大切な役割を果している。これと,(音韻的) 音節は別の概念である。[kona]/kona/ (粉) ,[ko:]/koo/ (甲) ,[koN]/koN/ (紺) において,音節は,「粉」が2音節,他は1音節であるが,モーラは,いずれも2モーラである。撥音 (ン) ,促音 (ッ) ,長音 (ー) がそれ自身で1モーラをなすのが日本語の特徴であるが,日本語のなかでも方言により,モーラの認められないものもある。





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音節
音節

おんせつ
syllable

  

それ自身のなかには切れ目がなく,その前後に切れ目の認められる単音または単音連続をいう。構造上,子音で終るものを閉音節,母音で終るものを開音節という。英語の[d]「犬」は前者,日本語の[me]「目」は後者の例。一般に,1つの母音を中心にその前 (後) に子音がついた形をなすが,しかし,音節の規定は,結局音韻論的観点が必要となってくる性質のものであるため,その音声学的定義は困難で,学者によりさまざまである。 O.イェスペルセンは「きこえ」の相対的頂点の数に音節の数を求め,ソシュールは呼気の通路の「ひらき」が閉鎖に向うものを内破音,開放に向うものを外破音とし,内破音から外破音に移るところに音節の切れ目を求めた。 M.グラモンは「ひらき」のほかに発音の際の諸器官の緊張の増加 (漸強音) ,減少 (漸弱音) の観点を持込み,漸弱音から漸強音へ移るところに音節の切れ目を求めるとともに,漸強性と「ひらき」の増大,漸弱性と「ひらき」の減少がそれぞれ一致する音節を「音声学的音節」,一致しないが現実の言語に見出される音節を「音韻論的音節」と呼んだ。服部四郎は,モーラとは別に各言語において一定の構造をもつ「音韻的音節」と,実際の発話に生じる「音声的音節」とを区別した。東京方言の「オカアサン」は5モーラから成り,[o|ka:|saN]/'o|kaa|saN/と音節が切れ,音声的3音節,音韻的3音節である。一方,/hasi/「箸」は2モーラから成り,音韻的2音節であるが,音声的1音節に発音されることもあるとする。なお,日本ではこのモーラをさして「音節」と呼ぶ人も多い。





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音節
おんせつ syllable

音節は連続した音声における最小のまとまりある単位で,語をゆっくり区切って発音するとき音節の単位に分けられる。音節の構成方式は言語により異なるが,代表的なものを以下に紹介する。まず音声的音節であるが,これは音声連続の中でのきこえ sonority の頂の数が音節数に一致するとの説である。いま音声をきこえの大きさにより4群に段階づけすると,(1)無声閉鎖音[p,t,k],(2)有声閉鎖音[b,d,を],無声と有声の摩擦音[f,ド,s,イ,v,z,ゥ],(3)鼻音[m,n,ペ],流音[l,r],半母音[w,j],(4)母音に分類できる。いま英語の〈ジャックは小さな鳥を捕らえた〉という文を構成する音声にきこえの段階を割り当て,これを,前記の数字を用いてグラフに改めると,図1のように六つのきこえの山ができる。したがってこの文は6音節よりなるとみなされる。きこえ説では,little/3 4 1 3/という語は4と3の頂が現れるので2音節と評価される。しかし spa[spaビ]/2 1 4/〈温泉〉では,2と4が頂を形成し2音節とみなされるおそれが出てくる。そこでフランスの言語学者グラモン M.Grammont(1866‐1947)は調音器官の緊張が[s]から[p]へと高まっていくと説明し,緊張の上昇と下降の山を音節と解釈している。
 次にプロミネンス prominence の説では,音の高さ,強さ,長さも考慮に入れる。例えば,hiddenaims〈隠されたねらい〉と hid names〈名前を隠した〉はいずれも音声としては[hidneimz]であるが,hidden[hidn]の[n]の方が names[neimz]の[n]よりもプロミネンスが高いので音節を構成する成節音とされる。
 ほかにステットソン R. H. Stetson の胸拍説がある。これは呼気のとき胸の肋間筋がアコーディオンのように波打ちながら肺から息を流し出す運動を胸拍と称し,胸拍のリズムに音節を対応させている。
 また,日本語では音節は音の長さ(拍)により決定される。単音をミリセカンド(100分の1秒)単位で測れば,〈ハカ〉の〈カ〉[ka]は9+8の長さをもつが,〈ハッカ〉の〈ッカ〉[kka]は16+9+8で,促音〈ッ〉[k]の長さは次の〈カ〉[ka]に匹敵する。同じことが撥音〈ン〉と長母音についてもあてはまる。ここに促音や撥音および長母音で引きのばされた母音を1拍と数える根拠がある。
 最後に,音素的音節では音素の占める位置によって音節の構造が分析される。いま子音を C,母音を V,半母音を S とすれば,英語の cat[kずet]〈ネコ〉は CVC の構造をもち,V が音節の中核をなす。音節は図2のように構造的にまず開始部と中核部に分かれ,中核部が頂部と結尾部に割れるとされている。そして母音が頂部に立つのが普通である。英語では開始部に子音が三つまでくることが許される。例えば,strip〈はぐ〉は CCCVC。このように C と V の組合せには制約がある。日本語で音節(拍)を形成するものに V,CV,CSV,M の四つのタイプがある。M はモーラ音素と呼ばれ促音音素/㊨/と撥音音素/℡/を含む。例えば,オンセーガク[onseビペakセ]/㊧℡seegaku/は,V・M・CV・V・CV・CV であるから6拍に数えられる。なおCSV はキャ/kya/のような拗音の構造を指す。
                         小泉 保

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音節
おんせつ syllable

音節は連続した音声における最小のまとまりある単位で,語をゆっくり区切って発音するとき音節の単位に分けられる。音節の構成方式は言語により異なるが,代表的なものを以下に紹介する。まず音声的音節であるが,これは音声連続の中でのきこえ sonority の頂の数が音節数に一致するとの説である。いま音声をきこえの大きさにより4群に段階づけすると,(1)無声閉鎖音[p,t,k],(2)有声閉鎖音[b,d,を],無声と有声の摩擦音[f,ド,s,イ,v,z,ゥ],(3)鼻音[m,n,ペ],流音[l,r],半母音[w,j],(4)母音に分類できる。いま英語の〈ジャックは小さな鳥を捕らえた〉という文を構成する音声にきこえの段階を割り当て,これを,前記の数字を用いてグラフに改めると,図1のように六つのきこえの山ができる。したがってこの文は6音節よりなるとみなされる。きこえ説では,little/3 4 1 3/という語は4と3の頂が現れるので2音節と評価される。しかし spa[spaビ]/2 1 4/〈温泉〉では,2と4が頂を形成し2音節とみなされるおそれが出てくる。そこでフランスの言語学者グラモン M.Grammont(1866‐1947)は調音器官の緊張が[s]から[p]へと高まっていくと説明し,緊張の上昇と下降の山を音節と解釈している。
 次にプロミネンス prominence の説では,音の高さ,強さ,長さも考慮に入れる。例えば,hiddenaims〈隠されたねらい〉と hid names〈名前を隠した〉はいずれも音声としては[hidneimz]であるが,hidden[hidn]の[n]の方が names[neimz]の[n]よりもプロミネンスが高いので音節を構成する成節音とされる。
 ほかにステットソン R. H. Stetson の胸拍説がある。これは呼気のとき胸の肋間筋がアコーディオンのように波打ちながら肺から息を流し出す運動を胸拍と称し,胸拍のリズムに音節を対応させている。
 また,日本語では音節は音の長さ(拍)により決定される。単音をミリセカンド(100分の1秒)単位で測れば,〈ハカ〉の〈カ〉[ka]は9+8の長さをもつが,〈ハッカ〉の〈ッカ〉[kka]は16+9+8で,促音〈ッ〉[k]の長さは次の〈カ〉[ka]に匹敵する。同じことが撥音〈ン〉と長母音についてもあてはまる。ここに促音や撥音および長母音で引きのばされた母音を1拍と数える根拠がある。
 最後に,音素的音節では音素の占める位置によって音節の構造が分析される。いま子音を C,母音を V,半母音を S とすれば,英語の cat[kずet]〈ネコ〉は CVC の構造をもち,V が音節の中核をなす。音節は図2のように構造的にまず開始部と中核部に分かれ,中核部が頂部と結尾部に割れるとされている。そして母音が頂部に立つのが普通である。英語では開始部に子音が三つまでくることが許される。例えば,strip〈はぐ〉は CCCVC。このように C と V の組合せには制約がある。日本語で音節(拍)を形成するものに V,CV,CSV,M の四つのタイプがある。M はモーラ音素と呼ばれ促音音素/㊨/と撥音音素/℡/を含む。例えば,オンセーガク[onseビペakセ]/㊧℡seegaku/は,V・M・CV・V・CV・CV であるから6拍に数えられる。なおCSV はキャ/kya/のような拗音の構造を指す。
                         小泉 保

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音節
音節 おんせつ Syllable 発音の基本的な単位。たとえば「さ・よ・う・な・ら」という言葉を不自然でないように短くくぎると、「sa・yo・u・na・ra」となるが、そのひとつひとつが音節である。日本語の音節は基本的に母音1つか、子音+母音という構成になっている。また、仮名文字は1字が1つの音節になる。

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O.イェスペルセン
イェスペルセン

イェスペルセン
Jespersen,(Jens) Otto (Harry)

[生] 1860.7.16. ラーネルス
[没] 1943.4.30. ロスキレ


デンマークの言語学者,英語学者。コペンハーゲン大学で V.L.P.トムセンらの指導を受ける。 1891年英語の格の研究で学位を得て,93年同大学の英語教授となる。外国語教育は日常用語から始めるべきことを主張。音声学,言語理論,英語史,国際語運動における貢献は高く評価されている。『音声学教本』 Lehrbuch der Phonetik (1904) は,すぐれた一般音声学書として著名。早くからダーウィンの進化論の影響を受け,それまでの言語退化説に反対し,『言語の発達』 Progress in Language (1894) で,言語は進化するものであり,言語変化は効率のよい方向に進むものであることを主張した。7巻から成る『現代英文法』 Modern English Grammar on Historical Principles (1909~49) は,上の考えを英語史において実証したもので,歴史的研究こそが言語の科学的研究であるとの立場に立って書かれたものである。『英文法精義』 Essentials of English Grammar (33) はその一部分の要約。彼の言語観を集大成したものが『言語,その本質,発達と起源』 Language: its Nature,Development and Origin (22) および『文法の原理』 Philosophy of Grammar (24) である。その他の著書多数。日本の英語学に与えた影響も大きい。





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イェスペルセン 1860‐1943
Otto Jespersen

デンマークの英語学者,言語学者。法律学からロマンス語研究に転じ,のちイギリスの言語学者H. スウィートの影響をうけ,英語学を専攻。1893‐1925年,母校コペンハーゲン大学の英語・英文学の教授をつとめた。1899年よりデンマーク王立学士会員。関心の幅は広く,音声学,英文法,文法理論,言語学,外国語教授法,国際語に及ぶ。主著の一つ《言語――その本質・発達・起源》(1922)は,英語が他言語に比べていっそう規則的で簡便であるからもっともすぐれている,と論じ,言語の起源は〈歌うこと〉からであるとした。大著《近代英文典 A Modern English Grammar》7巻(1909‐49)は,第1巻が音声と綴字による,また第2~7巻は文法による近代英語史で,広範囲な歴史上のデータに基づいて文法を合理的に整理した英文法史上画期的な著作である。これは長い間,英文法書のスタンダードとして学校文法に大きな影響を与えている。また,《文法の原理 Philosophy ofGrammar》(1924)は文法の理論的面を扱っている。彼は記述主導型の伝統的言語学から,理論主導型の新言語学へと移る過渡期の橋渡しをした学者で,その理論は特に《統語論――理論と分析 Analytic Syntax》(1937)で展開されている。なお,1928年にはノビアル Novial と呼ぶ人工言語を考案し,新しい国際語(国際共通語)として提唱している。                   三宅 鴻

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イェスペルセン,O.
I プロローグ

イェスペルセン Otto Jespersen 1860~1943 デンマークの英語学者、言語学者。音声学、英文法、言語理論、外国語教授法、国際語などの幅広い分野で重要な業績をのこした。日本の英語学に対しても、大きな影響をあたえている。

コペンハーゲン大学で最初法律をまなんだ後、ロマンス語の研究をするようになり、最終的にはイギリスの音声学者スウィートの著書を読んだことによって、英語学を専門としてえらぶことになった。1893~1925年コペンハーゲン大学の英語学の教授をつとめた。

II 言語の進化論

イェスペルセンは、「英語の発達と構造」(1905)や「言語?その本質・発達・起源」(1922)において、言語の進歩とは、文法的な働きをする形態が単純になることであると主張し、形態的に単純で規則的な特徴をしめす英語はすぐれた言語であるとした。また、言語の起源についての従来の学説を分類し、言語はうたうことからはじまったという説をとなえた。7巻にのぼる大著「近代英文典」(1909~49)では、英語の音声や文法を合理的に整理しており、のちの英文法の教科書に大きな影響をあたえた。「文法の原理」(1924)では、独自の文法用語や概念をもちいながら、文法の理論的側面を論じている。イェスペルセンはまた1928年に、エスペラントやイードのような国際語として、ノビアルという人工言語を考案している。

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M.グラモン
グラモン

グラモン
Grammont,Maurice

[生] 1866. ダンプリシャール
[没] 1946. モンペリエ

  

フランスの言語学者,音声学者。モンペリエ大学教授をつとめた。比較言語学,音声学,韻律論を研究。史的音韻論における一般的傾向の発見に努め,特に異化,同化,音位転換の研究に新見解を発表。主著に『インド=ヨーロッパ諸語およびロマンス諸語における子音の異化』 La dissimilation consonantique dans les langues indo-europennes et dans les langues romanes (1895,博士論文) ,『フランス語の詩法』 Le vers franais (1904) ,『音韻論提要』 Trait de phontique (33) などがある。





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異化
異化

いか
dissimilation

  

同一の,または共通点をもった,すなわち類似した2つの音素が,互いに隣接するか近い位置にある場合,その一方がより共通点の少い別の音素に変化する歴史的現象をさす。同化の反対。同一 (または類似) の要素を繰返し調音する労力を避けようとして生じる。ラテン語 per_egr_nus「畑 agerを通って行く人」→ロマンス祖語 * pel_egr_nus「異邦人」のようにr-r→l-rと先行音素が変るのを「逆行異化」 regressive dis.,ラテン語 ar_bor_em→スペイン語 ar_bol_「木」のように,r-r→r-lと後続音素が変るのを「順行異化」 progressive dis.という。タビビト→タビトのように一方の音節が脱落すること (「重音脱落」 haplology) もある。





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異化
いか

一般に同化に対する語。生物学(〈同化作用〉の項目を参照),心理学でもこう呼ばれる現象があるが,ここでは文芸的な術語だけを扱う。本来はブレヒトが演劇で用いた〈異化効果Verfremdungseffekt〉に由来する。英語でalienation,フランス語で distanciation,中国語では間離化,陌生化とも訳されているが,語義からいえば作品の対象をきわだたせ,異様(常)にみせる手続をいう。文学的な技法としては古くから用いられており,ブレヒトはロシア・フォルマリズムの用語からもヒントを得たという。1936年にブレヒトははじめてこの術語を用いたが,それが彼の演劇の中核的技法となるにしたがって,自身によって何度も定義が試みられた。あるできごとや人物から,わかりきった,あたり前に思われる部分を取り除き,それに対する驚きや好奇心を生みだす,というのが基本的な定義であるが,先入見によって〈既知〉と思っていたものを〈未知〉のものに変える手続は,弁証法的に,その対象を真に〈認識〉する行為を促すことになる。認識行為までを含んだところがブレヒトのいう異化の特徴である。対象が政治的・社会的な立場で異化されるならば,まだ達せられていない正常な状態の認識は,世界の変革と結びつくことになる。彼が異化は歴史化であるといい,闘争的な技法であるというのはそのためである。あるがままの状態を受け入れず,通念を打破する点で,異化は感情同化に基づく演劇とは対立する。観客が舞台に同化していては,演じられる事件や人物に驚きや好奇心を抱いて自分で認識に到達するようにはならないからである。したがって俳優も役に同化することなく,社会的身ぶり,つまりある時代背景の人物への特徴的な反映を示さなければならない。演技は体験ではなく実地教示(デモンストレーション)なのである。こういうさめた演劇からはカタルシスは追放されるが,ここでは認識が楽しみになるのである。
                        岩淵 達治

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異化(作用)
異化 いか Catabolism 物質代謝(→ 代謝)のひとつ。生物体内にある複雑な物質(有機化合物)が、簡単な物質(無機化合物)に分解される作用。生物は異化(作用)によって活動に必要なエネルギーをえている。呼吸とよばれる現象の本質は異化で、そのとき有機化合物中が分解されてエネルギーが発生し、運動や体温の維持、体物質の合成などといった生活につかわれる。異化の化学反応は、ふつうエネルギーを放出する反応であることから発熱反応とよばれている。生物が外界からえた物質から、体に必要な物質を合成することは同化といい、異化と対語をなしている。

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同化
同化

どうか
assimilation

  

言語学上の用語。 (1) 通時的音韻変化の一種。ある音素Aが,それと直接 (ないし間接) に連なるほかの音素Bの影響により,Bのもつ特徴を共有する別の音または音素に変化すること。京都方言などの「チ」に起った[ti]/ti/ → [t∫i]/ci/ や,首里方言に起った/sita/ 「下」 → /sica/[∫it∫a]の変化は,それぞれ/i/による遡行同化,順行同化の例。 (2) 共時的同化。共通語の「シ」は音声的には[∫i]であるが,音韻論的には/s/が/i/に同化して口蓋化していると説明できるので/si/と解釈される。この場合は/s/に該当する単音そのものに通時的変化 (同化) が起ったとするのではない。





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音位転換
音位転換

おんいてんかん
metathesis

  

音位転倒ともいう。1単語中の2つの音素が位置を交換する現象。偶発的なものは言いまちがいとか,滑稽な効果をねらう場合とかによくみられるが,なかには,それが固定して語形変化を引起す場合もある。たとえば,アラタシ→アタラシ,シタ+ツヅミ→シタヅツミ。中期英語 brid→近代英語 bird,ラテン語 parabola→スペイン語 palabraなどがあげられる。





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綴字発音
綴字発音

つづりじはつおん
spelling pronunciation

  

表記と実際の発音との食違いが大きい場合,実際の発音を知らない人が表記に従ってする発音。英語の oftenを[´ftn]と読むのもその例。その場合の表記は,音韻変化が起きたために発音と合わなくなったものであることもあるし,日本語のあて字のような場合もある。ときには綴字発音が本来の発音に取って代ることもあり,北海道札幌市のツキサップに月寒という字をあてたため,住居表示が正式にツキサムになったのはその一例である。





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文語
文語

ぶんご
written language; literary language

  

文字言語,書き言葉のこと。口語の対。場面に依存することが少く,推敲しながら書くために,話し言葉に比べて不整表現が少く,硬い表現が用いられるのが普通。現代語に基づく口語文と,言文一致以前に用いられていた平安時代の文法に基づく文語文とがある。このような文字言語として用いられるのが普通である単語 (アシタに対するミョウニチなどの文章語) ,あるいは現代語としては普通用いなくなっている単語 (古語) をさしていうこともある。また平安時代の文法に基づく言語体系を文語ということもある。





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文語
ぶんご

日本語ではふつうに文章の体をわけて,文語文(文語体の文章)と口語文(口語体の文章)との対立を考えるが,これらはいずれも書きことば(文章語)における文体の相違である。それは主として文法上の機能を負うもの,特に活用や助辞,文末形式などのちがいによって区別されるが(文語――見ゆ,隠る,花なり,咲かむ。口語――見える,隠れる,花だ,咲くだろう),文法機能に関しない単語にもそれぞれの傾向がみられる。このような文体の特徴をなす用語が文語であって,その中には歌語とか雅語といった特殊の古典的文語も含められる。口語文の中にも文語の形が用いられることがあり,文法体系から孤立しながらしばしば用いられるものがある(堂々タル人物だ,考えるベキでしょう,東京にオケル大会は……,など)。口語文は明治以来の言文一致の運動の結果として作りあげられてきたものであるが,現在では文語文は実用の世界ではほとんど用いられていない。過去の文章としての文語文は,さらに用語の特色によって普通文,候文,漢文訓読文などに分けられる。明治中期は,いろいろな面で各種の文語文が公式の格式のある文章として用いられたが,それは一つには長い伝統,たとえば漢文尊重のあとをうけ,また一種の安定した形式として安全感を与えるとともに,権威主義によってささえられたものでもあった。詔勅,法令文や公用文,官庁・会社等の通信文は,最もおくれて第2次世界大戦後に口語化した。日本の文語文と口語文のような対立は,中国の文言文と白話文も同様で,文字をもつ各言語では多かれ少なかれこのような文体の差がある。文字のない言語でも,改まった儀式や伝承などの際には,文語にあたる特別のことばを用いることがある。
 このような文語は,多くの場合前時代の口語が書かれたり,特殊の場合に用いられたりするために,固定して口語の変化に取り残されたものとみられるが,文語それ自身も変化し,洗練されたことはいうまでもない。一方,文語と口語との対立を,一般に書きことばと話しことばとの体系のちがいとして考えることもある。すなわち,言語活動が文字を媒介として行われる場合に用いられることを予想する記号の体系または記号のそれぞれを文語というのであって,この場合には,文語はさきの文語文の用語ばかりでなく,口語文の用語をも含む。その口語文は,話しことばに近いものではあるが,文語たる口語文と実際の話しことばとの間には,文字の制約だけでなく,多少のちがいがある。たとえば口語文の〈である〉は話しことばではほとんど用いない。〈ないのです〉は普通会話ではナインデスに弱められる。しかしいわゆる口語文法は,本来いわば口語文の文法なのではあるが,話しことばをも規制するものと一般には考えられている。⇒口語∥文語体          林 大

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文語
文語 ぶんご 口語(話し言葉)に対する言葉で、本来は文章を書くときだけにつかわれる言葉。文章語、書き言葉。一般には、現代の書き言葉(→ 口語体)に対して、江戸時代までの古典的な言葉をさしていう。そのもとは平安時代の言葉を手本にしたもので、のちに話し言葉が変化しても書き言葉としてうけつがれてきた。古語。古文。現在では短歌、俳句、文語詩など、ごくかぎられた場合に使用される。

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口語
口語

こうご

  

文語に対する用語で,話し言葉のこと。音声言語 (話し言葉) に基礎をおく文字言語 (書き言葉) は特に口語文という。口語文は言文一致運動以来,音声言語の口語に基づくことをたてまえとしているが,書くという条件のために,整理された硬いものとなり,完全に同一のものにはなっていない。また口語は,現代語の意味で用いられたり,そのなかのひとつひとつの単語,特に日常口頭で用いる普通の (ときには少しくだけた) 文体的特徴をもつ単語の意味で用いられたりもする。





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[ブリタニカ国際大百科事典 小項目版 2008]


口語
こうご

口頭で話す場合の言語と,文字で書きしるす場合の言語とが,用語や語法の面で異なる現象は,多少とも各国語にみられる。これを〈話しことば〉と〈書きことば〉として対応せしめるが,また〈口語〉と〈文語(筆語)〉として対立させることもある。この場合,口語とは広く話しことばを意味する。ところで書きことばは本来は話しことばにもとづくはずのものであるが,日本では書きことばは独特の発達をして,話しことばをよく反映するものと,はなはだしくそれから離れたものとを生じた。この前者を〈口語〉,後者を〈文語〉ということがあり,それによって書かれた文章をそれぞれ〈口語文〉と〈文語文〉,その文体を〈口語体〉と〈文語体〉という。この場合,口語とは,話しことばをよく反映した書きことばを意味する。さらに明治以後,口頭言語の標準が求められるとともに,文字言語についても言文一致の運動がおこって,俗語,俗文の中から新しい標準文体が創造されたので,口語には標準の言語としてのひびきもあり,かつ,明治以後の現代語についてのみ当てられるかの印象もないではない。
 現代の標準話しことばとしての口語は,たとえば,(1)文末に〈ます〉〈です〉または〈だ〉を用いる(〈である〉はほとんど書きことばとしてのみ),(2)動詞・形容詞では終止法と連体法が同形である,(3)動詞に二段活用を用いないで一段活用にする,(4)形容詞ではふつうの連用法に音便形を用いない,(5)打消しに多く助動詞〈ない〉を用いる,(6)起点を示す助詞として〈より〉よりも〈から〉を用いる,などの特色がある。これらは17世紀前後から成形しつつあったもので,口語文の成立とともに一応固定したが,多少不安定なままに規範化された面もあって,今後問題になるべき点には,形容詞の過去(よかった)の丁寧表現,一段活用およびカ行変格活用の動詞につく可能の助動詞(られる)その他があり,標準としてはなお統一と整理ないし精練が必要である。⇒口語体∥口語法∥文語
                           林 大

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口語体
口語体 こうごたい 話し言葉につかわれる言葉をもとにして書く文章の様式。明治時代の言文一致(→ 言文一致体)の運動によって確立された文体で、常体(だ・である体)と敬体(です・ます体)がある。

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言文一致
言文一致運動

げんぶんいっちうんどう

  

日本で明治から大正にかけて行われた,書き言葉を話し言葉に近づけようとする運動。一般に文字をもつ言語では,書き言葉が古い形にとどまりやすく,話し言葉との差が大きくなっていくが,日本でも,明治になって読み書きする階層が広がるにつれて,両者の違いによる不便が痛感され,文筆家によって言文一致の運動が起された。古くは慶応2 (1866) 年の前島密 (ひそか) の『漢字御廃止之儀』にその主張がみられる。「言文一致」の語は 1886年物集高見 (もずめたかみ) が初めて用いた。小説家では山田美妙が「です調」,二葉亭四迷が「だ調」,尾崎紅葉が「である調」の新文体を試みた。 1900~10年の言文一致会の活動によって,運動は一応の確立をみた。なお,この運動で試みられたさまざまの文体を総称して言文一致体と呼ぶ。





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言文一致
げんぶんいっち

書きことば(文)を話しことば(言)に一致させようとすること,また話しことばに準じた文章(言文一致体)をさし,とくに,日本の明治以降のそうした試みを,言文一致運動という。口頭の言語と,文字に書き記すばあいの言語とは,それぞれ特色があって,表面の姿では両者一致しないのがむしろ普通であるが,ことに日本では口頭言語の変遷とは別に文字言語が独特の発達をした。国民教育が国家によって統一的に行われようとする明治初年以前にも,幕末の柴田鳩翁(きゆうおう)の《鳩翁道話》や平田篤胤の《気吹表(いぶきおろし)》のように講話をそのまま筆録した文章もありはしたが,一般に文章は漢文か,和漢混淆(こんこう)か,雅文か,記録書簡体かが正雅のものとして用いられ,口談とのへだたりがとくにはなはだしいものとなっていた。これを口談のがわへ一致させようという考えは,維新直前,前島密の《漢字御廃止之儀》の建白に始まり,西周(あまね),和田文その他諸家の論が起こって,1880年(明治13)ころには学者の二,三の試みも現れた。これを〈言文一致〉という名称で論じたのは,1886年物集高見(もずめたかみ)の著《言文一致》である。当時すでに,かなや,ローマ字の国字主張が盛んで,一方に三遊亭円朝の講談速記がもてはやされており,文章の方面でも同年に矢野文雄の《日本文体文字新論》,末松謙澄の《日本文章論》が出,文芸の上でも坪内逍遥の《小説神髄》など新思潮の動きが活発で,これらの情勢がようやくいわゆる言文一致体の小説を生んだ。1887‐88年ころあいついだ二葉亭四迷の《浮雲》,山田美妙の《夏木立》などがこれである。四迷は模索ののち文末におもに〈だ〉を用い,美妙は〈です〉を用い,おくれて尾崎紅葉は〈である〉によるなど,新文体の創始にそれぞれの苦心がみられる。なかでも美妙は,実作ばかりでなく,《言文一致論概略》などによってその文体を鼓吹し,2~3年にわたって賛否の論争が盛んで,〈言文一致〉はその主張,運動の名であるとともに,その文体の名ともなった。その後しばらく不振の時期をおいて,日清戦争後,標準語制定を急務とする上田万年の言文一致の主張をはじめ,四迷の翻訳,正岡子規の写生文などにより再び文壇に力を得,文語の〈普通文〉が一種の標準文体として固定しつつある一方で,新聞の論説も言文一致をとるものが現れた。
 文章の改善は国語国字問題の重要な一環と考えられ,1900年には帝国教育会内に言文一致会が成立して,一つの国民運動となった。これには排言文一致会のような反対もあったが,この時期ではもはや一致か否かの論ではなく,新文体をどのように育てあげるかが問題で,口語法に関する全国的な調査が行われ(1903。《口語法》の項目を参照),国定最初の《尋常小学読本》には口語文が確たる地歩をしめた(1904)。文芸の面でもしだいに文語文を減じ,ことに日露戦争後,自然主義文学の盛行につれて,その傾向は決定的になった。言文一致会は1910年に成功を祝して解散し,言文一致の運動はほぼこの時期に終わったが,すでに口語の文章が俗文の観念を脱していたわけである。しかし新聞記事が全面的に口語化したのは1921年(大正10)ころであり,公用文,学術論文,書簡文などの口語化はさらに久しい年月を要した。また今日固定化する傾きのある口語文に対して,とくに第2次世界大戦後の国字改革に伴って,第2の言文一致が唱えられもするが,今日の口語文の基礎は上記の言文一致運動の時代に固められていたのであって,その運動に参加した人々,とくに文芸家の力は没することができない。言文一致運動は,明治の国家主義の一手段であったと同時に,近代への人間解放の大きな原動力もしくはその必然の結果でもあり,国語問題史上の要点であると同時に文芸史上の画期的事業であったというべきである。⇒国語国字問題 林 大

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言文一致体
I プロローグ

言文一致体 げんぶんいっちたい 話し言葉(言)と書き言葉(文)とを一致させた文体。日本では19世紀後半、近代化と国民国家の形成がおしすすめられる中で生まれた、言語面の改良運動である。

II 言文一致運動の初期

言語の改良運動は、1866年(慶応2)前島密が「漢字御廃止之議」建白で主張した漢字廃止論にはじまり、西周や田口卯吉らがとなえた国語表記のローマ字化の議論、清水卯三郎(うさぶろう)らが主張した平仮名化の議論など、国字改良論が主流であった。しかし物集高見(もずめたかみ)の「言文一致」(1886)など言文一致をとなえる書があいついで出され、しだいに言文一致論へとうつっていく。江戸時代までは、漢文体が正式な書き言葉とされていたが、それでは話し言葉との隔たりがあまりに大きい。西欧の思想や文物を移入して普及させるには、書き言葉を話し言葉に近づけて平易明確なものにすることが必要だと考えられたのである。→ 国語国字問題

言文一致体は、自由民権の啓蒙書などで、いちはやく採用された。そのほか、大衆相手の小新聞や日本にはいって間もない速記をつかって三遊亭円朝が出した「怪談牡丹灯籠」(1884)などの速記本が人気を博したことも、言文一致の普及に貢献した。

III 文学における言文一致

そのような中で、文学の分野でも言文一致体がこころみられた。二葉亭四迷「浮雲」(1887~89)、「あひゞき」(1888)、山田美妙「夏木立」(1888)などがその最初である。文末を「だ」「です」「である」のどれにするかという試行錯誤や、言文一致体は余情にとぼしいとする反対意見との論争の中で、ホトトギス派の写生の主張や自然主義文学が盛んになったことも寄与して、文学における言文一致体はしだいに定着してゆく。

IV 近代日本形成にはたした役割

1900年代初頭には小学校の教科書で多くの口語文が採用されるなど、さまざまな分野において徐々に言文一致体が普及していった。ただ政治や司法、官庁の公用文など、太平洋戦争敗戦後まで言文一致が確立しない分野もあった。

なお、言文一致が、たんに既存の話し言葉を書き言葉としてもちいたものではなく、むしろ、近代日本をつくりだす一環として生みだされた、書き言葉の新しい文体だったということに注意する必要がある。近年、近代国民国家の形成と言文一致体の成立とを関係づける議論が深まってきているが、それはこの点に着目してのことである。

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イントネーション
イントネーション

イントネーション
intonation

  

広義では,音声連続においてみられる音の高さの変動の総称で,「音調」ともいわれる。音節音調,単語音調,句音調などもあるが,狭義では,文にあたる単位に現れる音調,すなわち「文音調」をさすのが普通である。アクセントが単語 (結合) について一定しており,単語の意味との関係が恣意的なのに対し,文音調は肯定,質問などの意味をもち,同一の単語のうえにいろいろの文音調が加わりうる点が異なる。東京方言では「切る」は/〇〇/,「着る」は/〇「〇/というアクセントをもつが,おのおのに対し,肯定//,質問//,問い返し/\/などの文音調が加わることができ,しかも,それぞれの場合において,アクセントの相対的区別は常に保たれる。また,文音調は,質問音調のほうが肯定音調よりも上昇の程度が大きいのが普通であるというように,心理的要因に支配される面が多いが,また社会慣習的決りでもあるから,言語 (方言) による差もある。





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イントネーション
intonation

文全体あるいはその一部分にかかわる音声的特徴で,その言語社会において習慣的に定まっている状態のものをいう。日本語では抑揚ともいう。主として高さの変動がその実質をなしている。文のイントネーションが同一言語内に複数種類ある場合,それらがなんらかの意味的差異に関与しているといってよい。文というものの長さがさまざまなので,異なるイントネーションは文の中間部よりも末尾における音程動態で互いに区別されることが多い。東京方言の簡単な文を例にとると,〈来る〉は,単語としては〈ク〉が高く〈ル〉が低いという高低アクセントで発音されるものであるが,文の場合には,〈ル〉が下がりっぱなしで発音されると,通常,誰かが来るということを表すが,〈ル〉が低いところから軽く上昇すると,疑問を表す文になる。すなわち,イントネーションの違いが文の意味の違いに結びついているわけである(東京方言では,実際にはイントネーションの種類はもう少し多く,微妙かつ複雑である)。イントネーションは,それをどの程度に利用するか,何種類有するかといった点で,言語や方言によって非常に変異する。叙述文と肯否を問う疑問文が単語や接尾辞などによらずにもっぱらイントネーションの違いで区別される言語もある。なお,いくつかの言語間には共通性が認められるが,文末が上昇すると疑問を表すということが普遍的であるとする考え方は,事実に反する。また,高低アクセントを用いる言語で,かつ,文末に各イントネーションの特徴が現れる言語(日本語もその一例である)では,イントネーションが特に文末の語の高低アクセントとからんで現れることが多い。東京方言の〈来る?〉と〈行く?〉では,〈ル〉と〈ク〉が上昇する点では共通であるが,高低アクセント上〈ル〉と〈ク〉の高さが異なるため,それぞれの上昇の出発点の高さがひどく異なっている(この場合,〈ル〉のほうが低い)。スワヒリ語(アフリカ)では,たとえば anasoma〈(彼は)読んでいる〉は,単語として so が高いというアクセントを有し,叙述文(平叙文)ではそのとおりに発音される。しかし,疑問文では,so をより高くし,末尾の低い ma との差を誇張するようなイントネーションをとる。したがって,イントネーションを解明するには,その言語のアクセントを解明することが先決である。⇒アクセント   湯川 恭敏

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イントネーション
イントネーション Intonation 単語よりも大きな単位について観察される、声の抑揚(上がり下がり)のパターンをイントネーションとよぶ。文全体についての抑揚のことをいう場合が多いが、句や節を単位とするイントネーションもある。単語を単位とする声の上がり下がりは「アクセント」とよばれ、イントネーションとは区別される。標準語について、「雨」では「あ」を高く発音し、「飴(あめ)」では「め」を高く発音するようになっているのはアクセントの違いであって、イントネーションの違いではない。

イントネーションの代表は、文末を下降調(声が低くなる抑揚)で発音すれば「平叙文」となり、文末を上昇調(声が高くなる抑揚)出発音すれば「疑問文」になるというものである。日本語では、疑問文は文末に「か」をつけることで表現されるが、実際に発音するときには文末は上昇調となる。日本語以外の言語でも、平叙文は下降調、疑問文は上昇調のイントネーションで発音される場合が多い。ただし、ロシア語のように、これとはことなったイントネーションで平叙文と疑問文を区別する言語もある。

イントネーションは、平叙文と疑問文の区別だけでなく、反語、確認、落胆など、話し手のさまざまの感情をあらわす働きをする。日本語の「行きますか」を上昇調で発音すれば疑問の意味をあらわすが、下降調で発音すれば、相手の行動を確認する意味合いが出てくる。

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共時言語学
通時言語学
史的言語学
史的言語学

してきげんごがく
historical linguistics

  

いかなる言語も時間とともに変化するが,その言語の変遷を研究する学問を史的 (歴史) 言語学という。分野別に分けるときには,史的音韻論 (音韻史) ,史的文法論 (文法史) ,史的意味論などという。 19世紀には,H.パウルにその典型をみるように,史的言語学のみが科学とみなされていたが,20世紀に入ってソシュールにより共時言語学の独立,それと通時言語学との峻別が提唱され,さらに R.ヤコブソン,N.トルベツコイ,A.マルティネらによって構造的史的言語学が打立てられた。これにより,以前のような個々の言語要素の変遷ではなく,言語の体系・構造の変遷がより全体的にとらえられるようになった。なお,史的言語学を共時 (記述) 言語学から区別するのは,あくまでも言語そのものの総合理解のための方法であって,言語そのものが2つの面に分裂していることを主張するものではない。





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H.パウル
パウル

パウル
Paul,Hermann

[生] 1846.8.7. マクデブルク
[没] 1921.12.29. ミュンヘン

  

ドイツの言語学者。フライブルク大学,次いでミュンヘン大学の教授。インド=ヨーロッパ語族,特にゲルマン語派の歴史的研究に力を注ぎ,その言語学方法論をもって青年文法学派の理論的指導者の役割を果した。『言語史原理』 Prinzipien der Sprachgeschichte (1880) では,言語の研究は歴史的でなければならないことを説き,言語の変化の原因を,主として心理学的に追究した。ほかに,『ドイツ語辞典』 Deutsches Wrterbuch (97) ,『ドイツ語文法』 Deutsche Grammatik (1916~20) などの著書がある。また,『ゲルマン文献学大系』 Grundriss der germanischen Philologie (3巻,1891) を編集,その後,この叢書は最高権威として今日まで続刊している。





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パウル 1846‐1921
Hermann Paul

ドイツの言語学者。ベルリン大学,ライプチヒ大学に学び,のちフライブルク大学,ミュンヘン大学教授としてゲルマン語を講じたが,その文献学的な歴史研究は現在のゲルマン語学の基礎を築くものであった。著作としては《ドイツ語辞典》や《ドイツ語文法》(5巻)などのほか,《言語史原理Prinzipien der Sprachgeschichte》(1880)があり,これは K. ブルクマンを中心とする青年文法学派の言語理論を代表する著作であると同時に,今日でも言語の歴史的研究を志す者には必読の書とされている。               風間 喜代三

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言語学・ゲームの結末を求めて(その5) [宗教/哲学]


空間知覚
空間知覚

くうかんちかく
space perception

  

一般的には,上下,左右,前後の広がりに関する体験をもつことをさす。こうした体験のうちには,事物の形,大きさ,長さ,あるいはそれらの存在する方向,場所,ないしは事物までの距離や事物相互間のへだたりなどの知覚が含まれる。こうした広がりに関する体験が,おもにどの感覚系に依存して現れるかに応じて,視空間,聴空間,触空間などが区別される。通常,視覚系による空間把握が優位となることが多い。しかし,各種感覚系と運動系とは多かれ少なかれ相互に関連し合い,組織化されて,統合的に空間把握が行われていると考えられる。1つあるいはそれ以上の感覚系に障害がある場合,その空間知覚は特殊なものとなる。空間知覚がいかにして成立するかという問題に関しては,先天説と経験説との間に長い論争の歴史があり,現在でも未知の部分を多く残している。 (→奥行知覚 , 形の知覚 )  





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視空間
視空間

しくうかん
visual space

  

視覚を通じて構成される行動空間のことで,空間知覚の基礎となる。視覚だけでなく,重力によって生じる感覚なども,視空間を規定する重要な要因となる。上下,左右,前後の3方向は主要方向と呼ばれ,これら以外の方向にはない特別な重みをもっている。対象の主軸が主要方向と一致する場合は,知覚が正確になる。ただし,主要方向の間でも空間の異方性が存在する。





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錯覚
錯覚

さっかく
illusion

  

対象が特殊な条件のもとで,通常の場合とは食違って知覚される現象。知覚器官や中枢部に異常がなくてもしばしば起るので,病的現象と断定することはできず,「対象のない知覚」つまり幻覚とは区別される。視覚について現れる錯覚 (錯視) が最も多く知られており,ミュラー=リヤーの図形やネッカーの立方体の見え方,あるいは月の錯視などがその例である。触覚的錯覚については,アリストテレスの錯覚が古くから知られており,大きさと重さの関係に関しては,シャルパンティエ効果が知られている。





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錯覚
さっかく illusion

知覚に関係する諸器官になんら異常がないのに,実際とは違った知覚が起こったり,実際の知覚に,そこにないものの知覚や思込みが加わる現象。これらは視覚,聴覚,触覚などの五感の領域に出現するほか,身体が動いていないのに動いている感じ,足を曲げているのに伸ばしている感じなど,運動感覚,位置感覚などの内部感覚にも起こる。
 錯覚はその出現様式によっていくつかの型に区別される。(1)書物の文章の誤植が見落とされるように,注意の向け方が不十分なとき別の知覚要素が補ってしまう不注意錯覚。人物誤認のなかにはこの種の錯覚によるものがあり,軽い意識障害を伴った精神病状態のときによく出現することがある。(2)感動時,たとえば夜道を怖い思いをしながら歩いているとき木立を人間の姿と思い込んだり,ひとりで留守番をしているとき風の音を人のいる気配に感じとってしまう感動錯覚。この場合,注意を固定して判断しようとしてもそう見えてしまう。ここでは知覚要素が錯覚と並んで存続するのではなく,錯覚に吸収されてしまっている。強い不安・恐怖感を伴う精神病状態のときにも,しばしば出現する。(3)青空に湧きあがった入道雲の一部がどうしても人間の顔に見えてしまうなどのパレイドリア。実際にはそうでないという批判力がありながら対象とは異なって知覚され,情動や連想とは無関係に,いったんそう見えてしまうと意志に反して現れつづける変形した知覚である。幼少年者がよく体験し,熱にうなされたときなどにも活発に現れる。(4)主体側の条件によってではなく,知覚対象が一定の配列にあるとき,だれにでも起こる生理的錯覚。夕日の太陽が大きく見えたり,止まった電車の窓からなんとなく見ている隣の電車が動き出すと,自分の身体が乗っている電車ごと動き出すのを身体に感じてしまうもの。
 錯覚は知覚対象の存在しない幻覚や,前に見たり聞いたりしたことのある像や言葉があとになって感覚的に浮かんでくる感官記憶とは区別される。⇒錯視                     中根 晃

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錯覚
I プロローグ

錯覚 さっかく Illusion 対象の大きさ、形、色、明るさ、重さ、運動印象、あるいは時間などが、対象の客観的な属性とは明らかに食いちがって知覚されること。ただし以下にのべる幻覚や妄想などの病理的事態ではなく、正常にもかかわらず、だれにもそのように知覚される場合を総称して錯覚という。幻覚は、アルコールや薬物の中毒、あるいは高熱によって、何かが見えたり(幻視)、何かが聞こえたり(幻聴)することで、それが生じる物理的な刺激がない場合の知覚である。また妄想は、精神病理状態において生じる、根拠のないあやまったものだが、直感的な確信をともなった思考や判断の異常である。

視覚の場合の錯覚をとくに錯視という。また、優秀なステレオ再生装置による生き生きとした音場空間の再生は聴覚的錯覚の例であり、触覚にも味覚にも温度感覚にも類似の錯覚現象を指摘することができる。しかし、心理学でおもに研究されてきたのは錯視についてである。以下にみる幾何学的錯視や見かけの運動知覚は、古典的な要素主義心理学の恒常仮説(刺激と知覚の間に一対一対応があるという説)(→ ゲシュタルト心理学)を批判するための格好の材料となったからである。

II 幾何学的錯視

古典的な幾何学的錯視のなかでもっとも有名なもののひとつはミュラー・リヤーの錯視である。図Aにみられるように、a、bは等しい長さの線分である。これに矢羽のついた図Bをみると、線分aはもはやbとは等しくみえない。これは要素的な線分としては同じもので構成されていながら、しかし、aをふくむ閉じた矢羽の図形と、bをふくむ開いた矢羽の図形が全体としてことなった図形であるところから、aやbの要素的線分の知覚のされ方がことなってきたものと考えられる。これと同じような幾何学的錯視には、ツェルナーの錯視図形、ジャストローの錯視図形などがあるほか、E.マッハの本やシュレーダーの階段など、反転を利用した錯視図形は数多くある。

また比較的近年になってとりあげられ、G.カニッサの「主観的輪郭線」とよばれている図Cには、中央に周囲よりも一段と白く浮きでた三角形がはっきりみえる。にもかかわらず、それを構成する輪郭線は存在しない。これも幾何学的錯視の一種である。一般に幾何学的錯視は線分や角が空間的に近接して存在している場合に、その情報処理の内的過程に相互作用がおこることによって生じると考えられている。またカニッサの主観的輪郭線の場合には、プレグナンツの原理(→ ゲシュタルト心理学の「ゲシュタルト法則」)がはたらいていると考えられる。なお平面的幾何学的錯視を利用したいくつかの逆理図(ありえない図)が考案されている。その代表的なものはペンローズの三角形および画家M.C.エッシャーの一連の奥行き手がかりを加味した3次元的な作品である。

III 見かけの運動

錯視は運動印象についても生じる。暗室の中で、少しはなれた2点A、Bをある時間間隔で点滅させると、点Aから点Bに光がとぶようにみえる。このように、客観的には独立した点の点滅にすぎないものに運動印象を知覚する場合を仮現運動(見かけの運動)とよび、AとBとの間を一定にしたときに時間間隔を変化させることによって最適の運動印象がえられる場合をφ(ファイ)現象とよぶ。これを利用したものが映画である。仮現運動のほかに、流れゆく雲間を月が逆方向にすすんでいくようにみえる誘導運動、つまり動くものによって、本来は動かないものの運動印象がひきおこされる場合、あるいは暗室の一点に線香をともし、それを注視していると、その一点は固定されているにもかかわらず光の点が大きくゆらいで動いてみえるという自動運動など、種々の運動錯視現象が知られている。

このほかに、地平線上の満月が、天空にきたときより大きくみえる月の錯視(水平線にしずむ太陽の錯視)、雨上がりの日に遠くの山がいつもより近くみえたりする遠近や大きさの錯視(大きさの恒常性)、色の対比効果による錯視、暗くなっても白い紙はやはり白くみえる明るさの恒常性など、人間の知覚には種々の錯視現象がみいだされる。


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空間の異方性
空間の異方性

くうかんのいほうせい
anisotropy of space

  

心理学用語。空間内に置かれた事物の長さや大きさが,その位置や方向によって同一の物とは知覚されない現象をさす。われわれの知覚空間は,すべての方向について等質なユークリッド空間の特性をもっているというわけではなく,位置や方向に応じた非等質性 (ひずみ) ,すなわち異方性を示すことが少くない。視空間では,月の錯視や水平線分に対する垂直線分の過大視などの諸現象がその例としてあげられる。 (→幾何学的錯視 )  





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月の錯視
月の錯視

つきのさくし
moon illusion

  

月や太陽が中天にあるときよりも,水平線や地平線の近くにあるときのほうが大きく見える現象。現在では,それは物理現象ではなく,方向によって物の大きさが違って見える錯視現象の一種であると考えられている。 (→空間の異方性 )  





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幾何学的錯視
幾何学的錯視

きかがくてきさくし
geometrical optical illusions

  

視覚的な錯覚 (錯視) の一種で,平面図形の幾何学的次元や関係 (すなわち,大きさ,長さ,方向,角度など) が,実際とは異なって知覚される現象をさす。種々の錯視図形が見出されているが,多くは発見者の名をもって呼ばれている。著名なものは,ミュラー=リヤーの図形であるが,このほか,次のような各種の錯視図形があげられている。 (1) ツェルネル,ブント,ヘーリング,ポッゲンドルフの各図形。これらは方向の錯視を伴うものとして一括される。 (2) 分割距離錯視,すなわち,長さや広がりが数個に分割される際に,それらが過大視される図形。 (3) ある大きさの図形が,その近傍あるいは周囲におかれた別の図形の大小によって,過小視,あるいは過大視されるもの。これ以外に,垂直な線分と水平な線分との間に起る垂直線過大視現象や,ジャストロー,ザンダー,ポンゾ,デルブーフなどの各錯視図形が知られている。





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ミュラー=リヤーの図形
ミュラー=リヤーの図形

ミュラー=リヤーのずけい
Mller-Lyer figure

  

幾何学的錯視図形の一種。 1889年 F.ミュラー=リヤーにより考案された。長さの等しい2本の直線のうち,外向きの矢羽根のついた直線は,見かけ上,客観的な長さよりも長く見え,内向きの矢羽根のついた直線は短く見える錯覚を生じるというもの。





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聴空間
聴空間

ちょうくうかん
auditory space

  

聴覚を通して行われる方向や距離などの弁別,認知 (すなわち,音定位) に基づいて成立した空間。空間知覚に対する聴覚の役割は,視覚健常者においては視覚ほど大きくないが,先天的な視覚障害者の場合には,健常者には聞えない小さな音でも知覚できるくらい聴空間の範囲が広く,より緻密になる。





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触空間
触空間

しょくくうかん
tactual space

  

視覚と聴覚を伴わない体性感覚だけの働きによって生じる行動空間。自己の身体皮膚面上で,物体の触れた位置,広がり,方向などを知覚する受動的側面と,自己の身体を離れた外界の状況,すなわち環境事物の大きさ,形状,位置,方向などを知覚する側面とから成る。後者はさらに両手に包まれる狭い触空間,両腕をいっぱいに動かして触知しうる,より広い触空間,全身の移動を必要とする身のまわりの空間とに分けられる。





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時間知覚
時間知覚

じかんちかく
time perception

  

時間の経過あるいは時間の長さを,物理的な計測手段によらずに,主観的に把握すること。直接知覚しうる時間の長さは,通常,数秒以内の,いわゆる心理的現在 (主観的に現在に属すると感じられる時間) の範囲内に限られており,この範囲をこえる時間は,評価あるいは判断することによって初めて,その経過や長さがとらえられる。





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感覚
感覚

かんかく
sensation

  

一般的には,刺激受容器の活動とそれに続く皮質感覚領までの神経活動に密接に依存していると想定される意識経験。個々の感覚領域としては,受容器の相違に応じて,視覚,聴覚,触覚,味覚,嗅覚,圧覚,痛覚,冷覚,温覚,運動感覚,平衡感覚,内部感覚などが区別される。古くは,感情的な体験を意味するものとして用いられていたが,W.ブント以来,意識経験の知的要素をさすものとして用いられるようになった。ブントに続く構成主義心理学の感覚の概念は,ゲシュタルト学派によって批判されたが,現在でも感覚に関する定義は必ずしも確定しているとはいえない。ブントや E.B.ティチェナーの立場では,感覚と知覚とは概念のうえで明確に区別されていたが,ゲシュタルト学派の批判によれば,両者の間に本質的な差はなく,局限化された条件下で現れてくる知覚体験,ないしは種々の具体的,総体的な意識内容を捨象した素材的,分析的な知覚体験を感覚とみなすことが多い。





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感覚
かんかく sensation

感覚器官に加えられる外的および内的刺激によって引き起こされる意識現象のこと。
【哲学における感覚】
 仏教用語としては古くから眼識,耳識,鼻識,舌識,身識(これらを生じさせる五つの器官を五根と称する)などの語が用いられたが,それらを総称する感覚という言葉は sensation の訳語として《慶応再版英和対訳辞書》に初めて見える。日常語としては坪内逍遥《当世書生気質》などに定着した用法が見られ,また西田幾多郎《善の研究》では知覚と並んで哲学用語としての位置を与えられている。
 哲学史上では,エンペドクレスが感覚は外物から流出した微粒子が感覚器官の小孔から入って生ずるとしたのが知られる。それに対しアリストテレスは〈感覚能力〉を〈栄養能力〉と〈思考能力〉の間にある魂の能力の一つととらえ,それを〈事物の形相をその質料を捨象して受容する能力〉と考えた。一般にギリシア哲学では,感覚と知覚との区別はいまだ分明ではない。感覚が認識論の中で主題的に考察されるようになったのは,近世以降のことである。デカルトが方法的懐疑の途上で,感覚に由来する知識を人を欺きやすいものとして真っ先に退けたように,大陸合理論においては一般に感覚の認識上の役割は著しく軽視されている。カントにおいては,感覚は対象によって触発されて表象能力に生じた結果を意味するが,〈直観のない概念は空虚であり,概念のない直観は盲目である〉の一句に見られるように,彼は感性的直観と概念的思考の双方を重視した。他方イギリス経験論においては,感覚はあらゆる認識の究極の源泉として尊重され,その思想は〈感覚の中にあらかじめないものは知性の中にはない〉という原則に要約されている。ロックによればわれわれの心は白紙(タブラ・ラサ tabula rasa)のようなものであり,そこに感覚および内省の作用によってさまざまな観念がかき込まれる。ここで感覚とは,感覚器官が外界の可感的事物から触発されることを通じて心に伝えるさまざまな情報のことである。また感覚の要素的性格は,〈単純観念〉がいっさいの知識の材料であるとする考えの中に表現されている。ロックの思想はバークリーおよびD. ヒュームによって受け継がれ,さらに19世紀の後半マッハを中心とする〈感覚主義〉の主張中にその後継者を見いだす。マッハは伝統的な物心二元論を排し,物理的でも心理的でもない中性的な〈感覚要素〉が世界を構成する究極の単位であると考えた。その思想は論理実証主義によって展開され,〈感覚与件理論〉として英米圏の哲学に浸透した。〈感覚与件 sense‐datum〉の語はアメリカの哲学者 J. ロイスに由来し,いっさいの解釈や判断を排した瞬時的な直接経験を意味する。代表的な論者には B. A. W. ラッセルおよび G. E. ムーアがおり,そのテーゼは事物に関する命題はすべて感覚与件に関する命題に還元可能である,と要約される。マッハに始まるこれら現代経験論の思想は,要素心理学や連合心理学の知見,およびそれらの基礎にある恒常仮定(刺激と感覚との間の1対1対応を主張する)とも合致するため,19世紀後半から20世紀初頭にかけて大きな影響力をもった。
 しかし20世紀に入ってドイツにゲシュタルト心理学が興り,ブントに代表される感覚に関する要素主義(原子論)を批判して,われわれの経験は要素的感覚の総和には還元できない有機的全体構造をもつことを明らかにした。メルロー・ポンティはゲシュタルト心理学を基礎に知覚の現象学的分析を行い,要素的経験ではなく〈地の上の図〉として一まとまりの意味を担った知覚こそがわれわれの経験の最も基本的な単位であることを提唱し,要素主義や連合主義を退けた。また後期のウィトゲンシュタインは,言語分析を通じて視覚経験の中にある〈として見る seeing as〉という解釈的契機を重視し,視覚経験を要素的感覚のモザイクとして説明する感覚与件理論の虚構性を批判した。このように現代哲学においては,合理論と経験論とを問わず,純粋な感覚なるものは分析のつごう上抽象された仮説的存在にすぎないとし,意味をもった知覚こそ経験の直接所与であると考える方向が有力である。いわば認識の構造を無意味な感覚と純粋の思考という両極から説明するのではなく,両者の接点である知覚の中に認識の豊饒(ほうじよう)な基盤を見いだそうとしているといえよう。日本では近年,中村雄二郎が個々の特殊感覚を統合する〈共通感覚〉の復権を説いて話題を呼んだ。⇒意識∥感覚論∥知覚       野家 啓一
【感覚の生理】
 われわれの体には,内部環境や外部環境の変化を検出するための装置がある。この装置を受容器という。受容器を備えて特別に分化した器官が感覚器官である。内・外環境の変化が十分大きいと,受容器は反応し,次いでそれに接続した求心神経繊維に活動電位が発生するが,これを神経インパルスあるいは単にインパルスという。求心繊維を通るインパルスは脊髄あるいは脳幹を上行し,大脳皮質の感覚野に到達する。普通,生理学的には,感覚は〈感覚野の興奮の結果生ずる,直接的・即時的意識経験〉と定義される。これらのいくつかの感覚が組み合わされ,ある程度過去の経験や記憶と照合され,行動的意味が加味されるとき知覚が成立する。さらに判断や推理が加わって刺激が具体的意味のあるものとして把握されるとき認知という。例えば,われわれが本に触れたとき,何かにさわったなと意識するのが感覚であり,その表面がすべすべしているとか,かたいとかいった性質を感じ分ける働きが知覚であり,さらにそれが,四角なもので,分厚く,手に持てるといった性質や過去の同種の経験と照合して本であると認知されるのである。受容器から出発して感覚野に至るインパルスの通る経路を感覚の伝導路という。受容器,伝導路および感覚野によって一つの感覚系が構成される。環境の中のいろいろな要因のうち,受容器に反応を引き起こすものを感覚刺激といい,特定の受容器に最も効率よく反応を引き起こす感覚刺激をその受容器の適当刺激 adequate stimulus という。例えば眼(感覚器官)の光受容器は,電磁波のうち,400~700nmの波長帯域すなわち光にのみ反応する。このことから受容器は多数の可能な感覚刺激の中から特定のものを選び分けて,その情報をインパルス系列にコード化し,中枢神経系に送る一種のフィルターとして働くとも考えることができる。大脳皮質に達した神経インパルスは,ここで処理され,その情報内容が分析され,さらにいろいろな受容器からの情報と組み合わされて,総合的情報が形成され,それが感覚野の興奮に連なるのである。
[感覚の種類]  受容器を適当刺激の種類により分類すると表1のようになる。またシェリントンCharles Scott Sherrington(1857‐1952)は,受容器と刺激の関係から受容器を外部受容器exteroceptor(体外からの刺激に反応する受容器)と内部受容器 interoceptor(身体内部からの刺激に反応する)とに分けた(1926)。前者は,さらに遠隔受容器 teleceptor(身体より遠く離れたところから発せられる刺激に反応するもの,視覚,聴覚,嗅覚の受容器)と接触受容器 tangoceptor(味覚や皮膚粘膜にある受容器)に,後者は固有受容器proprioceptor(筋肉,腱関節,迷路などの身体の位置や,四肢の運動の受容器)と内臓受容器visceroceptor(内臓にある受容器)に分けた。このような受容器の相違に基づき感覚は種 modalityに類別される。古くから五感といわれた視覚,聴覚,触覚,味覚,嗅覚のみならず,平衡感覚,温覚,冷覚,振動感覚,痛覚なども種である。さらに同じ感覚種内でも個々の受容器の特性の違いから起こる感覚の内容の違いを質 quality という(表1)。例えば視覚では,受容器として杆(状)体,錐(状)体の2種類がある。杆体の働きにより明・暗の感覚が,錐体の興奮により赤,黄,緑,青といった色づきの感覚が生ずる。これらを質というのである。表2に臨床的感覚の分類を示す。視覚や聴覚のように受容器から大脳皮質まで判然とした形態学的実体をもったものと,そうでないものという観点から,前者を特殊感覚,後者を体性―内臓感覚とするものである。
[感覚の生理学的研究方法]  感覚の生理学的研究方法には,主観的方法と客観的方法とがある。主観的方法では刺激とそれによって引き起こされる被検者の感覚の大きさを被検者自身が評価するもので,精神物理学的方法ともいわれる。客観的方法は主として神経生理学的方法によるもので,例えば微小電極をしかるべき感覚系の特定の部位に刺入し,個々のニューロンのインパルス反応を記録することにより,感覚の神経機序を研究対象とする。最近では,行動科学的手法による感覚の研究も行われている。これはオペラント条件づけの方法を用いて,感覚刺激とそれによって引き起こされる行動の変化を観察,計測するものである。例えば視覚でよく知られている暗順応の時間経過をハトを使って行った実験が有名である。ハトに,刺激光を見たときに A のキーをつっつき,刺激光が見えないとき B のキーをつっつくようオペラント条件づけの方法で学習させる。ハトを明るいところから暗いスキナー箱に入れ,目の刺激光を点灯する。ハトは刺激光が見えるので A をつっつく。すると刺激光はしだいに暗くなっていき,ハトは見えなくなるまで A をつっつく。刺激光が見えなくなってはじめてハトは B をつっつき,見えるまで B をつっつき続ける。ハトは A とB のキーを操作することによって刺激閾(いき)を決定するわけである。このようにして時間的に刺激閾が低下する,いわゆる暗順応曲線がハト自身の行動によって描かれるのである。
[感覚の受容機構]  受容器(具体的に細胞を指すときは受容器細胞または感覚細胞という)はそれ自身がニューロンであって,軸索が第一次求心繊維として働くものと,それ自身は上皮細胞に由来する非ニューロン性細胞で,これに感覚ニューロンがシナプス結合しているものとある。前者を一次感覚細胞(例,嗅細胞),後者を二次感覚細胞(例,内耳の有毛細胞)という。
 感覚の受容機構を甲殻類の伸張受容器を例にして簡単に説明しよう(図1)。この受容器細胞は大型の神経細胞で筋繊維の近くに存在する。細胞体からでる樹状突起 dendrite が筋繊維の表面にくっついており,筋繊維が伸ばされると,樹状突起も引っ張られ変形を受ける。このとき細胞の膜電位は脱分極を示す。この脱分極の大きさは伸長が大きくなればなるほど大きくなるという性質をもつ(この性質をもつ反応を段階反応 gradedresponse という)。脱分極がある一定の大きさを超えると,このニューロンの軸索に全か無かの法則によってインパルスが発生し,軸索を中枢に向かって伝わる。インパルスの頻度は受容器電位の振幅と直線関係をもつ。内耳の有毛細胞では,機械的刺激によって毛が屈曲するとき膜電位が変化するが,動毛側への屈曲で脱分極,不動毛側への屈曲で過分極が生ずる。脱分極性の受容器電位の場合には,有毛細胞からその振幅に相応した量の化学伝達物質がシナプス間隙(かんげき)に放出され,この伝達物質の作用を受けて求心繊維の終末が脱分極する。このシナプス後電位の大きさが十分大きいとき,求心繊維にインパルスが生ずる。一次感覚ニューロンでみた受容器電位は,直接インパルスを発生させる原因になるところから起動電位 generator potential ともいわれる。一次求心繊維の放電頻度の時間経過をみると,一定の大きさの刺激を持続的に与えているにもかかわらず,しだいに低下してくる。この現象を順応 adaptation という。これに相当する現象はすでに受容器電位(または起動電位)にも起こっていることが確かめられている(図2)。順応の速い受容器を速順応性 quickly adapting(略して QA),遅いものを遅順応性 slowly adapting(略して SA)という。感覚にみられる順応現象がすでに受容器で起こっていることを示すものである(もちろん,感覚の順応には受容器の順応のみでは説明できない部分がある)。
[感覚の基本的特性]  個々の感覚はいくつかの基本的特性(属性)によって規定される。質,強さ(大きさともいう),広がり(面積作用)および持続(作用時間)の四つが主要なものである。
(1)感覚の大きさ 一つの感覚系について,感覚刺激の強さを十分弱いところからしだいに増していくと,やっと感覚の生ずる強さに達する。感覚が生ずる最小の刺激の強さを,その感覚の刺激閾(絶対閾)という。またある強さ I と I+ぼI が識別できる最小の強さの差 ぼI を強さに関する識別閾という。この場合,ぼI/I の比を相対刺激閾という。この比がそれぞれの感覚について,ある刺激の強さの範囲内でほぼ一定であることが E. H. ウェーバーによって見いだされた。この比をウェーバー比 Weber ratio という。この比の値はだいたい次のようである。光の強さ1/62,手で持った重さ1/53,音の強さ1/11,塩の味1/5。絶対閾は,光覚で10-8μW,音の強さ10-10μW/cm2(このとき鼓膜を10-9cm足らず動かすにすぎない)などである。感覚の大きさと,刺激の強さの関係を示す式として,ウェーバー=フェヒナーの式とスティーブンス S. S. Stevens が提唱したスティーブンスのべき関数が知られている。感覚の大きさを R,刺激の強さを I,刺激閾を I0とすると,
 R=KlogI+C (ウェーバー=フェヒナーの式)
 R=K(I-I0)n (スティーブンスのべき関数)
ともに K と C は定数である。スティーブンスのべき指数 n の値は暗順応眼の点光源の明るさについては0.5,砂糖の甘味1.3,腕の冷覚1.0,圧覚1.1などである。中耳の手術の際に鼓索神経からインパルスを記録し,味覚刺激の濃度とインパルス頻度の関係を求めたところ,主観的計測で求められたのと同じ n の値をもつべき関数が得られた。感覚神経から記録されるインパルスについては,〈刺激の強さが増すにつれてインパルス頻度が増し,また放電活動する繊維の数も増す〉ことが知られている。これをエードリアンの法則 Adrian’slaw という。
(2)感覚の空間的特性 感覚は大脳皮質感覚野の興奮に起因する現象であるが,このときわれわれは感覚刺激が外界の,あるいは身体の一定の場所に与えられたものと判断する。これを感覚の投射 projection という。感覚のこの性質によって刺激の位置および部位を定めることができる。この性質は,受容器の存在する受容面と感覚野との間に整然とした場所対場所の結合関係が存在するからである。このことを感覚野に部位再現topographic representation(皮膚感覚の場合には体部位再現 somatotopy,視覚の場合には視野再現 visuotopy または網膜部位再現retinotopy)があるという。ある強さの刺激が感覚を起こすためには,ある広さ以上の面積を刺激する必要がある。この面積を面積閾といい,ある面積以内では刺激の強さ I と面積閾 A との間に I×A=一定の関係が成り立つ(これをリッコーの法則 Ricco’s law という)。同一種の刺激を二つの異なった2点に与えた場合,2点を分離して感ずることができる。しかし2点間の距離を小さくしていくと,ついには2点を2点として区別できなくなる。弁別しうる2点間の最小の距離を二点弁別閾または空間閾という。
(3)感覚の時間的特性 刺激が感覚を起こすのには,ある一定時間以上受容器に作用しなければいけない。この最小作用時間を時間閾という。例えば光の感覚では,光の強さ I と時間閾 T との間には,ある時間範囲内において I×T=一定の関係が成り立つ。これは光化学反応におけるブンゼン=ロスコーの法則に相当するものである。閾上の感覚刺激を与えても,その強さに相当する大きさの感覚が生ずるまでには,ある時間の経過が必要である。すなわち感覚はしだいに増大(漸増という)する。また刺激を止めたときも,もとの状態に復帰するまで感覚は漸減する。刺激を止めた後に残る感覚が残感覚 aftersensation で,その性質が初めの感覚と同じ場合,陽性残感覚,反対のとき陰性残感覚という。同じ刺激を反復して与えるとき,その周期が十分短いとき,個々の感覚は融合して,ある一定の大きさの連続した感覚となる。例えば点滅する光を見たとき,その点滅の周期が十分短いと,もはや点滅の感覚はなく,連続した一様な明るさの光として感じられる。この現象の起こる最小の点滅頻度を臨界融合頻度 criticalfusion frequency(略して CFF)という。
(4)感覚の感受性の変化 同じ刺激を続けて同じ受容器に与えているとき,感覚の大きさは順応によってしだいに低下していく。触覚は順応の速い感覚である。身体を動かさない限り,着衣の感覚が失われるのはこの性質による。このほか,感覚にみられる特殊な現象に対比 contrast といわれる現象がある。例えば一定の明るさの灰白色の小さい紙面の感覚的明るさは,その紙を黒い大きな紙の上に置くときより明るく(白く)見えるし,もっと白い紙の上に置くときは暗く見える。この現象を同時または空間対比 simultaneous or spatialcontrast という。灰白色の紙が大きいときは,黒い紙と接する部分が中央の部分よりより白く見えるし,また白い紙と接する場合はより黒く見える。この現象を辺縁対比 border contrast という。また,白い紙を見て次に黒い紙を見ると黒い紙はいっそう黒く見え,黒い紙を見て次に白い紙を見ると白い紙はいっそう白く見える。この現象は継時または時間対比 successive or temporal contrastといわれる。
[感覚系ニューロンの受容野]  微小電極を感覚系のいろいろな部位に刺入して,ニューロンの活動を記録するという方法(微小電極法)の導入により,神経系が感覚情報を符号化(コード化)する機構についての研究がひじょうに進歩した。研究成果のなかで最も重要な発見は受容野ということである。例を視覚にとろう。1本の視神経繊維からインパルスを記録する。繊維により光で網膜を照射すると,インパルス頻度が増すものと,逆に減り,光を消したとき増すもの,および照射の開始と終了時に一過性に頻度を増すものがある。第1のような反応を ON 反応,次のものを OFF 反応,最後のものを ON‐OFF 反応という。照射面積を直径100μmくらいに小さくすると,網膜の特定の範囲を照射したときのみしか反応しない。この範囲はほぼ直径1mmくらいである。このように一個の感覚系ニューロンの放電に影響を与える末梢受容器の占める領域を,そのニューロンの受容野 receptive field という。ネコやサルの視神経繊維(または網膜神経節細胞)の受容野は,ON 領域と OFF 領域が同心円状に配列した構造をしている。中心部が ON 領域でそれを取り巻く領域がOFF 領域である受容野を ON 中心 OFF 周辺型,これと逆の配列をしているものを OFF 中心ON 周辺型という。一般に受容野の中心部と周辺部とは互いにその作用を打ち消し合うように働くため,受容野全体を覆う光刺激に対しては反応は弱く,中心部のみを照射するときは最も強い反応が得られる。このような中心部と周辺部の拮抗作用は網膜の神経網内に側抑制または周辺抑制の機構が存在することによるもので,辺縁対比の神経機構と考えられる。視覚系では脳幹の中継核である外側膝状体のニューロンの受容野も視神経繊維のものと本質的には同じものであるが,大脳皮質の第一次視覚野ではニューロンの受容野の性質は一変する。すなわち,視覚野ニューロンの受容野は一般に方形状で,長軸方向に伸びた細長い ON 領域と OFF 領域から構成されている。したがって受容野全体を覆う光に対しては,皮質ニューロンはまったく反応しない。細長い ON 領域のみを覆う線状の光に対して最大の反応を示す。つまり,このような受容野をもつ皮質ニューロンは,受容野の軸の方位に一致し,受容野のON 領域のみを覆うスリット状の光に選択的に反応するという特性をもっているということができる。このような方位選択性が皮質ニューロンに共通にみられる性質である。皮質ニューロンの受容野は,ON 領域と OFF 領域がはっきりわかるもの(単純型)ばかりでなく,これらの領域がはっきりしない複雑型,さらに受容野の両端に抑制帯がある超複雑型が区別される。いずれにしても皮質ニューロンは,自分の受容野の性質に従って,特定の条件に合う刺激を選択する性質をもっている(これを特徴抽出機能という)。視覚野が行ったこのような分析結果は,さらに高位の皮質中枢(連合野)に転送され,視覚情報の異なった側面についての分析と統合が異なった部位でなされている(分業体制)らしいことが,最近の研究により明らかになりつつある。サルの上側頭溝にある皮質ではヒトやサルの顔に特異的に反応するニューロンのあることが報告されており,また19野の一部では特定の色に選択的に反応するニューロンのあることが報告されている。他の感覚についても,皮質の感覚野では感覚刺激の特徴抽出を行うニューロンのあることが報告されている。オペラント条件づけの方法と微小電極法を駆使することにより,最近は感覚よりはむしろ知覚についての神経機構を解明すべく努力がなされている。⇒神経系
                        小川 哲朗
【感覚器官 sensory organ】
 体の外部または内部から与えられた刺激を受容して興奮し,その興奮を中枢神経系側(求心側)に伝える器官を感覚器官という。一般に多数の受容器の集合よりなる。感覚器官は,適当刺激を選択したり,刺激を効率よく感覚細胞に伝えるのにつごうがよい構造をしていたり,そのための付属装置をもつ。例えば目のレンズや虹彩,耳の鼓膜や耳小骨などがこれに相当する。単純に見える昆虫の感覚子でも,クチクラ装置は,受容される刺激の種類によりひじょうに異なる。例えば嗅感覚子ではにおい分子がクチクラを通過するための嗅孔が数多くクチクラ壁に見られるが,味感覚子では味溶液は通常一つの味孔により感覚細胞の受容部と接触している。
 感覚器の刺激受容部には,一般に感覚細胞と支持細胞が見られるが,ときには感覚細胞の興奮を求心側に伝えていく二次神経細胞や三次神経細胞が存在することもある。また,脊椎動物の味蕾(みらい)や嗅上皮のように,将来,感覚細胞に分化する基底細胞があることもある。
 感覚器官は,感覚の種類によって視覚器,聴覚器,味覚器,嗅覚器,平衡器,圧覚器,触覚器,痛覚器,温覚器,冷覚器,自己受容器などと呼ばれることもあるが,感覚器官が受容できる適当刺激によって分類されることもある。適当刺激により分類すると光感覚器,機械感覚器,化学感覚器,温度感覚器,湿度感覚器,電気感覚器などに分類できるが,さらに細分された場合には,例えば振動感覚器などと呼ばれることもある。適当刺激による感覚器の分類は,とくに,ヒトには見られず動物に特有な感覚器,例えば電気感覚器や赤外線感覚器,あるいは水生無脊椎動物の化学感覚器などを扱うときにつごうがよい。動物には磁気感覚をもつものもあると報告されているが,磁気感覚器は見つかっていない。また,感覚器官には,検知する対象が体から離れた遠い所にある遠隔感覚器と体表に接して起こる事象に関する接触感覚器の区別もある。前者には視覚器,聴覚器,嗅覚器などが含まれ,後者には皮膚感覚器や味覚器が含まれる。
 感覚器官の活動を知る指標として,感覚器官全体の電気的活動が用いられることがある。例えば網膜電図は目を光刺激したときに網膜に発生する電位変化を記録したもので,光刺激により最初に現れる電位変化は,脊椎動物では角膜側が負,無脊椎動物では正の波として現れ,感覚細胞の受容器電位の集合と考えられている。嗅粘膜をにおいで刺激したときに発生する電位を記録したものは嗅電図,昆虫の触角をにおいで刺激したときに発生する電位を記録したものは触角電図と呼び,においの有効性の検知などのために使われる。しかし,これらの電位変化は多くの種類の細胞の活動の集合であるので,感覚器官内の特定の細胞の活動を調べるためには微小電極法などの別の手段による観察が必要となる。
                        立田 栄光

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E.B.ティチェナー
ティチェナー

ティチェナー
Titchener,Edward Bradford

[生] 1867.6.11. サセックス,チチェスター
[没] 1927.8.3. ニューヨーク,イサカ

  

イギリス,アメリカの心理学者。 1890年オックスフォード大学卒業。 W.ブントに師事したのち,母校に戻り講師を経て,95年コーネル大学教授となる。実験心理学を発展させた構成心理学派の代表者。主著『実験心理学』 Experimental Psychology (4巻,1901~05) ,『体系的心理学』 Systematic Psychology (29) 。





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音声スペクトログラフ
音声スペクトログラフ

おんせいスペクトログラフ
sound spectrograph

  

ソナグラフともいう。音響,特に人間の声を目に見える形に記録して分析をする装置。まず音声を回転円板に磁気録音する。次にそれを繰返し再生しつつ帯域フィルタなどを用いて波形を周波数分析し,その周波数スペクトルの時間的変化を記録紙上に記録する。得られた記録をスペクトログラム (ソナグラム) といい,音声のいろいろな特徴が図形的に表示されている。特にフォルマントの構造やその変移,声の高さの変化などを知るのに使われる。フォルマントの濃淡模様はビジブルスピーチともいう。人間の声の分析や矯正に用いられるほかに,時間的に急激な変化をする振動の分析などにも使われる。なお,ソナグラフは元来商標名であるが,普通名詞として使われることがある。





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ソナグラフ
Sonagraph

音の構成(どのような周波数の音がいかなる強さを含むか)が時間とともにどのように変化するかを記録する装置。第2次世界大戦中に開発された音響分析器械で,発話における言語音声(音声学)のように,短い時間に次々にその構成要素が変わっていく音を分析するのには便利な装置である。正式には音声スペクトログラフ soundspectrograph,また通称単にスペクトログラフとも称し,これによって得られる図形をスペクトログラム spectrogram というが,しばしばその商品名であるソナグラフの名で呼ばれ,その図示をソナグラム sonagram という。
 図1は母音[a]のソナグラムを示している。ここでは横軸が周波数を,縦軸が音の強度を表示するデシベルdBの単位を表している。音波の性質は波の高さ(振幅)と単位時間内に生じる波の数(周波数)により決まる。振幅が大きく周波数が多くなるほど音は大きく聞こえ,それだけに費やすエネルギーつまり音の強さも大となる。こうした異なる音の相対的強さを表す単位がデシベルで1dBの違いは人間の耳で聞き分けられる強さの違いに相当する。そして20dBでは強さは100倍となる。いま帯域フィルターをかけて強さが強ければ濃く,弱ければ薄く記録するように仕掛けておくと図2のような英語の二重母音[a㏍]の音声ソナグラムができる。ここでは縦軸が周波数を,横軸が時間を示している。図面に4本の横縞が浮き出ているが,これらはそれぞれの周波数で示された付近にその音の特徴をなす強さ,すなわち高い振幅が生じていることを意味する。下から第1,第2,第3,第4フォルマントと名づけられ,重要なのは第1フォルマント(F1)と第2フォルマント(F2)である。前半の[a]では,710Hzと1100Hzあたりに,後半の[㏍]では,400Hzと1900Hzにフォルマントが位置している。そして100ミリセカンド msec(1秒の1000分の1)あたりから2本のフォルマントが離れていく。つまりこのようにして舌の移動するようすが図表の上でとらえられるのである。なお細い縦線は声帯振動により音声が細かく区切られていることを表す。声道には舌の盛上りにより舌の前部と後部に二つの共鳴室ができる。[㏍]では前の共鳴室が小さく後の共鳴室が大となるため,F1は低い周波数に F2は高い周波数に現れる。[a]では逆に前の共鳴室が大で後の共鳴室が小となるため,F1は高い周波数に F2は低い周波数に現れる。すなわち[㏍]では F1と F2の間隔がひらき,[a]ではせばまる結果となる。このように F1と F2は舌の前と後の共鳴室から生じる共鳴音の大小に反応している。
 いまやソナグラフは単に言語音声を音響的に分析するためのものではなく,ソナグラフの原理を逆転させることにより,ソナグラムに印された図形を読み取って音声に変えることもできる。ソナグラムにフォルマントを記入することにより合成音(音声合成)を作成することが可能となっているし,コンピューターにソナグラフを結合させて言語音声を識別させたり発音させたりする研究も進んでいる。                       小泉 保

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ビジブルスピーチ
ビジブルスピーチ

ビジブルスピーチ
visible speech

  

(1) 音声記号の一方式。視話 (法) ともいう。調音の位置や様式を象徴する新しい記号を字母的に用いる。 A.ベルがその著"Visible Speech" (1867) で説いたのが有名。 H.スウィートはそれを改良して「器官的記号」 organic notationと名づけた。 (2) 音声スペクトログラフによって音声を目に見えるように記録する方式。聾唖教育などに役立たせる目的でアメリカで開発されたが,むしろ音声学の研究に役立っている。





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音声記号
音声記号

おんせいきごう
phonetic sign

  

言語音を音声学的に表記するための記号。発音記号などともいう。言語音の記述や研究のため,また教育や学習のために用いられる。その記号としての性格から大きく3種類に分けられる。 (1) 単音を主としてローマ字ないしロシア文字で表わすもの。原則として1単音を1字母で表わすので音声字母ともいう。国際音声字母に代表され,最も普通に用いられている。 (2) 単音を従来の文字とは異なる新しい記号で字母的に表わすもの。 A.ベルのビジブルスピーチや,H.スウィートの器官的記号などがある。 (3) 単音を発する際の音声器官の働きを,いくつもの記号を用いて分析的に表わすもの。 O.イェスペルセンの非字母的記号や K.L.パイクの機能的非字母的記号などがある。





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音声記号
おんせいきごう

言語音声を表す記号。発音符号,発音記号,音標文字ともいう。ある調音活動によって発せられる音声の最小単位を単音 phone と呼び,この単音を表すのが音声記号である。この場合二つの方式がある。代表的単音に一つの記号を割り当てる字母的表記と,単音をその調音の要素に分解して表す非字母的表記に大別できる。
[字母的表記]  字母的表記では国際音声学協会の定めた国際音声字母 InternationalPhonetic Alphabet(略して IPA)がもっとも広く用いられている。これは世界中の諸言語の音声を統一された規格で表記することと,外国語の習得に役立つことを目的としている。表の国際音声字母表では,調音の方法を示す縦の区分と調音の位置を示す横の区分とが交差した枠の中に,音価を表す音声記号が配置されている。IPA はフランスの音声学者 P. パシーが設立した国際音声学協会において1888年に採択されたもので,その後少しずつ修正が加えられてきた。記号はラテン文字を主体とし,これにギリシア文字などで補足されている。これら記号に音の強さ,高さ,長さを表す符号を付したものを簡略表記broad transcription とし,さらに他の補助記号を添えて音声の細かい違いを表したものを精密表記 narrow transcription という。後者は言語学の専門的研究のために使用される。例えば,英語の eighth〈第8〉は,簡略表記ならば[eitド]であるが,精密表記になると[eポマド]と,[t]音が歯音[ド]に引き寄せられて歯の裏で調音されるため歯音化の補助記号勸がつけられ,母音[i]より低めの変種[ポ]が用いられている。なお,アメリカやヨーロッパの言語学会では,特定の言語の音声を表記するため別種の音声記号を使用することがある。アメリカの言語学関係者は有声摩擦音[ミ]を[ム]で,無声硬口蓋歯茎摩擦音[イ]を[$]で表している。またロシアではロシア文字が利用され,[p]を[п],[b]を[б]としるしている。
 このほかに特別な記号を字母的に用いたものに H. スウィートの器官的記号がある。彼は前舌高母音[i]に キ,中母音[e]に メ,低母音に モ の記号をあて,閉鎖音[p]を勹,[t]を匆,[k]を匈と表している。さらに高めを甸,低めを匍,後よりを匐のような補助記号で指示している。例えば,英語のtake[teik]〈とる〉は,匆メキ匍匈と表記される。これにより音声の多様な変種を細かく表すことはできるが,印刷にも手がかかるし,記憶するのも容易でない。
[非字母的表記]  音声の分析的表記としては次の3種がある。
(1)非字母的記号 デンマークの音声学者 O. イェスペルセンはある音声を発する場合に見られるすべての発音器官の動きを記述しようとしている。彼は上顎に付着する上位調音器官にラテン文字を振り当て,b で上唇,d で上歯の先,f で歯茎を表し,下顎に付着する下位器官にはギリシア文字を用い,α で下唇,β で舌先,γ で舌面,δ で軟口蓋,ε で声帯を表すこととし,上位と下位の記号の間に数字をはさんで両者の接近の度合を示すことにしている。例えば,歯茎音の[t]は α”β0fγ”δ0ε3ζ+と表記される。これは,α(唇)は動かず(”),β(舌先)と f(歯茎)の間で0(閉鎖)が形成され,γ(舌面)は働かず(”),δ(軟口蓋)は咽頭壁に0(接触し)空気を鼻腔へ通さない,ε(声門)は3に開いて声帯は振動せず無声,ζ(肺)から+(呼気)が送られてくることを意味する。この非字母的記号は諸言語の類似した音声の違いを示すのに便利である。例えば,[s]音であるが,フランス語では舌先が前歯に触れるので β1ef,ドイツ語では少し後へずれて β1fe,英語では歯茎を用いて β1f のように比較できる。そこで,音声学の研究書はこの表記方式を部分的に用いているが,音声連続を表すのには適していない。
(2)機能的非字母記号 アメリカの音声学者K. パイクは,ある音声を調音するときの構えにおいて気流がどの器官にどのように作用するかを分析している。例えば,[t]音はMaIlDeCVveIcAPpaatdtltnransfsSiFSs と記述される。これは,発音源となる発出機構(M)が気流(a)であり,その起こし手(I)は肺(l)であること,気流の方向(D)は呼気(e)により,調節機構(C)としては弁的狭窄(V)すなわち軟口蓋(v)が上がって鼻腔通路を閉じ,食道通路(e)もふさがっていて口腔内に空気がこもる。気流をさえぎる度合(I)は完全閉鎖(c)で,重要調音(AP)としての調音点(p)は歯茎(a)で下位調音器官(a)は舌先(t)による。調音の程度(d)は長さが長く(tl),調音の様式(t)は尋常(n)であり,調音運動の相対的強さ(ra)も尋常(n)で,下位器官の形(s)は扁平(f)に伸びている(s)。単音(S)としては聞こえず(i),音節中における単音としての機能(FS)は音節形成的子音類(s)である。この方式は調音の機構を多角的に分析してはいるが煩雑に過ぎるきらいがある。
(3)生成音韻論では,単音を調音的音声特徴に分解し,各特徴の有(+)無(-)による行列式の形で表す方法がとられている。図1,図2にみる規準により,舌先を用いるものが[+舌頂的](+coronal),用いないものが[-舌頂的](-coronal)とされ,歯茎より前の器官を用いるものが[+前方的](+anterior),硬口蓋歯茎より後の器官を用いるものが[-前方的](-anterior)と区分される。母音では,前舌が[-後](-back),後舌が[+後](+back),そして高母音が[+高](+high),低母音が[+低](+low)の特徴をもつ。さらに母音的vocalic,子音的 consonantal,円唇 round,張りtense,こえ voice,鼻音 nasal の特徴が認められ,継続的 continuant の特徴が加えられる。継続的でない[-continuant]は閉鎖を行う音のことで,摩擦音や母音は[+continuant]に属する。以上の特徴をもつものを+,もたないものを-で表して一覧表を作れば図3のようになる。こうした音声表記が生成音韻論の分析に用いられている。要するに各音声は本来こうした音声特徴の集合であって,いずれかの特徴の+と-の違いにより音声は相互に区別できるはずである。したがって,音声はひとつの字母記号によって代表されるべきものではないとしている。⇒音韻論∥音声学
                         小泉 保

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H.スウィート
スウィート

スウィート
Sweet,Henry

[生] 1845.9.15. ロンドン
[没] 1912.4.30. オックスフォード

  

イギリスの言語学者。音声学と英語学の研究に従事し,科学的英語学の基礎を築いた。音声学の分野では大陸の諸学者とともに一般音声学の確立に努力した功績が大きく,言語音声の表記のために A.ベルのビジブルスピーチを改良した「器官的記号」 organic notationを考案する一方,ローマ字を基礎とする2種の記号 broad Romic (簡略ローマ字式) と narrow Romic (精密ローマ字式) とを考案した。それらは現在の国際音声字母の基礎となる一方,前者 broad Romicは現在の音韻表記のさきがけとなった。英語学の分野では特に古期英語の研究に専念し,多数の古期英語,中期英語の文献を編集した。主著に,『音声学便覧』 Handbook of Phonetics (1887) ,『音声学入門』A Primer of Phonetics (92) ,『英語の音声』 The Sounds of English (1908) など音声学の著作のほか,『古英語読本』 Anglo-Saxon Reader (1876) ,『新英文法』 New English Grammar (2巻,91~98) ,『言語史』 The History of Language (1900) などがある。





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スウィート 1845‐1912
Henry Sweet

イギリスの音声学者,英語学者,比較言語学者。19歳でドイツに留学,比較言語学の方法論を修め,後オックスフォード大学に学ぶ。天与の音声学的才能と洞察力により現代音声学の開拓者の役割を果たすとともに,古英語(アングロ・サクソン語)の研究に確実な基礎を与え,中・近代英語の研究とあいまって,英語史,とくにその初期に,近代音声学・言語学の角度から光を当てた。著書《音声学教本 A Handbook of Phonetics》(1877),《英語音声史 A History of English Sounds》(1874),《英語の音声 The Sounds of English》(1908)は音声学の名著である。彼の考案した〈簡略ローマ字音声表記法 Broad Romic〉は彼の音素観を反映している。《アングロ・サクソン語読本An Anglo‐Saxon Reader》(1876),《最古英語文献 The Oldest English Texts》(1885),《新英語文典 A New English Grammar》2巻(1892,98),《言語の歴史 The History of Language》(1900)等に彼の古英語,英語史,文法学の卓抜な学殖が示される。彼の学問が時代に先がけていたことや彼のかたくなな性格のゆえに,大学にはいれられず教授の職につくことなく世を去った。
                      大束 百合子

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フォルマント
フォルマント

フォルマント
formant

  

音響的にある音の音色を特徴づけ,音色の異なる他の音から区別させる周波数成分,またはその集り。音声などの各周波数帯における強さの分布として表わす。一般に有声音は,75~300サイクルの基本周波数 (基本音,基本波) と無数の高調波 (倍音) に分析されるが,声道の共鳴のために特定の成分だけが強められ,特有の言語音として聞える。音声スペクトログラフにかけるとその共鳴部分が濃い縞紋様として現れる。それを低いものから順に第1フォルマント,第2フォルマント…と呼ぶ。母音の聞き分けには特に第1,第2フォルマントが重要な役割を果している。なお,フォルマントは声のピッチ (高さ) とは独立に,それぞれの音 (特に母音) に一定しているものである。





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フォルマント
formant

声道(声門から上の咽頭,口腔,鼻腔を含む部分)内の空気の共鳴周波数に対応する倍音群。母音や鼻音,流音は舌や顎を移動させて声道の形を変えることにより独自の共鳴室をつくる。こうした共鳴室に応じて母音は三つの固有の倍音すなわちフォルマントをもつ。音声分析装置ソナグラフにより図示されたソナグラムには,周波数の縦軸に沿って3本の濃い線が現れる。これを下から第1,第2,第3フォルマントと呼ぶ。重要なのは第1フォルマント(F1)と第2フォルマント(F2)であって,これらが母音の音質を決定する。
 F1は〈イ,エ,ア〉と高くなり,〈ア,オ,ウ〉と低くなる。これは舌の位置が高くなるほど口蓋に近づいた舌の前の部分に形成される共鳴室が小さくなり,低くなるほど共鳴室が大になるからで,共鳴室が大きくなれば周波数は低くなり,共鳴室が小さくなれば周波数は高くなる。
 また,F2は〈イ,エ,ア,オ,ウ〉の順に低くなる。これは盛り上がった舌の後部に咽頭を含めて形成される共鳴室の大きさに対応している。⇒音声学[音響音声学]               小泉 保

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調音
調音

ちょうおん
articulation

  

構音ともいう。言語音声は,肺からの呼気に対し声門が働いて声や噪音を出し (これを「喉頭調音」ともいう) ,それに対して声門より上の音声器官 (これを「調音器官」という) が共鳴室の作用をして音色を変えたり,噪音を加えたりすることによって生じる。この調音器官の,音声を発する働きを調音という。[t]における歯裏や歯茎のように,調音の行われる個所を「調音点」,その範囲が広いときは「調音域」という。そこに働きかけをする舌先などを「調音者」という。その調音の仕方が破裂 (閉鎖) か摩擦かなどを「調音様式」という。その調音点がほとんど同時に2ヵ所にあるものを「二重調音」という。[ kw ]は軟口蓋での閉鎖と唇の丸めがある二重調音である。したがって kw →pの変化がよく起る (例: *kwo -「だれ,何」→ギリシア語 poos「どんな」) 。





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声門
声門

せいもん
glottis

  

喉頭部には言語音に欠くことのできない声帯があり,その声帯の間の通路を声門という。声帯は水平に前後に張られた左右一対のひだである。その両声帯間の通路を声帯声門という。声帯のうしろの部分には披裂軟骨があり,この軟骨間の通路を軟骨声門という。この2種の声門は独立に開閉して違った種類の音を出す。両方開いているのは「息」の状態,両方閉じているのは「声門閉鎖」の状態,軟骨声門だけが開いているのは「ささやき」の状態。軟骨声門が閉じ,声帯声門がかすかに開いており,そこを呼気が通り抜けるときに規則的に声帯が振動をするのが「声」の状態である。





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言語音
ささやき
ささやき

ささやき
whisper

  

声帯声門が閉じ,軟骨声門が開いている状態,およびそのような声門の状態で発せられる音をいう。「息」や「声」と対立する。一般にいう「ささやき声 (で話す) 」はこれと異なる。ささやき声で話すと,普通に話したときの「声」 (→有声音 ) だけが「ささやき」になるにすぎず,「息」 (→無声音 ) はそのままの状態を保つ。したがって「蚊[ka]がいる」と「蛾[a]がいる」は,ささやき声でも区別がつく。「ささやき (音) 」は,声がないという意味で,息の音とともに無声音の一種である。声門全体が左右からせばまるささやきもあり,これを「弱いささやき」として,先の「強いささやき」から区別することもある。





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無声音
無声音

むせいおん
voiceless sound

  

調音の持続部において声帯の振動を伴わない音。有声音の対。ただし声帯の振動を伴わなくても,声門はいろいろの形をとりうるので,普通の呼気の状態で出る「息の音」,および「ささやき音」,さらにはその中間などに分けられる。日本語 (東京方言など) では,パ行の[p],タ行の[t][t∫][ts],サ行の[s][∫],カ行の[k],ハ行の[h][][Φ]などで概略的に表記される音が無声音である。なお,普通有声の音が無声音として現れる現象を無声化といい,[。]で表わす。たとえば[ksa] (草) など。





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無声音
無声音 むせいおん 発音するとき声帯(→ 喉頭)の振動をともなわない音。日本語のカ行、サ行、タ行、ハ行の子音など。

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有声音
有声音

ゆうせいおん
voiced sound

  

調音の持続部において,同時に声帯の振動を伴う音。特に子音をさす。無声音の対。日本語 (東京方言など) ではバ行の[b],マ行の[m],ワ行の[w],ダ行の[d] (ダ,デ,ド) と[dz] (ヅ,ズ) ,[d] (ヂ,ジ) ,母音間のザ行に普通現れる[z]と[] (非母音間では[dz]と[d]) ,ナ行の[n]と[],ラ行の[r],ヤ行の[j],ガ行の[]と[]と概略的に表記される音,それと撥音のンにあたる各種の音,および無声化していない母音が有声音である。なお,持続部の前半ないし後半のみに声帯の振動を伴う音は「半有声音」といって,[。]で表わす。英語の[e] ([bed]とも書く) など。





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単音
単音

たんおん

  

音声学の対象とする音声の最小単位。調音器官が一定の位置をとっているか,一定の運動を繰返している瞬間に生じる音,および気流の通路のより広い位置からその位置へ,またその位置からより広い位置へわたる際に生じる音をいう。持続部のある単音を「持続音」という。「蚊」 (=[ka]) の2つの単音[k][a]はその例。また,「矢」 (=[ja]) の[j]のように,常に動いていて持続部の認められない単音もあり,「わたり音」という。すなわち,前後の単音とは関係ない独立の運動をしている際に出る音も単音である。ただし,音声の単位といっても,音声そのものは連続体なのであり,それを単位に切ること自体,音素を背景にしていることになる。したがって,両者は相互に該当し合う関係としてとらえるべき性格をもっている。なお,単音は,具体的な1回1回の発話のレベルでも,また,「日本語の単音[k]は…」のように社会習慣的音声のレベルでも用いられることがある。





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単音
たんおん phone

音声学的にみて言語音声を構成する最小の単位。[kami]〈紙〉は[k][a][m][i]という四つの単音に分解でき,それぞれが固有の調音的特徴をもつ。[k]では後舌が軟口蓋に接し,[a]では舌面が低く下がる。[m]では両唇が接合して軟口蓋が下がり空気は鼻へ抜ける。[i]では前舌の部分が硬口蓋へ向かって上がる。だが[katイi]〈価値〉の[tイ]であるが,舌端が歯茎後部に接し[t]の閉鎖を作り,これをゆるやかに開放すると硬口蓋歯茎摩擦音[イ]が生じる。この[tイ]は閉鎖音[t]と摩擦音[イ]が接合したものととらえれば二つの単位に分解できるが,閉鎖と開放を一つの調音活動と見なせば,閉鎖音[t]が[イ]の音として開放されることになり単一の単位[∴]と考えられる。このように単音の区分は必ずしも明確でない。生成音韻論では言語音声の流れの中でこれを構成する主要部分を分節音segment と呼び,発話の音の流れを分節音に分けることを分節 segmentation と称している。閉鎖音は,上顎に付着する上位器官と下顎に付着する下位器官が接触する〈閉鎖〉の段階と,この閉鎖がある時間続いて肺から出てくる空気をせき止める〈持続〉の段階,それに接触した上下の器官を引き離して破裂音を発する〈開放〉の段階から成る。開放をゆるやかに行って摩擦音を立てれば先の[tイ]のような破擦音になる。また開放の際に後続母音の調音において声帯振動をおくらせると,声帯が振動しない部分で気音が生じる。英語の cat[k’ずt]〈ネコ〉の[k’]音は気音[’]を伴い有気音(帯気音)と呼ばれる。この場合にも[k’]を変形された閉鎖音と見れば一つの単音と考えられる。また[kanjセビ]〈加入〉の[nj]であるが,歯茎鼻音[n]の後ろに硬口蓋半母音[j]が続くとすれば二つの単音に分析できる。しかしこれを硬口蓋鼻音[カ]と受け取れば一つの単位と見なされる。英語の二重母音に関して,eight[e㏍t]〈8〉では舌が前舌中母音[e]の位置から出発してわずかに低め高の[㏍]に向かって移っていく。これも一つの舌面の上昇運動と考えれば二つの単音に分割しにくい。以上の現象を音響面で調べれば,[tイ]ではスペクトログラム(ソナグラフ)に閉鎖の空白に続いて摩擦のかすれが現れる。有気[k’]音では閉鎖の空白の後にわずかに気音の乱れが見られる。二重母音[e㏍]では第1と第2フォルマントの開きが少しせばまっていく。日本人は[tイi]の[tイ]を一つの子音音素と感じている。一般に言語音声を構成する単音の数と音素の数は必ずしも一致しない。⇒音素
                         小泉 保

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言語学・ゲームの結末を求めて(その4) [宗教/哲学]


音響音声学
音響音声学

おんきょうおんせいがく
acoustic phonetics

  

言語音の物理的・音響的研究をする分野。言語音の伝達は,調音,それから出る音声波,そしてそれの知覚の3つに大きく分けられ,それぞれを研究する分野を調音音声学,音響音声学,聴覚音声学という。また,調音面とその他の2つに分け,音響音声学に聴覚面を含むこともある。音響の研究は,器械実験設備に依存するために調音の生理学的研究に比して遅れていたが,第2次世界大戦後音声スペクトログラフが開発され,コンピュータと結びついてフォルマントの研究を中心に急速に進展した。さらに自由に人工的に言語を合成してつくりだし,それを用いることにより知覚の研究が進められている。





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言語音
知覚
知覚

ちかく
perception

  

一般的には,感覚器官を通して,現存する外界の事物や事象,あるいはそれらの変化を把握すること。広くは,自分の身体の状態を感知することをも含める。把握する対象に応じて,運動知覚,奥行知覚,形の知覚,空間知覚,時間知覚などが区別されるが,いずれの場合にも事物や事象の異同弁別,識別,関係把握などの諸側面が含まれる。心理学では特に,感覚と区別して,現前している環境の事物,事象の総体をとらえることであるとする定義や,複雑な配置の刺激と過去経験,現在の態度とに基づいて成立する意識経験であるとする定義がある。また,感覚器と神経系の刺激の受容・伝達活動と,それによって解発される人間の動作または言語的反応との間に介在する意識経験で,過去経験や学習の結果を反映する一連の過程を媒介として成立するものとする定義もある。





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知覚
ちかく

〈知覚〉は,日本では古来,〈知り,さとる〉という意味の語であったが,西周が,アメリカ人ヘーブン Joseph Haven の著《Mental Philosophy》(1857,第2版1869)の邦訳《心理学》上・下巻(1875‐79)の中で,perception の訳語として使用して以来,哲学や心理学などで英語,フランス語の perception やドイツ語の Wahrnehmung の訳語として定着するに至った。perception という語は,〈完全に〉〈すっかり〉などの意を示す接頭辞per と,〈つかむ〉を意味するラテン語 capere とからなる語であり(ドイツの Wahrnehmung は,〈注意〉の意を有する wahr――英語の aware などに残っている――と,〈取る,解する〉を意味するnehmen とからなっている),たいていは五感によって〈気づく〉〈わかる〉ことを意味する。哲学や心理学でも,感覚を介する外的対象の把握が普通に〈知覚〉と呼ばれている。したがって,それは,純粋に知的な思考や推理とは区別されるが,また単なる感覚とも区別されるのが普通である。しかし,その場合問題になるのは,実はそうしたことのもつ認識論的価値であるから,その点をめぐって知覚についての議論もさまざまに分かれてくることになる。
 まず,知覚が刺激の単なる変容としての感覚から区別されるのは,知覚が対象についての認知を含むと考えられているからである。一方,知覚が感覚を媒介にした把握に限られるのは,知覚に対象との直接的接触が期待されているからである。その意味では,知覚は,対象との直接的接触による直観知への要求を反映した概念ともいえる。事実,われわれ自身の内的状態や意識そのものの把握が,いわゆる五感によるものではないにもかかわらず,ときに〈内部知覚〉などと呼ばれるのは,知覚のそうした理解にもとづいているわけである。そして知覚がそのような対象の直接知と解されるならば,それが知識の最も基礎的な源泉と考えられるようになるのも当然である。フッサールやメルロー・ポンティなどがその好例であって,フッサールによれば,知覚こそは対象自体を与えてくれる〈本源的〉知なのである。もっとも,知覚を対象の直接的把握とすることには反論もある。例えば,机の知覚において,われわれが直接に見ているのは机の前面だけであり,その裏側はいわば想像されているにすぎないからである。われわれの錯覚も,多くはそのようなところから生じているわけである。そして,そのことがまた,〈現象〉と〈実在〉ないし〈物自体〉とを区別する存在論的二元論や,あるいは知覚を純粋な感覚(例えば〈感覚所与〉)となんらかの知的作用との合成物と見る主知主義的解釈の根拠ともなる。フッサールが,〈外部知覚〉の明証性と〈内部知覚〉の明証性とを,前者を〈不十全〉とし後者を〈十全〉として区別したのも,外的知覚の一面性を配慮してのことであった。
 しかし,これらの議論は,それほど説得的なものではない。確かに,われわれは知覚において思い違いをすることがある。しかし,その誤りは,対象に近づくなり視点を変えるなりして修正することができる。したがって,あるときの知覚の誤りから,われわれの知覚のすべてを一挙に非実在的な〈現象〉の把握とするのは,形而上学的飛躍といわなければならない。しかも,われわれが〈現象〉と異なる本物の〈実在〉を仮定するということ自体,実はわれわれが日常,誤認と正しい認知との違いを体験していることにもとづくのであって,その違いこそは知覚が教えてくれたものなのである。また,知覚の主知主義的解釈も,〈感覚所与〉といった概念がすでに経験的に確認しえないものであるところに,重大な難点をもっている。そのうえ,知覚は動物にもあると考えられるから,その構成要素として知的作用を仮定する必要はないし,そもそも知覚は,まだ判断ではないのである。それは,例えば〈ルビーンの杯〉などで,図形の反転が判断や解釈によって起こるのではないことからも知られる(反転図形)。なお,〈外部知覚〉と〈内部知覚〉の明証性の違いに関しても,例えば容易に自己反省をなしえない幼児のような存在もある以上,われわれはここでむしろ,内部知覚が何によって可能になるかをこそ問題にしなければならないであろう。
 このように見るならば,知覚のもつ認識論的価値を過小に評価すべき理由はあまりないといわなければならない。もちろん,知覚の可呈性は否定できないことであり,したがってそのつどの知覚はさまざまの科学的手段によって修正される必要があるにしても,そもそも外的対象があり,世界が存在することは,知覚による以外に知りようがないからである。メルロー・ポンティが知覚を,いっさいの説明に前提されている〈地〉と呼んだのは,その意味においてである(《知覚の現象学》序)。知覚を刺激や神経の興奮などから因果的に説明しようとする〈知覚の因果説〉の不備も,根本はその点にかかわるのである。            滝浦 静雄
[知覚と感覚の生理学]  知覚は具体的な意味のある意識的経験で,なんらかの対象に関係しているということで,受容器の刺激の直接的な結果として起こる感覚と区別される。例えば形の知覚とかメロディの知覚というように,知覚は複雑な刺激パターンによってひき起こされる場合が多い。しかし色彩知覚や運動知覚のように対象とは独立に起こる知覚もあり,感覚との区別はあいまいである。
 W. ブントや E. B. ティチナーなど構成心理学の人々は,要素的な純粋感覚を仮定し,その総和と,それと連合した心像(以前に経験した感覚の痕跡)を加えたものが知覚であると考えた。しかしM. ウェルトハイマーや W. ケーラーなどゲシュタルト心理学の人々は,知覚を要素的な感覚に分けることは不可能で,むしろ直接的に意識にのぼるのはつねに,あるまとまった知覚であると考えた。例えばウェルトハイマーが1912年に発見した仮現運動の場合は,少し離れた2個の光点が順番に提示されると,静止した別々の光点には見えず一つの光点が動いているという運動印象だけが得られる。ケーラーは,あらゆる知覚現象には必ずそれに対応する脳の生理的過程があるという心理物理同型論 psychophysical isomorphism の立場から,仮現運動が実際の運動と等しい生理過程を大脳皮質にひき起こすのであろうと考えた。最近の神経生理学的研究によると,実際にネコやサルの視覚野とその周辺で記録される運動感受性細胞は,連続的な運動だけでなく仮現運動にもよく反応する。したがって今日では,知覚は受容器でとらえた感覚信号の空間的・時間的パターンから,中枢神経系で何段階かの情報処理を経て読み取られた,あるまとまった意味のある情報であると理解されている。
[知覚の恒常性]  知覚はもともと感覚の種類によって大きく分かれているが,さらに同じ感覚の中でもいくつかのカテゴリーに分かれる。特に視覚は,明るさ,色彩,形態,大きさ,運動,奥行き,空間などさまざまなカテゴリーの知覚に分かれる。これらのカテゴリーの多くに共通の現象として,知覚の恒常性がある。例えば明るさ(白さ)の恒常性は,照明の強さと無関係に黒い物は黒く,白い物は白く見える現象をいう。これは知覚系が明暗の対比をもとにして表面の反射率を識別しているからである。色の恒常性は照明光のスペクトルが大幅に変わっても,その物に固有の色が見える現象をいう。ランド E. Land によると,これは知覚系が,赤,緑,青の色光の相対的な反射率を識別しているためで,これもおそらく色の対比がもとになっていると思われる。大きさの恒常性は,対象の距離を変えてもその大きさが同じに見える現象をいい,形の恒常性は,見る角度を変えても形が同じに見える現象をいう。これらは知覚系が網膜像の大きさや形のほかに,距離や面の傾きを計算に入れていることを示している。このように知覚の恒常性は,対象を見る条件がいろいろに変わっても,同じ物はつねに同じに見えるようにする知覚の働きを示す現象で,外界の認識のために重要な意味をもっている。しかし一方では,恒常性を保つメカニズムがさまざまな錯視の原因にもなっている。
[知覚の神経生理学的研究]  この方面の研究は,ヒューベル D. H. Hubel とウィーゼル T. N.Wiesel が1963年にネコの視覚野で,細長いスリットや黒い線およびエッジに反応する細胞を発見してから急速に発展してきた。視覚野にはこのほか,両眼視差や網膜像の動きや色の対比を検出する細胞があり,これらが立体視や運動視や色彩知覚のための情報処理を行っている。しかし意識にのぼる知覚に対応する神経系は,より高次の感覚周辺野や連合野にある。最近,ゼキ S. Zekiは第4視覚野で色彩知覚に直接対応する色覚細胞を発見した(1980)。また第5視覚野(または MT野)には奥行きを含むさまざまな方向の運動に反応する細胞が集まっている。視覚周辺野のその他の領域も,それぞれ別のカテゴリーの知覚に関係していると思われる。そして側頭連合野(下側頭回)は形態視に関係し,頭頂連合野は空間視に関係した情報処理を行っていることが明らかになりつつある。そのほか,体性感覚野とその周辺には,皮膚表面の動きやエッジに反応する細胞や,いくつかの関節の組合せや関節と皮膚の組合せ刺激に反応する細胞があって,触覚による形態知覚や触空間や身体図式(姿勢)の知覚に関係する情報処理を行っている。聴覚野とその周辺には,複合音や雑音や周波数変化(FM 音)に反応する細胞があって音声の知覚に関係する情報処理をしているほかに,音源定位に関係する細胞群も記録されている。このように,知覚は大脳皮質における複雑な感覚情報処理の結果である。⇒感覚
                        酒田 英夫
【認知科学における知覚】
認知(認識)と運動のメカニズムの研究は,認知科学における最も重要なテーマの一つである。その認識と運動を支えるのが知覚であり,古くからさまざまな分野で研究が進められている。ここでは知覚とは何かを考え,それを支えるメカニズムについて紹介する。
 なぜ私たちは今見えているように世界が見えるのか。この問題は,よく考えてみると極めて難しい問題である。私たちが見ている世界は,網膜に投影された映像から,私たちの頭の中で3次元世界を推定した結果なのである。すなわち,私たちが見ている世界は,私たちの頭の中で作り上げた世界なのである。
 私たちがものを見ているときは,見えている面だけではなく,裏の面をも認知している。このような見えていない面も含めた物体の認知は,個々の物体に対する記憶に基づいている。これを感覚可能物と呼ぶ。しかし,知覚とは私たちの視点から見えている対象の形状と位置に関する見え方を指すことが多い。言い換えると可視表面の形状と位置に関する私たちの見えを指す。したがって,知覚の問題は可視表面の構造や位置が見えているようになぜ見えるのかということになる。言い換えれば,知覚の問題は網膜の感覚信号から外界の面の構造と位置をいかに推定するかということにある。ここでの面の構造とは,面の幾何学的構造のみならず,材質感(質感)なども含む。たとえば,見ただけで,面がつるっとしているとか,ざらざらしているとかいった感じや,金属的であるとか,木質的であるといった感じを受ける。また,面の色に関しても知覚する。このような外界の構造および位置に関する推定を行っているのである。図1のように,顔のパターンと見た場合には,はっきりとその全体の形の捉え方が変わる。すなわちこのような知覚においても,私たちが持っているさまざまな知識が働いているのも事実である。しかしながら,一方でほとんど個別の知識(たとえば,リンゴは丸い,リンゴは赤いといった知識)を必要とせずに上記の面の構造や位置をある程度正確に捉えられることも事実である。したがって多くの場合,個別の知識なくしてこのような問題が脳の中でどのようにして解かれているのかが議論される。また,面の構造や位置は照明条件が少し変化しても,あるいは視点を少し動かしても,体を動かしても安定した知覚が得られる。このような特性を恒常性 constancy と呼んでいる。
 目を動かすと外界が静止していても網膜像は動く。それにもかかわらず私たちの知覚は安定して固定している。これを位置の恒常性と呼ぶ。また,たとえば,十円玉を斜めから見れば,網膜の投影像は楕円であるのに,私たちは円であると知覚することができる。このように,視点によらずに形を安定して知覚することができる。これを形の恒常性と呼んでいる。また,私たちは照明光のスペクトルにあまり左右されずに正しく面の色(表面色)を知覚することができる。たとえば,白い紙を白熱球の下で見るとその反射スペクトルはオレンジが強くなっているはずである。実際,私たちは,表面から反射しているその表面の色はオレンジがかって見えるが,面の本来の色(正確には標準白色光源下での面の色)が白色であると判断することができる。これを色の恒常性と呼ぶ。一方,黒い紙を明るい戸外で見たときの方が,白い紙を暗い室内で見たときよりも反射光量は強い。しかしながら私たちは,それぞれ,黒い紙・白い紙であると判断することができる。このように,照明光強度に関わらず,白や黒といった正しく判断することができる。これを明度 lightness の恒常性と呼ぶ。また,遠くの人の網膜像は小さく,近くの人の網膜像は大きい。しかし私たちは,遠くにいる人が小人であるとは思わない。つまり,網膜像が小さいからといって必ずしも実体が小さいものとは感じていないのである。このように距離が遠くになって,網膜像が小さい場合には,私たちはそれが小さいものであると思わない。大きさの恒常性というものを持っている。
 以上述べてきたように,主な恒常性として,位置の恒常性,形の恒常性,色の恒常性,明度の恒常性,大きさの恒常性がある。ただし,色の恒常性や大きさの恒常性はある程度条件が整わないと成立しないことが知られている。
 以上のように,最初に取り上げた疑問,すなわち,なぜ見えるように外界が見えるのか,という問いに関して,より正確かつ具体的に問題を設定することができた。すなわち,2次元網膜像からいかにして3次元表面の構造や位置を脳内で推定することができるのだろうか。また,さまざまな恒常性はどのようにして実現されているのかということである。
[2嚶次元スケッチと表現の座標系]  知覚の最も重要な問題はどのようにして物体の面の形状を脳内で表現しているのかということである。この問題に対して,マー David Marr(1945-80)は2嚶次元スケッチという概念を提唱した。2嚶次元というのは2次元でもなく3次元でもない,中間的な表現という意味である。すでに述べたように私たちが物体を見ているときには,今見えていない隠れた面をも感じながら見ていると考えられる。その意味で私たちは対象の3次元の表現を脳内で作っていると考えられる。一方,網膜像は2次元の表現である。その中間的な表現として2嚶次元スケッチがあると考える。2嚶次元スケッチは,面の向きと奥行きに関する表現であり,それは観察者中心座標系で表現されている。
 さて,すでに述べたように,目を動かしても,頭を動かしても,対象の静止した位置は変化しない。もし,網膜像を直接見ていれば,明らかに目や頭が動いたとき,対象の位置が変化するはずである。したがって,脳のどこかで,網膜座標系の表現から観察者中心座標系への変換がなされているはずである。つまり,対象の位置は,網膜あるいは視野の上下左右といった関係で表現されているのではなく,観察者の位置から,どの方向にどれだけの距離で物体があるのかといった捉え方をしているはずである。このことを観察者中心座標系での表現と呼ぶ。
[光学と逆変換]  私たちが,2次元網膜像から3次元構造を推定する一つの手がかりとして,両眼視差を使っている。図2に示すように,今 F を見ているとしよう。そのとき,F とレンズの中を通る円周上にある点は,左眼と右眼の対応する位置に網膜像を結ぶ。これを対応点と呼ぶ。しかし,この円周上にない点,A や B では,左右の網膜像の位置はずれている。この網膜像のずれを両眼視差と呼ぶ。円周上,すなわち今固視している面から,離れれば離れるほど,両眼視差は大きくなる。また,固視している面よりも遠い場合と手前の場合ではずれ方が逆になる。まとめると,固視点をとおる円周から点がずれていれば両眼視差が生ずる。これは,幾何光学的,あるいは物理的な過程によって生じている。脳では,この逆の操作が行われているといえる。すなわち,脳内では,この両眼視差をうまく検出し,両眼視差から私たちは奥行き知覚を得ているのである。この証拠として,ステレオグラムがある。ステレオグラムは図3のように,一対の絵を左の絵は左眼で,右の絵を右眼で見る。2枚の絵は左右で少しだけずれている。これを脳内で融合させると立体に見える。これは,左右のずれが前述の両眼視差に対応している。すなわち,私たちは両眼視差から脳内で立体を復元しているということになる。以上をまとめると,光学過程で生じた両眼視差を,3次元形状推定の手がかりとして用い,脳内でその逆変換により3次元像を構成しているのである。
[3次元構造を推測する手がかり]  前項で述べたように,両眼視差は3次元構造を推定する重要な手がかりの一つである。しかし,私たちは両眼視差以外に,片眼でも使えるさまざまな手がかりを利用している。これらを単眼手がかりと呼ぶ。単眼手がかりには,陰影,オプティカルフロー,テクスチャー,遮戴,遠近法的手がかりなどが存在する。これらの手がかりが単独に与えられても,ある程度立体感は得られる。たとえば,遠近法的手がかりの陰影やテクスチャーといったものは,絵画に使われている。両眼手がかりや単眼手がかりそれぞれの手がかりから推定される3次元情報を統合して私たちは頭の中で一つの面の表現を作り上げていると考えられている。
[恒常性と情報統合]  D. マーの提唱した2嚶次元スケッチは,観察者中心座標系での表現なので,観察者の頭や目が動いても,安定した位置の表現になっている。私たちの知覚には,確かに,このように位置の恒常性が成立している。位置の恒常性が成立するためには,私たちの動きを考慮して網膜座標系の表現を観察者中心座標系に変換しなければならない。事実,脳ではこのような視覚情報の変換が運動情報を用いて行われていることが実証されている。しかもこのような変換は,自己の運動が起きてからでは遅すぎる。運動が起こる前に,その運動を予測しながら視覚情報を変換していく必要がある。私たちの脳内では,自己の運動指令情報を使ってこの変換がなされていると考えられている。具体的にいえば,筋肉への運動指令は大脳の運動野から発せられる。この運動野から発せられた情報は,通常の経路では脊髄を通って筋肉に指令が伝わる。この運動情報を脳内で利用することにより,視覚情報の変換を行う。こうすれば,時間の遅れなしに知覚情報の変換ができる。このような操作が頭頂連合野でなされていると考えられている。つまり,運動指令を出すと同時に,その運動が実際に起これば,網膜像はどのように変換されるかを予測し,実際に入ってきた視覚情報を観察者中心座標系に変換しているのである。このように恒常性においては,複数の情報の統合が不可欠となる。
[聴覚による知覚]  さまざまな音源から伝わってくる音波が重ね合わせられて,私たちの耳に入ってくる。この音波は鼓膜を振動させ,その振動は耳小骨を経て蝸牛と呼ばれる組織に伝えられる。蝸牛で音波は,時間周波数に展開されることが知られている。私たちはこのように複合された音波から,独立の音源の位置や距離を推定(音源定位という)し,それぞれの音源からの音信号を分離して選択的に聞くことができる。
[体性感覚による知覚]  比較的体に近い空間や自己の姿勢の知覚においては,視覚や聴覚の情報と体性感覚情報が統合されて,対象および自己の身体の位置関係が自己中心座標によって表現されている。これらの情報をもとにして自らの身体運動のイメ-ジが得られる。さらに,自らの運動を通して外界の対象に能動的に触れたり操作することによって,対象の形状や材質のイメ-ジが作りあげられる。能動的に対象を手でさわる場合,手や指のばらばらの運動知覚ではなく対象の形状や対象の材質が感じられる。これをアクティブタッチと呼ぶ。知覚系と運動系を結ぶ頭頂連合野では,対象が自己の身体によって操作可能かどうかという評価を下すこともできなければならない。たとえば,手でつかめる大きさかどうかという判断もこの系の役割であると考えられている。
⇒運動                     乾 敏郎

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運動知覚
運動知覚

うんどうちかく
perception of movement

  

刺激対象の移動,動きを知覚すること。これには,視野内の視覚刺激対象やみずから音を発する聴覚刺激対象が空間中を実際に移動したり,触刺激対象が皮膚面上を実際に移動したときに生じる実際運動の知覚と,それらの刺激対象が実際は静止していても,あたかも動いているように感じられる運動の錯覚がある。前者は日常一般にみられるもの。ただしこの場合にも運動の知覚が生じるには,移動する対象の運動速度,運動距離,周辺条件などにおいて適度の条件が満たされていることが必要である。後者には,仮現運動,誘導運動,自動運動などの現象が含まれる (→シャルパンティエの錯覚 ) 。なお,運動する対象をしばらく持続視したのちに静止した対象を見ると,その静止対象が反対方向に運動するように感じられる種々の運動残像もこの運動の錯覚の一つ。





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[ブリタニカ国際大百科事典 小項目版 2008]


運動知覚
I プロローグ

運動知覚 うんどうちかく Motion Perception 対象の動きの知覚は、聴覚や触覚にもみとめられるが、おもに視覚の問題として研究されてきた。視覚的運動知覚は、実際運動、仮現運動、誘導運動、運動残効、自動運動に区別することができる。

II 実際運動

実際の運動は、物理学的には対象と観察者の相対的な位置変化であり、何が何に対して運動するかは、観察点をどこにとるかによってきまる。人間の場合、実際運動の知覚は、一般には観察者に観察点がある場合であり、この観察者に対する外界の動きとして考えることができる。宇宙ロケットの搭乗員からみれば、ロケットが上昇するのではなく、地球のほうが後方にしりぞいていくのである。ところで、われわれがうごく対象を追視し、それによって対象の網膜像がほぼ静止してその周囲の事物が網膜上をうごく場合でも、われわれにうごいてみえるのは対象であってその周囲の事物ではない。したがって、われわれの運動知覚を規定しているのは網膜上の動きそのものではなく、実際にうごいているものの動き(大地系に対する運動)である。ここにもある種の知覚の恒常性をみとめることができる。

III 運動知覚の閾値

夕方、東の空にのぼった月は朝までのうちに西の空にしずむ。天空を月が移動していることは明らかであるが、しかしわれわれは、それを実際の動きとしては知覚できない。また、秒針はうごいてみえるが時針はうごいてみえない。そこから、運動視がおこるには、ある閾値(いきち)よりも大きい運動速度が必要であることがわかる。運動速度の閾値については、周囲が明るく周辺の事物がみえる通常の環境では、視角であらわして毎秒1/60度から2/60度、周囲が暗く周辺情報が不足しているときにはその20倍前後であるといわれている。

IV 実際運動の特徴

実際運動については、同じ物体の動きを知覚する場合でも、その対象を追従する場合とほかの静止物を注視しながら観察する場合とでは、前者が後者よりもはやく感じられることが知られている。また、自動車の車輪の1点は、厳密に物理学的にはサイクロイド曲線をえがいて変化しているが、実際には車輪の回転と車輪そのものの位置移動運動とにわかれて知覚されることも、われわれの日常経験で明らかである。さらに車窓から外をみるとき、近くの事物は後方にしりぞいていく速さがはやく、遠方の事物はおそくみえる。このように、運動対象間の速度差は、その対象までの奥行き感や遠近感とむすびついており、これを運動の奥行き効果とよぶ。→ 奥行き知覚

V 仮現運動

次に仮現運動とは、映画に代表されるように、実際に何かが運動するのではなく、フィルムの1こま1こまの断続的な継起にすぎないものに、われわれが運動印象をもつ場合をいう。映画が発明される以前から、回転盤に一連の動作を1こま1こまえがき、それを回転させてスリットからみると、そこに動きが知覚されることはすでによくしられており、驚き盤(Stroboscope)とよばれていた。また、一連の動作を1こま1こまにえがきわけた小さな紙片をたばね、それをパラパラとめくるとそこに運動が知覚されるのも同様の現象である。

これを要素主義心理学を論ばくするための決裁実験として系統的に研究したのがゲシュタルト心理学のウェルトハイマーである。彼は、光点Aと光点Bを点滅させるとき、A、Bの時間間隔が短すぎれば両者は同時にひかったと知覚され、間隔があきすぎれば両者は独立の点滅と知覚されるが、適当な間隔のときにはAからBへと光がとぶように知覚されることをしめし、その時間間隔が最適なときのあざやかな光の運動印象がえられる事態をファイ(φ)現象とよんだ。映画の場合では1秒間に24こまのときがもっともリアルな運動印象がえられ、こま数をへらすとぎくしゃくした動きになる。町のうごくネオンサインや踏切のうごく矢印、ビルのうごく電光掲示板などはみなこの仮現運動を利用したものである(→ 図形残効)。

VI 誘導運動

誘導運動は、ながれゆく雲の間を逆方向に月がのぼっていくようにみえたり、橋の欄干(らんかん)からながれいく川をながめていたときに、橋全体が川を遡上(そじょう)するように感じられたりするように、実際に運動するものによって、本来は静止している物の運動印象がひきおこされる現象をいう。遊園地にあるビックリ・ハウスもこれによるもので、自分はブランコにすわっているだけで、実際には家が回転しているにもかかわらず、われわれは自分がブランコにのって家の中を回転しているように感じる。ゲシュタルト学派によれば、これはある物をとりかこむ周囲の運動によって、かこまれた物の運動が誘導されることだとされてきた。近年の認知心理学的研究(→ 認知心理学)では、この現象を網膜における視細胞の視覚情報処理の観点から明らかにしようとしている。

VII 運動残効

運動残効は、運動している対象をしばらく注視したのちに、周囲の対象に目を転じるとそれが逆向きにうごいてみえる現象をいう。滝がながれおちるのをみていて、周囲の岩に目を転じると、岩が滝をのぼっていくようにみえるので「滝の錯視」ともいわれる。この現象は網膜上の運動刺激の性質に依存するところから、近年の認知心理学的研究では、視覚系における特徴検出機構との関連で研究が展開されている。

VIII 自動運動

自動運動とは、暗室中の光点を注視しているうちに、それがいろいろな方向にうごきまわるように知覚される現象のことで、その運動の幅や速さなどは個人差が大きいことが知られている。暗室では姿勢による重力方向の手がかりしか活用できず、通常の視覚的枠組みが点の定位に利用できないところからもたらされている知覚現象だと思われる。実際、完全な暗室中では自分の体を正立した状態にたもつことさえむずかしくなる。この現象は、眼球運動や姿勢制御などの要因との関連がしらべられているが、まだ不明な点も多い。

従来の運動知覚はおもに刺激条件との関連で研究されてきたが、今日ではむしろ感覚器における情報処理との関連で研究が展開されているといえる。


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錯視
錯視

さくし
optical illusion

  

物理的な計測手段ではかられた長さ,大きさ,角度,方向ないしはそれらの幾何学的な関係が,ある種の条件のもとで,それとは著しく食違って見える現象。視覚について現れる錯覚の一種であり,視覚的錯覚とも呼ばれる。その例としては,(1) 幾何学的錯視,(2) 月の錯視,(3) 反転錯視 (同一図形において2通りの見え方が交互に現れる現象をさし,ネッカーの立方体や反転図形の見え方がその例) ,(4) 運動の錯視,などがある。 (→運動知覚 , シャルパンティエの錯覚 )





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錯視
さくし optic illusion

視覚領域における錯覚をいい,他の感覚領域のものと同じようにいくつかの型に分けられるが,とくに生理的錯覚に属するものは数多くのものが存在する。これらの錯視は刺激対象が特別の形状や配置にあるとき,実際とは違った形や大きさ,性質のものに見えてしまう現象であって,だれにでもほぼ等しく起こりうるものである。
[生理的錯視]  (1)〈月の錯覚〉といわれるものは,月や太陽が地平線に近いときは中天にあるときよりも大きく見える現象であり,観察者の身体に対する方向関係から生じるもの,すなわち,身体の前方にあるものは見上げる方向にあるものより大きく見えると説明されている。
(2)明るさ,色の対比などに関しては,白,黄,緑のものは黒,赤,青のものより大きく見え(〈放散による錯視〉),色の色調や明るさは類似色が近くにあるときはいっそう似た色調や明るさに見え(〈同化による錯視〉),補色が近くにあるときはより際立って見える(〈対比による錯視〉)。
(3)物の運動に関する錯視としては,風が速く流れる夜空で月が雲の間を速く走って見えるように,あるものが動くと静止しているものが動いて見える〈誘導運動の錯視〉と,映画の原理のように,刺激を空間内の異なる位置に断続的に提示すると,その刺激が初めの位置から動いたように見える〈仮現運動の錯視〉がある。
(4)〈幾何学的錯視〉といわれるものは,物の大きさ(長さ,広さ),方向,角度,形などの平面図形の性質が周囲の線や形などの関係のもとで実際とは違って見えるものである(図)。たとえばミューラー=リヤー図形では同じ長さの直線がつけ加えられた矢線の影響で異なった長さに見えるものであって,外向矢線のついたほうが内向矢線のついたものより長く見え,ブント=フィック図形では,同長の垂直線と水平線が違った長さに見える。斜線が2本の平行線で中断されると,ずれて見えるポッゲンドルフ図形,縦の平行線が交差する斜線のために互いに傾いて見えるツェルナー図形は方向の変化の錯視である。ヘリング図形,ブント図形では,平行線が中央部で凸または凹に湾曲して見える。同心円の内円は過大視され,外円は過小視される(〈デルブフの大きさの錯視〉)ため,単独円と同心円の内円,および同心円の外円と単独円とは同じ大きさにもかかわらず異なって見える。ジャストロー図形では,同じ大きさの扇形でも内側のほうが外側のほうより大きく見え,また外側のほうが湾曲して見える。遠近法で描かれた絵の中の円筒(ポンゾ円筒)は手前に置かれて見える円筒よりも奥に置かれて見える円筒のほうが大きく見えるが,この絵を水平に近い方向から眺めて遠近法の効果を消すと,同じ大きさに見える。
(5)2種類以上に見える図形(多義図形)の一つの例としては〈シュレーダーの階段〉があり,階段に見えている図形がときおり斜上方から見たビル街に見えてくる。
(6)矛盾図形の例としては〈ペンローズの三角形〉がある。下の図のように上端が離れているときには立体に見えるが,その上端が密着して描かれている上の図は,現実にはそのような立体は存在しないにもかかわらず,ごくありふれた三角形の工作物と同じに見えてしまう。
(7)これらの生理的錯視は冷静な心理状態でも起こるが,特別の心理状態のとき起こる錯視がある。たとえば恐怖感の強いときに暗がりの中でススキの穂が揺れるのを幽霊と思うのは〈感動錯覚〉といわれ,冷静な心理状態になると消滅する。
[病的な視覚性錯覚]  視覚性錯覚のなかには病的状態のときに出現するものがある。たとえば振戦譫妄(しんせんせんもう)といわれる意識障害を伴うアルコール中毒などでは,床の上のごみや壁のしみが動く虫や襲いかかってくる怪獣に見えたり,赤い布切れが炎に見えるなど,活発な動きの感覚が加わって見える。特殊なものとしては,精神分裂病などのさい出現するものがある。それには未知の人を知人と錯覚し,知人を未知の人と錯覚する一種の人物誤認があり,まただれを見ても敵がいろいろ変装しているのだと主張する〈フレゴリの錯覚〉,家人が本物ではなく替玉に見えてしまう〈ソジーの錯覚(替玉錯覚)〉といわれるものがある。⇒錯覚                 中根 晃

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仮現運動
仮現運動

かげんうんどう
apparent movement

  

見かけの運動,キネマ性運動ともいう。一定位置にある刺激対象が,瞬間的に出現したり消失したりすることによって,あたかも実際に運動しているように見える現象。α (アルファ) ,β (ベータ) ,γ (ガンマ) などの種類がある。第1の刺激対象を,瞬間的にある場所に提示したのち,多少の時間間隔をおいて第2の刺激対象を瞬間的にやや離れた場所に提示すると,初めの場所から次の場所へと動きが感じられる。これがベータ運動で,映画でみられる写真や絵の動きはこれと同種の現象である。驚き盤 stroboscopeにより,少しずつ異なった絵の系列を次々に提示した場合に観察される絵の動きもその一つ。このためベータ運動は驚き盤の錯覚,または驚盤運動とも呼ばれる。アルファ運動は,主線が同一の長さをもつミュラー=リヤーの図形の外向図形と内向図形とを同一場所に交互に提示した場合に,その主線が伸び縮みして見える現象。ガンマ運動は,一つの刺激対象を短時間提示した場合に,出現するときには膨張するように,消失するときには収縮するように見える現象をいう。この仮現運動,特にベータ運動は触覚や聴覚でも生じる。 (→運動知覚 )





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ミュラー=リヤーの図形
幾何学的錯視
誘導運動
誘導運動

ゆうどううんどう
induced movement

  

周囲の他の対象の運動によって,実際には静止している対象があたかも動いているように見える現象。雲間の月が動いたり,橋の上から川の流れを見ていると橋が動いているように見えたりする運動印象。大きいものよりは小さいものが,地 (背景) よりは図 (前景) のほうが動いて見える。





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シャルパンティエの錯覚
シャルパンティエの錯覚

シャルパンティエのさっかく
Charpentier's illusion

  

暗黒内で1つの光点を凝視している際,その光点は静止しているのに,それが種々の方向に動くように見える現象。通常,ゆっくりした光点の動揺が見られる。自動運動効果とも呼ばれる。





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運動残像
運動残像

うんどうざんぞう
after-effect of seen motion; Bewegungsnachbild

  

運動している対象をしばらく持続観察した直後,静止対象に眼を転じた際に現れる運動印象。静止対象が,直前に見ていた運動方向とは反対の方向に動くように見える現象で,滝の水の流れを凝視してから付近の景色を見る際にも現れるので,落水の錯覚 waterfall illusionなどとも呼ばれる。 (→運動知覚 )  





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残像
ざんぞう after image

刺激対象を一定時間注視した後に,目を閉じたり他所に目を転じたときに生じる視覚的効果をいう。これには〈正(陽性)の残像 positive afterimage〉と〈負(陰性)の残像 negative after image〉がある。〈正の残像〉とは原刺激が強く短いときにおこり,明暗が同じ方向のものである。〈負の残像〉とは明暗が逆転したもので色相は補色になることが多い。また残像は外界の任意の距離にある平面上に投射してみることができる。そのとき見かけ上の大きさは距離に比例して増大する。これを〈エンメルトの法則 Emmert’s law〉という。また一定方向に運動している対象をしばらく注視してから静止対象をみると,それが逆方向に動いてみえるのを〈運動残像 movement after image〉(または〈運動残効〉〈滝の錯視〉)という。残像は刺激除去直後の数秒間持続する普遍的現象であるが,特定の人にのみ数時間,数日後にも現れることがあり,これを〈直観像 eidetic image〉という。
                        梅津 耕作

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奥行知覚
奥行知覚

おくゆきちかく
depth perception

  

観察者から刺激対象までの距離について知覚すること。三次元的な立体の前面からその背後までの距離の知覚も含まれる。人間の場合視覚を主とするが,条件により聴覚や身体感覚も大きな役割を果す。視覚では,(1) 眼球の調節作用,(2) 輻輳,(3) 両眼視差などのほか,(4) 物の相対的大きさ関係,重なり具合,遠近法的収斂,色合いの濃淡 (遠方の物ほどぼんやり青みがかる) ,運動視差 (観察者の動きにつれ距離の違う物体相互が異なった動きをして見える) ,肌理 (きめ) の勾配,などが重要な手掛りとなる。聴覚では一般に強度差の手掛りが重要とされているが必ずしも明らかではない。なお視覚障害者では,対象からの反響音を利用し障害物の存在とその距離の知覚が行われ,これを顔面視覚と呼ぶことがある。





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形の知覚
形の知覚

かたちのちかく
form perception

  

心理学用語。二次元あるいは三次元の事物や対象から,その形状ないしは形態の属性を抽出し,その特徴を把握する過程。視覚による形の知覚には,図と地の関係を把握する過程とその形を構成している線,辺,角,面などの特徴をとらえ,その全体的な構造を認知する過程とが含まれる。原初的な図と地の構造は,先天的な神経機構に依拠して成立するが,形を識別する過程は先天的な仕組みがそなわっているだけでは不十分で,生後の長期にわたる学習によって初めて形成される心的機能であると考えられる。形の識別過程は,成人の視覚についてはきわめて短縮されており,特殊な条件下におかれないかぎり,その全体的な構造は即座に把握される。これに対し,同じく視覚を介しても,開眼手術を受けたばかりの先天性盲人の眼では,簡単な幾何学的図形でさえもその全体を即時的にとらえ,識別することができず,術後の組織的な学習を経て初めてそれが可能になるとする M.V.ゼンデンの実験結果 (1932) があるが,これについてはのちに D.O.ヘッブらによって疑問が提出されている。





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[ブリタニカ国際大百科事典 小項目版 2008]
学習
学習

がくしゅう
learning

  

個人的経験の結果として起る比較的永続性のある行動の変容。生物体が知覚によって自分の行動を変える場合も学習と呼ぶ。ただし成熟,疲労,その他,器質的,機能的変化による変容は除かれる。学習によって形成された反応様式を習慣という。
学習によって得た行動には,(1) 連合学習ないし条件づけによる学習 (古典的条件づけおよび道具的条件づけ) ,(2) 弁別学習,(3) 順化 (習慣化) ,(4) 概念形成,(5) 課題解決,(6) 知覚学習,(7) 運動学習,などが含まれる。模倣,洞察学習,刷り込みは以上とは異なる種類の学習である。 17世紀から 20世紀なかばまでの学習理論では,一定の普遍的な原理がすべての学習プロセスを支配し,それが機能する方法と理由の説明を科学的に証明することを目的としていた。あらゆる生物体の行動を,自然科学で仮定された法則をモデルに統一体系で理解しようと,厳密で「客観的」な方法論が試みられた。しかし,1970年代までに,包括的理論には様々な漏れがあることがわかり,学習に関する単一の理論は不適切であると考えられるようになった。 1930年代に,心理学のすべての知識を単一の大理論に統合しようとする最後の試みが,E.ガスリー,C.ハル,E.トールマンによって行われた。ガスリーは,知覚や心理状態ではなく,反応が学習の根本的で最も重要な基礎単位であると考えた。ハルは報酬によって促進された刺激=反応 (S=R) 活動の結果である「習慣強度」が学習の不可欠な側面であると主張し,それを斬新的なプロセスとみた。トールマンは,学習は行動から推測されたプロセスであるとした。彼らが広めたいくつかのテーマは,現在も議論されている。
連合はそうしたテーマの一つで,主体は環境中の何かを感じ (感覚) ,その結果そこに存在するものの認識 (観念) が生れるとの意見にその本質がある。観念につながる連合には,時間と空間における物体や出来事の接近,類似性,頻度,特徴,魅力などが含まれるとされる。連合学習は過去に無関係であった刺激を特定の反応に結びつける動物の能力で,おもに条件づけのプロセスによって起る。そのプロセスでは,強化が新しい行動様式を具体化する。初期の有名な条件づけの実験に,19世紀のロシアの生理学者 I.パブロフによって行われたイヌがベルの音で唾液を流すよう条件づけたものがある。しかし,刺激=反応説は様々な現象を満足のいくように説明ができず,過度に還元的で,主体の内的な行動を無視する。トールマンは連合には刺激と主観的な知覚的印象 (S=S) が含まれると考える,より「客観的」でないグループの先頭に立っていた。
もう一つの最近のテーマは,強化である。これは,主体の活動が報酬を与えられる場合にその行動は促進される,との発見を説明するために生れた概念で,強化の理論的仕組みについては激しい議論が続けられている。多くの心理学者は連合理論の普遍的適応性にあまり期待しておらず,学習には他の理由のほうが重要であると主張する。たとえば,ゲシュタルト心理学では,重要な学習プロセスには環境中の様々な関係の結びつきだけでなく,それらの再構築が含まれるとされている。言語心理学では言語学習には多くの言葉と組合せが含まれており,連合理論では十分に説明できないとされ,代りに,語学学習にはなんらかの基本的な組織化の構造,おそらくは遺伝的に受継いだ生れつきの「文法」が基礎となると主張されている。現代の学習理論の主要な問題には,(1) 目標の遂行における動機づけの役割,(2) 学習段階,(3) すでに学んだ仕事とまだ学んでいない仕事の間での訓練の転移,(4) 回想,忘却,情報検索のプロセスと本質,が含まれる。行動遺伝学は先天的行動と後天的行動の区別といった重要な問題に貢献した。イメージ,認知,認識意志作用など,計量化できない概念も探究されている。
学習と記憶のメカニズムは,神経系における比較的持続性のある変容に左右されるようにみえる。学習の効果は,明らかに可逆的プロセスによって脳にまず保たれ,その後より恒常的な神経の変化が起る。したがって2種類の神経学上のプロセスを示唆している。一時的で可逆的な記憶の短期的な機能は,記憶の痕跡を限られた期間保存する生理学的なメカニズム (シナプスの電気・化学的な変化) によって生れる。確実でより永続的な長期の蓄積は,神経単位の物理・化学的構造の変化に依存しているのであろう。シナプスの変化が特に重要と思われる。





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学習
がくしゅう learning

学習とは,特定の経験によって行動のしかたに永続的な変化が生ずる過程である。同じ行動様式の変化でも,経験によらない成熟や老化に基づく変化や,病気,外傷,薬物などによる変化は学習とはいえない。また疲労や飽きは,回復可能な一時的変化にすぎないので,これも学習とは区別される。子どもの発達過程では,例えば言葉や歩行の習得のような学習が,長期にわたって行われている。しかしこの場合,行動様式の永続的変化といっても,多様な経験に基づいて,広い範囲の行動が変化するのであって,この過程はとくに〈発達〉と呼ばれる。
[学習の理論]  学習のメカニズムを説明する理論には二つの立場がある。第1は,刺激と反応との結合を学習の基礎とみなす〈連合説〉である。最初にこの立場を表明した E. L. ソーンダイクは,学習を試行錯誤の過程とみなし,刺激と反応との正しい結合が生ずる条件を示すいくつかの法則を作り上げた。例えば,正反応の結果には満足が与えられなければならないことを説く〈効果の法則〉,数多くの反復をしなければならないことを説く〈練習の法則〉,刺激と反応との結合の用意が整っていることの必要性を説く〈準備の法則〉などである。これらの学習法則には,その後若干の修正が加えられたものの,基本的にはそのまま現在に至るまで受け継がれ,とくに行動主義の学習理論の基礎にすえられている。
 第2の立場は,認知構造の獲得を学習の基礎とみなす〈認知説〉である。この立場はとくにゲシュタルト心理学者たちが採っている。学習は場面の構造が認知されることによるが,それは試行錯誤の結果ではなく,場面の中で解決への見通しが一挙に開けてきたためであるとみなす。だから学習すべきものは,刺激と反応との結合ではなく,場面の意味であり,とりわけ手段‐目標関係の理解なのである。しかし学習そのものの中に,二つの基本的に異なる過程があるという視点から,最近では両者の立場を総合させた〈二要因説〉も提起されている。
[学習の過程]  学習はさまざまな条件によって促進されたり停滞,阻害されたりする。それらの現象のおもなものをあげてみる。
(1)学習の構え 同種類の問題を何度も経験すると,その種の問題に対する学習のしかたを習得し,しだいに容易に解決できるようになっていく。これはいかに学ぶかという構えを学習するからである。
(2)高原現象 学習の過程で行動の進歩が一時的に停滞することがある。学習曲線がこの場合あたかも高原のような形を描くので,これを高原現象という。これは学習の疲労,飽和や動機づけの低下などによるほかに,より高次の段階の学習を続けるために,そのときまでの学習行動を質的に変化させる際に現れる現象でもある。
(3)分散学習と集中学習 学習時間の配分のしかたに応じて,適当な休憩をはさんだ〈分散学習〉と,休みなしに連続して取り組む〈集中学習〉とに分けることができる。分散学習の長所は,休憩中に疲労の回復や学習意欲の更新や復習などが行われるうえ,誤反応を忘却できる点にある。ただしあまりにも長い休憩が入ると,正反応でも忘却してしまうおそれもある。一方,集中学習は,長時間続けざまにその学習活動にあてることができるため,学習活動の準備にあらかじめ一定時間を必要とする場合には有利である。そのうえ,集中学習では,分散学習のように反応を固定化させることもないので,反応の変化がしばしば生ずる学習にも有利である。一般に技能学習には分散学習が,問題解決学習には集中学習が適切だといわれている。
(4)全習法と分習法 学習材料の扱い方に応じて,全体をひとまとめにしてなんども繰り返しながら学習する〈全習法〉と,全体をいくつかの部分にあらかじめくぎり,それらを順々に学習していく〈分習法〉とに分けることができる。もちろんいずれの方法が有効であるかは,その学習材料の性質に基づく。長い学習材料やむずかしい学習材料の場合には分習法に,逆に短い学習材料ややさしい学習材料の場合には全習法によらなければならないだろう。また統一性に乏しい学習材料は分習法が,意味連関のある学習材料は全習法が適切だろう。しかし全習法は効果をあげるのに多くの時間と労力を必要とするのに対し,分習法は速く容易に学習の成果をあげられる。したがって年齢や能力の低い者には,分習法が有利だといわれている。
(5)学習の転移 以前の学習が別の内容についての学習に影響を及ぼすことを〈学習の転移〉という。転移には,前の学習が後の学習を促進させる正の転移と,逆に妨害する負の転移とがある。転移が生ずる条件として,両学習間の類似性,時間間隔および前の学習の練習度などがあげられる。そして,前の学習経験に含まれる構造を正しく把握するとき正の転移が生じ,これを誤ってとらえたり,不十分にしかとらえなかったりすると負の転移が生ずることとなる。⇒発達     滝沢 武久
[学校における学習指導]  上記のような学習のメカニズムを考慮して進められるが,文化,科学,芸術の基本的内容を精選し,系統的に配列し,これを学習者の生活,既得の経験や知識と適切に結合することがとくに求められる。実際の学習指導においては,学習者の多様な反応が現れるから,それらに適切に対応することによって指導の効果をあげることが期待される。例えば学習内容によっては一つの解答,一つの解法だけがあるのではなく,いくつかのものが許容されうる場合がある。このようなときは学習者たちが自発的に多様な解答,解法を示すことも少なくない。教師の発問によってこれを促進することもできる。また集団での学習では,学習者の中に誤りの反応をする者がいるが,誤りの種類や性質によってはこれを積極的に取り上げて解明することを通じて,学習者全員の理解をいっそう十分なものにすることもできる。これらは集団での学習=一斉指導の場面で,教師が直接に学習者たちに働きかけ,その自発性を高め,理解度を深める配慮であるが,これらとあわせて,班あるいはグループを学級の中に作り,学習者相互の働きかけ合いをねらうことによって,さらに指導の効果をあげることもなされうる。
 また学習指導によって,学習者の中に定着したものを確実に把握することも必要不可欠である。とくにそれぞれの学習内容の系列において,必須の概念や操作が習得されていない場合には,後の学習に多大なマイナスとなり,いわゆる学業不振の原因となる。なお,学習させるべき内容の精選・配列,実際の指導,学習者における定着は,学習指導としてひとつながりのものである。そこで,例えば学習指導の効果が上がらない場合など,学習内容の選び方,配列のしかたに問題はないか,指導の方法に問題はないかなどというように,教師にはつねにみずからを反省する態度が要求されると同時に,こうしたことについて教師が自由に研究,研修できるような条件を整えることもたいせつである。             茂木 俊彦
【動物における学習行動】
 動物の行動研究が進むと学習に関する考え方も変わってきた。まず,それまで鳥や哺乳類のみで学習能力が考えられていたのに対し,広範囲の動物で学習する能力の存在が実験的に証明された。例えば扁形動物のプラナリアに光刺激と電気ショックの組合せで条件反射を成立させ,この程度の動物にも学習する能力のあることがわかった。タコの捕食行動では各種の図形と罰・報酬の組合せで図形を学習させられること,ミツバチに色を覚えさせることなど,今日では各種の動物で学習に関する実験が行われている。また,従来は動物の行動を本能と学習に二分する考え方が支配的であったが,近年の研究によって,純粋な学習とみられるものもしばしば何を,いつ,どこで学習するかといった面で遺伝的に決定されていることが明らかにされ,現在ではこのような二分法は有効性を失いつつある。
[慣れ habituation]  もっとも単純な形の学習は慣れで,これは,とくに刺激の強化が加えられなくても無害な環境には反応を示さなくなるようなものである。キジなど地上営巣する鳥の雛は,孵化(ふか)後,最初は頭上をかすめるすべての影に対して警戒のうずくまり姿勢を示すが,やがて木の葉や無害な小鳥が横切った程度では警戒姿勢を示さなくなる。このような慣れは,明らかに生後の経験によって獲得した反応であるが,猛禽類の影には決して慣れを示さず,このような能力が遺伝的にプログラムされたものであることを示している。
[刷込み imprinting]  刷込み(インプリンティング)は特殊な形の学習である。これは生後のある時期の経験が,その動物のある行動を規制してしまうもので,とくに生後の初期に生じやすい。孵化後2~3日目くらいのニワトリの雛は品に対して強く刷り込まれ,このときに経験した品箱の色や形にこだわる。アヒルの雛が母親が近くにいても,品入れをもって歩く人の後をついていくのも刷込みの例である。これは生後の脳の発達とも関連し,成体になってからは生じない。また,同種の仲間とある程度以上いっしょに生活すると刷込みも生じにくくなる。
[各種の学習行動]  さまざまな動物には種に応じてプログラムされた学習能力があり,例えば,カリウドバチの多くは巣穴を出て獲物を狩りにいく際,周囲のおおまかな地形を認知し,巣穴に戻る手がかりとする。肉食性の哺乳類の幼獣が成長の過程で仲間とじゃれ合いながら口や四肢の扱い方が巧みになったり,鳥類の幼鳥がしだいに熟達した飛翔(ひしよう)を行うようになるのも経験による学習の効果であろう。試行錯誤的に経験を積み重ね,ある行動を獲得するのも学習といえる。サルのいも洗い行動などはその一つで,たまたま海水につかった品を食した個体から,ある集団の中で,すべての個体が海水で洗ってから食すようになったのは偶然の効果から出発している。
 自然な状態における学習の役割は,子が親と同じ行動パターンを受け継ぎ,与えられた環境でうまく生きていけるようにすることである。したがって一般には学習によって行動が進化することはないといえる。                奥井 一満
【認知科学における学習】
認知科学は学際的な学問領域であり,学習の研究を理論的にリードしてきたのは心理学である。心理学において学習とは主体の経験による行動や心的状態(認知)の比較的長期に持続する変化を示す語として使われてきた。認知のモデル化を目指す認知科学においては,学習は記憶とほとんど同じものとして扱われ,特に個体の知識の獲得に対応するものと考えられてきた。しかし,最近になって,知識観の変化と実践活動に対する理解の深まりを反映し,学習を実践のコミュニティの社会的活動とみなす新しい学習観が生まれ,日常のさまざまな活動(ワーク)の研究が盛んに行われている。
[個体内の出来事としての学習]  心理学において中心的な学習観は学習を一個体のシステムの機能や行動の変化としてとらえる立場である。行動主義の学習理論では,刺激と反応の間を結ぶ有機体の内的な機構をブラックボックスとし,研究対象とはしなかった。これに対して,情報処理的アプローチをとる認知心理学では,情報の入力から出力までの過程全体のモデル化をコンピューターメタファーを積極的に利用することによって進めていった。認知主義の立場では,学習とは個体の知識獲得と知識獲得による個体の内的システムの変化,そしてそれによる個体のパフォーマンスの改善として取り扱われる。これは広くは知識の構成主義にくみする立場であり,内的な記号処理,すなわち表象の計算過程のモデル化である。最近では,言語学習や知覚,運動学習といった意識化されにくい認知過程に対して,脳の神経系メタファーを利用したコネクショニズムを人間の学習に応用した並列分散処理(PDP)モデルも提起され,記号処理モデルとの統合の試みが始まっている。行動主義的な学習論と認知主義的な学習論では変化の焦点をそれぞれ行動と認知とする点では大きな違いがあるが,どちらも一個体の変化に焦点をあて,そのメカニズムを明らかにすることを研究課題としている点では共通性がある。
[社会的な出来事としての学習]  熟練者になることは,外側からは行動の変化として,また,当事者にとっては知識の変化として観察可能な部分があることは事実であろう。しかし,熟練者になるためには,その主体を熟練者として位置づける人間関係,すなわちコミュニティが必要である。伝統芸能におけるわざの習得は個人的な出来事ではない。師匠と弟子という徒弟制があり,さらに,それはその芸能の専門家集団,その芸の鑑賞集団などのコミュニティの中に含み込まれている。そうした実践のコミュニティは価値を創造し,更新していく。〈新人〉として扱われていた人も,新しい新参者が参加することによって,古参者への仲間入りをする。周りの人たちの扱いも変わり,その人の自己のアイデンティティも変わっていく。このように考えるとある人が熟練者になるということは個人的な変化ではなく,その人を含むコミュニティ全体の変化と見なすことができる。その意味で,学習は実践のコミュニティ内で起こる社会的な活動なのであり,その参加者の行動の変化や認知的な変化はその一部を取り上げたものにすぎない。また,学習が学習者によるリソース(資源)の再編ととらえられることによって,学習は教育から独立した活動として位置づけられることにもなる。この新しい学習観の中で,学習を個体内の出来事として扱う立場の研究も再配置されていくことが期待される。
[状況論と学習研究の課題]  学習を社会的活動としてとらえる立場を理論的に支えているのが,状況論と総称される立場である。状況論はビゴツキー L. S. Vygotsky(1896-1934)に始まる社会歴史的アプローチ,活動理論をベースにして,コール M. Cole(1938- )らのアメリカ・カリフォルニア大学の比較人間認知研究所を中心として展開されている学際的な理論的志向を指す。特に,リテラシーなどの文化的道具と認知との関係に関する研究,工場や家庭における日常的認知の研究は,状況論的な学習の理論化において重要な役割を果たした。エスノメソドロジーの知識観,行為観も強い影響を与えている。その中心的な主張は,知識や行為はそれが使用される活動から切り離すことができないという知識や行為の状況性の強調である。このことは言語理解が常にその使用文脈に参照されることによってしかなされないことを考えてみればよい。状況論に基づく学習研究では,学習自体が状況に埋め込まれているとみなし,人やコンピューターなど,一個体の内的システムの変化ではなく,ある状況を構成している活動システム全体をとらえようとする。このような立場に立つと,学習は一個体の知識の獲得ではなく,ある状況内における複数の人々や人工物(技術的道具,文字や記号などの心理学的道具)の間の相互行為あるいはコラボレーションの過程であると理解することができる。認知は個人の中に閉じられたものではなく,社会的に分散しており,身体運動の学習も単なる個体の行動の習得としてではなく,社会的実践としての身体技法として取り扱われる。このような様々なリソースのコラボレーションの過程をそれぞれの活動に即して歴史的に明らかにしていくことが現在の認知科学における学習研究の主要な課題である。
⇒記憶∥徒弟制度            石黒 広昭

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